明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(275)フォトジャーナリスト豊田直巳さんをお招きします(10月4日)

2011年09月30日 08時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110930 08:00)

すでにお知らせしましたが、10月4日にフォトジャーナリスト豊田直巳さんを
京都にお招きし、豊富な写真とともにお話をうかがいます。18時30分から
始めます。豊田さんのお話に先だって、僕が内部被曝の脅威について、30分
ほど解説します。みなさま、どうぞお越しください。以下、転送・転載、
大歓迎です!

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フォトジャーナリスト豊田直巳の見た福島・原発震災のまち
10月4日(火)18:30
ひとまち交流館3F第4会議室 参加料500円

フォト・ジャーナリスト豊田直巳、311以降、福島原発のすぐそばまで
接近し取材を行い、被災地とそこにいる人々の状況をカメラに収め続け
てきた。放射線測定器は警報を発し続け、その針は振り切れたまま動か
なかった。まさに「命がけ」の取材。

豊田さんはこれまでにもイラクでの被曝米兵やチェルノブイリなど各地
を取材し、放射線と人の関係を丹念に記録してきました。チェルノブイ
リ原発事故から25年のドキュメンタリー制作の取材を終え、ウクライナ
・ベラルーシから帰国した翌週の12日には「日本での原発取材」を
はじめるべく福島に立っていた。

以前から、イラクでの「劣化ウラン弾」の子どもたちへの影響を心配し、
訴え続けて来た彼はまさに放射線被曝の問題を第一線でおいかけてきた
第一人者です。そんな豊田さんを京都へお招きし、ふんだんな写真と
共に原発震災のまち福島とその人々の様子をうかがいます。原発作業員
への取材をはじめ、飯館村の酪農家の長谷川健一さんとの触れ合いの話
などを予定。

豊田直巳講演19:00~/質疑応答20:00~

豊田直巳のプロフィール
1956 年、静岡県生まれ。フォトジャーナリスト 。2003年、平和・協同
ジャーナリスト基金賞奨励賞。日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)
会員。イラクやパレスチナなどの紛争地を巡り、人々にとっての「戦争と
平和」を写真や映像で報道。劣化ウラン弾問題やチェルノブイリ取材の経験
から、原発震災以降はフクシマを中心に取材し、新聞、雑誌やテレビで報道。
最新刊に『フォトルポルタージュ 福島 原発震災のまち』(岩波書店)、
『豊田直巳編 TSUNAMI 3・11』(第三書館)、『JVJA写真集 3・11 メルト
ダウン』(凱風社)、その他に『戦争を止めたい』(岩波書店)、『子ども
たちが生きる世界はいま』(七つ森書館)、『大津波アチェの子供たち』
(第三書館)、『イラク戦争下の子供たち』(第三書館)、『イラク 爆撃と
占領の日々』(岩波書店)など写真集、著書多数。DVD作品に『知られざる
DU(劣化ウラン)の恐怖』(日本語・英語二ヶ国語版)などがあります。

当日は最新刊、『フォト・ルポルタージュ福島 原発震災のまち』
(岩波ブックレット)のサイン即売会を行います。


豊田さんの講演に先立って、守田敏也さんの内部被曝についてのお話も
行います。18時30分より30分。

守田敏也のプロフィール
1959年生まれ。京都市在住。同志社大学社会的共通資本研センター客員
フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続けながら、
社会的共通資本に関する研究を進めている。原子力政策についても独自の
研究を続けている。震災後のデータ収集と鋭い分析力により、震災後、
精力的に講演活動を行い、多忙な毎日を送っている。


主催 : 豊田直巳さんの話を聞く会
問合せ先 : 090-6005-6878(片岡)
コメント

明日に向けて(274)除染活動を通じて見えてきたこと(細川弘明さん)

2011年09月29日 22時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110929 22:00)

明日に向けて(251)で「避難と除染についての考察」という一文を書きました。
9月4日のことです。もともと放射能除染活動は、一部の方たちが止むにやまれず
に始めたものですが、その後に福島県などの行政が着目し、住民に避難を思い
留まらせる手段としても取り組み始めた面があります。

これをどう考えるのか、どのように線引きをするのか、自分ではよく見えない
ものがある中での考察だったのですが、このとき、誰よりも早く除染活動に
着手してきた京都精華大学の細川弘明さんが、ご自分が書いて、雑誌に投稿中
の原稿を送ってきて下さいました。非常に明快に論旨が整理されていました。

そのときはまだ雑誌が発行されていないので、公表は控えて欲しいとのこと
だったのですが、先程、ご自身のブログでも紹介したので、公表可能ですとの
ご連絡をいただけました。みなさんにご紹介しますのでぜひ読んでいただきた
いと思います。


なお、9月22日と昨日28日に信楽を訪れましたが、僕の持っているRADEX RD
1503というガイガーカウンターで計測したところ、、信楽小学校校庭真ん中
1mで0.17マイクロシーベルト(毎時)、10㎝で0.20マイクロシーベルト(同)
という値が出ました。またある方の庭で、10㎝で0.23マイクロシーベルト
(同)が出ました。

RD1503はこれぐらいの数値だと高めに計測されると言われているので、確実
な値とは言えません。この機械をもっと性能の高い機種と一緒に測って、
大まかにでも誤差の目安を把握すべきことを痛感しましたが、それでも京都
の僕の自宅では0.12~14ぐらいの値のなのでやや高いのは間違いない。

それで細川さんたちが行っている除染活動の紹介などから得てきた知識と
して、まずは庭の雑草を刈ってみることをお勧めしました。それで昨日、計測
しなおしたところ、庭の10㎝の値が0.14ぐらいにまで下がっていました。
実際の値がどうであれ、草刈が効果があったのは間違いないと思います。

しかしその庭に面している部屋の中が0.22マイクロシーベルト(毎時)ぐらい
あり、その値はこまめな掃除や、屋根の上の雨トイの泥をのぞくなどした
ものの、あまり下がりませんでした。それで続いて、壁際に生えている雑草
も刈ることを提案しています。

福島での値を考えるならば、RADEX RD1503でのこの計測値で除染を行うことを
大げさという方もいるかもしれない。しかし放射線を浴びることは可能な
限り避けるに越したことはないし、何より、値が高ければ、可能であれば
下げたいと思うのが当然の心情です。

そのために細川さんたちの実践知を援用してみたのですが、効果があることが
部分的にせよ証明できたように思います。この方法なら手軽に行えるので、
もっと多くのところで実践可能だと思います。それで多くの方の被曝を少し
でも軽減させることができる。

そのためには、この実践について、僕自身がもっと実地で教えていただく
必要を強く感じています。それで細川さんにお願いして、次回の福島での除染
活動に参加させていただくことにしました。実践知を得て、それをまた多くの
地域に伝搬させていきたいと思います。

ただしそれで避難すべきものをマスクしてはいけない。あくまでもこの点を
明確にしながらの除染活動に取り組んでいかねばなりません。その上で、
細川さんの書かれている「除染活動を通じて見えてきたこと」という文章は
非常に重要です。以下、お読みください。

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【Nuke】除染活動を通じて見えてきたこと 
京都精華大学 細川弘明
http://itacim.blogspot.com/2011/09/nuke_29.html

月刊『部落解放』11月号(10月中旬発行予定)の巻頭コラムに寄せた文章
(8月末執筆)をもとに、若干手を加えたものを以下、公開します。

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2011年3月11日の原発震災(東電事故)により、政府が住民の避難や避難準備を
指示した区域からさらに数十キロ離れた地域でも法定の「放射線管理区域」を
はるかに上回るような汚染が生じている。本来、ただちに避難(最低限でも
小児と妊婦の退避)がなされるべきだが、事故をなるたけ小さく見せかけたい
政府は消極的な対応に終始し、「ただちに健康に影響しないので心配するな」
との大本営発表が繰り返された。小さな子供や胎児を抱える親たちの中には
意を決して自主的に避難した人も少なくないが、住居・仕事・学校・介護など
様々な制約のある中で汚染地に住み続けざるをえない人々も多い。安心情報を
鵜呑みにして危機感をもたず「普通の日々」を送る人もまた多い。

このような異常な事態を憂慮した私たち(いくつかの大学の教員と福島住民の
協働チーム)は《放射能除染・回復プロジェクト》を立ち上げ、5月中旬の第1
回調査を始めとして、福島市(おもに北東部のホットエリア、すなわち放射能
汚染濃度の高い区域:渡利地区、御山地区、大波地区など)に通って、通学路
や公園や駐車場などの放射線測定、家屋や農園の除染実験、企業との話し合い、
記者会見などを展開してきた(プロジェクトの基本的な考え方や進行状況は7月
19日の記者会見資料を参照されたい)。

事態のあまりの深刻さとスケールの大きさ故、私どもたかだか十数人の活動は
ドンキホーテの如き混乱と滑稽さを伴う。しかし、活動を毎月重ねるにつれ、
少し見えてきたこともある。

当初、国も県も市も、汚染は心配ないレベルだから避難も除染も必要ないとの
姿勢だった。5月頃は「じょせん」という言葉を聞いても一般の人には何のこと
か分からないのが普通だったろう。しかし、私たちのグループ以外にも放射能
除染を試みる動きは日々増えていき、それらが報道されたり、土壌汚染濃度に
ついてのデータが次々と明らかになるにつれ、「このまま住み続けてよいのか」
という問題意識を明確にする住民も増えた。行政の側からすれば「住民の不安」
が放置できないレベルに達したのである。

7月中旬あたりを境に、行政側は突如「除染計画」に積極的になり、そこに
ビジネスチャンスを嗅ぎつけた企業や原子力業界団体の動きもにわかに活発化
した。だが、行政主導の除染は「住民を安心させる」ことが目的化しており、
「避難させない」ための口実にされている。

