明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(700)安全性を無視した原発新基準を後藤政志さんの考察から批判する・・・3

2013年07月03日 12時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130703 12:00)

後藤さんの講演のノートテークの3回目です。今回は「過酷事故対策」の中でも最も象徴的とも言える格納容器ベントについて語ってくださっています。よくマスコミにベントはちゃんとやられたのか、やれるようにしてあるのかという論調が流れていますが、ベントはもともとあってはならないものなのです。後藤さんは「格納容器の自殺」と呼んでいます。
僕も講演などで「過酷事故対策」というものがいかに安全思想を逸脱したものなのかを説明するときに、よくこのベントの話をします。非常に重要な点ですので、とくにここをじっくり読み込まれてください。
また格納容器の問題では、先に再稼働が狙われている関西電力などの原子炉・・・加圧水型の方が、沸騰水型では封入されている水素爆発を防ぐための窒素が入っていないので危険が大きい点が指摘されています。これも再稼働の動きと向き合っていくときにとても重要なポイントになるものです。

なおこの原子力規制委員会の新基準に対し、新潟知事が真っ向から反対を表明し、柏崎原発の再稼働を認めないことをはっきりと宣言しました。県民および周辺の人々の命を預かる知事としての素晴らしい判断だと思います。ぜひ応援したいものです。
こうした英断を下せる自治体首長を増やしていくためにも、後藤さんの貴重な経験知のシェアを進めていきましょう!

以下、お読みください。

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原子力発電所の真実を語る・・・3
後藤政志 2013年3月30日 
福井から原発を止める裁判の会主催講演会より
http://www.youtube.com/watch?v=7DgSaLgd1rc

さて炉内を想像してみます。溶融物が圧力容器を溶かして、格納容器の下に落ちて、コンクリートの床に落ちて発熱反応が起こっています。それ以上、どうなっているのか分からずに水をいれています。これがずっと続きます。カメラを入れても見えなかった。
そうすると原発を復旧するといいますが、溶け落ちた燃料を取り出さないとどうにもならないのです。しかし溶け落ちたものがどうなっているのかも分からないのです。分からないで水を入れているだけです。だから私はこれはもうダメなのかもしれないとも思っています。燃料を出せずに石棺化するしかないかもしれない。

安全対策の方からいうと、格納容器の下に燃料が落ちた時に、直接にそこに配管しておいて、水をジャバジャバかけると言っています。本当ですかということです。福島でも水をジャバジャバかけましたが、入れたはずの水が入ってなかったり、よく分からないことがいっぱいあるのです。
ここに配管をして溶融物に水をかけたらちゃんと冷えるのか。外側は冷えてもなかはドロドロになってたりします。しかもそのときに水蒸気爆発の危険性があります。火山でも大爆発を起こします。物理的な爆発です。水素爆発は燃えるのと同じです。濃度が高いと爆発的に燃える。
それに対して水蒸気爆発は、溶融物が微細化して、水の中で急激に周囲を沸騰する。体積がボンと増えて閉じ込めてあれば圧力が高くて吹っ飛んでしまう。これが怖いのですが、今回も起こった可能性があります。しかし格納容器を破壊するまでにはならなかったから救われた。あれが吹っ飛んでしまったらとんでもない被害になります。

それから冷却に失敗して格納容器の圧力が上がって、ベントというものをしました。ガスを逃がしました。これは1992年から過酷事故対策が始まって付けられだしたものです。これは本来はあってはならないものです。
なぜかというと格納容器は放射能を閉じ込める容器でしょう。放射能を出さないためのものなのに、自分の圧力が上がってしまったから放射能を出すってどういうことですか。だから私は格納容器の自殺と呼んでいるのです。
なぜって格納容器は私が設計を始めたころには、約束をしているのです。原子力の安全はどうやって保たれるのか。どんな事故が起こっても最後は格納容器がある。その中に放射能を閉じ込めるから、みなさんには迷惑はかけませんという約束です。
これが安全の最後の砦といって私は設計してきたのです。そこにガス抜き?そんなものつけてはいけませんよ。ところが私が設計をはじめて、私は中途入社で1989年から始めたのですが、3年も経たないうちにベントをつけろと言い始めた。なんじゃそれは。まったく矛盾していると思いました。

ですから今も主張しています。規制委員会でこう言ってます。「ベントは今回はまずかった。ベントをしたがフィルターをつけてなかったので申し訳ない。次はフィルターをつける。沸騰水型はすぐに。加圧水型もやがてつける。5年待つけど」。
5年待つとはなんだろうという気もしますが、そもそも何もしなくても放射能を中に閉じ込めているから安全を担保するのが格納容器なのです。静的に、駆動装置がなくても貯めるようになっている容器なのです。だから安全のために非常に有用なのです。
それを動的なもの、バルブをつけたりしたとたんに、その故障が心配されるわけです。今回だって開かなかったんでしょう。一つのバルブを開いたけど、もう一つのバルブが開かなかった。暗いし、放射線は高いし、高いところににあって作業はやりにくいし。しかも手で開けられない。
そんな不確かなものでやるのですが、また同じことをいうのではないかと心配するのです。対策はしたけれども環境が違って、また開かないということがありうる。

しかもフィルターをつけますからね。フィルターは放射性物質を濾しますから容量がいるのです。そして放射性物質が出てくる量が多すぎれば突破されてしまうのです。抜けてしまうのです。そうすれば同じことになる。しかしフィルターは壊れない、大丈夫ですと言っているだけなのです。
そもそも私は格納容器は小さいと言っているのです。格納容器屋が格納容器がためだというのは心苦しいのですが、申し訳ありません。私は今はGEの設計が間違っているとはっきり申し上げます。間違いない。マーク1というタイプがそうですが、沸騰水型はすべて同じです。余裕がなさすぎるのです。もっと大きければまだ対応の時間がある。
フィルターをつければベントをして良いのかというと、私はダメだ、ベントをする必要のない格納容器を作りなさいというのが基本的な主張です。

格納容器のタイプは沸騰水型では、その下にプールがあるものがあります。この場合だと溶融物が水の中に落ちてくるのですぐに水蒸気爆発を起こします。今回はマーク1型で下にプールがなかったので水の中には落ちてこなかった。不幸中の幸いだったかもしれません。
ABWRという最新型があります。これは一見、経済的と言われているのですけれども、出力を3割も上げているのに容積は小さいのです。柏崎6、7号、島根3号、浜岡5号がそうです。志賀2号もそうです。これも違った形の事故が起こりやすい。
加圧水型の格納容器についてはアイスコンデンサー型と鋼製ドライ型があります。前者は大飯1、2号だけです。これは非常に危ない。極めて格納容器が危ないのです。アイスで冷却するようになっているのですが、このシステムが働かないと格納容器がコンパクトだからどんどん圧力があがってしまう。水素爆発に対しても危ない。

加圧水型の格納容器の一番の問題は、容積が大きいのです。沸騰水型よりいいよねと思います。ベントしなければならないまでに時間がかかります。だからといって時間がかるだけで、事故が続けばベントをしなければならなくなります。だから規制委員会もフィルターをつけるようにしようと言っています。
ただし沸騰水型は小さくて危ないのですぐにつけなさい。でも加圧水型は大きいので、とりあえずはいいよ、何年かうちにつけなさいという表現になっていますが、私はこれが最悪だと思います。事故の可能性はあるからです。

もうひとつの問題は沸騰水型は水素爆発を恐れて、中に窒素を入れているのです。そのため中では水素爆発は基本的には起こりません。少なくとも初期には。だから今回も、班目委員長が「水素爆発は起こりません」と菅さんに胸をはって言ってしまったのですね。
彼は非常に運が悪かったと思うのです。中に窒素が入っていますから、私だって聞かれれば第一声はそういいますよ。ところが外で漏れて爆発するのですね。この漏れることを想定しなかったことが判断のミスです。ただしなかなか気がつかないかもしれない。
私は格納容器を設計していましたから、爆発があったと聞いたときに、これではないかとすぐに推測できました。圧力も温度も上がっていたから水素は外に漏れていた。そうすると外には酸素がありますから爆発したのです。

加圧水型はこの窒素が入っていないのです。だから水素爆発を起こしやすい。水素を処理する装置がついているのですが、それが故障したらどうなるのか。その処理能力はどれぐらいなのか。とくに火をつけて水素を燃やすものがあるのです。部分的に出てきて火をつけて燃やして処理するのです。
格好いいけど、故障した時を考えてください。水素が出てきた、あ、故障しちゃった、火がつかないうちに水素が広がります。いい塩梅になったときに戻って火をつけたら自爆装置でしょう。事故というのはそういうものなのです。安全装置が故障して、復旧した時にボンと行くというのはよくある話なのです。
そういうものと、このときに窒素を封入しているものと、どちらが安全だと思います?桁違いに窒素封入の方が安全ですよ。間違いなしに。加圧水型はつけた装置が何かあったらおしまいなのです。そうすると安全性のレベルが違うのです。水素に対していうと加圧水型の方が圧倒的に危ないのです。

過酷事故対策というものがいかにいい加減かという点を申し上げます。大飯原発3号機の意見聴取会でのことですが、11.4メートルまでの津波に耐えるようにしています。しかしそれを超える津波が来る可能性があります。そうすると建物が水をかぶる。それに対して水密扉をつけました。
水が入ってこないといいますが、誰が閉めるかというと人間がやるのです。地震がきた、津波がくるぞということで閉めにいきます。何分でできるでしょうか。福島は地震から津波まで40分でしたが、奥尻島は5分です。そんなもの、人間が閉めにいくことで水密化できるはずがないのです。それが一点の間違い。
また建物にはいろいろと扉がありますから、もし水密化をするというのなら実際に実験をしないとだめなのです。理屈上で大丈夫だというのでは甘い。対策をいろいろ立てていますが、確実にできるかどうかわからないのです。

一番の傑作は最後に出てくるものです。「格納容器が破損に至った場合などを想定し、屋外放水設備の設置などを要求」とあります。素晴らしいよね。これで放射能を抑制するというのですが、私は腹が立ちます。やってはいけないとは言いませんが、これが安全装置だということにめちゃくちゃに腹が立つのです。
本当にひどいです。まったく意味がないですよ。こうしたことがあるから大丈夫だというのがあまりにもひどいというのが私が言いたいことです。

よくお見せする図があります。螺旋に見える絵なのですが、実は同心円が並んでいるものなのです。騙されるでしょう。人間の目はこういうものに騙されるのです。下に縞模様を作ってその上に円を重ねると錯覚が起こります。心理学者が作ったものでフレーザーの錯視といいます。
ここにいる全員が騙されてしまいます。そうするとプラントで何かが起こったときに、全員が同じミスを犯すことがありうるということを意味しているのです。これが事故の怖さなのです。

事故は人間のエラーと機械の故障と自然現象の3つから起こってきます。そのときにどうするか、こう考えているのです。そのシステムだけで完全な安全が確保できているか。できないのならプリベンションといって事故の発生予防をほどこします。フェールセーフとかフールプルーフといいます。
それでも事故が発生するかもしれないので、発生したときはミチゲーション、事故の被害を緩和する対策をほどこします。ここまでわれわれ技術者がやることです。
ところがここまでで安全かどうか、判断ができません。ここまでの対策をして、最悪の場合はどうなるかを想定して、みなさんに提示します。それでみなさんは、この被害は受忍できるかどうかを議論するのです。そのときどのような被害があるかを提示するのが技術者の役割だと私は考えています。

ところが原子力の技術屋さんはこのすべて(受忍できるかどうかまで)をやろうとしています。それは僭越なことだと私は思っています。水蒸気爆発があるのかと聞かれればある人は滅多に起こらないといいますが、私は起こる可能性は確実にあると言います。

(講演はここでいったん終了 この後、補足説明が続く。この連載も続きます)

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明日に向けて(699)安全性を無視した原発新基準を後藤政志さんの考察から批判する・・・2

2013年07月02日 11時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130702 11:00)

前号(698)に続いて、後藤さんの講演の続きをお送りします。ぜひ後藤さんの説かれる「安全思想」の根幹をつかみとってください。この発想は原発事故にとどまらずあらゆる技術にも通じるものです。
世界の技術者のみなさんが培ってきたものであり、こうした思想性に裏付けられた技術の体系こそを私たちは継承すべきなのだと思います。
そのためには、安全思想を踏みにじっている原発の存在、そこから幾ばくも出てはいない原子力規制委員会の新基準のあやまりをしっかりとつかみとり、広く国民・住民の間に、いや世界に広げていく必要があります。

以下、お読みください。

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原子力発電所の真実を語る・・・2
後藤政志 2013年3月30日 
福井から原発を止める裁判の会主催講演会より
http://www.youtube.com/watch?v=7DgSaLgd1rc

安全の問題を考える上で、継続的な事故の原因究明と抜本的な対策が必要です。「我が国では、従来も、そして今回のような大事故を経ても対症療法的な対策が行われているにすぎない。このような小手先の対策を集積しても、今回のような事故の根本的な問題は解決しない」と事故調もはっきりうたいました。
ですから事故分析が一番大事だということになります。

判断の基本はどこにおくかですが、私は安全目標だと思っています。それなりに安全を確保したとする目標が安全目標です。
それにこれまでの考え方には確率の考え方が入っています。部品一つ一つが1000年に一度壊れる。それらを総合していって壊れる確率を出すわけですが、私が一番主張したいのはそうした考え方が福島で破綻したのだということです。
なぜかと言えば、福島で事故が起こる確率をとても小さく見積もっていたのです。しかも防げなかった。運転していたプラントは全滅なのです。ということは、確率が小さいとかそんなことが言える状況ではないのです。
そんな確率で判断するのはなくて、最悪の被害を想定する。それで「みなさんどうする」と問うて、「我慢しようと」となったらそれが安全目標なのです。それを確率で考えることがもはや問題なのです。
これまでも100万年に1回とかいうものが、すでにスリーマイル、チェルノブイリ、福島と起こっています。それならば次が確実に起こってくる。世界のどこで起こってもおかしくない。
この間、スイスに呼ばれました。スイスは面積が四国と同じ程度です。あそこで事故がおきると国がなくなります。日本でもそうです。本当にひどい事故が起こったら日本のほどんどが住めなくなります。

