明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(734)特別警報が出たら「ただちに命を守る行動」を!

2013年08月31日 22時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130831 22:30)

各地で大雨が降っています。前線を伴った低気圧が、日本列島を通過中です。本日16時31分に配信された気象に関する記事では以下のように報じられています。

***

前線を伴った低気圧は、9月1日にかけ北日本を通過し、前線が東日本から西日本に停滞する見込みだ。福井県坂井市付近では、31日午後5時30分までの1時間に約80ミリの猛烈な雨が降ったとみられ、気象庁は記録的短時間大雨情報を発表した。
低気圧や前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、北日本から西日本にかけ、広い範囲で大気の非常に不安定な状態が続く。

***

これからまだまだ各地で大雨が降ると思われます。ぜひ警戒を強めてください。僕もこの雨の中、明日(1日)5時起きで、長野県の千代田湖キャンプ場に車で向かいます。十分に気を付けて、安全を確保しながら行動するつもりです。

今回の記事に「特別警報が出たら、ただちに命を守る行動を」と書きました。この「特別警報」とは、本年8月30日午前0時より、気象庁によって運用が開始されたものです。
これまでは「注意報―災害が起こる恐れ」「警報―重大な災害が起こる恐れ」という二つの気象状況における警戒の呼びかけがあったのですが、新たに加わった「特別警報」は「これまでにない災害が起こる恐れ」への対処を呼び掛けるものです。
「これまでにない災害」とは「数十年に一度のレベルの大雨、暴風、高潮などが予想される場合」であるとされており、「ただちに命を守る行動」を呼びかけるとされています。詳しく知りたい方は以下の気象庁のHPをご覧ください。

特別警報について 気象庁
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/tokubetsu-keiho/

なぜ「特別警報」が新たに設けられたのか。ここ数年、気候変動などの影響により、「ゲリラ豪雨」など、明らかにこれまでなかったような集中豪雨が頻発しており、大規模水害が多発しているからです。
その多くが「観測史上最大の降雨」などを記録しており、これまでの防災の「想定」を超えています。そのため予想を超えた洪水、土砂災害が頻発しており、いっぺんにたくさんの方が命を失う悲劇も生まれています。そのために「ただちに命を守る行動を」が必要になっているのです。

僕はこれまで繰り返し、原子力災害への備えを固めることを訴えてきました。その際、一番重要なこととして強調してているのは、防災心理学に言う「正常性バイアス」のわなにはまらないことです。
「高度な文明」の中にいる私たちは、日ごろ、命の危機に直面することがきわめて少ない。それは大変良いことですが、そのため命の危機が迫ってきた時に、それを察知し、対処していく能力も低下しています。
このため非常にかかりやすいのが、危機に直面しても、危機を認識できなかったり、認識しようとしなかったりしてしまう心理状態です。事態は「異常」ではなく「正常」なのだというバイアス=偏見を現実にかけてしまうのです。
「異常」を感知したらそれと立ち向かわなくてはいけない。「正常」であれば何もしなくていい。心理的に楽です。そのため心が「異常」の感知を拒否し、「正常」だと思い込もうとしてしまう。これが正常性バイアスです。

現在の水害に対しても、こうした心理的システムが働きやすい。そしてこれまでの「安全経験」に依拠してしまう心理がたびたび頭をもたげます。しかし「ゲリラ豪雨」の多くは「想定外」の被害をもたらしています。
端的に言えば、これまで川の流れを「完璧」に止めてきた堤防が、越流され、あるいは決壊する事態などが起きているのです。だから私たちはこの新たな命の危機に対して、心をリセットし、正常性バイアスにかからず、的確な対処がとれるようにする必要があります。
そのためには「特別警報」が出てからすべてを始めるのではまったく遅い。大事なのは日常から、身の回りにある危険性を把握しておき、特別警報が出たときには「ただちに命を守る行動」に即座に移ることができるようにしておくこと。そのための準備を進めることです。
もちろん「特別警報」の前のものとされている「注意報」「警報」の段階から、命の危機を十分に感じて、対処を始める必要があります。

それでは備えとしては何が必要でしょうか。まずは起こるべき災害の前兆を知っておくこと、災害が起こったらどうなるのかのシミュレーションをしておくことです。
なかでも豪雨によって起こりやすい被害は川の氾濫と「土石流」「地すべり」「がけ崩れ」の発生です。それぞれに違った危険があるので、まず自分の住んでいる地域で被害が起こるとしたらどれなのかの把握を進めてください。
大事な点は、この作業は、晴れた日、ないしは気象条件の悪くないときにやっておくことであるということです!ぜひ地域を災害対策の視点から歩き回ってみてください。みなさんの家の川からの距離はどれぐらいでしょうか。また近くに農業用水などはないでしょうか。
川が堤防を越流し、道路が冠水してしまった場合、恐ろしいほどに今まで見えていたものが見えなくなります。もっとも危険なのは道路と側溝や農業用水などの境界が分からなくなることです。実際に2009年の兵庫県佐用町水害では、自宅から避難所に向かった人々が、避難所の手前で、側溝に落ちて流され6名が命を落としています。

それでは雨が強くなり始めたときにはどのような点に注意すべきでしょうか。「土石流」「地すべり」「がけ崩れ」にはそれぞれに前兆があるので、それを目安に危機をつかむことです。以下、前兆を列挙します。
「土石流」の場合  〇山鳴りがする。〇急に川の流れがにごり流木が混じっている。〇雨が降り続いてるのに川の水位が下がる。〇腐った土のにおいがする。
「地すべり」の場合 〇沢や井戸の水がにごる。〇地面にひび割れができる。〇斜面から水がふき出す。○家や擁壁に亀裂が入る。〇家や擁壁、樹木や電柱が傾く。
「がけ崩れ」の場合 〇がけに割れ目が見える。〇がけから水がふき出ている。〇がけから小石がパラパラと落ちてくる。〇がけから木の根等の切れる音がする。

ゲリラ豪雨についても、目安が語られるようになってきましたので、それを列挙します。
〇天気予報に「所によりにわか雨」「大気の状態が不安定」「大雨、落雷、突風、竜巻、雹(ひょう)」のキーワード。〇防災気象情報で「大雨・洪水警報」「大雨・洪水特別警報」「周辺や川の上流で大雨」が語られる。
〇川の水かさが急に増えてきたり、濁ったり、木の葉や枝、ごみなどが大量に流れてくる。〇雷鳴が聞こえたり雷光が見えたりする。〇ヒヤッとした冷たい風が急に吹き出す。〇大粒の雨や雹(ひょう)が降り出す。〇黒い雲が広がり急に暗くなる。

では「特別警報」が出たり、そうではなくてもこれら危機の兆候が見られたらどうすれば良いのでしょうか。
大事なのは自分たちで自分たちの地域の危険度を気象情報などから察知すること。そのうえでできれば念のために明るいうちに早期自主避難をすることです。
とくに土砂崩れ・河川氾濫の恐れがある地域は、夜になる前・大雨になる前の早めの行動が必要です。そのためにも日ごろから避難所・ハザードマップを確認することが重要です。
ただし道路が冠水している場合は、避難行動の方が危険な場合もあります。佐用町災害がその典型ですが、そのため家が濁流で流される危険性のない場合は「遠くの避難所よりも近くの2階」がより安全だということを知ってください。

続いて避難行動に移る際の目安についても書いておきます。前提的に危機の察知においては自分の五感を大事にし、以下に書いたことに当てはまらなくても「避難したほうがいい」と感じたら行動した方がいいです。その上で目安を書きます。
○市町が自主避難を呼びかけたら。○前触れと思われる現象(前兆現象)を発見したら。○近く(同じ市町内や隣接する市町)で土砂災害が発生したら。○これまでに経験したことのない雨を感じたら。

避難行動に移るにあたっての心得も書いておきます。
〇防災気象情報、防災避難情報に注意。〇車で避難しない⇒ワイパーやブレーキが効かなくなる。アンダーパスに突っ込むと立ち往生。〇浸水が40~50㎝になると外開きドアは開かない。歩行も困難。⇒早期自主避難が大切。
〇「遠くの避難所より、近くの2階」。(ただし家屋の流失の危険性が少ない場合)〇避難するときは隣近所に声を掛け合う。〇避難者同士それぞれロープをつかんで避難。〇荷物は最小限にしできるだけ両手を開けて避難。
〇マンホールや側溝のフタが外れているとすごく危険。傘や棒などで前を探りながら進む。〇避難時はヘルメット、手袋、雨具、長ズボン、長袖シャツで。懐中電灯も。〇長靴は水が入ると動けなくなる。脱げにくい紐スニーカーなどで避難。
〇火の元、ガスの元栓、電気のブレーカーを閉じ、戸締まりして避難。〇半地下・地下室には近寄らない。〇川、側溝、橋、マンホールに近づかない(絶対に様子を見に行かない)

なおより詳しいことを知りたい方は、防災心理学の知見から優れた啓発を繰り返している「防災システム研究所」のホームページをご覧ください。僕もここから「正常性バイアス」のことなど、重要な点を学びました。

防災システム研究所
http://www.bo-sai.co.jp/index.html

以上、それぞれで防災体制を高め、ぜひともあらゆる災害への対処能力を高めてください。
なお「ただちに命を守る行動を」という気象庁の呼びかけに対し、なぜあの福島原発事故のときに、政府がこのような呼びかけをしなかったのか、悔しさや無念さが去来します。
同時に今もなお、放射線から「ただちに命を守る行動」が繰り返し必要になっていることを、あらためてみなさんに問いかけたいです。

防災体制を高めることは、危機感知能力を高めることであり、正常性バイアスのわなにかかりにくい心の強さを作るものです。そのため僕は水害への対処能力を高めることは、原発災害への対処能力を高めることにもつながると確信しています。
もちろん原発災害には固有の特徴があり、それをつかむことが大事です。しかしベースになるのは、危機管理を誰かに、とくに政府や「専門家」に任せるのではなく、自ら担おうとする観点、そのために日ごろから災害の可能性をシミュレーションする感覚を養うことです。
その意味で、原発災害への備えを進めるためにも、目の前にある他の災害の可能性への対処能力も高めていくことが大切です。
またそれぞれの地域でこうした災害対策を進めることは、必然的に地域のコミュニティを強化していくことにもつながります。大きな災害には、地域力があってこそ有効に対応しうるからです。

これらの可能性をもみすえつつ、ぜひ、それぞれであらゆる災害への防災・減災体制を作り出すことに尽力しましょう。平和を守るための大事な行動としてとりみましょう!

