明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1686)対テロ対策ができない原発を将来的に停める?いやいや重大事故対策すらできていない原発をいますぐ停めるべきだ!

2019年04月26日 10時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190426 10:00)

統一地方選が終わりました。僕も幾人かの方を熱烈に応援して走り回り、多くの方に支持を訴えました。まずはそのお礼を述べさせていただきます。 僕が応援したある方は当選し、またある方は落選しました。悲喜こもごもでしたしたが、多様でかつ違う地域の選挙も経験できてたくさんのことを蓄積もしました。これらについてはもう少し時間をおいて論じさせてください。

● 進んでいないのは「テロ対策」の前段の「重大事故対策」!騙されてはいけない!

今回は原発のことについて書きます。原子力規制委員会が「テロ対策施設が未完成なら稼働中の原発でも停める」と言い出し、多くの記事が出ましたが、本質が捉えられてないからです。 端的にポイントを記します。電力会社各社が「間に合わない」と言っているのは「テロ対策」だけでなく、重大事故の際に放射能の飛散量を抑制するための装置=フィルターベントの設置などでもあります。 なんのことはない。「福島原発事故の教訓を生かす」だとか言って新規制基準の機軸に据えられたはずの「重大事故対策」がまともに行われていないし、さらに「先延ばししたい」と言われているのです。

規制委員会はこの点を言葉の操作でごまかしていますが、マスコミがそれを見抜けない。情けない。失礼ですが言います。マスコミのみなさんは原子力推進当局の言葉を鵜呑みにせずもっと疑ってちゃんとした記事を書いて下さい! 今回、規制委員会が新規制基準(2013年)から5年といい、その後工事計画の審査を終えてから5年と猶予を伸ばしてきたのは「特定重大事故等対処施設」と言われるものです。 メインは原子炉から100m以上は離れた場所に緊急制御室を設置するなどです。ところがここに「フィルターベント」が組み込まれそれが「テロ対策施設」かのように言われてしまっている。ここが問題なのです。

これは規制委員会発行の「実用発電所原子炉に係る新規制基準について」という文章を見ても分かります。(特に6ページ) ここででは、かつては「共通要因による安全機能の喪失を防止(シビアアクシデントの防止)」までしかなかったが新規制基準では「万一シビアアクシデントが発生しても対処できる設備・手順の整理」を足したとされています。 その中に「格納容器の閉じ込め機能の維持」がありベントの設置が含まれ、その次にやっと「テロや航空機衝突への対応」として「原子炉建屋外設備が破損した場合等への対応」が出てきますが、現状ではこの重大事故対策もなされていないのです。

「実用発電所原子炉に係る新規制基準について」 原子力規制委員会 http://www.nsr.go.jp/data/000070101.pdf

「実用発電所原子炉に係る新規制基準について」6ページ

● 規制委員会は「重大事故対策」を「テロ対策」と偽ってきた!

もう少しカラクリを説明しましょう。規制委員会は本来、「テロ対策」ではなくて「重大事故対策」であるフィルターベント設置に、加圧水型原発に限って5年以上の猶予を与えました。 東電などの沸騰水型原発に比べて格納容器が大きくすぐには崩壊には至らないからだなどと説明されていますが、これもまったくの嘘。福島とタイプが違い、西日本に多い加圧水型なら批判は少なかろうと先に動かしたかったから猶予を与えたのです。

その際、沸騰水型では再稼働の条件である「重大事故対処施設」に組み込まれたフィルターベントの設置が、加圧水型では「特定重大事故等対処施設」に組み込まれ、全体として猶予が与えられたのでした。 ようするに新規制基準の大きな軸の一つがないまま稼働している事実を言い逃れるために「テロ対策」にフィルターベントを組み込んで、マスコミや人々を欺いたのです。 ところが資金難から電力会社がこれをも嫌がり、先延ばしにしていて、新規制基準が適用されていない状態が続いているので、先に「テロ対策の再度の延期は許さない」と言い出し、むしろ再度、それまでの猶予を確認したのが今回の真相です。

だとするならば、問題にしなければいけないのは、新規制基準を満たしていない稼働中の原発をすぐに停めることだということがすぐにも分かります。そもそも「期限」を付けてきたことの中にも偽りがあるのです。 規制委員会は「新基準によって事故で放出される放射能量は福島の時の100分の1以下になる」と公言し「事故に際しては5キロ以遠は自宅待機した方が安全」などとも言って、原子力防災を抑圧すらしていますが、その新規制基準など適用されてないのです。


             九州電力ホームページより 「テロ対策」となっているのは⑮のみ!


● そもそもベントがあることがおかしい!プラントとして破産しているのだからもう止めるべきだ!

そもそも「新規制基準」による「重大事故対策」そのものもおかしい。重大事故を起こさないことを目指すのではなく、起きることを容認し、「それへの対処をする」と言い出しているからで、原発の安全性を確保できないことの告白だからです。 しかも言葉がすり替えられている。「重大事故」とは「過酷事故(シビアアクシデント)」と言われてきたもので、設計士さんが施した安全装置がすべて突破された状態をさします。そしてその対策の象徴がベントなのです。 ベントは「放射能を閉じ込めるための装置である格納容器を守るために放射能を外に出す」ためのものであって「格納容器の自殺装置」だからです。安全装置とは言えないのです。こんなものが必要な段階でプラントとしてアウトなのです。

規制委員会の図に戻ると「格納容器の閉じ込め機能等の維持」の中にあえて明記せずにベントを組み込んでいますが、これも詭弁です。ベントの段階で「閉じ込め機能」は喪失しているからです。 しかし「格納容器が崩壊するよりまし」とベントを自己容認し、しかも「福島の事故時にはなかったフィルターを付けて放射能量を抑制する」というのですが、そんなもの、やってみないと分からない。確実な保障のないものは安全装置とは言えません。 実際に福島原発2号機ではベントは最後まで開かず、格納容器下部が破損して大量の放射能が漏洩しました。しかもなぜ開かなかったのかだってまだ現場検証ができていない状態なのです。

            ベントの矛盾についてはすべて後藤政志さんから教わりました! 高浜原発視察時に

さらにフィルターがあっても最初に出てくる放射能の希ガスははまったくキャッチできない。最も膨大な量が飛び出してくるにも関わらずです。このため加圧水型では「いつベントをするのかが問題」とされています。 格納容器を守るには早くベントしてしまった方がいい。しかしそれでは危険な希ガスが大量に出てしまうので「できるだけ希ガスをため込んで減衰させてから出した方が良い」とされています。 ではどのタイミングで出すのか。なんと電力会社に「総合的判断(格納容器の損傷の兆候、避難状況等)により」実施することを求めています。しかし緊急時にそんな複雑な判断ができるでしょうか。その点でもこれが安全装置などとはとても言えないのです。

フィルタベント・システムについて
http://www.nsr.go.jp/data/000199919.pdf
「フィルタベントシステムについて」4ページ

● すべての原発をすぐに停めよ!

このようにフィルターを付けようがベントなどあってはならないし、加圧水型ではベントをいつ行うのかの判断も難しいとされているわけで、これで安全が確保されているなどとは到底言えません。 その点で僕は重大事故の発生を容認し、ベントに依存して飛び出す放射能量を減らすとしている新規制基準のもとでの原発の稼働そのものに大反対です。

しかも現状ではその新規制基準すらきちんと適用されておらず、福島原発事故以前の状態がまかり通ったままの稼働が行われているのです。だから原発はすぐに止めるべきです! 問題は「テロ対策」が進んでいないことにあるのではまったくありません。 ぜひこのことをこそ広めて下さい。一緒に声を上げて下さい!

#原発テロ対策 #特定重大事故等対処施設 #原発重大事故対策 #シビアアクシデント #フィルターベント #原子力規制委員会

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明日に向けて(1685)おかしいことをほっとかない(佐々木まゆみさんインタビュー3)

2019年04月19日 02時30分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190419 02:30)

宇治市議会選挙にチャレンジしている佐々木まゆみさんインタビューの完結編です。
みなさま。ぜひ佐々木まゆみさんに力をお貸し下さい!


街頭宣伝に立つ佐々木まゆみさん 西郷南海子さんと 20190419 守田撮影

***

● 観光より暮らしの充実した宇治へ

守田
そうやって地域活動も積み上げてきて、今回の立候補に至ったわけですが、宇治市をどう変えていきたいと思いますか?

佐々木
大元の思いは前回と変わらないですね。もっと市民の声が市政に届く宇治市に変えたいです。なぜって支援を受ける方が一番何が必要かを知っているんです。地域に必要なものも地域の方が一番知っている。
それなのに役所の中だけでデータをみながらいろんな施策を決めるのは絶対におかしいと思うんです。宇治市は議会と市民の集いを年に1回やっているんですけど、そこで決まったことを知らされても仕方ないんですよね。 議会には常任委員会があるのだから、それごとに報告会をやればもっと分かりやすくなるのに。

守田
議員としてはどんな風に活動しようと思っていますか?

佐々木
前回もそうでしたし、今回もそうなのですが、よく「議員って何をやってるの?」と聞かれるんです。実際、議員は予算が通らなければ何も執行できない。
それで「地域の声を議会にもっていく仕事」と言っても「選挙の時しか姿を見せへんやん」と言う方が多い。それぐらい市民から遠いものなのですよ。市民が選んで、その代表と言われながらそれほど遠いところの人なのです。 実際には市政は地べたでつながっています。そしてそこでのくらしを考えると、一番そこを担っているのはやはり女性やと思うんですよ。介護もそうやし子育てもそうですし、教育の問題も学校の問題もそうです。
だからそこにもっと女性が入っていって現状に即して「そんなことをやっても全然機能しないよ」とか指摘して、それで宇治市ルールを作っていく必要があると思うし、そのために頑張ろうと思います。

守田
多くの男性は働きに出てしまって市内にいないですしね。

佐々木
そうなんですよ。宇治市は大阪・京都・奈良と外に出ていくアクセスはたくさんあるのです。地下鉄の六地蔵を入れると4線あって14も駅があるんです。利便性の高さでベットタウンとしてわっと広がってきた面もあるのです。
だから宇治市の外で働いている間は宇治市民という感覚はあまり持てないかもしれませんね。

守田
産業的にお茶なんかはどうなんでしょう。

佐々木
生産そのものは宇治では少ないのですよ。

守田
ああそうか。焙煎とかだけの場合も多い。

佐々木
もちろん宇治茶はブランドにもなっていますし、宇治には平等院もあります。源氏物語の終章である「宇治十帖」の舞台となった場でもある。文化の街と言われています。
でもそれは宇治の一部でしかないのです。観光にたくさんの予算が使われていますが、やっぱりもっとくらしに使って欲しいのです。観光に幾らつぎ込んでも、それで「ここで暮らしたいな」という思いにつながりませんよね。

守田
そうですね。観光をしにくるところですものね。

佐々木
「ああ、また来ようかな」となるかもですけれど、若い年代の方は「子育てをしやすいところかな」とか「奨学金の返済の支援制度があるかな」とかそういう政策を見てけっこう住む町を選ばはるわけですよ。 いま宇治市から若い世代が転出しているのですけれど、やはり雇用が少ないとか、将来的な展望が描けないとかで出て行ってしまうのではと思うのです。だからもっと暮らしやすい町にしたいですね。


佐々木まゆみさんのポスターに子どもが集まる!

