明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(131)611脱原発100万人行動の成功を!

2011年05月31日 23時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110531 23:30)

311から3カ月目になる6月11日。
全国あちこちから、脱原発100万人行動をという声が上がっています。

あの深刻な事故から3カ月。いまだに福島原発事故は収束を迎えて
いません。水棺も失敗、工程表は棚上げ、そして相変わらず放射能漏れが
続いています。

しかもこのところ、どれだけの放射能が漏れ出しているのかについての
記事がめっきり減ってしまいました。

相変わらず徹底した放射性物質の測定も行われておらず、何がどれだけ
出て来ているのかも分からないままです。

事態は依然、深刻です。

この状況を変えるのは、私たち1人1人の声です。
浜岡もこの力があって止まりましたが、今はもっと、声を高めていく
必要があります。それぞれの場所で、ぜひ、思い思いの声を
あげましょう!


僕の住む京都でもこの日、ピースウォークがあります。
僕もこのウォークに参加します。お近くの方、どうか一緒に歩きましょう。

なお時間がかぶってしまうのですが、この日は石橋克彦さんの
講演会もあります。興味のある方はこちらもどうぞ。

以下、ピースウォークと講演会の案内を貼り付けます。

なお末尾に、全国のデモやパレード、ピースウォーク・・・や
講演会の情報を網羅したサイトを3つほど紹介しておきます。
これを見ると、とにかく本当に全国いたるところで、いろいろな催しが
あることが分かります。

歩くだけでなく、講演会など、さまざまな催しも含めて、とにかく100万人、
集まって、声をあげてしまおうということのようです。6月12日も
数えてしまおうということらしい。

というわけで、みなさん。来週の週末は、それぞれでお好きな
ところにおでかけを!
ぜひ、お手製のプラカードなど、ご持参ください!


****************

LIFE FOR LOVE 611京都ピースウォーク

この国のこの星の すべての命あるものの幸せと豊な未来を願い
脱原発とエネルギーシフトへの想いをこめて!
ここ京都でピースウォークします。
集まったみんながそれぞれに自由に表現しながら
ピースでハッピーなウォークしましょう!


6月11日 土曜日 (雨天決行)
集合場所 京都市役所前広場
集合時間 14:00


ピースウォークコース

14:00 京都市役所前広場集合
14:15 主催者挨拶、コース説明
14:20 ピースギャザリング
14:30 出発

烏丸御池

四条烏丸

四条河原町

16:30 京都市役所前解散


*アフリカンドラム(ジャンベ)やギター ハーモニカに、リコーダーなどなど
楽器などもご持参ください。

*メッセージボードやプラカードをもつと効果的です。

伝えたいメッセージがあれば手作りメッセージボードやプラカード、
フラッグも是非お持ち下さい。
LIFE FOR LOVEのフライヤーをA3の台紙に両面テープなどで貼付けたら、
あら!ステキ。プラカードの出来上がり。

フライヤーは3種類。お好きなものをどうぞ。


*ご家族連れのみなさまも、お散歩がてぜひご参加ください。一緒に楽しく
パレードしま
しょう。

京都らしく着物も大歓迎、もちろん着ぐるみも!

当日とびきりおめかししてきてね。


611ピースウォークへ参加されるすべての皆さまへ


当日は交通整備とエスコートしてくれる警察官のみなさんにも ありがとうと
スマイルを



主催

LIFE FOR LOVE
http://lifeforlove.info

協力個人/団体(順不同)
NPO法人環境市民
http://www.kankyoshimin.org/

ピースウォーク京都
http://pwkyoto.com/

認定NPO法人きょうとグリーンファンド
http://www.kyoto-gf.org/

多目的カフェ かぜのね
http://www.kazenone.org/

グリーン・アクション 

参考

初めてのデモ
http://ceron.jp/url/www.scribd.com/doc/52603091/
はじめてのデモ-PDF-ver-1-0

************

<いまこそ原発を問う連続講座 第2回目>

「『原発震災』を二度とくり返さないために
   ~今こそ『原発フリー』の日本を創生しよう」


◎日時 6月11日(土)
    午後1時半~4時半(開場1時)
◎場所 龍谷大学アバンティ響都ホール
    京都駅八条口アバンティビル9階  
    TEL 075-671-5670
http://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/traffic/t_hall.html

※アバンティビル東エレベーターをご利用ください
※「使い捨て時代を考える会」呼びかけによる
 毎月11日の関西電力京都支店前アクションが
 講演会終了後の5時から予定されています。
 アバンティから関電まで京都駅地下通路を
 歩いて約10分ほどです。
 お時間の許す方はこちらの方にもご参加ください。

◎講師 石橋克彦さん(神戸大学名誉教授)
(プロフィール)
専門は地震学。1976 年に「駿河湾地震説(東海地震説)発表。
97 年には論文「原発震災―破滅を避けるために」を発表し、
地震大国日本に原発をつくる危険性を一貫して訴えてきた。
2001 年から原子力安全委員会専門委員として、
原発の耐震設計審査指針の審議に参画したが、
06 年に耐震安全性確保が不十分な最終案と
審議の在り方に抗議して委員を辞任。
著書に『大地動乱の時代―地震学者は警告する』(岩波新書)など多数。

◎浜岡原発からの報告 東井怜さん(市民ジャーナリスト、予定)  
※報告者は変更の可能性もあります、ご了解ください。
◎資料代 500円

3 月11日から長く先の見えない状況が続いています。
危険なレベルの放射能が、海を、大地を、空を汚染し続けています。
さらに続く余震、ひろがる地震。
日本列島全体が地震の活動期に入っているのは明白です。
にもかかわらず、いのちを奪う原発が、
若狭を含む全国で稼動中・・・。
地震は止められないけれど、原発は止められます。
今こそすべての原発を停止し、廃炉にして、
原発のない未来を目指しましょう!
今回の「原発震災」をいち早く予見し、
警鐘を鳴らし続けてきた石橋克彦さんのお話と、
浜岡原発の闘いを続けてこられた方のお話を聞きながら
私達は何をすべきか、ともに考えてみたいと思います。

◎主催 「いまこそ原発を問う連続講座」実行委員会
◎連絡先「地の人・宗教対話センター」
     TEL/FAX 077-596-1233
     携帯 090-4037-2158(里中)

****************

6.11脱原発100万人アクション
http://e-shift.org/?p=463

反原発市民の動き
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/anti_genpatu_linc.html

日本全国デモ情報
http://www.magazine9.jp/list/demo/







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明日に向けて(130) 胎児は、小さいほど、直ぐに発症する(語り部の方より)

2011年05月29日 21時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110529 21:00)

僕のブログに、田川正則さんとおっしゃる方が、コメントを寄せて
下さいました。

広島原爆によって胎内被ばくをされた方で、
「覚えがある限り「シンドイ」病弱な人生」
を送られてきたそうです。

「勉強をする気力が湧かない
運動すると直ぐに疲れる
仕事は事務職を選んだが
泊まり勤務は「悲壮感」があるほど辛いものだった」
とも。


こうした傷害は、放射線による低線量被ばくによって
もたらされたと考えられています。
症例も多く伝えられていますが、国はこれまで、
こうした症状を原爆によるものと認定してきませんでした。

そのためこうした症状に悩まされてきた方々は、まるで「怠け者」の
ように扱われてきました。この症状のことも、「原爆ぶらぶら病」と
呼ばれてきました。


田川さんもそうした苦しみの中で生きてこられたために、
今回の福島原発の事故で、自分と同じ苦しみを味わう子どもが
増えるのではないか、「原爆ぶらぶら病」ならぬ、「原発ぶらぶら病」が
発生するのではと胸を痛めておられます。

福島をはじめ、原発近隣におられて、小さいお子さんをお持ちの方、
妊娠されている方が読むことを考えると胸が痛みますが、
やはりこれはお伝えしなければいけないことだと僕には思えます。
どうか、「語り部」であるる田川さんの文章をお読みください。


田川さんは、他のHPやブログにも同じ文章を投稿されていますが、
直接、いただいたメールによれば、「原発ぶらぶら病」については、
初めて発話をされたそうです。

福島で必死にお子さんを守ろうとするお母さんたちの姿と田川さんの
お母さんの姿が重なったためとおっしゃっていました。
子どもが大人になってから癌になることだけが怖いのではない。子どもの
時から、こうした症状に悩まされ、しかもそれを病気とみなされないで
苦しむことが内部被ばくなのだと、訴えておられました・・・。


なお、この田川さんの文章に対する解説を兼ねて、広島で、原爆投下直後
からたくさんの被ばく者を診察してこられてきた肥田舜太郎医師と、
六ヶ所村や祝島などの撮影を続けている映画監督の鎌仲ひとみさんの
共著から、内部被ばくや「原爆ぶらぶら病」について書かれている
ところを引用させていただきます。(引用箇所は肥田医師の文章です)

以下、田川さんの文章を貼り付けます。

*******************


胎児は 小さいほど 直ぐに発症する


田川正則



僕は胎内被爆を廣島で受けた

被爆しなかった兄弟と比べ

病弱だった

働きものの両親には何ら異常はなかった

・・・

どれほどの放射線に暴露されたかわからないが

胎児の僕には一生ダメージだった

勉強をする気力が湧かない

運動すると直ぐに疲れる

仕事は事務職を選んだが

泊まり勤務は「悲壮感」があるほど辛いものだった

・・・

覚えがある限り「シンドイ」病弱な人生だった

病院通いしたが

常に異常ナシの診断

しんどい為にジットしていると

怠け者に思うのか

それでは生きていけないと思うのか

父親からは

よく激を飛ばされたものだ

母はかばってくれた

・・・

廣島ではこのわけの分からない症状を

「ビカドン」

と同じように

「原爆ぶらぶら病」

と呼ばれていた


・・・


同時に

「被爆者」

以上に

この「怠け者」

の方を差別をしていた


・・・


医学的なことは分からないが

大人(両親のこと)は晩年まで元気だったが(癌を発症)

胎児で被爆した僕は

この歳・・・65歳になっても「シンドイ」が付きまとっている


・・・


おそらく

原発災害の福島の子供たちのかなりは

・・・廣島・長崎だけでなく

・・・チェルノブイリ原発の子供たちのように


・・・


病気と認定されない病気

健康診断で・・・僕がされたと同じように

医師から

<異常なし!!

<健康!! 

<正常!!

の烙印を押されたまま

・・・

「原爆ぶらぶら病⇒原発ぶらぶら病」で

・・・

勉学するのだろう

子供は意欲を失い

運動する・・・外で遊ぶ気力もなく

怠け者の差別を受け

苦しみながら

大人となるのだろうと僕は思う


・・・


当然

経済的にも苦しくなり

最後は癌などを発症すると思う


・・・


運よく結婚し子供が出来たとしても

何らかの遺伝があるという医学論文がある



・・・これは<語り部>としての僕の証言です



*****************

以下、肥田医師による解説です。


「内部被爆の脅威」肥田舜太郎/鎌仲ひとみ著
ちくま新書 2005年6月10日発行
 

<身体の内部からの被ばく-内部被曝>

 「爆発と同時に放射された放射線分子は塵や埃に付着して広範な地域に
飛散し、地上に降下する。一部は発生した水滴に混じり、いわゆる「黒い
雨」となって降下し、雨滴に触れた者に放射能障害を与える。また、空中、
水中に浮遊し、食物の表面に付着した放射性物質は呼吸、飲水、食事を
通じて体内に摂取されて肺と胃から血液に運ばれ、全身のどこかの組織に
沈着し、アルファ線、ベータ線などを長時間、放射し続ける。そのため、
体細胞が傷つけられて慢性の疾病をゆっくり進行させ、また、生殖細胞が
傷つけられて子孫に遺伝障害を残した。
 
 このような被ばくを内部被曝といい、これまで、アメリカの被ばく米兵と復員
軍人局の補償をめぐる論争のなかで、また広島・長崎の原爆被ばく者と
厚生省の認定をめぐる論争(被ばく者の疾病が放射線起因であるか否か)
のなかで、その人体に対する有害性をめぐって争われてきた課題である。

 加害者側は、被害を与えるのは体外からの高線量放射線だけで、体内に
入った放射性物質からの放射線は低線量(微量)であり、被害は一切無視
できると主張する。被害者側は、内部被曝は体外被爆と全く異なるメカニズム
で細胞を破壊し、微量でも重大な被害が起こされると訴えている。それを
裏付ける研究が数多く報告されており、また、世界的規模でも核実験および
諸々の核施設の内外に発生している膨大な被ばく者の数がこれを証明して
いると主張している。

 内部被曝の問題は、放射線被害をめぐる加害者と被害者の国際的な
規模での論争の焦点である。現在も「科学的根拠がない」として、被害者への
補償が全くされていない現実がある。この論争に終止符をうつためには内部
被曝のメカニズムそのものの解明が必要とされるが、内部被曝に関する研究
の成果がなかなか認められない複雑な事情、そして技術的な困難が横た
わっている。

