守田です(20250610 23:30)
みなさま。「明日に向けて」の更新が一月、空いてしまいました!ご心配をおかけしたかも知れませんが、僕はこの間、ずいぶんたくさんの旅をし、講演を行い、現地取材を重ねてきました。とても元気です!
さらにその中で主催者のご要望に応えて、毎回、講演内容ーパワポを更新しながら臨むことができて、おかげさまでずいぶん、パワーアップもまた重ねられたように思っています。
これらはそれぞれの企画の主催者のみなさんと繰り返しやり取りする中で、かつまた講演会の来場者のみなさん、ご視聴頂いたみなさんの反応によってもブラッシュアップされたもの。みなさんとの共同作業だと思っています。
関わっていただいたみなさんに心の底から感謝しつつ、今後、「明日に向けて」の場で暫時それらを反映させていきます。
● 村田三郎さん講演録画をお聞きください!
今回はその初めに5月10日に行なわれた村田三郎さんの講演動画をお送りします。
これは僕も世話人を務める京都「被爆二世・三世の会」2025年度年次総会の記念総会として行われたもの。
長らくたくさんのヒバクシャにかかわられてきた立場から、話して頂いたものです。この間、私たちの会が強くタイアップしてきた三田茂さんが挑んでいる医療的試みにも触れて頂いたものです。
またこれに先立って行った私たちの年次総会の動画もお知らせしますので、ご覧ください。
● 村田三郎さん講演の読み解き会を行います!
さてこの日の村田さんの講演、とても豊かな深み、広がりがありました。
1回ではとても理解しきれなかったと思います。(それで当然です!) ぜひ動画を活用し、よりじっくりご覧になり、学習を深められて下さい。
動画は無料公開していますので、周りの方に広くお知らせ頂きたいです。よろしくお願いします。
京都「被爆二世・三世の会」では、今後、せっかくのこの講演内容を掘り下げる「読み解き会」を開催することを決めました。
私たち自身、より細かくこの動画を咀嚼することで、理解を深めたいと強く思うからです。
そのためにもこの講演に関するみなさんのご感想やご質問も寄せて頂けるとありがたいです。
まだ構想中ですが、7月ぐらいから月1回のペース(ただし8月はお休み)ではと思案中です。
総会と同じように、ラボール京都とZoomでの併設で行います。
村田三郎さんにも可能な限りご参加頂けるそうです!日程が決まりましたら、再度、ご連絡させて頂きます。

次から次へと隠されてきた被爆(被曝)実態について力説する村田三郎さん 下澤陽子さん撮影
● 下澤陽子さんによる「解説」をお読み下さい
今後、講演内容の解説を僕なりに行っていこうと思いますが、その前に、率先避難者の一人であり、にょきにょきプロジェクトの仲間である下澤陽子さんの「解説」をご紹介させて下さい。
陽子さん。講演の直後、16日にすぐにこれをアップして下さった。いつもながらに素晴らしい取材・発信力です。もう本当にありがたい。ともあれまずは下澤さんの力をお借りします(なお投稿はFacebookタイムラインになされたもの。オリジナルには絵文字がいくつか使われていますがここでは反映できません。また幾つか写真も添えてありましたが、2枚だけ添えることとしました)

村田三郎さんを囲んで! 年次総会と記念講演後の交流会にて 後ろの列の右から2番目が下澤さん
*****
村田三郎さん講演を聞いて
下澤陽子
先日、「被爆二世・三世の会」総会にてお話しされた村田三郎さんの講演、
『被爆者、被爆二世、水俣病患者、被曝労働者への治療と支援を続けてきて思うこと・・・三田茂医師の試みにも触れて』
https://toshikyoto.com/press/9380.html
を聞いて、込み上げてくるのは、
そう、悔しさ、こんちくしょうという気持ち。
あ、こんちくしょう、て、そういえば肥田舜太郎先生も言ってたな、笑。GHQに向かって
思わず、同じ言葉が込み上げてきた!
この思いで、この講演の大切なお話を紹介したい!と思いましたが、何しろパワポ60枚にわたる、膨大な内容。
一体どこからどうやって…まとめきれない、でも、伝えたい!!
