守田です。(20110523 23:00)
内部被ばく問題の続きです。今回もやはりNHKニュースで2009年8月に
放映された「いまも残る“黒い雨”の被害」をお届します。6分半ほどですので
どうがご覧ください。ニュースをノートテークした文章も貼り付けておきます。
なお前回のニュース映像を含めて、これらはNHKスペシャルに再編集されて
もいます。「核は大地に刻まれていた~“死の灰” 消えぬ脅威~」の
タイトルです。2009年8月6日放送で、これについてもまた紹介します。
今回のニュースには、被ばく者の隅川清子さん(当時75歳)が登場されています。
彼女は原爆投下後に爆心地から15キロで黒い雨を浴び、その後に汚染された
井戸の水を飲み、野菜を食べ続けました。誰も危険性など知らなかったのです。
その後、すぐに体調不良になり、34歳のときには子宮がんになって、子宮と
卵巣を摘出されています。7人兄弟のうち5人がガンになり、亡くなった方も
おられるそうです。
注目すべき点は、この方が、国に被ばく者として認められてこなかったことです。
国は爆心地から3.5キロ以内にいないと、ガンや白血病を、放射線の影響と
みなさない立場を取り続けてきたのです。
このため、本当にたくさんの被ばく者の方たちが、何の補償も受けられず、
戦後60年以上も苦しみ続けてきました。それが私たちの国の、被ばく者への
対応でした。
ニュースでも、冒頭で「最新の研究によって、この黒い雨による影響の大きさが、
ようやく、解き明かされようとしています」と報じられています。反対に言えば、
戦後長年、国はこのことの解明に真剣になってこなかったのです。
これに対して、さまざまな科学的知見が重ねられてくる中で、最近になって、
被ばく者の認定範囲が少しずつ広がりつつあるのですが、それは長年に
わたる被ばく者の方たち、原爆被災地の方たちの努力によるものです。
ところがこの間の福島第一原発後の国の対応は、この新しい知見をまったく
反映させておらず、むしろ多くの被ばく者を切り捨ててきた長年の政策に
舞い戻った感があります。
とくに国が長年、無視してきたのが、内部被ばくの問題です。「被ばく者」が
原爆投下時に爆心地から3.5キロと定められたことで、原爆投下後に、黒い雨に
晒されたり、市内に家族を探しに行って被ばくしたなどが無視された。
そのことで、事後的に放射能を吸い込み、被ばくした、本当にたくさんの方たちが
何の公的手当ても補償も受けれずにきたわけですが、今、福島第一原発事故
でもこれと同じことが繰り返されようとしています。
その最たるものは、首相官邸のホームページに、「チェルノブイリ事故との比較」
という、原発事故の影響を、極端に小さく描いた文章、しかもすでに国際的に
完全否定されているデータを載せて、人々を欺こうとしていることです。
しかし私たちには、被ばく者の方たちが、本当に連綿と、血と汗と涙で綴って
きた、被ばくの実態の暴露の積み重ねがあります。だから、それらに学んでいけば、
幾らでも政府の虚言を暴いていくことができます。
そのため、これらを学べるための資料、映像をできるだけ丁寧に拾って
この場での紹介を続けて行きたいと思います。今回のものも短いニュース
ですので、ぜひご覧になってください。
********************
いまも残る“黒い雨”の被害
(2009年8月放映NHKニュースより)
http://www.youtube.com/watch?v=FBy8oaiVOFw&feature=autoplay&list=WLA74D1343336DDCA8&index=1&playnext=2
原爆による被ばくは、爆発の瞬間だけではありません。
その後、放射性物質が、雨と共に降り注ぐいわゆる黒い雨。
最新の研究によって、この黒い雨による影響の大きさが、
ようやく、解き明かされようとしています。
広島市佐伯区に住む、隅川清子さん(75)。原爆が投下されたときは11歳でした。
爆心地から15キロ離れた自宅にいた隅川さん。爆発の30分後、煤混じりの黒い
雨に打たれました。
「空が暗くなって、普通の夕立とは違う夕立が降りました。向こうがみえなくなる
くらい、たたきつけるような雨でした」
その直後から、隅川さんは、激しい倦怠感に襲われるようになりました。
今でも心臓の調子はよくありません。
64年前に原爆が投下された広島。放射線によって多くの住民が被ばくしました。
影響はこれだけではありません。原爆に伴って発生した放射性物質が、雨と
ともに降り注いだのです。
地面に染み込むなとして、飲み水や農作物を汚染したと考えられています。
この黒い雨の痕跡が、広島市の原爆資料館に展示されています。
壁をつたった筋からは放射性物質が検出されています。
