明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(590)NONベクレル食堂のめざすもの(下)

2012年11月30日 08時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121130 08:00)

3回にわたるNONベクレル食堂オーナー、ロクローさんインタビューの最終回です。今回のサブタイトルは「危険なものを避けるだけではなく、いいものをしっかり食べることが大事!」と「NONベクレル食堂で、楽しい食事を!」です。
ぜひお読みになり、胸をワクワクさせて、ロクローさんたちの食堂においでください。遠方からの方、駐車場もしっかり完備されています。近くの名勝としては岩倉実相院などがあります。今は紅葉も見頃。京都見物と兼ねておいでください!
ちなみに、このインタビューの中でもロクローさんが話してくださった、安全に作られて、放射線も検知済みの食材の通販もついに開始されました!まずは「NONベクレル米」が売り出されています!!以下をクリックするとみれます!
http://non-bq-shokudou.com/?p=325

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NONベクレル食堂のめざすもの(下)

危険なものを避けるだけではなく、いいものをしっかり食べることが大事!

―話を聞いていて思うことなのですが、例えば僕が避難ママさんと話をしていて感じることの中に、「魚をもっと食べさせてあげたい」という思いがあります。日本の食事は魚が中心であって、欧米食に比べて身体にいいものになっている。その有利さを捨ててしまうことはとってももったいない。だからぜひ安全なことを確認した上で、魚をどんどん食べて欲しいと思うのです。

(ロ)そうですね。実はまだ店では魚を出せてないのです。安全だといわれているところのものを仕入れて、測って出すのは簡単なのですが、みんな、生魚(なまざかな)に飢えているから、刺身定食ぐらいしたいのですよ。それで舞鶴の漁師さんが獲ったものを直接得られないかという話をしています。
でも魚は難しいですね。今だったら僕は瀬戸内の魚や舞鶴あたりなら大丈夫だと思いますけれど、学者さんによっては数年で日本中の魚がすべてだめになるという人もいます。でもだからこそ今のうちに食べておかないととも思います。

―食べながら測り続けるというのが答えだと思いますね。日本はOECDの中でダントツに医療費が少ない国です。社会的配分が少ないという問題もあるけれども、なんといっても肥満が少なくて、生活習慣病の罹患率が低いことが要因です。OECD参加国の中でダントツに少ない。
肥満をあらわす体格指数というものがあります。体重を身長の二乗で割ったもので、30を超えると肥満と認識されるのですが、2004年から2005年のデータで、OECD平均が人口の14.6%であるのに対して、日本はトップに低い3%です。反対にワーストワンのアメリカは32.2%にもなっている。肥満人口が人口の三分の一もいるのです。
日本の状態がいいのは、一言で言って、魚をよく食べることや、野菜の多い和食の恩恵です。今の肉漬けの生活はそれ自身に太る要因がある。それよりは圧倒的にいいわけです。

もちろんその魚の中には、重金属がすでに入っている。瀬戸内の魚は、放射能は今は大丈夫だと僕も思うし、実際に検出を聞きませんけれども、実は工場からの汚染を考えると、あそこのものは食べないほうがいいという学者さんもいます。
でもそうはいっても、例えば心臓病の発生率をみると日本は圧倒的に少ないのです。先ほど述べたように、肥満人口が違うからですが、そもそもその太り方も違う。アメリカには一目で病的と分かるような太り方をしている人もたくさんいますが、あれは動物性脂肪が多すぎる食事のせいによるものが多いです。
当然にも病的な肥満は生活習慣病と直結している。こうしたことにもっと多くの人に着目して欲しいと思うのです。和食の有利さにはかなりのものがある。そういういい食事を知ってほしい。避難ママさんたちに栄養学を学んで欲しい。でも栄養学も放射線学と同じで主流的なものはだめです。そこに難しさがある。

(ロ)そうですね。ほうれん草に栄養素がこれだけといっても、今のほうれん草には実際にはそれだけの栄養が入っていないし、まあ栄養学には元からナンセンスといえば言えなくないところがある。これだけのものを食べさせないといけないという面がある。

―そうですね。もっと食べ物の作られ方を問題にしないといけない。あるいは有機と一言で言ってもいろいろあることをきちんと知ってもらわないといけない。そういえばロクローさんと一緒に訪ねた、仙台で「小さき花・市民の放射能測定室」を開設している「農民科学者」の石森さんに次のようなことを教わりました。
そもそも有機とは何なのかと言えば、「僕らが(はじめに有機農業を志した人たちが)有機とは何か、何が安全かを決めたんだ、後から国が基準を作ったんだ。同じように放射能がどれぐらい危ないのかも、僕ら、本当に安全でおいしいもの目指して、食べ物を作っているものが決めるんだ」というのです。
こうした人たちが、今の農業のあり方はおかしいといって安全なものを志して、「有機農業」を切り開いたのに、勝手に国が「基準」をつくり、しかもそれがブランド化されて、本来の安全から離れてしまっているわけですね。。
最初は農協などは、有機農業を目指す農家をいじめたのに、それが社会の中で認められたら今度はそれを商品化しだした。それで、もともと有機農業を志した人たちからすると、こんなの有機でもなんでもないというようなインチキ有機も登場してしまったわけです。

それらを踏まえて何を避けたらいいのかといえば、安全に作られていない食べ物や添加物のたくさん入ったものを避けるのがいいと思います。こういう「食品」を作ってきた人々は、放射能もきちんと避けてはくれない。
もちろん、安全なものを作ってきた人々が供給しているものの中にも、放射能が混入してる場合もあって、一概にそれらが安全とは言えないところに悩ましさがあるし、だから測定して安全を確認することの重要さがあるわけですが、しかしこれまでも安全でなかったものほど、より危険が増していることは間違いないと思います。

(ロ)そうですね。こうして店をやっていて感じるのですけれど、食材が高いのですよ。どうしても原価率が高くなる。それにしては値段をかなり安くしているつもりなのですけれど、一度、東京から避難してきた人に、放射能が入っていなければ、農薬が入っていてもいいですから、もっと安くしてくださいといわれたことがあります。びっくりしました。

―間違いですね。それは。それで思い出すのは、宮城県南部、角田市のピースファームにいったときのことです。このときに集まったたくさんの有機農、自然農の方たち、あるいは林業家や炭焼家などの集いから、「みんなの放射線測定室てとてと」と「小さき花・市民の放射能測定室」の二つが生まれていったのですが、そのとき、誰が言ったのか、「守田さん。放射能と抗生物質、どっちがやばいだべか」という質問が出ました。
僕はそのとき、暫く考え込んだけれども「うーん、濃度の問題でしょうね」と答えました。もちろんどっちもよくないわけですが、まったく農薬も化学肥料も使っていない数ベクレルのセシウムだけが入った野菜と、薬品付けの野菜を比べるならば、前者の方が安全なように僕には思えたりもするのです。

(ロ)そうですよね。放射能が100ベクレルのものを食べたらどうなるのか。1ベクレルのものを食べたらどうなるのか。わかりませんやん、僕ら。同じように農薬がどれぐらい使われていたらどうかということも僕らには良く分からない。でも明らかに、農家の方がマスクをして、防備をして撒いているものを、僕らに直接噴霧されたら、病院に運ばれるぐらいのことはあるわけでしょう。

―農薬の歴史を見ると、撒いている人がバタバタ死んだこともありますしね。だって生物を殺すものを撒いているわけだから。

(ロ)そうですよね。除草剤と殺虫剤でもまったく違うし。除草剤には恐ろしいものがあって、隣の農家が除草剤を使うときに、液をタンクに入れようとしてこぼれて、僕の庭の側に飛んできたのです。それを見ていたのですけれども、そこだけ、液が飛んだところだけ、ずっと草が生えないわけです。そんなものを撒いたところで農産物を採っているやし、大分、へんな話ですよね。

―除草剤の中にはダイオキシンが入っているものがあります。三里塚(成田)空港反対運動の中で、農民たちが土地を守って頑張り続けたのだけれど、力尽きて、土地を売って出て行ってしまう人もいました。そうすると公団の管理地になるのだけれど、耕作をしないので荒れていく。それが自分の畑の周りにあると、雑草がたくさん生えて種が飛んでくるし、野生動物なども発生して、畑の管理が難しくなります。それで農民たちがやむを得ず、公団の土地になったところも耕したのです。
それに対して空港公団が除草剤を撒いたのですが、それがボルシル4といって、アメリカ軍がベトナム戦争でゲリラをやっつけるためだとしてジャングルに撒いた「枯葉剤」と同じだったそうです。ダイオキシンが含まれている猛毒のものです。ベトちゃん、ドクちゃんが生まれたりもしました。そういうものが除草剤の中にはあるわけですね。
あと言われているのは複合汚染が怖いということです。物質が相乗効果で作用してくる。そのからもいろいろなものが入っているものは避けたほうがいい。結局それでいいものを売る場が必要だということにいきつく。「これが食べれるよ」という場として確立していく。

 

NONベクレル食堂で、楽しい食事を!

(ロ)そうですね。結局、お米に関しては、今使っているお米を作っている農家さんは、たくさん作付けしているので、しばらくは安定的に供給できると思うのですけれども、大根とかそういうものって、小農家さんの数がまだ少ないので、うまいこと切り替えていかないと、なかなか販売を続けるのは難しいです。
だけれど、例えば、僕が親しくしているフライングダッチマンのベースのキムも、それこそ有機でやっている小農家なのですが、つねに「売れ先ないっすよ」と言っています。JAは最後に持っていく場で、そこではただ同然で買い叩かれる。本当においしいんですけどね。
だからぜひいいものを作っている農家さんと輪を広げたいと思っているのですけれども、伊賀の有機農業組合の人と知り合いになったので、良ければNONベクレル食堂への供給を考えてくれるといっています。

そういえば伊賀のヤマギシに行ったときに、豚肉を供給してくれている友達が、豚の飼料をトラックで2トンほど混ぜていたのです。覗き込んだら凄くいい匂いがするんですよ。「おお、おまえ、むっちゃうまそうな匂いしているやん」と言ったら「そりゃ人間だって普通に食えるもん」というから、僕も食べてみたら、本当においしんですよ。「ああ、こんなもん食ってんのか」と思いました。
僕も京都で幾つか養豚場を見ていて、養豚場って臭いじゃないですか。それで「養豚場を見せてよ」といって、案内されて入っていったら、まったく匂いがしなかったので「あれ、ここは使ってへんの」と思いました。豚が見えなかったので「豚はどこにいるの」と聞いたら、「寝てるやん」というので、下を見たら、豚がお昼を食べて目の前で寝ているのです。
「あれ、豚がいるのになんで臭くないの」と言ったら「えっ、普通やろ。牛よりは臭いで」と言うのです。僕にしたらぜんぜん臭わない。子豚なんか抱きしめてやりたいぐらいなんです。

それであとでネットで調べてみたら、ほとんどの豚は合成飼料で、抗生物質を食べさせているわけです。だから、もともと畜産している人がきれいにしないらしいのです。抗生物質を与えているからいいということで。「ああ、豚って臭わへんのや」と意識が変わりました。あそこの豚や鳥、牛を見てきて、今まで僕が知っていた養豚場とか牛舎とか、そういうものとは全然違うなと思いました。なのでここのものは本当に安心できますね。
この友人はヤマギシに入って20数年経ちますが、その間に自分のいる農場もそれ以外の農場でもガンで死んだ人は聞いた事が無いそうです。それくらい食べ物は重要ってことですよね。

お店では東日本大震災以降、肉を食べられなかった人に、安心してがっつり肉を食べてもらいたいという思いがありますが、それだけではなくて、ベジメニューも取り組んでいます。ベジタリアンの人ってどういうものを食べてるんやろうという興味から、このメニューを頼む人も多いようですね。

―そうすると豚肉が一番のお勧めですか。

(ロ)それはもうこの豚はほんまにおいしいですよ。トンカツと生姜焼きを出していますが、肉汁を味わえるトンカツがまずはお勧めですね。ときどき、この豚だけで作ったミンチカツも出すのですが、それも絶品です。
でも豚も美味しいんですが、とにかくなんでも本当に安心して、おいしいなあと、それだけ思って食べにきていただきたいなというのが一番の思いです。とくに放射能が心配で、食事のたびに、もやもやした悲しい思いをしてきた人に、ここで心から食べることの楽しさを味わって欲しいですね。

―本当にそうですね。そういう場を作ってくれて本当にありがたいです。僕もぜひこれからもNONベクレル食堂の発展のためにお手伝いをさせてください。今日はどうもありがとうございました!(20121110 NONベクレル食堂にて)

終わり

 


 

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明日に向けて(589)NONベクレル食堂のめざすもの(中)

2012年11月29日 10時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121129 10:00)

ロクローさんのインタビューの(中)をお送りします。「なぜ食堂をやろうと思ったのか」「放射線を測って、安全を確認して、みんなで食べたら泣けた・・・」の二つです。

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NONベクレル食堂のめざすもの(中)

なぜ食堂をやろうと思ったのか

―ところでロクローさんは最初は放射線測定室をと考えていたのに、食堂に転換したのはなぜだったのですか。

(ロ)元から食堂をやりたいとは思っていたけれど、現実的ではないなと思っていました。測定器があれば、食べ物は測れるわけだし、それでとりあえず測定所をと思いました。安全なものを見つけて、食べられることを知らせたいと思ったのです。
食堂をやると言い出したのは4月か5月のころです。守田さんや矢ヶ崎さんと一緒に測定所廻りをした少し前です。(注 ともに宮城県南部にある「みんなの放射線測定室・てとてと」と「小さき花・市民の放射能測定室」を訪問)根拠は「食材は集められるなあ」という思いがしてきたことです。たくさんの農家さんを知っているので。今、知っている範囲でもやれば十分、集められると思いました。

