明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

被爆二世・三世健康調査アンケートについてーZoom公開講座『被爆二世健診…43年目の真実~データが語る遺伝的影響と「ほしょう」を考える~』へのお誘い その2 明日に向けて(2200)

2022年05月03日 20時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20220503 20:00)

6月5日にzoom公開講座を行います。午後1:30から4:00までです。

すでに企画は終了しました。以下から録画をご覧いただけます。


前回もお知らせしましたが、6月5日にzoom公開講座を行います。
一つに、1982年、厚生省が「遺伝的影響は認められない」と公表しようとした「健診結果集計データ」が、むしろ遺伝的影響をしっかり示していた衝撃的な事実を森川聖詩さんから明らかにします。
二つに、京都「被爆二世・三世の会」が2019年から取り組んできた「被爆二世・三世健康アンケート調査」の中間的とりまとめ報告を、守田敏也が行います。

参加費無料ですが、可能な方は以下に投げ銭をお願いします。
ゆうちょ銀行 記号14440 番号35292631 名前 タイラ ノブユキ

神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部、京都「被爆二世・三世の会」の共同主催での企画です。
連絡075-811-3203(平)090-3540-1590(森川)morita_sccrc@yahoo.co.jp(守田)


被爆二世・三世健康調査アンケートのとりまとめにご注目を

二つ目は健康調査アンケートの中間とりまとめ報告ですが、これまた万感の思いを込めて発表したいと思っています。
この調査は進めるにあたっていろいろな辛さも経験せざるを得ないものでした。何故なのかと言えば、被爆被害があまりに酷いからです。調査の欠かせない前提として、たくさんの被爆証言を読み込みましたが、被爆を体験することそのものでした。
また被爆二世・三世からの聴き取りでもさまざまな身体に起こったことだけでなく、それと密接に絡まりつつ、家庭内で起こったことなど、本当に多様な被害・苦しみを知ることとなりました。

しかし調査の中で、被爆二世・三世や核実験や原発事故などのヒバクシャの多くが、孤立しながら苦しんでいること、調査はそこに光を当てることでもあることが力強く見えて来ました。
多くの方が、自分の苦しみを被曝に結びつけることができず、自分だけに起因する、孤立した苦しみとしてもがいています。しかし被爆影響が見えた時、「自分のせいではなかった」「孤立してない。仲間がいる」と見えてきて、光が差し始めます。
もちろん私たちはそこで止まってしまうつもりはありません。被爆被害を抱えながら、どうしたらよりよく生きれるのか、さまざまな知恵を共有して被爆二世・三世の生活の質を上げていきたいのです。
同時に、この苦しみは、核被害者へのほしょう、補償・保障・保証を国から引き出すことによってこそ、軽減されなくてはいけない。いや、それでこそ命を守ることもできるのです。だから実情を集め、国にしっかり提示していく必要性があります。

それは日本被団協を中心に、原爆被爆者の先達の方々が、さまざまに勝ち取ってきた権利をさらに拡充することですが、こうして被爆二世・三世への「ほしょう」を広げることは、他のすべての核被害者救済の道の拡充にもつながります。
核実験、そして福島原発事故などのヒバクシャ、世界のヒバクシャの権利の拡大にもつながるのであり、だからこれはすべての人の権利、あなたの権利を拡大させることにしっかりと連なっていくのです。
これらの点を、明らかにするために、守田から中間報告を行なわせていただきます。ちなみにアンケートは以下のようなものです。いまも募集を継続しています。

被爆二世・三世、そして未来世代の健康を守るためあなたのことを聞かせてください
http://aogiri2-3.jp/chousa/2020chosa.pdf

6月5日の企画へのみなさんのご参加をお待ちしています!

#被爆二世健診 #被曝の遺伝的影響 #森川聖詩 #神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部 #京都「被爆二世・三世の会」 #核被害者への「ほしょう」 #被爆二世三世健康調査アンケート

参考動画
被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望 2021年9月12日

福島の今、復興の今、被爆問題の今、2021年の原発・放射線防護問題を振り返る 2021年12月19日

*****

戦争と原発から命を守るとともに、民主主義を育てるための取材・執筆活動のためのカンパを訴えます。どうか支えて下さい。よろしくお願いします。
振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
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労働者の団結に恋い焦がれてー「人と人をつないでつないで京都府知事にチャレンジーかじかわ憲インタビュー2」  明日に向けて(2187)

2022年04月06日 10時05分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20220406 10:05)

京都府知事選にチャレンジしている、かじかわ憲さんのインタビュー2回目です。


普段着のかじかわさん

―労働者の団結に恋い焦がれて―

守田 
それでそこからは京都教職員組合の専従になったんですか?そのまま現場に戻れなくかったわけですか?では教員としては現場は4年しかやれなかった。

かじかわ 
そうなんですよ。ぜひうちにこいと現場まで小学校まで乗り込んできてはった方がおられて。うちのおやじの校長仲間ですわ。

守田 
でもそれから今日までずっと。現場に戻りたかったでしょう?

かじかわ 
それは戻りたかったですよ。でもちょうどその時に労働戦線が、連合(日本労働組合総連合会)と全労連(全国労働組合総連合)ができるときに重なって。教職員組合は日教組(日本教職員組合)と全教(全日本教職員組合)が別れた。
その時に、青年部の組織を全国的に作らないかんということになった。そのときだったんです。

守田 
全教を作ったときだったのですね。

かじかわ 
全教が日教組から飛び出たと言う面もあったのだけれどね。その全協を作ったときの結成宣言は、私が読んでいるんです。東京の山手教会というところで。それを亡くなった教育評論家の三上満さんが記録に書いてます。
そこで全教は旗揚げしてるんですだけど、だけど僕の思いは日教組にあったんです。日教組の中にもね たくさん仲間がいてね、特に青年部にね。その中で何とか別々にならずに一緒にやれへんかっていう思いが強かったんですよ。
日教組の中でも何とかして別れることを食い止めたい。連合に行かないようにしたい。その決断を執行部に迫ろうといういろんな動きがあって、その思いを持っている皆さんと一緒にいろんな話しましたね。
反対にそういう動きを潰そうとする勢力も中にはあって、それでこっそりトイレの中で話したり、泊まりがけで温泉の湯船の中に浸かったりしながらとか、いろんなとこで話しましたよ。

守田 
へえええ。

かじかわ
その仲間がね、青年部を一緒にやっていた仲間が、日教組の中から排除されていったことがあってね。それはね、お互い悔しかったんですよ。
そんなことがいろいろあって、それが新たな共同を作りたいって思うようになった原点になっています。労働者がお互いに思いは一緒なのに、別々に分かれていってしまった。「そうではない。繋がりたい」という思いがみんなにあった。
私は全教のところにいきましたけれど、違う道を歩むことになった皆さんの想いまでを、こっちが抱えて頑張らないかんって強く思ったのがその時で、そのことが結局、京都総評という労働組合の結成にも繋がっていったんです。

守田 
なるほど、なるほど。ずっと労働者の団結を恋い焦がれてきたのですねえ。


いつも仲間たちと奮闘 京都民報より

かじかわ 
一つは自分の生い立ちの中で培われたもの、また高校生の時の体験、そして教職員の現場にいたときの車座の懇談会の経験や子供らと一緒に過ごした時に学んだこと。
そして労働組合運動に身を置いた途端に、労働戦線の分裂が生じて、離れ離れにならざるを得なかった当時の青年部の皆さんの思い、悔しい思いを、抱っこしてきたということなのかな。
あれは何年やったかな。連合ができたのが1987年。総評が無くなったのが1989年やった。

