守田です(20241030 23:30)
● 岡山市のミュージックバーOMSで11月1日午後7時からお話します!
と き:2024年11月1日(金)19:00~20:30
ところ:ミュージックバー OMS(岡山市北区表町 1-4-52 4F)*近隣の駐車場をご利用ください。
参加費:無料(ただし、当日カンパにご協力ください)
zoom併設:https://x.gd/lLgkO ID:858 2910 0611 パスコード9wMHRy
ちらしの案内文を貼り付けます。
この度、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。長年にわたる平和への働きが世界から認められたことに、大きな喜びを感じます。しかしながら、日本の現状は一向に改善されないように見えます。
2011年3月11日、東日本大震災によって福島第一原子力発電所が水素爆発を起こしました。それにより、大量の放射性物質が大気中にば らまかれました。
正しい情報が知らされない中で多くのお母さんたち が不安を感じ、子どもの命を守るために自主避難しました。
13 年経った今も溶け落ちた燃料は強い放射線を出し続け、人が近づ くことさえできません。それでも政府は原子力発電に頼る政策を改めようとせず、増え続ける汚染水を海に放流しようとし、放射性廃棄物の処分場を探し回っています。
自主避難した人たちは政府や東京電力による補償も謝罪もないまま、「あの避難は正しかったのだろうか?」という問いを胸に、今日もそれぞれの場で懸命に生きておられます。
原爆や原子力発電所を巡る問題に、長年かかわり、国際会議にも参加されてきたジャーナリストの守田敏也さんが、最新の情報をもとにノーベル賞と被爆者運動のこれからも含めてお話しくださいます。
● ノーベル平和賞はすべての被爆者と被爆者運動の担い手に送られた
被団協のノーベル賞を受賞、喜ばしいことだと思います。とくにノーベル委員会が10月11日に発したノーベル平和賞授賞理由には以下のようなことが述べられています。
「(被団協)はヒバクシャ(被爆者)としても知られる広島、長崎の原爆生存者による草の根運動であり、核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使われてはならないことを目撃証言を通じて示してきた」
「広島、長崎(の原爆被害)を生き抜いた被爆者の証言は、こうしたより大きな文脈において唯一無二のものである。
これらの歴史の証人たちは個人の体験談から、自らの経験に基づく教育キャンペーンをつくり出し、核兵器の拡散と使用に対する緊急の警告を発することにより、世界中で核兵器に対する幅広い反対運動を生み出し、定着させることに貢献してきた。被爆者はわれわれが言葉で言い表せないことを表し、考えられないことを考え、核兵器によってもたらされる理解し難い痛みと苦しみを何とか理解する助けとなっている。」
「肉体的苦しみやつらい記憶を、平和への希望や取り組みを育むことに生かす選択をした全ての被爆者に敬意を表したい。」
平和賞授賞理由全文 「核のタブー」確立に貢献と評価
日経新聞 2024年10月11日
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB11CUX0R11C24A0000000/?msockid=17cec9b02edb612a31f4dbc42f096086
ノーベル平和賞は明らかにすべての被爆者に与えられています。そのことで被爆者と共に反核平和の道を歩んできた全ての方が懸賞されている。その点を心から喜びたいです。
受賞を伝える南海放送と取材に応える松浦秀人さん
● ノーベル平和賞は矛盾に満ちてもいる
ただそのことを踏まえた上で、ノーベル平和賞がこれまでたびたび、とんでもない平和の破壊者にも出されてきたことを見つめておく必要もあります。
その筆頭に挙げられるのは1974年に受賞した日本の佐藤栄作元首相です。「非核三原則」(核を持たず作らず持ち込ませず)を提唱したことが授賞理由でしたが、佐藤首相はアメリカのベトナム戦争を支援し続け、中国敵視外交も行いました。
そもそも非核三原則についても、佐藤元首相は1969年に当時のニクソン米国大統領を密約を交わし、沖縄返還時には米国は核兵器を撤去するが緊急時には再び持ち込むことを確約していたのです。
このような例は枚挙の暇がありませんが、核との関係で最もひどかったのは、国際原子力マフィアの一員であるIAEAが2005年に「原子力エネルギーの平和的利用に対する貢献」の理由のもとに受賞したこと。
さらには2009年にオバマ米国大統領が在任中に受賞していますが、これまた酷い。チェコのプラハで核軍縮の呼びかけ演説を行ったことが授賞理由ですが、オバマは2010年以降、相次いで臨界前核実験を強行。シリア内戦にも武力介入しました。
アフガンでも国境なき医師団が運営している病院を攻撃する戦争犯罪を行うなど、まさに平和の破壊者への授賞でした。
一方で1985年に核戦争防止国際医師会議が受賞したり、2017年に核兵器廃絶国際キャンペーン(i can)が受賞するなど、核戦争を止めようとする団体が賞を得たこともあります。そして今回の被団協への授賞。
まさに人類にとって良きものと悪きものに与えられてきているわけで、ノーベル平和賞がそんな大きな矛盾も抱えていることをしっかりとおさえておく必要があります。
オバマ米国大統領が2009年に受賞 その後に相次いで臨界前核実験を強行
● これからの被爆者運動、反被爆運動を考察する
さてノーベル平和賞を機にどう考え、行動したら良いのでしょうか。何よりも反被爆の運動を共に大きく拡大していくことを訴えたいです。
被爆者の運動にはいくつもの層があります。核戦争だけでなく戦争そのものに反対してきたのが被爆者運動でした。またその頑張りには人権をもぎ取り、輝かせていく面もありました。それは日本の平和運動の礎で、その総体が引き継ぐものです。
だけれどさらに大きく発展させるべき領域があります。それが反被爆であり反被曝の運動です。核兵器による被爆・被曝だけでなく、ウラン採掘や製錬等々、そしてその後の原発や核施設によるさまざなま被爆・被曝です。
放射能はあらゆる生命体にとって危険以外の何物でもないものであり、それが核実験や事故ばかり繰り返す原発・核施設で繰り返しばら撒かれてきたのです。しかも被害を隠し、わい小化しながら。その流れ、それを推進する人々と対決しなければ。
それがこれからの被爆者運動に課せられたものであり、それを引き継ぐのは、まさに今、被爆させられている当事者です。被爆者・被爆二世、三世、そして福島原発事故をはじめとした核施設で被爆した人々。ウラン鉱の被害者などなど。
その被害の多くが「大したことない」とさていることをひっくり返しましょう。そのことが自分たちとよりたくさんの命を救うことにつながります。
以上、11月1日はこんなところを導入とし、被爆被害とはどんなものなのか、どのように隠されているのか、それを暴き、命を守るために、何を進めるべきなのかをお話します。ぜひお聴き下さい。
この報告書を開くところから新たな未来が始まる!
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