明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1218)血の通った言葉を―「テロ」についての考察に加えて

2016年02月24日 11時00分00秒 | 詩作

守田です。(20160224 11:00)

ファシズムにいかに抗するのか、そのために「テロ」という言葉をいかに捉えるのかの考察に加えて、昨年の今ごろ、後藤健二さんが殺害された後で紹介した僕の詩をご紹介します。
もともとイラク戦争開戦後の2004年、3人の戦争反対を唱える日本人がイラクの武装勢力に人質として拘束され、無傷で解放された後に書いたものです。

あのとき武装勢力が人質釈放の条件として掲げたのが自衛隊の撤退でした。このとき政府は官邸から積極的に「人質となった人々が捕まったのは自分で勝手にいったせいだ。自己責任だ」という論をまくしたて、広範な社会的バッシングを引き出しました。
しかしそもそもイラク戦争そのものが大変なあやまりであり、それへの日本の加担=自衛隊派遣は全くの失政だったわけですから、その中でイラクの人々のためにと渡航した3人の行為こそが最も正しいことであったことはいまや明らかです。

なおかつ、あのときイラクの武装勢力の人々は、私たち日本民衆を信じて3人を無傷のままに解放してくれました。しかし私たちは自衛隊を撤退させられず、イラクを占領したアメリカの理不尽な行為をも正してこれませんでした。
僕はあらためてイラクの人々に大きな負債を残したままであることを痛感せざるを得ません。

だからこそ、この詩も12年前のものなのに、いまでもまるまるそのままに通用してしまいます。なんとも歯がゆいです。
しかし僕は、ささやかでしかないけれども、あの時、イラクの人々とつながるために努力を惜しまなかったし、それから12年間、同じ思いでアメリカの戦争と日本の加担に反対して行動してきたことに胸を張ることができます。

いままたさらに「まやかしの言葉」を打ち破るべく、「血の通った言葉」を発し続けていく決意を込めてご披露します。


*****

血の通った言葉を


言葉のまやかしが横行している
誰がくらしを壊したのかを問わない
「復興支援」
誰が一番人を殺したのかを問わない
「テロ対策」
戦争に加担している責任も
それをみすごしている責任も問わない
「自己責任」

思えばついこの間もそうだったのだ
「先制攻撃」の名の下に
侵略戦争が堂々と行われ
「大量破壊兵器摘発」の名の下に
大量の破壊が公然と行なわれた
「通常兵器」と銘打って
劣化ウラン=放射能さえ
大量にばら撒かれた

卑怯・卑劣というイメージを持った
「テロ」という言葉は
絶対にアメリカには使われず
イスラエルが行うテロだけは
「暗殺」に変えられてしまう
それでいて
アラブの人々の悲しく絶望的な抗いが
「自爆テロ」と騒ぎ立てられるのだ

これまでイラクの人々のことなど
真剣に考えてこなかった人たちが
「イラクのために汗を流す」と語り出し
本当にイラクの人々のために
勇気を示した人たちに対しては
悪罵が投げつけられる

そうしていわく
「テロに屈するな」
「今、引けばイラクは混乱する」
「国民に迷惑をかけるな」
 
全てがさかさまではないか!
国家的規模で
テロを行っているのはアメリカだ
イラクの占領が混乱をもたらし
だから人々が抗っているのだ
そして日本が米英に加担することが
わたしたちを傷つけているのだ
イラクのために献身的に働く人々に
多大な迷惑をかけているのだ

―――真実は
一時的に虚偽の言葉で覆い隠せても
けして書き換えることは出来ない
だからいつわりの言葉は
血の通った言葉の前には無力だ
そのことに確信を持ち
ひとりひとりが
本当のことを語り続けよう

誇りと尊厳をかけて
新たな歩みをはじめている
アラブの人々とともに

2004年4月18日
守田敏也 


 

コメント

明日に向けて(1033)血の通った言葉を!(後藤健二さんの思いを引き継ぎ中東の真実を広げよう)

2015年02月02日 22時30分00秒 | 詩作

守田です(20150202 22:30)

後藤さんが亡くなったことへの悲しみが続いています。多くの人が同じ思いだと思います。
今、大切なことは何でしょうか。後藤さんを忘れないことです。後藤さんの思いを引き継ぐことです。そのためにひたすら平和を願い、平和の創造のための努力を重ねていきましょう。戦争を止めるためにできることを行いましょう。

とくに中東での戦乱を止めるために私たちがなさなければならないことは、イラク戦争以来の10数年の流れの枠組みを押さえることです。
そう考えて思考を巡らせているときに素晴らしい文章、血の通った言葉にゆきあたったのでご紹介します。1月31日、後藤さんが亡くなる直前に発信されているものです。

 イスラム国による日本人人質事件 今私たちができること、考えるべきこと 
 2015年1月31日 15時4分  伊藤和子 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150131-00042568/

