チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

マックリーンでドッキリ

2005年01月31日 05時10分16秒 | Weblog
マックリーンでスッキリ」という話を前に書きましたが、このマックリーンのトイレには秘密があります。

上の写真、中央部に小さな模様が描かれているのにご注目。

これを拡大してみると……。ドッキリ。



なんと、ハエの絵なのです。

殿方ならわかると思います。ついついこのハエを「撃墜」すべく狙って放出してしまうことが。その人間心理(男だけ?)を巧みに利用した、左右や手前にこぼさせないための仕掛けというわけ。イミテーションだとわかっていてもついついそこを狙いたくなってしまうではありませんか。

このトイレは、チューリヒ中央駅地下1階のマックリーンにある「そうです」。というのも、このマックリーンを僕自身は利用したことがないからで、この写真は、マックリーン愛用者であるウチの息子(子どもはタダで入れてくれる)に頼んで撮ってもらったものです。便器に向かってデジタルカメラを向けている息子の姿を見た人たちは、どう思ったことでしょうか……?

「ハエつき便器」は、マックリーン以外の場所でも見られます。これまで確認したのは、ドルダーバーン(ケーブルカー)の終点近くにあるスケート場にあるトイレ、チューリヒ郊外のウスター駅にあるトイレくらいですが、他にももっとあるはず。見つけた人は写真を撮りましょう。(オランダのスキポール空港にあるのは有名なそうで、どうやらここがハエに向かって「発信」させるアイディアの「発信地」のようです。このハエのおかげで、清掃費用が年間2億円も節約できるとか。)

トイレついでにもう一つ。「マックリーンでスッキリ」の項で、麻薬注射をさせないための青いトイレについても書きました(血管が見えない仕掛け)。最近、あまりお目にかからないなぁと思っていたのですが、前の週に出かけたザンクト・ガレンの駅構内にあるスターバックスのトイレがそうでした。

このトイレは、暗証番号つきで、店の人に暗証番号を教えてもらわないと入れない仕組みなのですが、それでも警戒のためか、青い光がついていました。こんなふうです。



実際は、もっと暗い感じがします。慣れた身にはどうってことありませんが、知らずにはいると異様な雰囲気に感じることでしょう。ちなみに、マックリーンは普通の灯りです。ご心配なく。(おばさんが見張っている、とは息子の弁。)

ちょっとそこまで……ドイツまで。

2005年01月30日 05時50分44秒 | Weblog
こんなに国境が近くて、簡単に電車で越えられて、そこはちゃんと「外国」だなんて。

土曜日の朝、何気なしにスイス鉄道(SBB)の時刻表を見ていたら、ドイツのコンスタンツまで、直通列車が1時間に1本出ていることに気がつきました。

コンスタンツは、チューリヒから右斜め上、ボーデン湖のほとりにある、スイス・ドイツ国境の町です。チューリヒから、インターシティで1時間15分。じゃ、ちょっと行ってみるか、ということになり、親子3人で(娘は、友だちのところにお泊りだったので)急いでチューリヒ中央駅に向かいました。

よくすいていた、コンスタンツ行きのインターシティ(最近よくお目にかかる ICN という列車)に乗ったのですが、はたしてこれでドイツの町まで行けるのか、パスポートのチェックはどこでやるのかなどなど、興味津々。しかし、あっけないほどに何もないまま、列車は終点コンスタンツへ。プラットホームに降り立つと、間違いなくそこはドイツ。薄い青色の縁取りがされた白地の看板に黒い文字で Konstanz と書いてありました(スイス鉄道の駅名表示看板は、青地に白抜きの文字)。あららら、着いちゃった、ってな感じです。

駅を抜ける際にパスポートチェックか?という期待も空しく、いとも簡単に我々はコンスタンツの駅前通りに出てしまいました。こんなことでいいのでしょうか???

