チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

歌うクリスマスツリー

2004年11月30日 04時29分50秒 | Weblog
ツリーが歌うわけでは、ありません。ツリーに付けられたろうそくのように見えるのは、歌う少年少女合唱団。一部お姉さんとおばさんもいました。

昨日書いた、サンタクロース・パレードの出発点になっていたペスタロッチ広場に、高さ8メートルの大きなクリスマスツリーが作られていました。パレードを見た帰り道、このツリーを眺めていると、後ろから、緑のポンチョに赤い帽子、赤い手袋とマフラーの子どもたちが。総勢50人ほどが次々とツリーに上がって行きます。電子ピアノに合わせてクリスマスの歌を合唱。見物人からは1曲ごとに盛大な拍手がおくられていました。歌っているのは、近くの学校の生徒たちが中心の即席合唱団のようで、よそ見をしたり、家族に手を振ってみたり。統一の取れてなさがかえって可愛い感じです。

この「歌うクリスマスツリー」、アドヴェントの始まった11月28日から12月22日まで、毎日「歌う」そうです。きっと、いろいろなグループが交代で歌うのでしょう。(天気の悪い日はどうするのでしょうか?)

昨日のサンタ・パレードといい、この「歌うツリー」といい、伝統的なクリスマスのイメージとちょっとズレているような気がしますが、これが「都会」のクリスマスなのでしょうか。スイス・ドイツ語で歌っているクリスマスの曲を聴きながら、そんなことを思ってしまいました。

サンタクロース・パレード

2004年11月29日 05時46分26秒 | Weblog
キリスト教では、クリスマスの4つ前の日曜日から始まる期間をアドヴェント(待降節)といい、クリスマスへの備えをする時期と定めています。今年は今日11月28日からアドヴェントが始まりました。

クリスマスの楽しみといえば贈り物、贈り物といえばサンタクロースということに相場が決まっていますが、サンタクロースは元来、12月6日の前夜に来ることになっていました。サンタクロースのモデルとされる聖ニコラウスの聖日がこの日であり、ニコラウスは子どもを守る聖人とされています。今でも、カトリックの影響が強い地域では(プロテスタントの地域でもやっていますが)今でも、12月6日の前の日、夕方から夜にかけて、司教ニコラウスに扮した人がやって来て、子どもたちに説教し、あとでお菓子やみかんをくれるという行事が行われています。ベルンでもこの日に、街の中心部にサンタクロースが来ていました。(スイスでは「サミクロース」と訛って?呼ばれています。)

ところが、チューリヒのサンタクロースは、アドヴェントの最初の日曜日、つまり今日の夕方に現れるのです。しかも、サンタもお供のシュムッツリも(サンタには助手をしてくれるシュムッツリという森林労働者がいることになっているのです)たくさん、行列をなして登場します。サンタの大行進が、チューリヒの駅前通で夕方5時から、トラムの通行もわざわざ止めて、盛大に行われるというので、家族で見物に行きました。

5時少し前に駅前通に着くと、すでに通りは人で埋め尽くされていました。不思議なことに、子どものための行事のはずなのに、子どもよりも大人の数の方が圧倒的に多い。家族連れならわかりますが、若いカップルやおっちゃん、ばあちゃんもたくさん来ていて、一生懸命に見物場所を探しているのです。

すでに何重にも見物の人垣ができていて、よく見える場所はなかったのですが、子どもたちは列の前に行かせてもらいました。我々大人は、前の人の背中越しにしか見えなかったので、写真もロクなものが撮れずじまいです。サンタクロースがかろうじて写っているものを1枚つけます。

サンタとシュムッツリが何人も現れては、お菓子を配ってくれるのですが、スイス人の子どもに厚かましさで負けるのか、うちの息子は一つももらえずじまい。娘は何とか一つゲットしましたが。

それにしても、サンタクロースがこう次々に何人も現れては、子どもの夢を壊さないのでしょうか? しかもわざわざ12月6日をずらしてサンタを来させるなんて。プロテスタントの重要な町であるチューリヒにとっては、カトリックの聖人の祝日に従うのは宗教改革の精神が許さないのかもしれません。しかし、だったらこんなサンタ・パレードをそもそもやらなければいいようにも思うのですが。それとも、12月24日の夜に世界各地で分業しているサンタが今日はチューリヒに勢ぞろい、という建前? 