ぜひ全文をお読みいただきたいのですが、著者の伊藤さんは2004年4月の日本人人質事件で拘束された高遠菜穂子さん、今井紀明さん、郡山総一郎さんの代理人弁護士を務められた方です。
解放までのすべてのプロセスに立ち会われたそうで、その時の経験と今回の事態の大きな違いを書かれています。
一番大事なポイントはイラク戦争後の10年余り、イラクの人々、とくにスンニ派に対してあまりにひどい攻撃や虐殺が繰り返されたにもかかわらず、超大国や国連を含み、世界中が無視を決め込んできたことです。
その中で犠牲者サイドにおかれていたイラクのスンニ派の中から、「イスラム国」というモンスターが出てきてしまったのです。

にもかかわらず、今もなおこの10年余りのイラクの流れとこれへの日本の関わり、責任に対する社会的捉え返しがなされていません。マスコミの多くも主体的に触れようとしていません。
歴史的いきさつを無視したままに「テロに屈するな」という言葉が連呼され、他方では「自己責任論」などシリアやイラクの人々に寄り添おうとした後藤さんへのバッシングがずいぶん前からなされています。
この構造はイラク戦争直後から作られてきたものです。虚偽の言葉の羅列によって、真実を覆い隠すこと。自らの罪に頬かむりし、他者をあべこべに攻撃することです。
今もこの国の中で、10年前とまったく同じことが続けられている。この虚構こそが覆されなくてはなりません。

2004年の人質事件のときも、僕は京都のムスリムの友人と共に、3人の解放に向けたメッセージを発し続けました。拘束したグループへのアラビア語の手紙を書いて、ありとあらゆる手段で流しました。
手紙はヨルダンに滞在していた日本人女性に届き、彼女がイラクに向かうタクシードライバーの詰所にもっていってくれ、そこから現場へと運ばれたらしいことが確認されています。
タクシードライバーたちはそのとき、その女性に対して「誤爆だと言いいながら俺たちの家族がどれだけ殺されたと思っているんだ」「それに比べれば誘拐なんてもっとも人道的な手段じゃないか」と詰め寄ったと言う。
彼女はそれから3日間、詰所に通い詰め、黙って彼らの怒りを受け止め続けてくれました。そうするとドライバーたちの態度が和らいでいき、最後に「分かった。手紙を届けてやるよ」という方が現れたのだそうです。

このことはずいぶん後になって彼女から直接聞いたのですが、僕は手紙が渡っていた可能性が高いと知り、手紙をメールを介して次から次へとまわしてくれた人々や彼女の努力、受け取ってくれたドライバーたちの寛容さに深く感謝しつつも、一方でとても辛くも感じました。
あの時、拘束グループは自衛隊撤退を求めていました。僕たちは「あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です」と書きました。
同時に「私たちも日本軍を引かせるために最大限の努力をします。アメリカ軍をひかせるためにも最大限の努力をします。どうか、3名の日本人を解放してください」とも書き添えました。
僕は実際にそのために行動しました。何度も平和を訴えてデモをしました。

でもイラクの人々への攻撃はちっとも止められなかった。アメリカ軍も自衛隊も長い間引き戻せなかった。努力したとはいえ、無念ながら約束は果たせませんでした。今でもそのことがとても辛いです。
小泉元首相らあやまった戦争を全面支持した首謀者が何らの責任も問われないこと、取らせることができないことに憤慨、悔しさ、責任を感じ続けています。
自らに再度、突きつけるために、当時、発信した手紙を掲載します。2004年4月のものです。

 ***
 
 「日本人を誘拐したサラーヤ・アル=ムジャヒディーンのみなさんへ」

 アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラーヒ・ワ・バラカートゥ
 (あなたがたに平安と神様の慈悲、そして平安がありますように)

 あなたがたが行った今回の日本人拘束事件により、イラクの人々の日本への怒りはとてもよく伝わりました。日本でも軍隊を戻せという運動が起こっています。
 あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です。彼らを解放するほうが、あなたがたへの日本での共感が高まります。
 そして、それは軍隊を撤退させようという日本の世論の高まりにつながります。ですから3名を解放してください。

 私たちも日本軍を引かせるために最大限の努力をします。
 アメリカ軍をひかせるためにも最大限の努力をします。

 どうか、3名の日本人を解放してください。

 イラクの人々に神様の祝福がありますように。
 平和を愛する私たちの願いです。

 *** 

あのとき私たちが、日本の民衆が、世界の民衆が、イラクの人々への暴力を止められなかったこと、暴力への関与を止められなかったことが、今、大変な形で世界に、日本に、私たちに跳ね返ってきつつあります。
「イスラム国」というモンスターの出現が意味するのはそのことです。彼ら、彼女らが行っていることは「報復」なのだろうと思います。残虐な暴力への残虐な暴力を持っての仕返しです。
私たちは今こそ、この暴力の構造と連鎖をしっかりとつかみ、暴力の根を断つための努力を積み上げなくてはなりません。
10年後にもっと辛い思いで振り返りたくはない。いや10年後などと悠長なことは言っていられません。今、最大限の努力を積まなければ、僕自身の命をも含むもっとたくさんの命が無意味な殺し合いの中で失われることになるかもしれない。

