明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(535)小水力・面倒だけれども面白い!関西協議会総会と講演会へ!(9月1日)

2012年08月31日 23時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120831 23:00)

明日9月1日に、僕は山水人の場でお話させていただくために滋賀県朽木村に
向かうのですが、同日、京都市内で小水力発電のの普及をめざすユニークな
企画も行われます。こちらもぜひみなさんをお誘いしたいものなので紹介して
おきます。

企画の名は、「小水力、さぁ関西で!」~関西広域小水力利用推進協議会設立
総会と講演会の集い~です。「関西広域」とあるのは、関西2府4県に、三重県
と福井県も加わっているため。ここでの小水力の活用をめざした協議会を設立
するというわけです。僕も理事の末席に加わらせていただいています。

小水力とは、ダムなどの大規模水力に対置した言葉ですが、実はどこからが
小水力なのか明確な定義はありません。環境省は「1000キロワット以下が小水
力と呼ばれている」と紹介しています。その定義でもいいのですが、同じ水の
落差や水流を利用して発電していながら、ダムなどの水を貯める大規模設備を
伴なわない点が特徴と言ってもよいと思います。

そのため比較的どこでも仕掛けられる。水の落差があればいいわけで、山から
水が平地に出てきたところ、そこに段差があるところなどが適地と言えます。
しばしばそこは限界集落になっているところで、設置は地域の活性化にもつな
がる。高度経済成長から取り残されたところ、反対に言えば取り残されてこそ、
昔ながらの地域のよさがまだ残っているところとも言え、そうしたところの
再生・復活につながる要素を持っています。そんなところから原発をはじめと
した大規模発電のあり方を転換する地元エネルギー活用の活路が開けてくるの
は、それだけで愉快な面があります。

それだけでなく、小水力の魅力は、実は面倒くさいこと!何が面倒くさいのか
というと、川に発電機を仕掛けようとすると、水利権の問題、河川管理の問題
などいろいろな当事者がいて、それらの人が集まらないとことが始まらないの
です。手続きが極めて煩雑なのですが、しかしそれが久々に地域の人たちが
集って、自分たちの地域をどうしていくのか、みんなで話し合っていく場を作
ることになります。そのとき地域の見直し、同時に廃れてしまったコミュニ
ティの見直しの可能性も生まれる。だから面倒くさいけれど面白いのです。

さらに小水力発電はいったん仕掛けたらあとは機械任せに近いソーラーなどと
違い、毎日、点検しに行かないといけない。落ち葉がつまったり、動物がはさ
まったりして動かなくなることがあるからです。だからいつも誰かが監視して
いなければならない面倒くささがあるのですが、それが小さいながらも地域の
雇用を生むことになる。そうして面倒なわが郷土の小水力をみんなで育てる
ことになる。手がかかるからこそ、愛着も生まれていくというわけです。

そもそもかつては地域ごとに自然と向かい合い、面倒くさい作業を一緒に担う
中で作られている地域の温かさがありました。そこには古く、封建的なつな
がりも絡まっていて、その全てを美化したら過ちかもしれない。しかし現代は、
利便性を求めて、コミュニティの必要性を薄めるばかりで、人々はあまりに
孤立した生を営むようになってしまっています。都会の孤独などはその象徴
です。もっとみんなで地域をつくっていくモメントがあっていいのではないか。
そんな可能性を小水力は与えてくれます。エネルギーだけの問題ではなく、
エネルギーを担い、活用するコミュニティの再創造がそこにある。

・・・とここまでの話は、すべて小水力の仕掛け人で友人の古谷桂信さんの
受け売りですが、ともあれそんな形で小水力への挑戦が各地で始まっており、
関西でも協議会がスタートするというわけです。興味のある方はぜひご参加
ください。未来の、人間的で豊かなエネルギーのあり方を一緒に想像力たく
ましく考えていきましょう!

******** 

■設立総会と講演会の集い

    「小水力、さぁ関西で!」■ 

☆日時  9月1日(土)午後1時(12時半開場)~4時半

☆場所  龍谷大学アバンティ響都ホール9階ホール

(京都駅八条口南、JR地下通路から直結)  
http://www.ryukoku.ac.jp/ryudaihall/access/電話075-671-5670

☆メインタイトル
「小水力、さぁ関西で!」           
~関西広域小水力利用推進協議会設立総会と講演会の集い 

☆午後1時~3時

報告 
上坂 博亨さん(富山県小水力利用推進協議会会長)     
「全国の動向と小水力利用の今日的な意義」

提言
篠 和夫さん(高知小水力利用推進協議会会長)       
「高知小水協、設立後1年半の経験から」

メイン講演 
沖 武宏さん(小水力発電技術者)
「地域に貢献してきた小水力
~中国地方の小水力発電 その歴史と今後の展望」

午後3時~3時半
休憩、入会手続き、会費納付(年会費3000円の予定)

午後3時半から4時半

入会会員による設立総会

☆「講演会の集い」までの参加費=1000円
(会員になっていただいた方は年会費と差し引きます)

☆主催=関西広域小水力利用推進協議会準備会

☆連絡先=電話  090-4037-2158(里中)  
FAX 075-371-0794(宮本)
メール sato_etsu@hotmail.com(里中)

全国小水力利用推進協議会のサイトからもお知らせが見れます!
http://j-water.jp/?p=1325





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明日に向けて(534)9月1日山水人(やまうと)で、9月2日西京母親大会でお話します!

2012年08月30日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120830 23:30)

二つの講演予定をお知らせします。一つは9月1日山水人(やまうと)のお祭り
で昨年に続いてお話させていただきます。
山水人とは何か、まずは以下のページをご覧下さい。山水人2012の案内です。
http://yamauto.jp/

今回の企画では福井県小浜市で長く原発に反対してこられた、真言宗御室派
棡山明通寺住職の中嶌哲演さんとご一緒します。中島さんが「若狭原発の今昔」
というタイトルでお話し、僕が「内部被曝と放射線防護」というタイトルで
お話し、そのあと一緒にトークを行います。

山水人については、昨年、参加した時の感想をご参照ください。ページの中か
らも飛べますが、昨年、前半の写真のURLも紹介しておきます。ちなみに昨年、
映画監督の鎌仲ひとみさんとご一緒したのですが、彼女も今年も参加される
そうです。9月3日の出演です。

明日に向けて(266)山水人(やまうと)のこと
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/df19fab8f8da5f15bb9039a8074ae216
山水人2011前半の写真
http://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157627557345013/show/


もうひとつ、9月2日に、第33回西京母親大会でお話します。
以下、案内を貼り付けます。

2012年9月2日(日)13:00開場。13:30~16:00まで。
会場 西京区役所 物集女街道千代原口交差点北
入場無料


子どもの未来は私たちしか守れない!
・・・放射能汚染から子どもを守ろう!

お話 守田敏也さん

震災・原発事故から1年半・・・。放射能のこと、震災のこと、
日頃の思いをいろいろ交流しましょう☆

いのちを生み出す母親は、いのちを守り、いのちを育てることをのぞみます

西京母親大会実行委員会
連絡先075-394-5996

***

実は9月1日にはもうひとつ関わりのある企画があります。
関西広域小水力利用推進協議会設立総会です。
詳しくは以下をご覧ください。
http://j-water.jp/?p=1325

この協議会に僕も理事のひとりとして参加させていただいているのですが、
残念ながら今回は、設立総会が決まる前に、山水人への出席が決まってい
たので欠席させていただくことになりました。しかしこちらもオススメの
企画です。明日にももう一度案内の記事を書きますが、小水力に興味の
ある方、ぜひご参加ください。

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明日に向けて(533)福島原発告訴団全国の受付開始!ぜひあなたもご参加を!

2012年08月28日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120828 23:30)

5月に福島を訪れた時に矢ヶさんと僕の講演会に参加していただいた武藤
類子さんが、福島原発告訴団のことについて発言してくださいました。原発
事故の責任者、被害を拡大した責任者への告訴の動きです。このことはもう
少し前から知っていて注目していましたが、武藤さんの発言に何とも感動し、
みなさんに支援を呼びかけました。そのときの記事を示しておきます。

明日に向けて(478)怒りの声を上げる福島県民に連帯しよう!(福島原発告訴団のお話を受けて)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/1b7dc53e218c2ff2236505fc4447dc9c

明日に向けて(481)すごい!原発事故・被害拡大責任者を、福島県民1301人が告訴!!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/9d97dbb6848287a2e7903a519c6fe387

(481)時点では告訴人は福島県民1301人でしたが、その後にさらに増えて最終
的には1324人が参加。そしてこの告訴が8月4日にしっかりと受理されました!
これを受けて告訴団は、第二弾として、福島県以外の全国の人々に告訴への参
加を呼びかけ始めました!みなさんにぜひぜひ、これにご参加されることを訴
えます。日本の憲政史上、最大最強の告訴団を登場させましょう!全国各地の
集約先が示します。まだ九州・四国が明示されていませんが、現在、設置のた
めの努力が着々と進行しているようです。ぜひ、ご自分の身近なところで参加
表明を行ってください。

全国告訴受付先
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2012/08/blog-post_8.html

告訴の内容を示すために、告訴団のHPに掲載されている「告訴宣言」を末尾に
貼り付けます。この文章は全体として格調高く、素晴らしいものですが、僕は
とくに末尾のこの点にグッときたので、先に引用しておきます。

***

私たちは、自分たちのためだけにこの闘いに踏み出すのではありません。日本
政府は、あらゆる戦争、あらゆる公害、あらゆる事故や企業犯罪で、ことごと
く加害者・企業の側に立ち、最も苦しめられている被害者を切り捨てるための
役割を果たしてきました。私たちの目標は、政府が弱者を守らず切り捨ててい
くあり方そのものを根源から問うこと、住民を守らない政府や自治体は高い代
償を支払わなければならないという前例を作り出すことにあります。そのため
に私たちは、政府や企業の犯罪に苦しんでいるすべての人たちと連帯し、とも
に闘っていきたいと思います。

この国に生きるひとりひとりが尊重され、大切にされる新しい価値観を若い人々
や子どもたちに残せるように、手を取り合い、立ち向かっていきましょう。

***

これは本当に重要な点です。

これまでも度々、触れてきましたが、日本政府はこれまで、広島・長崎原爆投
下を正当化し、その非人道性を暴かれまいとして内部被曝を隠してきたアメリ
カに全面協力し、被爆者の要求、願い、切実な思いを踏みにじり続けてきまし
た。とくに被爆者が放射線によって病になったとことが証明された際にえられ
る「原爆症認定」をほとんど行わず、がんをはじめ、あらゆる病気で苦しむ被
曝者に、「あなたは放射線を浴びていません。その病はあなたの生活習慣のせ
いです」といいなしてきました。まさに加害者・アメリカの立場にたって、被
爆者を苦しめ続けてきたのです。

