チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

ドイツ・フランスの旅(最終回): リヨンで「ご満悦」

2004年12月31日 04時49分37秒 | 番外編
後から考えれば、次の朝にもう少しボーヌの街をぶらついても良かったのです。しかし気持ちはすでにリヨンにあったのでしょう。ホテルをチェックアウトした我々は、「愛車」ゴルフ1600に乗り込むや否や真っ直ぐリヨンへと向かいました。

2時間あまりのドライブを経て我々はリヨンの街へ。パリが突出しているとはいえ、リヨンはフランス第2の都市です。高速を降りて街に入っていった我々は案の定、曲がる道を間違えて、予定とは反対の方向に行ってしまいました。しかし最早そんなことには慣れっこになっているtsujigaku夫婦。無駄に街を半周した後、予定のホテルへちゃんと着いたのです。

今日のお宿はホテル「ラ・レジダンス」。新市街の中心ベルクール広場のすぐ近くにあるにしては値段も安い3つ星ホテル。リヨンで我々の面倒を見てくれる大学の同僚氏ご夫妻は、我々がこのホテルを予約したと聞くや、なんと事前にホテルに行って、下調べまでしてくれて、このホテルなら大丈夫でしょうとのお墨付きまで下さった。持つべきものは(いい)同僚です。

シャワーカーテンの謎、続き。この3つ星ホテルも、前日のル・セップ同様、ガラス戸のシャワー「カーテン」でしたが、長さは、浴槽の約半分。2つ星だとカーテンはなく、3つ星だと長さは浴槽の1/2。そして4つ星になるともう少し長くなる。ということはやはり、5つ星にしてシャワーカーテンは完全な長さになり、浴槽全体を覆うのに違いありません。誰か、5つ星に泊まったらぜひチェックしていただきたい。我々にはそのような経済的余裕はないので。

同僚氏には、3時ごろに着くだろうと言っていたのが、なんと1時過ぎに到着してしまったので、同僚氏に電話を入れた後、昼食を食べに街に出ることに。近くのサンドウィッチ屋でお昼を済ませたあと、近くをぶらぶらしながらベルクール広場に出ました。するとそこにあったのは、大きな大きな移動観覧車。しかも、ぐるぐる、ぐるぐると、ものすごいスピードで回っているのです。日本の観覧車の3倍くらいのスピードで。(同僚氏によれば、当初はもっと速く回っていたそうな。遠心力で子どもが飛び出るではないか!)

 これにはたまげました。

近くまで寄って見てみると、なんとドイツから来た観覧車。説明がドイツ語で書いてあるではありませんか。つい懐かしくなって、というわけではなく、子どもにせがまれた我々は、半ば仕方なく、この観覧車に乗ることに。この日は、今年一番の冷え込みだったそうで、そんな中、吹きさらしの観覧車に乗って、しかもハイスピードで5周も回って、こんなものに集まるリヨン人の気持ちがわかりません。

冒頭の写真は、観覧車の上からベルクール広場を撮ったものです。奥の山上に、この後訪れるノートルダム・ド・フルヴィエール・バシリカ聖堂(とカタカナで書くと間が抜けた感じですが)が見えます。ベルクール広場には、仮設のアイススケートリンクまであり、順番を待つ人の列が……?(時間制で交替するのだろうか?)

ホテルに戻り、3時に同僚氏夫妻と落ち合った我々はまず、山の上に見えていた、フルヴィエールバシリカ聖堂へ。そこから逆に街を見下ろした風景がこれ。


これは、聖堂の内部です。

聖堂の近くには、紀元前43年建造というローマ劇場が今も残っています。時々実際に使われるそうな。
 

この後、旧市街に下りて、聖ヨハネ大司教教会などを見物、街をぐるぐると散策した後、夕食はリヨンの名物料理、のはずでしたが、前日ボーヌでレストランを途中退場した妻には無理だろうということで、なんとお好み焼き屋へ。その名も「ご満悦」。

 看板に Goman-etsu とあるのがおわかりいただけるでしょうか。

関西人の我々が食べても、なかなか悪くない味でした。前菜・デザートもついた「ムニュ」が15ユーロ前後。リヨンの和食レストランを紹介したページにも出てきます。フランス料理で胃が疲れていた我々(というより妻)にはちょうど良い「ディナー」で、まさに「ご満悦」でした。

これとうって変わったのが、翌日、すなわち旅行最終日のランチ。同僚氏は、テロー広場にあるレストラン「レタージュ」を予約しておいてくれたのです。

 これがその店なのですが、下の入口に見えるところは別の店(キオスクみたいな店)で、レストランには、その左の愛想ない扉から入るのです。しかも、呼び鈴を押し、入れてもらうという、なんとも不思議な、考えようによっては客をナメているようにも思える(だって、一見は絶対に入れない)入口です。

しかし(だからこそ?)、料理は極上でした。サーモンやフォアグラを使った前菜に、メインはクネレ(魚のすり身を茹でた後、スフレのように焼いたもの)


あるいは内臓の煮込み料理(リヨンはこの料理で有名だそうな)


そしてデザートがついたコースが18ユーロ。この値段で、こんな豪華な食事を出すとは! スイスなら(こんなごちそう、そもそもないけど)倍は軽くしそうな感じです。またしても「ご満悦」のひとときでした。ただ一つ残念だったのは、この後すぐにドライブするため、ワインを堪能できなかったことです。さすが「美食の町」と言われるリヨン。こんなおいしいものが揃った街で研究休暇とは、う~ん、同僚氏が羨ましい。