● 政党のバックアップもお金も地盤もなくてもやれることを証明したい!

守田
さてそれですでに後半に差し掛かった今回の選挙についてお話を聞きたいですが、前回よりもプレッシャーが大きい面もあるのだそうですね。

佐々木
前回よりたくさんのご支援をいただけていてそれは素晴らしいのです。とてもありがたい。でもその分、重責も感じますね。選挙は自分ひとりではなく多くの人を巻き込みます。
だからそれに応えられなかったどうしようと考えたら足がすくむのですよ。誰もがそうだと思うな。
前回は4人ぐらいで回した選挙でした。そもそもそのときは選挙は「選挙期間」で決まるものだと思っていたのですよ(笑) なにも分からなかった。
それでも通信を発行したり、街宣に行ったり、やれるだけのことをやりました。怖いもの知らずやったね。選挙自体、定数28を40人で争う選挙で新人が19人も立ちました。そんな中で次点だったのです。92票の差で。

でもそのときにも「選挙は組織がないとダメ」と言われていたけれど、それでやったら組織の言うことをきかんとあかん。選挙のやり方はそのままその後の仕事のあり方に関わってくることを感じ、私はやはり無所属を貫きたいなと思いました。
前回1080票ぐらいは寄せていただいたのですけれど、今回、そこからのいわゆる「票読み」ができない。あの時、どういう方が入れてくれたのか分からない。
でも選挙期間に届けたメッセージに共感してくれたり、無所属というところを評価してくれたりだろうなと思うし、今回もその期待に応えたいのです。

守田
でも4人で回したときよりたくさんの支援が入った方がある意味で大変でしょう?

佐々木
そうなんですよ。前回はたったの4人で全てを回したので、やることが多くて大変だったけれどすっきりもしてました。
今回は前よりもたくさんの方が期待を寄せてくれていて、私を勝たせようとそれぞれに選挙の経験のある方がいろいろなアドバイスをしてくださるのですね。
でもそのたびに候補者が判断を出していかなくてはならないのですけれど経験がないことをそのつど判断するのはなかなか大変なのです。

守田
翻弄されませんか?

佐々木
されます。濁流の中をまわっているみたい(爆笑)
ここまできたらもう開き直りましたけどね。

守田
人が集まってくるのはとてもありがたいのだけれど、「右だ~」「左だ~」と言い出す方もいますよね。

佐々木
そうなんですよ。私は「個人演説会はやらない」と決めたんですよね。政党のように人を集められるわけではないので。でも「それぐらいはやらんと」とかね。
あるいは「出発式」ですか?前回は仲間たちにポスター貼りの準備をしてもらって、当日朝の抽選と同時に貼りだしてもらったので、一番で貼りだした代わりに「出発式」とかはやらなかったのですね。でも「出発式ぐらいはやらん」ととかなる。
「事務所に為書きの一つもないと淋しい」と言われて「すいません。うちはそういうのやりません」とか。本当は「すいません」と言う必要もないのですけれどね。
初めのうちは翻弄もされましたけど、もう「ウチはそういうのはやりません」と決めたらすっきりして楽になりました。
だって個人演説会をやったところで人が集まらなかったら淋しいし、そんな風に自分が凹む材料を作るより、その分、街宣で話しますとか。なるべく自分を凹まさない、自分を上げるやり方をしていかないと。
これをやらないと選挙らしくないとかそうは私は思わないので。

守田
なるほど。

佐々木
今回はこれが「選挙と言われているものか」と思いましたけどね(笑)

守田
経験のある人ほど「これをやらなくちゃ」ってなりがちですよね。

佐々木
でも選挙のハードルが高いとその先ももっと高くなってしまうじゃないですか。
「選挙ってお金がかかるんでしょう」とか言われますよね。昔は「選挙のために田んぼを売った」なんて話もありました。でも政治に関心があって関わりのある人がもっと気軽に「じゃあ被選挙権があるからいこか」となった方がいいと思いません? もっといろんな現場にいる人が参加してきて、その現場のリアルなものが反映された方がいいと思いません?
だから私は「政党がなくてもお金がなくても地盤がなくても行けるんだよ」ということをここで一つ証明したいという思いもあるんですよ。
それで立候補しようと思う人がもっと増えて、もちろん当選者も増えて市民派で会派でも作れたら、あちこちで「市民の声はあなどれない」となるだろうし、そういう流れを作りたいですね。
「選挙ってしんどいよ、大変よ、お金がいるよ」ってなってたら誰も選挙をやりたいなんて思わなくなりますよ。私はそうじゃない!やれる!ということを示したい。

守田
そうですよね。選挙をやってきた人ほどそういうことを言う傾向がありますね。まだこれがないとか、あれがないとか。
でも僕もあちこち見てきて思うのですけれども、そうやってやってきた方って実際に選挙になると本当によく動いて下さいますよね。ものすごい数のチラシをまたたくまにポスティングしてしまったり。

佐々木
それもよく分かります。「まだ事務所も開かないのか」なんで言っていた方が一番たくさんのハガキを書いてくださいました。

守田
その点でそういう方としっかりつながり続けることが大事だと思うんです。

佐々木
私のところではその点は選対を担ってくれている中村あゆ美さんがすごいんですよ。きちんとつなげてくれるんです。 私にも「まゆみさんの気持ちは分かるけど、ここはもう少しこうしたらいいんじゃないかな」なんて言ってくれて。私よりずっと大人なんです(笑)


街頭で熱烈に佐々木まゆみさんへの支持を訴えました!

● 私はストレートしか投げられない。忖度の仕方を知らない!

守田
面白い!他でもそういう方がいますよ。
でも佐々木さんはそうやって自分の思いをどこまでも貫こうとするところが素晴らしいですね!

佐々木
貫くというよりね。できないんですよ。「カーブや変化球は持ってません」という感じで。

守田
わっはっは。それは好きだなあ。

佐々木
もっとうまくやれとは言われるんですよ。最悪のタイミングで最悪のことを最悪の相手に言ってしまったりね(笑)でも相手がそれであっけにとられて笑いだしたりね。
私はね、「裸の王様」ってありますよね。あれを見て「王様は裸だ!」って叫ぶ子どもと自分を重ねることがあるんですよ。空気が読めないのかなあ。忖度とかできないですわ。不器用なんですよ。

守田
ああ、なるほど。でもね、僕も実はそっちなんですよ。

佐々木
そういうのこそっと名付けません?「裸の王様のあの子どもですね」とか(笑)

守田
でもね、一番大事のなのはしっかりとストレートを投げることですよ。佐々木さんはそれをやり続けてきた方です。宇治市にとってなくてはならない方ですよ。本当に頑張ってください。

佐々木
はい。頑張ります。

守田
今日はありがとうございました!

終わり


街宣をしながら車に手を振る佐々木まゆみさん 20190419 守田撮影

佐々木さんの事務所開きの時の僕の挨拶です。
https://www.youtube.com/watch?v=AtF9PXxck5Q&fbclid=IwAR1-Hc7CNpkYF0_b4brHyLJMuno5m-snCovhAY2_vMqFfpdKTxidIy3PUDM

#宇治市議会選挙 #佐々木まゆみ #いつも市民派ずっと無党派 #関西無所属ネットワーク #統一地方選

 

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明日に向けて(1684)おかしいことをほっとかない(佐々木まゆみさんインタビュー2)

2019年04月19日 02時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190419 02:00)

統一地方選候補者インタビューシリーズ、宇治市会議員選に立候補している佐々木まゆみさんのお話の2回目です。市の嘱託職員として働きながら市政を変えねばと痛感した佐々木さんが選挙にチャレンジしていく過程のお話です。

● 議会に乗せるだけでも行政に影響を与えられる

佐々木
そうです。選挙を目指したのは、市政に関わろうと思ったら行政の中にいても無理だったからです。それに良くも悪くも行政の中にいて、議員の発言力の強さを感じることがよくあったからでもありますね。行政はいつも議会対応に神経を使っています。
そのために議会にあげられたことが最終的には採択されなくても「これはこの間、議事にのったことだから気を付けよう」となって行政の中に浸透するのです。議会でとりあげるだけでもすごく影響があることを感じていました。

守田
なるほど。これって市民派の無所属議員が立つ意義にもつながりますね。例え少数派で議決まで持って行けなくても、議会に市民の声や要望を届けるだけ市政に影響を与えられる。
ところで立候補しようと思ったときに、参考にされた本があったそうですね。

佐々木
『市民派議員になるための本』という寺町みどりさんが書かれたものを参考にしました。
それまでは私も政治家になるためには政党に入らなくてはならないと思っていたのですが、この本は「今の仕組みを変えたい。制度を変えたいと思っているなら誰でも議員になれますよ」と教えてくれたのです。
ポンと背中を押されました。もっと真っ当な政治があって欲しいと思っていたけれど自分にもできる!と思ったのです。

守田
それで会社は継続しているのですか

佐々木
はい。継続しています。NPOに近い会社で利益はほとんど出てないのですけれども、商店街の中でいろいろな企画をしたり、地域のみんなが知り合いでなくても楽しみに集まってこれるカフェ事業を月に1回やるとか。
地元紙の1ページを提供していただいていろいろな情報を載せています。私は子ども食堂を1年半やっていたのでそんな情報も載せました。 とてもそれだけでは食べられませんし、私も福祉の現場に入りたかったので「ゆめハウス」というNPO法人で去年の12月まで働いていました。私が働いたのはB型の就労支援です。

守田
それで今回、再び立候補されたわけですが、前回と何か違うことはありますか?

佐々木
前回は女性の支援をしたいと思っての挑戦でしたが、4年前と一番違うのは男性の状況ですね。
まだあの頃は男性は正職についていて女性が非正規で安くて近くて短時間の労働が多かったから助けたいと思ったのですが、この4年間で多くの男性もそこに降りてきています。
ですから「女性が」というより「働く人の権利」や「障害者の権利」を守らなくてはならないと思っています。たくさんの方にお話を聞いて、誰もが不安で苦しい状況の中で生きているのが分かりました。

守田
議員になって今度は女性だけではなく、苦しい立場の人なら誰でも助けたいと。

佐々木
そうなのですけど、でもそこで何ができるのかずいぶん悩みもしましたね。一議員になれたとしても何ができるのだろうと。 実際に政治の世界には組織の力が大きいですよね。多くの方が政党に属しています。だから何をしても大きな壁にぶつかっていくようなイメージがあります。ドン・キホーテみたい。
でもそれでもなぜやろうと思ったのかと言えば、そういう方たちには見えてないものがあって、私にはそれが見えると感じるのですよ。 女性の状況であったり障害者の状況であったり、地域で孤立して「私が死んでも一か月は分からへんかもしれんな」という不安を抱えている人の状況とか。
それはそのまま私の未来でもあるのですよ。私は離婚もしていますし子どもたちももう自立しましたし。 それで私が一人で年金しかもらえない状況の中にあったとして「何かあったら市役所に救いを求めにいくやろうか」と考えたんですよ。「助けてくれ」と言えるような行政やろうかと。それを言うのは権利なのにね。

守田
生存権ですからね。

佐々木
そこをきちっと満たす様な行政でなければならないと思いますし、そういう一人一人を助けなくて町の発展なんかない。そのことをもう一度確認して、その多くの人や組織にも見えてないことを知っている私が、しっかりとものを言える場に行こうと。
1人の市民派議員であっても、私が語る思いを持っている人は本当にたくさんいることを市政に伝えていきたい。

守田
その点で議会で話になっただけでも行政に影響を与えられるというのも大事な点ですね。このことは市民派無所属で立ちあがっている人、すべてに伝えたいな。


佐々木さんの選挙にはたくさんの創意工夫が。一つは蛍光ポスター、二つはポスターに点字を添付(佐々木さんが指さしている箇所)、三つはマンションから見えるようにと宣伝カーの上に第5の掲示板を設置!

