明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(600)仙台市、福島市、釜石市、大槌町訪問を終えて

2012年12月20日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121220 23:30)

東北でのすべての日程を終えて、今日、花巻空港から伊丹空港を経て、京都に戻ってきました。それぞれの地で迎えてくださったみなさま、どうもありがとうございました。

今回の東北訪問はとても濃密なものになりました。随分、たくさんの人とお話し、この地域のことを今までになく多角的に見ることができたようにおもいます。その中には感動的なことも悲しくなることもありました。
毎日、現地から何かを発信しようと思ったのですが、次から次へと続く出会いの一つ一つが消化しきれないままに、どんどん時間が過ぎていったこと、また活動を終えて、旅館に入ってから、総選挙のことを含めて、いろいろなメールのやりとりが問われたこともあって、記事が書ききれませんでした。
それでも仙台の企画など、ノートテークしたものがあるので、今後、すぐにも紹介していこうと思います。

それに先立って、今日、ご報告したいのは、東北は津波からの復興がまだまだ進んでおらず、放射線防護にいたっては、あまりに不十分なままにおかれ続けているということです。
無論、そこに住まう方たちの努力が足りないのではありません。政府の取り組みがあまりに不十分なのです。放射線被曝にいたっては、相変わらずウソの「安全宣言」が繰り返されていて、放射線値が高い状態が放置され続けています。
そのため被災地以外からの東北へのサポートはまだまだ必要です。これは関東の津波・放射線被災地でも共通に言えることだとおもいます。

例えば、福島市では、町の玄関と言えるJR福島駅周辺の放射線値が相変わらず高い。駅ビルの周りで0.8μS/hぐらいの数字が出ていました。駅の近くのあるビルの周辺を依頼されて測ったところ、30μSを超えるマイクロホットスポットが見つかってしまいました。この値を上限とする計測器が振り切れてしまいました。
こうした数値が出ることは予測していましたが、実測してみて何とも悲しい気がしました。とくに駅ビルの周りを一人、道行く若者たちとすれ違いながらガイガーカウンターを持ち、0.8μSなどという数字を目にしながら歩くにはなんともやりきれな気がしました。夢なら覚めて欲しい・・・きっと福島市に住んでいる多くの人々が、こうした思いを繰り返してきていることでしょう。
あるいは大槌町では、いたるところにまだ津波で破壊されたままのビルが残っていました。震災から1年9ヶ月も経ち、政権すら変わったというのに、まだあの日、壊れたままの姿で、ほとんど崩れかけの状態で、人による解体を待っている建物がたくさんあるのです。これも無性にもどかしくなる光景です。
 
こうした現実に対して何が必要なのか。現実に僕が担えることとは何か。まずこの現状を被災地以外の人々に知らせることです。その中には福島のことを大槌の人々に伝え、大槌のことを福島の人々に伝えることも含まれています。ともに事実があまりに知らされていないからです。
多くの地域がまだまだ助けが必要であること、助けを受けるのはこの地域の人々の人権であり、だから当然にももっとそれが保障されなければならないことを広範に伝えていく必要がある。

同時に、今、問われているのは健康面のサポートであると強く感じました。例えば仮設住宅を訪れると、多くの方が不自由な生活の中で、運動不足になり、太ってしまっている現実もあります。仮設そのものの不自由さに加え、商店の多くも流されて、買い物が不自由だったりして、自炊が前のようにはいかないためでもあると思われます。
家族を失い、一家団欒が亡くなってしまって、食事を作る気にもなれない方もおられます。あるいは避難生活のストレスが過食に結びついたり、いろいろな要因で、栄養の偏った食事になっている場合も多いと思われます。こうした状態の上に、なかなか進まない復興へのイライラ感が加味されており、そんな状態ではどうしたって病気のリスクが増えてしまいます。
一方で放射線被曝に対しては、放射能汚染から可能な限り離れることが大切ですが、津波を受けてすでに仮設住宅で避難している各地の方たちにはそれはあまりにも困難なことです。また福島市の場合も、僕は可能な限り避難していただきたいですが、政府が財政補償の責任を無視している状態では、どうしたって多数の人が動くことができず、被曝が続いてしまっています。

