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4月7日(火) 思い上がるなミシュラン

 世界的に有名なレストランガイド「ミシュランガイド」の日本版が、東京版に続いて、京都・大阪版も10月に発行される。
 ミシュランは、判断基準として「皿に乗った料理だけで判断する」また、「掲載拒否されても、読者に紹介しようとミシュランが判断すれば掲載する」といっている。
 法的には、看板を出して商売をしていたら、掲載拒否を求めるのは難しいらしい。拒否しているのに強引に掲載して、店の雰囲気が変わり、実質的な被害が出れば損害賠償を請求できるかもしれないとか。
 小生は、店が掲載拒否すれば掲載すべきではないと思う。だいたい、ミシュランの姿勢に非常に高慢なものが感じられる。「一般のグルメ雑誌とは違う」「ミシュランガイドに載せてやるんだ光栄と思え」「客が増えてありがたいだろう」と、ミシュランが思っていると、小生は感じるのだが。
「一般のグルメ雑誌とは違う」この言葉は、実際にガイドブックの発行責任者が口にした。どう違うのだろう。たかが、タイヤ屋がドライバー向けに、おまけで出していた本じゃないか。思い上がるな。
 ミシュランは1900年の発行。たかだか100年ほど。京都の料亭ともなると100年以上の歴史と伝統をもつ店がたくさんある。例えば南禅寺の瓢亭などは300年以上の歴史がある。そんな店をタイヤ屋が取材して正当な評価ができるのか。
 あまたある料亭レストランの中にはミシュランの価値観とは違う価値観の店があることを、ミシュランは理解しているのだろうか。納得のいく料理を、その店の考えを、本当に理解してくれる客に提供して行きたい。そのため、客数は多くを望まない。店を維持できるだけの客数があればいい。利潤より、店の雰囲気、納得のいく味を大切に守りたい。
 こういう店が嫌だといっているのにミシュランが強引に掲載したらどうなる。ミシュランに載っていたというだけで、ミーハーな客が一時にどっと押し寄せる。店主がなによりも大切に守りたい、店の雰囲気、納得のいく味が破壊されはしないか。掲載するならミシュランと同じ価値観を持った店主の店だけにすべきだ。価値観の違う店は掲載すべきではない。
 ミシュランのいう「皿に乗った料理だけで判断する」というのも疑問だ。料理は、ただ口に入れる食品だけで判断できるものではないだろう。店のインテリア。調度、スタッフの接客など、皿の上以外も判断材料に入れるべきだ。特に日本料理は非常に繊細で、座敷の雰囲気、床の間の軸、生け花、外に見える庭、鹿おどしの音、それになにより器、これらが有機的にからまって日本料理という総合芸術を形成しているのだ。ミシュランが当初相手にしていたガサツなヨーロッパの料理とは違うのだ。なんだか海原雄山みたいなこというけれど。
 小生は会社での昼食は愛妻弁当だ。もちろんおいしい。ところがこの弁当の味が違うことがある。作る人が同じだから同じ味のはずだが。
 小生は2002年にリストラされて、今の会社に落ち着くまで、5社の会社を転々とした。5社の会社で愛妻弁当を食べてきた。実は今の会社で食べる弁当が一番おいしい。
 3社目の会社では社員食堂で食べていた。なぜか判らないが、自席で食べることは禁じられていた。ここで食べた弁当は実にまずかった。この会社には気の合う人は一人いなくて、しかもこの社員食堂の雰囲気がじつに暗い。みんな押し黙って、もくもくと昼食を食べていた。ここで食べる弁当は砂を噛むようだった。
 このように、食べ物は様々な要素で味が大きく違うのだ。それを「皿に乗った料理だけで判断する」なんぞいっているとは、料理というものを理解しているとは思えない。
 
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