隅川さんの自宅の裏に残る井戸の跡です。
当時は黒い雨の危険性を知らず、井戸の水を飲み、畑の野菜を食べ
続けました。
これを境に体調は悪化し続けます。下痢やめまいなどの他に、34歳のときには
子宮癌にかかり、子宮と卵巣を摘出しました。
病気は兄弟にも相次ぎました。7人の内、5人がガンになり、すでに亡くなった
人もいます。
「今でしたら、“黒い雨”の影響を思いますね。放射能の影響を受けておると
思いますね」
しかし国がガンや白血病などの病気を原爆の影響と認めるのには、基準が
設けられています。原爆が爆発したときに、爆心地から3.5キロ以内にいな
ければ、原則として認められません。15キロ離れた自宅で黒い雨を浴びた
隅川さんは、基準からはずれているのです。
これに対して広島県と市は、爆心地から遠く離れた地域の住民への影響を
調べていました。
めまいや脱毛など、放射線特有の症状がなかったのか。調査の結果、症状が
あったと答えたのは3537人。全体の20%を超えていました。
県や市は救済を認めましたが、国は黒い雨の影響は、科学的に明らかでない
として応じませんでした。
こうした中、黒い雨の影響の大きさが、最新の研究によって、明らかになろうと
しています。
広島大学の鎌田七男名誉教授です。
去年、ある女性の細胞を調べました。原爆症の認定基準から外れた爆心地から
4.1キロの場所で黒い雨を受け、ガンになった女性です。
分析の結果、放射線によって傷つけられたみたれた異常な染色体が次々と
見つかりました。通常は同じ形の染色体が対になっているのに対し、くびれの
部分がずれてしまっています。異常が見られた割合は、通常の4倍を超えて
いました。
この割合から計算すると、女性が浴びた放射線の量は、およし300ミリグレイ。
これは原爆が爆発した瞬間に、爆心地から1.5キロで被ばくした量に匹敵します。
「想定以上に多い量だと思います。一例、一例、積み上げていくことによって、
“黒い雨”にあわれた方々の病気や線量を明確にしなければならないと思います」
黒い雨を浴びた隅川さん。先月、新たに胃に炎症が見つかり、ガンが再発する
のではないかと不安を抱える日々です。
「もう一回ね、はっきり調査をしていただいて、もう高齢ですし、明日のことも
分かりませんのでね・・・」
少しずつ、明らかになってきた黒い雨の影響、原爆投下から64年、その解明が
急がれています。
内部被ばく問題の続きです。今回もやはりNHKニュースで2009年8月に
放映された「いまも残る“黒い雨”の被害」をお届します。6分半ほどですので
どうがご覧ください。ニュースをノートテークした文章も貼り付けておきます。
なお前回のニュース映像を含めて、これらはNHKスペシャルに再編集されて
もいます。「核は大地に刻まれていた~“死の灰” 消えぬ脅威~」の
タイトルです。2009年8月6日放送で、これについてもまた紹介します。
今回のニュースには、被ばく者の隅川清子さん(当時75歳)が登場されています。
彼女は原爆投下後に爆心地から15キロで黒い雨を浴び、その後に汚染された
井戸の水を飲み、野菜を食べ続けました。誰も危険性など知らなかったのです。
その後、すぐに体調不良になり、34歳のときには子宮がんになって、子宮と
卵巣を摘出されています。7人兄弟のうち5人がガンになり、亡くなった方も
おられるそうです。
注目すべき点は、この方が、国に被ばく者として認められてこなかったことです。
国は爆心地から3.5キロ以内にいないと、ガンや白血病を、放射線の影響と
みなさない立場を取り続けてきたのです。
このため、本当にたくさんの被ばく者の方たちが、何の補償も受けられず、
戦後60年以上も苦しみ続けてきました。それが私たちの国の、被ばく者への
対応でした。
ニュースでも、冒頭で「最新の研究によって、この黒い雨による影響の大きさが、
ようやく、解き明かされようとしています」と報じられています。反対に言えば、
戦後長年、国はこのことの解明に真剣になってこなかったのです。
これに対して、さまざまな科学的知見が重ねられてくる中で、最近になって、
被ばく者の認定範囲が少しずつ広がりつつあるのですが、それは長年に
わたる被ばく者の方たち、原爆被災地の方たちの努力によるものです。
ところがこの間の福島第一原発後の国の対応は、この新しい知見をまったく
反映させておらず、むしろ多くの被ばく者を切り捨ててきた長年の政策に
舞い戻った感があります。
とくに国が長年、無視してきたのが、内部被ばくの問題です。「被ばく者」が
原爆投下時に爆心地から3.5キロと定められたことで、原爆投下後に、黒い雨に
晒されたり、市内に家族を探しに行って被ばくしたなどが無視された。
そのことで、事後的に放射能を吸い込み、被ばくした、本当にたくさんの方たちが
