チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

ベルギー滞在記(5):ブリュッセルでの半日(その3)

2012年08月25日 21時34分27秒 | Weblog
ノイハウスでチョコレートを購入したら、急にチョコレートのことが気になって、それで足を向けたのが「チョコレート博物館」(Musée du Cacao et Chocolat)。上の写真が入口です。グラン・プラスに面した市庁舎の右手の路地を入ってすぐのところにありました。

入場料は5ユーロ50だったのですが、あいにく小銭の持ち合わせが5ユーロしかなかったので、20ユーロの紙幣を出したら、向こうもお釣り用の50セントがなかったらしく、困ったあげくに、その50セントを負けてくれました。(はじめから5ユーロとか6ユーロとか、釣りの出にくい金額にしておけばよさそうなものですが。)

中はこんな様子です。


奥の部屋では、いかにも職人といった風貌の初老男性がチョコレート作りを実演しています。ベルギーの伝統的なチョコレート製法や、様々な形のチョコレートをどのようにして形作るのかなどを、実際にやって見せてくれるので、大変面白く聴けます。イギリスからのお客がいたせいでしょうか、私が見たときは、英語とフランス語を操りながら説明してくれました。これで入場料5ユーロ50を高いと思うかどうかは、ちょっと微妙ですが。

二つ目は、「ビール博物館」。これは、市庁舎の左隣にあるギルドハウス(下)地下1階。
(ビール職人のギルドハウスらしい)

入口の看板。

ここでは、ビールの製法についてビデオやポスターで説明しています。


びっくりしたのは、なぜか日本での催しについての案内ポスターが(もちろん日本語で)貼ってあったことです。


地下の博物館から再び地上のグラン・プラスへ。


そろそろ空港へ向かう時間が近づいてきたので、駅へと戻りかかったその途上、やっぱり気になって訪れたのが、駅前に立っているマドレーヌ礼拝堂(La Chapelle de la Madeleine)。


近寄ってみるとこんな感じです。現在の建物は15世紀に遡るとのこと。カルヴァンによる宗教改革時代はプロテスタントの礼拝堂にもなりましたが(1579-85)、その後再びカトリックの手に戻りました。


会堂の中。


驚いたことに、ここにもダミアン神父の像が。




上の2枚は、イエスが十字架を背負ってゴルゴタまで歩く情景を描いたものですが、よく見ると、十字架が「T」字架になっています。十字架は歴史的にはTの字だったと考えられるという、最近では知られるようになってきた学説の反映でしょうか?

教会の前には、こんな案内図も。ブリュッセル中心部の教会を紹介したものです。



こうして半日ブリュッセルで動き回ったので、いささか疲れましたが、それでも元気に空港へと向かいました。ベルギーでの残り少ない時間を惜しみながら。

ベルギー滞在記(4):ブリュッセルでの半日(その2)

2012年08月24日 23時22分21秒 | Weblog
ケバップで昼食を済ませた後は、上の王立モネ劇場の横を通って一路、聖ミッシェル・グードゥラ大聖堂(Cathédrale Saints-Michel-et-Gudule)へと向かいました。

しばらく歩いていると見えてきたのがお目当ての大聖堂。



2対の塔は高さ64m。まさに見上げるような建物です。


教会の側から見た広場


大天使ミカエルと7世紀の聖グードゥラ(1047年に遺物が移されたことによる)にちなんで命名されたこの教会、1047年に建築が始まりましたが、正面が出来上がったのは15世紀半ばだったそうです。

建物内部。


聖グードゥラの像。


ステンドグラス。


大天使ミカエルの像。


表情のなさが怖い感じです。


地下聖堂。


だいぶん写真も撮ったので、教会内でしばし休憩してから、グラン・プラスの方角へと戻ることにしました。

グラン・プラス北側にあるショッピングギャラリー、「ギャルリー・サン・テュベール」(Galeries Royales St. Hubert)。1846~47年に作られたそうです。有名チョコレート店「ノイハウス」はここにあります。


ここでチョコレートを少し買った後に向かったのは、二つの博物館でした。(続く)



ベルギー滞在記(3):ブリュッセルでの半日(その1)

2012年08月16日 23時02分37秒 | Weblog
(写真上:ご存じブリュッセルの小便小僧)

ベルギーでは、学会プログラムの合間を縫って教会巡りをしていたので、そちらの写真も溜まったのですが、まずは最終日、ルーヴェンの宿舎を発って日本に帰るまでの間に立ち寄った、首都ブリュッセルの様子を紹介しておきたいと思います。時間的には前後しますが。