そう思いつつ、2004年4月18日、前日17日に3人が解放された直後、同時に3人に「自己責任論」のバッシングが浴びせられていたときに僕が発信した詩をご紹介します。集会やデモの時などに配ったものです。
自分で読み返してみて、11年後の今にもあまりに直接に該当してしまうことがなんとも悔しいです。もうこんな悔恨を繰り返さないために、みんなで「血の通った言葉」を発していきましょう。ここに紹介した伊藤さんの文章のような真実を主体的に綴る文章です。
中東の真実を広げ、戦乱と苦難の中で平和と繁栄を取り戻そうとしている中東の人々と連帯しましょう。
正義と愛のため、人間への信頼を失わずに前に進みましょう。


*****

血の通った言葉を


言葉のまやかしが横行している
誰がくらしを壊したのかを問わない
「復興支援」
誰が一番人を殺したのかを問わない
「テロ対策」
戦争に加担している責任も
それをみすごしている責任も問わない
「自己責任」

思えばついこの間もそうだったのだ
「先制攻撃」の名の下に
侵略戦争が堂々と行われ
「大量破壊兵器摘発」の名の下に
大量の破壊が公然と行なわれた
「通常兵器」と銘打って
劣化ウラン=放射能さえ
大量にばら撒かれた

卑怯・卑劣というイメージを持った
「テロ」という言葉は
絶対にアメリカには使われず
イスラエルが行うテロだけは
「暗殺」に変えられてしまう
それでいて
アラブの人々の悲しく絶望的な抗いが
「自爆テロ」と騒ぎ立てられるのだ

これまでイラクの人々のことなど
真剣に考えてこなかった人たちが
「イラクのために汗を流す」と語り出し
本当にイラクの人々のために
勇気を示した人たちに対しては
悪罵が投げつけられる

そうしていわく
「テロに屈するな」
「今、引けばイラクは混乱する」
「国民に迷惑をかけるな」
 
全てがさかさまではないか!
国家的規模で
テロを行っているのはアメリカだ
イラクの占領が混乱をもたらし
だから人々が抗っているのだ
そして日本が米英に加担することが
わたしたちを傷つけているのだ
イラクのために献身的に働く人々に
多大な迷惑をかけているのだ

―――真実は
一時的に虚偽の言葉で覆い隠せても
けして書き換えることは出来ない
だからいつわりの言葉は
血の通った言葉の前には無力だ
そのことに確信を持ち
ひとりひとりが
本当のことを語り続けよう

誇りと尊厳をかけて
新たな歩みをはじめている
アラブの人々とともに

2004年4月18日
守田敏也 

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明日に向けて(927)ガザを想う―「停戦」という名の戦争の継続の中で

2014年09月03日 16時30分00秒 | 詩作

守田です。(20140903 16:30)

パレスチナ・ガザに関する記事の続きです。
8月27日に50日間にも及んだ空襲、軍事侵攻が中止され「停戦」が成立しました。
たった今、ガザで軍事攻撃によって殺されつつある人々がいないことは、とりあえず私たちの心をほっとさせます。

しかし繰り返し述べてきたように、明らかな戦争犯罪を犯したイスラエル、それを支持したアメリカなどが裁かれない限り、何も問題は解決しません。
相変わらずイスラエルの非合法な占領と封鎖が続けられています。戦争犯罪人が大手をふるって歩いています。
このような状態では、いつなんどきイスラエルの攻撃が再開されるか分かりません。

私たちはその意味で、今なお、ガザは攻撃を受けている最中であり、違法・不当な殺人が続けられていることをこそしっかりと見据えるべきです。
今回の攻撃で殺されたパレスチナの人々は約2140人。経済的な被害総額は3700億円と言われており、復興には20年かかるとも言われています。
なのにイスラエルは何も罰せられず、未だに武装してガザを包囲しているのです。こんなひどいことがあるでしょうか。

こんな状態からガザの人々を救いだすこと、こんなに酷い殺人を本当に止めさせるために努力を継続していくことは、この大量殺人に立ち会わされてしまった私たちの責務です。
そのためにはこの50日に及ぶイスラエルの戦争犯罪、いやもう何十年も続けられている占領、そしてこの間の封鎖への批判を私たちは繰り返し行っていく必要があります。
同時に、僕は世界の暴力の総体を小さくしていく中でこそ、ガザの人々の真の救出の道もより開けると思うのです。だから今こそ私たちは、決意を新たに平和への歩みを強める必要があります。

そんな思いを込めて、今回はガザ攻撃の最中に書いた詩をご紹介したいと思います。まだ攻撃が継続されていた8月22日に綴ったものです。
しかしこの猛攻撃が一度止み、「停戦」という期間にある今だからこそ、つまり本当は戦争はまだ継続中だということを示したいからこそ、今、この詩をご紹介したいと思います。
ともにガザを想い、ともに平和を願い、歩んでいきましょう!