● 一回やってダメでは引き下がれない。そう思って4年間、くらし支援を強めてきた

佐々木
そうですね。それに前回次点で1000人以上の方が私の名前を書いてくれたのですよ。やっぱり「一回やって駄目でした」では引き下がれない。

守田
素晴らしい!そこですよ。
今回、関西無所属ネットワークでみなさんが立ちあがっていて、僕は心から応援しているし当選して欲しいですけれど、しかしなかなか一回で当選するのは難しい面もあると思うのです。 というかみなさん、「地盤」の意味がやっと分かってくると思うのです。時間をかけて地域のための活動を積んで多くの人と結びついて、やっぱりそれで可能性が開けてくる。

佐々木
そうなんですよね。そうでないと政党から離れようとしても拠り所のない不安に襲われる。なんか頼りなくて、周りに対しても何をしたいのかが分からなくなる。
そこをしっかりとしなくてはいけなくて、そうやって地域への関わりで積み上げるのが私らにとっての「地盤」なんだなと思います。

守田
実際に佐々木さんは宇治市民のためにこの4年間いろいろなことを重ねられてきたわけですよね。素晴らしいな。その中の一つに子ども食堂があるとおっしゃいましたが、そのことを聞かせてください。

佐々木
1年半やりました。この3月で一度閉じたのですけれど。月2回、晩御飯を提供しました。連絡会などいろいろな人が集まってやったのですが。
私がむかし、子育てしながら仕事をしている時に、「今日ちょっと遅くなるからあそこに行って晩御飯を食べておいで」と子どもに言えるところが欲しかったんですよ。
そこにいったらおばちゃんとかがいてて「ようきたね」と迎えてくれる。親も安心していかせられるし、子どもも親と先生以外の大人と接することができる。そういう場所を作りたいという思いが昔からあったのです。
それに私は食べることが好きなんですよ。美味しいものを食べるとどんなときでもなんか幸せになるじゃないですか。そんな力を持っているのって食べものだけだと思うのですよ。

守田
よくネットにもアップしてますもんね。

佐々木
そうです。「今日の晩御飯シリーズ」は「いいね」がいっぱいつくんです(笑) それも一人で食べるのではなくて「今日は学校はどうやった」とか「仕事でこんなことがあって」とかわちゃわちゃ話しながら食べられるような空間が地域の中に欲しくってそれで始めたのです。
そうしたら一人親家庭の支援をずっと続けている「放課後の家」というところが、うちに食べに来ることをルートにしていましたので、そこの子どもたちも来てました。

守田
場所はどこなのですか?

佐々木
私が働いていた「ゆめハウス」をお借りしました。もともとそこは酒屋さんだったの立派な厨房があるのです。
そこにお子さんがおられず近所の子どもと触れ合う機会もなかなかないという方も来られてましたし、高齢者の方も来られてました。地域食堂みたいになっていました。
最近では「子ども食堂」というと、いろいろ取り上げられたのはいいのだけれど、「そこに来る子は貧困な子」というシールがついてしまうのでそれだけでは来にくくなっているのです。その点でも地域食堂の方が良いのです。

守田
何人ぐらい来られていたのですか?

佐々木
25人ぐらいかな。

守田
すごい、すごい。

佐々木
それでやってみてね、いま「孤食」という言葉があるじゃないですか。一人でしかご飯を食べられないことをさすのですね。それって子どものことだけなのことかと思ったら、全世代のことなんだと分かりましたよ。
家事を中心にしている女性の中でも、子どもはバイト、夫は残業で「誰かと晩御飯を食べたのは何年ぶりやろう」って泣かはった人がいたからね。家族がいても孤食の場合があるんですよ。
またこんなこともありました。そこは障害者の施設なので、もちろん障害を持たれている方も来るのですけれど、最初はお客さんとして来ていたのに、途中からサービスを提供する側になってくれた方もいたのです。
障害を持っている方って誰かに「ありがとう、ありがとう」って言っているばかりで、「ありがとう」って言われる経験が少ないから、すごく嬉しかったそうなんですよ。だからそういう場であり続ければいいなと思って。

守田
うわあ、素晴らしい!

佐々木
子ども食堂は選挙が終わったらまた再開しようと思ってます。地域のそういう場所は一か所でも多い方が良いので。会社の名前に「よりあい商店」とつけているだけに、寄り合うのが好きなんですよ(笑)

子ども食堂を一度閉じるときの佐々木さんの挨拶 三月末(佐々木さんFacebookより)

続く

#宇治市議会選挙 #佐々木まゆみ #いつも市民派ずっと無党派 #関西無所属ネットワーク

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明日に向けて(1683)おかしいことをほっとかない(佐々木まゆみさんインタビュー1)

2019年04月18日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190418 23:30)

統一地方選候補者インタビュー、今回は宇治市議選にたっている佐々木まゆみさんにお話をうかがいました。お読み下さい。(なお選挙戦中のため連投させてください。よろしくお願いします)


佐々木さんのバナー 

***

 ● 宇治市嘱託職員として働いて市政を変えねばと思った

守田
まずはなぜ立とうと思ったのかをお聞かせください。

佐々木
市の嘱託職員として14年間、男女共同参画の専門員という形で働いていたのですね。駅前の「ゆめりあうじ」にセンターがあるのですけれど、その立ち上げの準備期間から関わっていたのです。いろいろな事業をライブラリーをしたりしましたが、私の主な仕事は相談に来られた方と最初にあって話を聞くことでした。
家で困っていること、子育ての難しさ、せっかくここで人とのつながりができたのに、夫の転勤でまた違うところにいかなくてはならないとか。
そういう相談や、自分の思うような生き方をできていないとか、「女性はこうするものだ」と自分自身に縛りをかけて選択肢を狭めている場合など。そういう話を聞いて、「このもやもやはどこから来ているんだろう」という思いを一緒に解きほぐしていったりしていました。

守田
その話を聞いて、専門的な部署につなげるわけですか?その入り口だと。

佐々木
そうなのですけど、けっこうこういう相談の場がないんですよ。宇治市だけでなく。相談窓口はあるけれど、相談するほどのことでもないと自分で決めていらっしゃる。分かります?

守田
ああ、なるほど。

佐々木
下手に相談すると自分の「いたらなさ」を責められるのではないかと思われるのですよね。そればかりか「子育て相談」とかも福祉課の中にあるのですが、実際に「お母さん、それはもっとあなたがちゃんとしないと」などと責められ、泣きながらうちに来るお母さんがたくさんいました。

守田
へえ~。そうなんだ。結局、自己責任論でみんなやられているのですよね。

佐々木
そうなんですよ。まさに自己責任論。こうなってしまったのは自分がいたらなかったからだとか自分の努力が足りないだとか。だけどそう言うけれど、自分は100%自分の力だけでやってきましたなんて言える人、一人もいないでしょう?それなのに全部を自分のせいにされてしまってたまたま介護の必要があったから、子どもに障害があって見なければならなかったから、仕方がないとか思わされている。
でもそういう状況の人はたくさんいるし、政治の問題なんですよ。いまある制度の中でしか人は生活できまないのですから。そういう話をいろいろと聞く中で制度を変えなあかんなと強く思いました。でも市の嘱託職員というのはどこでもそうだと思いますが、一番市民の近い所にいながら意見を求められないのですよ。

守田
市からですね? 

佐々木
そうです。市の政策やプランは正職の人が作ってそえぞれの審議会に降りてくるんです。いろんなことが決定事項として降りてくるだけで創る側には回れないのです。
象徴的なできごとがありましたね。ゆめりあうじは駅前の便利の良い場所で保育所もある。だから小さな子どもをもって働いているお母さん方が来るわけです。とくに夕方仕事からバタバタっと戻ってきて、私がカウンターに座っているライブラリーで、少しだけ読みたい本を見たりするのですね。それが一日の中で、唯一自分が自分のために過ごせる場所だと言うんですよ。それでちょっとインターバルをとって、気持ちを落ち着けて、子どもを迎えに行くんです。そこからはまた戦争じゃないですか。晩御飯を作って家事をして子どもを寝かしつけて。

だから「本当にここがあって良かったわ」とおっしゃるお母さんたちがたくさんいたんですよ。そういう場こそ男女共同参画支援センターにはなくてはならないんだと私は思ってました。夜にその場があるからこそ、そうやって子どもを抱えながら働いている女性たちを支援できるわけです。ところが経費削減の関係でそこが5時で閉まることになってしまったのです。それまでは8時まで開けていたのに。あんな駅前の場所で5時に閉めるというのですよ。それで「働いている女性とつながりたい」なんて市は言うのですよ。

守田
そうかあ。それはひどい。残念でしたねえ・・・。

佐々木
それが決定事項として降りてきたときにはね。もう本当に、なんて言ったらいいのか。人件費が足りないとか、行政の都合ですよね。私にはあのセンターで何をしようとしているのか、全く見えなくなりました。そんなことが「これは上の決定事項だ」と伝えられた時に、「ものを言える場に行きたい」ととても強く思いました。そういうことが幾つかありました。

街宣中の佐々木さん 20190418 守田撮影

● 目の前で困っている人を助けられる行政に変えたい

佐々木
それで市の嘱託職員を辞めて、女性ばかりで会社を立ち上げたのです。「はたらく・くらす@よりあい商店」という名の会社です。
行政の就労支援って就業のためのアドバイスをあれこれするとか小技はできるけれど、実際に人を雇えるわけではないじゃないですか。それでどんな事業でもその人がやりたいことを実現できるような入れ物を作りたいと思って、女性ばかり6人で集まって、わずかながら出資し合って合同会社を立ち上げたのです。

守田
いつ頃のことだったのですか?

佐々木
2014年です。前回の市議選の一年前なのですけどね。そのときはまだ京都府から補助金もとれたので人も少し雇って、商店街の中に「あきないカフェ」という名前の仕事に関する情報提供や日ごろの悩みの相談をする場を作りました。

守田
悩みを聞いてどうするのですか?

佐々木
つながるところがあればつなげる。解決方法を探す。どうしようもできないことはどうにかできるような働き方を作っていく。
「はたらく・くらす@よりあい商店」という名をつけたのは、働くことが生きることと密着したことだからなんです。緊急な支援が必要な場合は専門機関につなげますけれど、働くことでの相談に来られたり、仕事をしたいのだけど見つからないというときは、その人が何をしたいのか、より具体的にはどういうことなのか、それならどんな方法があるのか。どんどん話を聞くのだけれど、そうするとほとんどの場合はご自分が答えを出されるのです。

守田
なるほどなあ。

佐々木
話すことはそれ自身が力があると思うんですよ。言葉にすることが大切なんですね。自分一人で考えていたらグルグルまとまらないことが、話すことで整理に向かう。それでいろいろなことを自分で解決して自分の足で歩いていかれます。

守田
すごい!

