明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(400)僕が中村和雄さんを支持する理由(室町小学校にて)

2012年02月02日 19時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120202 19:00)

このところ連夜にわたって、「中村和雄個人演説会」に招いていただき、僕が
中村さんを支持する理由をお話させてもらっています。1月31日には室町小学
校でお話しましたが、その内容をみなさんに知ってもらいたいと思い、テープ
起こししました。ぜひお読みください。

なお今宵はこれから、右京区の衣笠小学校に向かいます。20時15分から10分ほ
どお話しますが、僕の次にお話するのが脱原発俳優の山本太郎さんです。山本
さんとこんな形でお会いできるのは嬉しい。今宵も心を込めて訴えてこようと
思います。

*******************

私が中村和雄さんを支持する理由(室町小学校にて)

みなさん。こんばんは。守田敏也です。私は主に放射線防護の観点から、中村
和雄さんを熱烈に支持している理由をお話したいと思うのですけれども、ただ
その前に、ここは室町小学校ですね。同志社大学の前で、僕も同志社で研究を
していたことがあるので、同志社大学の前を通ったら、ちょっと胸がいっぱい
になってしまいました。

極端な格差教育をなくすために

みなさん。同志社大学をつくられたのが誰かご存知でしょうか。新島襄さんが
有名です。ところが同志社に土地を寄進したのは、山本覚馬さんといって、元
会津藩士の方です。その妹さんが山本八重さんといって、新島襄のお連れ合い
になっています。このことが、来年のNHK大河ドラマの主人公になるのですよ。
福島応援キャンペーンとしてだそうです。

その山本覚馬は、明治維新後に京都府の参事になりました。それで一番、最初
にしたことをご存知でしょうか。全国にさきがけて小学校を建てたのが山本覚
馬だったのです。明治政府がやる前にです。それがどの学校か。柳池小学校な
のです。今の市立御池中学校です。

その全国にさきがけた平等教育の象徴である学校をですね、今の市長さんは本
当に醜い教育格差の象徴にしてしまいました。私はこれが、本当に許せないの
です。その市長さんの下で、とても大河ドラマを見ることはできません。本当
に理想的な教育を掲げている中村和雄さんもとで、みなさん、楽しく大河ドラ
マを楽しみましょう。

注1 現市長が教育長のときより、御池中学校は重点モデル校とされ、多額の
予算がついて大きなビルに作りかえられた。その分、市内の多くの学校の予算
が削られ、雨漏りが放置されるなど問題が多発している。京都市は公立の小中
学校の中に極端な差が生み出されている。


大きな危機が隠されている

放射線の話をします。深刻な話をします。みなさん、1月22日の京都新聞に大
変深刻な記事が出たことをご覧になったでしょうか。「原発事故最悪想定を封
印 政権昨春作成公表先送り」と書かれています。大変な事態が隠されていた
のです。少し読みます。

「水素爆発で1号機の格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退
したと想定。注水による冷却ができなくなった2号機、3号機の原子炉や、1号
機から4号機の使用済み燃料プールから、放射性物質が放出され」・・・こう
した事態がすぐにくるかもしれないということなのですね。そのときにどうな
るのか。なんとこう書いてあります。

「強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認めると避難区域は、東京
都を含む、半径250キロに及ぶ可能性があるとしている」。つまり半径250キロ
までが避難しなければいけない、そういう計画がすでにあったのです。ところ
がこの文章をみて政府の高官はどう思ったのか。もうびっくり仰天してしまっ
て、「ないことにしよう」と考えたのです。それでその文章を隠してしまった
のです。

つまり国民・住民にこれほどの危機が迫っているのに、それを隠してしまった
のが今の政府なのですね。こんな政府でどうして私たちの命と暮らしを守って
いくことができるでしょうか。

しかもこの危機は、すべてが去ったわけではありません。4号機のプールのこと
がとても懸念されています。あのプールの上には1500本の燃料棒が入っていま
す。そして何度も何度も爆発や地震があってグラグラになっています。建物そ
のものが弱くなっているんです。だから大きな地震があって、あれが万が一、
倒壊したときにですね、どんどん熱が上がって、冷やすことができなくなって、
ここに書いてあるのと同じことが起こりうるのです。

170キロから250キロまでの避難という危機も、まだ私たちの目の前にあります。
なのに今の政府は、冷温停止宣言をして、もう事故は終わったかのように言っ
ています。私たちに危機を知らそうとしていないのです。そんな政府に私たち
の未来を任せておくことはとてもできません。脱原発宣言をはっきりと掲げて
いる市長を、京都から誕生させて、京都から日本を変えていきましょう!


中村さんを支持する理由1 水俣病訴訟との関係

私が中村和雄さんを熱烈に支持する理由は3つあります。1つは中村さんが、
水俣病訴訟を担ってこられたことです。水俣病で明らかになったのは、企業が
国民・住民に毒を撒いても、政府が素知らぬ顔をしてきちんと対応しない。そ
いうことがあることが、この訴訟の中で明らかになりました。

同時にこの訴訟を闘うことを通じて、どうやってこうした汚染に対して立ち向
かっていくのか。水俣病という病に対してどうやって向かい合っていくのか。
このことを中村和雄さんは、弁護士になった初めから関わってこられて学んで
こられたのですね。これは今、放射能汚染と立ち向かう上で、とても重要なこ
とだと思います。


中村さんを支持する理由2 原爆症認定訴訟との関係

そして第二に、非常に重要なのは、中村さんのお仲間の弁護士さんたちが、原
爆症認定訴訟を闘われてきたことなのです。みなさん、原爆症認定訴訟、ご存
知でしょうか。難しい言葉ですね。原爆症認定、これは広島・長崎で被爆者と
認定された方たちのうち、放射線によって、今、病になっていることを認めら
れた方が、受けられる認定です。

ところが日本政府は、放射線の人体に対する影響を、大変、小さく見積もって
いるのですね。だから、ほとんどの被爆者が、原爆症認定を受けることができ
ていないのです。2003年の段階で、27万人おられた被爆者と認定された方のう
ち、原爆症認定をどれぐらい受けることができていたのか。なんと2000人ぐら
いしか受けることができていなかったのです。被爆者認定を受けた方のうち、
1%以下しか原爆症認定をしてこなかった、それが私たちの政府なのです。

これに対して、2003年に、被爆者の中から、これではとても死んでも死にきれ
ない。自分の抱える病気は放射線の害によってもたらされたものであること、
原爆のせいであることを日本政府に認めさせて、それで死にたいということで
起こってきたのが、原爆症認定訴訟という集団訴訟なのです。

この裁判はどうなったのか。実に今日まで、20連勝しています。これも日本の
裁判史上、なかったことです。20回、裁判所が政府に対して、「放射線に対す
る考え方をあらためなさい。これは明らかに内部被曝で、この方たちは放射線
の被害を受けている。そのことを認めて救済しなさい」そういう判決を出しま
した。

ところがみなさん。未だに政府は、その見解を変えてないのです。今、政府が
言っている、放射線が人体に与える影響のレベルというのは、裁判で20連敗し
た内容です。3月11日以降、たくさんの東大の先生たちが出てきて、「にわか
に健康に被害はない」と繰り返しました。あの方たちの多くが、この裁判で、
国側の証人としてでてきて、負けた方たちなのです。

それに対して、中村和雄さんの周りの方たちは、この裁判を担うことを通じて
内部被曝の恐ろしさを改めて認識し、放射線に対して非常に厳しい観点を身に
つけてきた方たちなのです。私は仲間たちと「中村和雄さんを市長にしよう!
勝手連」を立ち上げて、活動してきたのですけれども、昨年の10月に、仲間た
ちが、中村和雄さんを招いて、放射線の害について、私に講釈して欲しいとい
うのです。それで僭越ですが、中村さんに来ていただいて、私が学習会をした
のです。そうしたら、中村さんのほうが、よく知っていらっしゃったのです。

そういう、本当に放射線の危険性をきちんと知っている方を市長にすることを
通じて、私たちは、私たち自身の命、安全を守ることができるし、同時に、こ
の京都から、放射線に対する厳しい規制を作ることによって、日本全体を、変
えていくことができると私は思います。

福島に行った時に、友人たちに言われました。福島は本当に高い放射線量の中
で人々が生きています。その中からなかなか公的補償で避難させてもらうこと
ができないのです。だから福島の友人が言いました。京都で脱原発市長を誕生
させて欲しい。それは自分たち、福島の民のためになる。福島のために京都で
勝ってくれと言われました。

私もそう思います。京都で脱原発市長を誕生させることで、みなさん、私たち
は、私たち京都市民のためだけではなくて、東北の人、福島の人をも救ってい
こうではありませんか。


中村さんを支持する理由3 女性の声を最も受け止められること

そしてもう一つ、私が中村和雄さんを熱烈に支持するとても大事なことがあり
ます。今、私たちの日本社会の中には、大きな下からの変革が起こってきてい
ると私は思っています。それを誰が作っているのか。それはあの事故のときに、
政府のいうことを信じないで、赤ちゃんを抱いて、子どもの手を引いて、あの
危険地帯から、どんどん避難した女性たちだと思うのです。

その女性たちがこの京都にもたくさん来て、住まわれています。その女性たち
の訴えに、同じ子育て世代の女性たちがとても共感して、今、すごい勢いで動
いているのです。私はよく朝10時の講演に呼ばれます。これは人生で初めての
ことです。10時に会場にいくと、お母さんたちと赤ちゃんたちが待っていてく
れるのです。私はよくパソコンを使うのですけれども、なんどもマウスを子ど
もたちに取られてしまいます。

そのように女性たちが動いている時に、私たち男性には、その女性の声をいか
に受け止めるのかということが本当に問われていると思うのです。みなさん、
ご存知でしょうか。私たちの国は、135カ国の統計の中で、女性の地位がなんと
90番目の国なのです。ということは、私たち男性は、国際水準からみてとても
情けない姿を現しているということなのです。このことを、本当に変えなけれ
ばいけないのですよ。

そのことを考えて、中村和雄さんと言う方がどういう方かを考えると、結婚さ
れてから、家事も育児も100%、分担して行われてきたのですね。これは国際
水準から見れば当たり前のことなのかもしれません。しかし私自身をみたとき
に、ちょっと100%とは言えないなと思っているので、私は男性としてのステー
ジが、中村さんの方が高いと思っているのです。

そういう素敵な中村さんを押し立てて、私たちは、脱原発の京都、そして脱原
発だけではない。日本の人たちに本当に誇れる京都を作っていこうではありま
せんか。一緒に頑張りましょう”


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(399)ホットスポットと生きる子どもたち(ニュースJAPANより)

2012年02月02日 09時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
明日に向けて(399)ホットスポットと生きる子どもたち(ニュースJAPANより)

守田です。(20120202 9:30)

ニュースJAPANが重要なルポを流してくれました。「福島最前線からの報告
ホットスポットに生きる子供たち」と題した報告です。福島市渡利地区の
ホットスポットの現実と、そこに住む子どもの姿を描いています。

番組の中に登場する、福島大学准教授の荒木田岳さんは、これまでも紹介
してきたように、「放射能除染・回復プロジェクト」に参加してきた方で
先日、1月16日に僕が福島市を訪れた際も、いろいろとお話した仲です。