*****

ガザを想う 

イスラエルがガザに攻め込んでいる
7月8日に「本格化した」と語られるジェノサイドは
今日でもう50日近い日を数えた
この間に殺された人々は2050人余り
毎日40人以上が殺されている計算だ

世界は毎日
これだけの殺人の傍観者に
されてしまっている
いやそれは正確ではない
傍観者たることを拒否して
繰り返し声を上げている人々もいる
もちろんこの僕も
その一員たらんとしている一人には違いない

それでもジェノサイドが止まらない限りにおいて
僕らは傍観者の立場へと
押しやられようとしている
目の前で繰り広げられるこの殺人ショーを
一向に止めようとしないこの世界が僕たちに
おまえたちもまた傍観者なのだと
無力で無知な輩なのだと
強引に断定しようとしてきている

そんなとき必ずどこからか聞こえてくるのは
次のような言葉だ
「あんな殺人はいけないさ
でもほらハマースが抵抗を止めないから
戦闘が終わらないんだよ
平和を願っても当事者たちが止めないんだから
仕方がないってことだよ」

―もちろんそれは嘘だ!
ものすごい大嘘だ!
分かりやすくするために
今はとりあえずハマースを度外視してみよう
それだけでもうはっきりと分かる
ハマースが何をしているのであろうと
仮にハマースがどれほど悪かろうと
多数の子どもたちを
大量に殺害しているイスラエルの行為は
完全な戦争犯罪だということが

最も大事なことは
この戦争犯罪を目撃したものには
告発し止める義務が生じているということだ
犯罪とは本質的にそういうものだ
見過ごすことは
一つの明確な暴力への荷担なのだ

犯罪はそれゆえ
目撃したものの心を
ざわつかせる

さらに大事なことを言おう
犯罪を目撃してしまったとき
僕らが往々にしてまず考えるのは
我が身の安全と安寧なのだ

犯罪を目撃してしまったら
犯罪を犯罪と認知してしまったら
止めなくてはいけない
止めなくては寝ざめが悪すぎる
止めなくては例えば
夏祭りに行って楽しむことも気が引ける
恋しい人と親密な一時を過ごすことにすら
後ろめたさを感じてしまう

そのために人は実に
犯罪から目を背ける理由を探してしまいがちだ
その時の格好な材料にされてきたのが
ハマースの抵抗の呼びかけだったのだ

しかしそれは嘘なのだ
繰り返し言おう
ハマースをまずは棚上げしてみよう
ただそれだけで
どんな「理由」があろうとも
イスラエルの行っていることが
戦争犯罪であることが見えてくる
僕らに
止めるべき義務があることが
明白になる

さらに付け加えるべきことは
ハマースの主張のほとんどは
至極真っ当な生存権の主張であるということだ
実はそこには特別なイデオロギーも
いわんや宗教的思想の介在もあるわけではない
現代世界が普遍的に認める「人権」の保護を
ハマースは求めているに過ぎない
武装抵抗も
多くの日本人が肯定している
「自衛権」の行使であるに過ぎない
それはちょっと目を見開けば
容易に見えてくることがらだ

そのことが示すのは次のことだ
僕らは今
僕らの心の本当の安寧を守るために
何が必要かを考えなくてはいけない
そう
そのために
心をごまかす術を
まずしっかりと
見据えなくてはいけない
安易な幸せを
拒否する勇気を
持たなくてはいけない

僕らが聖人になるためではない
違うのだ!
真にまっとうな道を歩んでこそ
僕らは僕らの幸せを
きちんと守れる可能性が
開けるのだ

そうでなければ
いつしか僕らは傍観者ではなく
悲惨な被害当事者になってしまう
なぜって被害者を
助ける人が現れなければ
僕らが被害者になったとき
誰も助けてなどくれないのは
当たり前のことだからだ

目の前に起こった犯罪に対して
声をあげることは
未来の僕らを
守ることにつながるのだ

いやこれでもまだ言葉が足りない
はっきり言おう
すでに僕らは被害者なのだ
福島原発事故での
ものすごい放射能汚染の中に
僕らは権利も守られずに
放り出され続けている
そうしてこの国の多くの人々が
被曝にさらされている
膨大な子どもたちが
どう考えても避難すべきところに
住まわされている
それは緩慢な殺人だ
僕らは被害者のままさらに傍観者たることを
強いられようとしているのだ


目覚めよう
いい加減に目を覚まそう!


ガザを救うのは
まったくもって僕らのためだ
僕らは僕らのために
声をあげなくてはいけない
聖人になるためではない
僕らは僕らの
最低限の権利を守るためにこそ
声を上げる必要がある

イマジネーションのすべてを動員して
ガザに想いを馳せよう
あなたにとっての一番かわいい子
素敵な子どもたちを思い出し
その子の命が奪われようとしている刹那に
思いを走らせよう

その切実な思いをもって
ガザへの暴力に
いや世界のいかなるところで
行われようとしている暴力にも反対しよう
暴力をなくすために精一杯になる
日々の連なりの中でこそ
今一時の幸せを慈しみ
楽しみ
心を充填することを
己に肯定できる余裕も持つことができるのだと
僕には思える

人を愛したい!
そう
僕らは人を愛したいのだ
本当に愛したいのだ
どこまでも愛したいのだ

本当は傍観者なんで嫌なのだ
そのピュアな想いをこそ
集中させることが問われている!
僕らは本当に僕らが生きたいと思っている姿に
かえっていくことが問われている

真実の道は
実はいつの日も
最も容易な道だ
いっけん茨の道の中にこそ
王道があり
しかしてまた
誰もが心から納得して歩みとおせる道がある

勇気を持とう
勇気をもって支えあおう

ガザへの想いの中から
未来への可能性を僕は紡ぎ出したい

だから君よ
僕とともにスクラムを組んでくれたまえ!