オープン当初はヤマギシ会の知人からの調達がメインでした。僕の中学の同級生がいて、精力的に農作物を作っているのです。他にも農家さんがたくさん身の回りにいる。有機や自然農法をやっている農家さんで、それをつないでくれる業者の方もいます。「フランク菜っ葉」さんがその一つです。京大の西部講堂の裏側の鞠小路(まりこうじ)に出ている小さいお店です。小農家さんの野菜をおいています。東一条の信号より少し上(かみ)です。
福井、滋賀の小農家さんを知っていて、ものすごく小回りがきく。この人が「全面的に協力するよ」と言ってくれたことが凄く大きかったですね。小農家さんは、キャベツでも何トンとかない。たまねぎは、ここは50キロで終わりやとか、次はこれ100キロやとか、そういうレベルなんですが、先に何がどれぐらいあるかを言ってくれるので、先に1キロもらって、測定して、安全を確認して使用を考えるということが、うまくいとまわしていける。仕入れに関してはこれが現実的なところです。

そのほかに、福島や東京やいろいろなところから避難してきている人と、かなり知り合ったことも大きかったですね。僕も原発事故以来、子どもの給食のこととか、いろいろなことをやってきたつもりです。でもやはりあの人たちとは危機感が違う。僕もネットでどこでどれぐらいの土壌のデータが出ているかを調べて、三重県は大丈夫、それで三重県ならヤマギシ会のところにいって、土壌がどうなっているか、食肉やったら、飼料がどうなっているか、全部見て、安全を確認してきました。それで取り寄せてきた。

反対に、この京都の近辺で有機農業をやっていても、堆肥は全部東北から持ってきているという人もいるのです。それを知らずに食べてしまうことが怖かったので、京都で自分で堆肥を作っているかどうかとか、食肉の飼料に抗生物質が入っているかどうかとか、そういうことを調べました。それで土壌が大丈夫だったら、そこで作られたものは大丈夫でしょうということで、そういう調査をしながら選んだものを子どもに食べさせていました。
けれども、それでも安全だというのはまだまだ僕の推論で、確実とは言えないわけです。牛乳も僕はヤマギシのものは安全だと思って飲ませてきたのですけれども、たまに夜ふと考えて、何かの間違えで子どもが毎日、数ベクレルとってしまっていたらどうなんやろうと考えるとゾッとしました。

でもそうやって毎日、自分の家で食べるのは難しくて、たまに外食することもあるわけですけれども、そんなときは左京区の「キッチンハリーナ」さんなど、食材を選んで、安全な料理を出すことを心がけてくださっているところがそこそこあるので、そういうところに行ってました。
そうしたらたくさん知り合った避難者の方と、そういうお店でよう会うんですよ。そのときみんな、ことこどく、子どもさんに魚を残させている。中には肉を残させている人もいる。わざわざこういうお店に食べにきているのに、これを残すのかとショックを受けました。それがもう凄くたまらない気持ちになりました。この人たちが魚や肉を安心して食べられないことがとても悲しかった。
僕も東日本大震災以降、スーパーで買い物をしなくなったのですが、そうすると生活がむちゃくちゃ厳しいんですよ。宅配でとったりするのですけれど、それができなかったらみなさん、スーパーで産地をみて買うしかない。でもそれにはすごい不安があるでしょう。

―産地はたびたび偽装されてますしね。よくわかる。最近も、神戸のJAが、岩手のお米を神戸米と偽って売っていたことが報道されました。

(ロ)聞いたところによると、福島の中央市場のものが、完全に、100%売り切れるらしいのですよね。ようは最後の最後には、卸売りの仲買人がきて、全部安く買い叩いていくわけですよ。でもそれらはスーパーではほとんど見ないから、結局、加工業や外食産業にまわっていると思うのですね。
だから何かやり方を変えていかないと、いつまでも不安を抱えながら、「大丈夫だろう」というところで生きていかなくてはならない。それで放射能を測った食材による食堂をやることで、「これは大丈夫ですよ」とみんなに紹介しようと思ったわけです。

今、ネットで販売されている食材を見ると、こういう苦しい気持ちの人たちの足元を見て、凄い値段をつけているなという気がするのですよね。お米などでも、正直言って、測定結果をつけて「酷いなあ。この値段で売るのか」と感じることが多々あります。ほんまにすごく高い。
また減農薬と言うても、いろいろあります。無農薬でも化学肥料を使っている人もいます。省農薬といって売っても、その内容まで言っている人はなかなかおらへんのですよ。だから美山町とか京北町(注:京都府の農村地帯)にいって、農家さんが自分のところの米を食べるつもりで最初に農薬を撒いて、間に2回ぐらい殺虫剤を撒いて、そんな感じで収穫していますが、あれでも減農薬なんですよね。

結局、減農薬、省農薬といってもいろいろあって、ちゃんと認定をとっていてもかなり幅があって、実態はあいまいだと思うのです。例えば、間に使う殺虫剤は、カメムシよけだったりするわけですよ。それより、大地から植物が吸ってしまう農薬や化学肥料の方がよっぽど危ない。そうしたコメ作りの仕組みを買う側が分かってないので、省農薬というとすごく聞こえが良くなってしまう。でも実際にはやり方に、つまり安全性に天と地ほどの差があります。にもかかわらず、それをきちんと説明してやっているところは少ない。
正直なお米農家さんやったら、5つぐらい品種があって、一番安いのは、「これ化学肥料を使ってまんねん」と正直に言っていて、2番目から化学肥料が無くなっていって、最終的にはオーガニックで作っていると、そういうところももちろんちゃんとあるのですけれども、結局、日本って、どこをとっても金太郎アメやという気がして、商売だけでみたら、みんな、けっこうあくどいんですわ。非常に残念です。

また給食の安全性を守ろうということで、京都市教育委員会、京都市、市会議員、府会議員に、たくさんのFAXを送りましたけれども、ちゃんと回答があったところ、人はほとんどいませんでした。とくに教育委員会や市は、「国の基準に従います」というワンパターンな声しか返してこない。
その中でPTAの会長と話してみても、子どもの心配ではなくて、「ヒロミさん、お宅、何の団体に入っているんですか」とそんなことばっかり聞いてくるし。それでよく聞いてみると、市会議員に出るにはまずPTA会長をやってとかいうことでなっていたりするそうなのです。ほんまにしょうもない世の中やなという感じがしてしまいました。

そんなときに、福島から避難してきたお母さんに、「私たちは被曝をしてしまったから、もうこれ以上、子どもにセシウムをとらせたくないけれども、でもその最初のときの被曝をなしにして考えたら、西日本の人も食べるものを考えなかったら、内部被曝としては私たちと一緒じゃないですか」と、凄く悲痛な感じで言われて、それはそうだなと思ったのですね。
京都の中央市場にいったら、思い切り、被災地のものを見ますしね。あれがどうしてスーパーに並んでないのか。どこかにまわって、私たちの口元まできているというのが実際やと思うし。


放射線を測って、安全を確認して、みんなで食べたら泣けた・・・

(ロ)それでお店を開くことにしたわけですけれど、僕は最初は土壌を測ればそれで食材の安全を確保できると思ったわけですけれども、それがだめになったから、3週間ぐらいかけて食材を全部測ることにしました。でも凄く大変で、ちょっと地獄のようでした。これだと店を開けるまでにお金がなくて破綻してしまうのではというような感じもありました。測るための時間もかかれば、それ用の食材のお金もかかる。
すでにメニューに使っているものだけで100種類以上、全体では140種類ぐらい測りましたが、その一つ一つが1リットル、あるいは1キロぐらい必要になります。もちろん重量の軽いものもあって、ローリエなんかはなんぼつめても100グラムにしかならないのですが、そういうものは2日間ぐらい測らないとだめなんですよ。それで時間が取られてしまい、先に進まないからイライラする。

でも立ち上げを前にして、70品目ぐらい測ったときに、「これで一応、思っているメニューはできるよね」となりました。それで最初のメニューを全部作って、みんなで試食会をしたのです。そうしたら、ほんまにもう、めちゃくちゃにうまくて。
食べているときに、「あれ、なんか違うなあ」と思いました。「何が違うんやろう。この食材はもともと食べていたし、子どもにも食べさせてきた。あ、そうか測っているからや」と思いました。子どもにも、「これも食べろよ、これも食べろよ」と言える。そこに不安感がないのです。そうなってくると、「そうや、そうや、食事って、もともとこんなに楽しいもんやったよね」と思えて、その時にすごく泣けてきました。感動というよりは、腹立ちでもありました。

―よく分かります。当たり前の幸せを奪われてきたということですよね。

(ロ)東日本大震災でこんなことになってしまって、取り返しはつかへんし、大震災が起こったときに、自分の子どもも含めて、次の世代に本当に申し訳ないなと思いました。僕らがええ加減なことをしてきたから、結局、彼らにこれを引き継がせるわけでしょう。
僕らの若いころは、親の世代が本当にムチャクチャしてきたから、「あんたら本当に無責任やわ」と言ったこともあったけれども、だけど、結局自分も同じことを子どもたちに引き継がせていくわけで、やはり生き方を変えないといけないなと思ったのですね。中古車屋をやって生計をたててきたけれども、もうちょっと直接的なことをしないといけないと思ったのです。

がれきのことで行政交渉のために京都市にいったときも、僕は住所と名前を明かしてきました。あえて名前を出さない人もいましたが、自分は名前をはっきりだして、この食堂の名前も出して、こういう姿勢で生きるとはっきりさせないとダメだなと思ったのです。少なくとも僕の家族は今、大震災前の感じで、安心して食べることができているから、そのように、努力しだいでは取り戻せるものはあるし、こうしたことが、みんなの中で当たり前のものになればと思います。
大変な汚染をされたけれども、その中で僕らは生きていかなければならないわけです。だからまだまだ不安なことはたくさんあるのだけれど、頑張ってやっていくしかないかなと思っています。

続く

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明日に向けて(588)NONベクレル食堂のめざすもの(上)

2012年11月28日 10時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121128 10:00)

この10月、京都市岩倉に、放射線を測って安全を確認した食材で料理を出す「NONベクレル食堂」が立ち上がりました。オーナーは廣海緑朗(ヒロミロクロー)さん。東日本大震災以降、ともに放射線防護を考え、実践してきた友人です。
同店のHPを紹介しておきます。http://non-bq-shokudou.com/

さっそくお店にうかがい、ロクローさんに思いを聞いてきましたので、みなさんに紹介したいと思います。僕の意見もかなり書き込んでいますので、インタビューというより対談に近いかもしれませんが、ぜひロクローさんの思いに耳を傾けて欲しいです。
なおここでは触れませんでしたが、ロクローさんは、アメリカインディアンのホピ族と交流したり、山水人の運営に関わったり、あるいはロックバンドのフライングダッチマンのマネージャー役をこなしたりと、非常に幅広い活動をされてきている方でもあります。
そのどの経験も、かなり面白いのですが、今回は敢えて、「NONベクレル食堂のめざすもの」だけに話を絞り込みました。それでも長くなりましたので、3回に分けます。ぜひこの文章を読んで、食堂においでください。安心な上に絶妙な味の定食があなたをお待ちしています!

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NONベクレル食堂のめざすもの

―今日はこの10月にNONベクレル食堂を立ち上げたロクローさんに話をうかがいます。ロクローさんよろしくお願いします。さっそくですが、お店を立ち上げて暫くたって感じていること、考えていることなどから話を聞かせてください。(なおロクローさんのお話には(ロ)マークをつけてあります)


安全な食べ物を多くの人が探している

(ロ)オープンするまでにたくさんの避難者の方が来てくれました。東京からこられた方が10人は来てくれた。

―その人たちはなぜ岩倉に住んでいるのですか?

(ロ)最初に岩倉に来た方が情報を流したりするのではないですかねえ。僕が受ける印象では、岩倉には東京から来ている方が多くて、一乗寺には福島からの方が多いように感じます。とにかく、ほんまに避難者の人が多いなあ。
お店には、大阪や神戸からも、普通に来てくれます。話題が先行しているのですかね。
例えばフェイスブックに朝方に情報を載せると、昼までに2000人ぐらいの人が見ています。多いのは東日本の人ですね。そしてそこから問い合わせがくる。「そこで使っている食材を紹介してください。そこまではいけないのだけれど、その食材を買いたい」と言うのです。

―そういう反応をどう思いますか。

(ロ)食堂をやろうと決めたときに、僕の中にもここで使っているものをネットで紹介して、みんなが買いやすいようにしたいという気持ちがありました。知っている小農家さんがたくさんいるのですが、凄く手間をかけていいものを作っているのに、販路がないのです。農協に出したら買い叩かれる。農薬や化学肥料を使っているものは、大きさが揃っていて、高く売れるのですよ。おかしいでしょう?それ自体が。

せっかくいいものを、安心なものを作っても販路がなくて、農協に出しても二束三文やし、なんとか直売所で売ったり、京都の有機野菜を扱っている八百屋さんに卸すのですけれども、それでも農協より少し高いぐらいの値しかつかない。なんだかひどい世界やなあと思ってました。

その反面、安全な野菜はないかと必死で探し回っている人もいるのです。それやったらここで食材としてそれらを使って、放射線の測定もして、さらに農家さんの紹介も行って売っていきたいなということを、初めから思っていたのです。まだ忙しくてバタバタしていて、そのためのホームページも作れていないのですが、近日中に始めたいと思っています。とりあえずお米から始めようかなと。お米の問い合わせが凄く多いのです。

―お米は毎日食べるから、汚染されていると、身体への打撃が大きいですからね。例えばシイタケの中に汚染されているものが良く見つかるけれども、シイタケは毎日食べるわけではない。かりに少し食べてしまったとしても、毎日食べるお米とはずいぶん意味が違ってきます。何よりも水とお米の安全性が大事ですよね。
だけれども、安全で良い食材を紹介するという場合、お金がロクローさんにももたらされるシステムはできるのですか?