その荒木田さんが、取材陣を連れて、100マイクロシーベルト毎時を超える
場所を示していますが、ここが僕が先日訪れた、障がい者自立生活センター
横のマイクロホットスポットです。高いときで180マイクロシーベルトを
示す場所です。


昨年、東京の世田谷市でラジウムが見つかったとき、全国にニュースが流れ
ましたが、そのときの放射線値は2.8マイクロシーベルト毎時でした。世田谷
区長の迅速な対応もあって、世田谷では2.8という値が出たことが大きな問題
になりました。ところが福島市では100という値が出ていても、それほど大き
なニュースにはなりません。なぜか。至るところでそうした値が出ていながら
政府と県が安全宣言を繰り返しているからです。

このあまりに理不尽な状況を、全国の人の力で変えていく必要があります。
何より大事なのは、こうした高線量地帯を、「避難権利区域」に指定し、
避難の権利を住民に付与すること。避難の場合は、政府が経費を負担する
体制を作り出していくことです。法律で、国が国民・住民にこれ以上、浴び
せてはいけない値が、年間1ミリシーベルトと定めてあるのですから、それを
上回るすべての地域にこの権利が付与されるべきです。

とくに子どもたちの避難を優先させる必要があり、そのための学童疎開など
も行なっていく必要があります。これらの声を、福島や、周りの線量の高い
地域の外から上げていくこと。がれきの受け入れではなく、汚染されていな
い地域に、人々を、子どもたちを受け入れていくべきこと。がれきの移送に
使おうとしている資金を人々の避難にまわすべきこと、またそれを政府と対
決しながら推し進められる行政を市民の力で作り上げていくことが大切です。


なお番組では、除染がまったく進んでいないことが指摘し、にもかかわらず
市民にその場での生活を強いることの理不尽さを訴えています。重要な点で
すが、しかし除染は、「貯蔵施設が準備されていない」というよりも、そも
そも実施がかなり困難で、やってもすぐに元に戻ってしまうが故に進んでい
ない面が強いことを捉えた方が妥当です。その意味で除染の不可能性をしっ
かりと認識し、避難を促進すべきなのです。

以下、7分ほどの番組をぜひご覧ください。お時間の無い方のために、文字
起こしもつけくわえてあります。また荒木田さんの名文を紹介した、「明日
に向けて」のページも末尾に貼り付けておきます。

*********

福島最前線からの報告5
「ホットスポットと生きる子供たち」

http://www.youtube.com/watch?v=6HexkrW6J68&feature=youtu.be

キャスター
福島最前線からの報告です。
放射線量が極端に高いホットスポットが点在する福島市。住民の要望をよそ
に、自治体による除染作用や被曝検査は進んでいません。事故から9ヶ月を
超えた今も、子どもとその家族は放射能の不安と隣合せです。

裏澤光雪ちゃん(10歳)
何年後かに、何かが起こるのか分からないけど、ちょっと怖い

荒木田岳(あらきだたける)・福島大学行政政策学類准教授
福島市民はほとんど見捨てられている状態ではないかって思ってますね。

ナレーション
高い放射線量のホットスポットが点在する中で、今も生活を続ける福島市の
子どもたち。その不条理な現実を報告する。

県庁からおよそ2キロの距離にある福島市渡利地区。静かな住宅街に異変がお
きていた。住民の裏澤利夫さん、78歳。自宅前の側溝で放射線量を測定して
もらうと・・・。

裏澤利夫さん
7.308(μSv/h)・・・。8.773(μSv/h)に上がりました・・・。

ナレーション
そして、庭の一角では・・・。

裏澤俊夫さん
30.0(μSv/h)オーバーです。尋常じゃないですね。
(庭に出てきた孫の友雪ちゃん4歳に)あ、出てきたダメだって。出てこないで。

ナレーション
原発事故以降、裏澤さんは、孫娘たちを表で遊ばせていない。被曝のリスクが
高いからだ。
自由に外での遊びや運動ができなくなってすでに9ヶ月。幼い心に強いストレス
がかかっていた。

裏澤光雪ちゃん
外で遊べなくなったり、放射線の濃度が高くなったりすることが、ちょっと怖
い。

ナレーション
渡利地区を「避難勧奨地点」にして欲しいと望んでいる裏澤さん。しかし住民
説明会で国は・・・。(渡利地区住民説明会の映像)

原子力災害現地対策本部 佐藤暁室長
まずはですね、除染をさせていただきたいということです。

ナレーション
そして地元福島市の担当者は・・・。

福島市政策推進部 冨田光部長
国の基準になりますけれども、その基準から言えば、住み続けることが可能
であると。

ナレーション
とはいえ、福島市内の除染は、一部の公共施設以外、手つかずのまま。
中間貯蔵施設の準備が出来ていないからだ。

裏澤利夫さん
健康を、行政のほうでなんで守ってくれないんだろうということをつくづく
思いますね。同じ人がここに住んでみたらそうですかっていうことなんです。
子どもとか孫を住まわせて。

ナレーション
福島大学で行政政策を教える荒木田岳准教授と、渡利地区の通学路に向かった。

荒木田岳さん
こういうところですか?どうだろう。どれぐらいあるのかなあ。

・・・2.054μSv/hの数値・・・

僕らもう、感覚が麻痺しちゃって。

ナレーション
そして、驚くべき数値を示す場所があった。

・・・101.6μSv/hの数値・・・

荒木田岳さん
異常に高い数値であることは間違いないです。

ナレーション
放射線線量計は、実に、100μSv/hを越した。

荒木田岳さん
見ての通り、誰でも近寄れる場所じゃないですか。こういうとこ、子ども、
ボールを落としたりしますし・・・。

ナレーション
荒木田准教授は、今年、この渡利地区に、自宅を建てる予定だった。

荒木田岳さん
(予定地で)もう建っているはずだったんですよ。年内に入れればっていう
意向だったんですけどね。見ての通りです。

ナレーション
原発から出た大量の放射性物質が、雨に流されるなどして濃縮。福島市内に
ホットスポットを生み出していた。放射能問題が深刻さをます一方で政府は

12月16日首相官邸における野田首相の声明
原子炉が冷温停止状態に達し、発電所の事故そのものは収束に至ったと判断
される、との確認を行いました。

ナレーション
官僚の発想で対策を進めようとする政府。これを許す地元自治体の責任も
重いと、荒木田准教授は指摘する。

荒木田岳さん
まったくこの事故に関しては、中央依存というか、中央が決めたまま、市の
方針も県の方針もそれに従って出てくるというような状態。これが非常に不
幸だと僕は思っています。
住民を守る目線で、住民と一緒に、今後、どういう打開策がありうるかという
ことを、本当は考えていかなければいけないと思うのですけれどね。そういう
転換を、早くやってほしい、というふうに思います。

ナレーション
渡利地区の裏澤さんは、被曝対策で、孫娘たちに外出時は必ずマスクをつけ
させている。先月から少しでも被曝を避けるために、夜は親戚の家に「疎開」
するようになった。

裏澤利夫さん
本当に、淋しいよりも悔しいですよね。こういうふうな生活を強いられるって
いうことは。

ナレーション
福島市では、まだ子どもの内部被曝検査すら始まっていない。
(「福島市の内部被ばく検査は来年2月以降―」というテロップ)
放射線量の高い場所で子どもたちが生活している現実。その未来を本気で
守ろうとしているのか。国と地元自治体の姿勢が、今、問われている。

********

明日に向けて(304)除染するほど、「住めない」と思う・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(3)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3ebae533afd6d0f6a86b9fd668af6153


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(398)巨大地震発生の可能性が(東北沖・琵琶湖周辺)

2012年02月01日 14時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120201 14:30)

今日はどうしてももう一つ発信しておきたいことがあります。東北沖と、琵琶
湖周辺で、巨大地震発生の可能性が指摘されていることです。東北沖では、マ
グニチュード8級の地震の可能性がうたわれています。その場合、再び大きな
津波が押し寄せてくる可能性があります。

地震そのものでも、津波でも、懸念されるのは直接の被害の他に、原発事故が
再び起こることです。とくに福島第一原発で、ぎりぎりの状態で保たれている
冷却系が失われる可能性がある。あるいは4号機の倒壊の可能性もあります。
そうなったら最悪です。

同時に琵琶湖周辺でも、巨大地震の可能性が指摘されています。この場合も
懸念されるのは、原発銀座の14基の原発群です。関電で動いているのは今は
1基ですが、それぞれにたくさんの燃料棒が蓄積されており、やはり危険な
状態が続いています。

重要なことはこれに対する構えを作り出していくこと、大災害の可能性をみす
えて、対策を講じていくことです。それがあるとないとで、全く対処が変わっ
てきます。今こそ311の経験を生かして、被曝対策を練り上げていくことが
問われます。

そのためにはどうすればいいのか。災害心理学が参考になります。災害心理学
では、人間が危機に直面した時、しばしば「正常性バイアス」に陥ることが指
摘されています。危機を認めず、事態は「正常」に推移するのだと、偏見をか
けることで、心理的動揺を押さえ込もうとする人間心理のことです。

これがあると人は退避行動に移ることができない。目の前にある災害を認識で
きず、避難が遅れてしまうのです。そのため災害心理学は、「正常性バイアス」
の恐ろしさを繰り返し指摘し、その解除をなすべきことを指摘しています。実
は人はなかなかパニックにはならないことも指摘しています。

では「正常性バイアス」の解除には何が必要なのか。一番、効果があるのは避
難訓練を繰り返し、いざというときの行動マニュアルを徹底させておくことで
す。実際、311の時も、こうした訓練が行き届いていたところほど、津波被
害は少なかったのです。

では原発災害に対してはどうすべきか。ぜひそれぞれの市町村で原発災害訓練
の実施を行政に要請してください!とくに原発に近い地域は必須です。それが
ないと、ヨウ素剤、ガイガーカウンター等々、必要なものの備蓄もできません。
そのために311のときは被爆が拡大したことを教訓とすべきです。

個人レベルでは、さまざまな原発関係の学習会に参加することそのものが、避
難訓練の一つになること。実際、311までもそうした経験をしてきた人ほど、
的確に逃げ出すことができたことを知ってください。学習会はいわば図上訓練
です。そこにできるだけ多くの人を誘いましょう。

また家族でよく話し合って、危機のときに持ち出すものを整理し、家族が落ち
合う場所、逃げる方向、ルートなどを複数確認しておいてください。スピー
ディーを今度こそ公開させる必要がありますが、現状ではあてにできません。
そのために複数の可能性に基づいたシミュレーションをしておくのが大事です。

備えあれば憂いなしです。しかしこうした備えをすることが、即、原発の危険
性の認識につながるために、これまで政府はこうした対処を避けてきたのです。
いや、今なお避け続けている。その象徴が、でたらめな「冷温停止宣言」です。
こんな政府に従っていたら、私たちの命はまったく守れません。

地震・津波、そして原発災害に対する構えを作り上げていきましょう。その中
に脱原発世論を高めていく道もあることを知りましょう。ぜひ各地で避難訓練
を実施しましょう。災害心理学を学びましょう。危機に対する構えをみんなで
作って、みんなで危機を乗り越えていきましょう!