守田 
そうかあ・・・。

かじかわ 
だから僕は最初は日教組の傘下にあった京都教職員組合の専従になったわけね。
あの時の労働戦線の再編は春闘つぶしが目的やった。財界が春闘潰しを狙い、その中に大企業の労働組合を巻き込もうとしたんですよ。それと政府が裏でつながっていた。

守田 
東欧の社会主義崩壊とかの影響もあったのでしょうか。

かじかわ 
いや、違うと思うな。日本の構造改革とかそういうことですね。背景はね。

守田 
前川レポートとかが出ましたものね。(注 中曽根政権のもとで1986年4月に日銀総裁前川春雄氏がまとめたレポート。日本に新自由主義=市場原理主義を浸透させることを目指したもの。そのためには労働者の権利を掲げて資本の前に立ちはだかる労働組合が邪魔だと、さまざまな圧迫がはじまった)

かじかわ
そうそう。それですよ。一連の財界側の動きです。それに政府が乗っかったんです。そのときに政府が公務員の労働組合に対しても圧力をかけたんですよ。

守田 
国労なんかもすごく狙われて圧迫されましたよね。国鉄そのものの解体と一緒に。


京都北部のみなさんに迎えられて 2022年2月23日福知山にて 守田撮影

―京都総評結成の思い―

かじかわ 
正確にはその辺のことはもうちょっとそこは整理しなきゃあかんのですけどね。でもとにかく全国でいろいろと問われたんよね。
京都でも円山公園で大集会が開かれたんです。連合に行かない、行けないという人たちを集めて。日教組の中からも私が話し合った相手で、「連合にいかざるをえない」と言ってた人たちも来ていたと思います。

それで全国では、全労連の側は「労連」という名を使う。連合の側は「連合」という名を使うと、地方も分かれていったのです。
でもそのときに京都は「京都総評」と名乗ろうということになった。「総評」というその時に終焉を迎えた中央の組織の名前をいただくことにしたのです。それで「総評」という名前になったんです。それまでは総評傘下の「京都地評」やったんですよ。「地方評議会」やったんです

守田 
へええええ。そうだったんだ。

かじかわ 
なくなるんやったら、中央総評の名前をいただこうと。それで新たな団結の要になろうという決意を込めて「京都総評」と言う名前にしたんです。「京都労連」にはしなかったんです。

守田 
ため息がでますね。ジーンとするなあ

かじかわ 
それで連合にいかなかった組合がかなり残ってくれた。今回、京都総評が丸ごと私の知事選への挑戦を推すことには、色々な組合があるので時間がかかったけれど、それはとても大事だった。

守田 
なるほどねえ。総評はいまや京都だけなんですね

かじかわ 
京都だけです。「地評」という名を残しているところはあります。和歌山地評とか静岡地評とか。「地区労」と言う名前もその名残です。

守田 
僕のような社会運動に詳しいと思っているものでも、その辺のことをよく分かってなかったからなあ。一度、きちんと整理したいですね。

かじかわ 
ほんまに。あの時は「労働者のために権利を守る」とか「巨大な圧力とたたかう」とか、労働組合にとって根幹にあるべきことを、きちっと語って組織を維持していくことが、たいへん揺れたんですよね。そういう時期やった。

守田 
そしてそれに東欧や旧ソ連の社会主義の崩壊が重なっていった

かじかわ 
そうそう。それでね。京都総評は中央のナショナルセンターでは全労連(全国労働組合総連合 日本共産党支持が強い)に入っているんです。でも共同組織は中央は全労協(全国労働組合連絡協議会 日本社会党左派ーいまではその流れをくむ社会民主党と新社会党の支持が強い)に入ってるんです。両方に入っているんです。
全労協は連合にも全労連にもいかなかった労働組合を集めています。その協議体なんですけど、そこに京都から役員を送っているぐらいで。京都総評はそういう意味でとても幅広くやってきたと言う感じですね。

守田 
かじかわさんの専従としての活動は、教職員組合と、総評とどんな感じだったのですか?

かじかわ 
教職員組合から出て、京都総評に入って専従をやることになったのですが、その1回目が1991年から1999年まででした。京都総評の事務局次長で京教組の仕事もやりながらでした。
それで「そろそろ京教組に戻ってけえへんか」という時がちょうど1999年でしょう。その時に1回目の日米ガイドライン問題がおこって、有事立法が立ちあがってきたのです。
(注 日米ガイドラインとは「日米防衛協力のための指針」のこと。どの地域が日米安全保障条約の対象かなど示されており、1997年にそれまでの「極東」から「周辺事態」へと範囲が拡大、それに伴って「有事立法」制定が目指された)
それに反対する取り組みを担当していて、共闘関係を広げようとしていたときでした。

さらにその前にはPKO(国連平和活動という名のもとの軍隊派遣)で、宇治の大久保基地の自衛隊が出動することなったことに反対して、大久保基地を取り巻く1万人デモをやったんです。それも担当でした。
小選挙区制ができたときもその反対運動の担当でした。とにかく当時の国民的運動、府民的運動の担当をしたので、その時の仲間が各地にいます。

守田 
なんだか時の流れが、いつもかじかわさんを、人と人をつなぐ役目に置いてきた感じですね。


何度、対談してもかじかわさんの引き出しは尽きない!いつも現場の話が満載 西京原発ゼロネットのみなさんに迎えられて 守田撮影


―平和のための共同が広がっていく―

かじかわ 
その時の経験では宗教者のみなさんと結びついたのが印象的でしたね。とくに日米ガイドラインに反対するデモを何度もやる中で、広くつながることができて、YMCA、YWCAなどと仲良くなって、個人格で継続的に平和についての話し合いができる場を作ろうと「憲法平和ネット」をつくりました。そのときに3つの原則を確認した。「お互いを誹謗中傷しない」「非暴力を貫く」「決めたルールを現場で守る」。

いまの共同につながるこのルールをみんなで作りました。「非暴力」はねえ。宗教者のみなさんから「絶対にこれをいれろよ」と言われていれたものなんです。ある牧師さんがいいました。亡くなるまで一緒に行動してくれた方です。
仏教界の方も大変力を貸してくれました。その後もいろいろなみなさんと一緒に歩んできました。
さらにね、教育基本法の大改悪の流れがあり、そのときに教組関係、市民、法曹関係で大きな共闘をつくりました。


ロシアのウクライナ侵攻に反対するキャンドルビジルにも参加 守田撮影

守田 
そんな活動の中で印象に残っていることはなんですか?

かじかわ 
総評の事務局次長をやってたときは、そうやって新たな共闘を作ることに必死やったから、いろいろなところにいって、いろんな人と実行委員会を作ったり、共同組織を立ち上げまくってました。
それに付き合ってくれたのが自由法曹団の弁護士のみなさんたちですね。頑張ってくれました。

守田 
なるほど

かじかわ 
2001年からのアメリカによるアフガン戦争のときに、その「憲法平和ネット」が役に立ったんです。「戦争はダメだ」という大きな声がみんなで上げられたんです。

守田 
素晴らしい。戦争が起こってしまったことは残念で悔しいですが。

かじかわ 
YMCAにみんなでよく集まってましたよ。

守田 
本当になんども共闘、共同を作ってきたのですねえ。

かじかわ 
まあ、そういう人のつながりのための裏方をずっとやってきたから。なんかそのために働くことが染みついてましたね。


今ある良いものを壊し、お金儲けの手段に変えようとする北山エリア開発を白紙にと訴えるかじかわ憲

続く

#かじかわさんでこんな京都にしたい #かじかわ憲 #京都府知事選 #憲法読本 #つなぐ京都2022 #日教組 #京都総評 #労働者の団結 #共同の促進 #労働組合は敷布団になれ

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人と人をつないでつないで京都府知事にチャレンジーかじかわ憲インタビュー1 教員としての道を歩む 明日に向けて(2186)

2022年04月06日 10時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20220406 10:00)

京都府知事選が終盤を迎えつつあります。
この時に、かじかわ憲さんからがっつりとインタビューした内容をお届けします。
かじかわ憲を応援してくださっているみなさま。最終版の押し上げにぜひインタビュー記事を活用して下さい。


1、教員としての道を歩む

―憲法読本について―


守田 
今日はかじかわさんの知事選立候補にいたる道のりをあれやこれや聞きたいと思います。先に生い立ちのことをビデオで話してもらいました。今回は学生の時の話ぐらいから聞かせて下さい。

かじかわ 
インタビューのはじめにこれを進呈いたします。(『憲法読本』を手渡す)

守田 
すごい。これ新しい本ですか?