 

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明日に向けて(733)2つの祭りでお話します!再度の全原発停止をみすえ脱原発集会にも参加します!

2013年08月29日 22時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130829 22:00)

講演の予定です。
9月1日に長野県伊那市高遠の千代田湖キャンプ場で行われる「ちいさないのちの祭り」に参加してお話しします。
「ちいさないのちのお話」というタイトルで、福島原発事故のことを中心に話します。

なおこのお祭りは、8月30日から9月1日まで行われます。台風の影響が心配ですが・・・。
さまざまなミュージックライブなどもありますが、一つの特徴として、ネットで宣伝をせずに、手作りのチラシと口コミだけで宣伝しています。
それでも昨年、たくさんの人が集まりました。

主催者の一人、大鹿村の田村寿満子さんが、素敵な顛末記を書いています。祭の様子が分かるのでお読みください!
 
ちいさないのちの祭り顛末記
大鹿村 田村寿満子 
「なまえのない新聞No.176 2013年1・2月号
http://amanakuni.net/GraphicData/176chiisana.pdf

また今回のチラシの裏面が以下から読めます。
http://www.geocities.jp/starchild910/_gl_images_/chisanainochinomaturi.jpg

僕は昨年の呼んでいただいたのですが、このときは田村さんに依頼されて、原発事故のことと、旧日本軍性奴隷問題(軍隊「慰安婦」問題)とのつながりを話しました。
今回も、このテーマをより掘り下げてお話ししようと思っています。お近くの方、ぜひお越しください。

9月1日
第2回ちいさないのちの祭り
13:00~14:30「ちいさないのちのお話」守田敏也
場所 長野県伊那市高遠千代田湖キャンプ場
参加費 1日500円(20歳以上)

***

続いて9月6日から17日まで、滋賀県朽木村で行われる山水人(やまうと)2013での座談会に参加します。僕がコーディネーターをやると思います・・・。
参加者はほかに中嶌哲演さん〔小浜・明通寺住職〕鎌仲ひとみさん〔映画監督〕廣海緑朗さん〔Nonベクレル食堂〕西野ひかるさん〔夢のちからプロジェクト・若狭〕です。
山水人では一昨年に鎌仲さんと一緒にお話ししました。昨年は中嶌さんとでした。お二人ともみなさんよくご存知のようにずいぶん深い活動をされてきた方で、とても楽しくお話しながらたくさんのことを学ばせていただきました。
廣海緑朗さんともこれまで2度ほど企画で対談させていただいています。西野ひかるさんとは初対面になりますが、ともあれずいぶん豪華なメンバーと一緒の座談会になります。楽しいひと時をみなさんにお届けしたいです。
テーマはやはり原発問題になりますが、どの切り口から入るのか。これから中身を練り上げていきます。いずれにせよ、それぞれの方の豊富な経験が引き立つ会にしますので、どうかご参加ください。

9月7日
山水人2013
http://yamauto.jp/

座談会 13:00開始

中嶌哲演〔小浜・明通寺住職〕
守田敏也〔フリージャーナリスト〕
鎌仲ひとみ〔映画監督〕
廣海緑朗〔Nonベクレル食堂〕
西野ひかる〔夢のちからプロジェクト・若狭〕

***

この他、15日、全原発の再度の停止の日に京都で行われる脱原発集会をご紹介しておきます。もちろん僕も参加します!

9月15日“原発とまった!これから廃炉”京都デモをします。 ぜひ、ご参加ください!

全国の全原発が再び止まる9月15日、「全原発停止」を知らせ、「次は廃炉」へ進もうと呼びかけるデモをします。
政府は、“次々再稼働”を狙っていますが、福島第一原発事故の現実とその後の運動・世論は、この9月に、再び「原発の動いていない日本」を作り出します。
デモは、そのことを知らせ、危険な原発はもう二度と動かさないで! 政府の意志で「原発ゼロ」を決め、このまま廃炉にむかへ、と求めるものです。
当日は、出発前集会などは行わず、午後2時半から集合を始めて、午後3時デモ出発の予定です。上記の主旨に賛同いただける皆さん、ぜひデモにご参加ください。
周りの皆さんにも、デモへの参加を呼びかけて下さい。よろしくお願いします。
楽器大歓迎、横断幕・メッセージボード、市民の皆さんの共感を広げるフレンドリーな表現をお待ちしています。
   
日時:9月15日(日) 午後2時半集合、3時出発

集合:円山公園しだれ桜西側-ラジオ塔前
*デモコースは、円山公園から四条通、河原町通を通って、京都市役所前までのコースです。

呼びかけ人:アイリーン・美緒子・スミス、池田文穂、井坂洋子、石田紀郎、伊塚浩平、内富一、川越義夫、清本ゆきえ、小坂勝弥、榊原義道、
坂本真有美、佐々木佳継、白塚悦子、宗川吉汪、槌田劭、寺野哲也、中本式子、西本仁美、藤井悦子、松本修、村上敏明、森野修一、 山田吉則、吉永剛志

主催:“原発とまった!このまま廃炉”京都デモ・実行委員会(上記のメンバーが、このデモのために作ったものです)

 


 

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明日に向けて(732)福島の甲状腺がん確定数は半分の検査結果の数でしかない!実際には倍以上か?

2013年08月28日 23時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130828 23:30)

明日に向けて(729)で、福島のこどもたちからすごい勢いで甲状腺がんが見つかっていることを論じましたが、記事の中で、国際水準との比較数値を間違えてしまいました。
現在の発症は19万3千人中約40人ほど。国際水準は100万人に1人とされているので約210倍、100万人に2人として約105倍になるのですが、僕の記事では誤って2100倍から1050倍と書いてしまいました。読んでくださったからの指摘で気が付きました。
センシティブな内容での数値を10倍も間違えてしまい、申し訳ありませんでした。慎んでお詫び申し上げます。なお当該の記事には訂正日時を明記したうえで、すでに修正を施してあります。

さてこれを機会に再度、福島県の発表の際に提出された資料をじっくりと読み込んでみました。8月20日に出されたものです。

県民健康管理調査「甲状腺検査」の実施状況について
https://selectra.jp/sites/selectra.jp/files/pdf/250820siryou2.pdf

これをよく読み込んでみると、実は19万3千人中の約40人という発表の仕方にも大きな問題があることが見えてきました。
なお実際の発表は確定18人、疑い25人、疑われたけど良性だったのが1人というものです。疑いは医学的に90%の確率と言われているので、もともと疑われていた26人に0.9をかけると23.4という数字が出てきます。これと18を足すと41.4人になります。話を見えやすくするためここでは約40人としてあります。

さて何が問題なのかを明らかにするために、まず甲状腺検査の進め方の概略を見ていきます。初めに行われるのはエコー診断で一次検査と呼ばれます。
この結果が4つに分類されます。
A判定 A1 結節やのう胞を認めなかったもの 
A判定 A2 5.0ミリ以下の結節や20.0ミリ以下ののう胞を認めたもの。
B判定 5.1ミリ以上の結節や20.1ミリ以上ののう胞を認めたもの。
C判定 甲状腺の状態等から判断して、直ちに二次検査を要するもの。

判定への対処が以下のように説明されています。

***

A判定は次回(平成26年度以降)の検査まで経過観察。
B、C判定は二次検査を実施
A2の判定内容であっても、甲状腺の状態等から二次検査を要すると判断した場合、B判定としている。

***

ここから非常に重要なポイントが浮かび上がります。何かと言えば、A判定といえども現時点では甲状腺がん発症の可能性を否定できたわけではないということです。
実際、チェルノブイリでも4、5年目から発症数が急上昇しました。そのことでもって政府は、今、見つかっている甲状腺がんは福島由来のものとは言えないと主張しています。僕はそうではなく、現時点でも原発事故の影響が出ていると考えますが、しかし今後、発症が本格化しうる可能性は確かに高いと思います。
そうであるがゆえに、つまり福島原発の被曝では、まだがんが形成されておらず、この先、発症する例も十分にあることになります。その点で、A判定の子どもたちを経過観察をすることは正しい。しかも、がんはできるだけ小さいうちに発見することが望ましいのですから、可能な限りの頻度で行うことが求められます。
ともあれ、この点が19万3千人中約40人とは言えないことの一つ目の根拠です。少なくとも、「現在約40人が見つかっている」と言うべきで、今、見つかっていない子どもたちからも、残念ながら、将来、がんが発症する可能性を否定できないのです。

次に二次検査とは何かを見ていきます。これは次のように説明されています。

***

一次検査により、結節等が認められた場合は、福島県立医科大学において二次検査(詳細な超音波検査、採血、採尿、必要に応じて細胞検診)を実施している。

***

資料の4ページ目にこの二次検査の実施状況の一覧表が掲載されているのですが、そこを見ると平成23年度から25年度の調査で二次検査対象者となったのは1280人であるのに、二次検査終了者は625人にしかなっていないもとが分かります。残り655人がまだ検査が終了していないのです。
ということは現在の約40人が確定という検査結果も、この625人の受診結果に過ぎないことが分かります。すでに検査が終わった625人とまだ終了していない655人は住んでいる地域が違うので単純比較はしにくいのですが、それでも仮に同じ比率であると考えた場合、約42人がさらに確定になる可能性があります。
そうするとここでの確定数は約82人になることになります。19万3千人中約82人が確定の可能性ありということです。福島の子どもの総数は約37万人ですから、同じ比率で確定者が出てくるとなんと約157人にもなることになります。もちろんその場合も、がんと診断されなかった子どもたちにも発病の可能性が残り続けます。
しかも憂慮されるのは、ヨウ素が相当量流れたと思われる、いわき市の子どもたちが今回の調査にはほとんど入ってないことです。(実際には一地区の341人のみが検査対象になり、3人が二次検査対象に。二次検査は未終了)。このため同じ比率が適用できるとは限りません。

さてここでまた国際水準との比較を論じたいと思います。国際水準は100万人に1人ですから、19万3千人中約82人という数はその424倍にもなります。
しかもこれは現時点での確定数であり、繰り返し述べてきたように、現在、がんが発見されていない子どもからも見つかる可能性があるので、424倍以上という必要があるでしょう。ちなみに100万人に2人とした場合は、半分ですから212倍以上です。
ともあれここでは、19万3千に中、確定18人、疑い25人、良性1人という発表の仕方が、誠実なものとは言えないという点を指摘しておきたいと思います。まだ二次検査が半分しかすんでいないことを明示すべきなのです。
資料にはこのことが並べられているので、ウソの発表とは言えないわけですが、これでは意図的にミスリーディングを誘うようなものです。

