明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(804)トルコ・シノップ原発建設を止めるために(1)

2014年02月28日 04時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140227 22:30-ベラルーシ時間)

ベラルーシ、ミンスクのホテルにいます。昨日、2月26日フランクフルトから2時間のフライトでミンスクにつきました。ここでドイツ、日本、ベラルーシの医師たちが合同で行っている国際医師協議会に参加しています。

今日は甲状腺がんや小児白血病に関する医師たちの発言が続きましたが、僕も最後に発言させていただき、福島のリアルな被曝状況をお伝えしました。同時に前向きなモメントも紹介したいと思って、日本でどんどん発達しつつある女性たちを中心にした運動を紹介しました。

このため2月23日に京都市で行われた「原発いらないコドモデモ」の写真を使ったのですが、参加者からものすごい拍手をいただけました。後からも何人もの方が挨拶に来てくださいました。

さてこうしたやりとりをご紹介したのですが、今日はその前に、トルコでの発言予定原稿をご紹介したいと思います。本当は日本にいたときに書かなければならなかったものですが、こちらに来て、急遽、猛烈に書いています。今朝は5時に起きて、9時までにほぼ10000字の原稿を書きました。このためお昼は食べすに部屋に帰って寝ることに費やし、夜もレセプションが終わってから夕食をキャンセルして、部屋で原稿を書き足しています。

「向こうにいったらくれぐれも飛ばしすぎるな・・・」とアドバイスをくださった多くの方に申し訳ないのですが、さまざまな事情からどうしても原稿を急がざるを得なくなりました。ここは国際連帯のために頑張り切ろうと思います。

発言原稿は1時間分あるので、原稿用紙で言うと60枚ぐらい。ただし日本語オンリーで話すよりはゆっくりする必要があるので、可能ならばここから削るつもりです。ともあれその(1)をお送りします。

*****

トルコ・シノップ原発建設を止めるために(1)

第一部 福島原発は今なお瀕死の状態にある。

親愛なるトルコのみなさま。
私は日本の京都という街からやってきた守田敏也といいます。ジャーナリストです。福島第一原発事故以降、人々を放射線被曝から守るために走り回ってきました。幾度も福島に入って取材をするとともに、多くの人々をインタビューし、たくさんの記事を書いてきました。また各地で、放射線被曝、とくに内部被曝の危険性を訴える講演を行っています。福島原発事故以降の講演回数は280回を超えますが、海外での講演は今回が初めでです。その機会がトルコで与えられたことを、私は非常に喜んでいます。

なぜかと言えば、今、私たちはシノップでの原発建設を止めるという共通の課題を負っているからです。そのためには福島原発事故の悲惨な経験、危険が去ったわけではまったくない現状を、トルコのみなさんが正確に知っていただくことが非常に大きな意味を持ちます。そのため、私は今日の講演を待ち望んでいました。どうか話をお聞きください。

1、日本の首相は大嘘つき
わたしたち日本人とトルコのみなさんは、他の不思議な縁でも結ばれています。2020年のオリンピック開催の権利をめぐって、東京とイスタンブールが争ったからです。
ご存知のようにオリンピック開催は東京に決まりましたが、このとき私たちの国の安倍首相は大きな嘘をつきました。彼がついた嘘は3つあります。一つは福島原発がコントロールされていると言ったこと。二つは放射能汚染水は完全にブロックされていると言ったこと。三つは現在も未来も福島原発事故による健康被害はまったくないと言ったことです。

この発言の効果もあって、オリンピック開催は東京に決まりましたが、私たち-日本で放射能の危険性と闘っている人々-は、この首相発言を強く恥じています。
福島原発の状態はとてもコントロールされているとは言えません。それどころか極めて危険な状態が続いています。こんな状態の日本には、とてもではないですが、オリンピックを開催する余裕などありません。また東京にも放射能汚染の影響がおよんでいます。原発がまだまだ危険で、汚染もある東京に世界中から平和の祭典で人々を集めるのは許されない行為です。

私はオリンピック開催に大反対であり、即刻、返上すべきだと思っています。もしイスタンブールのみなさんが、オリンピック開催に意欲的であれば、イスタンブールにお返しすべきです。ただしイスタンブールでもオリンピック開催のための自然破壊に反対する運動があったと聞いていますから、オリンピックそのものがもはや問い直されなければならないのかもしれません。その点はともあれ、今日は私たちの国の首相がついた大嘘を暴く形で話を進めたいと思います。オリンピック委員会の委員たちは騙されてしまいましたが、みなさんはけして騙されないでください。

2、福島原発の構造
まず私がお伝えしたいのは、福島第一原発が今なお瀕死の状態であり、きわめて危険なあり方が続いているという事実です。福島第一原発には6基の原子炉がありますが、このうち4基が激しく壊れました。とくに運転中だった1号機、2号機、3号機はいずれも核燃料が溶融し、メルトダウンを起こしました。スライドは東京新聞という原発のことを一番、きちんと報道している新聞に載った2014年1月現在の原子炉の様子です。

福島原発の構造をお見せします。この原発の一番内側にあるのが原子炉圧力容器と言います。通常ではこの中で核分裂反応が行われています。圧力容器の中は水がはってあります。核分裂反応で出た膨大な熱がこの水に伝わり、蒸気が発生します。この蒸気がタービン建屋に送られてタービンを回し、その力で発電を行うわけです。このようにそもそも原子炉とは巨大な湯沸かし器でしかありません。しかも発電に使われるのは発生した熱の三分の一、あとの三分の二は排熱として海に捨てられています。発電の仕事よりも、地球を温めている方が多いのです。

この原子炉圧力容器の周りを覆っているのが、原子炉格納容器です。この容器は通常運転の時にはなんの役割も果たしていません。格納容器の使命は、もし圧力容器内でトラブルが発生し、放射能が漏れ出してきた時に、この容器内に閉じ込めることです。放射能漏れに対する最大のガードです。ところが福島原発事故では、この格納容器が、壊れてしまいました。そのため膨大な放射能が漏れだしたのです。その意味で、福島原発はプラントとして完全に破産しています。

3、事故はどのように起こったか。
福島原発事故はどのように起こったのか。実は今もって真実は十分に解明されていません。原子炉の中が見えないからですが、原発に批判的な科学者たちの分析で、地震によって配管が破れてしまい、原子炉の中の水が抜けてしまった可能性が強く指摘されています。つまり地震によって壊れたのだということです。

これを日本政府と東京電力は否定しています。彼らは地震のあとに起こった津波で、電源が奪われ、冷却機能が働かなくなったからだと言いはっています。しかしこれは嘘です。実際には大津波が来る前に壊れていた可能性が高いのです。
 政府や東電はこの事実を認めると、日本中のすべての原発が安全基準を満たしていないことが明らかになり、再稼働の道が完全に閉ざされるので、地震の影響を否定していますが、さまざまなパラメーターが、津波が来る前に異常が発生したことを告げています。

私がこの点を強調するのは、ここトルコが日本と同じく地震大国だからです。1999年の大地震では2万人に近い方が亡くなられたとお聞きしましたが、そのようなところになおさら原発を建てるべきではないことが、福島原発事故の教訓から明らかです。

さて原子炉から水が抜けるとどうなるでしょうか。地震があったとき、原発の運転は止めることはできたのですが、内部にある核燃料は、運転が止まってからも非常に長い間、熱を発し続けます。そのために水の中に入れておくのが絶対条件なのです。何十年もです。
ところが水が抜けてしまったために、核燃料が溶け出しました。溶けて圧力容器のそこに落ちてしまうことを「メルトダウン」と言います。さらにメルトダウンした核燃料は、圧力容器の下部を溶かしてしまい、格納容器の底にと落ちていきました。このことをメルトスルーと言います。

メルトダウンするとどうなるか。ものすごい熱量が発生して、圧力容器内はたちまち大変な高圧状態になります。そのため内部にたまったものすごい濃度の放射能を含んだ蒸気が格納容器内へと噴出されました。吹き出すことで、圧力容器を爆発から守るためです。 
このとき大量の水素が発生しました。水素は格納容器の上部のフタの部分から、放射能を含みつつ、外に漏れ出して建屋の中にたまり、何らかの要因で火がついて爆発しました。これが福島原発1号機の爆発です。

同時に2号機では、内部に吹き出した放射能にまみれた水蒸気を、格納容器が押さえ込むことができなくなりました。このため格納容器の下部のどこかで爆発が起こりました。この時ものすごい量の放射能が発生し、外部に漏れ出しました。
爆発は3号機でも起こりました。この爆発を政府や東電は、1号機と同じ、水素爆発だったと言い張っていますが、爆発の規模や様子が明らかに1号機とは違っていました。もっと激しい爆発が起こったのです。このため多くの人々が、この爆発は水素爆発ではなく、核燃料の一部が核反応をおこした「臨界爆発」だったのではないかと指摘しています。

さらに事故は4号機にも及びました。4号機は大地震があっとき定期点検中で運転をしていませんでした。核燃料も原子炉の中にはなく、燃料プールの中に入っていました。燃料プールは、原子炉の上から燃料交換をするために原子炉建屋の高いところ、5階のフロアに作られていて、もともと構造的な危険性が指摘されていたものです。
ところがこの4号機でも爆発が起こりました。東電は3号機で発生した水素が入り込み爆発を起こしたと言っていますが、真相はわかっていません。しかしこの爆発やそれに続く火災などが起こる中で燃料プールが冷却できず、水がどんどん減っていってしまいました。燃料がむき出しになるとものすごい放射線が飛び出すし、冷やされない部分から溶け出してしまいます。燃料は1500体も入っていて、そのまま水が無くなると大変な状態になるところでしたが、偶然に近くにあった水が燃料プールに入り込み、干上がる寸前で事故の進行が止まりました。

これら4基の原発が次々と事故を起こすことで本当に大変な量の放射能が発生しましたが、実はその総量もいまだにはっきりとわかっていません。チェルノブイリの10分の1という説から、チェルノブイリと同等だったのではないかというさまざまな推論があります。これらの放射能が私たちの国の民を襲ったのです。

続く

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明日に向けて(803)福島原発事故と日本民衆の覚醒

2014年02月26日 19時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140226 11:00-ドイツ時間)

みなさま。

今、僕はドイツのフランクフルトのホテルにいます。昨日、12時間のフライトでやってきました。いよいよドイツ、ベラルーシ、トルコを回る脱原発の旅が始まりました。
今日は午後に再度、フランクフルト空港に日本とドイツの医師団と集合し、ベラルーシに出国します。向こうでの滞在は3月2日までです。

その後に、ドイツで国際医師協議会が開かれます。僕もこれに参加した後に、3月7日より、ヨーロッパ・アクション・ウィーク、チェルノブイリ・フクシマに参加します。
そのオープニングセッションで、スピーチをさせていただくのですが、そのための原稿を書きました。当日はもう少し短くしますが、ともあれそれをみなさんに紹介します。

僕がこちらの方たちに訴えようと思うのは、「日本の民衆は覚醒しつつある」ということです。これを声を大にして伝えます。ですからみなさん、ぜひ一緒にこの覚醒をさらに強めるために力を合わせて頑張りましょう!