**************

東北沖、M8級余震も プレート内部の変化を観測
共同通信 2012年1月31日

東日本大震災の地震により、東北地方に沈み込んでいる太平洋プレートの内部
で力のかかり方が変化したことを、海洋研究開発機構などのチームが観測で発
見し31日、米科学誌電子版に発表した。東北沖の太平洋遠方で起きる地震は、
震災前にはマグニチュード(M)7級と考えられていたが、余震として起きる
地震がM8級になる可能性も出てきたという。

チームの尾鼻浩一郎主任研究員は「1933年の昭和三陸地震(M8・1)と
似たタイプ」としている。

昨年4~7月、宮城、福島両県の沖合250キロ以上離れた海域に設置した
20台の海底地震計で、プレート内部で起きる余震を観測、データを分析した。
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012013001002092.html

*****

琵琶湖底の堆積物噴出活発化
朝日新聞 2012年01月20日

【「地震予兆」指摘も】
高島市沖の琵琶湖の最深部で、湖底から堆積(たい・せき)物が噴き上がる現
象が活発化している。近畿地方を震源とした地震の予兆の可能性を指摘する専
門家もいる。

県琵琶湖環境科学研究センター環境情報統括員の熊谷道夫さん(60)らによ
る自律型潜水ロボット「淡探(たん・たん)」を使った湖底の調査では、
2009年から噴き上がる場所の数や大きさが増し、付近のにごりも増してい
るという。

熊谷さんが着目するのは、湖底から1メートルと1.5メートルの場所での水
温の比較で、08年ごろから湖底に近いほど高い現象が目立つようになった。
「地中の熱が水中に伝わっているためで、水温の差が大きい場所で地下水や
ガスの噴出が起きているのではないか。25年にわたる湖底観察で初めての
現象だ」と話す。

元東京大学地震研究所准教授の佃為成さんは地殻変動の影響を指摘する。この
地域は、地殻変動による「ひずみ」が蓄積した「新潟―神戸ひずみ集中帯」の
一部で、同集中帯では1995年の阪神大震災や04年の新潟県中越地震など
が起きた。02年以降、琵琶湖から神戸にかけてひずみの変動が大きくなって
いるデータもあるうえ、高島市から大津市にかけての内陸部には琵琶湖西岸
断層帯がある。佃さんは「(噴き上げ現象が)大地震の準備過程を意味する
可能性を念頭に置いて防災態勢を急ぐべきだ」と話す。

元京都大学総長で地震学が専門の尾池和夫・国際高等研究所長は「現時点では、
湖底の現象を地震の前兆に結びつける判断はできないが、さまざまな異常現象
を集めておくことは地震の前兆現象の研究にとっても大事なことだ」と話す。
(飯竹恒一)
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000001201200001
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(397)福島第一原発で、凍結による相次ぐ水漏れが

2012年02月01日 12時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120201 12:00)

福島第一原発で、おりからの冷え込みによって、燃料プールや冷却ポンプの
凍結が繰り返し起こり、水漏れ等が繰り返されています。冷却は、原発事故
が最悪の事態に発展しないための最も重要な生命線であり、これはとても危
険な事態です。

東京新聞は、これらの事態が、東電が凍結対策を野ざらしにしてきてしまった
こと、またこれを監督指導すべき保安院が、見過ごしてきてしまったことを
無責任であるとして指摘していますが、まったくそのとおりだと思います。
ここでも危機は人為的に拡大されています。

さらに背景を探るなら、凍結対策という基本的なことすらなされていないこと
には、政府の「冷温停止宣言」が大きく影をさしていると思われます。原発は
まったく安定などしておらず、冷却ができなくなれば、最悪の事態に発展する
可能性が残されているのに、それに蓋をしてしまったことにより、現場の指揮
もまた著しく落ちていると思われるからです。

こうしたことを規制するためにも、市民の側が、現に今、ものすごい危機が、
私たちの前にあることを訴え続けていく必要があります。そのことで現場の
緊張感をこちらの側から喚起していくしかない。周りからの関心や目が薄れ
れば当然、現場は弛緩します。冷温停止宣言はそれを促進する要因にしかなり
得ていません。

さらに多くの人の目で、厳しいウォッチを続けていきましょう!

******************

福島第一 凍結で14カ所水漏れ
東京新聞 2012年1月30日

東京電力は二十九日、福島第一原発の使用済み燃料プールや予備の原子炉冷却
ポンプなどの周辺十四カ所で、水漏れが相次いで見つかったと発表した。今冬
一番級の冷え込みによる凍結で、配管やホースに亀裂が入ったのが原因とみら
れるが、これほどまとまって水漏れが見つかるのは初めて。

東電によると、同日午前九時三十五分ごろ、4号機の使用済み燃料プールの循
環冷却装置で警報装置が作動。現場を確認したところ、ポンプが止まり、燃料
プールの冷却水が漏れているのを発見した。

その十五分後には、高台に設置されている非常用の原子炉注水ポンプの流量計
の付近から、微量の放射性物質を含む処理水が近くの側溝に流出しているのが
発見された。

このほか、増設中の2、3号機用原子炉注水ポンプの流量計や、淡水化装置、
蒸発濃縮装置などの周辺十二カ所でも水漏れが見つかった。

一部は中濃度の汚染水の漏れもあったが、いずれも漏れた水の量は少なく、海
の汚染はなかったという。

同原発では二十八日にも、原子炉注水ポンプの弁で凍結が原因とみられる水漏
れが三カ所見つかったばかり。

福島地方気象台によると、原発に近い福島県広野町では二十九日午前六時二十
分ごろに今年の最低気温となる氷点下八・三度、浪江町では同三時で氷点下八
・七度を記録した。

東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「保温剤を巻くなどの対応を取って
きたが、場合によっては電熱器を巻くことも考える」と述べた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012013002100003.html

*****

保安院 明確な指示は事後 凍結対策野ざらし
東京新聞 2012年1月31日

福島第一原発で相次ぐ凍結による水漏れ問題。東京電力は夏ごろから凍結対策
の必要性を認識していたのに放置した結果、無駄な労力を割く事態に陥ってい
る。事故後にめぐらされたホース、配管類の総延長は十数キロに及び、野ざら
し状態のものが多い。今後も水漏れが連日起きる可能性は高い。
 (深世古峻一、片山夏子)

これまで確認された二十三件の水漏れ場所を見ると、保温材を巻くなどの対策
がなされていなければ、凍結は原発のどこででも起きることが分かる。

さすがに原子炉に冷却水を送るメーンの配管や、高濃度汚染水を流すホースだ
けは昨年末から対策工事がスタート。塩化ビニール製のホースをポリエチレン
製に変えたり、保温材を巻きつけたりしたという。

しかし、その他の大部分はあまり進んでいない。保温材を巻いたつもりでも、
出っ張りのある接続部などは、保温材を巻くのが難しく、こういった場所で水
漏れしたケースもある。抜本的には、ヒーターの設置や仮設の囲いが必要にな
る。

だが、これらは一朝一夕ではいかず、同社幹部は「当面はパトロール態勢の強
化と、保温材の設置を徹底するしかない」と話す。

東電の対応の遅れも問題だが、東電の姿勢をチェックし、先を予測して指導す
るはずの経済産業省原子力安全・保安院の対応にも問題が多い。

保安院の森山善範原子力災害対策監は「凍結対策は、東電が当然すべきこと。
指示しないとやらないようでは困る。敷地内のあちこちでたまり水が見つかっ
た時もそうだが、凍結対策も東電がきちんと計画を作り実施していたら…」と、
東電を責める。

だが、保安院は、東電に寒さ対策を口頭で注意喚起してきたと強調しているが、
明確な形で指示したのは、既に二十件も凍結が起きた二十九日のこと。

現地に配置されている原子力保安検査官が漏えい状況を確認したというが、ど
れも事後対応。水漏れが起きないとやらないようでは、何のための保安院なの
か分からない。

配管設置に携わってきた作業員は「配管はむき出し。最初から凍結してこうな
ることは予測できていた。何をしているのか」とため息をついた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012013102100004.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(396)肥田舜太郎医師、原爆投下直後を語る!(内部被曝研記者会見より・・・その2)

2012年02月01日 11時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120201 11:30)

1月27日に「市民と科学者の内部被曝問題研究会」立ち上げ記者会見が行われ
たこと、自由報道協会で、名誉会長の肥田舜太郎さんが、感動的なスピーチを
してくださったことはすでにお知らせしましたが、続いて、日本記者クラブで
の肥田さんの発言をご紹介します。

これも同じようにぜひ文字起こしをしてみなさんにお伝えしようと思ってい
たのですが、この作業を、知人で、「パレスチナに平和を京都の会」の諸留
能興(もろとめよしおき)さんがしてくださり、メールで配信してください
ました。大変ありがたいです。丁寧な注釈もつけてくださっています。諸留
さんに感謝しつつ、これをこの場に転載させていただきます。

ちなみにこの日、僕は初めて日本記者クラブのビルに入りました。豪勢なホ
テルのような作りで、正直いって、このお金はどっからやってくるのだろう
と考えざるを得ませんでした。記者会見に臨む際にも、意地悪な質問も出る
のでは・・・という声もありました。ところがメンバーのみなさんが次々と
被曝との対決を語り、なかんずく、肥田さんが、広島原爆投下直後に被爆者
に起こったことを朗々と語られると、会場はシーンと静まり返り、肥田さん
の言葉をひとことももらさずに聞き取ろうろする記者さんたちの熱気が伝わ
ってくるように感じました。

肥田さんは、これまで生涯をかけて、被爆者に起こった事実を明らかにし、
内部被曝の恐ろしさを訴え続けてこられましたが、いつも孤独だったとも語ら
れています。「しかし今は、仲間が増えた。やっと複数の方たちが、内部被曝
について、語ってくれるようになった。自分の命の続く限り、語り続けます」
とも・・・。

今回の発言の最後のほうで、肥田さんは、今も生き残っている被爆者が、ただ
長生きをしたのではなく、懸命な努力を重ねて、放射線被曝とたたかってきた
ことを述べています。そしてこう語られています。

***

自分で自分のいのちを守ってきたんですよね。だから、医学が進歩して治療法
が解るまでは、当面は、先輩の言うことを勉強しながら、日本は、政府は政府
なりに国民の健康を守って、これ以上、放射線の被害を増やさない、というこ
の事に努めるべきです。そう思って私は95歳になっても、今、全国を歩いて、
ほとんど連日、講演をして歩いてます。これは私しか出来ないから私がやる
しか仕方がないんです。明日死んでも、明後日死んでも、やっぱりやるべきだ
と思ってやっています。

***

どうか肥田さんの言葉を、・・・僕がいうのは僭越ですが・・・私たち、内部
被曝問題研究会に参加するものすべての決意としてお読みいただければと思い
ます。

なお日本記者クラブでの会見の様子は以下からご覧になれます。肥田さんの
発言は48分14秒ぐらいからです。
http://www.youtube.com/watch?v=3fBCDRmNppw

******************

被爆医師 肥田舜太郎さんの訴え(1月27日日本記者クラブ)

