明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1100)トルコ・シノップへの原発輸出を許してはならない!(下)

2015年07月03日 01時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150703 01:30)

今宵は禁を犯して夜中の投稿を行っています。

7月4日に新大阪の「市民交流センターひがしよどがわ403号室」においてトルコ訪問の報告を行いますがお話することの要点を述べておこうと思います。先に企画案内を貼り付けておきます。
 
 日本はトルコに原発を輸出しないで! ― 4万人の市民の叫び ―
 https://www.facebook.com/events/370108883191877/

さて、この日のお話ではまず前振りとしてチェルノブイリ原発事故のことに少し触れたいと思います。
この事故では現在では独立国となったベラルーシ、ウクライナを中心にヨーロッパの多くの地域が激しく被曝しましたが、歴史を振り返るとそもそもこの地域はナチスドイツが行ったソ連邦侵攻作成(バルバロッサ作戦)の主戦場になったところでした。
かの地はナチスによって手酷く蹂躙されてからおよそ40年かけてつつましやかな暮らしを再建した時に、チェルノブイリ原発事故に襲われたのでした。

それだけにヨーロッパの国々の中でもっともかの地の人々の苦しみに胸を痛め、援助の手を差し伸べたのはドイツの人々でした。
現在でも両国に援助を行っているドイツの団体は軽く1000を越えると言われています。
僕はここにドイツがヨーロッパ各国の中で先んじて原発廃棄の方向に進んだ根拠があると思っています。

このことでヨーロッパは今、どんどん原発が減っている状態にあります。いや世界的にみても明らかに原子力産業は行き詰っています。
チェルノブイリ原発事故によって、核政策の持つ暴力性に多くの人々が目覚めたがゆえに、1990年以降、ほとんど原発が作れてこなかったことが最大の要因です。
原発輸出は、この行き詰まりを打開しようとする世界原子力村の必死の延命策としてあり、そのターゲットの一つとしてトルコが選ばれていることを私たちは見ておく必要があります。

そのトルコに3回訪れて、まず見えてきたのは、トルコ政府が非常に暴力的だということです。デモ隊に対してすぐに戦闘警察を差し向け、ガス銃を乱射します。
2013年にイスタンブールのゲジ公園という自由に使われていた場が政府によって強引に閉鎖されようとしたときのこと、たくさんの若者たちが広場を守ろうと集いました。
トルコ政府にさしむけられた警官隊は若者たちにガス銃を乱射。なんと12人が命を落としてしまいました。しかもそのうちの一人の少年はただ買い物に来ただけでした。(少年は意識不明のまま眠り続け、2014年3月11日に亡くなりました)

こうしたことを背景に、「トルコ反原発同盟」は2014年初頭に日本の国会議員に対して「トルコは民主主義社会ではなく、現政府により独裁主義的支配が進んでいる。そんなトルコに原発を持ってこないで欲しい」と訴えました。
「2013年6月にゲジ公園近辺で行われたデモンストレーションに警察が介入した際は、3000人以上が逮捕、8000人以上が障害の残る重傷、そのうちの一人の10代の少年はいまだ意識不明、12人が視力を失い、11人が命を落としました」とも述べました。
この時期、国会でトルコと日本の間で結ばれた原子力協定が批准されようとしていたからでした。しかし国会はこの必死の訴えに耳を貸さずに協定を批准してしまいました。

2014年5月にソマで炭鉱事故が起こった時も、トルコ政府の酷いあり方が明らかになりました。
そもそもこの炭鉱は作業者の安全を守る設備が劣悪で、ILOから度々改善命令を受けていました。それがないままに事故がおこり公的には300人以上が亡くなったとされていますが、実際には900人以上が亡くなったと言われています。
しかも現場にかけつけたエルドアン大統領は「炭鉱は事故がおこるところだ」「トルコの炭鉱事故は他の国に比べればましだ」と言い放ちました。実は炭坑経営者一族とエルドアンは前々から癒着していたのでした。
この事故が起こった時、トルコの友人の一人は私に涙ながらにこう言いました。「炭坑すら満足に運営できないトルコに原発を持ってきたらすぐに原爆になってしまう」・・・。

そもそもトルコは日本と同じ地震国です。1999年8月17日にはトルコ北西部で「マルマラ大地震」が起こりました。トルコ政府の発表で17000人が亡くなったとされていますが、多くの情報筋が死者と行方不明者が実際には45000人に上ったと推定しています。
このような地震大国に大地震と津波で原発が壊れて大変な被害を受けている日本から原発を送ることは道義的にまったく許されないことです。
さらにトルコと日本の間で交わされた原子力協定の内容も、核兵器製造につながる技術の使用を黙認する内容も含まれており、問題が山積しています。

さらに2回、3回とトルコに通ってだんだんと見えてきたのは、実はトルコもまたチェルノブイリ原発事故によって手酷く被曝した国だということです。
そもそもトルコは黒海を隔ててウクライナと向かい合っています。ウクライナを通過した放射能の雲は、海では遮られるものがないために、濃度を保ったままトルコに流れ着いてしまったに違い有りません。
ところが事故当時、トルコは最悪の軍事政権時代で、自主的な政治活動をするものは右翼も左翼も逮捕され、拷問されるような状態にありました。
そのため被曝状況を調べることも、危険性を告発することもできませんでした。多くの人々が無防備なままに放射能被曝したさまざまなものを食べてしまったのでした。

2014年夏に訪れたシノップ県のエルフレック市で、応対してくれた市長さんが次のように語ってくれました。
「黒海沿岸の町で、家族の中にがん患者がいない家はありません。みんなチェルノブイリ原発事故の影響です。だから私は市民を守るために身体をはって原発建設を止めます」。
今年の春に訪問した時はウルダグ大学のカイハン・パラ教授と、シノップ、サムソン、イスタンブールへの講演旅行を共にしました。他にも数名のドクターたちと一緒の旅でしたが、カイハン教授は黒海沿岸のがんについて研究していました。
教授はいくつもの統計資料を出しながら、明らかに黒海沿岸の地域にトルコの平均を上回るガンの発生が見られること。またそれがチェルノブイリ事故と相関していることを示してくれました。

そのカイハン教授がシノップで発言したときのこと、劇的なことが起こりました。
教授の発言を熱心に聞いていた地元のおばあさんが起ちあがり、「あんたはがんの発生が何パーセントとか言っているが、この辺じゃあ私の周りは全部がんで死んでいる。これで私が死ねば100%になるんだよ」と語りだしました。
さらに「それなのに私たちが喫茶店でお茶を飲んでおしゃべりしているだけで何もしてこなかったからいけないんだ。私たちがもっと反対しなくちゃいけないんだ」と言うのです。これに会場が反応。すぐに大討論会が始まってしまいました。

このようにトルコの人々、とくに黒海沿岸の人々は放射能被曝の恐ろしさを身をもって味わってきています。だからこそ多くの人が原発に反対しているのです。
このトルコの方たちを前に僕が発言して一番、多くの拍手を得たのは「安倍首相は大嘘付なので騙されないで下さい」ということでした。
「原発はコントロールされている。汚染水はブロックされている。今も未来も健康被害はない。・・・という安倍首相の言葉は大嘘です」と僕は述べました。これは東京とイスタンブールがオリンピック招致で争っている場での発言でした。

この内容をより詳しく知っていただくために、福島原発の現状を話し、さらに被曝状況の深刻さを話しました。こういう話にはトルコの方たちが本当に真剣に聞き入ってくれます。最も求められている情報です。
僕はこれからも何度でもトルコにいってこうした話をしようと思いますが、今回、なかでもこれは重要だと思った点がありました。
「日本では今、原発が1つも動いてない」ことです。実はこの事実が思ったより伝わってないのです。大学教授のカイハンさんすら知りませんでした。というより驚いていました。「それで日本経済は大丈夫なの?」と。

「もちろん。何の問題もないよ。世の中はまったく普通どおりに動いているよ」。「えーそうだったのかあ」というカイハン教授のリアクションを耳にしながら「そうか。日本政府は一番これを知って欲しくないのだ」と思いました。
ちなみに日本政府自身が原発輸出を急ごうとするのは、まさに原発が1つも動いてないからです。今月7月15日現在で平均でなんと4年2月も動いてない。最も動いていない柏崎刈羽原発2号機の場合、もうまるまる8年も動いてない。
このままでは技術そのものが枯渇してしまいます。運転員の腕も錆びきってしまう。だからこそ技術を長らえるためにも原発を輸出しようとしている。

しかしそのためにも原発が本当は必要などないのだということ、日本ほどの経済大国が原発なしでまわっていて株価が落ちているわけでもない(これはこれで別の問題がありますが)ことがばれてしまうことが最もまずいのです。
原発輸出を進めて日本の核技術を生き延びさせるためにもなんとしてもここで一つでも二つでも原発を再稼働させ、原発ゼロ状態を脱して、輸出につなげていくことが必要だと言うわけなのでしょう。
反対にこうも言えます。原発輸出ができなければ、このまま日本の核技術は朽ちて行くのです。その意味で私たちが原発ゼロを招き寄せるためにも、輸出をストップすることが大事なのです。

僕はこれまで地震大国のトルコに日本から原発を輸出することは道義的に許せないと考えて輸出反対に関わってきました。トルコの方たちへの責務を感じてのことでした。それ自身はこれからも変わるわけではありません。
しかし今回、実はトルコの方たちの頑張りこそ、私たち日本の民衆自身が核の危険性、被曝の苦しみから脱していくための、最も大きな助力でもあることにも気が付きました。
その意味で、原発に反対の声を上げて起ちあがっているトルコの方たちは、最も頼もしい同盟者であり仲間なのです。「そうなのだ。一緒になって本当に豊かで平和な世の中を作るのだ」と温かい思いの中で決意を新たにすることができました。

そんな意を込めて、僕は講演の最後を次の言葉で締めくくりました。
Power to the People!

これからもトルコの方たちとともに日本からの原発輸出を止めるために頑張ります!

当日はこれらのことをたくさんの写真、動画をお見せしながらよりリアルにお話します。百聞は一見にしかず!お近くの方、ぜひご参加ください!!