継続居住が可能な地域の除染は急ぐべきだが、そもそも「継続居住が可能かど
うか」の判断ができるほど綿密で徹底した線量測定を行政が怠ってきた(ある
いは測定結果を公開しないできた)というのが実情である。除染作業では、
ホットスポットの確認や高線量の要因(たとえば児童公園であれば芝地や滑り
台着地点の土など)の特定と除去を優先しておこなうが、地域全体として線量
が高すぎるところでは、まず立入禁止にしたり住民を避難させたりして、そこ
の除染は後回しにするという判断も時には必要となる。

除染の可能性だけを強調して、食品による内部被曝を過小評価するのも大きな
間違いだ。校庭の土を削って放射線量が下がったのでもう大丈夫、さぁ「地産
地消給食」を、といった倒錯した押しつけは受け入れがたい。

私たちのプロジェクトでは、「避難させないための除染」という考え方をとら
ず、除染と避難は「放射線被曝低減」のための総合対応の一環として連携して
実践されるべきもの、との考え方に立つ。また、放射能を拡散させないための
配慮として、できる限り水を用いず、固めて剥ぎ取る方式を追求している
(詳細は前掲ウェブサイトを参照)。

福島県やいくつかの市町村では、圧力水洗浄、つまり放射性物質を含む汚れを
高圧ポンプで洗い流す方法を提唱している。この方法だと、除染現場から汚染
を移動させることはできても回収することができない。汚染水の行き先を考え
ずに「洗え、洗え」では、放射能を拡散させ二次的な汚染(たとえば下流での
ホットスポット形成や農業用水への混入)を招く。現時点でも下水処理場の
労働者の放射線被曝は深刻な問題であるが、それがさらに悪化する恐れも高い。

洗い流すことによる一時的効果は、住民にひとときの「安心」を与えるかも
知れないが、落ち着いて考えれば、人々がたがいに汚染を押しつけ合う結果と
なる。自らを守るために放射能を洗い流そうとする人も、下流でそれを押し
つけられる人も、ともに原発事故の被害者なのである。被害者どうしを分断し、
被害を押しつけ合うような「除染」であってはならない。行政主導の除染事業
では東京電力の責任と義務が不問に付されているが、加害者企業の「汚染物
引き取り責任」と賠償責任を見過ごすわけにはいかない。

原発震災によって脅かされているのは人々の健康であり、経済の基盤である
土地と水であるが、同時に、避難や移住のための正当な支援を受ける権利の
著しい侵害でもあり、被害者が加害者になる状況を強いられるという悲劇で
もある。原発震災は人災であると同時に「人権災害」でもあるということを
銘記したい。
コメント

明日に向けて(273)福島・郡山市土壌汚染濃度 チェルノブイリ被害地匹敵

2011年09月29日 13時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110929 13:00)

琉球新報に、「福島・郡山市土壌汚染濃度 チェルノブイリ被害地匹敵」
というタイトルで、矢ヶ崎さんの分析を紹介した記事が載りました。
矢ヶ崎さんはこの内容を、9月16日に行われた神戸講演でも話されており、
すでに「明日に向けて(263)」で紹介していますが、新聞記事はその要約
になっていますので、ポイントをつかむのに便利です。ご活用ください。

ただ記事のタイトルは、必ずしも最も重要な点を表現しているとはいえま
せん。福島・郡山の土壌汚染が、チェルノブイリ被害地に匹敵している
・・・確かに間違ってはいませんが、矢ヶ崎さんがここで強調されている
のは、ウクライナのルギヌイ地区が、国際放射線防護委員会(ICRP)の
もともとの基準である年間放射線許容量を1ミリシーベルトにというライン
を厳格に守ったのに、深刻な健康被害が出たという点です。

つまり年間被曝1ミリシーベルトという基準を守っていても健康にかなりの
害がでるのであり、ICRPの被害想定が大きく間違っていることが明らかに
なっているのです。にもかかわらず日本では1ミリシーベルトすら守らず、
20ミリシーベルトという新たな許容値を出し、健康被害は出ないように
言っている。「棄民政策そのものだ」と矢ヶ崎さんは批判しています。

この点にポイントがあることを踏まえて、以下、琉球新報の報道をお読み
下さい。また参考までに、「明日に向けて(263)」より、当該個所を抜粋
して貼り付けておきましたので、さらに読み進んでいただければと思います。
こうした現実をしっかり把握して、政府の安全キャンペーンに惑わされず、
被曝の脅威を伝えて、放射線からの最大防御をしていきましょう。

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福島・郡山市土壌汚染濃度 チェルノブイリ被害地匹敵

琉球新報 2011年9月28日
福島第1原発事故で放射能に汚染された福島県内の土壌は、1986年の
チェルノブイリ原発事故で健康被害が続出したウクライナ・ルギヌイ地区
に匹敵する汚染濃度であることが矢ヶ崎克馬琉球大名誉教授の分析で
分かった。同地区は事故後5~6年で甲状腺疾病と甲状腺腫が急増。9年
後、子どもは10%の割合で甲状腺疾病が現れた。通常10万人中数人し
か出ない子どもの甲状腺がんは千人中13人程度まで増えた。矢ヶ崎氏は
「福島で同じような健康被害が出る恐れがある。子どもの遠方避難を含む
被ばく軽減策に全力を挙げるべきだ」と訴えている。

福島県内の土地について文部科学省が8月30日に発表した詳細な汚染度
(放射性セシウムの濃度)調査の結果を基に、ルギヌイ地区の汚染状況と
郡山、福島両市の汚染濃度を比較した。

ルギヌイ地区はチェルノブイリ原発から西へ110~150キロ離れた場
所で、強く汚染された地域。ウクライナの汚染度区分は三つのゾーンに分か
れている。移住の判断基準は国際放射線防護委員会(ICRP)基準を原則
的に適用し「年間自然放射能を除いた1ミリシーベルト以上の被ばく」と
設定されている。1平方メートル当たりで、55万5千ベクレル以上が
「移住義務」、55万5千ベクレル未満~18万5千ベクレルが「移住権利」、
18万5千ベクレル未満~3万7千ベクレルが「管理強化」となっている。

ルギヌイ地区の汚染程度は「移住義務」と「移住権利」を合わせた地点数の
割合は13・3%に対し、郡山は14・4%、福島市は33・0%。両市の
方が汚染度の高い地域が多い。汚染の少ない「無管理地域」の割合はルギ
ヌイ地区が1・5%で、郡山市27・1%、福島市10・6%と両市の方が
多い。濃淡分布の幅の違いはあるが平均値などをみると「汚染度はほぼ
同程度とみなせる」という。

ルギヌイ地区では、子どもの甲状腺疾病の罹患率が上がったほか、同地区全
病院全ての患者に免疫力の低下や感染症の増加・長期化などが確認された。
90~92年の死亡率を事故前の85年と比べると、死期は男性で約15年、
女性で5~8年早まっていた。

矢ヶ崎氏は「ウクライナの法定放射能定義はICRPの基準に従っているの
に、その基準は健康管理の点ではあまりにも甘すぎたことを示している。
健康被害は年間1ミリシーベルト以下でも深刻だ。だが日本政府は緊急時の
措置として20ミリシーベルトを設定した。許し難い。住民を『被ばく
されっぱなし』の状態に置く『棄民』政策そのものだ。国民の健康管理の
面から、その点は厳しく追及されねばならない」と強調した。(新垣毅)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-182154-storytopic-1.html

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明日に向けて(263)内部被曝-怒りを胸に、
楽天性を保って最大防護を-(矢ケ崎さん講演碌)より抜粋

http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b19e726f856b3d9ac679c9658610e683

それで福島について、文科省がメッシュ測定をおこなって、線を網目にして福島
県だけで2200か所測定したものがあります。それでちょうど福島市と郡山市の
青色のゾーンがありまして、ここが線量が高くなっています。この部分は栃木県
や埼玉県や千葉県にもあります。ホットスポットといわれる地帯です。

これをチェルノブイリと比較しました。チェルノブイリのルギヌイ地区のデータ
があります。それがまず私たちが比較していい汚染内容を持っています。なので
かなり突っ込んで分析しました。

ウクライナの法定汚染ゾーンがあります。1年間にどれだけ被曝するかの数をみて
いきますが、一番高いところは移住義務、次が移住権利、次が管理強化という
ゾーンになります。注目するところは、移住権利のところが、自然の放射線より
1ミリシーベルトだけ高い所とされていることです。この地域はもともと年間0.6
ミリシーベルトで、1.6ミリ以上だと、1ミリ高い場所になるのです。

ウクライナはこの年間被曝許容量1ミリシーベルトという条件をきちんと守って
いるのです。日本はそんなことをやるどころか、20ミリシーベルトと値を上げて、
我慢しなさいといっています。「頑張ろう福島」とかいいますが、「我慢しな
さい福島」と私には聞こえます。その点、ウクライナには1ミリを守ろうとした
誠実さがあります。

ここで強調したいのは、1ミリとはどれぐらいの放射線なのかです。誰もが少ない
値だと思ってしまいます。しかしこれは毎秒1万本の放射線があたる値です。1年
では億になります。けして放射線量が低いなどとは言えたものではないです。
ウクライナの誠実さは厳格に実施されていますが、しかしこれによって住民が救わ
れているかというと、まるっきりそうではないのです。

ルギヌイ地区の分布は大部分が管理区域です。85.2%です。移住権利地区と、
移住義務地区は、14.8%です。それに対して福島市は義務と権利を加えて33%に
もなります。これをみると福島はルギヌイ地区より高い放射線を浴びていること
がわかります。郡山市は、ルギヌイと同じぐらいの線量です。ただし管理地区に
入らないところも福島・郡山の方が多いところにも特徴があります。これは今後
のこれらの地域の健康状態をかなり示すことになります。

ルギヌイ地区の健康状態がどこに乗っているかというと、今中哲二さんが、
「チェルノブイリ事故による放射能災害、国際共同研究報告書」を書いています。
これをみると、100ミリ以下ではデータがないなどというのがいかにでたらめか
分かります。実際には100ミリ以下でいっぱい病気がでてきているのに、いかに
公式記録に載せないかが苦慮されてきたことがわかります。