私は1917年生まれです。28歳の時に、広島陸軍病院で軍医として勤務していま
した。原爆が投下された8月6日の前夜はたまたま病院に泊まっていたのですが、
深夜の午前2時半頃に、かって一度だけ診察したことのある農家の子どもが、
心臓弁膜症で発作を起こしたので診察に来て欲しい、ということだったので、
緊急往診に連れ出されました。

当時、将校は勤務の無い夜間とか、命令などの何も無い時は自由ですから、診
療活動は出来ます。ただ、報酬は貰ってはいけないということだったんですね。
そういうことで、原爆の落ちた朝、6キロ離れた戸坂(へさか)村[◆註:1]へ行っ
ていて、病院を離れていたために助かりました。

[◆註:1]
爆心地から東北方向へ約6キロにあった広島県安芸郡の村。1955(昭和30)年4月
10日に広島市に編入合併し消滅。[註:オワリ]


病院は爆心地から350メートルという至近距離にあったため、瞬間的に病院は無
くなりました。病院の中にいた597名は3名を残して即死したようです。私が戸
坂村で被曝した時の様子などをお話ししていると時間も無くなりますので割愛
します。

私がこの戸坂村にいて、午後になってから広島から逃げてきた大量の被爆者が、
その小さな戸坂村にどんどんどんどん入り込んだんですね。でも、被爆者たち
が村に入ってきても村の内もやはり爆風でほとんど壊されていて、入れるよう
な家もない。沢山収容できる小学校も、二棟あった校舎も全壊してどこにも収
容できる所がない。結局、広島から逃げて来た人たちは前身火傷の、皮膚がズ
ルズルに焼けただれた大変な重症者たちは、結局、道路と、学校のグランドと、
それから村の空き地ですね、そういう地べたに皆、寝転がったんですよね。

で、そういうような重傷の被爆者たちを私たちがどうしても治療しなくちゃな
らなくなったんですよね。その日の夕方、たまたま偶然、4人の軍医が集まりま
した。その夜の戸坂村の記録によると、6000人の患者が村に入ったんですよね。
しかし、治療する道具は何にも無い、薬も何にも無いという状態で、見る見る
皆が死んでいくという状態に我々医者は立たされました。

その日3日間、結局、薬も無し何にも無しという状態で、我々はただ手をこまね
いて死んでいくのを見るだけ、と言われても仕方がないような状態でした。

4日目の朝、「それまで死んだ人は全部火傷で死んだのだ」と、我々は常識的に
そう思っていました。ところが、4日目の朝から、火傷でない状態で死ぬ人が現
れ始めました。その日は朝から、村の記録によると2万7000名という被爆者が村
に入ったのですね。診療するほうは、前の晩に九州と四国から軍の命令で応援
が来ました。医者の数は確か27名になったと思うんですが、何しろ治療しなけ
ればならない相手が、2万7000名という膨大な患者数ですから、どうしようもな
いんですよね。

でも、どういう症状が出始めたかっていうと、まず、40度の熱が出る。40度と
いう高熱は内科の医者でも、あんまり診たことが無いほどの高熱なんですね。
マラリヤで死ぬ時と、肺炎の末期と、チフスの時に出るだけなんですよ。それ
で「何でこんな高熱が出るんだ?」って思って被爆者を診ると、まず目と鼻と
口から血が出ます。目から出る血というのは、医者でも見たことが無いんです
よね。鼻や口から出血するのはそれまでにも何度か見たことがありますが。

でも、目の、ここの、アカンベーをした時の、ここから血が出る、というよう
な患者は医者でも見たことがないんですよね。そのうちに、熱が有りますから、
当然扁桃腺を診るんですよね。扁桃腺が腫れれば高い熱が出ますからね。そう
思って、非常に苦労して被爆者の口の中を診ますと、医者が自分の顔を被爆者
の口に近づけて持って行けないほど、もの凄く臭いんですよね。これは、単に
口臭があるというような匂いなんかではなくって、腐敗している匂いなんです
ね。人間がまだ生きているのに、何で口の中が腐っていくのかが解らない。

そのうちに、火傷をしていない綺麗な肌はまだ残っているんですよね。その綺
麗な肌に紫色の斑点が出るんですね。丁度、鉛筆のお尻に紫色のインクを付け
て、こうやってポンポンポン・・っていうように皮膚に押し当てると紫色の痣
のような色が付きますよね、丁度そういうように紫色の斑点が出てくるのです
ね。でも、それも何故なのかが解らないんですね。

最後に、これも不思議なんですけれど、筵の上に寝ている患者がですね、あと
大体数時間しか生きていないっていうようなそういう人間が、何気なく自分の
頭をこうやって、頭髪を後の方に手で撫で上げるんですよね。するとそうやっ
て触った自分の手のひらに毛がすうーって、こう取れるんですよね。あの・・
・脱毛、脱毛って・・よく被爆者の事が書かれていますよね。

でも、脱毛っていうのとは違うんですよね。触ると取れるんですよね。これは
僕らしか見たことが無いんですよね。その後、世界中のどこを見ても、こんな
現象は有りません。あの時だけだったんですよね。で、それは後で解ったんで
すよね。だいぶ10年ぐらい経って、20年くらい経ってから、なぜそういうこと
が起こるのかっていうことが、アメリカから伝わってきました。

それは毛の根本っていうのは毛根細胞っていいますよね。こうやって手で髪の
毛をプツンと抜くと、手で触ると毛の付け根に肉が付いていますよね。この肉
が毛根細胞って言うんですよね。これが頭の頭皮の肌にくっついているんです
ね。この毛根細胞というのは人間の体の中にある細胞のうちでも一番勢いの良
い、生命力のある、どんどん伸びる、分裂する細胞なんですよね。こういう細
胞分裂が活発な細胞が、一番先に放射線にやられるらしいんですよね。

で、爆発した原爆の相当強烈な放射線がまず頭上を照射する。で、その放射線
で毛根細胞が全部即死したんですね。結局、頭皮の地肌から離れた毛が毛穴に
つっ立っていた。そんなこと知らないから患者はこうやって手で頭を撫でると、
すーっと毛が取れちゃう。これがあの時の脱毛なんですね。

で、そう言う見たことの無い症状が出ると、大体1時間から2時間ぐらいで全
部死んでいくんですね。で、30名、50名の被爆者が、こう地べたに寝てるんで
すけど、そういう所で誰か一人が死ぬと僕らが呼ばれて行って、その死んだ人
の所に行くんですね。するとその死んだ人の周りで寝てる患者が、そういう丁
度毛が抜けて、また死んで行くところにぶつかるんですよね。

だから僕らの経験でいくと、あのピカドンに遭った人は、こういう症状で死ぬ
んだなぁ・・っていうことが、理屈じゃなくですね、数多くそういうことを目
撃した経験から教えられたんですよね。これが、後から付けられた「急性放射
能症」。つまり原爆の放射線でやられた最初の急性症状で、2万7000人の人が、
どんどんどんどん死んだんですね。

その次に僕らがビックリしたのは、本人が「軍医殿、わしゃぁ、ピカには遭っ
ておりまへんで・・!」って言うのがいるんですよ。「どうした?」って聞く
と、「その日は広島にはいなかった!」って言うんですよね。「原爆投下され
た8月6の日二日後に自分は広島に帰って、自分の子どもが帰って来ないのがい
るから、焼け跡を探して歩いた」って言うんですよね。「大体二日くらい歩い
たら、どうも体の調子がおかしくなって、それで診てもらおうとおもってここ
へ来たんだ」って言うんですよね。

僕らの持っている医学の知識でいくら診てもですね、具合が悪いってところが
見つけられないんですよね。当時の事だから、難しい検査なんてものは出来ま
せん。でも常識的にこれはおかしいと・・。で、そう言っているうちに、変な
症状が出て死んでいっちゃうんですよね。この人は一体何で死んだのか?っと
・・・。ピカにも遭っていないと。こりゃ何だ?・・って言うのが自分の放射
線病との出会った最初ですわ。

それから、今言う、いわゆる「内部被曝」。当日広島市内にはいなかったのに、
1週間・・そうですねぇ・・法律の上では数日以内に広島市内に入ったという
のが被爆者と認められているんですが、この連中の中から僕らの診ていない病
気がうんと出てきたんですね。

つまり、今現在は、内部被曝という言葉があるけれど、当時は僕らは「入市被
曝」って呼んでいました。本人は原爆が炸裂した当日には広島にはいなくて、
後から町へ入ちゃって、こうなった・・と。で、その原因が、全然僕には解ら
なかったです。

その後、30年、そういう患者をずーっと診続けて、1975年にアメリカに私行き
ました。第一回の原水爆実験禁止の国民代表団として国連に要請に行ったんで
す。その代表の中に入れてもらって国連へ行った時に、アメリカの医者で、
たった一人、内部被曝の患者ばかりを診て、ちゃんと理論を作って、アメリカ
政府に対決している博士がいたんですよね。ピッツバーグ大学のアーネストス
・スタングラス[◆註:2]という医者です。まだ生きています。僕より2つほど
歳下ですけど。

[◆註:2]Earnest J.Sternglass
1923年ドイツのベルリン生まれ。アメリカのピッツバーグ大学医学部放射線科
名誉教授。専門は放射線物理。スタングラス博士の「低レベル放射線の人体影
響」に対する研究は、広島原爆による放射線影響を過小評価した論文がきっか
けとなった。博士はアメリカにおける核実験からの死の灰により、幼児の過剰
死が起こっていることをいち早く発表した。その後、原子炉周辺でも同様に過
剰死や健康障害が起こっていることを発見した。これらの綿密な分析に基づい
た名著『Secret Fallout』(邦題『赤ん坊をおそう放射能』)を著した。アメリ
カの著名な統計学者ジェイ.M.グールドと非営利団体「放射線と公衆衛生プロ
ジェクト(RPHP)」も設立。更に研究を通じ、一見健康な人の間でも、学力低下
や、免疫力低下、感染症へのかかりやすさ等、社会全体としての質の劣化が生
じているという理論を展開している。[註:オワリ]

このスタングラスが僕に会った時にですね、僕が「広島から来た」って言った
ら、「お前は何でアメリカに来たのか?」って彼が言うから、「原爆に遭わな
かった人間が解らない症状で死んで行くので、これを教えてもらいたいから来
たのだ・・」って私が言うと、「あぁ、お前の見たそれは、放射線が体の中に
入った時に起こる病気だ。アメリカにもおなじような患者がいっぱいいる」っ
て、そう言うんですよね。「それは核実験で被曝したアメリカ軍の兵隊が皆、
全国的に発症して出ている。俺がそのことで本を書いたから、その本をお前に
やる」、って言うんで、その時に私は初めて低線量被曝量内部被曝の理屈を、
そのアーネストス・タングラスという先生から教わったんですね。

それで日本に帰ってきて、その本を日本語に翻訳して、お金がありませんし、
本屋はそんな本なんか出版してくれるようなところなんかも無かったのですが、
時事新報社っていうところが、その本のことを気に入ってくれて、本として出
版してくれました。でも、この本が、日本で出た低線量放射線の内部被曝の初
めての本[◆註:3]ですけれど、ほとんど誰も読んでないと思います。

