守田です。(20110524 23:30)
5月22日、京都ではたくさんの催しがありました。
デモを報じた記事を末尾に貼り付けておきます。
22日までのぶっ通しデモ1日目の記事もありますが、このデモ、
連日70~100人で行われたそうです。22日は約400人の参加でした。
僕は午後の脱原発デモと、夜の、『幸せの経済学』の上映会に参加しました。
この『幸せの経済学』は、前半でグローバリゼーションの弊害を説き、後半で
それを超えるローカリゼーションの可能性を説いた映画で、ちょっと詰め込み
すぎているきらいもありましたが、なかなか面白く、意味深い映画でした。
会場いっぱいの、40人ぐらいの参加で、これを一緒に見てから、僕がお話を
する時間をとっていただき、グローバリゼーションとローカリゼーションという
ことをキーワードに、原発のこと、また東北の旅のことをお話させていただき
ました。以下、自分で発言を起こしたものを、掲載させていただきます。
*******************
『幸せの経済学』を観て
-グローバリズムの象徴としての原子力発電とローカリゼーションの可能性
こんにちは。守田敏也です。
僕は311以降、原発の状況をウォッチしながら、危険が迫っているので
逃げた方がいいという情報を発信してきました。被災地の状態を見ながら
どうやってこのことを伝えればいいのか、悩みながらの発信でした。
同時に、5月9日から、東北を回ってきました。秋田から入って、最後は
宮城県角田市にある、ピースファームという農場を訪れ、いろいろな
お話をしてきました。
この映画は、基本的にはグローバリゼーションは、私たちを幸福に
しないで不幸にしているのではないかということを訴えています。
そうではなくて、ローカリゼーションに基づいて、顔の見える社会を
再構築する、復活することを訴えているのだと思います。
僕が今回、まわってきたところは、まさにそれを象徴するようなところでした。
グローバリゼーションの中で、成長をどこまでも拡大しようとさせる一つの
象徴としての原子力発電が、大きな被害をもたらし、それに対して僕が
最後に訪れた農場は、ローカリゼーションに基づいた顔の見える経済を
実際に農の現場から作ることを考えて、有機農業をされてきたところでした。
そうしたところの人々が、放射能汚染に対してどうしたらいいのか、凄く
悩んでいて、事態は深刻なのですけれども、そんな中で感じたことを
映画に即して話していきたいと思います。
アフガニスタンが結ぶ縁
その前に、僕は今日のこの会合には深い縁があることもお話したいと思います。
この映画会の主催者の一人の森君は、栃木県のアジア学院にいました。農場と
学びの舎が一緒になっているところです。
そこの人たちは、原発に対する批判的な意識が高かったので、事故が起こって
危ないと思って、みんなどんどん逃げ出したそうです。森君も、いったん千葉に
いきましたが、そこでツイッターで原発が爆発したという情報を受けて、これは
もうダメだと考えて、なんと夜中に自転車で、東京の町を駆け抜けたそうです。
停電だった町を、ママチャリで、駆け抜けたという、なんだか映画の一シーンの
ようなことを現実的に行ったのですが、実はそのときに彼と一緒に農場に
いたのが山口敦史さんという方でした。
僕は山口さん自身には、お会いしたことがないのですが、この方はペシャワール
会に属して、アフガニスタンで農業普及活動を行っていました。
ペシャワール会は、もともと中村哲さんという医師がアフガンで始めた医療支援を
出発点としています。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
中村先生は、戦争や干ばつにあえぐ多くの人々を診察してきましたが、例えば、
泥水を飲んだ子どもがお腹を壊して、深刻な状態でやってくる。それを治すのは
間尺に合わないと考えられ、それならきれいな水を供給しようと井戸を掘りだし
ました。
しかし井戸だけでは飲料水はなんとかなっても、それ以上のものが賄えない。
それで用水路まで作りだしてしまいました。それに合わせて、荒れた大地を緑に
変えることが目指され、農業の再建が目指されていった。
実は僕は、この10年ぐらい、ピースウォーク京都というグループに参加して、
この中村哲さんをはじめとしたペシャワール会を支える活動をしてきました。
そのペシャワール会が地元の人々と一緒に切り開いた農場に、伊藤和也さんと
いう若者が働いていました。その伊藤さんは、2008年に、難民キャンプのやくざの
ような人々にさらわれてしまい、なんとそのまま殺されてしまいました。その時、
現地で伊藤和也さんと一緒に働いていたのが、山口さんと、進藤陽一郎さん
という若者でした。
その若者たちを指導していたのが、京都市山梨在住の、高橋修さんという方
でした。ペシャワール会の農業指導員ですが、長く京都で、農業普及員を
務められ、その後に、世界の農業の現場を回られてきたベテランの方です。
僕はその高橋さんと親しくさせてきていただいて、アフガンでの農業の進め方
について色々とお話を聞いてきました。これらの経験は高橋さん編著
『アフガン農業支援奮闘記』に詳しく書かれており、僕も、「上杉進也」の名で
書評を書かせていただいたことがあります。
http://pwkyoto.com/news/info/100226review.html
高橋さんは「農業援助」という言葉が大変、嫌いです。日本の「優れた」技術を
持って行って、現地に上から植え付けようとするとほぼ全部失敗する。そうでは
なくて、その地域にある知恵を集めて、農業を行っていくことが正しいのだと、
考えられ、実践されてきました。高橋さん自身が、ローカリゼーションの考え方に
根ざした方なのです。
それだけに伊藤さんが亡くなった時は、僕は伊藤さんにも面識はなかったの
ですが、大変、ショックで、京都の友人たちと伊藤さんの郷里の掛川市まで
いって葬儀に参加してきました。その場で、憔悴しておられる高橋さんにも
お会いしました。山口さんもおられたことと思います。
高橋さんにはその後にも伊藤さんのお話を繰り返し聞かせていただきました。
高橋さんも、一緒に働いていた進藤さんも、山口さんも、とても心が傷ついて
おられた。その進藤さんが京都に来られた時は、いろいろな話を聞いて、随分
交流を深めました。
それでなんとも言えない縁なのですが、僕が訪れた角田市の農場にも、
高橋さんと親しいMさんという農家の方が参加されていました。実は進藤さんは
震災の時は、ちょうどそのMさんのところにおられて、農業の手伝いなどを
していたそうです。
何か、非常に不思議なつながりがあって、何か大切な、一緒のことを、みんなで
見てきたのかなと思うところがあります。
アフガニスタンは、豊か、貧しいということを、お金で測るのならば、世界で
一番、貧しい国です。その貧しい国が、最近、アメリカに処刑されてしまった
オサマビン・ラディンという人をかくまったと言うことで、世界で一番富んでいる
アメリカに戦争をしかけられて、たくさんの方が爆撃で亡くなりました。
それだけではなくて、アフガニスタンはずっと飢饉に襲われています。なぜかと
いうと、アフガニスタンは、ヒンズークシ山脈という雪の深い山々におおわれて
いて、その雪解け水で、台地が潤うのですけれども、地球温暖化によって、
雪がどんどん減っています。
おそらく世界で一番、CO2を出していないアフガニスタンが、世界で一番、
CO2を出しているアメリカ、それに次ぐ日本などがひきおこしたと思われる
温暖化によって、一番、苦しんでいる。
山口さんは、そこに農業をしに赴かれました。僕も現地には行っていないのですが
そんなペシャワール会の方たちと、いろいろなことをご一緒してきました。
『幸せの経済学』では、ラダックという民族かな?尊厳ある暮しを営んでいる
方たちのことが描かれていて、それとアフガニスタンとはまた違うでしょうが、
