明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1837)感染症対策「森を見る」思考を―何が日本と欧米を分けたのか―新型コロナの影響を民主主義的に越えるために(30)

2020年06月30日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200630 23:30)

新型コロナウイルス感染症の第一波が収まり、緊急事態宣言が解除され、都市間の移動自粛要請もなくなりました。
感染は小規模ながら相変わらず続いていており、油断はならないですが、すぐに第二波が起こるとは言えなさそうです。
この時期に第一波の経験からの学びを行うために、一時期、中断していた新型コロナに関する連載を再開していきたいと思います。


専門家会議が編み出した戦略はやはり妥当だった!

今回掲げたタイトルは、外務省発行の外交専門誌『外交』Vol.61の巻頭によせられた押谷仁さんへのインタビュー記事のタイトルです。分かりやすいのでそのまま使わせていただきました。
以下よりご覧になれます。読み応え抜群ですのでぜひご一読ください。今回はこれをてがかりに話を進めます。

外交専門誌「外交」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/gaikou/vol61.html


外務省webサイトより

新型コロナウイルスへ感染症対策が良かったのか、悪かったのか。これを「死者数」でみることに大きな抵抗を感じる方がおられる点に配慮し、これまで論じることを躊躇していたのですが、しかしこの間、この点に注目が集まっているのも事実です。
とくに4月ごろに、専門家会議を中心とした日本の新型コロナ感染症対策を、「古すぎる」「世界のトレンドから遅れている」「竹やりで突入するようなもの」などと語っていた方たちから「ファクターX」などという言葉が出てきています。
自分たちの予想が全く当たらなかったので、「感染症が広がらなかったファクターX」を探し出しているのですが、なんとも誠実さがないなあと思います。渋谷健司氏など「東京はもう手遅れ」と危機を煽りまくっていたことの捉え返しも行わない。

しかし世界のトレンドとは何ったのでしょうか。欧米のやり方だったのでは。そしてそれでは感染拡大を抑えられなかったのではないでしょうか。痛ましい死者の拡大が起こってしまったのではないでしょうか。
やはり専門家会議の打ちだした戦略が妥当だったのでは?この捉え返しが大切なのでは?日本の対応を「時代遅れ」と語っていた方たちは、この点に踏み込もうとしません。自らが間違っていたことになるからでしょう。
しかしそれでは何が正しかったのかを検証できません。そればかりか今回、せっかく効果があった対応方法を次の感染症対策で手放すことになりかねません。

今後も感染症に立ち向かっていくためには、優れた経験に学んで継承することが大事です。
安倍政権が、専門家会議をひどい形で解散することで、政権と専門家会議に大きな隔たりがあったこともより鮮明になったいま、ぜひ公平な目で学びを深めたいです。


何が日本と欧米を分けたのか

これまでこの点を、専門家会議の方があまり明確に語ることはなかったように思いますが、今回、押谷さんは鮮明に語っておられます。引用します。

感染症対策「森を見る」思考を
http://www.gaiko-web.jp/test/wp-content/uploads/2020/06/Vol.61_6-11_Interview_New.pdf

***

「データを見れば、欧米諸国と日本でどちらが有効な対応なのかは明らかです。両者の違いは、感染拡大を止める戦略にあります。ひと言でいえば、日本の戦略は「森を見て全体像を把握する」ことで、ニューヨークをはじめ欧米諸国は「木を見る」方法だと言えます。
欧米諸国は、感染者周辺の接触者を徹底的に検査し、新たな感染者を見つけ出すことで、ウイルスを一つ一つ「叩く」ことに力を入れてきました。しかし、日本だけではなく各国のデータから、接触者の陽性率は非常に低いことがわかっています。
一方で、通常の方法では見つからないような軽症例や、無症状の感染者からも感染が起こり得ます。したがって、そのような対応は感染拡大阻止にはさほど有効ではない上に、たいへん非効率な消耗戦となってしまったのです。
一方、日本の戦略の肝は、「大きな感染源を見逃さない」という点にあります。われわれがクラスターと呼ぶ、感染が大規模化しそうな感染源を正確に把握し、その周辺をケアし、小さな感染はある程度見逃しがあることを許容することで、消耗戦を避けながら、大きな感染拡大の芽を摘むことに力を注いできたのです。
そのような対策の背景には、このウイルスの場合、多くの人は誰にも感染させていないので、ある程度見逃しても、一人の感染者が多くの人に感染させるクラスターさえ発生しなければ、ほとんどの感染連鎖は消滅していく、という事実があります。」

とても重要な点だと思います。
世界のトレンドだとして、例えば児玉龍彦氏などが強調していたのは検査の徹底です。「感染者周辺の接触者を徹底的に検査し、新たな感染者を見つけ出すことで、ウイルスを一つ一つ叩く」のです。しかしそれは「非効率な消耗戦」になってしまった。
なぜか。大事なポイントは「このウイルスの場合、多くの人は誰にも感染させていないので、ある程度見逃しても、一人の感染者が多くの人に感染させるクラスターさえ発生しなければ、ほとんどの感染連鎖は消滅していく」点です。
多くの方が感染を絶対にしないさせないとピリピリしていた時には、明示的に言えなかったように思えますが、「ある程度見逃して」も良いことは、とても重要なのです。欧米ではこの点が把握できなかったので、あまりに非効率に医療資源を消耗させてしまいました。

これは地道な追跡調査で分かったことでした。感染者10人のうち実に8人は誰に感染させてなかった。残りの2人のうちの1人も1人にしか感染させていなった。しかし最後の1人がクラスターを作ってしまっていた。
それがどうしてなのかを分析して得られたのが、クラスターが特定条件下で起こることでした。こうして編み出されたのが「3密を避ける」戦略でした。欧米各国はこの方法に至れなかった。ぜひクラスター対策を摂り入れて欲しいです。
日本はだからこそ、厳格なロックダウンも行わず、欧米から比べたらかなりゆるゆるの「自粛」で乗り切ることができたのです。ウイルスを「一つ一つ叩く」方策を採らないことが懸命だったのです。


『外交』Vol.61より

アジアは戦略を共有している

さてこのように書いてくると、感染拡大を上手におさえ、死者数を少なく抑えられたのは日本だけではない。韓国や台湾の方が、人口当たりの死者数が少ないと言うご指摘がでてくるのではと思います。
まったくその通りなのです!その点で優れているのは日本の専門家会議だけではありません。アジア各国の戦略が優れていたのです。
どうしてなのかというと、ベースに同じ戦略を共有しているからです。Field Epidemiology Training Program(FETP)です。

日本は1999年より始めていますが、タイ(1980年)、台湾(1984年)、フィリピン(1987年)などで日本よりも早くFETPが設置されている国があります。
韓国(2000年)や中国(2001年)もこれを設置しており、それぞれの担当者が国を越えたネットワークを形成してきて、SARS,MARS,新型インフルの経験を共有してきたのです。その中でクラスターを追跡し、感染を抑えこんでいく戦略が研ぎ澄まされてきた。
今回、どれだけ情報交換が行われ、互いの戦略を学びあったのかのリアリティまでは分かっていないのですが、これらの戦略を有している国の新型コロナ対応が、どこでも比較的うまく感染を抑えこめたことは事実です。

その点でも専門家会議は、安倍政権の枠に収まらないスケールを持っていました。20年間にわたる感染症対策の経験を、各国の専門家とともに共有してきたからです。
しかし安倍政権ならず日本の歴代政権は、この意義をまったく理解せず、感染症研究会や保健所の予算や人員を大幅に削ってきました。検査体制も伸ばそうとはしませんでした。
その逆風の中でも、これらの方たちが研究と実践的トレーニングを連綿と積んできたことが、今回、大いに役立ちました。ぜひここに注目して欲しいです。

「FETP」をご存じですか?
日経メディカル 20100427
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/kansen-j/201004/514877.html


日経メディカルの記事より

*****

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#新型コロナウイルス #専門家会議 #押谷仁 #クラスター対策 #ロックダウン

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明日に向けて(1836)2つの7.16=トリニティ核実験・チャーチロックウラン鉱滓(スラグ)汚染水漏れ事故の日にむけて

2020年06月27日 11時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200627 11:00)

【お知らせ】本日27日午後1時半より、京都市の聖護院門跡で原発と新型コロナについての企画が行われます。
元福井地裁裁判長・樋口英明さんとご一緒します。ぜひご参加下さい。Zoomでの視聴も可能です。
詳しくはイベントページをご覧ください。当日ですので、Zoomアドレス・パスワードも公開しています。
https://www.facebook.com/events/1735196226633686/