[◆註:3]『死に過ぎた赤ん坊---低レベル放射線の恐怖』(Low Level Radiation,
肥田舜太郎訳,1978年,時事通信社)。この増補版に『赤ん坊をおそう放射能---
ヒロシマからスリーマイルまで』(Secret Fallout:Low-Lexel Radiation from
Hiroshima to Three Mile Island,反原発科学者連合訳,1982年,新泉社),
『Before the Big Ban』(Four walls Eight Windows,New York,1997)の著もあ
る。

ラルフ・グロイブとアーネスト・スターングラスの著『人間と環境への低レベ
ル放射能の脅威―福島原発放射能汚染を考えるために―』肥田舜太郎・竹野内
真理共訳[あけび書房/2011年6月25日初版]は、3.11福島原発事故原因の評価か
ら、被爆国日本にある原発の矛盾、今後の賠償問題、モニタリングポストや
ホールボディーカウンタの限界、内部被曝と外部被曝の違い、「安全基準値」
批判、「ペトカウ効果」とは何かなど・・・低線量被曝をめぐる重要な指摘な
ど綿密な調査研究書。[註:オワリ]

まぁ、そんな事が縁で、私は放射線医学をやってきたんですが。私が一番言い
たい問題は、ヒロシマ・ナガサキを経験した日本が、なんで53基もの原発を日
本に作ったのか?ということです。これは外国の人の疑問なんですよ。「何で
そんな事をしたのか・・?」って。

原因はひとつなんですよ。1945[H20]年の9月1日にダグラス・マッカーサーが
厚木飛行場に着きました。で、最初に対日占領方針を発表したんですよね。彼、
マッカーサーがずるいことに、文書では出さずに、全部口頭でその占領方針を
言ったんですよね。で、日本政府の要人が通訳者と速記者も連れて、マッカー
サーが口頭で言った事を全部筆記して、そして当時の厚生大臣が広島にいる
僕らのような医者たちのところに通知してきた。

その中味のうちで関係の無い事は僕は知りませんけど、「原爆によって広島・
長崎の市民、兵隊が沢山被曝した。中には死んだ者も沢山おる。それから現在、
怪我をし病気をし入院して寝ている者もおる。しかし、彼らが今被っている被
害は、アメリカの軍の軍事機密である。これについては本人は勿論、それを見
た者も、聞いた者も、絶対に口外してはならん。これに逆らう者は厳罰に処す」
と・・。

それから「日本の医師、医学者は当然こういう被曝した人間から診療を求めら
れる。その場合は医者としての義務として診療はしても宜しい。ただ、その結
果を詳細に書いて複数の医師同士で研究をしたり、論文で学会に出したり、日
本の医学界が放射線の被害について研究、調査することは一切いけない。これ
に違反した者は厳罰に処す・・・」と。

これがマッカーサーのやった事なんです。で、その指令が出たもんで、被爆者
は全部、黙りました。それに逆らった時のアメリカ占領軍や日本政府からの処
罰が、おっかないですからね。それと、まず真っ先に、広島大学と長崎大学が
黙ってしまったんですね。あとは、開業医の層がね、患者が来て「先生、実は
私は広島で被曝しましてね・・」ってこう言いかけるとですね、それを聞いた
開業医の方から「あぁ・・その話は言わんで下さい!私が聞いた事が解ると、
私がGHQ[Genelal Head of Quaters 連合国軍総司令部の略号]から睨まれま
すから・・」っていう、そういう形で、被爆者は医師からも相手にされなく
なったんです。

中には良心的に診た医者もいるけれども、当時の医学は放射線の診断は全く出
来なかったんですね。どこが、どう悪いのか、当時の医学的知識も情報も何ん
にも無いんですね。ですから、私は外人が良く質問するように「何故日本が、
原爆の被害というあの経験をしながら、政府も専門家の、なぜ原子炉をそんな
にたくさん作ったのか?」という疑問に多逸しての答えは、今述べたことしか
無いんですよね。

それがそのまんま、アメリカの対日占領政策が終わってアメリカが日本から
帰った後も、日本が独立しても、日米安保条約を結ばされて、アメリカの核兵
器に不利になることは一切やってはいけないという、内規みたいなもので日本
は縛られてきている。だから、福島でああいうことが起こっても、あの放射線
被害について本当に心配している人間は、今のこの日本にもいないんですよ。

「安全だ!安全だ!」っていうことは皆、言います。どうしたら良いか、って
ことは、本人が出来もしないような「遠くへ逃げろ!」と。「食べる物は放射
能で汚染してない物を食べろ!」と、みんなこの二つを言う。現地の人で、
それが出来る人は、福島県の人口の一割もいませんよ。もし福島県のすべての
県民皆が移ったら、行く所なんか日本にはありませんよ。そういう狭い国の中
へ、あれだけの原発を作るっていう大間違いを、日本の国民が選んでやって
きちゃったんですよ。

それは、放射線の被害をなんにも教えられていない。ヒロシマ・ナガサキ、っ
て言うと、「あぁ、あのケロイドが出来て、すごい火傷をしたあれね!」って
・・いう具合に、目に見える被害しか知らない。放射線の被害については誰も
知らないんですよね。

だから私は、これから日本国民はもう一度勉強し直して、放射線被害というも
のが、下手をすると人類が滅んでしまい兼ねない、恐ろしい敵である。治療の
方法も無ければ、防護の方法も無い、そういう恐ろしい敵であるということを、
もっともっと皆で勉強して、これを機会に放射線というもにに対して縁を切る、
そういう国にならなけれればいけないって、私はそう思っています。

今、私はは、方々から頼まれて講演に行きます。何を頼まれるか?って言うと、
「どうしたらいいか教えろ!」って聞かれるんですね。そんなこと僕に解る訳
でない。「でも先生は被爆者もたくさん診てきたから、何かきっと良い智慧が
あるに違いないから教えて欲しい」って、よくそういう質問をされるんですね。

ひとつ、あります。それは、私は日本被団協に縁を持つようになって、組織の
中のたった一人の医者なんですから、被爆者に病気を発病させないで、最後ま
でガンにならないで、放射線に勝って長生きする方法、これを皆で勉強しよう
・・・って、そういう思いで30数年間、ずっとやって来ました。で、その結果、
皆で到達した結論って言うのは、要するに自分が最高の健康の状態を保ちなが
ら、放射線による病気の発病を予防するということ、病気を起こさないで長生
きする、って言うこと以外に手は無いんですね。

お医者さんに行っても放射能による病気に効く薬は何にもないんですよね。困
難でも、それをやろうじゃないか、ってことですよね。それは何をやったらい
いだろうか?私はいろいろ考えてですね、4億年前に、この地球の上に人間が生
まれたんだそうですけど。その頃の生まれたばかりの人間は、自然界にある放
射線と紫外線で、どんどん殺されていったという。

しかしその放射線と紫外線殺で、されても殺されても、人間はそれでも生まれ
てきてですね、それと対決して、免疫を作って対決して、こうやって現在まで
いのちを繋いで続いてきた。それには何千万年という時間がかかっている。
そんなに長い時間の間、人間は太陽と一緒に起き、太陽と一緒に寝た。生き残
るにはこれしか他に手が無かった。明かりも無ければ、熱も無い、エネルギー
何にも持たず、それで生き延びてきたんですね。だからその時の状態、太陽と
一緒に起き、太陽と一緒に寝るという、その生活が基本になって人間の免疫を
作っている。

だから我々の持っているこの僅かな貴重な免疫を磨り減らさない為には、今述
べたようなその生活に努めて近い生活をすることが、大事だろうと・・言うこ
とで、朝寝、夜更かしは止める。朝起き、早寝で生活する。健康に悪いと言わ
れることは一切やらない。タバコはやめる。食べ過ぎもやめる。食事の際には
30回噛め、って言うなら30回噛みましょう。・・っていうようなことを何十万
人という被爆者たちが一生懸命に実行して、やってきたんですよ。

だから、今21万人と言う被爆者が、歳をとってはいるけれでも生き延びていま
す。これは自然に生きたのではなくって、被爆者が努力して、放射線と闘って
長生きしてきたんですよね。今、こうやって講演しながら、これを私は教えて
歩いているんですよね。そんな事でも頼りにしてくれます。私しか、そんな話
をする人は他にはいないんですよね。だから、もっともっと被爆者が生きてき
て、闘ってきた歴史、それをもっと皆で勉強して下さい。彼らは放射線と闘っ
た先輩なんですよね。

自分で自分のいのちを守ってきたんですよね。だから、医学が進歩して治療法
が解るまでは、当面は、先輩の言うことを勉強しながら、日本は、政府は政府
なりに国民の健康を守って、これ以上、放射線の被害を増やさない、というこ
の事に努めるべきです。そう思って私は95歳になっても、今、全国を歩いて、
ほとんど連日、講演をして歩いてます。これは私しか出来ないから私がやる
しか仕方がないんです。明日死んでも、明後日死んでも、やっぱりやるべきだ
と思ってやっています。

でも、たった一人の人間がやることには、限度がありますよ。なんぼやったっ
て、とても一億の人間に、ものを解らせる訳にはいかないんですよね。だから
頼りになるのは皆さんなんですよ。マスコミが本当の放射線被害というものを、
本当に掴んで頂いて、政治的な立場なんかじゃなくって、人間のいのちを守る
立場から、これを国民に広げて頂きたい。本当にそう思っています。

終わります。
(拍手)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(395)山本太郎・中村和雄、路上対談が実現!(1月29日京都)

2012年01月31日 10時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)

守田です。(20120131 10:30)

1月29日に、京都市長選にむけて、脱原発俳優の山本太郎さんが応援にかけ
つけてくださり、京都市三条河原町で、中村和雄さんと一緒に宣伝カーの
上にたち、路上対談を実現してくださいました。僕は自分の講演があって
駆けつけられませんでしたが、あとからネットにアップされた動画をみて
とても感動しました。

ぜひみなさんにもご覧いただきたいのですが、お時間のない方もおられる
ことも考えて、文字起こしもしましたので、どうかご参考ください。可能な
方は多くの方にこれを伝えて欲しいと思います。それにしても山本太郎さん、
本当にかっこいいです!