しかし目の前にあるのは、間違いなくドイツの町です。値段表示もちゃんとユーロで書いてある。そして、通りを行く人々は「ドイツ語」をしゃべっている。(ときどき、どうやらスイス人もいるらしいのですが、実にスイス・ドイツ語が目立ちました。あ、あいつらスイス人だ、という具合に)。

ものの値段は、ユーロで書いてあるというだけではなく、どうやら安い。1ユーロはだいたい134円、対するスイスフランは87円ですから、1.5倍くらいの違いがあるので、見た目で騙されてはいけないのですが、その換算をざっと暗算でやっても、やっぱり安い。

例によって、せっかく来たのだから、ご当地料理を試そうというわけで、大聖堂近くのレストランに入りました。妻と僕は、湖の魚を使った料理(に白ワイン。もちろんコンスタンツの地酒)、息子はお子様メニューを食べたのですが、食後のコーヒーまで入れて、スイスなら間違いなく1万円は越すだろうというところが、なんと6500円くらいで済んでしまいました。

この日は極寒で、道を歩いていると顔や耳が痛くなるほどの寒さでした。食後、我々は大聖堂(上の写真)へとまっすぐ進み、少し時間をかけて中を見学した後は、買物へ。コンスタンツは、宗教改革者ヤン・フスが宗教裁判にかけられ、火刑に処せられたことでも有名な町で、フス博物館もあるのですが、そのことも忘れて、足早に買物へと向かってしまいました。

本当に、スイスと比べた物価の安さには驚きます。ブレッツェル(茶色の、知恵の輪みたいに編んだパン。ドイツではとてもポピュラー)を買おうと入ったパン屋では、5個で1ユーロ39(186円くらい)。スイスなら、同じもの1個でこのくらいの値段です。この店は特に安かったようですが、普通のパン屋でも、1個50セント(78円くらい)というのが標準でした。スイスの半値以下です。

NORDSEE という店をご存知でしょうか。魚を使ったファストフードのチェーン店ですが(味について良い評判は聞いたことがないけど)、この店のメニューに、フィッシュ&チップスがあります(イギリスの良くも悪くも有名な食い物)。街中で見かけた NORDSEE の看板によれば、2ユーロ95(395円ってところ)でした。同じものを、チューリヒ中央駅地下街にある NORDSEE で注文すれば、8フラン(700円くらい)は下りません。ちょっと国境を越えただけで、こんなに物価が違うなんて、あっていいことなのでしょうか?

コンスタンツは、ローマ人が築いた古い町ですが、15世紀に最盛期を迎えたとのことで(上述のフスの裁判もこの頃)、街中の建物にもその面影が残っています。



この家(というか塔)、1階部分は15世紀、上階は16世紀に造られたそうで、ファサード(正面)部分に絵画の装飾を施すのは、この時期に由来するものだとのこと。こんな建物に今も人が住んでいるわけで、宗教改革時代の「過去」と現在とが同居している、ある意味不思議な感覚は、ヨーロッパならではのものです。キリスト教史に対する意識がヨーロッパ人と我々日本人とでは全然違うのも当然です。

物価の安さに驚きながら、旧市街のデパート Karstadt で食料品(ともちろんワイン。ただし自分たちがスイスで飲む分だけ)を買い込み、夕方の列車でチューリヒに戻ってきました。その夜はもちろん、コンスタンツで買ったブレッツェルにハム、チーズを食べながら、コンスタンツの赤ワインをいただきました。

帰りの列車がコンスタンツを出発すると、数分ですぐにスイスの町です。そこにはミグロが。しかし、ちょっとだけ足を延ばせばこんなに安く買物ができるような町で、わざわざミグロに行くスイス人がいるのでしょうか……いるのでしょうね。スイス人なら。

ちょっとそこまで出かけたら、そこはドイツ。でもパスポートのチェックもなし。国境というものの恣意性を感じる経験でした。でもたぶん、スイスとドイツの国境だから、こんないい加減なこともありなのでしょうけれど。

