過去の日記をめくっていくと、数日間まとまって更新がなされていない箇所があります。チューリヒを留守にしていた期間がそれで、パソコンは常に自宅に置きっぱなしだったので、更新できなかったわけです。(ネットカフェなどを利用する気にもなれなかったので。)2004年12月はドイツ・フランスへの旅、2005年2月はベルギュンへのスキー旅行だったわけで、いずれも、チューリヒに戻ってきてから「番外編」としてその報告を載せています。ところが、2004年10月に3日間ほど抜けているところはそのままにしていました。
パリに出かけていたのです。
スイスの小学校には秋休みというものがあり、10月初旬のこの機会を利用して出かけました。というか、休暇には家族でどこかへ出かけるというのがどうもあちらの習慣のようで、子供たちの通っていた日本人学校でも、休みにどこへ出かけるかということが話題になるくらいだったため、どこにも出かけずに済ますこともできなかったのです。
朝6時半にチューリヒを出る急行でまずバーゼルまで行き、そこからパリ・リヨン駅行きの特急列車(TGVにあらず)に乗るという旅程です。あまりに朝早いので、パリに着いたころにはくたびれてしまいました。
後から考えれば、チューリヒ・パリ間なんて、飛行機で行けば速くて楽だったのです。ところが、ベルンにいた頃の習性が災いして、陸路以外を思いつかなかったというわけ。(ベルン・パリ間は直通のTGVが走っています。)本当にバカでした。家族からも後でさんざんに罵られました。
とにかく昼過ぎにパリ・リヨン駅に着いた我々は、メトロに乗り換えてバスティーユへ。広場すぐ近くのホテルを予約していたのです。
上の写真は、バスティーユ広場の革命記念柱。ホテルにとりあえず荷物を置いた我々は、昼食を摂るべく、広場の方角へと向かいました。昼食は、パリまで来てこれかと思わないでもありませんが、やはりケバップ。広場から少し離れた小さな店に入った我々は、運ばれてきたケバップの肉とポンフリの量が多いことにびっくり。2人前で4人が十分お腹いっぱいになりました。味も、チューリヒで食べるやつよりずっと上。やはりパリです。
ホテルに戻った我々は、さすがに疲れて休息タイム。パリの街を見られるのはこの日だけだったので、本当は観光して回るべきだったのかもしれませんが、パリは初めてじゃないし、疲れてもいたので、ポイントを絞ることに。子供たちに、どこを見たいか尋ねると、エッフェル塔に行きたいとの返事だったので、地下鉄とRERを乗り継いでエッフェル塔見物に出かけました。
エッフェル塔の下まで来た我々が最初に目にしたのはなんと集団スリ。誰かの財布(?)を盗るが早いか、集団は四方に散って逃げます。するとそれを超高速自転車で追いかけるお巡りさん。その漕ぐ力のすごいこと! チューリヒではほとんど目にすることのない光景です。やはり、治安の良さと食べ物の美味さは反比例するのでしょうか。皆がエッフェル塔を見上げるので、手元のカバンやポケットへの注意がおろそかになるのでしょう。スリには格好の仕事場です。
10月初旬だというのにやたら混んでいたエッフェル塔。長い列に並んでやっと塔を上るエレベータに乗れました。
これが塔の上から見たパリの街。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/5d/529cafcc1bd4acf647cce00c4af28c7f.jpg)
凱旋門から道路が放射状に延びています。大都会だというのにあちらこちらに緑が見られるところはさすがヨーロッパだという気がします。
大混雑の中を降りてきた我々は、塔の下の広場で小休憩。ホテルへの帰路にはバスを使ってみることにしました。
パリではまだバスに乗った経験がありません。路線図の把握が難しくて、どこへ連れて行かれるかわからない心配があったからですが、今回は路線図とにらめっこした後、バスティーユに戻る便を発見。停留所に行くとそれらしきバスが止まっていました(ここが始発だったようです)。「バスティーユまで行きますか?」と、初級フランス語会話を駆使して確認し、バスに乗り込んだ我々4人。「パリ・ヴィジット」(24時間券みたいなもんだ)を持っていたので、切符を買う苦労はなかったのですが、果たして無事バスティーユに戻れるのか、興味津々でした。