ルギヌイ地区では、免疫力の低下がまず第一にあげられています。感染症の増加
長期化などさまざまな症状があらわれています。特徴的なのはガンの第3期から
4期にある人の平均余命が、胃がんで60ヶ月だったものが、1992年には8ヶ月に
落ちています。肺ガンでは40ヶ月が、8ヶ月です。さらに1996年には、2.3ヶ月
と2ヶ月にまで落ちています。

新生児の病気にかかる率や、先天性形成障害、精神神経的障害も増えています。
これについてICRPの医師たちは、これらの原因を、放射能を浴びたのではないか
心配するころからくるストレスのせいにしています。

一番ショッキングなのは、老化がもの凄く早まっていることです。年齢別に比較
するとピークの死亡率を一番高くカウントする年齢が10歳若くなってしまった。
平均余命では1985から1990、1992年で男性の死期は15年近く短縮し、女性は5年
から8年短縮しています。女性の方が子孫を残していくために強さがあるのですが、
そこでも5年から8年短くなっている。

子どもの甲状腺の病気と癌については、特徴的に事故から5年経ったときに、突然、
もの凄い数であらわれてきています。1995年で9年後で1000人中100人の子どもが
病気になり、1000人中12、3人が癌になっています。こういう実情があるのに、
政府からたくさんの研究者を派遣して病気の痕跡がないという報告が出ている。
科学をかたっているので余計に怖さが際立ちます。



コメント

明日に向けて(272)内部被曝はなぜどのように恐ろしいのか

2011年09月28日 09時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)

守田です。(20110928 09:00)

今日はこれから信楽に向かいますが、今日のお話で触れたいことは何よりも内部被曝の恐ろしさについてです。9月16日に神戸で行われた矢ヶ崎克馬さんが語られた内容を紹介しようと思うのですが、いまここで僕は、自分自身が内部被曝の恐ろしさについて、311まで、けして十分には理解していなかったことを捉え返しておきたいと思います。

もちろん僕は311までも原発に反対でしたし、集会やデモにも参加してきました。多くの文献で、原発の危険性についても学んできました。しかしその危険性は、主に大事故の可能性を孕んでいることについてで、原発が通常運転の状態でも微量の放射能を出し続けていること、それが私たち生きものにとって極めて危険であることを十分に捉えてこれませんでした。

低線量被曝の恐ろしさが十分に分かっていなかったのです。そのため広島・長崎の被爆者の方々の苦しみも十分には理解してこれなかった。悔しいような、申し訳ないような気がします。今一度、被爆者の長年にわたる訴えに耳を傾け、その中から歩んできた肥田先生や、矢ヶ崎さんに学び続けていこうと思います。


矢ヶ崎さんは、神戸のお話で、放射線被曝の恐ろしさを二つの相に分けて語られました。放射線は、電離作用という力を持っています。物質は原子が周りをまわっている電子の軌道を共有することで接合し、分子を形成しているのでが、放射線はその電子をはじきとばすことで、分子を切断してしまいます。これを電離化、あるいはイオン化といいます。

私たちの遺伝子情報の鎖であるDNAに則して電離作用をみていくと、放射線があたることにより、DNAもまた切断されてしまいます。しかしDNAは二重らせんになっていて、切断されても修復する力を持っています。しかしたくさん
の放射線を浴びると、修復が追い付かず、切断状態を回復できずに、DNAが死んでしまいます。これが重なると急性症状がでて、危険性が高まります。

これに対して、それほど高線量ではないけれども、ダメージが大きかった場合、修復はなされるのだけれども、遺伝子情報の誤った再生、間違った修復がなされてしまうことがあります。これが危険性の二つ目の相です。間違った遺伝子情報は、さらに細胞分裂でコピーが繰り返されていき、やがてガンになっていくのです。

DNAの死滅と誤った再生という二つの危険相は、高線量でも低線量でも起こりますが、どちらかというと、高線量の場合に細胞の死滅が起こりやすく、急性症状になりやすい。反対に低線量の場合は、染色体の誤った再生とコピーによりガンにいたっていく可能性の方が高くなります。このため低線量被曝では、急性症状よりも晩発性のガンが発生しやすくなります。


つぎに重要なのは外部被曝と内部被曝の違いです。放射能、ないし放射性物質が発する放射線は、α線とβ線とγ線ですが、α線とβ線は空気中で、それぞれ45ミリ、1メートルぐらいしか飛ばないため、外部被曝で体にあたるのほとんどγ線です。3つの放射線の中で一番エネルギーが少ない。これが全身にバラバラに、粗い密度であたります。

これに対して内部被曝の場合、核種によって違うものの、3つの放射線の全てが照射されます。α線とγ線をだすもの、β線とγ線を出すものなどがあります。γ線よりもα線やβ線の方がエネルギーが大きく、打撃力が高い。もちろんその方が人体に対する影響も大きいのですが、問題は、内部被曝の場合、放射線が局所に集中的に、高い密度であたることです。

ここに外部被曝と内部被曝の大きな違いがあります。外部被爆ではおもにγ線しかあたらない。γ線も量が多ければ人体に深刻な影響を与えますが、α線やβ線に比べると、分子との衝突の可能性が低いのです。そのためにα線やβ線よりも遠くまで飛んでいく。衝突でエネルギーを失うことがより少ないから、いろいろなものを通過しやすいのです。

これに対してα線やβ線が、あまり飛ばないのは、すぐに近くにある分子と衝突し、電子を弾き飛ばす電離作用を及ぼすからです。そのときにエネルギーを失う。α線が空気中でも45ミリしか飛ばないのは、その間に激しく空気中にあるさまざまな分子に衝突し、電離作用を繰り返すからです。β線も、γ線より激しく分子にあたるので、空気中では1メートルしか飛ばない。

これが体内に入るとどうなるか。α線やβ線は、チリとなってとりこまれた放射線物質のすぐそばの細胞に激しくあたっていく。こうなると何ミクロンという距離しか飛ばなくなる。その間にある細胞の分子を切断し、激しく損傷させてしまいます。これが高い密度であたるという意味です。そのため細胞は修復不可能なダメージを受けてしまう。

細胞がそのまま死滅してしまうことがたくさん起こると急性症状が出てきて、死に至ることもあります。そこまで悪化しなくても、免疫力が大きく落ちて、あらゆる病気が発症しやすくなり、体力や気力が突然維持できなくなる、「原爆ぶらぶら病」と呼ばれてきた症状もでてきます。生命活動の源が大きく破壊されてしまうことでこの症状が出て来る。

これに対して、細胞の中のDNAが必死になって修復を行うのだけれども、正しい修復ができずに、間違った修復がなされてしまうことも起こります。先にも述べたように、間違って修復されたDNAは、細胞分裂の繰り返しで、何度も
コピーされていき、どんどん増えていく。それが何十年という時間を経てガンとしてあらわれてきます。晩発性の障害といわれるものです。


外部被爆でも、線量が多ければこのような症状がでてきますが、線量が同じだった場合、外部被曝ではいわば体のあちこちにバラバラに放射線があたるので、それぞれの箇所で、細胞が行う必死の修復作用が成功する可能性が高い。しかし内部被曝では、体の一部でしか作用が起こりませんが、その場所は修復が難しいダメージを被ってしまいます。

比喩をしてみましょう。10本の細い針で皮膚をつつくことを考えてみてください。軽くつつくなら皮膚は破れないかもしれない。ところが針を10本束ねて一か所だけを刺す場合ではどうでしょうか。刺される場所は10分の1ですが、針の太さは10倍になっています。そのため同じ力でつついても、皮膚が破れて針が通ってしまいやすくなる。

ただしこの比喩ではまだ内部被曝の外部被曝に比べた恐ろしさを十分には伝えていません。両者の密度の差がここでは10対1になっていますが、実際にはもっと大きな差があるからです。ではどれぐらいでしょうか。ヨーロッパ放射線
リスク委員会(ECRR)は、同じ線量の被曝の人体に対する影響は、内部被曝の場合、平均して外部被曝に対して600倍して考えるべきだと指摘しています。


こう考えてくると、内部被曝と外部被曝を単純に足し合わせて、被曝量の総計としている今の主流的な考え方、国際放射線防護委員会(ICRP)の計算式がまったく間違っていることが見えてきます。かりに内部被曝1ミリシーべルト、内部被曝1ミリシーベルトなら、内部被曝に600をかけなければならない。つまり足し合わせて2ではなく、601とみなすべきなのです。

にもかかわらず、食物の中に含まれた放射線物質何ベクレルを年間これぐらい食べると、何シーベルトになるという計算が繰り返されています。こうすると1キログラムあたり500ベクレルもの高い値のものを毎日食べても、「レント
ゲンと比べても気にするほどの量ではない」ということが語られるようになります。

そもそも病を発見するメリットのために被曝のデメリットをおかすレントゲンを比較対象にすること自身も大きな誤りですが、ここには外部被曝であるレントゲンと、内部被曝である食べ物から被曝をまぜこぜにして語っている誤りもあります。比較するなら食べ物からの被曝を600倍しなければいけない。そうすればどれほど大きな被曝なのかが浮かび上がってきます。


まとめます。内部被曝の恐ろしさは、外部被曝に比べて被曝が高密度でなされ、私たちの人体が持っている細胞の修復能力を上回る被曝が行われる可能性が高いことです。しかも外部被曝ではエネルギー量の低いγ線が主役であることに対して、内部被曝では、よりエネルギー量が高いα線やβ線が主役になってしまう。それが高密度で細胞を攻撃するのです。

このため内部被曝と外部被曝はまったく違うものであると考えたほうがよい。両者を足し合わせて人体の影響を測るのなら、内部被曝の線量を600倍して考えるべきですが、そもそも人体への影響の仕方がかなり違っています。注目すべきことはこの両者の抜本的な違いが無視されてきていることです。内部被曝は今なお隠された被曝なのです。

飲食物の放射線物質に対する安全基準も、放射性物質の付着した汚泥やがれきを燃やすときの安全基準も、この内部被曝を無視した考え方の上に成り立っています。大きな危険性が隠されています。だからこそ汚染物質を徹底して避け、がれきの移動や焼却も認めないことが大事です。
とりあえず、今回はここまでとしておきます・・・。