 核兵器廃絶運動が「核兵器は戦争を抑止する」という抑止論を克服できない
のは、低線量放射線による内部被曝への無知と無理解と無関心が根源では
ないかと筆者は考えている。」
(同書74~77頁)


<どんな影響を及ぼすのか>

『広島・長崎の原爆被害とその後遺―――国運事務総長への報告』
(筆者らが、民医連を通じて国連に提出した報告書の抜粋)

Ⅱ-2 被害の医学的実態
(2)後障害
(g)原爆ぶらぶら病(当時はまだ症候群とは呼んでいなかった)
 原爆症の後障害のうちで、とくに重要と思われるものに「原爆ぶらぶら病」が
ある。被爆後三十年をこえた今日まで、長期にわたって被爆者を苦しめてきた
「原爆ぶらぶら病」の実態は、次のようなものである。

 被爆前は全く健康で病気ひとつしたことがなかったのに、被爆後はいろいろな
病気が重なり、今でもいくつかの内臓系慢性疾患を合併した状態で、
わずかなストレスによっても症状の増悪を現わす人びとがある(中・高年齢層に
多い)。〔中略〕

 簡単な一般検診では異常が発見されないが、体力・抵抗力が弱くて「疲れ
やすい」「身体がだるい」「根気がない」などの訴えがつづき、人なみに働けない
ためにまともな職業につけず、家事も十分にやってゆけない人びとがある
(若年者・中年者 が多い)。

 平素、意識してストレスを避けている間は症状が固定しているが、何らかの
原因で一度症状が増悪に転ずると、回復しない人びとがある。


 病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高い人びとがある。

 以上に示すように「原爆ぶらぶら病」はその本態が明らかでなく、「被爆者の
訴える自覚症状」は、がん固で、ルーチンの検査で異常を発見できない
ばあいが多い。〔後略〕
(同書110~111頁)

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明日に向けて(129) 東北の旅の報告会、京北町でのお話会などを行います

2011年05月28日 23時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110528 23:30)

今後の予定です。お近くの方、よければご参加ください!

一つに、「東北の旅」の報告会を、京都市左京区のキッチン・ハリーナで
行います。5月30日(月)19:00からと、6月2日(木)14:00からの2回です。

参加費500円(茶菓つき)
定員各15名。予約制です。
予約のお電話は、キッチンハリーナ、075-724-3568 090-9993-9447へ。
メールは、halina-bananacake619@softbank.ne.jp
http://kitchen-halina.net/

気仙沼の町を写したビデオや、宮城県仙台市での討論の様子、角田市
ピースファームでの集いのときの様子など、動画をお店します。


二つに京北町でお話をさせていただきます。
仙台・福島から京都市に避難してきているお母さんたちと一緒に
参加します!

なお京北町のお話会の後は、和知に移動して、そこでもお話させて
いただきます。和知の会合の詳細についてはまたご報告します。

以下、ハリーナと京北での取り組みの案内を貼り付けます。

***************

守田敏也さん報告会@ハリーナ

5月30日(月)19:00~
6月2日(木)14:00~

さんかひ 500円(茶菓つき)
定員各15名
※予約をお願いします。
075-724-3568 090-9993-9447。
Email halina-bananacake619@softbank.ne.jp

守田さんは3・11以降、原発事故問題を追いかけているフリーライター。
ハリーナのご近所さんです。発言し続けておられるブログ、「明日に向け
ては」126回になりました。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

今回、タイムリーな被災地報告と原発事故の現状、そして明日に向けての
お話をしていただきます。


**************

京都市右京区京北で守田敏也さんのおはなし会をします。


まだまだ危機的状態が続く被災地。
わたしたちは、何を求めてここまで頑張ってきたのか?
わたしたちは、子どもたちに何を残すことができ るのか?
現実を知り、これからどうすればよいのかを一緒 に考えたいと思います。

【福島のお母さんたちの声を受けて・・。】

日時:6月10日(金)13時~
場所:京北合同庁舎(右京区京北周山町上寺田1-1)
参加費:500円(資料代含む)

時間をさかのぼって公表される数値と現在の数値。本当の数値が
分かりにくくなり福島原発の【今の状況】が伝わってきにくい中、
時間とともに危機感が薄れてしまっている。

なかなか止まらない放射能に不安に感じながらも地域の目を優先
してしまうお母さん達。切実な思いを紹介しながら、乳幼児が直
面している状況をお話しします。また福島原発周辺から避難され
ている方に対して差別・偏見を生まないように内部被曝や間接被
曝なども解説。京北地域が原子力発電所から30km~50km圏にある
ことを再認識し、漠然と抱えている危機や恐怖を発信するのでは
なく一人ひとりがこれから何が出来るのかを一緒に考えたいと思
います。質疑応答あり。

守田敏也(もりたとしや)
1959年生まれ。京都市在住。同志社大学社会的共通資本研究セン
ター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活
動を続けながら、社会的共通資本に関する研究を進めている。
ナラ枯れ問題に深く関わり、京都大文字山での害虫防除なども実
施。原子力政策に関しても独自の研究と活動を続けてきた。
3.11以降、発信し続ける記事が注目され多数の講演依頼をうける
なか、5月には気仙沼に京都で寄付していただいた自動車を届け、
現地各所で講演。

問い合わせ先:080-3834-0631
       omusubi@keihoku.jp
主催:みどりのこぐま/おむすびマーケット実行委員会
http://omusubi.keihoku.jp/
http://omusubi.keihoku.jp/wp/wp-content/uploads/2011/05/b23b27bac1c4442e8a7f79218185920b.pdf

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明日に向けて(128) 政府・東電・安全委のドタバタ劇をどう読み解くのか

2011年05月27日 17時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110527 17:30)

福島原発事故の初期対応をめぐって、うんざりするような論議が繰り返されて
います。海水注入に対して、斑目原子力安全委員長が、臨界の可能性があると
言ったとか、言わなかったとか、それで注水が中断されたとか、されないとか、
その場合、管首相に責任があったのか、なかったのかなどです。

このやりとりが、うんざりするのは、実は今につながる情報がないからです。
今、必要なこと、原発はどうなっているのか、事態はいかに推移しているのか、
そして私たちは今、どのような姿勢で福島原発に対応しなければならないのか、
肝心な内容がまったく出てこない。だから聴いているのも嫌になってくる。

しかしそんなときに思いだすのが、自民党の往年の歴代首相、とくに大平正芳
氏や、竹下登氏の国会演説でした。とくに大平氏は「えー、」とか「うー」を連発する
ばかりで何を言っているのかよく分からなかった。鈍重な印象だけが残って、野党
側が度々、言い逃れられてしまっていた。実はこれ、「戦略的愚鈍」だったのです。

実は今も同じようなことが起こっているのではないでしょうか。意図的にせよ、
非意図的にせよ、海水注入中断問題?などが騒がれる中で、他のもっと大事な
ことから論点がずらされている。政府や東電に本当に問いただすべきことが
あいまいになり、私たちの安全に関する論議が深まっていかない。


この責任の一端はマスコミの報道姿勢にあります。そもそもほとんどの大手
マスコミは、事故当初、政府の虚偽の発表をまるで広報のように報道し続けた
わけです。進行する危機の実態を明らかにした大手マスコミは一つもなかった。
端的に言えば、政府の流すガセネタを報道し続けた。

今、大手マスコミに問われるのは、この報道姿勢の自己検証なのではないで
しょうか。意図的だったのか、非意図的だったは分かりませんが、政府の偽の
情報に踊らされ続けてきたことを、真剣にとらえ返すべきです。そうでなければ、
今も、未来もまた、虚偽情報をうのみのままに流してしまうことになるからです。


では大事なこととは何か。最も重要なのは、1号機から3号機まで、事故初期に
メルトダウンしていた事実を、政府はどうして発表しなかったのかです。
これは二つの場合分けによって検証される必要がある。まず第一には、枝野
長官などが繰り返している「知らなかった」説です。

ようするに何が起こっているのか、さっぱりつかめなかったのだという。だから
自分たちは、情報隠しをしたのではない。ウソをついたのではないと言いたい
わけですが、それならそれで政府は重大なミスを犯したことを認めたことになり
ます。これは事故に対する対応能力がゼロであったことの自己暴露です。


この点で、注目すべき記事が朝日新聞に出ています。
「炉心溶融「震災数日後には確信」米NRC事務局」という記事です。
記事の中で、米NRCは次のように述べています。

「東日本大震災が発生した数日後には、そう(炉心溶解を)確信していた」
「(当時観測されていた)高いレベルの放射線は、かなり深刻な燃料損傷が
起きない限りあり得ないからだ」
(原発から80キロ圏内の米国人に対する避難勧告を出していることに
ついては)「(炉心溶融など)深刻な事態が起きていることがぐにわかったことが、
そう勧告した理由の一つだった」。

地震数日後に、米NRCはこのような認識を持っており、だからすぐに80キロ圏外
避難指示を出した。端的に言って、日本政府はどうしてこの当たり前の認識に
立てなかったのでしょうか。またなぜ、このことを米NRCから聞かなかったの
でしょうか。どうして米NRCの指示の根拠を調べなかったのでしょうか。

もし本当に知らなかった、聞くこともしなかったというのならば、日本政府が事故
への対応能力がまったくないこと、それこそ「素人以下」であることが明らかです。
それは国民と住民の生命と財産を守るべき義務を負っている政府にとって
致命的欠陥であることは明らかです。

枝野長官も、管首相も、「知らなかった」と言っているわけですから、何より
それが追求されなければなりません。これだけで内閣総辞職をし、民主党が
下野するに足る十分な事実なのです。しかし大手マスコミも、野党の自民党も
そこだけは責めない。その点では党内反対派の小沢氏も同様です。


第二に、そうでないとするならば、政府はこの事実をひた隠しにしていたことに
なります。僕はこちらの方が、かなり可能性が高く、かつ部分的に本当に
能力が低くて、知らないこともあったぐらいに思っていますが、ともあれその
場合、政府は国民と住民に対する重大な背信行為を働いたいことになります。

核心問題は、炉心がメルトダウンし、しかも格納容器までが損傷することによって、
非常に深刻な放射能漏れが起こっていることを、何ら私たちに伝えなかったこと
です。チェルノブイリのような爆発の危険性があることも伝えなかった。たくさんの
放射能が漏れているのに、「危険です、防いでください」とも言わなかった。 

今、一番大事なのは、この点の責任問題です。海水の注水を中断したかどうか、
再臨界しうると判断したのかどうかなど、この事実の前にはあまりに瑣末なことで
しかない。それは判断の問題であって、ある意味でミスもありうることだからです。
しかもその前提すらくるくる覆り、それでマスコミも踊らされている・・・。

それよりも、メルトダウンという重大な事実をまったくつかめず、米NRCの80キロ
圏外退避勧告の根拠も聞こうとせず、ただただ、無為に住民を危険にさらし続け
たのか、あるいは事実を知りながらそれを伏せ、避難すべき人にそれを
知らせなかったのか。そのどちらか一方の可能性が濃厚です。

そしてどちらであっても重大問題です。どちらの場合も、そのことを的確に見抜け
ず、結局、政府と等しく住民に最も重要な情報を伝えられなかったマスコミの
責任問題も浮上してきます。その点では「野党」の自民党も何ら変わらない。
問題はこの点を事故当初に指摘し、避難を主張したか否かなのですから。


さらにここから問われるべき第三の点が浮上します。端的に、現在の政府情報が
信用できるのかどうかという点です。第一の場合、つまり本当にメルトダウンを
知らなかったのだとしたら、現状もまたほとんど何もつかめていないことが濃厚
です。つまり能力的に信用するに値しない。

第二の場合、知っていたのに隠していたのだとしたら、当然にも現在もまた重大な
情報を隠している可能性が濃厚にあるわけです。そして重要なのはどちらであって
も、私たちは今、政府によって、非常に危険な状態に立たされている可能性が
高いということです。事故初期に大変な危険性が告げられなかったように。


ここでも僕は第二の可能性の方が強いと思っています。その場合、隠されている
ことは何でしょうか。一つには、現在の原発の状態が、安定化などにはほど遠く、
まだまだ非常に危険な状態におかれているということです。破局的な爆発への
発展の可能性はまだまだありうる。そうとしか考えられません。

第二に、繰り返し述べているように、すでに大気中に飛び足した放射能汚染の
深刻な実態に、かなりのマスクがされている可能性が高いということです。とくに
ストロンチウムや、プルトニウムなどが、意図的に計測されてない可能性が高い。
少なくとも、きちんとした計測がほとんど行われていないのは事実です。