こうした現実に対してどうするか。すでに(730)で述べたように、僕は免疫力を上げて、がんを抑え込んでいくべく、みんなで努力することが大切だと思います。
もちろん食事療法は当事者や近親者が担うものですが、けして個人任せにせずに社会的ムーブメントを作る必要があります。
同時に、これまでも各地で行っている保養キャンプの実施、あるいは可能な限りの避難の促進も重要です。
放射性ヨウ素の半減期は短いですからすでに被曝は終わってしまっています。だとするならば、被曝した体に可能な限り、ストレスの追加を防ぎ、免疫力を上げることで、がんを抑え込んでいくことが大事なのです。

そのために良いものを食べる必要がある。いいところにいって、いい空気を吸う必要がある。そして何よりもいい人たちに囲まれて、自分は大切な存在なんだ、大切にされているんだという思いで胸を膨らませてあげる必要がある。
現時点ではA判定であろうと今後、がんが発症する可能性を否定しきれないのであれば、発症数を可能な限り抑え込む努力を私たちの手で積み上げようではありませんか。
そのために決意を作るために、腹を決めるために、現時点で国際水準の200倍から400倍とも推定しうる発症数を、ありのままに見据えることが必要だと思います。

この点を踏まえて、甲状腺問題のウオッチを継続します。

 

 


 

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明日に向けて(731)小水力発電の可能性・・・水を使った地域の再生 その1

2013年08月25日 07時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130825 07:30)

昨日より岐阜県郡上市の最奥の集落、石徹白(いとしろ)に来ています。小水力発電の視察の旅です。実に面白く充実した旅です。
みなさんは小水力発電と聞いて、何を想像されるでしょうか。まず浮かんでくるのは水車ではないでしょうか。
確かに典型的な水車タイプのものもたくさんありますが、他方で新しいタイプのものもいろいろと開発されてきています。要するに水の流れで、モーターを回して発電できればいいわけです。
このため、設置場所の条件に応じて、いろいろなタイプのものを使うことができます。反対に言えば、何をどう使うかの幅が大きい。創造性の発揮の余地がたくさんあるのです。

しかし小水力の魅力はもっと大きなところにあります。何よりも大事なのはそれが地域の再生につながっていくこと。地域の新たな拠り所になることです。
日本は世界の中でも稀有の降雨地帯です。石徹白などは雨だけでなく冬には豪雪が降ります。雪渓ができてそこからも水が供給され続けます。雪渓は天然のダムです。
しかも日本は国土の大半が急峻な山岳地帯です。石徹白も標高が700メートルもある地点にありますが、水は高いところからたくさんの滝を作りつつ、海まで流れてくる。
この高低差の生む位置エネルギーが「水力」になるわけですが、それを一番仕掛けやすいのは、山から水が里に降りてきたところ、つまり山里なのです。

ご存知のように、私たちの国の高度経済成長では、この山里が見捨てられ続けました。伝統産業である林業が、エネルギー革命や海外からの安い木材の輸入の中で見捨てられてきました。
加えて、日本に合わない大規模耕作を目指した農業政策の誤りが、農村でもある山里をさらに疲弊させてきました。また工業重視の政策により、山里から都会への人口の大移動が続きました。
しかし山里の存在は、高度経済成長にとって足手まといだったのでしょうか。断じて否!それどころか日本の高度経済成長もまた、山里から流れてくる豊富な水があってこそ実現されたものでした。
その際、重要なのは、戦後、山里の人々が、営々と植林を行ってくれたことです。そのおかげで高い保水力が維持されてきた。それでこそ都市部への安定的な水の供給ができてきたのです。

日本は世界の中でダントツに森林面積の高い国です。現在の森林率は約67%。太平洋戦争中はどうだったのかというと、戦争のために乱伐が行われて45%まで落ちていました。
日本中にはげ山が現出していた。そうなるとどうなるか。各地に降る豪雨が、そのまま山肌を駆け下りていって、恐ろしい勢いで都市部を襲うのです。洪水の発生です。
戦後史を振り返ると、空襲の荒廃から立ち上がろうとした都市が、伊勢湾台風での災害など、繰り返し大規模水害に襲われていることが分かります。
このとき山里の人々は営々と植林を始めました。自分たちの裏山の荒廃を止めるため、主に杉などの針葉樹林を植えました。5年、10年と経つうちに次第に山がにぎわいを取り戻し、洪水が減っていったのです。

洪水が減るということは、水の供給が安定化するということです。ぜひ晴れた日に川のほとりにたって流れを見てほしいのですが、雨も降ってないのに豊かな水が流れるのは山が保水をしてくれているからです。
保水の源は樹木です。その樹木を植えた人々がいたから、水がひとたび山に保たれ、急峻な山肌を流れずに、伏流水となって都市のもとにうるおいの水となって届くようになったのです。
その意味で山里の人々こそが、私たちの国の高度経済成長の下地を作ってくれたのでした。戦後の植林があったからこそ、私たちはその後の工業的発展を享受できた。
しかしその恩が山里に返されたのかというとまったくそんなことはありません。成果は大半が都市部の企業のものに、あるいは都市部の生活者のものになってしまいました。かくして日本の山村は過疎化していったのです。

僕が小水力発電の試みに深く共感するのは、この試みの一番の適地が山里であることです。豊かな水が里に流れ落ちてきたところ、里の中にも高低差がたくさんある地域にこそ、さまざまな水車をしかける余地にあふれている。
しかし日本の河川には複雑な水利権などがあり、何をするにも当事者が集まっての協議が必要になります。一見、大きな障害なのですが、実はここにも面白さがある。
というのは水力を使おうとすると、さまざまな人々の利害調整が必要になるため、人々が集って話し合いをする必要が生じるのです。そしてそれがまた地域の再生の可能性を大きく広げることになりうる。
水力をめぐって、だんだんに失われてきた地域の中の話し合いや、地域そのものの見直しの機運が生まれてくるからです。ここに大きな魅力があるのです。

実際、山奥にある豪雪地帯のここ石徹白の方たちが、小水力発電にかける思い、合言葉は「将来にわたっても石徹白小学校を残す」だそうです。
小学校が残るとは子育て世代がいつも居続けることと同義です。それでこそ地域は存続できる。そして地域が存続してこそ、山里が守られ、山が守られ、木々が守られていく。そして木々が守られてこそ、都会が守られ、工業も商業も守られていくのです。
小水力発電には、この国が戦後の「猛成長」の中で捨ててきてしまった大事なものを取り戻していくものがあるように僕には思えます。
それは「競争と成長」というキーワードの中で、私たちが見失ってきてしまった何かなのではないか。水資源にとどまらぬ、心の栄養の何かなのではないかと僕には思えるのです。

そんな観点から、この二日間の小旅行でみたものを、レポートしていこうと思います。

つづく

・・・しかしこうして取材をして連載をするたびに、次の取材や課題が出てきてしまい、(あるいは僕の問題意識が拡散してしまい)連載途中で止まってしまうことを繰り返してしまっています。
大変、申し訳ないです。なんとかしないといけないと思っています。その点でこのレポートは、石徹白編と、今日、これから向かう白川郷編のあと2回で終えようと思います。ともあれごめんなさいです・・・。

 

 

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明日に向けて(730)被ばくしてもやれることはある!・・・被爆者を守った食生活の知恵に学ぼう!

2013年08月24日 22時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130824 22:00)

岐阜県郡上市の石徹白(いとしろ)という集落に来ています。小水力発電の視察旅行です。たくさんのことを見学させていただきました。
すでに現場から僕のFacebookのページに次々と記事をあげましたので、可能な方はご覧ください。
https://www.facebook.com/toshiya.morita.90

ここにも記事を書きたいところですが、今宵は昨夜、発信した子どもの甲状腺がんについての記事に次ぐものを優先したいと思います。被曝して、それでどうするかです。
タイトルに書いたように、被ばくしてもやれることはたくさんあります。さまざまな角度から命を守る闘いを作り出せるということです。中でも大事なのは、病にならない食事のすすめです。
この点でみなさんにぜひご紹介したいと思う文章に出会いました。8月2日に参加した京都被爆2世・3世の会の集会ののちに、会員の方から教わったものです。

この方は被爆者の夫を、主に食事の改善によって守り抜き、被爆後67年間の生きることを可能にされました。そのエッセンスを書いて下さっているのですが、何が大事なのかがコンパクトに書かれています。
読んでいてとても感動しました。こうした実践がすでに積み上げられてきているのです。あらためて、「こうすれば被ばくに対抗できる」との思いを強くしました。もっと被爆者の方たちの知恵に学びたいとも。
今宵はこの素晴らしい体験談をぜひみなさんとシェアしたいと思い、記事をしたためました。どうかできるだけ多くの方にお伝えください。とくに被ばくの影響に心身ともに苦しんでいる方に読んでいただきたいです。

被爆者を守った食生活の知恵に学びましょう!