ではどうするのか。一つにはやはりすべての地域の方にきちんと内部被曝の危険性を伝え、防護の重要性を知っていただくことが大切です。しかしそれで防げない被曝、すでにしてしまった被曝への対処も強めていかなくてはいけない。そのためには身体を少しでもよい状態に持っていき、免疫力を上げていくことが必要であり、かつできることです。
そのためにこの間、食べ物のことを重視し、講演でも、どのようなものをいかに食べると良いのかという内容を語るようにしてきたのですが、今回、さらに健康体操を含めた適度な運動などを通じ、身体そのもののケアしていく重要性を強く感じました。
それでこの面、放射線防護の実践的知識、これに絡む、身体を強くする食べ物についての知識、さらに健康体操など、心身の疲れを自らとり、自己治癒を可能とするスポーツ生理学などの知識を、講習会をはじめさまざまな手段で伝えていくこと、それらをセットで提供していくことが重要だと思うのです。それで健康面でのサポートをしていく。

実はこうした確信を深められた根拠として、今回の大槌町訪問に、京都OHANAプロジェクトのお仲間で、プロのスポーツコーチであり鍼灸師でもある木村克己さん(キムカツコーチ)が同行してくださったことがありました。イタリアで自転車競技者を支えてきた杉原さんという若い方も参加してくださり、身体の専門家二人と一緒の訪問でした。
とくにキムカツコーチには、仮設住宅の集会室で、健康体操の指導をしていただいのですが、これがみなさんに大受でした!内容がとても素晴らしかった。ぜひ今後、みなさんに紹介したいと思いますが、直感的に思ったのはこうした体操などのセルフケアが、放射線被曝にも非常に有効だということです。例えば有酸素運動は、身体の隅々に血を巡らせて、酸素を行き渡らせますが、それ自身が抗がん作用を持つ行為であるなどです。
それでその後に2回行った僕の講演でも、話を終えたあとにキムカツコーチに健康体操の指導をしていただいたのですが、この組み合わせもとても評判が良かった。これはいける!というか、大きな展望を感じました。

それにしても印象的だったのは、大槌町の仮設住宅に集ってくださった、50代から80代ぐらいの方たちが非常に熱心に放射能の話を聞いてくれたことでした。福島市の被曝状況にみなさんが心を強く痛めながら話を聞いてくださいました。みなさん、放射線の高い地域で苦しんでいる人々の痛みを、わがことのように嘆いてくださいました。
また僕は講演のときに、どこでも放射線による電離作用による分子切断など、被曝のメカニズムを原理までさかのぼって話すようにしていますが、それらの話もみなさんがウンウンと聞き込んでくださいました。非常に高い問題意識を持っておられる方もいました。
僕は必ず、被曝のメカニズムに続いて、では被曝してしまったらどうしたらよいのか、免疫力を上げて対抗していくことが大切だというお話しています。最近はそれと食べ物の話を連動させているわけですが、ここは本当に熱心にみなさんが聞いてくださいました。それだけにそのあとで行う健康体操が非常に有効だったのです。

今後、ぜひ、こうしたフィジカル面での健康増進とセットにした放射線防護の取り組みを強化し、それを被災地の方々にさまざまな手段、機会を通して提供したいと思います。同時にこうした内容そのものをより深化するために、ぜひ西洋・東洋双方の医師との連携を深め、かつまたさまざまな健康調査とも組み合わせる形での取り組みを作り出したいとおもいます。
各地域の市民の方たち、とくに現場のお母さんたちの持っているネットワークにもご協力いただいて、市民の側から作り出す有効な被曝対策を重ねていきたいと思うのです。

東北に行って、あらためて感じることはやはり私たちの国の被曝は深刻であるということです。放射線防護を徹底して進めたいですが、しかしすでにこれまでものすごい量の被曝が起こってしまっているし、残念ながら今後も避けらない多くの被曝が続くでしょう。
それが確実に健康被害に連なっているし、今後もそうなるだろうと僕は確信していますが、だからといってその結果を座して待っていてはいけない。健康被害をできるだけ抑え込む努力が必要です。今回の東北訪問、とくに大槌町への訪問で大きくその展望を(まだ自分にとっての展望に過ぎないにせよ)開くことができたのではないかと感じています。
そのためには、みなさんに今後もぜひとも支えていただきたいです。それで東北、そして関東へのより力強い関わりを続けたいと思います。
 
