守田です。(20140221 23:00)
少し前に書いた沖縄、辺野古・高江訪問の感想をまとめたいと思います。沖縄から戻り、あの日々を振り返って総じて思うのは、私たち日本の民衆にとって、あらゆることを考える上での原点にすえるべきものは、やはり世界大戦の悲惨な体験にあるということです。何より沖縄は、そのことを一番力強く自らに問いつつ、発信し続けてきました。
これは高江でお会いした山城さんが語られたことに触発された思いでもあります。山城さんはこう語られました。「沖縄戦というものすごい体験を経たからこそ、沖縄には揺るぎない平和の地盤がある。ときにそこから離れようとする傾向と、戻そうとする傾向との行きつ戻りつの激突はあるものの、戦争はもう嫌だという思いだけは磐石で崩れない」。
これはとても大切で重いことです。私たちの国に刻まれた戦争の悲惨な体験、その中から育まれた平和を尊び、争いを避けようとする心、それこそが今を生きる私たちにとっての最も重要な遺産だからです。
今、安倍政権はこの大切な遺産を根底から壊そうとしています。これに沖縄は正面から、全力で抵抗している。その結果が、今回、名護市長選における基地反対候補、稲嶺さんの圧勝に結実したのではないでしょうか。
もちろんこのことは、沖縄にたくさんの米軍基地が存在していて、県民の目の前で、殺人訓練が繰り返されてきたことと無縁ではありません。沖縄の人々はあの苛烈な地上戦を経験した後も、ずっと米軍の戦争と基地に向き合い続けねばならなかったのです。
僕にはその一つの象徴が、高江であるように思えました。高江の基地ゲートの中にはこう書いてあります。「US Marine Corps Jungle Warfare Training Center」=ジャングル戦争のための訓練場です。
在日米軍の建前は、日本を防衛すること。しかしそのためにジャングル戦闘など必要ありません。もとよりこの訓練場は沖縄返還前から使われてきたものでした。ベトナム戦争たけなわのとき、米兵は一度沖縄に送り込まれ、ヤンバルの森で訓練を受けてベトナムに投入されたのでした。そうした歴史が今も途切れることなく続いている。
沖縄の人々は、自らが危険な基地に面している苦しみとともに、人殺しの訓練と同居せざるをえず、ときに協力すら強いられてきた痛みを抱えてきたのでした。その上に、平和のための本当にすごい努力が重ねられてきた。
これに対して本土はどうか。米軍に人殺し訓練の場所を提供し、米軍が世界で暴れまわることに自分たちの国が手を貸しているのに、沖縄ほどにリアリティをもってこれに向き合うことができてきませんでした。沖縄に矛盾を押し付けつつ、どこか人ごとのようにすましてきてしまった。自分たちが米軍のとんでもない人殺しに手を貸しているという自責の念を十分に持てずにきてしまった。そう言えると思います。
もちろんベトナム戦争時の大きな反戦運動をはじめ、湾岸戦争のときも、アフガン・イラク戦争のときも、平和を訴えて行動した人々はいました。僕もその一人です。単に平和を求めるだけでなく、日本が戦争協力していることへのいてもたってもいられないような痛みから、多くの人々が声を上げ続けました。しかしその声は、残念ながらけして大きなものにはなりえませんでした。
その象徴が、小泉元首相が、人気を博し続けてきたことです。イラク戦争に加担した張本人がです。このことを私たちはいま、本当に真剣に問い直さなくてはいけないと思います。
僕はこの間、脱原発運動の逞しい成長に対して、私たちの国で起こっている「覚醒」について語ってきました。覚醒が進行中であるのは間違いないことで、このモメントはそうたやすくは押さえつけられるものではないと思います。細川・小泉連合による原発ゼロ宣言も、こうした覚醒の進行の中ででてきたものです。民衆の力こそが、「セレブ」をも動かしている。
しかし、こと戦争の問題に関する限り、まだ私たちの国の民は「覚醒」が足りないと言えるのではないか。そこに沖縄と本土の大きな差があるのではないか。本土が沖縄に学ぶべきものがあるのではないか。僕には強くそう思えます。
この間、多くの地で出会った多くの方が、異口同音に語る言葉があります。「自分は福島原発事故まで、世の中のことを誰かの手に委ねていた。原発はどこかで危ないと思っていたけれど、真剣に行動しようとはしなかった。そういう自分の無責任な態度こそがこの事態を作り出したのだと思う。そのことへの痛みを胸にいま、自分はできるだけのことをしなければと思う」というものです。
その度に僕は「そうおっしゃる方が本当に多いのです。それが私たちの覚醒なのです」と語ってきましたが、しかし今、こう付け加えたいと思います。「さらに覚醒しましょう。戦争の問題に目覚めましょう」と。私たちの国の誰の心の奥底に眠っている、戦争を忌み嫌い、平和を愛する気持ちを、いまこそ力強く呼び覚ましましょうと。脱原発運動はこのモメントと重なる方向でこそさらに発展しなければならないと僕は強く思います。
なぜか。被曝防護を考えるときに、私たちが何より見据えなければならないのは、現在の放射線の国際的な「安全」基準が、広島・長崎の被爆者のデータをもとに作られているという点だからです。データをとったのはアメリカ軍です。広島・長崎の市民を人体実験に使ったアメリカ軍が、核兵器の性能を知るために調べたのです。
さらにアメリカは調査データを独占することで、被曝の実態、とくに内部被曝の恐ろしさを徹底して隠したのでした。なぜか。内部被曝をもたらす核兵器は、戦争が終わっても人々を傷つけ、さらには次の世代にまで傷害を及ぼす非人道的なもので、戦争犯罪そのものだからです。
