明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(601)連載501回から600回を振り返って・・・カンパのお願い

2012年12月22日 23時30分00秒 | 連載の節目に・・・カンパのお願い

守田です。(20121222 23:30)

みなさま。「明日に向けて」が本日で連載600回を超えました。当初配信した「地震情報」48本とあわせて今日で649本目になります。僕なりに、放射能時代を生き抜いていく上での何かのヒントをご提供したいと思ってきました。僭越ながら少しはお役にたてたのではないかと思っています。

もちろんこうした活動は、多くの方のご支援があってこそ成り立ってきました。たくさんの方が講演に呼んでくださったり、繰り返しカンパをしてくださったおかげで、活動を継続してこれました。深い感謝を述べさせていただきます。
同時に、今後の活動の強化のために、再々度、みなさんにカンパを訴えます。そのためにもこの間の活動を振り返り、今後、僕が取り組もうとしている課題を明らかにしておこうと思います。

「明日に向けて」が連載501回を迎えたのは本年の7月1日のことでした。以降、今日まで東北の岩手県大槌町、山形県山形市、米沢市、福島県会津若松市、いわき市、福島市、宮城県仙台市を訪れたことをはじめ、京都近郊の都市、広島県、福井県なを回ってくることができました。
とくに印象深いのは、若狭湾の周りの地域のみなさんに呼んでいただいたことです。日本の中で唯一原発が稼働しており、福島とともに原発事故の危険性が最も懸念される地域ですが、その中で訪れた町は、西から兵庫県篠山市、丹波市、京都府舞鶴市、宮津市、与謝野町、伊根町、福井県大飯町、高浜町でした。

招いてくださった方は多様ですが、農の営みに従事する方たちが多かったことに特徴がありました。都市生活を捨てて農村に赴き、有機農を営んでいる方たちも多い。その方たちとのつながりから、地域で農の営みを長く続けている方々も参加してくださいました。美味しい食べ物で僕を迎えてくだり、とても温かい交流を重ねることができました。
地域の自治会が講演会を主催してくださったこともありました。ある町は講演会に町長がメッセージを送ってくださいました。これも都市部ではありえないことです。とくに兵庫県篠山市では、原子力災害への対策への関わりもさせてもらうなど、市の人々との関係が深まっています。

他方で広島県の各都市のみなさんとの交流も深めることができました。尾道市の方たちが僕を呼んでくださったことから始まり、近くの地域に輪が広がり、夏には尾道市、福山市、三原市での連続企画が実現しました。さらに11月に広島市に呼んでいただき、今後、三次市などにも訪問する予定です。
広島でお話すると、集った方の中に被爆者や、2世、3世の方がおられます。アメリカ軍が作った被爆者の調査機関ABCC(原爆傷害調査委員会)に「子どもの頃に自分が調べられていることが最近分かった。悔しい」などと話してくださる方もいました。
繰り返し述べてきたように、内部被曝隠しは、原爆を投下したアメリカによる被爆者調査から始まっています。それだけに広島・長崎は、深いところで福島原発事故につながっています。だからこの事故と問うときには、原爆投下に遡って問題を見ていかなくてはならず、その意味でも広島の方に繰り返し呼んでいただけることは僕にとってとてもありがたいことです。

同時にそもそも僕は、昨年の3月11日以降、不思議なほどに被爆者や2世、3世の方と出会ってきました。亡くなられた被爆者の方たちの魂が僕の背中を押してくれているのだと解釈してきましたが、実は僕の父自身が、原爆投下時に陸軍兵士として呉に入り、被曝していた可能性が高いことを今年になって確信しました。
父の被曝がどれぐらいだったのか、30年以上も前に父が59歳で他界してしまったので知る由もないのですが、そうであれば僕も被爆2世であることになります。いやその後の原水爆実験のことを考えるならば、私たちのほどんとが放射線被曝を受けている犠牲者です。その重大な事実への認識を今更ながらに深めてきたのがここ数ヶ月でした。

それらを東北の諸都市、若狭湾周辺、広島各地の方々と出会いながら深めてきたわけですが、同時にこれらの人々との触れ合いは僕に、この国が底辺から、確実に変わりつつあるという確信ももたらしてくれました。どこにいってもたくさんの人々が覚醒して、この問題を考え抜いているからです。本当にすごい熱気がいたるところを支配しています。
ちなみに総選挙の後に、僕はすぐに「この選挙は民意を反映していない」という分析しましたが、そのように僕が考えられたのは、今、ここに上げた地域を回っていて、そこでのみなさんの真剣な眼差しと、選挙をめぐる喧騒があまりにかけ離れていることを感じていたためでした。とくに都市部から離れたところで進んでいる変革の息吹は本当に力強いのに、選挙に結びついていなかった。
そのため、僕には自民党圧勝という結果にはなんら驚きませんでした。むしろ確実に育っている熱気を強めるために、これまで出会った方たちと連帯していこうと、選挙前からすっきりと思うことができました。今も自民党の小選挙区制によって歪められた圧勝によって、より多くの人々が覚醒するだろう、ならばそこに棹させばいいと織もいます。そうすれば私たち民衆の能動性は必ずより強くなっていきます。

この時期を振り返って、もう一点、触れておかなくてはならないことは、僕が本年初頭より、体調をひどく悪くしてしまい、気功の達人である友人の医師や、その知り合いの漢方医さんに診てもらいつつ、セルフケアを重ねてきたことです。
真っ先に取り組んだのは食事改善でした。それまでも玄米を食べていたのですが、いったん酒と肉を完全に断ちました。また意識的に食べものよく噛み、ゆっくりと味わって食べるようにしました。その結果として体重が減りだし、、悪かった内蔵も回復し始めました。体重は70キロから62キロにまで落ちて維持されています。

しかし体調自身はそれ以降も一進一退が続き、夏前と秋に再度、悪い方に向かってもしまいました。さまざまなストレスを引き受けすぎたことが要因で、ある種の活動を減らさせていただくことにしました。また食べ物のことの研究をさらに深め、身体のケアにつとめてきました。その結果、数日前の診断で今年になって一番いい状態にまで身体をもってこれていることが分かりました。
もっともまだ完全にいい状態になったとは言えず、セルフケアの継続が必要です。そのために食事療法だけではなく、昨年3月以降、途絶えていたトレーニングを再開していくことが重要だと思っています。今回、大槌町にプロのスポーツトレーナー、キムカツコーチと訪問し、健康体操のレクチャーなどをしてもらいながら、自分自身がトレーニングが必要なのだということに強く目覚めました。

この体調のことは、個人的なことでありながら、同時に大切な社会的ファクターを持つ問題だと思っています。なぜなら今日、多くの方が津波被害によっても、被曝によっても、体調を崩されているからです。すでに亡くなられた方もおられます。こうした事態に健康面でのサポートを強化する必要があります。被曝の影響が現れることを待っていてはならず、身体にいいことを重ねて対処していくことが大切です。
そのことと放射線被曝の危険性の認識を深めることがセットになっていかなくてはなりません。内部被曝のメカニズムに対する知識を深めつつ、被曝に対応するための知恵を豊かにしていくことが必要なのです。僕としては自らの身体を通して学べたことをさらに深めながら、こうした点に今後、より力を注いでいこうと思います。

そのために以下の4点の研究と普及に取り組んでいこうと思います。(1)内部被曝のメカニズムとその危険性について。(2)放射線学が歪められてきた歴史について。原爆と放射線の関係性。(3)放射線測定に関する知識について。(4)被曝対策の方法について。(被曝をしてしまった場合にどうするのかという点と、被曝をいかに免れるのかの2つ)
より具体的には(1)では物理学・化学、分子生物学、医療、社会学(思想を含む)の4つの側面から深めていきます。(2)では原爆投下の影響、原爆傷害調査委員会(ABCC)および放射線影響研究所、原水爆実験と被曝、原発事故との比較検討論の4つの側面から深めていきます。(3)では日本の汚染の実態、測定のノウハウ、測定器、市民測定所の運営に関しての4つの側面から深めていきます。
(4)では被曝に免疫力をあげて対抗する方法(食事療法と運動療法の2つ)、被曝医療の現状(西洋医学と東洋医学の2つ)、避難をめぐる問題、除染の可能性の4つ側面から深めていきます。
 
これらを「明日に向けて」を媒介に発信しつつ、可能であれば書籍にまとめたいと思います。そのため強めたいのはインタビューとアンケートです。多くの方の声を拾い上げ、みなさんと一緒に問題を考察し、私たち自身をもっと賢くしていきたい。
またこれらの成果を、関東・東北への関わりの中に結びつけ、被災地支援を健康サポートの面から進めていきたいと思います。こうしたことのためのに、前々から計画していた内部被曝の知識と免疫を上げる内容を平易に解き明かした絵本のようなパンフレットの作成にもチャレンジするつもりです。

もちろん、原発再稼働を止めるための活動や、震災遺物(がれき)の広域拡散を止めるための活動も重要で、可能な限りの関わりを持ちたいと思いますが、僕自身としては上述の内容を自分のフィールドと捉えて、各地で奮闘しているみなさんの力になるべく努力しようと思います。

このためには取材・活動展開費が必要です。僭越ながらみなさんに、再度こうした活動へのご支援・カンパを訴えたいと思います。振込を記しておきます。どうかよろしくお願いします。

すでに自民党政権がスタートしています。この政権は民意を反映したものとは言えませんが、政治権力だけはしっかりと握っています。安倍総裁はさっそく原発再稼働の可能性を示唆し、沖縄普天間基地の辺野古への移設を打ち出しました。
「国防軍」の創設をうたい、選挙の最中に、憲法の基本的人権条項の否定まで示唆する人々が政権を握ったのですから、腹をくくってこれと対決していくことが問われるでしょう。そのためにも僕は私たちの知力を鍛えるために奮闘したいと思います。そのことで一緒に草の根から民主主義を育てましょう。民主主義を担う私たち自身を成長させましょう。
「明日に向けて」の(602)以降の記事も、ただただそのために書き続けます。ともに前に進みましょう!


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口座番号 2266615

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2012年8月から12月までのあゆみ
【7月】
7月6日 白い鳩保育園にて講演(京都市北区)
7月7日 小水力関連で古谷さんと対談(京都市東山区)
7月8日 長岡京市にて講演(京都府長岡京市)
7月14日 大槌町寺野勤労体育館にて講演(岩手県大槌町)
7月14日 大槌町第5集会所にて相談会(岩手県大槌町)
7月15日 大槌町吉里吉里吉祥寺で講演(岩手県大槌町)
7月15日 大槌町安渡第2集会所にて相談会(岩手県大槌町)
7月17日 山形市遊学館にて講演(山形県山形市)
7月18日 山形市遊学館にて講演(山形県山形市)
7月18日 米沢市伝国の杜置賜文化ホールで相談会(山形県米沢市)
7月18日 米沢市伝国の杜置賜文化ホールで講演会(山形県米沢市)
7月19日 会津若松放射能情報センターで講演会(福島県会津若松市)
7月21日 西陣和楽園で講演(京都市北区)
7月22日 東山区やすらぎふれあい館で講演(京都市東山区)
7月29日 北部クリーンセンター近くで講演(京市右京区)
講演15回岩手県大槌町、山形市・米沢市・会津若松市訪問

【8月】
8月9日 京都市にて講演
8月15日 京都府ゴーゴーワクワクキャンプで講演
8月18日 広島県尾道市にて講演
8月18日 広島県福山市にて講演
8月19日 広島県三原市にて講演
8月22日 京都府東舞鶴にて講演
8月23日 京都市労働学校にて講演
8月25日 京都市PAOSにてロクローさんと対談
講演等8回

【9月】
9月1日 山水人にて中嶌哲演さんと対談
9月2日 京都市西京区母親大会で講演
9月7日 広島県尾道市にて講演
9月8日 大阪市にてシンポジウム参加
9月9日 長野県高藤町の「小さな命の祭り」で講演
9月15日 高木基金放射線測定室講習会に参加(福島県いわき市)
9月16日 京都府与謝野町にて講演
9月16日 舞鶴復興ミーティングに参加
9月21日 京都市北白川 いずみ保育園にて講演
9月24~27日 台湾に旧日本軍性奴隷問題被害女性を訪問  
9月27日 兵庫県篠山市にて講演
9月28日 兵庫県丹波市にて講演
9月28日 京都府舞鶴市にて講演
講演等11回 台湾訪問

【10月】
10月4日 東京で内部被曝問題研記者会見に参加
10月7日 同志社大学の寮で原発事故避難の心得を講演
10月8日 京都OHANAプロジェクト大槌訪問報告会で講演
10月8日 滋賀県大津市で肥田舜太郎さん講演会に参加
10月20日 京都市左京区「茶山のさと」にて講演
10月21日 京都市室町学区ソーシャルキッチンにて講演
10月24日 篠山市原子力災害対策検討委員会会議に参加
10月27日 大阪府島本町にて講演
10月29日 奈良県奈良市にて講演
講演等7回

【11月】
11月2日 京都市北白川万井医院訪問
11月3日 大阪・イノチアクションで講演
11月4日 京都市にて衆議院議員平智之さんと対談
11月11日 京都市醍醐・母親大会で講演
11月13日 同志社大学の授業にて講演
11月13日 京都市ライトハウスにて講演
11月15日 グアテマラ・マヤ、スピーキングツアーに参加
11月18日 広島市にて講演
11月25日 京都市ベジタリアンフェスティバルにて講演
11月25日 京都府宮津市にて講演
11月25日 京都府伊根町にて講演
講演等9回

12月1日 福井県大飯町にて講演
12月2日 福井県高浜町にて講演
12月6日 京都市あゆみ助産院にて講演
12月8日 京都市YWCAにて講演
12月9日 「畑とつながる暮らし方」出版祈念パーティーに参加
12月11日 京都市仏教大学にてフライングダッチマンとの企画で講演
12月12日 兵庫県篠山市原子力災害対策検討委員会会議に参加
12月12日 篠山市でなんでも質問会で講演・応答
12月14日 小さき花・市民の放射能測定室訪問
12月15日 宮城県仙台市の被災者企画に参加
12月16日 福島市取材
12月18日 岩手県大槌町吉里吉里仮設にて講演
12月19日 岩手県大槌町小鎚第17仮設にて講演
講演等8回 
(501)~(600)の間に講演58回

 

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明日に向けて(600)仙台市、福島市、釜石市、大槌町訪問を終えて

2012年12月20日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121220 23:30)

東北でのすべての日程を終えて、今日、花巻空港から伊丹空港を経て、京都に戻ってきました。それぞれの地で迎えてくださったみなさま、どうもありがとうございました。

今回の東北訪問はとても濃密なものになりました。随分、たくさんの人とお話し、この地域のことを今までになく多角的に見ることができたようにおもいます。その中には感動的なことも悲しくなることもありました。
毎日、現地から何かを発信しようと思ったのですが、次から次へと続く出会いの一つ一つが消化しきれないままに、どんどん時間が過ぎていったこと、また活動を終えて、旅館に入ってから、総選挙のことを含めて、いろいろなメールのやりとりが問われたこともあって、記事が書ききれませんでした。
それでも仙台の企画など、ノートテークしたものがあるので、今後、すぐにも紹介していこうと思います。

それに先立って、今日、ご報告したいのは、東北は津波からの復興がまだまだ進んでおらず、放射線防護にいたっては、あまりに不十分なままにおかれ続けているということです。
無論、そこに住まう方たちの努力が足りないのではありません。政府の取り組みがあまりに不十分なのです。放射線被曝にいたっては、相変わらずウソの「安全宣言」が繰り返されていて、放射線値が高い状態が放置され続けています。
そのため被災地以外からの東北へのサポートはまだまだ必要です。これは関東の津波・放射線被災地でも共通に言えることだとおもいます。

例えば、福島市では、町の玄関と言えるJR福島駅周辺の放射線値が相変わらず高い。駅ビルの周りで0.8μS/hぐらいの数字が出ていました。駅の近くのあるビルの周辺を依頼されて測ったところ、30μSを超えるマイクロホットスポットが見つかってしまいました。この値を上限とする計測器が振り切れてしまいました。
こうした数値が出ることは予測していましたが、実測してみて何とも悲しい気がしました。とくに駅ビルの周りを一人、道行く若者たちとすれ違いながらガイガーカウンターを持ち、0.8μSなどという数字を目にしながら歩くにはなんともやりきれな気がしました。夢なら覚めて欲しい・・・きっと福島市に住んでいる多くの人々が、こうした思いを繰り返してきていることでしょう。
あるいは大槌町では、いたるところにまだ津波で破壊されたままのビルが残っていました。震災から1年9ヶ月も経ち、政権すら変わったというのに、まだあの日、壊れたままの姿で、ほとんど崩れかけの状態で、人による解体を待っている建物がたくさんあるのです。これも無性にもどかしくなる光景です。
 
こうした現実に対して何が必要なのか。現実に僕が担えることとは何か。まずこの現状を被災地以外の人々に知らせることです。その中には福島のことを大槌の人々に伝え、大槌のことを福島の人々に伝えることも含まれています。ともに事実があまりに知らされていないからです。
多くの地域がまだまだ助けが必要であること、助けを受けるのはこの地域の人々の人権であり、だから当然にももっとそれが保障されなければならないことを広範に伝えていく必要がある。

同時に、今、問われているのは健康面のサポートであると強く感じました。例えば仮設住宅を訪れると、多くの方が不自由な生活の中で、運動不足になり、太ってしまっている現実もあります。仮設そのものの不自由さに加え、商店の多くも流されて、買い物が不自由だったりして、自炊が前のようにはいかないためでもあると思われます。
家族を失い、一家団欒が亡くなってしまって、食事を作る気にもなれない方もおられます。あるいは避難生活のストレスが過食に結びついたり、いろいろな要因で、栄養の偏った食事になっている場合も多いと思われます。こうした状態の上に、なかなか進まない復興へのイライラ感が加味されており、そんな状態ではどうしたって病気のリスクが増えてしまいます。
一方で放射線被曝に対しては、放射能汚染から可能な限り離れることが大切ですが、津波を受けてすでに仮設住宅で避難している各地の方たちにはそれはあまりにも困難なことです。また福島市の場合も、僕は可能な限り避難していただきたいですが、政府が財政補償の責任を無視している状態では、どうしたって多数の人が動くことができず、被曝が続いてしまっています。

ではどうするのか。一つにはやはりすべての地域の方にきちんと内部被曝の危険性を伝え、防護の重要性を知っていただくことが大切です。しかしそれで防げない被曝、すでにしてしまった被曝への対処も強めていかなくてはいけない。そのためには身体を少しでもよい状態に持っていき、免疫力を上げていくことが必要であり、かつできることです。
そのためにこの間、食べ物のことを重視し、講演でも、どのようなものをいかに食べると良いのかという内容を語るようにしてきたのですが、今回、さらに健康体操を含めた適度な運動などを通じ、身体そのもののケアしていく重要性を強く感じました。
それでこの面、放射線防護の実践的知識、これに絡む、身体を強くする食べ物についての知識、さらに健康体操など、心身の疲れを自らとり、自己治癒を可能とするスポーツ生理学などの知識を、講習会をはじめさまざまな手段で伝えていくこと、それらをセットで提供していくことが重要だと思うのです。それで健康面でのサポートをしていく。

実はこうした確信を深められた根拠として、今回の大槌町訪問に、京都OHANAプロジェクトのお仲間で、プロのスポーツコーチであり鍼灸師でもある木村克己さん(キムカツコーチ)が同行してくださったことがありました。イタリアで自転車競技者を支えてきた杉原さんという若い方も参加してくださり、身体の専門家二人と一緒の訪問でした。
とくにキムカツコーチには、仮設住宅の集会室で、健康体操の指導をしていただいのですが、これがみなさんに大受でした!内容がとても素晴らしかった。ぜひ今後、みなさんに紹介したいと思いますが、直感的に思ったのはこうした体操などのセルフケアが、放射線被曝にも非常に有効だということです。例えば有酸素運動は、身体の隅々に血を巡らせて、酸素を行き渡らせますが、それ自身が抗がん作用を持つ行為であるなどです。
それでその後に2回行った僕の講演でも、話を終えたあとにキムカツコーチに健康体操の指導をしていただいたのですが、この組み合わせもとても評判が良かった。これはいける!というか、大きな展望を感じました。

それにしても印象的だったのは、大槌町の仮設住宅に集ってくださった、50代から80代ぐらいの方たちが非常に熱心に放射能の話を聞いてくれたことでした。福島市の被曝状況にみなさんが心を強く痛めながら話を聞いてくださいました。みなさん、放射線の高い地域で苦しんでいる人々の痛みを、わがことのように嘆いてくださいました。
また僕は講演のときに、どこでも放射線による電離作用による分子切断など、被曝のメカニズムを原理までさかのぼって話すようにしていますが、それらの話もみなさんがウンウンと聞き込んでくださいました。非常に高い問題意識を持っておられる方もいました。
僕は必ず、被曝のメカニズムに続いて、では被曝してしまったらどうしたらよいのか、免疫力を上げて対抗していくことが大切だというお話しています。最近はそれと食べ物の話を連動させているわけですが、ここは本当に熱心にみなさんが聞いてくださいました。それだけにそのあとで行う健康体操が非常に有効だったのです。

今後、ぜひ、こうしたフィジカル面での健康増進とセットにした放射線防護の取り組みを強化し、それを被災地の方々にさまざまな手段、機会を通して提供したいと思います。同時にこうした内容そのものをより深化するために、ぜひ西洋・東洋双方の医師との連携を深め、かつまたさまざまな健康調査とも組み合わせる形での取り組みを作り出したいとおもいます。
各地域の市民の方たち、とくに現場のお母さんたちの持っているネットワークにもご協力いただいて、市民の側から作り出す有効な被曝対策を重ねていきたいと思うのです。

東北に行って、あらためて感じることはやはり私たちの国の被曝は深刻であるということです。放射線防護を徹底して進めたいですが、しかしすでにこれまでものすごい量の被曝が起こってしまっているし、残念ながら今後も避けらない多くの被曝が続くでしょう。
それが確実に健康被害に連なっているし、今後もそうなるだろうと僕は確信していますが、だからといってその結果を座して待っていてはいけない。健康被害をできるだけ抑え込む努力が必要です。今回の東北訪問、とくに大槌町への訪問で大きくその展望を(まだ自分にとっての展望に過ぎないにせよ)開くことができたのではないかと感じています。
そのためには、みなさんに今後もぜひとも支えていただきたいです。それで東北、そして関東へのより力強い関わりを続けたいと思います。
 
なお、今回、大槌町で今後の活動の発展に向けた大きな「いとぐち」を掴むことができたのは、一にも二にも、現地で非常に手厚い被災者支援、まちづくりの活動を続けている「NPO法人 まちづくり・ぐるっとおおつち」の方たちの受け入れがあったおかげです。
「ぐるっとおおつち」の方たちとは、中古自転車を東北に届ける過程で知り合いました。媒介してくれたのは、私たちの京都の友人で、震災直後から大槌町でのボランティア活動に飛び込んだ千田悦子さんでした。彼女が築いてくれた京都と大槌を結ぶ縁に助けられながら、私たちはその後の活動を展開してきています。
今回はその「ぐるっとおおつち」の皆さんが、キッチンカーを出して下さり、仮設住宅で、大槌の野菜を使ったカレーを振舞って下さいました。みんなでの食事会の楽しさもあって、多くの方が集まってくださいました。ちなみにカレーに使った食材は、吉里吉里に立ち上がった放射能市民測定所で、セシウム不検出がしっかり確認されたものでした!

いつもながらの「ぐるっとおおつち」のみなさんの手厚い受け入れに感謝を述べさせていただき、東北訪問の報告の第一段を閉じたいとおもいます。

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明日に向けて(599)自民党は民意など得ていない!憲法を、人権を守ろう!

2012年12月17日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121217 23:30)

岩手県釜石市の旅館にいます。東北をめぐる旅の途中です。
14日京都を出発、東京を経て、その日のうちに仙台に到着。「小さき花・市民の放射能測定室」を運営してる農民科学者の石森秀彦さんに迎えていただき、彼の家に向かいました。夜と朝をかけて、放射線測定に関して深く意見を交わしました。

15日は仙台での被災者企画に参加。午後1時半から9時までという長丁場ながら、ものすごい深い内容が詰まっている企画に参加できて、胸をゆすられっぱなしでした。しかもその後、主催者の穂積さんご夫妻のご好意で、出演者のみなさんと一緒の宿泊地へ。翌日明け方の3時半まで討論を重ねました。

16日は福島市へ移動。車中で今回、僕を誘ってくださったフォーラム福島の阿部さんや、相馬高校放送部の生徒たちを率いている渡部先生などと意見を交換し、市内では飯舘村から移ってきた喫茶店あぐりや、フォーラム福島を訪問しました。

そして今日、17日は朝方に福島市内で放射線計測を行い、その後に、再び新幹線で仙台に戻り、京都から夜行バスでやってきた京都OHANAプロジェクトのメンバーと合流。一路、岩手県大槌町めざして午後四時過ぎに到着。地元のNPOぐるっとおおつちのみなさんの事務所を訪ね、明日、明後日と続く企画の打ち合わせをして、宿泊地の釜石に戻ってきました。この非常に濃厚な数日間に得たことは多く、すぐにも記事にしたいことが僕の頭の中にぎっちりと詰まっています。

にもかかわらず、今宵は優先的に書かねばならないことができてしまいました。総選挙についてです。今回の自民党の「大勝」は僕にとってはまったくもって予想通りの結果であり、何らの驚きもありませんでした。しかし京都の親しい友人、ブログを読んでくださっている方、岩手県在住で明日からの企画にかけつけてくれようとしている方・・・など多くの方が、今回の結果を憂いて僕に意見を求めてきました。

とくにある方は、「自分の小さな息子を見ていると、この子がいつかこの人のせいで徴兵され、人を殺す訓練をさせられるのかもしれないと思うと、石原氏の顔を見て涙が出てきた」と語られました。これを聞いて僕は「すぐにも何かを書かなくてはいけない」という思いを強くしました。

選挙の結果に憂いを感じているみなさま。結論から先に述べます。
(1)今回の結果は小選挙区制という非常にゆがんだ国政選挙制度が作りだしているもので、民意を反映したものではありません。とくに「国防軍」の建設をうたう自民党に強い支持が集まったのでは断じてありません。それどころか自民党は、大敗北した前回選挙に比べて、たいして得票を伸ばしてすらいません。つまりこの国の民意が、この右傾化する党を選んだわけではないのだということをしっかりと見据えておく必要があります。

(2)同時に今回の選挙には、首相官邸前を10万、20万で取り巻いてきた国民・住民・市民の声がまったく反映されませんでした。その理由は、脱原発を掲げた政党のほとんどが、原発問題をエネルギー問題としてしか打ち出せず、今も継続しており、破局に向かう可能性すら内包している事故問題として、あるいは被曝問題として、打ち出さなかったことにあります。要するに福島原発事故への批判があまりに不徹底だったのです。だからこそ、世論を二分するような論議になりませんでした。

(3)この2点目はマスコミによっても強められてきたことでもあります。今なお4号機が非常に不安定な状態にあり、世界に大変な被曝のダメージをおこしうる事故の可能性が去っていないこと。そのために日本の総力を事故の拡大の防止のために投入するとともに、広域の避難訓練を行うべきこと。またそんな状態も踏まえて、住民の避難権利を拡大し、せめて子どもたちの疎開を促進することが問われていることなど、本当のことを数日でも書きつらねさえすれば、選挙の争点は大きく変わっていたでしょう。

(4)にもかかわらず、自民党は今後、脱原発政策を反故にし、それどころか憲法改悪に手を染め、9条をなくして国防軍を創設し、基本的人権の縮小にまで踏み込んでくる可能性があります。それはこれまでよりも格段に高い可能性ですが、それに対してどうすればよいのかといえば、答えは実に単純です。真正面から立ち向かえばよいのです。そうすることことが私たちに問われているのです。

(5)私たち自身が、選挙に反映していない民意を目に見える形に変え、高々と掲げるのです。憲法を守るだけでなく、真に生かさなければならない。いや一歩先まで進んで、基本的人権が「国籍」によって差別されていることを越え、この国に住まう全ての人に人権が認めるところまで進まなくてはいけない。そのような不断の努力の中でこそ、人権は守られ、だから今、被曝に苦しむ人々の権利も守られていきます。

(6)その可能性はすでにこれまでの多くの人々の能動的な活動の高まりによってはっきりと示されています。放射能をめぐる企画が全国津々浦々で重ねられている現実。再稼動反対運動や、がれき焼却反対運動が各地で取り組まれている現実。これまでないほどに市民自らが科学をしている現状。それは本当に凄いものがあります。にもかかわらずそれらが選挙に反映しなかった。選挙制度、既成政党、マスコミの限界です。だからこそそれを下から覆していく行動が今こそ問われているし、その展望は非常に大きく切り開かれていると僕は実感してます。僕自身、この流れを促進するために全身全霊を傾けたいと思います。

以下、上に掲げた点のうち、とりわけ今回の選挙で自民党が民意を得ていないと僕が断言する根拠を補足していきたいと思います。とくに僕が指摘したいのは小選挙区制という、民主主義に著しく反した制度の矛盾です。

まず今回の衆院選で各党の得票率と議席占有率の関係を300小選挙区でみてみます。すると分かるのは自民党が、43.0%の得票率で237もの議席を獲得していることです。占有率はなんと79.0%。4割少しの得票で8割の議席を獲っているのです。一方、民主党は22.8%の得票率で獲得議席数はわずか27。占有率は9.0%です。票数では半分以上なのに、議席数は237対27。これはあまりにもめちゃくちゃではないでしょうか。

この小選挙区で落選候補に投じられ、投票が議席獲得に結びつかなかった「死票」は、全国の合計で約3730万票に上っています。なんと3730万人の意志が無視されているのです。小選挙区候補の全得票に占める「死票率」は56.0%。前回が46.3%だったので、9.7ポイント増となっています。ここにも今回の選挙があまりに民意を無視した結果をもたらしていることがあらわれています。

比例選(定数180)をみても、自民党が信任を受けたのではないことがはっきりします。なぜなら今回の自民党の得票率は27.62%ですが、実にこの数は大敗した前回2009年衆院選の26.73%とほぼ同じだからです。それで前回は大敗で今回は圧勝です。

実際には今回の自民党の全国の比例得票数は1662万票で、2005年に「郵政選挙」で「大勝」したときの2588万票を大きく下回っています。2009年の1881万票にも及んでいない。この点にも自民党の支持が広がったなどとはまったく言えないことがあらわれています。

これらから言えることは何か。原発安全神話と同じように、選挙制度でも私たちは大きく騙されているということです。この国が民主主義であるという幻想にです。実際には4000万人近い人の票が死票になる中で、小選挙区では4割の得票で8割の議席を得たものが、他の4000万人の支持を受けた候補の多くを押しのけてしまっているのです。これで公明正大な選挙制度だといえるでしょうか。いや公明正大とまで言わなくてもいい。かろうじて民主主義であるとも言えないような制度がいまの私たちの国の選挙制度なのではないでしょうか。私たち有権者のことをあまりに愚弄するなと言いたいです!

僕が自民党の大勝を予測していたのは、この仕組みのためです。同時に、再稼動反対やがれき焼却反対で一生懸命に行動している人々の声も思いも、まったく不十分にしか選挙で争点化されていなかったためです。だから言いたいのはこのような不誠実な、民主主義とは言えない、まやかしの代表選に一喜一憂せずに、本当の民衆の行動、草の根民主主義を自ら育て、その力で、放射線防護を進め、原発の再稼動に立ち向かい、国防軍の創設にも抗って、平和と人権を守り、育てようということです。

前述したようにそれが可能であることを僕は非常に強く体感しています。
例えば、僕は明日、明後日、大槌町で講演しますが、これで昨年3月11日からの講演数は約190回にもなります。僕が凄いのではないのです。それだけたくさんの人が、放射能をめぐる勉強会を開催してくれたのだということです。
僕など名前が売れているわけでもなんでもない一介のライターです。そんな僕からすら話を聞き、学び放射線防護を進めようとする人々が本当に無数にいる。

それも都市部ばかりではないのです。最近、僕が呼ばれているのは、例えば兵庫県篠山市や丹波市、京都府京丹後市や舞鶴市、宮津市、与謝野町、伊根町など、農村や漁村が広がる地域です。広島県でも、尾道市、福山市、三原市などで呼んでいただきました。県庁所在地ではない多くの町々です。しかもそういうところにいって知るのは、すでにそうした地域が、原発問題を語れる人々を次々と呼んでいることです。

同じことが全国津々浦々で起こっています。本当にあちこちで、小さな集まりから大きな集会までさまざまな人の集まりが出来ている。僕は17歳のときから今日まで社会運動に携わっていますが、こんな連続的な熱気にさらされた経験はかつてありません。しかもどこにいっても参加者の多くが実によく学んでいる。科学をしている。科学をして、自らの生き方を問い、地域の行く末を本気で考えています。

選挙はその息吹とはまったくリンクしないところで進められてました。悔しくもありはしますが、しかし僕は国会や国会議員は、この国の中で一番最後に変わるものだと思っているので、まあそんなものだと初めから思っていました。
そんなところとは別に、今、私たちの国のいたるところで、最深部からの変革が始まっているのです。大切なのはそのことです。私たちは私たち自身の力にもっと自覚的になり、自信を深めていい。その力こそが原発稼動を2基にまで押しとどめているのです。私たちより環境政策で大きく進んでいるドイツでさえ、まだ8基も稼動していることなど私たちはしるべきです。

小選挙区4割の得票で、8割の議席を掠め取った自民党は、この本当の民意を押しつぶそうとしてくるでしょう。その場合の一番の手が、民衆に自ら失望するように仕向けることです。その一つとして現行の選挙制度もあります。民意など得なくても、あたかも得たようなふりをして政治権力を振るうことを合法化するのがこのシステムです。私たちはこうした手にもう騙されないようにしましょう。

民主主義、デモクラシーの語源は、民衆(デモス)に力(クラチア)のある状態です。今、その力はかつてなく高まっています。それがストレートに現れない選挙制度に騙され、ここで自信を失ってはいけない。それこそ権力者の思う壺です。
あまりに民意を反映しない選挙制度そのものを、原子力安全神話とともに覆すことを私たちは目指しましょう。

そのためにも、明日、明後日と僕は大槌の人々とともに、大槌で、この放射能時代をいかに前向きにいきて突破していくのかを考えたいと思います。そうして津波災害、原発災害の苦しみから、町を人々を再生せんとしている大槌の方たちの試みに何か一つでも寄与しようと思います。そのために一生懸命にお話しようと思います。

みなさん。しっかりと足元をみて前に進みましょう。焦ることなどありません。私たちはいま、大きく成長しつつあるのです。原発政策で繰り返し私たちを騙してきた人々が、あの手、この手で、私たちには力がなく、おろかで、自分の足で歩くことはできないと私たちを丸め込もうとして来ますが、それを跳ね返していきましょう。

私たちはもう多くの虚構に気づいてしまった。覚醒してしまったのです。だから私たちには未来が見えています。
ともに進んでいきましょう!

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明日に向けて(598)放射能時代の産婦人科医療(5)・・・完結

2012年12月13日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121213 23:30)

連載中の「放射能時代の産婦人科医療」の続きをUPします。2000年代に後半から続いている産科医療からの徹底の現実について触れた上で、放射線被曝が胎児に与える影響について触れました。
またそれが必然的にもたらしていると思われる産婦人科医医療の今への洞察を行なっています。これらの結論として、「社会的共通資本としての医療」の充実を、多くのみなさんが自らの課題としていただければとおもいます。
以下、記事をお読み下さい。

*********

産科からの撤退の現状

ハイリスク分娩の増加の中での労働の過酷化、それに追い討ちをかける相次ぐ警察権力の介入を受けて、産科からの撤退はどう進んだのでしょうか。少し古い統計になりますが、2008年3月25日の厚労省の実態調査結果の発表によると、同年1月以降に、全国で77施設が分娩を休止したり、制限を設けたりしたことが報告されています。
分娩の休止は45施設(病院28、診療所17)、「里帰り出産」を断るなど、制限を設けたのは32施設(病院19、診療所13)で、地域別では、神奈川12、秋田9、愛知8、静岡7、長野、岐阜5となっていました。理由は医師の高齢化や退職でした。
厚労省は、このうち70施設は、近隣の施設で受け入れ可能と判断し、残る7施設への医師の緊急派遣を検討しました。これは2007年7月20日に発表された緊急臨時的医師派遣システムに基づくもので、退職した産婦人科医を募集し、6ヶ月限定で派遣して急場を凌ぐものでした。現役に近い医師の力を活用するのが厚労省の方針でした。

一方で日本産科婦人科学会は、同年3月14日に、「緊急的産婦人科医確保が必要な医療機関の調査」報告書を発表しました。調査は1月30日付で、全国の地方部会長宛に調査の依頼を行なって実現された。報告書の中で同学会は、この調査が医師不足の調査ではなく、緊急に、どうしても医師が必要な機関の調査であり、それが問題の抜本的解決の方策ではないことを強調しています。
同学会によれば、国の行なう緊急臨時的医師派遣は、応募対象が定年直後の医師であり、それでは必要とされる場の過酷な状況に適応できない可能性があるといいます。また問題は、医師の絶対的不足と、労働環境の悪さ、待遇の悪さにあり、派遣によってではなく、医師の絶対数の拡大と、地域医療現場の改善を通じてしか真の解決にはなりえない。
そのため「緊急臨時的医師派遣は、勤務状況が劣悪であるために医師が撤退している病院の現場の改善を遅らせることにつながる可能性があり、無条件にその推進に賛成するわけにはいかない」のが、産婦人科医の立場であると述べています。しかしそれでもなお、根本的な対応策がなされるまでに、どうしても派遣が必要な施設に対するものとして、本調査を行なったというのです。

こうした問いに、北海道と32の県が110の施設の名をあげました。多数の対象をあげた県とその数をみると、宮城8、山梨5、長野7、大阪9、和歌山5、島根6、岡山5、高知5、熊本8、鹿児島6の10府県64病院でした。対象となる病院はないと回答したのは、秋田、東京、神奈川、新潟、石川、愛知、滋賀、奈良、鳥取、山口、香川、福岡、長崎、沖縄の14都県。このうち神奈川、秋田、愛知は、多数の施設がすでに1月より分娩を休止ないしは制限しています。
また医師1人当たりの分娩数が全国で最も多かった埼玉県は、回答不能とし、次のような意見を述べました。「医師の絶対数が埼玉では圧倒的に不足しているので、具体的な病院名や人数などを列挙できるような状態ではない」。
また同じく回答不能とした三重県は、「分娩を中止した病院ばかりを取り上げるマスコミ受けするような偏った視点ではなく、より根本的な問題点(分娩施設数が、勤務医の最低限の労働条件を確保するには多すぎること、産婦人科医・助産師の絶対数が足りないこと)についてご理解いただきたい」との意見を記載しています。

9施設の名をあげた大阪府も、次のように付帯意見を述べました。「現在挙げている9病院以外にも多くの病院が困っています。ドミノ倒しの様相です。1~2カ所に絞り込むことは不可能です。これはどこの都市部でも同じではないでしょうか?緊急的に全体のセーフティーネットを拡大することが必要と考えます。そもそも全国から1カ所ずつ要求が挙がったとして、全国で47名もの産婦人科医師をどこから調達するのでしょうか」。
これらから同学会は、「なし」という回答も、「緊急派遣」では有効性がないという意味で理解する必要があると述べています。

先にも述べたように、この調査は2008年3月25日発表のもので、それからすでに4年半が経過しています。この記事では、その後の経過を十分におさえておらず、現時点での状況をつかめてはいません。幾つかの変化をあげると医師不足への対応として、産婦人科医になることを条件とした奨学金制度が設けられたことが挙げられます。そのことが医師数の減少の歯止めにはなっているようですが、増えているのは新人の医師たちです。
また医療事故に対する医師たちの負担を減らす制度も導入されました。2009年から分娩中に、不可避または原因不明の医療事故で新生児が脳性まひになった場合、政府が20年間にわたり3000万円を家族に補償するものです。肝心なのは医師には法的・経済的責任が問われないとされたことです。 しかしその後、2011年3月11日に大震災が起こり、医療界全体が厳しい状況に立たされたことを考えるとき、けして十分なフォローがなされたとは言えないことは容易に推測されます。

これまで見てきたように、産婦人科労働は、あまりに過酷な状態にあります。にもかかわらずこの困難さへの理解が不十分な上に、警察の理不尽な介入と、マスメディアによる過剰な医療バッシングが繰り返されたために、一時期、現場はずたずたになってしまいました。
その後に、この崩壊状態を改善とする兆しが見られ始めましたが、それが十分に効力を上げる前に、私たちの国は東日本大震災に直面してしまいました。地震と津波被害だけでも、相当な医療の力がそこに割かれてきているわけですが、その上に、悪夢のように重なるものとして放射能被曝が私たちの国を、そうしてまた産婦人科医療を襲っています。その中でどのようなことが起こっていると考えられるのか、次に見ていきたいと思います。


放射線被曝と胎児

放射線が人体に与える影響はさまざまな面がありますが、その中でも重要なのは、私たちの「命の鎖」であるDNAが、放射線が当たることによって切断されてしまうことです。直接的に切断されることもあれば間接的に切断されることもあります。もっともDNAは非常に重要な情報のつらなりであるため、らせん状の二重のラインで情報を守っています。このため多くの場合、切断されても自己修復する機能があります。P53という、修復を司る遺伝子があることもわかっています。
ところがこの二重のラインがほどけて1本になるときがあります。細胞分裂の時です。2本が1本ずつに分かれ、それぞれが自己複製して2本になる。こうして細胞分裂が完結するわけですが、この1本の状態になったときに放射線に襲われると、DNAは自己回復が難しくなります。そのため細胞分裂が激しく起こっている細胞ほど放射線に弱いことが分かります。どんな細胞かといえば、粘膜などがそうです。放射線被曝で、鼻血が出たり、口内炎ができたち、下痢が起こりやすいのはそのためです。

脳の中にも細胞分裂が激しいところがあります。記憶をつかさどる「海馬」と呼ばれる部分です。次々と入ってくる新しい知識のために、活発に細胞分裂して対応しているわけですが、この海馬がダメージを受けてしまうのが、アルツハイマー型認知症で起こっていることです。そうなると新しい知識が蓄えられなくなります。放射線被曝でも同じことが起こりうると考えられます。そうすると新しい「知識」だけでなく新しい「発想」もできなくなる。意識が硬直化してしまうのです。
このため、細胞分裂が激しい人ほど、放射線に弱いことが分かります。誰かと言えば子どもであり胎児です。年齢・月齢が小さいほど、よりダメージを受けやすい。

より深刻なのは、細胞分裂中の細胞ではなく、細胞分化前の細胞がダメージを受けてしまうことです。細胞分化とは同じものが複製されて増えていく細胞分裂とは違い、細胞が幾つかの機能に分かれていくことをさします。母親の胎内で生まれた受精卵がやがていろいろな機能に分かれていってはじめて私たちは卵の形から、手や足が生まれ、内蔵などが作られていくわけです。
細胞分化は胎児のときに最も激しく行われますが、誕生してからのちも行われ続けるものがあります。何を作る細胞においてかというと血を作る細胞においてです。細胞分化をする前の細胞を「幹(みき)」の細胞と書いて、幹細胞(かんさいぼう)と呼びます。血を造るのは造血幹細胞で、ここから赤血球や白血球、血小板が分化してきます。

このためこの造血幹細胞が放射線で被曝すると、血を造ることがうまくできなくなってしまう。その結果生じるのが血の病気=白血病などです。このためがん治療で、放射線を使う際に、あらかじめ自分の造血幹細胞を抜いておいて保存し、あとで自己移植するという治療が行われることがあります。がんをたたく強い放射線で、造血幹細胞も破壊されてしまうので、がんをたたいた後、とっておいた造血幹細胞を体に戻して、壊れてしまったものを補うのです。
ちなみに福島原発事故後に、東京の虎ノ門病院が、福島原発で働く人々のために、造血幹細胞の採取に乗り出しました。さらに国がこれを大規模に進めることを主張しましたが、被曝の影響を小さくみせたい政府は無視してしまいました。あのとき虎ノ門病院の提案が大きく取り上げられればと思うと無念でなりません・・・。
http://expres-info.net/acv/2011/03/autopbsch.html

さて、このように見てきたように、胎児の場合は、細胞分裂も細胞分化も激しく行われているため、放射線に極めて弱いことがわかるとおもいます。にもかかわらず深刻に被曝をしてしまうとどうなるか、細胞分化がうまくできなくなってしまい、発育ができなくなる可能性も出てくる。そうなると流産・死産に直結してしまいます。
またチェルノブイリ事故の経験などから明らかなことは、早産が多くなり「低出生体重児」が多くなることでした。低出生体重児とは体重2500キログラム以下で生まれてくる子どものことです。早産の場合と、予定日間近の場合に別れますが、前者の場合、身長が出生人平均身長よりも低い、皮膚が薄くて赤みを帯びている、産毛が生えて柔らかく傷つきやすい肌状態、泣き声も小さく、目が開いていないことも、手足を動かしたり、首を動かすことが少ない、男の子は睾丸が陰のうに下がっていない状態などの特徴があります。
この他、生まれてきた子どもが何らかの先天的な傷がいや病を抱えているケースも、チェルノブイリの経験では増えました。

そもそも「低出生体重児」は、福島原発事故以前から増加傾向にあり、それそのものがハイリスク分娩の原因のひとつとなってきたわけですが、そのさらなる増加はさまざまな意味でお産の現場の困難を増幅させます。第一にただでさえ大きなものとなりつつある妊娠期間や出産時のリスクがより大きくなってします。
第二にそれが妊婦と医療者に大きくのしかかり、両者ともに抱える精神的負担も大きくなります。医療サイドはしばしば、妊婦の抱えるストレスを分かち持たねばなりませんし、死産・流産の場合に、母体を肉体的にも精神的にも守らねばならず、ストレスは増すばかりです。

現におこっているお産の現場の苦労に関しては、またあらためて取材し、レポートしていきたいと思いますが、ともあれ放射線被曝は、どう考えてもお産の現場をより困難にしてしまうに違いありません。にもかかわらず、このことに社会的な光があたっていないために、現場に苦労だけが押し付けられていることが推測されます。困難に対する社会的バックアップがなされていないからです。
実はこうしたことはすでに激烈に起こっているのではないかと思われます。なぜなら放射性物質は、事故直後に最も大量に放出され、半減期の短く、単位時間あたりではより大量の放射線が出るものも飛びだしていたからであり、しかも当時は、今の市民全体のレベルからいっても、被曝防護の知識は乏しく、多くの人々が無防備だったからです。

そのため多くの妊婦と胎児が被曝してしまい、その後の経過をたどったはずです。その子達はすべて「誕生日」を越しており、その経過でいろいろなことがあったことが考えられますが、それが津波被害も受け、多くの人々が避難している状態に重なっていったわけですから、現地の医療現場は本当に大変だったのではと思われます。
無論、こうした分析にはデータ的な裏付けがありません。論理的になしうる推論と、幾つか聞こえてくる東北・関東の医療現場の悲痛な声をもとに考察を進めており、僕なりに間違ってはいないという確信はあるものの、有意なデータとして示すことは今は困難です。
しかしこのことに注意を喚起し、放射能時代の産婦人科医療の困難性を、多くの人々とシェアしあい、社会的に支える仕組みの強化を図らないと、私たちの生活の底が抜けていくような事態が起こりかねないと思うのです。


社会的共通資本としての医療の充実を!

これまで僕は、放射線被曝の影響が最も出やすい医療現場として、産婦人科医療を取り上げてきました。この医療現場はもともと非常に苦しくなっており、その上に被曝が重なっているため、どの領域よりも先に手厚い手当をしなければならないと感じるからです。
しかしこれは医療の他の領域でも言えることです。被曝はすべての生物の命の力を弱くします。免疫力が低下し、あらゆる病気が発生しやすくなります。だからこそ医療に大きな力を注ぐことが、放射線対策として非常に重要になります。ヨウ素被曝で懸念される甲状腺の検査体制、治療体制の強化が急務であることはもちろんですが、しかしここだけに目を奪われていてはいけない。あらゆる領域の強化が必要です。

その際、訴えておきたいのは、医療は「社会的共通資本」であることです。社会的共通資本とは、私たちの生活の基盤をなす多くのもので、市場原理に任せたり、官僚の恣意的な支配に任せてはいけないものです。
とくにお金儲けの手段にしてはいけない。医療が社会的共通資本であることはわかりやすいと思いますが、社会的制度としては、他に教育・金融などが最も重要な社会的共通資本です。

この観点にたって、産婦人科医療と小児科医療を中心に、医療全体の強化を図っていくことが問われています。またこの際の医療に、東洋医療を大きく組み入れ、鍼灸や漢方など、免疫を上げてあらゆる病に対抗していく古の知恵をもっと大胆に社会的に活用していくことも大事です。
放射線被曝と立ち向かい、私たちの幸せを守るために、医療の充実が非常に重要だということを、とくに産婦人科医療をすべての人の力で支える重要性を心のそこから訴えて、この連載を閉じたいと思います。

終わり

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明日に向けて(597)選挙について、災害対策について

2012年12月12日 09時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121212 09:00)

選挙について、災害対策について、思うところTwitterでつぶやいたところ、非常に多くの方が読んでくださいました。
短く要点をまとめることは大事ですね・・・。こちらにもアップしておきます。どうかお読み下さい!

なお僕のTwitterのアカウントは@toshikyotoです。こちらもご覧ください。FACEBOOKのページは以下です。http://www.facebook.com/toshiya.morita.90

*****

選挙について

今回の選挙についてtwitterでつぶやいたことをまとめておきます。(12月5日)
 
今回の総選挙で、原発問題が一つの争点になっています。しかしすべての党がエネルギー問題としてしか扱っていません。実際には原発問題は被曝問題です。放射線防護の徹底、避難権利の拡大、がれき広域拡散中止という主張がないのが選挙の最大の欠点です。選挙がどうなろうと大事なのは民衆の行動です。
 
今回の選挙の欠陥は、4号機の倒壊の可能性を含め、福島原発が今なお極めて危険な状態にあり、東日本壊滅の恐れがさっていないことをどこも取り上げていないことにもあります。自民党などはこれ抜きに「国防軍を」などと言っていますが、国を守る気などないことがここからも分かります。
 
国・・・というより国民・住民・市民を守るために本当に今必要なことは、日本中の英知を福島原発に結集して崩壊を防ぐことと、全国をあげて原発災害避難訓練を行うことです。とくに4号機倒壊時にどうするのかのシミュレーションが絶対に必要です。これが本当の危機管理。選挙の争点になるべきです。
 
「維新」を掲げる人たちの目線には東北の人々が全く入っていません。なぜなら「維新」の名のもとに征服され、維新政府への服従を強いられてきたのが東北の人々だからです。高度経済成長とて東北の農村の収奪によって成り立ちました。東北に電気を供給しなかった福島原発はその象徴です。


災害対策について

原発災害、および地震・津波への備えについて、twitterでつぶやいたことをまとめておきます。(12月9日)
 
福島4号機の倒壊や、大飯原発の破綻に備えた避難訓練の提案のまとめです。
明日に向けて(556)(569)(571)原発災害に対する心得(上、中、下)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a276d3555af84468c1db19966b59cf16
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0fd8fbc4681c2a073c73e4a0f95896bf
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ed69f6466c0d72c16f70a371e599df31

これまで訴えてきた「原発災害に対する心得」に抜け落ちていたものに気づきました。避難訓練だけでなく、被災しなかった地域での避難者受け入れのシミュレーションや物品の備蓄が必要だということです。もやは国は動かない。だから民間と地方行政で災害対策を進めましょう。逃げる準備と助ける準備を!

原発災害あるいは地震・津波に対して、個人レベルでぜひ災害対策協定を結んでください。互いの家・地域を避難先にし合うのです。どちらかが被災したらどちらかが受け入れる。そうすれば自分が被災しなかったときにすぐに受け入れ準備を始められます。協定は可能なら複数がいいです。

私たちの日常生活では、必要なものはコンビニに行けばいつでも買える。だから備蓄が非常に少なくなっていて、災害への弱さを作っています。最低限のものは備えるようにしましょう。そうすれば自分も助けられるし、人も助けられる可能性が広がります!
 
災害を前に「自分なんか死んでもいいから準備をしない!」などとは思わないこと。あなたが瀕死の状態になったら、周りの誰かがあなたを助けなければなりません。反対にあなたが備えをしていたら、いざというときに周りの人を助けられます。他者のためにもあなたを守る工夫を重ねてください。

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明日に向けて(596)フライングダッチマンと(11日)、篠山市(12日)大槌町(18、19日)でお話します!

2012年12月09日 09時30分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20121209 09:30)

講演等の予定をお知らせします。
明後日、火曜日に仏教大学でフライングダッチマンとジョイントします。ライブのあとに僕が講演です。
打ち合わせの時には僕が前座の予定だったのですが、なぜか後半になりました。ぜひhuman ERRORとあわせてお話を聞いてください。

その後の予定です。
12日兵庫県篠山市に赴き、篠山市民センターでお話会に参加します。午後5時半から8時半まで。軽食もあります。
タイトルは『守田敏也さんを囲んで 何でも聞きたい放題の会』!何だか楽しそうなタイトルです!!
この日は放射能時代の食の話を中心にしようと思っています。

篠山から帰って、12月中旬後半に東北を訪問させていただきます。
15日は仙台です。僕が講演するのではありませんが、仙台での企画を見に行きます。
福島市のフォーラム福島の支配人、阿部さんのお誘いを受けました。阿部さんは当日の2部の企画でお話されます。

阿部さんは6日に花園大学人権週間でもお話されました。僕も駆けつけました。
いつも鋭い切り口で、福島の今を語ってくださっている方です。
その阿部さんとの出会いについて書いた過去記事をご紹介しておきます。

明日に向けて(483)(484)中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている(阿部さん談)上下
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0068d25693a979b50fbfac0823657222
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/09dee49f2f7e47709adf03799fdc8652

15日の仙台の企画は以下からみれます。
「今、被災地は!」公演詳細と参加団体プロフィール
http://ameblo.jp/mayunokai/entry-11406410196.html
http://ameblo.jp/mayunokai/entry-11406421307.html

16日は福島市を訪問します。できるだけ多くの人と出会い、たった今の福島市をしっかりと心に刻みつけてこようと思います。

17日から岩手県大槌町に向かいます。
18日、19日に吉里吉里仮説と、小槌17仮設でお話します。
「おおつちの食について」がタイトルです。

それぞれにお近くの方、ぜひご参加ください!

以下、企画内容を貼り付けておきます。

****************

12月11日 京都市佛教大学

「フライングダッチマン・ライブ&脱原発と平和の集い」
 
東京電力原子力発電事故から1年半が経ち、全国で原発反対や放射能被害による不安の声が上がっています。
ここ京都でも自らの問題として原発のこと、平和のことを考えてみませんか?
 
日時:12月11日(火)18時~20時15分 
場所:佛教大学常照ホール
 
フライイングダッチマンによるライブと守田敏也さんによる講演! 
 
プログラム
18:00 あいさつ
18:05 フライングダッチマン・ライブ
19:00 休憩
19:10 守田敏也さんによる講演
19:50 質疑応答
20:15 終了
 
主催:佛大9条の会/ライブ実行委員会
 
FringDutchman
結成10周年を迎え、イスラエル、フランス、ドイツ、オランダを周り、世界的視野で京都を中心に活動を展開中のDance ROCK BAND!
YouTubeでの100万回以上再生回数の反原発ソング「human ERROR」で原発事故の裏側を鋭く歌っています。
 
公式HP http://fryingdutchman.jp/
(ここから当日のチラシが見れます)

**********

12月12日 兵庫県篠山市

やりますよー♡子どもたちの未来、日本の未来を考えましょう!
『守田敏也さんを囲んで  何でも聞きたい放題の会』

大阪市舞州での震災がれき(遺物)の試験焼却も行なわれ、ますます放射能汚染に対しての防護が難しくなってきた今、私達に出来る事とは?
守田敏也さんを囲んでアットホームな交流会を行ないます。
 
最近、食べ物のことの学習を深めていらっしゃるという守田さんに、生産に携わっている方も多いここ篠山でぜひ幅広いお話をしていただきましょう。
総選挙の投票日も迫っています。
私達はどんな未来を望むのでしょうか?
命や弱者が守られる明るい未来を実現するにはどうしたらいいのでしょうか?
選挙を通じて、地方の議員さんを通じて私達が出来る事とは?
その場にいる全員が参加出来るような和やかな会にしたいと思います。
ぜひご一緒にお話しましょう!

 日付: 2012年12月12日 (水)
場所: 篠山市民センター
1F 多目的ルーム
時間: 午後5時30分 - 午後 8 時30分 (入退出自由です。お好きな時間にどうぞ!)
参加費:カンパ制(軽食を用意します。)
託児あり: 無料(和室玉水)

守田敏也さんのプロフィール
1959年生まれ。京都市在住。「市民と科学者の内部被曝問題研究会」常任理事。
今年から篠山市原子力防災対策委員会委員に就任する。
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続け、社会的共通資本に関する研究を進めている。
原発関係の著作に、『内部被曝』(矢ケ崎克馬氏との共著、岩波ブックレット2012年)があり、雑誌『世界』などで、肥田舜太郎医師へのインタビューを行ったり、福島第一原発事故での市民の取り組みや内部被曝問題についての取材報告をして話題になっている。
東日本大震災以降、インターネットではブログ「明日に向けて」で発信を続けている。
参考:「明日に向けて」http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

主催: 放射能から子どもを守る丹波ネットワーク

このお話会は、特定候補や団体の支援とは無関係です!

http://www.hnpo.comsapo.net/weblog/myblog/697/45275

***********

12月18、19日 岩手県大槌町

おおつちの食について

放射能時代をいかに生きたらいいのか?
食べ物をどう選べばいいのか?
放射能についての疑問や質問をお気軽にお話ください!
子育て世代の方にも必見、普段の生活に役立ちます!

大槌野菜のカレーとスープを用意してます!

大槌の食材を使ったお昼を食べながら大槌の食について考えましょう!

12月18日(火)12:00~15:00
吉里吉里仮設(吉里吉里中)談話室

12月19日(水)12:00~15:00
小槌17仮設(蕨打直)談話室

講師は7月にも来てくださった守田敏也さんです。
分かりやすく放射能の事をお話してくれます。
お気軽にご参加ください!

 NPO法人 まちづくり ぐるっとおおつち
0193-55-5221
http://www.guruttootsuchi.org/schedule.html

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明日に向けて(595)放射能時代の産婦人科医療(4)

2012年12月08日 07時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121208 07:30)

12月6日に京都市伏見区の「あゆみ助産院」さんで放射能についてのお話をしました。そこで「放射能時代の産婦人科医療」の核心部分をお話し、同院をになってきた佐古かず子さんに「よくぞ言ってくださった」と評価していただけました。
現場をよく知る方にこのように言っていただけるのはありがたいことですが、内容が内容だけに、複雑な思いもあります。ともあれ産婦人科医療にもっと社会的な光があたり、底上げがなされることを願うばかりです。
そのためにも多くの方に、現場で起こってきたことを知っていただきたいと思います。そのような思いを込めつつ、今回も、マスメディアによるバッシングのもとでの現場への警察権力の介入の理不尽さについて、続けて述べていきたいと思います。

*******

2006年に続いた産婦人科医師・看護師の逮捕!-2

奈良県大淀病院事件

大淀病院事件とは、2006年8月、分娩のために同病院に入院した妊婦が、午前0時ごろに頭痛を訴えて意識不明になり、高次病院への搬送が必要とされたものの、照会した19の病院から受け入れ不能の回答を受け、6時間後に大阪吹田市の国立循環器病センターに収容された事件です。妊婦は帝王切開により出産したものの、意識が戻らず、9日後に亡くなりました。
奈良県警は、業務上過失致死事件の疑いがあるとして捜査を開始し、大淀病院に事情聴衆を行いましたが、その後、刑事責任は問えないとして立件を見送りました。しかし遺族は、医療過誤を主張し、2007年5月に損害賠償を求める民事訴訟に踏み切りました。裁判の結果、遺族の請求は2010年に棄却されました。

問題となったのは、担当の産婦人科医師が、妊婦が意識不明になった際に、分娩中にけいれんをおこす「子癇(しかん)発作」と判断したものの、実際には脳内出血がおこっていたことでした。事件の二ヶ月後に毎日新聞が大々的にスクープ。これに続いてマスメディアが医療ミスとして大きく報道したこと、また19件の病院に断られたことに対して「たらい回し」「受け入れ拒否」という報道を繰り返したため、医療サイドへのバッシングが強まりました。
大淀病院は、脳内出血を子癇発作と判断したあやまりを認めたものの、当夜は麻酔医がおらず、どちらであっても同病院では対処できなかったため、早急に搬送先を探す必要があったと述べました。また他の病院の医師たちからは、分娩中に脳内出血が起きる確率は1万人に1人といわれ、発見が困難だったとの指摘がなされています。
またこの担当の医師は60代で、1人の常勤医師でした。奈良医大から派遣された非常勤の医師の応援を得て、月に10数件の分娩を扱い、宿直勤務は週に3回以上でした。知人の医師らに「この年での宿直は相当にきつい」と漏らしている状態にありました。

大淀病院は、事件の余波の中で、結局、産婦人科を廃止し、分娩から撤退するにいたりました。また奈良県では、同年3月にも、大和高田市立病院で、出産直後の妊婦が大量出血で死亡し、産科医が業務上過失致死容疑で書類送検される事件が起こったことにより、同病院が分娩を制限、また同年4月以降、県中南部の県立五條病院や済生会御所病院が、相次いで産科医療を休止していました。奈良県は大淀病院の撤退により、南部の病院から産科医療が消滅することになってしまいました。
この事件はまた、奈良県の周産期救急体制の脆弱性を明らかにするものともなりました。厚労省は、困難な妊産婦と新生児を受け入れる「総合周産期母子医療センター」を2007年度中に整備するように、各県に指導していましたが、この時点で、奈良県を初めとする8県が整備を終えていませんでした。このため当日に断られた搬送紹介先も、奈良県内2病院に対し、大阪府17病院でした。

2006年10月25日の朝日新聞によれば、その後、周産期救急体制の不整備を各方面から指摘された奈良県は、同県立医大から、大阪や和歌山など県外の病院に派遣されている産婦人科医を、引き揚げる方向で検討を始めたといいます。「総合周産期母子医療センター」を早急に整備するためですが、しかし引き揚げは新たな「お産の空白地帯」を生んでしまいます。
事実、和歌山県新宮市の市立医療センターは、奈良医大から医師2名の派遣を受け、地域で分娩できる唯一の施設として年間約400件の分娩を扱っていましたが、これ以上の維持は不可能として、2007年10月に産科医療から撤退することを同年2月に発表しました。これによって地域が「お産の空白地帯」になる可能性が生じました。
その後。同年7月より新たに始められることになった国の緊急臨時的医師派遣システムの適用を受けることがきまり、医師1人の赴任が決定し、10月の休止は回避されました。しかしこのシステムも6ヶ月間の限定派遣のため、その後の存続が危ぶまれましたが、今度は2008年4月になって、大阪門真市の開業医を招くことが決まり、再び存続が決まったりました。開業医は、門真市の施設を閉鎖して新宮市に移りました。
このように他所からの医師の移動によって、綱渡りのように産科の存続をはかっている病院も数多く存在しています。

奈良県未受診妊婦死産事件

未受診妊婦死産事件は、奈良県で、大淀病院事件の一年後の2007年8月に、再び救急搬送された妊婦を11病院が受け入れることができず、搬送中に破水して死産した事件です。
この事件では、周産期医療をめぐる新たな問題が明らかになりましたった。問題は、この妊婦が、妊娠中の定期的健診である妊娠健診を一度も受けていない「未受診妊婦」であったことにあります。このような妊婦が病院に駆け込むことを、マスコミは「飛び込み出産」と呼んでいます。

この場合、医師は情報を得られないまま分娩を扱うことになるため、大きな危険が伴います。異常分娩、合併症、低出生体重児出産等々の可能性があるため、産婦人科医の他に小児科医、麻酔医の立ち会いも必要で、NICUがあることがのぞまれます。結局、三次病院や周産期センターでないと対応が難しいのが現実です。
こうした未受診妊婦の実態については、それまで調査がなされていませんでしたが、2008年1月になって、読売新聞が、初めて全国的な調査を行ない、3月14日の紙面で結果を発表しました。それによると、対象とした高度な産科医療機能を持つ全国の医療機関のうち、67病院から回答があり、これらの機関で、2007年に301人の未受診妊婦の「飛び込み出産」があったことが判明しました。

この調査を受けて、日本産科婦人科学会は、「全国的には1000人-2000人の未受診妊婦がいるのではないか。産科医療の現場が混乱する大きな要因で対策が必要」と表明しました。読売新聞はさらに、未受診の理由は「経済困窮」が最も多く、301人中146人が理由にあげたこと、出産費用の一部または全額を払っていない未受診妊婦も98人だったことを報じました。
妊娠健診は、妊娠初期から出産までにおよそ14回受けるのが理想とされていますが、1回当たり5千円から1万円の費用がかかります。保険医療の対象ではないため、全額自己負担です。そのため1996年度までは、都道府県が国から補助金を受けて助成していましたが、地域保健法が施行された1997年度以降は市町村からの援助に変わり、財政難から削減されている状態にあります。
厚労省の全国調査によれば、公費による負担は自治体によって1.3回から10回と格差があり、都道府県別の平均を見ると、最小レベルは兵庫県の1.4回、事件のあった奈良県はそれに継ぐ1.6回の援助しかなされていませんでした。

これらの事件を振り返って

大野病院事件では、産婦が分娩時に死亡したことに対して、医師が業務上過失致死罪と、医師法21条(異状死の届け出義務)違反によって、福島県警に逮捕され、起訴されました。(無罪判決)
堀病院事件では、長年にわたって行なわれてきた看護師による内診という医療行為(妊婦の参道に指を入れて、分娩の進行を調べること)が、医師と助産師に限られた助産行為にあたるとして、同病院の院長と看護師11人が書類送検されました。(起訴猶予)
大淀病院事件では、産婦が脳内出血で死亡したことに対して、医師が診断を誤ったとして、業務上過失致死容疑での捜査が行なわれました。

逮捕された大野病院の、当時39歳の男性医師は、担当医師1人で、地域の分娩を支えていました。また大淀病院の60歳以上の担当医師は、やはり常勤医師1人で、非常勤の医師1人の助けを得ながら、分娩を行なっていました。大淀病院の医師は立件されなかったものの、遺族が訴訟を起こしました。
大野病院事件と大淀病院事件に共通なことは、治療行為に刑事罰で対処することの矛盾です。医師をはじめ多くの人々が、双方の事件ともに医療過誤とはいえず、またかりに医療過誤の可能性があったにせよ、犯罪として裁くのは誤りであると主張しています。詳しくは小松秀樹(2007)『医療の限界』新潮新書などを参照して欲しいですが、生命を救おうとした懸命な治療の末に、犯罪者として罰せされる、あるいはその嫌疑をかけられるのはあまりに理不尽です。
事実、これらの事件は多くの産婦人科医師たちや看護師たちから、診療を続けるモチベーションを失わせてしまいました。逮捕されずとも、警察に犯罪の可能性ありとして取り調べられるだけで、大半な心理的ショックを受け、心が深く傷つけられてしまったといいます。
また堀病院事件では、看護師の内診が犯罪行為として送検されたため、医師とともに助産師も不足し、看護師が内診を行なっている多くの産科医療現場に、深い混乱をもたらし、医療施設の分娩からの撤退を促すことにつながってしまいました。

続く

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明日に向けて(594)放射能時代の産婦人科医療(3)

2012年12月05日 22時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121205 22:00)

放射能時代の産婦人科医療の3回目をお送りします。今回は、戦後の産婦人科医療の大きな発展の中で、お産は無事に行われて当たり前という風潮が広がってしまい、妊婦の死亡が一定の確率で起こっていることへの理解が低まり、医師がバッシングされるケースが増えていることや、さらに警察権力による医師の逮捕までが重なったことなど、極めて厳しい状況が続いてきたことを紹介します。
産婦人科の医師たち看護師たちが、過酷な労働を行いながら、社会からあまりに不当は扱いを受けていることが理解できると思います。

*******

放射能時代の産婦人科医療(3)

安全性の高まりと訴訟の増加

次に見ておきたいのは、全体としての安全性の高まりが、皮肉にも訴訟の増加の要因にもなってしまっているという点です。
先にも見たように、産婦人科では今、ハイリスク分娩が増加していますが、ず産科医療の飛躍的発展によって、全体としての安全性はかつてないほどに高まっています。ところが本来、喜ぶべきこの事態が、医師たちに新たな困難を強いる結果を生み出してもいるのです。

お産の現場では、今から50年以上前、国民皆保険制度が確立する以前の1955年には、1年間に分娩によって3095人もの妊婦が命を落としていました。出産10万人に対する妊婦死亡数は161.7人。胎児・新生児の死亡率も高く、周産期(妊娠22週目から、生後7日目まで)の死亡率は、出生1000人当たり43.9人でした。こうした死亡率の高さは、多くの出産が自宅で行われ、必要なときに充分な医療が受けられないことを要因としていました。
これに対し、この後に国民皆保険制度が確立する中で、病院・診療所での分娩が増え、2004年にはその率が99%に達しました。これとともに安全性は飛躍的に増し、この年の妊婦の死亡は49人、出生10万人に対して4.3人となりました。周産期死亡率も、出生1000人に対して5.0人にまで縮まりましたが、これは米国の7.1人、英国の8.0人を上回る数値です。日本の周産期医療はこの50年の間に、世界トップクラスの水準にいたったのです。

ところがこうした進歩によって、「分娩は安全なもの。妊婦も子どもも安全に戻ってきて当然」という過度な安心感が広がり、極めて低くなったとはいえ、いまだ一定の割合で生じる妊婦や胎児・新生児の死亡などの不幸や、障がいの発生を、家族や近親者が受け入れられず、医療紛争に発展するケースが増えてしまいました。
ある研究(大屋敷英樹2007)によれば、最高裁の調べで、2004年の医療訴訟は1110件ありましたが、このうち産婦人科医を相手取ったものは151件(13.6%)でした。これを産婦人科医師1000人当たりに換算すると12.4件になります。全診療科平均の3.3倍で、外科を上回るもっとも高い割合です。産婦人科医が一生のうちに訴えられる確率は3割から4割といわれ、訴訟にいたらない紛争は、この10倍と見積もられるといいいます。(大屋敷英樹「読売ウイークリー」2007年11月11日号90-94頁)

分娩現場の現状

産科医療では、こうした訴訟の増加のために医師が減少してきたわけですが、この結果、現場はどのような現状にあるのか、日本産科婦人科学会の「学会のあり方検討委員会」が2005年に行なった「全国周産期医療データベースに関する実態調査」から見ていきたいと思います。
この調査では、厚労省の調査で2004年12月31日現在の産婦人科医師数が10163人と報告されたものの、2005年12月1日現在で実際に分娩に携わっている医師数は、7985人に過ぎないことが分かりました。産婦人科や産科を標榜していても、相当数の医師が、分娩から撤退しているのです。

さらに医師たちの勤務形態は、病院では1人での勤務が187施設、2人が299施設、3人が286施設、4人が159施設、5-9人が236施設であり、4人以下の病院が78.4%。診療所では1人が1214施設、2人が452施設、3人以上が99施設であることが分かりました。
年間の分娩への医師1人当たりの関わりは、全国平均で139回。3日に1回以上の頻度ですが、都道府県でばらつきがあり、最も多い埼玉県では268回!もありました。最も少ない徳島県の82回、鳥取県の88回の3倍以上の数でした。埼玉県の医師たちは、平均1.36日に1回の割合で、分娩に関わっていることになります。

これらから医師たちの勤務の現状がより明らかになってきます。産婦人科医師1名で分娩を担っている病院は、全国に187施設ありましたが、この場合、当該の医師は、365日24時間、オンコール状態にあり、毎日が宿直と同じような状態にあります。医師は、遠出はもちろんのこと、飲酒することもままならず、休息や睡眠も不断に途切れてしまいます。
産婦人科医師1人体制の病院は、埼玉県にも3施設あると報告されていました。また最も多いのは北海道で13施設、それに継ぐのは福島県で11施設でした。
いずれも2005年の統計で、現在にいたる変化を把握できてないので、リアルな現状とは言えないかもしれませんが、産婦人科医がどれほど過酷な状況におかれてきているのかがこの統計から見えてくると思います。

2006年に続いた産婦人科医師・看護師の逮捕!-1

このような状態で働く医師たちに、さらに大きなダメージをもたらす事件が2006年にあいついで3件も起こりました。2月の福島県大野病院医師逮捕事件、8月の横浜市堀病院助産事件、同じく8月の奈良県大淀病院妊婦死亡事件です。奈良県では2007年8月にも未受診妊婦死産事件が起こっています。ここではこのうちの前2者を検討したいと思います。

福島県大野病院医師逮捕事件
この事件は、2004年12月に同病院で行われた帝王切開手術において、出産後に産婦が出血多量で死亡したことに対し、福島県警が2006年2月になって、執刀医師を業務上過失致死罪と、医師法21条(異状死の届け出義務)違反により逮捕した事件のことです。
逮捕された当時39歳の男性医師は、それまで担当医師1人体制で、地域の分娩を支えていました。医師はこの病院に勤務していた1年10ヶ月の間に、分娩約350件を行ない、そのうちの約60回で帝王切開手術を行なったそうです。これだけでも過酷な労働実態が垣間見えますが、この医師が激務の末に逮捕・拘留されてしまったのです。

治療を行なった医師が、刑事犯として逮捕、拘留されたことに対して、日本産科婦人科学会や日本産婦人科医会、日本医師会をはじめ、各医学系学会や、各地医師会などが抗議声明を発表しました。多くの医師が、その後明らかになった事実分析から、「当該事故は医療過誤ではない」と主張しました。またかりに過誤の可能性があったとしても、刑事罰として裁くのはあまりに不当であるとの主張もなされました。
このように抗議がなされはしたものの、この事件は、多くの産婦人科医の分娩現場からの離脱を促す結果を生み出しました。とくに県立大野病院に近い福島県いわき市では、産科を廃止する施設が相次ぎ、人口36万人の都市に、分娩を扱う施設が12年前の半数の2病院6診療所しか残らず、その2病院も分娩制限をはじめました。とくに周産期センターでもある共立病院では、医師が減ったことから、ハイリスク分娩のみを扱い、自然分娩の扱いから撤退するにいたりました。

逮捕された医師は、その後に起訴されて裁判にふされ、検察は2008年3月21日に「安易な判断で医師への社会的信頼を害した」「基本的な注意義務に反し過失は重大。公判で器具の使用をめぐって供述を変えるなど責任回避のため、なりふりかまわぬ態度に終始している」として、禁固1年、罰金10万円の論告求刑を行いました。
これに対して福島地方裁判所は8月20日に被告人の医師を無罪とする判決を言い渡し、検察側が控訴しなかったことで無罪が確定、医師は犯罪者の烙印を押されずに済みましたが、懸命になっての治療の果てに、医師が「業務上過失致死罪」で逮捕され、長きにわたって拘留され、裁判にかけられたという事態そのものが多くの産婦人科医師たちやスタッフたちの心を深く傷つける結果をもたらしました。

横浜市堀病院事件
堀病院事件は、同病院が医師と助産師にのみ認められている「内診」という助産行為を、看護師や准看護師に行わせたために違法にあたるとして、2006年8月に神奈川県警による同病院への家宅捜査が強行され、9月に院長と看護師ら11人が書類送検された事件のことです。
「内診」は、陣痛の始まった妊婦の参道に手を入れ、子宮口の開き具合を調べることで、出産の進行状態を把握することですが、日本産婦人科医会は、陣痛の初期である「分娩第1期」での内診は「助産行為」ではなく、看護師の業務である「診療の補助」にあたるとして、長らく看護師が行っても問題はないとしてきたのでした。それだけでなく、分娩が自宅から病院・診療所に移りはじめた1960年代に「産科看護研修学院」という研修機関を各地に設け、内診を行う看護師の養成も行ってきました。

ところが2002年と2004年の二度にわたり、厚労省から、内診は助産行為にあたり、看護師が行うことは認められないという通達が全国に配布されました。この時点で助産師は全国で2万6千人が就労していましたが、7割が病院勤務で、診療所勤務は2割弱であり、助産師がいないために看護師が内診を行っている診療所もたくさんありました。分娩は病院と診療所でほぼ半数ずつが行われていたため、通達が出されても、助産師を十分に確保できない多くの分娩施設で、看護師による内診が継続されていたのです。
にもかかわらず看護師による内診が犯罪にあたるとして、警察の強制捜査の対象となったことにより、多くの分娩現場が混乱に陥入りました。日本産科婦人科学会や日本産婦人科医会は、抗議声明を発表し、従来の主張を繰り返しましたが、厚労省も通達の正当性を主張して譲りませんでした。こうした中で検察は、書類送検した院長と看護師らの起訴猶予を決定。裁判が回避され、この件に関する司法判断は下されませんでした。
その後、2007年3月30日に、厚労省は再度、通達を出し、看護師の内診を原則禁止とすることが主張されました。ただしこの文章の内容を、看護師の内診を事実上、容認したものとする解釈もあらわれるなど、その後も混乱が続きました。

続く

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明日に向けて(593)京都YWCAでお話します。フライングダッチマンともジョイントします!!(8、11日)

2012年12月04日 22時00分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20121204 22:00)

講演・企画のお知らせです。すでにお伝えしているように、12月6日午前10時より、伏見区の「あゆみ助産院」でお話します。
さらに12月8日午後2時より、京都YWCAでもお話します。講演タイトルは「内部被ばくから命を守るために~今こそ知りたい「内部被ばく」」です。

その次の週になりますが、12月11日(火曜日)に、京都の仏教大学で、フライングダッチマンとジョイントします。
といっても、僕が音楽に参加するのではありません(残念ですが・・・)
フライングダッチマンのライブのあとに僕がお話します。

実は彼らとは今年の1月に京都市長選候補だった弁護士の中村和雄さんと一緒に対談しています。
その時以来、僕も彼らのファンの一人です。
とくにリー君の歌うhuman ERRORは何度聞いてもいいですね。まだ聞いたことのない方はぜひ聞いてみてください。
ちなみに今、チェックしたところでは、ヒット数が512,792回になっています。他のバージョンでもUPされているので、実際にネットで聞かれた数はもっと多いでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=ENBV0oUjvs0


対談について書いた記事は以下です。

明日に向けて(376)フライングダッチマンと中村和雄さんが対談!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f654cd0b347ae35c78a73339ec088450

明日に向けて(378)かくしてFryingDutchmanは、humanERRORを作った!(対談その1)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/60505e5d21ffb7f8f9adf6860f1c2a5c

明日に向けて(381)世界から日本を見たFryingDutchman、今、若者をこう思う・・・。(対談2)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/1352e031ed7e33743feee7866a7d0c64

対談の全体は以下から見れます!

中村和雄・フライングダッチマン対談
http://for-kyoto.net/video/fryingdutchman-2.html


それぞれの企画にぜひお越しください!

*****

守田敏也講演「明日に向けて~放射能時代に私たちが知っておくべきこと~」

日時 12月6日(木曜日)
時間 午前10時から12時
主催 あゆみ助産院 のびの会
参加費 1000円
場所 京都市伏見区深草山村町992-2
電話 075-643-2163
http://www.eonet.ne.jp/~ayumi55/index.html

*****

内部被ばくから命を守るために~今こそ知りたい「内部被ばく」

3.11後の、福島第1原発の事故と現況について、
福島で生活する人々を支えることについて、
また(がれき処理なども含めた)私たちにとっての「内部被ばく」を考えます。

日時:2012年12月8日(土曜日)
時間:午後2時から4時
場所:京都YWCA (京都市上京区室町通り出水上る)
主催:京都YWCA生涯教育事業部

http://kyoto.ywca.or.jp/event/cat13/

*****

「フライングダッチマン・ライブ&脱原発と平和の集い」

東京電力原子力発電事故から1年半が経ち、全国で原発反対や放射能被害による不安の声が上がっています。
ここ京都でも自らの問題として原発のこと、平和のことを考えてみませんか?

日時:12月11日(火)18時~20時15分 
場所:佛教大学常照ホール

フライイングダッチマンによるライブと守田敏也さんによる講演! 

プログラム
18:00 あいさつ
18:05 フライングダッチマン・ライブ
19:00 休憩
19:10 守田敏也さんによる講演
19:50 質疑応答
20:15 終了

主催:佛大9条の会/ライブ実行委員会

FringDutchman
結成10周年を迎え、イスラエル、フランス、ドイツ、オランダを周り、世界的視野で京都を中心に活動を展開中のDance ROCK BAND!
YouTubeでの100万回以上再生回数の反原発ソング「human ERROR」で原発事故の裏側を鋭く歌っています。

公式HP http://fryingdutchman.jp/
(ここから当日のチラシが見れます)

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明日に向けて(592)放射能時代の産婦人科医療(2)

2012年12月04日 19時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121204 19:00)

12月1日と2日に大飯町と高浜町を訪ねてきました。とくに高浜町では高浜原発をはじめ、震災遺物(ガレキ)の試験焼却が行われた焼却場、焼却灰の投棄先になっている最終処分場なども取材するとともに、町の方たちの声も聞くことができました。
非常に意義深い訪問となりましたので、後日、レポートを出したいと思いますが、今日は、6日に「あゆみ助産院」での講演が控えていることもあり、「放射能時代の産婦人科医医療」の続きを書きたいと思います。


日本の医師数と産婦人科医の現状

さて、産婦人科医のことを見る前に、日本には医師はどれぐらいるのかということから確認していきましょう。医師免許を持ち、実際に医療施設で働いている医師の数を「医療施設従事医師数」といいますが、これは1998年に236933人でした。2010年には280431人になっています。12年間でから43498人増加しています。増加率は11.8%です。
この医師数を国際的水準と比較したらどうなるのか。OECDインジケーター2009年版を見ると、人口1000人当たりの臨床医数(2007年)は、OECD平均3.1人に対し2.1人という低さです。最下位のトルコ1.5人をはじめ、韓国1.7人、メキシコ2.0人に次いでいます。ちなみにトップはギリシャで5.4人という高さです。

この国際的に低い水準の日本の医師数の中でも、さらに産婦人科医は、ほぼ毎年減り続け、ここ数年にわずかに上昇した状態にあります。全体では同じ12年間で10916人から10227人へ6.4%の減少です。分娩を扱う産婦人科と産科の医師数の合計をみても、11264人から10652人へと5.5%の減少です。
反対に分娩を扱わない婦人科は、1188人から1717人へと増えています。妊娠・分娩と女性の病を担当するこの診療科は、それぞれが扱う領域にあわせて、「産婦人科」「産科」「婦人科」と分かれていますが、分娩を扱う前者2つの科の合計医師数が減少し、婦人科が増加傾向にあるというわけです。
こうした傾向は、医療の公定価格である診療報酬の初めてのマイナス改定がなされた2002年以降、とくに顕著になりました。産婦人科では、2002年から2006年までにいったん1026人が減り、その後、2010年までに635人を戻していますが、このことはベテラン医師が減って、新人が増えたことを意味しています。
つまりあまりにも急激に産科医が減ったために、新人の産科への誘導が強められたわけですが、医師数には反映されない医師の平均的熟練度の回復にはまだまだ時間がかかる状態にあるということです。もちろん国際水準からいって、絶対数もまだまだ足りていません。


あまりにも過酷な産婦人科労働

こうした医師数の減少はどうして起こったのでしょうか。幾つかの理由が挙げられますが、一つには全ての診療科の中で、産婦人科がもっとも拘束性が高く、勤務時間が長いことがあります。
ある研究(平原史樹ら2007)によれば、2002年から2004年にかけて実施された厚生労働科学研究「小児科参加若手医師の確保・育成に関する研究」において、横浜市立大学附属病院ならびに教育指導病院のおける卒後3年から15年目の医師について調べたところ、宿直を含む労働時間は、1週あたり平均73.3(±17.3)時間でした。月の時間外労働時間は140時間を越えています。
また1週の宿直勤務は、平均27.7(±11.5)時間ですが、その時間内に実際に診察行為に費やしたのは86%におよぶ23.7(±10.9)時間でした。また当直翌日の平均離院時間は19時32分。連続労働が平均で34時間32分も続いていたことになります。
さらにこの調査は、地方の常勤医師3人で支えている中核的病院では、宿直を含んだ月の労働時間が、471.6時間になっているところがあることも報告しています。これは1週あたり108.7時間の労働に相当します。かりに5日勤務だとなんと21時間を超えてしまうのです!(「産科医師の勤務状況」『臨床婦人科産科』61巻2007年3月号215-217頁より)
日本産科婦人科学会による2006年の全国調査では、産婦人科医の宿直は月平均6.3回と報告されました。前回調査(2000年)の平均4.7回から、6年で約30%増加しています。

こうしたあまりにも厳しい現実は、医師数の減少だけでなく、分娩を行う施設数の減少にも反映しています。厚労省の医療施設動態・静態調査および、日本産科婦人科学会の調査によれば、1993年に分娩を実施している施設は、診療所2490、病院1796、合計4286施設でした。ところが2005年には診療所1783、病院1273、合計3056施設に減っています。減少率は28.7%です。
同じ年の出生数は、1993年に約118.8万人、2005年に約106.3万人であり、減少率は10.5%です。少子化よりも分娩施設の減少がはるかに早く進んでいたことが分かります。
またこの2005年の調査では、産婦人科ないし産科を標榜している施設の半数近くが、実際には分娩を行なっていないことも明らかになりました。厚労省の2004年の調査では、産婦人科と産科を標榜している病院と診療所の合計が5997施設と報告されていましたが、実際に分娩を実施しているのは、先にもみたように3056施設、およそ半分に過ぎませんでした。


産科医療の特徴

こうした産科医療の衰退は、もともと分娩への関わりが、医師への高い時間的拘束性を持っていること、また近年ではより多くの人手を必要とするハイリスク分娩が増えており、医師不足の影響をより受けやすいためであることを次にみていきたいと思います。
出産の前触れである陣痛は、365日24時間始まる可能性があります。法定内労働時間は1週間のうちの約4分の1ですから、陣痛から出産は、4分の3は深夜や早朝を含む時間外に起こることになります。まずこうしたことが医師の拘束性を高いものにしています。
しかも陣痛が10分間隔になった段階で、施設に入院することが多いのですが、この段階から分娩まで、初産でおおむね12時間から15時間かかります。しかもこれはあくまでも目安で、早い場合は1時間のこともあれば、遅い場合は数日かかることもあり、医師はこの間、内診をはじめ、助産行為を繰り返していきます。
このことに近年では、妊婦の高齢化、合併症を持つ女性の妊娠、不妊症治療による多胎などによるハイリスク分娩の増加も重なり、このため帝王切開などの手術も増加しています。仮死状態で生まれた新生児へ蘇生を施したり、集中治療を行ったりと、緊急かつ高度な対応が問われることも多くなっています。

厚労省の調査、医療施設静態・動態調査2005年から、「帝王切開娩出術の割合の年次推移」をみると、1984年9月中の分娩は一般病院で68452件行われあmしたが、うち帝王切開は5633件あり、8.2%の割合でした。同じく一般診療所では分娩47671件、帝王切開2895件で6.1%でした。
これに対して2005年9月では、一般病院の分娩件数44865件に対し、帝王切開は9623件で21.4%。一般診療所では分娩40247件、帝王切開5156件で12.8%となっています。月間件数は1984年の8528件から2005年14779件と、6251件、73.3%も増えています。
また厚労省調査班の調査では、分娩時の大出血など、死亡につながり得る重篤な事態の発生は、実際の妊産婦死亡の70倍以上(250分娩に1)であると報告されています。
一方で、医療の進歩によって、今日では体重1000グラム未満の「超低出生体重児」も救出できるようになりました。ただしその場合は、産婦人科医の他に、小児科医や麻酔医などの関わりや、新生児用のNICU(新生児集中治療室)なども必要なことから、高度な治療体制のもとに、妊婦と新生児を受け入れる施設が必要になります。
このため「総合周産期母子医療センター」の整備が全国的に進められていますが、こうした施設は、より多数の医師の集中を必要とします。
反対に重篤な事態に対する備えのない病院や診療所は、必要な場合は、より高度な施設を供えた二次病院や、重篤な状態に対応できる三次病院、あるいは上述の周産期医療センターに妊婦を搬送することになり、そのための救急手配も医師が行なわなければなりません。しかしどこも病床が埋まっていることが多く、搬送先探しは、救急搬送の中で最も困難だといわれています。

このように、ひとことで言って、日本の産科医療は深刻な人手不足のもとにあります。そのため医師たちの労働時間があまりにも長い。しかも生死を分けるような治療の場に立つことも多く、緊張感もなみ大抵のものではありません。それを支えているのは、医師たちの超人的な努力という以外ない状態であり、ただちに改善される必要があります。
ここ数年、医師数が減少から増加に転じているように、一定の対処がなされているとは言えますが、それでも現場の困難性はまだまだ非常に深いものがあります。何よりもこうした産婦人科医療の人手不足の現状と、そもそものこの医療領域の抱えている困難性が社会的に共有され、全市民の努力で支えられていく必要があります。
子どもは私たち社会全体の宝です。子どもたちの笑い声こそが、私たちの何よりの活力であり、心の和みの源でもあります。その子どもたちを迎える産婦人科医療の社会的に貧困な状態を、私たちは我が事として正していく必要があります。

続く

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