かじかわ 
これはわれわれの運動で手作りしたやつでね。「あたらしい憲法の話」や明治憲法なども入れて。労働組合で使えるように労基法を入れたものもあって、いろんな労組から出ていてね。
これが現物ですわ。一番初めのところに蜷川さんの言葉も入ってる。「15の春は泣かせない」「峠の向こうに春がある」「この道を行く」「育てる漁業」などね。それで「とにかく何かあったらこの本の中に駆け込め」と言われてた。高校生の時にもらって、ずっと大事にしています。私の自慢のバイブルですわ。


『憲法』と書かれた冊子を手に語るかじかわさん キッチンハリーナにて 守田撮影

守田 
なるほど。

かじかわ 
それの復刻版を差し上げます

守田 
わあ。すごいな。ありがとうございます。
さてそれでかじかわさんは大学はどちらだったんですか?

―学生運動から教員へ―

かじかわ 
大学は京都教育大でした。学費値上げ反対のストライキとかやりましたよ。

守田 
かじかわさんは僕と同い年ですよね。僕は1959年8月16日生まれです。

かじかわ 
僕は9月6日。20日違いやね。大学はストレートで入ってね。あのとき、各地で学費値上げ反対の運動とかありました。教育大もやりましたね。僕は京都の学生運動の中心にいました。府学連の書記長でした。その当時の皆さんがいろんなとこで活動やっていて、今回もいっぱい応援メッセージが届いています。

守田 
大学のときの一番の思い出はなんですか。

かじかわ 
やっぱり何回も東京へみんなでバスで行ったことやな。いろんな社会問題の集会とか、国会要請のデモとかで、山ほど行きましたね。
いつも立命館大学に学生を集めて貸し切りの夜行バスで行くんです。強烈な印象ですね。集中的に行かなあかんときは、ものすごい数を集めて行ったからね。東京の近くのドライブインで休憩とって、みんなで顔洗って国会へ行く、そういう日程で徹夜バス走らせたんですよ。

そんな風に大学4年間を過ごして、その後は大学院には行かずにそのまま就職しました。すぐに教職員になりたかったのでね。地元でね。
実はうちの親父が障害児学校の校長を最後にやったんですよ、親父が校長を辞めるときに、私が採用やったかな。ちょうど入れ替えの形になったので、私が引き継ぎたいという思いがあってね。障害児学校の教員もやりたかった。
でも当時もう教育委員会は良い状態ではなくて、どうも「あの校長の息子を入れるな。京都に置くな」と大変やったそうで。それで府立学校には採用されなくて、南山城の教育局という広域の教育行政がありますが、そこが僕を拾ったのです。
障害児学校は府立学校なのでそこの教員にはなれなかった。

そんな風に教員になったころに、親父に厳しく言われたのは「どんなに裏切られても信頼する」こと。

守田 
誰のことをですか?

かじかわ
一番は子どものことやったと思いますね。「学校の先生は、どんなに子どもに裏切られても信頼する、また裏切られても信頼するもんや。それができるか?」って聞かれたことがありましたね。
「できる」とはよう言わんからさ、でも頑張るしかないと思ったね。その親父が今100歳で、まだ元気ですけど、「そんなこと言うたか」って絶対言いますけどね。それはねもう本当によく覚えてますね、

守田 
実際はどうでしたか

かじかわ 
そもそも「裏切られた」と思うことが自体がどうなのかと思うようになったね。こちらが子どものことを見えてなかったのではないかとかね。
まあでもそういうことはありました。いっぱいありましたね。例えばそうだな。クラスをプラスの方向に何とかうまくまとめられたと思ったら、次の日になったら、全然違う方向へみんなが走ってるとか。


出馬記者会見会場にて

―子どもへの関わりで悔いもある―

守田 
幾つの子どもたちとのことですか?

かじかわ 
小学校だったからね。丁々発止があったのは、5年生6年生の子供やね。そんな中で、本当にしんどい思いを子どもにさせてしまったこともあって。ものすごい悔いもあります。

守田 
どんなふうにですか。

かじかわ 
よかれと思ってやったことが、その子にとっては辛かっただろうなと。そう思ったままで今に至っている例があって。その話はリアルに話すとその子に分かってしまったら申し訳ないので語りにくいのだけれど。
何て言うんかな、その子が仲間との関係でしんどくなっていてね。それでリーダーを集めて「みんなで一緒にその子を激励に行け」と言ったんです。でもそうしたら、かえってその子がしんどくなったんです。
なんであのときに僕自身が、その子ときちっと向き合いへんかったんか。子どもたちにそのことを負わして、そのことで余計しんどくさせた。その子に本当に申し訳ないって思いがあって。今、その子の顔が浮かんでますけど。
でも逆にそういうしんどい思いを、5、6年生のところにした子どもたちが、そのときのことやらいろんなことやらを振り返りながら、いまだにずっと連絡をくれたりもしています。その子らはいまはもう京都に住んでないんやけどね

守田 
でもなんかなあ。「リーダーたちに行かせた」というのは、子どもへの関わりのあり方として、なんだか分かる気もするけどなあ。

かじかわ 
技術的にだけ言えば確かにそれもありだったとは思うんですよ。集団作りのときに、リーダーを集めて、みんなであの子どういうふうに激励しようかって議論をしたりすることはある。でもその場合は、それまでにやっぱり僕がその子と直接、向き合うべきやったんでしょうね。

―とにかくみんなで話し合う―

かじかわ
でもなあ、とにかくちょっと変わった教室作ってしまっていましたね。子供らが卒業までに、みんなで1回ゆっくりどこかに集まって、将来の話やいろんな話をしたいといいだしてね。そういう合宿がしたいという話になった。
まだ私も若気の至りでね。合宿などということを教職員が主催してクラスで子どもたちが一晩泊まるって、そんな許されへんかったんですよ。だけど、やろうと思っちゃったんですよね。西山のお寺に泊まりに行く計画まで立てたんです。うん。
私はそのころ、教育懇談会を担当している全域でいっぺんにやるんじゃなくって、小さい地域ごとにやって、歩いてまわるのがモットーになっていたんです。
それで体育祭の取り組みとか、運動会とか修学旅行とか、それからいろんな事業のこととか、それらのネタぶら下げて、お父ちゃんお母ちゃんと遅くまで車座で語り込むことを、すごくやっていたんです。
今から考えると、そんな条件がなかなかないだけで、それをやりたい先生は多かったと思う。ほんでね、みんなで相談して、僕のいる小学校全体でやろうということになったんです。組合の皆さんとも相談してね。
「かじかわだけが、やれる条件があるからやっているというのでは私は辛い」と、他の教員に言われたためでもありました。だって「あのクラスやってはる」ってうわさが立つから。