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原爆被爆者の夫を67年間白血病にさせなかった食生活
雨宮正子

ヒロシマで原爆被害を受けた夫

1950年に結婚したころ毎朝髪の毛の抜けている夫に疑問を感じていました。
その後、高熱をよく出してどういしていいのかわからない毎日でした。
今のように民医連もなく開業医を訪ねても理由はわかりませんでした。
いただいた解熱剤でもショックし救急車で3度も運ばれました。
不安の続く中にあって3年後、ラジオで「佐倉連隊の宮崎隊長が白血病で死亡した」との放送がありました。このとき夫が
「俺の部隊の隊長だ」
といいました。この時初めて夫が広島で被爆したことを知らされたのです。
夫は広島で原爆投下を目前にした。
夫の話によると1945年6月19歳で招集され千葉県の佐倉連隊に入り1か月後、広島に派遣された。
佐倉連隊3300人は本土決戦に備え米子と広島に派遣され夫は広島にむかった。
広島の奥で本土決戦に備え穴を掘り火炎瓶と爆雷をかかえての訓練をした。
8月6日の朝、空襲警報の中、佐倉東部64連隊は貨物に便乗し広島市に向かった。
その目前で原爆投下を目の当たりにした。
青い黄色い煙、生暖かい光線、きのこ雲
隊長の説明で「広島市に新型爆弾が投下され市民13万人が死亡している。この遺体収容をするように」とのことだった。
夫は8月6日より10日間遺体収容をした。
焦土の上では履いていた靴もボロボロになり裸足で遺体収容をした。
と聞かされ、体内被曝も重傷だったのだと知らされました。
夫の被爆体験を聞かされたときは、子どもは3歳と1歳でした。私は夫が白血病になったらどおしようと不安でした。
理由のわからない高熱に夫は扁桃腺が腫れているからだといい、手術をしましたが治りませんでした。

体質改善の食生活を

医学書をみても原爆による治療のことはわからない、でも人間の細胞は60兆個もある、傷ついた細胞の修復には食生活で改善できることを見つけ出しました。
「傷んだ細胞も修復できる、10年はかかるけれども全部修復できる」の記述に食生活で夫の体を治していこうよ、と思い立ち調理の勉強を始めました。
東京の女学院の調理師科に入学し3年間、日本料理、西洋料理、中国料理の勉強をしました。
また栄養大学も聴講し食の科学も学習しました。ここで分かったことは食べ物にある体への影響、特に優れた唾液は発がん物質も死滅させるということです。
優れた唾液を作るには食の科学を正しくつかみ調理し食事を提供するということでした。

白血病にさせない食事作りを

1960年代のことを振り返ると、それは手探りのようでした。日本の高度成長期なのでラーメンが大量に出回り、加工食品が続々と生産され日本の食生活が大きく変貌する時でした。こうした中で外食がどんどん広がっていた時です。
免疫力をあげ細胞を回復させるにはまず酵素が求められるのです。
夫の好物は唐揚げなど揚げ物や加工品が何よりでした。
これらを消化させるためには大量の酵素が必要です。また酵素は過熱に弱いため免疫力を高める酵素はこわれてしまいます。毒素を排出し免疫力を高める食のために私は素材からの手作りに徹したのです。
農薬はいけない、食品添加物もいけない、加工食品もいけない、これらはすべて免疫力を壊すのです。ですからお味噌も自分で作りました。
いまは冷凍加工食品が大量に出回っていて簡単料理が山と出回っていますが40年もまえの時代に大豆をゆで、すり鉢でつぶし麹と塩を混ぜて寝かして作りました。
梅干しも糠みそも全部手作りです。こんな話をするとびっくりされるかもしれませんが私の糠みそは50年もかき回しています。
味噌や糠漬けは微生物により酵素が多く含まれていて夫の体に入り込んだ放射性物質の解毒になるのです。
糠みそは酵素が働きビタミンもつけた野菜についているので漬物としては最高です。
これらの材料を使って夫の食事やお弁当を40年間、作りました。
体内被曝で体内に残る放射性物質をとりのぞかないでいると活性酸素が生じこれが癌化していくと聞きましたので、白血病も血液の癌じゃないか、それなら血液をきれいにする食事を作ることが何より大切だと思いました。
ですから白血病にさせない食事は癌にかからない食事と同じと考えて食事作りをしました。

具体的には

米も野菜も卵もその他の食材も無農薬を進めているところから入れました。
素材からの手作りなので時には午前3時から煮込んだ日もありました。
だしからこだわって作るので夫はいつも「お母さんの作るものはおいしい」と言ってくれました。
季節の野菜、季節の果物、そして手作り、
「まごはやさしいこ」の食事です。この「まごはやさしいこ」の言葉を非行が問題になっている子どもの食事の講演を聞いとき、非行に走る子も脳の病気なんだ、だから「まごはやさしいこ」という食事をすることで脳の健康を守ることができるのだと思いました。

ま=豆 ご=ごま わ=わかめ・海草 や=野菜 さ=魚 し=しいたけ、きのこ い=芋 こ=米

これは日本の伝統的な食事です。これらの材料で日本の食文化を提供することで夫は被爆後67年、元気で生きてくれました。
今年の5月に87歳で亡くなりました。肺炎でした。救急車で運ばれて以来、私の調理した食事ができなくなり弱っていきました。
毎日、髪をとかす度にたくさん髪が抜けました。医者に「被爆者です」といっても「ああそうですか」という返事のみでした。
食こそいのちというけれど、全くその通りだと思いました。いま福島原発の影響でセシューム牛肉が学校給食に出されこれを抗議に行ったとき何の反応もない自治体の長の態度に激しい怒りを覚えました。
食べてしまったからしょうがないではなくデトックスをして下さいと心からいってきましたが、どうなったかまだ分かりません。食べてしまったからおしまいではなく私が夫にしたように、食生活改善で体の中に取り込んだ汚染をなくす食を進めさせたいと思います。

「学校給食通信 No.73 2012年12月30日発行より

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明日に向けて(729)子どもの甲状腺がんが40人以上に・・・大変なことが起こっている!

2013年08月23日 23時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130823 23:00) 20130828 22:30 数値を訂正

福島の子どもの甲状腺がんが相次いで見つかっています。20日に行われた福島県からの発表によると、これまで結果が判明した19万3千人のうち18人が甲状腺がんが確定、25人が疑いありと診断され、1人は疑いがあったものの陽性とされたそうです。
2013年2月の発表では38114人中確定3人、疑い7人でしたが、6月の発表では17万5千人中、確定が12人、疑いが17人となり、今回で19万3千人中、確定が18人、疑いが25人となりました。
この悪性の「疑い」は医学的に90%の可能性とされています。となると現在の数は19万3千人中、18+25×0.9=40.5人、切り上げで約41人であると言えます。(記事の表題には40人以上としました)
子どもの甲状腺がんの発症数は、世界的に100万人に1人から2人と言われています。それがすでに福島県でわずか19万3千人の検診で41人も出てきてしまっている。発症率を100万人1人だとするとなんと約2100210倍、2人としてもその半分の1050105倍もの割合です。ものすごく大変です!

この次々と見つかってきた子どもの甲状腺がんを、政府は「時期が早いので福島原発事故由来のものではない」と断定しています。僕はそんなことはない、福島原発事故が大きく関与していると思っています。
しかしここで指摘しておきたいのは、もし本当に原因が原発でないのだとしても、それはそれで問題だということです。なぜって、通説の1000100倍から2000200倍の割合で、甲状腺がんにかかった子どもたちが現にいるのだからです。
当然それには原因がある。原発以外の何らかの恐ろしいことがあることになるのです。しかし政府の発表も、政府に批判的な精神を貫けないマスコミも、この重大な点を見過ごしています。
この現実から直ちに考えなければならないことは、福島の子どもだけでなく、もっと広域の子どもの調査をしなければならないということです。原発事故のせいではないとするなら他県の子どもたちにも甲状腺がんが広がっている可能性が高いからです。

またやはり原発事故のせいだとした場合も、汚染は東北・関東の広い地域にまたがっているのですから、早急にその地域の子どもたちの検診を進めなくてはいけません。どちらの場合でも福島だけに調査を絞っていてはいけない。
最低でも東北と関東の全域の子どもたちを見る必要があります。いや、福島原発事故が原因でないというのであれば、全国の子どもたちの検診を進めるべきなです。にもかかわらず、なぜ政府の中からこうした発想が出てこず、マスコミもこの点を追及しないのでしょうか。
がんだけが心配なのではありません。甲状腺の悪化は、甲状腺の本来の機能である成長に必要なホルモンの合成機能の低下をもたらします。このためがんにならずとも、成長期の子どもたちには大きな支障がもたらされます。甲状腺がんが1000100倍から2000200倍も起こってきているのですからこうした支障も拡大しているはずです。
この場合、甲状腺の機能低下を調べるためにホルモン関連の血液検査をすればよいのですが、なぜか政府はそれを拒んでいます。また避難区域の住民を対象に行った血液検査の結果も、公表していません。なぜでしょうか。血液検査を行い、公表することに不都合を感じているからではないでしょうか。

これらも含めて考えられるのは、やはりこの甲状腺がんの拡大には被曝が大きく影響しているということです。そもそも政府は、チェルノブイリで事故後4、5年してから甲状腺がんが現れたかのような言い方をしています。だから今の甲状腺がんは原発由来ではないと述べていますが、それは間違いです。
自ら現地で医療行為にあたった菅谷昭現松本市長は、著書『原発事故と甲状腺がん』の中で、ベラルーシ全体で1986年は2例しかなく、100万人に1人か2人という国際的な発症水準が維持されていたのに、1987年には4例、1988年には5例、1989年に7例と徐々に増えていき、1990年に29例、ピークの1995年に91例となったことを明らかにしています。
事故前の11年間(1975~1985年)と、事故後の11年間(1986~1996年)を比較してみると、7人対508人にもなります。事故後の11年間で発症数が70倍以上になったのです。
これらから、チェルノブイリ事故でも、翌年から子どもの甲状腺がんは増え始めていたことがわかります。しかも当時は秘密主義の旧ソ連がまだ維持されているときでしたから、これ以外の事例が隠されたり、見つかっていなかったことも推察されます。

ただこの数字を見ると気になるのは、すでに日本では福島の子どもの一部をみただけで、国際的な発症水準の1000100倍から2000200倍というとんでもない発症率になっていることです。これはどういうことなのでしょうか。
しかもチェルノブイリの子どもたちと比較した場合、ヨウ素被曝に対して大きな違いがあります。日本に住む人々は天然のヨウ素を含んだ海産物をよく食べているため、ユーラシア大陸の内陸の人々よりも、もともと甲状腺が摂取している天然のヨウ素の度合いが高いということです。その点はある意味で有利な点なのです。
ところがものすごい勢いで発症率が上がりだしている。なぜでしょうか。二つの理由が考えられます。一つにそれだけヨウ素被曝が激烈だったということです。しかしもう一つ、実は政府が言うように、確かに以前からのがんもあるのではないか。というより放射性ヨウ素以外の発がん物質もあるのではないかということです。
具体的には特定できませんが、1986年のチェルノブイリの子どもたちと比較してすぐに分かることは、現代の日本に住む子どもたちの方が、圧倒的な量の化学物質に暴露されていることです。アトピーを抑えるための薬剤なども多様されている。これもまたがんの原因物質なのではないでしょうか。つまり複合汚染が襲ってきているのではないか。