なので、勝手ながら、私なりの捉え方で、心に響いたところをまとめて、私のことばも一緒に、お届けさせてください。
よければお時間あるときに読んで、思いと、大切な事実を共有してくださったら嬉しいです!
この地球に生きるすべての人が知るべきことでした。
以下です。
………………………………………………
私たちの手に、医療、医学、を、取り戻したい!いわば、人を容易に、惨たらしく、殺戮抹消するための兵器、の、手から。
人の健康、命を守る、という、医療の本来の姿を取り戻してほしい。
講演を聞きながら、改めて、湧き上がり続ける思い。
"過ちは繰り返しません"と、書かれてる。
繰り返す?
いえ、
続いている。
少なくとも、爆弾を落とした側の下から、その支配から、生き残られた被爆者を守っていくことぐらいやれなくて、繰り返しません、はないと思う。だって終わってない。
続いている。
被爆者が、被ばくの現状を訴えても、ABCCのデタラメな原爆被害の過小評価をまかり通らせて、国は自らそれに習い、勝手な線引きを許し、何も認めさせず、被爆者を深刻な厳しい状況に追い込んでおいて。
繰り返しません?
続いている。
いえ
続けられている。
原爆被爆は被爆に起因する多くの病気を引き起こし、被爆者は動けなくなり、家族の生活が破壊された。
いのち、くらし、こころ
の、破壊。
その補償の仕方は、"社会保障"
気の毒な状況にある人たちを救済しましょう、、と?
国の責任で持って始められた戦争責任に基づく、"国家保障"は、とらない。
戦争の被害は、国民一般が、等しく受忍するべきもの。受忍論。
原爆の被爆者だけ、特別というわけではない…、と。
ABCC、放影研、その下にある国、厚生労働省の原爆被害の意識的な過小評価。
原子爆弾被爆者認定審査のそうしたひどい実態とは裏腹に、村田さんが講演で語られた被爆者の健康被害の実態。それは紹介された、阪南中央病院の実態調査のたくさんのデータによって裏付けられている。
がん、白血病の増加、そして癌以外の様々な疾患の有病率。
阪南中央病院にて、被爆後40年、1200人あまりの被爆者の実態調査が始まる。それは、ひとりひとり、対面で行われた。
いのち、くらし、こころ
その全般にわたって苦しんでいるという実態を、村田さんは検診で受けとる。
村田さんは書かれている。
原爆の被害について。
瞬間的、大量無差別、根絶性、残虐性、全面性、持続性において非人道的なもの、と。
そう、この、最後にある、持続性、について、完璧に切り捨てることによって、原爆の非人道性はここに完成するのではないかと私(下澤)は思う。
村田さんがそのお医者人生をかけて成し遂げた、調査とそのデータに裏打ちされた圧倒的な事実が語ることは、核被害、被ばく被害の、
放置と隠蔽
それはずっと続れられている、今も。
日本の原発被爆労働者は、手帳交付の統計から現時点で約65万人に登る。(うち20万人が福島事故後の除染作業従事者)
放射線疫学調査の累積被曝線量のデータから推定すると、原発と除染による集団線量から、がん・白血病死だけでも400人規模と推定される。
が…
なんと、実際の労災認定者は24名。
因果関係の証明ができない。
医師が気づかない。
審査基準の厳格さ。
許容線量、線量限度とは?
働く人に対して安全、というものでは決してない。
政治的に、状況的に、被ばくをさせて、原発を回すことの危険を、そして、原爆の被害を、小さく見せるためのものである。
政治的な判断で決められているということ。
そのことを理解していただきたい。
政治、で語るならば、福島原発地後の政府の対応は水俣病問題でのやり方と類似している。
・事故原因究明における隠蔽の構造。
・被害の過小評価=補償対象を限定
・被爆、線量、評価、記録と情報公開をしない→分断と反目と差別
阪南中央病院では、福島原発、下請け被曝労働者の実態調査も行われてきた。
放射能漏れは無い、の報道の裏に、原始的被曝労働。
下請け構造の中で、労災隠し、病名隠し。
健康被害を名乗り出られない構造の下で、
村田さんは大阪から福島まで、長時間かけて月に1度ほど現地へ赴き、101名の聞き取りと診察を続けられた。
見えてきた、癌の多発、慢性疾患の増加。そして「ぶらぶら病」症状が40代から50代の労働者に。
その自覚症状の実態は極めて原爆被爆者のものと類似していた。
(項目は、体がだるく、疲れやすい、風邪をひきやすい、視力の低下、背中、腰の痛み、etc)
それは、一般の地区老人と、明らかな違いが見えたことと、対照的。
ほぼ差がない
どういうことか?