その意味で、現在の政府・東電・安全委のドタバタ劇を読み解くと出てくるのは、
現在の私たちの危機です。真実がまったく告げられていない。政府自ら解析
できないのか、事実が隠されているのか、そのどっちかによってです。
そのことをマスコミが覆い隠す形での、ドタバタ報道が続いています。

うんざりする喧騒につられて、報道から目をそらしてしまわずに、
情報解析を続けていこうと思います・・・。


*************************

炉心溶融「震災数日後には確信」 米NRC事務局長

2011年5月27日10時17分 朝日新聞
 米原子力規制委員会(NRC)のボーチャード事務局長は26日、東京電力福島
第一原子力発電所で、核燃料の大部分が原子炉圧力容器の底に落ちる炉心
溶融が起きていた可能性について「東日本大震災が発生した数日後には、
そう確信していた」と述べた。

 日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」がニューヨークで開いた講演会のあとの
会見で述べた。根拠について「(当時観測されていた)高いレベルの放射線は、
かなり深刻な燃料損傷が起きない限りあり得ないからだ」と述べた。

 NRCは大震災発生から5日後、同原発から50マイル(80キロ)圏内の米国人に
対する避難勧告を出しているが、「(炉心溶融など)深刻な事態が起きていることが
すぐにわかったことが、そう勧告した理由の一つだった」と話した。

 炉心溶融の可能性は専門家がかなり早い時期から指摘していたが、東京電力
が同原発1~3号機について正式に認めたのは大震災発生から約2カ月後
だった。(ニューヨーク=勝田敏彦)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105270114.html

***********

福島第一の海水注入中断せず 東電所長、本社に無断

2011年5月27日0時16分 朝日新聞
 東京電力福島第一原発1号機の海水注入問題で、東電は26日、一時中断
したと説明してきた海水注入を、実際には中断せずに継続していたと発表した。
東電本社と発電所の協議では、海水注入をめぐる検討が官邸で続いていたこと
から中断を決めたが、福島第一原発の吉田昌郎所長の判断で継続していた。
国会でも追及された問題が根底から百八十度くつがえされた。

 東電によると、3月12日午後2時53分に真水の注入が停止したため、午後
7時4分から海水の注入を始めた。しかし、午後7時25分、官邸にいた東電の
武黒一郎フェローが「首相の了解が得られていない。議論が行われている」との
状況判断を本社に連絡。本社と発電所がテレビ会議で協議し、注入の中断を
決めた。

 海水注入をめぐって政府と東電は21日、東電が自主的に中断していたとの
見解を公表。首相が注入を指示した後の午後8時20分に再開したと説明して
いた。午後7時4分からの注入は、東電から経済産業省原子力安全・保安院の
担当者に口頭連絡されたものの官邸に伝わらなかったとされた。

 だが、こうした経緯は本社の社員や社内に残るメモなどから判断し、吉田所長
を含め発電所側に確認していなかった。今月23日の衆院復興特別委員会で、
自民党の谷垣禎一総裁が、菅首相の責任を追及する事態に発展。東電が24、
25日に吉田所長や発電所の社員らから事情を聴いたところ、中断していな
かった事実が判明した。

 吉田所長は、東電の調査に対して「事故の進展を防止するためには、原子
炉への注水の継続が何よりも重要と判断して継続した」と説明。新聞や国会で
問題になっているうえ、国際原子力機関(IAEA)の調査団が来日したこともあり、
事実を打ち明ける決意をしたと話しているという。

 事故時の注水は発電所長の判断で基本的にできることになっていた。東電は
当日も保安院に対して午後8時20分に海水注入開始とファクスで通報。今月
23日に法に基づき提出した事故分析の報告書にも同様に記していた。

 吉田所長の注入継続の判断について、原子力・立地本部長の武藤栄副社長は
「現場の安全を考える上で技術的には妥当な判断」と評価した。だが、その後、
長期にわたって事後の報告をしていなかったことから、東電は吉田所長の処分
を検討している。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105260339.html
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明日に向けて(127) 山羊と原爆(現代のことば・・・岡真理さん)

2011年05月27日 11時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110528 11:00)

友人の京都大学の岡真理さんが、京都新聞の「現代のことば」という
コラム欄に「山羊と原爆」と題した文章を投稿されました。お父さまの
ことを書いておられます。(掲載は5月16日夕刊)

読んでいて、心が震えました。
「山羊と原爆」というタイトルが、心に染み込んできました。
悲しい歴史が書かれているのですが、しかし悲しみばかりではない。
それを一つの話に練り上げている文章が、あまりに美しい。

今、まさに、このときに、文学が必要なのだと、なぜか、
深くそう思わされてしまいました・・・・・。

まずはともあれ、以下の文章をお読みください。

*************************

山羊と原爆

1928(昭和3年)、富山のさる旧家に男児が誕生した。
父親は帝国陸軍の将校。待望の長男だった。だが、
赤ん坊は衰弱しており、生き永らえそうに見えなかった。
父親は下男に赤ん坊を埋めるよう命じた。
下男は息のある赤ん坊を埋めるに忍びなく、
生きている間だけでもと、山羊の乳をやった。
この乳が赤ん坊の命をつないだ。

瀕死状態で生まれたのが嘘のように腕白な少年に成長した
長男は、父親と同じ道を歩むべく、広島の陸軍幼年学校に
入学した。皇国の大義を純粋に信じていた。
1945(昭和20)年8月、幼年学校を卒業して、どこかの街で
任官を待っていたとき、日本降伏の噂が伝わった。
彼は同志とともに、国民に徹底抗戦を呼びかけるビラを刷り、
飛行機で空から撤くことを画策するが、上官に見つかって
営倉に入れられる。営倉から出されたとき、部隊はすでに
解散していた。

除隊後、彼が向かったのは郷里ではなく広島だった。
彼にとって第二の故郷であるその街が新型爆弾で壊滅したと
聞いたからだ。当時の市内は民間人立ち入り禁止だったが、
軍関係者であった彼が街に入るのは難しくはなかった。
変わり果てた街を、彼は何日も彷徨い続けたという。

敗戦後、「アジアの解放」が帝国による侵略に過ぎなかった
ことを知り、彼は共産主義者となって、レッドパージの時代、
地下生活を送る。やがて業界紙の記者となり、結婚したのは
30を過ぎてからだった。子どもも生まれ、幸せな結婚生活も
束の間、1963年、彼は突然、肺癌を発症、余命半年と宣告され、
その3カ月後に亡くなった。2歳半の娘を遺して。35歳だった。
これが、私が父について知るすべてである。

自分がなぜ癌になったのかも、父は知らなかっただろう。
当時はまだ「入市被爆」などという言葉も存在しなかった。
だが、あの夏、17歳の彼は、残留放射能の中をたしかに
長時間、彷徨ったのだ。母校は爆心地のすぐ近くだった。
学校にいた1学年下の後輩たちはみな、原爆で亡くなったと
いう。廃墟となった街を彷徨いながら彼は、わずかな偶然で
自分が免れた運命がいかなるものであったのかを焦土の中で
幻視していたのだと思う。

このとき、彼の体内で時限爆弾が仕掛けられた(放射能によ
る晩発性障害、すなわち「ただちに健康に害があるわけではな
い」というのは、こういうことだ)。あのとき広島に行きさえ
しなければ、父が癌で死ぬこともなかった。しかし、「もし」
と言うなら、小さな命を隣れんだ下男が赤ん坊に山羊の乳を含
ませてくれなかったら、彼の人生そのものがなかったはずだ。

父の35年間という人生は、一人の心根の優しい人間と山羊の乳
が与えてくれた贈り物だ。1年早く生まれていれば、南洋に送
られ、戦死していただろう。1年遅ければ、原爆で死んでいた。
1年前でも後でもなく、あの年に父が生まれ、そして山羊の乳
と、放射能の晩発性障害の発症までの時差のおかげで、今、
私という人間が存在している。
(京都大教授・現代アラブ文学)


*****************

岡さんは、自転車を集めるプロジェクトに協力して下さり、おまけに
車の提供まで受けてくださったり、被災者の京都での受け入れのために
走りまわってくださるなど、色々なことをご一緒しています。

同時に、この時期に、パレスチナの朗読劇を監督さんとして実現して
下さいました。

その岡さんとは、もう長い間の友人ですが、お父さんの話は、この
投稿を読んではじめて知りました。


・・・僕の父も、広島に原爆が投下されたときに、香川県善通寺の基地から
陸軍の救援部隊として駆けつけたものの、呉でとどまって「入市」はしません
でした。父の部隊の偵察隊と、もともと、呉にいた海軍部隊が、市内に入って
いき、その方たちの中から、急性症状で亡くなった方や、入市被ばくされた
方がでました。

僕の父は重度の被ばくは、免れました。しかしどうでしょう。内部被ばくによる、
低線量被ばくはしていたのかもしれません。その父は、59歳で脳溢血で
他界しました。1980年。終戦から35年後のことでした。


僕の父は、岡さんのお父さまのように、共産主義者にはなりませんでした。
平和な日本社会の建設に情熱を燃やし、一会社員として猛烈に働きました。
働いて、働いて、脳溢血に倒れました。

一方、彼の妹と弟は、戦後すぐに共産党に参加し、非合法時代を含めて
活動しました。
とくに叔母は、戦時中に代理教員となって、教え子を少年航空兵に志願させて
しまったことを生涯にわたって悔い、「二度と戦場に教え子をおくらまじ」という
スローガンを掲げた戦後日教組運動を担いました。

のちに叔母の属していた日本共産党山口県委員会は、共産党中央から分裂して
「日本共産党(左派)」を名乗るようになりますが、彼女は山口県で計画された
豊北原発反対闘争を、「婦人部の闘士」として担い、多くの方々と一緒に原発
建設を中止に追い込みました。

その後、原発計画は、山口県上関(祝島)に移ったわけですが、叔母は豊北
原発を中止に追い込んだ地域の女性たちとともに、祝島の女性たちと深い絆を
作りだしていたようです。その叔母も1996年に他界しました。


・・・被ばくはあまりに悲しいことです。
1963年、あまりに若くして、岡さんのお父さまは亡くなられてしまわれた。

でも、コラムの中で、岡さんは原爆と山羊の乳の話を対比しておられます。
偶然と時差の中で、岡さん自身の命が灯されたことがそこに書き込まれている。

なんだか岡さんと一緒に、今を歩めていて良かったと深々と思いました。
そんな風に思う僕の姿を、どこかで岡さんのお父さまと、僕の親父や叔母が、
笑って見ているのではないかと、ふと思う、ひと時でした。

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明日に向けて(126)福島浜通りはプルトニウムで汚染されているのではないか?

2011年05月26日 23時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110526 23:30)

このところ、さまざまな情報をいただきつつ、どうそれを
出すのか悩みぬいてきました。

とくに重要なのは、福島原発事故で、現在、発表されているよりも、
もっとたくさんの放射性核種が漏れ出しているのではないかという点です。

これは原発が1号機から3号機まで、地震直後にいずれもメルトダウンに
陥ったという東電や政府が発表している事実からも、容易に推論できる
ことがらです。

2800度を超す高温に燃料棒がさらされ、ペレットが溶けてしまったために、
そこに封じ込められていたものが、さまざまな経路から外に出た可能性が
あると考えるのが自然だからです。

しかしあまりにこの点に関する情報が出てこない。
東電や政府が発表を行わないというだけでなく、原発を批判している著名な
科学者の方たちの中からも、あまりこの点を追求する論調が出てきません。

それが何故なのか、正直なよく分からないのですが、ともあれ、この点に
ついて、ユニークは情報解析に基づいて、さまざまな核種の漏れ出しを
示唆した論調も出てきています。

今回はその一つ、4月17日に福島入りして、福島市、飯館村、川俣町、
南相馬市を視察した枝野官房長官を、その服装に着目しつつおいかけた
ものを見つけましたので、それをご紹介したいと思います。


タイトルは
【意見映像】「福島県浜通りはプルトニウムで汚染されているので
はないですか」

です。作成者は「うp主」さんです。

まず映像をご覧ください。9分10秒の映像ですが、よくできています。
http://www.youtube.com/watch?v=I42g843fngw

ポイントとなることは、枝野官房長官が、南相馬市でだけ、「妙に重装備
だった」ことです。

4月18日にいわき医師会が発表した放射線量は、毎時で、福島市1.7マイクロ
シーベルト、飯館村4.82マイクロシーベルト、南相馬市0.6マイクロシーベルト
だった。にもかかわらず、枝野長官は、南相馬市でのみ放射性対応の
3M FFP3規格のマスクをしている。

現地視察でも、頭を完全に覆うフードとゴーグルを着装している。
「うp主」さんはこのように問うています。

「4月13日に福島県から発表された県内小学校の土壌汚染の結果に、
ちょっと奇妙な点がある。・・・というのは南相馬市は土壌汚染は
福島市より低いのに、ヨウ素131の大気汚染は、福島市の8.4倍だ」
(4月5~6日のデータ)