同時に注意を促したいことは、こうした症状は、検査対象になっていない大人たち、19歳以上のすべての年齢層で起こっている可能性が大きくあるということです。とくに19歳から20代前半の調査対象となった子どもたちのすぐ上の年齢層の若者たちのことが気になります。
再び菅谷さんの書物からベラルーシ―の成人の例を見ていくと、事故前の11年間が1347人に対して、事故後の11年間4006人、3倍になっていることがわかります。エコー検査による掘り起こしで増えた可能性もあるそうですが、子どもほどの発症率ではないにしろ、大人の甲状腺がんも確実に増えているのです。
子どもと大人の発症率の増え方を比較すると、70倍と3倍ですから、子どもの方が約23倍増えたことになります。これを日本で起こっていることに単純に当てはめてみると(日本での事故前の発症率が100万人に1人だったとして)大人は子どもの23分の1増えるわけですから、2100210÷23=919.1で約909倍にもなることになってしまう。
もともと大人の発症率の方が高いですし、大人の方が人数もずっと多いわけですから、大人も実数ではかなりの方が発症されている可能性があります。大人の事故前の発症実数を調べればもう少し確からしい数字がでてくるでしょうが、ともあれここでは大人の発症のことも十分警戒しなければならないことがわかります。

私たちはこの大変な現実の前に立たされていることをはっきりと自覚する必要があります。かりに今、発症している甲状腺がんがすべて原発のものでないのだとしたら、それだけの大変な人体汚染が2011年3月11日以前に起こっていたことになります。そしてその痛んだ私たちの体の上に膨大な放射能が降ったのです。
いやより正確には確かに甚大な汚染が起こっていて、その上に大量の放射能による被曝があったために、今、大変な勢いで健康被害が顕在化しているという事実が私たちの前にあるのだというべきでしょう。私たちが向かい合うべきなのはこの現実です。
では私たちは何をすべきなのか。一つにあらゆる手段を尽くして、多くの子どもたち、いや大人も含めた大規模な甲状腺検診を実現し、できるだけ早期にがんを発見して退治していくことです。がんは早期に発見されるほど治療が有利です。だからこそ検診の拡大・徹底化が必要です。
同時に、私たちの体を信じて、ただひたすら免疫力を上げることに尽力することです。そのためにさらなる被曝を避け、化学物質を避けていくこと。生活のリズムを整え、身体を、命を大事にしていくことが問われます。

そのうえでぜひ目を向けて欲しいのは、甲状腺がんに限ってみていても、これだけ激烈な発症率の上昇が起こっているのですから、今後、あらゆる疾病が拡大する可能性があるということ、そのために医療が大変なことになる可能性があるということです。
医療界が崩壊しかねないほどの甚大な健康被害が拡大しつつある可能性があります。このことを見据えて、医療と福祉を支える市民的ムーブメントを作り出さなければなりません。一人一人が、自らの体を医療まかせ、医師まかせにすることを戒め、食の問題などにも精通していく必要があります。
そのためには食べ物の流通のあり方、作られ方などにも目を向けていかなければなりません。総じて命の問題、身体の問題、食べ物の問題にもっと大きな光を当て、それをこそ軸に社会を再編成していく必要があると思います。
その意味で私たちは今、根本的な改革=革命を志向すべきときに来たと言ってもよいのだと思います。

子どもの甲状腺がんの拡大・・・本当に大変なことです。だからこそ私たちは、この大変な事態を超える大きな決意を作り出しましょう。知恵を集めましょう。
被害の拡大を座して待っていてはいけません。身体を守るためにできることが無数にあります。だからそれを行いましょう。次々とやっていきましょう。
子どもたちとともに、未来を切り開くために力の限りを尽くしましょう。

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福島の子どもの甲状腺がん、疑い含め44人に 16人増
朝日新聞 2013年8月20日
http://apital.asahi.com/article/news/2013082000017.html

【大岩ゆり、野瀬輝彦】福島県は20日、東京電力福島第一原発事故の発生当時18歳以下だった子どものうち、44人が甲状腺がんやその疑いがあると診断されたと発表した。
6月から16人増えた。県は「被曝(ひばく)の影響は考えられない」とした。ただし、県の検査や説明に対して県民の間に疑問や不安の声もあるため、県は、専門家による新たな部会を作り、検査に問題がないか検証することになった。
6月以降に新たに診断された16人のうち、がんは6人、疑い例は10人だった。累計ではこれまでに結果が判明した約19万3千人のうち18人が甲状腺がん、25人が疑いありと診断された。1人は疑いがあったが良性だった。
この44人は原発事故時に6~18歳。がんの直径は5・2~34・1ミリ。がんは進行のゆっくりしたタイプだった。
事故後4カ月間の外部の全身被曝線量の推計調査を受けた人は44人のうち4割だけだが、全員2ミリシーベルト未満だった。
チェルノブイリでは4~5年後から甲状腺がんが増えたほか、今回の44人は複数回の検査でがんやしこりの大きさがほとんど変わっていないため、県は「事故以前からできていたと考えられる」と分析した。

しかし、県民の間には被曝影響に関する解釈や、検査の精度、情報公開のあり方などに批判がある。
このため県は、検査に関与していない専門医らによる専門部会を新設して、これまでの検査結果の判定や、がんと診断された人の治療、事故による被曝の影響などを改めて検証する。
事故当時18歳以下だった約36万人に対し生涯にわたり継続する甲状腺検査のあり方も改めて議論する。

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明日に向けて(728)チェルノブイリに学ぶために「カマレポ」を観よう!

2013年08月17日 09時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130817 09:00)

子どもたちの保養キャンプ周りを続けています。一昨日は「ごーごわくわくキャンプ」に参加。今日は「びわこ123キャンプ」に再度参加です!都合4か所にすでに5日間参加し、6回お話ししました。あと2回、お話しします。

子どもたちはどこでも好奇心旺盛。主に放射能の問題と健康の問題について話していますが、きちんと話せばかならず食いついてきてくれます。そして質問がどんどん飛躍しだす。
僕はそんな子どもたちの中から、私たちの想像もつかないような新しい世代が育ってくるのではという予想を感じています。
何より子どもたちは、大人たちの真剣な、必死の姿をたくさんみて、感じている。大人がこれほどまでに一生懸命に子どもたちを守ろうとしていることを、敏感にかつ強く感じ取ってくれています。

今、何か、とても大事なことが行われている。その中に自分たちはいる。自分たちを守ろうとする大人たちがこんなにたくさんいる。子どもたちは子どもたちなりにそんな理解をしているのだと思います
そして子どもたちなりの理解は、私たちの理解よりも柔軟で、とくに奔放な飛躍をします。その中から、私たちの手の届かない発想や知恵も生まれてくるのではないかと僕には思えます。
そんな場を作る一助となるために、僕もキャンプでの話をさせていただいています。子どもたちに関われるのはとても楽しい。

しかし一方でそんな子どもたちの上に放射能が降り注いだことを考えると、今更ながら、本当に、胸がかきむしられる思いがします。
今、必要なことは、これ以上の被ばくを最小限にする努力を重ねつつ、子どもたちの健康を守るためのあらゆる手を尽くすことです。
特に注意をしなければいけないのは、健康被害が出てくるのを座して待っていてはだめだ!ということです。免疫力をあげて健康被害を抑え込むこと、かつ被害が出てきた場合はすぐに察知して、病巣が小さいうちに撃退することが大事です。
そのために大切なのは、福島原発事故の「先行事例」に可能な限り学ぶことです。中でも大事なのは最近になってようやく全貌が見えてきつつあるチェルノブイリ原発事故に学びつくすことです。


ではいかにチェルノブイリに学ぶのか。その点で紹介したいものの一つが、映画監督、鎌仲ひとみさんが、2014年秋公開予定の、新作『小さき声のカノン―選択する人々』の完成にさきがけ、最新の取材レポートを届けでくださっている「カマレポ」です。有料動画です。
チェルノブイリ、福島の取材や、鎌仲さんの最新コメントなどを、月に一度届けてくださっていますが、何よりもベラルーシ、ウクライナの今に肉薄してレポートしているので、最新情報が伝わってくるのが大きな魅力です。
またカマレポの購読料は、新作の製作支援金として活用するとのことですので、動画の定期購入は、チェルノブイリの今を伝える鎌仲さんの精力的な活動を支えることにもなります。

すでに無料のお試し版と、第1回、第2回が配信済み。とくに第1回では、甲状腺被ばくの問題に即してベラルーシの今が描かれており、重要な最新情報が盛り込まれているのでぜひご覧になって欲しいです。
第2回で取り上げられたのは写真集『100人の母たち』にまつわる女性たちの動き。子どもとともに歩む母たちの姿は感動的で、ぜひこれもご覧になっていただきたいです。

ご紹介のためにカマレポのHPを掲載しておきます。ここからは無料でお試し版が視聴できますが、鎌仲さんはここでさらっと「放射能汚染とはいったいどういうことなのか」を語っています。
ご本人にお会いしたら「大した内容じゃないわよ」とおっしゃっていましたが、僕は短い時間に必要なエッセンスをぎゅっと詰めたとても分かりやすく、重要な内容に思えました。無料版ですので、簡単な文字起こしも添えておきますのでぜひご覧ください。

繰り返しますが、私たちのこれからにとって、広島・長崎原爆被害、そしてチェルノブイリ原発被害に学び続けることは、決定的と言えるほどに重要です。そのためには取材が必要です。
「カマレポ」の購読は、私たち自身が最新情報に学びつつ、鎌仲監督による貴重な現地取材を資金的にも心の面でも支えることになります。なので、ぜひみなさんに視聴していただきたいと思うのです。
定期的にレポートを受け取る中から、作品完成の際の、上映体制も作り出していけるといいですね。僕もぜひ京都での上映を担わせていただきたいと思っています。

以下、カマレポのページをご紹介します。鎌仲さんを応援し、私たちに一番必要な映画の作成を支えていきましょう!

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カマレポ
http://kamanaka.com/mailmagazine/

今、大事なのは、放射性物質がばらまれたことをどう理解するかだ。

放射能汚染とはいったいどういうことなのか。

1つは原発が爆発して出てきた放射性物質は、均質ではなくまだらに汚染が広がった!

原発からコンパスで円を引いたように立ち入り禁止区域や、居住困難地域が設定されているが、距離には関係ない。
距離が近い所よりも、遠いところの方が線量が高いところがある。これをきちんと踏まえる必要がある。

ベラルーシでもウクライナでも非常事態省という新しい政府機関を作り、汚染地図を作った。これがまだ日本ではなされていない。
私たちは、今回の事故によって引き起こされた汚染地図をもたない。早急に作るべきだ。

もう1つの特徴は放射性物質は測りにくいということ!