トリニティ核実験から75年・・・

7月16日は核にまつわる大きな日です。二つの大きな事件が起こった日だからです。しかも同じ、アメリカ・ニューメキシコ州で起こりました。
一つは1945年7月16日、ニューメキシコ州のソコロとアラモゴードに挟まれた米軍の射爆場で起こりました。人類史上、初めての核実験でした。
使われたのはガジェットと命名されたプルトニウム型の核爆弾でした。のちに長崎に投下したものと同型で、長崎空襲のための実験でした。

爆発が起こったのは16日の未明。目撃した住民は「大音響とともに地上から太陽が現れた。この世の終わりがきたと思った」と語っています。
しかし極秘に計画を進めていた米軍は、すぐに火薬倉庫の爆発事故と発表。周辺の多くの住民が、何も知らされないままに、大量に降下してきた放射性物質によって被曝しました。
その点で、トリニティ核実験は、人類史上初めて核爆発による被害を人々にもたらしたものでした。核兵器の被害は広島が最初ではないのです。最初はトリニティなのです。

しかもこの爆弾、地上30メートルの鉄塔の上で爆発させたため、地表の泥を大量に巻き上げ、それに放射性物質がついて、近郊に大量に落ちたために住民への被害をより大きくしました。
米軍はこの経験から、後の核実験を空中投下で行い、放射性物質を大気中に拡散させるようにしましたが、もちろんそのことで、被害を世界大に広めただけでした。
その後、周辺住民から次々と重篤なガンが発生しました。被害は次世代にも及びました。しかしアメリカは長きにわたって加害責任を認めていません。2014年9月より、ようやく米国立がん研究所(NCI)の調査が始まりましたが・・・。


トリニティサイト近くの看板 守田撮影

チャーチロック・ウラン鉱滓汚染水漏れ事故から41年・・・

もう一つの7月16日の事故は1979年に起こりました。ナバホ・ネーションのチャーチロックにあったウラン精錬工場から発するウラン鉱滓(スラグ)を含んだ汚染水を大量に貯めていたダムが決壊したのでした。
ウランやさまざまな岩石のカス、また精錬に使用された強酸などの薬剤が混じったとても危険な汚染水は、周辺に住んでいるナバホ・ディネの方たちが生活水を採っているプエルコ川に流れ込み、被害を拡大しました。
この事故の背景をなすのは、1944年、原爆製造計画=マンハッタン計画が動いている時に、ナバホ・ディネ、そしてホピの「居留地」から次々とウラン鉱が発見され、発掘されだしたことです。

広島・長崎に投下された原爆に使われたウランは、ベルギー領だったコンゴやカナダから持ち込まれたものでしたが、ニューメキシコでのウラン発掘は、第二次世界大戦が終わり、ソ連との核兵器を向き合わせての「冷戦」が始まるや、どんどん拡大、1000以上もの採掘場が作られ、精錬工場も建てられました。(今はほとんどが廃坑)
そこで劣悪な労働に従事したのも、多くはナバホ・ディネの方たちでした。そんな中で起こったのが、1979年の大量のウラン精錬工場から出た汚染水の川への流出でした。
1979年というと何かに気づかれる方もおられるのではないでしょうか?そうです。この年はスリーマイル島原発事故の年です。このためチャーチロックの事件もさぞや注目が集まったかと思いきや、そんなことはなかった。先住民族の地だからでした。

この点で、チャーチロックの事故は、先住民族の地からウランをかってに掘り出し、採掘労働や精錬などさまざまな過程で、周辺環境を汚染し、人々を被曝させてきたことの連なりの中で起こったものでした。
ここから私たちがおさえなければならないのは、核爆発による最初の被害が起こったのはトリニティ実験であるけれども、それより先に、ウラン鉱の採掘で人類初の核被害が起こされていたということです。
しかもナバホだけでなく、他国のウラン鉱も含めて、被害の多くは各地の先住民族の方たちが受けました。このウラン鉱とトリニティの被害のあとに、広島・長崎での凄惨な大虐殺と、放射線による世代を越えた加害が行われたのでした。


チャーチロックウラン汚染水漏れを批判する40周年集会・デモ 守田撮影


ふたつの716に参加して

昨年、僕は7月と11月にアメリカに訪問しました。「核の終わりを探る旅」でしたが、7月に二つの716関連の企画に参加することができました。まずはチャーチロックでの40年目の抗議・批判の集会に参加しました。
集会場そのものが二つのウラン鉱山跡に挟まれていましたが、そこからデモがなされました。約200人が歩き、精錬所があった方角を向きながら運動の代表の方の話を聞きました。
その後、集会場に戻り次々と発言が続きました。それぞれの発言が印象的でしたが、ナバホ・ディネの方達が様々な健康被害の元に今も苦しんでいることが、とても深く胸に響いてきました。

その後、トリニティサイトの企画にも参加することができました。チャーチロックの集会で出会ったロンさんの車に、ニューヨーク在住のアーティスト、田中康予さんとともに同乗させてもらい向かいました。
サイトの南にあるアラモゴードの町で住民集会に参加。参加者が次々とガンなどの被害、家族の死を語る圧巻の集会でした。僕はそこで京都「被爆2世3世の会」のメンバーとして発言しましたが、ものすごく熱い拍手で迎えられました。
その後、犠牲者を追悼するビジルに参加しました。小さな野球場の内野守備位置あたりに、犠牲者の名を書いたペーパーバックが並べられ、中にあるろうそくに火が灯されました。夜になると鐘の音と共に、一人一人の名が読み上げられました。

二つの716企画に参加して、「ああ、ここにもこんなに核の被害者がいる。ヒバクシャがいる。この人々と共に歩んで、この悲惨な時代を越えていきたい」と強く思いました。
同時に「この中からこそ、新たな時代をみんなで豊かに作りだしていく新たな「愛」もまた生まれるのだ」とも思いました。そうなのです。核の被害、悲しい痛みをシェアし、その中で私たちの心を温めて愛を育む中でこそ未来が見えるのです。
ぜひこの流れを強めていきたい。これを読んでいるみなさんにも参加していただきたいです。


アラゴモードでのビジル 犠牲者の名前が書いたペーパーバックに灯をともして 守田撮影


今年のふたつの716に向けた企画を立案中です!

今年もまたふたつの716の日がやってきますが、そのときにぜひ企画を行いたいと考えい、思案中です。
一つに京都「被爆2世3世の会」で7月16日午後6時より街頭での宣伝を行いたいと思います。アメリカでは朝の5時ごろ。ちょうど75年前にトリニティでの爆発が起こされた時間帯です。
「トリニティの日に企画を」とミーティングで決めたのですが、僕はそこにナバホ・ディネの方たちへの連帯の意味も込めることを再度、提案しようと思っています。これをビデオ収録し、アラゴモードとナバホ・ディネの方たちに送りたいです。

もう一つ、昨年の二つのアメリカ訪問の旅に僕を誘って下さった、玉山ともよさんと、ニューヨークにいる田中康予さんとで、ネット上での何らかの企画をと考えています。
3人それぞれが簡単なプレゼンを行い、現地の方たちからもコメントをいただくかたちで進めようと思っています。こちらも2つの716にしっかりと焦点を当てます。
これらも録画も行い、リアルタイムだけでなく、多くの方たちに見てもらいたいと思っています。

そして何らかの形で、これらの企画を今年の広島の日、長崎の日に反映させていきたいと思っています。
広島・長崎の惨劇に心を痛めている多くの方たちに、先にウラン鉱の発掘があり、トリニティの核実験があったことを知っていただきたい。わがこととして、そこの犠牲者の痛みをシェアしていただきたいと思うからです。
悲しみを集めるのは辛い作業でもあるのですが、しかしその中でこそ、新たな何かが生まれると僕は確信しています。どうかご協力ください!