そこには、商品経済の豊かさとは違った、もっと深い豊かさがあるのだと
思います。
一例をあげますと、中村先生が、良く言われることなのですが、現地の難民
キャンプに行くと、テントの中から入れ、入れという手招きがされるそうなの
です。それで入っていくと、キャンプで配られているナンを分けようとするのだ
そうです。客人が来たら必ずもてなすという心がある。
自分たちが被災者なわけです。しかし自分たちが持っているものを、食べていけ
食べていけと差し出す。客人をもてなしたり、困っている人がいたら助けるのが
当たり前で、誰もそれを疑わずに行う。そうしたものが、本当の人の温かさ
なのかと思います。
今日はそんなアフガンで働いてきた山口さんが、今、福島原発に北で、みちのく
応援隊を作ってボランティア活動をされていて、そのためのチャリティーの場です。
僕にとってもとても意義深い場だなと思うわけです。
「成長の病」の象徴として原子力発電
さて、前置きが長くなってしまいましたが、映画のことについて話をしていきたい
と思います。この映画の中、特に前半でずっと言われていることは、「成長の
病」ということではないかと思います。
経済成長をしていけば、人間の暮しは必ず良くなって、今、できないことも
必ずできるようになるのだという発想がそこに貫かれているのだと思います。
映像の中でも、アメリカのニクソン元大統領や、クリントン元大統領などが、
経済成長こそが繰り返し言っていたことが強調されていました。
その経済成長をどんどん拡大させようという人々の思いの、非常に象徴をなす
のが原子力発電だと思います。原子力発電をどんどん拡大して、無尽蔵の
エネルギーを手にすれば、今、できないことも、必ずできるようになるのだという
夢がそこにあります。これは実際に色々な本に書かれていることです。
原子力発電では、今は一般炉で、ウラン燃料を使っていますが、そのウラン燃料
を燃やしていると、そこにプルトニウムという物質ができます。ウランの埋蔵量は
けして多くはないし、燃料として使える核分裂するウランは、天然ウランの0.7%
しかないのです。
あとの99.3%はゴミになってしまう。しかしそのゴミになるウランを一緒に炉に
入れると、そのある部分が中性子を食べて、プルトニウムに代わるのです。
それでプルトニウムが増えてくるので、運転が終わったら、燃料棒に再処理という
ことを行います。
再処理とは、死の灰が詰まった使用済み核燃料を分解して、プルトニウムを
取りだすことで、実はそのときに、他の放射能が出てきてしまうのですが、
その出てしまうことに目をくれずにそのプルトニウムを取り出す。そしてその
プルトニウムで、さらなる発電を行おうというのです。それで作ったのが「もんじゅ」
です。
そうすると99.3%のゴミであるウランを、エネルギーに変えて行くことができる
ことになる。そうなると潜在的なエネルギー量は何千倍にもなるというのです。
それだけたくさんのエネルギーがあれば何でもできる。その何でもできると
言うことの中に、実は、放射能もやがて除去できるという考え方が含まれています。
これは僕は信仰に近いと思うのですけれど、原子力政策を推進してきた、神山
弘章という偉い先生の本で、『高レベル廃棄物は悪の塊りか?』というものが
あります。タイトルに「悪の塊りか?」とあるのは、「悪の塊りではない」と言いたい
に違いないと思って、僕はそのタイトルだけで、何を言っているのか知りたく
なって、うっかりその本を買ってしまったのですね。
より正確に言うと、ちょっと目次を見たら、「放射能のマイナス点は克服できる」と
書いてあって、これは面白いと思ったのです。おお、言ってもらおうじゃないかと
思って、家に帰って、わくわくしながら本を開きました。
そうしたらこう書いてありました。「戦後50年医学、科学、宇宙工学など当時は
想像もできなかった今日の発展をなし遂げた。この人類が放射能のマイナス点を
克服できないはずがない。」(同書 ERC出版 40ページ)
他のどこをめくっても、それ以上のことは書いてない。
つまりそういう風に考えてきたのだなと思いました。つまり解決できないものは
みんな未来世代に送ってしまっていい。いつかその人たちが解決するだろう。
だから今はエネルギーを拡大させるのだ、それが科学なのだと考えてきたのだ
と思うのです。
もちろん、原子力発電の歴史を紐解いていくと、そこには核武装の問題が
出てきます。核兵器開発の中で出てきたものなのです。だからそれを抜きには
語れないのだけれども、多くの人が、原子力に非常に強い夢を持ったのも
間違いないことだと思うのです。
その一つの象徴が、『鉄腕アトム』だと思うのです。アトム=原子君ですね。
鉄腕原子君です。原子君の妹はウランちゃん。お兄さんはコバルト君、凄い
一家ですよね。実はアトムの胸には原子炉が入っているのです。実際には
原子炉は小型化できないので無理ですが、彼は原子力で動いている。
アトムの歌は「ラララ、心優しい、ラララ、科学の子、10万馬力だ、鉄腕アトム」
と歌っています。「10万馬力」が素晴らしいことであり、それが人々に幸せを
呼ぶと、あの手塚治虫さんでさえ考えていた。手塚さんは『火の鳥』なども
書かれて、人間の命の問題を、ずっと追い続けた方だと思いますけれども、
その手塚さんも、原子力に夢をもたれたのだと思います。
その点、世代の違いを感じますね。僕などは、この『鉄腕アトム』で育ったの
ですよ。でも今の若い人たちは、今の現状を見ると『風の谷のナウシカ』を
思い出すといいます。だから僕は、今の人たちの方が、絶対に進んでいると
思いますね。
つまりこのグルーバリゼーションというものを、心理的に支えているものは、
どんどん生産力をあげて、人間がより凄いパワーを手にすれば、人間の
幸せがどんどん拡大するというものだったと思います。それを象徴するのが
原子力だったのではないでしょうか。
グローバリゼーションは欲望を生産する
その場合に、グローバリゼーションがどのような力を持っているのかという
ことを、1点だけ紹介すると、実は同じ資本主義でも、1800年代の資本主義と
1900年代に入ってからの資本主義では非常に大きな差があるのですね。
どういう差があるのかというと、資本主義は1900年頃までに、どんどん生産力が
上がって、商品がたくさん生産されすぎて、なかなか売れない時代が到来して
います。そうすると過剰生産恐慌というものを起こしてしまう。それがもう周期
的に起こるようになっていたのです。たくさん作りすぎて、売れなくなってしまった
のです。
それをどうやって超えて行ったのかというと、20世紀の資本主義は、商品を
生産するだけではなくて、欲望をも生産するようになったのです。
マーケッティングという言葉があって、これは誤解されやすいのですけれども、
マーケッティングは、市場にある欲望を調査するだけではなくて、市場に欲望を
作ることが重要なのです。
これを一番、中心的に推し進めたのが、アメリカの自動車産業です。現代の
資本主義、まあ20世紀ですが、それを何を中心に見ていけばいいのかというと、
アメリカの自動車産業で、典型的にはフォードと、GMがあげられます。
例えばどういうことをやったのかというと、ランク付けを行ったのですね。車に
クラスをつけたのです。大衆車クラス、ミドルクラス、セレブクラスなどです。
しかもそのセレブクラスの中にも3段階ぐらいあったりする。
トヨタの車を見てもよく分かります。例えばトヨタクラウン。まあこれはお父さん
たちの興味の対象で、若い人は関心が薄いし、だんだんそういうことは通用
しなくなっているのですけれども、実はクラウンという車は、一つの車種では
ないのです。いろいろな種類があるのです。
ところがみんなクラウンを欲しいと思う。その下にはマークⅡなんて車も
ありました。それでとにかく一番下でもいいからクラウンを買う。ところがその