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明日に向けて(271)ことばの力、絵の力、絵本の力

2011年09月27日 23時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)

守田です。(20110927 23:30)

すでにお知らせしたように、明日、信楽によんでいただき、お話をすることになっています。信楽町開発センターで午後1時からですが、少し前にいって、周辺の放射線を測り、お話の後もまた計測会を行うつもりです。信楽周辺の方、よければご参加ください。

今回の講演会は、「あすのわ」のみなさんによって主催されていますが直接に声をかけていただいたのは、これまでも紹介している絵本作家の市居みかさんです。今回のお話会は、その市居さんが絵を書き、玉崎洋子さんが文を書いて作った、1枚のチラシがきっかけになっています。

タイトルは「まずは知らなきゃね」。市居さん描く「あすのわぐま」が、原発について、「本当はこうなんだよー」と猫ちゃんに説明しているものです。何はともあれ以下をクリックしてみてください。A4二つ折り、見開きようのもので、1枚目の右側からスタートしています。
http://asunowa.shiga-saku.net/e614436.html
https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=1n4BN-8yTV5-BqPLEixco6GMXyRBn1Hz1NF8pdV_ibNfW20AATCj_rShSINd8&hl=en

僕がこのチラシを手にしたのは、4月に行われた大阪での脱原発デモでのこと。カメラを持って、歩道を歩いていた僕に、小学生ぐらいの女の子(玉崎さんの娘さん)が、はい!とにこやかに手渡してくれたのでした。一読して、これはこの間のベストチラシだと思った。

それでただちに持ち帰ってマスプリ。周りにじゃんじゃん配りだしたところ、大好評でしたが、その頃になって、良く読むと、「イラスト市居みか」と書いてある。実は市居さんに僕は、数年前に滋賀県で行われた絵本を読む会の場でお会いしていたのでした。

これは絵がつないでくれた縁だな。絵本の縁だなと感じました。すると市居さんが呼びかけて、絵本作家さん60人が集まって、NO!ゲンパツ展が行われていることを知り、東京に出かけた際に、見てくることができました。圧巻だった!集まった絵の力に胸を打たれ、心が温かくなりました。

このときの様子も、あすのわのHPに市居さんが書いているので、ぜひご覧ください。この展覧会は、滋賀、大阪、新潟、東京、広島の会場を駆け回ったのですが、それぞれの会場の様子、そして出典された作品をみることができます。
http://asunowa.shiga-saku.net/e678870.html

さらに市居さんは、次の展覧会にも踏み切っている。『ぼくらの原始力展』です。9月19日から10月2日まで。東京中野で開催中。「絵本作家たちの、原発なくてもこんなにすごい力がたくさんある!というテーマのグループ展」と銘打たれています。以下をクリックしてください。
http://ichiipk.exblog.jp/

絵の力、絵本の力、絵本展の力、それはすべて人間の想像力に訴えかけてくるものです。そこには物理的エネルギーは使われていない。もちろん電気など介在していない。でもこれほど体があっためられる。何か人間の最も根本にある力を引き出してくれるような気がします。

そう考えているときに思い出したのが、僕がかつて同志社大学社会的共通資本研究センターに属していた時に行なわれた「社会的共通資本としての絵本」という講演会でした。このときにお招きしたのは、絵本の老舗、福音館書店の会長、松居直さんでした。

もうひとり、先日、細川弘明さんの除染報告会を行った京都・堺町画廊の主宰者でもある、絵本作家のふしはらのじこさんも来て下さいました。お二人の話ともにとても素敵だったのですが、今、紹介したいのは、松居さんのことです。


松居さんは、絵本の世界にいる方の中ではとても有名な方で、いわば絵本道の達人です。といってもご本人が絵本を書かれてきたのではない。福音館書店を通じて数々の素晴らしい絵本を世に押し出し、また素晴らしい作家さんたちを育ててこられたのです。

松居さんは、絵本や、こどもの本にまつわる成人向けの本を何冊も書かれています。『絵本をみる眼』『絵本とは何か』『子どもの本・ことばといのち』などです。とくに絵本やこどもの本を開いてみようという方にお勧めなのは『子どもの本・ことばといのち』です。

ここでは松居さんのお勧めの本がずらりと並んで紹介されている。その筆頭にあげられているのは『ハイジ』です。誰もがご存じのアニメーション『アルプスの少女ハイジ』の原作ですが、実は原作と、アニメにはかなりの違いがあり、松居さんはそれを次のように紹介しています。


「久しぶりに完訳で『ハイジ』を読み返したとき、ひとりの読者-それも大人の読者として、私は予想した以上に心をひかれました。これほどまっすぐに心に語りかけ、新鮮な思いに包まれた読書体験も稀でした。それに較べてアニメーションの「ハイジ」のなんと貧しいこと。原作者シュピーリが語り伝えたいと願ったであろう本質の問題は、みごとに消し去られているのです。」

「いえ、その部分は映像化しえないのです。もちろん物語を”読む”というあの楽しさは味わえません。シュピーリが心をこめてことばにした自然の美しさも、人の心のゆたかさや深い悩みも、まるでメッキのように薄っぺらにしか表現されていません。」(『子どもの本・ことばといのち』p10)


僕はこの一説に衝撃を受け、すぐに「ハイジ」の原作を日本語訳し、福音館書店が発刊したものを手に入れ、ゆっくりと、丹念に読みました。そして松居さんがおっしゃるように、この本が本当に深い広がりを持っていることを知りました。さらにパウル・ハイの描いたさし絵にとても感銘しました。

実はこのさし絵は、松居さんが日本語訳を編集されたときに、スイスの著明な絵本編集者で、こどもの本のすぐれた研究者でもあったベッティーナ・ヒューリマンさんに相談を持ちかけ、パウル・ハイさんを紹介されて実現したものなのでした。松居さんはこう語っています。


「すでに『ハイジ』をお読みになったことがある方々も、改めて矢川澄子訳、パウル・ハイ画の完訳本『ハイジ』を、一行一行ゆっくりと、山に登るときのようなあゆみで読んでみてください。そして作者シュピーリの語ることばと思いに、より添ってみてください。」

「さらには、登場人物たちの行為やことばだけでなく、アルプスの自然について語る、シュピーリのことばにこめられた、彼女の実体験とあこがれに思いをいたしてください。この作品の新の立役者は、スイス・アスプスの大自然だともいえるのではないかと、私はおもうからです。」(同p12)


松居さんが、『ハイジ』の紹介を通じて伝えたかったことは何でしょうか。ことばと絵が、人間の想像力をかきたてること、そこにこそ「子どもの本」や「絵本」の素晴らしさがあるということではないかと思います。だから実は優れた本は、大人をも感動させる。

正確にはものごとに感動する私たち自身の力、かけがえのない人間的能力を、引き出してくれるのです。そこに、ピュアに書かれたことばの力、絵の力、そして絵本の力があると僕には思える。あらゆる書物の原点が、そこにあるように思えます。


松居さん自身は、『絵本とは何か』という本の中で、絵本について直接にこう語っています。小さな子どもたちを集めて、お話を読み聞かせたとき、ついてこれる子と、そうでない子がいる。それはなぜかということを解き明かす中で語られている言葉です。

「物語を聞ける力というのは、物語という目に見えない世界を、自分の心の中に見えるようにする、絵(イメージ)にする力です。一般に想像力(イマジネーション)といわれる力です。想像力が豊かであれば、人間は見えないものを見ることができます。絵本は、子どもたちの想像力に大きなかかわりがあります。」
「子どもは、生まれたときから、豊かな想像力を持っているのではありません。それは直接、間接の体験を通して獲得されるものです。体験が豊かであればあるほど、想像力も豊かになるでしょう。絵本は、幼児にとって体験を豊かにする機会をあたえます。」(『絵本とは何か』p7、8)


・・・今、私たちは本当に深刻な放射能漏れの中を生きています。放射能との共存時代といわざるをえない事態の中にいます。その中を前向きに生きてくために必要なのは、放射能の元を断つことと、一方で腹をくくり、免疫力を高める努力を傾けることだと、僕は肥田さんに教わりました。

免疫力を高めるためには健康生活をすることが大切ですが、同時に私たちが経験的に知っているのは、精神生活の豊かさもまた、免疫力の向上に大きく寄与するのだということです。だからことばの力、絵の力もまた、免疫力の向上に大きく寄与するのだと僕は思います。

その意味で、僕は「絵本は放射能に効く」と感じます。そう思うと、大阪のデモのときに、「あすのわぐま」と出会って、心がパッと明るくなった嬉しさ、楽しさを思い出します。そしてそんな力を脱原発の訴えの中で、もっと強めていきたいなと思います。

そんなことを思いながら、明日、信楽を訪問し、みなさんといろいろとお話してきたいと思います。そこから何か新しいものを生み出せるといい。あすのわぐまが楽しそうに踊りながら歩いていく、それにみんながついていって脱原発の道ができていく。思い浮かぶのはそんなイメージです。

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明日に向けて(270)自転車を被災地へ!報告会を行います。おじいさんの自転車の話にもご注目を!