以下、スピーチ予定稿をご紹介します。

*****

福島原発事故と日本民衆の覚醒
                                 守田敏也
                                   
今、日本では民衆による大きな覚醒が起こりつつあります。脱原発を目指す民衆運動の大きな高揚が起こるとともに、政府や官僚、科学者たちを過信してきたことへの問い直しが、急速に広がっています。

福島事故以前、私たちの国のさまざまな民衆運動は停滞気味でした。第二次世界大戦以降、私たちの国の民衆運動は、社会主義的な政党、諸組織、労働組合などに牽引されてきましたが、1980年代後半からの東欧社会主義の崩壊やソ連邦の消滅の中で、左翼諸組織が後退し、民衆運動も停滞気味になってしまったのです。これに対して資本主義の側も、世界のどこでもそうだと思いますが、社会主義に譲歩したケインズ主義的政策を捨て去り、弱肉強食の新自由主義へと移行していきました。残念ながら日本の民衆運動は、この時の流れに十分に対抗できず、運動は小さくバラバラになってしまっていました。

政府批判勢力が全体として弱くなっている状況の中で、新自由主義のもとでの格差拡大が進み、私たちの社会の中にだんだんきしみが大きくなっていきました。これに対し、自民党を批判する民主党に民衆の支持が集まりだし、2009年に政権交代がなされました。
民衆運動そのものはまだまだ弱い中で、多くの人々が民主党のもとでの改革に期待しました。しかし選挙で掲げられた進歩的な公約は、さまざまな抵抗にあって、何一つ実現しませんでした。

しかしまだ民衆の中には政府に希望を持つ人々も多くいました。また官僚たちに対する信頼も捨ててはいませんでした。このため2011年3月11日に私たちの国を大震災・大津波と、福島第一原発事故が襲ったとき、民衆は政府を信頼しており、被災地では、混乱の中でも略奪など、起こすこともなく、人々は自ら助け合いながら、整然と政府の救援を待っていました。

しかしこのとき、日本政府は、民衆の信頼を手ひどく裏切りました。最も大きかったことは、膨大な放射能が飛び出してきているのに、適切な避難指示や放射線防護策が示されなかったことです。大新聞をはじめとしたマスコミも、科学者の大多数も、政府の無責任な姿勢に追従するばかりでした。

民衆は深いショックを受けました。多くの人々が自らの安全は自らの力で手にしなければならないのだということに気が付き始めました。とくに最も強くそのことを感じたのは、福島や東北・関東地域から被曝を恐れて自主的な避難を開始した人たちでした。
これらの人々は、政府が繰り返す安全宣言を信じず、大胆な行動に出ました。一時期はおそらく100万人をはるかに上回る人々が危険地帯を逃れて避難しました。今も数十万人が戻っていません。

この避難民が避難先の各地で非常に大きな役割を果たしだしました。福島原発から遠い多くの地域の人々は、大震災後、すぐに被災地への援助を始めました。同時に原発事故から逃れてきた人々を受け入れ、生活の援助などを始めました。地方自治体も、公的住宅を無償提供するなどしました。

地域の人々と避難者の交流も始まりましたが、その中で多くの人々が政府の姿勢に疑いを持ち始めました。科学者やマスコミへの信頼も大きく落ちはじめ、人々が各地で自主的な勉強会を組織し始めました。それまで少数派として孤立しながらも、反原発を掲げてきた科学者やジャーナリストに、民衆の関心が集中しだしました。

最も人々の注目を集めたのは、広島で被爆し、生涯に少なくとも6000人以上の被爆者を診てきた肥田舜太郎医師でした。肥田さんは全国に呼ばれて講演をして歩き、放射能の危険性を訴えました。また原発に反対してきたがゆえに、大学で教授になれず、助手として働いてきた小出裕章さんなどにも同じように講演依頼が殺到しました。
こうして民衆は、政府やマスコミ、これらに追従する大多数の科学者の言葉に耳を貸さなくなり始めました。放射線科学を自ら学び出し、学習会だけでなくインターネットなどで頻繁に情報を交換し合い、だんだんと専門家顔負けの知識を持つ市民が登場し始めました。

これと連動する形でさまざまな町で原発反対のデモが始まりだしました。デモには、小さくバラバラになった運動を担っている古くからの活動家たちも参加しましたが、それを圧倒する勢いで、2011年3月11日以降に、はじめて社会参加した人々が飛び込みだしました。

こうした新たな形の学習会や、デモの形成の大きな一翼を担ったのは女性たち、それも子育て世代の女性たちでした。理由は放射能汚染地から飛び出した人々の中の最も大きな部分が、子どもを抱えた女性たちや若い女性たちだったからです。その中に多くの母子避難者がいました。自主避難のため、生活を支えるために多くの男性たちは汚染地に残り、母と子どもでの避難が決行されたためでした。

子どもの命を守ろうとする若い母たちの姿に真っ先に共感したのも、同世代の女性たちでした。こうして各地に新たな女性たちの集う場ができました。これは日本の社会では画期的なことでした。なぜなら、とても恥ずかしい話ですが、私たちの国は女性の社会的地位が大変低い国で、女性が社会的行動をしにくい仕組みがあるからです。
例えば世界の民主主義国家の中でも最も女性の国会議員や社長が少ない。女性がリーダーになりにくい社会なのです。これは私たち日本の男性が、国際水準から見たときにとても劣った存在であることを意味していますが、そのため特に子育て世代の女性たちは、仕事もしにくいし、ましてや政治的な行動に出ることはもっと難しい状態にあったのです。

ところがその女性たちが中心になって汚染地を飛び出した。そしてそれを各地の女性たちが受け止めた。これが周りにいる男性たちの心も揺り動かし、各地でだんだんと力強い原発反対の運動が作り出されはじめたのです。これらの人々は、単に原発を動かすな、ゼロにせよというだけでなく、現に起きている福島原発事故への対処をきちんとせよ、何よりも放射能汚染地から人々を、とくに子どもたちを避難させよ、民衆に避難の権利を与えよという主張を掲げました。

こうしたことを象徴することがあります。例えば私はいっかいのジャーナリストですが、原発問題に詳しかったがゆえに、どんどん講演依頼が舞い込みました。福島原発事故からこれまでの講演数は280回を越えます。しかも平日の朝10時開始の講演をよく頼まれました。なぜかというと、小さい子どもを抱えた女性たちが一番、外に出やすい時間帯だからです。

講演に赴くと、女性たちは本当に目を輝かせて講演に聞き入ってくれました。ときには授乳しながら話を聞いて下さる女性もいました。しかも自主的な学習を重ねてきた彼女たちは高いレベルの質問をしてきました。このことで講師の側もずいぶん鍛えられました。まさに民衆が自らの力で科学を自分たちの手に取り戻し始めた瞬間でした。

またこうした女性たちの呼びかけで、旧来の政党や左翼組織が行ってきたデモとは雰囲気の違った、明るく晴れやかなデモがたくさん登場しました。これに音楽を愛する若者たち、資本主義のビジネススタイルに縛られない自由な生き方を模索している若者たち、農業の再興などを志しだしている人々などが合流し始めました。
これまでの古い活動家たちも、バラバラに分断されて、相互不信に陥っている場合が多かったのですが、新しい人々がたくさん間に入ってくる中で、対立感がほどけだし、もう一度、同じ運動を共有するようになりはじめました。

こうした運動の高まりの一つの象徴として、原発再稼働反対を求める首相官邸前行動が始まりました。少数の若者たちのグループがネットでよびかけた毎週金曜日の行動に、はじめは数百人が集まり、しだいに数千、数万と膨れて、最大では20万人が首相官邸を取り囲みました。大新聞が一行も報道しない中ででした。
さらにこの活動が全国に波及し、各地の電力会社本社・支社前で、毎週金曜日の行動が始まり、今では全国で約150か所にまで拡大しています。これほど持続的な毎週行動が全国規模で展開されたことは、日本の民衆運動史でも初めてのことです。

ところがこの大きな民衆の息吹がいまだ国政選挙に反映していません。なぜかというと、一つは日本の選挙制度が小選挙区制になっているため、与党や大政党に圧倒的に有利だからです。少ない票で多くの議席が取れてしまっています。
同時に、福島原発事故以降の、民衆の新たな覚醒を吸い上げて、政治的にまとめるだけの力を持った政党がまだ成長してないからでもあります。私には政党の方がまだまだ民衆の覚醒に追い抜かれてしまっているように思えます。

一番のポイントは、民衆運動の中には被曝防護の徹底化や、避難の促進を求めるムーブメントが強まっているのに、社会変革をのぞむ政党や諸組織側がそれを十分に取り上げることができていないことです。ある政党は、現場の人たちはしっかりと避難者と結合し、高い意識での放射線防護を唱え、各地の金曜行動でも大きな役割を担っていて、とくに女性組織が素晴らしい活躍をしているのに、残念ながら党の中央組織が現場の活動家の息吹に遅れていて、汚染地からの避難の促進など、放射線防護の徹底化に進んでいません。

このため選挙では、同じく「脱原発」を唱えても、将来のエネルギーの選択をどうするのかということだけに論点が偏り、今、進行している被曝をいかに軽減するのか、いかに避難を促進するのかなどの観点が、議論の遡上に上がっていないのです。選挙制度の歪みとともに、このことがまだ選挙に、民衆の意識の変化が議席数として反映していない結果を作り出しています。

しかし私はそうした限界はありながらも、まだまだ民衆の覚醒は進むと思っています。とくにそう感じるのは、大都市だけでなく、政治活動が非常に小さくなっていた地方の諸都市で、あらたな胎動が始まっているからです。私はむしろ私たちの国の大きな変革は、都市よりもこうした地方からこそ始まっていくのではないかという予感を持っています。

なぜかというと、地方の多くの都市が、この間の新自由主義的な発展と無縁であり、弱肉強食の生き方ではない、もっと暖かく豊かな人のつながりへの志向を示しているからです。そのような町の中にも原発事故の避難者がやってきて新たな輪が生まれ、熱が生じています。私は原発事故以降、各地を回って講演してきたので、そのことを肌で感じています。

2月にあった東京都知事選にも、こうした民衆の意識の高まりが反映しました。今、私たちの国の安倍首相は、民衆の覚醒に逆行する形で急速に右傾化を強め、原発も再稼働しようとしていますが、民衆の意志に反するこのあり方に、実は与党自民党内でも大きな動揺が始まっています。
これを代弁する形で飛び出してきたのが元首相の細川さんの原発ゼロを掲げての立候補でした。これを同じく元首相の小泉さんが応援しました。民衆運動の力が、元首相たちをも動かしたのです。

一方、民衆運動の中から出てきた候補は宇都宮さんでしたが、元首相という「セレブ」の登場で、脱原発票が二手に割れてしまいました。当日が豪雪で投票率が極端に低かったことと合わせて、東京都知事選は与党候補の勝利に終わりました。しかしそれでも民衆の反原発の主張が無視できないものであることが強く示されたと私は思っています。

私たちの国の民衆が進むべき道は、さらに民衆の力を強くすることです。民主主義の語源は、ギリシャ語のデモスクラチア、デモス=民衆に、クラチア=力のある状態です。民主党が政権をとったとき、民衆にそれほどの力はありませんでした。誰か良い人が政治家になれば世の中は変わるといった、どこか人任せな意識が、私たちの国の民衆の中にまだまだ色濃くありました。

今、私が各地で出会う人が、みな、同じような言葉を口にします。「これまで原発のことに心配はあったけれども、そういうことは政治家や科学者に任せておけばいいと思って何もしなかった。そうした自分の無責任さが今の結果を生み出した。そのことに目覚めた。子どもたちのため、未来世代のために今度は私が行動する」・・・。ここに私たちの国の民衆の覚醒の姿があります。

今回、私はヨーロッパのみなさんが、チェルノブイリ事故を通じて培った経験を学ぶためにここにやってきました。みなさんの英知を日本に持ち帰り、私たち日本の民衆の覚醒をますます進めたいと思っています。
同時に私は、福島原発事故の悲惨な現実や、事故がまったく終わっていないこと、いまだに大変な危険があることをみなさんに伝えるためにも来ました。
そのことで私が志しているのは、私たち世界の民衆が、さらに必要な知恵を獲得しあい、賢くなり、成長し、団結して力をつけていくことです。

Power to the people!

ともにこの宇宙船地球号を守るため、未来世代に少しでも美しい地球を渡していくため、手を取り合って進んでいきましょう!

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明日に向けて(802)チェルノブイリの真実をつかみ福島の真実を伝えるための旅に行ってきます!