ほんでね、子供らが合宿行きたいっていう話を、お父ちゃんお母ちゃんが受け止めたんやね。PTAの会長に「うちのクラスの保護者が連れて行きますが、お寺に泊まりにいっていいですか」って了解を得にいったんです。
そしたら会長さんがOKしてくれて、ほんで校長とかけ合って、私は当日、子どもらが親と一緒にお寺に来たら、たまたまいたっていう話になった。おかげでお父さんお母さんとも夜遅くまで話をしたし、子どもらとは語り明かすことができましたね。
いまだに覚えてるけど、ちょっと高台にあるお堂で、縁側で足ぶらぶらさせながら子どもらとずっと話してて。次の日に風邪ひいた子どもが山のように出て(笑)。6年生の最後のあたりかな。もうちょっと寒くなりだしてたかな。そんなこともやりましたね。
だけど保護者の皆さん、お父さんお母さんと、懇談会をやって歩き回ったとことは、ものすごい財産になりましたよ。対話ってこういうふうに大事なんだ、車座で話すことがとっても大事なんだって思ったね。

守田 
でもそんなことをしている教員はそんなにいなかったでしょう

かじかわ 
そうやね。日教組の中でも報告が出るぐらいやったからね。


かじかわ憲は車座での話が大好き 綾部「一汁一菜 ちゃぶダイニング」にて

―もともと家に人が集っていた―

かじかわ
ちなみに僕のおふくろは、新日本婦人の会の、京都府の役員をやっていたんですよ。「子供を守る会」の役員もやっていて、今も頑張ってやってはりますけど。その中で特に乙訓の教職員組合と新日本婦人の会やらが、皆さんで実行委員会を作って、「子供祭」を始めた。それが全国で初めての取り組みだった。
どんなんや言うたら、一日、中学校の校庭を借りて、その地域の子供たちがみんな集まって、ゲームやったり、遊んだり、手作りのおもちゃで遊んだりする企画ですわ。
これを保護者の皆さんと教職員組合などで一緒にやったんやけど、その子供まつりの実践が、その後に全国に広がっていったんですよ。
京都市内は中京区が有名やった。乙訓の子供祭りと中京区の子供祭り、こういう取り組みを、全国の教育研修会で報告するって言って、おふくろがでかけてましたよ。教職員組合の皆さんと一緒に。
このときのことは私もよく覚えてる。祭りの片づけを全部やるので、家に帰るのが遅くなるから、晩飯を先に勝手に食うとけって言うて、おふくろから連絡があって、親父と2人で近くの飯屋へ行ってハンバーグ食ったんです。いまだに味まで覚えてる。僕が、中学に入ったかどうかっていうぐらいやったと思う。そんなことあんまりなかったんで、嬉しかったんやと思うけど。

だから我が家には、教育懇談会をやろうという乙訓の皆さんの取り組みがあって、よく集まってましたよ。いつも僕は「煙草臭い」言うて、窓を全部開ける役割やった。山ほど先生来るんやから。打ち合わせの時に。
うちの親父がもっと面白くて、定時制の高校の教員やってた時があったんですけど、そこで育てた子供たち、担当してた子供たちを、みんな連れてきては、家で闇鍋やったりした。定時制のみんな、結構、年齢幅がありましたね。うん。そうだよ。
高校に中学からそのまま来ている人もいれば、自衛隊を辞めてもう一回、勉強をしたいと入ってきた人もいました。そのとき我が家に来ていた人たちとは、いまだに連絡がとれてて、うちの親父に年に2回ほど、顔を見せに来てくれます。そのみんなにかわいがってもらったなあ。「憲ちゃん、憲ちゃん」ってね。
だからそういう地域の教育運動の担い手の方とか、定時制の生徒の皆さんとか、そんなみんなが集まって何かを一緒にやっていることが当たり前の感じで、ずっと来たかなあ。
特殊な経験やったんですけど、みんなが集まっていろんなことを議論して、喧々諤々やっている。そういうのを地域で人の家に上がり込んでやったり、地域の公民館、遅くまで借りてやっていることの中にいつもいて、「そういうのが大事なんや」ってもともと染みついてたから、自分が教員になってからも自分でやったんやろうね。今考えるとそう思いますね。

守田 
ちなみに教科はなんだったんですか?

かじかわ 
私は小学校だから全部やりましたよ。音楽も好きだった。久世の教職員組合の青年部でバンド組んでたんです。私はキーボードができるんです。あとボーカル。まあ「歌声」運動のですね。まだ宇治久世バンドって続いていると思う。
卒業式の最後、送り出しも5年生で、それでやらせてもらったかな。鍵盤ハーモニカっていうのはサックスと同じような音出るんだよ。吹き方を教えると。大太鼓の裏側に毛布詰め込んで、ドラムやってたり、やってましたよ。
23歳から27歳の時ですね。その間に結婚もしてるんですけどね。結婚式は、子供らがなだれ込んでくるわけのわからん結婚式やった。先生は踊り出す、そこへ子供が保護者と一緒になだれ込むという、みんなと一緒の結婚式やったですね。
そんな集まりが重なる中から、子供や親の本音とかが出てくるですよね。そういう良い経験を味あわせていただいたのが、城陽市の学校やったんです。でもいたのは4年。めっちゃ短いですよ。5年生を2年もって、5年もって6年もって、その子供らを卒業させられへんで学校を出たんやもん。


「学び続けられる京都へ」がかじかわ憲の公約の一つ

続く

#かじかわさんでこんな京都にしたい #かじかわ憲 #京都府知事選 #憲法読本 #つなぐ京都2022 #日教組 #京都総評 #労働者の団結 #共同の促進 #労働組合は敷布団になれ

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明日に向けて(2133)核に向き合い、核を乗り越える被爆二世(増田正昭個展オープニングギャラリートーク動画) 

2021年12月16日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です (20211216 23:30 1225 13:00改訂)

オープニングギャラリートークで増田さんにたっぷり語っていただきました!

被爆二世の仲間である増田正昭さんの個展が13日から19日まで行われました。
被爆者の肖像画で被爆体験を語り継ぐ 第4弾。

Gallery Take Two にて
京都市中京区御幸町通御池上ル亀屋町399 カーサ御幸1F
http://gallery-taketwo.com/

オープニングギャラリートークを14日に行いました。僕が司会をさせていただきました。動画をご紹介します。

核に向き合い、核を乗り越える被爆二世
2021年12月14日



飛躍を続ける増田正昭さんの絵をご覧下さい!

増田さん。今回の個展で4回目となりますが、その間に思想的にどんどん飛躍されています。
チラシにはこう書かれています。

今年からは被爆者・被爆二世と対話を重ねています。
被爆者のみならず、被爆二世の生きざまも肖像画で思いを受け継いでいきます。

チラシで取り上げた絵は、長崎平和公園にある母子像。
被爆者である母が被爆二世である子どもを高く掲げ平和への思いを託している・・・そんな絵です。
だから増田さんはタイトルを「核に向き合い、核を乗り越える被爆二世」とされました。

この絵はギャラリーの入り口に掲げられています。

チラシのアドレスはこちらです。
https://toshikyoto.com/press/6984.html

#核に向き合い核を乗り越える被爆二世 #増田正昭 #被爆者展 #被爆二世 #森川聖詩 #オープニングギャラリートーク #被爆の遺伝的影響 #Gallery Take Two

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https://nyoki2pj.com/lp/after10/

核と原発から命を守る活動のためにカンパを訴えます。
振込の場合: ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
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テスト

2021年10月31日 20時33分37秒 | 明日に向けて(1701~1900)

やさしい経済の話 - YouTube

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明日に向けて(2103)原潜から始まった原発と核燃料再処理の意味するもの(森川聖詩と守田敏也の「もりもり対談」2回目の2です)

2021年10月10日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20211010 23:30)