「南相馬市やいわき市は、土壌汚染が低くて、空気中のセシウム
濃度も低いのに、空気中のヨウ素の濃度だけ、突出して高い。」

これを「うp主」さんは「多分、原発から気体状のヨウ素131が今も漏れて
周辺地域に拡散しているのだと思う」「それを知っていて隠していると
するならば、もはや犯罪行為」と断じています。

しかし・・・とこの方は、さらに推論を続けます。
「たかがヨウ素やセシウムが怖くてこんな重装備をするんだろうか?」と。

そして3号機の爆発シーンを流し、そのあとで「MOX燃料(ウランとプルト
ニウムの混合燃料)の3号機の大爆発なのに、プルトニウムのことはまったく
報道されていない」ことを疑問として提示しています。

さらに汚染マップを表示して
「原発の北西方向には濃い放射性物質の帯が広がっているのに、北の
南相馬市は、なぜか線量も土壌汚染も低い」ことに着目しています。

これは何故なのだろうか。
「うp主」さんは、ここから、測られているのはγ線のみで、α線やβ線が
未測定なのではないか。それを発するプルトニウムやストロンチウムが
測られていないのではという疑問を示唆しています。

その上で、「うp主」さんの「妄想的」と銘打った推論が続きます。
「原発が爆発したときに、大量の放射性物質が放出された。このうち、飛び散り
やすいヨウ素やセシウムは、阿武隈山地を越えて、福島中通りに到達し、
飛散しにくいプルトニウムやストロンチウムは、浜通りに蓄積したのではないか。
そのため南相馬市周辺にプルトニウム汚染が広がっているのではないか」
という点です。

だから、枝野長官は、この南相馬市訪問のときにのみ、
重装備だったのではないかというのです。それが「フルアーマー」の理由だった
のではないか。

「うp主」さんはこう結論づけています。

「南相馬市やいわき市は空気中のヨウ素131の濃度も高く、高度にプルトニウム
に汚染されている可能性があります。お子様、乳児がいる家庭、妊娠中の方、
一刻も早く避難することを強くお勧めします。」


さて、この映像を繰り返し見て、何よりも、枝野長官の服装に着目し、
南相馬市だけ重装備だったところから、この地域へのプルトニウム飛散の
推論を立て、それを空間線量データなどから裏付けている「うp主」さんの
論証は、裁判で言えば、状況証拠を重ねていく手法のようでなかなか見事で
あり、説得力があるように思えました。

僕自身は、プルトニウムが阿武隈山地を超えなかったかどうか、結論づける
には論拠が足りないと思いますが、少なくとも原発の直近にプルトニウムなど、
「重い飛散しにくい」と言われてきた放射性核種が、さまざまに存在
しており、それを知るが故に、枝野長官が、フスアーマーだったのではという
「うp主」さんの推論は説得力があると思います。

ただよく分からなかったのが、ヨウ素131の濃度が高い理由です。これを
「うp主」さんは、原発からどんどん漏れ出てきているとしていますが、それなら
なぜこの地域だけ空間線量のみが高いのか、理由がはっきりしません。
また核分裂反応がとまっている今、原発から漏れて来ている量はやはり
少なくなっているはずで、何かそれ以外の理由を考える以外にないように
思えたからです。

それで友人の科学者のAさんと意見交換しました。
そこでAさんが示唆しれたのは、それもまた、つまりヨウ素131が多いことも
実は、プルトニウムの存在を裏付けるのではないかという、極めて
重要な示唆をいただきました。

Aさんが問題にしているのは、プルトニウムもいろいろなものが出て来ている
はずで、その中のプルトニウム240は、自発核分裂をしやすい。それが核分裂
を起こして、ヨウ素131を新たに生成させているのではないかという点です。
こう考えると、この地域でのみ、ヨウ素131の大気中濃度が高いことが
説明がつくし、むしろそのことが、この地域にプルトニウムが存在している
可能性をよりよく論証することになります。

同時に、この地域には中性子線も飛んでいる可能性があることになります。
中性子線は、放射線の中でも格段にエネルギーの高いものです。
何せ、原子を核分裂させてしまうのですから。その点で、超ウラン核種の
吸引による内部被ばくだけでなく、中性子線の外部被ばくの恐れも
考える必要があると思えます。

ともあれ僕も、南相馬市付近をはじめ、より原発に近い地域ほど、プルトニウム
をはじめとするさまざまな放射性核種が漏れ出ているのではないかと思えます。
そのため、例えばこの地域の野菜の汚染度を測定する場合にも、ヨウ素と
セシウムだけを考え、γ線での検知のみに頼っていては、実態がつかめないと
思います。

プルトニウムをはじめ、超ウラン元素は、放射能の中での人体への
毒性が、それこそ桁違いに高い物質です。このことを考えた時、とにもかくにも、
これらの物質を徹底的に測ることが急務であり、それは素人にできることでは
ありませんから、行政に強く働きかける必要があります。

またそれを行って、これらの物質がないことが確認できるまでは、可能な限りの
避難を呼びかけることが大事ではないかと思えます。
もちろん、避難は多大な困難やストレス、またなんともいえない残酷さも
伴うことがしばしばで、それへの十分な配慮が問われるでしょう。

それを外からメールで発信するのは、なんとも申し訳ないことですが、しかし
僕は、非常に強い危機が存在しうることを、お伝えする義務が自分にあると
思ってこれを書いています。


以下、もう少し詳しい内容を知りたい方のために、友人のAさんからの
メールを貼り付けておきます。

************************

守田さん。

UP主さんの指摘によれば、
「いまでも原発から南相馬市に流れてくるヨウ素-131が多いのではないか」
と言っていますが、おそらく、それは違います。

それは違うと考える理由は、
局所的に、かつ継続的にその場所の大気中の放射性物質の濃度が高いのは、
大気中の放射性物質が、その場所の土壌に由来していると考えるのが
自然だと思うからです。

つまり、どういうことか。

南相馬市に核燃料が相当量降り注ぎ、土壌にフォールアウトして、
その場所で「自発核分裂」を起こすことで、希ガスやヨウ素-131が生まれている
と考えることができます。
つまり、大気中ヨウ素濃度の異常は、プルトニウムなどの超ウラン元素の
存在を示す重要な手がかりなのではないか、という仮説です。


原子炉内でもなく、臨界にも達していないのに核分裂が起きるのか?
と言われそうなので、核反応についておさらいします。
ふつうの議論では、核反応は以下の二つの過程だけを論じています。

①通常の核分裂:中性子線照射によって引き起こされる反応
  →ウランやプルトニウムの場合、一回の反応で原子量が90-130くらいの
  核種が生成される。

②放射性崩壊:放射線(α線、ベータ線、ガンマ線)の放出による崩壊
  →半減期にしたがって進行する反応。核種は徐々に小さくなる。

で、実はあまり語られないのですが、重要なもうひとつ別の過程がある。
それが「自発核分裂」です。

③自発核分裂:中性子線の照射を必要とせず、自ら起こされる核分裂。
 →通常の核分裂と同様に一回の反応で原子量が90-130くらいの核種が生じる。


そんなの起こるのかよ?と言われそうですが、
実は、超ウラン元素というのは、もともと自然界に存在しにくい、非常に不安定
な物質でして、何もしなくても勝手に分裂してしまうことは常識なんですね。

自発核分裂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA%E6%A0%B8%E5%88%86%E8%A3%82

主な核種の自発核分裂の確率を以下に挙げる。
235U: 5.60 × 10-3 回/s-kg
238U: 6.93 回/s-kg
239Pu: 7.01 回/s-kg
240Pu: 489,000 回/s-kg(約 1,000,000 中性子/s-kg)

プルトニウム239の原子核は生成過程で中性子を1個余計に吸収する傾向
があるため、実際のプルトニウム239には常にある量のプルトニウム240が
含まれている。プルトニウム240は自発核分裂の確率が高いため、
プルトニウムの利用に際しては好ましくない混入物質とされている。
兵器級プルトニウムではプルトニウム240の含有量は7%以下とされている。
Pu-240の自発核分裂の確率は突出しています。
じっさい、Pu-240は中性子線源として、いわば原子炉の着火剤として使われます。

このことは、私も見落としていました。
ふつう、自発核分裂する原子核は、どんどん無くなるので、あまり考えなくてよい、
とされるからです。
また、内部被ばくの影響も、通常は奇数核のPu-239やU-235について研究される
ため、α線の影響がメインに研究されているからです。

内部被ばくにおけるPu-240の自発核分裂の影響というのは、
ひとつにはPu-240が核燃料の主物質ではないこと、
また、あまりにも危険すぎて、これまでにそうした事例が少ないこと、
さらに、中性子線の測定が困難を極めることなどが理由として挙げられるで
しょうが、おそらく、誰も公式には考察したことが無いことだと思います。

中性子線というのは、α線、β線、γ線、X線と異なり、透過力が抜群に高く、
その特徴を伸ばした中性子爆弾は、あらゆる装甲を貫通して人員に放射線
障害を与えることのできる武器として、冷戦時にものすごく開発が進みました。
このときにプルトニウムを作りすぎたことが、
プルトニウムの原子力利用・・・プルサーマル計画・・・の主要因となったのですが。


とにかく、ヨウ素の異常濃度地域をフォローしていけば、
Pu-240についての、あるていどの見積もりはできるかもしれません。

そして、この危険性は、おそらく、すでに政府部内には届いていることでしょう。
枝野氏の重装備の理由は、そんなところではないかと。



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明日に向けて(125) 『幸せの経済学』を観て。ローカリゼーションの可能性とは?

2011年05月24日 23時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110524 23:30)

5月22日、京都ではたくさんの催しがありました。
デモを報じた記事を末尾に貼り付けておきます。
22日までのぶっ通しデモ1日目の記事もありますが、このデモ、
連日70~100人で行われたそうです。22日は約400人の参加でした。

僕は午後の脱原発デモと、夜の、『幸せの経済学』の上映会に参加しました。
この『幸せの経済学』は、前半でグローバリゼーションの弊害を説き、後半で
それを超えるローカリゼーションの可能性を説いた映画で、ちょっと詰め込み
すぎているきらいもありましたが、なかなか面白く、意味深い映画でした。

会場いっぱいの、40人ぐらいの参加で、これを一緒に見てから、僕がお話を
する時間をとっていただき、グローバリゼーションとローカリゼーションという
ことをキーワードに、原発のこと、また東北の旅のことをお話させていただき
ました。以下、自分で発言を起こしたものを、掲載させていただきます。

*******************

『幸せの経済学』を観て
-グローバリズムの象徴としての原子力発電とローカリゼーションの可能性

こんにちは。守田敏也です。
僕は311以降、原発の状況をウォッチしながら、危険が迫っているので
逃げた方がいいという情報を発信してきました。被災地の状態を見ながら
どうやってこのことを伝えればいいのか、悩みながらの発信でした。

同時に、5月9日から、東北を回ってきました。秋田から入って、最後は
宮城県角田市にある、ピースファームという農場を訪れ、いろいろな
お話をしてきました。

この映画は、基本的にはグローバリゼーションは、私たちを幸福に
しないで不幸にしているのではないかということを訴えています。
そうではなくて、ローカリゼーションに基づいて、顔の見える社会を
再構築する、復活することを訴えているのだと思います。

僕が今回、まわってきたところは、まさにそれを象徴するようなところでした。
グローバリゼーションの中で、成長をどこまでも拡大しようとさせる一つの
象徴としての原子力発電が、大きな被害をもたらし、それに対して僕が
最後に訪れた農場は、ローカリゼーションに基づいた顔の見える経済を
実際に農の現場から作ることを考えて、有機農業をされてきたところでした。

そうしたところの人々が、放射能汚染に対してどうしたらいいのか、凄く
悩んでいて、事態は深刻なのですけれども、そんな中で感じたことを
映画に即して話していきたいと思います。


アフガニスタンが結ぶ縁

その前に、僕は今日のこの会合には深い縁があることもお話したいと思います。
この映画会の主催者の一人の森君は、栃木県のアジア学院にいました。農場と
学びの舎が一緒になっているところです。

そこの人たちは、原発に対する批判的な意識が高かったので、事故が起こって
危ないと思って、みんなどんどん逃げ出したそうです。森君も、いったん千葉に
いきましたが、そこでツイッターで原発が爆発したという情報を受けて、これは
もうダメだと考えて、なんと夜中に自転車で、東京の町を駆け抜けたそうです。

停電だった町を、ママチャリで、駆け抜けたという、なんだか映画の一シーンの
ようなことを現実的に行ったのですが、実はそのときに彼と一緒に農場に
いたのが山口敦史さんという方でした。