2014年02月23日 09時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140223 09:30)

「明日に向けて」連載800回を越えた前号ご報告の中で、今後、自らが担う課題として、取材対象を世界に拡大し、とくにヨーロッパにアプローチすることに触れましたが、このための旅として2月25日に出国しドイツに赴きます。
翌26日にベラルーシ共和国に向かい、ミンスク・ゴメリなどの諸都市を訪問してきます。ベラルーシ、ドイツとまたがって行われる医師たちの国際的な協議会に参加するためです。
ある事情から今はこれ以上、詳しいことが書けないのですが、ともあれチェルノブイリの真実をつかむための旅に行ってきます!

「チェルノブイリの真実」と言うと、「それはもう明らかになっていることではないか?」と思う方もおられるかもしれませんが、そんなことはありません。今なお被害の実相が新たに解明され続けているのが、チェルノブイリの被害の実相なのです。
このため被害の見積もられ方にも、世界の中で大変な差異があります。事故の被害をできるだけ小さく見せようとする勢力と、真実を明らかにしようとする人々のせめぎあいがあるのです。

ちなみにチェルノブイリ原発事故による死者数を、世界で最も少なく発表しているのはどこの国の誰であるかご存知でしょうか。なんと日本政府の首相官邸ホームページです。
「東電福島原発・放射能関連情報」と題されたページの中の「原子力 災害専門家グループ」にある「チェルノブイリ事故との比較」という文書で「平成23年4月14日」付で出されています。 この中から死亡に関して書かれている部分を抜粋します。

***

 「1,原発内で被ばくした方 *チェルノブイリでは、134名の急性放射線障害が確認され、3週間以内に28名が亡くなっている。その後現在までに19名が亡くなっているが、放射線被ばくとの関係は認められない。」
 「2,事故後、清掃作業に従事した方 *チェルノブイリでは、24万人の被ばく線量は平均100ミリシーベルトで、健康に影響はなかった。」
 「3,周辺住民 チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は50ミリシーベルト以上、 低線量汚染地の500万人は10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、 健康には影響は認められない。
例外は小児の甲状腺がんで、汚染された牛乳を無制限に飲用した子供の中で6000人が手術を受け、現在までに15名が亡くなっている。」
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html

***

絶句してしまうような大うそなのですが、実はこれにはカラクリがあります。
これはら2006年にIAEAAなどが中心になって行ったチェルノブイリ・フォ ーラムで出された数字にもとづいているのです。
ここではこれまで死者として首相官邸HPにもあげらえている60人余りがカウントされた後に。さらに約3940人が死亡し、事故の犠牲者は4000人になると発表されています。
ところが首相官邸HPではこの今後亡くなる3940人が意図的にはぶいているのです。それで世界で最小の犠牲者数の見積もりになっています。

ところがこのIAEAの報告がなされた当時、ただちに「そんなに少ないはずがあるわけない」とベラルーシやウクライナの専門家やNGOが猛抗議し、ベラルーシ政府自身からも抗議が出されて、IAEAは苦境に立ちました。
これを救うために登場したのがIAEAと密接な関係を保っている国際機関のWHO(世界保健機構)でした。WHOは数か月後に、犠牲者は最終的に9000人になるという修正報告を出しました。

しかしかえってこのことで、この報告の信ぴょう性が危ぶまれるなか、環境団体のグリーンピースが組織した国際的な調査によって、ウクライナとベラルーシの合計で14万人が死亡という発表が同じく2006年に出されました。
ただしグリーンピースは、依然、調査の継続が必要であり、結論づけるのは早計だとのコメントも付していました。
この間の詳しい経緯を、京都大学の今中哲二さんが書かれているので紹介しておきます。

 「チェルノブイリ事故による死者の数」今中哲二(初稿2006年8月)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/imanaka-2.pdf

この中で今中さん自身は、推計が非常に難しいことを前置きした上で、「私の勘では、最終的な死者の数は10万人から20万人くらい、そのうち半分が放射線被曝によるもので、残りは事故の間接的な影響」と述べています。


ところがこれらの発表を大きく覆す研究論文がアメリカのニューヨークアカデミーオブサイエンスから2009年に出版されました。
“Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the  Environment”というタイトルです。
岩波書店がさっそく翻訳本を出してくれています。邦題は『チェルノブイリ―大惨事が人びとと環境におよぼした影響』です。ぜひ手に取って欲しい本です。
旧ソ連でゴルバチョフの科学顧問を務めたロシアの科学者アレクセイ・ヤブロコフ博士を中心とする研究グループがまとめたものですが、そこにはこう書いてあります。

***

「1986年4月から2004年末までの期間における、チェルノブイリの大惨事に由来する死亡総数は、過剰死亡数105万1500人と推計される。」(『同書』p180)
「詳細な調査研究によって、ウクライナとロシアの汚染地域における1990年から2004年までの全死亡数の4%前後が、チェルノブイリ大惨事を原因とすることが明らかになっている。その他の被害国で死亡率上昇の証拠が不足していることは、放射線による有害な影響がなかったという証明にはならない。
本章の算定は、不運にチェルノブイリに由来する放射性降下物の被害を被った地域で暮らしていた数億人のうち、数十万人がチェルノブイリ大惨事によってすでに亡くなっていることを示唆する。チェルノブイリの犠牲者は、今後数世代にわたって増え続けるだろう。」(『同書』p181)

***

IAEAなどと違い、信頼できる組織であるグリーンピースが推計した死者数が14万人であったことに対し、105万1500人と、非常に大きな差異が出てきている理由は、主に扱った原典の違いにあるようです。
というのは欧米の科学者が集って行ったグリーンピースの調査に対し、この調査では、旧ソ連の多数の科学者や医学者の文献が扱われました。その多くがロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語で書かれていたため、英語圏の科学者には読めないものも多かったのです。
しかしその報告こそ、被災者に最も近くで寄り添い、健康被害とともに向き合ってきた中で書かれたものであって、被害の実相をよりリアルに記したものでした。
そうした文献が15万点以上あると言われ、この調査ではその中から厳選した5000点の文献が使われているそうです。その多くのものが英語圏=西側には初めて紹介されるもので、そのため、被害の事実がより克明に明らかにされることになったのでした。

この研究事実一つからも明らかなことは、チェルノブイリの被害の全貌はまだまだその輪郭が見えてきたにすぎない段階にあるということです。
だとするならば私たちはもっともっとチェルノブイリの真実を知る必要がある。現在進行形で明らかになりつつある事実に継続的に学び、私たちにこれからおこりうることに覚悟を決め、腹を据えて対処法を練り上げていく必要があります。
すでに同様の観点から、映画監督の鎌仲ひとみさんが何度も現地に赴き、新作『小さい声のカノン』の制作を進められていますが、僕もそうした努力の一端に連なりたいと強く思うのです。そのためにベラルーシに赴き、さらにチェルノブイリへの支援を続けてきたドイツの経験に学びたいと思います。


その後、3月7日からはじまるヨーロッパアクションウィークという企画にも参加します。
「チェルノブイリと福島の後の未来のために」とサブタイトルのついたもので、それぞれの現場からの証言をヨーロッパ各地で行うというものです。
とくに日本人である僕には、トルコから強い依頼が来ています。トルコは日本が原発を輸出しようとしている国。こちらにとっても最も原発の危険性を最も伝えたい国の一つです。

今のところ、首都のイスタンブール、原発立地予定地のシノップ、およびイズミールでの講演と記者会見を行うことが決定しています。
シノップは黒海沿岸にある美しい町ですが、2009年に原発建設反対を掲げた市長が当選しており、町の人々の原発を拒否する意識は高いです。
しかし他方でトルコは親日国で、日本の技術への信頼が高い国。こうした信頼に応えればこそ、原発は日本の技術をもってしてもとても制御できないものであることをしっかり伝えなければならないと思います。
その意味で、僕は安倍首相があらゆる角度から壊してまわっている日本に住まう民への信頼を、原発の危険性をはっきり伝えることで、少しでもつなぎ直してきたいとも思います。

トルコ訪問の後は再び、ドイツに戻りヘアフォートで講演を行うほか、ベルリンを中心に、反原発運動を担ってきたドイツの人々と交流し、さまざまな経験に学ぶ予定です。
原発の廃炉過程の経験や、自然エネルギーの利用経験などにも学びます。

もう一点、ドイツ、ベラルーシ、トルコへの訪問の全体を通じて、東京オリンピックに各国のアスリートを送り込んではならないことを強調してきます!
そもそも私たちの国はまだ原子力非常事態宣言が適用されている国です。そのため通常の法律が凍り付いており、放射線管理区に該当する線量の地域にたくさんの人が居住している現実がある。
東京とて、とても無視できない汚染があります。福島原発も今なお瀕死の状態。こんなところに世界の宝でもあるアスリートを集めることは、世界への裏切りです。
福島原発事故の真の収束のためにも、原発被災者への補償と真の救済のためにも、さらには津波の甚大な被害を被りながら政府に見捨てられつつある被災者を助けるためにも、私たちの国はオリンピックなど、やっている場合ではないのです。このこともしっかりと伝えてきます。

総じて、チェルノブイリの真実をつかみ、福島の真実を伝えるための旅に出発します!
すでにたくさんの方からのサポートをいただいていますが、可能な方はカンパなどで応援してください。必ずや大きな成果を作り出してきます!

僭越ながら、昨日に続いて再度、カンパの振込先を書かせていただきます。

振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金
口座番号 2266615

 

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明日に向けて(801)連載800回を越えて・・・カンパのお願い

2014年02月22日 22時30分00秒 | 連載の節目に・・・カンパのお願い

守田です。(20140222 22:30)

「明日に向けて」が連載800回を越えました。
「明日に向けて」の前に「地震情報」という名で46回の配信を行っているので通巻では846回を越えたことになります。
2012年後半から2013年前半は、それまでの取材で疲弊した身体を回復させつつ展開したため、少々、控えめな活動となりました。1月~7月初めの講演会数は31回でした。

これに対して、7月6日以降、2014年の2月21日までの展開では、活動のレベルを再度アップし、54回の講演等を行うとともに、祝島や沖縄辺野古・高江などさまざまな地域への訪問を実現することができました。
さらにこの間、大きかったことは、夏休みの子どもたちの保養キャンプ4か所で合計8回の講演を行うなど、子どもたちとともに学ぶ場に大きく関われたことです。
つい先日も、神戸市六甲の学童保育所でお話ししましたが、子どもたちと一緒に学んでいく「コツ」のようなものを完全に会得できたように思います。

実はポイントは大人たちに話すことと変わりません。最も大事なのは、子ども相手だからと言って話のレベルを落とさないこと。ほとんど大人に話すのと同じレベルの内容を僕は話しています。
ただし子どもたちの知らない単語は絶対に使わないこと。子どもたちの知っている単語だけで、高いレベルの話をするのです。あとはとにかく一生懸命に話すこと!ここに核心があります。
そうするとだいたい5歳ぐらいの子なら話についてきてくれます。小学生だったらもうバッチリ!1時間半ぐらいは平気で集中力が持ちます。

ただしこうして話していて思うのは、子どもたちが話を聞けるか否かは、前提的に子どもたちがそれまでどのような大人たちと接し、どのような問題意識を開花させているのかに大きく依存するということです。
だから話しているとその子の背後に、親御さんをはじめ、その子を囲んでいる大人たちが見えてくる気がします。その大人たちとの共同作業として僕の講演はあります。
これはぜひもっと高めていきたいと思っていることです。みなさま、さらに子どもたちに語り掛けられる場を与えて下さい!子どもたちにしっかりとした放射能からの防御の知恵、健康の維持の仕方、そして人権の守り方を身につけて欲しいです。

さて同時にこの時期、非常に強く関わりをレベルアップすることができたのが、原子力災害対策の取り組みです。これは兵庫県篠山市における原子力災害対策検討委員会委員としての仕事を中心に担ってくることができました。
篠山市は明確に脱原発を掲げている酒井市長の牽引のもと、市の職員の方々はもとより、消防団や自治会の方々が非常に高い意識で原子力災害対策に取り組んで下さっています。
一例をあげると、この2月、僕は篠山市だけで4回も講演に呼んでいただけました。これ以外に、月に2回ぐらい、原子力災害対策関係の会議を持ってきました。
これも非常に大きいことです。これまで篠山市の取り組みが軌道に乗るまではとブログ掲載を控えてきましたが、今後、ここでの経験をどんどんアップして、みなさんの町での原発災害対策の参考となるものを積み上げていきたいと思います。

さてざっと振り返って、このような活動を行ってきたのが「明日に向けて」701回~800回の日々、2013年7月上旬から今日までですが、今後、自分が担おうと思っている課題を書きます。
何よりも、取材対象を大きく世界大に広げ、とくにヨーロッパにアプローチすることです。チェルノブイリ事故の経験に学び、その真実をつかみ、日本の中で広げるためです。
同時に、福島原発事故の真実をもっと大きく世界に知らせていかなくてはいけない。東京オリンピックなどとてもではできる状態でも、してよい状態でもないことを知らしめるのです。
これは私たち日本に住まうものの責務だと僕は思っています。それを何としても担いたいです。この点については、次号でより詳しい計画をお知らせします。
そしてそれらを体験を書物などの形でまとめていくこと。書物を通じて今を生きる知恵のより効果的な普及を図ることです。

このような活動にはみなさんのお力添えが必要です。実はヨーロッパ訪問は実行寸前で、メールなどでお知らせできる方にはすでにお伝えしてたくさんのご支援・援助をいただいいるのですが、ブログを読んでくださっているみなさまにもカンパ等をお願いしたいと思います。
放射線防護活動・・・のみならず、人権を守り、戦争を起こさせないために、そのための民衆の力を倍化させるために、一生懸命に働きます!どうかよろしくお願いします!