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明日に向けて(1099)トルコ・シノップへの原発輸出を許してはならない!(上)

2015年07月02日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150702 23:30)

トルコ・シノップへの原発輸出問題について、原発や放射能の問題全般を、いや安保法制や沖縄のことなど平和のことも含めて精力的な取材を続けている東京新聞が、僕の住まう京都まで取材に来てくださいました。
僕が語ったことを端的にまとめた記事が6月28日の「こちら特報部」の紙面に載りました。的確にまとめて下さいました。上田千秋記者の手によるものです。

Facebookに記事の写真とテキストがアップされ、すでにたくさんの方にシェアしていただいています。自分のページの載せたものを紹介します。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10205577355011540&set=a.3300903639751.2140616.1182740570&type=1&theater

以下の記事をお読み下さい。

******

◆問われる 日本の輸出政策
◆トルコ北部住民 原発NO
◆チェルノブイリ経験、リスク高い
三菱重工とアレバ(フランス)が開発した新型原子炉を使った原発の建設が計画されているトルコ北部シノップで、地元住民が反対の声を強めている。
トルコ政府は経済成長のために原発は不可欠と強調するものの、住民は事故を恐れる。福島事故を経験した日本の原発輸出の是非があらためて問われている。(上田千秋)

「町の至る所に、原発建設に反対するステッカーが張られていた。福島への関心もかなり高かった」。昨年8月から今年4月にかけ、3回にわたって現地を訪れたフリーライターの守田敏也氏はこう解説する。
黒海沿岸に位置するシノップ住民の原発への関心は以前から高かった。1986年4月に起きたチェルノブイリ原発事故で、当時、主要産業である漁業や観光が影響を受けた。
また、「食べ物によって内部被ばくが進み、黒海沿岸の家庭でがん患者のいない家はないと言われている」(守田氏)という。

そのシノップで原発の建設計画が浮上したのは2006年。すぐに反対の声が上がり、福島事故以降、その声は強まった。トルコの国会が今年4月、日本との間で13年に結んだ原子力協定に基づいて原発の建設を承認すると、反対の声はますます強くなった。
同月25日に聞かれたチェルノブイリ事故29年の追悼集会には、約4万人が参加した。原発建設反対を訴えて町中を練り歩き、市民らが次々に原発の危険性を唱えた。
トルコのエネルギー政策が研究テーマで、現場に立ち会った同志社大大学院の森山拓也さん(28)は「スピーチに力が込められ、かなりの熱気だった。私か話を聞いた住民は皆、原発建設には反対だった」と振り返る。

経済成長が続くトルコでは電力需要を賄うため、シノップなど3ヵ所で原発の建設計画が進んでいる、「電気は必要」「原発ができれば雇用が生まれる」として賛成する人も少なくないというが、森山さんは「シノップでは『チェルノブイリで被害を受けている

のに、なぜリスクの高い原発をつくらないといけないのか』と考える人が多かった」と説明する。

トルコは日本と同様、地震大国でもある。国際環境NGO「FOE Japan」の満田夏花理事は「過去のトルコの地震では、道路が寸断されるなどして救助に支障をきたした。
シノップの原発は、半島の先が建設予定地。プラントが揺れに耐えたとしても、復旧作業の要員が近づけず大惨事に発展する恐れがある」と話す。

シノップの原発は17年に着工し28年までに4基が順次、稼働する予定だ。守田氏は「現地では福島で事故が起きたことは皆知っていても、細かな部分まで伝わっていない。今からでも正確な情報を伝えることが、事故を起こした国の責任だろう」と訴える。
「いかに被害が広範囲に及んだか、原発が1基も稼働していなくても経済は動いているといったことが広く知られれば、計画が変わるきっかけになるかもしれない。
それに日本国内で原発の新増設が難しい今、原発輸出までストップとなれば、原子力産業は技術力を維持できなくなる。輸出を止めることは、日本国内での原発の在り方にもつながっていく」

*****

すでにお知らせしているように7月4日に新大阪の「市民交流センターひがしよどがわ403号室」においてトルコ訪問の報告を行います。詳しくは以下をご覧下さい。
 
 日本はトルコに原発を輸出しないで! ― 4万人の市民の叫び ―
 https://www.facebook.com/events/370108883191877/

次回の記事でこの日にお話することの要点をあらかじめ述べておこうと思います!

続く

 

 

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明日に向けて(1098)篠山市への「原子力災害対策計画にむけての提言」が公開されました!ぜひお読み下さい。

2015年07月01日 16時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150701 16:00)

すでに先月17日に篠山市に原子力災害対策検討委員会から「原子力災害対策計画にむけての提言」が提出されましたが、その全文が篠山市のホームページに掲載されましたのでお知らせします。

原子力災害対策計画にむけての提言
http://www.city.sasayama.hyogo.jp/pc/group/bousai/assets/2015/06/teigensyo.pdf

A4で39ページ(本文36ページ)のものですが、篠山市民だけでなく多くのみなさんにもお読みいただきたいと思います。ぜひぜひご覧下さい。
全体として委員会でかなり考察を重ねたものになっています。

目次から各章の表題をご紹介します。

第1章 総論
第2章 事故時における情報伝達について
第3章 原子力災害時における避難の実行
第4章 被曝防護のための安定ヨウ素剤の服用
第5章 ヨウ素以外の放射能にはどう対応するのか

この「第1章総論」の中で提言全体を貫く考え方を述べています。
その核心部分だけご紹介すると次のようになります。

「この提言は、憲法13条および25条に規定された私たちの人格権を守る精神に則って書かれています。人格権は「生命や身体、自由や名誉など個人が生活を営むなかで、他者から保護されなければならない権利」と規定されます。」
「東京電力福島第一原発事故によって明らかになったことは、原子力災害はひとたび始まってしまえば事態を把握することはとても難しく、政府も電力会社も容易に止めることができないし、原子炉内部で進行していることすらなかなかつかめないことです」
「原子炉から放射能が漏れ出た直後が最もたくさんの放射線が飛び出してくる時期です。これらを踏まえて私たちは次のことを強調したいと思います。」
「原子力災害が起こった時の対処として一番大事なのは『とっとと逃げる』ことです。いったん安全地に逃れてから危険の度合いを判断し、安全が確認されれば戻ってくるという対応をすることが、早期の対応として最も合理的です。」
「ただしその場合も事故の規模、風向きによっては、理想的な退避行動をとったとしてもなお被曝をしてしまうこともあり得ます。すべての市民が被曝を確実に免れる計画を立てることはとてもできないのが原発事故なのです。」
「それゆえ私たちは次の点も強調したいと思います。」
「事故に遭遇した時に、理想的にすべての被害を防ぐことは困難であることを前提としつつ、少しでも被害を減らすこと、減災の観点に立って原子力災害対策の計画を練り上げることをこの提言は目的としています。」

篠山市原子力災害対策検討委員会が提出した提言は、この点で、原子力規制庁がひな形として出している「原子力災害対策指針」や、これに基づいて各地の行政が作っている「原子力災害対策」と一番違っています。
原子力規制庁は、重大事故発生時において、あたかも事故の進展が把握できて、人々が円滑に避難しうることが可能であるかのような想定のもとに避難計画のひな型を作っています。避難対策が実行可能なレベルに事故の想定を押しとどめているともいえます。
しかしこの建前が、計画がリアリティを著しく欠く要因となっているのです。

繰り返し述べてきましたが、安全性確保のためには原発を再稼働させないことが重要です。
しかし原発や核施設はプールの中に使用済み核燃料がある限り、いつ何時過酷事故を起こすとも限りません。全国のプールの中の核燃料が安全な状態に移されるまで、私たちはリアリティをもった原子力災害対策をとり続ける以外ないのです。
篠山市長と市民に対して発せられた「原子力災害対策計画にむけての提言」はそのために市民サイドから行った考察です。これをたたき台に、全国でより優れた原子力災害対策を積み上げていってくださればと思います。
そのためにもぜひご覧になっていただきたいです。全体として力を入れて書かれていますが「第4章 被曝防護のための安定ヨウ素剤の服用」では、これまでのどの関係書よりも、安定ヨウ素剤服用に関する端的な指摘を行い得ていると自負しています。

なお篠山市はこの提言を受け入れて、今秋より安定ヨウ素剤の事前配布に踏み切ります。
ぜひ篠山市を応援して下さい!

冒頭の「第1章 総論 第1節 提言の基本的な考え方」を全文ご紹介しておきます。

*****

第1章 総論 
第1節 提言の基本的な考え方
第1 提言の目的
この提言は、憲法13条および25条に規定された私たちの人格権を守る精神に則って書かれています。人格権は「生命や身体、自由や名誉など個人が生活を営むなかで、他者から保護されなければならない権利」と規定されます。
平成26(2014)年5月に福井地方裁判所が提出した大飯原発の稼働差し止めを命じる判決の際にもこの「人格権」が打ち出され、社会の耳目を集めました。
私たち原子力災害対策検討委員会も、この人格権の精神に則り、篠山市民の生命や身体、自由な名誉などを守ることを考察の中心軸としてきました。

同時に災害対策のための法律としては、災害対策基本法(昭和36年法律第223号)及び原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号、改正平成26年法律第114号、以下「原災法」という)を前提としています。
また私たちが重視したのは兵庫県が行った高浜、大飯両原発の事故時の放射性物質拡散シミュレーションです。
「兵庫県企画県民部防災企画局広域企画室」によって平成25年4月に行われ、平成26年4月に計算の緻密化がなされましたが、両原発の事故の場合、篠山市をはじめとする兵庫県の各市町に大量の放射性ヨウ素が飛来しうることが2度に亘って示されました。
篠山市の場合、両結果とも国際原子力機関(IAEA)が安定ヨウ素剤を事前に服用すべきと規定した甲状腺等価線量50mSvを2倍前後も上回る飛来が予測されています。
この国際基準は日本政府も採用しているものであり、篠山市においても放射性ヨウ素被曝を避けることが必須であると認識しました。

これらの認識の上に立ちつつ、福井県や他県にある原子力発電所から放射性物質が大量に敷地外に放出される事態を想定し、いかに市民を被曝から守るのかを中心に検討しました。
私たちは考察を行うにあたって、原子力発電所に対する是非を一度横に置いて話し合いを進めてきました。私たちの検討対象は原子力災害対策であり、これ自身は、原発に賛成でも反対でも行うべきことであるからです。
ですからこの提言も、原発に賛成の方も反対の方もお読みいただきたいと思います。

私たちが考察してきて導き出したポイントは以下の点です。すなわち東京電力福島第一原発(以下、福島原発と記載)事故によって明らかになったことは、原子力災害はひとたび始まってしまえば事態を把握することはとても難しく、
政府も電力会社も容易に止めることができないし、原子炉内部で進行していることすらなかなかつかめないことです。
このため事故が起こった時に篠山市で独自に災害のあり方を把握し、避難時期を決めることは大変難しいと言えます。