これをただすために2003年から被爆者たちがはじめた「原爆症認定訴訟」は、
集団訴訟19連勝、個別訴訟をいれると28回も被爆者の側が勝訴し、認定者の幅
が少しだけ広がりましたが、国はいまだに内部被曝を認めようとせす、裁判で
28回も負けた内容を保持し続けています。そしてそのことが、今、私たちの国
の極めて甘い放射線防護基準を生み出しており、いや、その基準すら破られて
いるのに、何ら正当な措置が取られず、多くの地域で、飲み食いや寝ること、
18歳未満のものを連れ込むことが禁止されている「放射線管理区域」に、普通
に人が住まわされ続けている現状が生みだされているのです。

さらに言えば、アメリカが行った戦闘員と住民を区別することなく全国の都市
へも無差別空襲を繰り返したことにも日本政府は何らの抗議も行ってきません
でした。明らかな戦争犯罪が長きにわたって不問に付されてきたのです。なぜ
でしょうか。日本政府自身がアジア侵略戦争のさまざまな罪を繰り返し告発さ
れる側にいたからです。それから逃げるために、日本はアメリカに擦り寄り、
アメリカの罪を一切告発しませんでした。これに靖国神社を美化する右翼が同
調してきたのが日本の歴史でした。政府や右翼の言う「英霊」がもっとも戦っ
たのはアメリカであったにもかかわらず、ただの一度も、原爆投下に見られる
アメリカの戦争の非人道性は告発されなかったのです。

それゆえに、アメリカはその後に朝鮮戦争をおこして空襲を繰り返しました。
このとき日本は「朝鮮特需」によって経済復興しました。さらにアメリカはベ
トナム侵略戦争を起こし、北ベトナムに大量のB52を沖縄の基地から送り込
んで空襲を繰り返しました。このベトナム戦争特需によっても日本は経済発展
しました。この過程でアメリカは日本に原子力発電を持ち込み、中曽根康弘氏
や読売新聞の暗躍のもと、原爆の被害を受けた日本に核エネルギーを根付かせ
ることに成功しました。このとき持ち込まれたのが、原発の中でもとくに欠陥
が多いと指摘されているマークⅠ型原子炉でした。今回、事故をおこした福島
原発で使われてきたものです。

こうしてアメリカの核戦略に全面協力をしながら、日本はアジア侵略の責任を
回避し続けました。とくに日本軍が組織的に関与していたことが明白な性奴隷
性問題(いわゆる従軍慰安婦問題)などの否認を続け、勇気をもって犯罪の告
発を行ったたくさんの女性たちの心を踏みにじり続けてきました。ちなみにこ
の戦中の「従軍慰安婦」制度の設立・運営にも大きな位置を持っていたのが海
軍の将校だった中曽根康弘氏でした。大臣クラスでは岸伸介氏なども関わって
いました。そうした人物が、私たちの国では戦後に首相についたのです。

このように日本政府が過去の罪を認めないことは、国民・住民を侵略戦争に動
員し、途端の苦しみを舐めさせたことも、「鬼畜米英打倒」と叫んで、国民・
住民をまったく勝算のない戦いに狩り出し、挙句の果てにさんざんな空襲に合
わせたことにも何ら責任をとらず、反省も、補償もしてこなかったこととは
セットの関係にありました。

アジア侵略の罪を認めないことは、日本国民・住民に対する政府の責任を認め
ないことと一体となっていたのであり、さらにはアメリカによる日本国民・住
民への虐殺行為を何ら告発せず認めてしまうこととも連なっていたのでした。
だから日本の国民・住民は、これまで原爆の被害も、空襲の被害も、何ら償わ
れずに来たのです。そのことにもう本当に私たちは大きな規模できづくべきで
す。だからこそ、今、泣き寝入りしていてはいけない。犯罪者を裁かなくては
いけない。それこそが私たちの人権を守り、発展させ、未来世代の幸せを大き
くするからです。

その意味で、この問題は本当に私たち全体の問題です。ここでこの罪を不問に
付してしまえば、この先も同じようなことが起こるでしょう。そのとき、犠牲
になりながら、救済されず、それどころかかえって踏みつけられ、苦しみ、涙
する可能性があるのは、あなたであり、私なのです。そして私たちの子ども達
なのです。そんなことはもう本当にあってはいけない。この第二次世界大戦前
から続いている日本という国の無責任体制をまさに今ここでたち切らなければ
ならない。だからこそ、私たちは日本憲政史上、最大の告訴団を登場させる必
要があります。

みなさま。どうかご参加ください!同時に、周りの方を一人でも多くお誘いく
ださい!「無責任大国ニッポン」を変えるために、立ち上がりましょう!

****************

福島原発事故の責任をただす!告訴宣言

福島原発事故から1年を過ぎた今なお、事故は全く収束せず被害は拡大の一途
をたどっています。美しい自然と豊かな生命をたたえたふるさと、何ものにも
代え難い共同体を失った私たちは、地域社会の分断という重荷を背負い、いつ
終わるともしれない苦難の中にいます。

福島原発事故は、すでに日本の歴史上最大の企業犯罪となり、福島をはじめと
する人々の生命・健康・財産に重大な被害を及ぼしました。原発に近い浜通り
では、原発事故のため救出活動ができないまま津波で亡くなった人、病院や福
祉施設から避難する途中で亡くなった人、農業が壊滅し、悲観してみずから命
を絶った農民がいます。

このような事態を招いた責任は、「政・官・財・学・報」によって構成された
腐敗と無責任の構造の中にあります。とりわけ、原発の危険を訴える市民の声
を黙殺し、安全対策を全くしないまま、未曾有の事故が起きてなお「想定外の
津波」のせいにして責任を逃れようとする東京電力、形だけのおざなりな「安
全」審査で電力会社の無責任体制に加担してきた政府、そして住民の苦悩にま
ともに向き合わずに健康被害を過小評価し、被害者の自己責任に転嫁しようと
動いている学者たちの責任は重大です。それにもかかわらず、政府も東京電力
も、根拠なく「安全」を吹聴した学者たちも誰一人処罰されるどころか捜査す
ら始まる気配がありません。日本が本当に法治国家かどうか、多くの人々が疑
いを抱いています。

生命や財産、日常生活、そして「健康で文化的な最低限度の生活」さえ奪われ
た今、すべての人々がそれを奪った者への怒りを込めて、彼らの責任を追及し、
その罪を認めさせなければなりません。そのために、最も深刻な被害を受けて
いる福島でまず私たちが立ち上がり、行動しなければなりません。告訴団を結
成した理由もここにあります。

私たちは、彼らに対する告訴を福島地検で行うことを決めました。自分たちも
放射能汚染の中で被曝を強要されながら存在しなければならない矛盾、逃れら
れない厳しい現実を背負う福島の検察官こそ、被害者のひとりとして、子ども
を持つ親として、この事故に真摯に向き合うべきだと考えるからです。

私たちは、自分たちのためだけにこの闘いに踏み出すのではありません。日本
政府は、あらゆる戦争、あらゆる公害、あらゆる事故や企業犯罪で、ことごと
く加害者・企業の側に立ち、最も苦しめられている被害者を切り捨てるための
役割を果たしてきました。私たちの目標は、政府が弱者を守らず切り捨ててい
くあり方そのものを根源から問うこと、住民を守らない政府や自治体は高い代
償を支払わなければならないという前例を作り出すことにあります。そのため
に私たちは、政府や企業の犯罪に苦しんでいるすべての人たちと連帯し、とも
に闘っていきたいと思います。

この国に生きるひとりひとりが尊重され、大切にされる新しい価値観を若い人々
や子どもたちに残せるように、手を取り合い、立ち向かっていきましょう。

2012.3.16
福島原発告訴団結成集会参加者一同
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明日に向けて(532)止めよう!中国電力スラップ訴訟(上関原発反対運動への連帯を!)

2012年08月24日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120824 23:30)

前回、お知らせしたように、広島県尾道市、福山市、三原市に訪問した際に、
「中国電力スラップ訴訟」というものの存在を知りました。上関原発反対の
ために非暴力ながらも身体をはった抗議を繰り返してきた祝島島民2人と支援
の市民2人に対し、中国電力が、嫌がらせ的に約4800万円もの損害賠償を
請求しておこした訴訟のことです。

なぜスラップ(SLAPP)というのかといえば、「企業、政府など、力のある
団体が原告となり、権力を持たない弱者を被告とし、威圧・恫喝・報復(圧
力をかけ、おどし、しかえしすること)を目的に起こす訴訟」のことだから
だそうです。英語のStrategic Lawsuit Against Public Participation)の
頭文字をとって、スラップ(SRAPP)といいます。

この説明は、「中国電力スラップ訴訟止めよう会(ストップスラップの会)」
が配っているパンフレットに書いてありました。同パンフの内容はネット環境
にないので、基本部分を書き起こして、最後に貼り付けますが、いずれにせよ
市民の抵抗を力でねじ伏せようとする許しがたい訴訟です。みなさん、ぜひ
この訴訟を止め、4人の方たちを守るためにご協力ください。

なおこの訴訟のことを調べていて、幾つかの動画を見つけたので紹介したいと
思います。
中国電力が上関原発の着工に強引に踏み切ってきたのは2009年10月のこと。こ
れにいたる過程で、多くの人々が海にカヤックを浮かべるなどして抵抗してい
ました。このときに中電は作業船を激しく前進後退するなどしてカヤック隊に
向かってきたのですが、その映像が残されていますので、まずはそれから
ご覧ください。アップロードは9月22日です。短いです。

カヤックの目前で前進後退を激しく繰り返す中電の船
2009年9月22日アップロード
http://www.youtube.com/watch?v=OfLSbXpHNUg&feature=related

こんなことを繰り返しながら、中電は前述のように10月に着工に踏み切ったの
ですが、実は着工といっも形ばかりのことで、全国に工事が進んでいるかのよ
うなポーズを示すことが目的でした。これに対し、後に中電に訴えられた一人
で、「虹のカヤック隊」に参加していた原康司さんがインタビューに応え、
「着工はポーズ。焦ることはない。多くの人の注目も集まっている。みんなが
集えば工事は食い止められる。あきらめないのが肝心」とおおらかに語ってい
ます。

原康司さん(虹のカヤック隊インタビュー)
2009年10月11日 
http://www.youtube.com/watch?v=vPw82hnWd28

実際、祝島島民と全国からかけつけてきた若者の力でその後、中電は工事がな
かなか進められない状態に陥っていったわけですが、その中で12月に、島民2人
と、カヤック隊の原さん、岡田さんを訴えるにいたったのです。
島民で訴えられたのは清水海保さん。上関町議会議員で「上関原発を建てさ
せない祝島島民の会」代表で1955年生まれ。
もう一人は上関町で漁業と大工を営む橋本久男さん。1952年生まれ。詳しい
プロフィールはパンフレットの書き起こしの方をご覧ください。