今回は原潜と原発のこと、核燃料再処理の意味するものついて語り合いました

森川さんと守田のもりもり対談2回目「原爆と原発の関係について」の続きをお届けします。

ここで話されたことを2回にわたって書きだしています。
前回は「ウランの核分裂と原爆製造」と「プルトニウム原爆の製造」について説明しました。
今回は「原子力潜水艦から始まった核発電」と「核燃料再処理の意味するもの」についてです。

「もりもり対談」1回目もご紹介しておきます。

被爆問題とどう向き合っていくのか。コアな内容を語り合いました。紹介記事のアドレスも記しておきます。
明日に向けて(2057)被爆、被曝、被ばく、ヒバクについて考える(森川聖詩と守田敏也の「もりもり対談」を始めます!)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/02ef7f7741b0f4afe886733f93b6b5c2


原子力潜水艦から始まった核発電

今回は、ウランの核分裂の発見から原爆が誕生したことに継ぐ話で、この過程で核発電=原発も生まれたことを解説しています。その際、原発はあくまで副産物だった点が大きなポイントです。
どういうことかというと、原子炉で核分裂連鎖反応を行うと大量のエネルギー=熱が発生するのです。これを冷ますにどうしたら良いか。あれこれ試される中で水が使用されました。
しかも水は「減速材」の役目も果たしました。原子炉の中の中性子が水の分子と当たることで速度を落とし、より次のウランに当たりやすくなるのです。その点でより効率的でしたが、しかし熱によって大量の蒸気が発生してしまう。

これを何かに使えないかということでタービンをかませ、発電することが考え出されたのですが、それも初めは核軍事体系の一部でした。潜水艦の動力として開発されたのだからです。
核戦争の当事者にとっては、相手がどこから核攻撃をしてくるのかをつかむのが重要です。先にそこを叩けば核攻撃を防げるからです。反対にどう隠された場から核攻撃を行うのかが重要になる。
ヒロシマ・ナガサキではアメリカ軍はB29から原爆を投下しましたが、しかし航空機は撃墜される可能性があるし、基地を叩かれる可能性があります。それでミサイル開発が進みましたが、ミサイルも発射基地を特定されたら叩かれてしまう。

それで注目されたのが潜水艦ですが、そうすると今度はできるだけ長く潜っていた方がいいことになる。燃料補給などのために浮上してきた時が見つかりやすいからです。燃料基地も攻撃を受けやすい。
長く潜っているためには、少量の燃料で長く航行できると良いし、しかも酸素を使わずに発電できれば酸素の補給もいらないので、より浮上をしなくてすむ。それで「原子力エンジン」が開発され、原潜が生まれたわけです。
民生用の原発は、そののちに核戦略への批判が高まる中で、「平和」という隠れ蓑のもとに登場してきたものにすぎないのです。


最初の原子力潜水艦ノーチラス号 1954年1月21日進水、1954年12月30日搭載原子炉初臨界 アメリカ国立公文書記録管理局の写真より


核燃料再処理の意味するもの

さてこのように核開発の歴史を観てくると、核兵器を持つためには、原子炉やウラン濃縮技術を持つとともに、再処理技術を持つことがとても重要であることが分かります。それがないとプルトニウムを得られないからです。


再処理の工程 原子力・エネルギー図面集より


このため核保有五大国は、その他の国に原発は認めても再処理技術を持つことを認めていません。実は唯一の例外として、この技術を持っているのが日本なのです。
その五大国や日本が、原発を輸出するときには、売却する相手国と「原子力協定」を結ばなければなりませんが、そこには「原発の技術を供与するけれどもこれを核開発に使ってはならない」という約束が書き込まれます。

それでも実は各国は、原発を持つことが核兵器を持つことの初めの一歩になるので、持ちたがる傾向にあるのです。軍事的緊張関係の中で強国たらんとしている国ほどそうです。
この点で特徴的だったのは日本とトルコの間の原子力協定でした。トルコのエルドアン首相が、再処理技術の供与を強く欲したからです。核技術体系として原発を求めたのです。
しかしそれでは原子力協定違反になります。それで協定には「両国が合意した場合は、再処理技術を供与する」と「玉虫色」の文言が書き込まれました。


トルコ・エルドアン首相と安倍総理大臣で原子力協定調印を合意 2013年5月3日 AFP通信

エルドアン首相は、それでトルコを、再処理技術を持ちうる国=核武装を可能にしつつある国と周辺国に見せることを可能にしようとしたのでしょう。
一方で、日本側は「両国が合意したらと書いてある。日本は合意しないので再処理技術を供与したことにならない」とうそぶき、ビジネスを進めたのですが、この一件は、原発が核兵器体系の一環であることを強く印象付けるものでした。
もっとも、結局、日本からは原発そのものが輸出できませんでした。トルコと日本の民衆の連携で、原発建設を食い止めてしまったからです。僕も食い止めに少し寄与することができて嬉しかったです。

#原爆と原発 #原子力潜水艦 #原発は核兵器体系の副産物 #核燃料再処理の意味するもの #再処理は軍事技術 #原子力協定 #核技術体系としての原発 #エルドアン 

原発や放射線被曝の危険性の暴露、被爆者にまつわるさまざまなことの取材・執筆活動のためのカンパを訴えます。以下からお願いします。
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明日に向けて(2100)京都市長はうそつき!京都市財政が破綻するなんて真赤なウソです!(動画をご覧下さい)

2021年09月30日 11時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20210930 11:00)

京都市が財政破たんするってほんまなん?→うそです!デタラメです

2021年になって、京都市長門川大作氏が、京都市の財政がすぐにも破たんするようなことを言っています。
「10年以内に市の財政は破たん」「500億円の財源不足」とも叫んでいます。
それで敬老乗車証を値上げし、対象年齢を引き上げるなど、福祉予算を大きく削ることを公言しています。

「ほんまなん?」「怪しいで」ということで、9月11日にまずは自分たちが学ぼうと、市の財政問題に詳しい方をお招きしました。
来て下さったのは日本共産党市会議員の樋口英明さん。
お話を聞いたらやはり「財政破たん」なんてまったくのデタラメだということが分かりました。

この日の講演・質疑応答を録画配信していますのでぜひご覧下さい。(配信後すぐに再生200回となりました)
ウチこま緊急企画 京都市の財政破綻ってホンマなん?



京都市長がウソつきだなんて恥ずかしすぎる

財政破たんのどこがウソなのか。樋口さんの話の核心部分はこれ。
「莫大な地元負担が必要な巨大プロジェクトや不要不急の大型事業の推進を断言」していること!どう考えても「10年以内に破たん」と言う話とかみ合わない。
一番の問題は北陸新幹線計画です。あ、これ、名が体を表してないので正確に言いかえることにしました。「北陸からのトンネル新幹線計画」です。

この総事業費が2.1兆円とされているのですが、今までの例から言うとこれ、何倍にもなる可能性がある。
にもかかわらず、なんと京都市がどれだけ負担するか決まってないというのです。それでどうして10年後のことが語れるのでしょう?
ちなみに金沢~敦賀間は1.4兆円の予算で始まってもう1.7兆円に。福井県の負担1700億円のうち、福井市が1200億円払うそうですが、「北陸からのトンネル新幹線」では京都市の負担はより大きくなるでしょう。

財政破たんとか言うなら、真っ先にこの負担を断ればいい。いやこんなもの、そもそも請け負うことなどできないはずです。
このことに触れずに、財政破たんとか語る門川市長はウソつきすぎる。
世界の人々に好感を持っていただいている京都市の市長がウソつきだなんて恥ずかしすぎる。なんとかしないと。もちろん私たち京都市民が一番頑張らねばです。