スイスの黒人

2005年01月29日 07時10分17秒 | Weblog
昨日の「20 Minuten」紙の記事。タイトル:「黒人は、自分が受け入れられていないと感じている」。

「蔑むような視線、軽蔑や侮辱。黒人は、自分はスイスに組み込まれているけれども、受け入れられているとは言えないと感じている」という結論を、スイス連邦反人種差別委員会(EKR)が出したそうです。

調査を受けた黒人(この場合、アフリカ系の人々だけでなく、南アメリカ人なども含まれています。「肌の色が濃い」というくらいの意味なようです)の多くが、仕事場や社会の中に自分は確かに組み込まれてはいるけれども、受け入れられるための困難もあると述べているとのこと。具体的には、よそ者を見るような視線を受けたり、トラムの中で横の席を避けられたりということがあるそうです。(妻も言っていました。実際、黒人の横の席は空いていることが多いと。)調査を受けた人の半数が、肌の色を理由に侮辱されたことが何回かあると答えています。黒人は、スイス国籍を取得するのも困難になっているという話です。

とすると、記事の下に出てくる、「20 Minuten」紙のインタビューに答えている5人は比較的「運がよい」人たちということになるのかもしれません。

カルロス(18歳、ベルン在住)
「スイスは居心地ええよ。学校行ってるときは、自分がみんなと違うんやと思わされて、抵抗せなあかんこともあった。でも、昔の話やね。うちの家族はブラジルから来てんねん。」

ゲオルギア(48歳、ルツェルン州リタウ在住)
「20年前にスイスに来たときは、「モーレンコプフ」(注:チョコレートをかぶせたケーキ)って呼ばれとったわ。その頃は、体操クラブに行って、ファシュナハト(=カーニバル)の衣装を縫ったりしとったんよ。今じゃ、肌の色のせいで困ることはほとんどあらへんわ。」

アンドリュー(33歳、チューリヒ在住)
「幸い、ネガティヴな経験をしたことはないね。でも、スイスのどこに住むかにもよるんとちゃうかな。チューリヒやジュネーヴの人は、たとえばバーゼルやルツェルンの人より寛容やで。」

マルセル(35歳、バーゼル在住)
「スイスはめっちゃ居心地ええし、ホンマのところ、ネガティヴな経験はしたことないで。スイス国籍持ってるワシは方言しゃべるしね。そのおかげは大きいよ。」

イェッセ(16歳、ザンクトガレン州ゴルダッハ在住)
「一度だけ、イヤな経験したことあるで。おばちゃんがトラムに乗ってきて、オレの横しか空いてへんの見たら、立ったままでいよんねん。」

*きっとスイスドイツ語で答えたのではないかと思うので、その雰囲気が出るように、関西弁で「通訳」してみました。

スイス人といったら、どのような人間を想像するでしょうか。では、「フランス人」なら? スイス、とりわけドイツ語圏スイスに住んでいる「肌の黒い」人の割合は多いとは言えません(フランス語圏に行くとその割合は増えます)。しかし、日常的に出会うことが多いのもまた事実です。自分もまた外国人だということを否応無しに感じさせられながら毎日暮らしていると、こういう記事には自ずと敏感になってきます。

チューリヒ在住のアンドリューは、ネガティヴな経験をしたことはない、と答えています。住民の3割が外国人だというこの、スイス最大の「都市」ではそうかもしれません。しかし、スイス人といえば白人、というイメージが強いこともまた事実です。(白人の外国人も多いし、黒人のスイス人だってもちろんいるにもかかわらず。)「~人」という幻想の危なさがわかります。