*********

山本太郎・中村和雄、路上対談(1月29日京都三条河原町)
http://www.youtube.com/watch?v=25zDwiSK97k&feature=youtu.be

中村 山本さんが応援に来てくださいました。一言、応援のメッセージをいた
だきます。

山本 こんにちは。山本太郎と申します。すごいですね、京都。変えられそう
な匂いがしますね。ぷんぷんしますね。このためだけに来ました今日は。本当
に。3・11以降ね、この国、日本という国がどういう国だったのかというこ
とがはっきりしたと思うんですよ。どうしてこんな国になってしまったのか。
それは、僕を含む、無関心の大人が作り上げた国なんですよね。やっぱり今、
意識していかないと、やばいですよ。

特に京都、京都がやばい話になったら、日本は本当に終わりますからね。もし
も原発にアクシデントが起こったら、国が何もしないことがはっきりしました
よね。今、不条理を押し付けられている人たち、その人たちが自分たちの姿で
すよ。明日の自分たちの姿。日本海側を見てください。十なん基ありますね、
原発が。14ですか?ありがとうございます。14基の原発が日本海側にある。
これはほんと、ただことじゃないですよ。爆弾を抱えていますよ、京都は。こ
れを一刻も早くなんとかしなければ、即、廃炉にしなければ、どうにもならな
いですよ。

電力は足りているんですよね。電力が足りているのに、どうして原子力がない
と電気がなくなるという嘘をつくのか。お金のためですよ。お金と引き換えに
みなさんの命、差し出せますか。無理ですよ。でも金の亡者は、みなさんの命
の方が軽いですからね、お金のほうを取りますよ。ぜんぜんやる気ですよ。40
年だったものを、60年まで使えるようにする?ふざけた話ですよ。大飯原発、
再稼働しそうですね。(不明)疑いのある人物が3人も入っているんですよ。そ
んな人たちが決めた委員会で一体何が再稼働ですか。福島の原因も究明できて
いない。原因もはっきりしていないのに、誰が一体、安全評価なんかくだせる
んですか。もうやめにしましょうよ。これ以上、僕たちの命を脅かす存在はい
りませんよ。

そのためには、僕たちの市民側に立ってものごとを考えてくれている、本物の
候補者を選びましょうよ。このままじゃ終わっちゃいますよ。終わらせてたま
るもんですか。この震災をステップにして、僕たちは大きくならないといけな
いんですよね。それを京都から始めましょう。よろしくお願いします!

中村 エネルギーは足りているんです。関西電力で今、動いている原子力発電
所はたった2基。宮津に火力発電所があります。75万キロワット。需要がな
いので、今、止めたまま。いざとなったらこの火力発電所を動かすことだって
できる。全国で今、4基しか動いていない。十分に今のエネルギーで、まあ、
火力が使えますが、原子力発電所を止めたって十分なんだ。3日前に、枝野さん、
経済産業大臣が、来年度の夏にすべての原子力発電所をとめても、ちゃんとやっ
ていけると言っているじゃないですか。原子力発電所がなくたってやっていけ
る。そしてこれからの京都は、もっともっと再生エネルギーを使おう。鴨川、
琵琶湖疏水、そういうものをどんどんやろう。こういうことです。ぜひみなさ
んと一緒にこういうことをはじめていきたい。山本さん、頑張っているんです
が、いろいろと圧力はありませんか。

山本 圧力ですか?なんかもう見えない圧力みたいなもんはゴロゴロしてます
よ。でもそんなん、関係ないんですよ。だってこれ、命がかかってない問題や
ったら、多分僕、今までのどおりの人生を送ってましたよ。だってそのほうが
得じゃないですか。でも今回は違うんですよね。命がかかってるんですよ。命
がかかっているからこそ、やっぱりこれは闘い抜かないと。そしてその尻拭い
をして次の世代に渡していくという意識を持たないと、むちゃくちゃなことに
なってしまいますよ、日本は。

でね、どの候補者が本物かということを、みなさんが、見極めていかなければ
いけないじゃないですか。今、目の前に中村さんがいますけど、中村さんは本
当に本物なんですかということを、僕、いろいろと質問したいと思いますよ。
もう政党で選ぶ時代じゃないんですよ。その候補者が一体、何ものなのかとい
うことが大事なんですよ。だから真横に立ちながら、中村さんにちょっと疑い
目に質問していって、中村さんがどのような政策を推し進めているのかという
ことを、ここであぶりだしていきたいと思うんですけれども、原発というもの
に対しては、どういう感じなんですか。即時廃炉にしてもOKという感じなんで
すか?

中村 もういらないよね。原発は本当に、こんなに危険だ。僕らも反省しなく
ちゃいけない。今までずっと、日本の中で原発は安全だ安全だと言われて、ご
まかされてきちゃった。でもこれが、今度の福島の事故でね、絶対にこんなも
のはやめなくちゃいけない。そのことがはっきりした。もう再稼働は認めない。
原発はなくす。そのことを京都から全国に発信しなければいけないと思います。

山本 素晴らしいですね。そんなこと、最近、いいませんよ。段階的停止とか
ね。段階的停止、もちろんそういう言葉があります。でもね、本物かどうか見
抜くためには、そこにいんちきが隠されていること、そこにいんちきが必ず、
隠れているんですよ。段階的停止、ならばいつまでだという話ですよね。即時
と言える人はなかなかいないですよ。だいたいが、2千何十年までに。ちょっ
と待ってください。あと十何年かかりますよね。その間に、今、地震の活動期
なのに、もう一度、大きな地震がこないという約束はどこにもないですもんね。
毎日、ロシアンルーレットをしながら過ごしているみたいなもんですよ。ありが
とうございます。良かったです、そのことを聞けて。それで今、放射性がれき、
放射能を含んだものを全国にばらまいて処分しようとしていますよね。大阪、
春から受け入れると言ってます。京都はどうなんですか。

中村 放射性物質というのは、移動させないのが原則なんですよ。移動させた
ら拡散するだけ。トラックで運んでどんどんどんどん全国にばらまくなんて、
とんでもない話。絶対に放射性物質、今のがれき、京都は受け入れない。もち
ろん京都は、福島のみなさんをしっかり支援していく。現地で処理すること、
そして子どもたちをもっと安全な場所に。京都に例えば夏休みとか春休みとか
ね、どんどんやってきてもらう。そういうためのしっかりとした援助をしてい
く。放射性物質を含んだがれきは絶対に受け入れない。これは京都、絶対にが
んばりましょう。

山本 嬉しいですね。もう京都市と言わずに、国政に出ていただきたい。本当
に。こういうまともな大人がどうして多くないんですか、今。本当に。希少種
ですよ。(笑)そうです。放射性物質、動かさない、閉じ込める、基本ですよ
ね。これを破って、全国で痛みを分け合う?一体何をするつもりですか。全国
にばら撒いて、全国に病気、たくさんの病気、ばら撒いてどうするんですか。
日本からきれいなところがなくなってしまう。すべて汚染されてしまうという
現実があるのにもかかわらず、バグフィルターを使えば大丈夫だとかいうよう
な、そんなインチキを使っているんですよ。結局、実証実験なんかできていな
いんですよ、放射性物質による。おかしな話ですよね、勘弁してもらいたいで
すよ。絶対に、京都を守ってくださいよ、みなさん。みなさんの一票にかかっ
ていると思うんです。京都を守れるのは、みなさん、ひとりひとりだと思うん
ですよ。

でもこんなに気持ちいい答えを返していただくと、攻めどころがだんだん、無
くなってきましたね(笑)とにかく中村さんは、命を守るということに対して、
真剣、本気ですよ。本物ですよ。原発、すぐにやめよう。放射性がれき、受け
入れない。これをいうだけでも、本当に普通の候補者だったらビビリあがりま
すよ。大きな政党からじゃ、そこまで、はっきりしたことは言えないはずです。
大したもんですね(笑)。僕ちょっと聞いたんですけれども、経済面で、ピン
はねする企業を規制していくというのを、小耳に挟んだんですけれども。その
ことをちょっと。

中村 山本さん、だいぶ、勉強してきているね。公契約条例を作ろう。京都で
今のピンハネ、許さない。下請け、孫請けが、どんどんどんどん、京都の中で
たたかれて、たたかれて、本当に、最低賃金ぎりぎりで働いているじゃないで
すか。京都が一番今、全国で非正規雇用が多くなっている。京都の若い人、20
代の6割が非正規雇用。これでは生活できない。賃金が安い上に、賃金があがら
ないんです。いつ首を切られるかわかんない。この働き方を変えていこう。そ
のために公契約条例を作って、京都の仕事は京都でまわしていく。そして京都
市の発注する事業は、最低賃金、どんなに安くとも1000円以上にする。ここか
ら全国に、この非正規雇用をなくしていく、ワーキングプアをなくしていく闘
いを、京都から始めていきたいと思います。

山本さんも、ぜひこういう若い人達の支援ということで、よろしくお願いした
いと思います。さっきもでたけど京都は1200年ですよね。一回、放射能が降っ
てきちゃったらもう京都自体がもうダメになってしまう。琵琶湖の水の問題も
大きいですよね。30キロにある。一回、琵琶湖にセシウムでばーっと汚染され
たらもうおしまい。どっかの市長が、琵琶湖は広いから希釈されるなんて、と
んでもないことを言いましたけれども、私も水俣の弁護団でずっとやってきま
した。とんでもない。海の中で一度汚染されたら、除染なんてできない。絶対
に原子力発電所をもうなくしていく、そのことが一番なんだ。そのことをぜひ
徹底させていきたい。全国多くのところで、脱原発市政、脱原発県政、京都か
ら広めていって、全国に広めて、必ず日本の原子力発電所をすべてを廃棄する
ために頑張りたいと思います。山本さんもそのために全力で頑張ってもらって
いますが、最後に、若い人達へのメッセージを。

山本 素晴らしい。素晴らしいお話を本当にありがとうございました。こうい
う一人一人の候補者の声をしっかり聞いて、本物を見極めることが一番大事な
ことだと思うんですね。それで若い人、自分に関係ないという話ではないんで
すよ。とくに若い人達に参加してもらわないと、もう変わらないです。この国
は。若い人達の方が、長く生きるんですから。そうですよね。苦しい状況で長
生きなんかしたくないでしょう。早いうちに手を打っていかないと、変えてい
けないですよね。一人一人の力は本当に小さいかもしれないけれども、本気を
出せば、みんなでつながっていけば、絶対に変えていけるんですよ。そして今、
ここ、京都にも本物の候補者がいるはずです。その人をみんなで押し上げて、
京都から日本を守るアクションをみなさんで起こしてください。よろしくお願
いします!




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(394)肥田舜太郎さん、大石又七さん、矢ヶ克馬さん、山本太郎さんから!

2012年01月30日 08時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120130 0830)

京都市長選に向けたビデオメッセージが届きましたので、ご紹介します。
初めは、被爆医師・肥田舜太郎さんです!続いて、元第五福竜丸乗組員で、ア
メリカのビキニ環礁における水爆実験で被曝させられてしまった大石又七さん
です。大石さんは、長年にわたって、身をもって核兵器の恐ろしさを訴え、廃
絶のために尽力されてきました。「市民と科学者の内部被曝研究会」の結成に
も参加されています。さらに我らが矢ヶ克馬さんです。

少し前に撮影された山本太郎さんのメッセージも載せました。山本さんは昨日
1月29日に京都に駆けつけてくださり、中村和雄さんとの素晴らしい路上対談も
行なってくださいました。これも後ほど、テープ起こししたいと思っています。
最後に僕のメッセージも付け加えておきます。ちなみに僕のは、選挙期間の前
に撮ったものなので、僕だけ「中村和雄さん」とはっきりと名前を語っていま
す。ともあれみなさま、それぞれのメッセージをご覧ください!