同僚氏夫妻の行き届いたガイドに心から感謝しつつリヨン観光を終えた我々は、午後3時にリヨンを出発。霧やら雨やらに見舞われつつスイスに向かってひた走り、チューリヒのtsujigaku御殿に戻ったのは午後8時過ぎのことでした。こうして我々のドイツ・フランスの旅は終わりを告げたのです。(完)

ドイツ・フランスの旅(6): エミリーのワイン

2004年12月30日 05時54分36秒 | 番外編
コルマールで休まった我々は翌朝、一路ボーヌへと「愛車」ゴルフ1600を走らせました。

コルマールからボーヌまでは約270キロ。この日は寄り道もせず、高速道路をまっしぐらです。途中、給油のため1回休憩した他はずっと、平均時速120キロでボーヌへと向かいました。

その休憩に関する余談: フランスのパーキングエリアの難は、トイレがもう一つだということです。男子小用はまぁいいとして、それ以外の場合、便座がないトイレにお目にかかることになります。トイレに関してはおそらく世界一といって良いスイスから来たから余計にそう感じたのかもしれませんが、この差は大きい(スイスのパーキングエリアに帰路で入ったのですが、その清潔さに感動しました)。

さて、ボーヌといえばブルゴーニュワイン。ここでのお目当ても当然ワインです。我々は、この旅行で唯一の上等な4つ星ホテル、「ル・セップ」を予約していました。ル・セップは、『地球の歩き方』にも出ている有名(?)ホテルです。

これがホテルの入口。見るからに4つ星って感じですね。

こちらは部屋の中。写っているのは、ソファーに腰掛けてボーヌでの行動作戦を練っている妻です。やる気満々。

シャワーカーテンの謎の件、続き。このホテルは、シャワー「カーテン」ではなく、ガラスの引き戸形式になっていたのですが、なぜか浴槽の長さの3分の2くらいしかカバーできない仕組みになっているのです。なぜ全体を覆えるようにしておかないのか? カバーされていない部分から水がはねて、床が濡れてしまうではありませんか。5つ星ホテルになると全体がカバーされるのでしょうか? この中途半端なシャワー「カーテン」は、我々の謎を一層深める結果となりました。

ル・セップは、観光や食事を混ぜたいくつかのパッケージを用意しているのですが、我々はその中から、ボーヌのワインカーヴ見学とホテル付属のレストランでの食事がセットになった "Forfait Decouverte de Beaune"(ボーヌ発見)というパッケージを頼んでいました。これは、到着日の午後に「オテル・デュー」を見学、その後にワインカーヴ「メゾン・シャンピー」を訪れて見学と試飲、夜にはホテル付属のレストラン「ベルナール・モリヨン」でディナーというプログラムです。

昼過ぎにホテルにチェックインした我々はまず、近くのカフェで軽く昼食をとった後、最初のプログラム「オテル・デュー」へ。1443年に、ブルゴーニュ公爵フィリップ・ル・ボンの宰相ニコラ・ロランが建設したこの建物は、貧しい人々のためのホスピスで、ぶどう畑や塩田によって収入を得ながら、多くの病人を受け入れて、修道女が世話をしたとのことです。

 このように立派な建物で、貴族たちから得た寄付をもとに、様々な装飾を施していったそうです。

 これが、病人を収容していた「貧しき者の広間」。長さ50メートル、幅14メートル、高さ16メートルの部屋の両端にベッドが置かれ、中央には食事用のテーブルとベンチが置かれたそうで、ホスピスとか病院といったイメージとはおよそかけ離れています。

オテル・デューの圧巻は、ポリプティック(衝立画の部屋)に置かれた「最後の審判」。フランドルの画家ロジェ・ヴァン・デール・ヴェイデンの作品で、審判者イエス・キリストの下に立つ大天使ミカエルの無機質な表情がなんとも、裁きの厳しさ・怖さを感じさせます(娘は真剣にビビッていました)。うまく写真が撮れなかったのが残念。この作品を解説した本が出ています(amazon.fr)。左のリンクをクリックしてもらうと、本の表紙になっているミカエルの顔を見ていただけます。

さて、オテル・デューだけで長くなってしまいましたが、さらに忘れられない思い出となったのは、続く メゾン・シャンピーの訪問です。ここが、1720年創業という古い伝統を持つ醸造所だということは、訪問して初めて知ったわけですが、場所は街の中心部から少し離れた、何となく寂しい通りで、紹介でもされなければおそらく行くことはなかったでしょう。

閉ざされたドアの横にあった呼び鈴を鳴らし(左側に売店の入口がちゃんとあることに気がつかなかった)、ホテル・ル・セップから来た者ですが、と名乗ると出てきたのが、冒頭写真の女性。名前はエミリー。

エミリーは我々をまず、地下のワイン蔵に案内してくれました。そこには、出荷を待つばかりの白ワイン・赤ワイン、そして1800年代に作られたワインの「博物館」もありました。

 こんな具合です。これはまだ樽の段階。

メゾン・シャンピーの地下室は、元々は、修道院が所有していたワイン蔵だったそうです。カーヴの下を川が流れていて、ほどよい湿度を与えてくれるそうな。

蔵をひと通り見学した後は、試飲の時間。冒頭写真でお見せした、エミリーの慣れた手つきの格好よかったこと! 