僕は山口さん自身には、お会いしたことがないのですが、この方はペシャワール
会に属して、アフガニスタンで農業普及活動を行っていました。
ペシャワール会は、もともと中村哲さんという医師がアフガンで始めた医療支援を
出発点としています。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

中村先生は、戦争や干ばつにあえぐ多くの人々を診察してきましたが、例えば、
泥水を飲んだ子どもがお腹を壊して、深刻な状態でやってくる。それを治すのは
間尺に合わないと考えられ、それならきれいな水を供給しようと井戸を掘りだし
ました。

しかし井戸だけでは飲料水はなんとかなっても、それ以上のものが賄えない。
それで用水路まで作りだしてしまいました。それに合わせて、荒れた大地を緑に
変えることが目指され、農業の再建が目指されていった。
実は僕は、この10年ぐらい、ピースウォーク京都というグループに参加して、
この中村哲さんをはじめとしたペシャワール会を支える活動をしてきました。

そのペシャワール会が地元の人々と一緒に切り開いた農場に、伊藤和也さんと
いう若者が働いていました。その伊藤さんは、2008年に、難民キャンプのやくざの
ような人々にさらわれてしまい、なんとそのまま殺されてしまいました。その時、
現地で伊藤和也さんと一緒に働いていたのが、山口さんと、進藤陽一郎さん
という若者でした。

その若者たちを指導していたのが、京都市山梨在住の、高橋修さんという方
でした。ペシャワール会の農業指導員ですが、長く京都で、農業普及員を
務められ、その後に、世界の農業の現場を回られてきたベテランの方です。

僕はその高橋さんと親しくさせてきていただいて、アフガンでの農業の進め方
について色々とお話を聞いてきました。これらの経験は高橋さん編著
『アフガン農業支援奮闘記』に詳しく書かれており、僕も、「上杉進也」の名で
書評を書かせていただいたことがあります。
http://pwkyoto.com/news/info/100226review.html

高橋さんは「農業援助」という言葉が大変、嫌いです。日本の「優れた」技術を
持って行って、現地に上から植え付けようとするとほぼ全部失敗する。そうでは
なくて、その地域にある知恵を集めて、農業を行っていくことが正しいのだと、
考えられ、実践されてきました。高橋さん自身が、ローカリゼーションの考え方に
根ざした方なのです。

それだけに伊藤さんが亡くなった時は、僕は伊藤さんにも面識はなかったの
ですが、大変、ショックで、京都の友人たちと伊藤さんの郷里の掛川市まで
いって葬儀に参加してきました。その場で、憔悴しておられる高橋さんにも
お会いしました。山口さんもおられたことと思います。

高橋さんにはその後にも伊藤さんのお話を繰り返し聞かせていただきました。
高橋さんも、一緒に働いていた進藤さんも、山口さんも、とても心が傷ついて
おられた。その進藤さんが京都に来られた時は、いろいろな話を聞いて、随分
交流を深めました。

それでなんとも言えない縁なのですが、僕が訪れた角田市の農場にも、
高橋さんと親しいMさんという農家の方が参加されていました。実は進藤さんは
震災の時は、ちょうどそのMさんのところにおられて、農業の手伝いなどを
していたそうです。

何か、非常に不思議なつながりがあって、何か大切な、一緒のことを、みんなで
見てきたのかなと思うところがあります。


アフガニスタンは、豊か、貧しいということを、お金で測るのならば、世界で
一番、貧しい国です。その貧しい国が、最近、アメリカに処刑されてしまった
オサマビン・ラディンという人をかくまったと言うことで、世界で一番富んでいる
アメリカに戦争をしかけられて、たくさんの方が爆撃で亡くなりました。

それだけではなくて、アフガニスタンはずっと飢饉に襲われています。なぜかと
いうと、アフガニスタンは、ヒンズークシ山脈という雪の深い山々におおわれて
いて、その雪解け水で、台地が潤うのですけれども、地球温暖化によって、
雪がどんどん減っています。

おそらく世界で一番、CO2を出していないアフガニスタンが、世界で一番、
CO2を出しているアメリカ、それに次ぐ日本などがひきおこしたと思われる
温暖化によって、一番、苦しんでいる。

山口さんは、そこに農業をしに赴かれました。僕も現地には行っていないのですが
そんなペシャワール会の方たちと、いろいろなことをご一緒してきました。

『幸せの経済学』では、ラダックという民族かな?尊厳ある暮しを営んでいる
方たちのことが描かれていて、それとアフガニスタンとはまた違うでしょうが、
そこには、商品経済の豊かさとは違った、もっと深い豊かさがあるのだと
思います。

一例をあげますと、中村先生が、良く言われることなのですが、現地の難民
キャンプに行くと、テントの中から入れ、入れという手招きがされるそうなの
です。それで入っていくと、キャンプで配られているナンを分けようとするのだ
そうです。客人が来たら必ずもてなすという心がある。

自分たちが被災者なわけです。しかし自分たちが持っているものを、食べていけ
食べていけと差し出す。客人をもてなしたり、困っている人がいたら助けるのが
当たり前で、誰もそれを疑わずに行う。そうしたものが、本当の人の温かさ
なのかと思います。

今日はそんなアフガンで働いてきた山口さんが、今、福島原発に北で、みちのく
応援隊を作ってボランティア活動をされていて、そのためのチャリティーの場です。
僕にとってもとても意義深い場だなと思うわけです。


「成長の病」の象徴として原子力発電

さて、前置きが長くなってしまいましたが、映画のことについて話をしていきたい
と思います。この映画の中、特に前半でずっと言われていることは、「成長の
病」ということではないかと思います。

経済成長をしていけば、人間の暮しは必ず良くなって、今、できないことも
必ずできるようになるのだという発想がそこに貫かれているのだと思います。
映像の中でも、アメリカのニクソン元大統領や、クリントン元大統領などが、
経済成長こそが繰り返し言っていたことが強調されていました。

その経済成長をどんどん拡大させようという人々の思いの、非常に象徴をなす
のが原子力発電だと思います。原子力発電をどんどん拡大して、無尽蔵の
エネルギーを手にすれば、今、できないことも、必ずできるようになるのだという
夢がそこにあります。これは実際に色々な本に書かれていることです。

原子力発電では、今は一般炉で、ウラン燃料を使っていますが、そのウラン燃料
を燃やしていると、そこにプルトニウムという物質ができます。ウランの埋蔵量は
けして多くはないし、燃料として使える核分裂するウランは、天然ウランの0.7%
しかないのです。

あとの99.3%はゴミになってしまう。しかしそのゴミになるウランを一緒に炉に
入れると、そのある部分が中性子を食べて、プルトニウムに代わるのです。
それでプルトニウムが増えてくるので、運転が終わったら、燃料棒に再処理という
ことを行います。

再処理とは、死の灰が詰まった使用済み核燃料を分解して、プルトニウムを
取りだすことで、実はそのときに、他の放射能が出てきてしまうのですが、
その出てしまうことに目をくれずにそのプルトニウムを取り出す。そしてその
プルトニウムで、さらなる発電を行おうというのです。それで作ったのが「もんじゅ」
です。

そうすると99.3%のゴミであるウランを、エネルギーに変えて行くことができる
ことになる。そうなると潜在的なエネルギー量は何千倍にもなるというのです。
それだけたくさんのエネルギーがあれば何でもできる。その何でもできると
言うことの中に、実は、放射能もやがて除去できるという考え方が含まれています。

これは僕は信仰に近いと思うのですけれど、原子力政策を推進してきた、神山
弘章という偉い先生の本で、『高レベル廃棄物は悪の塊りか?』というものが
あります。タイトルに「悪の塊りか?」とあるのは、「悪の塊りではない」と言いたい
に違いないと思って、僕はそのタイトルだけで、何を言っているのか知りたく
なって、うっかりその本を買ってしまったのですね。

より正確に言うと、ちょっと目次を見たら、「放射能のマイナス点は克服できる」と
書いてあって、これは面白いと思ったのです。おお、言ってもらおうじゃないかと
思って、家に帰って、わくわくしながら本を開きました。

そうしたらこう書いてありました。「戦後50年医学、科学、宇宙工学など当時は
想像もできなかった今日の発展をなし遂げた。この人類が放射能のマイナス点を
克服できないはずがない。」(同書 ERC出版 40ページ)
他のどこをめくっても、それ以上のことは書いてない。

つまりそういう風に考えてきたのだなと思いました。つまり解決できないものは
みんな未来世代に送ってしまっていい。いつかその人たちが解決するだろう。
だから今はエネルギーを拡大させるのだ、それが科学なのだと考えてきたのだ
と思うのです。

もちろん、原子力発電の歴史を紐解いていくと、そこには核武装の問題が
出てきます。核兵器開発の中で出てきたものなのです。だからそれを抜きには
語れないのだけれども、多くの人が、原子力に非常に強い夢を持ったのも
間違いないことだと思うのです。

その一つの象徴が、『鉄腕アトム』だと思うのです。アトム=原子君ですね。
鉄腕原子君です。原子君の妹はウランちゃん。お兄さんはコバルト君、凄い
一家ですよね。実はアトムの胸には原子炉が入っているのです。実際には
原子炉は小型化できないので無理ですが、彼は原子力で動いている。

アトムの歌は「ラララ、心優しい、ラララ、科学の子、10万馬力だ、鉄腕アトム」
と歌っています。「10万馬力」が素晴らしいことであり、それが人々に幸せを
呼ぶと、あの手塚治虫さんでさえ考えていた。手塚さんは『火の鳥』なども
書かれて、人間の命の問題を、ずっと追い続けた方だと思いますけれども、
その手塚さんも、原子力に夢をもたれたのだと思います。

その点、世代の違いを感じますね。僕などは、この『鉄腕アトム』で育ったの
ですよ。でも今の若い人たちは、今の現状を見ると『風の谷のナウシカ』を
思い出すといいます。だから僕は、今の人たちの方が、絶対に進んでいると
思いますね。

つまりこのグルーバリゼーションというものを、心理的に支えているものは、
どんどん生産力をあげて、人間がより凄いパワーを手にすれば、人間の
幸せがどんどん拡大するというものだったと思います。それを象徴するのが
原子力だったのではないでしょうか。


グローバリゼーションは欲望を生産する

その場合に、グローバリゼーションがどのような力を持っているのかという
ことを、1点だけ紹介すると、実は同じ資本主義でも、1800年代の資本主義と
1900年代に入ってからの資本主義では非常に大きな差があるのですね。

どういう差があるのかというと、資本主義は1900年頃までに、どんどん生産力が
上がって、商品がたくさん生産されすぎて、なかなか売れない時代が到来して
います。そうすると過剰生産恐慌というものを起こしてしまう。それがもう周期
的に起こるようになっていたのです。たくさん作りすぎて、売れなくなってしまった
のです。

それをどうやって超えて行ったのかというと、20世紀の資本主義は、商品を
生産するだけではなくて、欲望をも生産するようになったのです。
マーケッティングという言葉があって、これは誤解されやすいのですけれども、
マーケッティングは、市場にある欲望を調査するだけではなくて、市場に欲望を
作ることが重要なのです。

これを一番、中心的に推し進めたのが、アメリカの自動車産業です。現代の
資本主義、まあ20世紀ですが、それを何を中心に見ていけばいいのかというと、
アメリカの自動車産業で、典型的にはフォードと、GMがあげられます。

例えばどういうことをやったのかというと、ランク付けを行ったのですね。車に
クラスをつけたのです。大衆車クラス、ミドルクラス、セレブクラスなどです。
しかもそのセレブクラスの中にも3段階ぐらいあったりする。

トヨタの車を見てもよく分かります。例えばトヨタクラウン。まあこれはお父さん
たちの興味の対象で、若い人は関心が薄いし、だんだんそういうことは通用
しなくなっているのですけれども、実はクラウンという車は、一つの車種では
ないのです。いろいろな種類があるのです。

ところがみんなクラウンを欲しいと思う。その下にはマークⅡなんて車も
ありました。それでとにかく一番下でもいいからクラウンを買う。ところがその
上に、グレードの高いクラウンがあって欲しくなる。クラウンエクストラとか
ついている。それを買ってしまうとまた次がある。

そうやってランクをいっぱい作ることで、一つ買うと、その上を買いたい、また
それを買うと、さらに上を買いたいと思わせる仕組みが作られているのです。


実は僕もやられたことがあります。洋服の青山というお店があります。あるときに
僕は法事にでなければいけなくなって、親戚が僕のことを心配して、ウン万円を
渡してくれて、それで喪服を買いにいった。

そうしたら「お客さん、ご予算いくらですか」というので「ウン万円です」というと、
商品を持ってきてくれるわけです。ところが「お客さん、さらに5000円出すと、
これがありますよ」と言って違うものを持ってくる。なんと黒の色が違うのです。