上に、グレードの高いクラウンがあって欲しくなる。クラウンエクストラとか
ついている。それを買ってしまうとまた次がある。
そうやってランクをいっぱい作ることで、一つ買うと、その上を買いたい、また
それを買うと、さらに上を買いたいと思わせる仕組みが作られているのです。
実は僕もやられたことがあります。洋服の青山というお店があります。あるときに
僕は法事にでなければいけなくなって、親戚が僕のことを心配して、ウン万円を
渡してくれて、それで喪服を買いにいった。
そうしたら「お客さん、ご予算いくらですか」というので「ウン万円です」というと、
商品を持ってきてくれるわけです。ところが「お客さん、さらに5000円出すと、
これがありますよ」と言って違うものを持ってくる。なんと黒の色が違うのです。
恐ろしい。実は黒は何種類もあるのです。それで次々、上のものが持ち出され
てきて、もう初めのものは、みすぼらしくみえてしまう。それでこういう話を
しながら残念なことに、僕は予算よりも高いものを買ってしまったのですけれども、
こういう風にして、ランクを作って、欲望が引き出されるわけです。
それまで僕はまさか黒に何種類もあるとは思わなかったし、より美しい光沢の
ある黒が欲しいなどという欲求は僕にはなかったわけです。なかったのがその場で
作られてしまって、作られてしまうとなかなか人は弱いものです。どうみたって
それがきれいに見えてしまう。
そういう仕組みをどんどん作っていくわけです。車の場合だと、頻繁にモデル
チェンジをしていく。ほんの少しずつ、変えていく。それをやられると、新しいのが
欲しくなって、買い換えてしまう。そのサイクルに入ると、えんえんそれが続いて
まだ乗れる車が中古車になってしまいます。
このことが生活上にも入ってきてしまうのが、パソコンだと思います。パソコンは
激しく進化していく。ビット数が上がって、今までできなかったことができるように
なる。そうすると仕事がかえって増えるのですが、暫くするともう古いパソコンは
使えなくなってします。そうやってえんえんと欲望が作られているわけです。
それが現代資本主義の特徴で、そのためどこまで行っても欲望には制限が
ない。満ちることがないわけです。パソコンだと、今、最新型を買っても、数年
したら、もっと凄いのが出て来て、欲望が作られてしまう。それで欲しくなって
しまうわけです。
カメラマンの友人が地獄だと言っていました。プロだと50万円ぐらいする機材が
必要になります。しかし1年経つともう古くなってしまう。ところがフリーランスだと
とても買い変えられない。だからどんどん性能がよくなることで、どんどん暮しが
良くなるのではなくて、どんどん苦しくなってしまう。
働いても、働いても、新しい機材に追いつけない。機材が進歩することが
いつまで経っても幸せの拡大に結び付かない。だから僕らは、驚くべき生産力
の発展の時代の中にいながら、ちっとも幸せが拡大しない現実の中に
いるわけです。それがグローバリゼーションの仕組みです。
電力も同じで、電力がないと困るといいながら、実はどんどん、電力を必要と
するものが新しく作られてきたわけです。オール電化などはその典型ですよね。
ちなみに震災のときに一番、困ったのはオール電化の家庭だったそうです。
後は東北の方たちは、ファンヒーターが困ったと言っていました。20年ぐらい
前の方が良かった。みんなダルマストーブだったので、電気がなくても暖を
取れたのです。
今の電気製品はみんな待機電力というものを持っています。だから実は、計画
停電の中で人々が目覚めてしまった面もあります。結構、節電できることは
たくさんあった。それをしたら計画停電は途中からやらなくてよくなった。つまり
どれだけ電力を無駄につかっていたかも浮上したわけです。
実は電力が足りないから、原子力発電所を作ってきたわけではない。逆で
原子力発電所を作るから、電力をどんどん使わせなければいけなくなった。
原子力発電所の致命的欠陥は、電力の需要が減ったからといって、すぐに
止められないことなのです。必要なくても、まわっている。そのためかえって
電気が余ってしまうのです。
つまり欲望が作られるように、電力の必要も作られたのです。それで生活が
良くなったのでしょうか。違うと思います。
例えば僕は、セブンイレブンには、ぜひセブンイレブンに戻って欲しいと
思っています。つまり朝7時に開店して、夜11時に閉まる。僕が学生のときに
始まりましたが、その頃のキャッチフレーズは「開いてて良かった」でした。
その頃は9時にはもうどんなお店もしまっていた。しかし今は24時間開いてい
ます。それで町が暗くならなくなりました。夏になると、その前にとまった蝉が
一晩中鳴いています。恐ろしいことです。木にも蝉にも、もちろん人間にも
良いはずがない。生態系にむちゃくちゃに悪いのです。
今の都会の私たちは、深い眠りが得られなくなりました。真っ暗な方が人間は
深い眠りに入れるのです。だからそのような町の状態になっていることを
今、とらえ返さないといけないと思います。
その点で、今回の事故のことで、深刻なことがいっぱいあるのですけれども、
僕は逆にこれを、グローバリゼーションから、ローカリゼーションに変えて行く
大きなきっかけにしなければいけないのではないかと非常に強く思います。
放射能汚染との対決に、ローカリゼーションが有効
特に核心問題は放射能の問題です。もの凄い恐ろしい放射能がたくさん出て
きてしまっています。今、政府はそれをかなり隠しています。
ヨウ素やセシウムなどしか測ってなくて、ストロンチウムとか、プルトニウムとか、
もっと危ない物質がほとんど測られていないのです。
それらの放射能は、深刻なことですけれども、食糧などにまざって、どんどん
国中に回ってしまうと思います。それを全て避けることは不可能だと思います。
実際に放射能は、雨で流されて、泥に混じって、汚泥に溜まっていくのですが、
これが自治体の浄化センターなどに集まっています。
この汚泥はこれまで、セメントの材料などに使われてきたのですが、実際に
今回でも福島県だけでなく、周辺の県や東京都などでも出てきて、しかも
セメント会社に出荷されてしまっています。おそらくその先は分からなくなって
しまったのだと思います。そうしたことがどんどん増えていく。
その面で私たちは、放射能と共存する覚悟をするしかないと思います。では
覚悟してどうするかというと、実は今、私たちが気がつかなければいけないのは、
私たちにとっての危険物質は放射能だけではないということです。
例えば、農薬や殺虫剤などでもとても怖いものがあります。
そうしたものが私たちの周りにまんえんしていて、何らかの便利さをとるために
使われている。さっき述べたように、便利さだけが考えられて、そこで出るマイナス
のものは、何か他のものが除去してくれるとばかりに、そうした危険物質が
たくさん作られてしまったわけです。
最近は飛んでいる蜂を即刻落とすスプレーが出ているそうです。ロイヤル
ゼリーで飛行している蜂が、遠くから一瞬にして落とされてしまう。
しかしそこに入っている物質が、実はうつ病の原因の一つになっているのでは
ないかという研究が、最近、進められています。
そのために、放射能汚染がどんどん迫ってくるならば、まずは放射能汚染を
できるだけ除去することをいろいろと行う必要がありますが、それだけではなくて
いろいろな危険物質をできるだけ除去していくことが大事だと思うのです。
それでは除去する上で何が大事なのかと言うと、やはりローカリゼーションだと
思います。顔の見える関係で、地産地消で、顔の見える関係で売買するのが
一番安全です。また生産者もその方がやりがいがあるし、顔が見える人に
売る方が丁寧に作ってくれます。
滋賀県の高島市では、小学校が地元の農家さんからお米を仕入れて、給食に
出しています。そうしたら生産者の方が、がらっと農薬の撒き方を変えたと
