守田です。(20110519 22:30)
明日に向けて(117)気仙沼の渡辺さんのこと2・・・東北の旅第8信の続きです。
*******
今後の方向性について伺いました。渡辺さんは、ある程度、みんなが満足でき
ればボランティアをやめて、自分の現金収入を得ようとも考えていたそうです。
しかしまだまだ必要なことがある。食べ物を配っているだけではなくてです。
特に大事なのは、ただ食べ物を配っていてばかりでは、被災者がかえって動か
なくなることにあることでした。そのため状況を把握して、量を制限し始めたそう
です。むやみに渡すだけでは、かえって被災者によくないというのです。
そのため配給する物資も、自立に役立つものに切り替え始めました。例えば
作業服や、道具などです。それがあれば、作業やアルバイトにも出てくれる
のではないかとの期待を込めたそうです。
しかしある程度、落ち着いてしまっている人は何をしても動かないといいます。
被災手当や失業手当をあてにしている。渡辺さんも何カ月後には失業保険は
出ます。しかしその後にどうしても継続的な現金収入が必要になってくる。
そのためにはやはり仕事を探し始める必要があります。仕事はけしてないこと
はない。だから動くのだったらすぐに動いた方がいい。しかし動く気になれない
人たちがいる。その人たちが、次の日から片づけに出た人と差がでてきている。
このため、時間が経ったら経ってで、いろいろな弊害がでてきて、歯がゆい
部分が多いと渡辺さんはいいます。これからは、自立への手助けがどれだけ
できるかだといいます。
しかし自分たちは個人のチームのボランティアなので、できることが限られて
きてしまう。それで渡辺さんは、気仙沼の中で、積極的に動いている他の
ボランティア団体との連携を模索し始めました。
その中で、渡辺さんが知り合ったのが、NPO法人「森は海の恋人」の畠山さん
でした。気仙沼湾で牡蠣の養殖を行う中で、海を守るには森を守らなければ
ならないことに気づいてきた方で、僕自身も注目してきたNPOです。
http://www.mori-umi.org/
同会の養殖の場も、津波によって激しい被害を受けてしまいましたが、今は
気仙沼の復興のために立ちあがり、渡辺さんとの接点ができたのです。
その方が声をかけてくださって、各地で動いている人の集まりが行われた。
そこに参加してきた大きい団体に、ネットワークオレンジというグループが
あります。その人たちの活動を渡辺さんたちも一緒にやらないかと呼びかけ
られ、前向きに考えているそうです。
http://blog.canpan.info/orange-orange/
「報道はもう原発のことにばかり集中していますが、気仙沼はまだまだこれ
からやらなければならないことがたくさんあります。そのためにこうした人たち
とまだまだ活動していこうと思います」と渡辺さん。
最後に、京都から乗ってきたランドローバーの使い道をうかがいました。
渡辺さんがこれまで使ってきたのは、自宅の黒いシビック(ホンダの乗用車)
でした。通勤用の車ですが、段ボール箱が6個ぐらいしかつめない。
使えない車だなと思って、屋根にキャリアでもつけようかなと思っていた時に
アビスさんからこういう車があるという話がきたそうです。4駆自動車など
乗ったことがありませんでしたが、写真を見たら、荷物がかなり載せられる。
それまで軽トラックも考えたそうですが、雨だと使えないし、人がそれほど
乗れない。それでも経費のことなど不安もあったそうですが、今から新しい
車を買う事などとてもできない。
また所有者のNさんが、もし使えなければ処分して現金にしてもいいと言って
くださったことも伝わって、つぶす気は全くないのだけれど、気が楽になった
そうです。ディーゼルの2500CCなので、燃費も稼げそうな気がした。
何よりとにかく荷物が載ることが魅力的で、それでアビスさんにはほとんど
即決で答えを返したそうです。何とかしてくださいと、アビスさんに伝わり、
それが僕に伝わり、京都のNさんに伝わったというわけです。
こうしたことを経る中で、渡辺さんは、アビスさんにはいろいろと世話になってき
たけれど、この人のネットワークは凄いなと思ったといいます。自分は足元にも
及ばないけれど、今からそんなネットワークを自分も作りたいと思ったとか。
そのために、今まで、インターネットを使ったことがなかったけれど、ネット環境
を整えようと思い立ったそうです。オレンジネットワークからも参加の条件
として、ネット環境を整えて欲しいとの話があったそうです。
そうは言っても、現金収入が途絶えている中で、新しくパソコンを調達するには
困難がありますが、今後のことを考えて、何とかしたいと思っているそうです。