アメリカは核戦略を維持するためにこのことを徹底して隠す必要があった。自国民に対してもです。なぜなら核兵器は製造過程からたくさんの被曝を生み出し、実験によっても被曝を生み出し、廃棄物となってからも被曝を生み出し続けるものだからです。「抑止力」なんて言っていられるようなものではない。にもかかわらず危険な実態を隠すことそのものが核戦略の重要な還であり続けたのです。
そもそも、原子力発電とて核爆弾の材料であるプルトニウムを生産する炉から派生してきたものです。プルトニウムは天然のウランの大半を占める核分裂しないウラン238に中性子があたり、取り込まれることでできる物質です。これを生み出すために作られた装置が原子炉なのです。
その際、膨大な熱が生じる。それを何かに活用しようということで発電につなげたのが原子力発電ですが、それも初めは原子力潜水艦のために開発されたのでした。核ミサイル開発競争を続けた米ソにとって、っとも重要だったのはミサイル発射地点を隠すこと。先に発射地点を叩かれたら、攻撃ができないからです。ではもっとも合理的な隠し場所はどこかといえば海の中でした。それで潜水艦に核ミサイルの搭載が始められました。ところが、潜水艦はエネルギー補充のために浮上してきた時に見つかりやすい。このリスクを回避するためには長く潜っていたほうがいいので、原子力の利用が目指されたのです。
これらをみても原子力発電は、初めから戦争の中で生まれ、成長してきたものなのです。それどころか原子力発電は、核兵器への人々の怒りを薄めるためにも使われてきました。とくに被爆者のたくさんいる日本で、原子力の「平和利用」がなされることがアメリカにとって非常に大きな位置がありました。アメリカは中曽根康弘元首相と彼とタイアップしつつ政治的な位置を獲得していった読売新聞に目を付け、「原子力」を被爆国日本に導入させたのでした。今日、原発再稼働にもっとも積極的なのが読売新聞である根拠がここにあります。
その流れは現在にもつながっています。アメリカは、核兵器そのものは広島・長崎以降、実戦使用していませんが、湾岸戦争以降、劣化ウラン弾という放射性物質を撒き散らす兵器を頻繁に使用し、世界中で新たな被爆者を作り出してきました。この事実を覆い隠すためにもアメリカはさらに内部被曝の危険性に蓋をし続ける必要性を持ち続けています。
劣化ウランとは濃縮ウランの反対物です。天然のウランの大半は核分裂しないウラン238。核分裂するウラン235はわずか0.6%しかない。このままでは原子炉の中に入れても濃度が低すぎて臨界状態を作り出せないので、ウラン235を集めて濃度を上げる作業が行われます。これがウランの濃縮ですが、この際、「カス」として出てくるものが劣化ウランです。
劣化ウランは核分裂はしませんが、天然界の金属の中で比重が一番重いため、これで作った弾丸は鋼鉄よりもはるかに硬く、容易に貫くことができる。ほとんどの鋼鉄製の戦車をいとも簡単に破壊できるのです。
劣化ウランはこのとき高熱を発し、超微粒子となって空気中に飛散します。これが戦場を激しく汚染するばかりか、一部は大気の中に入って地球を循環してもしまっている。その先々でウランによるアルファ線被曝を作り出しています。
この点からアメリカは、湾岸戦争やアフガン戦争、イラク戦争で、二重、三重の戦争犯罪を行ない続けているのですが、日本はこれに加担してきたのです。しかも加担の度合いをどんどん強め、イラク戦争にいたって初めて陸上自衛隊を派遣してしまいました。それを遂行したのが小泉さんであったわけです。繰り返しますが、この戦争犯罪人の「人気」が続いてきた事実にこそ、私たち日本の民衆の「覚醒」以前の姿があります。
私たちはこの限界を超えなくてはいけない。いまこそ戦争を問い直さなければなりません。戦後70年近くも経つのにアメリカ軍が大量に沖縄に居座りつづけているこのあまりに理不尽な現実と対峙することが必要です。戦争を憎み、平和を志向し続けてきた沖縄の心を、本土のいたるところに浸透させていくことが問われているのです。
戦争も、原発も現代の暴力の象徴です。だからこそ戦争を本質的になくそうとする努力と、脱原発の道はひとつにつながっています。全ての人が、暴力で虐げられることのない世の中、一人ひとりが大切にされる世の中のために、この二つにして一つの道を歩んでいきましょう。以上が僕が辺野古、高江を訪れて考えたことです。
最後に、こうした思いを強めるために、みなさんにぜひ高江を描いた映画、『標的の村』をご覧になって欲しいと思います。以下、上映スケジュールなどを記しておきます。僕が関わりを持っている篠山市での上映会からご紹介します。
『標的の村』ホームページ
http://www.hyoteki.com/
『標的の村』上映と石原岳さん(沖縄高江在住)のお話を聞く会
3月11日 篠山市民センター催事場
午後2時、午後7時(上映時間約90分、お話し約30分)*受付は30分前より開始
託児/ 14:00の部 託児定員15名 19:00の部 託児定員10名
託児利用料 子ども一人につき200円
*託児利用を希望される方は事前にお申し込みください。(3/6締切)
また、0歳児をお連れの方はご相談ください。(080-2057-0232 託児担当 工藤)
入場料/1,000円(中・高校生500円)
問合せ/0795-73-3869
主催/丹波篠山で「標的の村」を観る会
より詳しくは以下をクリック
https://www.facebook.com/events/249351798571522/?ref=2&ref_dashboard_filter=upcoming