おっしゃっていました。あるいは造り酒屋さんが、どこの農家からお米を仕入れた
かを酒瓶のラベルに書いて、その親父さんの写真の載せたりしています。
やはりその場合でもお米の磨き方が変わってくるそうです。とくに地元の小学生
たちを見ていると、この子たちに本当においしくて、安全なお米を食べさせたいと
思うのだそうです。
それがまた、きちんと買ってもらえるのが核心問題です。グローバリゼーションの
中では、いいものを作ったって、そう評価して買ってはくれないのです。いいものを
作ることの方がコストがかかったりします。農薬をたくさん使って、作業を短縮
した方が安いものができる。グローバリゼーションはそういうことを促進して
しまうのです。どこで誰が作って、どこで誰が食べているのか分からないからです。
そうではなくて、モノを通じて人と人がつながっている社会、その尊さを、今日の
映画は繰り返し、繰り返し、訴えていたのではないかと思うのですね。
そういう意味で、地域で作られたものを、顔の見える関係で買っていく。大量生産、
大量消費ではないあり方を作っていくことが、放射能がたくさん出てしまって、
それと共存しなければならない私たちの今に、より必要になっているのだと
思います。
そうしたローカリゼーションに移行していくこと、それを選び取っていくことが
大事になっているのではないかと思います。
人をもっと愛したい・・・
最後に、今回の東北の旅の中で思ったことなのですが、実は僕を招いてくれた
方たちの中には、いわゆるサブカルチャー、とくにレゲエなどをやっている仲間
たちが結構いました。いつもあちこちで祭りなどを行って、お互いに泊まったり、
泊まられたりという関係が多いのです。
そんなネットワークの中で、泊まり歩いて、最後のピースファームに辿りつき
ました。その間にいつもレゲエや音楽が流れていました。
僕は旅の間中も、プルトニウムのことなど、情報発信を続けていたのですが、
ちょうどそのときに、1号機のメルトダウンが報じられました。
それで僕の頭の中で、燃料ペレットが溶けだして、下に落ちて、それがどう
なるのか、またそれが何を意味しているのか、深刻な考察を重ねていたの
ですが、そんなとき、隣の部屋から、ウンチャ、ウンチャというリズムが
聞こえてくるのです。すぐに太鼓の音が続き出す。
それを聴いていると、もういいかと思えて、僕もそっちに行って、太鼓を
叩いたりしてしまいました。それで自分の心が緩まるのを感じました。
それは大切なことだなと思いました。
とくに最後の角田市のピースファームには、本当に素晴らしい、有機農業を
されてきた方たちが集まってきました。「守田さん、俺らここで、農業をやって
いていいだべか」なんていきなり聞かれました。
僕が思わず「ウーン・・・」と唸ったら、「ああ、唸ってる、唸ってる」なんて
誰かが言います。本当に答えがすぐにはでない深刻な問いがそこにある。
この辺のみなさん、ガイガーカウンターも持っているのです。会話がシュール
なんです。「××製のガイガーカウンターはいいね」「××製もなかなかいい
みだいだよ」なんて会話が進む。
「そこに持っていくともっと出るよ」、なんて言って、カウンターをずらすと、
ピコピコピコと音が強まったりします。だけども誰かが「この会話、シュール
だね」と言うと、みんなしんみりします。
そこで本当に色々な会話がなされて、僕はとても印象的だったのですが、
「俺らどうするかな」「仕方ないな」「歌うか」なんてことになって、ギターが
爪弾かれ、太鼓が鳴りだしました。それで1時間ぐらい歌って、その後にみんな
静かに帰ったり、眠りについたりしました。
もちろんそれで放射能が消えるわけではないです。でも本当に温かい仲間が
いて、そこが愛情に溢れていて、そんな仲間と何かをしていこうとするときに、
僕らは人間としての可能性が高まって、免疫力も上がっていくのではないかと
僕は思いました。またそれでこそ、放射能汚染にも、能動的に立ち向かって
いくことができるのではないかとも思った。
それで、なんとなく僕は、東北の旅から帰ってきて、ちょっと恥ずかしい言い方
なのですが、人を愛したい気持ちが高まったことを感じています。それが東北
からいただいてきた一番のものだと思います。
そういうことを実現するために、グローバリゼーションではなくて、顔を
見える経済を作っていこうというのがこの映画の趣旨で、そういう考え方が、
原子力発電に顕著な、とにかく巨大なエネルギーがあればいいという発想を
超えて、人間らしい、豊かな世の中を作っていくヒントになるのではないかと
僕は思いました。
以上。
*************************
東日本大震災:「原発とめろ!」 市民団体、400人デモ--中京 /京都
2011年5月23日 毎日新聞
「原発をとめろ!核の真相を明かせ!子供を救え!」と訴えるデモが22日、
京都市中京区の河原町通周辺であった。市民グループ「原始力の会」と
「ピースウォーク京都」の主催で約400人が参加。「政府はうそをつくな。どこが
クリーンなエネルギーだ」などと声を上げて行進した。
長岡京市の主婦、伊藤依里子さん(30)は長女(1)を抱いて「子供のため、
おいしい食べ物を安全に食べられ、天候を気にせずに遊べて、安心して暮らせる
未来を」と訴え、「私たちは微力だが無力ではない、継続が大事と母親仲間で
話しています」と語った。
今月9~17日にボランティアで東北を訪れた左京区のフリーライター、守田敏也
さん(51)は「ある有機農家は独自に作物の放射線量を測り、基準値以下と
確認しながら『売っていいものか』と悩んでいた」と紹介。「原発反対と同時に、
いま東北の人を救わねば」と呼び掛けた。
学会で京都を訪れていた鵜飼哲・一橋大大学院教授も飛び入り参加。「原発
事故は収束からほど遠く、どんな展開になるか分からない。京都での運動を
心強く思う。共に頑張りましょう」とエールを送った。【太田裕之】
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110523ddlk26040293000c.html
原発反対デモ行進 京都中心部
2011年5月23日 読売新聞
東京電力福島第一原発の事故を受け、原発反対を訴えるデモ行進が22日、
京都市の中心部で行われた。親子連れや若者、高齢者など約400人が参加し、
中京区の三条大橋下から市役所前までを約1時間半かけて練り歩いた。
市民団体「原始力の会」(橋本尚樹代表)などの主催。自作のプラカードを掲げ
て「原発反対」と叫ぶ人や、福島原発で働く労働者の危険性を訴えようと、
放射線防護服で参加した人もいた。
橋本代表は「原発がある限り事故は起こり、被曝(ひばく)する人はなくならない。
技術力が高い日本なら、原子力に替わる自然エネルギーを作り出せるはず」と
話していた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20110522-OYT8T00771.htm
全原発停止訴え1週間ぶっとおしデモ
2011年5月17日 京都新聞
「1週間ぶっとおしデモ アゲインスト原発」が16日夕、京都市内で行われた。
100人を超える参加者たちはすべての原発の停止を音楽でにぎやかに訴えた。
1週間かけて原発をめぐるさまざまな問題を考えてアピールしようと京都の市民
と学生が呼びかけ、「堪忍袋の緒も破損」などと書かれたプラカードを三条大橋
下流の鴨川河川敷に持ち寄った。
参加者たちは「ずっとウソだったんだぜ」などと歌い、河原町通の三条―四条間
を往復した。デモは21日まで午後6時半から行い、最終日の22日午後2時に
集会を開く。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110516000135
5月22日、京都ではたくさんの催しがありました。