(ロ)たぶん出来ると思います。このまま食堂をやっているだけだと潰れてしまうだろうし(笑)。生産者の人と提携してその道を考えようと思います。

―僕も講演で、自分たちを守るためには、安全なものを作ってくれる生産者を守らなければならないと繰り返し言っています。でも僕の場合は言っているだけなんですね。だからロクローさんの試みは凄くいいし、ありがたいなと思うのです。それだけに、持続可能なシステムとして成り立てて、安定的に運営できる道を見つけて欲しいですね。
みなさん、のどから手がでる情報なのだから、喜んでペイをしてくれると思いますよ。生産者にとっても十分利益が出て、なおかつ情報量を捻出することはできるのではないでしょうか。

(ロ)幾つか話をさせてもらっている農家さんは、本当に、かなり叩かれた値段で作物を売っています。それに対してこれぐらいで売れて欲しいという額があるけれども、同じような商品を買っている消費者の人の値段に対する意識もある。そこにけっこう大きな開きがあります。
それで僕としては、少し僕にもマージンをのせる形でも農家さんにも買い手の方にも喜んでもらえる値段を設定できると思っているのです。それを農家さんに示して、これで売っていいですかと了解を得て、それで販売していけばいいかなと思っています。その場合、測定をきちんと行うことは前提ですね。
有機野菜を扱っているいろいろな人に聞いてみたら、「そんな値段だったら商売にならんで」と言われるような値段なので、まあ、文句は言われへんかなと。

―そうですか。うーん。そういう方が、「商売にはなるけど、安いなあ」とか言うぐらいにはして欲しい気がしますが。ともかく経営が成り立つようにうまくやって欲しいです。

(ロ)ネットで売るシステムを作るのにお金がかかるのですが、うまくできればまわしていけるのではないかと思っています。
よく農家さんがここに勝手に野菜を送ってくるのです。ここで使って欲しいし、ここでネット販売して欲しいというのです。みなさん、本当に販路に困っているのですね。それを受け入れることができたら、来年は作付けを増やせますよね。そうやってどんどん広げていくのは悪いことではないと思うのです。

―とてもいいことですよ!

(ロ)ちゃんとした生き方を考えて農業を始める人が増えていると思うのですけれども、とりあえず農業を始めてから売り先を考える人が圧倒的に多いのです。だからそういう人のサポートもしたい。本当に東日本は安全な食べ物に飢えてますから、そこに本当にいいものを作ってくれている人をつなげられたらと思います。

―僕は最近、縁があって兵庫県の篠山市に通っているのですけれども、篠山市は「農都」としての発展を掲げています。実際に篠山には近年、新しく営農を始めて、有機野菜を作って頑張っている人たちが増えている。そういう人たちと結びついてくれるといいなと思うし、そこで販路が拡大する中で、東北や関東で、汚染によって営農を断念せざるを得ない人に、ここに来て営農をしないかという呼びかけができたらいいなとも思うのです。
実際に篠山市の農家さんにそういう話をしたら、すぐにも準備をしてくれて、販路も補償できるので来ないかという話が出てきました。それを東北の知り合いの農家さんに投げてみましたが、そのときはその方がまだ東北を離れる気持ちにはなれなかった。その気持ちはとてもよく分かる。でも先を見据えてこういう可能性を広げていくことはとても大事だと思うのです。

やはり汚染があるところで営農を続けるのは苦しい。汚染された土壌から、作物にそれほど放射能が移行しなかったとしても、明確に汚染があるところで作り続けていくのはやはりとても苦しいものがあると思うのです。実際に僕の知っている東北の方は、野菜に移行していなくても、汚染された土壌で作り続けていて本当に安全なのだろうかという根本的な疑問が沸いてくると話していました。

それに比べたら西日本はわずかな汚染はあるけれども、まだまだきれいだし、使える遊休地がたくさんある。それを活用すれば日本全体を食べさせることが可能だと、友人の「食べ物」の研究者が断言していました。僕もそうなのだと思うのです。東北の方がすべて移ってくるわけにはいかないでしょうが、少なくとも移れる可能性をどんどん広げていきたい。何せ、福島原発からは今も放射能が出続けているのですから。
そのためには西日本の行政にも動いてもらう必要があるのですが、そういうことにノンベクレル食堂の動きがつらなっていくといいですね。

(ロ)僕もやる前には、土壌を測れば作物一つ一つを測らなくてもいいのではと考えたことがあります。土壌が安全なら、作物も安全なはずだからです。でもずいぶん、甘い考えだということが分かりました。ある程度、正確に測ると、京都府や三重県、滋賀県でも0~3ベクレルぐらいは汚染が出てくるようなのです。野菜への移行計数を考えればほとんど問題がない数値だと言っていいと思うのですが、それを表示した場合、かえって農家さんのイメージを崩すことにしかならない。
ただし市場を見ていると実際に土壌を測って作物を売っている場合もけっこうあります。それを見てみると土壌の量がわずか200グラムぐらいで、測定も30分ぐらいでしかない。

―ひどいな。インチキですね。

(ロ)そうなんです。はなから「そんなん、出るはずないやん」という測り方をして、不検出という紙をつけて、野菜を売っている人らがいます。僕らのように少し測定のことを知っているもんなら「ウソや」とすぐに分かるレベルの話です。そういうものもあるので、土壌を測ってどうのというのはうまい方法ではない。
そもそも昨年の3月111日以前でも、土壌をきちんと計ったら5ベクレルぐらいまでは出るところがあったそうなのです。専門の計測者に聞いた情報です。核実験やチェルノブイリ事故の影響がこれまでもあったと思うのですね。

―あとは稼動している原発からの放射能漏れでしょうね。最近、各地の原発の周辺の人から話を聞く機会が増えているのですけれども、例えばある原発では、建屋のシャッターを開けるときに、周辺のモニターのスイッチを切ってからにするとかいう裏マニュアルがあるのだそうです。それでないとすぐにモニターが反応してしまうからです。原発の周辺にいる人たちはそういうことを知っている。健康被害がすでにこれまでもあったという話しも耳にします。

続く

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明日に向けて(587)ベジフェス、宮津市、伊根町でお話しました。次は大飯町でお話します!(12月1日)

2012年11月27日 23時00分00秒 | 詩作

守田です。(20121127 23:00)

日曜日に3つの企画でお話させていただきました。

朝10時から京都駅そばの梅小路講演で、ベジタリアンフェスティバルに参加。30分ほど話をしました。その様子をIWJが中継してくださいました。以下にURLを貼り付けておきます。
この間、食べ物に関する発言内容を深めているのですが、今回は「過食と肉食の関係性」について少しだけ触れました。この辺のことをこの場でも今後もっと丁寧に展開しておきたいと思っています。
今回はアウトラインだけになりますが、興味のある方はぜひご覧ください。なお僕の発言に続いて、インド舞踊も見ることができます。これも必見です!!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/41941#
 
この発言を終えた後、京都駅に急いで、11時25分発の特急きのさき3号に乗車、2時間かけて宮津市に向いました。
駅で車でのお迎えをうけて、宮津市城東会館に。そこで原発災害避難と、内部被曝について話をしました。
 
宮津市は高浜原発から30キロちょっとの地点です。その先に丹後半島があるのですが、実はこの丹後半島で1902年に大きな地震が起こっていて3000人近い方が亡くなっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%9C%B0%E9%9C%87

そのことを報じたNHKの番組を先に放映してからの講演となりました。主催はこの地域の自治会の方たちです。
僕は番組の途中からの参加になり、番組を全部は見れなかったのですが、若狭の原発群の直近とも言えるこの地域で、こんな大きな地震がつい100年前に起こっているのは驚きでした。
主催者の方のお母さんの家が、活断層から田圃一枚隔てたところにありながら、奇跡的に倒壊を免れたということで、強い当事者性を感じました。

巨大地震のリアルな可能性と、原発災害への危機感の中で、原発災害に対してどのような心づもりで向かうことが必要なのかをお話しました。内容はこの間、「原発災害についての心得」などで紹介してるものですが、地域の方々と一緒に話を深めることができて感慨深かったです。
また質疑応答では、この若狭湾を取り巻く地域と、原発の癒着の構造に詳しい方からの話などもあり、参加者みんなで聞き入りました。地域の方たちとじっくり考察を深めることのできたなかなか素敵な企画でした。
 
その後、車で丹後半島の先の伊根町に移動。ここは「船宿」で有名な町です。家がそのまま海につながっていて、船がつけられるようになっているのです。若狭湾の奥まったところにあり、奇跡的なほどに波の影響が少ないので、こうしたことが可能になっています。
丹後半島では農の営みも盛んですが、企画には若い子育て世代の方たちと、古くからこの地域で農の営みを続けている方たちの双方が集まってくださいました。全体として生産者の方たちの多い集いでした。

まずみなさんが作ってきてくださった、玄米と味噌汁を中心としたシンプルだけれどもとてもおいしいご飯を出していただいて、みんなで食べながら、ピアノの演奏と歌を聞きました。
続いて、東北を訪問された生産者の方から、福島など、現地の生産者の方たちの様子が報告されました。なんとも言えない現地の苦悩が報告されました。それをいかに受け止めたらいいのか、報告者の方もとまどいながらの説明でした。

僕は放射能と食べ物の話、農の営みの話をしました。とくに要請をうけて僕が繰り返し訪れてきた宮城県南部の農村の方たちのお話をしました。角田市で、平飼いで健康的な鳥を育ててきたピースファームのしょんつぁんとひめちゃん、あるいは仙台の太白区の山を単身開墾した「石森少年」こと石森秀彦さんのそれぞれの農場の写真をおみせしました。
どちらも素晴らしい営農を実現していたのに、そこに放射能が降ってしまった。その中で営農の可能性を探り、それぞれに放射性測定室を立ち上げたけれど、しょんつぁんとひめちゃんは、汚染の激しさを前に営農を断念しました。
二つの農家に共通していることは、政府が決めた基準よりもずっと汚染が低かったけれども、早い時期から作物の出荷をストップしたことです。安全なものを作ってくれる生産者の方たちは、危険になったらリスクをかぶってくれる方たちなのだと僕に教えてくれた方たちですが、そういう人たちの営農が難しくなってしまったのです。

ただ、放射能の汚染はどれぐらいでどれぐらいの害が出てくるのかはっきりしていません。講演のときもお話したのですが、このピースファームでお話したときに、僕が忘れられないのは「守田さん。放射能と抗生物質とどっちがやばいだべか」という問いが投げかけられたことです。
こうした農家さんたちが作っているものは、抗生物質だとか、化学物質がほとんど入っていません。その代わりというか、天然の栄養素やミネラルがたくさん入っている。そこにわずかながら放射能がついたものと、薬品漬けのものとどっちが安全なのだろう。
「ウーン、濃度でしょうね」とお答えしたのですが、僕にはこれらの農家さんたちのものの方が、まだまだ安全なのではとも思えました。しかしそれはデータの裏付けのない推論でしかありません。それになんというか、あの丁寧に作られた食べものたちを見ていると、安全だと思いたくなるのが人情でもあります。
どう考えたらいいかを悩みながら、双方ともに出荷をやめました。石森くんの場合は即断でした。でもこの地域には反対にまだしもこの野菜の方が安全なはずと考えて、出荷された有機農家さんや自然農家さんもいたとも聞いています。そうした迷い、苦悩そのものがなんとも胸が痛くなることです。

少なくともはっきりしているのは、出荷を止めることでのリスクをこうした方たちに負わせ続けるのはあまりに理不尽だということです。生活の糧が奪われてしまうのです。政府は非常に甘い基準を設けて「生産者のため」とうそぶいていますが、それもまた大きな嘘です。
生産者は甘い基準を作られると、それ以下で出荷を止めると、何の補償も受けられなくなってしまうからです。甘い基準は生産者のためなどではまったくない。賠償責任のなる東京電力と政府のためなのです。そのために生産者も消費者も犠牲にされている。この構造こそが覆されなくてはいけない。
企画に参加された伊根町の方たちは、その痛みを体中で聞いてくださったように思いました。その中で、生産者の方を前に、釈迦に説法だなあと思いつつですが、食べ物のお話もさせてもらいました。

質疑応答ではみなさんから活発な発言が続きました。養鶏家の方がおられて、僕がよく理解してなかった点を詳しく教えていただけました。その内容を今後反映させていただきたいと思いますが、流石にプロの方のお話は味わい深かったです。
それやこれや、放射能と食べ物の話を中心に意見交換が続き、会場を出たのは午後10時過ぎでした。

こうして今回の3つの企画を終えて、昨日、京都市に戻ってきましたが、今回の訪問でもいろいろと教えられることが本当にたくさんありました。
都会での集会とは違って、地域に密着した方たちの集まりで、とくに生産者の方たちと一緒になって、原発のこと、放射能のことを語り合うのは、なんというか、とてもしんみりしていていい場です。深刻な話なのですが、温かさんがある。大地とのつながりを感じれるからでしょうか。

僕は昨年の3月11日以降、何度も朝10時からの講演に子育て世代の女性たちに呼んでいただき、赤ちゃんや小さいお子さんがたくさんいる場で話をさせていただきながら、こうした、最も政治の場に出にくかった女性たちの立ち上がりが、日本を変えつつあるのではと感じてきました。
同じように、こうした地域での企画に参加していると、日本が、ゆっくりと、その最深部から変わりつつあるという感じを強く受けます。それはまだ、明確な受け皿がないためか、選挙に反映してないモメントであるように思えますが、少なくとも僕は私たちの国が着実に変わりつつあることを断言できます!