原爆の被爆はいちど切り。
原発労働者の被曝は少しずつ積み重なる。
しかし、同じような形で出てくるのではないか?
調査をする中で感じる。
慢性原爆後障害といわれたその特徴。
「原爆ぶらぶら病」とよばれたもの。
それは、チェルノブイリ原発事故後に見られた子どもたちの健康影響とも類似。
福島原発事故後に現れた多彩な症状とも類似。三田医師が名付けた「能力減退症」の臨床データには、とホルモン系の関与と治療経過がある。
こうしたことから「原爆ぶらぶら病」は、神経・免疫・ホルモン系への被曝の影響として表れた、と考えることができる。
被爆直後、調査に入った東大の医者、都築正男による『慢性原子爆弾症』より…
長いですが、大事なので、ここに一部コピーします。引用された全文は、貼ってます。是非読んでみてください。
↓
『…これらの人々は、表面的には健康で、日常生活・業務を営んでいるが、「常に疲れ易いことを訴各業務に対する興味ないし意欲が少なく、記憶力の減退を訴え、しばしば感冒や胃腸障碍、特に下痢に悩んでいる。」
…中略…
第一次放射能のほかに中性子の作用に基づく誘導放射能、特に体外誘導放射能の影響と、原子核分裂破片の作用とを蒙っているものと考えなければならないものも少なくない。血液及び骨髄の傷書に基づく出血性症状は、皮膚粘膜は勿論、肺臓、心臓、肝臓、腎臓を始めとして、中枢神経系臓器にも出血病巣を作ることが臨床症状、病理解剖学的にも証明されている』

村田さんのパワポより
村田さんが語る。
…私たちが考えたことが(三田医師も含め)、"全く同じこと"が、広島長崎原爆の被爆の、10年後位に書かれている。
"全く同じこと"が当初から言われていたことがわかる。
そして、精神科医の小沼十寸穂も、語る。
小沼十寸穂(1956年)
「被爆者の精神神経医学的観察から、原爆後障書としての血液の異常が強い場合、それが植物神経中枢に投影し、身一心身症状を表出させ、いわゆる間脳症候群と同定されるような脳症としての苦訴あるいは症候を現す」
"間脳症候群"という言葉が出てきた。
間脳とは?
間脳とは、視床、視床下部、のある脳の中央部。自律神経系の調節、ホルモン分泌などの役割をになう、生命維持に不可欠なところ。
つまり、やはりは、脳、ホルモン、中枢的なところ。
間脳症候群とは、そこがやられる、という話。
その症状とは、
・消化器系、循環器系の症状が30-40歳代で68%に。
・発汗異常、原因不明の発熱が一年に数回。
・出血傾向があり、ちょっとした怪我でも紫斑を残す。
・季節の変化に耐えず、風邪を引きやすい
・全身倦怠感、健忘症、眩量、頭
重・頭痛、精神作業不堪、
…昨年の三田茂先生の講演でも聞かされたお馴染みの症状。それは、被爆ニ世や311後の新ヒバクシャに見られるものと、同じ。
そして、そのメカニズムについて、やはり同じことが語られている。
都築医師と、村田医師と、三田医師と、小沼医師と、、
同じ話をしている。
話は飛んで、
チェルノブイリの長い影より、紹介。
妊娠女性と胎児との、視床下部、下垂体が影響受けたことから、胎児の形成、異常が起きていることなど。。
あと、マリジェフという人の、
『神経免疫内分泌相互作用の可能な役割と照射後病態の発達』
というクラクラしそうな内容なのだけど、、村田さんが翻訳してくれたのをさらに翻訳を試みると…笑
免疫というのは、ホルモンや神経系の調節をするために頑張ってる。
要するに、免疫関係の異常は、ホルモンのバランスの乱れにつながる。
ここがやられると、放射線照射による、遺伝的確率的な影響の出現に影響する。
つまり、視床下部、下垂体というホルモンを作るところが乱される、特に大事な副腎のホルモンコルチゾールの分泌に影響する。
免疫の異常がある場合は、コルチゾールの値が有意に低かった。
このところは、三田先生のやっておられることの裏付けというふうに言えると思う、と、村田さん。
つまりは、都築医師と、村田医師と、三田医師と、小沼医師と、、
そして、チェルノブイリの医学調査(マリジェフ)と、、
同じ話をしている。
さて、ここまできた
長かった。。
三田茂医師の話す「能力減退症」とは?
