チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

新幹線か飛行機か

2008年01月26日 09時37分53秒 | Weblog
先日、会議のため東京へ日帰り出張しました。本当のとんぼ帰りだったので、「ついで」に誰かに会うということも叶わず、会議と打ち合わせだけで半日を費やすハメに。

東京へはほぼ常に新幹線で行っています。片道4時間。日帰り往復すると、1日のうち8時間を新幹線の狭い座席で過ごすことになるわけです。

それでいつも考えるのは、飛行機にすべきかどうか、ということ。実際、早割を使えば、飛行機の方が若干安い。それに飛行機なら、座席に縛り付けられるのは1時間です。

が、それでも新幹線にするのは、乗車/搭乗までのアクセスにあまりに差があるからです。新幹線なら、自宅から広島駅まで市電で15分ほど。10分前に着いておけば余裕で乗れます(実際には、万一のためもう少し早めに行きますが)。東京駅に着いてからも、行き先によりますが、目的地まではそれほど時間はかからない。

しかしこれが、飛行機となると事情が違います。まずはJRの鈍行に揺られて50分。白市という駅まで行き、そこで空港行きバスに乗るのですが、この駅がまた何とも侘しい、本当に空港行きバスなんか来るのかと疑いたくなるような田舎駅なのです。そしてバスで15~20分。飛行機だと10分前到着というわけにはいきませんから、結局搭乗までに相当な時間を費やすことになります。広島駅から空港までのシャトルバスもありますが、かかる時間は結局似たようなものです。それに、羽田に着いてからも結構時間がかかる。まして最近は、液体を持ち込むなだの、ボディチェックだの、乗るまでの手続きが面倒くさいことこの上ない。

ということで、どうせ広島駅までは行かないといけないのなら、そのまま新幹線に乗り込んで、居眠りしたり読書したりしている間に東京到着、というほうをやっぱり選ぶことになるわけです。

仙台や新潟まで、ということなら、仕方なしに飛行機を選ぶでしょう。しかし、東京だとやはり新幹線になる。

なんであんな辺鄙なところに広島空港を作ったのか。広島県の政治家のセンスを疑います。福山の人たちへの配慮だったんだろうと思うけど、結局、誰にとっても不便なところに作ったわけですから。


今日も雪

2008年01月21日 20時43分53秒 | Weblog
センター入試から一夜明けた月曜の朝。今日は1コマ目のためやはり早朝出勤でした。

JRは、呉線が遅れてるとかで、接続のため数分待たされた他は、大した遅延もなく西条駅に到着。今日は何とか無事に大学に行けそうだと思ったのが早合点でした。

バスが来ていないのです。

この時間、1コマ目に行く学生や教員のため、駅にはバスが3台待機しています。ところが今朝は1台もいない。どうやら雪のせいで、タイヤチェーンの装着やらナンやらで遅れているみたいです。

しばらく待っていると、1台だけやってきました。当然そのバスはウルトラ超満員。並んでいた順番の関係で運良く座れたのですが、それは本当に「運が良かった」出来事でした。立っている人たちはものすごいすし詰め状態。なのに運転手は「もう一歩前へ詰めてください」なんて平気で言っている。あまりのムチャな要求に、「だったらお前が詰めんかい!」と運転手に怒鳴る人まで...はいませんでした。ここは広島です。

何とか広大までたどり着いたバスから降り、研究室へ行ってひと休み。しかし、考えてみれば、あのバスに乗り損なった学生が当然いるわけで、その人たちはいつ教室に着くのでしょうか?

授業が始まって5分、10分、15分、遅れて教室に入ってくる人は後を絶ちません。が、果たしてこれがバスのせいなのか、それとも単に寝坊して遅刻しただけの学生なのか、当然見分けはつきませんから、怒るわけにもいきません。だらだらと学生が教室に入って来る現象はその後、開始30分過ぎまで続きました。



よりによって雪

2008年01月20日 13時22分40秒 | Weblog
全国的にセンター試験の週末、関係者の皆様ご苦労様です。

かく言う私も今年から関係者。幸い試験監督には当たらず、廊下での待機要員となりました。しかしこの待機要員、朝の出勤が早い! 7時半に集合というから逆算してみたら、広島駅を6時半に出る列車に乗らねばならぬ。ってことは、6時過ぎに家を出るわけで、とすると起きるのは……。当番が日曜だけで助かったよ。