恐ろしい。実は黒は何種類もあるのです。それで次々、上のものが持ち出され
てきて、もう初めのものは、みすぼらしくみえてしまう。それでこういう話を
しながら残念なことに、僕は予算よりも高いものを買ってしまったのですけれども、
こういう風にして、ランクを作って、欲望が引き出されるわけです。

それまで僕はまさか黒に何種類もあるとは思わなかったし、より美しい光沢の
ある黒が欲しいなどという欲求は僕にはなかったわけです。なかったのがその場で
作られてしまって、作られてしまうとなかなか人は弱いものです。どうみたって
それがきれいに見えてしまう。

そういう仕組みをどんどん作っていくわけです。車の場合だと、頻繁にモデル
チェンジをしていく。ほんの少しずつ、変えていく。それをやられると、新しいのが
欲しくなって、買い換えてしまう。そのサイクルに入ると、えんえんそれが続いて
まだ乗れる車が中古車になってしまいます。


このことが生活上にも入ってきてしまうのが、パソコンだと思います。パソコンは
激しく進化していく。ビット数が上がって、今までできなかったことができるように
なる。そうすると仕事がかえって増えるのですが、暫くするともう古いパソコンは
使えなくなってします。そうやってえんえんと欲望が作られているわけです。

それが現代資本主義の特徴で、そのためどこまで行っても欲望には制限が
ない。満ちることがないわけです。パソコンだと、今、最新型を買っても、数年
したら、もっと凄いのが出て来て、欲望が作られてしまう。それで欲しくなって
しまうわけです。

カメラマンの友人が地獄だと言っていました。プロだと50万円ぐらいする機材が
必要になります。しかし1年経つともう古くなってしまう。ところがフリーランスだと
とても買い変えられない。だからどんどん性能がよくなることで、どんどん暮しが
良くなるのではなくて、どんどん苦しくなってしまう。

働いても、働いても、新しい機材に追いつけない。機材が進歩することが
いつまで経っても幸せの拡大に結び付かない。だから僕らは、驚くべき生産力
の発展の時代の中にいながら、ちっとも幸せが拡大しない現実の中に
いるわけです。それがグローバリゼーションの仕組みです。


電力も同じで、電力がないと困るといいながら、実はどんどん、電力を必要と
するものが新しく作られてきたわけです。オール電化などはその典型ですよね。
ちなみに震災のときに一番、困ったのはオール電化の家庭だったそうです。

後は東北の方たちは、ファンヒーターが困ったと言っていました。20年ぐらい
前の方が良かった。みんなダルマストーブだったので、電気がなくても暖を
取れたのです。

今の電気製品はみんな待機電力というものを持っています。だから実は、計画
停電の中で人々が目覚めてしまった面もあります。結構、節電できることは
たくさんあった。それをしたら計画停電は途中からやらなくてよくなった。つまり
どれだけ電力を無駄につかっていたかも浮上したわけです。

実は電力が足りないから、原子力発電所を作ってきたわけではない。逆で
原子力発電所を作るから、電力をどんどん使わせなければいけなくなった。
原子力発電所の致命的欠陥は、電力の需要が減ったからといって、すぐに
止められないことなのです。必要なくても、まわっている。そのためかえって
電気が余ってしまうのです。

つまり欲望が作られるように、電力の必要も作られたのです。それで生活が
良くなったのでしょうか。違うと思います。
例えば僕は、セブンイレブンには、ぜひセブンイレブンに戻って欲しいと
思っています。つまり朝7時に開店して、夜11時に閉まる。僕が学生のときに
始まりましたが、その頃のキャッチフレーズは「開いてて良かった」でした。

その頃は9時にはもうどんなお店もしまっていた。しかし今は24時間開いてい
ます。それで町が暗くならなくなりました。夏になると、その前にとまった蝉が
一晩中鳴いています。恐ろしいことです。木にも蝉にも、もちろん人間にも
良いはずがない。生態系にむちゃくちゃに悪いのです。

今の都会の私たちは、深い眠りが得られなくなりました。真っ暗な方が人間は
深い眠りに入れるのです。だからそのような町の状態になっていることを
今、とらえ返さないといけないと思います。

その点で、今回の事故のことで、深刻なことがいっぱいあるのですけれども、
僕は逆にこれを、グローバリゼーションから、ローカリゼーションに変えて行く
大きなきっかけにしなければいけないのではないかと非常に強く思います。


放射能汚染との対決に、ローカリゼーションが有効

特に核心問題は放射能の問題です。もの凄い恐ろしい放射能がたくさん出て
きてしまっています。今、政府はそれをかなり隠しています。
ヨウ素やセシウムなどしか測ってなくて、ストロンチウムとか、プルトニウムとか、
もっと危ない物質がほとんど測られていないのです。

それらの放射能は、深刻なことですけれども、食糧などにまざって、どんどん
国中に回ってしまうと思います。それを全て避けることは不可能だと思います。
実際に放射能は、雨で流されて、泥に混じって、汚泥に溜まっていくのですが、
これが自治体の浄化センターなどに集まっています。

この汚泥はこれまで、セメントの材料などに使われてきたのですが、実際に
今回でも福島県だけでなく、周辺の県や東京都などでも出てきて、しかも
セメント会社に出荷されてしまっています。おそらくその先は分からなくなって
しまったのだと思います。そうしたことがどんどん増えていく。

その面で私たちは、放射能と共存する覚悟をするしかないと思います。では
覚悟してどうするかというと、実は今、私たちが気がつかなければいけないのは、
私たちにとっての危険物質は放射能だけではないということです。
例えば、農薬や殺虫剤などでもとても怖いものがあります。

そうしたものが私たちの周りにまんえんしていて、何らかの便利さをとるために
使われている。さっき述べたように、便利さだけが考えられて、そこで出るマイナス
のものは、何か他のものが除去してくれるとばかりに、そうした危険物質が
たくさん作られてしまったわけです。

最近は飛んでいる蜂を即刻落とすスプレーが出ているそうです。ロイヤル
ゼリーで飛行している蜂が、遠くから一瞬にして落とされてしまう。
しかしそこに入っている物質が、実はうつ病の原因の一つになっているのでは
ないかという研究が、最近、進められています。

そのために、放射能汚染がどんどん迫ってくるならば、まずは放射能汚染を
できるだけ除去することをいろいろと行う必要がありますが、それだけではなくて
いろいろな危険物質をできるだけ除去していくことが大事だと思うのです。

それでは除去する上で何が大事なのかと言うと、やはりローカリゼーションだと
思います。顔の見える関係で、地産地消で、顔の見える関係で売買するのが
一番安全です。また生産者もその方がやりがいがあるし、顔が見える人に
売る方が丁寧に作ってくれます。


滋賀県の高島市では、小学校が地元の農家さんからお米を仕入れて、給食に
出しています。そうしたら生産者の方が、がらっと農薬の撒き方を変えたと
おっしゃっていました。あるいは造り酒屋さんが、どこの農家からお米を仕入れた
かを酒瓶のラベルに書いて、その親父さんの写真の載せたりしています。

やはりその場合でもお米の磨き方が変わってくるそうです。とくに地元の小学生
たちを見ていると、この子たちに本当においしくて、安全なお米を食べさせたいと
思うのだそうです。

それがまた、きちんと買ってもらえるのが核心問題です。グローバリゼーションの
中では、いいものを作ったって、そう評価して買ってはくれないのです。いいものを
作ることの方がコストがかかったりします。農薬をたくさん使って、作業を短縮
した方が安いものができる。グローバリゼーションはそういうことを促進して
しまうのです。どこで誰が作って、どこで誰が食べているのか分からないからです。

そうではなくて、モノを通じて人と人がつながっている社会、その尊さを、今日の
映画は繰り返し、繰り返し、訴えていたのではないかと思うのですね。
そういう意味で、地域で作られたものを、顔の見える関係で買っていく。大量生産、
大量消費ではないあり方を作っていくことが、放射能がたくさん出てしまって、
それと共存しなければならない私たちの今に、より必要になっているのだと
思います。

そうしたローカリゼーションに移行していくこと、それを選び取っていくことが
大事になっているのではないかと思います。


人をもっと愛したい・・・

最後に、今回の東北の旅の中で思ったことなのですが、実は僕を招いてくれた
方たちの中には、いわゆるサブカルチャー、とくにレゲエなどをやっている仲間
たちが結構いました。いつもあちこちで祭りなどを行って、お互いに泊まったり、
泊まられたりという関係が多いのです。

そんなネットワークの中で、泊まり歩いて、最後のピースファームに辿りつき
ました。その間にいつもレゲエや音楽が流れていました。
僕は旅の間中も、プルトニウムのことなど、情報発信を続けていたのですが、
ちょうどそのときに、1号機のメルトダウンが報じられました。

それで僕の頭の中で、燃料ペレットが溶けだして、下に落ちて、それがどう
なるのか、またそれが何を意味しているのか、深刻な考察を重ねていたの
ですが、そんなとき、隣の部屋から、ウンチャ、ウンチャというリズムが
聞こえてくるのです。すぐに太鼓の音が続き出す。

それを聴いていると、もういいかと思えて、僕もそっちに行って、太鼓を
叩いたりしてしまいました。それで自分の心が緩まるのを感じました。
それは大切なことだなと思いました。


とくに最後の角田市のピースファームには、本当に素晴らしい、有機農業を
されてきた方たちが集まってきました。「守田さん、俺らここで、農業をやって
いていいだべか」なんていきなり聞かれました。

僕が思わず「ウーン・・・」と唸ったら、「ああ、唸ってる、唸ってる」なんて
誰かが言います。本当に答えがすぐにはでない深刻な問いがそこにある。
この辺のみなさん、ガイガーカウンターも持っているのです。会話がシュール
なんです。「××製のガイガーカウンターはいいね」「××製もなかなかいい
みだいだよ」なんて会話が進む。

「そこに持っていくともっと出るよ」、なんて言って、カウンターをずらすと、
ピコピコピコと音が強まったりします。だけども誰かが「この会話、シュール
だね」と言うと、みんなしんみりします。

そこで本当に色々な会話がなされて、僕はとても印象的だったのですが、
「俺らどうするかな」「仕方ないな」「歌うか」なんてことになって、ギターが
爪弾かれ、太鼓が鳴りだしました。それで1時間ぐらい歌って、その後にみんな
静かに帰ったり、眠りについたりしました。

もちろんそれで放射能が消えるわけではないです。でも本当に温かい仲間が
いて、そこが愛情に溢れていて、そんな仲間と何かをしていこうとするときに、
僕らは人間としての可能性が高まって、免疫力も上がっていくのではないかと
僕は思いました。またそれでこそ、放射能汚染にも、能動的に立ち向かって
いくことができるのではないかとも思った。

それで、なんとなく僕は、東北の旅から帰ってきて、ちょっと恥ずかしい言い方
なのですが、人を愛したい気持ちが高まったことを感じています。それが東北
からいただいてきた一番のものだと思います。

そういうことを実現するために、グローバリゼーションではなくて、顔を
見える経済を作っていこうというのがこの映画の趣旨で、そういう考え方が、
原子力発電に顕著な、とにかく巨大なエネルギーがあればいいという発想を
超えて、人間らしい、豊かな世の中を作っていくヒントになるのではないかと
僕は思いました。

以上。

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東日本大震災:「原発とめろ!」 市民団体、400人デモ--中京 /京都

2011年5月23日 毎日新聞
 「原発をとめろ!核の真相を明かせ!子供を救え!」と訴えるデモが22日、
京都市中京区の河原町通周辺であった。市民グループ「原始力の会」と
「ピースウォーク京都」の主催で約400人が参加。「政府はうそをつくな。どこが
クリーンなエネルギーだ」などと声を上げて行進した。

 長岡京市の主婦、伊藤依里子さん(30)は長女(1)を抱いて「子供のため、
おいしい食べ物を安全に食べられ、天候を気にせずに遊べて、安心して暮らせる
未来を」と訴え、「私たちは微力だが無力ではない、継続が大事と母親仲間で
話しています」と語った。

 今月9~17日にボランティアで東北を訪れた左京区のフリーライター、守田敏也
さん(51)は「ある有機農家は独自に作物の放射線量を測り、基準値以下と
確認しながら『売っていいものか』と悩んでいた」と紹介。「原発反対と同時に、
いま東北の人を救わねば」と呼び掛けた。

 学会で京都を訪れていた鵜飼哲・一橋大大学院教授も飛び入り参加。「原発
事故は収束からほど遠く、どんな展開になるか分からない。京都での運動を
心強く思う。共に頑張りましょう」とエールを送った。【太田裕之】
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110523ddlk26040293000c.html