グロスミュンスターに上る

2004年11月28日 06時43分45秒 | Weblog
何とかと煙は高いところに上りたがると言いますが……。

チューリヒといえば宗教改革。宗教改革といえばツヴィングリ。ツヴィングリといえばグロスミュンスターというわけで、ツヴィングリ、そして彼の後継者であるブリンガーが牧師をしたことで知られるチューリヒ市内のグロスミュンスターは、シャガールのステンドグラスがあることで知られるフラウミュンスターと並んで有名な教会ですが、この教会の塔に上ってきました。

塔への上り口は会堂の中、後部にあります。大人2フラン(約180円)、子どもは1フランなのですが、何が面白くて、お金まで払って自力で上らないといけないのか、と思いつつも、子ども二人を連れて、合計4フランも払ってしまいました。

教会の塔に上るのはちょっとした趣味、というにはあまりに一般的過ぎますが、スイスで一番高いと言われるベルンの大聖堂(ミュンスター)の塔にも何度か上りましたし、イタリアはミラノに行ったときも、大聖堂(ドゥオモ)にやっぱり上りました。ドォオモの場合は、エレベーターが途中までついているので、お金を払う意味もわかりますが、自力で上るのにお金が要るというのはヘンな気がやっぱりします。ベルンの場合は、塔の上に管理人が住んでいるので、その生活費と思えばわからないでもないわけですが。

グロスミュンスターの塔は、途中までが狭い石段で、その後が木組みの階段になっています(姫路城の階段を思い出しました。あれよりは幅が広いですが)。石段の部分が意外に短いので、なぁ~んだ、と思ったら、その後が長くて大変。えんえんと階段は続きます。

膝が笑い始めた頃、てっぺんに到着。この日は暖かかったこともあって、汗びっしょりになりました。てっぺんの部分にはすでにたくさんの観光客が。今日は天気が良かったので、非常に見晴らしもよく、景色を堪能できました。写真は、南東の向きで、下には、グロスミュンスターの一部に入っている神学部の建物も見えます。北向きの写真はもっと綺麗だったのですが、同じような写真を第1回に掲載したので、今回は逆向きにしてみました。

観光地の常で、てっぺんには色々な落書きがありました。全部見て回ったわけではないのですが、日本語のものがなかったのは、嬉しいような寂しいような。なぜかハングルの落書きが目につきました。自分の携帯電話の番号を書いている人もいたけど、電話してくれという意味だろうか……?

急な階段というものは、上るよりも降りるほうが怖いということを実感しつつ、そろりそろりと降りると、日本人の若い女性二人連れが礼拝堂の椅子に腰掛けていました。明らかに観光客なのですが、我々親子が「しんどかったなぁ」と話すのを耳にして、こちらに聞こえているのを知ってか知らずか、「こんなとこまで日本人がいるなんてねぇ」とのたまった。そりゃこっちのセリフだろ。今頃スイス観光とはいいご身分で。

レシュティの溝

2004年11月27日 05時21分29秒 | Weblog
ドイツ語圏スイスの代表的「料理」にレシュティという、じゃがいもを短冊状に切って焼き固めたものがあります。綴りは Roesti(oeはoウムラウト)なので、ロシュティと書いてもおかしいし、レシュティでもぴったり来ないのですが、仕方ありません。真ん中の s が「シュ」となるのはスイスドイツ語の特徴です(レシュトラン、と言ったりします)。「焼く、炒る」を意味する roesten から来た名称でしょう。