では日本ではどうか、とも思います。日本にいる「黒人」は同じ視線を感じていないのか、と。東京や大阪だったらどうでしょうか。

モネの庭

2005年01月28日 06時03分07秒 | Weblog
チューリヒ美術館 (Kunsthaus Zuerich) で Monets Garten(モネの庭)という特別展をやっています。昨年10月29日から始まったこの展示、当初は2月27日で終る予定が、来館者が予想を上回ったせいか、3月13日まで延長されることになりました。

ガキどもを連れて行っても退屈されるだけだろうということで、平日の午前中、夫婦で出かけました。モネ展を見るだけで一人17フラン(1500円強)は高いような気がしたのですが、せっかくの機会なので入ることに。

中に入ってみると、平日午前中にもかかわらず結構な賑わいでした。多くは、おばさん・おばあさんでしたが(こういう寒い時には美術館が流行りそう)、中には、学校の課題(見学?)で来ている高校生とおぼしき連中も。

絵心がほとんどないような僕でさえ、年代順に並んだ絵に見られる変化は容易にわかりました。初期の絵は、印象派という名前そのままというか、セザンヌやルノワールと間違われても不思議のないようなものが多いのですが、次第に自然の様子を描いたものが増え、人物が絵の中に登場しなくなっていきます。一般に「モネの絵」としてイメージされているものは、成功を収めて、パリ郊外ジヴェルニーに土地を購入し、庭を整えてからのものです。有名な「睡蓮」もここで描かれています。大きなアトリエにものすごい庭を維持するには結構なお金がかかったはずですから、画家として「儲かる」経験がなければ、後期のモネの絵は生まれなかったわけです。(絵そのものよりも、そういう外的な事柄のほうに関心が向く悲しさ。)

モネは2度結婚していますが、最初の妻カミーユは、モネが「儲かる」前に亡くなっています。経済的に苦しい時代を共にしながら、その後の裕福な生活を享受することはできなかったカミーユが気の毒に思えてきました。

カミーユと違ってモネは長生きで、1926年に86歳で亡くなっていますが、最後まで創作活動を続けており、パリのオランジェリーにあるあの有名な『睡蓮』も、70歳をはるかに越えてからの作品です。そのタフさには驚くばかり。ただ、晩年に白内障を患ったせいで、その頃の絵は対象が混然と描かれた、非常に抽象的な感じのものになっています(『睡蓮』を完成させるために白内障手術を受けたとか)。

絵そのものよりも、そういった歴史的背景との対応関係とか、この絵は誰が所蔵しているとか(スイス人が個人所有しているものが結構ありました。金持ちぃ!)、大きな絵を描くために大きなアトリエを造るなんて優雅だとか、そういったことばかり見たり考えたりしていたモネ鑑賞のひとときでした。改めて、自分には芸術的センスがないことを思い知ったのですが、でもね、モネは好きです。


古くても「新しいチューリヒ新聞」

2005年01月27日 08時09分04秒 | Weblog
「新チューリヒ新聞」(Neue Zuercher Zeitung、略称 NZZ)が創刊225年を迎えたそうです。(上の写真、左上の隅をよく見ると、226年目と書かれています。)

チューリヒの新聞は、この NZZ と「ターゲス・アンツァイガー」(Tages Anzeiger) の2紙が大手ですが、老舗は NZZ です。なにしろ、1780年の創刊で、フランス革命(1789~1794年)以前から発行されていていまだに廃刊になっていないという珍しい新聞です(同種のものに「ウィーン新聞」[Wiener Zeitung] があり、こちらは1703年創刊。現在も発刊されている中で世界最古をうたっています)。ちなみに「ターゲス・アンツァイガー」は創刊113年。(チューリヒの新聞については以前にも書いたことがあります。リンクはこちら。)

現在、創刊225年を記念しての臨時展示場がベルヴュー広場に設けられています(NZZ の本社はその隣)。なんのテントだろうと思っていたのですが、Swissinfoの記事を見て事情が呑み込めました。