セシウムは測りやすいが、ほかに測りにくい放射性物質がたくさん出ている。短い放射線しか出さないので、測りにくい放射性物質があるが日本でそれを測っていない。
それは人体に影響がないのかというと、内部被曝をしてしまうと影響がある。それを知っておかなくてはいけない。
セシウムだけ測って、「こんなにないんだ」と思っても、ほかのものが測られていない。その中には寿命の長いものが多かったりする。
ベラルーシではストロンチウムという放射性物質を測っている。日本でも測るべきだ。

もう1つ、放射能汚染を理解するうえですごく大事なのは視覚化すること!

セシウムでもどれぐらいあるのかを知るのはすごく大事。自分立ちが食べる食べ物の中にどれぐらい入っているのかを測らないと安心できない。
測る体制をもっと作っていくことが大事。


私たちは見えにくい放射能からどう体を守ったらいいのかと思っているわけだが、放射性物質とは、放射線とはどういうものか、それが人間にどういう影響を与えるのかを、当たり前の知識として知ることが大事。
それが見えないものを感知したり、察知したり、直感的に「これは危ないのでは」ということを教えてくれる。そのために知識を持つことが大事。

そのために、単に難しい本を読むのではなく、現場からリアリティをもって、「カマレポ」「小さき声のカノン」とともに、みなさんにお伝えしたい。
ぜひ、カマレポにご注目を!


 

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明日に向けて(727)「放射能を怖がるのはかっこ悪い」というのは大間違い!(下)

2013年08月15日 09時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130815 09:00)

昨日の続きです!

なお、今回は最後に放射能からの身の守り方をお話ししましたが、もっとも有効な避難については触れていません。聴き手が自分で避難するか否か、極めて決めにくい小学生であることを考えてのことです。また話の主題が、「放射能を怖がるのはかっこ悪い」という言説を打破することにあったからです。そのため小学生でも確実にできる放射線防護とは何かを考えてお話ししました。

*****

最初に話したように、原発が爆発してたくさんの放射能が出ました。それは日本の中にたくさん降ったのだけど、実はその前からたくさん降っていました。ではいつから降っていたのかというと、アメリカは1950年代に太平洋でたくさんの核実験をしました。
水爆の実験が行われました。水爆は原爆とは威力がけた違いです。広島原爆の1000倍ぐらいの威力のあるような水素爆弾を何度も実験で爆発させました。そのころに地球上にものすごい放射能が降ってしまいました。
僕は1959年の生まれですが、核実験の放射能が一番たくさんあるころでした。だから実は僕の世代の人はそのころの放射能を浴びているのです。だから放射能を浴びる、浴びないで言えば、もう日本の中で浴びてない人はいません。世界の中でも浴びてない人はいません。それくらい核実験はひどかったのです。
そんなことまでして放射能をまき散らしたアメリカにとっても、これに対抗したソ連にとっても、同じく核兵器を作ったイギリスやフランス、中国にとっても、放射能は「そんなに害はない」ものでなければならなかったのです。
それで「放射能を怖がるのはかっこ悪い」と言い続ける必要があったのです。

それが福島の原発事故以降も、「放射能は怖くない」「放射能を怖がるのはかっこ悪い」と言われる理由です。実際には放射能は危ないです。できるだけ浴びるのを避けた方がいい。
でもどれぐらい浴びるとどうなるのかということも、実はあまりよくわかっていません。アメリカが研究させてくれなかったからです。データを全部持ったまま、死蔵させてきたのです。
とくに人間の場合、回復能力を持っています。細胞が何かによって壊されて、自分で回復していく力を動物の中で一番持っているのは実は霊長類です。サルやチンパンジー、ゴリラや人間のことだね。だから人間はもともと免疫力が高くて、自分の体を治す力が強い生き物なのです。
だから、放射線を浴びてしまうと、もうどうしようもないのかというとそんなことはありません。

たとえばショウジョウバエというハエは、放射線を浴びてしまうと、元には戻れません。放射線で壊されたままのものが遺伝していきます。しかし人間の場合は治す力も持っているのです。だから免疫力を上げていく必要がある。
そのことを僕は日本中の人が考えるときにきたと思っています。福島だけではないんだよ。実は日本中にもう放射能は降っていたのだね。チェルノブイリ事故でも降りました。スリーマイル島事故でも降りました。でもその前に核実験でたくさん降りました。
だから実はこれまで世界の中で一番、被ばくしてきたのはアメリカ人や旧ソ連の人たちでした。なぜかというとアメリカの中には核兵器工場がたくさんあります。実はしょっちゅう事故を起こしてきたのだけれど、軍事秘密なので、事故を起こしてもすぐには何も教えてくれない。ひどいところは10年間、秘密になっていました。
そこからプルトニウムという一番、怖くてやっかいなものがたくさん漏れ出してしまって、被ばくした人、亡くなった人がたくさんいます。

実は僕の親友で、昨年亡くなった安藤栄里子さんという女性がいました。その人は40歳を越えて亡くなったのですけれど、高校生のときにアメリカに留学したのですね。そこがアメリカの事故を起こした軍事工場の風下にあたっていました。この工場からプルトニウムが漏れたので、吸ってしまった可能性が高いのですね。
それで日本に帰ってきて、だいぶん経ってから、難しい言葉だけれど「多発性骨髄腫」という血液のがんになってしまいました。それで去年、亡くなってしまったのですけれど、多発性骨髄腫はいろいろな症状が「多発」する病気です。
彼女の場合は、最後は肝臓にがんができたのだけれど、プルトニウムというのは実は肝臓に集まりやすい物質なのです。だからなかなか証明することは難しいのだけれど、核兵器工場の風下に住んでしまったので、それで被ばくした可能性が高いのですよ。
なぜ高いと言えるとかというと、彼女のホストファミリーも、家族みんなが、がんになっているからです。

アメリカなどでもそういうことがありました。それで世界の中で、放射能の害をもっときちんと調べて、明らかにしていこうという声がどんどん高まっています。そういう人たちは福島原発事故で被害を受けた私たちを応援してくれています。
今日も、福島のCRMSという測定所に関わっている方も来られていると聞いていますが、CRMSもフランスの人たちがすごく協力してくれました。フランスはチェルノブイリ事故があったから、放射能がもたらす苦しみをよく知っているのです。それで最初に測定器などをカンパしてくれたそうです。
放射能の問題で苦しんでいるのは広島・長崎だけではないのです。たくさんのところで人々が苦しんでいます。日本は唯一の被ばく国と言っているけれど、間違いです。一番最初に原爆の関連で被ばくしたのは、ネバタ砂漠からウランを堀った人たちです。ネイティブ・アメリカン、あるいは「インデアン」の人たちが多い。
その次は、アメリカは広島・長崎に先立って、ニューメキシコというところで初めての核実験をしました。メキシコとの国境の近くです。だからその周辺の人が被ばくしてしまいました。その後は太平洋の島々でもたくさんやりました。だからヒバクシャは世界中にいます。

例えば、子どもたちは知らないだろうけれど、アメリカの古い映画俳優でジョン・ウエインという人がいました。カウボーイの映画などにたくさん出ていました。1950年代、60年代によく映画を撮ったのだけれど、その撮影場所の多くがネバタ砂漠だったのです。
そこで撮影した映画クルーの半分以上ががんで亡くなっています。西部劇で、砂の中を馬や馬車がパカパカパカっと走っていくかっこいいシーンがあるでしょう。そのときに砂をワーッとかぶりながら鞭をバシッとかやっていますが、あれは実はみんな被ばくシーンだったのです。

もう一度、今までの話をまとめます。放射能の問題というのは、広島・長崎原爆から始まっています。「放射能は怖くない」とか、「放射能は身体にたいして害はない」とか言い出したのはアメリカ軍です。一番、放射能を撒いた人たちです。
戦争犯罪である原爆の使用を行ったアメリカ軍が、「放射能は怖くない」と言い続けてきたのですから、やっぱり、それに騙されてはいけないのです。そのために被ばくの害から体を守ることを、みなさん、ぜひ考えてください。

では放射能の害から身を守るために、みなさんはどうしたらいいのか、一番のポイントを言います。放射能はさっきも言ったように、線で飛んでくる放射線よりも、放射線を出すものが飛んでくる方が怖いです。これを体の中に入れないことが大事です。
みなさんが確実にできる、効果があることを言うと、単純ですけれども、手洗いとうがいです。それからマスク。夏はね、マスクはしんどいけどね、風の強いとき、砂が舞っているようなときは夏でもマスクをした方がいいです。
あとはとにかく手洗い、うがいです。これは放射能だけではない。あらゆる汚染物質、インフルエンザウイルスなどもそうですが、そういうものを身体の中で一番運ぶのは手です。手はあちこちを触れるからです。手にいろいろなばい菌や、ウイルスや、放射能がつきます。だから手を洗うのが大事です。
家の中でも、汚染からきれいにしようと思ったら、手が触るところ、ドアノブやスイッチなどをこまめに拭くといいです。だから外から帰ったらまずは手洗い、うがいをすることです。

僕はこのことを誰に習ったのかというと、お医者さんに習いました。お医者さんたちは、放射能だけではなくて、たくさんの患者さんが来ますから、どのような病気に出会うかわかりません。お医者さんたちは一番、感染しやすいところにいるのです。
でもお医者さんたちはそんなに簡単に感染しません。なぜかというと繰り返し手洗いをするからだそうです。一日に20回以上も洗うと言っていました。もちろんマスクもしていますが、手洗いはとても重要ですよと教えてくれました。
今の日本の状況では、東北でも関東でも、放射能がずっと動いているし、関西や西日本は、中国から飛んでくる黄砂の影響がすごい。黄砂もすごく体に悪いです。それに中国や旧ソ連が核実験をした方向から飛んでくるから、その放射能の危険についても心配されています。
だからそういうものを除去するためには、マスク、手洗い、うがいが大事です。これは実行できるでしょう。毎日、行ってください。効果があります。

大人の方たちは、インフルエンザ対策、花粉症対策が、そのまま放射能対策に使えます。ネットなどで引けばいろいろと対策が書いてありますから、それを参考にして、できるだけ放射能が体の中に入らないようにしてください。
放射能の話はこれぐらいにしたいと思います!