ガイドブックなどには「ベルン地方の料理」と紹介されており、実際ベルンではよく食べるみたいですが、ベルンのレシュティ(Berner Roesti)にはベーコンが入っていることが多いようです。写真のものには入っていません。ミグロやコープでは、半分出来合いのものを売っており、袋から出してフライパンで焼けばいいようになっています。自分で最初から作っても、そう手間のかかるものではありませんが。

スイスではよく「レシュティの溝」(Roesti-Graben)という表現が用いられます。言語の異なる地域を隔てる壁のような意味合いです。とくにこの表現がよく聞かれるのは、国民投票が行われる時で、西部のフランス語圏スイスと東部のドイツ語圏スイスで、特定の案件に対する賛成票の数にはっきりとした差が出た場合、「レシュティの溝」で分けられた、というわけです。おそらく、レシュティがドイツ語圏スイスの名物であるところから来るのでしょう。(フランス語圏スイスでは食べないのかどうか、確かめたことはありませんが。)

前回の、スイス在住外国人に国籍を認める手続きの簡素化をめぐる国民投票では、この「レシュティの溝」がはっきりと現れました。スイス・ロマンドと呼ばれるフランス語圏スイスでは賛成票が多かったのに対して、ドイツ語圏スイスではこれに反対する声が非常に強かったのです。

概して、フランス語圏スイスの方がオープンである一方、ドイツ語圏スイスは保守的で、外国人問題のような案件の場合はこの傾向がはっきりと出るわけです。「古き良きスイス」を守ろうとする力はドイツ語圏スイス、とりわけ農業・牧畜を営む地域の多い州(カントン)に強く働いているようです。

僕たちが「スイス」と聞いてイメージするのは、ドイツ語圏スイスのそれであることが多いように思います。アルプスの少女ハイジもそうだし、ユングフラウヨッホやその麓の町(ベルナー・オーバーラント)もそう。ジュネーヴやローザンヌだってれっきとしたスイスの町ですが、スイス独特の、ヨーロッパの田舎とも言われるような、どことなく垢抜けない(スイス人には悪いけど)感じは明らかにドイツ語圏スイスのものです。フランス語圏の州は、比較的新しくスイス連邦に加わったので、「伝統的」スイスでない、ということもあるのかもしれませんし、フランス語圏は、スイスの一体性というよりも、フランス的であることの方を重要に思っているみたいなので、あえて「スイス的」にしていないのかもしれません。

写真のレシュティ、我が家では4人で分けて食べましたが(これだけがおかずだったわけではありません)、レストランなどではこれが1人前です。そしてこれは、あくまでメインディッシュの付け合せなのです。

ウスター・マルクト

2004年11月26日 05時04分48秒 | Weblog
今日25日と明日26日の2日間、チューリヒ近郊の町ウスターで「ウスター・マルクト」というお祭りが開かれています。今日の夕方、家族でこの祭を見てきました。

「正式」には Uschter-Maert (aeはaウムラウト)とスイスドイツ語で表記されているこのお祭り(ウシュタ・メァルト、とでも発音するのでしょう)、聞くところでは、ウスターの教会の始まりを祝っているとかで、要するに縁日みたいなものですが、教会にお参りする人がいるようには見えませんでした。

祭といっても、「マルクト」という名称が示すように、町を挙げての大きな「市」が出るといった感じです。実際この両日は、町を挙げての大露天商大会のようになり、町の中心部は通行止め、道の両側にいろいろな屋台が立ち並びます。26日の金曜日は役所も休むようで、学校も休校です。

ウスター・マルクトに登場するのは、露店ばかりではなく、スイスの町の祭によく見られる移動遊園地もやってきます。メリーゴーランドや観覧車のようなおとなしいものから、とても移動遊園地とは思えないような過激な乗り物もあり、あちこちで悲鳴が聞こえます。「スペース何とか」という、客を空中でぐるぐる振り回す乗り物が、近くのアパートすれすれに回っているので、かえって怖い感じがします。

