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とつぜん上方落語 第34回 千早振る

 上方落語で百人一首の和歌をネタにしている演目で、ぱっと思いつくのは「崇徳院」と「千早振る」の二つがあります。「崇徳院」は崇徳天皇の作で、「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」というもの。高津さんで、お互いひと目ぼれした若い男女が恋こがれ身体をこわす。親だんさんに頼まれたてったいの熊はんが「せをはやみ~」といいながら、欲に引かれて大坂中を必死で、このめんどくさいお嬢さんを探し回る噺です。てったいの熊はんの必死さがおかしい噺です。
 もうひとつの「千早振る」これは平安時代の代表的な色男在原業平作です。「千早振る神代も聞かず竜田川からくれないに水くぐるとは」
この在原業平、芦屋に住んでいたそうで、芦屋川を渡る国道2号線の橋が業平橋といいます。この写真の奥が業平橋で、手前が公光橋といいます。業平にあこがれる公光という若者がいたそうです。
ちはやふる」は広瀬すず主演で映画になりましたが、あの映画は競技カルタが題材でした。いわずもながらですが落語の「千早振る」の方が映画や漫画より古くからあります。
 落語「千早振る」は、最近、カルタにこってる娘から和歌「千早振る」の意味を聞かれた喜いさん、自分では判らない。で、町内の生き地獄、いや、生き字引の隠居のじんべはんに聞きに行く。ほんまはじんべはんも知りません。でも人からモノ知りやゆわれとるから、喜いさんに知らんとはいえません。そこで苦しまぎれに、竜田川という相撲取りが千早という吉原の花魁にほれて、振られる。力士引退した竜田川が故郷の大和で豆腐屋をやっていると落ちぶれて女こじきになった千早がおからをめぐんで下さいとやってくる。元竜田川、おからをやらない。悲観した千早、井戸に身を投げた。じんべはんの苦しまぎれの和歌の解釈が面白いです。
 千早の妹神代が、元竜田川の顔色を見て、鶏の竜田揚げのチェーン店やまとかみよ揚げ鶏屋を展開して実業家として大成功しました。いま、どの街にもあるやまとかみよ揚げ鶏屋の創業秘話として雫石が説を展開しているが定説には到っていません。ちなみに、やまとかみよ揚げ鶏屋の店頭に立つ大男は竜田川がモデルとされています。竜田川は神代にとって姉のカタキではあるが、実業家としての成功のヒントを与えてくれた恩人でもあります。このやまとかみよ揚げ鶏屋の竜田川像が、プロ野球攝津虎軍日本一のおり、ひいきすじの手で川に投げ込まれたことがありました。竜田川の姿が、当時の摂津虎軍の助っ人馬亜酢に似ているからだそうです。それから摂津虎軍は低迷が続いています。このことは竜田川の呪いとして虎軍ひいきすじの間では有名です。
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