現在の発行部数は16万部で、「ターゲス・アンツァイガー」紙の25万部には及びませんが(スイス全体で5番目の発行部数だそうです。一番はやはり「20 Minuten」)、流行に左右されない硬派の誌面づくりを貫いているようです。上の写真からもわかるとおり、写真もいまだにモノクロです(カラーを取り入れているページもあります)。インターネットでの配信も1997年からやっていますが、どことなくイメージにそぐわない気もします。

第2次世界大戦の時は、ヒトラーのドイツを批判し、NZZ の特派員がドイツを追放されたこともあったそうです。しかし、1968年の学生運動の際に労働者や学生を批判したことから、右派というイメージがついているとのこと(以上はすべて、上記の Swissinfo からの受け売り)。

スイスの老舗新聞でありながら、「新チューリヒ新聞」という名前なのは、創刊時の「チューリヒ新聞」(Zuercher Zeitung) を1821年に改名し、頭に「新」を入れたからだそうですが、元来の意味が失われた今となってはむしろ洒落っぽく聞こえます。

昨日バーゼルに出かけた際、チューリヒ駅で NZZ を買って列車に乗り込んだのですが、バーゼルまでの1時間ではとても読みきれませんでした。以前にも書いたように、一つ一つの記事が長いのです。せかせかした現代社会には合わないような丁寧な記事ですが、これこそが現代の新聞にむしろ求められているものであるようにも思えます。「20分」で読めるような中身のニュースは、インターネットで容易に入手して済ませることができるのですから。これで2フラン50(220円強)は、スイスの物価から考えれば安いと思うべきなのかもしれません。

バーゼル・トラムは緑色

2005年01月26日 02時25分04秒 | Weblog
調べものがあって、バーゼルの大学図書館まで出かけてきました。最近は、インターネットで図書館同士が結ばれている上に、たいていのものはチューリヒ中央図書館に取り寄せることができるのですが、18世紀の本となるとさすがに貸出しもしてくれず、仕方なくバーゼルまで自分で行って見ることに。本1冊・2冊のためにわざわざ出かけるのも面倒ではあるのですが、実物をチェックするのが仕事なので、雪が降る中、思い切って出かけました。

バーゼルは、チューリヒから列車で1時間前後(列車の種類による)。本や新聞でも読んでいれば着いてしまいます。自宅から大学図書館まででも2時間くらいでした。午前10時過ぎにバーゼル着。バーゼルSBB駅(フランスSNCF駅や、少し離れたドイツDBの Badischer Bahnhofもあるので、このように呼ばれています。バーゼルは、フランス・ドイツと国境を接していますから)からバス30番に乗り、Spalentor という停留所で降りると大学図書館の近くです。

図書館では、古い文献・稀少本などを置いている特別閲覧室というところで、目当ての古い本を見せてもらいました。前日にインターネットで予約してあったので、「ネットで予約……」と言いかけたら、それだけですぐに、「あぁ、はいはい」と本を出してくれました。図書館の人というのは総じて親切です。これはチューリヒでも同じで、スイスの図書館ではイヤな思いをしたことがありません。(そう書くと、なにか日本ではいつもイヤな目に遭っているかのようですが、そういうこともありません。スイスの図書館「以外」のところで不親切な人に出遭う、ということです。)

18世紀の文献とあっては、自分でコピーも取れないし、特別に頼むと料金が高いので、必要な部分を書き写す古典的作業に従事することになりました(パソコンを持っていけばよかった!)。特別閲覧室では鉛筆しか使ってはいけないとのことで、持参したボールペンも使えず、その場で借りた鉛筆でえんえんと筆写の作業。古代・中世の写本を作った写字生たちの苦労がちょっとだけわかるような気がしました。

昼食も食べず、トイレも行かずに3時間ぶっ続けで粘り、なんとか作業が終ったので、大学図書館をあとにして、少し街の見物に。といっても、筆写作業で疲れていたこともあり、あまり一人で歩き回る気にもなれなかったので、トラムに乗って、大聖堂だけ見に行きました。