デモを報じた記事を末尾に貼り付けておきます。
22日までのぶっ通しデモ1日目の記事もありますが、このデモ、
連日70~100人で行われたそうです。22日は約400人の参加でした。
僕は午後の脱原発デモと、夜の、『幸せの経済学』の上映会に参加しました。
この『幸せの経済学』は、前半でグローバリゼーションの弊害を説き、後半で
それを超えるローカリゼーションの可能性を説いた映画で、ちょっと詰め込み
すぎているきらいもありましたが、なかなか面白く、意味深い映画でした。
会場いっぱいの、40人ぐらいの参加で、これを一緒に見てから、僕がお話を
する時間をとっていただき、グローバリゼーションとローカリゼーションという
ことをキーワードに、原発のこと、また東北の旅のことをお話させていただき
ました。以下、自分で発言を起こしたものを、掲載させていただきます。
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『幸せの経済学』を観て
-グローバリズムの象徴としての原子力発電とローカリゼーションの可能性
こんにちは。守田敏也です。
僕は311以降、原発の状況をウォッチしながら、危険が迫っているので
逃げた方がいいという情報を発信してきました。被災地の状態を見ながら
どうやってこのことを伝えればいいのか、悩みながらの発信でした。
同時に、5月9日から、東北を回ってきました。秋田から入って、最後は
宮城県角田市にある、ピースファームという農場を訪れ、いろいろな
お話をしてきました。
この映画は、基本的にはグローバリゼーションは、私たちを幸福に
しないで不幸にしているのではないかということを訴えています。
そうではなくて、ローカリゼーションに基づいて、顔の見える社会を
再構築する、復活することを訴えているのだと思います。
僕が今回、まわってきたところは、まさにそれを象徴するようなところでした。
グローバリゼーションの中で、成長をどこまでも拡大しようとさせる一つの
象徴としての原子力発電が、大きな被害をもたらし、それに対して僕が
最後に訪れた農場は、ローカリゼーションに基づいた顔の見える経済を
実際に農の現場から作ることを考えて、有機農業をされてきたところでした。
そうしたところの人々が、放射能汚染に対してどうしたらいいのか、凄く
悩んでいて、事態は深刻なのですけれども、そんな中で感じたことを
映画に即して話していきたいと思います。
アフガニスタンが結ぶ縁
その前に、僕は今日のこの会合には深い縁があることもお話したいと思います。
この映画会の主催者の一人の森君は、栃木県のアジア学院にいました。農場と
学びの舎が一緒になっているところです。
そこの人たちは、原発に対する批判的な意識が高かったので、事故が起こって
危ないと思って、みんなどんどん逃げ出したそうです。森君も、いったん千葉に
いきましたが、そこでツイッターで原発が爆発したという情報を受けて、これは
もうダメだと考えて、なんと夜中に自転車で、東京の町を駆け抜けたそうです。
停電だった町を、ママチャリで、駆け抜けたという、なんだか映画の一シーンの
ようなことを現実的に行ったのですが、実はそのときに彼と一緒に農場に
いたのが山口敦史さんという方でした。
僕は山口さん自身には、お会いしたことがないのですが、この方はペシャワール
会に属して、アフガニスタンで農業普及活動を行っていました。
ペシャワール会は、もともと中村哲さんという医師がアフガンで始めた医療支援を
出発点としています。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
中村先生は、戦争や干ばつにあえぐ多くの人々を診察してきましたが、例えば、
泥水を飲んだ子どもがお腹を壊して、深刻な状態でやってくる。それを治すのは
間尺に合わないと考えられ、それならきれいな水を供給しようと井戸を掘りだし
ました。
しかし井戸だけでは飲料水はなんとかなっても、それ以上のものが賄えない。
それで用水路まで作りだしてしまいました。それに合わせて、荒れた大地を緑に
変えることが目指され、農業の再建が目指されていった。
実は僕は、この10年ぐらい、ピースウォーク京都というグループに参加して、
この中村哲さんをはじめとしたペシャワール会を支える活動をしてきました。
そのペシャワール会が地元の人々と一緒に切り開いた農場に、伊藤和也さんと
いう若者が働いていました。その伊藤さんは、2008年に、難民キャンプのやくざの
ような人々にさらわれてしまい、なんとそのまま殺されてしまいました。その時、
現地で伊藤和也さんと一緒に働いていたのが、山口さんと、進藤陽一郎さん
という若者でした。
その若者たちを指導していたのが、京都市山梨在住の、高橋修さんという方
でした。ペシャワール会の農業指導員ですが、長く京都で、農業普及員を
務められ、その後に、世界の農業の現場を回られてきたベテランの方です。
僕はその高橋さんと親しくさせてきていただいて、アフガンでの農業の進め方
について色々とお話を聞いてきました。これらの経験は高橋さん編著
『アフガン農業支援奮闘記』に詳しく書かれており、僕も、「上杉進也」の名で
書評を書かせていただいたことがあります。
http://pwkyoto.com/news/info/100226review.html
高橋さんは「農業援助」という言葉が大変、嫌いです。日本の「優れた」技術を
持って行って、現地に上から植え付けようとするとほぼ全部失敗する。そうでは
なくて、その地域にある知恵を集めて、農業を行っていくことが正しいのだと、
考えられ、実践されてきました。高橋さん自身が、ローカリゼーションの考え方に
根ざした方なのです。
それだけに伊藤さんが亡くなった時は、僕は伊藤さんにも面識はなかったの
ですが、大変、ショックで、京都の友人たちと伊藤さんの郷里の掛川市まで
いって葬儀に参加してきました。その場で、憔悴しておられる高橋さんにも
お会いしました。山口さんもおられたことと思います。
高橋さんにはその後にも伊藤さんのお話を繰り返し聞かせていただきました。
高橋さんも、一緒に働いていた進藤さんも、山口さんも、とても心が傷ついて
おられた。その進藤さんが京都に来られた時は、いろいろな話を聞いて、随分
交流を深めました。
それでなんとも言えない縁なのですが、僕が訪れた角田市の農場にも、
高橋さんと親しいMさんという農家の方が参加されていました。実は進藤さんは
震災の時は、ちょうどそのMさんのところにおられて、農業の手伝いなどを
していたそうです。
何か、非常に不思議なつながりがあって、何か大切な、一緒のことを、みんなで
見てきたのかなと思うところがあります。
アフガニスタンは、豊か、貧しいということを、お金で測るのならば、世界で
一番、貧しい国です。その貧しい国が、最近、アメリカに処刑されてしまった
オサマビン・ラディンという人をかくまったと言うことで、世界で一番富んでいる
アメリカに戦争をしかけられて、たくさんの方が爆撃で亡くなりました。
それだけではなくて、アフガニスタンはずっと飢饉に襲われています。なぜかと
いうと、アフガニスタンは、ヒンズークシ山脈という雪の深い山々におおわれて
いて、その雪解け水で、台地が潤うのですけれども、地球温暖化によって、
雪がどんどん減っています。
おそらく世界で一番、CO2を出していないアフガニスタンが、世界で一番、
CO2を出しているアメリカ、それに次ぐ日本などがひきおこしたと思われる
温暖化によって、一番、苦しんでいる。
山口さんは、そこに農業をしに赴かれました。僕も現地には行っていないのですが
そんなペシャワール会の方たちと、いろいろなことをご一緒してきました。
『幸せの経済学』では、ラダックという民族かな?尊厳ある暮しを営んでいる
方たちのことが描かれていて、それとアフガニスタンとはまた違うでしょうが、