露店は、食べ物はもちろん、洋服やおもちゃ、飾り、ろうそくなど、実にいろいろなものを売っています。意外なところでは古本や、軍隊関係の品などもありました。食べ物では、焼きソーセージやバーガー、フライドポテトなどに加えて、中華の店が祭の定番です。Fruehlingsrolle (春巻き。そのままの直訳だ)と書かれた店があちらこちらに見られます。僕は、焼きそばを買って食べました。9フラン(800円強)はスイスでは普通の値段だと思いますが、結構大盛りに入れてくれました。中華の店はどこも結構お客が集まっています。

この祭は、いわゆるクリスマス市とは違うようですが、クリスマス用の品を売っている店もありました。クリスマス市に付き物のグリューヴァイン(赤ワインに甘味と薬味を入れて暖めたもの)もちゃんとあったので、今年の「飲み初め」をすると、冷えた身体に効果てきめんです。

最後に妻は「定番」のケバップを、そして僕は、カレー味のリゾットとでも言うか、なんとも不思議な料理を買いました。名前を控えておかなかったのが残念。アジア料理だと書かれていたけど、まさかね。

葡萄と林檎を「飲む」

2004年11月25日 06時40分53秒 | Weblog
写真は、今日の夕食時の食卓にあった飲み物二つです。

左の白ワインは、ベルン州のビール湖畔出身で、Schafiser という名前です。スイスのワインというと(それ自体あまり知られていないわけですが)、どうしてもレマン湖の近くやヴァリス、ティチーノといった南側のものが思い浮かびますけれども、ベルン州や東スイスでもワインは造られています。

ベルン州の目印、熊の模様がラベルについたこの Schafiser、やや辛口で、口当たりも軽く、ささっと飲めてしまいました。

右側は Most (スイス人は「モシュト」と発音しています)です。辞書によれば Most は「リンゴ・ナシ・ブドウなどのしぼり汁で、まだ十分に発酵しきっていないもの」だそうですが、これは要するに搾りたてのリンゴジュースで、街に週2回立つマルクト(市)で妻が買ってきました。1.5リットルのペットボトルに詰めて売っています。

5年前にベルンにいたとき、連邦議事堂前の広場に立つマルクトで、このモシュトを売っている店に出会って、試しに買ってみたらすごくおいしかったので、その店に通ってはいつも買って帰ったものでした。何本も買ったのはいいけれど、うっかりしまい込んで旅行に出かけ、帰ってみると発酵してしまっていたということもありました。

写真のものは本当にまだジュースなので、子どもでも飲めます。息子が何杯もお代りしていました。

米から作った飲み物がない代わりに、葡萄や林檎を「飲んで」日々を過ごしています。街に出たついでに買ってきた、東スイスのワインが何本かあるので、次はそれを試したいと思っています。COOP のワインコーナーでたまたま見つけた Maienfelder(ハイジの里出身!)を先日試したら、実にまろやかな赤で、マイエンフェルトまで出かけてまとめ買いしようかと思うほどでした。

NHKワールド・ラジオ日本

2004年11月24日 05時05分34秒 | Weblog
今でこそ、ADSLを使ってインターネット常時接続、日本のニュースもリアルタイムで見ることができるようになりましたが、そんな便利なものがまだなかった頃、最初の留学の時ですが、日本の情報を知るには、短波ラジオで聴くNHKの国際放送が頼りでした。

1日何回かの放送時間になると、必死になってラジオの周波数を合わせます。当時は電波状態も良くなかったのでしょうし、持っているラジオもそれほど性能が良くなかったのかもしれません。アパートのあちらこちらにラジオを持っていき、電波を一番良く拾える場所で、雑音に混じったニュースを聞いたものです。肝心なところになると声が聞こえなくなって腹立たしく思うこともしょっちゅうでした。

ついでながら、新聞も利用しました。もちろん、衛星版を購入するような経済的余裕があるはずもなく、ベルン中央駅まで行って、キオスクに置かれている日本経済新聞や朝日新聞を立ち読みするのです。阪神タイガースの試合結果をさっと見て、勝っていたらこっそりガッツポーズしてみたり。