しかもひとたび原子炉から飛び出した放射能は、初期であるほどより多くの放射線を出します。
放射能には放射線を出す能力が半分になるまでの「半減期」がありますが、飛び出してくるさまざまな放射能の中には半減期が短く、短時間で膨大な量の放射線を出すものがあるためです。
このため原子炉から放射能が漏れ出た直後が最もたくさんの放射線が飛び出してくる時期です。これらを踏まえて私たちは次のことを強調したいと思います。

原子力災害が起こった時の対処として一番大事なのは「とっとと逃げる」ことです。いったん安全地に逃れてから危険の度合いを判断し、安全が確認されれば戻ってくるという対応をすることが、早期の対応として最も合理的です。
 
ただしその場合も事故の規模、風向きによっては、理想的な退避行動をとったとしてもなお被曝をしてしまうこともあり得ます。すべての市民が被曝を確実に免れる計画を立てることはとてもできないのが原発事故なのです。
さらに要介護者など、避難が難しい方の立場はより困難です。私たちは可能な精一杯の事前準備をしたいと思いますが、絶対に確実な方法への到達は不可能です。それゆえ私たちは次の点も強調したいと思います。
 
事故に遭遇した時に、理想的にすべての被害を防ぐことは困難であることを前提としつつ、少しでも被害を減らすこと、減災の観点に立って原子力災害対策の計画を練り上げることをこの提言は目的としています。

私たちはそのためには、市民のみなさんが事前に放射線被曝から身を守る知識を身に着けておくことが重要だと考えています。その点から、この提言は、読むだけでも、みなさんのお役に立つことを願って書かれています。
なお、原発は稼働しているときの方が危険ですが、稼働していなくても、使用済み燃料プールに重大な支障があれば危機に陥ります。福島原発事故でも、4号機燃料プールがとても危機的な状態になりました。 
そのためこの提言は、燃料棒が安全な状態に移され、核事故の可能性が無くなるまで、原子力災害対策は必要であり続けるとの前提に立っています。

さらに原発は国内だけでなく世界中にあります。このためみなさんの旅行先や、ご家族の赴任ないし留学先で事故にあう可能性もあります。私たちはこうした場合にも適用できる知識を提言に盛り込んでいます。
以上が提言の目的ですので、ぜひみなさんに読んでいただきたいです。


第2 提言の目的に関する付論
先ほど私たちは、原子力災害対策の検討にあたり原子力発電所そのものの是非については検討の範囲外と考え、主に事故対策を考察してきたことを述べました。
しかし対策を仔細に検討すればするだけ、確実な避難が困難であること、もともと避難が難しい方にとってはなおさら厳しいことが見えてきました。
また避難計画においては、避難の誘導や点検などを担う市職員や警察署、消防署、自衛隊、消防団など関係機関の方々にも大きな被曝リスクを背負っていただくことを前提せざるを得ません。
高浜原発から最も近い地点が45キロの篠山市ですらこうですから、原発のすぐそばに位置する自治体では、より確実な避難は困難であり、立地条件によっては計画が立てようのない自治体もあるのではと思われますし、事実そのような報道もなされています。
これらを考えたとき、私たちは福島原発事故と同規模ないしそれを上回る事故に際して、国の責任で、周辺住民が確実に避難できる対策をたてること、放射線防護の徹底化を図ることを強く求めます。
市長は住民の安全を守る立場から、ぜひこのことを国と原子力事業者に対し、強く訴えてください。

私たちはこうした避難体制が確立され、原発により近い人々の安全性が確認されない限りは、エネルギー問題はさておき、原子力災害対策の観点から、原子力発電所の再稼働には同意できないことを明らかにせねばならないとの結論に至りました。
この点を提言に盛り込ませていただきます。
 

第3 提言の性格
この提言の中での避難計画に対する考えは、旧原子力安全委員会の「原子力施設等の防災対策について」の見直しに関する考え方についての中間とりまとめ(平成24年(2012)年3月)、
原子力規制委員会の「原子力災害対策指針」(平成24(2012)年10月31日、平成27(2015)年4月22日全部改正)を参考にした上で作成されていますが、福島原発事故はかつてなかったものであり、事故の分析や抜本的な対策の検討が続いています。
その中で見えてきたのは、この事故がこれまでの想定を大きく突破してしまったことです。

国は「日本の原発事故では原子炉格納容器が破壊され、大量の放射能が広範に降り注ぐ事態は決して起こらない」と繰り返し、放射能が原発外に大量に漏れた場合に対する法律も作らず、対応すべき官庁すらも決めていませんでした。
実際には格納容器は激しく壊れ、東日本が広範囲に被曝してしまいました。
事故原因はいまだ十分に把握されていません。事故の収束も達成されておらず、深刻な海洋汚染が続いています。大地震などに遭遇することで、再び福島原発サイトが深刻な危機に直面する可能性も大きく残っています。
そのため、この提言では篠山市が今の時点で取り得る最善の対応を提案しますが、新たな事実が判明した時は、必要に応じて見直しを行うものとします。

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明日に向けて(1097)「原発災害対策」「世界の原発の動向・トルコへの原発輸出問題」についてお話します!

2015年06月24日 12時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150624 12:30)

当面する講演のお知らせです。
まずこの間、僕が力を注いできた原発災害対策について、6月28日に京都市龍谷大学深草キャンパスでお話します。
13時開場、13時半開会です。以下、Facbookのイベントページをご紹介しておきます。

 福島原発事故から4年 守田敏也さんに学ぶ「原発事故・避難計画」
 https://www.facebook.com/events/839804416103316

今回は篠山市での原子力災害対策の進展を踏まえてお話したいと思います。
これまでもお伝えしてきたように、僕は兵庫県篠山市の原子力災害対策検討委員会に参加し、他の委員のみなさんとともに原発事故が起こった時に篠山市民がどのように身を守るのかの対策を練ってきました。
その中で6月17日に篠山市の酒井市長に委員会の総意として提言書を提出しました。
前々から準備されてきたことですが、これを受けて篠山市は今秋から独自に安定ヨウ素剤を事前配布することを決めるとともに、事故が起きたら「とっとと逃げる」ための具体的な方策をさらに積み上げていくことを決めました。

安定ヨウ素剤の事前配布が行われれば、原子力規制庁が求めている5キロ圏内以外で全国初の試みになります。
ぜひこの動きが他の市町村にも拡大していけばいいなと思っています。
この日の様子を記した市長日記と神戸新聞の記事をご覧下さい。

 安定ヨウ素剤配布へ(市長日記)
  篠山市ホームページ 2015年06月18日
 http://www.city.sasayama.hyogo.jp/…/may…/diary/post-826.html

 安定ヨウ素剤、今秋から事前配布へ 篠山市
  神戸新聞 2015/6/17 20:45
 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201506/0008131412.shtml

安全を確保するためには原発を再稼働させないことがもちろん大事です。
しかし原発は止まっていても燃料プールがある限り、過酷事故を起こす可能性があり続けます。
プールが損傷し、水が抜けて冷却ができなくなれば、燃料が溶けだしてもの凄い放射能が飛び出してきます。
また全国の燃料プールがつめつめの猛烈に危険な状態になっているので、地震などの大きな揺れで燃料が接近した場合に、臨界爆発が発生する可能性もあります。

その意味で、原子力災害対策は全国に17000トンもある燃料棒のすべてが安全な状態に移されるまで必須のものです。
そのために篠山市での取り組みを含めてこの間考察してきたことをお話しますのでぜひご参加下さい。

これと共に6月27日に京都府向日市で、7月4日に大阪府の新大阪で世界の原発の動向とトルコへの原発輸出問題についてお話します。
向日市では午前9時半より、寺戸公民館にてお話します。阪急向日駅から300メートルです。
新大阪では市民交流センターひがしよどがわ403号室でお話します。JR新大阪駅東口より北へ徒歩3分だそうです。新大阪の企画についてのFacebookのイベントページをご紹介します。

 日本はトルコに原発を輸出しないで! ― 4万人の市民の叫び ―
 https://www.facebook.com/events/370108883191877/

原発産業は世界的にも斜陽を深めています。
今、世界の原発の「平均年齢」はなんと30歳!
国によっては30年が使用期限とされてきたところもあります。多くが老朽化していて廃炉に向かいつつあるのです。

なぜこれほど「平均年齢」が高いのか。
答えは明白。スリーマイル島、チェルノブイリと続いた深刻な原発事故以降、世界各地で原発建設を許さない市民の力が増して、建設がストップされてきたからです。
このため原子力産業は風前の灯火となっています。
それでは困る、なんとか生き延びたいと思う世界の原子力村が、さまざまに延命策を考え続けています。その大きな柱が原発輸出です。

日本では今、すべての原発が停まっています。停まっていながら電力の不足などまったく起こっていない。私たちも日常生活で何も困っていません。なぜでしょうか。
この答えも明白です。実は原発などもともといらなかったからです。むしろ電気は余っているのです。それをどう過剰に使わせるかが課題となってきたのです。
だから今、リニア新幹線などというものすごく電気を使用するプロジェクトまでが浮上しています。電気の使い先を見つけないと原発に未来がないからです。

それだけではありません。日本の原発は今、平均で4年1カ月も停まっているのです。
世界で最大の出力を誇っていた柏崎刈羽原発3号機、4号機などは7年10カ月も。さらに2号機は7年11カ月も停まっています。確実に8年を越えます。8年も停めていたプラントに未来はありません。
この事実こそが世界の原子力村にとって強烈な脅威なのです。
一つにウランがまったく売れない。二つに、経済大国日本がこんなに長期に原発が停まっていることが分かれば、原発の不必要性が世界中に知れわたってしまうからです。

この状況を打開するために行われようとしているのが原発輸出です。
とくに原発が平均で4年以上も停まっている日本にとっては、そうでもしなければ運転員も含めた技術の維持ができないからこそ海外で原発を作り、運転したいのです。ウランの需要をこじ開けるようにして作るためでもあります。
しかし一方で、日本の原発がもう何年も動いていない事実を世界に知られないためにも、また原発輸出を進めるためにも、なんとか一つの原発でも再稼働させたい。
それが今、安倍政権が遮二無二進めていることですが、これは本質的には、滅びつつある世界の原子力村の断末魔の叫びなのだということをしっかりとみておく必要があります。

その上で私たちが押さえるべきことは、自国でも危険性が明らかであるがゆえに動かすことのできない危険な原発をこの国から輸出することなどけして道義的に許されることではないということです。
僕はとくにトルコに関わっていますが、日本から原発を輸出しようとしているシノップという町はとても美しい漁場です。同時にトルコの方たちのリゾート地でもあり、多くの方に憩いを提供してきている素晴らしい町です。こんなところにけして原発など作らせてはなりません。
さらにエルドアン政権はとても暴力的です。デモに対して警官隊にガス銃を乱射させ、2013年には10人近い人々が殺されてすらいます。その一人は買い物に来ていただけの10代の少年でした。