なお、今回、大槌町で今後の活動の発展に向けた大きな「いとぐち」を掴むことができたのは、一にも二にも、現地で非常に手厚い被災者支援、まちづくりの活動を続けている「NPO法人 まちづくり・ぐるっとおおつち」の方たちの受け入れがあったおかげです。
「ぐるっとおおつち」の方たちとは、中古自転車を東北に届ける過程で知り合いました。媒介してくれたのは、私たちの京都の友人で、震災直後から大槌町でのボランティア活動に飛び込んだ千田悦子さんでした。彼女が築いてくれた京都と大槌を結ぶ縁に助けられながら、私たちはその後の活動を展開してきています。
今回はその「ぐるっとおおつち」の皆さんが、キッチンカーを出して下さり、仮設住宅で、大槌の野菜を使ったカレーを振舞って下さいました。みんなでの食事会の楽しさもあって、多くの方が集まってくださいました。ちなみにカレーに使った食材は、吉里吉里に立ち上がった放射能市民測定所で、セシウム不検出がしっかり確認されたものでした!

いつもながらの「ぐるっとおおつち」のみなさんの手厚い受け入れに感謝を述べさせていただき、東北訪問の報告の第一段を閉じたいとおもいます。

コメント (2)

明日に向けて(599)自民党は民意など得ていない!憲法を、人権を守ろう!

2012年12月17日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121217 23:30)

岩手県釜石市の旅館にいます。東北をめぐる旅の途中です。
14日京都を出発、東京を経て、その日のうちに仙台に到着。「小さき花・市民の放射能測定室」を運営してる農民科学者の石森秀彦さんに迎えていただき、彼の家に向かいました。夜と朝をかけて、放射線測定に関して深く意見を交わしました。

15日は仙台での被災者企画に参加。午後1時半から9時までという長丁場ながら、ものすごい深い内容が詰まっている企画に参加できて、胸をゆすられっぱなしでした。しかもその後、主催者の穂積さんご夫妻のご好意で、出演者のみなさんと一緒の宿泊地へ。翌日明け方の3時半まで討論を重ねました。

16日は福島市へ移動。車中で今回、僕を誘ってくださったフォーラム福島の阿部さんや、相馬高校放送部の生徒たちを率いている渡部先生などと意見を交換し、市内では飯舘村から移ってきた喫茶店あぐりや、フォーラム福島を訪問しました。

そして今日、17日は朝方に福島市内で放射線計測を行い、その後に、再び新幹線で仙台に戻り、京都から夜行バスでやってきた京都OHANAプロジェクトのメンバーと合流。一路、岩手県大槌町めざして午後四時過ぎに到着。地元のNPOぐるっとおおつちのみなさんの事務所を訪ね、明日、明後日と続く企画の打ち合わせをして、宿泊地の釜石に戻ってきました。この非常に濃厚な数日間に得たことは多く、すぐにも記事にしたいことが僕の頭の中にぎっちりと詰まっています。

にもかかわらず、今宵は優先的に書かねばならないことができてしまいました。総選挙についてです。今回の自民党の「大勝」は僕にとってはまったくもって予想通りの結果であり、何らの驚きもありませんでした。しかし京都の親しい友人、ブログを読んでくださっている方、岩手県在住で明日からの企画にかけつけてくれようとしている方・・・など多くの方が、今回の結果を憂いて僕に意見を求めてきました。

とくにある方は、「自分の小さな息子を見ていると、この子がいつかこの人のせいで徴兵され、人を殺す訓練をさせられるのかもしれないと思うと、石原氏の顔を見て涙が出てきた」と語られました。これを聞いて僕は「すぐにも何かを書かなくてはいけない」という思いを強くしました。

選挙の結果に憂いを感じているみなさま。結論から先に述べます。
(1)今回の結果は小選挙区制という非常にゆがんだ国政選挙制度が作りだしているもので、民意を反映したものではありません。とくに「国防軍」の建設をうたう自民党に強い支持が集まったのでは断じてありません。それどころか自民党は、大敗北した前回選挙に比べて、たいして得票を伸ばしてすらいません。つまりこの国の民意が、この右傾化する党を選んだわけではないのだということをしっかりと見据えておく必要があります。

(2)同時に今回の選挙には、首相官邸前を10万、20万で取り巻いてきた国民・住民・市民の声がまったく反映されませんでした。その理由は、脱原発を掲げた政党のほとんどが、原発問題をエネルギー問題としてしか打ち出せず、今も継続しており、破局に向かう可能性すら内包している事故問題として、あるいは被曝問題として、打ち出さなかったことにあります。要するに福島原発事故への批判があまりに不徹底だったのです。だからこそ、世論を二分するような論議になりませんでした。