前回、5年前に再びベルンに来たときは、ラジオを買い換えて持参しました(写真のもの)。補助アンテナ付きの、ちょっとだけ上等なものです。NHK国際放送の電波状態は10年前より若干改善されていたように思います(中継局を新たに設置したりしているのかもしれません)。5年前はすでにパソコン持参、Eメールも使っていましたが、アナログ回線の遅いやつだったので、ゆっくりインターネットしていたら電話料金がかかって仕方ありません。接続は最短時間に限っていたので、ニュースはラジオ国際放送にもっぱら頼っていました。

ラジオ国際放送では、ニュースのほか、相撲中継(日本の5時以降)、のど自慢(日曜の昼にやっている番組)などもやっています。日本にいれば、のど自慢なんぞほとんど見ることはないのですが、なぜかこういう時は一生懸命聴いてしまいます。国際放送用の番組もあるのですが、日本でやっている番組の方が印象に残ります。10年前の滞在時は、夏の高校野球決勝の中継をやっていたこともありました。

今回は、ニュースをわざわざ聴く必要がなくなったので、短波ラジオを活用する機会もなくなったかと思いきや、相撲中継が始まると、何となくラジオをつけてしまいます(インターネット経由で聴けば音声もクリアなのですが、何となくラジオで聴く方が、日本からの声を聴いているという実感が湧くので)。こちらだと午前9時から放送が始まりますから、何となくヘンな感じではありますが。つけたついでに、相撲放送が終った後の番組も聴いてしまうことが多いのですが、このインターネット時代にあっても、ラジオ国際放送を熱心に聴き、番組に投稿を寄せる人が多いことに気づかされました。結構活躍しているようです、NHKワールド・ラジオ日本




電飾も今年が最後

2004年11月23日 05時12分22秒 | Weblog
先週の木曜日から、チューリヒ駅前通 (Bahnhofstrasse) にクリスマスの電飾が灯りました(写真。あまり綺麗に写っていませんが)。ところが、この電飾は今年が最後だというのです。

新聞によれば、この電飾は1971年以来続いているもので、12ワットの電球を20万4736個使っているそうです。その1月2日まで続くこの電飾が消費する電力は、普通の家庭20件が1年に消費するのと同じ量だとか。この膨大な電力消費を止めることになったそうです。

来年からは、高さ8メートルの「ハイテク電球」に替わるそうです。こういうのは、古っぽいところが暖かみを感じさせて、いい味わいではないかと思うのですが。不景気と節約の流れには勝てなかったようです。

来年1月2日が最後になるこの電飾、最終日には何かお別れの催しでもあるのでしょうか。

今年は、故郷神戸の(ちょっと明るすぎて、綺麗だけど不自然な感じもする)ルミナリエを見物に行けない分、チューリヒの古い電飾を楽しむことにします。こちらの方が、街並みにずっとうまく合っている感じがします。

禁煙実験

2004年11月22日 05時38分35秒 | Weblog
禁煙の実験といえば、普通は大人の話だと思うでしょう。が、これは子ども向けのキャンペーンです。

対象は6年生から9年生(中学3年生に相当)。学校のクラス単位で参加します。二つのカテゴリーがあり、第1のカテゴリーは、クラス全員が半年の間タバコを吸わないことに「挑戦」するというもの。賞品(があるということ自体が驚きですが)は、5000スイスフラン(45万円相当)の旅行券が4本、500フランのものが50本。

第2カテゴリーは、7年生から9年生(日本で言えば中学生)が対象で、クラスの中に数名の喫煙者はいても良いという緩い基準で、2500フランの旅行券が4本、250フランのものが50本。

詳細は、11月15日の 20 Minuten 紙が伝えています。スイス全土で4100ものクラスがこの実験に参加したというのですが、そのくらいタバコに毒されているわけです。スイスの子どもは。