ぜひ講演を通じてこうしたトルコの事情を知ってください。マスコミではなかなか流れない貴重な情報です。
トルコの方たちは原発建設を止めるために懸命に行動しています。この4月27日にもチェルノブイリ原発事故29年に際して、シノップに4万4千人もの人が集まりました。
トルコの方たちの奮闘はトルコに原発を作らせないためだけでなく、世界の原子力村の延命策に立ちふさがる行為でもあります。その意味で、トルコの方たちの奮闘は私たちの未来をも照らしてくれる行動です。
だからこそ、トルコと日本の民衆の強い結びつきで、なんとしても原発輸出を止め、延命策にふたをし、原子力の灯を消していきたいと思います。核のない未来の展望がそこにあります。

なお私たちがもう一つ踏まえなくてはならないのは、原子力の灯が消えても、膨大な放射性廃棄物が残ってしまうことです。
この核のゴミをどうするのかもこれからの私たちの大きな課題です。私たちが警戒しなければならないのは、とんでもない無法で酷い処理が行われつつあることです。
この点で注目すべき学習会が27日の午後に岡山で行われるので、僕も向日市での講演を終え次第、かけつけて参加するつもりです。その情報も記しておきます。
-「核のゴミ」について考える市民勉強会- HKB47勉強会IN岡山 「日本が”核のゴミ捨て場”になる日-震災がれき問題の実像」講師は沢田嵐さんです。13時から岡山コンベンションセンター407会議室にてです。

以下、詳細な案内を記しておきます。
ぜひそれぞれの企画にご参加下さい!

*****

6月27日 京都府向日市

「世界の原発の動向と健康問題」
6月27日午前9時半~12時ごろ
講演会・意見交流の後、第4回総会を開催
場所 向日市寺戸公民館
講師 守田敏也
主催 原発をなくす向日市民の会
連絡先 事務局筒井 075-931-3788

***

6月27日 岡山市

-「核のゴミ」について考える市民勉強会-
HKB47勉強会IN岡山
「日本が”核のゴミ捨て場”になる日-震災がれき問題の実像」

日時:2015年6月27日(土)13:30~17:00(開場13:00)
会場:岡山コンベンションセンター 407会議室(定員50名)
岡山市北区駅元町14-1 ?086-214-1000(代表)
講師:沢田嵐氏(ブログ”あざらしサラダ”管理人&「市民放射能測定センター」(Cラボ)ボランティアスタッフ)
 ※「HKB47」は沢田氏が管理人を務める情報共有コミュニティの名称です
ゲスト:庭山由紀氏(元群馬県桐生市市議)
参加費:500円(施設、機器使用料)(当日受付)

【資料】
「日本が”核のゴミ捨て場”になる日-震災がれき問題の実像」(沢田嵐著、旬報社)

***

6月28日 京都市 龍谷大学深草キャンパス

福島原発事故から4年 守田敏也さんに学ぶ「原発事故・避難計画」

日時:2015年6月28日(日曜日)
    13:00 開場 / 13:30 開会 / 16:30 終了
 場所:龍谷大学深草キャンパス22号館2階201教室
 主催:原発を考える伏見フォーラム
連絡先:ふしみ原発ゼロパレードの会事務局
TEL:075-604-2133 [ 京都南法律事務所 ・溝江 ]

 講師:守田敏也 氏(フリーライター)

***

7月4日 大阪府 新大阪

日本はトルコに原発を輸出しないで! ― 4万人の市民の叫び ―
2015年7月4日 14:30 - 16:30
市民交流センターひがしよどがわ 403号室 JR新大阪駅東口より北へ徒歩3分

講師 守田敏也さん (フリー・ジャーナリスト)
参加費700円、14時開場
主催: No Nukes Asia Forum Japan <連絡先>080-6174-8358
協力:COA-NET

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明日に向けて(1096)沖縄の痛みを胸に平和の道を歩もう!(沖縄慰霊の日に寄せて)(上)

2015年06月23日 11時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150623 11:30)

本日6月23日は沖縄の慰霊の日です。70年前のこの日、旧日本軍の沖縄守備隊第32軍の司令官、牛島満中将と長勇参謀長が自決したことで組織的な戦闘が終わったとされているからです。
実際には、牛島中将が「最後の一兵まで戦え」との命令を残したこともあって、以降も戦闘は続きました。実際にすべての戦闘が終わったのは8月15日に日本がポツダム宣言を受諾して降伏した後のことでした。

沖縄戦では何人の方たちが亡くなったのでしょうか。沖縄県南部戦跡にある平和祈念資料館のHPには次のような記載が見られます。

Q 沖縄戦による死亡者数は?
A 200,656人〔沖縄県援護課発表 1976年(昭和51)年3月〕
  日本 188,136人(沖縄県出身者122,228人(一般人94,000人、軍人・軍属28,228人)(他都道府県出身兵 65,908人)
  米  12,520人

 沖縄県平和祈念資料館
 http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/heiwagakusyu/kyozai/qa/q2.html

軍人ばかりでなく沖縄の民間の方が94,000人もが犠牲になってしまったのですが、沖縄戦が「鉄の暴風雨」と言われるほどの激しいものであったこともあって、これまで人々がいつ、どのように亡くなっていったのか明らかになっていませんでした。
これに対して、沖縄戦終結から70年を迎えるにあたって、NHKスペシャルが新たな取材を行い、沖縄県が行った、戦没者の死亡日時と場所を記した膨大な調査記録を発見。この中から82,074人分のデータの解析に成功しました。
これらを元に以下の番組が制作されました。

 NHKスペシャル 沖縄戦全記録
 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0614/
 https://www.facebook.com/NHKonline/videos/1109804899046174/

番組は6月14日に放映されましたが、僕は今朝、録画でこの番組を見て、主要部分のノートテークを行いました。
確かにこれまで十分に明らかにされてこなかった沖縄戦の過程、とくに住民が亡くなっていく過程が明確に解析されていました。

これまでも沖縄戦についてはさまざまな記録が出されています。
僕自身が最も感銘を受けたのは、沖縄戦時に師範学校の生徒であり、学校で組織された「鉄血勤皇隊」に参加して沖縄戦に従軍した太田昌秀さんの書かれた『沖縄のこころ』(岩波新書)でした。
太田さんは司令部付の主に住民に向けて情報を流す伝令隊に配属されました。そのため学生でありながら、沖縄戦の中軸となった戦場を駆け巡る経験を持ちました。

この体験をベースとしつつ、戦後に占領下の沖縄で英語を習得し、アメリカに渡って米軍の沖縄戦史も紐解いて、沖縄戦の全体像を明らかにしたのがこの書でした。
そこには沖縄戦における多数の民間人の犠牲が、単に沖縄で地上戦が行われたからことだけにあるのではなく、日本軍が民間人に対して南部に逃げるように指示しておきながら、首里城付近での攻防戦に敗れるやその南部に撤退したこと。
しかも兵士たちの多くが民間人の衣装をまといつつ、避難民がひしめいてる場に逃げ込んだために、圧倒的な数の人々が戦闘に巻き込まれてしまったことにあることが告発されていました。

僕自身、初めて沖縄を訪れたとき、太田少年が司令部と一緒に辿った道をなぞるようにして首里城から南部戦跡へと向かいました。
車での旅でしたが、最後にまだ作られたばかりの「平和の礎」に到達し、深い感銘を覚えました。
同時に各地の戦跡で、米軍が組織だって見学に訪れている場面にも遭遇しました。「お前たちの先輩はこんなに苦労して沖縄を獲ったのだ」という教育がなされているに違いなく、なんとも言えぬ憤りを感じました。

太田さんは『沖縄のこころ』を始め、数々の沖縄戦に関する研究論文を書かれた後に、沖縄に真の平和をもたらすために1990年に沖縄県知事になり、米軍基地の返却を求める県民運動の最先頭にも立たれました。
おりしも1995年に少女レイプ事件が起こったことに対し、すぐさま沖縄の女性たちが米軍犯罪の根絶を訴えて決起。基地も軍隊も許さない大きな県民運動が起こりました。
これに対して時の村山政権を継いだ橋本龍太郎首相のもと、1996年4月12日、普天間基地の条件付き返還が決められました。少女レイプ事件に対しての立ち上がりの中で、沖縄の基地の安定性を失うことを懸念した米日が示した譲歩でもありました。

しかしその後、代替施設として辺野古基地の拡張が浮上。現在にいたるまでの攻防が生まれてしまいました。
あれから20年近く経って登場した安倍政権は、普天間基地の移転が、もともと1995年に沸き起こった県民ぐるみの基地反対の声に対する回答であった経緯などまったく忘れて、県民の総意を無視し、遮二無二、新基地建設に突き進んでいます。
そうして迎える70回目の沖縄慰霊の日を前にしたこのNHKスペシャルは、私たちに多くのことを示唆してくれました。

今回、明らかにされたのは沖縄戦の全経過の中で、民間人の死者数がなぜ、どのように増えていったかです。
米軍が沖縄本島に肉薄しつつあったとき、沖縄には50万人の民間人が残されていました。そのうち最終的に122,228人が亡くなってしまったのですから、島にいた沖縄県民の4人に1人が亡くなった計算になります。
沖縄攻防戦は、米軍が読谷村付近の海岸線に4月1日に上陸した後に大きな戦いになっていきますが、この初戦で殺された民間人の数は292人でした。

日本軍(第32軍)はこのとき、上陸に対して水際で撃退する戦法をとらず、もっと南の首里城付近に部隊を布陣させていました。
理由は沖縄戦を前に、沖縄守備隊の一部を台湾に割いてしまったためでした。日本軍は米軍が先に台湾に上陸すると考えて戦力を分散してしまっていたのでした。
戦力が圧倒的に不足する中で、第32軍の長勇(ちょういさむ)参謀長は、県民に対して次のように布告しました。「全県民が兵隊になることだ。すなわち一人十殺の闘魂をもって敵を撃砕するのだ。」

番組はこうした背景のもとに、沖縄住民が「防衛召集」の名のもとに日本軍の一部に組み込まれたこと。だからこそ民間人の犠牲が多くなったことを告発しています。
その最初の例になったのが伊江島での戦いでした。米軍は4月16日に6000名の兵力で伊江島に上陸しましたが、島に残っていた日本軍は推定で2700人、あとは3000人の島民が戦力に組み込まれてしまっていました。
戦闘は6日間にわたって激しく行われました。米軍の圧倒的な火力の前に日本軍は劣勢になり20日に最後の総攻撃をかけて壊滅してしまうのですが、このとき多くの島民までもが死を共にさせられたのでした。

というのは捕虜になることを許されなかった日本軍は、どこの戦線でも戦いの勝算が無くなると「斬り込み」攻撃に出ることを常としていました。残っている武器をかき集め、勝ち負けなど度外視で米軍に突撃するのです。
なんとこの戦いに島の住民たち、女性たちまでもが動員され、この20日だけで島民781人が亡くなってしまいました。最終的な伊江島の戦闘での死者は日本軍約2000人、島民約1500人ですから、島民の半数がこの日の攻撃で死んだのです。
大本営はこの方針を「軍官民共生共死ノ一体化」と呼んでいたそうです。僕は「共死」という言葉がこの国の戦争方針の中にあったことを今回初めて知りました。

後に、生き残った当時16歳だった女性はこの時のことをこう証言しています。
「靖国神社にみんな兵隊と一緒に祀られるからと言って、もう全部死なないといかんと思うから何でもないですよ。」
別の当時17歳の女性はこう述べました。
「天皇のために死になさい。国のために命を捧げるのは当然だと、捕虜になるということは一番恥ずべきことだと。小さい時から言い聞かされそういう教えしか分からなかった」・・・。

続く

 

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明日に向けて(1095)若者たちの立ち上がりに全力で応えて本当の平和を引き寄せよう!