(3)この2点目はマスコミによっても強められてきたことでもあります。今なお4号機が非常に不安定な状態にあり、世界に大変な被曝のダメージをおこしうる事故の可能性が去っていないこと。そのために日本の総力を事故の拡大の防止のために投入するとともに、広域の避難訓練を行うべきこと。またそんな状態も踏まえて、住民の避難権利を拡大し、せめて子どもたちの疎開を促進することが問われていることなど、本当のことを数日でも書きつらねさえすれば、選挙の争点は大きく変わっていたでしょう。

(4)にもかかわらず、自民党は今後、脱原発政策を反故にし、それどころか憲法改悪に手を染め、9条をなくして国防軍を創設し、基本的人権の縮小にまで踏み込んでくる可能性があります。それはこれまでよりも格段に高い可能性ですが、それに対してどうすればよいのかといえば、答えは実に単純です。真正面から立ち向かえばよいのです。そうすることことが私たちに問われているのです。

(5)私たち自身が、選挙に反映していない民意を目に見える形に変え、高々と掲げるのです。憲法を守るだけでなく、真に生かさなければならない。いや一歩先まで進んで、基本的人権が「国籍」によって差別されていることを越え、この国に住まう全ての人に人権が認めるところまで進まなくてはいけない。そのような不断の努力の中でこそ、人権は守られ、だから今、被曝に苦しむ人々の権利も守られていきます。

(6)その可能性はすでにこれまでの多くの人々の能動的な活動の高まりによってはっきりと示されています。放射能をめぐる企画が全国津々浦々で重ねられている現実。再稼動反対運動や、がれき焼却反対運動が各地で取り組まれている現実。これまでないほどに市民自らが科学をしている現状。それは本当に凄いものがあります。にもかかわらずそれらが選挙に反映しなかった。選挙制度、既成政党、マスコミの限界です。だからこそそれを下から覆していく行動が今こそ問われているし、その展望は非常に大きく切り開かれていると僕は実感してます。僕自身、この流れを促進するために全身全霊を傾けたいと思います。

以下、上に掲げた点のうち、とりわけ今回の選挙で自民党が民意を得ていないと僕が断言する根拠を補足していきたいと思います。とくに僕が指摘したいのは小選挙区制という、民主主義に著しく反した制度の矛盾です。

まず今回の衆院選で各党の得票率と議席占有率の関係を300小選挙区でみてみます。すると分かるのは自民党が、43.0%の得票率で237もの議席を獲得していることです。占有率はなんと79.0%。4割少しの得票で8割の議席を獲っているのです。一方、民主党は22.8%の得票率で獲得議席数はわずか27。占有率は9.0%です。票数では半分以上なのに、議席数は237対27。これはあまりにもめちゃくちゃではないでしょうか。

この小選挙区で落選候補に投じられ、投票が議席獲得に結びつかなかった「死票」は、全国の合計で約3730万票に上っています。なんと3730万人の意志が無視されているのです。小選挙区候補の全得票に占める「死票率」は56.0%。前回が46.3%だったので、9.7ポイント増となっています。ここにも今回の選挙があまりに民意を無視した結果をもたらしていることがあらわれています。

比例選(定数180)をみても、自民党が信任を受けたのではないことがはっきりします。なぜなら今回の自民党の得票率は27.62%ですが、実にこの数は大敗した前回2009年衆院選の26.73%とほぼ同じだからです。それで前回は大敗で今回は圧勝です。

実際には今回の自民党の全国の比例得票数は1662万票で、2005年に「郵政選挙」で「大勝」したときの2588万票を大きく下回っています。2009年の1881万票にも及んでいない。この点にも自民党の支持が広がったなどとはまったく言えないことがあらわれています。

これらから言えることは何か。原発安全神話と同じように、選挙制度でも私たちは大きく騙されているということです。この国が民主主義であるという幻想にです。実際には4000万人近い人の票が死票になる中で、小選挙区では4割の得票で8割の議席を得たものが、他の4000万人の支持を受けた候補の多くを押しのけてしまっているのです。これで公明正大な選挙制度だといえるでしょうか。いや公明正大とまで言わなくてもいい。かろうじて民主主義であるとも言えないような制度がいまの私たちの国の選挙制度なのではないでしょうか。私たち有権者のことをあまりに愚弄するなと言いたいです!