もちろん、その前に福島原発がもたなくなってしまい、最悪の事態が訪れてしまう可能性が厳然としてあり、私たちはその可能性をけして忘れることなく、腹をくくり続けていくしかない。再稼働している大飯原発にも最悪の事故の可能性があります。
それと向き合いつつではあるけれども、しかし新たな動きを始めた多くの方たちと一緒になって、「明日に向けた」何かを紡ぎ出していきたいとそう思います。
 
今週末の土曜日は、宮津、伊根町に続いて、今度は原発立地の町、大飯町でお話させていただくことになりました。僕にとってこの町に呼んでいただけるのはとても光栄です。さまざまな矛盾がこうした立地の町に押し付けられてきたのであり、そのことに踏まえて、放射能の危険性について、地域の方たちと話合うことに深い意義を感じるからです。
どの講演会でもそうしてはいますが、精一杯心を込めてお話してこようと思います。
主催者の「サステナわかさ」の方たちが作ってくださった素敵なチラシを、僕のFACEBOOKのページで紹介しましたので、URLを貼り付けておきます。大飯町の方、お近くの方、ぜひお越しください。また大飯町や隣の高浜町などに知り合いのおられる方はぜひ企画内容をお伝えください。
 http://www.facebook.com/toshiya.morita.90#!/photo.php?fbid=4442412136750&set=a.3300903639751.2140616.1182740570&type=1&theater

 

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明日に向けて(586)木々を、イノチたちを、被曝から守りたい!

2012年11月24日 08時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20111124 0830)

すでにお知らせしましたが、11月3日に、僕は「イノチコア」さんのパレードに参加し、一緒に大阪の街を歩いてから、30分ほど内部被曝についてお話させていただきました。
このパレードは、すべてのイノチのことを強く考えたもので、歩いている間のコールにもその思いがにじみ出ていました。僕も一緒に声をあげたり、手渡された太鼓を叩きながら思いを一つにして歩きました。
この様子が以下から見れますのでぜひご覧ください。アクションの報告とともに、パレードの写真がたくさんアップされています。(僕も写っています)

11・3イノチアクション 反原発・反放射能デモパレードin大阪
http://inochicore.web.fc2.com/20121103_repo.html

僕の発言は、パレードのあとに公園に戻ってから行わせていただきましたが、歩きながらずっとイノチたちのことを考え続けたのでまずはそれから話させていただくことにしました。とくに僕が話したかったのは、山のこと、木々のことでした。
というのは僕は福島原発事故が起こる前までは、森林の保護に力を入れていました。とくに僕が携わってきたのは、カシノナガキクイムシの北上に伴って、ナラ類(ミズナラ、コナラなど)が集団で枯れていくナラ枯れ現象を食い止めることでした。
そのために京都の大文字山を中心に、多くの友人・知人にも協力してもらって、京都東山の中を駆け巡ってきました。同時に山のこと、ムシのこと、野生生物のこと、そして山里の人々の暮らしのことなどを学び続けてきました。

ところが福島原発事故で、活動内容が一変してしまい、ほとんど山にも森にも関われなくなってしまいました。それが心の中の大きな負担としてあります。山々のナラ枯れは相変わらずものすごいスピードで進んでいます。あちこちで枯れたナラ類の木々が目に映る。
しかも東北・関東を中心に、木々たちがものすごい量の放射能を浴びてしまいました。しかし僕も含めてほとんど誰も木々の放射能被曝を問題にすることができていません。ネットで探すと僅かに木々の被曝問題を取り上げている方々もいますが、しかし多くの場合、むしろ被曝した木々は、「除染」対象とみられるばかりです。
しかし私たちの生命をつないでいるのはこの木々たちです。木々たちが常に山に水を保水してくれてきたから、私たちはいつでも安定的に水を享受できています。それが私たちの暮らしばかりでなく、農の営みはもちろん、工業も、商業も支えてきているのです。

被曝した木々はどうなってしまうのでしょうか。ますます集団枯損が進んでしまうのではないか。そんな不安が心に去来します。でもだからといって、徹底調査をとも言いにくい。山の中の調査は、危険な被曝労働だからです。
やるべきことは何なのか。恐らくは生きている木々の被曝に対抗した徹底した植林ではないかと思えます。しかしその場合も、現にある放射能をどうするのかが課題になる。もちろん植林も被曝労働です。しかも山を知り、木々を知る人々といえど、ほとんどは放射能を知らないし、その影響の研究などおそらくほとんどなされていないと思います。
実はここに私たちの巨大な危機があるのではないか。木々を守りたと切実に思いますが、それは私たちの命に直結する問題でもあります。生命の連鎖がそこにあるからです。

私たちは私たちの命が本当にたくさんの連鎖の中にあることに目覚めなくてはいけない。私たちが、すべての生き物の頂点に立っているのではなく、すべての生き物によって生かされているのだということを自覚し、イノチたちに対する謙虚な思いと感謝の念を取り戻していかなくてはいけないと思います。
そのために、今後、山のこと、木々のことについても、可能な限りここで取り上げて、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
今回は、イノチアクションでさせていただいたお話の冒頭部分、山と木の部分を文字起こしし、同時に、パレードから帰ってから書いた詩を(すでに579で一度紹介したもの)を紹介することにしました。読んでいただけると幸いです。

*******

11.3イノチアクションでの発言より

みなさん。こんばんは。守田敏也です。これから内部被曝についてのお話をします。

今日のイノチコアさんのパレードで、みなさんが、木々や命の声を代弁する形で、原発はいらない、放射能から身を守ろうと訴えてくださいました。僕も一緒になって声をあげましたが、ちょっと内部被曝の話をする前に、私たちの国にある山のこと、森のことをお話したいと思います。

私たちの国は国土に占める森林率が67%です。これは世界の中でダントツの値です。日本に匹敵するのはフィンランドぐらいしかありません。他の国にはこんなに木がありません。
これほど多くの木々があることが私たちをどう支えてくれているのかですが、私たちの国は同時に、世界の中でも非常にたくさんの雨が降る国です。降水量もダントツです。ダントツなのですけれども、もし雨が、ただ山の地肌に降るのであったら、すぐに流れ落ちてしまって、麓にいる私たちには洪水として押し寄せてくるのですね。
ところがたくさんの木が植わっていて、山に降った雨を保水してくれます。そこにいったん蓄えられてから、少しずつ、麓に流れてくるのです。

ぜひみなさん。一度、川のほとりにたって、なぜ雨のない日に、水がとうとうと流れているのか考えてください。日本の川はいつでも水がとうとうと流れています。
それは木々がしっかりと水を山でキャッチしてくれるからなのですね。一時期、日本は戦争のためにたくさんの木を切ってしまいました。森林率は40%代まで落ちました。そのとき全国各地で洪水が起こりました。戦後の伊勢湾台風のときの水害などが有名ですけれども、あれも木を切りすぎたことが要因です。

それから戦後60年以上、主に山里の人たちが、えいえいと木を植え続けてきてくれました。そのことによって、私たちは、蛇口をひねれば当たり前のように飲む水が供給される国にいるのですね。世界ではまれです。飲み水を水道から飲める国がまれなのですね。
そのように私たちが普段、何気なく享受している幸せが、山、そして木々たちによって作られているということを知ってほしいのです。

そしてその山に大量の放射能が降ってしまいました。とてももう、胸が潰れるような思いでいっぱいです。東北関東の相当な地域の木々が被曝しています。木々は生命体ですから放射能によってやられてしまいます。これからその被害がだんだんに表面化してくると思うのですね。
しかしながら今、私たちはこれだけ膨大に出てきた放射線から、人々の生命を守ることが手一杯で、残念ながら山の木々を放射線から守ることは、ほとんど何もできていません。木はただ黙ってじっと耐えているだけです。

どうしたらいいのか。僕自身もまだ答えはでないのですけれども、ぜひみなさん、私たちの生命をつないでくれている山々が本当に悲しい悲鳴をあげているということ、知っていただいて、それをなんとかしていくことを一緒に考えていきたいと思います。
そのためにも、当然にもこれ以上の放射能をもう絶対に出してはいけない。そのためにはすべての原発をもうここで廃炉にしなければなりません。そのことを今日、イノチコアということで一緒に歩いたみなさんと、共通の思いにしていきたいと思います。

*******

イノチ
 
イノチのために
街を歩く
イノチのために
声を上げる
 
人のイノチ
獣のイノチ
虫のイノチ
木々のイノチ
 
放射線は
イノチを切断する
外から内から
イノチを切り刻む
 
しかも放射線は
イノチに呻く間も与えない
誰にも何にも見えないところで
破壊が実行される
 
傷つけられるイノチの多くは
自らの声を持たない
抗議もできなければ
仕返しもできない
 
しかしイノチたちは
他の多くのイノチたちを支えている
一つのつながりとしてあるイノチの傷は
痛みと哀しみの連鎖をもたらす
 
例えば山の木々が潰えたら
誰が私たちに
豊かで穏やかな水を
与えてくれるのか
 
例えば鳥たちが鳴かなくなったら
誰が私たちの心に
柔らかな潤いを
もたらしてくれるのか
 
今、私たちは
イマジネーションの力で
すべてのイノチの痛みを
聴きとる必要がある
 
それは私たちの
非有機的な身体(からだ)の痛みであり
まだ感じるにはいたらなくとも
私たち自身の痛みだ
 
山を見よう
木々を見よう
虫のことを鳥のことを獣のことを
想像しよう
 
被曝を止め
痛みを癒す道を見つけたい
すべてのイノチのため
私たちのこのイノチのため
 
20121112
 

 

 

 

 

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明日に向けて(585)沈黙を破って-グアテマラの女性たちの勇気ある声(中)

2012年11月23日 18時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121123 18:00)

明日に向けて(582)で紹介したグアテマラ・マヤ女性によるスピーキングツアーはまだ続けられています!
直前のお知らせになってしまって恐縮ですが、今日は午後6時半より、福岡市の「ふくふくプラザ502号室」で行われます。さらに25日午後1時より、久留米市男女平等推進センターで最後の会が行われます。
お近くの方、ぜひお越しください。情報を記しておきます。

■11月23日(金) ふくふくプラザ502号室(福岡)18:30~
 足立(080-5259-1558)
■11月25日(日) 久留米市男女平等推進センター(久留米)13:00~ 
 浅野(090-8666-8857)
http://recomblog.blog92.fc2.com/

さて、(582)で京都での講演内容を文字起こししてお送りしましたが、今日はこのときの講演に関するコメントと、質疑応答の内容をお伝えします。

まず今回、アリシアさんのお話を聞いて非常に強く感じたことは、グアテマラ・マヤの被害女性たちと、僕が出会ってきた日本軍性奴隷問題の被害女性たちの語ることが驚くほど、似ていることでした。
どう似ているのかというと、一つには性暴力を加えられたことが心の中の深い傷になっており、その傷が癒えるのに長い過程が必要であること。それらが被害を受けたことをカムアウトすることから始まっていることです。

この点でぜひ多くの方に知ってほしいのは性暴力は、けして直接にそれを振るった男性だけによって振るわれているのではなく、社会化された構造の中で振るわれているということです。これは暴力の多くにつながることだと思います。
そのため、グアテマラだけのことではなく、被害を受けた女性たちは、被害を受けたこと事態が、その女性たちの落ち度であると捉えられたり、より酷い場合には、被害を受けたのではなく、金銭が目的で、自ら売春をしたのだろうなどという悪罵を受けることすらあります。
これらを社会による二度目のレイプ=セカンドレイプと呼びますが、こうした社会の仕打ちが女性たちの心を本当に深く傷つけます。直接的な暴力によってひどく傷つけられた心身が、さらに社会によって痛めつけられるのです。

こうした場合に特徴的なことは、社会が被害者ばかりを責めて、肝心の加害者の暴力を責めず、積極的に裁こうとしないことです。つまり性暴力が社会によって容認され続けるのです。
実は「売春」に関してもそうです。売春は必ず買春とセットでしか成立しないのに、買春をする側(=多くの場合は男性)は裁かれもしなければ批判もされません。それなのに売春した女性には法的罰が加えられたり、酷い「蔑み」の言葉が投げかけられたりします。これも社会の容認によって構造化された性暴力の一つです。
被害女性の多くは、被害体験の記憶とともに、こうした社会の仕打ちが心の中に入り込んでしまい、自らを責めたり、あるいは自らがが汚れているように感じたりして、さらに苦しみ続けます。アリシアさんのお話の中にも、被害女性が「悪夢を見る」というくだりがありましたが、本当に地獄のような苦しみだと思います。

ではどうやってその苦しみから解き放たれることができるのか。まず大事なのは、女性たちの周りから「あなたは何も悪くない。悪いのは加害者だ」という力強いサポートを与え、傷んだ心を包むことです。そしてその中で、被害女性が自らの体験を語り、押し込めてきたエネルギーを表出できたとき、心の癒しが始まります。
グアテマラではそのために、アートセラピーを行ってきたことが報告されていましたが、台湾でも似たようなセラピーが重ねられてきました。被害女性たちが絵を描いたり、物を作ったりする中で、自分の中に溜め込んできたものを表現していく。その過程で、心が解き放たれていくのです。それで自分への愛を取り戻していく。自分が汚れてなどいないことに気がついていきます。

こうした過程には時間がかかるし、けして被害女性のすべてが、解放にいたっていけるわけではありません。何よりも社会の壁が厚く存在しており、それに再度、傷つけられるてしまうことがたびたびあります。そうして繰り返し手ひどく叩き潰されてきて、もう自分の可能性を感じれない女性もいる。
日本軍性奴隷問題で言えば、数十万人はいると見積もられた被害女性の中で、カムアウトにまで漕ぎ着けたのはわずかに数百人、つまり0.1%かそれにも満たない数なのです。ほとんどの女性は、心身の苦しみを抱いたまま生き続けてきました。その多くがすでに亡くなられていると思いますが、今なお、苦しみを抱えたままの女性もたくさんいるはずです。