2015年06月22日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150622 23:30)

昨日21日、京都で学生さんたちの呼びかけるデモに参加してきました。SEALDs KANSAI呼びかけです。
学生たちのホームページと昨日の行動の呼びかけをご紹介しておきます。
 
 SEALDs KANSAI
 http://sealdskansai.strikingly.com/

 SEALDs KANSAI 【6.21 戦争立法に反対する学生デモ】
 https://www.facebook.com/events/913114828751035/

500人ぐらいかなあ、でも1000人集まるといいなあ・・・と企画したとのことですが、ふたをあければ2200人が参加。数の問題がすべてではないにしてもやはり大成功です!
いやそれも途中のカウントで最後はもっと多かったのではという声もあるようです。

僕も参加して写真や動画をFacebookのタイムラインにアップしました。ご覧下さい。

 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10205502112090514&set=pcb.10205502112650528&type=1&theater
 https://www.facebook.com/toshiya.morita.90/videos/10205502168211917/?pnref=story
 https://www.facebook.com/toshiya.morita.90/videos/10205502263174291/?pnref=story

Tanaka Yujiさん作成のビデオでも当日の様子がよく分かります。以下をぜひご覧下さい。

 「戦争立法に反対する学生デモダイジェスト」@京都 主催SEALDsKANSAI 20150621
 https://www.youtube.com/watch?v=o8A1jYxpOq8&feature=youtu.be

素晴らしいデモでした。学生さんたちや同世代の若者たちの立ち上がり、とても嬉しいですね。
この学生たちの行動は東京で立ちあがったものに関西から呼応したものだそうです。実際、東京で行動を起こした学生さんたちも来ていたとのこと。
ラップのノリのデモコールも良かったです。また「俺たちをなめんな」とかいうコール内容の数々も良かったな。

・・・今、この国は若い人々をひどく虐げています。
学校を出ても仕事がない。大学から院に進んで専門性を身に着けたって仕事がない。いやドクターコースを出てもさらに仕事が無くなってしまう。
あんまりな事態が続いています。

酷さを助長しているのは派遣労働です。労働基準法など完全に無視。今国会でそれがさらに酷くされてしまいました。人権なんてあったものではない。
いろいろな問題がありますが、僕は教育機関のあり方も若者に酷い状態を強いていると思います。
初等、中等教育での歪んだ管理強化、その末に大学にいっても仕事がない。

いやそれだけではありません。今日、大学の多くが職員を派遣で使っています。法学部で憲法や労働基準法を論じていながらあまりに矛盾している。
そればかりかなんと大学の多くが自ら派遣会社を作り、自分の大学に派遣させている。派遣会社によるピンハネを大学に還流させるためにです。なんのことはない、大学がピンハネしているのです。
この点では、今、集団的自衛権に対して違憲を掲げて起ちあがってくださっている法学者のみなさんに、さらに大学の労働者と若者の人権を守るためにも起ちあがって欲しいです。

もちろん、法学者だけではありません。私たち大人の総体が、若者の立ち上がりに応え、若者を守るべく奮闘しなければなりません。
戦争法案に反対し、集団的自衛権行使を許さないのはその大きな柱です。若者たちを絶対に戦場に送らないために大人が本当に大奮闘する必要があります。
同時に僕はもう一つの大きな柱が放射線防護の促進だと思います。今も放射線値が高いところに本当にたくさんの若者が、子どもが、まったく無防備に住んでいる。命を守る活動をもっともっと強化しなくてはいけません。

さらに僕は大人の責任として、さらにもう一歩頑張って、世界の若者を守るための行動を強める必要があると思います。
そのために日本を戦争に巻き込ませないだけではなく、世界から戦争を無くすために努力したい。そのために憲法9条を守るだけでなく、それを本当の意味で実現し、世界に広げていきたいと切に思います。
とくにアメリカの若者にもうこれ以上の酷い人殺しをさせたくない。もちろん殺されて欲しくもない。

だからこそアメリカの戦争に反対する。日本のアメリカへの戦争協力に反対する。そこにこそ進む必要があります。
昨日、立ち上がった若者たちが子どもだった2003年、アメリカはイラクに侵略しました。「大量破壊兵器を除去する」といって実際には大量破壊兵器なんかなかったイラクに攻め込んだ。
そのとき日本政府は開戦当日にこの暴虐的な侵略戦争を全面的に支持しました。先頭に立ったのは小泉元首相です。その重要なサポート役にいたのが安倍晋三官房副長官でした。

今日のイラク・シリアのあまりに混沌とした状況を生み出したのはこのとんでもない侵略戦争であり、核兵器以外の新型兵器をふんだんに使った殺りくの連続でした。
何らの理由もなしに行われたこの酷い戦争が世界的に反省されず、戦争犯罪人がのうのうと生きている。この状態がイラクの人々を絶望においやり、その中でさまざまな武力抵抗や攻撃が生み出されてているのは間違いありません。
アメリカはそれに手を焼いて疲弊している。国内からももう兵士を犠牲にするなと言う声があがっている。だからこそ、アメリカ兵に代えて自衛隊員を混沌たる戦場にひっぱりこもうとしているのです。

だとしたらアメリカの戦争に日本が巻き込まれないことだけに私たちはとどまっていることはできません。アメリカの侵略戦争を正さなくてはいけない。そのことでアメリカの戦争にストップをかけなくてはいけません。
そのためには今からでも日本のイラク戦争犯罪人への裁きを行うことが必要です。その筆頭は小泉元首相です。それに連座していた安倍首相です。多くの当時の自民党員に責任があります。
この点をけしてあいまいにしてはいけません。イラク戦争開始から12年。今こそ日本の中でもイラク戦争の犯罪性を問う声を高める必要があります。

さらにアメリカのこれからの戦争を食い止めるために私たちがなすべき大きな柱が、沖縄・辺野古の奮闘に応えてアメリカ軍の基地を作らせないことです。
そこから日本中のアメリカ軍基地への反対運動を強めていく。日本が戦争に巻き込まれるからだけではなくて、アメリカの戦争が非道だからこそ、基地を使わせないという声を高めていくのです。
集団的自衛権行使によってアメリカ軍と自衛隊を一体化させようと安倍政権が目論んでいる今、むしろアメリカの戦争に日本が繋がってきたことが見えやすくなってきてもいます。だからこの面をもっと暴露し、人々を覚醒しないといけない。

放射線防護の面では、私たちは70年前に遡って、一般民衆の大量殺りくを行った原爆投下が戦争犯罪であり、放射線を使った手酷い非人道的な殺りく攻撃であったことをはっきりさせ、アメリカに謝罪させるべきときが来ていることを強く訴えたいと思います。
これまで再三再四、述べてきましたが、今、私たちが苦しんでいる政府の放射線被曝の影響に対するとんでもない過小評価のベースにあるのは、そもそも広島・長崎に原爆投下したアメリカ軍が作った偽造された被害者調査データです。
アメリカの軍事占領下で加害者が被害者に対して排他的な独占的調査を行った。それがアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)による被爆者調査でした。アメリカはそこで内部被曝の影響を徹底して除外しました。

なぜでしょうか。原爆投下が放射線を使った酷い戦争犯罪であることを隠すためです。そのことで核戦略を世界の批判から守り、保持するためです。
そのために作られた虚偽に基づくデータがその後の「放射線学」の基礎となり、国際放射線防護委員会(ICRP)によって定式化されたのでした。そのもとで日本のみならず世界の人々が核実験で何度も何度も被曝させられたのでした。
その上にスリーマイル島、チェルノブイリ、福島を代表する原発事故によっても、現代世界の人々は手酷く被曝させられてきました。被曝させられながら、被害をあたかも精神的病のように捻じ曲げられてすらきました。

私たちは今こそ、この70年間の歪められた歴史を正していくのでなければなりません。
そのことで私たちは未来世代を守り、救わなくてはなりません。いや何としても守りたいし救いたい。未来を明るいものにしたい。その連なりの中でこそ、アメリカの戦争を止め、アメリカの若者をも守れるのだと僕は思います。
この国の中で今、続々と戦争反対の声をあげて立ち上がりつつ若者に応え、真の平和の道を歩みましょう。僕にはそこにこそ真に憲法9条を守り、生かしていく道があると思えるのです。


 

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明日へ向けて(1094)篠山市長へ原子力災害対策提言書を提出!今秋からヨウ素剤事前配布を始めます!