2014年8月22日作

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明日に向けて(587)ベジフェス、宮津市、伊根町でお話しました。次は大飯町でお話します!(12月1日)

2012年11月27日 23時00分00秒 | 詩作

守田です。(20121127 23:00)

日曜日に3つの企画でお話させていただきました。

朝10時から京都駅そばの梅小路講演で、ベジタリアンフェスティバルに参加。30分ほど話をしました。その様子をIWJが中継してくださいました。以下にURLを貼り付けておきます。
この間、食べ物に関する発言内容を深めているのですが、今回は「過食と肉食の関係性」について少しだけ触れました。この辺のことをこの場でも今後もっと丁寧に展開しておきたいと思っています。
今回はアウトラインだけになりますが、興味のある方はぜひご覧ください。なお僕の発言に続いて、インド舞踊も見ることができます。これも必見です!!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/41941#
 
この発言を終えた後、京都駅に急いで、11時25分発の特急きのさき3号に乗車、2時間かけて宮津市に向いました。
駅で車でのお迎えをうけて、宮津市城東会館に。そこで原発災害避難と、内部被曝について話をしました。
 
宮津市は高浜原発から30キロちょっとの地点です。その先に丹後半島があるのですが、実はこの丹後半島で1902年に大きな地震が起こっていて3000人近い方が亡くなっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%9C%B0%E9%9C%87

そのことを報じたNHKの番組を先に放映してからの講演となりました。主催はこの地域の自治会の方たちです。
僕は番組の途中からの参加になり、番組を全部は見れなかったのですが、若狭の原発群の直近とも言えるこの地域で、こんな大きな地震がつい100年前に起こっているのは驚きでした。
主催者の方のお母さんの家が、活断層から田圃一枚隔てたところにありながら、奇跡的に倒壊を免れたということで、強い当事者性を感じました。

巨大地震のリアルな可能性と、原発災害への危機感の中で、原発災害に対してどのような心づもりで向かうことが必要なのかをお話しました。内容はこの間、「原発災害についての心得」などで紹介してるものですが、地域の方々と一緒に話を深めることができて感慨深かったです。
また質疑応答では、この若狭湾を取り巻く地域と、原発の癒着の構造に詳しい方からの話などもあり、参加者みんなで聞き入りました。地域の方たちとじっくり考察を深めることのできたなかなか素敵な企画でした。
 
その後、車で丹後半島の先の伊根町に移動。ここは「船宿」で有名な町です。家がそのまま海につながっていて、船がつけられるようになっているのです。若狭湾の奥まったところにあり、奇跡的なほどに波の影響が少ないので、こうしたことが可能になっています。
丹後半島では農の営みも盛んですが、企画には若い子育て世代の方たちと、古くからこの地域で農の営みを続けている方たちの双方が集まってくださいました。全体として生産者の方たちの多い集いでした。

まずみなさんが作ってきてくださった、玄米と味噌汁を中心としたシンプルだけれどもとてもおいしいご飯を出していただいて、みんなで食べながら、ピアノの演奏と歌を聞きました。
続いて、東北を訪問された生産者の方から、福島など、現地の生産者の方たちの様子が報告されました。なんとも言えない現地の苦悩が報告されました。それをいかに受け止めたらいいのか、報告者の方もとまどいながらの説明でした。

僕は放射能と食べ物の話、農の営みの話をしました。とくに要請をうけて僕が繰り返し訪れてきた宮城県南部の農村の方たちのお話をしました。角田市で、平飼いで健康的な鳥を育ててきたピースファームのしょんつぁんとひめちゃん、あるいは仙台の太白区の山を単身開墾した「石森少年」こと石森秀彦さんのそれぞれの農場の写真をおみせしました。
どちらも素晴らしい営農を実現していたのに、そこに放射能が降ってしまった。その中で営農の可能性を探り、それぞれに放射性測定室を立ち上げたけれど、しょんつぁんとひめちゃんは、汚染の激しさを前に営農を断念しました。
二つの農家に共通していることは、政府が決めた基準よりもずっと汚染が低かったけれども、早い時期から作物の出荷をストップしたことです。安全なものを作ってくれる生産者の方たちは、危険になったらリスクをかぶってくれる方たちなのだと僕に教えてくれた方たちですが、そういう人たちの営農が難しくなってしまったのです。

ただ、放射能の汚染はどれぐらいでどれぐらいの害が出てくるのかはっきりしていません。講演のときもお話したのですが、このピースファームでお話したときに、僕が忘れられないのは「守田さん。放射能と抗生物質とどっちがやばいだべか」という問いが投げかけられたことです。
こうした農家さんたちが作っているものは、抗生物質だとか、化学物質がほとんど入っていません。その代わりというか、天然の栄養素やミネラルがたくさん入っている。そこにわずかながら放射能がついたものと、薬品漬けのものとどっちが安全なのだろう。
「ウーン、濃度でしょうね」とお答えしたのですが、僕にはこれらの農家さんたちのものの方が、まだまだ安全なのではとも思えました。しかしそれはデータの裏付けのない推論でしかありません。それになんというか、あの丁寧に作られた食べものたちを見ていると、安全だと思いたくなるのが人情でもあります。
どう考えたらいいかを悩みながら、双方ともに出荷をやめました。石森くんの場合は即断でした。でもこの地域には反対にまだしもこの野菜の方が安全なはずと考えて、出荷された有機農家さんや自然農家さんもいたとも聞いています。そうした迷い、苦悩そのものがなんとも胸が痛くなることです。