そのために、さしあたっては、土木の仕事のアルバイトも考えているとか。
それで軍資金を稼ぎながら、長く活動を続けたいと渡辺さん。自分たちには
公的義援金はこないし、補償もない。しかしゆくゆく自分たちは、パスポートも
とって、他国で何かあったときに、かけつけられるぐらいになりたい。
そんな資金力を持つことも考えようと話しだしているのだそうです。もちろん今は
絶対無理で、まずは気仙沼の復興を見届けてからだと渡辺さんはいいます。
でもモチベーションをあげるために、まずパスポートだけはとるつもりだとも。
この活動をしていると、何だか話がまわりまわってつながってくることを感じる
そうです。いろいろなつながりがでてくる。「面白いですよ。楽しいんですよ、
毎日、毎日」と渡辺さん。「自分が動けば笑ってくれる人が1人でもいる」。
いろいろな状況も見えてくる。何をどうしてあげれば人が喜ぶかが分かる。最近
だと、暑くなってきだしたから、避難所ではタオルケットが欲しいという声が
上がりだしてる。渡辺さんはすでに前から用意していてすぐに配ったそうです。
行政はなかなかこうしたことを把握できない。いまだに毛布しか配布していない。
季節の変わり目すら行政は分からない。先を見据えて動かないと、災害対策
本部は、苦情処理の場になってしまう。それではいけないと渡辺さん。
そのためには、ある程度の権力を持たせてほしいと切望しているそうです。
もっと即決で動ける態勢が欲しい。それでこの日は、このインタビューの前に
気仙沼市長にも会見をしてきたそうです。
短い時間でしたが、幾つか話を聞いてくれて、すぐに実行を移すことに
なったとのことです。具体的には今ある避難所は、横の連絡がない。それを
ネットでつなげば、物資がどこにあるかなど、すぐに分かるようになる。
気仙沼地域に、今、避難所は50前後あり、大きいところはまだ700人いるそう
ですが、物資の流れがとまってしまっている。だから避難所同士のネット
ワークがうまく機能すれば、ある程度のものはそこでまわしていける。
あらためて入れると、先に入ったものを眠らせてしまう。それはもらった人に
非常に失礼なことになる。なので、避難所でもっと物資を有効に動かし、
あまったスペースに米を蓄えていく。そうした提案をしたそうです。
最後に、今後の課題としては、何よりも運営資金をどうするかだそうです。外部
の方たちがそれぞれに義援金の応募をして、それを回してくれてもきたそう
ですが、自分たちはゆくゆくは地元の商店から物資を手に入れたい。
そのための資金力を持ったボランティアへと発展していきたい。いつまでも
人から物をもらって配るだけではいけないのではないかとも思うのだそうです。
渡辺さんもアルバイトをして、運営資金を稼ぐつもりでいるそうです。
そう言いつつ、最後に渡辺さんは、快活に笑いました。
そばにいたアビスさんとポンポン冗談を飛ばし合っている渡辺さん目の
楽しそうな光が印象的でした・・・。
****
以上、3回にわたりましたが、渡辺さんについての報告はこれで終わります。
渡辺さんは、今後、ランドローバーを使った活動の様子を写真に撮って送って
下さるそうです。とても楽しみです。
それにしても、僕自身、自分が乗っていったランドローバーが、本当に
うってつけの人に渡ったことがとても喜ばしく思えました。いやそれだけでなく
実は渡辺さんの活動があったからこそ、僕は東北まで行けたのだと思いました。
もちろん、それには、自転車を被災地に送っている京都OHANAプロジェクト
の面々、それを聞いて、自転車の集積場所を提供するとともに、自転車提供
の呼びかけをしてくれた京都大学の岡真理さんの努力のおかげもありました。
その呼びかけをまわしてくださった京都弁護士会のS弁護士、それを聞いて、
車を提供して下さったNさんと、人の思いが次々と連鎖して、今回の車の譲渡
が実現したのです。それこそ本当に面白い人のつながりです。
ちなみに車を提供して下さったNさんは、すでに僕の2回の報告を読んで下さり
ました。お仲間のSさんともいつもの飲み屋でこの話に花を咲かせたそうです。
そんなNさんは次のようなコメントを寄せてくださっています。
「渡辺さんの活躍、ほんとに頭が下がります。私の京都ナンバーの車が、そんな
渡辺さんに運転されて活躍している姿を想像するだけで痛快です。ほんとに
いい人に使っていただいてありがたいです」
みなさんが、ありがたい、ありがたいという。これは本当に楽しいことです。
僕も最後に、みなさん、ありがとうと言わせていただいて、この回を閉じます。
・・・東北の旅の報告はまだ続きますので、みまさま、お覚悟のほどを(笑)
