昔、私が高校に通っていた頃、
姉の友人を中心に、
我が家で料理教室を開いていた時期があった。
母(おおはるさん)は、美味しいもの好き、
中江百合さんという方に料理を習っていて、
たまったノートがあった。
中江先生は、その頃だったら、
決して教えてくれなかった、
お料理屋さんの板前さんに頼んで、教えてもらったり
そのものの味を大切にする方だった。
きっかけは覚えていないが、
料理を教えてと、頼まれて
月に1~2回姉の友人が集まった。
だいたい、10人前後集まるのだが、
みんなで食べられるようなテーブルはない。
そこで、雨戸の出番なのである。
雨戸をはずして、いつも使っているテーブルの上に乗せる。
大きなテーブルクロスもないから、シーツである。
皆さんが集まるまでに、
その日の料理法の説明を用意する。
コピーも無い時代だから、
カーボンを間にはさんで、
紙を10枚重ねて料理法の写しを作る。
これが、私の役目だった。
かなり、筆圧高く、ぎしぎし書かないと
うまくいかない。
この10枚カーボンは、下のほうに行くほど、
薄く、ぼやけたものになる。
鮮明に写されたものが、取り合いになったり
それも、楽しい思い出だ。
姉が大学を出たら、
就職先の友人が、メンバーになった。
その後は、私の友人がメンバーになった。
最後の頃は、コピーも登場し、
だいぶ準備が楽になった。
日ごろ、家族に相手にされない
父のだじゃれも、誰かが相手をしてくれるので
父も、ご機嫌だった。
その頃の姉の友人に会うと、
あれは、楽しかったという話がでる。
雨戸をはずして! クリック!
写真は、ヒマラヤ雪ノ下。
近所の家の前に咲いていました。
姉の友人を中心に、
我が家で料理教室を開いていた時期があった。
母(おおはるさん)は、美味しいもの好き、
中江百合さんという方に料理を習っていて、
たまったノートがあった。
中江先生は、その頃だったら、
決して教えてくれなかった、
お料理屋さんの板前さんに頼んで、教えてもらったり
そのものの味を大切にする方だった。
きっかけは覚えていないが、
料理を教えてと、頼まれて
月に1~2回姉の友人が集まった。
だいたい、10人前後集まるのだが、
みんなで食べられるようなテーブルはない。
そこで、雨戸の出番なのである。
雨戸をはずして、いつも使っているテーブルの上に乗せる。
大きなテーブルクロスもないから、シーツである。
皆さんが集まるまでに、
その日の料理法の説明を用意する。
コピーも無い時代だから、
カーボンを間にはさんで、
紙を10枚重ねて料理法の写しを作る。
これが、私の役目だった。
かなり、筆圧高く、ぎしぎし書かないと
うまくいかない。
この10枚カーボンは、下のほうに行くほど、
薄く、ぼやけたものになる。
鮮明に写されたものが、取り合いになったり
それも、楽しい思い出だ。
姉が大学を出たら、
就職先の友人が、メンバーになった。
その後は、私の友人がメンバーになった。
最後の頃は、コピーも登場し、
だいぶ準備が楽になった。
日ごろ、家族に相手にされない
父のだじゃれも、誰かが相手をしてくれるので
父も、ご機嫌だった。
その頃の姉の友人に会うと、
あれは、楽しかったという話がでる。
雨戸をはずして! クリック!
写真は、ヒマラヤ雪ノ下。
近所の家の前に咲いていました。
本当に楽しそうだ。
場所を提供される事が、
どれほど負担か、よーく分かるよ、
それを負担じゃなく、
楽しみにされるご家族が、最高!
しゃれた出窓に戸袋は合わないそうです。
私はあのゴロゴロと引きずる音が大好き。
先日、ラジオで雨戸の、断熱、保温性がエコロジーである、とやってましたよ。
なかなか、いいアイデアでしょ!
散らかっている家でしたが、
けっこう人がきてくれました。
みんな、人が好きだったんですね。
人に対するハードルも低かったのかも。
(レオさんの、日記にもハードルの話があったので)
★jakkoさん
雨戸、うまくしまわないと、
最後の一枚が入らなくなることが
ありませんでした?
子供の頃、立て付けの悪い雨戸を
いかにうまくいれるか、
考えながら開け閉めしてた覚えがあります。
★ガンくん
そうか、エコロジーな面もあるんですね。雨戸をしめるのも、あけるのも、
子供の仕事だった。ガンくんのところは、いかがでしたか?
★tamaさん
う~ん、自分では得意とまでは言えません。でも、家事の中では好きなほうです。
★