2011年09月25日 22時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110925 22:30)

京都OHANAプロジェクトで自転車を大槌・釜石・陸前高田・気仙沼に
届けてから1か月が経ちました。この間、プロジェクトでは、今回の活動の
振り返りを行い、次の活動をどう組み立てて行くのか話し合いをしてきま
した。それらに基づいて、11月3日に報告会を行います。午前の開催です。
京都のひとまち交流会館で行います。どうぞご参加ください。

報告会に先立って、OHANA通信Vol14も出されています。この中から、今回の
訪問を写真でまとめた映像が観られます。使ってある写真には僕が撮ったもの
もあります!活動の様子が3分ちょっとで観れますので、ご覧下さい。
またKBS京都テレビ番組「ふれ愛さんか」でも活動の様子を取り上げて下さい
ました。これも観ることができます。こちらは12分ほどです。

もう1点、今回、自転車をあるおばあさんから預かって、集積場まで届けて
下さった、友人の山口さだこさんが、このことを京都新聞に投稿して下さい
ました。その報告と、掲載された文章をプロジェクトに届けて下さったので、
これも末尾に貼り付けます。

この自転車、山口さんが、介護に通っているおばあさんが、亡くなったおじい
さんの形見として大事にしていたもの。それを東北の人を助けたいと快く提供
して下さったのでした。プロジェクトはこのストーリーを、自転車を仮設住宅
の方々にお渡しするときにお手紙にして沿えました。1台、1台の自転車に
ストーリーがあることをお伝えしたかったからです。

そのことがおばあさんに伝わると、大変、喜んで下さり、なんと夢の中に
おじいさんが出てきて、自転車を嬉しそうに漕いでいたのだそうです。
感動しました・・・。とてもいい文章です。どうかお読みください。


***********

OHANA通信Vol14 9月24日(土) ちょっとプレゼント

こんにちは。京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。

第二弾企画から、早くも1か月の時が経ちました。
今頃、自転車がどんな風に走っているか気になりますね。

さて、今日は少しばかりのプレゼントです。
OHANAの応援もしてくれた親友・マツさんにお願いして作ってもらいました。
↓こちらご覧ください↓
http://www.youtube.com/watch?v=aHIUGfyXubE
皆様の力で生まれた笑顔があります。

ほんの一瞬の出来事かもしれませんが、明日に繋がる力と信じています。

また、KBS京都テレビ番組「ふれ愛さんか」でOHANAの模様を取り上げて頂いています。
こちらからご覧いただけます。
http://www.youtube.com/watch?v=vq5aUY5z28s

最後に、11月3日(木)祝日の午前から報告会を予定しています。
場所は河原町六条のひとまち交流会館です。
詳しくはまたご案内しますが、ご都合つく方は是非お越しください。

お読み頂きありがとうございます。
今日も素敵な一日をお過ごしください。

京都OHANAプロジェクト
森拓哉

*************

OHANAプロジェクトのみなさんへ
山口さだこ

岩手と福島への自転車プロジェクトありがとうございました。
お疲れさまでした。

8月29日に、守田さんの報告会に参加して、 ビデオと写真で活動の様子が
とてもよくわかりました。

自転車を受け取られた方々の笑顔をみて目頭が、あつくなりました。
森さん 大槻さん、守田さんやチータさんの活躍に感動し、敬意を表します。
しかし、復興が進んでいない風景には愕然としました。

私がお届けした自転車のことを、お手紙に書いていただいて
ありがとうございました。
提供していただいておばあさん(イクコさん)に、印刷をしてお渡ししましたら、
とてもよろこんでくださいました。
東北の141人の方に、おじいさんの自転車のエピソードが伝わったことに、
感激されていました。

また、私がお届けした自転車のことを、京都新聞「こまど」欄に投稿しましたら
8月25日付け紙面に掲載されました。文末に記事を貼り付けます。
イクコさんは10年ほど前までは、「こまど」欄の常連でもありましたから
掲載をとても喜んでくださいました。

そのことをイクコさんは、毎週通所されているデイケア施設(一乗寺)で
お話しされました。
お年寄りのみなさんも職員さんもとても感激されて、OHANAプロジェクトの
手紙と私の「こまど」投稿とを、コピーして施設の掲示板に貼ってくださって
いるそうです。

イクコさんは、「なかなか届かない義援金に比べて、私の自転車は確実に
東北に届いて役に立っている」と、誇らしくされていました。
OHANAプロジェクトのみなさんの努力が、イクコさんの誇りになり、たくさんの
方々にこのようなあたたかい援助があるのだと
知ってもらうことができました。ありがとうございました。

そして、先日、4年前に亡くなられてから一度も夢にでてきてくれなかった
おじいさんが、イクコさんの夢にあらわれたそうです。
おじいさんは、満面の笑顔で自転車をこいでおられたそうです。
きっと、東北の道を駆けておられるのでしょうね。

ありがとうございました。


★おじいさんの自転車★  京都新聞 こまど 2011年8月25日掲載

そのおばあさんの家に、自転車があることは以前から知っていた。
それは、亡くなられたおじいさんのもので、しばらくはおばあさんが乗って
おられたが、今は足を悪くされ、もう自転車に乗ることはむずかしい様子であった。

ある日、東日本大震災の被害をテレビをみていたおばあさんが、「私はテレビを
みるばっかりで、何もできひんけどねえ」といわれた。

私は「自転車を寄付しませんか?」といった。被災地に、中古自転車を届ける
取り組みをしっていたのだ。

おじいさんは、運転免許を返上してのち、おばあさんと二人で、京都各所に
自転車ででかけられていたそうだ。 

お花見、紅葉、色々な催し・・・。ふたり並んで、仲良く、またときには
けんかしながら・・・。

そんな思い出の自転車を、譲っていただくのが、しのびなかったが、おばあさんは、
喜んで自転車を私に託してくださった。

空気はぬけていたけれど、パンクはしておらず、ライトもつく。おじいさんが
丁寧に乗ってこられたことが偲ばれるがっちりとした黒い自転車だった。

中古自転車を集める日、私はその自転車に乗って、鴨川沿いを南下した。

おじいさんの自転車に乗っていると、おじいさんとおあばさんの仲良く走って
おられる姿が目に浮かんできた。

山口さだ子(京都市左京区 介護職)


以下、元原稿にはありましたが割愛されました。

生前お会いすることのなかったおじいさんに心から感謝の気持ちがあふれてきた。

自転車の集積場には、たくさんの自転車が集まっていた。色も形も大きさも
バラバラのたくさんの自転車が、その一台一台に物語を秘めて、東北に運ばれる
のを待っていた。

自転車プロジェクトのボランティアの方は、とても親切に誠意をもって
活動されている。

信頼して、おじいさんの自転車をお渡しした。

おじいさんの自転車さん! 天国のおじいさんに東北をみせてあげてね。






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明日に向けて(269)アフガン空襲開始から10年の10月8日、キャンドル・ビジルに参加を!

2011年09月24日 20時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110924 20:00)

今日はもう一つ、企画のご案内をします。10月8日に行われるキャンドル・ビジル
です。10月8日は911事件直後にアメリカが空襲を開始した日。戦争と暴力の10年の
始まりの日でした。この日にピースウォーク京都の呼びかけで、この10年間に殺害
された全ての人々への追悼と祈りを込めて、キャンドルとプラカードを持った、
スタンディングを行います。

場所は京都市の三条大橋周辺。橋の両側をろうそくで埋められればと思います。
そして静かに平和を祈りたい。亡くなった人に思いを傾けたいと思います。京都
近辺のみなさま、どうかご参加下さい。それぞれの思いを書いたメッセージボード
をご用意ください。またペットボトルを使ってキャンドルを作りますが、それ
ぞれが思い思いのものを持ってきていただくとありがたいです。

放射線被曝の問題でも、この行動には意義があると僕は思っています。この10年、
アメリカ軍によって劣化ウラン弾が世界中にばら撒かれてしまったからです。劣化
ウランは、天然のウランを採掘し、原発の燃料に加工した残りカスで、濃縮ウラン
の逆です。ウランは自然界にある物質の中で最も比重が重いためにこれを使って弾
を作ると、鉄の装甲板を簡単に撃ち抜いてしまう。それで兵器に多用されている。

ところが装甲板を貫通するとき、劣化ウランは超高温で燃焼し、微粒子となって
飛び散るのです。粉塵となり、周囲にばら撒かれ、やがて体内にはいってしまう。
そうすると重金属としての毒性を発するとともに、α線を出し続け、深刻な内部
被曝をもたらします。このための健康被害が、イラクやその周辺国をはじめ、戦場
となった各国で起こっている。何も知らされていなかった米兵も多数被曝している。

昨日、鎌仲ひとみさんの映画『ヒバクシャ』についての感想を書きましたが、この
10年、世界は本当に深刻に劣化ウラン弾によって被曝させられてしまいました。そ
してその10年の最後の半年に、311事態が起こり、私たちの国も手ひどい被曝を受け
てしまった。世界に劣化ウラン弾をばら撒いたアメリカを最も強く支援してきた
この日本という国も、アメリカが設計した原発の崩壊によって被曝してしまった。

この一連の流れを考える時、私たちが放射能に立ち向かい、何とか明るい未来を
築いていくためには、世界中の「ヒバクシャ」のことを考えなくてはいけないし、
さらにまた世界中で理不尽に命を奪われてしまった人々のことを考えなくては
いけないと思うのです。誰かの命が軽んじられる社会で、私たちはけして平和に、
幸せに暮らすことはできない。そのことが311事態の中で示されたのではないか。

10月8日、そんな思いを込めながら、できるだけ多くの方と一緒に、三条大橋に
立ちたいと思います。以下、ピースウォーク京都からの呼びかけを貼り付けます。
英文のものも作りましたので、英語圏の方にも呼びかけていただくと幸いです。
世界中の人々の命もが大切に、尊重される世の中を目指して歩んでいきましょう。
一緒に小さな光を灯して、明日に向かっていきましょう!