明日に向けて(117)気仙沼の渡辺さんのこと2・・・東北の旅第8信の続きです。
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今後の方向性について伺いました。渡辺さんは、ある程度、みんなが満足でき
ればボランティアをやめて、自分の現金収入を得ようとも考えていたそうです。
しかしまだまだ必要なことがある。食べ物を配っているだけではなくてです。
特に大事なのは、ただ食べ物を配っていてばかりでは、被災者がかえって動か
なくなることにあることでした。そのため状況を把握して、量を制限し始めたそう
です。むやみに渡すだけでは、かえって被災者によくないというのです。
そのため配給する物資も、自立に役立つものに切り替え始めました。例えば
作業服や、道具などです。それがあれば、作業やアルバイトにも出てくれる
のではないかとの期待を込めたそうです。
しかしある程度、落ち着いてしまっている人は何をしても動かないといいます。
被災手当や失業手当をあてにしている。渡辺さんも何カ月後には失業保険は
出ます。しかしその後にどうしても継続的な現金収入が必要になってくる。
そのためにはやはり仕事を探し始める必要があります。仕事はけしてないこと
はない。だから動くのだったらすぐに動いた方がいい。しかし動く気になれない
人たちがいる。その人たちが、次の日から片づけに出た人と差がでてきている。
このため、時間が経ったら経ってで、いろいろな弊害がでてきて、歯がゆい
部分が多いと渡辺さんはいいます。これからは、自立への手助けがどれだけ
できるかだといいます。
しかし自分たちは個人のチームのボランティアなので、できることが限られて
きてしまう。それで渡辺さんは、気仙沼の中で、積極的に動いている他の
ボランティア団体との連携を模索し始めました。
その中で、渡辺さんが知り合ったのが、NPO法人「森は海の恋人」の畠山さん
でした。気仙沼湾で牡蠣の養殖を行う中で、海を守るには森を守らなければ
ならないことに気づいてきた方で、僕自身も注目してきたNPOです。
http://www.mori-umi.org/
同会の養殖の場も、津波によって激しい被害を受けてしまいましたが、今は
気仙沼の復興のために立ちあがり、渡辺さんとの接点ができたのです。
その方が声をかけてくださって、各地で動いている人の集まりが行われた。
そこに参加してきた大きい団体に、ネットワークオレンジというグループが
あります。その人たちの活動を渡辺さんたちも一緒にやらないかと呼びかけ
られ、前向きに考えているそうです。
http://blog.canpan.info/orange-orange/
「報道はもう原発のことにばかり集中していますが、気仙沼はまだまだこれ
からやらなければならないことがたくさんあります。そのためにこうした人たち
とまだまだ活動していこうと思います」と渡辺さん。
最後に、京都から乗ってきたランドローバーの使い道をうかがいました。
渡辺さんがこれまで使ってきたのは、自宅の黒いシビック(ホンダの乗用車)
でした。通勤用の車ですが、段ボール箱が6個ぐらいしかつめない。
使えない車だなと思って、屋根にキャリアでもつけようかなと思っていた時に
アビスさんからこういう車があるという話がきたそうです。4駆自動車など
乗ったことがありませんでしたが、写真を見たら、荷物がかなり載せられる。
それまで軽トラックも考えたそうですが、雨だと使えないし、人がそれほど
乗れない。それでも経費のことなど不安もあったそうですが、今から新しい
車を買う事などとてもできない。
また所有者のNさんが、もし使えなければ処分して現金にしてもいいと言って
くださったことも伝わって、つぶす気は全くないのだけれど、気が楽になった
そうです。ディーゼルの2500CCなので、燃費も稼げそうな気がした。
何よりとにかく荷物が載ることが魅力的で、それでアビスさんにはほとんど
即決で答えを返したそうです。何とかしてくださいと、アビスさんに伝わり、
それが僕に伝わり、京都のNさんに伝わったというわけです。
こうしたことを経る中で、渡辺さんは、アビスさんにはいろいろと世話になってき
たけれど、この人のネットワークは凄いなと思ったといいます。自分は足元にも
及ばないけれど、今からそんなネットワークを自分も作りたいと思ったとか。
そのために、今まで、インターネットを使ったことがなかったけれど、ネット環境
を整えようと思い立ったそうです。オレンジネットワークからも参加の条件
として、ネット環境を整えて欲しいとの話があったそうです。
そうは言っても、現金収入が途絶えている中で、新しくパソコンを調達するには