そのために、社会が変わらない中で、自らが変わっていける女性たち、沈黙を破って、前に歩めるのは、勇気ある女性たちばかりです。いや、沈黙を破る過程で、勇気をつかみとった女性たちであるとも言える。だからそういう女性たちは共通の輝きを持っています。
アリシアさんも、被害女性たちに寄り添いながら、繰り返し被害女性たちに勇気をもらったと語っていますが、それは本当によく分かります。苦しみを突き破って、語り出した女性たち、己を解放した女性たちのエネルギーは本当に凄いし素晴らしい。僕も繰り返しそれを感じ、励まされてきました。

とくにそこから問題の社会的解決へと立ちがある女性たちは、己の恨み(抱いて当然のものですが)を突き抜け、人間愛に基づいて行動している場合がほとんどです。そして共通に出てくるのは、「二度と若い人達がこういう経験をしてはいけない」という言葉です。若者のために、未来のために彼女たちは歩みを強めていく。
その姿を見ると、人間とは、こんなに酷い仕打ちを人と社会から受けてもなお、こんなにも人を愛せるものなのかと驚嘆させられてしまいます。人間の勇気、可能性を強く感じさせてくれるのです。そしてそれがサポートしている側の心も洗ってくれます。サポートに関わって良かったと必ず思わされてしまいます。
そうした点で、グアテマラ・マヤの女性たちと、僕が見てきた日本軍性奴隷問題の被害女性たちは本当に似ていました。同じような深い人間愛を感じさせてくれました。僕が多くのみなさんにこの問題に関わって欲しいと思うのはこんなときです。もちろん第一には被害女性の救済のためなのですが、それは必ず私たちの中の何かをも救済してくれるのです。
アリシアさんの言葉から、ぜひそうしたグアテマラ・マヤの女性たちの誇り高き勇気をつかみとって欲しいと思います。

第二に非常に重要なのは、この問題を男性がどう捉えたら良いのかということです。僕が述べたい核心はよりこちらの方にありますが、すでに記事が長くなってしまったので、今回はこれぐらいできり、この点は次回に述べたいと思います。

最後に、京都集会での質疑応答を記しておきます。再度、アリシアさんの言葉を味わってください。

*****

京都集会におけるアリシアさんへの質疑応答より
20121115

問 被害女性にあうときに一番大切にされていることは何ですか?

どのように接するかが大事です。まず自分のことを話す。なんの目的でこういうことをしているのかをです。それで時間をかけて相手が話す気になるのを待ちます。大事なのはどんなに辛い話を聞いているときでもこちらが泣かないことです。これが鉄則です。そして相手が泣き終わるのを待ちます。
聞いた自分も辛い思いをするのですが、それを吐き出すのは他の場所でです。被害女性に一生懸命に聞いているのを分かってもらうこと。聞いている私にとっても非常に重要だということを感じてもらうことが肝心です。

問 長年、女性たちを支えてきて、マヤの知恵を感じたことはありますか。また一番感動したこと、くじけそうになったときのことを教えてください。

最初の数年の活動は、家族の遺体がどこにあるかもわからない遺族ががいるので、一緒に遺体を探し出して、発掘して、埋葬する手伝いをしていました。どこにあるか分かりますようにと、マヤの儀式をしました。創造主から力をもらうために祈りしました。そうした習慣はとても大事です。祖母が言っていたことですが、人は役割をもってうまれてくる。そのエネルギーを持っている。私もそう思います。
嬉しかったのは、勇気ある女性たちに寄り添ってこれたことです。いつも女性たちから力をもらってきました。苦しかったのは、同じ暴力の被害者でありながら、「何もできない、変わらない」という人もいることです。そういう人にかかわるとガッカリします。しかしこのプロジェクトに参加している人たちに接して、大きなエネルギーをもらい続けています。

問 新たな告発を行っているとのことですが、村の中に加害の男性が住む状況もあるのではないですか。そのような中で、どのように女性を守っているのでしょうか。村のリーダーや男性たちの反応はどうですか。

多くの村で加害者の人が近くに暮らしています。軍が作った自警団に男性が組み込まれて、人権侵害を犯しました。そういう人たちがまだ近隣にいます。だからこそ、安全のためのネットワークが非常に重要で、村のリーダーの協力が欠かせません。性暴力の問題だけでなく、人権問題全般に関わるネットワークを作ってきました。それが女性を守ることになります。
女性たちへの脅迫、家族への脅迫にすぐ対応できるように、何かあったときにどうするかを話し合っています。必要があれば、すぐにかくまえるようにしています。
内戦がおわってしばらくたち、状況は変わってきています。グアテマラはまだまだ暴力的な社会であり、この状況で裁判をするのは難しい面がありますが、国際社会の目もあり、国内での連携も広がってています。その中で女性たちを守っていけます。
女性たちももう怖くないといっています。自警団の中にも、強制されていた人たちのいることを女性たちは理解しています。この他、若者たちに意識をもってもらうことが非常に重要で、それを続けています。たくさんの仲間をつくってネットワークを広げて対応していきます。

男性の反応ですが、まだまだ男性中心社会で、性暴力に対してもひどい反応があります。加害者ではなく、被害女性が攻撃されます。女性たちも自分が汚れた存在だと感じてしまいます。社会は女性に強姦されないようにとはいいますが、男性に対して強姦をしないようにという教育は行っていません。
9月に女性たちが証言したときのマスメディアの対応は、支援と非難が半々でした。マスメディアでも取り上げられました。半分は彼女たちを支援していました。しかし残りの半分からは、女性たちが金のために性を売っただとか、誹謗中傷がなされました。
証言が終わった後に女性たちが住んでいるところに訪問しましたが、村の中ではうわさはありましたが、女性たちに脅迫とかはありません。しかし性暴力の被害者である女性が責められる状態を変えるのはまだまだ難しいです。

京都集会の報告はここまで

記事は続きます・・・。

 

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明日に向けて(584)ガザ、私たちはあなたとともに立つ!

2012年11月22日 22時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121122 22:30)

すでにみなさんがご存知のように、再びイスラエルが、パレスチナ・ガザ地区への猛爆撃など、国際法も何もかも無視した殺人作戦を敢行しました。
これまでに140人を超える方が亡くなった伝えられています。重軽傷者、また生活の場を奪われた人々など、被害数はもっともっと大きいでしょう。

イスラエルはこうしたなんの正義性も合法性もない殺戮作戦をこれまで何度も繰り返しています。
白昼堂々と、民家に砲弾を打ち込む・・・そんなことがもう何年も前から繰り返されているのです。こんなことはけして許されてはなりません。
にもかかわらずマスコミは、何かこの事態が、イスラエルとハマスとの対等な戦闘であるかのように描いています。
それは全くの間違いです。軍事力がまったく違う。いやそれよりも何よりも、イスラエルは繰り返し、戦闘とは何の関係もないパレスチナ住民の家屋に、猛攻撃を加えているのです。明らかな戦争犯罪です。
そのことが何ら裁かれない。剥き出しの暴力が批判されない。そのことが、直接の軍事攻撃とともにパレスチナの人々を苦しめている。だからこそ私たちは「ガザ、私たちはあなたとともに立つ!」という声をあげる必要があります。

このことは放射能で苦しむ私たちの国のあり方をも規定する問題です。私たちが今、目の前で行われている本当に酷い暴力に声をあげられなければ、私たちもまた酷い暴力を受けたときに助けを受けることができないでしょう。
いや、現に今、私たちは放射能被曝という酷い暴力を受けています。被曝は自然現象なのではありません。何度、危険性を訴えても原発の運転をやめなかった政府と電力会社のせいで事故はおこり、何度、必要な防護策や避難策を訴えても放置されることで、今なお避けられる被曝が続いているのです。
こうした暴力の構造は深いところでつながっています。だから私たちは今、自分自身を救うためにも、ガザの人々を守る必要があります。守れなかった生命を追悼し、これ以上の悲劇を食い止める必要があります。

京都では僕も参加するピースウォーク京都と、つばめクラブが11月26日午後6時からの「ビジル」を呼びかけています。抗議のプラカードとキャンドルを持って、三条大橋の上に立ちます。この他、24日にも行動が呼びかけられています。
お近くのかたぜひご参加ください。またみなさんのそれぞれの地域でぜひ抗議の声をあげてください。

なおすでに停戦が成立したから大丈夫なのではという方もいるかもしれません。もちろんこれ以上、攻撃が拡大しないことは大事ですが、しかしすでにイスラエルは140人以上を殺害しています。民家を攻撃してです。たくさんの子どもたちも生命を奪われてしまいました。
このことに世界中からの声を集めなければ、同じことが必ず繰り返されます。そのために一人でも多く、声をあげることが大事です。
同時に、イスラエルはこれまで停戦の間に、酷いことを繰り返してきました。国際的な注意が緩んだ時を狙っているのです。そのためにも、世界で多くの人々が注視しているという姿を見せる必要があります。
この後者の点に関して、友人で、パレスチナ訪問記などを著してきた森沢典子さんがメッセージを出してくれたので、それを転載しますのでご参考ください。

みなさん。平和のために行動しましょう。
ガザのために、そして私たち自身のために!

********

森沢典子さんより(停戦発表2時間後に発信)

今から2時間前にイスラエルとガザのハマスの間で停戦の合意が成立しました。

エジプトが仲介に入りました。

これでイスラエルは大規模な空爆は出来なくなりますし、ハマスもロケット弾による攻撃やバスの爆発を止めるでしょう。
 
気をつけないといけないのは、イスラエルは停戦合意中にこそ活動を盛んにし、パレスチナ全土の封鎖、家の破壊、入植、水源や道路や農地の破壊を繰り返していることです。

停戦合意されると世界中はホッとしてパレスチナへの注視を止めてしまいますが、それが何よりもパレスチナの人々を苦しめています。
 
実際に今回の空爆でもイスラエル政府はガザ南部の人々にガザの北部へ避難するよう空からビラをバラまいています。

空爆の脅威は計り知れなく、人々は持てるだけの家財道具を荷馬車に積んで避難していました。

ガザ南部とはエジプトとの国境付近ハンユニスやラファ地区の辺りを指します。
 
これまで停戦中にもかかわらず毎晩のようにイスラエルの戦車や装甲車がやって来て家の破壊が行われ、人々が逃げ出したところを『軍用安全地帯』(意味がわかりません)と名付けて立ち入り禁止にし、事実上イスラエルの土地として併合されつづけている地域です。

ヨーロッパやアメリカからも家の破壊を止めようと若者たちがパレスチナ支援に入り2003年にはブルドーザーの前に立ちはだかりパレスチナ人の家を守るためにイスラエル兵士との交渉を試みたアメリカ人のレイチェル・コリーが、イスラエルのブルドーザーにひき殺されました。イスラエル政府は『誤って』と発表しましたが、目撃者たちはブルドーザーが進んで轢いて、後退してもう一度轢いたと証言し日本でもニュースになり世界中からイスラエルへの批判が高まりました。

パレスチナ全土で人々はレイチェルへの喪に服していました。
ラファやハン・ユニスで家や庭や農地がメタメタに壊された瓦礫だらけの場所にそのまま住んでいる老人たちが『私は絶対にここから逃げないよ。私たちは48年にイスラエルの攻撃が怖くて逃げ出してしまいこの場所へやって来た。そのまま村に帰らせてもらえずここでこうして難民になって生きてきた。今逃げたら、またこの場所をイスラエルに盗られてしまう。だから私はここを逃げないよ。』と話してくれたことが忘れられません。

イスラエルがパレスチナへの占領や封鎖、侵攻を続けていることに注視し続けて行く大切さを噛みしめています。

********

以下、京都での二つの行動の案内を貼り付けます。英文もあります!
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【拡散歓迎】
ガザ、私たちはあなたとともに立つ、
―――― 今、私たちの思いをアクションに!
■■ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
キャンドル・ビジル 11/26(月)午後6:00-7:00、三条大橋
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■■
あと何度、私たちは見なければならないの? 
 ガザで、彼らが爆撃され、焼かれ、殺されていくのを…。
あと何度、私たちは誓わなければならないの? 
 こんなこと、二度と繰り返しませんと…。
あと何度、私たちはその言葉を裏切れば気が済むの?

ラナーン、ガザの7歳のパレスチナ人の少女、
 あなたはなぜ、死なねばならなかったの?
イスラエル南部の街、アシュケロンに暮らすあなた、
 あなたはなぜロケット弾で死ななければならなかったの?

なぜ?なぜ?なぜ?

こんなこと、もうすべて終わりにしたい!

この思いに共感して下さる方は、
11月26日(月)午後6時、三条大橋にお集まりください。
キャンドル・ビジルを行います。
ガザとイスラエルで奪われたすべての命を悼んで、
パレスチナとイスラエルにおける公正な平和を願う
私たちの思いを届けるために、
私たちのこの恥に満ちた人間の歴史に終止符を打つために、
市民として私たちに何ができるか、ともに考えるために。

【呼びかけ団体】つばめクラブ、ピースウォーク京都
 問い合せ先:090-3704-3640(蒔田)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
OH, Gaza, here we are standing with YOU
    Now, it's time to put our aspiration for Peace into ACTION !
■■------------------------------------------------------------
Candle Vigil, on Monday 26th. Nov. at 6:00-7:00pm, on Sanjo-Ohashi
bridge
---------------------------------------------------------------■■
How many more times do we have to see them bombed, burned, and
massacred, there in Gaza…?
How many more times do we have to swear that we shall not let it happen
again?
How many more times do we have to betray ourselves?