2015年06月19日 16時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150619 16:00)

6月17日に兵庫県篠山市で僕も参加する篠山市原子力災害対策検討委員会から酒井隆明市長に対して「原子力災害対策計画に向けての提言」を提出しました。
提言の内容を酒井市長ご自身が「市長日記」の中で端的にまとめてくださっているのでそのままご紹介します。

***

 安定ヨウ素剤配布へ(市長日記)
 篠山市ホームページ 2015年06月18日
 http://www.city.sasayama.hyogo.jp/pc/mayor/diary/post-826.html

 昨日、6月17日、篠山市の原子力災害対策検討委員会から「提言」を受けました。この委員会は自治会、消防団、医師会、原子力の専門家、市民などで構成され、熱心に議論されてきました。
 提言の内容は
 (1)市民が避難する計画の策定
 (2)安定ヨウ素剤の事前配布
 (3)事故の際の対策本部の設置による市民への情報提供や勧告
 (4)日頃からの災害全般に対する備えの強化
 などとなっています。

 万一の事故の場合、何より大切なのは「とっとと逃げる」こと、そして逃げる時には「(甲状腺の内部被ばくを防ぐため)安定ヨウ素剤を服用」するということです。
 避難計画については、国においても県においても定めておらず、市民が完全に避難できる方法などあり得ないとも思われますが、どこにどのように避難すべきなのかのガイドラインは示したいと考えます。
 又、安定ヨウ素剤については昨年3月に5万人分を市役所や診療所に備蓄しているのですが、いざという時に市民に行き届けられません。
 そこで、特に服用が必要な成長期にある子どもや希望者を中心に事前配布の準備をすすめたいと考えます。

 篠山市は福井の原発から約50キロの距離になりますが、安定ヨウ素剤の事前配布は30キロ圏外では全国で初めてとなるとのことです。

***

この日は委員会の中から副委員長の森口久篠山市自治会長会・会長を中心に5人の委員が参加しました。
提言書を提出すると、市長はまとめの項目に目を通されて、積極的に思うところを述べられ、取材に来ていた記者さんたちも交えて2時間近くの懇談がなされました。
それらを通じ、また事後的に書かれた「市長日記」を通じ、私たちの委員会の言わんとするところがきちんとくみとっていただけていることを感じ、心強く思っています。

これまでこの「明日に向けて」でも繰り返し原子力災害対策について触れてきましたが、原発ないし原子力施設の事故は始まってしまえばどこまで拡大するか予想もつきません。
しかも一度始まってしまえば、制御はおろか、何が起こっているのかすらつかめなくなってしまう。福島原発事故の時は、1号炉から3号炉までがメルトダウンしていたというのは事故後2カ月経って5月にようやく発表されたのでした。
いやその段階でも、炉心が溶けだして原子炉圧力容器の下部へと落ちてしまう「メルトダウン」だけではなく、圧力容器を貫通し、格納容器下部に落ちてしまう「メルトスルー」がおきていることはつかめていませんでした。
それどころかたった今でも、溶け落ちた核燃料がどこでどういう状態になっているのか把握できていないのです。

このため事故が始まったら、現場の運転員ですら何がどうなっているのかつかめないのが原発事故のリアリティであることを踏まえた上で、とにかく「とっとと逃げる」こと、十分、遠くまで逃げてから安全性を確認し、戻れるなら戻るのが最も合理的です。
ただしその時に、事故そのものがどこまでも拡大するか分からないのですから、人々が完全に逃げ切れる保証などありません。原発事故とはそういうものであることをしっかり見据えて、いざとなったら各人が必死に逃げるしかないのです。
そのことで、完全に逃げ出すことはできなくても少しでも被害を減らす=減災の観点に立ち、日ごろから必要な準備を進めていくことが問われているのです。

提言書では冒頭に近いところでそれらを次のように表現しています。

 原子力災害が起こった時の対処として一番大事なのは「とっとと逃げる」ことです。いったん安全地に逃れてから危険の度合いを判断し、安全が確認されれば戻ってくるという対応をすることが、早期の対応として最も合理的です。
 事故に遭遇した時に、理想的にすべての被害を防ぐことは困難であることを前提としつつ、少しでも被害を減らすこと、減災の観点に立って原子力災害対策の計画を練り上げることをこの提言は目的としています。

そのためには事前にできる準備を重ねておくことが大事なのですが、その大きな柱に私たちが置いたのが安定ヨウ素剤の事前配布を進めることでした。
兵庫県の行ったシミュレーションで、高浜原発や大飯原発で過酷事故があった場合、篠山市にはIAEA(国際原子力機関)などが定めるヨウ素剤服用国際基準の倍にもあたる量の放射性ヨウ素が飛来しうるという結果が出ています。
当然にも安定ヨウ素剤の服用が必要になりますが、それなら事故の時に配るよりも、市民が手に持っていた方が圧倒的に早く、確実に服用することができます。

また安定ヨウ素剤で防げるのは甲状腺への放射性ヨウ素からの被曝のみですから、放射性ヨウ素が飛んでくるならばその場にとどまっていてはいけない。一刻も早く逃げ出す必要があります。
その避難を早くするためにも、安定ヨウ素剤をとりにいく時間も労力も減らし、かつ市の災害対策関係の職員にとっても、安定ヨウ素剤配布の労を大きく減らすことで、その分、市民を逃がすための他の作業に人を割けるわけです。
すでに篠山市では私たちの提言を受けた市長の決裁で市民分の安定ヨウ素剤の備蓄を終えていますが、提言書を受けて、今秋から配布に踏み出します。すでにそのための市民向け学習会もかなりの回数を重ねています。

ただし他にもこれから重ねていかなければいけないことはあまりにたくさんあります。
例えば要介護者はどうするのか。どのような備えをしておくべきなのか。子どもたちを効率よく逃がすために何を準備しておく必要があるのかなどなど、枚挙にいとまがありません。
というよりも、最も大事な点は、どれほど対策を重ねても、起きてしまった事故の規模によってはとても逃げられないこともありえるのです。あるいはごく一部の人々しか逃げられないかもしれない。
大切なのは原子力災害とはそういうものだということを市民の間できちんと認識することなのです。そんなとんでもないものが私たちの目の前に何十と存在していることを認識して、少しでも命を守りうる可能性を探ることが求められているのです。

私たちは提言書の中で、このように完全な安全を確保できないと言う原子力災害対策の観点から、原発の再稼働には同意できないこともはっきりと書いています。
しかし原発の再稼働がなされなくても、私たちの周りには危険な核燃料プールがたくさんあります。ここで水抜け事故や再臨界が起こった時も、私たちは命がけの避難をしなければなりません。
その意味で、私たちはすべての核燃料がプールから出され、安全な状態に移されるまで、原子力災害対策をとり続けざるを得ないのです。
このリアリティに立ちきって、原子力災害対策をさらに進めていくこと、計画を練り上げていくことを提言書は求め、市長はこのポイントをしっかりと受け止めて下さったと認識しています。

みなさん。ぜひ放射能事故から人々を守るための一例として篠山市のことを参考にしてください。
提言書は篠山市議会への提出を経たのちに、篠山市ホームページに全文掲載されて閲覧可能となります。そのときに「明日に向けて」でも全面的なご紹介を行いたいと思います。
なお提言書提出をめぐるより詳しいことを、6月28日に龍谷大学伏見校舎で行われる原発災害対策の講演会でお話しますので、興味のある方はぜひお集まりください。同企画のFacebookページをご紹介しておきます!

 福島原発事故から4年 守田敏也さんに学ぶ「原発事故・避難計画」
 https://www.facebook.com/events/839804416103316/

最後に提言書提出に対する神戸新聞の記事もご紹介しておきます。
原発から命を守るために、各地で原子力災害対策を重ねていきましょう!

*****

安定ヨウ素剤、今秋から事前配布へ 篠山市
神戸新聞 2015/6/17 20:45
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201506/0008131412.shtml

原発事故の際、甲状腺の内部被ばくを防ぐ安定ヨウ素剤について、兵庫県篠山市は17日までに、今秋から希望する市民に事前配布する方針を固めた。
同日には、市の第三者委員会が「事前配布を速やかに行うように」とする提言書を酒井隆明市長に提出した。

同委は2012年、放射線治療が専門の医師や市民らで発足。国や兵庫県が原子力災害対策計画を策定していない中、市が単独でできることを提言としてまとめた。
安定ヨウ素剤の配布以外に、自主避難や屋内退避の勧告体制を整える▽市による避難誘導の計画策定-などが柱。

酒井隆明市長は「医師会との調整や市民への周知などハードルは多いが、篠山市としてできることを進めていきたい」と話した。

安定ヨウ素剤をめぐって、原子力規制委員会は原発から5キロ圏内の自治体には事前配布を求め、30キロ圏内では同委の判断の下で服用するとの指針を示している。
県内では西脇市が備蓄しており、高浜原発から30キロ圏内の京都府舞鶴、宮津市なども保管している。(安福直剛)


 

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明日に向けて(1093)戦争と平和の岐路に立ち真の平和を展望する(自衛隊の考察-1)

2015年06月14日 10時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150614 10:00)

みなさま。ここ一週間ほどしつこい風邪のためあらゆる活動が停滞し、「明日に向けて」の執筆ができませんでした。
また5月の毎土日に講演があり、そのつど新しい内容を盛り込む必要があったことなどから、講演準備に時間がかかり、そのときも「明日に向けて」の執筆が滞りがちでした。
結果的に記事の出せない日をずいぶん書けない日を重ねてしまいました。情報を待ってくださっている方にはとても申し訳ないことと思っています。再度、頑張って情報発信していきますのでよろしくお願いします。

さて今回は記事に「戦争と平和の岐路に立ち真の平和を展望する」というタイトルをつけました。「戦争と平和の岐路」と書けば、安倍政権が集団的自衛権を強引に押し通そうとしている今日の状況のことだと多くの方が考えられると思います。
確かにこのことを意味してもいるのですが、ここではもう少し違う意味も込めています。
これまでこの国は自衛隊に戦闘行為はさせてはこなかったけれども、さまざまな形でアメリカの戦争に加担してきました。とても胸をはって「平和国家」とは言えないと思います。
そのことを反省的に捉え返し、本当の平和の道を歩んでいこうではないかというのが今回主張したいことです。

そのために今一度、ここで捉え返しておきたいのは自衛隊の位置性です。
今、国会では集団的自衛権の違憲性が野党によって繰り返し追及されています。この流れに弾みをつけたのは、国会に与野党推薦の参考人として招かれた憲法学者3人が、口をそろえて「集団的自衛権は違憲だ」と唱えたことです。
この後、200人以上におよぶ憲法学者が連名で「集団的自衛権の行使は違憲」という判断を示しています。
これに対して菅官房長官は「合憲だと言う学者はたくさんいる」と述べたものの、民主党辻元清美議員の追及に対しては3名しか名をあげられず、みずから「たくさんいる」と述べながら「数の問題ではない」と逃げ口上を唱えることしかできませんでした。

僕も集団的自衛権の行使は当たり前の話として憲法違反でありとても認められないことだと思いますが、しかしここで強調したいのはそれでは個別的自衛権はどうなのかということです。
まず考え方の問題としてではなく最高裁判所の判断を持ちだすならば、個別的自衛権を自衛隊によって行使することに合憲判断が出されたことは一度もないことを私たちは確認しておく必要があります。
これが自衛権をめぐる裁判上の事実問題です。集団的自衛権の行使を認めるどころか、自衛権を自衛隊と言う組織を使って行使することそのものに、最高裁は一度として合憲判決を出してないのです。
反対に自衛隊の存在を違憲とする判断も示されてはいません。最高裁はこの点では判断を避け続けているのが実情なのです。