記憶力の低下
疲れやすさ
集中力、判断力、理解力の低下コントロールできない眠気
身体の免疫力の低下、あるいは時間的な遅れ
傷害組織の治癒力の低下
はい、同じです。
原発被ばく労働者
ヒロシマ・ナガサキ被爆者&二世
チェルノブイリ被災者
3.11後の新ヒバクシャ
"ヒバクシャ"は、同じことで苦しんでいる。
でも、誰も助けられなかった。
治療はもちろん、その病態の存在さえ、認識されてこなかった。
今…
三田医院では、こうした症状は、相対的に不足している副腎皮質ホルモンを口から投与して、正常レベルに近づけることによって、7割8割が、回復するという実績がある。
1945年7月、アメリカのトリニティーにて、世界で初めて核爆弾が投下され、環境中に人工の放射性物質が放出されることによって、人間が、ヒバク、させられる、ヒバクシャが生み出されることが始まり、80年。
今、やっと、世界のヒバクシャの苦しみに光が当てられ、治療と改善へのひとつの道が照らされた…
私はそんなふうに感じる。
私の頭には、かつて聞き続けた我が子の声はいつもある。
「お母さん、気持ち悪い」
「朝なのに、疲れて動けない」
「力が出ない、歩けない」
「手が痛い、足が痛い、体中全部痛い」
「寒気がする、鼻水が止まらない、顔が熱い」
11年前、首都圏から神戸と避難し、子どもはメキメキと回復したけれど、また時折以前の症状で苦しむこともあった。
「そうだった…原爆ぶらぶら病って、治った人っていないんだったよな…」
ヒヤリとする思いで娘の未来への絶望も感じ、救いを求める気持ちで、岡山の三田医院へと向かったことを思い出す。
肥田舜太郎先生の話す、原爆ぶらぶら病、なんと我が子の症状と似ていることか。その気づきから始まった闘い。
もし、三田医院がなかったら?
もし、三田茂先生の取り組みがなかったら?
それは、考えるだけで、恐ろしい。
どこの病院へ行っても、放射能の懸念を口にすると、母親である私は医者に叱られ、そして笑われて相手にされなかった。
事故後、こうした思いをした避難者の母親は数知れない。
病院、医療への絶望は根深くある。
3.11後、日本の多くの人はヒバクした。
放射性廃棄物は、薄めて安全とされ、流され燃やされ回される。
行きどころのない核のゴミは世界中にある。
人は、これからもヒバクし続けていく。
この世の中では、そのほぼ全てが無自覚で、存在しないことになっている。
放置と隠蔽。
村田さんが話したこと、そのままに。
それは、核兵器を許して、作り続けていくがために。。
でも痛み苦しむのは自分の体、我が子の体。
原因を知ることができること、治療に向かうことができること、これがどれほどの救いであるか、私は身をもって知っている。
はじめに書いたこと、改めて思う。
核兵器の下に、奪われながら、そのことに目隠しをされながら、生きていくのは真っ平ごめん!
1人でも多くの人が、多くの医者が、同じ思いでつながってほしいと、願い続けてる。
この講演の日は、私は人間の歴史に残る大切な日だったと思います。
このことに立ち向かう、お二人の医師に、感謝の思いと、希望を抱きます。
いてくださって、ありがとうございます!
いわゆる「能力減退症」様の症状で苦しみ、無事に大人になれるのか?確信さえ、なかった私の子どもは、元気に成長し、今年、成人を迎えます。
感謝とともに、人間が守られる世の中で、ありますように、と、願います。
私たちは、ここにつながって、ともに歩みたいです!
未来のために!
*****
下澤陽子さんの「解説」はここまでです。下澤さんに大感謝です!
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