福島以前の事故の考え方は、たとえ予想される事故が大規模でも、発生頻度を1000000分の1以下に抑えれば、確率が小さいのだからいいではないかというものでした。被害の大きさを確率で考えるというのですが、こんな考え方はもう成立しないのです。こんなものは非常に幅があって、判断のしようがないのです。
先ほど、部品ごとに判断すると言いましたが、ネズミが配線をかじる可能性はどうするのでしょう。東電が失敗して、ごまかして、騙していました。これは確率に入っていますか?というふうに考えると、そんなものはある理想的な状態において、発生頻度を考えているだけなのです。
この考え方が間違っているのが明らかです。したがって私はこう主張しています。「大規模事故は、発生頻度が極小さくても被害の程度が大きい場合には許容できないとすべきだ」ということです。あるいはそうした事態を許容すべきかを論議すべきなのです。
これは私は絶対基準だと思います。このことに立たずして安全性の議論はできないと私は思います。

さらに失敗から学ぶという考えがあります。政府事故調の委員長をやった畑村洋太郎という方が「失敗学」をやっていて、実は私はとても重なるのです。私も失敗学をずっとやってきました。技術において失敗の問題は非常に重要なのです。
失敗はどうして起こるのか、どうやって超えるのかという点では非常に一致します。しかし次の点では食い違う。あらゆる技術は失敗によって成長すると畑村さん言っているようにみえます。それは間違っている。何が間違っているかというと、許容できる失敗かどうかという点です。
確かにどんな技術も失敗を乗り越えて発展していきます。しかし原発ではどうか。まったくナンセンスです。炉心溶融事故は確かに滅多には起こりませんが、起こってしまった。失敗を乗り越えるために、技術的工夫をする。しかしまた起こってしまう。それで工夫を重ねる。
それを何百回も重ねれば、比較的安全なプラントができるかもしれません。しかしそのころは地球上は放射能の海で住めるところはなくなります。
原発の炉心溶融のような事故は失敗したら終わりなのです。失敗から学ぶことなどできないのです。そこは矛盾しているのです。技術は失敗の上に成り立つからです。失敗を許さない技術は技術ではないのです。だから原発の技術を他の技術と一緒にしてはいけないのです。そこが畑村さんと私の違うところです。

これまで東電は何度も制御棒の脱落事故を起こしながら20年以上隠してきました。これらは停まっているときに起こった、対策をすると言っていますが、そこが信用ならない。なぜならそれでは動いてないときは安全装置を働かせて止めていることになるわけです。運転するときはそれを外して運転します。
そのときに落ちてしまうことはありえるわけです。落ちないようにするものを、運転するときに外すことになる。それにトラブルを重ねて考えると原理的には落ちうるのです。そうなると運転中に制御棒が落ちることがありうることになる。実際に1978年に5本も落ちて臨界に達しているのです。
先日、大飯原発の訴訟の話で美浜の会の方が記者発表をしていましたが、加圧水型であっても、上から入りにくくなる問題があります。沸騰水型ではもっと危険が高いのです。

その沸騰水型ですが、炉内で核反応が進むとお湯が沸騰してタービンにいって、発電をします。復水器で冷やされて水になって炉内に戻ります。
加圧水型は、原子炉の外に加圧機があって、水に圧力をかけます。そうなると炉内で蒸気にならずにお湯のまま回ります。それが蒸気発生器で配管を隔てて水と接触し、それが沸騰して蒸気を発生させます。
何がメリットかというと、美浜で事故があったときに、タービンで配管が切れ、熱湯で人がなくなりましたが、加圧水型では二次系には放射能がありませんので、被害はそこで止まるということがあります。

さて加圧水型は上から制御棒が入ります。沸騰水型は下から入ります。沸騰水型は炉内で蒸気が出てくることに対応した装置が原子炉の上部にあるので、上からは入れられない。加圧水型はそれがないので上から入れられるのです。
加圧水型の弱点は、圧力容器が圧力が高いので厚いのです。その方が、脆性破壊に弱いのです。金属がガラスのように割る状態が脆性破壊です。
炉内が加熱したときに、緊急冷却装置で水が大量に入ります。そのときに熱が高いと、脆性破壊が起こりやすいのです。炉内の鉄板には中性子があたってどんどん弱くなっているので危険性が高まります。
毎年、検査をしていますが、危険が実際に高まっています。

電力会社はまだ余裕があるという言い方をしています。ところがこの脆性破壊について、金属の専門家が評価をしています。プラントでは幅があるはずです。私は厳しい条件を考えてないと思います。
原子炉が脆性破壊を起こしたら、瞬時に終わりです。5キロ以内はすぐに逃げてくださいなどという時間はまったくありません。制御どころではありません。福島並の事故などとはとても言えません。即死する人がたくさん出ます。規制委員会はまじめにこのこおとを考えているのでしょうか。

私は海底石油の掘削船を設計しました。100年に1回の波が来ても大丈夫なように設計しました。しかしその船が太平洋を曳航されている間に、嵐で沈没しました。海の藻屑です。もし人が死んでいたら最悪でした。
私はそこで無謬性にたってはいけないことを学びました。あらゆるところにミスは入り込むのです。自分の考えているような理想的なもので済んだら事故など起こらないのです。そうではないことがあったときに事故が起こるのです。
福島の事故で氷を入れようとなった。そうしたら氷をいれる計算などしていたのか。してなどいないのです。それが事故なのです。
だから設計では一応、いろいろな状態を考えます。しかし事故では想定を越えてしまう。だから炉心溶融のあとの状態はあくまで推測にすぎないのです。だから新基準で言われている新たな対策とはすべてが仮定の上で言われていることなのです。
設計した条件があって、配管が切れたときにどうなるかを想定します。それはそんなに外れません。しかし炉心が溶融したらどうなるか、もうわからないわけです。神のみぞ知る世界です。それへの対策をやると言っている。そんなのは間違っています。

3月11日の地震がきました。このときは実は他のプラントも危なかったのです。女川原発は津波に対してあと1メートルか2メートルで助かった。しかし女川のようにすれば安全だというのは間違いです。たまたまた2メートル前で止まったのです。
浜岡で18メートルとか言う津波で設計したら、東南海地震で20メートルを超えるとなった。それで設計をあわてて変えたそうですが、しかしその想定も超えることはありうる。ありえないなどとは絶対に言えないのです。
それを考えると、だいたいそれぐらいのものがきそうだという想定はできるかもしれない。しかし最大がどれぐらいかとはとても言えないわけです。最大の津波や地震は設定できないのです。学会の動向を見ていてもそう思います。
一説には湾の形と山の崩壊のかさなりで500メートルにもなったことがあったとすら言われています。インドネシアでも40メートルという津波も何度も来ているのです。


さて規制で論じているのは外部電源の確保の問題です。長い電線があって、機械があって、ものすごい数があります。完璧に切れないようにするとあまりに難しくなるのです。そうなると外部電源が切れなくなることは追求はしても現実性はありません。
事故のときには冷却ができなくなり、非常用のディーゼルが立ち上がりますが、それが動かなかったりする。そのとき、1号機では復水器(アイソレーションコンデンサー)が電源がなくても動くはずだったのに動かなかった。田中三彦さんは水素が原因したのではと推測しています。

このとき政府事故調はバルブが開かなかったという見解を出しました。国会事故調は真っ向から反対していますが、そのバルブの考え方にも問題があります。
というのは格納容器は事故が起きた時に放射能を閉じ込める装置です。そのときに配管があります。そこから放射能が漏れてはいけないので、事故が起きた時にすべてのバルブが閉まります。それで格納容器の中に放射能を閉じ込めるのです。
しかし配管は冷却する装置です。どうするんですか。「危ないから放射能を外に出さないでください」という命令を出します。ですけれど、一方で冷却をするのにバルブを開いて水を入れなくてはいけない。もともと矛盾しているのです。
水で冷やすということと、放射能を閉じ込めるというのは矛盾しているのです。いっぺんに両方はできないのです。ではどうするのか。半か丁ですよ。冷却を重視したら、そこから放射能が出てしまうのです。
なぜそうなってしまうのか。放射能を外に出してはいけないという要求が技術に比して厳しすぎるのです。隔離することが冷却を阻害します。そうなっているのが一番の矛盾なのです。

続く

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明日に向けて(698)安全性を無視した原発新基準を後藤政志さんの考察から批判する・・・1

2013年07月01日 23時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130701 23:00)

原発の再稼働に関して原子力規制委員会が設定した新規制基準が7月8日から施行されます。活断層の問題などで、従来のあまりにずさんだったものよりは幾分厳しくなったものとは言えますが、それでも福島原発事故でも明らかになった原発の危険性の多くを無視したものになっています。
最も重要な問題は、新基準が「過酷事故」を前提にしたものになっている点です。過酷事故とは、単にシビアな事故というあいまいな概念ではありません。「設計上の想定を超えた事故」が過酷事故なのです。つまり設計上施された安全装置がすべて突破されてしまった状態です。
従ってその場合の対策とは設計上にないものです。ではどうしてそんなものがあらかじめ「想定」できるのか。実はできないのです!ただ過去にあった事例から、同じことが起こった時への対処を考えただけです。しかし設計上の想定・・・安全装置が突破されてしまったのだから何が起こるかわからない。

このため新基準がよってたっているのは、原発は福島のような事故を再度、起こすことがありうること、そのときのためにプラント自体には安全装置を組み込めないけれども、これまであった経験から考えられる対策を施すという考え方でしかないことははっきりしているのです。
今、必要なのはこのような発想の上に立った原発の運転を、国民・住民が認めるのか否かの論議をきちんと行うことです。もちろん、きちんと論点が開示されて、まともな論議が行われれば、当然にも人々の答えは圧倒的な否に帰着する以外にないと思います。

にもかかわらず、またしても大手マスコミは、この重要な問題を見抜けず、新基準のよって立つ発想を捉えることができないままに、これを肯定してしまっています。本当に嘆かわしい。
例えば毎日新聞は6月20日に「原発新規制基準 厳正な審査を徹底せよ」という社説を掲げ、次のように主張しています。(一部抜粋です)

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新基準は従来の安全規制を抜本的に見直すものだ。規制委は新基準の施行に先立ち、運転中の関西電力大飯原発3、4号機の適合状況を事前確認中だが、新設原発の過去の安全審査は複数年かかっていた。既存原発の審査といえど、過酷事故対策など従来になかった項目も多い。審査にあたっては、効率よりも安全性の確保を優先してもらいたい。
地元の同意や地域防災計画が策定されていることが再稼働の前提条件となるのは、言うまでもない。
新基準の施行は、原発を安全性というふるいにかけて、適合できない場合は退場してもらう時代の幕開けを告げるものでもある。廃炉がスムーズに進む枠組み作りに本腰を入れて取り組むことこそが、安倍政権には求められている。

社説:原発新規制基準 厳正な審査を徹底せよ
毎日新聞 2013年06月20日 02時30分
http://mainichi.jp/opinion/news/20130620k0000m070123000c.html

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適合できない場合は退場してもある時代の幕開け・・・これほど新基準への肯定的な賛辞はないのではと思えますが、この社説のどこを探しても、新基準のよって立つ思想的前提=パラダイムの検討そのものがありません。
どうしてこうした肝心な問題を掘り下げることができないのかとため息がでるばかりなのですが、しかし少し立ち止まって、僕自身がどうしてこうした点を判できるようになったのかを振り返ってみると、ある方が繰り返し行っていた提言を何度もノートテークしながら学んだためでした。
その方は元東芝の格納容器設計者の後藤政志さんです。後藤さんは、事故直後から、原発の状態の移り変わりを、非常に的確に推測し、私たちに教え続けてくださったのですが、その際、設計思想や安全思想についても繰り返し話してくださいました。
現在の事故対策が、そうした安全思想から逸脱したものであること、また原発自身がこうした問題を構造的に抱えていることを、わかりやすく解説し続けてくださったのです。

そこで新基準の施行を前に、もう一度、後藤政志の提言に学ぶ必要があると考えて、ネットを検索したところ、本年(2013年)3月30日に福井市で行った講演の録画があることがわかりさっそく拝聴して感銘を受けました。
同時にこの内容を多くの方にきちんと知っていただきたい、また単なる事実関係の知識としてではなく、可能な限り後藤さんが語る設計思想そのものを捉え、今後のさまざまな問題に応用可能になっていただきたいと考えてノートテークを始めました。
みなさんとシェアしていきたいと思います。なお必ずしも話した通りには記述していない粗い記録ですので、文責は守田にあることをご承知ください。

長いので数回に分けますが、後藤さんの発言を紹介した後に、僕なりのまとめを行いたいと思っています。なお、この講演の冒頭で、後藤さんが僕が配信した記事に触れてくださっていました。・・・光栄です!

