チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

後日談(3):バスティーユ

2005年05月30日 22時36分57秒 | Weblog
過去の日記をめくっていくと、数日間まとまって更新がなされていない箇所があります。チューリヒを留守にしていた期間がそれで、パソコンは常に自宅に置きっぱなしだったので、更新できなかったわけです。(ネットカフェなどを利用する気にもなれなかったので。)2004年12月はドイツ・フランスへの旅、2005年2月はベルギュンへのスキー旅行だったわけで、いずれも、チューリヒに戻ってきてから「番外編」としてその報告を載せています。ところが、2004年10月に3日間ほど抜けているところはそのままにしていました。

パリに出かけていたのです。

スイスの小学校には秋休みというものがあり、10月初旬のこの機会を利用して出かけました。というか、休暇には家族でどこかへ出かけるというのがどうもあちらの習慣のようで、子供たちの通っていた日本人学校でも、休みにどこへ出かけるかということが話題になるくらいだったため、どこにも出かけずに済ますこともできなかったのです。

朝6時半にチューリヒを出る急行でまずバーゼルまで行き、そこからパリ・リヨン駅行きの特急列車(TGVにあらず)に乗るという旅程です。あまりに朝早いので、パリに着いたころにはくたびれてしまいました。

後から考えれば、チューリヒ・パリ間なんて、飛行機で行けば速くて楽だったのです。ところが、ベルンにいた頃の習性が災いして、陸路以外を思いつかなかったというわけ。(ベルン・パリ間は直通のTGVが走っています。)本当にバカでした。家族からも後でさんざんに罵られました。

とにかく昼過ぎにパリ・リヨン駅に着いた我々は、メトロに乗り換えてバスティーユへ。広場すぐ近くのホテルを予約していたのです。

上の写真は、バスティーユ広場の革命記念柱。ホテルにとりあえず荷物を置いた我々は、昼食を摂るべく、広場の方角へと向かいました。昼食は、パリまで来てこれかと思わないでもありませんが、やはりケバップ。広場から少し離れた小さな店に入った我々は、運ばれてきたケバップの肉とポンフリの量が多いことにびっくり。2人前で4人が十分お腹いっぱいになりました。味も、チューリヒで食べるやつよりずっと上。やはりパリです。

ホテルに戻った我々は、さすがに疲れて休息タイム。パリの街を見られるのはこの日だけだったので、本当は観光して回るべきだったのかもしれませんが、パリは初めてじゃないし、疲れてもいたので、ポイントを絞ることに。子供たちに、どこを見たいか尋ねると、エッフェル塔に行きたいとの返事だったので、地下鉄とRERを乗り継いでエッフェル塔見物に出かけました。

エッフェル塔の下まで来た我々が最初に目にしたのはなんと集団スリ。誰かの財布(?)を盗るが早いか、集団は四方に散って逃げます。するとそれを超高速自転車で追いかけるお巡りさん。その漕ぐ力のすごいこと! チューリヒではほとんど目にすることのない光景です。やはり、治安の良さと食べ物の美味さは反比例するのでしょうか。皆がエッフェル塔を見上げるので、手元のカバンやポケットへの注意がおろそかになるのでしょう。スリには格好の仕事場です。

10月初旬だというのにやたら混んでいたエッフェル塔。長い列に並んでやっと塔を上るエレベータに乗れました。

これが塔の上から見たパリの街。

凱旋門から道路が放射状に延びています。大都会だというのにあちらこちらに緑が見られるところはさすがヨーロッパだという気がします。

大混雑の中を降りてきた我々は、塔の下の広場で小休憩。ホテルへの帰路にはバスを使ってみることにしました。

パリではまだバスに乗った経験がありません。路線図の把握が難しくて、どこへ連れて行かれるかわからない心配があったからですが、今回は路線図とにらめっこした後、バスティーユに戻る便を発見。停留所に行くとそれらしきバスが止まっていました(ここが始発だったようです)。「バスティーユまで行きますか?」と、初級フランス語会話を駆使して確認し、バスに乗り込んだ我々4人。「パリ・ヴィジット」(24時間券みたいなもんだ)を持っていたので、切符を買う苦労はなかったのですが、果たして無事バスティーユに戻れるのか、興味津々でした。