僕が自民党の大勝を予測していたのは、この仕組みのためです。同時に、再稼動反対やがれき焼却反対で一生懸命に行動している人々の声も思いも、まったく不十分にしか選挙で争点化されていなかったためです。だから言いたいのはこのような不誠実な、民主主義とは言えない、まやかしの代表選に一喜一憂せずに、本当の民衆の行動、草の根民主主義を自ら育て、その力で、放射線防護を進め、原発の再稼動に立ち向かい、国防軍の創設にも抗って、平和と人権を守り、育てようということです。

前述したようにそれが可能であることを僕は非常に強く体感しています。
例えば、僕は明日、明後日、大槌町で講演しますが、これで昨年3月11日からの講演数は約190回にもなります。僕が凄いのではないのです。それだけたくさんの人が、放射能をめぐる勉強会を開催してくれたのだということです。
僕など名前が売れているわけでもなんでもない一介のライターです。そんな僕からすら話を聞き、学び放射線防護を進めようとする人々が本当に無数にいる。

それも都市部ばかりではないのです。最近、僕が呼ばれているのは、例えば兵庫県篠山市や丹波市、京都府京丹後市や舞鶴市、宮津市、与謝野町、伊根町など、農村や漁村が広がる地域です。広島県でも、尾道市、福山市、三原市などで呼んでいただきました。県庁所在地ではない多くの町々です。しかもそういうところにいって知るのは、すでにそうした地域が、原発問題を語れる人々を次々と呼んでいることです。

同じことが全国津々浦々で起こっています。本当にあちこちで、小さな集まりから大きな集会までさまざまな人の集まりが出来ている。僕は17歳のときから今日まで社会運動に携わっていますが、こんな連続的な熱気にさらされた経験はかつてありません。しかもどこにいっても参加者の多くが実によく学んでいる。科学をしている。科学をして、自らの生き方を問い、地域の行く末を本気で考えています。

選挙はその息吹とはまったくリンクしないところで進められてました。悔しくもありはしますが、しかし僕は国会や国会議員は、この国の中で一番最後に変わるものだと思っているので、まあそんなものだと初めから思っていました。
そんなところとは別に、今、私たちの国のいたるところで、最深部からの変革が始まっているのです。大切なのはそのことです。私たちは私たち自身の力にもっと自覚的になり、自信を深めていい。その力こそが原発稼動を2基にまで押しとどめているのです。私たちより環境政策で大きく進んでいるドイツでさえ、まだ8基も稼動していることなど私たちはしるべきです。

小選挙区4割の得票で、8割の議席を掠め取った自民党は、この本当の民意を押しつぶそうとしてくるでしょう。その場合の一番の手が、民衆に自ら失望するように仕向けることです。その一つとして現行の選挙制度もあります。民意など得なくても、あたかも得たようなふりをして政治権力を振るうことを合法化するのがこのシステムです。私たちはこうした手にもう騙されないようにしましょう。

民主主義、デモクラシーの語源は、民衆(デモス)に力(クラチア)のある状態です。今、その力はかつてなく高まっています。それがストレートに現れない選挙制度に騙され、ここで自信を失ってはいけない。それこそ権力者の思う壺です。
あまりに民意を反映しない選挙制度そのものを、原子力安全神話とともに覆すことを私たちは目指しましょう。

そのためにも、明日、明後日と僕は大槌の人々とともに、大槌で、この放射能時代をいかに前向きにいきて突破していくのかを考えたいと思います。そうして津波災害、原発災害の苦しみから、町を人々を再生せんとしている大槌の方たちの試みに何か一つでも寄与しようと思います。そのために一生懸命にお話しようと思います。

みなさん。しっかりと足元をみて前に進みましょう。焦ることなどありません。私たちはいま、大きく成長しつつあるのです。原発政策で繰り返し私たちを騙してきた人々が、あの手、この手で、私たちには力がなく、おろかで、自分の足で歩くことはできないと私たちを丸め込もうとして来ますが、それを跳ね返していきましょう。

私たちはもう多くの虚構に気づいてしまった。覚醒してしまったのです。だから私たちには未来が見えています。
ともに進んでいきましょう!