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原子力発電所の真実を語る・・・1
後藤政志 2013年3月30日 
福井から原発を止める裁判の会主催講演会より
http://www.youtube.com/watch?v=7DgSaLgd1rc

原発とは何なのかという基本的な点をお話したいと思います。

福島の現状で、原発関連死というものが東京新聞で出されました。789名が原発事故のせいに関連して亡くなっているというものです。
今朝、私によく配信してれる京都の守田さんがこのことをネットで書いていましたが、実際にはまだカウントされていない地域もあって、もっと亡くなっていて、1000人を越えていると考えられる。このことはもの凄く重たい事実です。

私の講演会でも、福島事故の大変さを言いますが、原発を推進している人たちは、「福島では誰も死んでないじゃないか」と言います。NHKの討論のときもそうでした、その言い方が自身が非常に腹が立ちましたが、そのときはこういう表現は気づきませんでした。
しかもこれは今分かった数値です。まだ続くのです。放射線管理区域に人が住んでいる状態です。今後、がんが発生したりする可能性を秘めています。これを考えると甚大な被害があります。
私よりももっと踏み込んで、今後、被害が拡大することを重視して発言している人がいます。私は医者でないし、放射線の専門家ではないのでそれ以上は言えないですが、少なくもと放射性物質の広がりは間違いないことです。

今、本当に果てしなく、第一原発に汚染水が溜まっています。建物の近くに数千トンから2万トン近く、4基分で78000トンぐらいたまっています。
しかも格納容器が抜けてしまっています。炉心が溶けているので、そこを冷やして、それをまた汲み上げて循環させていますが、壊れているので、出てしまっています。
1日400トンの地下水が流入しています。私が恐れているのは、地下水が入ってくるということは、汚染した水が外に出ていかないという話はないということです。トータルでいって400トンということで、地下水に出ているのではないか。正直、出ていると思うのです。
しばらく経ってから高濃度の汚染が海から出てくるなどの可能性がある。汚染水を外に出してるのではという心配がつきません。

またタンクが満タンになっています。足りなくて仮設のタンクを増やしていますが、1年以内に足りなくなります。どこに作るのでしょうか。なぜそんなことになるのか。原発を冷却をずっと必要としている。止まっていて、壊れている。だけども、核燃料はずっと冷却しなくてはならない。
運転しているときが100%、一ヶ月ぐらいで1%になりますが、それ以降もやはり熱を持っている。だから冷却を続けなくてはならない。

最近、そのクーリングシステムが止まりました。マスコミからコメントを求められましたが、事故から2年経って、電源が落ちた。ネズミらしきものが接触してショートして止まった。
しかし冷却を必要としているわけです。それが止まったら、なんと29時間も止まりましたが、原子力規制委員会は、時間的余裕があるから問題がないといいました。
私はそういう考え方はまったくナンセンスです。復旧するのに29時間かかりました。そのときに原因は明確になっていなかった。そうすると電源が立ち上がったあとに、原因が不明なので、同じことが起きる可能性があります。そうしたらすぐに倍の時間がかかってしまいます。

こんなことはあってはならないのです。福島で電源がなくなって、プラントがああした状態になって、多くの人が帰れない状態が作られました。その原因の入口は電源喪失でした。そうした事故があったのに、小さなネズミによって電源が止められて、しかも30時間も対応できない。
私は技術屋なので壊れることがあることは責める気にはなりません。そういうことはありえるでしょう。問題はそういうときの対策がなかったことです。電源がとまって1、2時間で復旧できなくてはダメに決まっているではありませんか。こんなものは。
それが60時間の余裕があるという・・・ふざけるなというのです。人の命を預かっている人たちのやることではないのです。明らかにおかしい。

汚染水の問題も、電源の問題も、背景に仮設であることに問題があります。きちんと設計して作られたものは信頼性が高く、すぐには壊れません。しかし緊急に対応して何かやったものは、一時は動きはしますが、すぐに壊れたりします。
具体例を言います。仮設の配管がありますね。夏場にホースの下から草が生えて、ホースを破ったことがあったのです。仮設は、草が突き抜けるようなことがあるわけです。冬場は凍ってしまって流れなくなった。
この点に関して、冬場は危ないのではないかと聞かれたことがあります。私はまさか対策がないことはないだろうと答えました。確かに対策はありました。タンクを温めていたのです。

ところがストレステストの意見聴取会というのがありまして、私は委員をしていたのですが、そのときに泊原発の話があって、冬場の対策は万全だというので、今の話を質問したのです。すると「ちゃんとタンクを温めています」といいます。
ホースは何百メートルもあります。「ホースは凍ってしまいません?」と聞いたら、「ホースの中を流れていますからね」というのです。私はこれはダメだと思いました。
技術の世界ではそのものが働いているうちはいいのです。働かなくなったときが事故なのです。だから安全な考え方とは、本来、機能しているものが機能しなくなったときにどうするかを考えることなのです。その対策をやっているのかと私は聞いているのです。

だから私が言ったのは、ドラブルがあって電源が落ちて止まったりするでしょう?そのときに凍ってしまうということなのですが、そのことに気づいていないのです。意図的に気づいてないのかはわかりませんが、なんでそういう考え方をするのかと思いました。
流れているから大丈夫ですといえば、停まったらどうするんですかと当然なるのです。そうすると「えっ、そんなことを考えるんですか」という顔をする。それが最も問題なのです。


話を戻します。原発の中には大変な汚染水が溜まっています。タンクをどんどん作っていますが、これも仮設ですので、どんどん劣化してしまう。だから先々これも作り返さなくてはならなくなる。東電はそうせざるをえないのでしょう。それほど厳しいものなのです。
夏場は草が突き抜け、冬は凍ってしまう。こうしたことが次々起こっているのが現状です。
一方で高濃度の汚染が各地で広がっています。事故から数年経って、汚染度が高くなっていきます。溜まったところが高濃度になっています。

福島の事故はなんであったのか。事故原因、事故の進展のプロセスがよくわかっていません。原子炉の冷却になぜ失敗したのか。電源が落ちて冷却ができなくなった過程の中に何があったのか。
東電が主張しているのは、電源がなくなって、津波が来て冷却ができなくなった。全部が間違ってはいないでしょう。しかし津波が来る前に非常用のディーゼルが立ち上がらなかったのではとかいろいろな点がある。国会事故調はここを追及しています。
ここはお互いに証拠がないのです。中に入って調べられないからです。それで国会事故調の田中さんを中心にメンバーが1号機に入ろうとした。ところが東電が真っ暗で危なくて入れないと説明した。嘘でした。東電の社長が、騙すつもりはなかった、勘違いだと釈明しました。

国会が事故要件を構成している重要な点を調べようとしていたわけです。とくに1号機にあった電源を必要としない復水器(IC)があります。これがあれば8時間ぐらいは電源がなくても冷却できるはずだった。東電もそれで2号機の方に集中していたら実際には1号機の方がひどいことになった。
だからこの原因を究明するために立ち入ろうとしたのです。入れば被曝します。覚悟でした。しかし東電は暗くて危ない、真っ暗だという。下に落ちるかもしれないとも。それでも入りたいと言ったら、東電は入口までは案内するけれど、そこからは勝手にいけという。
理由は被曝するからだというのです。しかしその前に彼らは入っているのです。これ以上、被曝させたくないというのは彼らの言える唯一の正当な理由ですが、それなら他のものを出すこともできた。

しかも原子力プラントの中は素人が入ってわかるものではありません。私のように設計を担当していた人間でも、一人では絶対に行動させません。危ないからです。現場にいる人間が必ずアテンドします。それが普通の時です。
だから東電が案内しないということは、入れないということと同義なのです。そうすると私が心配しているのは、最も重要な事故原因に対して、東電はまったくの無責任な態度をとったのです。こんなことは許されないことです。

例えば航空機事故があった場合、事故調査委員会が現場をすべておさえるのです。触ってはいけないのです。プラントをそのまま動かさないまま調査委員が入って、どうして事故が起こったかを調べるのです。
これに対して東電は被曝を理由に入れないといいますが、それだけではないと思う。東電は自由に入っているのです。どういうことですか。まったくおかしい。
プラントを維持するために入るのはわかりますが、事故をおこしたプラントが東電の管理下にあるのはおかしい。事故調の管理下にあるべきです。維持するために、東電が作業するのはわかります。そのことをきちんとしないと技術の解明はできないのです。
田中三彦さんがそこで非常にこだわりましたが私も思いをともにしています。国会議員が入る時があって、田中さんが一緒に入るという話もありましたが、彼はそれを断りました。もっとオフィシャルなものだからです。それを彼は強調しています。まったく正しいです。

続く 

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明日に向けて(697)破綻する除染!・・・空間線量を被曝の危険性の目安にしてはならない!

2013年06月29日 22時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130629 22:00)

ひどいことを報じた記事を目にしました。朝日新聞の一面に掲載されたもので、政府がなんと福島で「被曝量の自己管理」を言い出したというです。
具体的には、避難指示解除準備区域に指定された福島県田村市の除染作業「完了」後の説明会で、空間線量を0.23μSv以下にする目標を達成できず、「平均毎時0.32~0.54μ(住宅地)」にとどまった政府が、再除染を求める住民に「一人ひとりが線量計を身につけ、実際に浴びる「個人線量」が年1ミリを超えないように自己管理しながら自宅で暮らす提案」をしたというのです。

記事は次のように続いています。
「説明会を主催した復興庁の責任者の秀田智彦統括官付参事官は取材に「無尽蔵に予算があれば納得してもらうまで除染できるが、とてもやりきれない。希望者には線量計で一人ひとり判断してもらうという提案が(政府側から)あった」と述べた。」
「除染で線量を下げて住民が帰る環境を整える従来の方針から、目標に届かなくても自宅へ帰り被曝(ひばく)線量を自己管理して暮らすことを促す方向へ、政策転換が進む可能性がある。」

政府が住民に対して被曝量の自己管理を言い出すなどとんでもないことです。そもそもなぜそんなことを「管理」などさせられなくてはならないのでしょうか。・・・実際にはすでに非常に多くの地域で人々がこうした「管理」を強いられているわけですが、それには大変なストレスがつきまといます。それ自身が放射能被害の大きな一部です。
にもかかわらず、予算がないから自分で「管理」しろなどと平気で言い出すのは、放射能汚染に対して、あまりに責任感が希薄であるからにほかなりません。それは私たち国民・住民・市民の側の追求の声の弱さを反映する傲慢さでもあり、とても悔しくも思います。

朝日新聞はこの1面の記事に続く3面の解説面で次のように政府を批判しています。
「被曝線量「年1ミリシーベルト以下」という除染目標は平常時の国際基準と同じ値で、政府は「1ミリ以上地域の国の責任で除染する」としてきた。住民が再除染を求めるのは当然の心情だ。」
「説明会では、除染目標に届かなくても帰還をなし崩し的に進める政府の本音がにじんだ。線量計を希望者に無償配布して被曝量を抑える生活を工夫してもらい、帰宅者を増やして避難区域解除の環境を整える狙いが垣間見えた。
解除後には賠償が打ち切られる。自宅に戻らずに暮らしていけるのかという不安も広がる。除染に責任を持つと言いつつ、再除染を拒んだまま住民に責任を転嫁する形で帰還を進めるのは、国の責任の放棄だ。」

その通りだと思います。国の責任を放棄し、住民に転嫁しようとする「被曝量の自己管理化」を認めてはなりません。
しかしこの記事は批判と分析がここまでで中途半端に終わってしまっているとも言わざるをえない。いつもながらの朝日新聞の分析・批判の弱さがあらわれていて残念に思います。

さらに問題とすべきことは、こうした「被曝量の自己管理化」に現れているものが、政府の除染政策そのものの破綻なのだということです。なぜなら田村市だけでなく、非常に広範な地域で、除染は思うようには進まず、0.23μSvというそれ自身でも年間1ミリ+バックグラウンドの値よりもかなり高めの目標ですら達成できずにいるからです。
しかも多くの地域で、いったん除染したにもかかわらず、再び線量が上がりだしてしまっています。大気中に放射性物質が舞っている・・・当然人々が吸引しているという恐ろしい事態を示すものですが、この点からも除染政策の破綻は明らかなのです。
重要なことは、このことをはっきりと認めさせ、現在の避難区域にとどまらず、多くの地域が除染不可能ないし困難であることをこそ、もっと鮮明にさせなければならないということです。当然にも除染が困難な地域では、住民に避難・移住の権利が補償されなければならない。このことこそが除染政策の破綻から導きだされなければなりません。

さらにもう一歩進んで明らかにしなければならないのは、現在のさまざまな核種による汚染の中で、空間線量を危険性の目安にすることはできない、またしてはならないのだという点です。
とくに福島県内の原発に近い地域は、プルトニウムやストロンチウムをはじめ、たくさんの核種がこれまでも飛び散っていることが把握されてきた地域です。またセシウムだけをとっても、東京などを含む広範な地域でそこかしこにものすごい線量のマイクロホットスポットが作られてしまっています。こうした地域に現にある危険性のすべてを、γ線だけでの平均値である「空間線量」で把握することなどできないのです。
そもそもこの空間線量による危険の捉え方そのものは、原発や放射性物質を取り扱う施設内部での安全管理そのために生み出されてきたものであり、何がどれぐらい漏れたか、どのように汚染があるかが、もっと高い精度で把握されている状態の中でのものなのです。とてもではありませんが、現在のような非常に広域の汚染に対応できるものではありません。

この点について、先日来日した『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』の著者、アレクセイ・ヤブロコフ博士が、講演の中で端的に指摘してくださいましたので、以下、京都講演の記録の中からその点をご紹介したいと思います。なお引用は以下の記事からです。

明日に向けて(690)『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』に学ぶ!・・・3
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a8393e2ded37f7f2a672ab8a1be4a1da

***

前提条件として申し上げたいのは、線量がいくらかということを、ミリシーベルトでは基準にならないということです。まあ20ミリシーベルトであれば、状況は大変良くないと私は思います。1ミリシーベルトというのも、私自身は良くない数字だと思っています。
しかしいずれにせよミリシーベルトで表示される線量は、相当ルーズに、平均的な状況をただ表しているだけであって、個人個人についての条件はどうなのかということは、一切、語ってくれないのです。
このミリシーベルトで測られる線量が意味を持つのは、企業の中で、あらゆる条件がきちんと確立されている中でのみです。核爆弾を作る工場、電力を作るための原子力発電所といった屋内であり、放射線核種の数も少なく、その量もコントロールされている、しかも定期的にチェックがされているところです。あくまでも企業のための条件であります。
一方でチェルノブイリの事故や福島の事故では、何百種類の放射性核種が、どれだけのものがどれだけ散ってしまったのかわからない状況で、ばら撒かれてしまっているのです。

私がみなさんに呼びかけたいのは平均的な数値、どこどこの地域の平均的な数値というものを基準にして欲しくないということです。一人ひとりがどれだけ現実に放射性核種によって、負担を受けてしまったのか、それを判断する必要があります。
ではどういうものをサンプルにして計測ができるかというと、歯のエナメル質をサンプルにすることで、どれだけの放射性物質が体内を通過していったのかということが分かります。また血液、骨髄の染色体を調べてもらう、眼の水晶体のチェックもできます。
またホールボディーカウンターで、どれだけ体内に取り込んでいるかを、ガンマ線のチェックで調べます。
ということで、「この病院の平均気温は何度ですよ」ということで、全般の人々に当てはめる数字で安心をしないで、ひとりひとりの数値を調べるということをしてもらいたいと思います。