そこには、商品経済の豊かさとは違った、もっと深い豊かさがあるのだと
思います。
一例をあげますと、中村先生が、良く言われることなのですが、現地の難民
キャンプに行くと、テントの中から入れ、入れという手招きがされるそうなの
です。それで入っていくと、キャンプで配られているナンを分けようとするのだ
そうです。客人が来たら必ずもてなすという心がある。
自分たちが被災者なわけです。しかし自分たちが持っているものを、食べていけ
食べていけと差し出す。客人をもてなしたり、困っている人がいたら助けるのが
当たり前で、誰もそれを疑わずに行う。そうしたものが、本当の人の温かさ
なのかと思います。
今日はそんなアフガンで働いてきた山口さんが、今、福島原発に北で、みちのく
応援隊を作ってボランティア活動をされていて、そのためのチャリティーの場です。
僕にとってもとても意義深い場だなと思うわけです。
「成長の病」の象徴として原子力発電
さて、前置きが長くなってしまいましたが、映画のことについて話をしていきたい
と思います。この映画の中、特に前半でずっと言われていることは、「成長の
病」ということではないかと思います。
経済成長をしていけば、人間の暮しは必ず良くなって、今、できないことも
必ずできるようになるのだという発想がそこに貫かれているのだと思います。
映像の中でも、アメリカのニクソン元大統領や、クリントン元大統領などが、
経済成長こそが繰り返し言っていたことが強調されていました。
その経済成長をどんどん拡大させようという人々の思いの、非常に象徴をなす
のが原子力発電だと思います。原子力発電をどんどん拡大して、無尽蔵の
エネルギーを手にすれば、今、できないことも、必ずできるようになるのだという
夢がそこにあります。これは実際に色々な本に書かれていることです。
原子力発電では、今は一般炉で、ウラン燃料を使っていますが、そのウラン燃料
を燃やしていると、そこにプルトニウムという物質ができます。ウランの埋蔵量は
けして多くはないし、燃料として使える核分裂するウランは、天然ウランの0.7%
しかないのです。
あとの99.3%はゴミになってしまう。しかしそのゴミになるウランを一緒に炉に
入れると、そのある部分が中性子を食べて、プルトニウムに代わるのです。
それでプルトニウムが増えてくるので、運転が終わったら、燃料棒に再処理という
ことを行います。
再処理とは、死の灰が詰まった使用済み核燃料を分解して、プルトニウムを
取りだすことで、実はそのときに、他の放射能が出てきてしまうのですが、
その出てしまうことに目をくれずにそのプルトニウムを取り出す。そしてその
プルトニウムで、さらなる発電を行おうというのです。それで作ったのが「もんじゅ」
です。
そうすると99.3%のゴミであるウランを、エネルギーに変えて行くことができる
ことになる。そうなると潜在的なエネルギー量は何千倍にもなるというのです。
それだけたくさんのエネルギーがあれば何でもできる。その何でもできると
言うことの中に、実は、放射能もやがて除去できるという考え方が含まれています。
これは僕は信仰に近いと思うのですけれど、原子力政策を推進してきた、神山
弘章という偉い先生の本で、『高レベル廃棄物は悪の塊りか?』というものが
あります。タイトルに「悪の塊りか?」とあるのは、「悪の塊りではない」と言いたい
に違いないと思って、僕はそのタイトルだけで、何を言っているのか知りたく
なって、うっかりその本を買ってしまったのですね。
より正確に言うと、ちょっと目次を見たら、「放射能のマイナス点は克服できる」と
書いてあって、これは面白いと思ったのです。おお、言ってもらおうじゃないかと
思って、家に帰って、わくわくしながら本を開きました。
そうしたらこう書いてありました。「戦後50年医学、科学、宇宙工学など当時は
想像もできなかった今日の発展をなし遂げた。この人類が放射能のマイナス点を
克服できないはずがない。」(同書 ERC出版 40ページ)
他のどこをめくっても、それ以上のことは書いてない。
つまりそういう風に考えてきたのだなと思いました。つまり解決できないものは
みんな未来世代に送ってしまっていい。いつかその人たちが解決するだろう。
だから今はエネルギーを拡大させるのだ、それが科学なのだと考えてきたのだ
と思うのです。
もちろん、原子力発電の歴史を紐解いていくと、そこには核武装の問題が
出てきます。核兵器開発の中で出てきたものなのです。だからそれを抜きには
語れないのだけれども、多くの人が、原子力に非常に強い夢を持ったのも
間違いないことだと思うのです。
その一つの象徴が、『鉄腕アトム』だと思うのです。アトム=原子君ですね。
鉄腕原子君です。原子君の妹はウランちゃん。お兄さんはコバルト君、凄い
一家ですよね。実はアトムの胸には原子炉が入っているのです。実際には
原子炉は小型化できないので無理ですが、彼は原子力で動いている。
アトムの歌は「ラララ、心優しい、ラララ、科学の子、10万馬力だ、鉄腕アトム」
と歌っています。「10万馬力」が素晴らしいことであり、それが人々に幸せを
呼ぶと、あの手塚治虫さんでさえ考えていた。手塚さんは『火の鳥』なども
書かれて、人間の命の問題を、ずっと追い続けた方だと思いますけれども、
その手塚さんも、原子力に夢をもたれたのだと思います。
その点、世代の違いを感じますね。僕などは、この『鉄腕アトム』で育ったの
ですよ。でも今の若い人たちは、今の現状を見ると『風の谷のナウシカ』を
思い出すといいます。だから僕は、今の人たちの方が、絶対に進んでいると
思いますね。
つまりこのグルーバリゼーションというものを、心理的に支えているものは、
どんどん生産力をあげて、人間がより凄いパワーを手にすれば、人間の
幸せがどんどん拡大するというものだったと思います。それを象徴するのが
原子力だったのではないでしょうか。
グローバリゼーションは欲望を生産する
その場合に、グローバリゼーションがどのような力を持っているのかという
ことを、1点だけ紹介すると、実は同じ資本主義でも、1800年代の資本主義と
1900年代に入ってからの資本主義では非常に大きな差があるのですね。
どういう差があるのかというと、資本主義は1900年頃までに、どんどん生産力が
上がって、商品がたくさん生産されすぎて、なかなか売れない時代が到来して
います。そうすると過剰生産恐慌というものを起こしてしまう。それがもう周期
的に起こるようになっていたのです。たくさん作りすぎて、売れなくなってしまった
のです。
それをどうやって超えて行ったのかというと、20世紀の資本主義は、商品を
生産するだけではなくて、欲望をも生産するようになったのです。
マーケッティングという言葉があって、これは誤解されやすいのですけれども、
マーケッティングは、市場にある欲望を調査するだけではなくて、市場に欲望を
作ることが重要なのです。
これを一番、中心的に推し進めたのが、アメリカの自動車産業です。現代の
資本主義、まあ20世紀ですが、それを何を中心に見ていけばいいのかというと、
アメリカの自動車産業で、典型的にはフォードと、GMがあげられます。
例えばどういうことをやったのかというと、ランク付けを行ったのですね。車に
クラスをつけたのです。大衆車クラス、ミドルクラス、セレブクラスなどです。
しかもそのセレブクラスの中にも3段階ぐらいあったりする。
トヨタの車を見てもよく分かります。例えばトヨタクラウン。まあこれはお父さん
たちの興味の対象で、若い人は関心が薄いし、だんだんそういうことは通用
しなくなっているのですけれども、実はクラウンという車は、一つの車種では
ないのです。いろいろな種類があるのです。
ところがみんなクラウンを欲しいと思う。その下にはマークⅡなんて車も
ありました。それでとにかく一番下でもいいからクラウンを買う。ところがその