Why did you have to die, you, Ranan, 7 year-old Palestinian girl, in 
Gaza?
Why did you have to be killed by rocket, you, having lived in 
Ashkeron in Southern Israel?

WHY? WHY? WHY?

We really want to end all of this !

Anyone that share this feeling,
please gather on Sanjo-Ohashi on Mondy 26th. Nov. at 6:00 pm
for standing candle vigil for mourning all lives taken in Gaza and 
Israel,
appealing our wish of peace with justice in Palestine/Israel to the
public,
and seeking together what we can do as citizens to put an end to this 
shameful human history of ours.

Organized by TSUBAME Club, Peacewalk Kyoto

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***転送・拡散歓迎***

☆イスラエルのガザ攻撃に抗議の声を!

パレスチナ・ガザ地区が、イスラエル軍の激しい攻撃に曝されています。
この一週間で143名が殺害されてしまいました(11月21日現在)。
幾度となく繰り返されてきたガザ攻撃、大規模侵攻。
たとえ「停戦合意」が結ばれたとしても、イスラエルによる封鎖政策が続く限
り、真の平和が訪れることはありません。
イスラエルにこれ以上の殺戮をやめるよう、そしてパレスチナ占領政策をやめ
るように、抗議の意志を共に示しましょう。

○11月24日(土) 16時からの17時まで
場所:三条河原町アーケード入口

※可能な方はプラカードなど持参ください。

※「停戦合意」がされたとしても、私達は今回の作戦で殺害された犠牲者を追
悼し、パレスチナ問題の根本的な解決を求めて行動を行いたいと思います。

※17時からは同じ場所で沖縄・辺野古への新基地建設に反対し、普天間基地の
撤去を求める京都行動による定例アピールがあります。8年以上、毎週土曜日
続けられてきた活動です。時間の許す方はこちらにもぜひご参加ください。

よびかけ:さぼてん企画

(拡散用URL: http://is.gd/ID7fd7 )

+++++

Stop the massacre!
Stop the bombing!
End the occupation!
Free Palestinians!

Come join us at a street protest against Israel’s attacks on Gaza.
Time & date: 4 to 5 pm, Satruday, November 24, 2012
Venue: On the western side of Kawaramachi Street, Sanjo-Kawaramachi,
Kyoto

Bring your own banners, signs, and placards.
If a cease-fire materializes, we will still meet and protest.

Organized by Saboten Kikaku (the Cactus Planning)

++++++++
以上


 

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明日に向けて(583)ノンベクレル食堂(20日)、ベジフェス、宮津市、伊根町(25日)などでお話します!

2012年11月19日 23時00分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20121119 23:00)

みなさま。パレスチナ・ガザ地区に対して、イスラエルの本当に酷い攻撃が続けられています。すでにたくさんの子どもたちを含む、数十名の方たちが殺害されてしまいました。
人々の住まうまちに、白昼堂々と、軍隊を使った攻撃が行われています。明らかな戦争犯罪です。このあまりに酷い暴力の行使をなんとしてもとめたいです。
それぞれでできることを行っていきましょう。この件については後日、詳しい記事を書きたいと思います。


さて、昨夜、最終の新幹線で広島市より戻りました。
広島の講演会にはたくさんの方が来て下さり、大変、印象深い出会いに恵まれました。12歳で被爆し、その後、ABCCや放影研に何度も調べられた・・・という女性も来てくださり、感慨深い感想を述べてくださいました。
これらの内容についてもまたの機会に詳しくご報告したいと思います。

今日は当面の講演会の予定をお伝えします。
1つは明日、15時30分からの、京都市岩倉にできたノンベクレル食堂でのお話です。

この食堂をたてたのは友人の廣海緑朗(ヒロミロクロウ)さん。8月の京都で対談をしたこともあります。写真と動画がありますので貼り付けます。
http://www.facebook.com/toshiya.morita.90#!/photo.php?fbid=272911456152401&set=a.132135516896663.24537.120891264687755&type=1&theater

TAIYO33OSAKA 場所UrBANGUILD(アバンギルド)
2012年8月25日(土)
守田敏也×廣海緑朗対談
http://www.ustream.tv/recorded/24948127#./24948127
http://www.ustream.tv/recorded/24948127#./24948678

ロクローさんとは、昨年の大震災の直後に知り合って以来の仲ですが、今年になって、ロクローさんが食べ物の放射線測定を考え出した時から、行動を共にすることが増えてきました。
とくに5月に矢ヶさんとともに、仙台・福島を訪れ、仙台の二つの測定室、「小さき花・市民の放射能測定室」と「みんなの放射線測定室・てとてと」を訪問した際に、同行もしてもらいました。
つい先日は、同食堂を訪れて、2時間、たっぷりとインタビューをさせてもらいました。まだ記事にできていませんが、みんなに安心して食べられる安全なもの、なおかつおいしいものを提供しようとの志に胸を打たれました。
そのロクローさんとお仲間の開いた食堂でお話できるのはとても嬉しいです。時間が15時半からなので、終わったら、おいしい夕食をいただいて帰るつもりです!

お近くのみなさま。ぜひお越しください!

*****

2012年11月20日(火)15:30~ NONベクレル食堂にて

ジャーナリストの守田敏也さんに内部被曝について日常の食品についてお話をして頂きます。是非是非御参加下さい。
参加費はワンドリンクの御注文とカンパとなっております。

参加希望の方は info@non-bq-shokudou.com まで、お名前、お電話番号、メールアドレス、人数をお送り下さい。
 
NONベクレル食堂
廣海緑朗(ヒロミロクロウ)
〒606-0024
京都市左京区岩倉花園町247-3
艮宮ビル2F
info@non-bq-shokudou.com
http://non-bq-shokudou.com/
TEL:075-200-2885
FAX:075-201-1422
twitter:@non_bq_shokudou
facebook:facebook.com/non.bq.shokudou


*****

続いて25日の企画をご紹介します。この日は3箇所でお話することになりました!!

まず朝の10時より、京都市のベジタリアンフェスティバルでお話します!10時半までです。
タイトルは「放射能の時代を生きぬくために」です。
http://www.vegetarianfestival.jp/event.html

場所は、京都駅そばの梅小路公園七条入口広場。入場無料・雨天決行です。
9月30日開催の予定でしたが、台風による暴風雨の影響で順延になった企画です。


この後、京都駅から特急に乗って京都府宮津市に赴き、午後2時から講演します。
この日の演題は「内部被曝と避難計画」です。
宮津は高浜原発直近の町。こうした点に踏まえて、市民でできる原子力防災計画についてお話します。

***
 
震災から学ぶ
 
講演「内部被曝と避難計画」
 
福島から若い人がなぜ避難するのか 避難計画は?
内部被曝と子どもたちの安全が今しっかりとした知識として必要になっています
 
11月25日 午後1時~4時
ところ 宮津市城東会館 入場自由
(JR宮津駅南口徒歩5分)
 
1部 9月30日NHK放送「丹後大地震」ビデオ上映(午後1時から)
2部 講演『内部被曝と避難計画』守田敏也氏(午後2時から)
 
会場展示
丹後大震災と23号台風の写真及び東日本大震災福島の写真
 
主催
宮津市東武地域(まち)づくり会議
後援
宮津市東部地区自治連合協議会

***

25日の最後は、丹後半島にある伊根町でお話します。
タイトルは「台所最前線~被災地の今と食のおはなし会」です。

***

 守田敏也さんを囲む座談会 in 伊根 
「台所最前線~被災地の今と食のおはなし会」

東日本大震災から1年8カ月・・・被災地の農や漁に携わる人々は今どのような暮らしをしているのか?
今年夏に訪問された岩手県大槌町の様子や、私達の暮らしや健康を守るために何ができるのか、日々の生活や食べ物で免疫力を高める暮らし方についてお話いただきます

とき 平成24年11月25日(日)18:00~

ところ 伊根町コミュニティセンター ほっと館(伊根町役場横)
与謝郡伊根町日出651

参加無料(運営カンパご協力お願いします)

スケジュール
18:00~  軽食、交流  生演奏(ピアノ・歌)
19:00~  守田敏也さんのお話し
20:00~  みんなで意見交換・座談会

■伊根町の新鮮な食材を使って、免疫力を高めるメニュー(軽食)をご用意します。
みんなで食卓を囲みつつ 被災地や食のこと 考えてみましょう

■キッズスペースあります お子様連れの方もお気軽にお越しください

□■守田敏也さんご紹介■□ 
フリーライター。震災後三陸海岸の各都市を訪問・取材、
データの収集とするどい分析力をもとに、各地で精力的に講演を行っている。
保育園や自治会などでどなたにもわかりやすく解説するお話は幅広い年齢層の方に大変好評。
インターネットではブログ「明日に向けて」で日々情報を発信、現在までに約580本を超えるレポートを発表、現状を広く伝え続けている。
今夏、岩手県大槌町での放射線計測、山形県、福島県会津若松市などのフィールド調査を行う。共著『内部被曝』他

主催:守田敏也さんを囲む座談会in伊根 実行委員会
お問い合せ:090-6735-0973(藤原音夢 伊根町字本庄上)
メール:uraratango@gmail.com

***

この他、12月初旬の計画もお知らせしておきます。詳細はおって掲載します。
 
12月6日京都市伏見区
 
10:00~12:00
あゆみ助産院『のびの会』定例会で講演
 
***
 
12月8日京都市上京区
 
午後2時~4時
YWCA会館にて
京都市上京区室町通り出水上る近衛町44
 
***
 
12月11日京都市右京区
 
フライングタッチマンとのジョイント企画
午後6時頃より 佛教大学にて


以上、それぞれの企画にぜひお越しください!

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明日に向けて(582)沈黙を破ってーグアテマラの女性たちの勇気ある声(上)

2012年11月17日 12時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121117 12:00)

広島県呉市のホテルからです。明日の広島市の講演のために訪れています。

昨日、他の用事もあって広島に来たのですが、その前日、15日に京都でグアテマラ戦時下性暴力スピーキングツアー2012に、スタッフの一人として参加しました。「沈黙を破って」はそのタイトルです。

今回、発言されたのは、グアテマラで性暴力にあった女性たちを支えているアリシア・ラミレスさんですが、発言を聞いていて大変、共感しました。ただちにノートテークをしましたので、何はともあれみなさんに読んで欲しいと思います。通訳の新川志保子さんの事前説明も加えます。

本当はコメントしたいことがたくさんあるのですが、文字起こしが長いので、先にその全文を掲載し、後にコメントを書きたいと思います。

なお、このスピーキングツアーは現在、広島市に来ています。二つの会場で行われます。グアテマラの民芸品の販売もしていますので、お近くの方、ぜひお越しください。僕は自分の企画などのスケジュールでいけませんが、、直接、お話を聴き、文面では紹介できないスライドなども見ていていただけたらと思います。スケジュールを示しておきます。

■11月17日(土) まちづくり市民交流プラザ(広島)19:00~
 猪原(082-294-2953)
■11月18日(日) カフェ・テアトロ アビエルト(広島)17:00~
 猪原(082-294-2953)

http://recomblog.blog92.fc2.com/

以下、京都講演の内容をお伝えします。長いので2回にわけようかとも思いましたが、広島講演が今日、明日と行われていることを鑑みて、いっぺんに掲載することにしました。長文をご容赦ください。

*******

グアテマラ・マヤ 戦時下性暴力 スピーキングツアー2012
沈黙を破って アナ・アリシア・ラミレス・ポップさん

2012年11月15日 京都市東山いきいき市民活動センターにて

通訳・新川志保子さんによる事前説明

今日の通訳をする新川志保子です。もう一人助っ人がいます。石川智子です。彼女がアリシアさんへの日本語からスペイン語への通訳を担当してくれています。

今日はアリシア・ミレさんのお話を聞いていただくわけですが、その前に、グアテマラで取り組まれている性暴力プロジェクトと裁判についての少し説明をしておきたいと思います。
グアテマラは人口が1200~1300万人の国、過半数が先住民族のマヤの人々です。マヤの人日は、スペインの侵略以降、人口の大多数であるにもかかわらず、差別されて搾取されてきました。

今世紀に入ってから、土地問題を改革しようとする自由主義政権が生まれました。しかし当時から力をもっていたアメリカ合衆国が介入。自由主義的な改革を心よく思わないアメリカ政府が後押しして1954年に軍事クーデターが起こります。
これに対して反政府ゲリラが生まれてグアテマラは内戦になります。これが1960年から1996年まで36年にわたりました。その36年間の中でも、とくに80年代初頭、80~82年に、ものすごい暴力がふるわれた時代でした。

ゲリラの勢力拡大に対して危機感を持った政府軍が、ゲリラ勢力一掃作戦を繰り広げるわけです。ゲリラをせん滅するためには、ゲリラを支援している人々ごと殺そうという焦土作戦が展開され、主にマヤの農村部で行われました。
被害のほとんどはこの時代に集中しているのですが、内戦全体で20万人以上が殺されたり、行方不明にされました。マヤの農村部の村々が440も焼き払われました。犠牲者の人々のほとんどがマヤの人々でした。

軍に襲われたところではほとんどと言っていいほど、女性に対する性暴力が兵士によって行われました。しかしグアテマラだけではないですが、性暴力の被害はなかなか表に出せません。被害を受けた女性たちが沈黙を強いられ、苦しみ続けてきた女性がたくさんいます。

1996年に内戦が終わりました。その前にカトリック教会が被害の実態を報告していますし、和平直後にも国連の真相究明委員会ができて、報告書がでました。二つとも内戦中に行われた人権侵害の数々を述べています。
性暴力についても触れているのですけれども、しかし自分に起こった被害を話せる女性が少なかったために、被害の実態、どれぐらいの女性が被害にあったのかが把握できませんでした。それでこの問題をなんとかしようと、性暴力の問題、ジェンダーの問題で活動する女性たちが出てきました。