 ブルゴーニュ地方のワインについて、地図を見ながら説明してくれているエミリー。

白ワインを2種類、赤ワインを2種類試飲させてもらいましたが、ワインの味もさることながら、エミリーの試飲の格好よさに見とれていたというほうが正解かもしれません。だって、何を試飲したか思い出せないんですから。白の1種類がシャブリだったことは覚えています。赤は、後で購入した Clos des Vougeot Grand Cru がとてもまろやかで美味しかったことは思い出せますが、どうもその他の記憶が定かでない……B級グルメの哀しさです。

(ちなみに: エミリーの写真は小学2年の娘が撮ったものです。さすがに僕は遠慮したのですが、ちゃんと娘が撮影しておいてくれました。エライ!)

エミリーと出会えた記念に、じゃなくて、エミリーが紹介してくれたワインがとても美味しかったので、その記念に上記の赤ワインを買って帰りました。さすがに、そう何本も買えるような値段ではなかったです。我が家の家宝にしたいと思います。ワインの名前はすぐ忘れますが、エミリーのワインと言えば誰もが思い出せるtsujigaku家の貴重な1本です。

その夜は、上に書いたように、ホテル併設のレストラン「ベルナール・モリヨン」(数年前までミシュランの星つきだったそうです)のディナーだったのですが、エミリーの思い出に比べれば、もはや特に記すこともないように思います。強いて挙げれば、妻が途中で食事をリタイアし、デザートを食べ損ねたことくらいでしょうか。どうやら、ストラスブールで被った痛手から完全には回復していなかったようで、クリームソースがダメになったらしいです。様子を見ていると、牡蠣にあたったというのではなく、雪中行軍で疲れたあとに、分不相応なご馳走をいきなり食べたのが悪かったような感じです。ストラスブールの3つ星レストランには及ばないものの、かなり本格的なフランス料理のご馳走だったのですが、(B級とはいえ)グルメの彼女がご馳走を食べられないという悲劇。気の毒としか言いようがありません。妻が去った後のテーブルで、小学生二人とデザートを食べている自分も、何となく場違いな気が急にしてきて居心地悪かったです。

次の日はいよいよ最終目的地のリヨン。リヨンでは、研究休暇で滞在している大学の同僚が我々を待ってくれています。泣く泣くボーヌのレストランでリタイアした妻は果たしてリヨンで復帰できるのか? (続く)

ドイツ・フランスの旅(5): コルマールで休まーる

2004年12月28日 05時38分27秒 | 番外編
コルマールの町に入ったときはすでに暗くなっていましたが、下調べのおかげで今回は道に迷うこともなく(失敗は、ホテルの前を通り過ぎてしまった程度)、目指すホテルに着きました。

お宿はホテル「ボーセジュール」。旧市街まで歩いて10分足らずのところにあるこのホテルは、(前々回の終りにちょっと書いたように)美味しいレストランを併設しているホテルのしるしである「ロジ・ド・フランス」連盟のかまどマーク3つがついています。かまど3つは「とても美味でおすすめ。ホテルとしても快適」を表すそうで、かまどが2つだと「まぁまぁおすすめで快適」、1つだと「まぁおすすめ」だそうな。夕食つきで予約していた我々の期待は高まります。

夕食まで2時間ほどあったので、旧市街のクリスマス市を見物に行くことに。夜のクリスマス市は、寒い中にもほのぼのとした雰囲気、ヴァン・ショー(ドイツで言うグリューヴァイン)の匂いが立ち込めて、なんともいい感じです。心がホッと休まるような気分になりながら、いくつかの広場に分かれて開かれているクリスマス市を回りました。

  

チューリヒのクリスマス市では、グリューヴァインの他に、プンチと呼ばれる(パンチのことでしょう)、ホットオレンジのような飲み物を売っていますが、フランスに来ると、ショコラ・ショー(ホットココア)がそれに代わるようです。

途中で道に迷ったりしながら、2時間ほどの散歩を終えた我々はホテルに戻り、いざ夕食へと向かいました。ストラスブールで勢いがついていたので、今日はどんな料理なのかと楽しみにしていたわけです。

ところが、なんとも拍子抜けというか、逆にホッとしたというか、そんなにビックリするような料理は一切出てこなかったのです。

前菜とメインを2品からチョイス、それにチーズとデザートがつくというコースでした。前菜に僕はキノコのクリームスープ(セップ茸入り)、妻は前菜盛り合わせ(アボガドと小エビのカクテル、生ハム、それともう1品が思い出せない)。メインは僕が(なんと)ハムのステーキ、妻が白身魚のクリームソースがけでした。まさかハムのステーキが出てくるとは思いませんでしたが(フランス語のメニューだったので、油断して適当にしか見ていなかった)、意外においしく感じたのは、前日の豪華絢爛ランチで胃が疲れていたせいだったのかもしれません。胃が休まるコースだった、ということになります。

我々のテーブルが写真撮影をしにくい場所だったのと、撮るまでもないような中身だったこともあり、ここでは料理の写真を一切撮っていません。しかし、味は決して悪くなく、ここに泊まって夕食をとりながら、アルザスワインを飲むことはお勧めです。またコルマールに来る機会があればここに泊まりたいと思います。給仕のお姉さんは、日本に友だちがいるとかで、簡単な日本語を話してくれました。単語を並べる程度とはいえ、それだけですごく親切な印象を与えてくれます。