少なくともはっきりしているのは、出荷を止めることでのリスクをこうした方たちに負わせ続けるのはあまりに理不尽だということです。生活の糧が奪われてしまうのです。政府は非常に甘い基準を設けて「生産者のため」とうそぶいていますが、それもまた大きな嘘です。
生産者は甘い基準を作られると、それ以下で出荷を止めると、何の補償も受けられなくなってしまうからです。甘い基準は生産者のためなどではまったくない。賠償責任のなる東京電力と政府のためなのです。そのために生産者も消費者も犠牲にされている。この構造こそが覆されなくてはいけない。
企画に参加された伊根町の方たちは、その痛みを体中で聞いてくださったように思いました。その中で、生産者の方を前に、釈迦に説法だなあと思いつつですが、食べ物のお話もさせてもらいました。

質疑応答ではみなさんから活発な発言が続きました。養鶏家の方がおられて、僕がよく理解してなかった点を詳しく教えていただけました。その内容を今後反映させていただきたいと思いますが、流石にプロの方のお話は味わい深かったです。
それやこれや、放射能と食べ物の話を中心に意見交換が続き、会場を出たのは午後10時過ぎでした。

こうして今回の3つの企画を終えて、昨日、京都市に戻ってきましたが、今回の訪問でもいろいろと教えられることが本当にたくさんありました。
都会での集会とは違って、地域に密着した方たちの集まりで、とくに生産者の方たちと一緒になって、原発のこと、放射能のことを語り合うのは、なんというか、とてもしんみりしていていい場です。深刻な話なのですが、温かさんがある。大地とのつながりを感じれるからでしょうか。

僕は昨年の3月11日以降、何度も朝10時からの講演に子育て世代の女性たちに呼んでいただき、赤ちゃんや小さいお子さんがたくさんいる場で話をさせていただきながら、こうした、最も政治の場に出にくかった女性たちの立ち上がりが、日本を変えつつあるのではと感じてきました。
同じように、こうした地域での企画に参加していると、日本が、ゆっくりと、その最深部から変わりつつあるという感じを強く受けます。それはまだ、明確な受け皿がないためか、選挙に反映してないモメントであるように思えますが、少なくとも僕は私たちの国が着実に変わりつつあることを断言できます!

もちろん、その前に福島原発がもたなくなってしまい、最悪の事態が訪れてしまう可能性が厳然としてあり、私たちはその可能性をけして忘れることなく、腹をくくり続けていくしかない。再稼働している大飯原発にも最悪の事故の可能性があります。
それと向き合いつつではあるけれども、しかし新たな動きを始めた多くの方たちと一緒になって、「明日に向けた」何かを紡ぎ出していきたいとそう思います。
 
今週末の土曜日は、宮津、伊根町に続いて、今度は原発立地の町、大飯町でお話させていただくことになりました。僕にとってこの町に呼んでいただけるのはとても光栄です。さまざまな矛盾がこうした立地の町に押し付けられてきたのであり、そのことに踏まえて、放射能の危険性について、地域の方たちと話合うことに深い意義を感じるからです。
どの講演会でもそうしてはいますが、精一杯心を込めてお話してこようと思います。
主催者の「サステナわかさ」の方たちが作ってくださった素敵なチラシを、僕のFACEBOOKのページで紹介しましたので、URLを貼り付けておきます。大飯町の方、お近くの方、ぜひお越しください。また大飯町や隣の高浜町などに知り合いのおられる方はぜひ企画内容をお伝えください。
 http://www.facebook.com/toshiya.morita.90#!/photo.php?fbid=4442412136750&set=a.3300903639751.2140616.1182740570&type=1&theater

 

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明日に向けて(579)【詩作】「イノチ」「人・間」「明日のために」

2012年11月12日 17時30分00秒 | 詩作

守田です。(20121112 17:30)

詩を三編、ご紹介します。
最初の「イノチ」は、11月3日に大阪で行われた「イノチコア」さんたちの反原発反放射能パレードで歩きながらか考えたことをまとめたものです。