************

被爆医師・肥田舜太郎さん
http://youtu.be/W_Dm0KQG4Vo
京都は日本を変える中心になってきたところだから、あそこの市長になってね、
やっぱり今、保守が好き勝手にしているのを多少でも民主的な雰囲気がトップ
に出るように期待しています。特に東北の問題はね、東北だけじゃなくて、わ
たくしは日本全国に同じような被害がずっと広がっていると思っていますから
日本を変える、その先頭に京都がなってくださることを期待して、大いに応援
をします。

元第五福竜丸乗組員・大石又七さん
http://youtu.be/cqmYjrJWWPU
わたしは第五福竜丸の元乗組員で、被曝しているんです。今、福島で大きな事
故が起こりまして、放射能、あるいは内部被曝のことが関心をもたれてきてい
ます。ぜひそうしたことに関心を持たれている先生方に市長になり、それを推
進し力を尽くして欲しいと願っております。

物理学者・矢ヶ克馬さん
http://youtu.be/43IfRedwr4M
沖縄県の矢ヶ克馬でございます。脱原発市長の誕生を心から願っております。
今、日本には市民の力で、本当に命を守る、こういうことを自ら実施していく
ことが本当に必要になっています。だからそういう意味で脱原発市長、うんと
期待しております。

脱原発俳優・山本太郎さん
http://www.youtube.com/watch?v=hVryjWIjttY&feature=related
山本太郎です。京都、これは原発とは切っても切り離せないですよね。やはり
日本海側には原発銀座があって、それがいつ危ない状態になるかというのは、
誰にもわからないことなんですよね。明日かもしれないし10年後かもしれない。
その危機の中で毎日を過ごすというのは本当にありえないですよね。とにかく
自分たちの命を守るためにも、生活を守るためにも、脱原発を掲げている市長
さんに当選してもらうことが必要だと思うんです。ぜひみなさんのお力を下さ
い。よろしくお願いします。

守田敏也
http://www.youtube.com/watch?v=1a5jTkWkYpY&feature=related
こんにちは。フリーライターの守田敏也です。中村和雄さんは、放射線の人間
におよぼす害、危険性を非常によく知っていらっしゃる方です。その中村さん
が市長になれば、京都の子どもたちの安全がぐっとますと思います。それだけ
ではなくて、京都だけではない。多くの、日本のこの国で、今、放射能がたく
さん出ている中で、子どもたち、私たちの未来を守ることができると思います。
何としても脱原発の市長を京都から誕生させていきましょう。一緒に頑張りま
しょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(393)脱原発に向けて、そのための京都市政誕生に向けて、いろいろな動きが

2012年01月29日 12時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120129 12:00)

脱原発に向けて、そのための京都市政の誕生に向けて、あるいは被災地支援に
むけていろいろ連続した企画が行われいます。僕も参加します。紹介しますの
で、お近くの方はご参加ください。

1月29日
まず今日、僕はこれから岩倉の山住神社奉賛会集会場(叡電岩倉駅より徒歩七
分)にて、午後1時から講演します。以下、この企画全体のタイムスケジュー
ルや、出店店舗を記しておきます。

【スケジュール】
10時会場
10時半 親子ヨガ HIROMI先生
11時半ランチタイム
12時半live ベートルズ
13時 守田敏也さんのお話し(気になる放射能、内部被爆のことなど)
14時 守田さんへの質疑応答
15時 楽器で遊ぼう
15時40分 かみしばい らあちゃん
16時 live COSMIX
16時半終了

【出店店舗】
padma cafe ビーガンフード・aeeen焼き菓子・畑カフェおいしい ランチ
虹色パンダ ビーガンケーキ・おおたばたけ 無肥料無農薬野菜


一方、京都市長選応援のため、俳優の山本太郎さんが京都にかけつけて
くれています。物理学者の矢ヶ克馬さんもこられています。
以下のスケジュールで街頭行動が行われます。

12:30 三条河原町アーケード前で街頭トーク(山本さん、中村さん)
13:00 四条河原町まで歩いて移動
13:10 四条河原町で街頭トーク(山本さん、中村さん、矢ヶ崎さん)
13:40 八坂神社へ移動、脱原発訴え(ここから山本さんと勝手連)
14:20 四条河原町へ移動、脱原発訴え
15:00 街頭活動終了

山本さんの話を聞いてみたいという方はぜひ!!


1月30日

明日、1月30日は、矢ヶさんと僕とで対談集会を行います。
矢ヶさんから僕があれやこれや聞き出します!

脱原発を京都から!矢ヶ克馬さん×守田敏也さん対談会
http://dream.for-kyoto.net/?eid=1#sequel

【日時】 2012年1月30日(月)10:30~12:30
【場所】 東山いきいき市民活動センター
(東山区花見小路通古門前町上る東入る南側)
(「京阪三条」or市営地下鉄「東山」より徒歩5分)
【参加費】 300円
 子どもさん連れの参加OKです(保育はありません)

【企画】 「脱原発を京都から!」
特設サイト http://dream.for-kyoto.net
ツイッター http://twitter.com/kyoto2012
最新・活動情報 http://news.for-kyoto.net⇒ チラシ見本・PDFダウンロード
【問合】 080-6121-9694
forkyoto[@]gmail.com([]を除いて送信下さい)
【共催】 放射能から子どもを守る京都・ママ・パパの会

午後1時から三条大橋で、京都の歌姫マーリンが京都市長選
応援ライブ決行。ドラマーで、フライングダッチマンのタイガ
君が参加、コアラのケンジ君も!
僕も矢ヶさんと駆けつけます!

1月31日、2月1日

京都市内各地で行われる中村和雄個人演説会に、僕も弁士として
参加します。

2月3日

「関東・東北の旅」報告と今後の支援についてのお話会

守田敏也さんが今月の13日から18日まで関東・東北へお出かけになり、講演
会やお話会をこなしながら、放射能と向き合って暮らし始めている現地の
方々と交流されてきました。

ほっこり通信では、できるだけ実情に合った情報を発信していきたいと考え、
放射能被害のある場所に行かれた方や、そちらにお住まいの方からお話を聞く
機会をなるべく多く持ちたいと思っておりますが、今回も早速、旅の報告会を
開催させていただくことになりました。

何かとご多忙中とは思いますが、ぜひご参加いただき、明日の関東・東北、
明日の日本をみなさんと一緒に考えられたらと思っています。

日時:2012年2月3日(金)10~12時(報告1時間、お話会1時間)
場所:ひとまち交流館和室
参加費:カンパ代(500円くらい)
主催:ほっこり通信 from Kyoto みやぎチーム
連絡先:杉浦陽子 yoko405s@gmail.com

*会場の都合上、20名ちょっとを定員と考えております。お早めにご連絡いた
だけると助かります。

2月4日

2月4日(土)15時~17時頃
堺町画廊
http://www.h2.dion.ne.jp/~garow/event.html

冬カフェ

どうする?若狭の原発群で事故が起こったら!
13基の原発ともんじゅのある若狭から京都市内はわずか60キロ。私達は福
島の事故で、政府も電力会社も情報を出さない人を逃さないということを目の
当たりにしました。

原発は止まっていても重大な事故は起こります。耐用年数を超えた老朽原発も
あります。プルトニウムが入ったもんじゅは破局的事故がどういう態様で起こ
るか不明な上、冷却材にナトリウムを使っているので常に爆発と火災の危険と
背中合わせです。

大きな地震が起こったなら13基の原発ともんじゅはどうなるのか?
明日起こるかもわからない事態にどう備えればいいか?
被曝を避け迅速に逃げるためにはどうすればいいか?
日本一の原発密集地域から60キロという地に住む私達の心構えとして知って
おかなくてはいけないことを学びまょう。

お話:守田敏也さん
参加費カンパ500円以上 カフェ代は別




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(392)肥田舜太郎医師は訴える!(内部被曝研記者会見より・・・その1)

2012年01月29日 08時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120129 08:30)

すでにお伝えしたように、1月27日に東京で、「市民と科学者による内部被曝
問題研究会」が立ち上がり、記者会見が行われましたが、今回はこのときお話
された、内部被曝研名誉会長の肥田舜太郎さんの発言をご紹介します。岩上さ
んたちが記録してくれた下記の映像の55分頃からお話されています。
http://www.ustream.tv/recorded/20030116

何はともあれ肥田さんの言葉に触れてください。今回はコメントをとくに
付けずに全文をみなさんにご紹介します。

*******

被爆医師 肥田舜太郎さんの発言(20120127)

肥田舜太郎と申します。広島の原爆を受けて、当時から被爆者の診療をやって
きた医師は、現在、日本で生き残っているのは、わたくし一人になりました。
ですから、実際に原爆を浴びた人間の外部被曝と内部被曝について、それを
ずっと診療して事実を見てきた人間は、わたくし一人になったわけです。

66年間、ずっと被爆者と付き合い続けてきました。わたくしは被団協という団
体のたったひとりの医師で、中にいまして、日本全国の被爆者の相談を一手に
引き受けてきました。そんなわけでわたくしが現在まで、顔を知っている被爆
者で、わたくしが聴診器をあて、相談をした人間は、少なく見て6000人おりま
す。

その中には外部被爆を受けて大変な思いをして今日まで生き延びてきたものも
いますし、内部被曝で、説明のできない非常に困難な症状を持ちながら、世間
からは被爆者としては認められなくて、というのは外から見て何もないからで
すが、そういうために社会から差別を受け、一人前の人間として生きていけな
くなった。そういう患者もたくさん診てきました。


最近、外国の人から、広島と長崎の経験をした日本が、なんで地震の多い国で
海岸に53基も原爆を作ったのか、こんなことどうしておこるのかというお話が
たくさんあります。また日本のテレビで話される専門家の方々もそういうお話
をされます。これは事実です。でもなぜそうなったのかということをお話され
る方は誰もおられません。

わたくしは、現地からずっと見てきて、この原因は、たったひとつ、占領した
アメリカ軍が、被爆者の病気すらも、アメリカの軍事機密だという声明をだし
たことにあると思います。被爆者に一切、被害をしゃべってもいかん、書いて
もいかんといい、医師はその職業柄、被爆者がくれば診療はしてもよろしい、
しかしその結果を書き残したり、それを論文にして論議をしたりしてはいかん
といました。

このように日本の医学界が、放射線のことを研究することを一切禁じ、これに
反するものは占領軍として重罪に処すという声明を発表して以来、被爆者は沈
黙を守り、医師は自分の診察した症状を、記録しなくなったのです。ですから、
当時の被爆者が、前後、ずっと経験してきた放射線の被害の実情は、どこにも
正確に記録されていないのです。だから今の政府も今のお医者さんも、あの当
時のことを正確に学ぶ資料が、まったくありません。

わたくしは、30ヵ国ぐらい歩いて、向こうの医師や学者に、内部被曝のことを
話してきました。「そんな大事なことを、あなたという医師がなぜ個人でここ
に来て話すのか。政府が発表した資料はないのか」と聞かれます。これにまっ
たくありませんと答えました。

「なぜそんなことになったのか。アメリカの占領が7年間続き、そのあとを受け
た日本の政府が、安保条約を結んで軍事条約の手前、アメリカの核兵器のこと
を一切、記録をしないということになっているために、できないのです」と、
こういう話をして歩きます。


わたくしが福島の事故の話を聞いた時、一番、初めに思ったのは、これは大変
なことになったな、あそこの子どもも親も、あそこで放射能の影響を受けた人
は、放射線そのものが、広島・長崎で使われたウラニウムとプルトニウムを混
ぜ合わせた(ものから出てくる)放射線ですから、あそこの人たちに、広島・
長崎の人が経験したのと同じことが、そのまま起こってくると考えたほうが、
常識なのです。