さてこの訴訟について岡田さん自身が発言している映像もあります。
2010年5月23日に行われた第21回環瀬戸内会議総会での発言です。岡田さんが
訴えられるにいたった経緯などが紹介されています。
http://www.youtube.com/watch?v=tD2KhAtKews

さらに非常に見ごたえがあるのが、この祝島で頑張る若者たちが、沖縄の高
江に行って、現地の人々と合流することを描いた沖縄のテレビニュースです。
交流の姿、若者たちの顔が素晴らしい。一緒になって高江の工事に抗議し、
作業員を一生懸命に説得するシーンなども出てきます。非暴力直接行動の
精神が踊っています。番組の構成も素晴らしい。さすがに沖縄はテレビ局ま
でひと味もひた味も違う。7分ぐらいの映像ですがぜひご覧ください。

カヤック隊の若者達の思い*祝島と高江の連帯SLAPP訴訟に抗して
2011年2月15日アップロード
http://www.youtube.com/watch?v=0kXibpRH8o0

そして上関で昨年6月20日に行われた1100回目の反対デモの様子です。

祝島「きれいな海を守ろう」上関原発反対デモ1100回
2011年6月20日
http://www.youtube.com/watch?v=UkDnl3TY8RQ&feature=related

僕自身、これらを見ていて、上関の長年にわたる島民の運動、そしてそれに
連なっていった若者たちの頑張りこそが、この間の、首相官邸包囲行動など
にも見られる全国の大きなうねりの一つの原型になっていたことを痛感し
ました。「たたかい」ではあるけれど、憎しみや攻撃性によるのでなく、
ヒューマニティや優しさ、人間的愛に立脚しようとしている人々の思いが、
これらの映像から伝わってきます。

そしてそれはまた沖縄の人々の長きわたる基地への抵抗の中でも育まれてき
たものであるのだと思います。だから高江の人々と、カヤック隊の若者は
すぐに打ち解けてしまった。同じ風がそこに流れているのだからです。
これらの映像を通じて、また実際に広島で聞いた岡田さんの発言を通じて、
僕はそうしたことを感じました。

その点で、確かに中電スラップ訴訟は許しがたいし、みんなで力でぜひとも
食い止めていきたいですが、しかしこうした若者たちの頑張りの息吹に触れ
ることができたのはなんとも嬉しいことでした。実際に岡田さんの発言を
聞いている時も、すがすがしく、日焼けしていてかっこいい岡田さんの姿も
含めて、なんだかウキウキしてしまいました。ありがたいと思ったし、こう
した若者がどんどん出てきていることがとても嬉しかったのです。

訴えられた4人は若者ばかりではなく、僕より年配の橋本久男さん、同年代の
清水敏保さんもおり、もちろんその姿にも胸を打たれます。代表として大活
躍の清水さん、橋本さんは「中国電力からの巨額な補償金を30年拒否し続け
ている」とも紹介されています。これまたかっこいい!そうした方たちの長
い頑張りに、若者が結びついたのですね。ちなみに原康司さんは1972年生ま
れ、岡田和樹さんは1986年生まれです。

ともあれ4人をはじめ、上関原発反対で奮闘する祝島の姿の中に私たちは、
今、全国に広がってきた炎の火種を見ることができるし、だからこそまたこ
の長きにわたる抵抗に、同じく沖縄での長きにわたる人々の基地への抵抗に、
学ぶ中から、これからの方向性を探っていくことが必要だと思います。
何より、僕自身、恥ずかしながらまだ祝島には行けてないので、なんとかし
てかけつけて、そこに流れる潮の匂いをかぎ、人々の心に触れ、多くを学び
たいと思います。そんなきっかけをくださった尾道、福山、三原の方たち、
岡田和樹さんにあらためて感謝を述べて、記事を閉じます。

以下、「中国電力スラップ訴訟止めよう会(ストップスラップの会)」の
パンフレットの基本的部分を紹介します。

**************

被告となった4人をみなさんの力で支えてください。


上関原発30年にわたる反対運動

1982年、中国電力による山口県上関原子力発電所建設計画が浮上、しかし地
元の祝島島民をはじめ全国各地からの反対により、30年間計画は進みません
でした。

中国電力の強行作業とスラップ訴訟

ところが2009年10月、中国電力は地元住民の理解を得ないままに強引に埋立
準備工事の着工。中国電力の強行作業により、非暴力で抗議活動を続けてき
た地元住民には負傷者まで出ました。
さらに同年12月、中国電力は突然、祝島島民2人とシーカヤックで抗議して
いた2人の一般市民に対し、工事を妨害したとして約4800万円もの損害賠償を
請求する裁判を起こしました。中国電力が妨害行為の証拠として提出した資
料には事実と異なるものがあり、裁判官からも正されていますが、訴訟が始
まってから2年が経つ今も、正しい証拠は提出されていません。

原発安全神話が崩れ去り、なお続く裁判

2011年3月11日、東日本大震災により東京電力福島第一原発事故が起き、上関
原発建設のゆくえは未定のままです。しかし、裁判だけが続けられているの
です。

市民の支援が放射能の無い社会をつくる

この訴訟は、原発建設を強硬に推進するために中国電力が反対派住民を押さえ
込む「スラップ訴訟」と呼ばれています。自分たちの生活や海を守りたいその
一心で抗議行動をし、そのために被告となった4人を支えるためにも、また、
私たち市民の発言の自由を守るためにも、支援の輪が広がることが求められて
います。



訴えられている4人の紹介

清水敏保
海上運送業 上関町議会議員 上関原発を建てさせない祝島島民の会代表
山口県上関町 1955年生まれ

上関原発建設計画が持ち上がって以来30年にわたり一貫して反対してきた。美
浜原発と敦賀原発への視察旅行で地元の方ともふれあい、地元が原発によって
発展しないと実感。また度重なる不祥事を起こす電力会社を信用できなくなる。
その後、上関町議会議員に立候補。現在に至る5期の議会の中で、上関原発に
ついて毎回質問・抗議し、あわせて国・県・中国電力にも抗議している。周辺
自治体会議に上関原発反対を要請している。趣味はスポーツ、野球。


橋本久男
漁業 大工 
山口県上関町 1952年生まれ

福井県敦賀原子力発電所2号機で配管作業に従事。防護服を着ての作業を経験し、
被曝者を生み出している危険性を痛切に感じ、原子力とは共存はできないと考え
る。祝島では以前はタテ網漁やタコ壷漁、現在はイカス漁、素潜りなどの漁業を
行い、祝島の他の漁師さんとともに、中国電力からの巨額な補償金を30年拒否し
続けている。2009年からの中国電力による強硬な埋め立て工事に対し、24時間態
勢で一日も欠かさず海上での阻止行動を続け、命をかけて建設予定地の田ノ浦の
海を守ってきた。趣味はやっぱり素潜り。


原康司
シーカヤックガイド ダイドック冒険学校主宰
山口県周防市 1972年生まれ

アラスカやアマゾン川をシーカヤックで冒険中にアラスカで出会った先住民に生
まれ育った故郷の大切さを教わる。その後地元に帰り瀬戸内を縦断中に、美しい
瀬戸内の原風景や生活文化を色濃く残す祝島に出会い、感銘を受け、シーカヤッ
クで祝島の漁師さんたちの漁船とともに海上での原発反対行動をはじめる。主宰
する冒険学校では子どもたちにアドベンチャー体験を行なっている。趣味は百姓
仕事。


岡田和樹
農業 水辺教室講師
広島県三原市 1986年生まれ

生まれ育った瀬戸内海に残された手つかずの干潟に、2005年、埋め立て計画が浮上、
自分たちの世代にこの貴重な自然を受け継ぎたいと干潟保護運動をはじめ、計画は
取り下げられる。その後、同じ思いで2009年から上関原発建設反対運動に参加、
「上関原発を考える広島20代の会」を立ち上げたり、シーカヤックで海上阻止行動
や中国電力本社前での抗議のハンストやデモなどを行う。瀬戸内の自然を生かした
有機農業をしながら、子どもたちに自然の大切さを知ってもらおうと、干潟や川で
の観察会も続けている。趣味は山菜採り。


訴訟には弁護士費用、裁判所への交通費等多大な出費がかかり、またその間は仕事
もできません。この訴訟にかかわる費用へのカンパを募集しています。ご協力を
よろしくお願いします。

振込先
上関原発を建てさせない祝島島民の会

銀行振込
ゆうちょ銀行 加入者名 祝島島民の会
店名 一三九 当座 0067782

郵便振替
加入者名 祝島島民の会
口座番号 01390-4-67782

*郵便振替の方は裁判へのカンパとお書きください。
*領収書が必要ない方は、その旨を通信欄にご記入ください。

連絡先
中国電力スラップ訴訟止めよう会
(ストップスラップの会)
住所 広島県三原市高坂町真良1015
電話 0848-66-3592

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明日に向けて(531)尾道、福山、三原の訪問を終えて(大盛況でした!)