原発反対デモ行進 京都中心部
2011年5月23日 読売新聞
 東京電力福島第一原発の事故を受け、原発反対を訴えるデモ行進が22日、
京都市の中心部で行われた。親子連れや若者、高齢者など約400人が参加し、
中京区の三条大橋下から市役所前までを約1時間半かけて練り歩いた。

 市民団体「原始力の会」(橋本尚樹代表)などの主催。自作のプラカードを掲げ
て「原発反対」と叫ぶ人や、福島原発で働く労働者の危険性を訴えようと、
放射線防護服で参加した人もいた。

 橋本代表は「原発がある限り事故は起こり、被曝(ひばく)する人はなくならない。
技術力が高い日本なら、原子力に替わる自然エネルギーを作り出せるはず」と
話していた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20110522-OYT8T00771.htm

全原発停止訴え1週間ぶっとおしデモ
2011年5月17日 京都新聞
 「1週間ぶっとおしデモ アゲインスト原発」が16日夕、京都市内で行われた。
100人を超える参加者たちはすべての原発の停止を音楽でにぎやかに訴えた。

 1週間かけて原発をめぐるさまざまな問題を考えてアピールしようと京都の市民
と学生が呼びかけ、「堪忍袋の緒も破損」などと書かれたプラカードを三条大橋
下流の鴨川河川敷に持ち寄った。

 参加者たちは「ずっとウソだったんだぜ」などと歌い、河原町通の三条―四条間
を往復した。デモは21日まで午後6時半から行い、最終日の22日午後2時に
集会を開く。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110516000135
コメント

明日に向けて(124) いまも残る“黒い雨”の被害(NHK 2009年)

2011年05月23日 23時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110523 23:00)

内部被ばく問題の続きです。今回もやはりNHKニュースで2009年8月に
放映された「いまも残る“黒い雨”の被害」をお届します。6分半ほどですので
どうがご覧ください。ニュースをノートテークした文章も貼り付けておきます。

なお前回のニュース映像を含めて、これらはNHKスペシャルに再編集されて
もいます。「核は大地に刻まれていた~“死の灰” 消えぬ脅威~」の
タイトルです。2009年8月6日放送で、これについてもまた紹介します。

今回のニュースには、被ばく者の隅川清子さん(当時75歳)が登場されています。
彼女は原爆投下後に爆心地から15キロで黒い雨を浴び、その後に汚染された
井戸の水を飲み、野菜を食べ続けました。誰も危険性など知らなかったのです。

その後、すぐに体調不良になり、34歳のときには子宮がんになって、子宮と
卵巣を摘出されています。7人兄弟のうち5人がガンになり、亡くなった方も
おられるそうです。

注目すべき点は、この方が、国に被ばく者として認められてこなかったことです。
国は爆心地から3.5キロ以内にいないと、ガンや白血病を、放射線の影響と
みなさない立場を取り続けてきたのです。

このため、本当にたくさんの被ばく者の方たちが、何の補償も受けられず、
戦後60年以上も苦しみ続けてきました。それが私たちの国の、被ばく者への
対応でした。

ニュースでも、冒頭で「最新の研究によって、この黒い雨による影響の大きさが、
ようやく、解き明かされようとしています」と報じられています。反対に言えば、
戦後長年、国はこのことの解明に真剣になってこなかったのです。

これに対して、さまざまな科学的知見が重ねられてくる中で、最近になって、
被ばく者の認定範囲が少しずつ広がりつつあるのですが、それは長年に
わたる被ばく者の方たち、原爆被災地の方たちの努力によるものです。

ところがこの間の福島第一原発後の国の対応は、この新しい知見をまったく
反映させておらず、むしろ多くの被ばく者を切り捨ててきた長年の政策に
舞い戻った感があります。

とくに国が長年、無視してきたのが、内部被ばくの問題です。「被ばく者」が
原爆投下時に爆心地から3.5キロと定められたことで、原爆投下後に、黒い雨に
晒されたり、市内に家族を探しに行って被ばくしたなどが無視された。

そのことで、事後的に放射能を吸い込み、被ばくした、本当にたくさんの方たちが
何の公的手当ても補償も受けれずにきたわけですが、今、福島第一原発事故
でもこれと同じことが繰り返されようとしています。

その最たるものは、首相官邸のホームページに、「チェルノブイリ事故との比較」
という、原発事故の影響を、極端に小さく描いた文章、しかもすでに国際的に
完全否定されているデータを載せて、人々を欺こうとしていることです。

しかし私たちには、被ばく者の方たちが、本当に連綿と、血と汗と涙で綴って
きた、被ばくの実態の暴露の積み重ねがあります。だから、それらに学んでいけば、
幾らでも政府の虚言を暴いていくことができます。

そのため、これらを学べるための資料、映像をできるだけ丁寧に拾って
この場での紹介を続けて行きたいと思います。今回のものも短いニュース
ですので、ぜひご覧になってください。


********************

いまも残る“黒い雨”の被害 
(2009年8月放映NHKニュースより)
http://www.youtube.com/watch?v=FBy8oaiVOFw&feature=autoplay&list=WLA74D1343336DDCA8&index=1&playnext=2

原爆による被ばくは、爆発の瞬間だけではありません。
その後、放射性物質が、雨と共に降り注ぐいわゆる黒い雨。
最新の研究によって、この黒い雨による影響の大きさが、
ようやく、解き明かされようとしています。

広島市佐伯区に住む、隅川清子さん(75)。原爆が投下されたときは11歳でした。
爆心地から15キロ離れた自宅にいた隅川さん。爆発の30分後、煤混じりの黒い
雨に打たれました。

「空が暗くなって、普通の夕立とは違う夕立が降りました。向こうがみえなくなる
くらい、たたきつけるような雨でした」

その直後から、隅川さんは、激しい倦怠感に襲われるようになりました。
今でも心臓の調子はよくありません。

64年前に原爆が投下された広島。放射線によって多くの住民が被ばくしました。
影響はこれだけではありません。原爆に伴って発生した放射性物質が、雨と
ともに降り注いだのです。
地面に染み込むなとして、飲み水や農作物を汚染したと考えられています。

この黒い雨の痕跡が、広島市の原爆資料館に展示されています。
壁をつたった筋からは放射性物質が検出されています。

隅川さんの自宅の裏に残る井戸の跡です。
当時は黒い雨の危険性を知らず、井戸の水を飲み、畑の野菜を食べ
続けました。

これを境に体調は悪化し続けます。下痢やめまいなどの他に、34歳のときには
子宮癌にかかり、子宮と卵巣を摘出しました。
病気は兄弟にも相次ぎました。7人の内、5人がガンになり、すでに亡くなった
人もいます。

「今でしたら、“黒い雨”の影響を思いますね。放射能の影響を受けておると
思いますね」

しかし国がガンや白血病などの病気を原爆の影響と認めるのには、基準が
設けられています。原爆が爆発したときに、爆心地から3.5キロ以内にいな
ければ、原則として認められません。15キロ離れた自宅で黒い雨を浴びた
隅川さんは、基準からはずれているのです。

これに対して広島県と市は、爆心地から遠く離れた地域の住民への影響を
調べていました。
めまいや脱毛など、放射線特有の症状がなかったのか。調査の結果、症状が
あったと答えたのは3537人。全体の20%を超えていました。

県や市は救済を認めましたが、国は黒い雨の影響は、科学的に明らかでない
として応じませんでした。


こうした中、黒い雨の影響の大きさが、最新の研究によって、明らかになろうと
しています。

広島大学の鎌田七男名誉教授です。

去年、ある女性の細胞を調べました。原爆症の認定基準から外れた爆心地から
4.1キロの場所で黒い雨を受け、ガンになった女性です。

分析の結果、放射線によって傷つけられたみたれた異常な染色体が次々と
見つかりました。通常は同じ形の染色体が対になっているのに対し、くびれの
部分がずれてしまっています。異常が見られた割合は、通常の4倍を超えて
いました。

この割合から計算すると、女性が浴びた放射線の量は、およし300ミリグレイ。
これは原爆が爆発した瞬間に、爆心地から1.5キロで被ばくした量に匹敵します。

「想定以上に多い量だと思います。一例、一例、積み上げていくことによって、
“黒い雨”にあわれた方々の病気や線量を明確にしなければならないと思います」

黒い雨を浴びた隅川さん。先月、新たに胃に炎症が見つかり、ガンが再発する
のではないかと不安を抱える日々です。

「もう一回ね、はっきり調査をしていただいて、もう高齢ですし、明日のことも
分かりませんのでね・・・」

少しずつ、明らかになってきた黒い雨の影響、原爆投下から64年、その解明が
急がれています。

コメント

明日に向けて(123) 内部被ばくの撮影に世界で初めて成功(2009年)

2011年05月22日 13時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110522 13:00)

本日5月22日、京都ではさまざまな企画が行われています。
午後2時からは、三条河原に集まって、リレートークが行われ、
3時から河原町通りを往復する脱原発デモが行われます。
僕も参加してきます。お近くで参加できる方は、ぜひご一緒に!

また18時半より、social kitchen(京都市上京区相国寺北門前町699)で
「幸せの経済学」の上映会が行われます。僕も少し話をさせてもらいます。
こちらにもよければどうぞ。
地下鉄「鞍馬口」徒歩5分 http://hanareproject.net/

***

さて、デモに向かう前に内部被ばくに関する貴重な映像を見つけたので
ご紹介しておきたいと思います。
2009年6月26日に放映されたNHKニュースで、内部被ばくした放射性物質が、
いまも細胞を傷つける放射線を出していることの撮影に、世界で初めて成功
したことを報じるものです。

なにはともあれ、以下の映像をご覧ください。4分42秒の映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=ACHWd1MD5EI


これは長崎大学の研究グループが行ったもので、細胞の中から黒い2本の線
(放射線)が出ていることが、はっきりと捉えられています。

研究を行った七條和子助教らは、内部被ばくについては、まだ病理学的な
意義が分かっていない段階であるため、それを解明するために、7人の亡くなった
被爆者の組織を撮影。ひばくから60年以上たってから、骨や腎臓の中で、
放射線が出ていることを確認しました。なお放射線を出しているのは
プルトニウムだとのことです。長崎原爆に使われたものです。

七條和子助教は次のように語っています。
「その時だけ被曝して障害を及ぼすのではなくずっと体の中に蓄えられたものが
少しずつ少しずつ、体をやっぱり傷つけている可能性があるという、何らかの
糸口になればと思っております」 。


またこのニュースには、同じく長崎大学の中島正洋准助教授の研究グループが、
皮膚ガンになった被ばく者を対象に、手術で切除されたガン周辺細胞について
研究を進めたことも報じています。

その結果、判明したのは、一見正常そうに見える細胞のDNAが傷ついている
ケースが多く見られることです。
DNAの異常は爆心地から3キロ以上離れて被爆した人では5人のうち1人だった
のに対し、 1.5キロ以内で被ばくした7人のうち5人に上っています。

原爆で被ばくした人は、今も高い割合でガンになっているわけですが、こうした
方々は、一見正常に見える細胞のDNAが傷ついていることも、この研究で判明
したそうです。

中島准教授は次のように述べています。
「60年以上前の一回の放射線の被曝によって遺伝子に傷が入りやすいといった
ことが誘発されているのではないか。 それは、ガンになりやすいということを
示唆するデータだと考えております」 。


報道内容は以上ですが、ここからおさえておくべきことは二つです。
一つは、この映像にあるように、体内に取り込まれた放射性物質は
何十年もの間、周辺細胞を放射線で傷つけ続けることが、映像的にも
確認できたということ、内部被ばくの恐ろしさが、また一つ確証された
ということです。

また放射線被ばくにより、DNAが傷つけられ、それがガンにつながっている
のではないかということも、あらためて確認されています。

しかし一方で重要なのは、ニュースの中でも触れられているように、まだまだ
内部被ばくや、放射線とガンの関係には未解明なことが多いということ。
つまり被ばくから60年以上も経っているのに、内部被ばくや放射線被ばくに
対する知見が、十分には蓄積されてきていないという事実です。

ここには国が行ってきた被ばく調査、とくにそれを主導してきた放射線影響
研究所の長年にわたる「研究」が、被ばくの恐ろしさの解明には向かわず、
とくに内部被ばくの実態が蓋をされ、隠されてきたことをも示唆するものです。


先にもお知らせしたように、すでに福島第一原発の近くに住んでいて、他の
原発で働いている人々から、約4700件もの内部被ばくがあったことが
明らかになってきています。周辺に住んでいた方々の内部被ばくも、強く
懸念されています。

にもかかわらず、政府は相変わらず「安全」「安全」を繰り返しています。
まさにそこに、私たちの危機が存在している。私たちは、政府を信用することなく、
市民自らの手で、「いまここ」にある危機と向き合っていかねばなりません。

・・・内部被ばく問題について、さらに調査と考察を続けます。

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明日に向けて(122) 気仙沼からの便り・・・その12

2011年05月22日 11時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110522 11:00)


気仙沼のアビスさんからの便りが届きました。
3通たまってしまったので、まとめてお知らせします。
「支援物資のお礼」「被曝しにきませんか」
「守田さんの第1回東北講演ツアー終了しました」の3本です。

って、被曝しにきませんかって、そんな、アビスさん・・・。
それに「守田さんの第1回」?・・・あれ?