***

とてもわかりやすい指摘だと思いますが、空間線量は「平均値」でしかありません。それが十分に低くとも、近くにホットスポットがあれば、そこから飛散したものを吸い込んでしまう可能性があります。実際に除染後に再度、線量があがるようなところにいれば、吸引は明らかなので、そこでは外部被曝とは比較にならない危険性の内部被曝が発生していますが、空間線量はこの重大な危険性を反映していません。もちろんたくさんの核種がある状況も反映していません。
そのため個々人の被曝線量の管理については、線量などに頼っていてはならず、博士が述べているように、それぞれの身体の検査そのものから行うべきであり、そのすべての予算が、政府と東電により補償されるべきです。
「そんな莫大なお金はどこにあるのか」という人がいるかもしれません。しかし実際に国と電力会社がそれだけのことをしでかしてしまったのだから、また国民・住民がそれを止められなかったのだからどうしようもないのです。さらに膨大な危険性を作り出す原発再稼働、そのための対策などすべてやめて、被曝した全ての人々の徹底した身体調査をこそ進めるべきです。

地域の危険性をどう見積もればよいのかという点では、空間線量よりもより汚染実態をより反映している土壌の汚染度によって見ていくべきです。そのためにはチェルノブイリ事故後に行われてきたような、細かいメッシュ調査によって成り立つ汚染マップを作る必要が絶対にあります。
しかしそれでも平均化を完全に脱することはできません。だからこそ土壌調査と地域の人々の健康調査を重ね合わせ、被曝の実態を浮き彫りにしつつ、必要な手当を行っていくことが問われているのです。これから長い間、膨大な数の人々が健康被害と格闘することを考えれば、今のうちにこうしたことにたくさんの予算をつぎ込み、被害の拡大を少しでも軽くした方が、人々の幸せはかならず増します。予算的にもずっと安上がりです。

ここから私たちは、政府に対し、当然にも「被曝量の自己管理化」などという酷い政策を押し戻しつつ、より進んで、除染の不可能性を明らかにし、避難の権利を拡大すべきこと。空間線量で地域の危険性を測る=平均化し、かつ内部被曝を過小評価してごまかすことをやめて、精度の高い土壌汚染マップを東北・関東で作成すること、同時に人々の健康調査の中で被曝実態をつかみ、手当を進めていくことをこそさせなければなりません。
政府はなかなかにそれを認めようとしないでしょうが、繰り返しこの点を明らかにすることで、問題の本質を今になっても見抜けないマスメディアの論調を変え、また市民、自らも放射線測定や健康調査を進めて、被曝防護を複合的に進めていきましょう。以上が「被曝量の自己管理化」ということから導き出すべき結論です。

以下、朝日新聞デジタル版の記事を紹介しておきます。

*****

政府、被曝量の自己管理を提案 「除染完了」説明会で
朝日新聞 2013年6月29日7時1分
http://www.asahi.com/politics/update/0629/TKY201306280625.html?ref=com_rnavi_srank

【青木美希】政府が福島県田村市の除染作業完了後に開いた住民説明会で、空気中の放射線量を毎時0・23マイクロシーベルト(年1ミリシーベルト)以下にする目標を達成できなくても、一人ひとりが線量計を身につけ、実際に浴びる「個人線量」が年1ミリを超えないように自己管理しながら自宅で暮らす提案をしていたことが分かった。

「その気なら増産してもらう」
田村市都路(みやこじ)地区は避難指示解除準備区域に指定され、自宅に住めない。政府が計画した除染作業は一通り終わったが、住宅地は平均毎時0・32~0・54マイクロにとどまり、大半の地点で目標に届かなかった。政府は今月23日に住民説明会を一部非公開で開いた。
朝日新聞が入手した録音記録によると、住民から「目標値まで国が除染すると言っていた」として再除染の要望が相次いだが、政府側は現時点で再除染に応じず、目標値について「1日外に8時間いた場合に年1ミリを超えないという前提で算出され、個人差がある」と説明。「0・23マイクロと、実際に個人が生活して浴びる線量は結びつけるべきではない」としたうえで「新型の優れた線量計を希望者に渡すので自分で確認してほしい」と述べ、今夏のお盆前にも自宅で生活できるようにすると伝えた。
説明会を主催した復興庁の責任者の秀田智彦統括官付参事官は取材に「無尽蔵に予算があれば納得してもらうまで除染できるが、とてもやりきれない。希望者には線量計で一人ひとり判断してもらうという提案が(政府側から)あった」と述べた。除染で線量を下げて住民が帰る環境を整える従来の方針から、目標に届かなくても自宅へ帰り被曝(ひばく)線量を自己管理して暮らすことを促す方向へ、政策転換が進む可能性がある。
環境省は取材に対して説明会での同省の発言を否定した。録音記録があり、多くの住民も証言していると伝えたが、明確な回答はなかった。


 

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明日に向けて(696)福島の痛みを分かちあうために(企画「聞け、『ふくしま』の声~」より)・・・2

2013年06月28日 15時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130628 15:30)

6月15日に京都市の龍谷大学で行われた企画、「聞け『ふくしま』の声?今、そして未来(あした)のために」の報告の2回目です。
今回は、南相馬市から来られた橘満さんの発言をご紹介します。

実は今回は、とくに相馬地区からということで、橘さんと青田恵子さんをお呼びしたのでした。福島県の中でも浜通りの方の思いをみなさんにご紹介したかったからです。そのため当初は企画の表題に相馬、ないし浜通りの名をいれることも考えにあったのですが、中通りの福島市から避難している加藤裕子さんや、福島大学准教授の荒木田岳さんにご参加いただくこともあり、とくに相馬の名は入れませんでした。
でも「相馬の思い」を知っていただきたいと考えて、相馬に非常に古くから行われてきた伝統行事、相馬野馬追のことなどを橘さんに語っていただき、また企画の最後を、青田さんの相馬弁で書かれた詩でくくっていただくことにしました。会場のみなさんと、相馬の痛みを分かち合いたいとの思いは果たせたのではないかと思っています。

ここで橘さんの発言をご紹介しますのでぜひお読みください。そののちに僕のコメントを添えたいと思います。
なお以下から発言の動画も見ることができます。冒頭が加藤さんの発言、橘さんの発言はその次です。

ふしみ「原発ゼロ」パレードの会
http://nonukesfushimi.blog.fc2.com/blog-entry-152.html

*****************

2013年6月15日
橘満

一昨日、南相馬市からこちらに向かいまして、今日、みなさまの前でお話できるようになりました。あまり人の前で話したことがないので、とりとめのない、脈絡のない話になるかと思いますが、どうかよろしくお願いします。
私は震災後、どうして京都と縁ができたのかをお話したいと思います。

3月11日に、南相馬市から20キロぐらい離れた相馬市というところで、兄と一緒に仕事をしていました。仕事は昔の甲冑、鎧を直す仕事です。
なぜそういう仕事をしているのかというと、福島県の浜通りには、相馬野馬追(そうまのまおい)というお祭りがありまして、500頭ぐらいの馬に乗って、行列をしたり、競馬をしたりします。それの鎧を直す仕事です。全国的にも大変珍しい仕事ではないかと思っています。

相馬市でその仕事をしていたときに、すごい地震にあいまいして、仕事をやめて、無我夢中で15キロぐらい離れた自宅に戻ったわけです。
何も交通機関がないので、自転車で15キロぐらい走ったわけですが、家にたどり着いたら、女房は鹿島区というところで仕事をしていたのですが、姿が見当たらない。まったく行方不明になっていたわけです。お互いに心配していたと思います。
その日はしょうがないのでコタツに潜り込んで一人で寝ていたわけですが、あくる日になって避難所が開かれているということで、その避難所で女房と会うことができました。お互いににやっと笑いました。

避難所は中学校に設定されていたので、そこで一緒に暮らすことになりました。そこの避難所には150人ぐらいの人が押し寄せて、たぶんみんな、2、3日すれば帰れるのだろうなと思っていました。
情報が何もなかったのですが、役場の職員の方が避難所のお世話をしてくださいまして、12日あたりになって原発が危ないということで、14日にこの避難所を引き払って別な場所に移る、行くところがない人は避難所と行動を共にする、あるいは自主避難をするということになりました。
私たちは娘がこちらの長浜に嫁いでいるものですから、娘が原発が危ないからということで福島まで迎えに来てくれて、娘夫婦の車に乗せてもらって、15日に避難所を後にしました。

本当に避難所にいた人は2、3日すれば自宅に帰れるんだろうなと思っていました。その瞬間ですが、原発に翻弄されてあちこちに移動するような生き方を選ばされたというのが本音ではないかと思います。
どうしたらいいのかわからないのですね。明日のことはどうしたらいいかわからない。ただ命があっただけでも儲けものだなあというような気持ちでいたと思います。
そして16日から滋賀県の長浜市で避難生活を始めることになりました。不思議な縁なのですが、どういうわけか娘が福島から嫁いでいたので、震災前は女房とふたりで、のんびり北陸道を旅しながら、一回期待ななんていう話をしていたのですが、そんなロマンチックな思いなどなくて、急に強制拉致されたみたいな形でしたね。

行くあてもないので、そこにいましたが、避難するときに猫を逃がしてきたのですが、猫が生きているという情報を得まして、猫救出大作戦を私一人で行いました。それが5月だったのですが、その際に守田さんと初めてお会いしました。
守田さんがピースファームという私の友達のところで、放射能に関するお話をするということで、それをぜひうかがいたくて、そこにいったわけです。放射能については何もわからないわけです。
守田さんにいろいろ詳しい話を聞かせていただいて、放射線がどれほど危険なものか、人間にどれほど害を与えるものかということをつまびらかに説明していただきました。それで猫を連れてまた滋賀県に戻りました。

8月に友達から岐阜県高山市で子どもたちの保養プロジェクトがあるということを聞いて、そのお手伝いに行こうということになりました。滋賀県から私も駆けつけたわけです。福島県の福島市や郡山市から10人の子どもが来て、高山市の農家の方が一生懸命に世話をしてくださって、10日ぐらい行ったプロジェクトでした。
福島ではプールにいって泳ぐこともできない、外を駆け回ることもできない。そんな状況だったのですが、高山市ではみんな伸び伸びと泳いだり、駆け回っている姿を見ました。
最終日に、子どもたちが福島に帰るということになって、バスに乗り込んだわけですが、そのとき・・・情けなくて・・・大人として・・・またこの子たちを福島に返す・・・。号泣しました。福島が危険だということはわかっているわけです。非常に情けなかったです。

それで高山は終わりましたが、守田さんのブログを見ていて、「あすのわ」という団体があって、滋賀県で保養キャンプをするということがわかりました。それで「あすのわ」とつながりました。これも守田さんのおかげです。
次の年の4月に高島市でキャンプをやることになりました。やはり福島では子どもたちは伸び伸びと駆け回ったりすることが本当にできないのですね。それで高島に来て、みんな子どもが喜んで駆け回ったりして、伸び伸びと野外活動をして、そういう状況を見せてもらうことは、大人としてずいぶん力をもらえることです。そのことを気がつかせてくれましたね。子どもが。
それで高島市では私は3回、参加させていただきました。本音で言うと、お世話をするのではなくて、子どもから力をもらえる。大人が力をもらえるということです。それで大人がしっかりしなければいけないなと思いいたりました。できることはやってやろうと。

キャンプを世話してくださるみなさんも、食べ物には気を使うし、子どもを縛り付けるようなやり方ではないし、そういうことからも大変、学ばさせていただきました。
私も滋賀県に双子の孫がいるわけですが、孫もキャンプに顔出しして、一緒に遊んでもらったりして、すごい仲間意識というものができて、その子達、双子にとっても勉強になっているような気もします。
私も本当に何もできることはないのですが、子どもを何とかしたいという思いがあります。もちろん私は政治家でもありませんし、一般市民ですが、そういう思いをずっと抱いていきたいと思っています。これからも夏にキャンプの計画がありますし、冬休み、春休みにやるでしょうから、そういうときに参加したいと思います。

話は変わりますが、来年、相馬野馬追というお祭りが開催されるわけです。私は40年ぐらい、馬に乗ってそのお祭りに参加してきたわけです。1070年ぐらい続くお祭りなのです。それを絶やしたくないという野馬追に参加しているみなさんの思いを感じつつ、ただ心配なのは、参加する方も観客の方も、ある程度の被曝はあるのではないかと思うことです。
さきほど福島で東北六魂祭というお祭りがあって、25万人ぐらいの人出がありました。あれは、あまり良い言い方ではないとは思いますが、人寄せパンダのようなところもあるのではないかと思うのです。福島は復興しているから大丈夫だという宣伝に使われているような気がします。相馬野馬追もそういう面が無きにしも非ずだと思います。
ただこれは私個人の考えですが、1070年続いたお祭りを原発問題で途絶えさせるわけにはいかないのかなという思いもあります。

昔、先人から聞いた話ですが、相馬野馬追は戦争中も続けられていたそうです。戦争中に戦争に行った若者が帰ってきた時に俺らの国の祭りが無くなったら情けないということで、馬は2頭ぐらいで、行列したこともあるそうです。行列している間に、米軍の飛行機から機銃掃射を受けて、命からがら逃げ帰ったなんていうこともあります。
先人はそういう風にして祭りを残したかったのだなと、そういう思いも考えながら、1070年続いているうちの、私なんか40年といってもほんの一瞬の参加かもしれません。でもはやり希望としては未来の人に続けてあげたいなと思います。これから何年先、続くか分かりません。ただそんな願いが、放射能で断ち切られる恐れも無きにしも非ずだと思います。
そんなわけで、来月の21日から3日間、お祭りがありますけれども参加します。去年もこちらの方に馬の友達ができましたので、その人と一緒に見学に回りました。震災の年は鎮魂も意味も込めて私も参加しました。通常は500頭ぐらいでるのですが、一昨年は80頭しか出ませんでした。80頭しかでなくても、心に残るお祭りだったと思います。

最近、京都に縁ができまして、女房は生まれがここのすぐ近くの藤森なのです。藤森から遠く流れて福島に嫁いで、またこっちに戻ってきたという不思議な縁もあります。
滋賀県の長浜市にいるのですが、長浜市や高島市、あの辺は自然が豊かで、何度、慰められたか分かりません。風景もそうですし、人の心もそうです。最近、お寺を回ると「五輪の塔」というものがあります。土と木と水と風と空、その5つの要素がすべて入れ込んだ言葉だと思います。命の循環を表す言葉ではないかと思っています。
そういうものが京都や滋賀の古いお寺などにあります。ぜひその5つの循環を、人々の心に刻みながら生きていただきたいなと考えています。これから何度も京都にも来て、お寺にお参りしようかと思っています。またお会いできることを楽しみにしています。とりとめもない話で申し訳ありませんでした。よろしくお願いします。