佐々木
その前に市の仕事を10年以上やっていたときに「話すこと」のもたらす力を実感していたのです。必ずしもこちらがアドバイスをしたからではなく、自分で解決できていく。むしろそういうことを安心して話せる場がないのだろうなと思いますね。

守田
まさにそうですね。でもそれを1年間続けて、それでもう選挙に立とうと思ったのですね。早かったですね。

佐々木
会社を立ち上げる前から選挙のことは射程の中にあったのですよ。でも行政の中にいて見えないものを民間でやって見えて視野が広がりました。やはり行政のカウンターに座っていると、市民の人からはあくまでもこちらは行政の人なんですよね。

守田
具体的にどんな違いがありますか?

佐々木
行政は「自分はこう考える」という答え方をしないんですよ。主語が「宇治市」だからあくまでも組織としての対応しかできないし、制度に決められた範囲でしか対応できない。いくら制度があるといってもその人が救えないなら制度がないのと同じだと感じることが何度もありました。
生活支援なんて最たるものです。制度があるけれど「これを使えるのはこういう方だ!」と決まっていて、ほんまにぎりぎりまでいかないと使えないのですよ。通帳もコピーして出させるし、所持金も見させますし、そんな状況でないと救ってもらえないのが本当にひどい。そうなる前に救っていたら、その人がまた力を持って頑張れるのに、そこまでコテンパンにやられてからでないと支援制度が受けられないのが驚きでした。14年間、「今日は仕事に行きたくない」という人は1人もいなかったし、みんな意欲はあるのですよ。でも救えないし救わない。

守田
もっと早く救った方が誰にとってもいいのに。

佐々木
そうなんですよ。税金を使って「あんなこともこんなこともやってますよ」と言いながら、実際には目の前の人を救えない無気力感を支援制度の中で何度も味わされてきました。
DVへの支援とか一時は脚光を浴びたじゃないですか。それで「逃げて下さい」という制度も少しはできました。でもあれって「逃げるのも地獄、とどまるのも地獄」なのですよね。危険を感じて逃げ出してきはってこちらに来るのですけれども、子どものことや生活のことを考えて帰られたりするのです。平均でも3回、4回と。そうなると行政は受け入れるのを嫌がるのですよ。「前に帰ったから」と。

守田
困っている人に寄りそう視点があまりに乏しいですよね。

佐々木
本当にぜんぜん寄り添ってないんですよ。一人の人間が生きるか死ぬかの選択をしているときに。だから男女共同参画の職員の方って、どこでもうたい文句と実際の施策の間でずいぶんと無気力感を持たれた方が多いと思います。
それを思うと私が議員になろうと思ったのはこうした理不尽なあり方に対する怒りですね。一生懸命に生きようとしている人をこれだけたくさんの職員がいて何で救えないんだろうという思いかな。

守田
なるほど。すごく共感するな。それで行政の仕事を辞められ、会社を立ち上げながら選挙も目指したのですね。

続く

応援に駆け付けた西郷南海子さん、守田、佐々木さんの3人でポーズ 近鉄大久保駅前にて

#宇治市議会選挙 #佐々木まゆみ #いつも市民派ずっと無党派 #関西無所属ネットワーク

 

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明日に向けて(1682)人を信じる。だから目の前の石をどけない!(にしむらしずえさんインタビュー-3)

2019年04月16日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190416 23:00)

近江八幡市議選に立候補している、にしむらしずえさんインタビューの完結編です。お読み下さい。畑佐さんによるにしむらさんの「特質」の力説の続きから入ります!

にしむらしずえさんのFacebookアイコンより

***

● 「にしむらしずえ」には「敵」が多い?

畑佐
せやから私だって初めて「出る」って聞いたとき、「行けんのか自分、大変やで?」と思ったけれど、彼女は絶対にそうなったら行くんですよ。何があろうと。 だから私も正直なところ「彼女は敵が多いし、手伝ったらあんたもしんどいで」とかも言われるんです。でもそんなことはなから分かってるんです。彼女は自分から一緒に動く人を待ってるんですよ。 それを分かっている人らもいて「しずえちゃんとはやりかた違うけど、市民参加としての選挙には関わりたい」という人たちも、カンパを集める自主的な動きの中に入ってきています。

そういう自発的な動きを彼女はすごく待っているんです。でも自発的に人が動き出すまですごく時間がかかるじゃないですか。それなのに彼女はそうではないとダメだと考えているんですよ。 赤ちゃんがハイハイをはじめて自分から起ちあがっていくでしょう。そのときに誰かが立たせて歩かしたら、教えられたとおりにしか動けない。だからまずは自分の一歩を始めて欲しい。その人たちと一緒にいたいと思っているんですよ。 だからすっごく難しいし、そんなんなかなか来ないですよね。でもそれを見てたら、「私らって、わたしとあなたぐらいしか見てなくて、世の中のことを見てなかったんやな」ってすごく思ったんですね。 「私らの方が変わらなあかんねんな」ってしずえちゃんを見てて私もそう思ったんです。

守田
それはどういうこと?もう少し教えてください。

畑佐
なんていうのかな。「私が良かったらいい。私のお友だちが良かったらいい」と多くの人が思うんやろうけど、もっと広い世界に自分たちはいてて、「それを動かさないとわたしとあなたの関係はよくならへんよ」ということを彼女は分かっていて。
でも彼女は「私は嫌われてもまわりが良くなったらいい」と思ってはると思うんです。だから一緒に歩く人には必ず自分で起ちあがってきて欲しいと思っている。 先に指示しちゃうことは相手も自分もラクかもしれないけど、それをずっとやってたら、それぞれが自らで考えるという力を奪うって。

守田
畑佐さんはそれをどう評価しているんですか?

畑佐
なかなか理解されにくいし、きついなあと思いますよ。(笑)

にしむら
わっはっは

畑佐
選対でもワアッて人を巻き込んでやっているのではなくて、本当に自発的に動く人たちと一緒に動いているわけですよ。 それはすごいしんどいことなんやけど、それでも彼女の思いは分かっていたから、彼女が立つと聞いて「じゃあ私はどうすんの」と思ったんですよ。
「ものすごい人気のある人を応援するのか、一人でもやる人を応援するのか、どっちなんや」と思ったときに、私は「優しくて、友だちが多くて、支持者が多くてという人が政治家になるべきや」とは思ってないんですよ。

守田 おおお。素晴らしい。でもなんで?

街頭で訴えるにしむらしずえさん 近江八幡駅前2019年4月16日 守田撮影

● 「にしむらしずえ」は着実にちゃんと足を運んで政治につながっている!

畑佐
必ず自分の政策をやりはる人が確かやと思うんですよ。この人は着実にやりはるしこれまでも「みんな一緒にやりましょうよ」ではなくて先端で動いてくれてるんです。それでいろんなことがかなっていく。
だから「着実にちゃんと足を運んで今の政治とつながっている人は誰なんですか?」と聞いたら私は彼女だと思うんですね。 「そしたらそこを応援せんとどうすんの。好き嫌いちゃうやろ。私たちが実現したいことを先にこの人がやってんねん。やり方はまずいかもしれんけど、まずかったらそう言うて一緒に動いたったらええねん」って思うんですよ。

守田
素晴らしい。

畑佐
だからそこやね。うちのパートナーがポスターやチラシを作ったのもそうやし、「供託金にこれ使いや」とお金を持ってきてくれた人もそうやし、「いたらない」と思うんやったらいたるようにしたったらええねん、周りが。
それで私は昔からの親友だからとかじゃなくて、一緒の目的のためにつながっている彼女と一緒に走ることは「自分がやりたいことを着実に実現していく一歩でもあるな」と思ってるんですよ。

守田
すご~い。

畑佐
最初は「こんなにしんどいんやったら明日やめる」とか思いもしました。でも、お金もない、人脈もない、でも「そんなんでようやるな」というのではなく「だったら私が人脈の一人になりましょう」と言おうと。 それでどっちの方がいいかって考えると後者の方が絶対にポジティブやし、その中で「しずえちゃん、これはこうしたらええんちゃう」とか言ったらいい。 でも大抵の人は向き合えへんのですよ。ほんとのところは。だからそういうことを自分がやる場所が今回の選挙なんですよ。私にとっては。

守田
なんかすごいなあ。すごくにしむらさんのことを分かっている。

畑佐
そやからしずえちゃんと距離を置いていた人らも、「ここまでやったら自分もできるな」とか気持ち的にも無理のない範囲で自分で動いてくれてるんです。

にしむら
それがしたいの!私は。

畑佐
そやねん。「なんでこの人、自分のために動いてくれへんの」とか、彼女はぜんぜん思ってはらへんから、そこが分かったらすごく面白いのにな。ほんまは自発的に起こるものの方が良いんやし。

にしむら
来ても来なくてもいいよという環境を作りたい。

畑佐
でも読解するまですごく時間がかかるで(爆笑)

にしむら
ほんまにすいません!

畑佐
「みんなに好かれるように動いたらええのになあ」とか思うことあんねんで。

守田
分かります!

畑佐
「今は敵を作ってる場合とちゃう。とりあえず頭をさげろ!」とか思うときもあんねんけど(笑)けど、それは関わってるからこそ言えることやけど。

守田
僕もね、やっぱり自立した個人の連帯を求めているんですよ。政治についても危機感をわあって煽って、主体性を奪って、だからこれが正しいんだと言うセンセーショナリズムみたいなやり方があるわけだけど、それって扇動で嫌なんですよね。 だけどね、僕はその上で、やっぱりにしむらさんがもう少し頭を下げられるようになるともっと強くなれるのではないかなあとも思うのだけれど。

にしむら
でも私がそうしているのは政治だからなんですよ。がんとして。変えていきたいんでしょ。世の中を。なぜここまであなたたちは動いてきたの。変えていきたかったからでしょ。変えるにはあなたが動かないと、一歩でも半歩でもいいから。

畑佐
そうやって先に走ってるからさ。ついていかれへんのよ。他の人々は。なかなか。

にしむら
すいません(笑)

畑佐
例えやけどね、「次のPTAの役員、誰がやる」って話で2時間も3時間も沈黙が続いて誰も手を上げへん。「誰かやって」と思いつつみんな顔色をうかがっているときに手をあげるんがこの人なんですよ。 でもみんな「できれば人に優しくて人気もある人がいい」とか勝手に理想像を決めてる。そんなときそうでない人が手を上げたら「えええ」とか言い出す。 でもそれっておかしい。手を上げた人にみんなで力を貸したらいいやん。実は「しずえちゃんに手を貸すのはそういうことやで」ってよく説明するんですよ。

守田
小野さんにもお聞きしたいですね。

小野
私も感覚派やからしずえちゃんがやっていることはすごく分かるしとっても応援してるよ。
でもこうした方が人はついてくるかなと思うときもあるかな。なんやろう。人ってしゃべらないと分からない時があるので、公人になったらもっと言語化して話した方が良いと思うね。
私は感覚で分かるだけにもどかしさもあるかな。だからよしみちゃんみたいなサポートは大事だと思うな。

畑佐よしみさんはピアニカが上手でたびたび演奏を披露(畑佐さんFacebookより)

● 世渡りがうまくないから信用できる!

