友人からのメールで、中学の時の先生が亡くなったのを知りました。
読書科の先生です。
読書科というのですから、読書指導があるわけですが、それよりも印象的で、後々本当に役立ったと思うのは(読書指導も役立ったけど、中学時代はあまり読書が好きではなかった)、研究カードの使い方を教えてもらったことでした。
細かいことは最早覚えていないのですが、梅棹忠夫著『知的生産の技術』を授業で読んだのだと思います。そして、そこに紹介されている所謂京大型カードの使い方を習ったのです。
習った当初は、その便利さが今ひとつピンと来ませんでした。カードがありがたく思えるほどの作業をしていなかったからでしょう。しかし、カードに情報を書いていき、後で並べ替え、組を作り、整理していくというこのやり方を中学時代に習ったことが、大学や大学院でどれほど役に立ったことでしょうか。そして同じ作業をーー中学卒業後30年になろうかという今でも!ーー机の上でやっているのです。カードの大きさはB6からA6になりはしましたが。
こんな大事なことを中学で教えてもらったことに、本当に感謝しています。中学で習ったものはーー英語も聖書も歴史もーー今でも自分の生活の欠かせぬ一部となっています。しかし、この読書科ほどに自分を助けてくれた授業はなかったように思えるのです。
数年前、中学の礼拝で話す機会がありました。礼拝が終ってから職員室に行くと、先生が話し方を褒めて下さったのです(すでにご定年後だったはずですが、非常勤で来ておられたのでしょう)。中学の先生に褒められるというのは(在学中は怒られてばかりでしたから)嬉しいような面映いような感じがするものです。今でもそのことが心の中にはっきりと残っています。
先生に読書科の授業をしていただいたことを、一人の生徒として誇りに思います。先生の霊が天上で安らかでありますよう、心から祈らずにはおれません。
読書科の先生です。
読書科というのですから、読書指導があるわけですが、それよりも印象的で、後々本当に役立ったと思うのは(読書指導も役立ったけど、中学時代はあまり読書が好きではなかった)、研究カードの使い方を教えてもらったことでした。
細かいことは最早覚えていないのですが、梅棹忠夫著『知的生産の技術』を授業で読んだのだと思います。そして、そこに紹介されている所謂京大型カードの使い方を習ったのです。
習った当初は、その便利さが今ひとつピンと来ませんでした。カードがありがたく思えるほどの作業をしていなかったからでしょう。しかし、カードに情報を書いていき、後で並べ替え、組を作り、整理していくというこのやり方を中学時代に習ったことが、大学や大学院でどれほど役に立ったことでしょうか。そして同じ作業をーー中学卒業後30年になろうかという今でも!ーー机の上でやっているのです。カードの大きさはB6からA6になりはしましたが。
こんな大事なことを中学で教えてもらったことに、本当に感謝しています。中学で習ったものはーー英語も聖書も歴史もーー今でも自分の生活の欠かせぬ一部となっています。しかし、この読書科ほどに自分を助けてくれた授業はなかったように思えるのです。
数年前、中学の礼拝で話す機会がありました。礼拝が終ってから職員室に行くと、先生が話し方を褒めて下さったのです(すでにご定年後だったはずですが、非常勤で来ておられたのでしょう)。中学の先生に褒められるというのは(在学中は怒られてばかりでしたから)嬉しいような面映いような感じがするものです。今でもそのことが心の中にはっきりと残っています。
先生に読書科の授業をしていただいたことを、一人の生徒として誇りに思います。先生の霊が天上で安らかでありますよう、心から祈らずにはおれません。