ここで私たちが再度、考え直すべきなのは自衛隊は合憲かどうかということです。というよりも私たちがのぞむ国のあり方において自衛隊は必要なのかどうかを考える必要があるということです。
そこで自衛隊とはそもそも何なのかを考える必要があります。そのためには自衛隊がどのように作られてきたのかを見るのが一番です。ものの本質は歴史的生成のなかにあるからです。

自衛隊はいつ、誰によって、なぜ作られたのでしょうか。
自衛隊の前身は「警察予備隊」でした。1950年8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」により設置されたのです。何のことはない、占領軍であるアメリカの命令で作られたのです。これこそアメリカの押しつけの産物です。
なぜアメリカは「警察予備隊」を必要としたのでしょうか。この年の6月25日に「朝鮮戦争」が勃発し、当時占領軍として日本各地に駐留していた米軍の多くが朝鮮半島に出撃してしまったため補完勢力を必要としたからでした。

では何の補完だったのでしょうか。日本に攻めてくる勢力への防衛の補完でしょうか。まったく違います。そもそも当時の駐留米軍に日本を他国の攻撃から守るという意識はまったくありません。そのように取り交わされた文言もありません。
駐留米軍の主な目的は治安維持だったのです。何よりも米軍が意識したのは1945年に自らが武力で倒した旧日本帝国主義が今度は日本の民衆革命によって下から倒されることでした。もっとも恐れられたのは日本共産党を中心とする左派の人々でした。
この米軍の危機感を大きく促進したのが日本軍のアジア大陸からの敗退以降の国共内戦による中国共産党の勝利と、1949年10月21日の中華人民共和国の設立でした。

・・・過去の時代を見るときに、私たちは今の私たちのもっている感覚にひとたび蓋をしてみる必要があります。蓋をして当時の雰囲気の中に身を潜めてみなくてはいけません。
1950年はまだ第二次世界大戦が終わって5年しか経っていない時期です。しかもアジアでは中国大陸で激しい国共内戦が闘われ、6月からは朝鮮戦争も始まっていました。
「武器によって正義をうちたてる」ことがまだまだ当たり前の常識とされた世情であり、しかも日本の男性の大半はついこないだまで軍隊につながれて武装訓練を受けてきていました。だからこそ武装反乱が警戒されたのでした。

朝鮮戦争はアメリカにとっても不意打ちであったとされています。とくに初期の戦闘で韓国軍が総崩れしてしまったことはアメリカにとってもあまりに意外なことでした。そのためアメリカは急きょ、日本占領軍を朝鮮半島に投入しました。
しかし治安部隊であるアメリカ軍がいなくなってしまった間に、日本で反政府暴動が起こり、武装革命に発展した場合に押さえる勢力がない。そう考えてアメリカがポツダム政令という強制権を発動して作り出したのが「警察予備隊」だったのです。
反政府暴動というと今では「怖い」というイメージを感じる方が多いと思いますが、当時の日本には侵略戦争に駆り出された元兵士たちがたくさんおり、政府への怒りから今度は銃口を政府に向ける可能性も確かにあったのです。

つまりアメリカ軍が恐れたのは日本における武力革命の勃発だったのです。だからこそ「警察予備隊」という名前で、警察力を補完するという建前のもとに部隊を作ったのでした。
たちまち75000人が招集され、与えられたのはアメリカ軍の標準装備であるM1ガーランド銃と戦車でした。予備隊でありながらすでにして警察力を上回っていました。この矛盾を隠すために「戦車」は「特車」と言い換えられました。
しかし警察予備隊はわずか2年で保安隊に名称を変えていきます。1952年4月28日に連合国と日本国との間で平和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、ポツダム命令が原則として180日以内に失効してしまうこととなったからです。

このため1952年10月15日に警察予備隊は「保安隊」へと改編され、さらに1954年3月に日米相互防衛援助協定が結ばれる中で「自衛隊」への改編が行われました。
ここで日本は、日本国の防衛を自ら行うことをなんとアメリカに義務づけられたのでした。こうして主に治安目的で発足した警察予備隊⇒保安隊⇒自衛隊に日本の防衛目的が付け加えられました。
治安目的から発足した部隊に、国土防衛の任務を後から与えられたのが自衛隊の誕生の実相でした。

このように歴史を辿ってみると見えてくるのは、そもそも自衛隊は第一の「敵」を、この国に住まい、政府に怒りを持っている人々として発足した組織なのだということです。
肝腎なことはその任務が今では無くなっているかどうかですが、実は今もはっきりと残されているのです。自衛隊法を読めばしっかりと明記されています。
次回にこの点を見ていきたいと思います。

続く

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明日に向けて(1092)土壌放射線測定の輪を広げ、放射線防護の強化をはかろう!

2015年06月07日 13時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150607 13:00)

福島原発事故から4年と3ヶ月経ちました。
ご存知のように政府は、「放射能安全神話」を振りまきつつ、被曝地への人々の帰還を強制しようとしています。本当にひどいことです。
こうした酷い政策を進める一方で、政府は人々を放射線被曝から守るために本当にやるべきことの多くの回避してきました。
その中でも重要なものが被曝地の土壌の放射線値を細やかに調べていくことです。

今、この事業に「みんなのデータサイト」が起ちあがっており、「クラウドファンディング」で資金提供を募っています。
6月21日までに150万円を集める計画ですが、本日6月7日現在で889000円しか集まっておらず、残り611000円が集まらないとファンディングが成立せずに寄付金が流れてしまいます。
そこでみなさんに協力をお願いすべく、この計画をご紹介したいと思います。
なおこの記事は、広島県尾道市の「おのみち測定依頼所」の杉原宏喜さんからの呼びかけを受けて書いています。

 「クラウドファンディング」
 https://moon-shot.org/projects/68

取り組んでいるのは以下の方たちです。

 「みんなのデータサイト」
 http://www.minnanods.net/

参加している測定所がここから分かります。僕も深い関わりをもたせていただいている多数の方たちを始め、全国27の測定所が参加しています。
 http://www.minnanods.net/labs/

土壌調査に関する説明は以下で行われています。

 「東日本土壌ベクレル測定プロジェクト」
 http://www.minnanods.net/soil/

この中から調査の「目的」と「目標」をご紹介します。
「みんなのデータサイト」事務局長の石丸偉丈(ひでたけ)さんインタビューもご紹介しておきます。

***

目的

「現状」 を今一度よく確かめるために
3.11から4年が経とうとする今もなお、東日本の各地では放射性セシウムが土壌から普通に検出されています。
空間線量測定だけではわかり得ない、具体的な汚染状況を把握するためには土壌測定が必要です。
子どもたちが安全に遊べる場所はどこかという不安、汚染の実情を知りたいという思い、本来なら国が測定すべきではないかという疑問、そういった声を受けて、私たちは「土壌測定プロジェクト」にチャレンジしようと決意しました。
セシウム137の半減期は30年であり、土壌汚染はこの先長く続きます。その一方で、半減期が2年と短いセシウム134は、測定できなくなってしまうという時間的制約があるため、今が取り組み始めるべき大事なタイミングと判断しました。
事故後4年が経過し、何事もなかったかのようになりつつある中で、土壌汚染の現実をできるだけ正確に広範囲に捉えていきたいと思います。
測定データが社会のあり方を考えるみなさまの指標の一つとなり、被曝低減の助けとなるよう努め、 同時に、全国の測定室の利用と支援が広まればと考えております。

〜 「未来」 に遺す貴重な記録として 〜
このデータはまた、不幸な事故に遭遇した私たちが未来に遺す貴重な記録でもあります。未来を託す子どもたちのために、きちんと記録を遺していきたい。
それが、大きな事故が引き起こされてしまった時代に生きる、私たち大人に課された
責任ではないでしょうか。

~ 「みんなのデータサイト」は、誰もが簡単に使えるようにつくられた 測定データ検索サイト です 〜
「みんなのデータサイト」は、全国の市民放射能測定室でこれまで積み上げてきたデータを、一元管理することで、 誰にでもわかりやすく、インターネット上で手軽に検索ができるように作成・公開されたデータベースです。

2015年1月現在約1万検体を登録した「食品」の測定データに加え、「土壌」測定データを2本目の柱とし、みなさまの判断の一助となるように順次公開していく予定です。

目標

<期間> 期間(第1期):2014年10月〜2015年9月

 <対象エリア>
対象エリア:東日本・17都県 
青森、(岩手*)、秋田、宮城、山形、福島、茨城、栃木、 群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨、長野、静岡、新潟
*岩手は先行して300ヶ所の採取測定を行なうプロジェクトが「土壌プロジェクトいわて」により2012年〜2013年に実施されました。

■測定結果を「みんなのデータサイト」にアップして公開(日本語・英語サイト)。
■多くの地点の結果が集まった時点で、マップ化を予定。
■面積当たりの放射能存在量の試算(Bq/kg→Bq/平方メートル)を行なう予定。

 みんなのデータサイトジム局長 石丸偉丈(ひでたけ)さんインタビュー
 http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/150512/

***

非常に意義深い調査であり、今後、長きにわたって放射線防護を進める上での基礎データになります。
ぜひ成功させたいプロジェクトです。
このために起ちあがっているクラウドファンディングでは、一口3000円から支援ができます。9000円、15000円、3万円、10万円、30万円とコースが分かれいてます。
できるだけ多くの方で調査を支えたいです。

 「クラウドファンディング」
 https://moon-shot.org/projects/68

みなさん。よろしくお願いします!

 

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明日に向けて(1091)与党の参考人まで集団的自衛権を違憲と断定!さらに進んで戦争のない世界を目指そう!