パリの地図を広げて通りを確認しながら、あちらこちらをきょろきょろ見回すのは、格好良いものではなかったけれど、メトロやRERでは味わえない、パリの街の雰囲気を味わいながらの移動は格別です。次に来たときもぜひバスを利用したい。メトロの、暗くて危険な雰囲気はないし、通りごとに街が違う表情を持っていることがよくわかって実に楽しいではありませんか。

こうして我々は、夕暮れのバスティーユに無事戻ってきたのです。(つづく)

後日談(2)

2005年05月25日 23時28分13秒 | Weblog
山のような段ボール箱から出てきた思い出の品。今回のスイス滞在の思い出に買った駅時計です。

この時計、スイス鉄道(SBB)の駅で用いられているデザインと同一です。駅時計の話は以前に書いたことがあります(リンクはこちら)。やはりスイスの思い出というと、毎日のようにお世話になった(迷惑も被ったけど)チューリヒ駅になるので、その記念にこの壁掛け時計を購入し、引越荷物に詰めておいたのです。

この時計は日本でも購入することができます。製造・販売しているMondaineという会社が日本でも通販をしています。また、時計屋でこの品を置いているところもあります。しかし、スイスで実物を見たことでもなければ、あまりこの時計を買う意味はないような気がします。(スイスでの軍隊経験がなくてもアーミーナイフを買うことはあるわけですが。)特徴的なデザインではありますが、お世辞にも垢抜けているとは言えないし。なお、同じデザインの腕時計もあります(僕も持っています)。壁掛け時計も腕時計も残念ながら、60秒のところで2秒止まってはくれません(この話の詳細は上のリンクページをご参照あれ)。

居間にあった、結婚以来使用していた壁掛け時計に代えて、この駅時計を掛けてみたのですが、針などの黒がきつ過ぎるのか、どうも馴染まない感じで、娘からは、前の時計のほうが良かったと不評をかっています。もうしばらく掛けてみて、やっぱり部屋に馴染まないようなら配置転換も考えないといけないかも。この時計を見るたびにスイスの生活を思い出すので、僕はこのまま掛けておきたいんですが。とはいえ、娘の意見には逆らえないしなぁ...。


後日談(1)

2005年05月21日 21時20分10秒 | Weblog
最終回、って言っておきながら、その続きを書くのは気が引けますが、一部の方々の暖かいご声援に甘えて、「後日談」ってことでちょっとだけ。

スイスから送った引越荷物がついに今日着きました。連休明けには到着、と言われていたので、少し遅かったわけですが。

スイスで引越を発注したインターディーンという会社は、日本では黒ネコヤマトに配送を委託しています。事前に電話連絡があり、今朝9時半に荷物を持ってくるとのこと。さすがは日本。ちゃんと9時半に持ってきました。こういうことがきちんと約束通りに行われるのはさすが日本だなぁ、と今さらのように感心します。黒ネコは運送会社の中でもその点がとくにきちんとしてます。

それにしても、狭い居間に積み上げられた20数箱の段ボール。見ただけでウンザリです。が、眺めていても箱はなくならないので、早速箱を開きにかかりました。(空の段ボールと梱包材料は、後日黒ネコが引き取りにきてくれるそうな。さすが。)

本やら研究資料やらを詰めた数箱は、中身を確認した後すぐに自家用車で大学の部屋に運び込みました。だって、置いておく場所がないんです、自宅には。本当に。

見ただけで汗をかきそうな冬物衣料もタンスの隅に押し込んで、いくつかの箱は空にできたのですが、まだまだ居間には箱の山。いつになったら箱が我が家から消えてくれるのか。箱を見ていても気が滅入るので、午後からは、兵庫県立美術館で明日までやっている、「ドレスデン国立美術館展ー世界の鏡」を、妻と娘と一緒に見に行きました。現実逃避。