山形の森 保守醒論

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加藤紘一会長・今井栄喜幹事長では、自民県連の党勢失墜戦犯の再来人事

2009-05-11 18:31:24 | Weblog
5.10、自民県連会長に選出された加藤紘一は、幹事長に今井栄喜を再任指名した。
これでは、5年前から続く自民山形県連の党勢失墜を招いた両戦犯の再来人事である。
2005.1知事選、2007.7参議院選、2009.1知事選の県全域選挙戦に、県連が主導的に戦い勝利を収めることの出来なかった主要因こそが、両人の政治行動にあったことは党関係者にはよく知られているはずである。
先陣となる2005.1知事選は、4選を目論む高橋知事が多選と県政批判の中、「他に有力候補者が出なければ4選も行ける」と県議会各党派を工作した。
最大会派の自民党取り纏めに動いたのが(当時の)今井幹事長。反高橋知事を一義に高橋以外なら誰でもと思案していたのが加藤紘一だった。
私利私怨を優先した両人の党組織・県民世論不在の知事選を招いた出発点となった。
2004.8末に今井は、(当時の阿部正俊会長を通じた)加藤からの(知事選に意欲を示した)斎藤弘なる人物との面談指示の連絡を受けた(斎藤は先に民主党・近藤洋介にも意欲を伝え、現職高橋に対する反対姿勢が基本)。
ここからが問題なのである。04.9初旬、(双方とも面識ない)今井は指示に従い、斎藤に携帯連絡を取り、「山形では人目がある(から拙い)ので、仙台か東京で会えないか」と面談設定する。山形銀行員の身分の斎藤は、より近い仙台での休日機会を求めた。
この時点で今井は、県内(県議会各派などの)政治状況などまったく知らない斎藤に、極めて困難状況であることを悟して、無用な知事選出馬意欲を削ぐ説得をしていたのである(「対立候補論」を水面下で消失させ、さらに、「斎藤などの人物は知らむ存ぜぬ」を2ヵ月以上(11.23表明後まで)も隠し通した。
鈴川の今井事務所でも再密会)。(共産党以外の)候補者不在に持ち込み、高橋4選の道を画策していたのが、今井幹事長の秘匿行動であった。
このような企図を持たずに淡々と県連応接室で三役同席の面談を行い、県民に見えるオープンな客観的報告・判断を行っていれば、県勢失墜の混乱を招くことは無かったはずだ(同時に高橋県政の現状・多選批判状況を正当に受け留め、県政最大与党としての新たな候補者提示を主導的に行う責任発揮こそが必要であった)。
最終的に加藤は、だれでもいいから選挙戦に持ち込みたいとの思いから、今井が密室で断念させた斎藤に、加藤が直接の最終意思確認を行い、それに一任連係した(対立する近藤支援を明確にする反高橋で通じる)遠藤武彦が無条件の相乗り、逡巡した遠藤利明も(加藤の乱山形版を憂慮した)谷垣派幹部の説得から「斎藤擁立VS高橋」の知事選構図となった。
高橋4選に影で暗躍してきた今井も自主投票と言う玉虫色決着で(密室の経緯を覆い隠し)、選挙戦後の(斎藤VS高橋)分裂状況修復との名分を盾に“結果オーライ”に身を潜めた。
結果は僅差での斎藤当選。もともと政治の陰険さなど知らないヒロシ君、思いのままに取り組んだ。
ブログ子も世論調査と同じく県政改革には賛同する。県連大会での利明会長挨拶でも60%超の政策支持があったのに選挙結果がでなかった、との言葉があった。
既載ブログでも触れたと思うが、斎藤VS吉村の知事選、「政策YESでも性格NO(手法・人間性)」が県民判断の結果だろう。
県連大会の来賓招待で幹部間の異見があったようだが、県政最大の与党会派・自民党がどの様な背景の知事であれ、与党土俵に引きずり込む度量が無ければ同じ間違いを繰り返すことになる。
この与党土俵を県民公開の場に戴き、政策論議で堂々と論破する政治土壌形成こそ、県土政策信頼の基本とされるもの。
4年を託された吉村知事、県連大会参集者の3割程度は間違いなく「吉村美栄子」に投票した自民支持者が居る結果である。
美栄子さんには「(自民党支持等)多くの皆様の支持を頂き当選することができました。」との切り返す位の余裕を持った言葉が欲しかった。今後の成長に期待したい。
吉村知事は大会に来県の細田博之幹事長と深く頭を垂れ両手を添えた握手に支持背景に限らず県民代表の未来に向けた県勢発展への想いに通ずる姿勢と理解したい。
追記、かつて細田幹事長の父吉蔵先生(自民党総務会長)が山形に赴いた折、山菜料理(西川町の玉貴)にご案内した。
この度も食して(県政に)御縁にとの思いはあったが、多忙ゆえ断念。
吉村女史の県政発展への取組みは、M秘書ルートで確実に伝える役割を果たしているのでご安心を。
コメント
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