以下、振込先を記しておきます!

振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金
口座番号 2266615

*****

連載701回~800回の間の講演、取材等の記録

2013年

7月06日 京都府京丹波市カポカポにて講演
7月12日 広島県尾道市にて講演
7月13日 広島県三次市にて講演
7月14日 山口県祝島訪問
7月15日 同
7月27日 茨城県笠間市にて講演
7月29日 茨城県常総生協など訪問

講演等4回
祝島、取手・松戸・柏など訪問

8月02日 大阪府枚方市・やんちゃっこin枚方で子どもたちに講演
8月10日 滋賀県・元気いっぱいびわこキャンプで子どもたちに講演
8月13日~24日 滋賀県びわこ123キャンプにて、子どもたちに5回講演
8月15日 京都市ゴーゴーわくわくキャンプにて子どもたちに講演
8月24日 岐阜県に小水力視察で訪問
8月25日 同
8月31日 篠山市消防団班長級以上企画で講演

講演等9回 子どもに8回
岐阜市に小水力視察で訪問

9月07日 山水人にて座談会をコーディネート
9月24日 堺町画廊トークライブに参加
9月27日 東京新宿区JICA地球ひろばにて講演
9月28日 兵庫県加古川市別府町にて講演
9月29日 京都市左京区論楽舎にて講演

講演等5回

10月03日 京都市下京区役所にて講演
10月04日 京都市北区ライトハウスにて講演
10月05日 京都東山観察会でガイド
10月11日 京都市NONベクレル食堂にて講演
10月17日 京都府長岡京市にて講演
10月20日 京都市・同志社大学松蔭寮避難訓練にて講演
10月26日 京都市中京区にて講演

講演等6回 自然ガイド1回

11月02日 京都精華大学学園祭にて講演
11月09日 滋賀県大津市にて原子力防災に関する講演
11月11日 京都市キッチンハリーナにて原子力防災に関する講演
11月13日 京都市東山いきいきセンターにて原子力防災に関する講演
11月15日 大阪市立淀川中学校PTAにて講演
11月16日 兵庫県三田市ギミーシェルターにて講演
11月17日 南丹市日吉町にて講演
11月23日 京都市・福島ー京都交流会にて講演
11月24日 兵庫県篠山市日置地区防災訓練にて講演
11月24日 滋賀県近江八幡男女共同参画センターG-NETしがにて講演

講演等10回

12月01日 島根県奥出雲牧場訪問
12月02日 同
12月08日 広島県三次市にて講演
12月15日 岡山県美作市にて講演
12月21日 大阪府島本町にて講演
12月21日 大阪府西成区にて講演
12月23日 滋賀県高島市汚染チップ問題で講演
12月27日 滋賀県びわこ123キャンプにて講演

講演等6回 島根県奥出雲牧場訪問

2014年

1月13日 兵庫県三木市にて講演
1月17日 舞鶴市にて原子力防災に関する講演
1月18日 京都府伊根町にて講演
1月19日 篠山市民防災の集い~原子力防災フォーラム~にて講演とコーディネータを務める
1月25日 京都市丹波橋市民放射能測定所にて講演

講演等5回

2月02日 篠山市西紀地区人権教育研究大会にて講演
2月07日 沖縄、辺野古・高江訪問
2月08日 沖本八重美さんを偲ぶ会に参加
2月13日 舞鶴市・食と防災ぶっちゃけ座談会&ふくねこマルシェにて講演
2月13日 篠山市民原子力防災学習会にて講演
2月15日 神戸市六甲学童保育所「どんぐりくらぶ」にて講演
2月16日 京都市NONべクレル食堂にてヨーロッパ壮行会
2月20日 篠山市民原子力防災学習会にて講演
2月22日 篠山市丹南地区人権教育研究大会にて講演
2月21日 京都市丹波橋市民放射能測定所にて講演

講演等9回 沖縄辺野古・高江訪問、沖本八重美さんを偲ぶ会に参加

講演等54回
祝島、取手・松戸・柏、岐阜県小水力、島根県奥出雲牧場、沖縄辺野古、高江など訪問・取材
この他、毎月第一水曜日の旧日本軍性奴隷問題水曜行動、月2回の食の学習会、ほぼ月2回の篠山市原子力災害対策検討委員会会議などに参加

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明日に向けて(800) 沖縄の問いかけるもの・・・辺野古、高江を訪れて(下)

2014年02月21日 23時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20140221 23:00)

少し前に書いた沖縄、辺野古・高江訪問の感想をまとめたいと思います。沖縄から戻り、あの日々を振り返って総じて思うのは、私たち日本の民衆にとって、あらゆることを考える上での原点にすえるべきものは、やはり世界大戦の悲惨な体験にあるということです。何より沖縄は、そのことを一番力強く自らに問いつつ、発信し続けてきました。

これは高江でお会いした山城さんが語られたことに触発された思いでもあります。山城さんはこう語られました。「沖縄戦というものすごい体験を経たからこそ、沖縄には揺るぎない平和の地盤がある。ときにそこから離れようとする傾向と、戻そうとする傾向との行きつ戻りつの激突はあるものの、戦争はもう嫌だという思いだけは磐石で崩れない」。

これはとても大切で重いことです。私たちの国に刻まれた戦争の悲惨な体験、その中から育まれた平和を尊び、争いを避けようとする心、それこそが今を生きる私たちにとっての最も重要な遺産だからです。

今、安倍政権はこの大切な遺産を根底から壊そうとしています。これに沖縄は正面から、全力で抵抗している。その結果が、今回、名護市長選における基地反対候補、稲嶺さんの圧勝に結実したのではないでしょうか。

もちろんこのことは、沖縄にたくさんの米軍基地が存在していて、県民の目の前で、殺人訓練が繰り返されてきたことと無縁ではありません。沖縄の人々はあの苛烈な地上戦を経験した後も、ずっと米軍の戦争と基地に向き合い続けねばならなかったのです。

僕にはその一つの象徴が、高江であるように思えました。高江の基地ゲートの中にはこう書いてあります。「US Marine Corps Jungle Warfare Training Center」=ジャングル戦争のための訓練場です。

在日米軍の建前は、日本を防衛すること。しかしそのためにジャングル戦闘など必要ありません。もとよりこの訓練場は沖縄返還前から使われてきたものでした。ベトナム戦争たけなわのとき、米兵は一度沖縄に送り込まれ、ヤンバルの森で訓練を受けてベトナムに投入されたのでした。そうした歴史が今も途切れることなく続いている。
沖縄の人々は、自らが危険な基地に面している苦しみとともに、人殺しの訓練と同居せざるをえず、ときに協力すら強いられてきた痛みを抱えてきたのでした。その上に、平和のための本当にすごい努力が重ねられてきた。

これに対して本土はどうか。米軍に人殺し訓練の場所を提供し、米軍が世界で暴れまわることに自分たちの国が手を貸しているのに、沖縄ほどにリアリティをもってこれに向き合うことができてきませんでした。沖縄に矛盾を押し付けつつ、どこか人ごとのようにすましてきてしまった。自分たちが米軍のとんでもない人殺しに手を貸しているという自責の念を十分に持てずにきてしまった。そう言えると思います。

もちろんベトナム戦争時の大きな反戦運動をはじめ、湾岸戦争のときも、アフガン・イラク戦争のときも、平和を訴えて行動した人々はいました。僕もその一人です。単に平和を求めるだけでなく、日本が戦争協力していることへのいてもたってもいられないような痛みから、多くの人々が声を上げ続けました。しかしその声は、残念ながらけして大きなものにはなりえませんでした。
その象徴が、小泉元首相が、人気を博し続けてきたことです。イラク戦争に加担した張本人がです。このことを私たちはいま、本当に真剣に問い直さなくてはいけないと思います。

僕はこの間、脱原発運動の逞しい成長に対して、私たちの国で起こっている「覚醒」について語ってきました。覚醒が進行中であるのは間違いないことで、このモメントはそうたやすくは押さえつけられるものではないと思います。細川・小泉連合による原発ゼロ宣言も、こうした覚醒の進行の中ででてきたものです。民衆の力こそが、「セレブ」をも動かしている。

しかし、こと戦争の問題に関する限り、まだ私たちの国の民は「覚醒」が足りないと言えるのではないか。そこに沖縄と本土の大きな差があるのではないか。本土が沖縄に学ぶべきものがあるのではないか。僕には強くそう思えます。

この間、多くの地で出会った多くの方が、異口同音に語る言葉があります。「自分は福島原発事故まで、世の中のことを誰かの手に委ねていた。原発はどこかで危ないと思っていたけれど、真剣に行動しようとはしなかった。そういう自分の無責任な態度こそがこの事態を作り出したのだと思う。そのことへの痛みを胸にいま、自分はできるだけのことをしなければと思う」というものです。

その度に僕は「そうおっしゃる方が本当に多いのです。それが私たちの覚醒なのです」と語ってきましたが、しかし今、こう付け加えたいと思います。「さらに覚醒しましょう。戦争の問題に目覚めましょう」と。私たちの国の誰の心の奥底に眠っている、戦争を忌み嫌い、平和を愛する気持ちを、いまこそ力強く呼び覚ましましょうと。脱原発運動はこのモメントと重なる方向でこそさらに発展しなければならないと僕は強く思います。

なぜか。被曝防護を考えるときに、私たちが何より見据えなければならないのは、現在の放射線の国際的な「安全」基準が、広島・長崎の被爆者のデータをもとに作られているという点だからです。データをとったのはアメリカ軍です。広島・長崎の市民を人体実験に使ったアメリカ軍が、核兵器の性能を知るために調べたのです。
さらにアメリカは調査データを独占することで、被曝の実態、とくに内部被曝の恐ろしさを徹底して隠したのでした。なぜか。内部被曝をもたらす核兵器は、戦争が終わっても人々を傷つけ、さらには次の世代にまで傷害を及ぼす非人道的なもので、戦争犯罪そのものだからです。
アメリカは核戦略を維持するためにこのことを徹底して隠す必要があった。自国民に対してもです。なぜなら核兵器は製造過程からたくさんの被曝を生み出し、実験によっても被曝を生み出し、廃棄物となってからも被曝を生み出し続けるものだからです。「抑止力」なんて言っていられるようなものではない。にもかかわらず危険な実態を隠すことそのものが核戦略の重要な還であり続けたのです。