守田
ここらでデザインしてくださっている実さんにもご意見を聞きましょう。

畑佐実
僕はねえ、世渡りのうまいやつは好きじゃないんですよ。だからこれぐらいやったら面白いかなって思うんです。

一同
大爆笑

畑佐実
政治家のトークって好きじゃないですね。選挙の時だけ腰が低くて。でもそんな人に「ありがとう」って言われても嬉しくないし。そもそも僕は人に「ありがとう」って言われてそんなに嬉しくないんですよ。自分が納得してたら一人で嬉しいし。

守田
にしむらさんが求めているのはそういうことですね。でも周りの人は「そのときに一言ありがとうと言えばいいのに」って思う。

畑佐実
世間はそうらしいですね(笑)

畑佐
でもやっぱり無駄に敵を作らない方法もちょっとスパイスの中にいれといて欲しい(笑)

守田
言葉が足りないんとちゃうかな。というよりきっともっと思いを共通言語にしていくと良いですよ。にしむらさんは相手にもっと主体的になって欲しいと思っているのだけど、相手は「自分は嫌われてる」「叱られている」と思ってしまうのではないかな。 そこにもっと言葉を届けてあげたら良いのでは?

畑佐
人は自分の動けない理由を肯定して欲しいねん。ちょっと動いたら誉めて欲しいねん。それならそれを言って、その人が少しでも動けて居場所ができたらいいんとちゃうかな。人は誰も否定されたくないというところがあるんとちゃうかな。

にしむら
だから否定しないためのが私のスタイルなんやけど。

畑佐
だから誤解してはんねんって。向こうが(笑)

守田
でもこれってやっぱり最初のひとてんのことに戻りますよね。なぜっていま話してきたことの原型が全部あそこにある。結局にしむらさんがいつも考えているのは他者の主体性と可能性への深い尊重ですよね。人を信じるからこそあえて石をどけない。

にしむら
本当にもっとみんな、できると思っているんですよ。

守田
そうですね。そして実際ににしむらさんは行政の方とのお話など、相手を尊重する姿勢を見せることで信頼関係を作るのが上手ですよね。まったく見返りを求めないしそのおかげで僕も滋賀県の各地に新しい関わりを持たせてもらってもいます。
その場合、にしむらさんはどんなことを心がけているのかな?

にしむら
行政には安定ヨウ素剤の配布のことや教育の充実のことなどで何度も足を運んできました。その中で議員になって声を強めたいとも思ったのですが、でも行政の中で頑張っておられる方ってすごい能力で働いているんだなと思いました。
何かを心がけたというより、こういう方たちと市民のために何かをできるのは嬉しいなと思って一生懸命にやっていたら、さらにいろんなことができていくなという感じです。最初からダメだと思わずまずはやってみようというのが心がけと言えるかな。

畑佐
そうやって一生懸命にやるから思わぬところから支援の声がかかったりもするんです。 例えばしずえちゃんや私を知る、滋賀県の視覚障がい者協会の理事をやってはる人が、告示前のチラシの点字版を作ってくださり、視覚障がいを持つお知り合いに配ってくださいました。
特定非営利活動法人しが盲ろう者友の会さんが印刷用に点字プリンターを貸し出してくれはったんです。


にしむらさんを囲む輪が広がっている くらしとせいじカフェ@近江八幡 2019年4月10日より

● 私、議席を獲りにいきます!

守田
素晴らしい!それで近江八幡でもいろいろなことを進めているのでしょう。そこは聞いても良いのかな

にしむら
はい。教育のことなどで。でも、うーん。それって選挙のためにしてきたのではないしな。いまここでは詳しくは言わないでおきます。選挙の後を期待していてください。

守田
そういう言い方もにしむらさんらしいですね。

にしむら
近江八幡の行政にもすごく力があって心の温かい方がたくさんおられることがよくわかってきたので、どんどんいろんなことを進めたいです。そのためにもぜひ議会に行きたい。

畑佐
そうやね。本当にしずえちゃんを送りこみたい。彼女は生活に余裕があって政治のことを考えているのとも違うんですよ。生活が厳しい中で本当に政治のことを考えている。 良いことばかり言って、踵を返すように冷たい仕打ちをしてくる人もいっぱい見てきたしね。だから口当たりのいいことを言うより黙々と実行しようとする。 やっぱりこういう、困っている人のことを自分の体験からも知っている人が政治の中に必要やと思います。

にしむら
ありがたいです。

守田
僕もそう思います。ぜひ頑張って議会に入って下さい。

にしむら
はい。頑張ります。命をかけて議席を獲りにいきます!

畑佐
最後まで強気や。

一同
爆笑

にしむらしずえさん頑張って下さい! 

終わり

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明日に向けて(1681)人を信じる。だから目の前の石をどけない!(にしむらしずえさんインタビュー-2)

2019年04月16日 11時14分26秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190416 11:00)

近江八幡市議選に立候補している、にしむらしずえさんのインタビューの2回目です。選対の畑佐よしみさんもたくさんお話してくださっています。お読み下さい! (なお選挙中ですので重ねての投稿をご容赦ください)

にしむらしずえさんの宣伝カーの看板から

***

● みんなの対話の場を作りだした!

畑佐
私がその頃、しずえちゃんがした仕事の中で一番大きなものは「兄弟社村」で大きな対話集会を行ったことだと思うんです。
共産党、社民党、民主党、市民の会しがの人たちがそれぞれ代表を出してくれました。そんなこと、滋賀では初めてのことだったんです。 新社会党の人を呼べてなくて残念ではあったんやけど、その場を彼女が作ってくれたことで本当に共闘が進みました。それがあって、やっと政党の人たちが壁を越えて話し始めて。

にしむら
国政選挙を手伝ったり政治家の人と付き合ったりする中で「問題の根っこはどこにあるんだ」と突き詰めていったら「なんだ、政党の人たちって対話ができてないんだ」と分かったのです。やってみて「自分の感覚に間違いはなかった」と思いました。

守田
なるほど。この点で滋賀は京都の市民運動よりも進んでいますよね。本当に各党の政治家を囲んだ無数の「くらしとせいじカフェ」が開かれてきました。すごい数だと思います。 市民がこんなに政党の議員たちを尊重して対話の場を提供してきたところは他にはないのではないでしょうか。 それでどうでした?ちゃんと対話してくれましたか?

にしむら
してくれました。「こんなんだったんだ」と思いました。

守田
ううう。「こんなんだったんだ」もすごくにしむらさんらしい言い方で。(笑)

畑佐
でも実際、そういう感じやったよなあ。「なんやこれがでけへんかったん?みたいな。市民の女性が全部準備して、お茶を用意して、花まで飾ってあげへんかったらやられへんかったんか?」ってなあ(笑)

守田
ちなみににしむらさんはそういう企画のときに、常識破りのこともしますよね。僕はにしむらさんに初めにひとてんに放射能問題の講師として呼んでもらったのですが、そのとき「小さいお子さんがお母さんと一緒に会場に入れるスペースを作ってください」と言ったのです。それで会場に行ったら演壇の目の前にそれがあって「うわあ。やられたあ」と思いました(笑)

畑佐
あのとき私も行ってました。「ひとてん、やるな~」と思いました(笑)

守田
僕も「この手があったか。気づかなかった」と思って京都でも真似をしました。

畑佐
かなり壁をぶち破るんですよ。

にしむら
うふふふ。

畑佐
それまで私らもずいぶんいろんなことを自由にやっているつもりやったんです。子育てサークル主催でコンサート企画したりね。ところが子どもが騒いだら「ここにはお金を払ってきている人がいるのになんなんや」とか言われて「しゅーん」となって、それからは後ろの方にスペースを作っていた。
ところがしずえちゃんは「前でやったらいいやんか」って、演壇の前のど真ん中にその場を作った。子育て中で一番子どもを守っているお母さんたちに聞いて欲しい、「そう思ってやっているからにはそこや!」と思ったらもう行動に移すのが彼女なんです。 聞きにきた女性たちの思いに躊躇なく応えようとトライするのは本当にすごいなと思います。

にしむら
でも私は自分たちが考えていることを進めるなら当然そうだと思ったのですよ。

守田
にしむらさんはそのときに相手が驚くとは思ってないのですよね。

にしむら
はい(笑)普通に考えてこれがいいと思ったのですけれど。(笑)


にしむらさんは本当にさまざまに対話の場を作りだしてきた。チラシは彼女がプロモ―トした米原のゆっくりマルシェ

● 「政治家」たちに対話の場を提供するだけではダメ。もっと能動的に!

守田
さて話を戻しましょう。キャラバンを重ねて、各党の代表者が参加する企画も行って。それでどう進んだのですか。

にしむら
最初は政党の人たちも、よく分からないけれど「いっといた方がいいな」という感じで集まってくれたと思うのです。そこから私が調整して、それぞれが食い違っているところをすり合わせる作業が始まりました。

畑佐
でも結局、古い考え方は変わらん面もあったんよね。

守田
そのときにはもっと進めていけばより良い対話が作れると思ったわけだよね。でもそうはいかなかった。どうして?

にしむら
希望の党ができて全部いっぺんに壊れてしまったんですよ。

守田
あああ。そうでしたねえ。

畑佐
残念やったよなぁ。

守田
僕もくらしとせいじカフェの彦根、長浜、米原に二月に一度行って、民主党の国会議員だった方とみんなの対話の場に参加していたから、あの時のことは良く覚えています。

にしむら
国政選挙で統一候補を推したときに対話がないことが分かって、ずっと対話を積み上げてきたのに、一瞬で消え去りました。私たちが目指してきた対話には意味がなかったことが分かりました。 政治家と市民の信頼構築は対話を重ねているだけではできない。同時に「政治家は市民をこんな思いにさせてはいけない」と強く思いました。

守田
それが自分が選挙に出ようと思ったきっかけにもなった?

にしむら 大きくはそうですね。結局、「私も政治家にお願いしているだけだ。そうではなくて自分が行なわないとダメだ」と思いだしたんです。でも明確にパーンとなったわけではなくて、ぎりぎりまでどうするか考え続けましたけど。

守田
それでやがて市会に挑戦しようとなったわけですね。

にしむら そうです。いろいろな条件を考えたらまず市会からなのかなと。

守田
でもこれまでのことが全部そこにつながってますね。

にしむら
そうなんです。「政治家はこういうことをしてはいけない」と思っている時はまだ政治家になろうと考えていなかったのだけれども、でもなるための学びをどんどん深めていた感じです。 もう一つステップがあって私の活動を東京から見てくれている人たちがいたのです。政治家になっていくトレーニングを実施している人たちで、私にそのる意志があるないに関わらず東京の学習会に呼んでくれたのです。 それで選挙のことや市民運動の作り方をたくさん教わりました。若い人たちも関わっていてなかなかすごいのですよ。

守田
それで腹を決めた?

にしむら
うっすらとは思ったけれどまだでした。家庭の事情などのハードルがクリアされたときに「よしやろう」と腹が決まりました。

畑佐
私らが聞いたのは去年の秋ぐらいだったかな。

守田
それからは?