ホテルの部屋は狭めで、我々の4人部屋はメゾネットになっていましたが、その階段が急なこと。子どもが夜中に寝ぼけて落ちでもしたら大変なので、大人が2階に寝ることに(大人が寝ぼけないという保証はないにもかかわらず)。入口近くにはミニキッチンもついており、どうやらコンドミニアムだったようです。(かまど3つのホテルで自炊というのももったいない気がしますが。)テレビも設置されていましたが、なぜかどのチャンネルも映らない。テレビの天気予報で翌日の天気や気温を確かめたかったのですが、フロントに言って直させるのも面倒なので(どうせほとんどの番組は見たって理解できないか、面白くないし、天気なら新聞でもわかる)、そのまま放っておきました。

不思議なことに気がついたのですが、ストラスブールのホテルでも、なぜかここのホテルでも、シャワーカーテンなるものがない。ホテルが2つ星だからそうなのか、あるいはフランスではシャワーカーテンをホテルにあまりつけないのか、いずれにせよ、シャワーが浴びにくい、と文句を言っていた我々は、次の目的地ボーヌのホテルで、シャワーカーテンをめぐる疑問をさらに深めることになったのです。(続く)


ドイツ・フランスの旅(4): ワイン街道を行く

2004年12月27日 01時43分28秒 | 番外編
前日の3つ星レストランで天国と地獄を見た妻も今朝は無事回復し、ホテルで朝食を取った後、まずはストラスブールの見物へと出かけました。

旧市街の近くに車を置き、まずは大聖堂(上の写真)前の広場を中心に開かれているクリスマス市へ。



市は、大聖堂前のほかにもあちらこちらの通りや広場にあり、規模の大きさがうかがわれます。最近は、ドイツだけでなくフランスの様々な町でクリスマス市が開かれているようですが、ストラスブールのものはやはり見ごたえがある気がします。

街をぐるぐると散歩し、プティット・フランスにも行きましたが、そこにもクリスマス市が開かれていました。下の写真は、プティット・フランスにある建物です。このような、白い壁に木骨組みの建物がプティット・フランスには数多く見られます。



この日の宿は、コルマール。コルマールまでは、真っ直ぐ行けば1時間ほどで着いてしまいます。そこで我々は、途中にある村々に寄りながら行くことにしていました。予定では、リボーヴィレ (Ribeauville)、リクヴィル (Riquewihr)、カイゼルスベルク (Kaysersberg) を訪れることになっていたのですが、ちょっとストラスブールでゆっくりし過ぎました。ケバップ屋で昼食を済ませ(そんなものも食べられるくらいには妻は回復していたわけですね)、ストラスブールを出たのが1時過ぎ。コルマールに日暮れまでには着きたいと思っていたので、少々焦りが入ってきました。

最初に訪れた村はリボーヴィレ。村の入口にある公営有料駐車場に車を入れたところ、前払いの駐車券売機に入れるコインがない。近くに駐車したおじさんに、すみませんが両替してもらえませんか、駐車代金を払えなくて、と言うと、
「え、お金要るの?」
との呑気な返事。周りの駐車車両を覗き込むと、駐車券をちゃんと貼っている車も確かにあるのですが、貼っていない車も少なくない。それを見たおじさん、「要らない、要らない」と嬉しそうにのたまって行ってしまいました。

途方にくれた我々。しかし、ふと道の反対側に目をやると、なんと無料駐車場らしき場所があるではないですか。空きスペースがあるのを確かめた僕は速攻で車を移動。

ここでの目的はワインの「仕入れ」です。村の中には、試飲と販売をやっている店が数多く見られます。どの店に入ったものか思案しながら通りを歩いていた我々は、数種類のアルザスワインをセットにして売ってくれると表示されていたある店に入ることに。(後でよく見れば、多くの店でそういうセット販売をやっていました。1種類を何本も買うより、数種類のものを1本ずつほしいという観光客向けの商売をちゃんとやっているわけです。)

これがその店です。名前は Robert Faller & Fils。



アルザスワインを代表するゲヴュルツトラミネール、トケイピノグリ、ミュスカ、シルヴァネール、リースリング、ピノブランの6本セットを購入。試飲もさせてくれるというので、トケイピノグリとピノブラン(だったっけ?)を試させてもらいました。6本で35ユーロ程度。

時間が4時を回り、あたりが段々薄暗くなってきたので、村の観光もほとんどせず、急いで次の目的地リクヴィルへ。霜のかかった葡萄畑に挟まれた道路を真っ直ぐ南下、15分ほどで到着。城壁の外側にある有料駐車場(ここではコインがありました)に車を置き、またもやワインの「仕入れ」に向かいました。

妻が言うには、ここリクヴィルにはヒューゲル(日本語ページあり)という、よく知られた醸造所があるとのこと。リボーヴィレで買ったのはすべて白ワインだったので、ならば赤もいただきましょうということで、ピノ・ノワールを目指して進みました。



上の写真からおわかりいただけるとおり、ちょっと入りにくい雰囲気の店構えではありますが、意を決して家族4人で店の中へ。応対に出てきたお兄さんは非常に親切、感じのいい人で、「普通」のピノ・ノワールと、少し年季の入った上等のものと2本を試飲させてくれました。B級グルメの我々にもはっきりと味の違いが感じられるこの2本、どちらも頂戴してまいりました。