そもそも、原子力発電とて核爆弾の材料であるプルトニウムを生産する炉から派生してきたものです。プルトニウムは天然のウランの大半を占める核分裂しないウラン238に中性子があたり、取り込まれることでできる物質です。これを生み出すために作られた装置が原子炉なのです。
その際、膨大な熱が生じる。それを何かに活用しようということで発電につなげたのが原子力発電ですが、それも初めは原子力潜水艦のために開発されたのでした。核ミサイル開発競争を続けた米ソにとって、っとも重要だったのはミサイル発射地点を隠すこと。先に発射地点を叩かれたら、攻撃ができないからです。ではもっとも合理的な隠し場所はどこかといえば海の中でした。それで潜水艦に核ミサイルの搭載が始められました。ところが、潜水艦はエネルギー補充のために浮上してきた時に見つかりやすい。このリスクを回避するためには長く潜っていたほうがいいので、原子力の利用が目指されたのです。

これらをみても原子力発電は、初めから戦争の中で生まれ、成長してきたものなのです。それどころか原子力発電は、核兵器への人々の怒りを薄めるためにも使われてきました。とくに被爆者のたくさんいる日本で、原子力の「平和利用」がなされることがアメリカにとって非常に大きな位置がありました。アメリカは中曽根康弘元首相と彼とタイアップしつつ政治的な位置を獲得していった読売新聞に目を付け、「原子力」を被爆国日本に導入させたのでした。今日、原発再稼働にもっとも積極的なのが読売新聞である根拠がここにあります。

その流れは現在にもつながっています。アメリカは、核兵器そのものは広島・長崎以降、実戦使用していませんが、湾岸戦争以降、劣化ウラン弾という放射性物質を撒き散らす兵器を頻繁に使用し、世界中で新たな被爆者を作り出してきました。この事実を覆い隠すためにもアメリカはさらに内部被曝の危険性に蓋をし続ける必要性を持ち続けています。

劣化ウランとは濃縮ウランの反対物です。天然のウランの大半は核分裂しないウラン238。核分裂するウラン235はわずか0.6%しかない。このままでは原子炉の中に入れても濃度が低すぎて臨界状態を作り出せないので、ウラン235を集めて濃度を上げる作業が行われます。これがウランの濃縮ですが、この際、「カス」として出てくるものが劣化ウランです。

劣化ウランは核分裂はしませんが、天然界の金属の中で比重が一番重いため、これで作った弾丸は鋼鉄よりもはるかに硬く、容易に貫くことができる。ほとんどの鋼鉄製の戦車をいとも簡単に破壊できるのです。

劣化ウランはこのとき高熱を発し、超微粒子となって空気中に飛散します。これが戦場を激しく汚染するばかりか、一部は大気の中に入って地球を循環してもしまっている。その先々でウランによるアルファ線被曝を作り出しています。

この点からアメリカは、湾岸戦争やアフガン戦争、イラク戦争で、二重、三重の戦争犯罪を行ない続けているのですが、日本はこれに加担してきたのです。しかも加担の度合いをどんどん強め、イラク戦争にいたって初めて陸上自衛隊を派遣してしまいました。それを遂行したのが小泉さんであったわけです。繰り返しますが、この戦争犯罪人の「人気」が続いてきた事実にこそ、私たち日本の民衆の「覚醒」以前の姿があります。

私たちはこの限界を超えなくてはいけない。いまこそ戦争を問い直さなければなりません。戦後70年近くも経つのにアメリカ軍が大量に沖縄に居座りつづけているこのあまりに理不尽な現実と対峙することが必要です。戦争を憎み、平和を志向し続けてきた沖縄の心を、本土のいたるところに浸透させていくことが問われているのです。
戦争も、原発も現代の暴力の象徴です。だからこそ戦争を本質的になくそうとする努力と、脱原発の道はひとつにつながっています。全ての人が、暴力で虐げられることのない世の中、一人ひとりが大切にされる世の中のために、この二つにして一つの道を歩んでいきましょう。以上が僕が辺野古、高江を訪れて考えたことです。

最後に、こうした思いを強めるために、みなさんにぜひ高江を描いた映画、『標的の村』をご覧になって欲しいと思います。以下、上映スケジュールなどを記しておきます。僕が関わりを持っている篠山市での上映会からご紹介します。

『標的の村』ホームページ
http://www.hyoteki.com/

『標的の村』上映と石原岳さん(沖縄高江在住)のお話を聞く会

3月11日 篠山市民センター催事場
午後2時、午後7時(上映時間約90分、お話し約30分)*受付は30分前より開始
 託児/ 14:00の部 託児定員15名 19:00の部 託児定員10名
 託児利用料 子ども一人につき200円
*託児利用を希望される方は事前にお申し込みください。(3/6締切)
また、0歳児をお連れの方はご相談ください。(080-2057-0232 託児担当 工藤)

入場料/1,000円(中・高校生500円)
問合せ/0795-73-3869
主催/丹波篠山で「標的の村」を観る会

より詳しくは以下をクリック
https://www.facebook.com/events/249351798571522/?ref=2&ref_dashboard_filter=upcoming

各地の上映情報
http://www.hyoteki.com/theater/

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明日に向けて(799)内部被曝のメカニズムと原子力災害対策をお話します。(20、22日篠山 23日京都市)

2014年02月19日 16時00分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20142019 16:00)

講演会のお知らせです。
今回は内部被曝のメカニズムについて詳しくお話しします。原子力災害対策についてもお話しします。

内部被曝のメカニズムについて、一つは明日、午後7時半から篠山市市民センターにてです。
もう一つは23日午後1時から。京都市丹波橋の市民放射能測定所にてです。

とくに市民放射能測定所での学習会の内容は、測定所代表の奥森さんとの相談の上で決めました。
というのは最近、同測定所は運営が厳しくなっています。利用者が激減しているためです。

なぜこうなるのか。福島原発事故後、100箇所以上の測定所が開設され、各地で精力的な測定がなされることに業者の側がレスポンスし、家庭で使われる食材販売における放射能汚染物の除去への努力が続いてきました。
そのためとくに西日本では持ち込み検体の多くが放射能不検出となってきています。それ自身がたくさんの測定所によって達成されてきた成果です。しかしそのこと、つまり安心の拡大が測定へのインセンティブを減らすことに結果しているのです。
これは全国の測定所に共通した悩みともなっていますが、チェルノブイリ後のヨーロッパの経験では、測定所のない地域に放射能汚染物が持ち込まれ続けた例もあり、なんとか各地の測定所を維持していくことが、私たちの生活の安全性のために重要です。

そのためには測定所側の現下の状況に対応した改革も必要ですが、僕は奥森さんや他の測定所の方々に、ぜひ測定所が、より強く内部被曝の危険性を発信する場になって欲しいと呼びかけています。
といのは測定所は、放射線値を測る場ですが、多くの測定所がその先の価値判断は利用者に任せる体制をとっています。
これは低線量被曝の危険性が、一般論として指摘できても、どれぐらいのベクレル数でどれぐらいの被害が出るという形では言いにくいからだと思われますが、僕はそこからもう一歩踏み込んで危険性を訴えて欲しいと思うのです。

なぜかとえば国際放射線防護委員会(ICRP)など、原発推進派が依拠する国際機関は、外部被曝と内部被曝の差異を認めようとせず、内部被曝特有の危険性を無視しています。
そのうえで、食品から出される放射線値のベクレル数を人体への打撃の目安であるシーベルトに換算していますが、そうすると非常に小さい値しか出てこなくなってしまうのです。
結果的に例えば今の国の基準である1キログラムあたり100ベクレルの食品の危険性が非常に過小に評価される結果を招いています。これほど小さいシーベルト数なのだから食べても大丈夫だという具合に。

これに対してもともと市民放射能測定所の多くは、低線量被曝の危険性を感じる人々によって建てられてきたものです。
だからこそ、ぜひ市民測定所に、もっと低線量被曝の危険性を踏み込んで説明して欲しいと僕は思うのです。
その意味で、ただ放射線値を測るだけでなく、内部被曝のメカニズムをおさえ、それを測定依頼者に発信していく場になることで、社会的存在意義を一段レベルアップして欲しいと思うのです。

同時に今回の講演では触れませんが、ぜひ各々の測定所が、放射能の問題だけでなく、食の安全全般を問題にし、情報発信していく場になっていって欲しいと思います。
なぜか。放射能に甘い私たちの社会は、同時に、化学物質や薬品など、食べ物に使われているさまざまな危険物質にも甘い社会だからです。
そうした私たちを取り巻くリスクの総体を問題にし、情報発信していく場に、それぞれの測定所が発展していくことが求められているのではないかと思います。

同時に利用される方も、ぜひ持ち込む食材の安全性を確認することにとどまらず、放射能とはどういうものか、測定とはどういうものかを知る機会として、測定体験をされてみて欲しいし、他の方にも進めていただきたいと思います。
放射能は非常に測りにくい物質です。かつ測定条件によっても大きく結果が左右されるやっかいな代物でもあります。
そのため実際に測定に立ちあって、この点の説明を受けると、様々な測定にはらむ限界も理解できるようになります。安全を宣言するために、それでは検出されることはないだろうという条件にあらかじめ設定してあったり‥などなどです。
それだけでなく、測定は目に見えない放射能を可視化するものであり、放射能に関するさまざまな知識が身につけられます。ぜひ生きた学びの場としても測定所を活用して欲しいです。

今回の20日篠山でのお話と、23日の京都丹波橋測定所でのお話は、こうしたことも踏まえつつ、内部被曝を考える上での基本的なポイントをお話したいと思います。
原子力災害対策については、おもに22日の篠山でのお話で展開します。
それぞれにお近くのみなさま。ぜひお越しください。

*****

2月20日 篠山市

原子力発電所で災害が起これば、篠山市はどうなるんだろう

篠山市民原子力防災学習会

福島原発では何が起きたのか。そして福島原発の今は、どうなっているのか。
篠山市においても原子力災害に備えるために、どのようなことが必要なのか。
原子力災害の特徴を知り、災害に備えましょう。

1、篠山市からの報告(19:30~19:50)
「篠山市の原子力防災対策」 市民生活部市民安全課

2、講演(19:50~21:00)
「原子力災害の特徴を知って、防災対策を考える」
守田敏也 フリージャーナリスト

平成26年2月20日(木)
篠山市市民センター

入場料無料

申込先 篠山市市民生活部市民安全課
電話 079‐552‐1116
FAX   079‐554‐2332

*****

2月22日篠山

丹南人権教育研究大会開催要項

(趣旨) 
東日本大震災の発生からまもなく3年が経過しようとしています。この震災では多くの被害が発生し、原子力発電所の安全神話が崩壊しました。原発災害は、篠山市に住む私達にとっても他人事ではありません。
また、平成25(2013)年は、気候の変動が激しく、篠山市では多くの水害が発生しました。
原発災害、自然災害が身近な問題となってきている近年、未来を担う子ども達と私達の大切な命を守るため、また、安心で安全な地域の構築をめざし、本大会を通して、知識と手法を考えます。

1、日 時  平成26年2月22日(土) 13:30開会 (13:00受付)
2、会 場  篠山市立丹南健康福祉センター(2階 研修室)
3、内 容   講演:『水害・原子力災害についての心得』/ 講師:守田 敏也 氏
4、参加対象  丹南地区
自治会役員、人権のまちづくり推進員、人権啓発推進員、学習推進員 人権擁護委員

5、主  催  丹南人権教育研究大会実行委員会
  共  催  篠山市 篠山市教育委員会 篠山市人権・同和教育研究協議会
        柏原人権擁護委員協議会篠山地区委員会

6.日程
時間 スケジュール  
12:30 会場準備 自治会長会代表 丹南地区職員会 人権推進課       
13:00 受付 人権推進課
13:30 開会 (司会)味間地区自治会長会 会長 波多野 恭守
  開会あいさつ 実行委員長 西潟 弘
  共催あいさつ 人権推進課
 来賓あいさつ 丹南地区在住篠山市議会議員 代表
13:40 講演 守田敏也 氏 (フリージャーナリスト)
15:10 質疑応答  
15:30 閉会あいさつ 篠山市人権・同和教育研究協議会

*****

2月23日 京都市丹波橋

守田敏也さんとの勉強会(第2回)

◆日時  2014年2月23日(日)午後1時~3時

◆場所  京都市民放射能測定所(丹波橋測定室)
   http://nukecheck.namaste.jp/image/map.gif

◆テーマ 内部被曝について

◆プログラム (1)事務局から
       (2)守田敏也さんのお話、問題提起
       (3)質疑応答・意見交換
       (4)お知らせ、お願いなど

◆参加費 測定所会員800円、一般1,000円
 参加費が改定されていますので、ご注意ください。

◆申込  定員は20名です。
     参加希望の方は、メールで申込をしてください。
     申込先 shimin_sokutei@yahoo.co.jp

○第1回勉強会に寄せられた感想は、測定所ブログ
 http://crmskyoto.exblog.jp/21567756/
 にアップしております。

 

 


 

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明日に向けて(798)東京都知事選でがっくりしているあなたに!