にしむら
関西無所属ネットワークを作りました。

守田
あ、それは知ってます(笑)

にしむら
そうでした。守田さんがみんなをつなげてくれたのでした(笑)。それで集まった時にネットワークを作ろうと私が提案したらみんなが同じように求めていたのです。

なんども政治家などを囲む場を作ってきたにしむらさんがいつしか囲まれる人になった!
くらしとせいじカフェ@近江八幡20190410より この後にインタビューを実行

● 立候補に向けて決めたことは「主体的なもので作ること」

守田
それで1月に記者会見をやって、具体的に立候補の準備を進めてきたのがこの数か月ですよね。どう歩んできましたか?

にしむら
私がまず決めたのは、絶対に「あなたが手伝わなかったから私は落ちた」なんて言わない、選挙に関わる人のそれぞれの生活時間は必ず確保する、「主体的なもの」しか取り入れないという三つのことでした。 立候補するのは私なので何があっても走り抜けるけれど、あとは主体的なもので作ろうと。たとえ一人であっても。

守田
主体的なもの・・・。うーん。そこをもう少し教えてください。

にしむら
私はゼロからの出発だったのですよ。だからポスターも作らないし街宣車も持たないつもりでした。

守田
「持たない」のですか?「持てない」のですか?

にしむら
持てない。でもだから私は持たないということなんです。そうしたら畑佐実さんが現れ、ポスターもチラシもデザインして作ってくれました。そうやって「私はこれをやる」ということだけでいろんなことが積み上がってきて、資金も集まってきた。
「できるもので積み上げる」形で歩んできたのです。それが主体的なものなのですが分かりにくいかな?

守田
いや「選挙にはこういうものがなくちゃいけない」みたいなところから始まるのではなくて、やれることだけを確実に積み上げてきたということですよね。 この点、選挙に無所属で挑む多くの方たちが「まだこれができてないのか」「これすらもないのか」みたいに言われて翻弄されてもいます。「できてない感」をすごく持たされる。

にしむら
それは立候補する人のことを見てないことだと思うんです。私たちは考え抜いた挙句に起ちあがったのに「なになにが足りない」というのはそこを見てない。だから人権の問題として自分の意志を貫かねばと思いましたね。

畑佐
これはほんまに関わらんと分からんことやと思うよ。実際に選対に入って、候補者と一緒に企画を立てて動く立場にならないと、外から見てるだけやったら分からん。だから彼女が「主体的なものしか取り入れない」というのはよく分かるんですよ。
それにこれ、この人の特質やし。一番誤解されるところやねんけど。

守田
そこをもっと聞かせてください。重要なポイントです!

畑佐
彼女ってすごく直接的に自分が「こうだ」と思って行動する人なんですよ。誰かを誘ってとか「みんな一緒に。私が中心になるからやりましょう」とかではないんです。 「私、走るから、ついてきたかったらあなたたちが主体的にやって」となるんです。 そうすると「しずえちゃんがやってるんやったら私もやるわ」とかいう声が出てくるんやけど「応援しているあなたはそれで何をやるの?」という問いかけを彼女は持っていて。まずは動く人を彼女は信じていくんですよ。 そうしたら彼女はその人の行為が自分の動きと違ってもそこは認めはる。でも「それって誤解されやすいなあ」ってすごく思うんですけど(笑)

にしむら
うふふ。

守田
それってどう誤解されるんですか?

畑佐
彼女はよう他の人と比べられるんやけど、例えばよくあるタイプで「みんな頼むわな。お願いやわな。ありがとう、ありがとう」と言って動いていく人がいます。 それがわりかし好まれるんやけど、彼女からは「私はこう動いたよ。さああなたはどう動くの?」という問いかけが来るから厳しいんです。 こういうときに、人は彼女の方から頭を下げてお願いに来て欲しいし、「ありがとう」って言って欲しいし、動き方を指示して欲しいし、パターンにはまりたい。でも彼女はそういうのをぶった切るんです。




にしむらさんのチラシ

続く

コメント

明日に向けて(1680)人を信じる。だから目の前の石をどけない!(にしむらしずえさんインタビュー-1)

2019年04月16日 08時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190416 08:00)

統一地方選後半戦が始まりました。僕は関西無所属ネットワークに参加する方たちを応援しています。今回はその一人、近江八幡市議選に立候補している、にしむらしずえさんをインタビューしました。 選対の中心で頑張っている畑佐よしみさん(記事では畑佐と略)、デザイン担当の畑佐実さん、カンパのためのポットラックを担っている小野ゆみこさんにも同席していただきました。


にしむらさんのポスター

***

● 子どもや人の持っている力を信じる

守田
まずはなぜ起ちあがったのですか?

にしむら
私の中では今までやってきたことの延長線上で特別なことではないのです。それまでは市民、お母さんの立場で、社会や政治を変えようと頑張ってきました。

守田
どんなことを?

にしむら
教育や原発、基地、戦争、子育て、そして選挙のこと、つまり自分が「暮らす」なかで何か問題に感じたら変えることを始めたのです。それを「ジブンゴトを客体化して社会化する」と言っています。

守田
それ以前から「ひとつぶてんとう園(ひとてん)」を運営されてきたのですよね?どうつながっているのでしょう?

にしむら
「ひとてん」は6年前に始めました。息子の深刻な食物アレルギーがきっかけです。2歳の時でした。それまで子どもに特別に強い思い入れがあったわけではなかったのですが、3歳になると幼稚園に行かせることになります。 息子はそれまでグルテンによるアナフィラキシーショックで3度も死にかけたんですよ。そんな中で幼稚園に行くと「あの子が自分の知らないところで死んで帰って来ることがあるのでは」と思えて、言葉にならない恐怖にさいなまれたのです。
この恐怖を除くために同じ気持ちのお母さんと二人で始めたのが「ひとつぶてんとう園」でした。よく分からないまま「マイノリティ」を対象とするカタチで始めました。色々たくさんありましたがその中のひとつに山登りがありました。
ところが山に登ると子どもたちは感覚的に何が危なくて何が大丈夫かけっこう分かって動いている。それなのに大人はすぐに「ああ、危ない」とか、自分の物差しで決めつけて口を出してしまうのですね。 私も勝手に決めつけてしまっていました。それで「息子が死んでしまうかもしれない」と決めつけないで息子の生き抜く力と感覚を信じることが大事だと気づいたのです。

守田
「いま、大丈夫だ」と思うのではなくて「力をつけていける」ことを信頼するということですね?

にしむら
そうです。「幼稚園に入れると危ない」ではなく「ちゃんと判断できる力を一緒につけて幼稚園に送りだす」と考えたのです。 幼稚園の先生ともコミュニケーションをとり、「私がなんとかしなくちゃ」ではなくて、一緒にやっていける力をつけようと。これって山に行って分かったことなんです。

守田
政治的自覚もそうですね。人々が「政治家に任せていないで自分で政治をやっていける」と思うことが大切なのですよね。

畑佐
そうやね。子どもを預けてしまうとそこでの成長と自分の成長と切り離されてしまうけれど、一緒になって成長していく、その場が「ひとてん」なんやね。

守田
そこをもっと聞きたいのですが、「ひとてん」は子どもをどう育てるかだけではなく親の側が変わることを目指しているのだそうですね。どう変わっていくのかな。

にしむら
まず私自身が山で子どもに何かを与えるのが大人の役割ではないことに気づけたんです。成長させるために「これを教えなきゃ」ではなくて、もともと子どもの中に伸びあがっていく力があることが確認できました。そこで親にも来てもらうことにしました。

守田
素晴らしい!僕の恩師の宇沢弘文先生も「子どもには自ら成長する力があってそれを助けるのが教育だ」と強調されていました。でもそれで親に一緒に来てもらうのはなかなか大変でしょう?

にしむら
神経をつかうひとつは親とのコミュニケ―ションなんです。「自然の中で遊べば良い子になる」と単純に考えていたりして「自分たちの物差しをとることが大事だ」と分かる人はほとんどいない。そんな中で、例えるなら大人は子どもの前に大きな石があると「危ないよ。石があるよ」と先に言ったりどけてしまったりするわけです。私は「子どもは石なんて蹴とばしますよ。自分で乗り越えて行きますよ」というのだけれどたいがいは意味が分からない。そのため山に行く意味を体感してもらうまで時間がかかる。

守田
逆にそこで変わっていく方もいるわけですね。

にしむら
玉ねぎの皮が一枚ずつめくれていくように変わっていくお母さんたちがいて・・・。例えば今から出かけるというときに限って子どもが絵を描き始めたりする。「時間がない」「早くして」というのが普通だけれどそこをグッとこらえて待つのです。

守田
確かに日本は世界の中でも飛びぬけて時間感覚がリジットな国ですよね。世界のどこに行っても初めは「なんでこんなに時間にルーズなんだ」と思わされる。でも途中で「あれ?こっちの方がおかしいのかな」と思えてくる。

にしむら
そうなんですよ。時間を守るかどうかよりも、そのときやっている内容の方が大切なのに、なんか時間に縛られ過ぎている。そんな自分を違うところから見はじめたとき皮がめくれていくんです。



ひとつぶてんとう園のみなさん(ひとてんFacebookアイコンより)

● 「お母さん」が「お母ちゃん」になる?

守田
皮がめくれてどうなるんですか?

にしむら
あるところでひとてんの活動について語って欲しいと頼まれたのですが、「お母さんがお母ちゃんになっていくのがひとてんの活動だ」と話しました。玉ねぎの皮がめくれて最後の一枚がめくれると「お母ちゃん」になるんです。

守田
うーむ。このインタビュー、ずいぶん大切な所に来ました。にしむらさんは言葉遣いがとても面白いのですよ。独創的です。でもこれじゃあ伝わらないかもしれない(笑)

畑佐
そうそう。通訳がいる(笑)

にしむら
そうなんですよ。私、思いを共通言語にして語ることがうまくないんです。

守田
この「お母さん」が「お母ちゃん」になるということ。ここににしむらさんは特別な意味を込めいるわけですよね。「お母さん」と「お母ちゃん」はどう違うんでしょう?

にしむら
うーん。なんて説明しよう。うーん。

守田
たぶんね、お母さんというのは「役割」なのですよね。

にしむら・畑佐
あ、そうそうそう。

守田
みんな最初に悩むのは「お母さんにならねばならない」「お母さんはこうあるべき」ということだと思うのです。そうではなくて「この子がいて私なんだ」となる。

にしむら
「その子」が見えるようになる。

守田
ということですよね。(拍手と笑い)

にしむら
ああ、すっきりした(笑)

守田
アメリカ社会学の中の役割理論というものがあるのですが人はその「役割」に縛られもします。「良いお母さんでなければならない」とか。あるべき「お母さん」像ができて誰がリアルにやりきれているわけでもないのにそこからのマイナスで自分を見てしまう。そうではなくお母さんというのはその時々のリアルな目の前の子どもとの具体的な関係なのですよね。「お母さん像」になんて縛られなくていい。

畑佐
でもみんなそこに自分をあてはめますよね。

守田
そうなんです・・・。でもまあとりあえずこれでいいですよね?