ここまで来て、時間はすでに4時半を回り、カイゼルスベルクに寄っていては最早日暮れまでにコルマールに着けません。アルベルト・シュヴァイツァー博士の故郷ということで有名なこの村を訪問することは断念し、コルマールに向かうことに……しようと思ったら、近くのニーデルモルシュヴィルという村に寄って、フェルベールのジャムを買いたいと妻が。大急ぎで村に行ったのですが、その店がなかなか見つからない。妻は車を降りて、ついに徒歩で探しに行きました。10分あまり待ったでしょうか、妻はジャムと共に笑顔で戻ってきたのです。

4回目でコルマールに着くはずが、ワイン街道で寄り道している間に字数が尽きてしまいました。たくさんのワインを積んだ「愛車」ゴルフ1600は、最早日没となったコルマールの町へようやく入っていったのです。(続く)


ドイツ・フランスの旅(3): B級グルメに星3つ

2004年12月26日 02時09分15秒 | 番外編
そう、B級グルメファミリーの我々がその日ストラスブールで予約していたのは、ミシュランの3つ星レストラン、その名も「ビュールイーゼル」(Buerehiesel) だったのです。「一生の思い出にぜひ」という妻の強い希望で実現した、分不相応な贅沢ランチです。

ビュールイーゼルは、ストラスブールの旧市街から少し外れた公園オランジェリーの中にあるレストラン。メインの部屋は、写真でもおわかりいただけるとおり(上の写真は Buerehiesel のホームページから拝借。自分で撮るのを忘れたので)、ガラス越しに公園が望めるようになっています。

いかにストラスブールとはいえ、3つ星レストランに小学生連れでディナーをしに行くのは気が引けたので、ランチにお邪魔することにしました。予めチューリヒからメールで予約を入れると、すぐにちゃんとした返事が。お子様には、子ども用コースもご用意できますとのこと。午後1時にテーブルを予約して、ホテルからタクシーで参上いたしました。

入口すぐのロビーでコートなどを預け(預かってくれるようなレストラン自体久しぶり!)、通されたテーブルは、メインの部屋の隅っこ。隅にあるほうが写真も撮りやすいし、子どものことで気を使うこともないということで、我々にはありがたい場所でした。

ご存知の通り、ストラスブールを含むアルザス地方は、歴史の経緯から、また場所的にも、ドイツ語が比較的よく通じます。多少はフランス語が話せる自分も、料理の説明をペラペラとやられてはたまったものでないので、チューリヒ在住者であることを盾に、ドイツ語が話せる人にはドイツ語を使ってもらうことにしました。若い給仕のお兄さんに、フランス語しかできない人がいましたが、後の人たちは、ソムリエも給仕の人も、ドイツ語で応対してくれました。相手に、自分の言語を使うよう(ドイツ語は「自分の」言語じゃないけど)強いるのは気が引けるものですが、今日はまぁいいでしょう、お客なんだし。

その日食べたコースは次の通り。

帆立貝の薄切り、セロリとトリュフ油のクリーム
ラビオリ、カエルの脚を焼いたもの、チャービル(香味野菜)
スズキの蒸し焼き、カキのタルタル、リースリングで煮詰めたクリーム
カモのフォアグラ、キャベツ包み、ブイヨンスープ茹で
鹿の腿肉ロースト、赤ワインソース、秋の野菜と森のきのこ、クネプル(団子)添え
チーズ(ワゴンサービス)
パイナップルをヴァニラ味で焼いた後に冷やしたもの、生姜風味、パイナップルのシャーベット、レモン味のサブレ

これで148ユーロ。フォアグラとチーズを除くこともでき、それだと126ユーロ。どうしますか、と尋ねられたので、せっかくここまで来たんだし、いいでしょう、全部いきましょうと答えました。決して決して安くはありませんが、2食分だと思えば少しは気が落ち着きます(それでも高いけど)。実際、この日は夕食などとても食べる気にはなりませんでした。

アペリティフと一緒に運ばれてきたのはこれです。鰯のカナペや春巻きなどが並んでいます。一つずつ説明されたのですが、忘れてしまいました。ちなみに、アペリティフは Muscat。


本格的な料理の一番手として出てきたのは、帆立貝の薄切りだったのですが、またやってしまいました。おおかた食べてしまってから、写真を撮っていないことに気がついた。すみません、残骸の写真です。



次は、ラビオリとカエルの脚。ここに出てきたのと同じようなものが少しずつ子ども用にも出てきたのですが、娘はカエルが気に入ったようで、親の分までパクパクと食べていました。



続いては、スズキの蒸し焼きです。上にちょこっとカキが乗っていて、贅沢な感じでした。(しかし、これがその後で妻にたたることになろうとは……。)



フォアグラは、キャベツで包んで、少しスパイスの効いたブイヨンスープで味付け。このあたりまで来ると、かなりお腹がふくれてきました。しかし、手が止まることはありません。



ワインは、ソムリエのおじさんの提案にしたがって、リースリングとピノ・ノワールをそれぞれハーフで頼んでいました。次の鹿腿肉ローストが実にピノ・ノワールとよく合って、最早満腹中枢も麻痺したようです。