何の公的手当ても補償も受けれずにきたわけですが、今、福島第一原発事故
でもこれと同じことが繰り返されようとしています。
その最たるものは、首相官邸のホームページに、「チェルノブイリ事故との比較」
という、原発事故の影響を、極端に小さく描いた文章、しかもすでに国際的に
完全否定されているデータを載せて、人々を欺こうとしていることです。
しかし私たちには、被ばく者の方たちが、本当に連綿と、血と汗と涙で綴って
きた、被ばくの実態の暴露の積み重ねがあります。だから、それらに学んでいけば、
幾らでも政府の虚言を暴いていくことができます。
そのため、これらを学べるための資料、映像をできるだけ丁寧に拾って
この場での紹介を続けて行きたいと思います。今回のものも短いニュース
ですので、ぜひご覧になってください。
********************
いまも残る“黒い雨”の被害
(2009年8月放映NHKニュースより)
http://www.youtube.com/watch?v=FBy8oaiVOFw&feature=autoplay&list=WLA74D1343336DDCA8&index=1&playnext=2
原爆による被ばくは、爆発の瞬間だけではありません。
その後、放射性物質が、雨と共に降り注ぐいわゆる黒い雨。
最新の研究によって、この黒い雨による影響の大きさが、
ようやく、解き明かされようとしています。
広島市佐伯区に住む、隅川清子さん(75)。原爆が投下されたときは11歳でした。
爆心地から15キロ離れた自宅にいた隅川さん。爆発の30分後、煤混じりの黒い
雨に打たれました。
「空が暗くなって、普通の夕立とは違う夕立が降りました。向こうがみえなくなる
くらい、たたきつけるような雨でした」
その直後から、隅川さんは、激しい倦怠感に襲われるようになりました。
今でも心臓の調子はよくありません。
64年前に原爆が投下された広島。放射線によって多くの住民が被ばくしました。
影響はこれだけではありません。原爆に伴って発生した放射性物質が、雨と
ともに降り注いだのです。
地面に染み込むなとして、飲み水や農作物を汚染したと考えられています。
この黒い雨の痕跡が、広島市の原爆資料館に展示されています。
壁をつたった筋からは放射性物質が検出されています。
隅川さんの自宅の裏に残る井戸の跡です。
当時は黒い雨の危険性を知らず、井戸の水を飲み、畑の野菜を食べ
続けました。
これを境に体調は悪化し続けます。下痢やめまいなどの他に、34歳のときには
子宮癌にかかり、子宮と卵巣を摘出しました。
病気は兄弟にも相次ぎました。7人の内、5人がガンになり、すでに亡くなった
人もいます。
「今でしたら、“黒い雨”の影響を思いますね。放射能の影響を受けておると
思いますね」
しかし国がガンや白血病などの病気を原爆の影響と認めるのには、基準が
設けられています。原爆が爆発したときに、爆心地から3.5キロ以内にいな
ければ、原則として認められません。15キロ離れた自宅で黒い雨を浴びた
隅川さんは、基準からはずれているのです。
これに対して広島県と市は、爆心地から遠く離れた地域の住民への影響を
調べていました。
めまいや脱毛など、放射線特有の症状がなかったのか。調査の結果、症状が
あったと答えたのは3537人。全体の20%を超えていました。
県や市は救済を認めましたが、国は黒い雨の影響は、科学的に明らかでない
として応じませんでした。
こうした中、黒い雨の影響の大きさが、最新の研究によって、明らかになろうと
しています。
広島大学の鎌田七男名誉教授です。
去年、ある女性の細胞を調べました。原爆症の認定基準から外れた爆心地から
4.1キロの場所で黒い雨を受け、ガンになった女性です。
分析の結果、放射線によって傷つけられたみたれた異常な染色体が次々と
見つかりました。通常は同じ形の染色体が対になっているのに対し、くびれの
部分がずれてしまっています。異常が見られた割合は、通常の4倍を超えて
いました。
この割合から計算すると、女性が浴びた放射線の量は、およし300ミリグレイ。
これは原爆が爆発した瞬間に、爆心地から1.5キロで被ばくした量に匹敵します。
「想定以上に多い量だと思います。一例、一例、積み上げていくことによって、
“黒い雨”にあわれた方々の病気や線量を明確にしなければならないと思います」
黒い雨を浴びた隅川さん。先月、新たに胃に炎症が見つかり、ガンが再発する
のではないかと不安を抱える日々です。
「もう一回ね、はっきり調査をしていただいて、もう高齢ですし、明日のことも
分かりませんのでね・・・」
少しずつ、明らかになってきた黒い雨の影響、原爆投下から64年、その解明が
急がれています。