北陸新幹線京都延伸を考える市民の会のチラシより
https://kyotoenshinkangaeru.tumblr.com


問題の一つはゼネコンいいなりの地下鉄東西線の借金

門川市長が財政破たんの大きなものとして挙げているのが、京都市地下鉄東西線の建設費を運賃によって回収できず、借金になっていることですが、実はこれこそ「北陸からのトンネル新幹線」を作ってはいけない根拠の一つでもあります。
なぜかというと、地下鉄東西線、2450億円の予算で建設が始められたのに、最終的に事業費が4515億円にもなってしまったのです。
しかもこの時、ゼネコンの言いなりに145回も契約更新されたのだそうです。ひどい。あの時にもう2000億円もぼったぐられてしまっている。責任は京都市とゼネコンにあります。

過去にもこんなことがありながら、まったく反省してないから「北陸からのトンネル新幹線計画」も、同じことになるのは確実。総事業費2.1兆円が倍にもなってしまうでしょう。
財政を安定に保つだけでなく、そもそも道義的に言ってこんなことの再来を許してはいけません。
もちろん「北陸からのトンネル新幹線」は、京都の水を、地下を、そして町を壊してしまう。そんな大問題にけしてお金をつぎ込んではいけない。

何せこれはトンネル新幹線だから、膨大な穴掘り作業が必要で、膨大な土砂の搬出が必要で、それで地下が、水脈が、傷つけられるし、町に土砂を積んだトラックが走り回ることになります。町の陥没だって起こりえます。(東京で起きました)
しかもそんなことをしながら、そしてそんなことのために、確実に事業費が膨らみ、市民から集めた税金がゼネコンのもとにポイポイ入っていくのです。環境が壊されながらです!
「地下鉄東西線の借金」が教えているのはこのこと。同じ手口をまかり通らせてはなりません。


他でもジャブジャブお金を使いながら福祉や暮らしを切り捨てようとしている

巨大事業は他にも予定されています。一つは堀川地下バイパストンネルで総事業費1200億円。(おいおい、またトンネル?)。これを凍結するだけで「500億円の不足」を十二分にカバーできる。
さらにリニア新幹線なんていう計画まである。あ、これも「リニア電磁波トンネル新幹線計画」というべきですね。しかもまたしてもトンネル!「掘ってみないと分からなかった」とか言ってどんどん経費を水増しするのでしょう。トンネル商法、ひどすぎるぞ。
その他1・9号線バイパス建設が掲げられ、二つの小中一貫校建設150億円、京都市芸術大学移転整備事業305億円が見積もられています。巨大事業にはお金をジャブジャブ使う気なのです。

さて実は京都市当局は、2020年11月に「500億円の財源不足」を言い出したのですが、なんと2021年2月、2021年度予算案を発表した時に、いったんは財政不足を236億円と低く修正したのです。
「わずか数カ月で見積もりが半分以下になるなんておかしい」と市議会に詰め寄られた京都市財政担当者の答えがスゴイ。
「10年後の収支を「精緻に見込むことは困難」なのだそうです。門川市長、財政担当者が「10年後の予算を精緻に見込むことは困難」と言っているのですよ。ここにもあなたの発言がウソであることが表れています。

それで門川市長が「聖域なき削減」とか言って持ちだしているのが、敬老乗車証を3~4.5倍に値上げし、支給も70歳以上から75歳以上に替えること。
学童保育量を最大2.6倍に値上げし保育料、国保料、市バス地下鉄運賃も上げること。一方で保育士の給与をカットし消防職員150人を削減することです。
まったく恣意的な「聖域」です。ここにあまたの「トンネル」を入れれば福祉削減なんて必要ない。いや実はもっと充実することが可能なのです。このウソのカラクリを見破りましょう。


以上、樋口英明さんのお話を元に、ポイントになる点をまとめましたが、樋口さんは、そもそも京都市が、地方への交付金削減を決めた小泉内閣の「三位一体改革」と言う改悪に、積極的に賛成してきた問題にも触れています。
またこうした門川市政のもとでの、福祉削減の動きを市民が何度も食い止めてきていること。高速道路建設だって3本も止めていることを語り、だからこの計画も止めさせることができると力強く語っています。これは大事!
今回はこれらが展開できなかったので、ぜひ動画で樋口さんのお話(約50分)全体をお聴きください。それらからみんなで「財政破たん」という門川市長のウソを止めさせましょう!

#京都市長はうそつき #うそつき市長 #北陸からくるトンネル新幹線 #北陸新幹線 #地下鉄東西線 #財政破たんはウソ #京都の水を守ろう #京都の地下を守ろう #京都の町を守ろう

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明日に向けて(2061)九州南部で一時「大雨特別警報」「緊急安全確保」が発令も、毎年の発令はおかしい・・・災害対策の抜本的転換を求めよう!

2021年07月10日 21時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20210710 21:00)

九州・四国・本州全体で11日まで大雨の可能性が

梅雨前線の影響で、西日本から東日本全体にかけて雨が強まっています。とくに九州南部では「記録的大雨」のため、一時期、鹿児島県、宮崎県、熊本県に「大雨特別警報」や「緊急安全確保」が発令されました。
10日17:00の時点で、大雨特別警報はすべて警報に代わり、緊急安全確保も避難指示に代わりました。しかし土砂災害の危険性は高まるばかりです。まだまだ警戒が必要です。

大気は不安定で11日にかけて、西日本から北日本にかけても雷を伴う激しい雨、川の増水、土砂災害、低い地域の浸水などの可能性があります。
ここ数年の豪雨では、河川の堤防決壊による甚大な被害も多発しています。どうかそれぞれで十分に警戒されてください。


「数十年に一度の災害時に発令」のはずが毎年なのはおかしい


「緊急安全確保」とは?

ところで今回、「大雨特別警報」とともに出された「緊急安全確保」という言葉をご存じでしたでしょうか?これは本年5月20日に改訂された「災害対策基本法」に基づくもの。警戒レベル4「避難指示」を越えた警戒レベル5に相当するもの。
「災害の発生が切迫、または現に起こっているときに、命を守る最善の行動を求めるもの」です。避難はそれ以前のレベル4、「避難指示」の段階までに済ますようにとアナウンスされています。

はじめて発令されたのは7月3日神奈川県平塚市と熱海市において降雨が激しくなったときでした。熱海市では大きな土砂災害が起きた1時間後に発令されました。
災害対策基本法の改訂は、従来、使われてきた「避難勧告」を廃止して「避難指示」に一本化することともになされたもので、各地で災害に対し避難の遅れが多発している現状を克服しようとの意図が込められています。


緊急安全確保を説明する内閣府のポスター


警報の発令の仕方ではなく、災害対策を抜本的にあらためることが必要

しかしこうした改訂は大きな限界のもとにあります。例えば2013年からそれまでの「警報」「注意」に「特別警報」が加わり、「ただちに命を守る行動をとる」ことが呼び掛けられるようになりました。
その際、「特別警報」は「数十年に一度の、これまでに経験したことのないような、重大な危険が差し迫った異常な状況」 (気象庁HP)で発令されるとされましたが、ご存じのように九州などではほぼ毎年発令されています。

「数十年に一度」ではまったくない。にもかかわらず根本的な認識が改められていませんが、ここには重大な問題が横たわっているのです。災害対策のフォーマットが従来のものからほとんど変えられていないのです。
実際には気候変動などのため、雨の降り方が激変している。このため例えば従来の「計画降雨」=どの程度の水位まで川の堤防が耐えられるかを示すものが、次々と突破され、堤防決壊に至っているのに抜本的な対策がとられていないのです。


