チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

お薦めの1冊:『ヨハネ福音書入門 その象徴と孤高の思想』

2019年01月02日 17時26分50秒 | 紹介

『ヨハネ福音書入門 その象徴と孤高の思想』

(R. カイザー著、前川裕訳、教文館、2018年8月、3900円+税)


新約聖書に収められている正典4福音書の中でも、ヨハネ福音書は特別な存在です。筋立ても内容も非常によく似通っている(ゆえに「共観福音書」と呼ばれる)他の3つとは異なり、ヨハネにしか出て来ない物語があったり、同じ話でも出てくる順番が違ったり、細部の描写にこだわるかと思えば、非常に思弁的な講話があったりと、同じ「福音書」でありながら、ヨハネは異彩を放っています。だからこそ、ヨハネ福音書に惹かれる人も多いのでしょう。主たる研究対象にヨハネを選ぶ大学院生や聖書学者も少なくありません。

本書は、ヨハネ福音書に取り組むための良いガイドになると思います。いわゆる「新約聖書概論」で扱うような、共観福音書との関係、構成、史的状況といった項目が序章で取り上げられた後、ヨハネ福音書が「父」や「キリスト」をどう語っているか、ヨハネに特徴的な「ユダヤ人」とはどういう存在か、ヨハネは「信仰」や「終末」、また「聖霊」や「教会」をどう理解しているのかという問題が手際良く、しかし聖書本文に即しながらていねいに論じられています。

終章(=第5章)では、「ポストモダン」の視点からヨハネ福音書を読むことの意味について取り上げられています。聖書本文の外側にある歴史的状況、成立事情といった事柄を考慮せず、また「ただ一つの、正しい解釈」なるものは存在しないという前提のもとに本文を読むこの視点は、それまで「自然」で客観的だと思い込んでいた自分たちの読み方に偏りがあることを自覚させると共に、解釈の多様性を開き、ヨハネ福音書に関する新たな議論を導きだすという著者の説は、もはや新しいものではありませんが(原著は2007年)、日本ではまだまだ浸透しているとはいえないだけに、(賛成するにせよ反対するにせよ)広く共有され、議論の対象になってほしいと思います。

本書では、ところどころに、「読者の準備」として、まず目を通すべき聖書箇所が指示されています。この指示を守りながら読むと、理解が深まるでしょう。また聖書研究の良い準備にもなると思います。
(「広島聖文舎便り」2018年9月号掲載)

お薦めの1冊:『アレクサンドリアのクレメンス ストロマテイス(綴織)Ⅰ』/『同Ⅱ』

2018年12月31日 18時25分55秒 | 紹介
『アレクサンドリアのクレメンス ストロマテイス(綴織)Ⅰ』/『同Ⅱ』

(キリスト教教父著作集4/I-II、秋山学訳、教文館、2018年1月/5月、各8300円+税)



新約聖書を構成する27の文書は、紀元1世紀半ばから2世紀半ばにかけて書かれましたが、とくに1世紀終わりから2世紀に書かれた新約後期文書を学ぶ上では、ほぼ同時期に書かれた、いわゆる使徒教父文書や、古代教父の文書を併せて参照することが欠かせません。今回翻訳された、アレクサンドリアのクレメンス『ストロマテイス(綴織)』は、そんなわけで、新約聖書をよりていねいに読んでいく際にも大きな助けとなる重要な文書です。その翻訳と詳しい解説が出たことは、古代キリスト教史を学ぶ人はもちろん、新約聖書を学ぶ人(そして語る人)にとっても吉報と言えるでしょう。

アレクサンドリアのクレメンスは、オリゲネスと並んで「アレクサンドリア学派」を代表する教父です(†215年)。エジプトは、新約聖書には言及されていませんが(使徒言行録はもっぱら、小アジアからローマへと至る「北回り」のキリスト教伝播を描いています)、キリスト教がかなり早くから根づき、発展した場所でした。クレメンス自身は、アテナイの生まれですが、キリスト教徒になった後に、学問を志してアレクサンドリアに居を定め、キリスト教思想の発展に大きく寄与した人物としてよく知られています。

訳者解説(445頁以下)に記されているように、クレメンスは、ギリシア哲学者や詩人の著作から様々に引用しつつ、ギリシア文化の中にすでにキリスト教の真理が輝いていたのだということを論証しようとしています。ロゴス=キリストという考えを中心とするキリスト教信仰の正しさを示し、ギリシア人をキリスト教へと導こうとするクレメンスの姿勢は、キリスト教の宣教を考える上で重要な示唆を与えてくれるはずです(クレメンスは、ブッダにも言及していることでも知られています。第1巻15.71.6)。

 
全8巻から成る本書は、邦訳では上下2冊に分けて出版されました。各巻8300円なので、少々値は張りますが、宣教の意味は何なのか、クレメンスを読みながらじっくりと考えてみたいと思います。
(「広島聖文舎便り」2018年8月号掲載)