困難がありますが、今後のことを考えて、何とかしたいと思っているそうです。
そのために、さしあたっては、土木の仕事のアルバイトも考えているとか。
それで軍資金を稼ぎながら、長く活動を続けたいと渡辺さん。自分たちには
公的義援金はこないし、補償もない。しかしゆくゆく自分たちは、パスポートも
とって、他国で何かあったときに、かけつけられるぐらいになりたい。
そんな資金力を持つことも考えようと話しだしているのだそうです。もちろん今は
絶対無理で、まずは気仙沼の復興を見届けてからだと渡辺さんはいいます。
でもモチベーションをあげるために、まずパスポートだけはとるつもりだとも。
この活動をしていると、何だか話がまわりまわってつながってくることを感じる
そうです。いろいろなつながりがでてくる。「面白いですよ。楽しいんですよ、
毎日、毎日」と渡辺さん。「自分が動けば笑ってくれる人が1人でもいる」。
いろいろな状況も見えてくる。何をどうしてあげれば人が喜ぶかが分かる。最近
だと、暑くなってきだしたから、避難所ではタオルケットが欲しいという声が
上がりだしてる。渡辺さんはすでに前から用意していてすぐに配ったそうです。
行政はなかなかこうしたことを把握できない。いまだに毛布しか配布していない。
季節の変わり目すら行政は分からない。先を見据えて動かないと、災害対策
本部は、苦情処理の場になってしまう。それではいけないと渡辺さん。
そのためには、ある程度の権力を持たせてほしいと切望しているそうです。
もっと即決で動ける態勢が欲しい。それでこの日は、このインタビューの前に
気仙沼市長にも会見をしてきたそうです。
短い時間でしたが、幾つか話を聞いてくれて、すぐに実行を移すことに
なったとのことです。具体的には今ある避難所は、横の連絡がない。それを
ネットでつなげば、物資がどこにあるかなど、すぐに分かるようになる。
気仙沼地域に、今、避難所は50前後あり、大きいところはまだ700人いるそう
ですが、物資の流れがとまってしまっている。だから避難所同士のネット
ワークがうまく機能すれば、ある程度のものはそこでまわしていける。
あらためて入れると、先に入ったものを眠らせてしまう。それはもらった人に
非常に失礼なことになる。なので、避難所でもっと物資を有効に動かし、
あまったスペースに米を蓄えていく。そうした提案をしたそうです。
最後に、今後の課題としては、何よりも運営資金をどうするかだそうです。外部
の方たちがそれぞれに義援金の応募をして、それを回してくれてもきたそう
ですが、自分たちはゆくゆくは地元の商店から物資を手に入れたい。
そのための資金力を持ったボランティアへと発展していきたい。いつまでも
人から物をもらって配るだけではいけないのではないかとも思うのだそうです。
渡辺さんもアルバイトをして、運営資金を稼ぐつもりでいるそうです。
そう言いつつ、最後に渡辺さんは、快活に笑いました。
そばにいたアビスさんとポンポン冗談を飛ばし合っている渡辺さん目の
楽しそうな光が印象的でした・・・。
****
以上、3回にわたりましたが、渡辺さんについての報告はこれで終わります。
渡辺さんは、今後、ランドローバーを使った活動の様子を写真に撮って送って
下さるそうです。とても楽しみです。
それにしても、僕自身、自分が乗っていったランドローバーが、本当に
うってつけの人に渡ったことがとても喜ばしく思えました。いやそれだけでなく
実は渡辺さんの活動があったからこそ、僕は東北まで行けたのだと思いました。
もちろん、それには、自転車を被災地に送っている京都OHANAプロジェクト
の面々、それを聞いて、自転車の集積場所を提供するとともに、自転車提供
の呼びかけをしてくれた京都大学の岡真理さんの努力のおかげもありました。
その呼びかけをまわしてくださった京都弁護士会のS弁護士、それを聞いて、
車を提供して下さったNさんと、人の思いが次々と連鎖して、今回の車の譲渡
が実現したのです。それこそ本当に面白い人のつながりです。
ちなみに車を提供して下さったNさんは、すでに僕の2回の報告を読んで下さり
ました。お仲間のSさんともいつもの飲み屋でこの話に花を咲かせたそうです。
そんなNさんは次のようなコメントを寄せてくださっています。
「渡辺さんの活躍、ほんとに頭が下がります。私の京都ナンバーの車が、そんな
渡辺さんに運転されて活躍している姿を想像するだけで痛快です。ほんとに
いい人に使っていただいてありがたいです」
みなさんが、ありがたい、ありがたいという。これは本当に楽しいことです。
僕も最後に、みなさん、ありがとうと言わせていただいて、この回を閉じます。
・・・東北の旅の報告はまだ続きますので、みまさま、お覚悟のほどを(笑)