雫石鉄也の
とつぜんブログ
ミケランジェロ・プロジェクト
監督 ジョージ・クルーニー
出演 ジョージ・クルーニー、マット・デイモン、ビル・マーレー
その道のプロが集められて、困難なことを成す。娯楽映画の定番だ。「七人の侍」「プロフェッショナル」「ワイルド・ギース」「ナバロンの要塞」など。この映画もこれらの映画と同じ、7人のプロが集まって使命を達成する。ただし、この7人は戦争のプロではない。美術館の館長、主任学芸員、彫刻家、建築家、美術史家といった美術の専門家たち。戦争はまったくのど素人。この戦いのど素人が戦争終結間近とはいえ、戦塵おさまらぬヨーロッパに発つ。
若いころ画家志望だったヒトラーはヨーロッパ中の美術品を強奪。「総統美術館」なるナチスの美術館に収録するつもりだ。ナチス占領地から名画、名品が次々といずこかへ運び出されて行った。ヒトラーは自分の死後はこれら美術品をすべて廃棄するようにとの指令を出していた。このままでは人類の宝ともいうべき美術品が消されしまう。二度と取り戻すことができない宝である。このナチスに強奪された美術品の行方を追い隠し場所をつきとめ奪還するのに送り込まれたのが美術のプロのチーム「モニュメント・メン」である。
戦場に行って現場の指揮官に協力頼む。こっちは命のやり取りをしてるんだ。絵や彫刻のため攻撃を待ってくれだと。そんなものと人の命とどっちが大事なんだ。と、いうわけである。
美術品の行方を知るナチス協力者のフランス人女性も非協力的。戦争は素人。非協力的な周囲。戦争終結が近いヒトラーに死なれたらすべてがゼロ。ヒトラーが価値を認めないピカソやエルンストといった現代美術はすでに多くの作品が焼かれている。その上、北方からソ連軍が来る。彼らも美術品を狙っている。時間がない。早急に美術品を奪還する必要がある。
映画の題材としては非常に興味深くおもしろい。しかし、映画としては散漫な印象を受けた。
ヨーロッパを舞台とした第2次大戦モノと合わせて本作を鑑賞すると興味深い。最近読んだ本では「戦場のコックたち」かな。
「モニュメント・メン」が最初の上陸するのはノルマンジー。「史上最大の作戦」「バルジ大作戦」「パットン大戦車軍団」などを思い起こさせるシーンもあって楽しい。
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ドイツも日本もその他も、どこか「希望的観測」にもたれて悪条件に目をつぶり突っ走る所があるような気がする。
戦前のアメリカと日本の指導者を入れ換えたならば、日中戦争の間に満州の油田を開発し終えるまで対米戦争やらなかった気がする。
戦争には至って真摯な国(笑)でして、海外の戦地に派遣された兵士のトイレの始末から(対イラク戦争の時に、真っ先に大量のトイレの移設と処理方法から始めてる)、兵士の娯楽や美術品の保護まで…山盛りに実行する。
資源や人材や資金の豊富さはあるけども、やるべきをやる!この姿勢が戦勝国としたような。
別にアメリカ礼讃しませんけど。
イラクでも動物園の動物の救出したり、盗み出される遺跡と秘宝文化財の保護に乗り出してます。大量殺戮兵器を探しながら。
講談社新書の「ナチスの財宝」を読むと、未だに10万点の美術工芸品と数百トンの貴金属が行方不明だそうですが。
記事のチームのラインナップを見ると、兎に角、有名な作品だけでもピンポイントで救おうとした気配が見えますね。
戦争の最中に文化財の保護に出る?
でも、私はクリスチャンですけど、アルカイダがバーミアンの大仏を爆破した時に、激しい憤りを感じました。
酷いじゃないかって!
偶像崇拝は許さないってイスラムの理屈で破壊したアルカイダに反発を感じた人は少くありますまい。こういう事をするからアサシンは嫌われるんだよ!
誰だって自国の遺産を足蹴にする者に好感を持ちません。それをする者は嫌われる。他国の民からも。そういう事を解ってやっているのではアメリカは?
人類の遺産を燃やそうとしたヒトラーと、救おうとしたアメリカ軍。
どう考えても後者に心のゆとりがある。
勝負は長期戦なら、ゆとりのない方が負けルでしよう。負けるべくして負けてる。
アメリカが文化遺産保護に乗り出したのは、やはり戦後のイメージ戦略まで計算したから?
やはり欧州とアジアで同時に戦争を遂行しただけの大国だけある。
結局、一見は戦争の勝敗に関係無さそうな題材でも、「それが後から必要になる!」と主張する学者達の発言があり、それを検討するだけの
頭の柔らかな軍部がいた!
そして実行させるだけの判断力と権力を持つ者が、軍人や政治家の中にもいた!
腕力沙汰に訴えれば何でもできると盲信したナチスや、戦争をどう終らせるか考えもせずに戦争を大平洋まで拡大した日本。
やはりアメリカは役者が一枚上手だったのだと、記事で思いました。
だから、自分たちとは違う文化のモノでも価値を認めるのでしょう。だからこそ、京都奈良は爆撃されずにすんだのではないですか。
時の権力が、あらゆる創造物を評価する、そんな権力の禁忌をあらゆる場面で犯しているのが、ナチだと思います。人間が生活の中で生み出す文化から生まれる正の要素を、否となす、だからこそ、多くのユダヤ人を殺傷する事が出来たのだと思います。
ユダヤ人が、自身の文化、あるいは生命を守る為には、暴挙には暴挙で返すしかなかったのではないでしょうか。それをしない良識がある事は、戦争においては、必ずしも、正と出ない事がある。そして、テロが肯定されるのは、自衛においてのみだと思います。大規模なテロによる侵略は、報復の口実になっていると思います。
どんだけの作品がナチに焼かれたんだろ?
結局、ヒトラーは画家に成れなかった(絵筆は上手いけどグッと来るものがない)訳で、
残す作品と消滅させる作品の選択を握ることで、芸術に勝ったと思いたかったんと違う?
そもそも故国であるオーストリアでなく、わさわざプロイセンで出征していたり、オーストリア併合、さらにウィーンでなくベルリンに略奪品展示場所を建てようとしてた。
どう考えても、自分を認めなかった母国と、母国の芸術世界への復讐に見えるね。
傍迷惑な話だねえ
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