大聖堂のことはいずれまた書くとして、バーゼルでいつも面白く思うのは、トラムの色です。なぜかバーゼルのトラムとバスは緑色、それも原色のような感じの緑色をしています(冒頭写真)。なんとなくセンスが良くない気がしていたのですが、ベルンがトラムとバスを真っ赤に塗ってしまったので、対照が際立って、余計にヘンな感じがします。おもちゃの市電っぽいとでも言えばいいでしょうか。





上がバーゼルのトラム(新型のせいか、少し色が薄い)、下がベルンのトラムです。

ついでながら、チューリヒのトラムは青と白の2色。


どれも大差ないじゃないか、と思われるかもしれませんが(実際そうだけど)、チューリヒのものは、一応州旗の色に合わせてありますし、青の使い方が控え目です。ベルンの州旗は、黄色と赤地に熊さんの絵柄ですから、赤はそこから採用されていると言えなくもない。しかしバーゼルの緑トラムは、そういう言い訳も効かないし、やっぱりどこか滑稽な感じがします。

と思うのは、住み慣れたチューリヒを贔屓目で見るようになったからでしょうか。実際、チューリヒ人とバーゼル人の仲が悪いのは有名です。互いに悪口を言い合っている。ベルン人をチューリヒ人は馬鹿にしているし、ベルン人は、チューリヒなんて住みにくくてイヤだと言っている。みんな、自分の町が一番だと思っているわけで、僕もベルンに肩入れしております。最近は、チューリヒも少しずつ好きになってはきましたが。バーゼルは相変わらず「よその土地」です。

まぁ、神戸人が大阪人や京都人と自分を区別したがるのに似ていなくもない、かも。神戸が一番センスがいい、と思っているわけだし。

雪デス

2005年01月25日 05時43分01秒 | Weblog
今年は暖冬だという話だったのに、先週末から急に寒くなり、雪が……。

日曜日の夜から降り出した雪が積もって、今朝起きたら上の写真のようになっていました。

アパートの玄関前もこのように。雪をいっぱい載せた自動車が、おそるおそる道に出て行った後。

写真左手の坂は結構急なので、下るのはさぞかし怖かったことでしょう。

雪は日曜の朝も結構降っており、日曜日にはジュネーヴ空港が9時間にわたり、雪のため閉鎖されました。雪崩もあちこちで起こり、行方不明の人も出たようです。有名な氷河特急(グラシエ・エクスプレス)も、積雪量が多すぎて運行休止となってしまいました。まったくこの時期に西欧を旅行している人は、パリのストライキやらスイスの大雪やらで大変な目に遭ったことでしょう。

今日のスイスの天気。気温はいずれも日中最高気温の予想です。
 チューリヒはマイナス2度。

ちなみに、ベルリンもマイナス2度、パリがプラス3度、ロンドン4度ということですから、いかにスイスが寒かったかがわかります。おかげで、雪不足に悩んでいたスキー場も一気に良好状態になりました。

この天気、今週いっぱい続くようです。

水・木曜日は最高気温がマイナス5度だそうな。出不精に拍車がかかりそうです。

新聞によれば、ニューヨークあたりでもすごい積雪で、自宅に留まるよう勧告が出ているとか。さすがにスイスではそのような勧告は出ませんが、久しぶりの雪だったせいか、高速道路はあちこちで渋滞、チューリヒ市内も車がのろのろ運転だったようです。
デス。

トラム新事情

2005年01月24日 05時29分36秒 | Weblog
西欧の街には、トラム(市電)網が発達したところが多くありますが(ストラスブールのように、新しくトラムを導入した街もあるくらい)、チューリヒもその一つです。チューリヒのトラム網は、かなり広範囲をカバーしています(リンクページの水色以外の部分。水色はバス網)。どのトラムも必ず中央駅を通るベルンと比べれば、チューリヒのトラムは少々複雑なので、なかなか馴染めなかったのですが、最近になってようやく「土地勘」がつかめるようになってきました。