家族の犠牲者の写真と名前を貼りだした方と共に 田中康予さん撮影

*****

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明日に向けて(1835)「沖縄慰霊の日」に愛と平和を考える―「知っておきたい沖縄のはなし」をご覧ください

2020年06月23日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200623 23:30)

沖縄戦のことをどう考え伝えていくのか

本日6月23日は「沖縄慰霊の日」でした。
沖縄戦で亡くなられたすべての方の霊に、心からの祈りを捧げたいと思います。
沖縄戦で心身を傷つけられ、いまなおトラウマに苦しむサバイバ―のみなさまにお見舞い申し上げます。

75年前のこの日、組織的戦闘としての沖縄戦が「終結した」という解釈があります。日本軍司令官牛島中将が23日までに自決したためです。
しかし牛島中将は「最後の一兵まで戦え」という命令を残しました。そのためその日以降も、戦闘が続きました。
その点でこの日を「終結の日」として捉えるのは正しいとは言えませんが、しかし長らくこの日は「慰霊の日」とされ、今日も平和の礎の前で、県の主催による慰霊集会が行われました。

犠牲になった人々の魂に対して私たちはどういう思いを手向けたらいいのでしょうか。沖縄戦をいかに捉え、後世に伝えていくことが必要なのでしょうか。
実は僕はこの点について本年の2月下旬に、滋賀県のある公立中学校でお話させていただきました。6月に修学旅行に行く予定の当時の2年生全生徒さんの前ででした。
残念なことに、6月の修学旅行は中止になってしまいましたが、生徒のみなさん、沖縄のことを事前学習していてとても熱心に聴いてくださいました。「慰霊の日」にこの時の動画をみなさんにご紹介したいと思います。

知っておきたい沖縄のはなし もりもりチャンネルvol.154
https://www.youtube.com/watch?v=kJ8USzX2FAs


沖縄戦と平和憲法と米軍基地

この講演には、僕が戦争の問題でこの間、考えてきたこと、取材してきたことをいっぱい込めました。
一つは、明治維新以来、日本が戦争に次ぐ戦争に明け暮れたこと。とくに1930年代には中国への侵攻を深め、その先にアメリカとの戦争に入り、太平洋の島々や海での戦争がやがて沖縄戦へといたっていきました。
その沖縄戦は、住民を守ろうとしない日本軍のあり方が顕著にあらわれた戦いでした。当初、首里城付近を攻防ラインとしていた日本軍は、那覇など都市の住民を南部に逃がしていた。しかし首里城での攻防に敗れるや、その南部に日本軍が撤退したのでした。

このため南部は兵士と住民がひしめき合う状態になってしまいました。そこにアメリカ軍が無差別攻撃をかけました。
日本軍もアメリカ軍も住民を守る気が少しもなかったので、軍人よりも圧倒的に多数の民間人が犠牲になったのが沖縄戦でした。
この点を実写フィルムもまじえながらコンパクトに説明しました。

その後、日本は戦争に敗れ、民主化が進み、平和憲法ができました。憲法は長年にわたる戦争の犠牲の上に成り立ちました。「二度と戦争などせず平和で豊かな国を作るのだ」という日本民衆の気概が溢れていました。
このことを生徒さんたちとシェアするために、文部省がこの頃に出版した「新しい憲法のはなし」の主要部分を読み上げました。
その上で、この平和憲法から除外されたのが沖縄であったこと。1972年までアメリカの統治下におかれ、基地だらけになり、朝鮮戦争やベトナム戦争への出撃がそこから行われたことを知ってもらいました。



アメリカが行ってきた戦争と沖縄

アメリカが日本に対して行った戦争の振り返りも行いました。一つは全土の都市を狙った都市空襲です。スタンダード石油が開発した焼夷弾が大量に使われました。
アメリカはさらに沖縄上陸戦を行い、さらに広島・長崎に原爆を投下しました。そのすべてが戦争犯罪でした。
大量虐殺の果てに日本を占領したアメリカは、沖縄から朝鮮へ、ベトナムへと出撃しましたが、その時、使ったのも焼夷弾でした。日本で使われたものをバージョンアップしたものが朝鮮では2倍、ベトナムでは20倍、落とされました。


嘆かわしいことに、日本はこの朝鮮・ベトナム戦争でしこたま儲け、経済復興と高度経済成長を実現しました。その象徴が東京タワーであることを指摘しました。あのタワーの上の3分の1は、朝鮮戦争でポンコツ化した米軍の戦車の鉄からできているからです。
また東京大空襲など本土空襲から、朝鮮・ベトナムへの空襲が同じ将軍に指揮されたことも話しました。カーチス・ルメイです。戦中に「皆殺しのルメイ」とあだ名したこの将軍に、日本政府はなんと天皇ヒロヒトの名で勲章を送っています。
さらに米軍は沖縄に海兵隊を軸に大量の米軍を置いてきました。今も在日米軍の4分の3がいる。その米軍は兵士を人殺しに変える訓練を続けています。その中で島袋里奈さんが殺害されるなど、繰り返し軍と軍属による島民への暴力が振るわれてきました。

暴力への抗議が繰り返される中で、普天間飛行場の返還が決まったものの、米軍が辺野古に基地新設を求め、日本政府が建設を続けています。これへの沖縄の人々の抵抗が続いていることを写真を交えて話しました。
これに世界から支持が集まっている。日本ではモデルのローラさんが、イギリスではQUEENのブライアン・メイさんが声を上げてくれました。そんな中で、基地反対の玉城デニーさんが知事になっています。
これらを踏まえて最後にこうメッセージを発しました。

「沖縄の人たちはいまも戦争・軍隊・基地・暴力に反対して努力を続けています。
その沖縄を訪れてぜひ沖縄の平和のこころに触れて下さい。沖縄の優しさにふれて下さい。
そしてみなさん自身が、平和で、優しく、家族や友だちを大事にするあたたかい心を育てて欲しいです。
戦争の悲しみの中からつむぎ出されてきた愛があふれているのが沖縄です。

沖縄に、世界に、愛と平和を!」

・・・ぜひ「知っておきたい沖縄のはなし」をご覧ください!


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#沖縄 #沖縄戦 #慰霊の日 #平和の礎 #米軍基地 #辺野古 #海兵隊

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明日に向けて(1834)第123回「山猫軒シンポ」原発、新型コロナウイルスから見えてきたもの(27日)・・・Zoomからも視聴できます!

2020年06月22日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200622 22:30)

樋口英明さんとともに原発についてお話します。第二部で新型コロナについてもお話します!

すでにお知らせしましたが、6月27日午後1時半から、第123回「山猫軒シンポ」にてお話します。
「明日に向かって 原発、新型コロナウイルスから見えてきたもの」というタイトルです。
以下、イベント案内を貼り付けます。

午後1時開場、1時半開始 午後4時5分まで
京都市左京区 聖護院門跡にて(京大病院近く 東大路通「熊野神社」下車すぐ)

ゲスト
元福井地裁裁判長   樋口英明さん
フリージャーナリスト 守田敏也さん

特別出演
笛の名手       湊 愛子さん

主催
山猫軒シンポジウム事務局 09082078642(いずぶち)

詳しくは以下の記事をご覧ください。

明日に向けて(1832)原発はあまりに危険、すぐにも停める必要がある!その危険な原発と新型コロナ感染症問題はつながっている!(京都市聖護院門跡で27日に樋口英明さんとともにお話します)
https://onl.tw/KGKuxj4

湊 愛子さんのHPもご紹介しておきます!
http://minatoaiko.jp/


山猫軒シンポ Zoomでも視聴できます!

この企画、Zoomからも視聴可能になりました!
ぜひご参加ください。

************************

Zoomで視聴されたい方は守田までお申し込みください。
↓↓↓↓↓
morita_sccrc@yahoo.co.jp

Facebookページからも受け付けます。

************************

お申し込みをいただいた方に、Zoomのアドレス・ID・パスワード・資料をお届けします。
当日は午後1時よりZoomをオープンします。早めにご参加ください。
ただし時間と技術面での制約からZoomでは視聴だけ可能です。質疑応答には対応できません。ごめんなさいです。

参加費1000円

守田の銀行口座に振り込むか、Paypalでお支払いください。

振込先 ゆうちょ銀行 
なまえ モリタトシヤ 
記号14490 番号22666151

Paypalから
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000

入金は申し込みの後からでも結構です。


Zoomなどを使って新たな可能性を切り開こう

今回のZoom使用は、山猫軒シンポ事務局のいずぶちときこさんと僕との間で相談して設定しました。
この間、多くの講演会が中止・または延期になっています。
緊急事態宣言が全面的に解除になる中で、少しずつ再開しつつありますが、いまなお完全に「コロナ前」に戻すことはできません。第二波の到来のあり方によっては、再度、リアル企画ができなくなるかも。

そんな中でいかに市民的な議論を継続するのか。あるいはより豊かなものにできるのか。
その一つにZoomなどの市民運動での活用が考えられると思います。もちろんネットを介したものでは、リアルな交流から欠けてしまうものがたくさんある。
しかし他方で、遠距離からの参加が可能になるなど、リアルでは実現不可能だったこともあります。

だとすればより新しい可能性の方をつかんでいきたいものです。
というわけで、とくに遠方のみなさま。京都市の企画では参加できないというみなさま。ぜひZoomからご参加下さい。
いろいろな経験を積み上げる中で、コロナの中で、そしてまたポストコロナにおいて、新たな可能性を切り開きましょう。
6月27日(土)午後1時よりお待ちしています!