上に、グレードの高いクラウンがあって欲しくなる。クラウンエクストラとか
ついている。それを買ってしまうとまた次がある。
そうやってランクをいっぱい作ることで、一つ買うと、その上を買いたい、また
それを買うと、さらに上を買いたいと思わせる仕組みが作られているのです。
実は僕もやられたことがあります。洋服の青山というお店があります。あるときに
僕は法事にでなければいけなくなって、親戚が僕のことを心配して、ウン万円を
渡してくれて、それで喪服を買いにいった。
そうしたら「お客さん、ご予算いくらですか」というので「ウン万円です」というと、
商品を持ってきてくれるわけです。ところが「お客さん、さらに5000円出すと、
これがありますよ」と言って違うものを持ってくる。なんと黒の色が違うのです。
恐ろしい。実は黒は何種類もあるのです。それで次々、上のものが持ち出され
てきて、もう初めのものは、みすぼらしくみえてしまう。それでこういう話を
しながら残念なことに、僕は予算よりも高いものを買ってしまったのですけれども、
こういう風にして、ランクを作って、欲望が引き出されるわけです。
それまで僕はまさか黒に何種類もあるとは思わなかったし、より美しい光沢の
ある黒が欲しいなどという欲求は僕にはなかったわけです。なかったのがその場で
作られてしまって、作られてしまうとなかなか人は弱いものです。どうみたって
それがきれいに見えてしまう。
そういう仕組みをどんどん作っていくわけです。車の場合だと、頻繁にモデル
チェンジをしていく。ほんの少しずつ、変えていく。それをやられると、新しいのが
欲しくなって、買い換えてしまう。そのサイクルに入ると、えんえんそれが続いて
まだ乗れる車が中古車になってしまいます。
このことが生活上にも入ってきてしまうのが、パソコンだと思います。パソコンは
激しく進化していく。ビット数が上がって、今までできなかったことができるように
なる。そうすると仕事がかえって増えるのですが、暫くするともう古いパソコンは
使えなくなってします。そうやってえんえんと欲望が作られているわけです。
それが現代資本主義の特徴で、そのためどこまで行っても欲望には制限が
ない。満ちることがないわけです。パソコンだと、今、最新型を買っても、数年
したら、もっと凄いのが出て来て、欲望が作られてしまう。それで欲しくなって
しまうわけです。
カメラマンの友人が地獄だと言っていました。プロだと50万円ぐらいする機材が
必要になります。しかし1年経つともう古くなってしまう。ところがフリーランスだと
とても買い変えられない。だからどんどん性能がよくなることで、どんどん暮しが
良くなるのではなくて、どんどん苦しくなってしまう。
働いても、働いても、新しい機材に追いつけない。機材が進歩することが
いつまで経っても幸せの拡大に結び付かない。だから僕らは、驚くべき生産力
の発展の時代の中にいながら、ちっとも幸せが拡大しない現実の中に
いるわけです。それがグローバリゼーションの仕組みです。
電力も同じで、電力がないと困るといいながら、実はどんどん、電力を必要と
するものが新しく作られてきたわけです。オール電化などはその典型ですよね。
ちなみに震災のときに一番、困ったのはオール電化の家庭だったそうです。
後は東北の方たちは、ファンヒーターが困ったと言っていました。20年ぐらい
前の方が良かった。みんなダルマストーブだったので、電気がなくても暖を
取れたのです。
今の電気製品はみんな待機電力というものを持っています。だから実は、計画
停電の中で人々が目覚めてしまった面もあります。結構、節電できることは
たくさんあった。それをしたら計画停電は途中からやらなくてよくなった。つまり
どれだけ電力を無駄につかっていたかも浮上したわけです。
実は電力が足りないから、原子力発電所を作ってきたわけではない。逆で
原子力発電所を作るから、電力をどんどん使わせなければいけなくなった。
原子力発電所の致命的欠陥は、電力の需要が減ったからといって、すぐに
止められないことなのです。必要なくても、まわっている。そのためかえって
電気が余ってしまうのです。
つまり欲望が作られるように、電力の必要も作られたのです。それで生活が
良くなったのでしょうか。違うと思います。
例えば僕は、セブンイレブンには、ぜひセブンイレブンに戻って欲しいと
思っています。つまり朝7時に開店して、夜11時に閉まる。僕が学生のときに
始まりましたが、その頃のキャッチフレーズは「開いてて良かった」でした。
その頃は9時にはもうどんなお店もしまっていた。しかし今は24時間開いてい
ます。それで町が暗くならなくなりました。夏になると、その前にとまった蝉が
一晩中鳴いています。恐ろしいことです。木にも蝉にも、もちろん人間にも
良いはずがない。生態系にむちゃくちゃに悪いのです。
今の都会の私たちは、深い眠りが得られなくなりました。真っ暗な方が人間は
深い眠りに入れるのです。だからそのような町の状態になっていることを
今、とらえ返さないといけないと思います。
その点で、今回の事故のことで、深刻なことがいっぱいあるのですけれども、
僕は逆にこれを、グローバリゼーションから、ローカリゼーションに変えて行く
大きなきっかけにしなければいけないのではないかと非常に強く思います。
放射能汚染との対決に、ローカリゼーションが有効
特に核心問題は放射能の問題です。もの凄い恐ろしい放射能がたくさん出て
きてしまっています。今、政府はそれをかなり隠しています。
ヨウ素やセシウムなどしか測ってなくて、ストロンチウムとか、プルトニウムとか、
もっと危ない物質がほとんど測られていないのです。
それらの放射能は、深刻なことですけれども、食糧などにまざって、どんどん
国中に回ってしまうと思います。それを全て避けることは不可能だと思います。
実際に放射能は、雨で流されて、泥に混じって、汚泥に溜まっていくのですが、
これが自治体の浄化センターなどに集まっています。
この汚泥はこれまで、セメントの材料などに使われてきたのですが、実際に
今回でも福島県だけでなく、周辺の県や東京都などでも出てきて、しかも
セメント会社に出荷されてしまっています。おそらくその先は分からなくなって
しまったのだと思います。そうしたことがどんどん増えていく。
その面で私たちは、放射能と共存する覚悟をするしかないと思います。では
覚悟してどうするかというと、実は今、私たちが気がつかなければいけないのは、
私たちにとっての危険物質は放射能だけではないということです。
例えば、農薬や殺虫剤などでもとても怖いものがあります。
そうしたものが私たちの周りにまんえんしていて、何らかの便利さをとるために
使われている。さっき述べたように、便利さだけが考えられて、そこで出るマイナス
のものは、何か他のものが除去してくれるとばかりに、そうした危険物質が
たくさん作られてしまったわけです。
最近は飛んでいる蜂を即刻落とすスプレーが出ているそうです。ロイヤル
ゼリーで飛行している蜂が、遠くから一瞬にして落とされてしまう。
しかしそこに入っている物質が、実はうつ病の原因の一つになっているのでは
ないかという研究が、最近、進められています。
そのために、放射能汚染がどんどん迫ってくるならば、まずは放射能汚染を
できるだけ除去することをいろいろと行う必要がありますが、それだけではなくて
いろいろな危険物質をできるだけ除去していくことが大事だと思うのです。
それでは除去する上で何が大事なのかと言うと、やはりローカリゼーションだと
思います。顔の見える関係で、地産地消で、顔の見える関係で売買するのが
一番安全です。また生産者もその方がやりがいがあるし、顔が見える人に
売る方が丁寧に作ってくれます。
滋賀県の高島市では、小学校が地元の農家さんからお米を仕入れて、給食に
出しています。そうしたら生産者の方が、がらっと農薬の撒き方を変えたと
