チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

ベルギュンへの旅(1): SBB大混乱

2005年02月11日 07時00分52秒 | 番外編
ところ変われば品変わる、ということで、スイスの学校には、日本にはない「休み」があります。2月の上旬に1週間、学校によっては2週間、「スポーツ休暇」という休みが置かれているのです。(あと、10月上旬に「秋休み」もあります。)

この「スポーツ休暇」、「スキー休暇」と呼ぶ人が多いくらいで、雪の降り積もったこの季節に、家族でスキーにでも行きなさい、という趣旨で設けられているみたいです。我が家は、スイス生活が割合長いくせに、スキーにはあまり縁がなかったのですが(妻も僕も、あまりスキーを好んでやらない)、息子が学校行事のスキー旅行に参加して以来(彼はそこで初めてスキーを習い覚えたのです)、スキーがやりたい、やりたいとせがむので、とうとうこの休暇をスキー旅行に充てることになりました。

スイスのことですから、スキーをする場所には不自由しないのですが、かつての留学時代に訪れた経験のある、ベルギュン (Berguen) という小さな村に行くことにしました。ここなら、初心者向けのゲレンデもあるし、ベルギュンは、全長5キロのソリコースがあることでも知られているので、久々にこのソリに乗ってみたいという気持ちもあり、ここに決めました。

さて、出発は月曜の朝。ベルギュンへは、まずインターシティでクール (Chur) まで行き(1時間強)、そこからサン・モリッツ行きの急行に乗り換えてさらに1時間15分。10時40分にチューリヒ中央駅を出発すれば、午後1時過ぎにはベルギュンに着く、はずでした。ところが……。

当日の朝、意外と順調に用意が整ったので、1時間早い列車に乗るつもりでチューリヒ中央駅に行ったら、発車時刻とホームを示すモニターがどれも消えています。モニターの故障かな、くらいに思って、いざホームに出てみると、大きな出発列車掲示板までが「真っ青」。(上の写真は、その様子を写した新聞です。)ホームは、人がいつもよりうじゃうじゃと溢れている。それも右往左往する人ばかり。近くにいた係員に尋ねると、転轍機の故障とかで、列車が動いていないとのこと。それも、チューリヒとタルヴィル (Thalwil) の間で故障が起こっており、その延長線上にあるクール向けの列車は動いていないと言うのです。

構内のアナウンスも確かに同じことを言っています。が、それにしては、他の方面に行く列車の発車掲示も出ていないのはヘンだ、と気がつくべきでした。今になって考えてみれば。実際、バーゼルなどに向かう列車の出発ホームの案内はアナウンスされていたのです。

とにもかくにも、クールに向かう列車は出ていない。どうしたものか思案にくれていると、次のアナウンス。タルヴィルまで行く代替バスが駅の横から出るので、そちらに向かう人はそのバスを利用するようにとのこと。人の群れと共に、我々も重い荷物を抱えて、バスが出るという場所に向かいました。

どうやら、タルヴィルまで行けば、そこからクールまではインターシティが動いているらしい。ところが、係員に聞いても、タルヴィルまで行けばいい、と言う人もいれば、別の人は、プフェフィコン (Pfeffikon) まで行ってください、と言っている。どっちなんだ、と確かめようとしたら、バスの運転手が、より良い接続をご案内しますから、との返事。

トラブルはともかく、その後の処理の拙さに腹立たしく思いながら、代替バスを待っていると、なんと、最初に来たバスは、乗り場付近に群がっている乗客の後ろあたりに止まったものだから、後から来た客が最初に乗るという、とんでもない事態になりました。

不思議なのは、それでも、最初に来た客が誰も大声で怒鳴ったり、係員に詰め寄ったりしないということです。なぜか皆おとなしく、次のバスを待っている。我々は、悠長に待っていられないと思い、次の(いや、その次だったか?)バスに半ば無理矢理乗り込みました。

しかし、どこで降りれば良いのかはいまだ謎のままです。しばらく乗っていると、運転手が突然、「タルヴィルに行く人はここで降りて下さい」と言った(ようでした)。運転手はスイスドイツ語で言ったので(それ自体不親切極まる話です。ドイツ語圏スイス人しか乗っていないとでも言うのでしょうか?)、100%確かではなかったのですが、一緒に降りたスイス人がたくさんいたので、どうやら聞き取り自体は間違ってはいなかったみたいです。が、

バスを降りてしばらく歩いた結果着いた駅は、タルヴィルではなく、それより一つ手前のリュシュリコン (Rueschlikon) という小さな駅だったのです。運転手に騙された!