そうした中で、2000年に東京でアジアの女性たちにより、性奴隷制の問題を告発する民衆法廷が開かれました。法廷は3日間だったのですが、1日、国際公聴会も行われました。ここでは過去に起こったことだけではなく、現在まで起こっている問題としてとりあげようということで、世界各地の紛争地から被害を受けた女性たちを招いて実態を知ろうとしました。

そこにグアテマラから1人の女性が参加しました。ヨランダ・アギラルさんという女性で、やはり内戦中に秘密警察に捕らえられ、数週間にわたって拷問と強姦を受けました。生きて帰ってこれましたが、その経験を話してくれました。
そのとき彼女が言ったのは、性暴力の被害者は、とても苦しんできたけれども、しかし被害者の立場だけにとどまってはいけないということでした。

そのヨランダさんが、女性法廷を傍聴し、アジアの女性たちの証言を聞いて、とても強い印象を受けるわけです。女性たちのエネルギー、民衆法廷を開いた人たちの努力を実感し、グアテマラに帰ってからぜひ自分もそのような活動をしたいと決心するわけです。それで仲間を募ってはじめたことが、アリシア・ミレさんのプロジェクトにつながっていくわけです。

性暴力にかかわらず、グアテマラの内戦の被害者のほとんどはマヤの人々です。性暴力を受けたのも大部分がマヤの人々です。農村のマヤの人々は、スペイン語を話さない人が多いのですね。
またマヤの言語も同じマヤ系でも23の異なる言語があって、似ているところもありますが、お互いに通じない言葉もあるわけです。そういう障害もありますが、その中で性暴力を問う活動を始めていって、グアテマラの3つの地域から60人の女性が参加して始まりました。

女性たちの状況を知ってみると、やはり被害を受けて、心の傷が相当に深いことが分かりました。そのためメンタルヘルスも必要だということになり、そうした活動をしている組織が加わりました。また女性の権利のための活動をしている組織も加わって、二つの組織によって運動が始まりました。

それが現在にどういたっているかをアリシアさんに聞いて欲しいと思います。それがどんどん広がっていって、2010年に戦時下性暴力に関する民主法廷を開催するに至りました。
民衆法廷は非常に成功したのですが、それに力を得た女性たちが、グアテマラはまだまだ危険な状況であるにも関わらず、やはり加害者の処罰を要求したいといういことで、15人の女性たちによる集団訴訟が始まるところです。この辺の経緯も、女性たちにずっと寄り添っているアリシアさんから聞ければと思います。

アリシア・ラミレスさんは、今年、36歳のマヤ女性です。4歳のときに村が軍に襲われて、命からがら家族と逃げるという経験をしています。屍を乗り越えて走って逃げたのを覚えているそうです。着の身着のままで、軍に殺されないために、山の中を逃げました。
いろいろな経験をして、家族とも離れたりしたそうです。そのあと、少し大きくなってから学校にいけるようになりましたが、12歳までスペイン語は話せなかったそうです。

その後成長する中で、真相究明活動に参加し、自分や家族に、村、マヤの人々に起こったことを学び、理解を深めました。そういう中で戦時下性暴力のサバイバー女性たちの集まりにも参加するようになり、メンタルヘルスの立場から女性たちをサポートする団体、「社会心理行動と共同体研究グループ(ECAP)」のファシリテーターとして活躍しています。

彼女はマヤ語とスペイン語を話せるので、女性たちの信頼を得ています。立場もよくわかっています。そのためマヤ語とスペイン語の通訳も行い、裁判でも公式通訳として重要な役割を果たす方です。ということでアリシアさんの話を聞きたいと思います。

 

アリシア・ラミセスさんのお話

どうもありがとうございます。最初に説明がありましたので、私は、現在私たちが行っている活動について説明したいと思います。

スクリーンに写真が出ていますけれど、これはマヤの儀式の祭壇の写真です。本当は儀式をしたいのですけれど、今日は写真を使いたいと思います。重要なことをするとき、成功を祈るときなどに、私たちはこのような祭壇を作って儀式を行います。
ここには東西南北の方向や、マヤの世界観が盛り込まれています。色に意味があります。二つだけ重要な色を説明しますが、緑は私たちがたどるべき道を表しています。黄色は家族のつながりや団結、連帯を意味します。

さきほど説明にもあった、ヨランダ。ギラルさんの経験から、グアテマラでも同じような活動しようということになり、2002年から始めました。内戦中、とくに暴力のひどかった時代に被害をうけた女性たち、心の傷を吐き出せないで苦しんできた女性たちがたくさんいましたが、そういう女性たちを探しはじめました。

最初に活動に参加している一人の女性の話をします。マルガリータさんです。被害を受けたときは24歳でした。すでに結婚していて3人の子供がいて4人目がお腹にいました。軍がやってきて夫が拉致されて、今もどこにいるのか、あるいはどこに埋められているのかも分からない状況です。悲劇はそれだけでは終わらずに、彼女の町に軍の駐屯地ができましたが、そこに連れて行かれてて、6ヶ月の間、性奴隷にされていました。毎日、兵士たちのために食事を作り、洗濯をする労働をさせられた上に、毎日、兵士5人ぐらいに強姦され続けました。

マルガリータさんは6ヶ月、性奴隷とされたのですが、唯一、逃れることができるのは、誰か男性を見つけて再婚することでした。軍の駐屯地に連れ込まれる女性は、12歳から14歳といった結婚前の女性か、夫がいない女性、殺された女性でした。それは女性が所有物だということともつながると思いますが、誰かと結婚すると性奴隷にされることからまぬがれられました。彼女もそこから逃れるために再婚したそうです。

このマルガリータさんだけではなくて、多くの女性たちがすさまじい経験をしています。それでそういう女性たちに同伴しながら活動するために、最初は、「社会心理行動と共同体研究グループ(ECAP)」、エカップというのですが、その団体と、女性の権利、ジェンダー問題について活動している組織、「グアテマラ全国女性連合(UNAMG)」、ウナムヘという二つの団体の共同として活動を始めました。

グアテマラのマヤの人々の間には23の言語があります。多くの地域から女性たちが参加しています。現在は110人です。(注 地図を示して活動地域の名前、そこで使われる言語の説明がありましたが、メモしきれなかったので割愛します)

このプロジェクトは内戦の性暴力に関して始まりましたが、その後に2007年からの鉱山開発とプランテーションづくりのときに、地域の人々の強制立ち退きが行われました。そのときに軍や警察官が入って暴力が振るわれ、そのときも性暴力が発生しました。そのためその被害女性たちにもアテンドすることを始めています。

私はECAPの仕事=メンタルヘルスの活動をしていますが、チームを作って女性たちと行います。そのチームにはメンタルヘルスの基礎を学んだプロモーター女性、マヤ女性で言葉が同じ人たち、それから心理学を学んで、心の傷をケアする方法をもった女性たちがいて、それでチームを作っています。

まず同じ地域に住む女性たちでチームを作り、相互の信頼と連帯を築き、互いに秘密を守ることを基本に活動しています。その中で女性たちが自分の身に起こったことを、恐怖を克服して、沈黙を破って話し出すというプロセスを経るわけです。それでプロジェクトの名前も、「沈黙を破る女性たち」となっています。

こういう活動を通じて、女性たちが自分に自信を持つ、あるいは自分に価値を見出し、自分を信頼する過程が始まります。けして彼女たちに起こったことを話してもらうことを強制しません。自分で納得して話ができるまで待ち、そういう状況を作っていくという活動です。
そのためには心理学的な方法論が非常に重要です。こういうセッションを続けることで、女性たちが加えられた物理的な害、心理的な害、そして社会的な害に対して、女性たちが気づいていくことが大事です。

社会的な害という場合、軍がやってきて強姦される場合、人々が集まる公共の場で行われたことが多く、そういう経験は女性たちにとって決定的な傷で、それ以来、悪夢が続く状況だったわけです。その意味で社会的被害を認識するのはとても重要です。

そうした女性たちへのケアの方法論として、アートセラピーというものを使いました。これはエルサルバドルにあるアートスクールの支援を受けて、粘土で自分に起こったこと、自分がどう感じているかを形で表すエクササイズを行いました。また壁画でも表現しました。こうしたアートセラピーを5年間、続けました。社会心理学的な観点から非常に役にたった方法でした。

アートセラピーでいろいろなものを作り、自分に起こったことは思いを表現するわけですね。カラフルな壁画の写真をお見せしましたが、2008年に共同で製作した壁画です。1週間かかって描きあげたのですが、サイズは縦2メートル、横4メートルでした。

作り終わってから、学生たちにそこにを話す機会が何回かありました。女性たちは30年間話せなかったわけですけれども、はじめて話して、しかもそれを説明するところにまで至ったのですね。それですごく女性たちがエンパワーメントされたのですが、その中から、民衆法廷を行いたいという希望が生まれてきたわけです。

民衆法廷時代は2010年でしたが、その準備期間中に、物理的な準備だけでなく、女性たちの活動を支援すうために、女性たちが住む地域のリーダーたちにたいする意識化キャンペーン、人権意識を広めることや、過去に起こったことをどのように解釈するかなどに取り組みました。

民主法廷とは言え、法廷ですので、このあたりから女性の弁護士の組織のMTM、「世界を変える女性たち」という弁護士組織が運営に関わりだしました。ですから最初にあった2団体と、このMTMの3つで法廷を開催し、今もプロジェクトの運営をこの3団体で行っています。

女性たちが作った壁画を再度、お見せしますが、これは女性たちに起こった恐怖を表現しています。兵士たちがいて、通るところ、見つけるものをすべて破壊していった。家が焼かれ、家畜が殺され、人々が殺されて、埋められて秘密墓地ができました。それらが表現されています。

そういう形で3団体で行いました。チームで女性たちが集まっている写真がありますが、このように月に1、2回ですが、チームと女性たちで集まり、いろいろなことを話し合いました。
2009年に、2000年の女性法廷の開催に大きな役割を果たしたジャーナリストの松井やよりさんが亡くなられて、その意思をつぐ「やより賞」という女性人権賞ができたのですが、それをこのチームが受賞しました。

その副賞が2000年の民衆法廷のビデオだったのですが、それを持ち帰って、民衆法廷の前に女性たちとみてとても役に立ち、力をもらえました。女性たちだけでなく、コミュニティのリーダーの意識化をする上でもとても役に立ちました。

それで2010年民衆法廷が開かれ、名誉判事が4人参加しました。実はそのうちの一人は私(新川)でした。レコムから支援をしているということ、日本との関わりもあるので一人入って欲しいということでえ、判事になりました。

私(アリシア)は民衆法廷のときは、ケクチ語(注 グアテマラ高地で使われているキチェ・マム語群の一つ)とスペイン語の同時通訳も務めました。女性たちは法廷に出た場合、まだまだグアテマラでは身元がわかると危険なことが多いので、法廷では顔を隠して証言しました。

全員証言するのは時間的に無理だったので、各地域から代表を出して話してもらいました。このときは3団体のほかに、グアテマラ・マヤ女性の会で、コナビグア、「連れ合いを奪われた女性の会」も共催団体とし参加してくれました。

この民衆法廷は大成功でした。たくさんの人が傍聴に来てくれたほかに、国際社会からも大きなプレゼンスがありました。各国大使もきましたし、国連の女性関係の機関などもきました。各国からの支援団体も集まってきました。
参加した女性たちにとってそれを見ることは本当に重要なことで、女性たちの勇気を讃えるという人々の気持ちが、非常に大きな励ましとなりました。

私は同じケクチ語地域の女性たちをアテンドしていたのですが、民衆法廷にみんなでバスをしたてて参加しました。終了後に同じバスで帰ったのですが、女性たちが、ついに自分たちのことを話すことができたと、とても喜んでいたし、多くの人の励ましがあったということをとても喜んで、みんなで歌を歌いながら帰りました。

内戦が終わった後、真相究明委員会報告などが出ましたけれども、そこには性暴力は本当にわずかしか書かれていないのが現実で、実際に被害を受けた女性たちはたくさんいるのにもかかわらず、社会的な刻印をおされて、話せないでいる人がまだまだいるわけです。

この民衆法廷のあと、さらに活動を続けて、女性たち住む地域、コミュニティで13歳から19歳の子ども、若者を対象にした意識化キャンペーンを行いました。子どもたちは過去に何が起こったのかわかっていないので、自分たちの村に何が起こったのか、あるいは性暴力の問題をもっとよく理解もらうためのキャンペーンです。

さらにコミュニティの中で、重要な役割についている男性たちも対象にし、性暴力の問題や人権について、意識を持ってもらうためのキャンペーンも行いました。学校の教師たちを対象にしたキャンペーンも行って、なるだけ私たちの活動の後ろ盾になってもらおうということも含めて、こうした人たちを対象にした活動も行っています。
こういう活動を続けることで、女性たちにとってだけでなく、わたしたちにべてにとっていい社会が作られていくのではないかと思います。

民衆法廷が終わった後に、この性暴力についてのプロジェクトに参加している110人のうち15人が、社会がもっと自分たちに起こったことを知るべきだという強い希望をいただきました。性奴隷にされたのは自分たちのせいではないということを差社会が知る必要があるし、責任があるのは軍の方だということをさらにはっきりさせいという意志を表明したのです。

それで刑事裁判を始めることになったわけです。2011年に共同告訴人として警察に告発を行いました。民衆法廷を通じて理解を得られた人たちの協力を得ながら準備をしてきました。