2012年08月21日 21時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120821 21:00)

すでにお伝えしたように、8月18日、19日の日程で、広島県東部の三つの市で
講演をさせていただきましたが、どの場も想像を上回る方たちの参加で大盛況
でした。具体的には尾道180人、福山70人、三原120人だったと聞いています。
三原の実行委の方は、「三原では40人くれば、まあ今日はきたよね、となり、
70人にだったらやったあとなる。120人はとにかく驚き。どこからあれだけの
人が来たのだろう」とおっしゃっておられました。

しかもこの19日には、なんとこの三つの市で大型バスを仕立てて、30人が伊方
原発再稼働反対行動のため愛媛県松山市まで駆けつけているのです。一方で
三市連続講演会を行いながら、松山市にまで人を出してしまう。尾道・福山・
三原の方たちのパワーに脱帽です。ちなみにこの松山行動も、全体で500人の
参加。政党や組合に依拠しない市民主体の行動では過去最大の盛り上がりだっ
たとか。しかも大雨をついてデモを行ったそうです。いやいや、瀬戸内をはさ
んで広島と愛媛で熱い運動が広がっていることを実感しました。


こうしたパワーはどこから来るのでしょうか。僕なりに推察するに、一つには
今回の三市の取り組みの中心になった尾道の方たちのおおらかさとあたたかさ
からではないかと思えました。僕は尾道でお話させていただくのは都合3回目
になりますが、その度に「フクシマから考える一歩の会」の中心メンバーの方
たちに食事会に招いていただいています。

この会合が面白い。いつも喧々諤々の論議がされるのです。それぞれが自論を
持たれていて、中には、必ず「それを考えるにはカントの道徳哲学に戻る必要
がある」とみんなを18世紀のドイツに連れて行ってしまおうとする方がいます。
ところがそれがしばらく続くとまたほかの人の主張が始まって、違う世界に
ビューっと話が飛んでいく。とにかく話はあっちこっちに飛ぶのですが、そこ
に流れているのは、何を話しても許されるおおらかな雰囲気です。

「またー。くだらないことを言って」などと言いつつ、誰の発言も存在が許さ
れる。だから誰もが、歯に衣を着せずにいいたいことを言っていることがわか
る。その中でおおらかに団結が保たれていることが伝わってきてとても心地よ
いのです。僕は福山と三原のことはよくわかりませんが、こうした雰囲気の上
におおらかなつながりができているのではないかなと思えました。

また「一歩の会」の方たちは、訪問者をとても大事にしてくださいます。実は
始めに訪れた時のこと、尾道で一泊して、翌朝、新尾道の駅から帰ろうとした
ら、そこに何人かの方たちが集まってこられてびっくりしました。それでみん
なで駅のプラットフォームまであがってこられるのですね。そうして新幹線が
発車する刹那にお見送りされてしまいました。何とも気恥ずかしいし、他の場
でそうしていただきたいと言っているわけではけしてないのですが、尾道流の
歓待のあり方に心が温かくなりました。

あとで聞いたら、肥田さんを講演でお招きした時もみんなで駅まで見送りにい
かれて、肥田さんがとても喜ばれたのだそうです。「ああ、この方たちは人を
喜ばすことを楽しんでいるのだな」と思いました。実は僕が参加している京都
の運動でもこうしたことにはかなり気を使っています。講演などで京都にお招
きした方は可能な限り、観光地にお連れしたり、お寺でお抹茶を飲んでいただ
くことなどを組み込むようにしています。それでお相手が喜んでいるのをみる
と「してやったり!」とみんなで喜ぶのです。

そうした茶目っ気のある暖かさが尾道には流れています。そうした上に放射線
の問題で努力を重ねてこられたことが、今回の三市ともに予想を大幅に上回る
人との集まりを作り出すことに成功したのではないかと思えます。ちなみに
僕が尾道から愛媛県今治市まで続く「しまなみ街道」がいいなあと漏らしてい
たのを聞きつけて、今回は18日の午前中に、観光も組み込んでくださったので
した。みなさんが準備している間に二人の方が付き合ってくださり、しまなみ
街道をドライブして、由緒ある神社にまで連れていってくださいました。その
後のお昼などもすごく考えをめぐらしてくださり、とてもありがたかったです。
けしてほかでもそうして欲しいと言いたいのではなく、そんな尾道の方たちの
温かさ、おおらかさ、面白さをみなさんに紹介しておきたいと思うのです。


もう一つ。どこでもあらゆる世代にまたがる参加がありましたが、高齢者の参
加が多いように見受けられたこと、被爆者であったり、原水爆禁止運動に参加
してこられた方の参加が多いように感じたこと、それが参加者の数をおしあげ
ていたのではないかと僕には思えました。実際、三原では85歳の被爆者の方が
参加され、「広島であろうと、長崎であろうと、福島であろうと放射能に違い
はない。自分は85歳の被爆者として、自然エネルギーの採用を求めます」と発
言してくださり、嬉しく思いました。

これはこの間、放影研についてNHKやTBSなどがかなり突っ込んだ報道をしてく
ださったこと、いやそれそのものが、放射線防護への市民的関心が高まる中で
放影研が内部被曝を無視してはおれなくなったこと、そのためにどこまで真意
であるかは別にせよ、「路線変更」を表明することで、マスコミの注目を集め
るにいたり、嫌が上にも放影研のこれまでの調査活動に焦点があたらざるをえ
なくなったことなどを背景としているように思えます。

そうした流れの一つを、私たち、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」によ
る、ECRR会長と、ドイツ放射線防護協会会長との放影研訪問、会談の実現など
も作り出したのではないかと思いますし、それを繰り返しお伝えしてきた僕自
身のブログの効果も少しはあったのではないかと考え、ニヤリとする思いもあ
りました。

ちなみに僕のブログ内容は多くの方がツイッターで拡散してくださっています。
そうした中で、今回の講演会の内容が、実行委のみなさんがあちこちにチラシ
をまいてくださったことに加えて、多くの方に伝わったのではないかと思いま
す。福島原発事故と、広島・長崎原爆のつながりに、ほかならぬ広島で、注目
が集まりつつあるとの確かな手応えを感じました。


さらにもう一点、三原でとても印象的だったのは、「中国電力スラップ訴訟」
で中電から訴えを受けている4人の1人、岡田和樹さんが実行委の中心を担って
くださっていたことでした。この訴訟は上関原発反対運動の逞しい前進に対し
て、中部電力が嫌がらせに仕掛けてきたもの。中電は、2009年10月に強引に埋
め立て工事に着工したのですが、これに対して地元の方たちを中心に、非暴力
に徹しながらも身体を張った抵抗が行われました。

ところが2009年12月に突然中電は、祝島島民2人とシーカヤックで抗議していた
2人の市民に対して、工事妨害を名目に4800万円もの損害賠償請求裁判をおこし
てきたのです。これが「中国電力スラップ訴訟」なのですが、このシーカヤッ
クで抗議してきた1人が三原でチェルノブイリ原発事故の年、1986年に生まれた
岡田和樹さんなのです。

恥ずかしながら僕はこの訴訟のことをよく知らなかったのですが、岡田さんの
姿を見ていて、中電の嫌がらせにはもちろん腹がたったものの、ああこういう
若者が海で頑張ってくれていたのかと知って、なにかとても嬉しくなってしま
いました。岡田さんはさらに1年前から有機農業にチャレンジしています。海と
農地で浴びたのであろう太陽によって腕は真っ黒。何ともすがすがしくてかっ
こいい。そんな姿に、尾道、福山、三原に、上関の息吹が流れ込んできている
ことを強く感じました。なおこの訴訟のことは、またあらためて紹介したいと
思います。


また福山では中心を担っている坂田さん方が、最近、誕生した緑の党の育成の
ために奮闘していることも知ることができました。今度、京都から人を呼ぶそう
ですがなんと僕の友人の加藤良太さんでした。また福岡から長い間、緑の党の立
ち上げに尽力してきた足立力也さんとも、いろいろな行動をともにしてきたとの
こと。加藤さんもそうなのですが、とくに足立さんとは、今年4月14日に亡くなっ
た安藤栄里子さんという共通の親友を持つ間柄で、昨年3月11日以降、何かにつけ
連携してきた仲間です。そうした私の友人たちも参加している緑のムーブメント
とつながりながら、坂田さんが福山で頑張っておられることを知ることができま
した。加藤さんが福山を訪ねる企画については以下をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51440615.html

また今、調べてみたら、福山での僕の講演の様子をもうネットにアップしてくだ
さっていました。早い!このアドレスも紹介しておきます。ちなみに文章もお上
手です。短くコンパクトに説明できるこの能力が僕も欲しい!
http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51447020.html

ブログの最新ページには、松山行動のことも載っていますのでぜひそれもご覧
ください。これらのページを読んでいると、福山の盛り上がりの理由もビジュ
アル的に見えてくるように思えます。ともあれ今回は尾道を中心に、こうした
それぞれの積み重ねが一緒になってより大きなハーモニーとなったのではない
かと思えます。それで「どこから来たのか分からない」参加があったのでしょ
う。みなさんの活動の開花の場に立ち会えて嬉しい限りでした。

尾道、福山、三原にはこれからもお邪魔しようと思います。また広島市からも
幾人かの方たちが参加されていたので、ぜひ広島県西部にもお邪魔したいです。
そうして広島県民の方たちと共に、放射線防護を進めながら、放影研に繰り返
しアプローチを行い、情報の開示を勝ち取り、原爆投下以降、隠されてきた内
部被曝の真実をさらに明らかにしていきたいと思います。そのためにも今後も
広島に通いたいと思います。

尾道、福山、三原での素晴らしい企画の開催のためにご尽力いただいたすべて
のみなさんに感謝して、報告を閉じます!




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明日に向けて(530)尾道、福山、三原でのお話に向けて

2012年08月17日 09時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120817 09:30)

明日、明後日と、広島県尾道市、福山市、三原市でお話します。
尾道市、18日午後1時半から4時。尾道市公会堂別館にて。
福山市、18日午後7時から9時半。福山市市民参画センターにて。
三原市、19日午後1時半から4時。三原市中央公民館にて。
詳しいスケジュールは以下からご覧ください。

明日に向けて(525)広島県尾道市・福山市・三原市でお話します!放影研についも触れます。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a3f3bdc7fa236d548520e1b0fb1bbcdc

今回の講演に向けて作ったレジュメをご紹介しておきます。
広島県内でお話することもあって、タイトルに「放射線被爆から命を守る
・・・放影研訪問から考える」とつけさせていただきました。6月の放影研
訪問と、この間のNHKなどによる「黒い雨」報道にも触れてお話をして
こようと思います。

放影研をめぐっては、これまでの内部被曝無視の姿勢を変えようとしている
のか、あるいはこれまでのようにごまかしを重ねようとしているのか、いろ
いろな判断があります。そうした推論も大事ですが、僕はより重要なのは、
「内部被曝研究に取り組む」ことを明らかにし、前身のABCC(原爆傷害調査
委員会)時代に、93000人からの「黒い雨」に関する聴き取りを行って
いたことを明らかにしたことに踏まえて、データの開示を求め続けることが
もっとも大事だと思います。

NHKドキュメントによれば、被爆者で黒い雨に浴びた経験のある方が、自分に
関連する記述がないかを放影研に問い合わせれば、答えが返ってくるようで
す。こうしたことも含めて、ありとあらゆる手段で、放影研が所有している
データを表に出させることが大事だと思います。こうしたことも、みなさん
に訴えてきたいと思います。

もうひとつ、少し前になりますが、6月23日に舞鶴でお話した内容が動画で
アップされましたのでご紹介しておきます。主要な内容はダブりますので、
レジュメも参考にしつつ、これをご覧になっていただけたらと思います。

「内部被曝とガレキ問題」守田敏也講演 6月23日舞鶴
http://www.youtube.com/watch?v=aKr3odKX-x4&feature=youtu.be

以下、レジュメを貼り付けておきます。

**************

放射線被曝から命を守るために・・・放影研訪問から考える

1 原発と放射能汚染の現状
○大飯原発再稼動と、首相官邸包囲行動などの持つ意味
「シビアアクシデント(過酷事故)対策」の持つ意味
⇒「シビアアクシデントとは、あらかじめ想定していた「設計基準事象」
を大きく超える事象であり、設備の故障や人的錯誤といった複数原因に
より、原子炉の中の核燃料の冷却や制御が不可能となり、炉心が重大な
損傷を受けるような事象を指す」(ウキペディア)
(b)民主主義の語源とは?
⇒デモスクラチア・・・民衆(デモス)に力(クラチア)があること