2014年02月11日 00時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。今宵はご法度時間の深夜の投稿です!(20140211 00:30) (20140211 22:00 文末に注を追記)

うーむ。
Facebookなどを読んでいると、多くの人が、東京都知事選の結果にがっくりきているのが目につきます。
いや、気持ちは分かるのですが僕はこう言いたい。

You don't have to worry!
そんなに嘆かないでいいんじゃない?と。

次回あたりの「明日に向けて」で、きちんと分析して書こうと思っていたのですが、取りあえず、一言発してしまうことにしました。

今回の選挙結果、僕にはだいたい予想通りの結果でした。腹をくくっていた通りと言った方がより正確です。
はずれたのは、宇都宮さんが細川さんを上回ったことと、投票率があそこまで低かったこと。
これにはやはり大雪の影響が大きかったのではないですかね。大雪で一番損をしたのは細川さんではないか。雪がなければ、細川さんが宇都宮さんを上回っていた可能性はあるでしょう。それでも宇都宮さんの善戦は光ったと思いますが。

舛添さんのあまりの女性蔑視発言を知っている方は、「ありえない」結果だと憤然としていると思います。僕もその点は同じです。あんなひどい輩が知事だなんて許せない。
でもこう言わせていただければ、僕は、イラク戦争の犯罪人である小泉さんを、多くの人がちはほやしているこの国の現状に耐えてきたのですね。それに比べたらとは思ってしまう面もあります。本当の勝利まで、僕らは忍従を強いられます。だから言いたい。もうめげてないで顔をあげようと!
それに舛添氏の極度の女性蔑視、まだまだ社会的に十分に知られていないのですよ。だからこれからがんがん宣伝すればいいのではないでしょうか。というか、宣伝して闘えばいいのです。すべてはこれからです。舛添さんに、当選したことを後悔させて差し上げようではありませんか。

それにしてもやはり僕は「一本化」の叫びに無理があったと思っています。とくに良くないのは「選挙は勝たなければ意味がない」「一本化しなければ勝てない」というフレーズ。
実際には一本化はできなかった。というより、両者ともに一本化の意志はなかったのです。その中で有名人たちがその名の力を利用して「一本化」を強いたわけですが、残ったのは「一本化しなければ勝てない」「勝たなければ意味がない」ということになってしまったのでは?
それでは大雪をおして、投票所にいく気力がうせてしまいます。何せ東京は雪にはそれほど慣れてなくて、大雪のときはたくさんの人が転んでけがをしますから。お年寄りに「無理していかんでいい。どうせもう結果は決まっているから」なんて声掛けして人もあったのでは?

さらに東京という町の変質も僕は大きいと思っています。端的に極端な金儲け中心の町になってしまっている。僕は東京の生まれだから強く感じるのですが、かつての東京はあんなに嫌な町ではありませんでした。もっと働く人々の息吹があった。
でも今、銀座界隈を歩くと、金ぴかに着飾っていないと歩けない感じがします。あぶく銭で儲けるカジノ資本主義の世界的拠点のひとつが東京です。
そこにいて、多くの人々は、自分の政治に与える力を感じられないのではないでしょうか。おそらく東京都知事選は、日本の中で一番、当選者あたりの投票数の多い選挙でしょう。言い換えれば一票の価値がそれだけ低い選挙でもある。

首相官邸前のデモはピーク時で20万人。自分がいけば20万分の1の力になれるわけです。でも今回の選挙で、投票率が低くたって舛添氏の集めた票は200万超。自分の一票は200万分の1の価値しかない。
これでは選挙で自分の権力の行使を感じにくい。世界最大の巨大都市の矛盾構造です。ちなみにドイツは、ファシズムの復活を警戒して、大都市の形成をいましめた。一番、大きいベルリンでも人口数では東京にはるかに及ばない。このことも自覚しておくべきです。
そんな中で選挙に行かなかった人のことを、僕はそんなに悪く言う気にはなれません。それが「意識が低い」ことだとも正直思えない面もあります。選挙にいったら意識が高いのですかね。自民・公明の組織票より、むなしくて選挙にいかない人の意識の方が・・・高いかどうかは別として・・・僕は好きです。

さらに言えば、この国の中にいる最も嫌な金儲け主義者、あぶく銭で稼いでいる人々が一番資産を蓄えているのが東京です。それが「組織票」の機軸をなしている。なんというか、金に対する妄念の塊みたいなもので、この国の諸悪の根源の大きな一つです。
だからこそまたそれはそんなに簡単に崩れはしないものであることも見据えておく必要があると思うのです。それゆえ東京でそんなに簡単に勝てるなんて思ってはいけないのでは。場合によっては、東京は一番最後に変わる町なのではと僕には思えます。

それを考えたときに「選挙は勝たなければ意味がない」はもうやめませんかと僕は言いたいのです。そんなに簡単に勝てないし、反対に選挙で勝ったって、民衆的な力が弱ければすぐにひっくり返されもするのです。
実際に選挙に勝ったってかつて青島さんは何もさせてもらえなかったのです。さらに言えば、民主党も何もできなかったではないですか。普天間基地の沖縄からの撤去もできなかった。TPP絶対反対、ぶれない!とかいって勝った自民党なんて、選挙で大勝したとたんにTPPにひた走っている始末です。
端的に言って、私たちの国の民衆は、まだまだ選挙に依存しすぎなのではないでしょうか。選挙でどんな人物が当選したとて、下からのエネルギーがなければなにも実現できない。だから大事なのは選挙運動期間のお祭りではなく、普段の実践による民衆的な力の底あげだということに、今こそ、気が付くべき時なのではないでしょうか。

問われるのは日常的な実践です。地道な活動、地道な言論の形成。一時期のはやりではなく、こつこつと正論を育てていくこと。丁寧に丁寧に、民衆の論を、民衆の力を積み上げていくこと、それこそが最も大事なのです。
そしてその点で言えば、宇都宮さんの票にはそうしたことの反映が一定、あったのではないでしょうか。勝たなければ意味がないのではなく、それが示されたことが貴重なのではないでしょうか。大雪の中で得票数を伸ばしたことに僕はそれを見るのですが違うでしょうか。

細川さんには「名前」の力はあっても、日常的な積み上げは何もなかったのです。当たり前でしょう。だって隠遁していたのですから。人々が貧困にあえぎ、被曝にあえいでいるときに、隠遁生活を謳歌していたのですから。(ただしいつでも誰にでも、僕は隠遁生活を楽しむ権利があるとは思っていますが)
それが名前だけで出てきて、パーッと票をさらってしまったとしたら、僕にはその方が残念に思えたと思います。しかもイラク戦争犯罪人の小泉さんの絶大な支持の中でですから余計です。

 

そうならないのはそれで良かったと僕には思えるのですがいかがでしょうか。だってそうなったていたら、僕はイラクの人々に申し訳なくていてもたってもいられなかったと思うのです。
細川・小泉連合が思ったより人気をとれなくて正直、ほっとする思いが僕にはあります。そうなったらイラクの人々が深く傷ついただろうからです。
そう考えていけば、まあ、選挙の結果はこんなところだったのではないかと腑に落とせる面があるのではないでしょうか。そうして、宇都宮さんの得票に現れた可能性を一緒に伸ばそうと思えるのではないでしょうか。

こう書くと、「あんな舛添さんみたいなひどい人物が勝って、悔しくないんですか?」という問いもかえってくるでしょう。
もちろん僕は悔しいし残念です。

でもここ10年以上を振り返って、僕にはアフガニスタンやイラクに侵攻する戦争が始まってしまったときほど、悔しかったこと、悲しかったこと、己と私たちの国の民衆の力の弱さを、嘆いて涙したことはないです。パレスチナが白昼、猛爆撃を受けて蹂躙されたときも同じです。
だってものすごいたくさんの人々が殺されたのです。本当に無残にです。なんの大義もなくです。
僕は多くのことに楽観的で、取り戻せないものはないといつでも思う方ですが、あれらの戦争で亡くなったたくさんの命はもう取り戻せないのです。その痛みをもっと多くの日本に住まう人々に共有して欲しいです。それでないとアフガンやイラクやパレスチナの人々に申し訳なくてならない。
同時に福島原発の爆発。そこから発生した放射能はすでにどれほどの命を奪ったのか。これからどれだけ奪うのか。これももう取り戻せないものが多い。何よりそれが悔しく悲しいです。

それに比すならば、東京都知事選など、これから幾らでも取り戻しができます。
だからこそ、もうがっかりするのは止めましょうと僕は言いたいのです。そうして腹をくくりましょう。闘うのです。正義のために。未来のために。子どもたちのために。
その気高い決意をこそ、この選挙結果から引き出せば僕はそれでいいと思うのです。そしてそのときこそ、「明日に向けて」、今回の東京都知事選を、僕らにとっての勝利に変えることもできると僕は思うのです。
大切なことは、すべての経験を私たち民衆の覚醒に結び付けていくことです!

ともに前に進みましょう!もっと力強く!どこまでも!

 

(注記。僕が細川さんが「人々が貧困にあえぎ、被曝にあえいでいるときに、隠遁生活を謳歌していた」と書いたことに対して、複数の方からご意見があったので反映させておきます。

細川さんは、震災後ただ隠遁生活をおくっていたわけでは、ありません。森の長城プロジェクトの理事長をやっていち早く東北の復興に力を貸していました。細川夫人は、震災の時すぐに福島にガソリンを届けています。」

細川さんはご自分の趣味をいかして悠々自適の人生だったそうですが、3.11以降被災地の復興に相当の時間を割いていたと思います。
余裕があるから出来た、と言う人もいますが、泥だらけになって木を植えつけることなどコツコツと続けていました。そのことを本当に感謝している被災地の方々もいます。」

ご指摘、ありがとうございました。(20140211 22:00)

 

 

 

 


 

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明日に向けて(797)何を食べるべきか食べてはいけないか。原発防災と食の話(舞鶴、篠山、神戸六甲)

2014年02月10日 21時00分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20140210 21:00)

東京都知事選が終わりました。大新聞は舛添氏圧勝と書いていますが、そうでしょうかね。僕はそうは思いません。
大雪で、投票率が大きく下がる中で、宇都宮さんは大きく得票を伸ばしました。細川さんにあっては惨敗とマスコミは書いていますが、それでも脱原発票の一定数を集めたのは事実です。
二人の票を合わせた数は舛添氏にわずかに足りない程度です。

大事なことは、全てはこれからだということです。
これまでも書いてきましたが、首長一人の力で世の中が変わるわけではない。というより、そんな世の中であってはならないのです。
未来に向けて問われているのはただひたすら民衆が覚醒を深め、力をつけていくこと。さあ、前を向いて新たな歩みを一緒にはじめましょう!そのために各地で地道な活動や学習を重ねていきましょう。

 

ということで?直前のお知らせになってしまいますが、13日舞鶴市、篠山市、15日神戸市六甲での講演予定をお伝えします。

舞鶴では、原発災害と食の話を一緒にします!
こういう組み合わせは初めてのことなのですが、僕は災害対策が緊急時の備えなら、食の問題は普段からの備えでもあると思います。
いや、放射能だけでなく、さまざまな化学物質など、身体に悪いものが蔓延してしまっている今の世の中と向かい合っていくために、食のことを問い直し続けて行くことはとても大事です。

と、同時に、食は私たちが生きる上での最も大きな楽しみの一つでもあります。私たちは生きるために食べるわけですが、一方で、生きることとはおいしく食べることでもあります。
美味しく食べるときのために私たちは生きてもおり、その生をより充実させていくためにもまた、私たちは美味しいものを食べるのです。

美味しいものを食べるためなのか、よりよく生きるためなのか、なんだかどんどんこんぐらがってきますが、そんな問いの場にふさわしい設定を、舞鶴の方たちが作ってくれています。
「ふくねこマルシェ」という試みです。僕もとても楽しみです。原子力防災とともに、食に関する知識を得たいという方だけでなく、食いしん坊の方、ぜひお集まりください!!