*****

発言の録音起こしは以上ですが、ご覧のように橘さんは、お話の中で、僕との出会いについても触れてくださいました。僕も相馬の方々との出会い、とくに橘さんとの出会いについて、以下の記事に詳しい内容を載せてあります。

明日に向けて(652)ふくしま・相馬の思いを胸に
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/79ebbcadbd6e97dc583d53c895151472

今回の橘さんの発言からは非常にたくさんのことを考えさせられます。とくに最後の方に語られた相馬野馬追については胸を締め付けられるばかりです。1070年続いたお祭りを、未来の人のために残してあげたい。しかし参加する側も、観客の側も被曝の影響を免れないだろう。さらに福島復興キャンペーンに使われてしまう面もある・・・。なんとも深い苦悩だと思います。
「そんな危ないことはやめるべきた」と、外から言うのは簡単ですが、何せ、先人が、米軍機の機銃掃射を受けてまで、守ってきたお祭りです。こうした苦悩を作り出した国と東電にあらためて深い憤りを感じるばかりです。
同時にこれこそが原発の事故が生み出すものであることを本当に多くの人々に知っていただきたいと思います。橘さんが指摘されるとおりやはりお祭りの開催には危険がありますから、それでも深い思い出参加される方、観られる方には、どうか可能な限りの防備をしていただきたいです。土埃を吸わないようにすること、服についた埃を後できちんと払うことが核心だと思います。すべてが終わったあとのうがい、手洗い、洗髪なども徹底していただきたいです・・・。

もう一つ、橘さんが語ってくださったのは、保養キャンプの意義です。これを読むと子どもを被曝から守るだけにとどまらないさまざまな効果がキャンプにあることがお分かりになると思います。
子どもたちに関わると大人はエネルギーをもらえる。それは私たちの世の中の仕組みの基礎なのではないかとも思えます。パワーをもらったとき、私たち大人は、ああ、この子どもたちのために自分がしっかりしなくてはいけないと思わされる。いつの日もそうやって子どもたちに背中を押され、大人たちが世の中を守ってきたのかもしれません。
そんなことを考えつつ、ぜひこの文書を読んでいる各地のみなさんも、それぞれの地域の保養キャンプにご参加ください。被災地の方もキャンプの成功にぜひ手をお貸しください。各地から大人の私たちの力を集めて、子どもたちを守っていきましょう。それは私たち自身を守ることにもつながっていきます。

すでにお伝えしたように、橘さんと僕が参加した、びわこ123キャンプはこの夏にも開催されます!7月22日(月)~8月22日(木)という長丁場です。詳しくは以下をご覧下さい。

びわこ123キャンプ Facebook
https://www.facebook.com/Biwako123camp

またこの企画に向けて、滋賀大学経済学部で7月2日17時45分より、にお話会が開かれることになり、メインコメンテーターとして僕が内部被曝のお話をすることになりました。
びわこ123キャンプ代表の藤本真生子さんも参加されます。お近くの方、お越し下さい。以下に案内の掲載されたHPのアドレスを貼り付けます。

被災地応援プロジェクト「福島の子どもたちのために、私たちができること」
http://www.econ.shiga-u.ac.jp/main.cgi?c=28/2:20

相馬の痛み、また「子どもをなんとかしたい」という思いをみんなでシェアをして、ともに、前に、進んでいきましょう!

 


 

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明日に向けて(695)滋賀大学でお話します。TOSCA、京都市東山での企画に参加します。

2013年06月27日 22時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130627 22:00)

7月初旬に参加する3つの企画をご紹介します。また6月末に矢ヶさんが宮城県の大河原町と仙台でお話されますので、その情報もお伝えします。

7月2日 滋賀大学経済学部 
僕が参加する企画は1つは7月2日に行われる滋賀大学経済学部でのお話会です。
滋賀大学経済学部就業力育成支援室の主催ですが、これは、これまでも紹介してきた「びわこ123キャンプ」などに学生たちに協力してもらいたい、滋賀の若い人たちに、福島の子どもたちへの関わりを持ってもらいたいとの思いから生まれた企画です。
そのため僕が「内部被ばくについて知ってほしいこと~子どもの未来を守るために」という内容でお話し、続いて、「びわこ123キャンプ」代表の藤本真生子がキャンプの説明をしてくださいます。

学生を対象とした企画ですが、どなたも参加できますので、ぜひお越し下さい。午後5時45分から。経済学部455演習室で行います!
他の地域でキャンプを計画されている方々などにも参加していただいて、藤本さんとも交流していただけたらと思います。

7月3日 TOSCA(京都市左京区)
2つ目は7月3日に京都市左京区のベジタリアン・カフェレストランTOSCAで行われる河野益近さんの講演会です。午後6時半スタートです。
河野さんは、知る人ぞ知る放射線計測の達人です!1980年代初頭から、大気中核実験で地球上に撒き散らされた放射能を追いかけ始め、計測に次ぐ計測を繰り返してこられました。
もちろん測定器は自分で部品を買い集めて作成。ソフトも独自に作成されてきました。僕は市民サイドに立つ放射線計測の中で、ダントツの第一人者の方だと思います。
とにかく計測に関する知識と経験の豊富さに圧倒されます。何度か個人的にインタビューもさせていただいているのですが、その度に、目からウロコが何枚も落ちる思いがしました。
その河野さんによる学習会ですのでぜひご参加ください。

ちなみに僕も主催者のご依頼(というよりご好意)で、質疑応答のときに少しお話をさせていただくことになりました。
といっても放射線計測に関しては、僕が河野さんのお話に付け足すことなどありませんので、僕からは原子力災害対策関係のことをお話しようと思います。

なおTOSCAは、福島原発事故のときに、即刻、いわき市を飛び出して京都に避難してきた橋本明朱花さん、朋果さん、卓道さん、3姉妹兄弟を中心に運営している素敵なベジレストラン。絶品の料理が味わえます。
またこの3人を含む5人のお子さんたちのご両親が、マクロビアンで著名な橋本ちあきさん、宙八さんご夫妻です。食と身体の達人です。
僕はおふたりの主宰する半断食セミナーにこの5月に参加させていただきました。

そのためこの日、TOSCAに行けば、放射線計測の達人、河野益近さんのお話に加えて、おいしいベジ料理を食べることができ、さらに食べ物の話、身体の話、マクロビの話など、お好みの話を橋本一家から聞くことができる・・・かもしれません。
贅沢な時間になることは請け合いです。京都に来ることが可能なみなさま、ぜひこの機会にTOSCAをご体験あれ!

7月6日 京都市東山いきいき市民活動センター
3つ目は、7月6日午後2時からの企画です。参院選を控えた今日、アベノミクスによるバブリーな株価の釣り上げだけで自民党が勝ってしまいそうな嫌な雰囲気の中で、政治について、思い切り喋りたいことを喋りまくろうとの京都の企画です。
題して★集まろう!!喋りまくり いまどきの女子と「政治」★
蒔田直子さんが書いた呼びかけ文が痛快なので紹介します。

***

もうすぐ参院選挙・・・
ほんとうは原発のこと、心配でたまらない。
被災者を忘れ去って見捨てるの?事故はまだ終わっていない。
子どもの未来はあるのか、守れるのか。それ以前に産めるのか?
命より目先のカネが大事な、戦争ごっごのおじさん政治。
何かといえば弱いものいじめにつつきあい。
大きな岐路に立っている気がするのに、他人事みたいに過ぎていく。

「政治」の話をしたら、浮くんだよね。
選挙も気になるものの、腫れ物にさわるような「政治の話」。
政治と生活が一緒だという実感がない。
たくさん言い訳してきた。
目先のことで精一杯。私にできることなどない、って。
ほんとうだろうか?いつ自分ごとにするの。間に合わない。

女が動けば、後ろからも前からもいっぱい邪魔するものがやってくる。
でも、もうじっとしていられない。人まかせでは守れない命の尊厳。
政治の話も選挙の話も、稼ぎ方も暮らし方も・・
ささやかながら動き出した人もいて、それがなかなかに面白そう。
ぶっちゃけ、聞きたい話したい。
あきらめるわけには、いきません。集まりましょう、話しましょう。

***

「もちろん男子、大歓迎」とあるので、僕も参加して、政治について選挙について、喋らせていただきます。
各地で大活躍中の、長谷川うい子さんも参加。その他、みんなで思いと持ち寄って、次々に発言します。
京都市東山いきいき市民活動センター (会議室8)にて開催です。

6月29日宮城県大河原町、30日仙台市
この他、僕は行くことができませんが、矢ヶさんの講演会が宮城県で6月29日、30日の連日行われます。
29日の主催は、僕も何度も行っている、みんなの放射線測定室てとてとの方たちです。
宮城方面の方、ぜひどちらかの講演会にお越し下さい。


以下、それぞれの案内を貼り付けておきます。

***************

7月2日 滋賀大学経済学部

被災地応援プロジェクトの一環として、今年は、「福島の子どもたちのために、私たちができること」をテーマにお話会を開催します。
http://www.econ.shiga-u.ac.jp/main.cgi?c=28/2:20

東日本大震災震災から2年余り。原発事故による被害の大きい福島では、終わりの見えない放射線との闘いの中で、故郷に当分帰れない子、震災前と同じ所で暮らせても外遊びができない子、父親を福島に残して県外へ避難した子など、子どもたちをとりまく環境は様々に分断されています。

福島の現状や原発事故の影響について知りたいという方、ボランティアで何かしたい、子どもが好きだという方、ぜひぜひご参加ください。(事前申込不要)

※どちらの回も、びわこ☆1・2・3キャンプ 代表の藤本真生子さんにお越しいただき、これまでのキャンプ開催の様子やボランティア募集についてお話していただきます。 
(参考:びわこ☆1・2・3キャンプのFacebookページ) 

 <1回目>
日 時: 2013年7月2日(火) 17:45~19:15(6限)
場 所: 滋賀大学経済学部(彦根キャンパス)455演習室
ゲスト: フリージャーナリスト 守田敏也さん
テーマ: 内部被ばくについて知ってほしいこと~子どもの未来を守るために
    (守田敏也さんのBlog http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011 )

 <2回目>
日 時: 2013年7月8日(月) 17:45~19:15(6限)
場 所: 滋賀大学経済学部(彦根キャンパス)455演習室
ゲスト: 一般社団法人東日本大震災復興サポート協会 業務執行理事
      / 滋賀県内避難者の会 世話人副代表 高野正巳さん
テーマ: 被災地での体験、福島市の現状、防災のすすめ、など(仮)
      (滋賀県内避難者の会のBlog http://shigahinansya.shiga-saku.net/

主催・問合せ 滋賀大学経済学部就業力育成支援室
電話 0749-27-1348

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7月3日 TOSCA

第5回 原発勉強会@TOSCA

「えっ!松葉が伝える? 放射能汚染」
http://www.facebook.com/events/498908850179279/


放射能汚染の現状を知っていますか?
2011年、福島原発事故で放射能が世界中に拡散されました。
その拡散の方向や濃度は、風向きや地形、当時の放出量などによってさまざまでした。
河野益近さんは、日本全国に生育し、一年を通して見ることのできる松葉の放射能測定によって各地の放射能汚染の実態調査を続けておられます。
その調査情報はご自身のブログで一般向けにも公開されています。

今回は、河野さんを講師にお迎えし、普段なかなか聞くことのできない放射能汚染の現状をアットホームな雰囲気でお聞きしたい!というものです。
「首都圏の汚染状況って?」「チェルノブイリと福島の比較」「廃炉への課題」などなど、気になっていることを直接お聞きするチャンスです!ぜひふるってご参加ください♪

*河野益近さん
京都大学大学院原子工学専攻教務職員。市民団体プラムフィールドの静岡放射能測定室アドバイザー。
1999年のJCO東海事業所の臨界事故では直後の避難要請圏外で被曝があったとする論文をイギリスの科学雑誌ネイチャーに発表した。

日時:7月3日(水)開場18:00 開会18:30~(20:30終了予定)
場所:Vege Cafe & Dining TOSCA(今出川通り「京大農学部前」東隣すぐ)
参加費:1000円(オーガニックコーヒーor紅茶付き)

 <参加申し込み>
Facebookにて「参加」をクリック!
もしくは、①名前②電話番号、を下記までお知らせください。
電話&Fax:075-721-7779 メール:tosca.kyoto@gmail.com
主催:Vege Cafe & Dining TOSCA 共催:子どもピーポ・パーポの会

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7月6日 京都市東山

★集まろう!!喋りまくり いまどきの女子と「政治」★
http://www.facebook.com/events/188430874656394/

参院選挙はもうすぐ・・
あれから2年余。あのときから、ずっと前から、または今日から、
手探りで動き始めた人たちがいて、出会いたい、お喋りしたい。
もどかしい思いもくやしい気持ちもそのままに、励ましあう時間を持ちましょう。
もちろん男子、大歓迎。喋りましょう。
一緒に「政治」のこと、私たちのことを。

●とき:7月6日 午後2時~4時半
●ところ:東山いきいき市民活動センター (会議室8)
 http://genki365.net/gnkk14/mypage/index.php?gid=G0000799
 京阪三条より東へ徒歩5分
●会費:会場カンパ(100円より)
 託児は用意しませんが、子ども連れでどうぞ。

リレートーク
朴才暎さん、長谷川羽衣子さん、黒川ツナ子さん、守田敏也さん、
中本式子さんほか多数、会場に来たみなさんで。

連絡先;090-3704-3640(蒔田)

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6月29日大河原 30日仙台

矢ヶ克馬先生と話してみよう!in大河原町
http://sokuteimiyagi.blog.fc2.com/blog-entry-176.html

6月29日 13:30~
大河原町中央公民館第2会議室
参加費 500円

矢ヶ克馬先生とのお話会 in仙台
http://dkazenokai.blog.fc2.com/blog-entry-27.html

6月30日 10:00~12:00
仙台戦災復興記念館5階
参加費 500円

コメント

明日に向けて(694)沖縄慰霊の日に思う・・・基地問題を解決してこそ、私たちの人権は確立する!