タバコは16歳から吸って良いらしいのですが、明らかにそれ以下の年齢の子どもが喫煙しているのをよく見かけます。禁止のキャンペーンでなく、吸わなければ旅行券がもらえるという運動の仕方は、ある意味では興味深いアイディアですが、やはり常軌を逸しているという印象を拭えないでしょう。第5回の試みだそうですが、相互監視を狙っているというあたりが、「監視社会」であるスイスらしいとも言えます。

日本でこんな提案をしたら、たちまち周りから非難を浴びそうですが、これが受け入れられるあたりが、タバコに病んでいるスイスの現状を表しているということなのでしょうか。それにしてもねぇ。

スカーフとミグロ

2004年11月21日 05時49分41秒 | Weblog
スカーフとミグロ、と言っても、商品の話ではありません。イスラームの女性が頭に着用するスカーフ、フランスでは、公立学校での着用が禁止されたので問題になっていますが、これを、スイスの最大スーパーであるミグロ・チューリヒの女性従業員が着用したいと申し出たのです。

ミグロの対応が注目されていましたが、先日ミグロは、宗教スカーフ着用の可否については、一般的な規則を定めることはできないという結論を出しました。そのつど、衛生問題や労働環境の安全の確保などを考慮して決めるということです。ミグロはホームページでもそのことを公表しています。

最近、イスラームと伝統的なキリスト教的価値観との共存ということが大きな問題として認識されるような事件がいくつか起こっています。フランスでは、宗教シンボル禁止法によって、公立学校において宗教的なシンボルを身につけることが禁じられました。これは、ユダヤ教徒の帽子やキリスト教徒の十字架も対象となっているのですが、一番大きな波紋を巻き起こしたのはイスラームの女性がかぶるスカーフだったのです。フランス人記者がイラクで拉致され、この禁止法の撤廃を求める要求が出されたことはまだ記憶に新しいところでしょう。この法律に抵抗してスカーフの着用を続けたために退学処分となった女子生徒も少なくありません。

スイスでも、公務員に勤務中のスカーフ着用を禁じる法律制定を求める国民発議を求めようとする動きが出ています(20 Minutenの記事による)。

オランダでは、映画監督のテオ・ヴァン・ゴッホ氏(あの画家ゴッホの遠縁にあたるそうです)が今月2日の朝、イスラーム過激派組織によって殺害されました。ゴッホ氏が、イスラームを批判する映画『服従』を作ったことが原因とされています。この事件をきっかけにして、イスラームのモスク、キリスト教会、学校への放火や爆破、脅迫がオランダ全土に広がっています。イスラーム系の移民が人口1600万人のうちの6%にもなるというオランダでは、異なる宗教の人間が平和に共存するための努力が不可欠ですが、このような流れの中で、悲観的な意見が次第に強くなっています。

これがオランダに限られた問題でないことは明らかで、チューリヒの新聞 Tages-Anzeiger 紙も今日から、西欧社会の中のムスリム(イスラーム信者)について特集を組み始めましたが、その第1回は、ドイツの首都ベルリンにあるトルコ人街を取り上げていました。

ミグロ・チューリヒにおけるスカーフの問題は、スイス全体から注目を集め、部分的には反イスラーム的反応をまき起こしたとのことです。顧客の反応も8割方は否定的なものだったとミグロは言っています。

今回の措置は、トップで一律に決定せず、現場の判断を尊重するという、ミグロらしい(あるいはスイスらしい?)収拾の仕方だったように思いますが、いずれにしてもこれが反イスラーム感情を利用した外国人差別・排斥の動きに結びついていかないことを願うばかりです。そういう風潮が強まっていることはスイスでも十分感じられますから。

なおミグロには、ターバンを着用したシーク教徒や、キッパと呼ばれる帽子をつけたユダヤ教徒も働いているそうですが、この人々は問題になったことがない、とミグロは付け加えています。とすると、なぜイスラームのスカーフだけが問題になったのかが問われてくるわけですが。