○広域におよぶ放射能汚染 
(a)の汚染の現実⇒東北だけででなく関東も激しく汚染されている
 放射線をめぐる重要な数値
 ⇒年間1ミリシーベルト、1時間では0.114マイクロシーベルト
放射線管理区域は、1時間あたり0.6マイクロシーベルト以上
(b)福島および原発事故被災地の現実
 小学校の周りで高い放射線量が⇒被曝が放置されている
 各地で深刻な健康被害が広がっている・・・


2 放射線の影響をいかにみるか。どこから考えるか
○放射線の影響はどこで見積もられたのか
(a)広島・長崎原爆と被爆者調査
⇒米軍→原爆傷害調査委員会(ABCC)→放射線影響研究所 
(b)放射線の危険性の過小評価と内部被曝隠し
⇒核兵器と原発肯定のために危険性が非常に過小評価されてきた

○原爆症認定訴訟と明らかにされた内部被曝の実相(矢ヶ氏の研究から)
(a)放射線の物質に対する影響のメカニズム⇒電離作用と分子切断
(b)放射線の種類と外部被曝と内部被曝の違い⇒危険差は数百倍
⇒参考書『内部被曝』岩波ブックレット 『隠された被曝』新日本出版 

○放影研を訪れて
(a)ECRR(ヨーロッパ放射線リスク委員会)、ドイツ放射線防護協会の
それぞれの会長と訪問
(b)93000人からの「黒い雨」聴き取りを隠していた放影研


3 震災遺物(がれき)焼却問題の現在
○すでに深刻に進んでいる放射能汚染物質焼却の現状
一般ゴミまでが放射能汚染されている東北・関東の現実
放射能をおさえることなどとてもできない焼却炉の構造
⇒京都市北部クリーンセンターの構造図から考える

○被災地はどう考えているのか
復興がまったく進んでいない岩手県大槌町の現実
地元は防波堤を鎮魂の森として作りたいと願っている

 
4 放射能との共存時代をいかに生き抜くのか!
○被爆医師、肥田舜太郎さんの提言から考える
(a)被曝を避けるには⇒放射能の元を絶つ⇒脱原発を推し進める
(b)被曝したらどうするのか
⇒腹を決め、開き直り、覚悟を決める。免疫力を上げ、病を押さえ込む
(c)命の大切さを自覚し、長生き運動を起こす
⇒お年寄りから長生きの秘訣を聞く、太古の生き方を尊重する

○放射能だけでなく、危険物質の総体を問題にし、安全なものを確保する
(a)政府と東電の責任をあいまいにせず、汚染ゼロの食品供給を要求する
(b)危険物の総体を避ける⇒農薬、抗生物質、化学物質,殺虫剤も危険 
(c)安全なものを作る生産者、それを扱う流通者を守る
⇒大量生産、大量消費を見直していく

○前向きに生きて、困難をみんなで越えていく!
(a)危険な食べ物を避けるだけでなく、食べ方が大事
⇒家族・友人・仲間と楽しく食事を!
(b)温かな触れ合い、豊かな人間関係が、免疫力も上げていく!
⇒前向きに生きること、共に未来への可能性を分かち合っていくことが大事
(c)そのために被災地の苦しみを忘れずシェアし続ける。
⇒原発再稼動反対の声を高めた東北・関東の人々に感謝と握手を!
コメント (1)
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明日に向けて(529)PAOS! =京都初上陸!・・・でお話します!(8月25日)

2012年08月16日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120816 23:30)

PAOS! =京都初上陸!・・・でお話することになりました。といっても、
実は僕はPAOSについてよくわかっていません(笑)なんだかすごい面白そ
うな企画であるということだけわかっています。

ともあれ詳しくは以下をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=ZRotPa8R938
http://ingel.asia/articles/contents/505

僕の出番は、鎌仲ひとみさん監督の映画、『内部被ばくを生き抜く』上映を
受けてのトークです。廣海緑朗(ヒロミロクロウ)さんと対談します。
映画が14時半から。トークが16時からです。

そのあとを見ると・・・なんとFlying Dutchmanなどなどが出演するではない
ですか。さらに第二部では弁護士の中村和雄さんが登場して風営法について
論じられるそうです。

さらに夜がふけるとPIKA☆さんらが登場してくる。大飯原発再稼働反対で
大活躍し、素敵な現地報告を書いてくださった彼女です。

ともあれよくはわからないのですがワクワクします。
みなさま、夏の終わりの夜の楽しいイベントです。どうかお越しください。
といっても僕の出番は、まだ明るいうちですので良ければ映画からどうぞ!

以下、案内を貼り付けます!

****************

『 TAIYO33OSAKA 』太陽大感謝祭りプレイベント
「PAOS!~京都初上陸~」@木屋町UrBANGUILD(www.urbanguild.net/ )

一部 13:30オープン/14:00スタート
二部 19:00オープン/19:15 スタート

■前売り2000円(別1D) / 当日2300円(別1D)/ 通券 3000円(別1D)

<<第1部>>
【上映】「内部被曝を生き抜く」監督 鎌仲ひとみ
『内部被ばくを生き抜く』(2012/カラー/デジタル/Hivision/約80分)
監督:鎌仲ひとみ
プロデューサー:小泉修吉
助監督:澤口佳代
撮影:岩田まき子
編集:青木 亮
音楽:Shing02
製作・発売・配給:株式会社 環境テレビトラスト


【TALK】廣海緑朗(ヒロミロクロウ)×守田 敏也(内部被曝著者/岩波ブックレット)
and Special GUEST....!!!??


【LIVE】
Flying Dutchman
COSMIX
たゆたう


<<第2部>>
【TAIYO33SUMMIT】 「風営法ってナニナニナ~二?=京都編=」
ゲストコメンテーター:中村和雄(弁護士)・ F.M.N石橋
・ SIMIZU (softlive.jp) , 森島映(AUX) andmore… !!!
※プロジェクターを使って、風営法について勉強します。

【LIVE】
ゆーきゃん×足田メロウ
PIKA☆×マロン
Shut Up Merry
はまぐちさくらこ(紙芝居)

【FOOD】角煮國 * anowa (オーガニック野菜*加工品etc)

【SHOP】DOMA

【BODY】太陽33マッサージ /直傳靈氣 手もみマッサージ アロマッサージ

【DECO】mahorama

【USTREAM】OTOnaART

【MATURI】セルフ祭り


予約:木屋町UrBANGUILD.net(www.urbanguild.net/ )

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

TIME テーブル

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
13:30~ オープン

14:00~14:25 COSMIX 25分

14:35~15 :55 映画上映 80分

16:00~16:55 トーク60分

たゆたう 17:05~17:30 25分

17:40~18:20 フライングダッチマン40分

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シャットアップメリー チェック:25分

第二部

19時 会場 

19:15~19:45 ゆーきゃん×足田メロウ25分

19:40~19:55 濱口桜子 15 分

20:00~20:25 マロン×PIKA☆ 25分

20:35~22:05 【TAIYO 33 SUMMIT】 90分

22:05~22:30 Shut Up Merry 25分


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明日に向けて(528)京建労伏見支部「労働学校」にてお話します。(8月23日)

2012年08月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120814 23:30)

表題のように、8月23日に、全京都建築労働組合(京建労)伏見支部の第
25回「労働学校」でお話することになりました。19時半から休憩をはさん
で90分の予定です。場所は同支部事務所(伏見区竹田七瀬川町87-1)です。
一般の参加も可能ですが、スペースがそれほど大きくないので、その場合
電話で事前に連絡をくださいとのこと。連絡先は075-642-4999です。

僕に与えらえたタイトルは、「原発ゼロ社会へ! 再稼働反対運動の意義 
福島の真相解明が、原発NOの道」です。これにいつものように、私たち
の国の被曝状況や、福島などで起こっていること、内部被曝のメカニズム、
それが隠されてきた歴史について加えますが、今回は建築関係の労働組合
のみなさんにお話するため、脱原発と雇用の問題についても加えようと思
います。

というのは、8月12日の読売新聞紙面に「原発ゼロなら・・・業界団体の
96%「雇用減る」」という記事が載るなど、原発が無くなると、雇用が
無くなるという「脅し」が繰り返しなされてきているからです。労組のみ
なさんが、労働者とお話するときに、こうした点でも自信をもって脱原発
を語っていただきたいと思い、この点を付け加えようと思っています。

論じたいのは端的に、原発が無くなっても電気が足りなくなるわけでは全
くないということと、原発が無くなっても、原発関連の仕事が無くなるわ
けではないということです。なぜなら脱原発になっても、使用済み燃料は
管理を続けなければならないし、さらに原発を廃炉にするためにも、たく
さんの工程が必要だからです。

ただしそれらの一つ一つが被曝労働を伴いうるので、単純に雇用が確保さ
れるからいいとは言えないし、これまで生み出してしまった膨大な核のゴ
ミをどう封じ込めて管理していくのか、非常に大きな課題が残されている
と言えます。

それでもその作業は、私たちが社会をあやまった方向に導くことをやめ、
未来世代に少しでもきれいな状態で地球を渡そうとするための大切な行い
であり、そのための労働は社会的なリスペクトを集めてしかるべきです。
その意味で脱原発の中でこそ、社会にとって大切な仕事が増えると考える
べきだと僕は思います。

同時に、原発をやめて、さまざまな自然エネルギーを使用するようになれ
ば、そこでも新たにいろいろな雇用が発生します。何も原発などにしがみ
ついていなくてもやるべきことはたくさんあります。また原発がフルに稼
働してたって、この間、雇用がまったく安定していなかったことをこそ、
しっかりと見据えておくべきです。

なぜなら雇用の安定は、エネルギーがどれぐらいあるかなどに依存してな
どいないのです。非正規雇用が増大し、雇用条件が悪化の一途を辿ってい
ることにこそ、雇用の不安定化の真の原因があります。その意味で、京建
労のみなさんなど、組合運動をしっかり守ってくださっている方たちの、
権利としての雇用を守る活動の拡大こそが大切だし、それと脱原発のムー
ブメントが重なっていくことが必要だと思います。

・・・組合活動を担われているみなさんには「釈迦に説法」になってしまう
かもしれませんが、そんな観点も含めたお話をしようと思います。お近く
の方、お越しください。

以下、案内を貼り付けておきます。なお労働学校自身は22日から25日連続
4日間の開催ですので、それ以外の日にちの講師の名前も記しておきます。
これについても興味のある方は、同支部までご連絡ください。

原発と雇用の関係を論じた読売新聞の記事も貼り付けておきます!