コメント (9)

明日に向けて(598)放射能時代の産婦人科医療(5)・・・完結

2012年12月13日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121213 23:30)

連載中の「放射能時代の産婦人科医療」の続きをUPします。2000年代に後半から続いている産科医療からの徹底の現実について触れた上で、放射線被曝が胎児に与える影響について触れました。
またそれが必然的にもたらしていると思われる産婦人科医医療の今への洞察を行なっています。これらの結論として、「社会的共通資本としての医療」の充実を、多くのみなさんが自らの課題としていただければとおもいます。
以下、記事をお読み下さい。

*********

産科からの撤退の現状

ハイリスク分娩の増加の中での労働の過酷化、それに追い討ちをかける相次ぐ警察権力の介入を受けて、産科からの撤退はどう進んだのでしょうか。少し古い統計になりますが、2008年3月25日の厚労省の実態調査結果の発表によると、同年1月以降に、全国で77施設が分娩を休止したり、制限を設けたりしたことが報告されています。
分娩の休止は45施設(病院28、診療所17)、「里帰り出産」を断るなど、制限を設けたのは32施設(病院19、診療所13)で、地域別では、神奈川12、秋田9、愛知8、静岡7、長野、岐阜5となっていました。理由は医師の高齢化や退職でした。
厚労省は、このうち70施設は、近隣の施設で受け入れ可能と判断し、残る7施設への医師の緊急派遣を検討しました。これは2007年7月20日に発表された緊急臨時的医師派遣システムに基づくもので、退職した産婦人科医を募集し、6ヶ月限定で派遣して急場を凌ぐものでした。現役に近い医師の力を活用するのが厚労省の方針でした。

一方で日本産科婦人科学会は、同年3月14日に、「緊急的産婦人科医確保が必要な医療機関の調査」報告書を発表しました。調査は1月30日付で、全国の地方部会長宛に調査の依頼を行なって実現された。報告書の中で同学会は、この調査が医師不足の調査ではなく、緊急に、どうしても医師が必要な機関の調査であり、それが問題の抜本的解決の方策ではないことを強調しています。
同学会によれば、国の行なう緊急臨時的医師派遣は、応募対象が定年直後の医師であり、それでは必要とされる場の過酷な状況に適応できない可能性があるといいます。また問題は、医師の絶対的不足と、労働環境の悪さ、待遇の悪さにあり、派遣によってではなく、医師の絶対数の拡大と、地域医療現場の改善を通じてしか真の解決にはなりえない。
そのため「緊急臨時的医師派遣は、勤務状況が劣悪であるために医師が撤退している病院の現場の改善を遅らせることにつながる可能性があり、無条件にその推進に賛成するわけにはいかない」のが、産婦人科医の立場であると述べています。しかしそれでもなお、根本的な対応策がなされるまでに、どうしても派遣が必要な施設に対するものとして、本調査を行なったというのです。

こうした問いに、北海道と32の県が110の施設の名をあげました。多数の対象をあげた県とその数をみると、宮城8、山梨5、長野7、大阪9、和歌山5、島根6、岡山5、高知5、熊本8、鹿児島6の10府県64病院でした。対象となる病院はないと回答したのは、秋田、東京、神奈川、新潟、石川、愛知、滋賀、奈良、鳥取、山口、香川、福岡、長崎、沖縄の14都県。このうち神奈川、秋田、愛知は、多数の施設がすでに1月より分娩を休止ないしは制限しています。
また医師1人当たりの分娩数が全国で最も多かった埼玉県は、回答不能とし、次のような意見を述べました。「医師の絶対数が埼玉では圧倒的に不足しているので、具体的な病院名や人数などを列挙できるような状態ではない」。
また同じく回答不能とした三重県は、「分娩を中止した病院ばかりを取り上げるマスコミ受けするような偏った視点ではなく、より根本的な問題点(分娩施設数が、勤務医の最低限の労働条件を確保するには多すぎること、産婦人科医・助産師の絶対数が足りないこと)についてご理解いただきたい」との意見を記載しています。

9施設の名をあげた大阪府も、次のように付帯意見を述べました。「現在挙げている9病院以外にも多くの病院が困っています。ドミノ倒しの様相です。1~2カ所に絞り込むことは不可能です。これはどこの都市部でも同じではないでしょうか?緊急的に全体のセーフティーネットを拡大することが必要と考えます。そもそも全国から1カ所ずつ要求が挙がったとして、全国で47名もの産婦人科医師をどこから調達するのでしょうか」。
これらから同学会は、「なし」という回答も、「緊急派遣」では有効性がないという意味で理解する必要があると述べています。