ルーヴェンの宿舎を朝9時に出発したのはいいのですが、ブリュッセル国際空港から飛行機に乗るのは夕方6時半。そこで、大昔(といっても16,7年前)に一度訪れたことのあるブリュッセルの街を散策してみることにしました。ルーヴェン駅では少しばかり手間取るハメに。切符を買う場所もよくわからず、発車案内もオランダ語なので、合ってるのかどうか自信がない。偶然来たインターシティの表示を見たら、ブリュッセル中央駅と書いてあるみたいなので、思い切って乗り込んだら正解でした。


なんとかたどり着いたブリュッセル中央駅。大きなスーツケースをコインロッカーに預けて街へ出発です。

とりあえず、なつかしのグラン・プラスへ(わかる建物だけ名前を書いておきます)。

市庁舎(hôtel de ville)




王の館(maison du roi)


ブラバン公爵の館(maison des Ducs de Brabant)




その後は、お約束の小便小僧見物です。


小便小僧には600着以上の衣装があるとか。


小便小僧横のチョコレート屋さんには、チョコレート色の小僧も。


グラン・プラスの端っこにある、聖ニコラス教会。元々は市場の教会として建てられたそうです(11~12世紀)。現在の建物は1955年に再建されたもの。


聖ニコラス教会の斜め向かいにあるのが、証券取引所。


証券取引所から北へ5分ほど歩くと見えてくる大きな教会が、聖カトリーヌ教会。元々あった建物は鐘楼として残るのみで


現在の教会堂は1850年頃に建て直したものとのこと。
(工事中で中に入れず)

教会の東側に、近代建築に囲まれるように立っているのは「黒い塔」。元々は要塞壁の一部だったそうです(12世紀に建築)。


北側のブリック河岸から見た教会堂。この河岸は海鮮料理のレストランが立ち並びます。有名なムール貝を食べるならここ、ということでしょうか。しかし一人旅の私は、レストランに入って昼食する気にはならず。ムール貝はすでにルーヴェンで食べていましたし。


海鮮料理屋が並ぶ中に1軒、なんとお好み焼き屋が。ここに長期滞在していればきっとお世話になったことでしょう。ちゃんと日本語で「お好み焼き」と書いてあります。


そのブリック河岸から少し東に入ったら、通りの向こうに別の教会堂が見えます。


これは聖ジャン・バプティスト教会(洗礼者ヨハネ教会)。洗礼者ヨハネって、ユダヤ教徒じゃなかったっけ?


ここにもありました、告解室。プロテスタントの教会ではお目にかからないので、なんとなく新鮮です。これからは授業でこの写真を見せて説明することにしましょう。


そろそろお腹も空いてきたところで、探したのはもちろんケバップ。こちらに来たらこれを食べずにはいられません。

目の前に現れたのは Noordzee/Mer du Nord。ドイツ語圏では Nordsee と言いますが、要するにシーフード系のファストフード店ですね。なぜか店先に人がたかってワインを飲んでいました。


しかしもちろん、こちらのお目当てとは違います。その真向かいにあったケバップ屋に入り、早速注文。


4ユーロのケバップで十分にお腹いっぱい。これでエネルギーを補填して、午後の散策に向かうことにしました。(次回に続く)

ベルギー滞在記(2):ダミアンの墓@ルーヴェン

2012年08月09日 21時16分09秒 | Weblog
ルーヴェンに到着した月曜の午後、散歩がてらまずは入った聖ペテロ教会の中で見かけた時から気になっていたのです。



大きな写真入りの垂れ幕には "Damiaan Inspireert" の文字。

ダミアン神父といえば、ハワイでハンセン病の人たちと共に生きたことで知られる人物ですが、ベルギー人とは不覚にも知りませんでした。しかもルーヴェン・カトリック大学で学んだ人だったとは。

さらに驚いたのは、宿舎から大学までの途中にある(こちらにしては)小さな、聖アントニウス礼拝堂/聖ヨセフ聖堂(Sint Antoniuskapel/ Sint Jozefheiligdom)を訪れた時です。



この教会の中に入っていくと、



ここにも聖ペテロ教会のそれと同じ垂れ幕が。そして地下にはなんと、ダミアン神父の墓があったのです。


墓のある部屋に入る手前には、ダミアン神父の肖像画もありました。


ダミアン神父の亡骸は、ハワイのモロカイ島から故郷ベルギーへと戻され、「その遺体はルーヴァンの大聖堂に葬られて今に至っている」と日本語版ウィキペディアには記されていますが、実際には「大聖堂」(といえば聖ペテロ教会が連想されます)ではなく、小さな聖堂の地下だったわけです。