*****

京建労伏見支部 脱原発・増税NO特別講義!
2012年度第25回労働学校のお知らせ

今年で25回目となる労働学校が下記の要綱で開校されます。
原発ゼロを求める国民の意思が全国に広がり、官邸前には毎週金曜日に10万
人を超える国民が「脱原発」を鳴り響かせています。今まさに時代が変化し
ようとしています。

激動の情勢を学び、国民的反撃の力にする労働学校がいよいよ始まります。
学びを力に、今年の拡大月間を成功させる勇気をつけましょう。1日だけの
参加もOKです。

今年も例年以上のマスコミ注目の講師陣です。日程・講師は下記のとおりです。
是非、ご出席ください。記念品もあるよ♪

8月22日 二宮厚美
8月23日 守田敏也
8月24日 石川康宏
8月25日 唐鎌直義

会場 支部事務所2F
伏見区竹田七瀬川町87-1
連絡先は075-642-4999

***************

原発ゼロなら…業界団体の96%「雇用減る」
2012年8月12日10時29分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20120812-OYT1T00271.htm

経団連は、政府が策定する2030年時点の電力に占める原子力発電比率の
目標について、主要な業界団体など33団体(うち製造業20団体)に緊急
調査を行った。

ゼロシナリオになった場合、雇用が減ると答えた団体は96%を占め、国際
競争力が低下するとの答えも90%に達した。電気料金の値上がりによる産
業空洞化などの懸念が浮き彫りになった。

政府は、30年時点の原発比率について「0%」「15%」「20~25%」
の三つの選択肢を示しており、それぞれのシナリオが企業活動に与える影響
などを聞いた。

雇用に与える影響(回答数23団体)は、ゼロシナリオでは「大きく減少」
が57%、「減少」が39%で、ほとんどの企業が雇用減は避けられないと
みている。20~25%シナリオでも、減るとの答えが7割を占めた。

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明日に向けて(527)福島第一原発事故の生物学的影響がヤマトシジミ蝶に(ネイチャー誌)

2012年08月12日 07時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120812 07:00)

表題の論文が、ネイチャー誌に載りました。琉球大学の大瀧丈二准教授ら
がまとめたものです。福島県に生息しているヤマトシジミチョウに異変が
起こっていることを明らかにしたものです。予想していたことですが、
ショッキングです。生態系で進行している異変の一部が明らかにされたと
いうことだと思います。

時事通信で、次のように要点が紹介されています。

***

研究チームは事故直後の昨年5月、福島県などの7市町でヤマトシジミの成
虫121匹を採集。12%は、羽が小さかったり目が陥没していたりした。これ
らのチョウ同士を交配した2世代目の異常率は18%に上昇し、成虫になる前
に死ぬ例も目立った。さらに異常があったチョウのみを選んで健康なチョ
ウと交配し3世代目を誕生させたところ、34%に同様の異常がみられた。

***

注目すべきことは、調査が昨年5月に行われていることです。ヤマトシジミ
は4月から11月にかけて、何回か羽化してくるチョウですが、この時期の成
虫はヨウ素などを含むかなり濃度の高い放射能を浴びている可能性があり、
それだけに変化が顕著に現れたのではないかと思われます。この時期の
チョウを採取したことは重要な位置があったと思います。

さてここから推論すべきことは、こうしたヤマトシジミに及ぼされた変異が、
生態系にどのように作用していったかです。被曝したのは当然にもヤマトシ
ジミだけではなく、周辺にいる多くのムシたちであると想像されますが、
ちょうどこの時期、春から夏にかけての時期は、さまざまなムシたちが爆発
的に羽化してくる時期でもあります。

その根拠をなすのは、落葉広葉樹が一斉に春に新芽を出してくることです。
4月に羽化するヤマトシジミはその前から幼虫になっていますが、このよう
に木々が芽吹くことで、昆虫の活動も活発になる。ムシたちは伸び上がって
いく葉を食べながら大きくなり、次々と羽化していくわけです。

これを絶好の餌にしている生き物がいる。鳥たちです。そのため私たちの国
には春になると多くの渡り鳥もやってきます。なぜなのか。子育ての絶好の
条件が形成されるからです。木々の芽吹きとともに一斉にあらわれてくる豊
富なムシたちがいるからです。これがタンパク質を急速に供給しなければな
らないヒナたちの格好のえさとなる。だからこの時期、虫の爆発的登場とと
もに、鳥たちが繁殖を開始し、木々のあいだに、どこでも鳥たちのかしまし
い鳴き声がこだまするのです。

これに対して、春の原発事故は大きな脅威であったはずです。まず葉をつい
ばむムシたちが被曝する。そうして体内に放射性物質を溜め込んだ幼虫を、
今度は親鳥が捕まえてヒナに与えるわけです。生態濃縮された放射性物質が、
ヒナの口から体内に入り、内部被曝を巻き起こす。そうなると細胞分裂の激
しいヒナには重大な打撃になってしまいます。

実際に、チェルノブイリ事故のときにも、鳥たちによる繁殖の失敗が観測さ
れています。それもアメリカでのことです。この事故で、ホットスポットに
なってしまったある地域で、夏に鳥たちの声が聞こえなくなってしまった。
「沈黙の春」ならぬ「沈黙の夏」が訪れてしまったのです。このことを報告
したのは、マーチン・ジェイ・グールドというアメリカの統計学者です。
『死にいたる虚構』という書物の中に書かれていますが、僕はそのことに昨
年の初夏に気づき、東北・関東の山の状態、生態系の状態に憂いを感じまし
た。以下から当時書いた記事がご覧になれます。

明日に向けて(203)沈黙の夏・・・(『死にいたる虚構』ノート(2))
2011年7月25日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/50b74c77c69c502bc395add1444accc8

そうして今回のこの記事。やはりムシたちに異変が起こっていたかと思うと
同時に、それが生態系にもたらしている影響こそが気になって仕方がありま
せん。日本野鳥の会の方たちに問い合せたいとも思いましたが、同時に、今、
山に入ってバードウォッチングをすることの危険性も強く感じ、どのように
要望を出せば良いのか考えをまとめられませんでした。

放射線防護の観点からこれは大事なことですが、しかし私たちに迫る危機の
実相をつかみとるためにも、やはり私たちの生態系で起こっている異変を掴
むことに大きな重要性があると思います。

その点でみなさんに提案したいのは、みなさんが日常的に感じる生態系の異
常について、ぜひ何かに書き留め、記録し、可能であればこちらまで送って
いただきたいということです。例えばこの夏、みなさんの周りでセミやカの
状態はどうでしょうか。鳥が近くにいる方は、鳥たちの声が例年と変わらず
に聞こえているでしょうか。そうした情報をできるだけ広範に集めることで、
私たちの生活実感を通して、異変をつかみとっていくことが大切だと思います。

福島におけるヤマトシジミチョウの異変の報告は、私たちにそれを問うてい
るし、また市民である私たちがそのように受け止め、独自に調査を始めてこそ、
有効に活用されうるのではないかと思えます。

生き物たちの姿にも心を配りながら、進行する危機の実相を私たち自身の手で
つかみ、放射線防護を進めていきましょう!

*********

チョウの羽や目に異常=被ばくで遺伝子に傷か―琉球大
時事通信 8月10日(金)21時29分配信
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2012081001219

東京電力福島第1原発事故の影響により、福島県などで最も一般的なチョウ
の一種「ヤマトシジミ」の羽や目に異常が生じているとの報告を、大瀧丈
二琉球大准教授らの研究チームが10日までにまとめ、英科学誌に発表した。
放射性物質の影響で遺伝子に傷ができたことが原因で、次世代にも引き継
がれているとみられるという。

大瀧准教授は「影響の受けやすさは種により異なるため、他の動物も調べる
必要がある。人間はチョウとは全く別で、ずっと強いはずだ」と話した。

研究チームは事故直後の昨年5月、福島県などの7市町でヤマトシジミの成虫
121匹を採集。12%は、羽が小さかったり目が陥没していたりした。これら
のチョウ同士を交配した2世代目の異常率は18%に上昇し、成虫になる前に
死ぬ例も目立った。さらに異常があったチョウのみを選んで健康なチョウと
交配し3世代目を誕生させたところ、34%に同様の異常がみられた。

********

なお同論文は以下から見れます。

福島第一原発事故の生物学的影響がヤマトシジミ蝶に
8月9日付けネイチャー誌オンライン公表論文
http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/08/89.html?spref=tw
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明日に向けて(526)「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」(NHKスペシャルより)

2012年08月11日 07時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20120811 07:00)

8月6日にNHKスペシャルで「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」という番組が放映されました。戦後、広島・長崎で、被爆者調査を独占的に行ったABCC(原爆傷害調査委員会)が、黒い雨に関する93000人からの聞き取り調査を行いながら、そのデータがまったく活かされてこなかったことを告発した迫真の番組でした。

非常に重要な内容が含まれていたので、番組全体を文字起こししました。長いですが番組を見る余裕の無い方はぜひお読みください。
なお番組は、今なら以下のアドレスから観ることができます。

2012.8.6NHKスペシャル「黒い雨」完全版
http://www.at-douga.com/?p=5774

再放送も、14日午前0時50分よりNHK総合で行われます。見逃された方はぜひキャッチしてください。

この番組内容について、いろいろコメントしたいところですが、起こした内容が長いので、今回はまず文字起こし分だけ掲載し、次回にコメントを掲載することにさせていただきます。

以下、番組を紹介します。

***********

「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」
2012.8.6NHKスペシャル

広島に住む女性が大切に保管しているものがあります。無数の黒いシミが残るブラウスです。

「染み込んどるの洗っても洗ってもとれんかった、これ。」

原爆投下直後、広島に降った黒い雨。67年前の確かな痕跡です。

アメリカが広島・長崎に投下した原子爆弾。きのこ雲には、爆発で巻き上げられた地チリや埃とともに大量の放射性物質が含まれていました。それが上
空で急速に冷やされ、雨となって降りました。いわゆる黒い雨です。

原爆資料館に保管されている雨だれのあと、原爆の材料となったウランなどの放射性物質が検出されています。しかしこれまで雨がどこに降り、どれだ
けの被曝をもたらしたのか詳細なデータがないため、わからないままになっていました。

ところが去年12月、国が所管する被爆者の調査をする研究所に大量のデータが存在していたことが明らかになりました。

公開されたのは広島・長崎10000人を超える被爆者がどこで雨にあったのかのを示す分布図です。丸の大きさが雨にあった人数を表しています。データは戦後、被曝の影響を調べる大規模な調査の中で集められたものでした。
突然あかされた新事実。黒い雨を浴びてガンなどの病気になっても、その影響を認められなかった人たちに衝撃が広がっています。