篠山での試みは、この間の、篠山市の原子力災害対策の取り組みの中の一環です。
これまでは、災害対策の方に焦点をおいて話してきたので、今回はより放射能とは何か、放射線障害とは何かに力点をおいてお話し、少しだけ、ではどうしたらいいのかという点でやはり食のことに触れようと思います。

神戸市六甲では子どもと大人と一緒になって考える集いです。
もともと、びわこ123キャンプで、子どもたちにお話し、子どもたちと一緒に考えてきた内容です。

何をどうやって食べることが大切か。子どもが分かるようにお話しします。といっても、子どもは大人よりも頭が柔軟で、吸収力が高く、理解力もずっと高かったりするのですが・・・。
難しい言葉を使わないで話す、食べ物の話!と考えていただければ良いかと思います。

それぞれの会場のお近くのみなさま。ぜひお集まりください!

************

2月13日 舞鶴市

守田敏也さんと「食と防災ぶっちゃけ座談会」&ふくねこマルシェ@西方寺ふれあい会館
https://www.facebook.com/events/1436858033215029/?ref=2&ref_dashboard_filter=upcoming

チラシはこちらから。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=377834102358449&set=pcb.1439269286307237&type=1&theater


もしも大災害が起きたときのこと。いつも食べている食べ物のこと。
気になっていた、あれこれを、おいしいランチを食べながら、守田さんと話してみましょう。

日時 2月13日(木)ふくねこマルシェ  10時-15時 座談会 10時半-13時(お食事会12時~)

場所 西方寺ふれあい会館

主催 ふくねこ会(北近畿の5人くらいのメンバーではじめたちっちゃいグループです。非団体、非政党ですー。)

「ご予約・連絡先」

〇添田光子 080-3033-7479 gracegarden@ezweb.ne.jp
  (LINE,facebook「添田光子」でもOK)

〇田中ユウジ 090-4560-8560 sikemokcamera@i.softbank.jp
 (LINE,facebook「yujitanaka」でもOK)

 【このイベントの主旨】-------------

災害に強い地元をつくる!北近畿は原発からめっちゃ近いから、原発事故のこわさをちゃんと知っておく!

放射能とか遺伝子組み換えとか、添加物・・・・え?砂糖ってダメ?牛乳も飲まないほうがいいの?・・・・

私たちが生きるために不可欠な「食べ物」のことで、みなさんが気になってることを、体にやさしいおいしいご飯を食べながら、ぶっちゃけて話し合う!

ふくねこマルシェ(福が根っこを張るの意)と称する手作り市を開きます!
このマルシェは、地元の安心して食べれるものや、ごはんやさん、すこやかに暮らすための身の回りのモノをつくる作家さんを紹介し、広めたり、交流したりする場をつくって、そういう方々の活躍の場をひろげていただけるようにしたいという思いで開くことにしました!


 【お食事会のメニュー】-------------

※2月10日までに要予約です!少しの変更や追加なら前日までOKな場合もあります。

・舞鶴瀬崎のたフォンディンさんのタイカレー 600円
http://fondin.jugem.jp/

・舞鶴弁当さんの特製お弁当 600円
http://mai-ben.com/


【ふくねこマルシェ出店リスト】

まだ未確定なお店もありますが、今のところ決定しているお店は次の通りです♪

〇フォンディン (ランチのタイカレー。(予約制)ケーキ&コーヒー)

〇舞鶴弁当  特製お弁当(予約制)

〇みゆきてれつ(絵の展示)

〇苔柿窯(かぶちゃんの陶器)

〇gracegarden(ジャムソース、ビネガー、エゴマ油)

〇吉田洋裁(防災頭巾)

〇moterhemp(ヘンプ&フェザーアクセサリー)

〇オーガニックのトムテ(西方寺の定方さんのいろいろお餅)

〇sun△sun(上林の山本スナヲさんのオーガニックな衣類)

〇ぼっかって(志賀郷のあきくん&まゆかちゃんのお菓子と飲み物)

〇アサノワ(橋本のりちゃんの草木染めヘンプソックス)

〇防災リュック展示会

〇防災や食にまつわるオススメな書籍など

〇防災、原発事故などの資料展示

*****

2月13日 篠山市

原子力発電所で災害が起これば、篠山市はどうなるんだろう

篠山市民原子力防災学習会

福島原発では何が起きたのか。そして福島原発の今は、どうなっているのか。
篠山市においても原子力災害に備えるために、どのようなことが必要なのか。
原子力災害の特徴を知り、災害に備えましょう。

1、篠山市からの報告(19:30~19:50)
「篠山市の原子力防災対策」 市民生活部市民安全課

2、講演(19:50~21:00)
「原子力災害の特徴を知って、防災対策を考える」
守田敏也 フリージャーナリスト

平成26年2月13日(木)
篠山市丹南健康福祉センター

入場料無料

申込先 篠山市市民生活部市民安全課
電話 079‐552‐1116
FAX   079‐554‐2332

*****

2月15日 神戸市六甲

たべものについてかんがえよう①
= 守田敏也さんと子どもたちと大人たちで考える集い =

『何をどうやって食べることが大切か』
 
私たちの身体って何でできている?きちんと考えたことはありますか?
一つ一つの細胞を創って、肉を創って、血を創って、骨を創ってくれているのは、毎日 毎日口にする食べ物。みんなの身体の元気の源です。
いいものをバランスよく食べることは簡単なようでそうではありません。
スーパーに行けばたくさん並んでいる食べ物。
でも、よく見ると農薬で汚染されていたり、添加物がいっぱい入っていたり、福島の原発 事故の後は内部被ばくのことを心配しなければいけなかったり。
何をどうやって食べることが大切か、子どもも大人も守田さんのお話をきいて、一緒にみんなでお話して、食べ物について考える時間をもってみませんか。

日 時: 2/15(土) 14:00~
場 所: 六甲学童保育所 「どんぐりくらぶ」
参加費: 無料
主 催: どんぐりクラブ・カシークラブ
定 員: 50名
※託児サービスはありませんが2階にプレイスペースがあります。

守田敏也(もりたとしや)さん:1959年生まれ。京都市在住
2012年秋に篠山氏原子力防災対策委員会委員に就任。同志社大学社会的共通資本研究センター
客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続け、社会的共通資本に関する研究を進めている。
原発関係の著作に、『内部被曝』(矢ケ崎克馬氏との共著、岩波ブックレット2012年)がある。
雑誌『世界』などで、肥田舜太郎医師へのインタビューを行ったり、福島第一原発事故での市民の取り組みや内部被曝問題についての取材報告をして話題になっている。
東日本大震災以降、インターネットではブログ「明日に向けて」で発信を続けている。
 参考「明日に向けて」
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

申し込みは以下から
http://rokko-donguri.com/staff/%E5%BA%83%E5%A0%B1%E3%83%BB%E6%8E%B2%E8%BC%89/%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B%EF%BC%88%E3%81%9F%E3%81%B9%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%8C%E3%81%88%E3%82%88/


 

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明日に向けて(796)沖縄の問いかけるもの・・・辺野古、高江を訪れて(中)

2014年02月09日 12時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20140209 12:30)

今日は東京都知事選の日ですね。都民の方、ぜひ投票をお願いします。

沖縄訪問記の続きです。
辺野古訪問を終えて、車は東海岸をさらにえんえんと北に向かって走っていきました。途中、お昼御飯を食べて、1時間弱、走ったでしょうか。やがて名護市をすぎて東村に入りました。正しくは国頭郡東村です。名護市との境界からさらに高江までは10キロ以上の距離がある。

途中で東村のメインストリートを通りました。とてもきれいな役場が見えている。「補助金だよ」とチョイさん。キャンプシュワブの押し付けと引き換えに落ちている金です。原発と米軍基地、どこでも同じ構造がある。いやがる住民を金で押さえつける。そうすると地域には必ず分断がもたらされます。買収にまみれたこの国のあり方に憤りを感じるばかりです。

車は海岸地帯を離れ、やんばるの森の中を上がって行きました。ちなみにこのやんばるの森には、イタジイという木がたくさん自生しています。本州にもあるスダジイの沖縄の呼び名がイタジイだそうですが、この樹は途中で幾重にお枝分かれして空に向かっていく。そしてそれぞれが横に広がって葉を出し、やがてはブロッコリーのような形に茂っていくのだそうです。やんばるの森の主な構成種です。

そのイタジイが、今、ちょうど新緑の時期を迎えていてとても美しい。本土の感覚しか持っていない僕にとって、この時期の新緑はまったくのサプライズでした。美しくかつ本土では見られない圧倒的な数のイタジイに目を奪われました。

そうこうしているうちに「もうすぐ高江だよ」とチョイさん。速度を落とすので現場なのかと思ったら、知り合いの方の車と挨拶を交わします。
そののちに「あれは見張り」とチョイさん。「えっ?」と僕。
「工事の車が来るのを見張っている」「一日中?」「そう一日中」「すごいなあ」
そう。そういう見張りの方が他にも各地にいるのです。ただしこれはあまり具体的に書かない方がいいでしょうね。

さらに進むとゲートらしきものの前に車が数台止まり、バナーなどが貼ってある場に近づきました。やっと現場かと思ったら、そこでもその付近にいる人に挨拶してさらに車は進む。「メインのところはこの先」とチョイさん。

僕のイメージでは、高江での行動はどこか一箇所に陣取って頑張っている・・・という感じだったのですが、実際にはかなり広範囲に人々が別れ、あちこちに陣をはって頑張っている。トランシーバーで交信しながらです。

やがてヤンバルの米軍演習場のゲートにつきました。ここにも車が何台も止まっている。その横に催事用のテントが貼っており、センター的な役目を果たしています。さらにゲートの両脇に、人が数人椅子に座れるテントがあり、それぞれ数名の方が座っていました。
この日はこの場に全部で10人弱ぐらいおられたでしょうか。

話を聞いてみると、地元の方は数名で、あとは日本各地からこられてきている方たち。なかでも京都の関係者が多かったのが印象的でした。

ゲートに近づいてみました。内部にはこんな文字が見える。
「US MARINE CORPS JUNGLE WARFARE TRANING CENTER」
「米海兵隊ジャングル戦争訓練センター」というわけです。

在日米軍の駐留根拠は、安保条約のもとに日本を守ることであるはずですが、ここではそんな建前さえ無視されている。日本防衛などとは関係ないジャングル戦闘のための訓練サイトが美しいやんばるの森の中に作られているのです。

ちなみにこれは沖縄返還前、ベトナム戦争の頃からの話だそうです。ここにはベトナムの村のモデルが作られた。米軍の襲撃対象です。その村の住民の役を、かつて高江の人々は担わされたのでした。高江や沖縄の人々の不屈の抵抗を収めた映画『標的の村』のタイトルの由来はここから来ています。