湊愛子さんHPより

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#原発再稼働反対 #大飯原発差止訴訟 #福井地裁裁判長 #樋口英明 #新型コロナウイルス感染症

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明日に向けて(1833)被ばくの遺伝的影響を解明するために・・・被爆二世三世健康調査アンケートにご協力を

2020年06月20日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200620 22:30)

京都「被爆二世三世の会」が第2回健康調査アンケートに取り組み中です

僕が参加している京都「被爆二世三世の会」が、二世三世の方を対象とした2回目の健康調査アンケートへの取り組みをはじめました。
1回目の調査は2015年5月25日~2015年9月30日に行いました。合計106人の回答が寄せられました。
結果をまとめたものを、2016年3月1日付で発表し、会のホームページに掲載しています。

2015年被爆二世健康実態調査 中間報告 
http://aogiri2-3.jp/chousa/2015jittaichosachukanhoukoku.pdf

今回の調査アンケートは、1回目を踏まえ、二世三世の身体に、遺伝的影響として起こっていると思われる症状をよりピックアップすることで作成しました。
ぜひ一人でも多くの被爆2世3世の方にご参加いただきたいです。関心のある方は守田までご連絡ください。

↓↓↓
morita_sccrc@yahoo.co.jp

折り返しアンケートをお届けします。
また二世三世の方のお知り合いがおられましたら、ぜひこの情報をお伝えいただけたらと思います。


京都「被爆2世3世の会」ホームページより


被ばくの影響は十分に考えられる

被ばくの遺伝的影響はあるのか。放射線が生物の遺伝子にダメージを与え、次世代に影響を及ぼすことがあることは、すでに疑いのない事実として把握されています。
しかし広島・長崎の原爆による実際の影響は「確認されていない」とされています。「論理上の可能性はあるが、事実としては確認されていない」というのが国や国際原子力ロビーの見解です。
これを打ち出したのは、原爆を投下したのちに排他的な被爆者調査を行ったアメリカの機関(原爆傷害調査委委員会、後の放射線影響研究所)など。加害者が被害者を調べたもので、とても信用できません。

これに対し多くの被爆二世三世が、遺伝的影響と思えるさまざま症状を体験してきました。しかし被爆者と障害者への根強い差別意識がある中で、ダイレクトにこの問題を捉え、深めることができてきませんでした。
この状態を打破し、実相に迫ろうとしたのが私たちの1回目のアンケートでしたが、その過程で私たちは二世三世の間に、思っていたよりもたくさんの似た症状や体験があることを知りました。
これまで深く話し合われたことがなく、記録も残っていないので、個人の体質や、家族の傾向と思われていたさまざまなことが、多くの二世三世に共通して起こっていることが見えてきたのです。


遺伝的影響について論じる「放射線影響研究所」ホームページ


『核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ』森川聖詩著から

このことから私たちは、それぞれの体験の共有化をもっと進め、真実に迫ろうと考えました。
そんなときに、二世三世運動を共に担ってきた森川聖詩さんが、画期的な著作を上梓して下さいました。小見出しに掲げた本です。

以下に書評を載せています。ご覧ください。
https://onl.tw/eSzbzzt

以下からご注文もできます。
http://gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5849-5.htm

森川さんはこの書の中で、幼少期から現在まで、ご自身の身体に起こったことを赤裸々に綴って下さっています。
これを読んだ私たちの会の仲間たちから、「同じ体験をした」「重なる部分が多い」などの感想が寄せられました。それで私たちは2回目のアンケートの冒頭に森川さんの体験記を載せて、同じ体験がないか問うています。
その後に、さまざまな被爆体験記に描かれた被爆1世が被った症状をピックアップし、似たことが起こってないかを尋ねる形でアンケートを構成しました。


京都「被爆二世三世の会」年次総会の記念講演で談笑する森川聖詩さん(20200420) 守田撮影


被爆影響を振り返ることの辛さ

この中で私たちは、この作業の特有の辛さにも突き当たりました。例えば森川さんの書にはこのような記述があります。
「ケガをすると、少々のかすり傷のようなものであっても、傷口がなかなか治らず化膿して、白い膿みがたまり、炎症を起こすことが多く、そのたびに病院にかよっていた」。
これに多くの2世の仲間から「同じ体験をした」「いやいまもそうでカに刺されることが怖い」などの意見が寄せられるとともに、「この調査は辛い。かつてのトラウマが蘇る」という切実な声も寄せられました。

「子どもの頃、ケガをすると膿が出る状態が続いてなかなか治らずとても辛かった。思い出すと苦しい」というのです。
討論を深める中でもっと深い思いも出てきました。「ケガが治らず辛かっただけではない。親に叱られて反対に『こんな身体に生んだオフクロが悪いんだ』と責めてしまった。謝りたいと思うがもうオフクロはいない」と。
私たちはこうした仲間の声を前に、この調査を進めることの意義を、何度も話し合わざるをえませんでした。


アンケートに関して語り合う 京都被爆二世三
世の会例会(20200514より)
コロナ禍の中、会議室8人、zoom8人で集って会話 平信行さん撮影


被ばく影響を自覚してより良く生きる!

何のために私たちは、こうした辛い思いをしていただきながら、調査を進めるのか。答えは被ばく影響を自覚して、より良く生きることにつきます。
被ばく影響の実相を正確に把握したいのももちろんですが、あくまでその上で、どうすればその影響を越えて、より良く生きていけるのかの可能性を探りたいのです。私たちは、それが世界中のたくさんのヒバクシャにとってもプラスになると確信しています。
被ばくは広島・長崎の前から起こっています。1945年7月16日のアメリカのトリニティサイトの核実験でたくさんの人々が被ばくしたし、もっと前から先住民族などがウラン発掘で被ばくしていました。

広島・長崎後も、世界中で核実験が行われ、福島にいたるたくさんの原発や核兵器製造工場の事故も起こりました。核廃棄物も酷い形で捨てられてきました。
そう考えればものすごくたくさんの被ばく被害が、国際原子力ムラによってないものにされてきている。それば現代の、暴力が野放しにされた現状にもつながっています。私たちはこの暴力の流れを止めたいとも思います。
ただし前述のように、この調査には特有の辛さがある。そのため私たちはアンケートを顔の見える範囲でお渡しし、辛さがあればそれもシェアしながら進もうと思っています。被ばく影響を自覚して、より良く生きるために、どうかこの調査にご協力ください!


会報での呼びかけより

*****

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#被爆2世 #被爆3世 #遺伝的影響 #核なき未来へ #森川聖詩 #京都被爆2世3世の会 #健康調査アンケート

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明日に向けて(1832)原発はあまりに危険、すぐにも停める必要がある!その危険な原発と新型コロナ感染症問題はつながっている!(京都市聖護院門跡で27日に樋口英明さんとともにお話します)

2020年06月19日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200619 23:30)

元福井地裁裁判長・樋口英明さんとともに

久しぶりにリアル講演を行います!6月27日(土)、京都市の聖護院門跡の仏間にてです。京都市左京区の京大病院そば。東大路通でバス停「熊野神社」下車。数分。
午後1時半から(受付は1時から) ゲストは樋口英明さんと僕です。笛の名手 湊愛子さんの演奏もあります。
参加資料費1000円。お問い合わせは「山猫軒シンポジウム」事務局、いずぶちときこさん 090-8207-8642

はじめに樋口さんが大飯原発運転差止を命じた経緯や、原発の危険性についてお話してくださいます。
樋口さんの判決の画期的な点は、裁判における「専門性に関する呪縛」を打ち破ったこと。伊方原発1号機の設置許可の取り消しを求めた裁判が、一審二審と住民側が敗訴したことに対して行われた上告への棄却決定(1992年)の際に用いられたものでした。
端的に言うと、原発に関する訴訟を「専門技術性が高い」ものと判断し、行政の側の「専門技術裁量」を尊重すべきだとしてしまい、「このため裁判所は危険性についての直接判断を避ける」としてしまったことにあります。

さらに裁判所は規制基準の合理性=辻褄があっているかどうか、つまり適合性を判断するとし、このための立証責任は被告側が負うとしたのです。
樋口さんはこの伊方最高裁判決の「魔法」・・・「専門技術訴訟だと言われると裁判官に呪縛がかかってしまう点」を打ち破り、専門家でなくとも分かる原発の危険性を鮮やかに指摘され、運転停止を鮮やかに命じられたのでした。
この話をぜひ直接、聴きにきてください。樋口さんのお話の後は、僕がお相手となってトークで内容を深めます。僕からも今年に入って次々と原発が停まっている問題(特定重大事故等対処施設=テロ対策施設の問題)についても解説します。


新型コロナウイルスの問題についてもお話します。

第一部の原発のお話のあとに、湊愛子さんが笛の演奏を聴かせてくださいます。篠笛などの名手でいらっしゃるそうです。僕も楽しみにしています。
その後、新型コロナウイルスについて僕がお話します。あらためてこの問題のアウトラインについて触れたいと思います。
政府の対応の問題点を明らかにするとともに、原発問題と実は密接なつながりがある点もお話します。

新型コロナウイルス感染症は日本ではなんとか第一波をしずめることができました。欧米各国もとりあえずは収束に向かいつつありますが、他方でブラジルなどではまだまだ悲劇が拡大しています。
世界的にはとても収まっているとは言えないことを考えると、第二波の到来も必至だと言えます。こんなときにオリンピックなどやれるのか。やれる可能性も薄いし、やっている場合ではないと僕は思います。
そもそもこの国は福島原発事故とて真に収束させることができていないし、放射性物質によるさまざまな被害が続いています。

さらに自然災害の脅威も年々高まっており、梅雨が始まったいま、水害の危険性が高まっています。対策の強化が絶対に必要です。さらにそれと感染症対策とをうまく両立させていかなくてはいけない。
そもそもそんなときに危険きわまりない原発など稼働させていて良いのかという問題も大事です。
さて、こうして書きながら、当日の限られた時間の中で、「はて、どこにまとを絞って話すのが妥当だとうか」という気がしています。この点をこれからの準備で練りに練り、当日は最も大事なエッセンスをぎゅっと絞り込んでお話します。

何せ久しぶりの講演なので、自分としても「どうなるのだろう」みたいな気持ちがあり、なんとも言えないワクワク感も持っています。
みなさま。ぜひご参加下さい。


*****

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#原発再稼働反対 #大飯原発差止訴訟 #福井地裁裁判長 #樋口英明 #新型コロナウイルス感染症

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明日に向けて(1831)大水害・大地震の危機に逞しく備えよう―防災・減災体制の抜本的強化を

2020年06月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200614 23:30)

みなさま。前号で兄、守田和也を送った話を書きましたが、Facebookタイムラインで600人以上の方から反応を頂いたほか、たくさんのお悔み・励ましをいただきました。
心からお礼申し上げます。いつも生きることに一生懸命で、家族や会社の仲間をこよなく愛していた兄の姿に、たくさんの方に共感をしていただき、僕もとても嬉しかったし、兄も喜んでくれていると思います。
兄の姿をいつまでも心の中に留め置きつつ、また世のため、人のため、持てる力のすべてを振り絞って頑張っていきますので、どうかよろしくお願いします。


大水害が毎年発生中

さて今回は水害への備えについて論じたいと思います。すでに梅雨が始まっており、今宵から明日15日明け方にかけても、西日本から北日本で、雷を伴う非常に激しい雨が降り、大雨となるところもあると予報されています。
今後、梅雨、夏の台風と雨が強まる機会が増えることが予測されますが、何より踏まえておかねばならないのが、気候変動の影響で雨の降り方の激しさが年々、増していることです。
これに伴い、毎年のように大きな河川の決壊による洪水や土砂災害が発生しており、しかも河川氾濫は年々規模が拡大しています。

ここ3年を振り返ってみましょう。2017年には7月5,6日に福岡県・大分県を中心に「平成29年7月九州北部豪雨」が発生。死者40人、行方不明2人の被害が出ました。
2018年には6月28日から7月8日にかけて「平成30年7月豪雨(西日本豪雨)」が発生。岡山県の真備町が水没するなどする中で、西日本一帯で死者263人、行方不明8人という甚大な被害が出ました。
2019年には10月12日に「令和元年東日本台風(19号)」が静岡県に上陸。関東・甲信越・東北などで死者86人、行方不明3人の被害が出ました。なおそれぞれの名は気象庁の命名によっています。

しかもこの間に2018年9月4日に徳島県に上陸した台風21号があり、関西空港が水没するとともにタンカーが連絡橋に衝突し、しばらく関空が使えなくなりました。また台風は大阪・京都に暴風をもたらし、電信柱や木々をなぎ倒し、家々の瓦をはぎ取りました。
さらに2018年9月9日に千葉県に上陸した台風15号は、市原市のゴルフ場のネットや、山の上にある送電塔をなぎ倒すなどして、広域の停電をもたらし、さらに房総半島南部の鋸南町の家々の瓦をはぎ取っていきました。
一つ一つが大災害でしたが、これらの中で特筆されるのは、昨年の台風19号の被害で、なんと71河川142カ所で決壊・洪水が発生したことでした。堤防が壊れなくても越水した河川はもっと多く、氾濫河川は200を大きく上回りました。


昨年、大氾濫した千曲川 2018年10月守田撮影


千曲川決壊地点の惨状 守田撮影

日本の防災対策の根底が覆っている

毎年のそれぞれの豪雨・暴風・洪水・停電の一つ一つが甚大な被害をもたらしていますが、とくに142カ所での河川決壊は、日本の防災体制の根底を覆すものです。
どれほど重大な事態かを明らかにするために、ここ何年かの河川決壊数をみていきましょう。作年10月にNHKのクローズアップ現代で報じられたことをご紹介します。 
番組の中で「堤防決壊した河川数」というボードが示されたのですがそこでは2000年から2009年までの10年間が平均3河川だったと書かれています。 


NHK「クローズアップ現代」より

しかしよく見ると2001年からの3年間はゼロです。2004年だけ10河川となっている。これは「平成16年7月新潟・福島豪雨」と命名された災害があったため。信濃川水系の支流の堤防11カ所が決壊しています。
これに対して2010年から2018年までは平均9河川と書いてありますが、実際には「平成27年9月関東・東北豪雨」があった2015年に20数件、「平成30年7月豪雨」があった2018年に25件も起こっていて、後半に集中しています。 
ここにはやはり気候変動の影響が大きく表れています。2001年からの3年間ではひとつも起こらなかった河川決壊が2015年20数件、2018年25件、2019年142件と拡大しているからです。大変恐ろしい。右肩上がりでしかも急増しています。

この点は今回の降雨量が各地で「計画降雨」を上回ってしまったことによっても示されています。
「計画降雨」とは、河川整備等を行う際に使われているその流域の基準のことで、基本的には"100年に1回の豪雨でもこれ以上は降らないだろう"との想定による基準値を設定し護岸工事等を行っているのです。
今回、それが各地で破られてしまいました。堤防の想定が超えられてしまったのです。詳しくは以下の論稿をご参照ください。

台風19号 「計画降雨」を上回る記録的大雨
2019年10月16日17:38 日本気象協会 安齊理沙
https://tenki.jp/amp/forecaster/r_anzai/2019/10/16/6319.html


上述の論文より


洪水・地震が必ず来ることを前提に災害対策の抜本的改革を!

これらを見たときに、もはや東京オリンピックなどやっている場合ではないし、高価な武器をアメリカから売りつけられている時ではないことは誰の目にも明らかです。
これだけ大水害が重なっており、今年、来年にさらに大きな規模の水害が発生する可能性があります。
しかもこれに加えて大地震発生の可能性もある。南海トラフ地震や首都直下型地震はいつか必ず来る地震だし、それに至る過程ですでに頻発している「ひずみ集中帯地震」も、今後、実に広範な地域で起こりうる。

そして、この大災害の連続に加えて、世界中で新型コロナウイルス感染症が蔓延しているのです。第一波はなんとか超えたものの、第二波が来る可能性も大きくあります。
IOCはコロナ禍の中で、東京オリンピック開催判断を10月に行うとしていますが、それまでにワクチンができて配備される展望などない!だからできるだけ早く止めが方が、ダメージも減らせます。
そもそも国家予算、自治体予算の大きな部分を防災対策、医療・福祉対策にもっと潤沢に投入する必要がある。コロナ対策も考えて、避難所のあり方も抜本的に変えないといけない。そして経済もそれで回せばいいのです。

安倍政権、いや自公政権は、こうした自然災害の備えを極端に軽視してきました。毎年、大規模な被害が出ているにの、抜本的な対策をしてきていないし、むしろ災害対策や保健対策を削ってきました
その上、これだけさまざまな災害が続いているのに、危険な原発を稼働させ続けている。大災害や原発事故の発生を「ないもの」として考えているのです。
この命を軽んじた姿勢を根本的に変えないといけない。そのために大きな声を共に上げていきましょう。


「ひずみ集中帯」を示すANNニュース

#水害 #豪雨 #地震 #台風 #71河川決壊 #災害対策 #千曲川 #計画降雨

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明日に向けて(1830)兄、守田和也を見送って

2020年06月12日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200612 23:30)

兄が逝きました・・・。

私事になりますが、6月2日に、がんで闘病していた兄、守田和也が逝きました。7日の誕生日を目前に67歳と11か月で生を終えました。お悔みやご香典をいただいたみなさま、どうもありがとうございました。
また5月28日に予定していた藤原辰史さんをお招きした「ウチら困ってんねん@京都」の企画は、容態の悪くなった兄のところに急きょ向かうため、直前で延期させていただきました。どうもすみませんでした。
兄の最期について、ご報告させてください。

兄は僕が駆けつけてから6日目に逝ったわけですが、最後まで生き抜こうとしていました。生き抜いて家族のもとに、会社のもとに戻り、まだまだみんなの役に立ちたいと思っていたのでした。
病室は6人部屋で、コロナ禍で基本的には「面会お断り」の状態でしたが、「医師の許可を得たものに限る」という条件で、家族は自由に入れてもらえました。
兄の容態がより悪化したのに伴い、31日には、事実上一人で独占できる2人部屋に入れていただき、周りにイスをおいて長く付き添えるようにもしていただけました。それで兄が逝く前日1日、ベッドサイドに6時間いて、こんな会話をしました。


兄、和也と共に。京都伏見稲荷にて。闘病中の兄は少し顔面神経痛が出ている。2018年5月


最後まで生き抜こうとした兄

一緒に看病していた義姉が一時期、家に戻った時のことです。
(幸いにも病院は兄の家から歩いて行けるところにあったので、家族は頻繁に行き来していました。兄は義姉のことを「お母さん」と呼んでいました)

お母さん帰ったの?
―帰ったよ。

迷惑ばかりかけて。
―そんなことないよ。

わがままばっかりで。
―でも頑張ってるじゃん?

~強く首を横に振って否定する兄~

ヤバイと思うよ、これ。
―なかなか良くならないもんね。

うん。ああ、どうしたら良いんだろう。
―そうだねえ。本当にねえ。
でも迷惑なんかじゃないよ。

慰めはいらないよ。
―慰めじゃないよ。迷惑なんかじゃないよ。本当によく頑張ってるよ。

わかった。

~兄は眉間にシワを寄せて、悲しそうに話します~

またしばらくして

お母さん、帰ったの?
という。
―ご飯ができたらまた来るって

わざわざ来なくて良いのに。
―お兄ちゃんに会いたいから来るんだよ。そんな風に思わなくて良いんだよ。

ここで僕は勇気を奮ってこう言いました。
―お兄ちゃん、僕も大好きだからね。

すると兄はそっけなく

あっそ

と答えました。


兄は良くならないことでみんなに迷惑をかけていると思っていました。
そんな風に思わなくていいのに。自分を責める必要なんかなんにもないのに。

時折、

クソ、困った
と呟く

腹水でパンパンになった腹を「痛い」と叩く
―痛いよねえ
というと

そんなこと言われても困るよな。

という。
兄らしいセリフでした。

急に激しくお腹を掻き出したので、保湿クリームを塗ってあげたら
ブワッと!
と注文

塗っている時もまた
困った‥と。

―そうだね。困ったね
と返しました。

しばらくしたら
息が苦しい。入ってこない。

という。
医師からは肺の水が抜けず、「おぼれているような状態」と告げられていました。

―看護師さんに言おうか?
と言ったら

言っても意味がないからいい。悔しいけど。

と言う。

~なかなか良くならない。
困ったと思ってる。
どうしたら良いんだろうと言う。
みんなに迷惑をかけてると思っている。

とてもいじらしかったです。


京都迎賓館をともに訪問。2018年5月


兄の最期

2日朝4時に、そんな兄の血圧が下がり出したとの一報を受け、義姉、家に駆けつけていた甥っ子たち3人と僕で病院に行きました。

病室に入ると看護師さんがタンをとってくれていた。

―どう?
と尋ねると

わけがわからない
目が回る。

と。

~その後、血圧は上がって下がって下がって。
大きな声に、うんとしか反応できなくなりました。

一時、血圧が上がったときに、甥っ子たちはテレワークのために一度家に戻りましたが、10時半に血圧50代になり、再度、呼び戻してベッドサイドに。
その時も兄は

困った。

と呟きました。

その後、ナースから「心臓の動きがとても弱くなっている」と告げられました。
しばらくして、とうとう呼吸が止まりました。
みんなで身体をさすりながら、「お兄ちゃん」「お父さん」「オヤジ」と呼びかけると、グワッと息をする。

ナースから「心臓が止まりました」と聞きましたが、その後も何度かそうやってグワッと息をしました。
そうこうするうちに、息子たちに「オヤジ!」と呼ばれて、グワッともう一度、息をしたのを最後に、とうとう動かなくなりました。

医師が入ってきて、丁寧に診てくれて、死亡が告げられました。
事前にガンが骨にも転移していて、全身がもろいので、心臓マッサージや延命措置は取らないと医師たちと決めていたので、そのままの見送りとなりました。
最後の最後まで、なんとか生きようとした兄の最期でした。

とても哀しかったです。
「困った、クソ、どうしたらいいんだ」と呟く兄を、なんとか生き延びさせてあげたかった。
そのためにこの何年間か、僕からもできるだけのことをしました。やるだけのことはやったと思います。
それでも兄はわずか67歳11か月で去って逝きました。誕生日の5日前でした。初孫の出産予定日14日の12日前でした。

喪失感が大きいです。
こんな、身がもがれるような思いをするとは思わなかった。
こんなにも兄を愛していたとは、うかつにも気がつきませんでした。

兄は、最後まで本当によく頑張りました。
諦めることはなかった。困り果ててはいたけれど。「くそ」「悔しい」と言ってたけれど。最後までなんとかしなくちゃと思っていた。
立派だったと思います。弟として誇りに思います。


父の郷里の萩市の神社を訪れて。2008年、兄、56歳の時。敏也撮影。この時は兄と並んだ写真は撮りませんでした・・・。


兄を見送って

4日に通夜を行い、5日に告別式と火葬を行いました。
その前の兄が逝った翌日3日の朝、僕はどんな思いで目覚めを迎えるのか、不安に思っていました。
兄が逝くまでの毎日、朝起きるとザラザラとした思いに襲われていたからです。

東京に行った翌日の29日、主治医と話しました。もともとは兄を「急性期病棟からホスピスなどに移したい」という話がしたかったそうなのですが、より悪化した兄を前に、医師は「もう打つ手がない」「今宵、逝かれてもおかしくない」と言われました。
「抗がん剤も効かないのでもう使わない。代わりに麻薬などで苦しみ和らげる」とも。
医師には兄への関わりに心からの感謝を告げました。死に立ち会う大変な仕事を担われていることへのリスペクトも語り「最後までよろしくお願いします」と、深く頭を下げました。

ベッドサイドに戻ると、兄は必死に生き延びようとしていました。そんな兄の思いをかなえてあげたい気持ちと、「半ばおぼれているような状態」の兄を楽にしてあげたい思いが複雑に交錯しました。
このため朝起きると「ああ、これが夢だったら良かったのに」という思いが襲ってきました。逃げ出したくなるような思いすらしました。
「とにかく兄の最期を見届けよう。それだけができることだ」と考えて、病院に足を運んでいました。

それで2日に兄を見送り、3日の朝、締め付けるような淋しさには襲われたものの、「お兄ちゃん。頑張ったね。もう苦しまなくていいんだよ」というつぶやきが込み上げてきました。
そう。兄は最後まで生き延びようとして、頑張り抜いたのです。それだけ家族を愛し、仕事を愛し、世の中を愛していたのです。だから去りがたかった。でもそうやって兄は最期まで兄らしく生き抜いたのです。
「それでいいんだ。よくやったよ。うんこれでいいんだ」とそう思いました。


兄を家族葬で送りました。「ウチこま」の仲間たちなどが花輪を出してくれました・・・。


家族の最後の一人となって

僕の父は僕が20歳のときに60歳手前で脳溢血で逝きました。母は僕が30歳のときに腫瘍が繰り返し再発する珍しい病で逝きました。以来、兄とは2人だけの兄弟として生きてきました。
兄は優れた電気工事士として会社に属し、懸命に働きながら、3人の息子を育てあげました。それぞれ37歳、34歳、30歳となり正社員として自立しています。次男は結婚していて、この6月14日に初孫が生まれようとしています。三男も婚約中です。
だからしっかりと命は次の世代へとつながっているのですが、しかし自分が子どもの頃に、食卓を囲んだ小さな我が家の中で、僕一人が生き残りました。

兄の骨壺を家に連れ帰り、仏壇の前に急ごしらえの祭壇を作ってまつりました。その仏壇の上には父と母の写真がおいてある。
「オヤジ、オフクロ、兄貴がそっちにいったよ。よろしくね」と語りかけました。
同時に3人に心の底からの感謝を伝えました。僕はいい家族に恵まれました。たくさん愛してくれた父であり、母であり、兄でした。

3人共に、若い時から政治活動に飛び込み、警察にデモなどで5回にわたって不当逮捕され、家宅捜索なども何度も受けてきた僕を、誇りにしてくれていた。
兄はあるところで、やはり活動をしている仲間の親御さんから「お兄さん、こういう家族を持つと大変ですよね」と言われて、「違いますよ。世の中にはこういう弟みたいな人間が必要なんですよ」と語ってくれたこともありました。
通夜に駆けつけてくれた兄の会社の同僚からも、兄が僕を誇りにし、自慢げに語ってくれていたことを聞かせてもらえました。僕のブログを見せたりしていたそうです。・・・そんなこと、僕には一度も言わなかったのに。

いまはただ兄の、そして父と母の深い愛に感謝しつつ、これまで60年間でため込んできたすべてを、世のため、人のために使い果たそうとの思いを強めています。
そのために「明日に向けて」を必ずバージョンアップさせます。
兄のように、最後まで、人を愛し、世の中を愛し、「そこに居続けたい」と思いながら、僕も駆け抜けるつもりです。

お兄ちゃん。どうか安らかに眠ってください。
最期に素晴らしい生き様を見せてくれてありがとう。
あなたの弟として恥じぬように生き抜きます!

いつかそっちでまた会おうね!


法名 釋和証(しゃくかしょう)となった兄

*****

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#訃報 #兄を見送って #守田和也

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明日に向けて(1829)金融とユダヤ人、寛容とお金儲け・・・中世ポーランドの寛容さに学ぶ―2

2020年06月10日 11時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200610 11:30)

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金融とユダヤ人とポーランド

ちなみに金融は、歴史的に共同体と共同体の狭間から発生してきました。いや金融に先立つ商品がそうでした。共同体の中で自家消費しないものが増えたときに、余剰産物が商品として他の共同体との交換に回されたからです。それが金融へもつらなりました。
ユダヤ人が金融業に多く携わるようになったのは、ユダヤ人が国家をもたず、キリスト教圏に支配的なユダヤ人抑圧構造の中で共同体の外に置かれていたため、共同体間で発生する商品や金融がユダヤ人の手に集まっていった経緯があります。
またこうした商品交換や金融に携わることは、中世社会では卑しいこととされました。特に利子を得ることは「神の支配する時間を儲けに悪用する行為」として咎められていました。いまもイスラム圏ではそうです。しかしそれは不可避的に生じることでした。

この反映を、シェークスピアの『ベニスの商人』などに見ることができますが、ヨーロッパ社会は、共同体と共同体のつなぎ役を必要とし、その役割を共同体の外にいるユダヤ人に押し付け、しかしそのユダヤ人を差別抑圧した矛盾構造の中にあったと言えます。
共同体のつなぎ役となったのは商品だった。その商品の中で特別な位置をしめたものが貨幣=お金でした。お金でこそ、同じ共同性のない人々が、つながりを持てたのが現実でした。しかしその現実は長らく「いやしいこと」とされていた。
ところがこの時期のポーランドは、ユダヤ人抑圧や差別意識に与しなかったため、一部のユダヤ人の持つ金融力がポーランドに還元される必然性を持ったのでした。そのことがこの国が豊かに発展していくことに寄与していったのでした。

共同体・お金儲け・豊かな社会の創造・・・何かとても重要なヒントがあるように思えないでしょうか。

このころ、ヨーロッパ全体も、東欧と言われる地域も、幾度も領土の取り合いをして「国家」の形を何度も変えていくのですが、その中でポーランドは「ドイツ騎士団」と衝突していくようになりました。
ドイツ騎士団はローマ法王に承認されたカソリック騎士団ですが、国家を持っていませんでした。もともとポーランドは首都のワルシャワ防衛のためにドイツ騎士団を招きよせたこともあるのですが、その後に仲たがいし、戦闘を繰り返していくようになります。
とくに1410年に「グルンヴァルドの戦い」といわれる大きな戦闘があり、ポーランドの勝利のうちに1414年、コンスタンツ公会議が開かれ、この戦いのことが話し合われます。


写真1 古都クラクフの聖マリア教会 守田撮影
クラクフには14世紀ごろ積極的にユダヤ人が招き入れられた。
当時はヴィスワ川の中洲だった河川を利用した運送に適した広い土地がユダヤ人の自治都市として提供された。なお後年、ナチスはこの川岸に「クラクフ・ゲットー」を設営。そこに隔離されたユダヤ人たちが、オスカー・シンドラーが経営する工場で働き、保護も受けた。


ポーランドはいち早く「人権」を主張した!

ヨーロッパの歴史は大変、複雑でこの時期のことを語るためには、そもそもローマ・カトリックがこの時期、大分裂(シスマ)を経験し、教皇が3人も分立していたことにも触れなくてはなりません。
この公会議は大分裂状態に終止符を打つために行われたのですが、そこでドイツ騎士団とポーランド=リトアニア連合の戦いが大問題となったのです。
というのはドイツ騎士団が、カソリックの国であるポーランドが、キリスト教を採用していない異教徒の国、リトアニアと連合したことへの非難の声を上げたのでした。異教徒と連合してキリスト教徒を討ったポーランドは天罰に値すべきだと主張したのです。

これに対してポーランド側が主張したのは、異教徒と言えど同じ人間であり、リトアニア人には自らの政府を持つ権利、平和に暮らす権利、財産に対する権利があり、これらを自衛する権利があるということでした。
つまり宗教の枠を越えた人権を高らかに主張してドイツ騎士団に対抗したのです。
分裂から一本化の道を歩みつつあった教皇庁は、これに対して異教徒であるリトアニア人の諸権利の承認に関しては留保しつつも、ポーランド側の主張を認め、ドイツ騎士団の非難を却下したのでした。

ポーランドはユダヤ人に対してだけでなく、他の「異教徒」にも対等な権利を認めることが正義であると主張し、ローマ法王に認めさせたのです。この時期では画期的なことだと思えます。
しかしヨーロッパにはその後にカソリックの「堕落」への抗議=プロテストを唱えるキリスト教新派が登場し、さらに大きな変革を経ていくことなります。
この大きな流れの中でポーランドは次第に力を失っていきます。なぜだったのかまだ僕には十分に分析できていませんが、最終的にポーランドは周辺国の力の増大の中で力を失い、1795年に三度目の分割を受けて消滅してしまうのです。


写真2 ドイツ騎士団との「グルンヴァルドの戦い」(1410年)の戦勝記念碑。この後のコンスタンツ公会議でポーランドは「人権」を主張。ただし銅像の建立は1910年。クラクフにて守田撮影


分割にあえぐ中、ナチス・ドイツに抵抗したポーランドの人々

このため国家としてのポーランドは一度、歴史から消えてしまい、再登場は第一次世界大戦後まで待たねばならなくなります。
その新生ポーランドもまた1939年、ナチス・ドイツとスターリンのソ連邦の密約のもとに、東西から侵攻されて滅亡してしまうのでした。ポーランドは歴史上2回も分割による国家喪失を味わったのです。

とくに「ユダヤ人撲滅」という犯罪的な主張を掲げたナチス・ドイツが行った占領政策は苛烈でした。ナチスは強制収容所を作った。有名なアウシュビッツ他、幾つもです。
そこはやがて絶滅収容所と言われるようになりました。ユダヤ人皆殺し作戦が実行に移され、貨車でこの場に運ばれてきた多くのユダヤ人が、「収容」すらされずに、そのままガス室に送られて虐殺されたのでした。
アウシュヴィッツ博物館ではこのことを展示していますが、そこには第二次世界大戦前夜にポーランドに住んでいたユダヤ人300万人のうち、生き残ったのが5万人だったというあまりに残虐な現実が示されています。