「どうしてだしてくれんかったんかね。こういうものがあったのに」
「これはもう、憤り以外の何者でもないですよね」

このデータをもとに、黒い雨の実態解明を進める動きも起きています。最新の研究で、雨が多く降ったところで、被爆者ががんで死亡するリスクが高まっている可能性が浮かびあがってきたのです。

「まったく驚きですね。リスクが高くなっている地域が黒い雨の影響を受けているんだろう」

黒い雨のデータはなぜ生かされてこなかったのか。それは今の時代に何を語るのか。被曝から67年、はじめて明らかになる真実です。


今回公開された黒い雨のデータ、その存在があきらかになったのは長崎のある医師が抱いたある疑問でした。長崎市内で開業している本田孝也医師です。
黒い雨を浴び、体調不良を訴える患者を長年診てきました。

「アメの色は黒かった?」
「はいもう黒かったですよ、汚れて」
「髪の毛が抜けたとは」
「私は髪の毛が抜けたなという感じはしましたもんね。」(患者との対話)

患者の中にはガンや白血病などの病気になった人も少なくありませんでした。しかし詳しいデータはなく、どうすることもできませんでした。
何か資料はないのか。さまざまな文献に当たる中で、去年、気になる報告書を見つけました。広島と長崎で、被爆者の調査をしてきたアメリカの調査機関ABCCの調査員が内部向けに書いたものでした。そこには黒い雨を浴びた人に、被曝特有の出血斑や脱毛などの急性症状が出たことが集計された数字と共に記されていました。元になったデータがあるのかもしれないと本田さんは思いました。

「そんなことは聞いたことがなかったので、それほどのデータがあったのかなと、ずっと昔から研究されている研究者の中で話題にならなかったのかというのが、最初は不思議だなと思ったところですね。」

本田さんは当時、報告書を書いた研究員がいた研究所に問い合わせました。
アメリカのABCCを引き継いだ放射線影響研究所、放影研。国から補助金を受けて、被爆者の調査を行い、そのデータは被曝の国際的な安全基準の元になってきました。本田さんに対する放影研の答えは、確かに黒い雨に対する調査は行ったが、詳細は個人情報であり、公開はできないというものでした。そのとき渡されたのは調査につかったからの質問表でした。どこで被曝したか、どんな急性症状を起こしたか、数重もの質問が並んでいました。
1950年代、ABCCが放射線の人体への影響を調べるため、広島と長崎の被爆者93000人に行った聞き取り調査でした。

「原爆はどちらでおあいになりましたか?脱毛はありましたですか?」
「すっかり毛が抜けてしまったんです」

原爆直後、雨にあいましたか?黒い雨に関する聞き取り項目もありました。
放影研は本田さんとの数回におよぶやりとりの末、13000人がイエスと答えていたことを初めて明かしたのです。

「ほんとかなという実感がわかなくて。なんかありそうじゃないじゃないですか、そんな膨大なデータをいまどき、そのままにしているなんて。
そこからは何かがでるはずだろうし、何で今まで出さなかったのかという、ちょっと険しいやりとりになったのですけれど。」

マスコミから問い合わせが殺到し、2ヵ月後、放影研は分布図だけを公開しました。これまで公開しなかった理由について、隠してきたわけではなく、
データの重要度が低いと判断したからだとしています。その根拠は何か。
放影研が重視してきたのは、原爆炸裂の瞬間に放出される初期放射線です。その被曝線量は爆心地から1キロ以内では、大半が死に至るほど高い値ですが、2キロ付近で100mSvを下回ります。100mSvは健康に影響をもたらす基準とされている値とされていて、放影研はそれより遠くでは影響は見られないとしているのです。

しかし被曝はそれだけではありません。黒い雨や地上に残された放射性物質による残留放射線です。原爆投下後の1ヶ月あまりの後の測定から、被曝線量は高いとことでも10から30mSvと推測されています。

放影研の大久保利晃理事長。残留放射線の被曝線量は、研究の中で無視してよい程度だったとしています。

「集団としてみた場合には黒い雨の影響はそんなに大きなものではなかったと思います。影響はないとは言ってませんよ。もちろん放射線の被曝の原因になっているということは間違いない事実だと思いますけれど。それが相対的に直接被曝の被曝線量と比べて、それを凌駕する、あるいは全体的に結論を変えなければいけないようなものであったかという質問であっととすれは、それはそんなに大きなものではなかったと。」

公開された分布図を見ると、黒い雨にあった人は、爆心地から2キロの外にも多くいたことが分かります。それなのになぜ黒い雨の影響を調べなかったのか。多くの人が、放影研の説明に納得できずにいます。

爆心地からおよそ2.5キロ。広島市の西部、己斐(こい)地区です。黒い雨が激しく振りました。しかしひとりひとりが黒い雨を浴びた確かな証拠はありません。

佐久間邦彦さん。67歳です。当時、生後9ヶ月だった佐久間さんにとっても、黒い雨を浴びたことを示すものは自分をおぶっていた母の話だけでした。

「聞いているのは最初、パラパラっときて、それからザーッときたというふうには聞いてますけどね。頭と背中と、当然、もろに濡れたんじゃないかなと思っています。」

佐久間さんは幼いころから白血球の数が異常に少なく、小学生のときには、腎臓と肝臓の大病を患いました。母親の静子さんは乳がんを発症。しかし黒い雨を浴びた確かな証拠はなく、その影響を強く訴えることはできませんでした。佐久間さんは放影研のデータの存在を知り、自分のデータはあるのか問い合わせました。二週間後、送られてきた封筒には、調査記録のコピーが入っていました。

「イエスというふうにこれ(原爆直後、雨ニ逢イマシタカ?)にチェックしてあります。まさかですね、私がこの中の人になるとは思っていなかった。」

調査に答えていたのは母、静子さんでした。母が答えた調査記録があるのに、なぜ国は病気のことを調べてくれなかったのか。病気と黒い雨との関係を明らかにできなかったのか。疑念が沸いてきました。

「そのままにしておかれたのかという、私たち被爆者の立場から考えたら、もう何の調査もされていないということは、これはもう憤り以外、なにものでもないですよね。」

今、放影研から調査記録を取り寄せる被爆者が相次いでいます。私たちは今回、被爆者の承諾を得て、53人分の調査記録を集めました。被爆者自身、初めて眼にする黒い雨の確かな記録です。中には、発熱や下痢など、複数の急性症状が爆心地から5キロの場所にいたにもかかわらず、強く出ていたという記録もありました。

調査を行ったABCCは、黒い雨のデータを集めていながら、なぜ詳しく調べることなく眠らせていたのか。私たちは調査を主導していたアメリカを取材することにしました。

(アメリカ・ワシントン)

ABCCに資金を提供し、大きな影響力を持っていたのが、原子力委員会(現エネルギー省)です。戦時中、原爆を開発したマンハッタン計画を引き継ぎ、核兵器の開発と、原子力の平和利用を、同時に進めていました。

被爆者の調査がはじまったのは1950年代。

「核分裂物質が人類の平和のために使われるだろう」(アイゼンハワー大統領)

アイゼンハワー大統領の演説を受け、原子力の平和利用に乗り出したアメリカ。しかし核実験を繰り返した結果、国内で被曝への不安が高まり、対処する必要に迫られていました。

原子力委員会の意向を受け、ABCCは被曝の安全基準を作る研究にとりかかります。被爆者93000人について、被曝した状況と健康被害を調べて、データ化する作業がいっせいに始まりました。

当時の原子力委員会の内情を知る人物が、取材に応じました。セオドア・ロックウェル氏、90歳です。戦時中、広島原爆の開発に参加したロックウェル氏は、原子力委員会で、原子炉の実用化を進めていました。安全基準を一日も早く作ることが求められる中で、黒い雨など、残留放射線について調べる気は初めからなかったといいます。

「被爆者のデータは絶対的な被ばくの安全基準を作るためのものだと最初から決まっていました。残留放射線について詳しく調査するなんてなんの役にも立ちません。」

さらに私たちは残留放射線の問題に対する原子力委員会の強い姿勢を示す資料にいきあたりました。

「これは原子力委員会からの手紙です。1955年のものです。」

手紙を書いたのは、原子力委員会の幹部だったチャールズ・ダナム氏。調査を始めるにあたって、学術機関のトップにこう説明していました。

「広島と長崎の被害について、誤解を招く恐れのある、根拠の希薄な報告を抑え込まなければならない。」

ダナム氏が抑え込もうとしていた報告とは何か。ちょうどそのころ、広島のABCCで残留放射線の影響を指摘する報告書が出されていました。

「広島における残留放射線とその症状」。報告書を書いたのは、ローウェル・ウッドベリー博士。広島のABCCで統計部長を務めていました。報告書の中で博士はまず、黒い雨など残留放射線の影響は低いとした当時の測定結果に疑問を投げかけています。原爆投下の1ヵ月後、巨大な台風が広島を直撃。ほとんどの調査はそのあとに行われ、測定値が正確でなかった可能性があると指摘しています。

「台風による激しい雨と、それに伴う洪水によって、放射性物質の多くは洗い流されたのかもしれない。」

ウッドベリー博士は、実際の被曝線量は、健康被害が出るほど高いレベルではなかったかと考えたのです。

その根拠として、ある女性の調査記録を示しています。下痢や発熱そして脱毛など、九つもの急性症状が出たことをあげ、黒い雨など、残留放射線の影響ではないかと指摘しています。

「女性が被曝した4900メートルの距離では、初期放射線をほとんど受けていないはずだ。女性は市内をさまよっている間、黒い雨が降った地域を数回通っている。この領域の放射線量が高ければ、症状が出るほどの被曝をしていたかもしれない。」

女性の名前は栗原明子(くりはらめいこ)。取材を進めると、この女性が今も広島にいることが分かりました。

栗原明子さん。86歳です。当時、ABCCに事務員として務めていたため、ウッドベリー博士の調査の対象にもなっていました。原爆が投下されたとき、爆心地から5キロの場所にいた栗原さん。その後、市の中心部にあった自宅に戻り、激しい急性症状が出たのです。

「髪をといたら、櫛にいっぱい髪の毛がついてくるから、これはおかしいね思って、髪の毛が大分抜けましたね。」

しかし残留放射線の影響をうたがっていたのは、ウッドベリー博士だけで、ほかの研究者に急性症状のことを話しても、まったく相手にされなかったといいます。

「怒ったように言われましたね。絶対にありえないいうて。二次被曝というようなことは絶対にありえないからって断言されました。矛盾しているなあ思ったんですけれど、本当に私も体験して、他にも体験した人をたくさん知ってましたからね。なぜそれは違うんかなあと思って、不思議でしかたがなかったんですけれども」。