 トラムの中の様子です。

新しい車両を多数導入し、ついでに真っ赤に変身したベルンのトラムに比べ、チューリヒのトラムは依然として古いものが多数走っています。線にもよるのですが、僕が日頃よく利用する10番のトラムなど、びっくりするくらい古いボロ車両が使われています。何気なしに製造年を見たら、1960年。僕より年上の車両が、いまだに「元気」に活躍しているわけです。椅子は木で作られていて、冬などお尻を乗せたら冷たいし、暖房も、椅子の下に古い暖房器具がとりつけてあったり(この場合、その席は暖かい)、天上から暖気が降りてくる(?)仕組みだったり(足元はあまり暖かくない)、よくこのような車両を使っているなと驚くほどです。

もっと困るのは、入口が狭くて高いことで、ベビーカーと一緒に乗る人はひと苦労です。そういう場合は、必ずといってよいほど手助けをする人が現れるのですが(見習うべきスイス人の美徳!)、手助けなしに乗れる構造のほうが良いに決まっています。

ということを考慮してなのでしょう、最近は、ボロ車両が多いこの10番ですら、低床構造の車両をつないで走るトラムが増えました。

 これがその低床車両。

トラムの停留所自体が道路よりも若干高く作られているので、この車両なら、ほぼ段差なしでトラムに乗り込むことができます。古典的な高床車両は、ベビーカーのみならず、足腰の弱い人にも不親切なので、おそらく今後はこの形の車両が増えていくのでしょう。新しい車両は、床が低いだけでなく、入口も広く作られています。これは、車椅子での利用を考えた構造と思われます。

公共の交通網を出来る限り利用してもらい、自家用車が街に乗り入れることを防ぐのは、西欧の街に共通する課題ですが、チューリヒも、遅れているとはいえ、そのための努力をしているようです。さて、日本の電車やバスはどうでしょうか。

ザンクト・ガレンの世界遺産

2005年01月23日 07時28分21秒 | Weblog
チューリヒ滞在もだんだん終りが近づいてきたので、週末はあちらこちらに「見学小旅行」をしています。今週は、ザンクト・ガレンに出かけてきました。チューリヒからボーデン湖の方角へ列車で1時間強。小さい、歴史の古い町です。

ザンクト・ガレン(St. Gallen)という名前は、紀元612年にここで修道生活を始めたガルス(Gallus)という修道士に由来します。その後、彼の名にちなんだ「ザンクト・ガレン修道院」がこの地に建てられました。

駅から左手に10分ほど歩くと旧市街。土曜日の買い物客で賑わう(といっても、チューリヒに比べればかわいいもの)街中をしばらく行くと大聖堂(カテドラーレ)が現れます。



2本の塔が特徴的なこの大聖堂、中に入ると、それは豪華絢爛な祭壇(冒頭写真)。バロック様式は装飾が派手ですが、ここの大聖堂は、見る者を圧倒するという意味ではそれは見事なものです。チューリヒの教会は、このような装飾を徹底して排除した改革派のせいで、簡素すぎてつまらない礼拝堂がほとんどですから(チューリヒのカトリック教会はまだ見ていませんけれど)、このように装飾豊かな礼拝堂を見ていると楽しくなってきます。



これは、大聖堂前のガルス広場に立っていた石像。よく確かめなかったのですが、ガルス広場にあるのだから、きっとこの人物がガルスさんなのでしょう。像の後ろに見える家は、ドイツを思わせるような木骨造りです。

大聖堂に隣接して修道院の建物がありますが(修道院自体は1805年に閉鎖)、この一帯は1983年に世界遺産に指定されています。面白いのは、大聖堂の東側にある旧修道院の建物が現在は中学校として使用されていることで、歴史的な建物をうまく現代に活かす知恵を感じます。石の建築文化と木の建築文化という違いはあるにせよ、すぐにスクラップ&ビルドばかり考える我々日本の社会と実に対照的です。