2013年06月25日 07時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130625 07:30)

6月23日は「沖縄慰霊の日」でした。沖縄戦で亡くなられたすべての方の霊に、心からの祈りを捧げたいと思います。
この日が「慰霊の日」とされているのは、「組織的戦闘としての」沖縄戦が、この日に日本軍司令官牛島中将の自決によって集結を迎えたという解釈があるからです。しかし実際には牛島中将が「最後の一兵まで戦え」という命令を残したため、その日以降も、日本軍による抗戦と米軍による掃討戦が長く続けられました。

沖縄戦では日米両軍の兵士におびただしい死傷者が出ましたが、同時に沖縄の人々が戦闘に巻き込まれ、島の人口の三分の一から四分の一と言われるほどの大量の死者を出しました。沖縄の方たちはほとんどの方たちが戦災死亡者のご遺族です。
どうしてこんなに大量の住民の死者が出たのか。「小さな島が戦場になったから」・・・だけではありません。日本軍に島民を守る意識が極めて薄く、米軍との組織だった戦いに敗れて以降、避難民が押し寄せていた沖縄本島南部に敗残兵が住民に紛れて押し寄せたこと。これに対して同じく住民を保護する精神の脆弱な米軍が、徹底した攻撃を行い、兵士も住民も無差別に殺戮したことが原因です。

日本軍はただ住民を戦闘に巻き込んだだけではありませんでした。沖縄の人々を守る意識が希薄なばかりか、信用もしていなかった日本軍は、沖縄の人々が米軍のスパイをするのではないかと疑い、米軍への投降を一切、禁じてしまいました。そのため住民は米軍に猛攻撃を受ける日本軍との行動を余儀なくされたのでした。
しかも沖縄に多くあった洞窟(ガマ)に避難した住民のあとから日本軍が押し寄せ、洞窟から追い出したり、赤ちゃんの泣き声が米軍に聞こえるからと殺害された例も多々ありました。挙句の果てには、米軍の捕虜にならないためにと、軍による集団自決が強いられたり、スパイ嫌疑での処刑すらが行われました。

これらを見たときに、沖縄戦における大量の犠牲は、日米両軍に全面的に責任があることがはっきりとしています。
にもかかわらず、日本政府は沖縄の人々にきちんとした謝罪をしたことがありません。沖縄における戦争犯罪者の処罰を自ら行ったこともありません。もちろんアメリカの、明らかな戦争犯罪である大量の島民殺害への抗議・謝罪要求を行ったことも一度たりとてありません。

「鬼畜米英打倒」を叫んで、国民・住民を戦争に駆り立て、とくに沖縄では基地建設から残酷な地上戦への全面協力を強いながら、戦後に沖縄をアメリカに売り渡し、基地としていいように使用させ、沖縄の人々の人権を踏みにじり続けてきたのが私たちの国の政府です。
同時に、沖縄島民の戦闘による大量虐殺など何も反省せず、戦後一方的に土地を摂取して基地を作り、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン、イラク戦争等の拠点に使い、その間、さまざまな基地被害を島民にもたらしてきたのがアメリカ軍とアメリカ政府です。

ここにもあの戦争以来、まったく正されていない不正義が存在し続けている。そしてそれが私たち日本に住まうもの全体の人権を落とし込め続けているのです。沖縄が解放されなければ、私たち自身の日米両政府への隷属状態も解消されません。
私たちの隷属状態とは、広島・長崎への原爆投下や東京大空襲をはじめとした諸都市への空襲という明確な戦争犯罪や、無謀な戦争への参加を強いられたことが正されず、私たちの尊厳が回復されていない状態のことです。

にもかかわらず、こうした認識そのものが低いのが私たちの国の嘆かわしい現状です。かつて私たちが、あるいは私たちの祖父母や父母などなどが、戦争によってものすごい人権蹂躙を強いられたことがまったく回復されておらず、補償もされていません。責任者の処罰もほとんど皆無に等しい。
踏みにじられた人権が回復していないことが、その後の私たちの国の、女性の地位の諸外国に比べた極端な低さなどに象徴される、さまざまな人権レベルの低さの根本要因をなしています。だから私たちは、自らの問題として沖縄の基地被害にあえぐ現状の克服を目指さなければならないのです。

ちなみに、日本維新の会橋下共同代表は、「慰安婦は戦争において必要だった」という、今も撤回せずに強弁している性暴力発言に続き、「沖縄の米軍は風俗産業を利用すべきだ」という沖縄の人々の心を踏みにじる発言を行いました。
さらにたった今、沖縄の人々を苦しめている、米軍機オスプレイの訓練を全面的に肯定し、大阪八尾空港への訓練誘致を主張しています。そうではない。沖縄の人々は危険な訓練の全面中止を求めているのです。真の平和を求めているのです。そのことを橋下氏は無視し、蹂躙しています。

このように、日本を含むアジアの国々の人々に対しては上から目線で暴言を繰り返しつつ、アメリカには本当に卑屈な態度をとり続ける橋下氏のあり方は、私たちの国の極めて低い人権のあり方、歴史認識のレベルの低さを象徴しています。
僕はこういうものこそを「自虐史観」と呼ぶのだと思います。アメリカの戦争犯罪も基地被害も正面から批判できない。だから「風俗にいって、性的衝動をはらさせろ」などというとんでもない発言が飛び出してくるのです。

アメリカを批判するのなら、なぜ沖縄戦における暴虐をこそ批判しないのでしょうか。なぜ戦争犯罪である広島・長崎への原爆投下を批判しないのでしょうか。なぜ80以上の都市への壊滅的な空襲を批判しないのでしょうか。
その全てで行われたのは、非戦闘員の組織的かつ計画的な殺戮でした。それをまったく批判せず、沖縄を中心に日本の各地を米軍基地に提供し、列島のあちこちで危険なオスプレイ訓練も認めてしまっている。まさにこれこそが自虐でなくてなんでしょうか。

もちろんこうした傾向は、一人、橋下氏にとどまるものではなく、この国の「タカ派」だとか「右翼」だとか言われる人々に共通の傾向です。靖国神社を顕揚しながら、そこに強引に祀られている人々が「鬼畜米英打倒」と言って戦争に駆り立てられたことなど、まったく忘れている。というか本当はそんなことはどうでもいいのです。
もちろん日本軍兵士たちの過半が、構造的な虐待を受け、まさに人権蹂躙のさなかにあったことも何一つ捉え返そうともしない。つまり実際には兵士たちの苦悩など、何一つ思いやったことのないのがこの人々の共通した特徴です。だからまた兵士たちの犯した罪を捉え返し、背負うことができないのです。

私たちの前には正さなければならないことが山積しています。しかし反対に言えば、私たちの国の現状の酷さを克服するためには、何から紐解いていかなければならないのかもここからはっきりと見えています。
明白なのは、沖縄の基地問題の解決もまた、福島原発事故と、その後の大量の人々への被曝の強制という事態に、根底においてつながっているのだということです。だからこそ、基地をなくせという沖縄の人々の声を全国から我がこととして支援する中から、原発問題の根本的解決の道を切り開いていく必要があります。

こうしたことを的確に指摘するとても優れた社説が、6月23日の琉球新報に掲載されました。さすがに沖縄の新聞だと読んでいて深く共感しました。沖縄戦の実相の一断面を知るためにも、ぜひお読みください。
今も続く沖縄の人々の心の痛みをシェアしましょう。真の平和に向けた歩みを強めるために!私たちの人権の確立のために!

*****

慰霊の日 軍は住民守らず 「心の傷」抜本調査を
琉球新報 社説 2013年6月23日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-208379-storytopic-11.html

沖縄戦の組織的戦闘の終結から68年を迎えた。
「ありったけの地獄を集めた」と表現される過酷な戦場から針の穴をくぐるように生還した方々が戦後、肉体だけでなく心がひどくむしばまれ、その傷が癒やされることなく生きてきたことが、ようやく実証された。
沖縄戦トラウマ研究会が調査した沖縄戦体験者のうち、約4割が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症しているか、発症する可能性が高い深刻な心の傷(トラウマ)を抱えていた。
 
フラッシュバック
 
比較可能なベトナム戦争に従軍した米兵、阪神・淡路大震災後の被災者の約2倍だという。その理由の一つが、沖縄に駐留し続ける米軍の存在だ。
女性暴行や殺人など米兵が引き起こす犯罪によって、戦争時の記憶が突然よみがえるフラッシュバックにさいなまれる。米軍機や、強行配備された新型輸送機MV22オスプレイの爆音も同様だ。
体験者にとって戦争はまだ終わっていない。私たちはこの現実を直視しなければならない。
日本政府は、早急に全ての体験者を対象にしたPTSD調査を実施すべきだ。深刻な心の傷を抱えている方々に、適切な治療を施す責任がある。
同時にPTSD発症の一因とされる米軍被害をなくすためにも、普天間飛行場の閉鎖・県外移設、日米地位協定の改定は不可欠だ。
沖縄戦は「本土決戦」準備が整うまで、米軍を一日でも長く沖縄に引きつけておく「出血持久戦」(「帝国陸海軍作戦計画大綱」)だった。第32軍が司令部のある首里で降伏せず、沖縄本島南部の摩文仁、喜屋武一帯に撤退したのは、当時の大本営の方針に従ったからだ。
第32軍は沖縄県民を守るために配備されたのではないので、住民保護の視点は決定的に欠落していた。「出血持久戦」によって、南下した非戦闘員が戦火に巻き込まれ、おびただしい人々が犠牲になった。日本兵による食料強奪、壕追い出し、壕内で泣く子の殺害、住民をスパイ視しての殺害が相次いだ。
日本軍は住民から機密が漏れるのを防ぐため、住民が米軍に投降することを許さず軍と共に生き、軍と共に死ぬ「共生共死」の指導方針(「報道宣伝防諜(ぼうちょう)等に関する県民指導要綱」)を発令していた。そのため戦場で日本軍による命令や、強制、誘導によって親子、親類、友人、知人同士が殺し合う惨劇が発生した。県民にとって沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」だ。
 
離島奪還訓練
 
尖閣諸島をめぐる日中の対立が高まる中で、自衛隊幹部が隊内誌に、沖縄戦を含む太平洋戦争中の島しょ防衛戦を分析、今後の作戦の教訓にしている。沖縄戦は「特別攻撃、進攻遅延海・空戦闘と地上戦闘により一定の(米軍を沖縄に引き止める)遅延効果は認められた」という内容だ。
「出血持久戦」を「一定の効果」があったと評価している。だが実態は、暗号を解読されて作戦は筒抜け、生還が許されない海と空からの特攻、急造爆弾を抱えて突撃を繰り返した揚げ句、住民を巻き込んだ無残な戦争だ。自衛隊幹部の「評価」に違和感を禁じ得ない。
別の論文によると、自衛隊が想定する島しょ防衛戦は、敵に離島(南西諸島)を占領された後、強襲上陸し奪還する。「領域保全を優先」するため「住民混在」の「国土防衛戦」を行うと明記しているのだ。沖縄戦を想起させる。この考え方に沿って現在、米国で陸海空3自衛隊と米軍による離島奪還訓練が行われているとみられる。
安倍政権は、改憲して自衛隊を国防軍に変更し、集団的自衛権の行使を容認し「戦争ができる国」づくりを進めようとしている。沖縄戦を体験し、引き続き過重な米軍基地負担を強いられている私たちとしては、到底認められない。
無念の死を遂げた方々に思いをはせ不戦の誓いを新たにしたい。

コメント

明日に向けて(693)「私は死んでも訴え続けます」・・・追悼、イアン・アパイ アマア

2013年06月22日 23時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130622 23:00)

みなさま。昨日(6月21日)午前3時に、台湾の旧日本軍性奴隷問題の被害女性の一人で、タロコ族のイアン・アパイ アマアが亡くなられました。ガンとの闘病の末でした。とても悲しく、淋しいです。
アマアが安らかに眠られるようにお祈りするばかりです。

僕は昨年秋に、病院にアパイさんを訪ねました。そのとき書いた記事を紹介しておきます。アマアをはじめ、タロコ族のおばあさんたちの被害についても書きました。台湾の被害女性について書いた一連の記事の中の一つです。

明日に向けて(551)タロコ族のアマアたちのこと・・・
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/55e1cbf5935c0ab7a2b77d1e7fc82387
 
イアン・アパイさんと初めてお会いしたのは2006年11月のこと。私たちの呼びかけに答えてくださって京都までこられ、辛い体験を証言してくださいました。今日は多く方に彼女の訴えを知っていただくために、その証言録をここに掲載したいと思います。ぜひお読みください。なお今回の記事のタイトルにつけた「私は死んでも訴えます」は、証言の中でアマアが語られた言葉です。
(『阿媽的聲 Voices of Ah-Ma 台湾・旧日本軍性奴隷被害女性の声』旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委2007年11月発行に掲載)

*****

台湾・旧日本軍性奴隷被害女性の声
2006年11月19日 京都
イアン・アパイ/林沈中(リン・シンチュウ)阿媽

台湾の花蓮から参りました。林沈中という中国名ですが、原住民族の名前はイアン・アパイです。今日、何故京都にきたのかというと、私が若いとき日本軍に何をされたのかをみなさんにわかってもらいたいからです。

私は四人兄妹です。上の三人は男、私は末っ子で、ただ一人の女の子です。一番目のお兄さんはニューギニアで戦死しました。二番目、三番目のお兄さんも、台湾で徴兵されました。

ある日、派出所の警官が二人家に来て「お宅のお嬢さんを軍の雑用係として働かせてはどうか」と言いました。最初の仕事はボタンつけや掃除でした。

最初の三ヶ月は帰宅を許されましたが、三ヶ月を過ぎた頃、ある軍人が「帰宅の道が遠すぎるので、今日から住み込みにしてくれ」と言いました。

ある夜が、すべての悲惨な出来事の始まりでした。軍隊の高官が私を暗い洞窟に連れて行き、強姦しました。当時、私は十七歳。十七歳の私は日本の軍人に真っ暗で何もない洞窟に連れて行かれました。暗くて怖かったです。軍人に強姦されたときは全身裸にされて、泣いても抵抗しても誰も助けてくれません。本当に怖くて、悔しかったです。そのときの気持ちはというと、本当に苦しくて、悔しくて、でも誰にも言えませんでした。