終わり

 

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明日に向けて(726)「放射能を怖がるのはかっこ悪い」というのは大間違い!(上)

2013年08月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130814 23:30)

このところ、関西で行われている保養キャンプにたびたびお邪魔して、子どもたちにお話を繰り返しています。
8月2日に、やんちゃっこイン枚方でお話しし、10日に「元気いっぱいびわこキャンプ」で、12、13日と「びわこ1、2、3キャンプ」でお話ししてきました。
明日の15日は「ごーごーわくわくキャンプ」で、17、18日に再び「びわこ1、2、3キャンプ」でお話しします。

今日はこの中で8月2日に、枚方でお話ししたことの一部を紹介したいと思います。
ここで僕が取り上げたのは、福島の中学生の一部で「放射能を怖がるのかっこ悪い」という言葉が流行っているということについてでした。どれほど流行っているのかわかりませんが、もちろんそんなことはまったく間違っています!
そのことを子どもたちに一生懸命に伝えたのですが、この内容を福島だけではなく、そんな話をしているすべての子どもたち、いや大人たちに届けたいと思って、この内容を記事にしました。
以下、当日の話をテープ起こししました。お読みください!

*****

「放射能を怖がるのはかっこ悪い」というのは大間違い!


今日は体の免疫力をあげるための食べ物の話と放射能の話をしますが、まずは放射能の話をします。

福島原発の事故があって、たくさんの放射能が飛びました。では放射能って何ですか。わかる人いるかな?子どもが手が上がらないから大人の人、どうでしょうか。ではNさんに聞きましょう。

N えー・・・。うーん。いわゆる電離放射線というやつですね。

電離放射線・・・。ブー。それでは子どもたちにはわかりません。

N 物質が違う物質に変わるときに、線と言ってもアルファ線とベータ線とガンマ線とあって、それは物質を伴うものと・・・うーん・・・お任せします。すいません。

一同、笑い

あのね。放射能というのは、漢字で書くと、能力の能がついています。だからもともとは放射する能力という意味です。
放射線の方はもともとはたくさんのものがあります。みなさんが知っているもので言えば、電波もそうです。光線もそうです。放射線というのは放射状に出るものです。
放射能というのはもともとはそれを出す能力のことを言っていたのだけれど、放射線を出すもののこともさします。放射線を出すもともとのもののことです。
放射線にはいろいろなものがあるのだけれど、さっきNさんが言っていたいくつかの放射線が体に悪い。だからその放射線を浴びない方がいいということです。

放射能はものだから、ものとしてあちこちに移動してしまいます。放射線は放射能から出てくるので、届かないところまで離れたり、さえぎるもにがあればあたることはありません。
放射能はものなので、原発から出ると風にのり、雲にくっついて、雲がたどり着くところまで行ってしまいます。
放射線はそれが出てくる放射能から離れれば離れるだけ弱くなる。光と思えばいいです。光は近くにあると明るいけれども、離れればどんどん暗くなるでしょう。それが放射線です。
放射能は光で言えば、ライトそのもので、それが移動するから、どんどん自分に近づいてもきます。だからどちらが怖いのかというと、放射能が身の回りに近づいてくる方が怖いです。そっから放射線が出てくるからです。

放射線が体にあたると私たちの体を作っている細胞が壊されてしまいます。だから放射線はできるだけ浴びない方がいい。
でも人間には免疫力があります。身体の力です。放射線が体の細胞を壊しても、免疫力があると、身体を治すことができます。だから放射能に対しても、体の力を上げることが大事なのです。
今日、みなさんに放射能についてお話しする上で、放射能が細胞を壊すメカニズムのことになると、中学生以上の科学が必要になってしまうので、難しい。それで一番、大事な問題を話したいと思います。

というのはNさんに聞いたのですが、今、福島の中学校の一部で、「放射能を怖がるのはかっこ悪い」ということが言われているということを聞きました。僕はかなりショックを受けました。
なぜショックを受けたのかというと、一番、最初にこういうことを言い出したのはアメリカ軍だからなのです。これが今日、一番、話たいことです。
今日は8月3日ですよね。あと3日経つと8月6日になります。この日は何の日か知っていますか?

子ども 終戦記念日

終戦は8月15日。8月6日は何があったでしょう。

子ども 広島原爆

そうだね。では長崎は何日ですか。

子ども 9日

そうだね。8月6日と9日に広島と長崎に原爆が落とされました。もともと放射線と人間の関係が調べられたのは、この広島と長崎です。
今、私たちが自分で放射能の問題を調べていると、みんな途中で分けがわからなくなってきます。人間が放射線をどれぐらい浴びると危険なのかということについて、ものすごく意見の違いがあるからです。
放射能はそんなに怖くないものだと言っている人がいて、放射能は少しでもとても危ないと言っている人もいて、科学者の間でも意見がバラバラです。
なんで意見がバラバラなのか。その歴史をずっと辿っていくと、一番、最初に放射線をこれぐらい浴びると体がこうなるということがどこで調べられたのかにというと、この原爆なのだということに行きつきます。

調べたのは誰かが問題なのです。答えはアメリカ軍です。落とした人たちが調べたのです。なんで調べたのか、一つはアメリカが開発した原爆の性能を知るためです。もう一つは調べることが目的ではなくて、原爆の人間への影響をできるだけ小さく見せたかったのです。
つまりアメリカが原爆であまりにもひどいことをしてしまったからです。これが話しの元として一番、大事なことなのですよ。8月6日はニュースなどで原爆のことをたくさんやると思うからぜひ見てください。
アメリカ軍は原爆を本当にひどい形で落としたのです。どうひどいのかというと、原爆が落とされる前に、アメリカの飛行機が毎日のように広島にやってきました。広島の上空からいろいろな時間に市内をくまなく写真を撮りました。
なんでそんなにいろいろな時間にたくさんの写真を撮ったのかというと、一体、何時何分に市内の人が一番、建物の外に出ているかを知りたかったのです。それが8時15分だったのです。
なぜか。昔の人は外で朝礼をやっていました。あるいは出勤中だった人もいました。そこに原爆を落としたら熱線と放射線でどれだけの人が死ぬのか。人間がどうなるのかということをアメリカ軍は知りたかったのです。ひどい話でしょう。

子ども サイテー。自分の国でやればいいのに。

そうだね。自分の国で・・・。うーん、それはちょっと。(大人から笑い)
あのね、アメリカは自分の国でもやったの。どうやったのかというと、さすがに人の上には落とさないよ。でもアメリカ軍は原爆を落としたところに向かって、アメリカの兵士に突入させたりしたの。アメリカ軍の兵士たちを使って人体実験をしたんだね。
あるいは原爆のつくるきのこ雲があるよね。あの雲の中にB29という飛行機を突入させたの。そのために使われた人たちをアメリカで、アトミックソルジャーといいます。アトミックは原子力のこと、ソルジャーは兵隊のことです。原子兵士だね。
その人たちも、その後に広島や長崎の人たちと同じように体が悪くなったのです。

今日、僕がこの話をするのは8月6日と9日が近いので、みなさんに原爆のことを知って欲しいからです。
スライドを見てもらいましょう。広島の原爆ドームの写真です。原爆はこの上空に落とされました、落下傘でゆっくり降りてきて、上空数百メートルで炸裂しました。今、このドームから見えるところに平和記念公園が作られていて、毎年8月6日にここで慰霊祭が行われます。
アメリカ軍はこの広島や長崎でABCC、原爆傷害調査委員会という調査機関を作りました。この組織が原爆の被害者をたくさん調査しました。
この調査は広島や長崎の人にすごく恨まれています。なぜかというと、被ばくした人をヒバクシャと言いますが、アメリカ軍はジープで乗り付けてきてヒバクシャを病院まで連れて行って、裸にして、調べて、極めつけは一切、治療をしませんでした。
なんで治療をしなかったのかというと、治療をすると、被害があった証拠が残ってしまうからです。アメリカ軍は、放射線の影響で体がどうなっているのかだけを知りたくて、治療をしなかったのです。
とくにヒバクシャの方が亡くなると、アメリカ軍が遺体を欲しがって、強引にひきとって解剖をしました。だからアメリカは本当は資料をたくさん持っているのです。ぜんぜん表に出しませんが。

アメリカ軍はなぜ原爆の非人道性を隠そうとしたのか。これもあまり知られていないのですが、実は原爆が落とされて、日本が降伏した直後に、イギリスのロンドンやアメリカのニューヨークの新聞記者さんたちが、広島に潜入ルポで入ってくれました。
それで「広島では人々は原爆病としかいいようのない未知の理由によって、未だに不可解かつ悲惨にも亡くなり続けている。」「原子爆弾はいまだに日に100人の割合で殺している」という記事が出ました。
アメリカやイギリスの中からも、「これはあまりにもひどいではないか」「戦争が終わっても人を殺し続けるのはあんまりだ」ということがどんどん新聞にでました。
これに対して、アメリカのマンハッタン計画という原爆を作った計画の副責任者のファーレル准将という人が東京で記者会見をして、「死すべき人は死んでしまい、9月上旬において原爆で苦しんでいる人は皆無だ」という発表をして、9月18日に原爆の報道を一切禁止してしまいました。
以来、1945年から1952年まで、原爆のことは一切報道してはならなくなってしまいました。「原爆のことはアメリカ軍の最高機密である。このことを勝手にしゃべる人間は逮捕する」。こういう理由で、広島・長崎のヒバクシャの人たちは、自分の体がどうなっているかを一切、語ってはいけないと言われたのです。

本当にひどい目にあっている。お医者さんたちも、治療をしてもいいけれども、そのことを他の人に話してはいけない。研究もしてはいけないと言われました。
だけど、お医者さんたちも、そんな放射線の被害などみたことがなかったので、どうやって治療をしたらよいのかわからない。そうすると免疫力をあげようと考えます。どうするかというと味噌を食べさせたりした。味噌は体に良かったのです。
それでお医者が集まって、「どうだった」「味噌を食べさせた」「それで」「体にいいみたい」と話しているとアメリカ軍がやってきて、逮捕するということになってしまいまいた。実際に逮捕されたお医者さんもいました。
それでお医者さんの方もヒバクシャの人たちを見るのが怖くなってしまいました。そんな風に被ばくの実態は隠されてきたのだけれど、実はおんなじことが今になっても続いているのですよ。

