雫石鉄也の
とつぜんブログ
ゼロ・グラビティ
監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー
この映画、映画を「観る」ではなく「体験」させてくれる映画である。いやあ、実にすごい体験をさせてもらった。今までいくつかの3D映画があったが、いまのところ最も3Dを使いこなしている映画といえるのではないか。これから、この映画を観ようと思っている方は、ぜひとも映画館の3Dでご覧になるがいい。
お話はしごくシンプルなもの。宇宙空間で作業中、破壊された衛星の破片が宇宙船に衝突。乗組員は二人を残して死亡。生き残った二人も宇宙空間に放り出され漂流する。それだけの話である。
圧倒的な映像力に打ちのめされた。ラストを除いて、全編が無重力の宇宙空間が舞台。上も下も右も左もない。なにかにつかまっていないと、どこに行くかわからない。これは怖いぞ不安だぞ。
小生は水産学科の学生だった時、一度、真夜中の海に落ちたことがあった。すぐに引き上げられたが、それでも何分間か真っ暗な海に漂っていた。大変な恐怖であった。小生が生まれて経験した一番怖い体験であった。宇宙空間に放り出された体験はないが、真っ暗な海に放り出された体験はある。宇宙空間に宇宙服だけで放り出される。小生が経験した恐怖のなん倍ぐらいだろうか。
贅肉のない映画である。上映時間のほとんどが宇宙空間。登場人物もブロック演じるストーン博士一人が画面に出ている。クルーニーの宇宙飛行士も出てくるが、ほとんどストーン博士=サンドラ・ブロックの一人芝居。そして彼女が考えることは、生きて地球に戻る。それだけ。博士の、娘を4歳で亡くしたという過去もチラッとでてくるが。軽くふれるだけ。へたくそな日本映画の監督なら回想シーンなどいれてブチ壊すが、この映画はラスト以外は全部宇宙の映像。このあたりの割り切りはさすがだ。「アベンジャーズ」ごときに「日本よ、これが映画だ」といわれたって、フンと鼻の先で笑うが、この「ゼロ・グラビティ」に「日本よ、これが映画だ」といわれば、ヘヘーとおそれいってしまう。
サンドラ・ブロックの一人芝居の映画だが、これがもう大変な名演。映像ばかりに気を取られるが、ブロックの演技も絶品であった。
次のアカデミー賞、作品賞、特殊効果賞、主演女優賞はこれで決まり。
コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )
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これは内容もスケールも違うようですね。
ぜひ行って観ようと・・・いや、体験しようと思います。
ただ、心臓が悪いので3Dが・・(笑)
最近は無駄に「長尺」な作品が多く、辟易とさせられていたのですが、91分という此の作品、集中力を切らさずに見るには良かったです。
映像であんな感動したのは「2001年宇宙の旅」以来です。
ただ、観ていると、少し酔うかも知れません。
確かに、ストーリーは単純でした。主人公ストーン博士は助かることは判っているのですが、私は、観ていてハラハラしました。
自分もあの映像には圧倒されました。
この映画は2Dで観ても魅力が半減すると思いますし、DVDではなおさら、ですよね。
正月休みに4DXでもう一度観に行くつもりです。
DVDではなく、絶対、大画面の3Dで観るべき映画ですね。
もう一回、みないといけませぬ。
それから、私は字幕でみたのですが、字幕は画面に映るので、吹き替えで観れば良かったと後悔してます。
別冊バビルさんというアニメやマンガのブログがありまして、元々は彼女の映画ブログから引き継いで読者になったのです。
久しぶり覗くと、管理人さんと真逆な意見なのに驚く。
オデッセイにせよ、この作品にせよ、
SF、冒険小説好の私には違和感がないのですが。
これは冒険ドラマで、SFではない!
と言われると、そうかなぁ…とも思うです。確かに…とも思う。
私は極限のドラマ「エンデュアランス号の漂流」みたいのも、SFも好きなので、
指摘がピンと来なかったですが…
あと数世紀、人が覇権を保ったなら、これも「パニックもの」「冒険もの」になるのでしょうね?
私はジャンル分けなんか、どうでも良いでねーか? の人なので、やっぱり正統なSF者ではのいんたろうなぁ?
SFと普通のドラマの差って何だろう?
でもなぁ…過日、ハル・クレメントの「重力の使命」を再読したのですが、
あれって蠍型のメスクリン人のドラマですが、なかなかな冒険小説でした。
尊敬する谷甲州先生の「惑星CB」は本格な冒険小説にしてハードSFでしたし。
解らないなぁ?
この英語を私なりに意訳すると「びっくり素敵」ということではないでしょうか。
大昔、新聞の正月の特別版なんかで未来の日本なんて特集がよくありました。
東京大阪を3時間でつなぐ夢の弾丸列車
本州と四国に架ける夢の架け橋
こんなんが昔はびっくりして素敵だったんですね。
ところで21世紀のいま、新幹線や明石海峡大橋はSFではなく現実なんです。
ところが、1960年代という設定にして、新幹線や明石大橋を、現代の作家が書いたとしても、それはSFなのです。
私は神戸です。夏、須磨で海水浴をしていると、西の方に明石大橋が見えます。その風景は、子供のころ見た、小松崎茂や長岡秀三のイラストそのままなんですね。これなんか状況はSFではありませんが、その時私が受けた感動はSFが与えてくれる感動と同じなんです。
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