子どもたちに出された「メイン」は、鶏胸肉にヌードルを付け合せたもの。子ども用とはいえ、なかなかの味だった(そうです。子どもによれば)。



この後は、ワゴンに何種類ものチーズ(「チーズ」というと、雪印プロセスチーズみたいなのを思い出しますから、「フロマージュ」と言うべきなんでしょう、やっぱり)が運ばれてきます。残念ながら写真なしですが、3種類ほど選んで、おいしくいただきました。すでに相当量を食べていながら、まだこんなものがお腹に入るということ自体、どこかおかしいような気もします。実際、B級グルメの我々には過分なご馳走です。

デザートは、パイナップルをヴァニラ味でロースト(?)してから冷やしたもの、そしてパイナップルのシャーベット。なお、料理の名前は、もらってきたメニューのフランス語を適当に訳しているので、おかしいかもしれません。



ここまで来ると、さすがにもうお腹には何も入りません。1時スタートの「昼食」が終ったのは4時近く。会計を済ませ、タクシーを呼んでもらって、ホテルへと真っ直ぐに戻りました。食事の後で、ストラスブールのクリスマス市を見物するというプランも実はあったのですが、もはやそんな気になるはずもありません。

味はもちろん、店のサービスも実に素晴らしい、さすがはミシュラン3つ星だけある、と(1回しか行ったことがないのに)納得してしまうひとときでした。ホテルに戻った我々はただただ、実に身の丈に合わない、しかし感動的なときを思い出しつつ、ベッドにひっくり返ったのです。

しかし、身の丈に合わないことはするものではありません。その夜、妻は突然気分が悪くなり、大変な目に遭いました。どうやらカキに「やられた」ようです。カモメはカモメ、B級グルメにはB級の店がお似合い、ということなのでしょうか。

懲りない我々はしかし、次の目的地コルマールで「ロジ・ド・フランス」登録、3つ竈マークのホテルに投宿したのです。おいしいレストランを併設しているホテルを示すこのしるし、果たしてどんな宿と料理に出合うのでしょうか。(続く)


ドイツ・フランスの旅(2): 雪ニモマケズ

2004年12月25日 01時19分03秒 | 番外編
2日目の朝、ホテルで目を覚ますと、窓の外がやけに白い。どうやら昨夜から雪が降り続いたようです。

実に綺麗な景色です。が、問題は、車が動けるのかどうかということ。それだけを心配しながら、チェックアウトを済ませて外に出てみると……車がない。「車は大丈夫かね」と言いながら出てきたホテルの主人と我々の眼前にあったのは、見事に雪に埋もれた「愛車」ゴルフ1600でした。

主人には、このようなことは珍しくないのでしょう。さっさとデッキブラシのようなものを取って来て、車の雪を下ろしてくれました(写真)。我々はただ見ているだけ。

大きな道は除雪してあるから大丈夫だと思うよ、という主人の言葉を信じて出発。主人の言うとおり、こういう場合は、幹線道路はたいてい通れます。が、問題はそこまでの小さな道路です。とくに、村の中の小道みたいなところが怖い。ホテルは少し高い場所にあったので、小道を下って行かないといけません。これで滑ったら終わりだ、と思いながらおそるおそる進みました。幸いスリップすることもなく幹線道路に出られたときは、本当にホッとしました(さすがスイスで借りた車。雪には強いようです)。

相変わらず、曲がる場所を間違えてUターンしたりしながら何とかストラスブールへ向けて走り出したのですが、僕は雪を甘く見ていたようです。国道なら大丈夫だろうと思って、シュヴァルツヴァルトの森を抜けていくルートを選んだのですが、これがまた苦難の道となりました。

進んでいくにしたがって雪は深くなる一方。車線を示す表示ももちろん見えず、片側2車線のはずの道路もいつのまにか片側1車線に。道の両側では、住民がみな雪かきに精を出しています。結構なお年寄りが屋根に上って雪を下ろしている姿を見ていると(よそ見をしたら危ないのだけれど)、体力がないとこういうところでは生きていけないのだと思い知らされます。ゲルマン系の連中は、こういう場所で暮らしているから体力があるのか、あるいは体力があるからこんな生活が可能なのか、とにかく自分には無理だなぁと思いつつ、しかしそんな感慨にふける間もなく雪道は続きます。車の下からも、道に積もった雪が削れるガリガリという音が。

この日は、ストラスブールのレストランを1時に予約してあったので、何としてもそれより早く町に着いて、ホテルにチェックインしないといけません。しかし、車線も見えないような道をすっ飛ばすわけにもいかず、ハンドルを取られないようにしっかり握りながら、急ブレーキを踏まないでよいようにスピードも抑え目にして走るしかありません。横の道から右折して前に入ってきた車が、急ハンドルのせいでしょう、お尻をぶりんと振ったときは、こちらの背筋が凍りました。

前に突然観光バスが現れたのはどこからだったでしょうか。このバスがまた、極めつけの徐行運転を始めたからもう大変。時速30キロで道を塞いでトロトロ、トロトロ。あっという間に後ろには自動車の列が。我々はバスの2台後ろを走っていたのですが、道は山道でカーブが多いし、おまけにこの雪道では、追越をかけるわけにもいかず、仕方なくこちらもトロトロ。このぶんでは、とてもお昼にストラスブールに着けません。しかし2台分をごぼう抜きにすることは出来ず、どうしようもないなと半ば諦め気分でいたところ、あるところでバスが横に寄りました。後ろの車のことをやっと考えてくれたようです。ところが……