ある日、私は身体の調子が悪くなり一度家に帰りました。一人でずっと泣いていると、お母さんが心配して「大丈夫?」と声をかけてくれましたが、こんなに屈辱的なことは誰にも言えませんでした。その後も「慰安婦」にされ続けました。

あるとき軍医が言いました。「生理がこなくなったら必ず報告するように。流産させる薬を渡すから」。私は天に向かって問いかけました。「何故、私は十七歳でこんなに酷い目にあわなければならないのでしょうか」と。

私は運が悪かったのだと思います。小さいときは、貧乏でした。また日本軍にそのような酷いことをされました。(解放後)四回結婚しましたが、三人の夫に離婚されました。私たち原住民族は貞操を重視します。三人の夫は私の過去を知ると「お前は汚い女だ」と言って去っていきました。私と三人の夫の間に何人か子どもがいましたが、その子どもたちを女で一つで育てなければなりませんでした。サツマイモやトウモロコシを栽培し、子どもを育てました。本当に辛い生活でした。

自分の心にしまっていた私の体験を外に出すのは、大変勇気のいることです。何故私が京都に来たのか、そのことをみなさんにわかってもらいたいのです。私は訴訟のために七、八回ほど日本に来ました。どうしても納得がいかないのは、毎回こうして証言をするのに、いつも苦しみをそのまま台湾に持って帰らなければならないことです。日本政府は今もまだ謝りもしないし、補償もしません。私がどうしても欲しいものは、日本政府が事実を認めること、そして人間としての尊厳を回復してくれることです。

私は神様に聞きました。一体、何をしたら日本政府は謝ってくれるのか。私はもう年をとりました。いつ死ぬかわかりません。何回も日本に来て、東京・京都・大阪、いろんな所で証言の機会を与えてもらいました。私は死んでも訴え続けます。絶対に日本政府に謝って欲しい。そして私の尊厳を回復して欲しい。会場の皆様にお願いします。私たちには時間がありません。年老いた阿媽たちのために、何とかしてください。

私は余計なことは言いません。世界はみな慰安婦のことを知っています。認めないのは日本政府だけです。みなさん、ありがとうございます。

*****

みなさま。どう思われたでしょうか。僕は読み返していて涙が溢れてきました。

イアン・アパイさんは、いつも顔に威厳をたたえていた方でした。その一方でとてもお茶目で、カメラを向けるときっとおどけたポーズをしてくれました。
アマアの毅然としている顔、笑った顔、おどけた顔が次々と胸に浮かびます。

でもこのアマアの発言に触れると心に浮かびあがってくるのは、日本兵に犯され、絶望しながら、神様にどうしてこんな酷い目にあわねばらなないのですかと問いかけている十七歳の少女の泣き顔です。
ああ、とうとう、アマアに日本政府の謝罪を届けることはできませんでした。やはりそのことがあまりに悲しく、悔しく、残念でならないです。人間としての尊厳を回復してくださいという、アマアの心からの叫びを無視し続けてきたこの国の政府に、僕は激しい怒りを感じます。
あくまでも、完全な謝罪と補償を引き出すまで僕らは奮闘を続けなくてはいけない。そう強く思います。

証言の中で、アマアは「私は死んでも訴え続けます」と言われました。そうですよね。アマアはこれからも訴え続けるのですよね。だから僕もこれからもアマアの声を支え続け、一緒になって訴え続けます。
あなたの声を僕の声として、私たちの声として、訴え続けます。だからアパイアマア、天国に言ったら、少しは休んでくださいね。安らかになってくださいね。そうして先に旅立ったおばあさんたちと楽しく暮らしてください。

あとは私たちが頑張ります。死んでも訴え続けるアマアの声を多くの人に届け続けます。そしていつか日本政府を謝らせます。・・・だから、どうか、天国で幸せになってください。

イアン・アパイアマア。たくさんの愛と勇気を、ありがとうございました。

合掌

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明日に向けて(692)この夏、子どもたちとともに放射線防護を進めよう!(夏期保養キャンプにむけて)

2013年06月21日 18時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130621 17:00)

梅雨が続いていますが、各地で夏に向けたいろいろな動きが活発しています。その中の一つが夏の子どもたちの保養キャンプに向けた動きです。
このうち関西で行われている3つのキャンプから、期間中に講演を行って欲しいとの依頼が届きました。とくに一つのキャンプからは、子どもたちに憲法の話をして欲しいと依頼されています。
子どもたちにダイレクトに話をし、一緒に考えられる場を持てるのはとても楽しい!ぜひこうした試みを各地で広げていただきたいと考えて、僕が参加する取り組みについての事前報告を行いたいと思います。

ご存知のように、保養キャンプは東北・関東の広い地域が放射能汚染を受けていながら、政府の放置政策によって多くの人々が高線量地帯で生活せざるを得ない現状を少しでも改善しようと、非汚染地で、あるいは汚染の少ない地域で、子どもたちを対象に取り組まれているものです。
もともとはチェルノブイリ原発事故後に、全世界で取り組まれ始めたもので、日本にもたくさんの子どもたちが海を渡ってやってきました。汚染地帯を離れることで、放射能の体内からの排出を促し、身体を少しでも良い方向に持っていくための試みで、期間に応じて確実な効果があげられてきました。

これと同じ取り組みを、国内の原発事故への対応として行わなければならなくなったこと事態は痛恨の極みですが、しかしこれまで実に多くの人々が、それぞれの地域でキャンプを立ち上げ、たくさんの子どもたちを招いて、この困難な時代を一緒になって歩んでいます。
本来、全額を国と東京電力が負担すべき催しですが、現実にはすべてがそれぞれの地域の人々の努力・カンパによって支えられています。継続に資金的な難しさがありますが、それでも繰り返し、繰り返しキャンプが行われています。放射線の害と立ち向かう素晴らしい試みだと僕は思います。

僕も幾度かキャンプの場を訪れたり、呼んでいただいてお話などさせていただいてきましたた。初めに僕が訪れたのは京都精華大学を舞台に行われた「ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ」(2011年5月)でした。僕はこのときに初めて自主避難してきている方とお会いしました。6月15日に発言してくださった今は京都市在住の加藤裕子さんでした。
その後、同じくゴー!ゴー!ワクワクキャンプに2012年夏に呼んでいただき、さらに、びわこ123キャンプに、2013年年頭と春に呼んでいただいて講演を行いました。

参加している親御さんやスタッフを相手に、内部被曝の危険性の話をさせていただいたのですが、2013年春のびわこ123キャンプでは、「子どもたちにも食べ物の話をして欲しい」との依頼を受けて、「何をどうやって食べることが大切か」というお話をしました。
そうしたら参加している子どもたちの反応がもの凄く良かった!驚くとと同時に僕自身もどんどん楽しくなってのってしまいました!このときのことを記事にしてあります。以下をご参照ください。

明日に向けて(659)何をどうやって食べることが大切か(一二三館で子ども達と考えたこと)1
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/50b87d06bc2e6ba5302054945e81372a

明日に向けて(660)何をどうやって食べることが大切か(一二三館で子ども達と考えたこと)2
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/08ca9175154b06835f09e597cf04cb2c

実は記事では講演部分を文字起こししたものの、その後の質疑応答がまだ完成していないのですが、この質疑応答がまたまた凄かった!
中でも僕の問いに次々と的確な答えを返す子どもたちとのやりとりの中で、小学校6年生の男の子に、反対に砂糖の化学式を尋ねられたのはまいりました。とっさにグルコースという砂糖の成分の一部の化学式が頭にあって、大人の悪知恵で?「砂糖の一部はこんなものかな・・・」とその化学式を述べたのですが、後でその男の子が「守田さん、この本には砂糖の化学式はこうだと書いてありましたよ」と文献を持ってきてくれました!

この男の子の例は、ちょっと飛び抜けていたかもしれませんが、ともあれ子どもたちは全体としてとてもレスポンスがよく、本当に的確で楽しい答えをポンポン返してくれました。その答えの中に「お母さんから教わった」などの声も多く混ざっていました。
ここから垣間見えたのは、保養に出した子どもたちの親御さんたちが、子どもたちを守ろうと、さまざまに食べ物の選び方、食べ方について工夫を凝らしていること、またそれを子どもたちがしっかりと受け止め、自らの問題として実践していることでした。

その後にこんな話も聞きました。この講演会に参加して、幾人かの活発な子どもたちの発言に刺激された他の子どもたちが食べ物の問題についてより考えをめぐらせるようになり、家で親に「マクドナルドは危ないよ。行くのをやめようよ」などと語るようになったというのです。
素晴らしい。子どもたちはすぐにいいものを吸収してくれます。もちろんそれはこの講演だけの成果だけではなく、毎食の料理に、味の面でも栄養面でも安全面でも、かなりの工夫がこらされていた、このキャンプ総体の成果としてあったことだと思います。子どもたちは実際に真心込めて作られた良いものを食べて、良いものを食べる大切さを学んでくれたのでした。
こうした子どもたちの姿に触れて僕が思うのは、子どもたちは、ただ単に私たち大人によって、放射線から守られようとしているだけではなく、大人たちの真剣な様子を受け止め、吸収し、自ら放射線の害に主体的に立ち向かっているのだということです。

福島原発事故以降の子どもの主体性を僕に初めに気がつかせてくれたのは、事故直後に福島市から京都市に母子避難し、今はお父さんも一緒になって兵庫県篠山市で家族で暮らしているある女の子でした。事故当時5歳でした。
彼女は、家族にとって、とても淋しくて厳しい京都と福島での別れ別れの生活の間、お母さん、お父さんに励ましの手紙を書き続けました。その手紙を、篠山で行われた企画のときに、お母さんが読んでくださったのですが、会場にいた誰もが彼女の人間的な力に深く胸を打たれました。
お母さんの発言を載せた以下の記事をお読みください。

明日に向けて(468)子どもも大人を支えて放射能とたたかっている!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b62a5df0a63f97763f060b8acfeda070

こうした経験の総体から、僕は子どもたちと一緒になって、健康被害に立ち向かっていくことの重要性を感じてきました。子どもたちはこの大事な問題を自らのものとして受け止めている。その子どもたちと一緒に、放射線のこと、内部被曝のこと、そして「何をどう食べるべきか」をもっと学んでいきたいと思うのです。
子どもたちは、この厳しい時代を、自らの力で主体的に、前向きに生きています。この中から新たな世代が育っていくのでしょう。そうした子どもたちと共に、明るい未来を築いていきたい。そのために今、大人として話せることを精一杯伝えたいと思います。

そんな僕にとって、この夏、3つのキャンプから声がかけていただけたのはとても嬉しいことです。ぜひ子どもたちと一緒に、放射線防護を進める、豊かで、楽しく、素敵な、学びの場を実現したいと思います。
詳しいことは今後、打ち合わせますが、先にも述べたように、ひわこ123キャンプでは、子どもたちと憲法について考えたいと思っています。とくに子どもたちに伝えたいのは、放射線に被曝されないことは、大切な人権の一つなのだということです。
そのために多くの大人たちが、「子ども支援法」の実現などに向けて動いていること、またまさに子どもの権利を守るために、こうしたキャンプなども行われていることをお話したいなと思います。

他の2つのキャンプでは、内部被曝の恐ろしさと身の護り方、食べ物の食べ方、選び方などについてお話しようと思っていますが、主催者のみなさんのご要望にあわせて、いかようにもアレンジしたいなと思います。
いずれにせよ、できるだけ子どもたちにも発言してもらい、双方向のやりとりの場を作るつもりです。

東北・関東の放射線の高いところに住まわれていて、お子さんのおられる方は、ぜひこうした保養キャンプにお子さんを送り出してあげてください。またキャンプを計画している各地のみなさんも、それぞれの場で、ぜひ子どもたちとともに放射線のことなどを学ぶ場を作り出されてください。
この夏、各地で、子どもたちと共に、放射線防護を推し進めましょう!