******************************

殺された人びとへの追悼と祈りをこめて
 ―キャンドル・ビジルへのお誘い―

とき 10月8日(土)19:00~20:30頃まで
ところ 三条大橋周辺
主催 ピースウォーク京都 090-6325-8054
peace@pwkyoto.com http://pwkyoto.com/

10月8日はどんな日?
2001年の「9・11事件」の報復に、米軍がアフガニスタンへの空襲を始めた日。
(干ばつに苦しむアフガンの人々に爆弾の雨を注いだのは、誰に何を報復するため?)
巨大な国家暴力が次々と牙をむき続けた10年、10月8日はその始まりの日だった。

アフガニスタンからイラクへ、あのとき始まった「戦争」は、まだ終っていない。
(イラクには大量破壊兵器なんてなかったのに)
日米同盟という“つきあい”で、私たちもまた、にんげんの命を奪い、
地球の命をも脅かすこの戦争に加担させられてきた。

戦闘機の上からの視線ではなく、地面を逃げまどう人の視線で、
「殺すな!」 と、ただそれだけを叫びたくて、
小さな一人が、いても立ってもいられずに、
「ひとりの歩みから」を始めた10年でもあった。
世界中の小さな一人のうねりが、何かを変える流れにつながるのを夢見て。

でもこの時間の中で、ありとあらゆる新兵器が殺人に使われ、劣化ウラン弾も
たくさん使われた。
放射能は今このときも、かの地の子どもたちや未来の命を脅かし、奪い続けている。

10年の後に3・11を経て、同じたくさんの放射能を浴びた私たちの大地から、
この10年の暴力の中で失われた命に想いを馳せ、
手の上に灯した小さな炎を見つめる時間をともにしよう。
すべての戦争犠牲者に哀悼を。
命を脅かすモノを「やめることができない」愚かさに終止符!の思いを込めて。

10月8日、三条大橋を灯りのリングで包み込みましょう。
希望の明日への歩みを始めるために、ともに悼む時間をご一緒しましょう。


What is “October 8th”?
It’s the day when the US started to bomb Afghanistan in the name of
retaliation against the tragedy of September 11th, 2001.
Who on earth was that against and what on earth was that for?
– throwing a shower of bombs and bullets over Afghan people who were
suffering from long period of drought.
Huge acts of violence by nations have recurred successively these
10 years.“October 8th” is the day it actually started.

The target shifted from Afghanistan to Iraq and the war that started on
that day is not ended yet although it turned out that Iraq didn’t
have weapons of mass destruction.
Under the “political relationship” called Japan-US alliance, we
Japanese were obliged to support the war that took people’s lives
and also would threaten this planet’s life.

Just to cry out “don’t kill anybody!” for people trying to escape
on the ground, many little people have taken first steps spontaneously
these ten years, dreaming that tiny ripples from all over the world
would come together to become a big wave to change the world.

Various new weapons such as DU bullets have been used to kill people
these 10 years. Radiation continues to threaten and take children’s
lives in that area.

Experiencing “March 11th” 10 years later, and living on land severely
exposed by radiation, let us think of the lives taken by the violence
of these 10 years and look quietly at the small candle lights in our
hands together.

Let us express our grief and sorrow for all war victims and put an end
to our stupidity of not giving up holding and using weapons that
threaten people’s lives.

Let us surround Sanjo Ohashi Bridge with our candle lights on October 8th.
Come and join us to share some time to mourn and to start to walk ahead
together with hope for tomorrow.




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明日に向けて(268)アカテレ(出町柳)、信楽、乙訓、ひとまち、ベジフェス、亀岡でお話します・・・。

2011年09月24日 17時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110924 17:00)

来週から10月にかけて、お話を聞いていただくために、幾つもの会場に
呼んでいただいています。この一連の話では、先日の矢ヶ崎さんの講演会
や細川さんの報告会で教えた頂いたことを反映させたいと思います。京都
近辺の情報で恐縮ですが、お近くで可能な方、どうかご参加ください。

なお28日に信楽を訪問しますが、この事前の打ち合わせなどをかねて、
22日に信楽に訪れ、今回招いて下さる絵本作家の市居みかさんと合流して
信楽小学校などの放射線値を測定しました。結果は・・・思ったより高く、
市居さんも僕もちょっとショックを受けました。

測定に使ったのは、RADEX RD1503というガイガーカウンターです。小学校
の真中の1メートル地点で0.17マイクロシーベルト(毎時)、10センチ付近
で0.20マイクロシーベルトという値が出ました。また校庭のはしにある
ブランコの下(地上10センチ)では、0.23マイクロシーベルトという値が
でました。

ちなみにこうしたガイガーカウンターはけして精度が高くなく、低い値の
計測では少し高めに出る傾向があります。なのであくまで参考値として
いただければと思いますが、それでも0.23という値はやや高い。

比較までに京都市左京区の叡山電車茶山駅南側近くの公園の昨日の数値を
測りましたが、真中の地点の地上1メートルで0.14マイクロシーベルト、
10センチで0.16マイクロシーベルト(毎時)でした。またその近くの我が
家(マンション3階)の中の計測では、0.10マイクロシーベルトから0.12
マイクロシーベルトぐらいの値の間を揺れています。
信楽での数値をも含めて、実際の数値よりやや高めなのではないかと
思っています。なおこの点は、先々精度の高い機器と一緒に測定することで
この機器の数値を読み取る目安を作るつもりです。

ともあれこうした現実をどう捉え、どう考えて行くかをみなさんと一緒に
考えたいと思っています。なお今後、講演を行う時には必ずガイガーカウンターを
持参し、その場の放射線値を測ってからお話しすることにしようと思います。
もっと各地でこまめに測って行かねばと思うからです。

あと講演ですが、クルーズドなものですが、この期間の間に、全港湾労組
阪神支部さん、同志社大学松蔭寮さんからも呼んでいただいています。

それぞれの場で、みなさんと放射線被曝について考えていきたいです。

**********************

9月27日(火曜日)アカテレ(出町柳)
午前10時から12時

「内部被ばくって??放射能との共存時代を前向きに生きる」
守田敏也さんを迎えて

内部被ばくとは?京都は大丈夫なんじゃないの?
日本中に拡散してしまった放射能汚染。
どこまで広がるのか。
そして今、気がついた放射能汚染は3.11以前からあった?
事故を起こさなくても原発からは常に放射能漏れ、中国からの
黄砂にもセシウム、核実験からの被ばく、、。
もうこうなったら一度腹をくくってどう対処して行くか考えて
いく必要があるのでは。
いかに被ばくした放射能物質を体から排出していくか、悲観的に
なりすぎず前向きに、そして放射能を出し続けるもとを止めて行く、、!
気がついた今、私たちは行動していかなくてはなりません。
どうやって。
みんなで一緒に考えたいと思います。

予約不要、カンパ制。

場所:アカテレテコベ ソベサーバ
(左京区田中下柳町3?17 ファラフェルガーデン横)

***

9月28日(水曜日)信楽
午後1時から3時

震災後、ずっとご自分で見て来たこと、聞いたこと、調べたことを、
真摯に発信してくださるフリーライターの守田さん。
一度、ゆっくりお話を伺いたいと思っていました。あすのわにもとても
注目してくださっています。
京都でのお話会は、すぐに満席!
その守田さんの講演会を信楽でやっていただけることになりました。

気さくなお人柄もあり、今、聞きたいこと、初歩のところからわかり
やすく聞けると思います。

ぜひ、みなさま、ご参加くださいー!!!

守田敏也さん講演会
~放射能から身を守るには?これから日本はどうなるの?~

3.11の原発震災以来、わからないことだらけで、不安がいっぱい
ですよね。日本に放射能汚染がやってきた今、逞しく生き抜くため、
子どもたちを守るため、知ることから始めませんか?

原発事故って何が起こってるの?
放射能から身を守るには?内部被曝って何?
子どもの生活は?
食べ物はどうしたらいいの?

守田さんのお話は新しい情報が満載です。
素朴な疑問・質問に何でも答えてくれますよ。
この機会に分からないこと、知りたいことを聞いてみませんか。  

*講演の後、ガンガーカウンターで信楽町内を測っていただきます。
その後、一品持ちよりにて夕食もご一緒する予定です。
お時間許す方はご一緒にどうぞ。

●参加費 800円

●信楽町開発センター(信楽中央公民館内)
甲賀市信楽町長野1251
(甲賀市役所信楽支所横/信楽高原鉄道信楽駅下車徒歩3分)
地図はこちら http://g.co/maps/cbs82
参加される方は、予約をお願いします。

●参加申し込み・お問い合わせは市居まで。
メール ichiipk@ybb.ne.jp
Tel/fax 0748-83-0973 080-5365-4362

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
守田敏也(もりたとしや)さん プロフィール

1959年生まれ。京都市在住。同志社大学社会的共通資本研センター客員
フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続けながら、
社会的共通資本に関する研究を進めている 。原子力政策についても独自の
研究を続けている。震災後のデーター収集と鋭い分析力により、震災後、
講演会などに駆け回り、多忙な毎日を送られています。

●明日に向けて 守田さんブログ http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

岩波書店『世界』9月号(発売中)に、守田さんが、6000人の被爆者を診察
してこられ、内部被曝に詳しい臨床医師:肥田舜太郎先生をインタビューした
記事が載っています。
http://www.iwanami.co.jp/sekai/
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2011/09/142.html
ぜひご覧ください。

***

9月30日(金曜日)京都・乙訓
午前10時から12時半

生活クラブ京都エルコープ乙訓地区原発学習会

「福島・ゆっくり長く続く放射能漏れ事故の中を能動的に生きる」
2011年9月30日(金曜日)

10時~12時30分
10:00~ 開場
10:15~ 講演
11;45~ フリートーク
12:30  閉会

バンビオ6階配膳室(JR長岡京駅前 バンビオ内)
講師 : 守田敏也(ジャーナリスト)
参加費(場所代など) 200円

福島第一原子力発電所の事故に伴う、広範囲な放射能による
環境汚染と食品汚染について、ジャーナリスト守田敏也さんに
お話ししていただきます。不安や疑問なことをおしゃべり
しませんか。

*保育はエッコロ共催の集団託児を利用しますので、エッコロ
共催未加入者については600円(一時間)をお支払いください。
当日エッコロ共催に加入はOKです。

問合せ先:生活グラブ京都エルコープ西センター
075-934-7371

***

10月4日(火曜日)京都・ひとまち交流会館
18:30~21:00

守田敏也(内部被曝について)18:30~19:00
豊田直巳講演 19:00~20:30
詳しい案内は再度、別に掲載。

***

10月8日(土曜日)京都・ひとまち交流会館
18:00~18:50

ベジフェス 前夜祭 【第1部】10/8(SAT)18:00~19:30 
講演会 @下京区河原町五条下ル ひとまち交流館・第5会議室にて
 (講演会のみの場合は予約不要です)
入場:カンパ制

18:00~18:50  フリージャーナリスト 守田敏也さん 
「放射能汚染と内部被曝 日本は?京都は?私たちどうすればいいの?」 

広がる食料汚染と核のゴミ、迫りくる内部被曝の恐怖・・・。
地球の生きものと、子どもたちを守るために、放射能と立ち向かおう

***

10月9日(日曜日)京都・仏光寺
14:00~16:00

ベジフェス当日 
14:00~16:00 TALK TALK THINK トークライブ
4名のゲストをお招きします。

守田敏也さん
僕生プロジェクト ごっちさん
いきもの多様性研究所 小山直美さん
team SAKE 大関はるかさん

http://www.vegetarianfestival.jp/

***

10月11日(火曜日)京都・亀岡市
午前10時から12時

<10/11>内部被爆ってな~に?