なお3本目の東北の旅の報告には、僕がまだ書けていない
宮城県角田市ピースファームでのことも書かれています。

ともあれ、いつものアビス節をお楽しみください。

***********

気仙沼のアビスさんから

支援物資のお礼
5月22日午前9時02分

どうもです。
定期的に、着荷報告をしなければと思いつつ、
忙しさという言い訳を見つけ、
自分を、だまし続けてました。

やっと重い指を、気合を入れてストレッチして、
キーボードに向ってます。

皆さんから届いた、荷物の開封作業は、
とても楽しい作業です。
ダンボール一つ一つの中に、
皆さんの想いが、一人一人の個性に彩られ、
一つ一つが、玉手箱状態です。

そんな玉手箱の中身を、
荷物の窓口を開いた者として、
誰がどんな荷物を送ってくれたか、
把握しておきたいのですが、
荷物が多い時は、友達に手伝ってもらって、
開封、仕分けをする事が多くなってきました。

そうなると誰が何を送ってくれたか、
完全把握は、もう無理になってしまいました。
しょうがないけど、残念です。

この前、気仙沼で被災して家を流された、
親戚の若夫婦にも手伝ってもらいました。

奥さんが、いとこに当たります。
その子に開封を頼んだダンボールを、
彼女が開けると、女性用の下着が、
サイズ別にビニール袋にはいってました。

その袋一つ一つにきれいな字で、
メッセージが添えられていました。

そのメッセージは、そのまま避難所においてきたので、
ちゃんと覚えてはいませんが、
「新品を洗濯後、ストックしていたものです。
未使用です。
今回、被害にあわれて、大変だとは思いますが、
どうぞ、頑張って下さい。」

その、何袋かのビニールを手に取り、
俺のいとこは、ただただその丁寧で、
想いがこもったビニール袋に、感動してました。

荷物の開封 仕分け作業は、こんな感動の場面が、
何度かありました。

その感動を届けてくれた皆さんに、
この場を借りて、お礼させていただきます。

ありがとうございました。
何度も使ったフレーズですが、
皆様の善意、届けさせていただきます。


4月26日から、
5月22日現在、
荷物を送っていただいた方を、ご報告させていただきます。


中山 香様  京都市
牧野 里美様 大分県
森山 幸子様  愛知県
良本 信雄様  鹿児島県
萩原 桂子様 とも人連絡会  広島県
畠山様 (秋田市)
長谷川様 (秋田市)
工藤様 (由利本荘市)
手賀様 (秋田市)
加藤様 (秋田市)
牧野様 (横浜市)
丹羽様 (藤沢市)
坂井様 (町田市)
山田様 (横浜市)
村島様 (横浜市)
林田様 (横浜市)
藤本 和子様  大阪府
高橋 美佳様 兵庫県
久島 弘様  大阪市
中井 啓之様  札幌市
雪竹 みつよ様  福岡県
原田 雅代様 新潟県
石田 佳織様 和歌山県
石田徹様・佳織様 和歌山県
山本敦子様  和歌山県
計良容子様  和歌山県
るあん 小澤様  和歌山県
仁木久美子様  和歌山県
やのともこ様  和歌山県
土山巨余子様  和歌山県
晒 せつ様  和歌山県
谷平様  和歌山県
田中絹子様  和歌山県
中納みどり様  和歌山県
仙頭 杏美様 安芸の青空マーケット実行委員 安芸市
aki 様 和歌山県
貝沼 幸恵様  名古屋市
宮本 佳緒里様  大阪市
松岡 由香子様 滋賀県
中谷 祥子様  和歌山県
佐原 タカヒロ様 とも人連絡会  広島県
柴田様 (愛知県) 
畠山様 (秋田市) 
高橋様 (秋田市) 
武田様 (秋田市) 
工藤様 (由利本荘市)
京都健康科学研究所  京都府
森 芳様  名古屋市
萩原 桂子様 とも人連絡会 広島県
出口 美和様 広島県
片岡 桂子様 高知県
山水人一同様  滋賀県 

本当にありがとうございました。


******

被曝しにきませんか?
5月21日午前10時13分


先週、守田さんの講演ツアーが
秋田を皮切りに始まりました。

東北生まれの俺ですが、
初めての秋田市でした。

みどり祭りのおかげで、
一昨年初めて秋田県に行けました。
今回で三度目の秋田県です。

講演会の世話をしてくれた、
スノボーショップ、
Snow Gardenのオーナー、
Yanatyのおかげで、Deep秋田を、
ちょっと垣間見る事が出来ました。 

[☆SNOW GARDEN☆のコミュ]
http://mixi.jp/view_community.pl?id=595147

おかげさんで、また新たな遊び場発見の連続でした。

その中でも、守田さんと俺が宿泊させてもらった、
秋田県立秋田工業高校前にある、
ノスタルジーと言う表現がしたくなる店構えの駄菓子屋さん風、
食堂のような、溜まり場的お店。
あきこうまえ茶屋。

店を切り盛りするのは、スグル君。
なんともいえない個性を感じました。
秋田を訪れる事がある方は、是非足を運んでみてください。

[あきこうまえ茶屋のコミュ]
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4064505

で、そのあきこうまえ茶屋に、1泊させてもらった時に、
入手した情報なのですが、

5月29日(日)に、岩手県大船度市で
   「やっぺし祭」というのがあるそうです。

日時:2011年5月29日(日) 11:00〜16:00
場所:大船渡市立猪川小学校校庭

http://anpoap.org/?page_id=933

そのネット上の告知を、勝手ここに載せます。

+++++++++++++++

大船渡とアーティストがつくり出す、
これまでのそしてこれからのお祭り「やっぺし祭!」

地震や津波の影響で、地域での伝統的なお祭りが中止になり、
地域の方々が集まる機会が少なくなっている中、
地域の方々がもう一度集い、語り合い、
お祭りの様に楽しめる炊き出しを企画します。

このお祭りは避難所になっている小学校の教頭先生が言った
「何かおもしろい炊き出しをできないですかねえ」という言葉が
きっかけになり、地元の大船渡サポートネットワーク・センターで
活動している石鍋博子(ワンピース倶楽部)と
遠藤一郎(アーティスト)が中心となり、
大船渡の猪川小学校で地域の皆さんとアーティストが一緒になって
おもしろ炊き出しを行います。

炊き出しには全国各地から、想いの寄せられた食材も集まってきます。
お祭りは炊き出しをはじめ、今回の震 災を受け、
中止となった地元の祭り(五年祭)の芸能、大空に広がる連凧や
ライブ、餅つき、青空床屋、マッサージなどさまざまな催しが
繰り広げられます。

連絡先
アートNPOエイド
運営|NPO法人アートNPOリンク
TEL 075-231-8607 / 080-2444-6322
E-mail office@anpoap.org

+++++++++++++++

と言うことだそうです。

なんか面白そうなので、
秋田の面々と、宮城県大崎市や、
気仙沼にも、声をかけました。

総勢何人になるかわからないけど、
にぎやかしに行こうと思ってます。

そこで、大船度の子供たちを喜ばせに行きたい人を募集します。

大道芸や、絵描きさん、とかで、
子供を喜ばせたい方、連絡ください。
ミュージシャンも歓迎です。
でも、セットとしてはフルバンドは無理です。
弾き語りぐらいの感じで、おねがいします。

もちろん無芸の方も大歓迎です。

本部の方とは別に、炊き出しが点在する事が予想されてます。
何人かの手伝いがいたら、炊き出しもしてみたいなぁと思ってます。

俺は、28日の午後には、現地入りするつもりです。

Abyss 菅野 敦
〒 029-1201
岩手県一関市室根町折壁字上山1-7
0191-64-2520
kannoabyss@sky.plala.or.jp


南風が吹き始めた、福島より北の土地です。
いろんな資料をもとに、許容範囲内の被爆と思える方のみ、
お待ちしてます。


***************

守田さんの、第1回東北講演ツアー終了しました。
5月19日午前9時46分

昨日、守田さんが宮城県白石市の新幹線の駅から、
京都に向けて帰られました。
10日に秋田で初めてお会いし、
17日に宮城県白石蔵王駅で見送らせていただき、
1週間、みっちりお付き合いさせていただきました。

日本海側をフェリーを使って、秋田までこられるということで、
秋田市で待ち合わせと言うことになりました。
朝6時前に秋田に着くなり、
守田さんは、ネットカフェに行かれました。

守田さんのブログは、3月12日以来、毎日更新され、
すでに今日現在で、117本の投稿になっています。
(守田注 「明日に向けて」が117本で、それ以前のものを
含めると、この時点で165本です。いやまあ、本数など
どうでもいいのですが・・・)
多い日には、4本の投稿している日も結構あって、
投稿される時間を見ていると、この人はいつ寝ているんだろうと、
思わされていました。
そんな状態の方ですから、秋田に着くなりに、
ネットカフェに向かう行動からも、守田さんの日常が伺えます。

初めてお会いしたのですが、大阪の派遣村TVで、
すでに画像で拝見してました。
この出会いを期に、秋田県秋田市、宮城県大崎市、
岩手県室根町、宮城県仙台市、宮城県角田市と、
5箇所で講演会ツアーが始まりました。

そのツアーの内容は、守田さんのブログ「明日に向けて」を、
読んでいただければと思います。

http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

俺の感想としては、秋田から始まり、
宮城県角田市までのツアーの移動行程は、
福島原発に近づく行程でした。
その距離感が、講演後の質疑応答に如実に反映したと思われます。

秋田での講演の時は、原発事故後の
放射能汚染に対する対処などから発展し、
次の時代の在り方のような話の発展も、
見受けられたような気がします。
俺自身も、自分の意見を言わせていただく事が出来ました。

しかし、角田市になると、
次の時代のビジョンと言う飛躍した話には発展せず、
現状についての話だけになってしまうほど、事態はシビアでした。

獏原人村の満月祭でおなじみの、ファイヤーマン、やっさんは、
原発から10kmのところに住んでおられ、
現在は、村田町の知り合いの所に
NPOから支援してもらったテントで、
避難生活をなさっているそうです。
やっさんの奥さんは、守田さんに、
「私たちは、家に戻れるのでしょうか?」と言う質問が、
現状の状況の深刻さを象徴してました。

角田市会場のピースファームには、
すでにガイガーカウンターがあって
日々計測をしているそうです。
卵の出荷で暮らしの糧としているピースファームとしては、
安全でピュアーなものを届ける事が使命で、
計測結果を報告しつつ
お客さんとやり取りをなさっているそうです。

この場所でガイガーカウンターの示す数字は、
室内で、0.2μSv/h
屋外で、0.4~0.6μSv/h  だそうです。

今回ピースファームに集まってくれた方の中には、
地元で、有機農法で作物を作り、
生計を立てておられる方が何人かいらっしゃいました。
そんな方々は、農薬づけの野菜の大量生産的、
今日の市場のあり方に、疑問を感じ、
農薬を使わないかわりに、手間をかけて作物を作ることを、
選んだ方々です。

物を作る時に、愛情をかけるという表現をする事がよくありますが、
その愛情をかけるということは、
具体的には、手間を惜しまないということだと思います。

安心できる物をお客さんに届けたいと、
一生懸命作物を作ってきた方々にとって、
今回の原発事故による汚染による被害と、
そのことによる精神的ダメージは、
計りかねない物があります。

ここピースファームは、
福島第一原子力発電所から60kmの場所にあります。
そこでの講演会は、
そんなディープな話題になってしまいました。

それでも、講演会が終わると、
ピースファームの奥さんのヒメちゃん作の、
放射能に対して免疫力を上げる、
真っ黒いカレーがみんなに振舞われました。
黒い色は、排出力を促すとされている炭の粉の色です。

講演後は、いつものピースファームに戻り、
にぎやかな酒宴の席になりました。
最後は、ピースファームのオーナーのしょんつぁんの唄が出て、
そのしょんつぁんのギターに合わせて、タイコを叩いてきました。

やっぱこれだよなぁって、思いました。
状況は深刻で、どうすればいいのかわからないけど、
全部そのことにとらわれず、
切り替えて楽しむときは思いっきり楽しむ。


楽しむこと、
笑うこと、
そんな行為が、
私たち自身の免疫力を上げてくれるんだと、思いました。 


「大地震・大津波・原発大災害の中を能動的に楽しみ、笑い飛ばす」
という、不謹慎極まりない一言で、
締めくくらせて頂きます
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