先にも述べたように、この調査は2008年3月25日発表のもので、それからすでに4年半が経過しています。この記事では、その後の経過を十分におさえておらず、現時点での状況をつかめてはいません。幾つかの変化をあげると医師不足への対応として、産婦人科医になることを条件とした奨学金制度が設けられたことが挙げられます。そのことが医師数の減少の歯止めにはなっているようですが、増えているのは新人の医師たちです。
また医療事故に対する医師たちの負担を減らす制度も導入されました。2009年から分娩中に、不可避または原因不明の医療事故で新生児が脳性まひになった場合、政府が20年間にわたり3000万円を家族に補償するものです。肝心なのは医師には法的・経済的責任が問われないとされたことです。 しかしその後、2011年3月11日に大震災が起こり、医療界全体が厳しい状況に立たされたことを考えるとき、けして十分なフォローがなされたとは言えないことは容易に推測されます。

これまで見てきたように、産婦人科労働は、あまりに過酷な状態にあります。にもかかわらずこの困難さへの理解が不十分な上に、警察の理不尽な介入と、マスメディアによる過剰な医療バッシングが繰り返されたために、一時期、現場はずたずたになってしまいました。
その後に、この崩壊状態を改善とする兆しが見られ始めましたが、それが十分に効力を上げる前に、私たちの国は東日本大震災に直面してしまいました。地震と津波被害だけでも、相当な医療の力がそこに割かれてきているわけですが、その上に、悪夢のように重なるものとして放射能被曝が私たちの国を、そうしてまた産婦人科医療を襲っています。その中でどのようなことが起こっていると考えられるのか、次に見ていきたいと思います。


放射線被曝と胎児

放射線が人体に与える影響はさまざまな面がありますが、その中でも重要なのは、私たちの「命の鎖」であるDNAが、放射線が当たることによって切断されてしまうことです。直接的に切断されることもあれば間接的に切断されることもあります。もっともDNAは非常に重要な情報のつらなりであるため、らせん状の二重のラインで情報を守っています。このため多くの場合、切断されても自己修復する機能があります。P53という、修復を司る遺伝子があることもわかっています。
ところがこの二重のラインがほどけて1本になるときがあります。細胞分裂の時です。2本が1本ずつに分かれ、それぞれが自己複製して2本になる。こうして細胞分裂が完結するわけですが、この1本の状態になったときに放射線に襲われると、DNAは自己回復が難しくなります。そのため細胞分裂が激しく起こっている細胞ほど放射線に弱いことが分かります。どんな細胞かといえば、粘膜などがそうです。放射線被曝で、鼻血が出たり、口内炎ができたち、下痢が起こりやすいのはそのためです。

脳の中にも細胞分裂が激しいところがあります。記憶をつかさどる「海馬」と呼ばれる部分です。次々と入ってくる新しい知識のために、活発に細胞分裂して対応しているわけですが、この海馬がダメージを受けてしまうのが、アルツハイマー型認知症で起こっていることです。そうなると新しい知識が蓄えられなくなります。放射線被曝でも同じことが起こりうると考えられます。そうすると新しい「知識」だけでなく新しい「発想」もできなくなる。意識が硬直化してしまうのです。
このため、細胞分裂が激しい人ほど、放射線に弱いことが分かります。誰かと言えば子どもであり胎児です。年齢・月齢が小さいほど、よりダメージを受けやすい。

より深刻なのは、細胞分裂中の細胞ではなく、細胞分化前の細胞がダメージを受けてしまうことです。細胞分化とは同じものが複製されて増えていく細胞分裂とは違い、細胞が幾つかの機能に分かれていくことをさします。母親の胎内で生まれた受精卵がやがていろいろな機能に分かれていってはじめて私たちは卵の形から、手や足が生まれ、内蔵などが作られていくわけです。
細胞分化は胎児のときに最も激しく行われますが、誕生してからのちも行われ続けるものがあります。何を作る細胞においてかというと血を作る細胞においてです。細胞分化をする前の細胞を「幹(みき)」の細胞と書いて、幹細胞(かんさいぼう)と呼びます。血を造るのは造血幹細胞で、ここから赤血球や白血球、血小板が分化してきます。