~食べもの選びを考えよう~

•3.11の原発震災以来、分からないことだらけで不安。
•子どもには放射能汚染された食品を食べさせたくない。
•内部被爆って何?暫定基準値って何?
•スーパーで買い物するとき、産地表示を見ると、ちょっと迷うことがある。

こんな風に思っている、ママさんや家族の健康を心配する方が多いのでは
ないでしょうか?
自分も子どもを持つ母親として、自分なりに勉強したいと思い、
亀岡でのこの勉強会を企画しました。
子どもたちを守るため、まず「知ること」から始めませんか?
質疑応答もできるフリートークの時間を長めにとっています。
ざっくばらんに意見交換ができたらよいと思っています。お気軽にお越しください。

内部被爆ってな~に?
~食べもの選びを考えよう~

日時: 10 月11 日(火)
10:00 ~ 11:00 守田さんのお話
11:00 ~ 12:00 みんなでフリートーク
場所: ガレリア亀岡2階研修室にて
費用: 500 円(資料代として)

※託児の必要な方はガレリア託児室(無料)に
直接お問い合わせください

講師:守田敏也さん

同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリー
ライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本に関する研究を進めて
いる。311 以降は原発事故問題をおいかけている。関西各地で、「内部被爆」
に関するさまざまな講演会を行っている。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011
守田さんの講演は、京都府各地ですでに数多く開かれ満員状態です・・
ガレリア研修室・・・20名でおさえましたがもしかしてもっと大きい会場の
方がよかったかな。。

亀岡でもやりたいね~・・・と企画してくれたのは1歳児のママ。
5年後も10年後も、その先も、この子たちの笑顔が見たいから、親として
私もできることをしたいと思います。



コメント

明日に向けて(267)鎌仲ひとみさんのこと、映画『ヒバクシャ』のこと

2011年09月23日 23時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110923 23:30)

山水人2011の報告の第2弾です。9月20日、祭りの企画の一つとして、
トークセッション「311以降の生き方とは?」が行われ、スピーカー
の一人として参加させていただきました。他の参加者は映画監督の
鎌仲ひとみさん、ジャーナリストの冨田貴史さん、古谷桂信さん、
そして若狭原発などの映像を撮られてきた山下信子さんです。

企画はほぼ夜の7時に始まり、まず鎌仲さんが撮った映画、「ヒバク
シャ~世界の終わりに~」を上映。これを踏まえて、富田さんの司会
のもと、映画の感想から、この被曝時代をいかに生き抜くのかまで
さまざまなことを語り合いました。一番、マイクを持ったのは鎌仲
さん、次に僕・・・の順だったかな?


今日、ご紹介したいのは、何と言っても鎌仲ひとみさんのこと、映画
『ヒバクシャ』のことです。実は本当に恥ずかしいことに、僕はこの
映画をこれまで観たことがありませんでした。事前の打ち合わせでも、
鎌仲さんに、「えー観てないの?それで肥田さんのインタビューをし
たの?えー?」としかられてしまいました・・・。

それでこの日、初めてこの映画を観ましたが、大変、深く感動し、同
時に自分が恥ずかしくなってしまいました。なぜかというと、この映画
では、内部被曝の恐ろしさが本当にきちんと、丹念に、分かりやすく、
描かれていたからです。つまこんなにも前からきちんとした説明がなさ
れていた。なのに僕は311以降までこれに気が付いていなかったからです。

ここで、つい数日前の僕のように。この映画を観たことのない人のため
に、映画のコンセプトを紹介したいと思います。以下、この映画のホーム
ページの文章をコピーして貼り付けさせていただきます。ホームページ
には「制作日記」や、「取材中に出会った人々」などの項目もあります。
ぜひご覧下さい。
http://www.g-gendai.co.jp/hibakusha/

***

映画のコンセプト

世界で初めて原爆が投下されてからすでに57年、経った。ヒバクシャは
この57年をどう生きてきたのだろうか。原爆の体験はこの間、日本や
世界の人々と共有されてきただろうか?ヒバクシャとはどのような存在
なのだろうか?

この疑問は98年、イラクを訪れ、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾により
白血病を病んだ多くの子供達に出会ったことから始まった。彼等は世界
から隔絶し、自分に何が起きたのか語る言葉を持たず、十分な医療もなく、
そして私の目の前で亡くなって行った。その中の一人、14才の少女、
ラシャは「私を忘れないで」とメモを手渡した。ここから私のヒバクシャ
の声を聞く旅が始まった。

広島で被爆した医師、肥田舜太郎は85才の今もヒバクシャの医療と人権の
回復に情熱を傾けている。被曝体験から肥田医師は微量の放射能がもたら
す危険を訴えてきた。肥田医師の活動を通して、人類史上稀に見る悲惨な
体験から日本のヒバクシャが獲得した、アイデンティティ、そしてその魂
のメッセージを探る。

また一方で肥田医師の警告する微量放射能の被害は核開発、核実験、原発
によって世界に拡散している。長崎に投下された原爆のプルトニウムを
生産したアメリカのハンフォードでは50年以上も大量のプルトニウムを
製造する過程で世界でも最大量、高濃度の核廃棄物の汚染にさらされてきた。
そこに住む住民もまたこれらの放射能によってヒバクシャとなっている。

この映画では核の被害者を等しくヒバクシャと呼びたい。放射能は目に
見えないが確実にこの世界を汚染し続けている。だからこそ、今、
ヒバクシャの声に未来へのメッセージに耳を傾ける。

***

映画では、「3つのヒバクシャ」が描かれています。劣化ウラン弾で被曝
したイラクの人々、プルトニウム製造工場の放射能漏れで被曝したアメリ
カ・ハンフォードの人々、そして広島原爆で被ばくした肥田舜太郎さん
です。鎌仲さんはイラクにおもむき、自ら米軍の劣化ウラン弾を使った
爆撃にも遭遇しながら、イラクの人々を撮り続けました。

また肥田舜太郎さんと出会い、一緒にアメリカに赴き、ハンフォードの風下
で被曝し、集団訴訟に踏み切った人々とともに、被曝の現実を撮り続けます。
とくにハンフォードの人々が近くの家々を車で回り、その一軒一軒で発生し
た健康被害について語るシーンは僕にとって圧巻でした。その人々の中に
入りこんだ肥田さんとの会話にもとてもひきつけられた・・・。

原発問題を語る時、というか311以前に僕が語ってきた時、主に原発の抱えて
いる壊滅的な事故発生の可能性と危険性に話題を集中させてきたように思い
ます。高速増殖炉計画の破たん性や、天文学的なコストが隠されている点な
ども語ってきましたが、僕に一番欠けていたのは、低線量被曝の危険性の
認識でした。そのため原発の通常運転も危険なことを強調できなかった。

これに対して、鎌仲さんの視点の鋭いところは、ヒバクシャから出発している
ことだと僕には思えました。理論上、どういうことが起こりうるかよりも、
ヒバクシャに現に起こってきたこと、起こっていることから鎌仲さんは出発
してきた。放射線で被曝した人々に寄り添い、その痛みをシェアしながら
フィルムを回し、その痛みのもとをなくすために映画を編集してきた。

まさにそのために鎌仲さんが必然的に訪ねたのが、肥田舜太郎さんだったの
だと思います。なぜなら肥田さんは、現存する人物の中で、誰よりもたくさん
のヒバクシャを診てこられたのだからです。ヒバクシャに起こったことは一
体何だったのか。誰よりも肥田さんはそのことを見続け、必死になって自分の
眼でみたことをを解明しようとしてきた。事実が先にあり、理論が後にあった。

映画『ヒバクシャ』には、そうして鎌仲さんが捉えていった事実が見事に
盛り込まれています。「そうか、10年以上も前からこれを訴えてきたのか」
と思うと、横に座っている鎌仲さんが本当に偉く見えたし、その取材活動に
頭が下がりました。同時に、これを今まで観たことが無かったこと、この
訴えを活用してこれなかったことが本当に恥ずかしく思いました。


それでもその後のトークセッションでは、僕も鎌仲さんに負けずに?ずいぶん
と意見を言わせてもらいました。思い起こせば311以降の僕はたくさんのヒバ
クシャとの出会いに恵まれ、ヒバクシャの声に導かれてきました。直接的に
僕にアドバイスをくれ続けているのは、広島出身の被ばく3世の友人です。
彼から被爆者訴訟のことなど、丹念に教えてもらいながら僕は歩んできました。

事故当初、放射線の専門家が全面的に沈黙し、政府寄りの「科学者」が100ミリ
シーベルトまで安全だなどという大ウソを公言しはじめたときも、僕は今、
必要なのは、ヒバクシャが歩んだ道に学び、苦難の中で積み上げてきた知恵に
学ぶことだと考えることができたし、その延長上で、肥田舜太郎さんや矢ヶ崎
克馬さんに学び、出会うこともできました。

矢ヶ崎さんも2003年より、被爆者訴訟に関わる中で、あらためて低線量被曝の
ことを研究し始め、肥田さんが必死に訴えられてきたことを理論的に掘り下げ
てこられた方です。つまり矢ヶ崎さんもヒバクシャの現実から出発している。
だからこそ、これまでのアメリカによって作られた放射線の教科書のドグマに
とらわれることなく、事実をつかめたのだと僕は思う。