以下、関西の3つの取り組みをご紹介しておきます。(なお3つのキャンプには交流もあります)

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「2013.夏 びわこ☆1・2・3キャンプ募集要項」

期間:7月22日(月)~8月22日(木)

宿泊先:
7/22(月)~28(日)・・・白藤学園マキノ研修センター(滋賀県高島市マキノ町新保1132)
7/28(日)~8/5(月)・・・有限会社アグロス胡麻郷(京都府船井郡日吉町字上胡麻小字口仏原5-1)
8/5(月)~8/14日(水)・・のらねこ軒(滋賀県大津市北比良964-29)
8/14(水)~8/22(木)・・・白藤学園マキノ研修センター

※白藤学園研修センター…マキノの別荘地。芝生の広い庭で自転車に乗ったり、スポーツしたり思いっきり遊べます。
※アグロス胡麻郷…田んぼと畑が広がる山あいののんびりした所で、虫取りや魚すくい、森の冒険など思いっきり自然を満喫できます。 
※のらねこ軒…びわ湖も山もすぐそばにあって、おまけにプールも歩いて行ける所にあり、宿には卓球台もピアノもあります。       

対象年齢:小学生・中学生・高校生(子どもだけの参加OK)、未就学児(必ず保護者同伴)、その他ご相談ください。
定員:30名
参加費:500円/日 (例:全日程参加の場合500円×32日=16,000円)     
途中参加もOK。ご相談ください。

交通費:片道5,000円の補助をいたします。
7/22(往路)、8/22(復路)は人数によっては貸切バスを用意します。
貸切バス利用の際は片道5,000円をいただきます。
人数が少ない場合は他の交通手段、送迎方法を考えます。

食事:一から手作りの安心、安全な素材にこだわったおいしいご飯を用意致します。
キャンプ中の生活:一言で言うとおとんがいて、おかんがいて、お兄ちゃんお姉ちゃんがいる大家族のようなキャンプです。1か月という長期になりますので、夏休みの宿題ももちろん持ってきてください。勉強の心配をされている親御さんも、塾講師(京大生、滋賀大生、教育学部の学生)、もと教師もいますので安心して参加させてください。勉強時間、本を読む時間、お手伝いをする時間をしっかり決めて、おうちで過ごすような毎日の生活を大事にしたいと思います。お出かけ日もただ今計画中です。もちろん、びわ湖やプールにも泳ぎに行きます。尚お出かけ、イベント参加は自由です。
検診:希望者には甲状腺エコー、心電図、血液検査、尿検査が受けられます。費用は6,000円で、医師に検診の結果について個々にご相談いただけます。

お申込み・お問合せ:事務局 暮らしを考える会
℡077-586-0623 fax077-586-1403 Mail:kurashi2005@mail.goo.ne.jp

主催:びわこ☆1・2・3キャンプ実行委員会
後援:滋賀県、高島市、大津市、日吉町
協力:よつ葉デリバリー京滋

びわこ123キャンプ Facebook
https://www.facebook.com/Biwako123camp

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ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ

■2013年夏キャンプ概要
期間:2013年7月24日(水)~8月31日(土)
場所:NANTAN 交流の家 (NPO法人 使い捨て時代を考える会 所有)
〒622-0056 京都府南丹市園部町埴生垣内14
参加定員:30名前後
http://55wakuwaku.jugem.jp/

ゴー!ゴー!ワクワクキャンプとは
http://55wakuwaku.jugem.jp/?eid=56

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やんちゃっ子in枚方

日時  2013年7月31日(水)~8月5日(月)
場所  誓願寺(枚方公園駅から徒歩5分、大阪府枚方市伊加賀本町5-8)
対象  子ども10人程度(原則、福島在住の小学4年から6年)
※保護者同伴の場合は、年齢を問いません(近隣の県の方はご遠慮下さい)
参加費 子ども交通費無料(参加費5000円)
※大人は交通費半額負担

希望者には甲状腺を含む医療検査(健康相談会ではありません)を受診できるように準備します。
希望する保護者には、関西の避難者ネットワークとのお話会をすることを考えています。
講師をお呼びして、内部被曝についての学習会を考えています。

主催:やんちゃっ子 ひらかた
後援:枚方市、枚方市教育委員会、枚方市社会福祉協議会(申請中)
協力団体:『放射能から子どもたちを守る枚方の会』『放射能おことわりの会』『ひらかたAKAYの会』

お問い合わせ
やんちゃっ子ひらかた事務局 TEL&FAX 072-807-7995
Email info@akari-nono.com

詳しくは以下より
http://yancyakkohirakata.blog.fc2.com/blog-category-1.html

 

 

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明日に向けて(691)福島の痛みを分かちあうために(企画「聞け、『ふくしま』の声~」より)・・・1

2013年06月19日 21時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130619 21:00)

すでにお伝えしてきたように、6月15日に京都市の龍谷大学で「聞け『ふくしま』の声?今、そして未来(あした)のために」という企画が行われました。
僕も基調講演とパネルディスカッションの司会で参加させていただきましたが、何よりも、福島の思いを伝えてくださった4人の方のお話が素晴らしく、自画自賛ですが、良い会になったのではと思っています。
今回は、より多くのみなさんに、福島の痛みを分かち合っていただくために、この企画の報告をお届けしようと思います。

今回の企画の主催は、ふしみ「原発ゼロ」パレードの会の方たちなどを中心とする「聞け『ふくしま』の声?今、そして未来(あした)のために」実行委員会のみなさんでした。
多くの方たちが駆けつけて下さるなか、午後1時半すぎに企画が始まりました。 冒頭で実行委員会を代表して龍谷大学名誉教授の三島倫八先生より挨拶をいただき、続いて僕が基調講演をさせていただきました。
演題は「福島の今、原発の今、日本の今」。当日は配布をしませんでしたが、以下のレジュメに沿ってスライドを作ってお話をしたので、ここに掲載しておきます。

1、福島の今
①群馬大学の早川由紀夫先生の放射能汚染マップにより日本の被曝状態を概観
②放射線値の目安について見る
⇒年間1mSvは、1時間0.114μSv 放射線管理区域は0.6μSv
③これを踏まえた上で福島の現状を見る
⇒新幹線が放射線管理区域を走り抜けている
⇒福島駅周辺は全域が放射線管理区域と化している(駅前写真を提示)
④福島や東北・関東に広がっている健康被害について
⇒子どもの甲状腺がん、大人の突然死が増えていることをはじめ深刻な被害が広がっている

2、原発の今
①福島原発が事故収束などまったくしておらず、極めて危険な現状にある
⇒4号機倒壊の場合のシミュレーション=半径170キロ圏の強制避難(新聞記事例示)
⇒3月のトラブル・・・クーリングシステムのダウン
②本来問われているのは、広域にわたる避難訓練!
⇒京都も例外ではない!事故時の東からの避難民の受け入れも含めて、それぞれが備えを固める必要がある!
③汚染水問題が深刻化、トリチウムなどの海洋投棄が行われようとしている
⇒汚染はさらに拡大の方向に、危機は拡大しつつある

3、日本の今
①原発再稼働・輸出に走る安倍政権
⇒前政権以上に原発の現状を無視。再稼働と輸出に向けて全力で走り出した。
⇒再稼働の問題・・・シビアアクシデント対策とは事故前提の運転
⇒輸出の問題点・・・危険なだけではない。核拡散に手を貸す行為!
②構造的暴力としての被曝の強制
⇒20mSv未満の地域の警戒区域を解除し、被曝の強制を強める
⇒これは国民・住民・市民の虐待であり、構造的暴力。第二次世界大戦時の性奴隷問題や、軍隊の構造的虐待などの暴力構造が継続している。
③今こそ、この現状を変えるとき!
⇒国連人権理事会勧告の持つ意味・・・被曝限度を1mSv以下へ!
⇒避難の権利をかちとろう
⇒私たちの安全を私たちの手で実現しよう
⇒未来世代へ、強固な人権と、美しい環境を手渡そう

レジュメは以上です。
・・・30分でしたので、すごい早口でお話することになり恐縮でしたが、必要なポイントはお伝えできたかと思います。

続いて、福島からの声として4人の方が発言してくださいました。
福島市から京都市に避難してこられている加藤裕子さん。南相馬市から一旦、長浜市に避難され、現在は南相馬在住の橘満さん。同じく南相馬市から大津市に避難されている青田恵子さん。福島大学准教授の荒木田岳さんです。
その後に、4人の方に司会の僕が質問をするかたちでパネルディスカッションを行い、最後に、青田さんに、相馬弁で書かれた詩を朗読してもらって企画を締めました。青田さんの詩には会場の多くの方が涙を流されていました。

企画の模様をIWJの方が中継してくださいました。今ならアーカイブが見れますので、どうか以下からご覧下さい。

ふしみ「原発ゼロ」パレードの会
http://nonukesfushimi.blog.fc2.com/blog-entry-152.html

企画の中からみなさんにお伝えしたいことはたくさんあるのですが、今回は、4人の発言の冒頭で話してくださった加藤裕子さんの発言をご紹介したいと思います。どうかお読みください!

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2013年6月15日
加藤裕子

みなさん、こんにちは。

福島県福島市から京都市へ避難移住しました加藤です。本日はよろしくお願いします。
まずは簡単に私が避難に至るまでの経緯をお話させていただきます。

2011年3月15日、原発から北西に60キロ離れていた福島市では、毎時24.24マイクロシーベルトという放射能値が測定されました。
毎時24.24マイクロシーベルト。それが安全なのか危険なのか?私は放射能の知識を得るべく、時間が許す限りパソコンに向かい、情報を収集しました。

安全を主張する専門家、危険を訴える専門家、様々なの情報が飛び交う中、原発技術者であった平井憲夫氏の「原発がどんなものか知ってほしい」という遺言、環境問題の専門家である中部大学の武田邦彦氏による「放射能値のトリック」発言、そして、原子力ムラで孤軍奮闘されながら危険性を訴えてきた京都大学原子炉実験所の小出裕章氏の「生き物と放射能は相いれない」「人体に影響のない被ばくはない」「被ばくのリスクは低線量にいたるまで直線的に存在ししきい値はない」というコメントを重く受け止め、福島からの脱出を決心し、避難先は、チェルノブイリのレポートを受け、原発から300km以上離れた関西と決めました。
しかし、福島県が呼び寄せた放射能の専門家による「安全宣言」、家族や友人から得られない賛同、震災による公共交通機関の停止、さらには、避難先確保に必須であった罹災証明がないことにより、汚染地に留まらざるを得ない状況にありました。
そんな中、食料、水、燃料の調達に東奔西走し、できる限り控えるように言われていた換気扇を回し始めた頃、痛みの伴わない下痢が始まり、不安な毎日を過ごしました。そのときは気づきませんでしたが、これは被曝による下痢であったと確信しています。

2011年4月、ようやく再開された高速バスに飛び乗り、罹災証明なしでも受け入れを表明した大阪を目指しました。
福島から揺られること11時間。早朝の梅田駅に降り立ち、マスクを外し、思い切り深呼吸できた時、「普通の生活の有難さ」を噛み締め涙が溢れたものです・・・。

避難先を確保し、その足で福島へとんぼ返り。1週間で、住居の引き払い、荷造り、学校への挨拶などを経て、トランク3個で、慌ただしく大阪へ避難移住となりました。
避難先の段ボールを片づけ終えた頃、関西でのネットワーク作りと勉強を兼ね、「原発カフェ学習交流会」という集いに参加をしました。そこには神奈川からの避難者がおり、関東の放射能汚染を話す姿に、それまで頭の片隅にあった自主避難への心の揺らぎが確信へと変わりました。
しかし、避難先には放射能からの避難仲間がおらず、それまでの疲労と未来への不安が重なり、心が悲鳴をあげました。軽いパニック障害が起きたのです。このままでは孤独に押しつぶされると出口を探しました。

そんな中、被災者向け保養キャンプの存在を知り、すでに関西に避難した子供も受け入れてくれるというので喜んで出かけました。「福島では放射能の危険を口に出来ない」。そう話す保護者の言葉に、福島での自分を重ね、理不尽な現状に涙が出ました。そして、身近に語り合える仲間の存在こそ今の自分に必要不可欠であることを認識し、福島からの避難者が多く住む京都へのさらなる移住を決意しました。
やっとのことで移り住んだ京都に、不穏がニュースが流れたのはそれからまもなくのことです。京都の送り火に汚染が懸念される岩手陸前高田の薪を使うというのです。黙っていては燃やされる。原発被災者としての使命感から市役所に出向きました。そこには同じように薪の汚染を心配した市民が集結しました。 
結局それは、セシウムとストロンチウム検出により中止となったわけですが、「過剰な放射能ヒステリーにより陸前高田の人々の気持ちを踏みにじった」と京都大文字焼き保存会と京都市がバッシングを受けることになりました。

2011年9月、避難先の商店街を歩いていた時、「脱原発」ののぼりが目に留まりました。翌年の京都市長選挙への立候補者が今まさに街頭アピールを始めるところでした。避難してからかねがね「脱原発」の声をあげたいと思っていた私は、近くにいたスタッフに声をかけ、人生初の応援演説をすることになりました。それから数か月間、街中ではビールケースに乗り、市民集会では檀上に上がり、選挙カーでは手を振りました。しかし、残念ながら当選させることはできませんでした。脱原発の声は人々には届かず、低い投票率に泣いたのでした。
同じ頃、福島の人々の葛藤、汚染の現状、脱原発の必要性を知らせるべく、ツイッター仲間で「脱原発Tシャツプロジェクト」を立ち上げ、「私たちは地球上全ての命を守りたい。原発いらない」というメッセージTシャツを制作し、様々な脱原発集会で「避難者の声」をあげ、Tシャツを広めました。京都はもとより、大阪、東京、福島、ドイツなどからも声がかかり、あっというまに500枚を超える賛同を得ました。
これからさらに多くの人に私たちのメッセージを発信したいと夢を膨らませていた中、「家庭の事情で汚染地に戻らざるを得ない」、「いつまでも避難者という目で見られたくない」、「生活の立て直しで精いっぱい」と、熱い思いでプロジェクトを立ち上げた仲間が、一人、二人と去っていき、6人だったスタッフが半分になり、モチベーションに陰りが出ていますがなんとか継続していこうと考えています。

2012年6月、「原発事故子ども・被災者支援法」が成立しました。やっと被災者が救われる!と期待を寄せたものの、半年が経過しても、具体的な支援策は一向に決まらず、業を煮やした避難者と支援者の手により「避難者がつくる公聴会」を開催。その後、自主避難者有志で「子ども・被災者支援法を考える会/京都」を立ち上げ、街中での署名活動や避難者お話会を開催し、支援法の早期実現を訴えています。
この2年間の体験を通して感じることは、「原発事故は他人事であり、既に収束してしまった過去の事故と捉えている人が多い」ことです。また、自主避難は「引っ越し」や「転勤」と変わらないと捉えており、関西で流通している食材は安全であると信じている人が多いことなど、現状を知れば知るほど、ますます被災者の声をあげることの必要性を実感しています。

子ども・被災者支援法は、避難、残留、帰還 のいずれの自己決定も尊重し、必要な支援を国の責任で行うとする画期的な法律です。本音を言えば福島から全員避難してほしい。しかし、やむ負えず汚染地に留まる選択をした人も尊重しなければならないと思っています。
そのためにも、この「子ども・被災者支援法」の具体的施策が決定し、一日も早く実施されることを願ってやみません。
 
そして最後に、20万人集まっても原発がなくならない。内閣の中で「原発セロ」を閣議決定させようとしたけれどなくならない。それはなぜか? それは「日米原子力協定」があるからだという話を聞きました。
事実、野田内閣が「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略の閣議決定の是非を判断する直前、アメリカ政府側が閣議決定を見送るよう要求しました。
しかしこれは2018年に満期を迎えるのだそうです。だから今「日米原子力協定」をどうするかという議論が大切であり、そのためには、この件についても政治家に働きかけることが大切であると。私もそう思います。

そして本日、脱原発Tシャツを数枚持参しましたので、ご賛同いただけましたらご協力をお願いします。
それと、本日のスピーチ内容の詳細を「現代思想」に寄稿させていただきました。大震災特集となっております。数冊持参しましたので、ご興味のある方はお声をかけてください。

発言終わり

*****

なお企画報告はもう何回か行います!

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