バスのすぐ後ろを走っていた車がスピードを上げないのです。この車も徐行運転、安全第一主義者だったわけで、我慢できなくなった僕は、ついに勝負に出ることにしました。2車線(だろう、たぶん)の場所で一気に追い越し、スピードを上げてストラスブールへ。雪にも負けず、山道にも負けず、ついにシュヴァルツヴァルトを抜けた我々は、雪道とおさらばしてフランスへ。いったいどこが国境だったのだろうと思うような(妻は、小さな標識があったことに気づいたようですが)あっけないフランス入国でした。ストラスブール郊外のホテルに何とか12時にたどり着いた我々は、荷物を預け、タクシーを呼んでもらって(だって今からワインを飲むんですから)、予約してあったレストランへ向かいました。B級グルメの妻を筆頭に、「いい」レストランで食事など滅多にしたことがない我々家族がその日行ったのは……。(続く)


ドイツ・フランスの旅(1): 迷い道くねくね

2004年12月24日 08時11分40秒 | 番外編
子どもの学校が冬休みに入ったので、ドイツとフランスに出かけてきました。

ドイツのドナウエッシンゲンというところに住んでいる妹夫婦、そしてフランスはリヨンに在外研究で来ている同僚を訪ねるのが今回のメインで、その間に、フランスのストラスブール、コルマール、ボーヌに寄るという、全体で5泊6日の計画です。レンタカーを借りての「周遊旅行」、全体で1000キロあまりのコースとなりました。

土曜日の朝、チューリヒでまずレンタカーを借りに行きました。今回は Europcar を利用。Hertz や Avis といった大手(Europcar もこちらでは有名ですが)にしなかったのは、値段が安かったからです。

Europcar の営業所はチューリヒ市内に何箇所かあるのですが、郊外にある営業所から借り出すことにしました。市内中心部で借りると、トラムが複雑に走っている道路をいきなり行くことになるので、郊外を選んだのですが、これがいきなり裏目に。借りたはいいが、家まで帰る道がわからないのです。営業所のお姉さんに説明してもらい、その通りに行ったはずが、どこで曲がる場所を間違えたか、なんとチューリヒ中央駅のすぐ横手まで出てしまったのです。チューリヒ市内を1時間近くうろうろした挙句、やっとのことで自宅へ。おかげで運転には早くも慣れてしまいました。左ハンドルも感じがつかめ、方向指示器とワイパーを間違えるということもなくなったのは怪我の功名と言うべきでしょうか。

「愛車」フォルクスワーゲン・ゴルフ1600に荷物を積み込み、休む間もなく出発。妹夫婦が住むドナウエッシンゲンまでは約90キロ、1時間半もあれば余裕で着く、はずでした。10時半出発だから、12時には余裕で着くだろうと思っていたのですが、初日からそううまくは行かないのが世の常、あるいは我が家の常。

土曜の朝、チューリヒは気温が下がり、小雪がちらちらしていました。が、積もるほどではありません。ところが、北にほぼまっすぐ上がって、国境が近づくと、あたり一面が次第に白く変わってきました。国境にさしかかるとなんと雪景色。日本のパスポートを見せると、表紙をちらっと見ただけでOKとなり、軽くドイツに入れたのですが、ここからは雪を気にしながらの運転となりました。

ドナウエッシンゲンの手前までは、1本道の国道で、迷いようもなく、非常に順調でした。ところが、「Donaueschingen Sued(南)」という出口標識を曲がり損ねたところから話がややこしくなり始めます。妹の家までたどり着く道筋は予め Mappy で調べてあったのですが、Mappy の示したルートガイドには、ドナウエッシンゲンに入る標識が複数あることは書いてなかったのです。次の「Donaueschingen Zentrum(中央)」というところで国道を曲がり、町中へと入っていったのですが、Mappy のルートガイドが示していたのは、後から考えれば、「南」から入るルートだったのです。それを「中央」から入り、その後、ルートガイド「どおり」に進んだため、とんでもない北のはずれに出てしまいました。ドナウエッシンゲンの地図を持っていなかったために、自分たちがどこにいるのかもわからず、大弱り。途中でパン屋さんとガソリンスタンドに停まり、道を教えてもらってやっと妹宅へ。1時間近く余計にかかってしまいました。まだ1時間で済んだからよかったのかもしれませんが。

とにもかくにも妹のところに着いたわけですが、写真は、妹宅の近くで撮った景色です。とにかく真っ白。雪合戦も軽くできるほどの積もり方でした。実際、子どもたちは雪合戦に興じていました。

妹のところで午後を過ごし、予約しておいてもらった近くのホテルへ。このホテル、泊り客は我々家族4人だけ。それだけなら珍しくもないでしょうが、なんとホテルの経営者やスタッフも出かけており、空っぽだったのです。本来は閉める日だったのを特別に泊めてくれたそうで、経営者の一家は夜遅くに戻ってくるから、とのこと。妹夫婦が予めもらっておいてくれた鍵で玄関の扉を開け、ホテルの中へ。人っ子一人いないホテルくらい気味の悪い場所があるでしょうか。

Waldblick というこのホテルは3つ星で、プールやサウナがついています。プールを自由に使って良いというので、家族でありがたく占有させていただきました。雪を見ながらのプール遊びなんて初めてです。

冬の水泳は意外に楽しかったのですが、温泉ではないので水温があまり高くなく、やはり寒くなってきたので、しばらくしてから部屋に戻りました。ところが、部屋の暖房がオフ! いつからハイツングを切っていたのか、どうやら壁が冷え切っているらしく、あわててハイツングを入れても、なかなか部屋は暖まりません。結局部屋は翌朝まで寒いままでした。

