チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

スイスのプロスポーツ

2005年02月06日 06時28分39秒 | Weblog
テニスといえば近頃はマリア・シャラポワに尽きるようで、今週東京でやっている東レ・パンパシフィック・オープンでも一人で客を集めているという話ですが、この大会ではかつて、「我が」スイスのマルティナ・ヒンギス人気が沸騰したことがありました(1998年)。

上の写真は、そのヒンギスがカムバックを果たしたニュースです。パンパシフィックと並行してタイのパタヤで開かれている大会の1回戦に登場。しかし、ランク73位のマルレーン・ヴァインゲルトナー(ドイツ)に 6:1, 2:6, 2:6 で逆転負けを食らい、復帰戦を勝利で飾ることはできずに終わりました。敗戦がショックだったのか、この先の出場予定は決めていないとのコメントでした。

若くしてNo.1になりながら、故障もあって早期の引退を余儀なくされたヒンギスですが、やはりかつての栄光が忘れられないということでしょうか。苦しいことや辛いことは忘れていくものですから、嬉しかったり楽しかったりといった思い出ばかりが甦ってくるのでしょう。

テニスのNo.1といえば今は、やはり「我が」スイスのロジャー・フェデラーです。昨年のオーストラリアン、ウィンブルドン、そしてUSオープンを制し、今年は年間グランドスラムか、と言われていたのですが、オーストラリアン・オープンの準決勝でロシアのマラト・サフィンにフルセットの大激戦の末敗れてしまい、その夢は早くも消えてしまいました。しかし今年も、怪我さえなければ、年間通してのNo.1キープは間違いなさそうです。スイス・プロスポーツの希望の星と言えるでしょう。

そのほかのスポーツは情けない話ばかりです。アルペン・スキーの本場の一つでありながら、現在開かれている世界選手権では、目下のところメダルなし。男子大回転は希望があるという話ですが、久々にメダル0で終るのではないかというのが大方の予想。お隣のオーストリアが選手層の厚いチームを築いているのに比べて、スイスチームはあまりに悲惨な現状です。これほどひどい状況は珍しい。ピルミン・ツルブリッゲンの名前が知れ渡った1980年代後半や、贔屓にしていたフレニ・シュナイダーが大活躍していた1990年代前半とはあまりの違いです。

国内では、サッカーやアイスホッケーが盛んですが、サッカーは、ヨーロッパの高いレベルに付いて行くのに一生懸命という感じで、2006年ワールドカップのヨーロッパ予選でも苦しい戦いになっています。大昔、1994年のアメリカ・ワールドカップにスイスが出場を決めたときは、もうそれは大騒ぎで、スイスの国旗模様をしたWM(ワールドカップをドイツ語では「世界選手権」= WeltMeisterschaft、略してWMという)グッズがあちらこちらで売られまくっていました。(大会では、1次グループ予選を突破したけど、2回戦でスペインに負けました。)

今日の夜7時半からのテレビニュース(スイス放送1)、トップニュースは、「スイスチームは今日もダメでした。アルペン世界選手権」。いかにアルペンスキーの凋落がスイスにとって大事件なのか、そして、こんなことがトップニュースになるくらいスイスが平和な国だということがよくわかる出来事です。