わずか半年だけども、僕も311以降にこうした観点を急速に深めてくることが
できました。その間、不思議なほどにヒバクシャや、2世、3世の方と連続的に
出会ってきました。今回の鎌仲さんとの出会いもまたその流れの中にあったこ
とのように思います。あるいはヒバクシャの方たちが、「もっと私たちの苦し
みを、的確に知りなさい」と鎌仲さんと会わせてくれたのかもしれません。


さて鎌仲ひとみさん自身のことも少し書きまししょう。トークセッションで、
鎌仲さんが強調していたことの中で印象的だったのは、被曝に対して免疫力を
高めて対抗していくことであり、そのために気功を使うことでした。実は僕も
友人で気功の達人に気功治療を受け続けているので、ここはずいぶん話があっ
てしまった。彼女も自ら病を気功で乗り越えてもきているそうです。

また「給食が心配だがどうしたらいいか」というあるお母さんの問いに対して、
「それはあなた自身が動かなければいけない。あなたが解決するために頑張っ
てください」と、スパッと返したことも印象的でした。そうです。私たち誰も
が自ら立ち向かわなくてはいけない。そのことを鎌仲さんはよどみなく語って
いた。はっきりしていて実にさわやかでした。

彼女の人となりも少し描写しておきましょう。彼女は大変、気さくな方です。
話をしている最中に、「やったーー」などとかわいらしい声を上げたりする。
でもこちらが不明瞭な話し方をしていると、「それはどうして?」「こう
なんじゃないの?」とズバズバと突っ込んできたりもする。とにかく思ったこと
をすぐに端的にまとめて語る。歯に衣を着せる・・・なんてことは全くしない。

竹を割ったような性格・・・というのでしょうか。何でも含みなく、ストレート
に語りかけてくる方です。その姿勢に、ちょっとたじろぐ人もいるかもしれな
いけれど、鎌仲さんの姿勢は、誰に対しても対等です。また一見、きついいい方
をする時にも凄く深い愛情を込めていることを感じます。たぶん、実は結構
シャイで、溢れる思いをちょいと隠して話している面もあるかもしれない・・・。


そんな鎌仲さんとは、翌日の朝にお別れする予定でした。彼女の出発が7時、僕
と古谷さんの出発が8時の予定だった。ところが朝になって、彼女を送るはずの
車がなんと2台も続けてバッテリーがあがってしまい、急きょ、僕の運転する
車で山を下る事に。降りしきる雨の中、JR堅田の駅に急ぎました。その間の
1時間、3人でいろんなことをたっぷり話すことができました。

それで僕らは結構、仲良しになってしまったのでした。何を話したのか。それは
今は3人の秘密ということにしておきましょう。そのうち紹介することになる
古谷さんにまつわる素敵なお話です。(もったいぶってごめんなさい)そのあと
「東京で3つの予定がある」と鎌仲さんは改札に消えて行きましたが、この日の
豪雨で新幹線も止まったとのこと。鎌仲さん、大変だったろうなあ・・・。


以上、鎌仲ひとみさんのこと、映画『ヒバクシャ』のことについてのご報告を
終えます。鎌仲さんとの出会いの場を提供して下さった山水人2011のスタッフ
のみなさんにお礼を申し上げます。素敵な場に呼んでいただき、どうも
ありがとうございました!

コメント (1)

明日に向けて(266)山水人(やまうと)のこと

2011年09月22日 08時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110922 08:00)

19日から21日まで、山水人(やまうと)2011に参加してきました。場所は、
滋賀県高島市朽木村の生杉というところ。芦生の森の東の裾野にあたります。
ご存知のように近畿地方も台風接近によって大雨模様で、この近辺も激しい
雨が降り続け、道がぬかるみ、泥だらけでしたが、その中に無数のテントが
頑張っていて、元気にライブが行われていました。

僕が山水人の方と知り合ったのは、311直後の、京都出町柳の「かぜのね」で
行われた脱原発講演会でのこと。押しかけで少しコメントさせていただいた
のですが、そのとき山水人の中心でいつも頑張っておられる福村祖牛さんに
声をかけていただき、山水人の脱原発学習会の2回目に講師として呼んでいた
だいてご縁ができました。

その後、やはり祖牛さんに誘っていただいて、山水人のメーリングリストに
参加。また山水人が被災地支援の中心にしていた気仙沼のアビスさんと知り
合い、メールを交換したり、電話をしたりするようになり、やがて、京都か
ら被災地向けに提供された自動車(ランドローバー)を僕がもって行くこと
に。フェリー上陸地の秋田ではじめてアビスさんとドッキングました。

アビスさんに導かれて、秋田県秋田市、宮城県古川市、気仙沼市、仙台市、
角田市・・・と訪問しましたが、この旅の間中、いつも耳元に聞こえていた
のがレゲエでした。ちょうど5月のことで、福島原発のメルトダウンが社会的
に明らかになるなど、深刻なニュースが続いてましたが、そんなとき、音楽と、
音楽を愛する方たちに取り囲まれていた。レゲエは放射能に効くと僕は思った。


それやこれやで縁ができて、今回は山水人の盛大な祭り、山水人2011に誘って
頂いたのですが、祭りの場は、あいにくの台風でピーク時より人が少なかった
ものの、想像していた通り、賑やかで、楽しくて、暖かい場でした。それは
ここに集う人々の思い、人生観などによって、かもしだされているものである
と僕は思います。

山水人の人たちを一言で説明するのはなかなか難しい。どこかに参加規約と
かがあるわけではないし、山水人はこういう人の集まりだと宣言されているの
でもない。でもなんとなく似た価値観を持った人が集まってくる。それで
毎年、生杉に壮大な村が形成されているのです。多い時には500人から1000人
ぐらいにはなるのだという。

山水人のホームページには、この村について、次のように説明されています。
http://yamauto.jp/yamautomura.html

***

古来、わたしたちは山々に住み、
生きとし生けるものはそこから湧き出る水により恩恵を受け、
自然と共に生きてきました。

ここ 『朽木針畑郷・生杉』 は、
地元の方々が先祖代々森や水を守り続けてこられた神聖な場所であり、
またその上流に広がる生杉 ブナ原生林は、
近畿、千四百万人の飲み水をまかなう琵琶湖の最も重要な水源地です。

美しい山と水を守り、自然と共に生きる。
た だその当たり前の事を、私たちは後世へ残そうとしているのです。

「山水人村」の自然の中での生活と、
そして”まつり“によって集 まる人々の意識の中で、
様々なすばらしい出会いや経験を通して…
ここに私たちの”ふるさと“を創りませんか?

***

ではどんな人が集まってきているのでしょう。あえて僕なりに定義してみると
自由をこよなく愛する人たち・・・が集ってきているのだと思います。自由を
愛し、束縛を嫌う。何かに鎖でつながれるなんてまっぴら。でも何かの責任か
ら逃れているというのではない。それぞれに、世の中がよくなればいいと思っ
ているし、そのための何かをしている。小さなことでも素敵なことに興味がある。

音楽が好きで、踊るのが好き。自分の奏でる曲や、自分の歌が一番いいと思っ
ている人が多い。思い起つとどこへでも移動し、先々で友達を作ってしまう。
友達とはニックネームで呼び合い、本名を知らないこともしばしば。農に強い
関心を持ち、畑仕事も好き。できれば自分の田畑を持ちたいと思っているか
現に持っている。

子どもが好き。子どもをできるだけ自由に育てたいと思っている。思っている
けれど、自由に育ちすぎて世の中と合うのかという不安もちょっと持っている。
持っているけれど、そもそも自分が世の中と合わないので、まあいいかとも
思っている。悩んだ時は好きな音楽を聞き、歌い、踊る。お金はあまりなくても
それよりもっと大切な何かがあればいいと思っている。

・・・とまあ、こんな感じでしょうか。「いやそんなことはない」「もっと
こうだ」と色々な意見が出てしまうでしょうが、少なくとも僕にはそんな人たち
に見えました。またそれを象徴するかなと思うのは、学生はそれほど見当たらず、
カップルになって子どもを持っている人、あるいはそれぐらいの年齢以上の人が
多いことです。

つまり生き方の選択がある。確定しているわけではないかもしれないけれど、
社会が敷いたレールに乗って、学校にいき、就職し、働き・・・というところ
からどこかで自分の選択をして、飛び出している。それで何かを選んでいる。
選ぶ中で、同じ匂いのする仲間と出会い、その誰かが山水人につながっていて、
それでここに集って来る・・・とそんな風に見えます。

だからここには自由の考察があるし、自由の実践があるし、自由を楽しむ気風が
ある。学生という与えられた自由の消化ではなく、自ら選んだ自由がある。自ら
選んだ自由はときには辛く過酷であったりもするけれども、それを乗り越えて
きた、どこかふてぶてしい面構えをした人もいる。そのまま年を取って、あや
しい中年、壮年、老人となった怪人物もたくさんいる。

そんな山水人にはまた、311事故以降に、すぐさま原発近辺、いやその周りの
関東や、宮城県等々から飛び出し、いち早く放射能から逃れた人たちがたくさん
います。関西でも危険性を感じて、もっと西への移動を計画している人もいる。
生物としての危機感知能力が鋭い。政府に騙されることなく、自分で判断し、
自分で行動する動物的感覚に満ちている。

・・・あれ、また定義が始まってしまった。僕にとって山水人は興味がつきない
のです。最も、これはまだ山水人にとってアウトサイダーの僕の立場から見える
こと。やはりいいものばかりが見えて来る。インサイダーになればそこでの葛藤
や矛盾が当然にも見えても来るのでしょう。でも外から見えるいいところは、実
はそこにある本質でもあると僕は思います。

ということで?山水人に興味をもたれた方、まだ生杉周辺に村があるので、ぜひ
訪問してみてください。祭りはいよいよ終盤ですが、25日までやっています。た
だし最後は片づけになるので、後のお楽しみは明日23日の「キロンボ in 山水人
and 盆踊り!!」です。何がどうやられるのか、僕には皆目分かりません・・・。
最後にホームページにアップされた山水人前半の写真をご紹介しておきます。
http://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157627557345013/show/








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