原爆の被害をもう少し見えていきます。原爆は広島ドームの上で破裂しました。大きな火の玉ができて、そこから熱線と放射線が出ました。原爆の直下では熱が何千度にもなったので、たくさんの人が一瞬に焼き殺されました。
そのあとにきのこ雲があがり、たくさんの放射能がその中に舞い上がっていきました。きのこ雲はその後に大きく広島の上空に広がっていき、その下にあるところのすべてに放射能を降らしました。本当に広範なところがきのこ雲がから落ちた放射性の汚染物によって汚染されてしまったのね。
ところがアメリカ軍は、この汚染によっては健康被害は生じなかったと言い張りました。そして原爆が落ちて爆発した真下のところから半径2キロ以内の人は、放射線をかぶって傷害が出たけれども、それ以外の人には放射線による傷害はでなかったと今日までいい続けています。
ではその根拠は何かというと、半径2キロ以外の人は調査もしなかったことですす。だから被害がデータにならなかったわけです。

ではなんでアメリカはこんなことを言い張ったのかと言うと、さっき、「だったら自分の国でやれよ」という話がありましたけれど、戦後に実際にどんどんやりだしたのです。
つまりアメリカの中でも核実験をやったし、そこに兵士たちを突入させたりしました。また兵士だけではなくて、きのこ雲が生じるから、周りに住んでいる人の家にまで影響が行ってしまいました。それでアメリカの住人がいっぱい被曝したのです。
アメリカはそれも隠したかった。だから「放射能の害は小さい」「放射能の害はそんなに怖がる必要はない」ということをすごく宣伝したのです。「放射能を怖がるのはかっこ悪い」というのは、アメリカ軍が最初に言ったことだというのはそういう意味です。

続く 


 

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明日に向けて(725)【拡散希望】長崎平和宣言に賛同を!

2013年08月10日 11時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130810 11:00)

繰り返しこの課題について触れていますが、昨日8月9日は、長崎に原爆が投下されてから68年目の日でした。
この日、田上富久長崎市長が、長崎平和宣言を発しましたが、素晴らしい内容でした。ぜひみなさんにご一読願いたいと思います。

また長崎市が、この平和宣言の賛同者数を調査していますので、長崎平和宣言に賛同される方は、下記からサイトに入って賛同の「クリック」ボタンをクリックしてください。
下段に英文サイトもしめしておきます。ぜひ英語圏のご友人にも一読をお勧めください。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/english/appeal/index.html

以下、宣言をご紹介します。IWJが撮影してくれた動画も張り付けておきます。

*****

平成25年長崎平和宣言

68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久

動画(by IWJ)
http://www.youtube.com/watch?v=kCWu1jkPhiY&feature=youtu.be

*****

この平和宣言、全体が格調高く書かれていて感動的ですが、僕はとくに田上市長が、今年4月、80か国が賛同した「核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明」への署名を日本政府が拒否したことへの正面からの批判を掲げたことに共感しました。
長崎市が求めている賛同署名は、核兵器の非人道性を認めない日本政府に対する抗議への参道の求めでもあると思います。そこでこの共同声明についてもご紹介しておきます。

核兵器の人道的影響に関する共同声明
http://npt2013.files.wordpress.com/2013/04/joint-statement_jp.pdf

核不拡散条約(NPT)をいかにとらえるのかについてもコメントしておきたいと思います。この条約は核兵器廃絶を目的に1963年に国連で採択され、62か国の調印のもと、1970年3月に発効したものですが、アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、中国を核保有5大国として認め、それ以外への核の拡散を禁止したものです。
5大国にも核軍縮の義務が課せられていますが、核保有国にとってはこの条約を通じて、それ以外の国への核をめぐる軍事的優位性を確保してきた面もあり、差別性がある条約であることを指摘せざるを得ません。
またこの条約は、「核軍縮」、「核不拡散」、「原子力の平和利用」を三本の柱としており、国際原子力機関(IAEA)に大きな位置を与えることなどで、原発を推進していく位置性も持っています。批判すべき点も多い条約です。

しかしそれでも注目すべきことは、2010年5月現在で、世界の190か国がこの条約に参加していることです。拒否しているのは、核開発競争を行っているインド、パキスタンと、密かな核開発が指摘され続けているイスラエルのみです。
さらに参加した5大国をのぞく多くの国が、まがりなりにも核兵器廃絶を掲げたこの条約の枠組みを利用しながら、実際に世界を核の脅威から解き放つための可能性を広げようと努力を重ねてきており、それが繰り返されてきたのが「再検討会議」の場です。
なぜ「再検討」なのかと言えば、この条約は25年の時限付きで発効しました。そのため1995年に「再検討・延長会議」が行われ、無条件、無期限延長が決定されたのでした。そのもとで5年ごとに「再検討会議」が行われてきており、現在は2015年開催の会議の準備が行われています。

このもとで2012年5月2日に「核軍縮の人道的側面に関する16か国共同声明」が出されました。署名国はオーストリア、チリ、コスタリカ、デンマーク、バチカン、エジプト、インドネシア、アイルランド、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ナイジェリア、ノルウェー、フィリピン、南アフリカ、スイスですが画期的な内容が盛り込まれました。
何が画期的なのかと言うと、「すべての国家は、核兵器を非合法化し、核兵器のない世界を実現するための努力を強めなければなりません」と、核兵器を非合法化せよとの一文を盛り込んだことです。当該箇所を以下にご紹介します。

*****

議長、人道上の深刻な懸念に加え、核兵器の使用は、重要な法的な問題をも提起します。核兵器は、その破壊的な能力のために、また、その制御不能な時間的、空間的な影響のために、独特のものです。国際人道法のすべての規則は、核兵器に対して完全に適用が可能です。
とりわけ、それらの規則には、目標区別、均衡性および予防措置、ならびに過度の障害または無用の苦痛の禁止、また、広範な、長期の、重大な環境への損害の禁止が含まれます。
最近、国際赤十字および赤新月社運動代表者会議は、あらゆる核兵器の使用に起因する計り知れない人間の苦痛を強調するだけでなく、いかなる核兵器の使用であっても、国際人道法の規則といかに両立しうるかを思い描くことは困難であることを強調する決議を採択しました。

議長、もっとも重要なことは、このような兵器が、いかなる状況の下においても二度と使用されないことです。これを保証する唯一の方法は、NPT第 6 条の完全な履行を通じたものを含め、効果的な国際管理の下での、全面的、不可逆かつ検証可能な核兵器の廃絶であります。
すべての国家は、核兵器を非合法化し、核兵器のない世界を実現するための努力を強めなければなりません。市民社会は、核兵器の著しい人道的結果および国際人道法の関与の必要性についての意識を高めるうえで、重要な役割を果たします。

全文は以下より

2015 年核不拡散条約再検討会議第一回準備委員会
核軍縮の人道的側面に関する共同声明
http://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/datebase/document/no1/20120502-3/

*****

この宣言は同年10月22日には34か国とオブザーバー国であるバチカンに拡大しました。以下、署名国を記しておきます。
アルジェリア、アルゼンチン、オーストリア、バングラデシュ、ベラルーシ、ブラジル、チリ、コロンビア、コスタリカ、デンマーク、エクアドル、エジプト、アイスランド、インドネシア、アイルランド、カザフスタン、リヒテンシュタイン、マレーシア、マルタ、
マーシャル諸島、メキシコ、ニュージーランド、ナイジェリア、ノルウェー、ペルー、フィリピン、サモア、シェラレオネ、南アフリカ、スワジランド、タイ、ウルグアイ、ザンビア、そしてスイスの34か国ならびにオブザーバー国であるバチカン。

今回、4月に打ち出された80か国による共同声明は、こうした2012年に重ねらてきた合意に基づくものでありながら、被爆国日本をぜひとも参加させたいとの思いから、画期的であった「核兵器の非合法化を求める」という内容を削除したものでした。
内容的には一歩後退ですが、世界の多くの国々は、原爆を投下された日本こそが核兵器の非人道性を告発するこの共同声明に参加することが重要だと考え、アメリカにこびへつらう日本政府の立場を考慮して、「非合法化」を落としての日本の参加の道を開いてくれたのでした。
ただ一方的に内容を後退させたわけではありません。この声明は冒頭で、核兵器の非人道性への批判がNPTの存在理由そのものでありながら、長い間、黙殺されてきたことを告発し、核兵器の非人道性と対決していくことがNPTの課題であると高らかに宣言するものにもなっているのです。

ところがそうまでして、核兵器の非人道性を訴えようとする世界の流れを日本政府は完全に裏切ってしまったのです。何ということでしょうか。日本政府が述べた理由は日本の安全保障上の利害に反するからとのこと、とくに次の文言が合意できないのだそうです。
「核兵器が二度とふたたび、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかっています」・・・。日本政府は「いかなる状況下においても」という文言は、日本の安全保障上の利害に合致しないという。状況次第では核兵器の使用は善だという立場に私たちの国の政府は立ち、非人道性の告発の前に立ち塞がったのです。
こんなことでどうして原爆で犠牲になった被爆者を追悼することができるでしょうか。田上市長の宣言は、列席していた安倍首長に対する渾身の批判でした。

そればかりではありません。田上市長が正しくも指摘したように、日本政府の行っているインドへの原発輸出=核技術の提供は、NPTに世界で3国だけ背を向けている国の一つのインドに味方することであり、結果的にはインドとパキスタンの核開発競争に拍車をかけるものにほかなりません。
NPTが形骸化すれば、NPTからの脱退の寸前でとどまっている北朝鮮の核開発にも口実を与えてしまいます。しかもインドと対立しているパキスタンにミサイル技術を提供しているのも北朝鮮です。インドが核技術を向上させれば、当然にもミサイル技術提供者の北朝鮮のパキスタンにとっての位置は増すでしょう。アジアの核をめぐる緊張は高まるばかりです。
安倍首相は式典において、核廃絶の努力を口にしましたが、この方は本当に平気で嘘を繰り返す方です。どうしてそんな嘘が平気でつけるのでしょうか。あまりにもひどいです。

みなさま。ぜひ長崎平和宣言への賛同をお願いします。同時にできるだけたくさんの方に、この宣言のことをお伝えください。賛同をお願いしてください。
日本語、英語、中国語、韓国語、フランス語、ロシア語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、オランダ語、以上、10の言語で出されているので、それぞれの言語を使われる地域の方へもお伝えください。
核兵器の非人道性の告発に背を向ける日本政府に市民的な圧力をかけていきましょう。よろしくお願いします。

 

 

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