チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

竹原に遊ぶ(午後の部)

2015年09月22日 10時39分28秒 | Weblog
(承前)

農家レストラン西野でお腹いっぱいになった我々は、竹原の町へ。

竹原には、もう20年近く前に家族で来たことがありますが、広島に移住してからは、仕事で2度ほど訪れたことがあるだけで、観光は本当に久しぶりです。その時から変化したことといえば、「マッサン」と「たまゆら」でしょうか。そのおかげもあるのか、休日の町は観光客でいっぱいでした。

まずは「道の駅たけはら」へ。大混雑の駐車場にようやく車を入れた後、まずは竹原の地産野菜や果物、名産を見にいきました。



少し買物をした後、いよいよ町並み保存地区の中へ。マンホールもこんな感じです。

 

竹原といえば、江戸後期には塩田で栄え、さらに日本酒、葡萄、タケノコ(竹産関連)もよく知られています。

町並み保存地区の中には、古くからの家屋を修繕・保存して、観光客に見せてくれるところがあります。下の写真は旧笠井邸

     

旧笠井邸を出て、本町通りをしばらく歩くと、道の右側に「マッサン」生誕の地、竹鶴酒造が現れます。

   

通りの様子。


突き当たりにある「胡堂」(映画「時をかける少女」の舞台となったそうです)前で左に折れ、Uターンするように中ノ小路に入ると、藤井酒造酒蔵交流館があります。外壁の工事中でした。町並み保存地区には、この「藤井酒造」、「誠鏡」で知られる「中尾醸造」、そして竹鶴政孝の生家「小笹屋竹鶴」の3倉があるとのこと。

以前にこの蔵を訪れた際は、季節外れだったこともあり、お客がほとんどいなかったため、実に丁寧な対応をしてもらいました。「宝寿」はとても美味しいので、西宮時代には通販で取り寄せて飲んでいたくらいです。

 

で、今回買ったのが「夜の帝王」。「帝王」なので、やはり1升瓶で買うべきかと。


午後からは日も照って暑くなりました。道の駅に戻り、レストラン「ル・バンブー」でデザートセット(アイスとケーキ、フルーツのセット)を食べて休憩。広島への帰路につきました。


竹原に遊ぶ(午前の部)

2015年09月21日 19時13分57秒 | Weblog
シルバーウィークとやら真っ只中の「敬老の日」ですが、父訪問は来週に予定しているので、今日は夫婦で日帰りの旅に。

以前に訪れて、このブログにも書いたことのある「農家レストラン西野」でお昼を食べ、その後竹原の町を久しぶりに訪れることにしました。農家レストラン西野では土日祝日に「おばぁちゃんの農家バイキング」が食べられます。今日は、これまた久しぶりにこのバイキングを堪能することにしました。じゃがいも料理を中心に、旬の野菜料理を、農家の大広間でいただけるという、都会では決して味わえない時間と空間です。

西野は人気店なので、朝に予約を入れ、開店の11時を目指していくことに。広島市内から、筆の里で有名な熊野を超え、山道を車で1時間半足らず。朝早めに出たら、意外に道路が混んでいなかったこともあり、10時半少し前についてしまいました。そこで、レストラン近くにあるJR吉名駅を訪れてみることにしたのです(鉄道マニアというわけではありませんが)。

カーナビに従って駅まで行ってみると、小さな駅舎がぽつんとありました(上の写真)。
駅員さんはいません。お客さんもいません。改札は素通りできます。



改札口とホームの間は急な階段になっています。これはホームの側から撮影したものです。



列車運行情報を示す機械があったらしいのですが、故障中。



吉名駅は、JR呉線で竹原駅の一つ呉側。広島駅まで乗ると1140円もかかると知って、ちょっとびっくり(最近、東京の私鉄の安さを実感したところだったので)。列車は1時間に1本か2本。ちょうど広島方面の列車が出たところだったので、駅には誰もいなかったわけです。



ホームに出てみると、まるで映画やTVドラマに出て来るような光景が。

 

駅前も、実にのんびりした風景で、時間がゆったり流れている感じがします。

 