*****

イノチ

イノチのために
街を歩く
イノチのために
声を上げる

人のイノチ
獣のイノチ
虫のイノチ
木々のイノチ

放射線は
イノチを切断する
外から内から
イノチを切り刻む

しかも放射線は
イノチに呻く間も与えない
誰にも何にも見えないところで
破壊が実行される

傷つけられるイノチの多くは
自らの声を持たない
抗議もできなければ
仕返しもできない

しかしイノチたちは
他の多くのイノチたちを支えている
一つのつながりとしてあるイノチの傷は
痛みと哀しみの連鎖をもたらす

例えば山の木々が潰えたら
誰が私たちに
豊かで穏やかな水を
与えてくれるのか

例えば鳥たちが鳴かなくなったら
誰が私たちの心に
柔らかな潤いを
もたらしてくれるのか

今、私たちは
イマジネーションの力で
すべてのイノチの痛みを
聴きとる必要がある

それは私たちの
非有機的な身体(からだ)の痛みであり
まだ感じるにはいたらなくとも
私たち自身の痛みだ

山を見よう
木々を見よう
虫のことを鳥のことを獣のことを
想像しよう

被曝を止め
痛みを癒す道を見つけたい
すべてのイノチのため
私たちのこのイノチのため

20121112


人・間

私の言葉は
あなたがあって初めて存在する
だから言葉は
あなたと私の間にある

言葉によって辿られる
私の思考も同じだ
思考は問いかける相手があって
初めて思考足りうる

さらに問い詰めてみるならば
この「私」自身も同じ存在者だ
私はあなたがあって初めて成り立ち
あなたとの間に存在するのだ

私が私であるのは
あなたとの間に反照があるから
私が私足り得るのは
あなたとの間に差異があるから

だから私の言葉たちも
私の思考も
私そのものも
あなたとの間にあり続ける

人と人の間にある私たちは
互が自らの構成要素だ
他者の喜びは己を楽しませ
苦しみは心を痛くする

あなたがあなたの喜びを膨らませ
苦しみを減らしたいなら
他者を温めることこそ
近道に違いない

人と人の間に熱を!
あなたが
あなたのやりかたで
人・間を温めてください

20121112


明日のために

僕はこれまで
幾度も詩を綴り
言葉たちを
磨き抜いて
紙に書き留める
訓練をしてきた

僕の中にあるものを
できるだけ正確に
相手に伝え
できることならば
人の心の中に
染みとおっていくだけの術を
身につけたいと
欲してきたからだ

だが今は
少し違う
僕が目指すのは
僕らが共有する何かを
揺り動かすこと
伝えるのではなく
共振・共鳴し
心の中から
想いをともに
溢れさせていくことだ

それは恐らくは
生への共感であり
愛の共有であり
平和への感謝であり
希望や勇気
労りと慈しみ
喜びと笑い
だから感動だ

感動は僕らのうちに
共同で分けもたれており
僕らの中にともに
眠っているものでもある
感動の中には
僕らのまだ知らぬ
可能性すらがある

我らの心を揺り動かし
目覚めさせるために
言葉を磨き
発していくのだと
するならば
素晴らしいことだと言っても
良いのではないだろうか


君も
同志にならないか
言葉を一緒に磨かないか


明日のために

2000年頃作成 詳細不明
20121112校正

 

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明日に向けて(570)【詩作】「バイアスを越えでて」「説得」「能力」

2012年10月24日 07時00分00秒 | 詩作

守田です。(20121024 07:00)

詩を三編、ご紹介します。

***

バイアスを越えでて


人は自らの思いや
行いことに合わせて
容易に認識を
加工する

前々から知っていた
この事実に
嫌というほど直面したのが
この19ヶ月の日々だった

人はそこにいたければ
そこを安全だと見なそうとするし
それを食べたければ
大した害はないと考えようとする

懸命に飛びついても
採ることのできないブドウが
次第に酸っぱく
見えてくるのと同じだ

このある種の
「認知機能」は
バイアスと呼ばれる
それは生活の知恵でもある

大事なのはバイアスが
心の防衛機能でもあるということだ
だから正しい認識を
ただ対置してもだめなのだ

認識を変えるのには
心の支えがいる
でもだとすれば支えがあれば
認識は容易に変わりうるはずだ

だから今
言葉たちは
人の心に向けて
発せられなければならない

脳に対してではなく
胸に向けて
知ではなく
熱をもたらさなければならない

そうして心が
勇気に充たされたとき
人は認識の枠組みに
ようやく手を入れることができる

バイアスを笑うことなかれ
バイアスを厭うことなかれ
求められているのはそれを
必要としている関係性の打破だ

人々をして
真実に向かわしめるのではなく
人々の一員として
真実をともに創造せよ

強くなることによってではなく
優しくなることによって
バイアスを君とともに
越えでていこう

20121023


説得


君の心の中に
不躾にも僕は入っていって
それで好き勝手なことを
喋りまくり
色々なことを
たきつけたりしているのだが

一つ言えることは
僕は君の目を見て
その奥にある光をガイドに
喋っているのでもあり
だから実は
一方的に喋っているようでありながら
随分、喋らされても
いたりするということで

だから
責任を取らなけければいけない時は
僕の言葉を僕に帰属させてもらって
全く構わないのだが
何か僕の言葉に
打たれてくれるものがあるとするならば
それは君の中にもともとある
何かであることだけを
知って欲しいと思う