同じ被害に遭ったスイス人は、タクシーを拾う人、ヒッチハイクを始める人と三々五々、リュシュリコンの駅から消えていき、どうしてよいかわからない我々家族だけが駅前に残ってしまいました。

どうしたものか、途方に暮れていた(しかし、どうせいつかはベルギュンに着くだろうとも思っていた)我々を見つけた駅の係員のおっちゃんが、あんたらタルヴィルの方に行きたいのか、それなら、もうすぐバスが来るからそれに乗れ、と教えてくれました。あぁ助かった、と安心した我々は、ベルギュンのホテルに、到着が遅れることを電話で伝えた後(駅まで出迎えを頼んでいたので)、実際やって来たバスに、おっちゃんが言うままに飛び乗りました。ところが、

そのバスは、タルヴィル方面行きではなく、なんとチューリヒに戻る方向の代替バスだったのです!

おっちゃんは、本当に親切でした。が、我々の話をちゃんと聞いてはいなかったのです。バスに乗ってからそのことに気づいた我々は、「降ります」ボタンを連打し、「降ろしてくれ!」と叫んだ結果、次の停留所でなんとか降りることに成功しました。しかしそこは、またまた、リュシュリコンに輪をかけて小さな、キルヒベルク (Kilchberg) という駅。なんと、タルヴィルに向かうどころか、逆にひと駅離れてしまったのです。

混乱を脱するべく頑張れば頑張るほど、逆に深みに嵌っていく、としか言いようのない事態。「厄日」とはこういう日のことを言うのでしょう。しかし、窮地に陥っても、どこかに救いはあるものです。キルヒベルクの駅の壁に、タクシー会社の電話番号が書かれていました。公衆電話から(携帯なんてこちらでは持っていない)その番号に電話すると、不思議に10秒と経たずにタクシーがやって来た。すぐ近くを走っていたところに無線連絡を受けたようです。そのタクシーでタルヴィルまで移動し(2200円くらいかかったけど)、とにかく危機は逃れた。と思ったら、

タルヴィル駅の係員が言うには、クールまでのインターシティはタルヴィルからではなく、プフェフィコンからしか出ていないとのこと(ふざけんな。タルヴィルまで行ってくれ、って案内してたじゃないか!と怒鳴りたい心境でした。正直言って)。チューリヒからタルヴィルまでと同じくらいの距離をさらにクール方面に向かって行かないといけないわけです。プフェフィコンまでの代替バスを待ってくれ、というわけで、さらにまたバスを待つ破目に。

係員が皆を待たせていた乗り場の向かい側になぜか到着したそのバス(そのバスがプフェフィコン方面行きだということのアナウンスも全然なかった)にまたもや無理矢理乗り込んだ我々は、ぎゅうぎゅう詰めのとんでもない乗り心地を我慢し続け、ついに午後1時前にプフェフィコンに到着。駅のホームにいた、クール行きのインターシティに乗ることができたのです。(そのインターシティがクール行きだという表示もアナウンスもまたもやありませんでしたが。)

この事件、あとでわかったことですが、転轍機の故障なんぞではなく、SBBのコンピュータが原因不明の故障を起こし、そういう事態のために用意されているはずのリザーブのコンピュータが、これまた何故か機能せず、このような混乱を引き起こしたそうです。コンピュータの故障なら、チューリヒ中央駅の発車案内掲示がまったく動かなかったのも納得がいきます(しかし赦すことはできない!)。

なにより赦せないのは、いい加減な情報と誘導が混乱をさらに大きくしたことです。代替バスには順序正しく乗せようとしないし(要するに、早く乗れた者勝ちだった)、どこで降りればいいのかもきちんと知らせない、代替バスの運転手は嘘をつく、どのバスがどこに向かうのかもきちんとアナウンスしない、という、いい加減さのオンパレードだったのです。SBBが、危機管理のまったく出来ていない、無茶苦茶な組織であることがよ~くわかりました。日本の鉄道会社だったらありえないだろう、と妻と憤慨し続けた半日間でした。

しかし、それと同じくらい驚いたのは、スイス人の乗客が文句も言わないということです。係員に情報を求めはするけれど、怒鳴ったり、食ってかかったりする客は見当たりませんでした。まぁなんと大人しいというか、落ち着いているというか、諦めがいいというか。

スイスでの教訓1。トラブルの際に提供される口頭での情報は、たとえ公的なものであってもそのまま信頼してはいけない。その情報は、提供された時点では正しかったのかもしれない。しかし、その情報を活用する際には嘘になっている可能性が小さくない。

スイスでの教訓2。スイス人は、親切である。しかし、いい加減な情報に基づいて、確信を持っているかのように親切に助言をくれている場合もある。最終判断はあくまで自分でしないといけない。助言をくれた人に責任を取らせることはできないのだから。スイスの「永世中立」には、「自分が害を受けない程度に親切」という意味も含まれていることを理解するべき。

この日はとにかく「厄日」でした。が、なんとかこの大混乱を脱してベルギュンにたどり着いた後は、素晴らしいことの連続だったのです。(続く)