それで今年になって、9月24日の週から、女性たちが裁判所で、-グアテマラの裁判所には幾つかの犯罪の種類によるカテゴリーがあるのですが-重罪を扱うハイリスク裁判所というところで、判事、裁判官、弁護士の立会いのもとに、この15人が、自分に起こったことを証言しました。マスメディアもやってきて話題になりましたが、通訳が3人ついて、私はその一人でした。

これまで何年も女性たちと一緒にやってきていて、女性たちに起こったことを十分知ってはいましたが、そういう場であらためて通訳すると、話した女性たちはもちろんですけれども、通訳した私たちも、本当にその内容のひどさに辛い思いをしまいた。

例えば証言した女性の一人は、軍の弾圧を受けて着の身着のまま、山に逃げこまなければいけなかったのですが、小さな子どもを3人、4人連れていました。山の中で食べるものが何もなくて、子どもたちが一人一人、餓死していきました。その子どもたちを埋めなければならなかったという証言があり、話している本人もそうですし、通訳している私たちも本当に辛い思いをしました。

けれども、証言が終わって、女性たちが家に戻って、その人たちの安全確認のために3日後にまた彼女たちに会いに行きましたが、そのときにこの証言をした女性が、これでもういつ死んでもいい、自分に起こったことを話すことができたので、いつ死んでもいいと話してくれました。こうやって女性たちは、沈黙を破ることができて、とても満足していると言ってくれました。

他の地域からこのプロジェクトに参加している女性たちも同じような経験をしていますが、ある地域の女性たちは性暴力を受けたあと、トラウマがあまりにひどくて家から出られないという生活を続けていました。しかしこういう活動に参加して、少しづつ力をつけて家からでれるようになり、その中の活動にもだんだんと参加するようになるまでにいたっています。

やはりこのプロジェクトの目的は、女性たちが自分の人生の主人公になること、人間として、女性として自分に価値があるのだということを、自分自身で認識していくことなので、こういう成果があがっていることはとても良いことだと思います。

裁判の話に戻りますと、この女性たちに起こったことは30年ぐらい前のことですので、年齢も55歳ぐらいから70代になります。この中の一人、マグダレイナポップさんという人は、今年53歳です。去年、子宮がんがあることがわかり、手術をしましたが、また再発しています。しかしこうした費用も国際的な支援で賄うことができました。

最後に、こういう性暴力の悪循環を断ち切らねばならないわけですが、最近でも起こっている鉱山開発やプランテーションを作ることに伴う強制立ち退きのさいに、性暴力が起こっています。それで先ほども述べたように、今、19人の女性たちをアテンドしていますが、この方たちはみんな20代、22歳から28歳です。

こうした被害者がまだまだ出ているわけで、こうした悪循環をなんとか断ち切らなければいけないと思います。しかし今のグアテマラの大統領は元将軍で軍人出身です。軍事政権ではありませんが、軍人が大統領になっていて、難しい状況です。

最後に、この15人の女性のうちの一人の言葉を伝えて、締めくくりたいと思います。
「自分はいま、種を撒いている。その収穫を自分は見届けることはできないけれども、自分に続く女性たちのどんな女性も、こういう私に起こったことで苦しまないために種を撒いている」という言葉です。

ということで裁判はこれから始まります。女性たちの証言が終わったところで、今後、裁判所によって被告の特定がされて、逮捕礼状がでて、逮捕がなされて裁判が進んでいくわけです。今後、まだまだ余談は許さず、15人の女性たち、裁判に関わる人々の安全の確保が今後の課題になってくると思いますが、3団体の連携で、なんとかやっていきたいと思います。

最後に、私は日本にきて「ありがとう」という日本語を覚えました。ケクチ語では「アンティオッシュ」といいます。ありがとうございました。

続く

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明日に向けて(581)ビキニ環礁水爆実験を問い直す(下)の2

2012年11月15日 07時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121115 07:00)

連載の続きを紹介したいと思います。
(580)の最後に、1963年、ついに「部分的核実験禁止条約」が実現されたことを紹介しましたが、私たちはこの一連の過程から二つのことを押さえておく必要があります。一つに1940年代から50年代に続けられた核実験によって、私たちの多くが実は大きな被曝を強いられてきたことです。
しかし一方では、子どもと未来世代を守ろうとした当時の女性たちの本当に必死になった立ち上がりによって、私たちが大きく守られたことをみることができます。
あのときの核実験がなければ、私たちの周りで今、発生しているガンの多くは発症しなかった可能性があります。しかし他方で、あのまま核実験が進めば、私たちの今は、もっと陰惨で、暗いものであった可能性もあります。

こうしたことを物語るデータの一つに、アメリカにおける学力試験の推移があります。これについては、アメリカの統計学者ジョン・M・グールドらが執筆し、肥田舜太郎さんらが翻訳した著書『内部の敵』に詳しく書かれています。
第三章「低体重児出生とベビーブーム世代の免疫不全」から引用します。

「1945年生まれの子供が18歳になった1963年は、大学に進む既望に燃えてSAT試験(高校受験適正検査)を受け始めた最初の年であった。それはまた~殆ど20年間続いていたSATの通常の成績が、~突然、予期しなかった下降を始めた年でもあった」(同書P45)
「1963年から20年近く続いたSAT成績の低下は、1945年から1963年までの地上核実験に一致した低体重児出生の百分率の上昇の姿を、正確に、正反対に模写している。それらの年に起こった胎児のホルモン系と免疫系の組織に対する攻撃は、結果として750万のベビーブーム世代の多くに精神的、肉体的、精神医学的名問題を引き起こし、苦しめてきた」(P47)
「1994年に教育省が行った教育の進歩に関する評価では、1950年代から凡そ1964年までに生まれた子供の読書、数学、科学の成績が同じように低下し、その後、軽く上昇していることを示している」(P47)

これはネバタ砂漠という直近で繰り返し核実験を行われたアメリカの人々の記録ですが、いずれにせよこの世代を生きてきた私たち、あるいはこの世代を親に、祖父母に持つ私たちは、米ソ政府を初め、当時の核実験当事国に対して、刑事告発をすべきだし、当然のものとして命を傷つけられたことへの補償を求めるべきです。
それと同時に、私たちと、今の子どもたち、つまり当時の人々にとっての未来世代を守ってくれたあのときの女性たちを先頭とした輝かしい運動に、深い感謝をささげる必要があります。大気中核実験が続けば被害はもっと甚大になっただろうからです。

1959年生まれの私も、小さいときに母親に「雨にあたると頭が禿げるから当たっちゃだめ」と激しく諭された覚えがあります。母は積極的に社会運動を担う人ではありませんでしたが、周りの多くの女性の叫びを聞いて、私を守ろうとしてくれたのでしょう。
子どもの私は、なぜ雨に当たると頭が禿げるかが分からずとにかく怖いと思ったこと、それでも母の真剣なまなざしに、分からなくても聞かなくてはいけないなにかを感じたことを覚えています。その後、小学生高学年になって広島原爆を描いた漫画『はだしのゲン』を読み、ゲンの頭髪が抜けてしまうことをみて、「これかあ」とゾーっとしたことを覚えています。

しかし同時に今、私たちが見つめておかなければならないのは、このように日本国内だけで3000万人という空前の署名運動が実現され、さらに大気圏内核実験を中止に追い込みながら、私たちの世の中が、原発建設を容認してしまったこと。核兵器反対を原発反対につなげられず、核の世界にとどめをさせなかったことです。
そもそも原発の建設そのものが、核兵器反対運動の高揚に対し、「原子力の平和利用」を対置して、「核」を生き延びさせる位置性を多分に持っていたのでした。当時の人々はこれを打ち破ることができなかったのです。

原子力の平和利用宣言が出されたのは1953年。アイゼンハワー大統領のもとによってでした。アメリカは国内の汚染の高まりへの不安に対置する形で「平和利用」を持ち出しました。
ではなぜ原発建設が必要だったのでしょうか。原爆を作るためにはまずウランを濃縮させる必要があります。天然のウランは0.6%しか核分裂しません。正確には0.6%のウラン235が核分裂性であり、残りのウラン238は核分裂しないのです。
ところがこの核分裂しないウラン238に中性子があたると、それが取り込まれてウラン239になり、それが変化を重ねてプルトニウム239が生まれます。それが原爆の主要な材料とされたのです。

原子炉はもともとこのようにしてプルトニウムを取り出すために作られた装置でした。濃度を高めたウランがあってはじめて核分裂の連鎖反応が起きる。このとき放出される中性子が、ウラン235とともに装着されたウラン238にあたるとプルトニウムが生まれる。
そのためもともと原子炉はプルトニウム生産炉と呼ばれていました。そしてこの炉の運転の前提をなすのがウランの濃縮でした。

しかしウラン濃縮の工程が大変、複雑であるため、必要な量だけを的確に作ることができませんでした。濃縮ウランはどんどんできてしまうのです。だからといって濃縮工場をいったんとめてしまうと再稼動に非常に長い時間がかかる。冷戦下における兵器製造工場としてはそれではまずい。
そのため膨大に生み出されてくる濃縮ウランの使用先が求められたのです。そのとき着目されたのが、核分裂の際に膨大な熱が生まれ、冷却剤が必要でそれが熱を持つことでした。思考錯誤の末に冷却材は水に落ち着きましたが、水は熱せられて膨大な水蒸気を生む。ならばそれでタービンを回そうと生まれたのが原子力発電だったのです。

このように原発は、濃縮ウランの需要先を作るために必要とされた位置を持っていました。アメリカはそれを「原子力の平和利用」に結びつけ、推進を開始したのです。
この原発の推進において大きな位置を持った国が、ほかならぬ日本でした。なぜか。日本が唯一の被爆国だったからです。原子爆弾で被災した日本人が自ら原子力発電を進める。これほど悪魔の殺人兵器、原爆から転換し、「平和のための利用」という原発のイメージを上げるものはありませでした。

さらに最近、出てきた情報では、日本への原発の導入は、ビキニ環礁での被災に対し、女性たちを中心に始まった反核運動を押さえ込む奥の手そのものとして行われたという論も出てきています。それが先にも紹介した『戦後史の正体』(孫崎享著 創元社)の記述です。
当該箇所では読売新聞正力松太郎の懐刀であった柴田秀利の著作『マスコミ回想録』から次のような引用がなされています。孫引きで恐縮ですが紹介しておきます。

「第五福竜丸がビキニ環礁水爆実験で被爆します。これを契機に、杉並区の女性が開始した原水爆実験反対の署名運動はまたたくまに3000万人の賛同を得、運動は燎原の火のごとく全国に広がった。このままほっておいたら営々として築きあげてきたアメリカとの友好的な関係に決定的な破局をまねく。
ワシントン政府までが深刻な懸念を抱くようになり、日米双方とも日夜対策に苦慮する日々がつづいた。そのときアメリカを代表して出てきたのが、ワトスンという肩書きを明かさない男だった。
数日後、私は結論を告げた。『日本には昔から毒には毒をもって制するということわざがある。原子力は双刃の剣だ。原爆反対をつぶすには、原子力の平和利用を大々的に歌い上げ、それによって偉大な産業革命の明日に希望をあたえるしかない』と熱弁をふるった。この一言に彼の瞳が輝いた。
『よろしい。柴田さんそれで行こう!』彼の手が私の肩をたたき、ギュッと抱きしめた。政府間ではなく、あくまでも民間協力の線で「原子力平和利用使節団」の名のもとに、日本に送るように彼にハッパをかけた。
昭和30年元旦の紙面を飾る社告を出して天下に公表した」(同書P176)

この文書は孫引きですし、「原爆反対をつぶし、原発を導入した功績」を柴田という人物が誇っているもので、どれだけの信憑性があるのかは分かりません。ただこうしたことを書きうるような背景があったことは事実なのではないかと思えます。まさに原発は、核兵器反対運動への対抗軸の位置を持って導入されたのです。

ではどうして当時の人々は、原水爆には対抗できても原発には対抗できなかったのでしょうか。詳しくは歴史を総括しなければならないことですが、僕は二つのファクターをおさえておくことが大切だと思います。
一つに、核実験反対運動が、低線量被曝の恐ろしさを暴くものとして進められながら、内部被曝の恐ろしさが徹底して隠されていたことで、そこまで突っ込んだ暴露がなされなかったことです。
もう一つは社会運動を担う人々の多くも、エネルギーが大きくなり、生産力が高まることが、未来の幸福の拡大の必要条件だと捉えており、原子力の利用もその一つと想念された面があることです。

その象徴の一つが、手塚治虫さんが書かれた漫画、『鉄腕アトム』ではないでしょうか。鉄腕原子君です。原子君の妹はウランちゃん。お兄さんはコバルト君。物凄い原子力一家です。しかしアトム君は「心優しい、科学の子」としてとらえられました。
もちろん手塚治虫さんが間違っていたとか、そういうことが言いたいのではありません。あれほど命を大事にした手塚さんでさえそうであったこと、つまりそれは歴史の限界であったのだと僕には思えるのです。

そしてそのことは、なぜ当時の運動が反原発へと高まらなかったのかをこれ以上、考えることよりも、まさに今こそ、1950年代に果たせなかった核の真の意味での廃絶という課題を受け継ぎ、実現すべき時なのだということを私たちに問うているのだと僕は思います。
その意味で1950年代の運動に感謝すべき私たちは、まさにあれから60年ぶりとも言えるような、大きな核反対の運動をさらに育て、今度こそ、核の時代を本当に終わらせるところにまで進む必要があります。その際の重要なキーワードこそ「内部被曝」です。
1950年代のバトンを受け継ぎ、走り、未来世代に何かを投げていくこと、それを自らに問うことが、ビキニ環礁水爆実験を、今、問い直すことであると結論づけて、この考察を閉じたいと思います。

終わり

 

 

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