夕食を食べに戻った妹の家で、妹の旦那(要するに義弟ですね。ドイツ人です)にこのことを言うと、ドイツ人は寒い部屋が好きだからだろう、とのこと。そういえば彼も、以前我が家に泊まったときに、寒い冬だというのに、部屋の窓を全開にし、ハイツングを切って寝ていました。

説明には半分納得しつつも、あやうくプールで風邪をひくところでした。サウナには行かなかったのですが、このぶんだとサウナもきっと冷え切っていたに違いありません。サウナで風邪をひくなんて……あり得ない。

こうして旅の初日は過ぎていったのですが、翌朝目を覚ました我々は、もっと驚く光景を目にすることになったのです。(続く)

クレディ・スイスのクリスマスツリー

2004年12月18日 06時13分10秒 | Weblog
写真のツリーは、パラーデ広場 (Paradeplatz) のクレディ・スイス本店前に飾られたクリスマスツリーです。後ろの建物と比べていただくと、その大きさがわかります。

パラーデ広場には、スイス最大の銀行 UBS、さらに第2位の規模であるクレディ・スイスが本店を持つほか、あのシュプリュングリの本店もあります。つまり、「リッチなスイス」がここには集まっているわけです。ここは、スイスには珍しい白シャツに地味なネクタイ、ダークスーツを纏った人が歩いている場所でもあります。そういう「本物のビジネスマン」が街行く人の一部でしかないというところがまたスイスらしいところでもあるわけですが。

スイスの裕福さを象徴する大銀行の飾るツリーはさすがに大きくて圧倒されます。クレディ・スイスは、ツリーの大きさだけではなく、数にもこだわっているようで、正面入り口に入るまでの通路には両脇に何本ものツリーが並べられています。面白いので写真を撮りに入ったのですが、汚い格好だったので、どうも場違いな雰囲気でした。すれ違う人が横目でじろっとにらんでいたような……。

さて、ここまで頑張ってほぼ毎日更新してきましたが、明日から都合により1週間ほど更新をお休みさせていただきます。次回更新は日本時間で25日の予定。新たな話題を仕入れて再登場します。拙い「日記」をご覧いただいている皆様にお礼申し上げます。良いクリスマスをお迎え下さい。

クリッペ

2004年12月17日 06時42分40秒 | Weblog
クリッペとは本来、飼い葉桶を意味しますが、たいていはこの語だけで、イエス誕生の光景を木彫や粘土などで模した飾りを指します。写真のものは、グロースミュンスターに飾られているクリッペです。

このクリッペ、教会だけでなく家庭でも飾るところが多いようですが、ご多分に漏れず、こちらで作られている製品はお値段が張ります。いきなり登場人物・動物を全部揃えることはちょっとできない(出来る家もあるには違いありませんが)ので、毎年少しずつパーツを揃えていくわけです。

一昨日、街のおもちゃ屋さんに出かけたのですが、そこに展示されているクリッペを見てびっくり。ラクダ1頭が1万円以上するのです。全部揃えたらいったいいくらかかることやら……。

このおもちゃ屋で売っていたクリッペには、象もいました。羊やラクダがいるのはわかります。しかし、象というのは……3人の博士が東から乗ってきたということでしょうか? 確かに、聖書には博士たちが何に乗ってきたかは書いていませんが、それにしてもねぇ。この種の事柄には、後から付け加わった「伝統」もあるわけですが(3人の博士―そもそも3人だということすら聖書には書かれていないけど―のうち1人が黒人だというのもこの類)、象が踏んだら飼い葉桶が壊れてしまうのでは……?

しかし、家畜小屋の飼い葉桶の中で生まれたイエスを表す飾りがバカ高い値段だというのは、どう考えても矛盾しているような気がするのですが。貧しい人間には手に入らないイエス様ってのは、ね。いくらチューリヒが金融の街だとしても。

サンタ・トラム

2004年12月16日 02時33分03秒 | Weblog
この時期、街中で写真のようなトラム(市電)に出遭うことがよくあります。運転手はなんとサンタ。

このサンタ・トラムは、スイスのデパート「イェルモリ」(Jelmoli)とチューリヒ交通営団 (VBZ) が走らせているもので、正式(?)には「メルリトラム」(Maerlitram) と言うそうです。

運転手はサンタで、後部では天使が子どもたちにクリスマスのお話などを語ってくれるそうです。一度乗ってみたい、と思っても、乗車できるのは4歳から10歳の子どもだけ。うちのガキどもは乗車資格があるのですが、きっとこの天使はスイス・ドイツ語でお話をするのでしょうから、たとえ「天使の舌」(Engelzungen) で語られたとしても、残念ながらちんぷんかんぷん。

乗車券(6フラン=約540円)は事前にイェルモリで購入。14時から19時まで、ベルヴュー広場から25分おきに出発するトラムは、街中をゆっくりと、約20分かけて走るそうです。

大人向けには、(おそらく)この時期限定の、懐かしの旧型トラムが走っていました。今では決して見ることができない、車掌さん同乗のトラムで、停留所に着くたびに車掌さんが降りてはお客を乗降させます。楽しそうなので、ちょっと乗ってみました。

市電好きの方向けには、「トラム博物館」もあります。覗いてみてください。サンタ・トラムは飾っていないかも。