駅前に設置されている案内図。



レストランの駐車場からJRを望む風景。いい感じです。




さて、11時が近づいたので、農家レストラン西野へ向かいます。お店の前では、開店を待つお客さんが他にも数組。子供連れあり、老夫婦あり。この日は予約がたくさん入っていたようで、予約無しのお客には席がなかったのですが、庭にある大きなテーブルと椅子(2枚目の写真の左下にちょっと写っています。関学の千刈キャンプ場にありそうな感じ!)が提供され、キャンプ気分でおいしい料理を堪能している様子でした。

  

大広間の真ん中に置かれたテーブルの上に料理が並び、自分の皿に取っていきます。

     

名物のコロッケ。できたてを持ってきてもらえます。お代わりも可。



これで1500円では、申し訳ない気持ちがします。時間制限はないのですが、最初の30分でお腹はもういっぱい。でも、新しい料理が出て来ると、ついついまた取りに行ってしまいます。

1時間近くして、さすがにもう食べきれなくなりました。御礼を言ってお店を後にした我々は、竹原の町を散策するため、東へと向かったのです。(午後の部へ続く)

追悼 栗林輝夫先生

2015年09月07日 17時56分52秒 | Weblog
去る5月に栗林輝夫先生が亡くなった。「日本の神学」を語れる貴重な組織神学者を失ったという意味で、日本のキリスト教にとっては誠に大きな損失だと思う。個人的には、同じ関西学院大学で宗教主事として働いていた10年間に、もっと栗林先生からいろいろ学んでおくのだったという後悔の念が大きくなる一方である。

普段、本の紹介文を載せてもらっている『広島聖文舎便り』の2015年9月号に、追悼の気持ちを込めて、『日本民話の神学』(1997年8月刊)の紹介を書いたので、以下に転載しておきたい。この本を取り上げたのは、栗林先生と一緒に働くようになったばかりの年に出版された本であり、またその聖書解釈の豊かさに大きな衝撃を受けた本だからでもある。

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研究室の書棚からお薦めの1冊(27)(追悼 栗林輝夫先生)

栗林輝夫『日本民話の神学』
(日本基督教団出版局、1997年8月。2500円+税)

今回紹介するのは、18年も前に出された本です。しかし、もし未読でしたら、ぜひ手に取ってみることをお薦めします。きっと聖書の読み方が大きく変わります。

日本を代表する神学者として、私なら躊躇なく栗林輝夫氏(†2015.5)を挙げるでしょう。栗林神学は日本の状況に根ざして発信されてきた、本物の「日本の神学」だからです。被差別解放という視座からキリスト教神学を問い直した『荊冠の神学』(新教出版社、1991年)はあまりにも有名で、紹介を要しないほどです。近年は、原子力発電の問題に積極的に発言し、脱原発のキリスト教倫理構築に精力を傾注しておられました(『原子力発電の根本問題と我々の選択:バベルの塔をあとにして』共著、新教出版社、2013年)。

そのような「社会文脈」的な栗林神学とはやや色合いを異にするのが、この『日本民話の神学』です。本書は、栗林氏が四国学院大学の教員時代に触れた讃岐地方の民話を取り上げ、その中に現れている民衆の視座を読み取り、これを聖書の物語と織り合わせることによって、伝統的な聖書解釈や神学思想を変えていこうとする意欲作です。讃岐の一寸法師「ごぶいち(五分の一)」の物語から「成人」という主題を読み取り、そこから創世記の楽園物語に違った読み方を与え(1章)、讃岐の人柱伝説である「ちきりの女」の物語と、エフタの娘の物語(士師記11章)を重ね合わせ(4章)、犠牲者の目から神の正義を問い直し、さらには、讃岐の女桃太郎話から伝統的な「男性」キリスト論を揺さぶる(5章)、著者の語り口の面白さに引き込まれているうちに、自分が当たり前に思っていた「定番」的聖書解釈が変わっていきます。

「今やニューヨークやテュービンゲンの神学部の教室で学んだことを、アジアや日本の場に適用するのではなく、むしろ、それぞれの場から欧米の神学を批判的に脱構築し、そして新しく再構築することが正しい」(14頁)という著者の「知の転換」宣言を、誰もが聖書解釈に即して味わえる1冊です。このような素晴らしい神学者を病で失った私たちの痛手は、測り知れません。