2019年の台風19号の際、各地で計画降雨が突破された 


原発のため災害の危機が過小評価されている

実は気候変動による雨の降り方の激変に対応していないだけではありません。地震もかつて予想された揺れを大きく越えるものが頻発しているのに対応していない。なぜか。まともに対応したら、全ての原発を廃炉にしなければならなくなるからです。
原発を次々と作ったころにはできなかった精度の高い揺れの観測ができるようになったら、「基準地震動」=どの規模の揺れまで原発が耐えられるかを示す数値が、実際に起きている地震の数値よりも一桁も少ないことが明らかになってしまった。

それだけではありません。川内原発などは、火山噴火で火砕流に襲われる可能性があるのですが、運転を認めさせるために、九州電力は「巨大噴火は10年ぐらい前に分かるので対処可能」と言い出し、原子力規制委員会が認めてしまいました。
実際には噴火を予知する確かな方法などなく、だからいつも備えなくてはならないのに、「10年前から分かる」=「いまは備えなくていい」という大嘘がまかり通ってしまった。これらが、災害への認識を変えることを大きく阻んでいるのです。


元福井地裁裁判長樋口さん宅と大飯原発の耐震性の違い


乱開発で危機が拡大されている

さらに今回、熱海市で起こった事態は、乱暴な開発優先のこの国のあり方が、あらたな危機を作りだしていることをも明確にしました。
人々の住宅を襲った山津波ともいえる土石流が、違法に積み上げられた盛り土を起点としていたからです。もはや雨の降り方が根本的に変わった日本列島の中では、盛り土を厳しく制限しなければならないのです。

そうなれば真っ先にやめるべきはリニア・北陸新幹線のためのトンネル掘削です。どちらも膨大な掘削土を作りだし、どこかに盛り土しなければならなくなるし、渇水や陥没など、他の被害もたくさん生み出します。
いやそれだけでなく、河川の「計画降雨」が各地で突破され、深刻な堤防決壊が起こっているのですから、国土計画をあらため、災害対策にこそ資源をつぎ込んでいく必要がある。大深度トンネル工事からの撤退は必須です。


熱海の土石流と盛り土の関係を報じる朝日新聞 20210710


いまそこにある危険と向き合いつつ災害対策の転換を

すでに日本列島を襲ってきている豪雨に対しては、とにかく早めの避難などで対応していくことが必要ですが、それだけを繰り返していてもダメです。
認識をあらため、災害対策を抜本的に変えることこそが必要です。

そのためには自衛隊を災害救助隊に変えることも必要。また災害対策の観点からも、地域の自治を抜本的に強化していかなくては。
けっきょくそれは国のあり方を大きく変えていくことにもつながります。このことも考えながら、災害に向き合っていきましょう!


東日本大震災の時に派遣された陸上自衛隊八戸駐屯地の部隊。迷彩服のため隠れてしまっている。これで災害救助をするのは不合理 八戸市HPより

#大雨特別警報 #緊急安全確保 #災害対策 #梅雨前線 #集中豪雨 #計画高水 #基準地震動 #盛り土規制 #リニア新幹線やめよ #北陸新幹線やめよ

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原発や放射線被曝の危険性の暴露など、取材・執筆活動のためのカンパを訴えます。
どうか支えてください。よろしくお願いします。

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明日に向けて(2060)福島の今、復興の今、放射線防護の今について考えよう(22日、京都市で福島訪問報告を行います)

2021年07月07日 12時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20210707 12:00)

福島イノベーションコースト構想にご注目を

福島の今、復興の今、放射線防護の今、誰もが気になるところをがっつりお話したいと思います。
7月22日午前10時から、京都市のひとまち交流館第4会議室にて。主催は「ウチら困ってんねん@京都」です。
より多くの方が視聴できるようにzoomも併設します。会場カンパは資料代500円。zoomはあらかじめアドレスを公開します。投げ銭をお願いできればありがたいです。
(zoomアドレスと投げ銭先は、右記のアドレスにお申し込みいただけたらお送りします。morita_sccrc@yahoo.co.jp)

Facebookのイベントページもご紹介します。
https://fb.me/e/1z5FIjj3E

お話したいのは、守田が5月10日から13日まで福島県を訪れ、あちこちでいろいろな方とお会いして得てきたことです。被爆二世の森川聖詩さんと一緒の旅でした。
得たことはたくさんありますが、一番にお伝えしたいのは「福島イノベーションコースト構想」についてです。従来の「復興」のあり方とはまったく違い、福島の浜通りを「核との共存の町」にしていくことが目指され出しています。
中心にあるのは、福島第一原発の「廃炉作業」を軸にさまざまな核関連産業を誘致し「育成」すること。福島浜通りの「核開発の町」化です。

驚いたことに、アメリカのハンフォードとの連携が進められつつあります。ワシントン州にある「核の町」で、長崎を壊滅させた原爆のプルトニウムが作られたところ。全米にある核弾頭のプルトニウムの三分の二も作らました。
そのハンフォードに2019年に訪れましたが、核物質ですごく汚染されている。核廃棄物がポイポイと捨てられてきたからですが、中心都市のリッチランドなどは放射線防護ではなく福利厚生にお金がつぎ込まれ、核産業を誇りとする町となっている。
そのハンフォードとの連携が示すものは、福島を第二のハンフォードにすること。核を誇り、核と共存し、被曝実態を隠す町にすることです。この実態をぜひ多くの方に知っていただきたい。


実は『放射線副読本』とがっつりつながっている

福島のハンフォード化の動きの一つとして、双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」が建てられており、館長に高村昇氏が就任しています。
文科省発行の『放射線副読本』の執筆の中心を担った人物です。しかも『副読本』以前に復興庁から出された『放射線のホント』の作成にも関わっている。
高村氏は、あの山下俊一氏の右腕とも言われる人物です。原発事故後に福島に入り込み、安全論を振りまき、「放射能を怖がると子どもに悪い影響を与える」などと、福島の人々を騙したあの山下俊一氏です。(裁判で認めています)

この点で『放射線副読本』にちりばめられたテクニック、放射線被曝の危険性を無視するあり方が、福島イノベーションコースト構想と一体化していることが分かります。
しかも高村昇氏はヒロシマとナガサキで「放射線災害復興学」を立ち上げています。次の核災害時に、放射能の中で人々が「前向きに」生きていく道を探るというのです。核との共存=被曝の強制です。
実は核との共存を一番最初に言い出したのは、長崎原爆を「神が落としたもの」と語ったナガサキの「聖人」、永井隆博士でした。山下俊一氏はその永井博士の信奉者。永井ー山下ー高村とつながっているものがあります。

さらにです。その高村昇氏とともに『放射線副読本』の前の『放射線のホント』の構成に関わったのが、東大名誉教授の早野龍五氏でした。
早野氏は福島医大の宮崎真氏と福島県伊達市の被曝線量を過小評価した論文を作成して英学術誌に投稿し、大問題を引き起こした方でもあります。伊達市が住民に配ったガラスバッジデータを使ったのですが、市民に合意を得ませんでした。
その上、虚偽データを掲載したり、被曝線量を大幅に過小評価するなど、あまりにひどくて論文撤回に追い込まれました。不正を暴いたのは伊達市のみなさんでした。(今回お会いして詳しい話を聞けました)。


被曝影響の過小評価がものすごい勢いで強調されだしているわけ

これらを通じ、「福島の今」を形作りつつあるものが、国際的な原子力推進派の動きであることが見えてきました。被曝を限りなく過小評価し、核との「共存」を人々に強いるのです。
例えば早野龍五氏は、放射線影響研究所の評議員も兼ねています。アメリカが原爆で広島・長崎を壊滅させたあとに作ったABCC(原爆傷害調査委員会)の後継組織です。
そこが最近「被曝二世のゲノム調査」をしたいと言い出しました。なんのため?「ゲノムまで見たけれど被曝影響などなかった」と言いたいのでは?と考えていたらその通りの回答がチェルノブイリ周辺で出されました。