お薦めの1冊:『死海文書 VIII 詩篇』

2018年12月30日 13時29分03秒 | 紹介
『死海文書 Ⅷ 詩篇』
(勝村弘也・上村静訳、ぷねうま舎、2018年6月、3600円+税)

1946年から47年にかけて、死海近くのある洞穴で発見された巻物に端を発し、次々と文書の断片が見つかったことから、「死海文書」をめぐる歴史は始まりました。建造物の遺跡発掘も行われ、一連の文書を所有していた宗教共同体の存在も明らかになっています。「クムラン教団」などと呼ばれているこの集団は、ユダヤ教の一派で、紀元前140年頃から紀元後70年頃まで、禁欲的な共同生活を営んでいたと見られています。

この「クムラン教団」が所有していた文書が翻訳出版されることになり、その第1弾として詩篇(「感謝の詩篇」「外典詩篇」など)が刊行されました。冒頭の「死海文書とは何か」によれば、800余りにも上る死海文書のうち、聖書写本を除く約600文書から「ある程度意味を成す分量の文章が残っているものすべてを訳出する」(xii頁)という壮大な企画の始まりです。これまで死海文書については、英語版やドイツ語との対訳版を参照するか、日本語では、1963年に山本書店から出された『死海文書:テキストの翻訳と解説』を見るくらいしか出来ませんでしたが(この古い書物についての評価が本書にはきちんと書かれていないようです)、この企画が完成すれば、日本語でも原典からの丁寧な翻訳を味わうことが可能になるわけです。四半世紀ほど前、死海文書にはキリスト教に関する不都合な真実が描かれている(からカトリック教会が隠蔽しようとしている)とか、イエスに関する新しい事実がわかるとか、様々な憶測が飛び交ったものでしたが、そういった邪推は別としても、キリスト教成立と時期を同じくするユダヤ教集団がどのような信仰を持っていたのか、それはキリスト教とどのような共通点や相違点を持っていたのかといった事柄は、やはり私たちの関心を大いにひきつけます。

全12冊が計画されているこの『死海文書』、正確な翻訳を作り出す訳者の苦労は並大抵のものではないはずですが、この貴重な書物が安価で提供されることにも驚きと感謝を覚えます。訳者の解説に助けられながら、訳文を追っていきたいと思います。旧約正典の「詩篇」と比べてみるのも面白いかもしれません。


(最近こちらのブログが更新できていないので、「広島聖文舎便り」に連載している紹介文を転載することにしました。「広島聖文舎便り」は毎月1回、紙版で発行されている通信です。)

お薦めの1冊:『クリスマスの原像』

2017年12月11日 14時58分58秒 | 紹介
クリスマスの原像 福音書の降誕物語を読む
(嶺重淑著、かんよう出版、2017年11月、1500円+税)

 クリスマスが近づくと、今年はどういう話をしようかと頭を悩ませる説教者は少なくないのではないでしょうか。何しろ、クリスマスで取り上げる聖書箇所は限られており、毎年同じような聖書箇所から違う話を引き出して語らないといけないのですから、その苦労は察するに余りあります。その一方で、クリスマスの行事を繰り返しているうちに、自分の中で降誕物語のイメージが固定して、ついつい聖書が語る降誕の出来事に尾ひれをつけて語ってしまうという危険も、「クリスマス慣れ」には潜んでいます。毎年繰り返されるクリスマス。だからこそ、聖書が語る降誕物語とていねいに向き合い、聖書が語るクリスマスのメッセージとは何かに耳を傾ける静かな時間が必要です。

 聖書とのそのような対話を助けてくれる格好の書物がこのたび出版されました。本書は、マタイ福音書とルカ福音書が語る降誕物語の注解ですが、全体で約150頁という薄さながら、段落の構成や物語の起源、各節の説明、そして段落ごとにどのようなメッセージが読み取れるかを詳しく、それでいて読みやすく示してくれる最良の手引き書です。ルカ福音書研究の第一線に立つ新約聖書学者であり、同時に大学の宗教主事として学生にキリスト教のメッセージをわかりやすく伝えている著者の「伝える力」が遺憾なく発揮されています。著者の牧師としての経験から出た配慮でしょうか、説教者が準備のためにひもとくのにもちょうど良い長さと情報量であるように思いました。

 もちろん説教者だけでなく、クリスマスの聖書物語をていねいに自分で読みたいと思っているあらゆる人にお勧めします。聖書の物語にはこのような意味が込められていたのかと、今さらながら唸ることがきっとあるでしょう。クリスマスが近づいた今、まず手に入れたい一冊です。出版が近づいている著者のNTJルカ福音書注解(日本キリスト教団出版局)もますます楽しみになってきました。


(『広島聖文舎便り』2017年12月号掲載の拙稿です)