2015年06月05日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150605 23:30)

昨日、衆院の憲法審査会に参考人として出席した3人の憲法学者が、いずれも安倍政権が進めようとしている「新安保法制」について「憲法違反」であるとの考えを示しました。
特徴的なのは、3人の中の早稲田大学長谷部教授は、自民党・公明党が推薦した参考人だということです。あとの二人は維新と民主の推薦です。与党が自ら呼んだ参考人までが「憲法違反」を明言したのだから事態は重大です。
安倍政権全面擁護新聞と化している産経新聞は「人選ミス」などと報じていますが、そうではなくどのような角度から見ても集団的自衛権が憲法違反であることが示されたと言えます。

またこのことは、横暴を極める安倍政権と繰り返し対決してきた多くの民衆の声が、学者さんたちの学問的良心を揺り動かしている中で起きてきていることではないかと僕には思えます。
同じことが司法界でも起こっているし、芸能界でも起こっている。今まで政府に順応してきた多くの人々が「もう黙っているわけにはいかない」と、真実と良心を掲げだしている。僕はそう思います。

そもそも集団的自衛権が憲法に違反していることなどあまりに自明のことです。
なぜって憲法にはこう書いてあるのですから。

 憲法前文
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

 憲法9条
 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この国は明確に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と憲法で名言しています。集団的自衛権は、陸海空軍その他の戦力を保持している国と共同で行うものです。憲法上、認められるわけはありません。
いやそもそも、どうこの文言を読んでみたって、自衛隊が合憲とは言えないし言えるわけがない。自衛隊の兵器や装備を見て下さい。どう見たって陸海空軍そのものではないですか。
僕はそもそもこの国の多くの人が政治に無関心になってきた大元の理由がここにもあると思います。なぜってこうやって堂々と憲法が無視されてきたのですから。どう読んでみても憲法がリスペクトされてきたとは言えないのですから。。

ただし憲法9条がすでに死んでいたのかというとけしてそうではありません。自衛隊は常に自分たちは「陸海空軍その他の戦力」ではないと自己説明せざるをえないで来たのです。
そのことが自衛隊を実際の戦争から遠ざける大きな歯止めになってきました。そのために自衛隊は1954年結成以降、これまで一人の外国人も殺さずにきているのです。
今、その大きな歯止めを安倍政権は外そうとしています。だからすぐに「我が軍」などと口走ったりする。「軍ではない」と言い張ってきた建前が崩されようとしています。

そもそも自衛権とはどのような形で発動されているのでしょうか。今、アメリカはシリア・イラクでIS(イスラミック・ステート)に繰り返し空襲を加えていますが、これは自衛権の発動として行われています。
いやISが台頭する背景となったイラクの絶望的な混乱の原因である米英によるイラク侵略戦争も自衛権の発動として行われています。自衛権の発動として、国連の承認なしに一方的な戦争が遂行されたのです。
もっと言えばそもそも近代戦争において、「我が国はあなたの国を侵略します」と言って侵攻した国など一つもありません。常に自衛権がさまざまな戦争の「大義」として利用されてきたのです。

日本国憲法はこのために戦力の不保持と、国の交戦権の放棄をうたった世界初めての憲法です。自衛の名のもとに戦争を仕掛け合うことを少なくとももう日本は止める!と世界に宣言したのです。
この文言が、他ならぬ戦争の惨禍を経てきたこの国の民の心を強く打ち、社会の中に徐々に根を下ろしてきたからこそ、自衛隊は、人殺し集団としての軍隊になることをぎりぎりで止められてきたのでした。
それを可能としたのはこの国の人々の平和を愛する心です。第二次世界大戦でさまざまに振るってしまい、振るわれもした非人道的暴力への痛みを通してつかんできた平和力です。

この国の人々は確かに「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう決意した」のであり、その道を歩んできたのです。
だから自衛隊は装備は完全に軍隊でありながら、他国の人々を殺さずにこれまで来た。すんでのところで国家による暴力の発動が食い止められてきた。私たちはそのことに誇りを持っていいと思います。

ただし同時に私たちは今こそ、平和についてもっと覚醒しなければなりません。
僕もこの間の講演で集団的自衛権では「アメリカの戦争に巻き込まれる」と言ってきました。アメリカの非道な戦争に日本が協力してはならない・・・と言わんとしてのことですが、今後はその点を変えようと思っています。
戦争に巻き込まれて私たちの安全が損なわれるからという消極的な内容を越えて、アメリカの人々をも戦争から解き放つために私たちは行動を強めなければならないと思うのです。

この間、集団的自衛権に対して「我が子を戦場にとられてなるものか」という気持ちで行動し始めた若いお母さんたちに度々講演に呼ばれ、愛の深さ、温かさ、柔らかさに強く打たれることを繰り返してきました。
そのとき僕が思ったのは、「アメリカの母親たちとて同じ思いのはずだ」ということでした。そうです。私たちはアメリカの若者たちをも、もう殺し殺されることから解放したい。
なぜなら戦場に赴くことで人は心の中の大事なものを失うからです。何よりも殺人に手を染めることで、人を慈しむことができなくなってしまう。人を、そしてまた自分自身を愛せなくなってしまう。

そのためベトナム戦争でも、イラク戦争でも、戦場で死んだ米兵よりも、帰還後に自殺した米兵の方が多いのです。
もちろん彼ら、彼女らは死ぬまでに大変な苦しみの経路を辿っています。社会生活にまともに復帰できず、アルコールやドラッグづけになったり、性的不能に陥ったり、苦しんで苦しんで、やがて自分の命を絶ってしまっている。
それが戦争に若者を送り込むことのリアリティです。

この国は、これまでのさまざまなアメリカの戦争に経済的に参加し、武器の部品を作り、基地を供給し、協力してきました。
その戦争体系の最先端で、アメリカの若者たちが、本当に酷く人を殺し、そのことで自分のうちなる人間性を殺し、アメリカ社会の中に殺伐としたものを持ち帰り、数々の悲劇を産み落としてきたのです。
私たちはこの国がこうしたアメリカの流した血によって、さまざまな経済的利益を得てきたことをこそ捉え返すべきだと僕は思います。

その意味で、アメリカの戦争に巻き込まれなければそれで良いと言うところにもはや私たちはとどまっていてはいけません。
アメリカの非道な戦争をやめさせ、そのことでアメリカ人に人殺しを止めさせ、そのことでアメリカ人をも救わなくてはいけない。そう思います。
そのために集団的自衛権の行使なんてもってのほかです。アメリカの非道な「自衛権」の発動そのものを封じ込めていく必要があります。

私たちは今こそ、非戦の思いをさらに大きく発信していきましょう。集団的自衛権に反対するだけでは足りません。沖縄辺野古基地建設を許さない声をもっと高めなくてはいけない。
沖縄の人々の必死の抵抗は、もうこれ以上、アメリカの戦争に協力したくないという強烈な思いの発露だからです。
私たちはそこにもうこの国からアメリカの若者を戦場に旅立たせないという思いを重ねていきましょう。

最も大事なことは、そもそもの集団的自衛権の出所そのものが、アメリカの疲弊にあるということです。アフガン戦争、イラク戦争と大義なき戦争を繰り返すことでアメリカ社会は大きな痛手を背負っています。
先にも述べた如く、理不尽な殺戮を繰り返すことで、人の心が押しつぶされてしまい、それがさまざまな形でアメリカに悲劇をもたらしているからです。
アメリカ政府はそのためにもうアメリカ兵を死なせずに、自分たちの利益を押し通す道を探し、無人兵器だけでなく他国軍の活用を考え、アメリカ軍の代わりに自衛隊を使うことを欲しているのです。

これに第二次世界大戦でこの国が反省してきたことをちっとも血肉化できす、この国の人々の成熟に逆行して、戦前への回帰を追い求めて止まない安倍首相が飛びつくことで、集団的自衛権行使への流れが作りだされてきました。
つまり大元にあるのはアメリカの戦争による疲弊なのです。だとすれば真の解決の道は、戦争そのものを無くしていくことです。
日本はまだまだそのための大きな可能性を持っています。繰り返しますが、まだ私たちの国の軍隊は他国の人々を殺していません。まだまだ世界の中で私たちは非暴力的な存在として写っています。だから紛争解決の仲立ちができる。

今、与党の推薦人の憲法学者までもが、集団的自衛権を違憲と断じているのは、多くの人々が、アメリカの後をついていってはいけないことを自覚的にせよ無自覚にせよ気付きはじめているからだと僕は思います。
誰もアメリカの真似をしてそれで日本が幸せになるとは感じていない。だからこそ、僕は今ここで、「アメリカに巻き込まれる」という言い方を越えて、アメリカの若者をも戦争から解放しようと叫ぶことが大事だと思います。
その声は他ならぬ戦争で傷ついたアメリカの人々の心にこそ沁みこんでいくでしょう。その典型例が元海兵隊兵士アレン・ネルソンさんでしたが、同じような思いの苦しみの高まりの中でアメリカはかつてベトナムからも撤退したのでした。

繰り返します。アメリカはアフガンとイラクでの殺戮で疲弊しきっているのです。だからもう戦争は止めようという声を響かせるときです。響かせうるときです。
そのために、安倍政権の戦争への暴走に憂うあらゆる人と手をたずさえて歩みましょう。
戦争のない世界を求める世界の人々と一緒に歩みましょう。戦争に明け暮れた人類前史から「平和を愛する諸国民の公正と信義」に満ちた人類後史へ。今、私たちは人類史の壮大な転換点に立っています!

*****

参考人全員が新安保法制は「憲法違反」、衆院・審査会
2015年6月4日(木) 18時45分
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2509312.html

政府与党にとって想定外の反応でしょう。衆議院の憲法審査会に参考人として出席した憲法の専門家3人が、いずれも今の国会で審議中の新たな安全保障法制について「憲法違反」との考えを示しました。
衆議院の憲法審査会に出席した憲法の専門家3人。早稲田大学の長谷部教授は自民、公明など。同じく早稲田の笹田教授は維新。そして慶応大学の小林名誉教授は民主と、与野党それぞれの推薦で選ばれましたが、この質問には・・・

「今の(国会で審議中の)安保法制、憲法違反だと思われますか」(民主党 中川正春 衆院議員)
「集団的自衛権の行使が許されるという、その点については、私は憲法違反であると考えております」(長谷部恭男 早稲田大学・法学学術院教授)
「私も違憲と考えます。憲法9条に違反します」(小林 節 慶応義塾大学名誉教授・弁護士)
「定義では踏み越えてしまったということで、違憲の考えでたっていると思います」(笹田栄司 早稲田大学・政治経済学術院教授)

 自民党が推薦した参考人も含めて3人すべてが国会で審議中の新たな安保法制は「違憲」との考えを示したのです。
「ちょっと予想を超えたところがあったと思っている」(自民党 船田 元 憲法改正推進本部長)
想定外の反応に、自民党の船田憲法改正推進本部長は、佐藤国対委員長に事情を説明しましたが、佐藤氏からは「安保法制の審議に十分配慮を」と釘を刺される事態に。また、野党は・・・
「議事録を精査して、明日も我が党の議員が本日の憲法審査会での議論を踏まえた質疑をする予定にしている」(民主党 長妻 昭 代表代行)
政府与党内から法案審議への影響を懸念する声もあがる中、5日の特別委員会での議論が注目されます。(04日16:51)

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