実は放射線被曝の遺伝的影響は、アメリカが原爆による大量虐殺を行った直後から、最も注視してきたことがらなのです。

一番初めに原爆使用を批判したのが遺伝学者たちであり、遺伝的影響への不安が大きく広がったからです。当初よりこれを抑えこまないと核戦略は前に進まなかった。それでABCCも遺伝的影響を否定することを最も重視して出発しました。
そしていま、この遺伝的影響の否定の動きがにわかに強まりだしています。どうしてか?推進派が激しく何かを否定するときはその事実が強まっているとき。つまり被曝影響、遺伝的影響が顕在化しているからに違いありません。

実際には遺伝的影響は確かにあります。被爆二世の森川聖詩さんが著書『核なき未来へ~被爆二世からのメッセージ』で、自らの身体に起こったことを赤裸々に書いてくださっています。
これを受けた京都「被爆二世三世の会」の第二回目の健康調査アンケートでも、森川さんと同じような体験を克明に記した多数の回答が寄せられています。
これらをもっと明確につかむことが、被曝被害を受けた人々を救済し、新たな被曝を避ける大きな力になります。しかしだからこそ原子力推進派は、被曝影響隠しを強化し、これと一体のものとしてあるイノベーションコースト構想を進めているのです。



こうした流れをきちんとつかんで、私たちと未来の命を守っていきましょう。福島を核開発の町、核との共存の町にするなど許さない。22日の企画にぜひご参加下さい。

#福島の今 #復興の今 #放射線防護の今 #福島イノベーションコースト構想 #放射線副読本 #放射線のホント #山下俊一 #高村昇 #早野龍五

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明日に向けて(1965)関西電力による大飯原発4号機再稼働の動きに強く抗議します!

2021年01月15日 19時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20210115 19:00)

今宵、大飯原発4号機が再び動きだそうとしています

関西電力が本日15日夜にも大飯原発4号機を再稼働しようとしています。17日に送電を開始し、来月中旬に営業運転を再開するとされています。
トラブル続きの加圧水型原発である大飯4号機の再稼働は大変、危険であり強く抗議したいと思います。
また大飯原発から最低でも250キロ圏内のみなさんは、万が一の事態への備えを開始していただきたいです。

関電はこれまで、高浜3、4号機、大飯3、4号機の4原発を新規制基準のもとで再稼働させましたが、昨年11月3日に大飯4号機が定期点検入りして以降、原発ゼロ状態が続いてきました。
こうなってしまったのはトラブルが続いたのと、特定重大事故等対処施設(特重施設)の建設を怠ってきたからです。
具体的には高浜3号機が昨年1月から5月の予定で定期検査に入ったものの、蒸気発生器細管に損傷がみつかって動かせなくなり、そのまま特重大施設設置期限の8月2日を迎えて動かせなくなりました。

高浜4号機の場合は順番が逆。特重施設を作らないまま設置期限の10月7日を迎えて動かせなくなり、定期点検に入りましたが、12月に3号機と同様の蒸気発生器の配管損傷が見つかりました。
大飯3号機は7月20日から定期点検に入りましたが、8月31日に一次冷却系統の蒸気発生器周辺で分岐した配管に傷が見つかりました。関電はそのまま再稼働しようとしましたが、規制委員会がストップをかけて動かせなくなりました。
このため大飯4号機も同じ配管の調査などを余儀なくされ、当初の昨年12月中旬の再稼働の予定が今日まで伸びてしまっていたのです。


再稼働に向かう大飯原発4号機について報じるMBS NEWS

関電の原発はトラブル続き。裁判も無視。特重施設も未完成。むちゃくちゃです

関電は大飯4号機には配管損傷が見つからなかったからと再稼働を強行しようとしていますが、問題が山積しています。
まず何よりも重要なのは、再稼働した4つの原子炉のうち3つで一次冷却系統の配管で損傷が見つかったこと、しかも定検の度に見つかっていることから明らかなように、加圧水型原発はまったくの欠陥炉だということです。
しかも一次冷却系統は原子炉の中核部です。ここでの配管破断はメルトダウンに直結してしまう危険性をはらんでいます。約320度で約157気圧もの冷却材が回っているのですぐに大事故に発展しうるのです。大飯4号機再稼働は危険です。

二つ目に大飯3、4号機は昨年12月4日の大阪地裁判決で、規制委員会が発した再稼働に向けた設置許可の取り消しが命令されていることです。
理由はこの原発の耐震強度を決める際に、関西電力が過去にこの地域で起こった地震の震度の平均値を用い、それを規制委員会が許可しているがおかしいというもの。当然にも平均の周りにばらつきがあるのに考慮されていない。
この裁判の効力は関電と国が控訴したことによって停止中ですが、しかし「規制委の判断は地震規模の想定で必要な検討をせず、看過しがたい過誤、欠落がある」という地裁判決を無視する関電と規制委員会の姿勢は大問題です。

さらに冷却系統が度々故障を起こし、地震の想定も大甘な上に、大飯原発が特重施設を今なお作られていない点も問題です。これはこの施設の期限のまるで詐欺のような延長の繰り返し構造によるものです。
そもそもこの施設は、「福島原発事故の教訓を踏まえたもの」とされつつ2013年に規制委員会が求めたもの。ところが最初から5年の猶予が与えられました。それでも2018年までにどの電力会社もこれを作りませんでした。
すると規制委は原発停止を命じる代わりに期限を再延長しました。しかも申請をしてから5年としたため一番遅くに申請した大飯3,4号機の期限が2022年8月21日となり、それまで特重施設なして運転して良いと言うのです。滅茶苦茶です。


加圧水型原発の構造 蒸気発生器、冷却材ポンプ、一次冷却材配管などがたびたび壊れる 福井原子力環境監視センターHPより


危険な原発を止めよう。災害対策もしっかり進めよう

このように大飯4号機は危険を承知で、しかも判決を無視し、特重施設も作らぬままに再稼働しようとしています。暴挙です。ものすごい危険性が再び生まれてしまいます。
これに対して大阪地裁判決を勝ち取った裁判闘争でも奮闘してくださったみなさんが、14日に大阪高裁に向けて、控訴審判決が出るまで設置許可の効力停止を求める申し立てを行ったくださいました。
ニュースを貼り付けます。まだ動画も観れますのでぜひご覧下さい。大阪地裁の裁判に続いての力強い行動に心からのリスペクトと感謝を捧げたいです。


「安全性審査過程に過誤がある」設置許可取り消し判決の大飯原発4号機が15日起動へ
ABCニュース 1月14日19:41配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1e3f97d00269c5b803a1917dd57659fc217790ac

訴えたみなさんは「地震はいつ起こるか予測できず、あすにも被害を受ける可能性がある」と主張されていますが、まさにその通り。明日にも被害を受ける可能性があるのです。
とくに2020年はそれまでの年に比べて、震度5以上の地震がとても少なかったのでかえって不安です。その分、日本列島とその周りにエネルギーが溜まっている可能性が高いからです。
いつかは必ずやってくる東南海トラフ地震などが近々起こる可能性だってあります。

みなさん。いま動いている原発はどれもがトラブル続きです。問題ありありの新規制基準すらがまともに守られていません。
危険な原発を止めよ!の声を高めるとともに、重大事故発生に備えた原子力災害対策を地域で、個人で重ねていきましょう!

#大飯原発 #原発再稼働反対 #関西電力 #高浜原発 #蒸気発生器 #特定重大事故等対処施設 #加圧水型原発

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