明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(108)大崎の熱い夜・・・東北の旅第3信

2011年05月12日 23時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110512 23:50)

みなさま。今、僕は岩手県一関市のアビスさん宅にいます。
昨夜は宮城県大崎市でお話をし、そのまま大崎市で泊めていただきました。
今日になって、一関のアビスさん宅に移動し、しばし休憩してから、
気仙沼に行きました。大津波の爪あとがそのまま残っている市街を走り、
海の際まで行ってきました。

その後、海岸線を北上し、福伏(ふっぷし)の避難所を訪問。インタビューを
させていただきました。さらに北に走り、陸前高田市を回ってから再度、
岩手県側に入り、アビス亭に戻ってきました。
昨日と今日だけでも、たくさんの人に会い、たくさんの場所を見て、たくさんの
話をし、たくさんの声を聞いてきました。

そのすべてを一刻も早く伝えたい気持ちにかられますが、どれもがたっぷりと
したボリュームになりそうなので、まずは昨夜の大崎市でのできごとから
ご紹介していきたいと思います。ちなみに大崎市は、仙台市の北にある市で
2006年に大合併で成り立った市です。中心は旧古川市で、僕が訪れたのも
そこでした。古川の大崎市中央公民館がお話の会場でした。

大崎市に向けて、秋田をたったのは昨日の12時前。僕が「明日に向けて」を
発信するのを待ってくれてのことでした。秋田から大崎市まで全部で3~4時間
ぐらいだったでしょうか。向かった車は、アビスさんの乗るワゴン車、僕が
乗るランドローバー。2人の運転手の他に、秋田から佐藤生美さんが同乗して
くれました。彼女はアビス亭での催しの料理長をしてくださいます。

ちなみに生美さんは、マクロヴィオティックという食事法を実践しています。
健康に害があるものを排除し、本当にいいものだけを食べて、免疫力を上げ
心身を素晴らしい状態に持っていく食事法で、放射能汚染が深刻化している
今、心強い知恵だと思います。彼女もそれを発信することを模索しているそうで、
それなら僕のこの発信を利用して!と車中で話し合いながら、大崎に行きました。

大崎到着は4時半頃。今回の大崎での話の場をセッティングしてくださった
マッチさんが迎えに来てくれて、一緒に会場に向かいました。するとだんだんと
お仲間が集まってくる。またまた音楽仲間がやってくる。タイコとギターと
機材が会場に運び込まれる。同時に参加者も集まりだしました。みなさん若い!
小さい子を連れた親子も何組か来て下さいました。

だいたい30歳前後が中心だったでしょうか。小さなこじんまりとした会場を
借りたのですが、最終的に子どもをのぞいて30人強が集まってくれました。
緊急の呼びかけでしかも平日だったので、10人でも良いとおもっていたとの
ことでしたが、みなさんの関心の高さ、またマッチさんたちの交友関係の広さ
が反映していました。


やがて6時半になり、まずマッチさんと仲間たち4人が演奏を初めてくれました。
マッチさんの他の3人は、タックさん、チダさん、リョウタさん。普段はエレキなど
電気をつかっているそうですが、今日は電気を使わないでやることにしたと
アコースティックギター2本に、タイコ2つで開始。レゲエの耳と心に残る曲調で
その上に、マッチさんの綺麗ではりのある声が乗っていく・・・。

4人のバンドの名前はindead。なかなか死なないという意味と、死にそうに
深刻な中でという二つの意味をかけあわせているそうですが、とにかく、凄く
いい。めちゃめちゃかっこいいやん・・・と僕は大急ぎで車に走り、ビデオと
カメラを持ってきて撮影開始。聴き惚れながら、夢中でシャッターを切って
しまいました。何だかすっかり自分が次に講演することを忘れてしまった。

それで続いて、ちょっとドギマギしながら、僕の話へ。基本は秋田のときと
同じ話をしましたが、大崎市の福島原発への近さを意識しながら話を
進めました。大崎市は福島原発からおよそ140キロぐらいの位置にあります。
しかもこれから東北には強い南風の日が多くなっていく。やはりプルトニウム
などの飛散の可能性を言わねばとその点に前日よりも力点を置きました。


その後、質疑応答になり、この日も実に活発に次々と意見が飛び出しました。
どの質問も長く考え抜かれた上でのものでしたが、特に印象的で、ある意味
こたえることが問われたのは、タイコをたたいてくれたリョウタさんからの、
大崎市の被ばくの状態はどうなのか。この付近の野菜は安心して食べられる
のか、その辺、思っていることを述べてほしいという問いでした。

僕はこれに対して、「僕自身も計測してないので分からない。しかし分からない
というのは安全に確証が持てないということで、放射能汚染が疑われるという
ことだ。空振りだったら申し訳ないけれども、プルトニウムが飛んできている
可能性もあり、安全と言える状態ではない。ぜひ行政にきちんと測定をするように
声を出して欲しい」とお答えしました。

その場合、安全とグレーゾーンと危険の関係の整理をしました。つまり安全とは
危険がまったくないことが確認された状態であり、グレーゾーンは危険がある
可能性がある状態のことです。危険は当然にもはっきりとした危険な状態のこと
ですが、今の日本の状態では、この状態以外はすべて安全にみなされてしまう。
危険かどうかはっきりしないグレーゾーンが安全にみなされてしまうのです。

それは安全思想から言って間違いなのです。グレーゾーンは危険が証明されて
ないだけで、実際に危険である可能性が介在してるのであるから、このグレー
ゾーンまでが危険と扱われなくてはいけない。安全とは、グレーゾーンから、
危険がないことがはっきりして、安全の側に組み込まれた側を言うのです。

原発から140キロ大崎市の場合、まさにグレーゾーンの中に入っている。だから
徹底して調査を行うべきであり、それもヨウ素やセシウムだけでなく、ストロン
チウム、さらにはプルトニウムなどの超ウラン元素などの有無も徹底して
測定されるべきです。それらがないこと、ないし極微量であることが確認
できなければ安全とはとても言えないし、言ってはいけないのです。

ただし、その場合、計測はすぐに生産者を苦しい立場におくことになる。
そのため安全が確認できない場合は、政府と東電が生産者に補償をすべき
たどいうことも合わせて声をあげてほしいと僕は付け加えました。そうしないと
危険性を感じている消費者と、生産者、共に被害者同士が対立するような
理不尽で非人道的な世論操作もなされかねないからです。


当日の会場使用は9時までだったので、途中からアビスさんがテキパキと
片づけを開始しだし、その横で僕を椅子で囲んでくれて、話が続きました。
僕が浜岡が止まろうとしているのは、デモの成果だと語ったら、ではデモと
署名がどちらが効果があるかという。僕がそれぞれが一番、自分に合うと
思う方法でするのが効果が高いのではと語ると、それはそうだと笑いが起こります。

またではどのようなエネルギーに変えると良いかというので、待ってましたと
岩波ブックレットを持ち出し、小水力のことなどを紹介すると、みなさんいろいろ
考えてくれていて、ブックレットを買って下さる方も次々いました。結局、この日は
5部、前日と合わせて12部が売れました。僕はこれからのエネルギーはできる
だけ小さい規模で自治的に運営できるようにするのが理想だと提案しました。

そんな感じで話を場はいったん幕を閉じましたが、実はここから場所を
移して、もう一度盛り上がることになります。
しかしもうずいぶん、長くなってきたので、一たびここで記事を送信したいと
思います。
みなさま。大崎の熱い夜は、まだまだこれから続くのでした・・・。

コメント
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