これがいつ起こるのか。広島と長崎の経験から言うと、内部被曝をたくさん診
て、どうしようもなくて、症状がわからなくて困ったのは、ちょうど、一年ぐ
らい経ってからでした。最初に現れだしたのは半年後です。ですからおそらく
この3月頃から、彼らの中に、医師が診ても診断のつかない、非常に不思議な
症状で、いろいろと苦しむ人が出てくると思います。

残念ながら、今の日本の医療界には、この患者を診て、親切に相手のできる医
師は一人もおりません。おそらくは診ても、「あなたは病気ではないよ」と
言って、おっぽりだす。ちょうど、広島と長崎の患者さんは、どのお医者さん
にかかっても、大学の医学部にいっても、「あなたは病気ではない」といって
追い出され、しかし本人は働けない。「ぶらぶら病」という名前で社会から抹
殺されました。それと同じことが起こるのではないかと、わたくしは心配して
います。


日本は上から下まで、あの大きな被害を受けた原爆の放射線被害について、全
くの無知です。なんにも知らない。今、広島と長崎の原爆の被害にあったこと
は、それはなんとか知っているでしょうけれども、あのキノコ雲の下で、人間
がどのように殺され、また内部被曝で、身体の中に放射能を取り入れたものが、
その後、66年間、どんな苦しい生活をしてきたか。このことを誰も知りません。
これは全部、わたくしは、アメリカの責任だと思っています。

わたくしは当時からアメリカの憲兵や、日本の警察に追い回されながら、広島
の現地で寝ている被爆者を助けてきました。わたくしは、はっきり申し上げて、
別にアメリカの国民を憎いとは思っていません。しかしあの爆弾を作り、あの
爆弾で最初に殺人を考えた、この連中は許すことができない。

そういう意味で日本は、福島の原発だけで終わるわけがはない。必ず事故が
起ってきます。だからもう二つ、三つ、事故が起これば、日本はおそらく滅亡
するでしょう。そういう非常に危険な状態なのだということを、為政者は誰ひ
とり考えない。のんきにあそこにでてきて「大丈夫です」などと言っている専
門家などは、わたしは本当に軽蔑したくなります。

どうか、マスコミのみなさんは、放射線の被害というものが、下手をすれば、
人類が生き延びることができない大変な代物だということを、お腹に持って、
どんな小さな情報でも大事に扱っていっていただきたいということをお願い
して、私の話を終えます。

*****

注 話し言葉を書き言葉に変えるため、多少の文字を補っています。
その際、肥田さんは広島・長崎原爆について書かれる場合、外部「被爆」、
内部「被曝」という使い分けをされていますので、ここでもそれに従いました。





コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(391)「市民と科学者の内部被曝問題研究会」が立ち上がった!!

2012年01月28日 09時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120128 9:30)

みなさま。表題のように、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」
(通称内部被曝研)がついに正式に立ち上がりました!昨日、2回にわた
る記者会見を行い、被曝医師で名誉会長の肥田舜太郎さん、医師の松井
英介さん、被爆者で物理学者の澤田昭二さん、物理学者の矢ヶ克馬さ
ん、歴史学者の高橋博子さん、福島市民放射能測定所の岩田渉さん、
ビキニ環礁の水爆実験で被爆した元第五福竜丸乗組員の大石又七さんら
が登壇して、内部被曝研結成の意義を切々と訴えました。

内部被曝研のメンバーの一人の岩上安身さんのチームが、自由報道協会
での記者会見をユーチューブにアップしてくださったので、ぜひご覧く
ださい。圧巻は肥田舜太郎さんの発言です。55分ぐらいから話していま
す。2~3分でということでしたが10分近く熱弁してくださいました。
肥田さんは質疑応答にも答えて話しています。こちらは1時間21分20秒
ぐらいから。実際に被曝したらどうするのかという問いに答えたもので
必見です。
http://www.ustream.tv/recorded/20030116

また会を代表して矢ヶさんが、この日、政府に対して打ち出した内部
被曝研の「提言」を朗読しています。この文章は矢ヶさんが書いたた
たき台をもとに、前日、大変な時間をかけてみなさんで煮詰めていった
もの。おかげで会議が予定時間を大幅にうわ待ってしまい、会場で午後
11時半ごろまで討論の後、宿泊組(同じホテルをとっていました)が
ホテルの一室に集まって討論を続行。結局、草案がまとまったのが午前
2時でした。

その後、矢ヶさんが自室に戻って、文章を推敲。午前3時までかかって
修正し、翌朝、朝8時に起きて、生物学者でメンバーの生井兵治さんと僕
が加わって文章を再度推敲。9時にようやく印刷をしてくれる方のところ
に送って、記者会見に間に合わせることができました。

この討論の過程がとても充実していました。提言内容の吟味のあらゆる
場面で、それぞれのメンバーの深い見識が披露され、僕自身、学ぶもの
がとても多かったです。ともあれこうして紡ぎ出された宣言文を貼り付
けますので、ぜひお読みください。

内部被曝研の結成が、多くのみなさんの放射線防護の努力に何がしかの
プラスをおよぼすことにつながるように、僕も可能な限りの力を尽くそ
うと思います。みなさま、どうか内部被曝研をよろしくお願いします!

**********

2012年1月27日

内部被曝の拡大と健康被害を防ぐ為に政府がとるべき安全対策(提言)

市民と科学者の内部被曝問題研究会

東日本大震災にさいして起こった東京電力福島第一原子力発電所の事故
(東電事故)は深刻な被害をもたらしています。広範な地域が汚染され、
多くの人々が被曝して、いのちと暮らしを脅かされています。これに対
して私たち「市民と科学者の内部被曝問題研究会」は、日本政府に対し
て、「人間は核=原子力とともに生きていける」との考えを根本的に改
め、汚染地域には住み得ず、農林水産業はできない、との前提で、国家
100年の計を策定することを求め、緊急にいくつかの提言を行いたいと思
います。

原発事故による放射線被曝の主要なものは、呼吸や飲食を通しての内部被
曝です。政府や政府に助言する専門家は、被曝影響の評価を主として測定
しやすいガンマ線に頼っています。しかし、内部被曝では、ベータ線やア
ルファ線がガンマ線よりもはるかに大きな影響を与えます。政府と東電は、
ベータ線を放出するストロンチウム90や、アルファ線を放出するプルトニ
ウム239などの測定をほとんど行っていません。内部被曝の特性とその健康
影響を意図的に無視し続けているのです。

その背景には、アメリカの核戦略や原発推進政策があります。これらの政
策の影響下で組織された国際放射線防護委員会(ICRP)、国際原子力機関
(IAEA)、国連科学委員会(UNSCEAR)などの機関は、広島・長崎原爆の放射性
降下物による被曝影響を無視した放射線影響研究所の研究に依存していま
す。日本政府は福島原発事故の被曝に関しても、「100mSv以下では病気を
引き起こす有意な証拠はない」とするなど、事実を覆い隠し、被曝限度に
高い線量値を設定して、市民のいのちを守ろうとはしていません。また、
世界保健機構(WHO)はIAEAと放射線被曝問題を除外する協定を結んでいます。

東電事故以来、政府はICRPの勧告を受けて、被曝限度値を通常の年間1mSv
のところを突如20mSvにつり上げました。事故があったからといって、人間
の放射線に対する抵抗力が20倍になるというようなことは金輪際ありません。
本来は事故を引き起こした東電と原発推進を図ってきた政府の責任で、住民
の被曝回避にあたらねばならなりません。逆に、この措置は住民の保護を放
棄し、住民を長期にわたり被曝さるにまかせて、事故を起こした者の責任と
負担を軽くするためのものです。住民のいのちを犠牲にする棄民政策です。
日本国憲法第二十五条には、主権者として保障されるべき権利として、「す
べて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と明記さ
れ、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生
の向上及び増進に努めなければならない。」と記述されているのです。

事故後10ヶ月を経過し、事故の被害は全住民に広がろうとし、今なお拡大の
一途をたどっています。放射能汚染は福島に留まらず、日本全域に広がって
います。陸だけでなく海の放射能汚染も深刻です。放射能汚染は、長期間続
き、被曝の被害はますます深刻になることが予測されます。中でも深刻なの
は、放射性物質を含んだ食物が、全国に流通していることです。原則的な考
え方、根本的な方法で、食物をとおしての被曝回避を図らねば、全住民が深
刻な被曝を受け続けることとなります。子どもの「安全な環境で成長し教育
を受ける権利」は侵され続けます。

野田佳彦首相は「原子炉が冷温停止状態に達し発電所の事故そのものは収束
に至ったと判断」し、「事故収束に向けた道筋のステップ2が完了した」と
宣言しました(2011・12・16)。しかし、圧力容器の下部にはメルトスルー
で生じた穴が空いており、核燃料の状態も把握されていません。四号機の倒
壊も懸念されています。汚染水を垂れ流しながら「安定冷却できている」と
するにはあまりにも不安定な状態です。いつまた核分裂などの暴走が起こる
かわかりません。今、幕引きができるような状態では全く無いのです。

私たちは次のような提言を行い、政府が速やかに実施することを求めます。

1.住民の安全を保障できる体制確立 原発を安全神話で進めてきた「原子
力村」による委員組織ではなく、公正な立場から客観的に判断できる委員会
を構成し、原子炉の破壊状況と原因を究明するとともに、住民の安全を最優
先する立場から情報の迅速な全面公開を行うことを求める。

2.子どもと被曝弱者を守る 少なくとも、法定の年間1mSv以上の、放射能
汚染が高い地域に在住する子どもを、即刻集団疎開させる。乳幼児、妊産婦、
病人等の被曝弱者を即刻安全地域に移すこと。全ての保育園、幼稚園、学校
の給食食材の安全を確保するために、産地を選び、きめ細かく精度の高い放
射能測定を行う。

3.安全な食品確保と汚染の無い食糧大増産 住民に放射能汚染の無い食糧
を提供すること。「健康を維持できる限度値」(現在の限度値の100分の1程
度)を設定して限度値以上の汚染食品は市場に出さない。東電、政府の責任
で生産者にも消費者にも生活保障と健康保障を行う。これからずっと続く食
糧汚染を避けるために、休耕地を利用するなどして、非汚染地域で食糧大増
産を行う。高汚染地の生産者には移住して生産の担い手になる権利を保障す
る。水産物の汚染も非常に危険な状態に入っている。全ての漁港・市場に放
射線計測器を設置し、汚染されたものが流通しない体制をつくる。漁業者に
は補償を行う。

4.除染、がれきなどの汚染物処理 ずさんな除染は非常に危険であり、効
果も期待できない。一般住民に、除染作業による被曝をさせてはならない。
放射能拡散を防ぐため、汚染がれきなどは、放射性物質を放出した東電の責
任において収集し、原発敷地内に戻す。

5.精度の高い検診・医療体制の確立 内部被曝を軽視するICRP等により、
現状の医学・医療現場は放射線の影響を過少評価している。からだのあらゆ
る部位にあらゆる疾病の出現が懸念される。これらを丁寧に治療できる医療
体制を即刻実現する。保障対象の疾病を制限することなしに、放射能被害者
の無料の検診・医療制度を確立する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする