守田です。(20120229 23:30)
前回、3月24日に福島市に乗り込んだ山下教授が、どれほどいい加減な発言を
してきたか書きましたが、これに対して僕のブログに共感の声が寄せられまし
た。印象的だったので紹介します。お送りいただいたのは、ペンネーム「たぬ
きち」さんです。
***
守田様
毎日のご活動、本当にお疲れ様です。
私は東京在住ですが、事故の状況が気が変になりそうなほど心配だったので、
毎日ネットで情報収集していましたが、その時に山下医師の福島での講演を知
りました。原爆被害のあった長崎の先生とのことで私もその発言をすっかり信
じてしまっておりました。
もちろん、しばらくしてその発言がとんでもない嘘だったと知りましたが・・・。
許せない・・・。
彼のせいで一体どれくらい多くの人々の心と身体が傷ついてしまったことか・・・。
私は彼の非道を一生許さない・・・。
***
同じ怒りを抱いている方は他にもたくさんおられると思うのですが、3月24日の
講演のリアリティを紹介してくださった大貫さんももちろんその一人です。大貫
さんは同時に、この時の会場の異様さも強調されました。というのは「不安を口
にするのが許されないような雰囲気」があったというのです。ある人が、山下氏
が「心配する必要がない」と繰り返すことに対し、「でも自分は心配だ」と語り
だすと、とたんに「何を言ってるんだ」「今はそんなことを言うときではないだ
ろう」と罵声が浴びせかけられたそうです。発言者や質問者が感情的になるので
はなく、質問者の発言に野次が飛ぶ。そんな光景ははじめてみたと大貫さん。
ちなみにこのことを長年、福島市で市民運動にたずさわってきた深田和秀さんに
お話すると「業者か何かが入っていたかもしれないですね」と即座におっしゃい
ました。確かにそうだったのかもしれない。たちの悪い「勘違い」を披瀝するこ
の方なら、いやこの方を送り込んだ面々なら、それぐらいの準備はしかねません。
もちろん何らの証拠もない憶測にすぎませんが・・・。
大貫さんは残念そう顔をしかめて語り続けました。「でもそんなに会場の様子
が変だったのに、私もマスクをしなくていいと信じてしまったのですよ。何かお
かしいとは思ったし、雰囲気が異様だとは感じていたのに、家に帰って妻に、心
配することはないらしい、マスクもはずしていいらしいよと語ってしまいました」。
ところが前回も述べたように、セシウムは100度では気化しないのではという話
がラジオで流れ、それに山下氏がへらへら笑いながら「あれは私の勘違い」と語っ
たとき、やはりこれはおかしいと思い出し、大貫さんはもう一度、マスクをつけた
ほうがいいと感じ出したといいます。
「そもそも私は放射線のことなど何も知りませんでした。地震が起こった後は、
停電でしばらくテレビも見れませんでした。しばらくたってラジオをつけたら、
放射線量のことが語られている。えーっと思って不安がつのったときに、放射線
の専門家の偉い先生が来ると聞いたのです。ぜひ放射線のことを教えてもらいた
いと会場にいきました。それで安全だといわれて、ほっとしてしまいました。雰
囲気が変だと思ったのに」・・・。
そのときの様子を思い浮かべながら、最後はまるで独り言を言うように語られる
大貫さんの姿を見ていて、胸が痛くなりました。山下氏は、人々の放射線防護体制
を大きく崩し、避けられる数多くの被曝を生み出すとともに、あのとき、放射能も
れの前で、驚き、身悶えし、必死によりよき道を探そうとしていた人々の心をも
大きく傷つけたのです。まさに残酷で罪深いうそです。
続く・・・次回では。山下氏のうそが彼一人のものではなく、核政策推進派によっ
て繰り返されてきた構造的なものであることを明らかにします。
前回、3月24日に福島市に乗り込んだ山下教授が、どれほどいい加減な発言を
してきたか書きましたが、これに対して僕のブログに共感の声が寄せられまし
た。印象的だったので紹介します。お送りいただいたのは、ペンネーム「たぬ
きち」さんです。
***
守田様
毎日のご活動、本当にお疲れ様です。
私は東京在住ですが、事故の状況が気が変になりそうなほど心配だったので、
毎日ネットで情報収集していましたが、その時に山下医師の福島での講演を知
りました。原爆被害のあった長崎の先生とのことで私もその発言をすっかり信
じてしまっておりました。
もちろん、しばらくしてその発言がとんでもない嘘だったと知りましたが・・・。
許せない・・・。
彼のせいで一体どれくらい多くの人々の心と身体が傷ついてしまったことか・・・。
私は彼の非道を一生許さない・・・。
***
同じ怒りを抱いている方は他にもたくさんおられると思うのですが、3月24日の
講演のリアリティを紹介してくださった大貫さんももちろんその一人です。大貫
さんは同時に、この時の会場の異様さも強調されました。というのは「不安を口
にするのが許されないような雰囲気」があったというのです。ある人が、山下氏
が「心配する必要がない」と繰り返すことに対し、「でも自分は心配だ」と語り
だすと、とたんに「何を言ってるんだ」「今はそんなことを言うときではないだ
ろう」と罵声が浴びせかけられたそうです。発言者や質問者が感情的になるので
はなく、質問者の発言に野次が飛ぶ。そんな光景ははじめてみたと大貫さん。
ちなみにこのことを長年、福島市で市民運動にたずさわってきた深田和秀さんに
お話すると「業者か何かが入っていたかもしれないですね」と即座におっしゃい
ました。確かにそうだったのかもしれない。たちの悪い「勘違い」を披瀝するこ
の方なら、いやこの方を送り込んだ面々なら、それぐらいの準備はしかねません。
もちろん何らの証拠もない憶測にすぎませんが・・・。
大貫さんは残念そう顔をしかめて語り続けました。「でもそんなに会場の様子
が変だったのに、私もマスクをしなくていいと信じてしまったのですよ。何かお
かしいとは思ったし、雰囲気が異様だとは感じていたのに、家に帰って妻に、心
配することはないらしい、マスクもはずしていいらしいよと語ってしまいました」。
ところが前回も述べたように、セシウムは100度では気化しないのではという話
がラジオで流れ、それに山下氏がへらへら笑いながら「あれは私の勘違い」と語っ
たとき、やはりこれはおかしいと思い出し、大貫さんはもう一度、マスクをつけた
ほうがいいと感じ出したといいます。
「そもそも私は放射線のことなど何も知りませんでした。地震が起こった後は、
停電でしばらくテレビも見れませんでした。しばらくたってラジオをつけたら、
放射線量のことが語られている。えーっと思って不安がつのったときに、放射線
の専門家の偉い先生が来ると聞いたのです。ぜひ放射線のことを教えてもらいた
いと会場にいきました。それで安全だといわれて、ほっとしてしまいました。雰
囲気が変だと思ったのに」・・・。
そのときの様子を思い浮かべながら、最後はまるで独り言を言うように語られる
大貫さんの姿を見ていて、胸が痛くなりました。山下氏は、人々の放射線防護体制
を大きく崩し、避けられる数多くの被曝を生み出すとともに、あのとき、放射能も
れの前で、驚き、身悶えし、必死によりよき道を探そうとしていた人々の心をも
大きく傷つけたのです。まさに残酷で罪深いうそです。
続く・・・次回では。山下氏のうそが彼一人のものではなく、核政策推進派によっ
て繰り返されてきた構造的なものであることを明らかにします。