ウッドベリー博士が報告書を書いた直前、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行っていました。日本のマグロ漁船、第五福竜丸が、放射性物質を含んだいわゆる死の灰を浴び、乗組員が被曝。死の灰の一部は日本にも達し、人々に不安が広がっていました。

「一方、青果市場には、おなじみのガイガーカウンターが出動しました。青物をしらみつぶしに検査しましたが、ここでも心配顔が増えるばかりです。」
(当時のテレビニュースより)

「最近、日本の漁師が、水爆実験による死の灰で被曝するという不幸な事件が起きた。今、広島・長崎の残留放射線に対する関心が、再び高まっている。この問題は、より詳細な調査を必要としているのだ。」(ウッドベリー博士)

原子力委員会のダナム氏は、こうした主張こそ、東西冷戦の最中にあったアメリカの立場を悪くするものだと警告します。

第五福竜丸事件の後、日本で反米感情と、反核の意識が高まっていました。広島では第1回、原水爆禁止世界大会が開かれ、被爆者が被害の実態と核の廃絶を訴えはじめていました。

「もしもここでアメリカが引き下がれば、何か悪いもの、時には共産主義の色合いのものまでが広島・長崎の被害を利用してくるだろう。そうなればアメリカは敗者となってしまうだろう。」(ダナム氏)

被害の訴えに強く対処すべきだという考えは、原子力委員会の中であたりまえになっていたとロックウェル氏はいいます。

「放射線被害について人々が主張すればするほどそれを根拠に原子力に反対する人が増えてきます。少なくとも混乱は生じ核はこれまで言われてきた以上に危険だという考えが広まります。私もアイゼンハワー大統領も考えていたように原子力はアメリカにとって重要であり、原子力開発にとって妨げになるものは何であれ問題だったのです。」(ロックウェル氏)

1958年11月、原子力委員会の会議にダナム氏と、広島から呼び寄せられたウッドベリー博士が出席。残留放射線の問題が議論されました。議事録は公開されていません。分かっているのは、会議の1ヵ月後、ウッドベリー博士が、ABCCを辞職したことです。

ウッドベリー博士の報告書には、こんな一説が残されています。
「この問題はほとんど関心がもたれていない。私が思うに、何度も何度も、研究の対象としてよみがえっては何ら看取られることなく、静かに葬り去られているのだ。」

ウッドベリー博士が、報告書の中で残留放射線の影響を指摘した栗原明子さんです。戦後、貧血や白内障など、さまざまな体調不良に悩まされ続けました。しかし被曝直後の急性症状も、その後の体調不良も、その後の研究で省みられることはありませんでした。

1975年、ABCCは組織改正されます。日本も運営に加わる日米共同の研究機関、放射線影響研究所が発足しました。研究の目的に被爆者の健康維持や福祉に貢献することも加えられました。ABCCの調査を引き継ぎ、被爆者の協力のもと、放射線が人体に与える影響を研究しています。

国は放影研の調査結果をもとに、被爆者の救済にあたってきました。原爆による病気と認められた人に医療手当てを支給する原爆症の認定制度です。救済の対象は実質、初期放射線量が100mSvを越える2キロ以内。残留放射線の影響はほとんど考慮されてきませんでした。原爆症と認められる人は、現在、被爆者全体のわずか4%、8000人にとどまっています。被爆者は自分たちの調査をもとに作られた国の認定制度との闘いを強いられることになりました。

2003年から全国にひろがった原爆症の認定を求める裁判。その中で被爆者は、半世紀以上も前の被曝の影響を自ら証明することを求められたのです。

原告の一人、萬膳ハル子さん(享年68)です。爆心地から2.6キロで被曝、黒い雨に合いました。訴訟が続いていた2005年、原爆症と認められないまま肝臓がんで亡くなりました。遺族のもとには戦後の貧しさの中で学校に行けなかった萬膳さんが、国に訴える紙を書くために練習していた文字が残されています。

「一生懸命に頼みたいからね、こういう字とか、「切実」とか」

自らの苦しみを必死に伝えようとしていた萬膳さん。それに対し、国は、裁判で被曝の確たる証拠を示すように迫ったのです。

「黒い雨を浴びたなどと供述しているが、それに放射性物質が含まれていた証拠はなく、肝臓がんの発症に影響を与えるとの知見も存在しない。」「脱毛な
どの症状も、客観的証拠は存在しない上、考えられる被曝線量からすれば、放射線による急性症状とは考えがたい」(国が提出した裁判資料より)

萬膳さんが亡くなった翌年、黒い雨の影響を認める判決が出されました。しかしそれから6年が経った今も、国は認定制度を抜本的に見直そうとはせず、黒い雨の影響についても、認めようとしていません。

30年以上、被爆者の医療にかかわり、医師として原告団を率いてきた齋藤紀さん(医師)。詳細な調査もせず、黒い雨の影響をないものとしてきた国こそ、責任を問われるべきだと考えています。

「初期放射線で国は説明がつかないから被曝がなかったんだと国は言っているのですけれども、説明のつかない放射線にもとづくと思われる症状が、多数被爆者の中に認められていたわけですね。その被害がなかったのかどうかは、その調査を突き詰めていくことによって結果として出てくることであって、その調査をつきつめないで被害がなかったというのは科学の常道ではないわけなんですね」(齋藤医師)

解明されてこなかった、黒い雨が人体におよぼす影響。放影研のデータが公開されないなか、被爆地広島の科学者たちが、独自の研究で明らかにしようと動きはじめています。(原爆放射線医科学研究所の映像)

広島大学の大瀧慈教授です。被爆者ががんで死亡するリスクについて研究してきました。大瀧教授らは、被ばくした場所によって、がんによるリスクがどのように変わるか調べてきました。すると意外な結果が得られたのです。

初期放射線の量は、距離と共に少なくなるため、死亡のリスクは同心円状に減っていくはずです。しかし結果は、爆心地の西から北西方向でリスクが下がらないいびつな形を示しました。初期放射線だけでは説明のできないリスクが浮かび上がってきたのです。

「まさか、同心円状でないようなリスクの分布があるということは、まさしく想定外だったと思いけれども。はい。」

このリスクは黒い雨によるものではないか。しか大瀧教授らが使ってきた独自の被爆者データだけでは、確認できませんでした。37000人について、どこで被爆したか調べていますが、黒い雨にあったかどうかまでは尋ねていなかったからです。

去年、放影研が黒い雨の分布図を公開してから、大瀧教授らは新たな分析を試みました。被爆者ががんで死亡するリスク全体から、初期放射線の影響を取り除きます。すると問題のリスクが姿を現しました。それは西から北西にかけて、爆心地よりも高くなっていたのです。

これを今回、放影研が公開した黒い雨の分布図とあわせると、雨にあったと答えた人と、重なったのです。

「やはりその、リスクが高くなっている地域というのは、黒い雨の影響を受けたのであろうということが、強く示唆されているものと考えております。直接被ばく以外の放射線の影響が、あまりにも軽視されてきたのではないかなということが、今回のわれわれの研究を通じてですね、明らかになってきたのではないかと思っております」。(大瀧教授)

今年6月、大瀧教授らのグループは、研究成果を学会で発表しました。
「黒い雨などの放射性降下物が影響しているのではないかと想像されます」。
(研究員の学会における説明より)

黒い雨によるリスクをさらに明確にしたい。大瀧教授は放影研が持つ黒い雨のデータを共同で分析したいと考えています。

放影研はABCCが作成した93000人の調査記録をもとに、すべての被爆者を追跡し、どのような病気で亡くなったか調べています。国から特別な許可を得て、毎年全国各地の保健所に、新たに亡くなった方の調査票を送り、死因の情報を入手しているのです。黒い雨にあったと答えた13000人について死因の情報を分析すれば、黒い雨の人体への影響を解き明かせるのではないか。大瀧教授は考えています。

「黒い雨の影響を研究する上で、世界に類をみない貴重なデータだと思います。可能な限り、広い見かたができるような状況で解析をするということが、データから真実をひきだす必要条件だと思います。そうするとデータはおのずから語ってくれるようになると思います。真実をですね」。(大瀧教授)

こうした指摘を放影研はどう受け止めるのか。共同研究については、提案の内容を見て判断したいとしています。しかし黒い雨による被曝線量が分からない限り、リスクを解明することはできず、データの活用も難しいとしています。

「可能性があるというところまでは、ああ、そうですかということで、もちろんそうかもしれない。そうかもしれないだけで、それ以上のことはいえません
のでね。ゆがむにはゆがむだけの死亡率の、リスクの違いがあるわけですから、その違いを証明できるだけの被曝線量を請求書でもなんでもだしていただかな
いとですね、放影研として一緒に、同じ土俵で議論することはできないということです。」(大久保理事長)

今、私たちは新たな被曝の不安に直面しています。去年おきた原発事故です。子どものころ、母親の背中で黒い雨を浴びた佐久間邦彦さん。福島などから広島に避難している母親たちに、自らの体験を語り始めています。

「母が私を連れて裏山に逃げたのですが、そのときに黒い雨にあったのですね。」
(母親たちへの講演で)

佐久間さんが繰り返し訴えているのは、事故のときにどこにいて、どう避難したのか、自分と子どもの記録を残すことです。被曝の確かなデータがなければ、子どもを守ることはできない。母親が答えてくれた自らの黒い雨の記録を見せながら、語り続けます。

「調査したけれども、その後、何もやっていない。やはり広島の経験を、本当に調査をやってなかったことは残念なことなのですが、怠慢だと思いますが、だけどやはり福島で生かすためには、どんどん進めていかなければいけないと思いますね。過去を振り返りながらね。そうすることが子どもたちを守ることにつながると思います。」(佐久間邦彦さん)

広島・長崎で被ばくし、ガンなどの病気で苦しんできた被爆者たち。長年にわたって集められてきた膨大なデータは、放射線によって傷ついた一人ひとりの体を調べることによって得られたものです。半世紀の時を経て明らかになった命の記録。見えない放射線の脅威に正面から向き合えるかが、今、問われています。

終わり


語り 伊東敏恵

声の出演 坂口芳貞 関輝雄

取材協力 高橋博子 冨田哲治
広島原爆被害者団体協議会
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

資料提供 アメリカ国立公文書館
全米科学アカデミー 広島平和記念資料館
気象庁 広島大学原爆放射線医科学研究所
林重男 林恒子

取材 田尻大湖 山田裕規 松本成至
撮影 佐々倉大
音声 土肥直隆
映像技術 猪股義行
照明 西野誠史
CG製作 妻鳥奨
音響効果 小野さおり

編集 川神侑二
リサーチャー ウインチ啓子
コーディネーター 柳原緑
ディレクター 松木秀文 石濱陵
製作統括 井上恭介 藤原和昭

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