無事目覚ましもかけずに起きられた(年寄りの兆候か?)日曜の朝、まだ暗い中を外に出ると、なんと雨! 暗いわ、寒いわ、雨振るわでもうモチベーション超ダウンの中、広島駅から電車に乗り込みました。

持ってきたパンを朝食代わりにかじった後、読書に励んでいると、何となく窓の外が明るい。妙に。おお、夜明けかと思って目をやると、なんとそこは銀世界になっている!!! どこからだったかわからないけど、雨は雪に代わっていたのです。

7時過ぎに西条駅に着いたけど、やっぱり一面真っ白。よりによってこんな日に雪に遭遇するとは。自分が何地方にいるのかを忘れてしまいそうな光景です。

7時過ぎに大学へ行ってくれるバスなどないので、大学まではタクシー通勤(大学が払ってくれました。さすがに)。せっかく元気よく話しかけてやってるのに愛想のない運転手。途中からは黙りこくって気まずい雰囲気の中、大学に到着。

午後になっても降り続く雪。帰りの電車が心配になってきましたよ。(あ、いま昼休みです。)

こんな日にセンター試験を受けないといけない受験生の皆さん、ホントにお気の毒。でも近所の高校生がほとんどなのか、雪を見て驚いたりしてる様子は誰もしてなかったな。広島で雪見て驚いているのは私だけ?

錦帯橋に遊ぶ

2008年01月14日 21時08分16秒 | Weblog
成人の日といっても、何もすることがない我が家族。思い立って、岩国の錦帯橋見物に出かけました。思いついた時間も遅かったので、自宅を出発したのは11時過ぎ。

行きは国道2号線をひたすらに、宮島を超え、岩国へと向かいどんどん行きました。左手には、冬の太陽に照らされた綺麗な海。須磨のあたりを走っているようだなぁと感慨にひたりながら走ります。

岩国駅の近くで道がわからなくなり、カーナビに道案内を頼むことに。そこから5分ほどで錦帯橋に到着しました。時間は1時を過ぎていたでしょうか。河川敷の駐車場は無料。お腹もすいていたのですが、とりあえず渡ってみようということで、橋のたもとで往復通行券を買い(意外にも有料でした。大人300円、小学生150円)、向こう岸へ。橋の坂の部分には段がついていますが、これが、下るときには見えにくいので注意が必要です。ムスコは案の定躓いておりました。

どこでおいしい昼食にありつけるかわからなかったので、仕方なく、橋を渡ってすぐのところにあった2軒のお店(なんと「佐々木小次郎商店」と「お食事処 竹の里むさし」。ちなみに、錦帯橋の近くには佐々木小次郎像があります)を見て、「むさし」の方に入ってみました。

「岩国寿司」というものがあるというので、我々夫婦はそれを頼んでみました。
これがその「岩国寿司」です。
ちらし寿司をぎゅっと押し固めたような感じ。米はもち米が入っているようです。これだけで500円くらいしましたから、ちょっと高い気がします。

食後にちょっと、橋の近くを散策。

旧目加田家住宅(中級武家屋敷。18世紀半頃)


白蛇観覧所(岩国の天然記念物。アオダイショウの変種とのこと。金運を授ける神蛇として珍重されているが、最近数が減っているので、保存会が作られているそうな)。入場は無料ですが、一人100円程度の寄付を入り口で求められます。


蛇はほとんど動きません。冬だから眠っているのか。体調は2メートルにもなるそうですが。

その後我々は吉香神社へ。初詣にも行っていなかった(当たり前か)ので、お参りし(日本文化の体験ですよ、体験。)、妻を除く3人はおみくじに挑戦(って言わない?)。子どもたちは見事「大吉」を引き当てたのに、僕だけが「小吉」。「学問」の項は「雑念多し」。当たってるよ!

橋を再度渡った後、錦帯橋まで行ったら、「うまもんレトロ館」で漬物を買えという従姉のアドバイスに従い、大人は漬物買い付けへ。子どもたちは川で石投げに興じておりました。

うまもんレトロ館。

錦帯橋を後にした我々はまず、近くの錦果楼に行き、岩国名産のれんこんを粉状にして練りこんだ餅でこし餡を包んだ「はす餅」を購入。これは旨いです。

締めは、玖珂方面に足を延ばして、「いろり山賊」へ。要するに炉辺焼きの店なんですが、その規模に圧倒されました。


見えているのは店のほんの一部です。


店の中はこんな感じ。囲炉裏が置かれているスペースもあり、そこで食べることもできます。


人気メニューの山賊焼。鶏のムネ肉と手羽先を炭火で焼いたもの。タレが少々くどい感じですが、ビールを飲みながらだとさぞかし旨いでしょう(ああ残念)。


屋外にも食べるスペースがあり、たくさんの人がそこで料理を楽しんでいましたが、見るからに寒そう。写真ではよくわかりませんが、背後には滝が流れています。夏だったら涼しげでいいのでしょうが。


山賊焼に山賊むすび(特大おにぎり)、そして餃子で十分腹が満たされた我々は、山陽自動車道を通って帰路へ。高速を使えば1時間ほどの距離ですが、半日楽しく過ごした小旅行でした。


書評は難しい

2008年01月12日 16時07分51秒 | Weblog
翻訳仕事もまだ完了しないうちから、学会誌への書評執筆依頼が舞い込んできました。5月までに書くようにとのことなのですが、実はすでにもう1本、別の書評依頼を引き受けていて、こちらも同じ頃が締切です。

書評を書くのは実に久しぶりのこと。書評は、翻訳とはまた違った難しさがあります。自分の意見が書けるだけ、翻訳よりは生産的な感じがするし(あくまで「感じ」の問題。翻訳出版自体は別の意味で生産的です)、自分で作文しますから、翻訳のような、うまい訳文ができない苦しみはないのですが、他人の力作を評価するのだから、ものすごく気を遣います。

書評の文章は、本の内容紹介と、その内容にたいする論評とに分けることができます。時として、前者が多過ぎて、後者がほんのちょっとしかない、というような書評にお目にかかりますが、とくに学術誌の場合はそれだと困るでしょう。『本のひろば』のような、宣伝目的で出されている媒体ならそれでもいいかもしれませんが。

本当に難しいのは、後者、すなわち論評の部分で、書評者の力量や見識が露になるので、勢い力が入ります。

ずっと前に、あるベテラン研究者の論文集を書評した際、収録されている個々の論文について(その先生に胸を借りるつもりで)割に丁寧に意見を書いたら、どうも気に入られなかったらしく、ものすごい分量と勢いの反論が返ってきたことがありました(結局その反論は公刊されずに終りましたが)。著者ご自身が鋭い批評家でもあったので、自分に対する批評はこれまた厳しく切り返すということだったのでしょう。その先生は間もなくして他界されたので、対話が深まらなかったのは残念でした。

若手(といっても自分より年上の)研究者の一般向け書籍を書評した時は、これは内容に問題が多かったので、結構批判的に書きました。その後、その人と行き来が途絶えたのですが、それが書評のせいだったのかどうかはわかりません。あんな風に書くからだ、と別の先生から(冗談半分に?)言われたことはありましたが。

やはり、著者を個人的によく知っている場合は多少なりとも書きにくいものです。今回は、2件ともそうなのでちょっと悩みます。もちろん、知り合い同士といえども、学問的対話は厳しくなされるべきで、それが日本の聖書学の発展を可能にしたことはよくわかっていますが。どちらも良い本だと思うので、良いものは良いと書けばいいわけですが、学会誌となると、それだけでなく、多少は批判的な視点も提供する必要があるので、そこが難しいところです。とくに、自分の(狭い意味での)専門分野でない本だった場合は、的外れなことを書く危険も高いわけで。

一般向けの書評となると別の意味で気を遣います。『本のひろば』というキリスト教の書評誌がありますが、これは、上にも書いたように、どちらかというと本の宣伝を目的としたものですから、批判的な論評はあまり載らないのが常です。実際、以前にある翻訳書の紹介を書いた際、訳語の問題をいくつか指摘したら、出版社から電話がかかってきて、その部分を書き直してくれと言われたことがありました。その問題を事前にチェックしなかった自分たちのせい(編集者の落ち度)じゃないかと思ったので、だいぶん反論はしましたが、結局書き直しには応じました。(これに限らず、編集者と揉めることが何度かありましたが、その件はまた別に書くことにします。)

この数年、書評の依頼はありませんでした。そんな過去もあり、ヘンなこと(?)を書くからだと思われているのか、編集者からすると相手にしたくない存在だと思われているのか...。こちらも書かずにいるほうが気は楽です。が、そのほとぼりが醒めたので、また依頼が来るようになったのかもしれません。今度も正直に書くつもりではありますが、やっぱりちょっと気が重い。

翻訳は苦しい

2008年01月07日 21時37分31秒 | Weblog
正月最初の仕事は翻訳。必要があって、ドイツ語の論文を訳し始めました。

論文1本だから、大した分量ではないのですが、これがどうして、なかなか進まない。3日やってまだ3/4くらいってところです。明日か明後日には一応最後まで行くでしょうが、よくわからない箇所もあるし、何度も全体を見直すことになるでしょう。

翻訳で一番時間がかかるし、しんどいのは、日本語を整えることです。意味はわかるんだけど、うまい日本語に直すのが難しい、という文に何度も遭遇します。翻訳は原語100%、日本語120%という言葉を聞いたことがありますが、本当その通りです。日本語文がうまく作れなくて苦しむ時間が一番長いような気がします。そして、やたらめったら時間がかかる。今回も、もしかすると、翻訳作業自体よりも、日本語文の推敲のほうに時間をたくさん使う破目になるかもしれません。

というような経験を必ずすることになるので、翻訳は出来ればやらずに済ませたい仕事の一つです。あれだけしんどい思いをして、うまく出来たところで「当たり前」って評価だし、間違いが見つかると非難の対象になってしまう。なんか引き合わない仕事だなと思えてくる。翻訳の意義は十分に認めているし、自分もお役に立たねばとも思うんですが、やり始めると、あまりに進まないので、こんなにオレは翻訳が下手だったのかと落ち込んだりもする。

しかし、その苦しみを忘れてしまうんでしょうか、たまに引き受けて、あるいは進んで申し出る(などという愚行に出る)ことをしてしまい、やり始めた後で後悔することになるわけです。翻訳苦手なのに、なんで「やります」なんて言っちゃったんだろう、って。事実、今もそうです。今回は、短い論文だったのが救いですが。

あ、でも別に1冊引き受けてたな。長い道のりになりそう……。

リュックサック復活

2008年01月01日 15時12分47秒 | Weblog
元日の朝、宅急便で荷物が(運送業の人は本当に大変です。感謝)。

届いたのは写真のリュックサックです。しかし通販などで買ったわけではありません。決して新品ではないのがわかってもらえるかと思います。

このリュックサック、最初の留学時に、ベルンの街中にあるかばん屋で購入したものです。それまでは、ナイロン製のバックパックを買って使っていたのですが、何しろ毎日のようにたくさんの本を詰め込んで運ぶので、すぐに綻びができ、穴が開いてしまうので、思い切って皮製のものを買い求めました。

このリュックは実に丈夫な代物で、パンパンに本を詰めても壊れません。ベルンではこれ一つで過ごせましたし、帰国後もずっと愛用してきました。大学との往復のみならず、スイスでは買物にも大活躍してくれ、ワインや水を何本も詰めては運んだものです。旅行にも必ず一緒。大きなリュックを背中に、このリュックを胸側にかついで歩いたこともたびたびです。

数年前にさすがにくたびれて、黒色は剥げ、口を閉める紐は切れ、肩にかけるストラップもかなり痛んでしまいました。もう引退かなと諦めかけていたところ、娘の幼稚園で知り合った、娘の同級生のお父さんが、かばんの修理を営んでおられることを知りました。それで修理をお願いしたところ、実に丁寧な仕事でこのリュックを復活させてくださったのです。西宮でもこのリュックはさらに大活躍してくれました。

最初にこのリュックを買ってからもう14年、あるいは15年になるでしょうか。再び痛みがひどくなったので、そのお父さんにまた修理をお願いしました。するとこのリュック、またまた甦り、ベルトも新調、色も黒味を増して、この広島に援軍としてかけつけてくれたのです。

留学生活を共に歩んだリュックが戻ってきてくれた2008年の元旦、研究も原点に戻って進んでいきたいと思います。留学時の、不安な中にも意気込みだけは強く持ちつつ、寒風吹きすさぶベルンの街をこのリュックと共に歩いていたあの気持ちを思い出しながら。