おっしゃっていました。あるいは造り酒屋さんが、どこの農家からお米を仕入れた
かを酒瓶のラベルに書いて、その親父さんの写真の載せたりしています。
やはりその場合でもお米の磨き方が変わってくるそうです。とくに地元の小学生
たちを見ていると、この子たちに本当においしくて、安全なお米を食べさせたいと
思うのだそうです。
それがまた、きちんと買ってもらえるのが核心問題です。グローバリゼーションの
中では、いいものを作ったって、そう評価して買ってはくれないのです。いいものを
作ることの方がコストがかかったりします。農薬をたくさん使って、作業を短縮
した方が安いものができる。グローバリゼーションはそういうことを促進して
しまうのです。どこで誰が作って、どこで誰が食べているのか分からないからです。
そうではなくて、モノを通じて人と人がつながっている社会、その尊さを、今日の
映画は繰り返し、繰り返し、訴えていたのではないかと思うのですね。
そういう意味で、地域で作られたものを、顔の見える関係で買っていく。大量生産、
大量消費ではないあり方を作っていくことが、放射能がたくさん出てしまって、
それと共存しなければならない私たちの今に、より必要になっているのだと
思います。
そうしたローカリゼーションに移行していくこと、それを選び取っていくことが
大事になっているのではないかと思います。
人をもっと愛したい・・・
最後に、今回の東北の旅の中で思ったことなのですが、実は僕を招いてくれた
方たちの中には、いわゆるサブカルチャー、とくにレゲエなどをやっている仲間
たちが結構いました。いつもあちこちで祭りなどを行って、お互いに泊まったり、
泊まられたりという関係が多いのです。
そんなネットワークの中で、泊まり歩いて、最後のピースファームに辿りつき
ました。その間にいつもレゲエや音楽が流れていました。
僕は旅の間中も、プルトニウムのことなど、情報発信を続けていたのですが、
ちょうどそのときに、1号機のメルトダウンが報じられました。
それで僕の頭の中で、燃料ペレットが溶けだして、下に落ちて、それがどう
なるのか、またそれが何を意味しているのか、深刻な考察を重ねていたの
ですが、そんなとき、隣の部屋から、ウンチャ、ウンチャというリズムが
聞こえてくるのです。すぐに太鼓の音が続き出す。
それを聴いていると、もういいかと思えて、僕もそっちに行って、太鼓を
叩いたりしてしまいました。それで自分の心が緩まるのを感じました。
それは大切なことだなと思いました。
とくに最後の角田市のピースファームには、本当に素晴らしい、有機農業を
されてきた方たちが集まってきました。「守田さん、俺らここで、農業をやって
いていいだべか」なんていきなり聞かれました。
僕が思わず「ウーン・・・」と唸ったら、「ああ、唸ってる、唸ってる」なんて
誰かが言います。本当に答えがすぐにはでない深刻な問いがそこにある。
この辺のみなさん、ガイガーカウンターも持っているのです。会話がシュール
なんです。「××製のガイガーカウンターはいいね」「××製もなかなかいい
みだいだよ」なんて会話が進む。
「そこに持っていくともっと出るよ」、なんて言って、カウンターをずらすと、
ピコピコピコと音が強まったりします。だけども誰かが「この会話、シュール
だね」と言うと、みんなしんみりします。
そこで本当に色々な会話がなされて、僕はとても印象的だったのですが、
「俺らどうするかな」「仕方ないな」「歌うか」なんてことになって、ギターが
爪弾かれ、太鼓が鳴りだしました。それで1時間ぐらい歌って、その後にみんな
静かに帰ったり、眠りについたりしました。
もちろんそれで放射能が消えるわけではないです。でも本当に温かい仲間が
いて、そこが愛情に溢れていて、そんな仲間と何かをしていこうとするときに、
僕らは人間としての可能性が高まって、免疫力も上がっていくのではないかと
僕は思いました。またそれでこそ、放射能汚染にも、能動的に立ち向かって
いくことができるのではないかとも思った。
それで、なんとなく僕は、東北の旅から帰ってきて、ちょっと恥ずかしい言い方
なのですが、人を愛したい気持ちが高まったことを感じています。それが東北
からいただいてきた一番のものだと思います。
そういうことを実現するために、グローバリゼーションではなくて、顔を
見える経済を作っていこうというのがこの映画の趣旨で、そういう考え方が、
原子力発電に顕著な、とにかく巨大なエネルギーがあればいいという発想を
超えて、人間らしい、豊かな世の中を作っていくヒントになるのではないかと
僕は思いました。
以上。
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東日本大震災:「原発とめろ!」 市民団体、400人デモ--中京 /京都
2011年5月23日 毎日新聞
「原発をとめろ!核の真相を明かせ!子供を救え!」と訴えるデモが22日、
京都市中京区の河原町通周辺であった。市民グループ「原始力の会」と
「ピースウォーク京都」の主催で約400人が参加。「政府はうそをつくな。どこが
クリーンなエネルギーだ」などと声を上げて行進した。
長岡京市の主婦、伊藤依里子さん(30)は長女(1)を抱いて「子供のため、
おいしい食べ物を安全に食べられ、天候を気にせずに遊べて、安心して暮らせる
未来を」と訴え、「私たちは微力だが無力ではない、継続が大事と母親仲間で
話しています」と語った。
今月9~17日にボランティアで東北を訪れた左京区のフリーライター、守田敏也
さん(51)は「ある有機農家は独自に作物の放射線量を測り、基準値以下と
確認しながら『売っていいものか』と悩んでいた」と紹介。「原発反対と同時に、
いま東北の人を救わねば」と呼び掛けた。
学会で京都を訪れていた鵜飼哲・一橋大大学院教授も飛び入り参加。「原発
事故は収束からほど遠く、どんな展開になるか分からない。京都での運動を
心強く思う。共に頑張りましょう」とエールを送った。【太田裕之】
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110523ddlk26040293000c.html
原発反対デモ行進 京都中心部
2011年5月23日 読売新聞
東京電力福島第一原発の事故を受け、原発反対を訴えるデモ行進が22日、
京都市の中心部で行われた。親子連れや若者、高齢者など約400人が参加し、
中京区の三条大橋下から市役所前までを約1時間半かけて練り歩いた。
市民団体「原始力の会」(橋本尚樹代表)などの主催。自作のプラカードを掲げ
て「原発反対」と叫ぶ人や、福島原発で働く労働者の危険性を訴えようと、
放射線防護服で参加した人もいた。
橋本代表は「原発がある限り事故は起こり、被曝(ひばく)する人はなくならない。
技術力が高い日本なら、原子力に替わる自然エネルギーを作り出せるはず」と
話していた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20110522-OYT8T00771.htm
全原発停止訴え1週間ぶっとおしデモ
2011年5月17日 京都新聞
「1週間ぶっとおしデモ アゲインスト原発」が16日夕、京都市内で行われた。
100人を超える参加者たちはすべての原発の停止を音楽でにぎやかに訴えた。
1週間かけて原発をめぐるさまざまな問題を考えてアピールしようと京都の市民
と学生が呼びかけ、「堪忍袋の緒も破損」などと書かれたプラカードを三条大橋
下流の鴨川河川敷に持ち寄った。
参加者たちは「ずっとウソだったんだぜ」などと歌い、河原町通の三条―四条間
を往復した。デモは21日まで午後6時半から行い、最終日の22日午後2時に
集会を開く。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110516000135