パリの地図を広げて通りを確認しながら、あちらこちらをきょろきょろ見回すのは、格好良いものではなかったけれど、メトロやRERでは味わえない、パリの街の雰囲気を味わいながらの移動は格別です。次に来たときもぜひバスを利用したい。メトロの、暗くて危険な雰囲気はないし、通りごとに街が違う表情を持っていることがよくわかって実に楽しいではありませんか。
こうして我々は、夕暮れのバスティーユに無事戻ってきたのです。(つづく)
パリに出かけていたのです。
スイスの小学校には秋休みというものがあり、10月初旬のこの機会を利用して出かけました。というか、休暇には家族でどこかへ出かけるというのがどうもあちらの習慣のようで、子供たちの通っていた日本人学校でも、休みにどこへ出かけるかということが話題になるくらいだったため、どこにも出かけずに済ますこともできなかったのです。
朝6時半にチューリヒを出る急行でまずバーゼルまで行き、そこからパリ・リヨン駅行きの特急列車(TGVにあらず)に乗るという旅程です。あまりに朝早いので、パリに着いたころにはくたびれてしまいました。
後から考えれば、チューリヒ・パリ間なんて、飛行機で行けば速くて楽だったのです。ところが、ベルンにいた頃の習性が災いして、陸路以外を思いつかなかったというわけ。(ベルン・パリ間は直通のTGVが走っています。)本当にバカでした。家族からも後でさんざんに罵られました。
とにかく昼過ぎにパリ・リヨン駅に着いた我々は、メトロに乗り換えてバスティーユへ。広場すぐ近くのホテルを予約していたのです。
上の写真は、バスティーユ広場の革命記念柱。ホテルにとりあえず荷物を置いた我々は、昼食を摂るべく、広場の方角へと向かいました。昼食は、パリまで来てこれかと思わないでもありませんが、やはりケバップ。広場から少し離れた小さな店に入った我々は、運ばれてきたケバップの肉とポンフリの量が多いことにびっくり。2人前で4人が十分お腹いっぱいになりました。味も、チューリヒで食べるやつよりずっと上。やはりパリです。
ホテルに戻った我々は、さすがに疲れて休息タイム。パリの街を見られるのはこの日だけだったので、本当は観光して回るべきだったのかもしれませんが、パリは初めてじゃないし、疲れてもいたので、ポイントを絞ることに。子供たちに、どこを見たいか尋ねると、エッフェル塔に行きたいとの返事だったので、地下鉄とRERを乗り継いでエッフェル塔見物に出かけました。
エッフェル塔の下まで来た我々が最初に目にしたのはなんと集団スリ。誰かの財布(?)を盗るが早いか、集団は四方に散って逃げます。するとそれを超高速自転車で追いかけるお巡りさん。その漕ぐ力のすごいこと! チューリヒではほとんど目にすることのない光景です。やはり、治安の良さと食べ物の美味さは反比例するのでしょうか。皆がエッフェル塔を見上げるので、手元のカバンやポケットへの注意がおろそかになるのでしょう。スリには格好の仕事場です。
10月初旬だというのにやたら混んでいたエッフェル塔。長い列に並んでやっと塔を上るエレベータに乗れました。
これが塔の上から見たパリの街。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/5d/529cafcc1bd4acf647cce00c4af28c7f.jpg)
凱旋門から道路が放射状に延びています。大都会だというのにあちらこちらに緑が見られるところはさすがヨーロッパだという気がします。
大混雑の中を降りてきた我々は、塔の下の広場で小休憩。ホテルへの帰路にはバスを使ってみることにしました。
パリではまだバスに乗った経験がありません。路線図の把握が難しくて、どこへ連れて行かれるかわからない心配があったからですが、今回は路線図とにらめっこした後、バスティーユに戻る便を発見。停留所に行くとそれらしきバスが止まっていました(ここが始発だったようです)。「バスティーユまで行きますか?」と、初級フランス語会話を駆使して確認し、バスに乗り込んだ我々4人。「パリ・ヴィジット」(24時間券みたいなもんだ)を持っていたので、切符を買う苦労はなかったのですが、果たして無事バスティーユに戻れるのか、興味津々でした。
パリの地図を広げて通りを確認しながら、あちらこちらをきょろきょろ見回すのは、格好良いものではなかったけれど、メトロやRERでは味わえない、パリの街の雰囲気を味わいながらの移動は格別です。次に来たときもぜひバスを利用したい。メトロの、暗くて危険な雰囲気はないし、通りごとに街が違う表情を持っていることがよくわかって実に楽しいではありませんか。
こうして我々は、夕暮れのバスティーユに無事戻ってきたのです。(つづく)