大聖堂と並んで有名なのが、修道院図書館(Stiftsbibliothek)です。1758年建設というこの図書館(ちなみに、大聖堂は1755~68年に大改築され、今の形になりました)、15万冊の蔵書があるそうですが、一般観光客向けに公開されている閲覧室は、写真撮影禁止、本棚には金網がびっしりと張り巡らされています。下の写真は、入口で売られている絵葉書を撮ったもの。



蔵書の中には、2000の写本もあり、そのうち400は紀元1000年以前に由来するとのことです。そのいくつかが、閲覧室のショーケースの中に展示されています。

大聖堂に修道院図書館、さらにその地下にある石碑コレクション(Lapidarium。中世時代の建築の名残を集めたもの)を見て歩いていたら、足が疲れてしまいました。ざっと見て回るには半日で十分でしたが、他にも繊維・織物博物館(この町は、繊維工業でかつて有名だった)、歴史博物館などがあり、時間をかけてじっくり楽しむこともできそうです。

パンいろいろ

2005年01月22日 06時44分45秒 | Weblog
スイスにいると、いろいろな形のパンに出会います。

冒頭写真は、亀パン(?)。先日、ミグロ・レストラン(スーパー「ミグロ」に併設されている、セルフサービスのレストラン)で見つけました。別に、中に何が入っているわけでもなく、ただただ普通のパンなのですが、形が面白い。

亀ならまだ愛嬌もあるというものですが、


これはヘビパン。シャフハウザー広場近くのパン屋(兼お菓子屋。こっちではそういう店が多い)で偶然見つけたものです。ヘビ好き(趣味がわからんが)な息子のために早速ひとつ(1匹か?)買ったところ、息子は大喜びでヘビにかじりついておりました。こういうパンを作る趣味もよくわかりませんが。


この「グリッティベンツ」は以前に紹介しました。12月6日の「聖ニコラウスの日」にちなんだパンです。


この3人の王様パンも以前にご紹介しました。

このように、様々な形のパンが楽しませてくれる一方で、なんだこれは?と思うようなひどいものもあります。それはトースト。



10センチ四方の正方形、厚みは6~7ミリってとこでしょうか。この袋になんと12枚入っています。味も別に良くないし、ぱさぱさで、日本のトーストに慣れた身にはとても耐えられないような代物です。もっとマシなパンがいくらでも横の棚に並んでいるのに(といっても、ドイツ語圏スイスでは全体にパンのレベルは低い)、こんなトーストを買う奴がいるのか、と思っていたら、買い物籠に入れている人をちょいちょいミグロで見かけるので、さらにびっくり。(うちは、25%引きだったから買ったのです。)

不思議といえば、日本では近頃お目にかからなくなったトースターがこちらでは健在なこともそう。我が家にあるのは、2枚を並べるのではなく、縦に入れる形のもの、こういうやつです。



パンを入れる幅が広いので、トースト以外のパンも焼けます。これで上のトーストを焼いて食べてみたのですが、あまりおいしいとはいえませんでした。こんなトーストしか知らなかったら、日本(とくに阪神間!)に来れば、その旨さにびっくりすることでしょう。

結論。チューリヒ(に限らずドイツ語圏スイス)ではトーストは食べないほうが良い。フランス語圏には負けるとはいえ、クロワッサン(ドイツ語圏では「ギプフェリ」という)やブリオッシュは美味いし、上のような楽しいパンもたくさんあります。ちなみに、ギプフェリやブリオッシュを買うなら、以前にこれも取り上げたシュプリュングリがお勧めです。シュプリュングリのケーキはいい値段ですが、パンは高くありません。しかし味はいい。中央駅地下に入っている支店は朝7時から開いているそうです。