にしむら
はい。それです!ああよかった(笑)

守田
あ、まだインタビュー、終わってないですよ(笑) 


出発式でのにしむらさん バックミラーに写ったものは守田撮影

● ひとてんから政治につながっていく

守田
その「ひとてん」からどう政治につながっていったのかを教えてください。

にしむら
もともとひとてんは子どもたちが出発点でした。その上で「子育と暮らしはつながっている」と考えると農薬のことが気になりだすし、放射能汚染も心配になる。そうすると原発につながっていきます。 それで自分の周りのことがぜんぶ政治につながっていることが体感できたのです。

守田
それが前回の滋賀県知事選のころだったのですか?

にしむら
そうですね。知事選の間にいろいろ考えたのです。それで候補にメールで質問したら丁寧な答えが返ってきました。それも踏まえて投票したらその候補が当選しました。なんか大きな成功体験でした。
知事や政治との距離が近くなり、それまでは自分と切り離してきたことがつながった。「あ、お母さんでも反応してもらえるんだ」と思った。「お母さん」の立場で世の中を変え子どもたちを守っていけると思いました。

守田
うーむ。あのね、この場合読者はこの「お母さん」は「お母ちゃん」じゃない「お母さん」なの?どっち?と悩むと思うんですよ。

にしむら
わははははは。 その場合は種類が違います。

畑佐
あかん、通訳せんと(笑)

守田
脈絡的に言うとこの場合は「お母ちゃん」なんじゃないの?

にしむら
私的には違うんです。ひとてんで言えば「お母ちゃん」になって集っているのではなくて「お母さん」も「お母ちゃん」もいる。みんなが「お母ちゃん」ではないんです。
それがひとてんでその人たちが関わっていける。ひとてんにはお父さんも来ているし、子どもがいない人もいるし。

守田
それなら「私たち」でも良いのかも・・・。とりあえず前に進めましょう(笑) その「私たち」でも関わっていけるんだと。それが分かってどんな関わりを強めたのですか?

にしむら
選挙の手伝いをしてチラシをまくとかプラカードを持つとか。

畑佐
どこかの候補の応援の前に「選挙に行こう」という運動をみんなでしました。

にしむら
どういう風にしたら人によりよく伝わるかとかみんなで頭をひねりました。そのうちに議員の応援にも行くようになって。

守田
つまり初めはすでにいる議員に期待したわけですね。

にしむら
そうです。期待したのです。遠かった「議員さん」が近くなったし。

守田
それでどうでしたか?

にしむら
議員さんと「くらしとせいじカフェ」をしたりしました。勉強会に来てもらったり、選挙の応援をしたり。そのころは戦争法を食い止めようと野党共闘が進んでいたので滋賀でもやりました。
でも国政選挙で野党統一候補を推すということで、私たちが心の中では納得してない人のために動かなくてはならなくなったのです。

畑佐
しかも結局、このとき候補だった方は私たちにちゃんと顔を向けてくれなかったんですよ。選挙後挨拶にすらこなかった。選挙の前はあれだけちやほやもされていた私たちは何もなかったかのように捨てられてしまった。

にしむら そこに市民がかけた時間や努力がどれだけ大きくて、そんなのとてもひどいことだということが、その方には見えてないことが分かって「これは自分たちで決めて行った投票ではなかった」と感じました。
それでキャラバンを始めたのです。民主党(旧)と共産党の国政候補予定者をあちこち連れていきました。新たに野党共闘を進めるための前段階として一年かけて。小さな「くらしとせいじカフェ」を幾つも作りました。

仲間たちに囲まれながらの街宣の途中に

続く

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明日に向けて(1679)大豆と油から資本主義的食料システムついて考える(平賀緑さんの新著を読んで)

2019年04月14日 23時11分48秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190414 23:00)

「大豆」という言葉を聞いてみなさんは何を思い浮かべますか? 納豆、醤油、味噌・・・など私たちが慣れ親しんでいる発酵食品を思い出す方が多いのではないでしょうか。 そしてこれこそ現代の「食の偏り」の中で心身を守り育む源だと思われる方も多いと思います。

しかしさにあらず!実は「大豆」を扱ってきた歴史の中にこそ、現代の「食の偏り」にすら通じる資本主義システムによる「食」の包摂の大きな階梯があったのです。 このことをものの見事に解き明かしてくれたのが、今回、とりあげた『植物油の政治経済学 大豆と油から考える資本主義的食料システム』(平賀緑さん著)です。

昭和堂から発行されています。
http://www.showado-kyoto.jp/book/b432689.html


写真1 昭和堂図書紹介より

フードレジーム論と大豆と満州

平賀さんがこの中で資本主義システムの歴史分析を行う重要な方法論として挙げているものに「フードレジーム論」があります。「農業と食料を世界経済における資本蓄積体制の形成・発展・変容の核心部に位置付けた」ものです。 ポイントは、大豆は近代においては食べものとしてより肥料や油として重用されてきたことでした。

ウエイトは肥料の方にありました。油分を搾り取った「大豆粕」が画期的な肥料として注目されたのです。そのために植物の成長を阻害する2割ほどの油分を搾りとらないといけなかった。 このため大豆を生産し油の搾り取りを始めたのが地が満洲なのでした。もともとここは清朝を形成した満洲族の聖地だったため、開発が抑制され樹海が広がっていました。清朝末期に移民が広がり大豆生産や搾油がなされだしました。

この大豆の位置に着目したのが日本政府でした。日本は日清・日露戦争を経て、満洲支配を拡大しましたが、その大きな動機が大豆産業を手中に収めることでした。 平賀さんはこれまでの研究の成果をまとめつつ、満洲支配が日本政府と財閥が協力し総合商社のもとに行われていったこと。日本資本主義の総合的発展の一角に満洲における大豆権益があったことを指摘しています。


写真2 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 朝鮮・台湾・満州(11-047) 大阪朝日新聞 1929.6.29 (昭和4)

大豆と油と戦争

平賀さんはこうした先行研究の成果を踏まえ、より深く大豆生産の政治経済的仕組みを分析していきます。一つのポイントは大豆粕生産を大規模に扱うことが工場の発達を促したことでした。大豆は簡単に搾油できないがゆえに工場が必要だったのです。 さらに大豆の輸送が鉄道や海運によって担われるようになり、物資の集約の容易な海沿いに大規模工場が建てられました。満洲ばかりでなく日本国内にも広がり、これらの総体を仕切る形で総合商社が発達しました。

搾油が進むと大豆粕にとどまらず、油もまた積極的に活用されるようになりました。石油精製品が十分に行きわたるまでは、機械の潤滑油などとしても需要が伸びましたが、主な取引先は欧州でした。 油はさらにうち続く戦争の中で重要な軍需製品の位置を占めていきました。油からグリセリンが得られたため爆薬製造の重要な一角を占めるようになったからです。航空機のプロペラの軸受けの潤滑油などにも使われ、やがて国家統制の対象ともなりました。

この体制は日本の敗戦によって大きく変容しました。日本が満洲を失い一切の資産を失ったためです。しかし国内の搾油工場群は、疎開させられたものもあって多くが生き残りました。 生産力は十分に残っているのに大豆原料の供給地の満洲を失ってしまった。代替地が求められた時に登場したのがアメリカでした。この頃までにアメリカが大豆の一大生産地となっていたからです。


写真3 鈴木商店大連工場の撒粕式大豆油抽出装置(蒸留缶・大正期) 鈴木商店記念館HPより

アメリカの国策に沿いながら油の生産・消費を拡大

第二次大戦に参加した主要国の中で、唯一、戦火を免れたアメリカは、あらゆる面で大きく生産力をあげました。大豆、小麦の生産も発達し、国策として世界への売りつけが強化されだしましたが、これにタイアップしたのが日本の総合商社でした。 そのためには搾った油の売りつけ先を拡大しなければなりません。そこで油が食用に転換されていくことになったのです。

この過程を表した平賀さんの描写は見事です。油は戦前の日本の食卓ではそれほど使われておらず、戦後に急増したことがもっぱら「食の西洋化」によるものと語られてきました。 事実はそうではなかった。膨大な搾油工場を残しつつ大豆生産地を失った日本と、大豆の一大生産地にのし上がったアメリカの思惑が合致し、日本の食卓が油の消費の場に変えられていったのです。

このために起こされたのが「フライパン運動」でした。フライパンで油を使って炒め物をする、そのことが運動的に奨励され、進められたのです。 さらにインスタントラーメンの開発が油の使用を大きく進めました。大豆から搾られた油だけでなくアメリカの小麦を元とする「メリケン粉」が原料でした。こうしてできた日清の「チキンラーメン」は戦後の油の消費の拡大を象徴する「食品」です。

写真4 キッチンカーを使った「フライパン運動」ネットより

食を政治経済的に捉え返すことから未来の可能性を開こう!

以上の分析で平賀さんが明らかにしたことは、「食」の問題はけして「農業」分野にとどまるものではないこと。むしろ「食」がどのように産業的に包摂されていったのかに資本主義の発達史そのものがあることです。 その点で平賀さんのこの書は、大豆と油の分析にとどまらず、従来のあまたの政治経済学的分析、ないし社会学的な分析に大きく欠けていたものを突き出しています。いや新たな可能性を大きく切り開いたと言った方が正しいかもしれません。

さらにまた油や白砂糖の採りすぎや、危険なケミカルの問題など、健康面から食べ物を扱い、命を守ろうとしてきた方々にも平賀さんは新たな視点を提供しています。 安全な食べものを誰もが手にできるようにするためには、食べものの作られ方、とくにその歴史に注目し、政治経済的な変革を志すことが必要だからです。

その点でまずは多くのみなさんに、この書を手に取りじっくりと読み解かれることをお勧めします。その中から何かをつかみ取り、新たな変革の可能性をともに切り開きたいものです。 その手引きとなる画期的な書を私たちの前にもたらしてくれた平賀緑さんの積年の努力に感謝を捧げます。

写真5 著者、平賀緑さん Facebookタイムラインより

***

なお同書はA4・258頁 4,800円+税です。ちょいと高め。 購入が難しい方はぜひ図書館に購入請求をされてください。販促にもなります!

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明日に向けて(1678)原爆の犯罪性をいまいちど告発する!(13日に京都市でお話します)

2019年04月12日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190412 23:30)

明日13日午後に京都市内で「原爆と原発、被曝と命と医療の問題を考える~原発からの命の守り方」のタイトルで講演します。 反核京都医師の会のお招きで第39回定期総会にてのお話です。午後3時から京都府保険医協会会議室にて。地下鉄四条、烏丸御池、阪急烏丸駅から徒歩3分です。

Facebookページによる案内を以下からご覧になれます。 https://www.facebook.com/348101998551016/photos/a.365171950177354/2507619805932547/?type=3&theater

● 原爆投下は人体実験=戦争犯罪だ!