この礼拝堂の裏手には、これも後から気づいたのですが、

"Damiaancentrum" という施設がありました。オランダ語なので、どういう活動をしているかまでは掴めなかったのですが。

思わぬところで、ダミアン神父の名前と姿に再会することとなりました。これもベルギーでの忘れられない出来事です。

ベルギー滞在記(1):国際新約聖書学会2012@ルーヴェン

2012年08月06日 23時39分49秒 | Weblog
7月30日(月)から8月4日(土)まで、国際新約聖書学会第67回大会参加のため、ベルギーはルーヴェンまで出かけてきました。会場は、ルーヴェン・カトリック大学。ルーヴェンでの開催は3度目とのことです。

会場入口の掲示です。


国際新約聖書学会(Studiorum Novi Testamenti Societas = SNTS)は、1000人を超える会員を擁する、新約聖書研究の学会としては世界最大級の集まりです。北米の聖書文学学会(Society of Biblical Literature = SBL)の方が規模は大きいかもしれませんが、SNTSは教授クラスの研究者のみが集まる学会なのが特徴です。実際、SNTSの会場にいると、研究書や注解書で名前を見たことがあるという学者に何人も出会います。日本からの会員は目下13名。ちょっと寂しいので(私が参加するときは、なぜか日本からは自分一人)、もっと増えて欲しいところです。

この学会では、もちろん研究発表やセミナーが行われるのですが、社交の場という意味合いも強いようで、食事やお茶の時間が長く取ってありますし、夜にはクラシックのリサイタルがあったり、延々と続く夕食会があったりします。夫婦や家族連れで参加する学者も珍しくなく、実際、同伴者用プログラム(街の見学や遠足など)が別に用意されているほどです。学会は、毎年開催地が変わるので(昨年はニューヨーク、一昨年はベルリン。ちなみに来年はオーストラリアのパース)、レギュラーメンバーの家族も多いようです。

毎年、250~300名ほどの参加者があるこの学会、今回はこのくらいでした。



キャンパスの様子:


学会は、月曜と火曜の日中に各種委員会が開かれ(学会の中央委員会、東欧との連絡委員会など)、火曜夕方の総会(1)で幕を開けます。その日はレセプションで終わりますが、水曜から金曜までは、会長講演に続いて、学会が指名した研究者による発表(Main Paper)が4本、申し込み制の研究発表が(今回は)14本(3回に分け、並行して行われます)、そして16テーマ別のセミナーが3回と盛りだくさんです。その合間にも委員会が開かれるので、なかなかハードスケジュールになっています。私は現在、中央委員会(英語では Committee としか言わないのですが、なぜかこう和訳されています)のアジア枠選出委員、そして学会誌 New Testament Studies の編集委員にもならされているので、まるで委員会の会議に出るために来たみたいな感じでした。実際、会議に出ないといけないから半ば無理矢理来た、という感がなくもありません。それでも、留学時代以来の古い友人や元指導教授、新しく SNTS で知り合った研究者に再会するのは楽しみですが。また、新しい知り合いも増えますし。今回は特に、アフリカからの研究者、そしてお隣り韓国の新約学者と仲良くなりました。

会長講演や Main Paper が読まれる講堂はこんな風景です。


昼食と喫茶は、キャンパス内の食堂 "ALMA" で毎日提供されていました。食べていたのは、


こんな感じのものですが、毎日食べているとさすがに胃が疲れてきます。

宿泊は、大学が普段は学生寮に使っている(らしい)宿舎を利用。街中のホテルも割引料金で泊まれるのですが、それでも大学宿舎の方がずっと割安です。

入口:


部屋は簡素で、ネット環境もありませんが、十分くつろげます。かえって、読書や睡眠の時間がたっぷりとれました。


面白かったのは、部屋の窓に網戸がついていたことです。ヨーロッパで初めて見たような気がします。しかしこの網戸、窓を引いて開けた後に、いちいち枠にはめこまないといけないという代物でした。毎日だったら面倒くさいかも。


窓から見えた景色です。古い町並みが風情を感じさせてくれました。ああヨーロッパに来たんだな、と。


学会のプログラムは盛りだくさんですが、それでもその合間を縫って、街中の教会を見学に行きました。学会そのものについては、いずれ日本新約学会発行の『新約学研究』に報告を書くと思うので、次回はルーヴェンの街で見た教会堂などをお見せすることにしましょう。(続く)