かつてヨーロッパの中で最もユダヤ人に寛大だったポーランド、いや「寛大」などという言い方もおかしい。当然にも保護されるべき人権の対象としてユダヤ人を対等な存在として扱ってきたこの国で、最も苛烈なユダヤ人虐殺が起こってしまった。
ただしおさえておくべきことは、この占領期、ポーランド人の多くはナチスの政策に非協力的で、ユダヤ人を匿う道を選んだことです。このためナチスは、占領地域の中で唯一、ポーランドに対してだけ、ユダヤ人を匿った場合の極刑を宣告しています。
それだけポーランド人の、有形無形の抵抗に、ナチスは手を焼いたのでした。

ここまででも言えることは、長い間、戦乱に明け暮れるとともに、ユダヤ人への差別と抑圧を繰り返してきたヨーロッパの中で、中世ポーランドには学ぶものが多いのではないかということです。
そこには人類にとっての普遍的な何かの提起であるのではないか。それを可能とさせたものが何であったのかについて、私たちが学ぶものが大きくあるのではないかと思えます。
現在のポーランドにもそれは何かの形でつながっているのではないでしょうか。ポーランドはOECD諸国の中で日本についで犯罪の少ない平和な国であり、さらに子どもたちの行儀がいい国としても評価されているといいます。

ペストと新型コロナの対比は、それをとりまく歴史の検証、学びの中でこそ大きな意味を持つように思えます。
「寛容」「人権」と言うキーワード、同時に「お金儲け」というキーワードにも着目しつつ、考察を深めていきたいです。


写真3 クラクフの織物会館の夜景。周辺のマーケット広場は中世から残るものとしてはヨーロッパ最大級。往時の繁栄が偲ばれる。守田撮影

連載終わり

#ペスト #ポーランド #金融 #寛容 #お金儲け #中世 #ユダヤ人 #クラクフ

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明日に向けて(1828)中世ポーランドの寛容さに学ぶ-1 ペストとユダヤ人とポーランド

2020年06月09日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です。(20200609 23:30)

中世ポーランド特殊な位置性

前回、「明日に向けて」連載1800回越えに際し、内容のバージョンアップをお約束しました。とくに歴史・哲学・倫理学・経済学などでの論稿を積極的に出していこうとも書きました。
コロナ禍の中で、あるいはアフターコロナの中で、もっと人文科学が前に出なくてはいけないとも思ってのことです。
そんな時に、かつて書いた原稿がよく読まれていることに気が付きました。2014年10月にポーランドを訪問したのちに書いた以下の原稿です。

明日に向けて(963)中世ポーランドの寛容の精神に学ぶ(ポーランドを訪れて-2)
20141103 23:30
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0d46734d031dd9ff7ee2419e1cb364fa

恐らくは、新型コロナウイルス感染症と向かい合う中で、多くの人々がカミュの小説『ペスト』を読むなどして、中世ヨーロッパに甚大な被害を与えたペストについて感心を持ち、この論稿を見いだしてくれたからだと思います。
そう中世ポーランドは、ヨーロッパの中で、ペストの被害を免れたほとんど唯一の国なのでした。
そしてそのために、ペスト禍の中で各地で迫害を受けたユダヤ人が多数集まることになりました。それがポーランドを大国に押し上げていくことに結果しましたが、現代にいたるまでにそこに繰り返し大きな惨劇が生まれました。

一つにヒトラーが率いてユダヤ人の迫害を続けたナチスが、このポーランド、そして旧ポーランド領のベラルーシやウクライナで大量のユダヤ人虐殺を行ったことでした。
もう一つは第二次世界大戦が終わり、この地域が農業を中心に穏やかに発展し、豊かさを取り戻した時にチェルノブイリ原発事故が起こったことでした。(1986年)
こうした現代に通じる悲劇を知るためにも、私たちはポーランドの歴史を知る必要があります。


ポーランド・ヴロツワフの聖ヨハネ大聖堂 守田撮影

国とは何か。国境とは何か。

まず国名のことをおさえておきます。私たちは日本語でこの国を、ポーランドないしポーランド共和国と呼んでいますが、この国のポーランド語での正式名称は”Rzeczpospolita Polska”です。
カタカナ表記するとジェチュポスポリタ・ポルスカ。略してPolska=ポルスカがよく使われています。
お土産などを見てもPolskaの刻印のあるものが多い。なのでポーランドの方とお会いした時には「ポルスカ」と呼称した方が喜んでいただけるように思います。
この国が位置している地域はざっくりと言ってドイツとロシアの間。ヨーロッパの東側、ヨーロッパの辺境とも言われることもあったようです。ただし現在の国境は第二次世界大戦の末に定められたもので、それまで大きな変動を繰り返しています。

ここで歴史を見る上で「国」という概念、ないしは「国境」というものに、大きな注意を払わなければいけないことを踏まえておきたいと思います。
というのは私たちが住まう国は、歴史が記されるようになって以降、一つの連続したつながりの中で描けます。もちろんアイヌ民族など、西から侵略を受けた側から考えたときに「日本史」には、大きく書き換えなければならない側面があります。
それでも世界の中で、こうして一つの時系列に沿ったつながりの中で「国」のことを説きやすいのはまれであり、歴史上、大きな存在を示しながら、その後に衰退し消えていった「国」も「民族」も、たくさんあったことを知る必要があります。

とくに陸続きにたくさんの国や民族が存在している地域では、その境も激しく変動しています。そのため「国の歴史」としては描けない地域がたくさんあります。
さらに「イスラエル」が「建国」される前のユダヤ人など、「国」という枠組みで捉えようとすると、外れてしまう人々もいます。
そもそも「国家」とは何かということ自身も大きな問題です。私たちが考えている「国家」や「民族」は、実は近代になって成立してきた概念だからです。その点で私たちは今の「国家観」を相対化させ歴史と向かい合う必要があります。


ポーランド・ヴロツワフの街並み ここは第二次世界大戦終結まではドイツ領だった・・・ 守田撮影


ペスト禍で宗教的に寛容だったポーランドにユダヤ人が集まった

この点を踏まえた上でですが、歴史を遡ると、この国が「ポーランド」として成立したのは紀元966年であるとされています。この国の支配者が西洋のキリスト教を受け入れ、ローマ教会に認知されたのがこの年でもあります。
その頃はほぼ現在の領土と同じ地域を支配していましたが、その後、大きくなっていきます。14世紀末には北方のリトアニアと合併してポーランド=リトアニア連合を形成。1596年にはポーランド=リトアニア共和国となり、黄金時代を迎えます。
どう黄金だったのかと言うと、当時のヨーロッパで最強最大の勢力を保っていたというのです。支配地域も現在のベラルーシやウクライナ、リトアニアやバルト三国、さらにはロシアの一部にまで踏み込むほどの力を示していました。

この頃のポーランドのことを調べていて、非常に感銘を受けたのは、この頃のポーランドが他のヨーロッパ諸国に比して宗教的に寛容な国だったことです。
とくにキリスト教圏で支配的であり続けてきたユダヤ人への差別的なあり方をとらず、1264年9月8日に「ユダヤ人の自由に関する一般憲章」(カリシュ法)が制定されており、ユダヤ人の人権の保護が強くうたわれています。
さらに14世紀に起こったペストのヨーロッパへの蔓延の中で、各地で「この病を広げたのはユダヤ人だ」というデマゴギーが流布され、迫害が強まりましたが、この時にもポーランドではデマは沸き起こらず、多くのユダヤ人がポーランドに移住しました。

この時期、ポーランドではウォッカを飲用としてだけではなく、消毒に使う風習が一般化しており、トイレなどもウォッカで拭いていたため、劇的にペストの蔓延を免れたため、ユダヤ人の陰謀説というデマが起こりえなかったという説もあります。
ともあれこの時期、ポーランドにはヨーロッパ全体のユダヤ人の4分の3もが集まったとも言われており、そのユダヤ人の中に金融業に携わっているものが多数いたため、次第にポーランドがヨーロッパの金融の中心的位置を占めるようになりました。



ヨーロッパにおけるペスト伝搬地図 ポーランドは「感染例小」となっている
Pestilence spreading Japane.pngより

続く

***

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