アプリオリなものへの
後天的かかわり
少々味気ない言葉だが
そんなところに
関わりのポイントというのは
やはりある

だからそれは創造のようで
創造ではなく
発掘のようで
発掘ではない

では何かという問いに
答えねばならないのならば
それはかのギリシャの
偉人が述べたことだと
そう言う以外にないだろう

そういうわけで
僕は相変わらず不躾に
君の中に入っていくのだが
僕は実は君の君に対する関わりの
水先案内人にすぎない

そのことを知ってもらって
まあ偉そうな口ぶりに関しては
大目に見てもらおうというのが
僕の魂胆だというわけだ

19990607


能力


人を愛することは
素晴らしい
恋焦がれるほどに
愛することは
もっと素晴らしい

実際のところ
快活な速度で
野山を駆け巡ることや
美しい声で唄えることが
ひとつの
人間的能力であるように
人を愛する力もまた
まごうことなき
一つの能力なのだ
それゆえ
人に恋焦がれるとき
その能力は
実に伸びやかに
発達していく

だから君は
大いに人を愛すると良い
恋焦がれ
身をよじることが
できるほどならば
それだけ君の
人間的力は
高まってゆく

そうして君は
情熱の中で
あるいは歓喜を
あるいはほろ苦さを知り
人生の断面の鮮やかさに
魂を磨くことになる

君は人を愛することで
君自身を育てる
誰もが
愛される存在から
愛する存在者へと
転換していくように
君もまた
育てられる存在から
自らを育てる存在者へと
立場を入れ替え
そのことができて初めて
人を育てる側に移行していく

だからまた
もし、君が今
人を失って
悲嘆に暮れているのならば
少しだけ冷静になって
その痛みもが
君を磨いていることを
知るといい
人を失う経験もまた
この能力の造成のためには
不可欠な
一コマでさえあるのだ

人に対して
能動的に生きる
だから己に対して
肯定的に生きる

ああ
人生はかくも素晴らしい

19991021
20121024改訂


 

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明日に向けて(564)詩作の再開に向けて

2012年10月17日 20時00分00秒 | 詩作

守田です。(20121017 20:00)

まったく唐突な話ですが、僕はかつてたくさんの詩を書いていました。
たくさん書いて、どこにも発表しなかった。
何よりも僕が僕を励ますために詩を書き綴っていたのだからです。

でも最近、無性に詩が書きたくなってしまいました。
舞鶴の講演で出会ったある方が、詩のようなメールを送ってくださることに刺激されたためでした。
そのとき僕は、ああ詩が書きたいと思った。詩を書いて、世に熱を送りたいとそう思った。

それで詩作を再開することにしました。
恥ずかしさや逡巡する思いもありますが、この「明日に向けて」の一環として書き留めていこうと思います。
僕にとって大事な過去の詩も少しずつ、紹介していこうと思います。

まずは今宵は、詩作の再開に向けてそのものズバリ、「詩作」という作品、そして過去に書いた「君へ」という作品をお届けします。

********

詩作

僕はかつて
たくさんの詩を書いた
ノートの上に、便箋の上に、パソコンの上に

それらの詩を僕は愛した
でもどうしたことだろう
僕の詩作はここ数年、途絶えてしまった

今、その理由がわかる
僕はあのとき、僕のために詩を書いた
僕が生きるため、苦難を乗り越えるために書いた

でもいつの間にかそれは
僕にとって必要のない行為になった
僕は40歳台という人生の大きな壁を越えた

僕の言葉たちは僕の励ましであり
苦境を乗り越えようとする気合だった
だからそれは自然に眠りについたのだ


そうして今、
僕は再び新たな詩作をはじめようとしている
何のため?明日のためだ

明日を人々とともに
紡ぎ出していくためだ
われらの苦境を越えるためだ

だからそれは、正確には
僕のためでないわけではないが
しかし僕のためだけなのではない

人々と可能性を開きたいのだ
そのための熱を生む必要があるのだ
可能性は信じることから始まる

そのために僕はまた
言葉を編んでいこう
日々、刻々と、編み出していこう

言葉よ、熱を産め
熱よ、可能性を開け
可能性への確信こそが未来を作るのだ

20121017

 

君に

心が震えている
静かに目を閉じて、耳を傾けると
ホラ、その音が
こんなにも聞こえてくるものだ

そのさざ波は、あるいは喜びであり
あるいは哀しみであるのかもしれない
しかし、いずれにせよ、確かなことは
こうして、心が
脈を打っているということなのだ

君も、今宵
できれば、一人きりになって
そっと、胸に手を当てて
そうして、君の心の震えに
耳を傾けてみたまえ
 
そうすれば、君は
今よりも少しだけ君が
いとおしくなるだろう
そうすれば、君が、いつしか君を
邪険にしてやしなかったかと
少しだけ思い返す気持ちも
沸いてくるだろう
 
そうだ、そうして君は
君と仲直りするがよい
君のかけがえのなさを
思い出すがよい
 
そうすれば、明日の朝
君の目には、いつもより眩い光が
もたらせるはずだ
 
そうして君は、出逢う人々に対して
いつもより少しだけ柔らかく
接することができるだろう
 
・・・人の心には浄化作用がある
それは実は
訓練によって高められる力だ
それを引き出すためには
ただ己と毎日
静かに見つめ合うことが
必要なのだ
 
そのために
今宵、君は
一夜のレッスンを
試みてみるといい
 
そしてもし
それを上首尾に
やりとげることができたのなら
明日の朝
僕を見て
ニコッと笑いかけてくれたまえ

19990117 0509改訂

 

 

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