前回の記事で今回お話したいことは原発はもともとプルトニウム生産装置=核兵器体系の一部として生まれたのだと言うことでした。 1945年夏、アメリカはウランを濃縮して作った原爆と、ウラン238に原子炉の中で中性子をあててプルトニウムを生み出して作った原爆と二つのタイプを手にしていました。 プルトニウム型の方が実際に爆発させるのにより難しい技術が必要だったため二つのタイプを作り、広島と長崎に落としたのでした。

それで広島には8月6日8時15分に投下されたわけですが、なぜこの時間が選ばれたのかをご存じでしょうか。 朝の通勤時間であるこの時間帯が、広島中心部にもっともたくさんの人が集まってくる時だったからです。なおかつその多くが建物の外にいる時間でもありました。 偵察飛行でこのことをつかんだアメリカ軍は、爆風・熱線・放射線をもっともたくさん人々に浴びせるため、この時間を選んだのでした。

このことの可視化が2017年のNHKの番組でなされました。「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」です。 55万7千人の被爆者のデータを入力し、当日の行動の軌跡をビジュアル化しました。広島市郊外から8万人が中心部に向かっていたことが分かりました。そこに原爆は落とされたのです!

なお番組のアドレスを示しておきます。ぜひご覧ください。
https://www.dailymotion.com/video/x5wr1y3

以下もご覧ください。

明日に向けて(1413)あの日たくさんの人が圧焼死していった(NHK「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」より) https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b7bf0efd3e738b825ec3a4b1a168ac2e

● 原爆の殺し方はあまりに残忍だった!

原爆投下がどんなに残虐なことであったのか。この番組でさらに新たな事実が付け加えられました。 爆心地から500~1500メートルの位置で即死を免れた人の多くが、内側から血管が破裂して周囲の細胞が壊疽していき、悶絶しながら死んでいったのです。それは看護した人々にも鮮烈な心の傷を残しました。

この点は以下の記事に載せています。

明日に向けて(1414)原爆は血管を破裂させ人々を悶絶死させた(NHK「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」より) https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/de4122201c137130a7e5ab2d76ab5abf

少し引用しておきます。

***

強力な光線が皮膚を通過し血管に到達します。熱せられた血液から水蒸気が発生。血管を破裂させます。これにより徐々に周りの組織は死滅。 皮膚が剥がれたまま2~3日かけて命が絶たれるといいます。やけどによる死者の推移を見ると原爆投下の翌日から3日間で多くの人が亡くなっていた事が確認できます。

さらにこの3日間を乗り越え、命を取り留めた人を感染症が襲います。深い火傷はなおりにくいため、傷口から細菌が侵入しやすくなります。全身で炎症がおき、臓器が死滅。 激しい痛みと高熱に一週間ほど苦しめられた末に亡くなっていったのです。

「あらゆる意味で害が大きい。ひょっとするとこの爆弾というのは軍事目的で使うものではなくて、一般市民を標的にして、一般市民を苦しめる効果のほうがはるかに大きいものじゃないかなというふうに感じますね。 そこまで長引く苦痛をもたらすという爆弾は、おそらく他にはないんじゃないかなと思いますね」(日本熱傷学会の元理事、原田輝一医師談)


● その上に被爆影響隠しが行われた!

原爆の被害の非人道性はさらにこうした放射線被曝の影響が隠されてきたことにもあります。 核兵器投下後、ヨーロッパの科学者たちがすぐに立ち上がり、放射線を使った原爆の非人道性を告発してくれました。これに対してアメリカは核戦略そのものとして、被曝影響を著しく低く見積もろうとしました。

テクニックはシンプルでした。被曝影響を外部被曝にのみ限定したのです。放射性物質を体内に取り込んで内部から放射線を浴びる内部被曝の影響を無視したのです。 アメリカは「放射線の被害があったのは半径2キロ以内だった」と語り続けました。実際には放射能の塊である「キノコ雲」が何十キロも広がり、被害をもたらしたのに、アメリカはわざとこれらの地域での被害を調べませんでした。

このことで2キロより外の被曝被害が無視されました。救助のために後から爆心地に入った多くの人々の被曝も過小評価されました。 NHKの番組は実はこのことも鋭く告発しています。2キロ、いや2.5キロよりも外で黒い雨=放射能の雨が降った地域に急性死が起こっていたことを明らかにしたのです。 ここからも明らかなように、被曝被害は今まで語られてきたよりもずっと深刻だったのです。にも関わらず隠され、被爆者が苦しめられ続けてきたのです。

明日に向けて(1415)2.5キロ圏外でも多数の内部被曝死が起こっていた!(NHK「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」より) https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/17088e4d5dbdd4d5c7d001b768543231



番組は内部被曝による急性死が3キロ以遠でも起きていたことを証明

● 被曝隠しがいまなお続けられている

大事なことはこの不当に小さく見積もられた被曝影響の調査データをもとに「放射線防護学」が作られたことです。 その上でアメリカをはじめとする核大国は、大気圏内で何度も核実験を行い、膨大な放射能をまき散らしましたが、その影響も低く見積もられて続けました。 原発も恒常的な被曝労働がなければ成り立ちませんが、その影響もまた非常に小さく見積もられてきました。その上に私たちはスリーマイル島、チェルノブイリ、福島の事故を体験したのです。

被曝隠しの残酷性は被爆者に被害事実の責任も対処も押し付けることにあります。 被曝させられた人々に「その病は生活の悪さのせいでなったもの。生活習慣病だ」という烙印を押し続けてきたのです。それが今も続いている。

こんなこと、あまりにも理不尽です。ひっくり返さなくてはいけない。 このことをしっかりと把握し、歩むことの中にこそ、核兵器を許さず、原発からの命を守る道があることをみなさんとしっかりと確認したいです。

連載終わり

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明日に向けて(1677)原爆と原発、被曝と命と医療の問題を考える(13日に京都市で講演します)

2019年04月09日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190409 23:30)

統一地方選後半戦の最中ですが13日に京都市でタイトルに掲げた内容で講演します。 反核京都医師の会第39回定期総会においてです。会員以外でも参加できます。

場所は京都府保険医協会会議室。地下鉄四条、烏丸御池、阪急烏丸駅から徒歩3分です。 Facebookページによる案内を以下からご覧になれます。 https://www.facebook.com/348101998551016/photos/a.365171950177354/2507619805932547/?type=3&theater

● 原爆と原発はつながっている!

今回の講演で明らかにしたいのは第一に原爆と原発のつながりです。

そもそも原子力エネルギーは、原爆製造のために開発されたものです。けして発電のためではありません。 アメリカはウランによって作られた広島原爆とプルトニウムによって作られた長崎原爆を作りました。 いやこの言い方は正確ではない。二つのタイプの原爆を作ったので、最低二カ所は落とす必要があり、広島・長崎が選ばれたのでした。

なぜ二つのタイプを作ったのか。どちらの方が効率がよいか分からなかったからです。 天然界にあるウランは実はほとんど核分裂しません。するのはわずか0.7%のウラン235です。このためこの部分のウランをかき集めました。これを濃縮と言います。そして濃度を限りなく100%に近づけてウラン型原爆を作りました。 ウランに中性子を当てると核分裂と共に再び中性子が2つぐらい飛び出してくる。それが次のウラン235にあたり連鎖反応が一気に起こる。このためウラン235の濃度が高ければ高いだけ一気にすごい分裂の連鎖がおきます。

しかしこの「ウラン濃縮」のためには大変な労力と資金がかかる。どうにかならないかと検討しているうちに核分裂しない残りの99.3%のウラン238に中性子があたると新しい物質が生まれることが分かりました。プルトニウム239です。 プルトニウムはウランよりも核分裂性が高い。ではどうやってたくさん作るのかというと、数パーセントに濃縮したウラン235の核分裂をゆっくりと連鎖させればいい。濃縮といっても残りはウラン238なので次々プルトニウムが生まれる。 このために開発された装置が「原子炉」なのでした。そのため原子炉は「プルトニウム生産炉」とも呼ばれました。このように原発の中心をなす原子炉はもともと人間の大量殺りくを目指した兵器の製造装置なのです。発電用装置なのではありません。

広島・長崎原爆の構造 ネットより

● 最初に作られた原発は原子力潜水艦のモーター

プルトニウムを生産するために作られた原子炉がなぜ発電に使われるようになったのか。実はこれも核戦争体制の産物なのです。 原子炉内では核分裂したウランから中性子が出て次にぶつかるのですが、飛び出してくる中性子はスピードが速くてなかなか次にあたりにくい。そこでスピードを落とす必要があります。減速材が必要です。 同時に炉内では核分裂が連鎖しエネルギーが発生するためものすごい熱を産みだします。これを冷まさなくてはならない。そのために冷却材が必要です。

色々なものが試され、使われましたが、その中で水を使うと減速材にもなり冷却材にもなることが分かりました。しかも水は安価に大量に手に入る。 それで水を炉内に入れたところ当然ですが高温で沸騰し、大量の蒸気が発生するわけです。何かに使えないだろうかということでここにタービンを組み込んだら発電ができたというわけです。 ではこれを何に応用したのかと言うと原子力潜水艦なのです。なぜか。核戦争において重要なのは核兵器の発射装置をどこに置くかです。相手に察知されないことが重要でそのためには潜水艦に設置し、しかも長く潜らせることが重要だったのです。

このためわずかな核燃料で運転を続けられるモーターとして原子力発電装置が開発されました。 つまりこの時点でもプルトニウムを生産するために開発された原子炉は、核戦争を担う兵器のための発電装置として使われたのでしかなかったのでした。原発も人間の大量殺りくを目指した兵器の一部だったのです。 これらを開発しつつ、アメリカ、旧ソ連を軸とする核大国はその後に核実験を繰り返していきました。いかにすればより「効率的」に核分裂連鎖反応を進めるかの実験でそのたびに大量の放射能を地球上にばらまきました。


「コトバンク」より

● Atoms for Peaceという騙し!

こうした中で1954年3月にビキニ環礁で大規模な核実験が行われ、日本の第五福竜丸をはじめ大量の漁船が被曝しました。 このことでようやく日本を中心に核兵器反対、核実験反対の気運が高まり、世界に広がりました。これに危機感を頂いたアメリカは"Atoms for Peace"というスローガンのもと民生用の原子力発電の開発に乗り出しました。 もともと核兵器体系の一部でしかない原子炉と原子力発電を、あたかも核兵器と分離された平和的なエネルギーとして扱い出したのです。

しかし実はここでも軍事的な要請もあったのでした。というのはプルトニウムを作りだすための原子炉の運転には濃縮ウランが必要ですが、このための工場は行程がとても複雑でした。 このため立ち上げるのにとても時間がかかってしまうので、軍事的には稼働させ続け、常に核兵器を製造し続けられることが求められました。 しかしそうすると核兵器製造の必要性よりも多くの原子炉用の濃縮されたウランができてきてしまう。コストも膨大にかかる。このため次々とできてくるウラン燃料の供給先が必要だったのです。こうして作られたのが民生用の原発でした。

つまりAtoms for Peaceには、核兵器に対する批判をかわすために、原子力が平和のために活用できるエネルギーだという騙しを行う目的とともに、核兵器製造のためのコストを回収するためにも新たにウラン燃料の需要を作るための騙しの側面も持っていました。 しかしこれに核実験反対のすごい運動を巻き起こした日本の民衆は騙されてしまいました。社会全体が騙されたと言っていいですが、その象徴の一つが僕が大変尊敬する手塚治虫さんでした。 彼は『鉄腕アトム』という作品を書きました。主人公のアトムの妹はウランちゃん。お兄さんはコバルト君。実は放射性核分裂兄弟姉妹です。まさに「アトムズ・フォー・ピース」の申し子でした。


アトムの登場人物・ロボット ネットより

続く


 

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