「米軍はフィリピンの基地を失ったから、今ではジャングル戦闘の訓練ができるのは沖縄だけなんだ」とチョイさん。「でもジャングル訓練だけじゃないよ」とも。ここに来るまでに通り過ぎたキャンプハンセンの敷地内には中東の村が再現され、米軍の制圧作戦訓練が繰り返されたのだそうです。イラクのファルージャなど、米兵による民衆をも巻き込んだ虐殺戦闘の訓練がこの地で行われてきたのです。なんたることか。

こうした戦闘に極めてよく使われるのがヘリコプターです。今もそのためにオスプレイが投入されている。この上さらにヘリパットなどを増やそうとしている。どうしてこれに黙っていられるでしょうか。

さてゲート前の光景をしばし写真に収めると、チョイさんがさらに先に行くという。「名物の人物がいるから会わせる」というのです。山城博治さんです。
しばし車を走らせると、フェンスの前にテントが一つ、車が4台ぐらいあって、フェンスを封鎖しているところがある。工事車両の入り道をふさいでしまっています。

テントの中に入っていると誰もいない。仕方がないので近くの高台に登って、訓練場の全体を遠望しました。とにかく見渡せるだけのやんばるの森が訓練場です。真ん中を通っている道路だけが違うのです。

やがて山城さんが戻ってこられました。「食器を洗いに井戸まで降りてました」と山城さん。「いやあ、食事をするのはいいけど、洗うのが大変でね」とかいいながら、バケツ中に入った食器を、テントの中に片付けていく。フライパンなどが吊るしてあって、生活臭が漂っている。
尋ねるとなんとここでもう8年も暮らしているというのです。8年・・・?驚きました。
どこで寝ているのかというと車の中。
「車もいろいろあってね。シートを倒してもけっこう凸凹していて痛い。それで一時期、その上に板を敷いて寝ていたのだけど、「山城さん、それはちょっと・・・」と言われて、さすがに縁起が悪いかと思ってやめました。今は、シートがフラットになる車を手に入れられたのでそれで寝ています」と笑います。

「攻防が激しいときは夜中にも業者がやってきてね。そのために飛び起きなくてはならないから、靴をはいて、運転席で寝てました」
・・・運転席、な、なんという根性でしょう。

すぐに山城さんとチョイさんの話が始まりました。具体的な今後の行動の打ち合わせで僕にはよくわからない話でしたが、途中で何度も山城さんがすっとんきょうな大声を出す。とにかくこの方が豪傑だということだけは分かりました。

名護の選挙のことに触れて山城さんはこうおっしゃいました。
「沖縄にはあの沖縄戦という本当に深い体験があります。誰もがそれを繰り返してはならないと思っている。ここは揺るがない基盤なのだけど、そこからフラフラ離れたり、やっぱりここに戻ったりの攻防が繰り返されているんです。だからいわゆる保革の争いというのとはちょっと違う。沖縄にあの体験があることは決定的で、それが崩れ去ることはないのです」。

沖縄には基地を許さない絶対的な基盤があるのだと語る山城さんの顔は誇らしげでした。仙人のような?活動を重ねられる根拠もここにあるのでしょう。
全国に先駆けて、覚醒を続けてきた沖縄の人々の横顔を、山城さんに見たような気がしました。いや、山城さんは沖縄の方たちの中でも、とくに飛び抜けた存在であるのは間違いないでしょうが。

山城さんとの話が終わり、人懐っこい笑顔に送られて、メインゲート前に戻りました。するとそこに大阪からきている僕と非常に親しいある方がいました。高江にきているとは聞いていたのですが、この場で会えたのは感激でした。

彼は沖縄への移住も検討しつつ、今は大阪から通っているのだそうです。今回は3週間の予定できているのだとか。大阪や京都で見たときよりも、とても生き生きしているのが印象的でした。

その彼につい最近、わずか3人でゲートに工事車両が入ることを阻止した話を聞きました。ちょうど芥川賞作家の目取真さんがおられた時だったそうです。3人しかいないのを見定めて工事車両が近づくと、目取真さん、持っていた傘を前につき出して、車の前に立ちはだかったのだそうです。

「そりゃ、凄かったで。あんなもん普通逃げるで。おっきい車やで。俺なんかもうオタオタや。何をしていいかわからへん。そやけど、目取真さんは、パッと立ちはだかった。根性がちゃうで、ほんまに」

目取真さんに驚いた車両は、彼を避けようとしたものの、近づいてしまって傘に接触。傘がバーンと壊れたのだそうです。「手もけがしたんとちゃうかなあ」
でもそれで工事業者は仰天。すぐに逃げていったのだとか。するともう一人の方が車でおいかけていったそうです。

・・・そんな果敢な体を張った行動も含めて、高江は、完全とヘリパット建設を阻んでいます。感動しました。

なお高江の方たちの気持ちをきちんとお伝えするために、ゲート前のテントに掲げられてた「座り込みガイドライン」を最後に紹介しておきます。

1、 私たちは非暴力です。
コトバの暴力を含め、誰もキズつけたくありません。
2、 自分の意思で座り込みに参加しています。
誰かに何かを強いられることはありません。
自分の体調や気持ちを大切に。
トイレや食事などではなれる時は周りの人にひと声かけてください。
トランシーバーやケイタイなどを活用して、ムリのないように!
3、 いつでも愛とユーモアを。
Let’s have a sense of humor and love.

続く

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明日に向けて(795)沖縄の問いかけるもの・・・辺野古、高江を訪れて(上)

2014年02月08日 11時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20140208 11:00)

沖縄那覇の国際通りのカフェからです。
『内部被曝』を一緒に書かさせて頂いた琉球大学名誉教授矢ケ崎克馬さんのお連れ合い、沖本八重美さんの一周忌のために沖縄を訪れました。本日午後2時から、八重美さんのお仲間達による偲ぶ会が開かれるので出席します。

せっかくの機会だということで、娘さんで京都在住の矢ケ崎響さんと辺野古、高江訪問を企画しました。
朝7時関西空港発の便で発って、那覇着は9:20。響さんに車でピックアップしてもらい、途中で泊に住む北上田毅さんと合流しました。しかしここで響さんは離脱。矢ヶ崎さん宅への訪問者が多いので、応接にまわられることになったためです。
そのため北上田さんの車で、一路、辺野古へ向かいました。

僕は沖縄には1995年の米兵による少女レイプ事件以来、一時期は毎年のように訪れ、南部戦跡や各地のガマ(洞窟。沖縄戦で避難壕に使われ、集団自決を強いられる場にもなったりした)の見学などを繰り返してきました。
嘉手納基地を囲む人間の鎖に参加したり、各地の基地撤去運動の現場にも足を運んできました。でも、恥ずかしながら辺野古、高江に行く機会がなく、これが初めての訪問でした。

ちなみに今回、案内をしていただいた北上田毅さんは、長らく京都におられて、市民運動の中心を担ってこられた方です。僕もアフガン戦争やイラク戦争に反対して繰り返し行動を重ねてきた「ピースウォーク京都」での行動や、教育改悪に反対する行動などをご一緒してきました。

また北上田さんは、フィリピンのサマール島を繰り返し訪れ、多くのボランティアを送り込んで、京都との太いきずな築かれてきた方でもあります。ちなみにそのときサマールの方たちが、毅=つよしを、「チョイ」と発音したことから、北上田さんのあだ名がチョイさんになりました。それでここからはチョイさんの名で呼ばせていただきたいと思います。

実はチョイさん、普天間基地への抗議行動を終えてから待ち合わせ場所にこられました。なんでも毎朝5時半に起きて、普天間基地ゲート前まで行き、抗議を行っているのだとか。この日の行動は25人で行われたそうです。すごいなあ・・・。
これらについて、詳しくは「チョイさんの沖縄日記」をご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/chuy


高速道路を北に向かいました。沖縄は前夜に相当な雨が降ったそうですが、今朝は天気が回復に向かい、ややもやがかってはいるものの、晴れ間が見え始めていました。
とにかく暖かい。ダウンジャケットの上にマフラーをはおって関空から乗り込んだ僕には暖かいを通り越して暑かった!なんだか別世界に感じられました。

車の中で今回の名護市長選について、北上田さんからお話を伺いました。名護ではこれまで何度も選挙戦が繰り広げられており、基地反対派と賛成派の固定票がすでにあって、残りの浮動票をめぐる攻防が繰り広げられてきたのだそうです。
ところが今回は自民党の「重鎮」たちの多くが、基地反対を明確に掲げている稲峰さんの支援に回った。安倍政権の沖縄自民党の意向を上からつぶしにかかったあり方への怒りからです。
僕は安倍政権の強権姿勢は、必ずや多くの人々の反発を生みだし、かえって民衆的な覚醒が高まるのだと思ってきましたが、その一端が名護の選挙にあらわれてきたことを知ることができたように思い、嬉しくなりました。

車が高速を降りて、いよいよ辺野古に近づき、浜に出ました。車を降りて、何度も写真でみたテントを訪れました。テントの前には座り込み3582日目という表示が。いやはやすごいなあ。

この日は数名の方が詰めておられました。そのうちの一人の方は、毎日、名護市から通っておられるそうです。運転免許を持ってないので、乗り合わせてきたり、バスを使ったりしているそうです。ここに来る人には免許を持ってない方が多いのだとか。「時代への逆行ですね」などと笑いました。

お話をしていて感じるのは、この場をえんえんと守り続けてきた方たちの誇りと自信でした。それはさまざまな思いの重なりで支えられているのだと思いますが、その一つは全国の人々と強く結びついている実感でないかと思います。
訪ねた人の署名簿があり、書きこんでいると「最近、地方の議員さんがよく来られるのですよ。今日は岩手県北上市の議員さんたちがこられました」と教えてくれました。ペラペラとめくってみると本当に多彩な人々が全国から駆け付けてきている。民衆の力の連なりを感じることができました。

浜を歩いて、キャンプシュワブとの境界線まで行きました。かつてはグルグルと渦のように巻かれた有刺鉄線で区切られていたそうですが、今は米軍が作った頑丈な金網のフェンスが海の中にまで入る形で立っています。
その金網にここにこられたたくさんの方が、基地撤去を訴えるバナーを結び付けています。ときどき米兵が来てとってしまうのだそうですが、繰り返しバナーが結び付けられる。そばでみると、小さいリボンを無数に結び付けた方たちもいました。米兵がとるのを少しでもやりにくくしているのでしょう。やるなあと思いました。米兵が「めんどだなあ」と思いながら取り外している姿が目に浮かぶようで、なんだか笑ってしまいました。

金網の向こうには基地が広がっており、その内部では、埋め立てを前提とした工事がどんどん進んでいるそうです。
しかし「沖縄の人々の熱き思いと、それにつらなう全国の人々の息吹がある限り、できやしないさ」と僕もそんな民衆的な自信を感じれる気がしました。
もちろん、そのためには僕自身が努力をしなくては。ともに辺野古への滑走路建設を許さない輪に加わり続けていこうと思いました。

高江まで行くために、早々に辺野古を後にすることにしましたが、ここで辺野古を訪れていた一人の若者を高江まで車に乗せていくことになりました。彼の名はケータ君。岩手県盛岡市からきた若者で、沖縄に移住し、自然農をやりたいと飛び込んできたばかりです。
建設業で働いていたそうですが、働けば働くだけ「これは違うだろう」という思いを募らせ、どうしても沖縄に行きたくなったのだそうです。基地に反対する沖縄で自然農の経験を積み、いつかそれを岩手に還元したいのだとか。そのためにとにかく高江に行ってみたいのだとか。

「ここにもこういう素晴らしい若者がいる」と、なんだかとても嬉しくなってしまいました。現代の経済成長中心の世の中の在り方に背を向け、新しい生き方を模索する若者が今、急速に増えていることを僕は感じています。これまでの社会の在り方に魅力を感じず、基地に反対する人々の生き方に共感し、同時に土に触れ、土とともに生きる生き方に魅力を感じているのです。僕にはこれもまたこの社会が、確実に深いところから変わりつつあることの証左だと思えます。ケータ君、がんばれ!

続く

なおこの日の写真を多数Facebookページに載せています。ご覧ください。
https://www.facebook.com/toshiya.morita.90

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