このためこの造血幹細胞が放射線で被曝すると、血を造ることがうまくできなくなってしまう。その結果生じるのが血の病気=白血病などです。このためがん治療で、放射線を使う際に、あらかじめ自分の造血幹細胞を抜いておいて保存し、あとで自己移植するという治療が行われることがあります。がんをたたく強い放射線で、造血幹細胞も破壊されてしまうので、がんをたたいた後、とっておいた造血幹細胞を体に戻して、壊れてしまったものを補うのです。
ちなみに福島原発事故後に、東京の虎ノ門病院が、福島原発で働く人々のために、造血幹細胞の採取に乗り出しました。さらに国がこれを大規模に進めることを主張しましたが、被曝の影響を小さくみせたい政府は無視してしまいました。あのとき虎ノ門病院の提案が大きく取り上げられればと思うと無念でなりません・・・。
http://expres-info.net/acv/2011/03/autopbsch.html

さて、このように見てきたように、胎児の場合は、細胞分裂も細胞分化も激しく行われているため、放射線に極めて弱いことがわかるとおもいます。にもかかわらず深刻に被曝をしてしまうとどうなるか、細胞分化がうまくできなくなってしまい、発育ができなくなる可能性も出てくる。そうなると流産・死産に直結してしまいます。
またチェルノブイリ事故の経験などから明らかなことは、早産が多くなり「低出生体重児」が多くなることでした。低出生体重児とは体重2500キログラム以下で生まれてくる子どものことです。早産の場合と、予定日間近の場合に別れますが、前者の場合、身長が出生人平均身長よりも低い、皮膚が薄くて赤みを帯びている、産毛が生えて柔らかく傷つきやすい肌状態、泣き声も小さく、目が開いていないことも、手足を動かしたり、首を動かすことが少ない、男の子は睾丸が陰のうに下がっていない状態などの特徴があります。
この他、生まれてきた子どもが何らかの先天的な傷がいや病を抱えているケースも、チェルノブイリの経験では増えました。

そもそも「低出生体重児」は、福島原発事故以前から増加傾向にあり、それそのものがハイリスク分娩の原因のひとつとなってきたわけですが、そのさらなる増加はさまざまな意味でお産の現場の困難を増幅させます。第一にただでさえ大きなものとなりつつある妊娠期間や出産時のリスクがより大きくなってします。
第二にそれが妊婦と医療者に大きくのしかかり、両者ともに抱える精神的負担も大きくなります。医療サイドはしばしば、妊婦の抱えるストレスを分かち持たねばなりませんし、死産・流産の場合に、母体を肉体的にも精神的にも守らねばならず、ストレスは増すばかりです。

現におこっているお産の現場の苦労に関しては、またあらためて取材し、レポートしていきたいと思いますが、ともあれ放射線被曝は、どう考えてもお産の現場をより困難にしてしまうに違いありません。にもかかわらず、このことに社会的な光があたっていないために、現場に苦労だけが押し付けられていることが推測されます。困難に対する社会的バックアップがなされていないからです。
実はこうしたことはすでに激烈に起こっているのではないかと思われます。なぜなら放射性物質は、事故直後に最も大量に放出され、半減期の短く、単位時間あたりではより大量の放射線が出るものも飛びだしていたからであり、しかも当時は、今の市民全体のレベルからいっても、被曝防護の知識は乏しく、多くの人々が無防備だったからです。

そのため多くの妊婦と胎児が被曝してしまい、その後の経過をたどったはずです。その子達はすべて「誕生日」を越しており、その経過でいろいろなことがあったことが考えられますが、それが津波被害も受け、多くの人々が避難している状態に重なっていったわけですから、現地の医療現場は本当に大変だったのではと思われます。
無論、こうした分析にはデータ的な裏付けがありません。論理的になしうる推論と、幾つか聞こえてくる東北・関東の医療現場の悲痛な声をもとに考察を進めており、僕なりに間違ってはいないという確信はあるものの、有意なデータとして示すことは今は困難です。
しかしこのことに注意を喚起し、放射能時代の産婦人科医療の困難性を、多くの人々とシェアしあい、社会的に支える仕組みの強化を図らないと、私たちの生活の底が抜けていくような事態が起こりかねないと思うのです。


社会的共通資本としての医療の充実を!

これまで僕は、放射線被曝の影響が最も出やすい医療現場として、産婦人科医療を取り上げてきました。この医療現場はもともと非常に苦しくなっており、その上に被曝が重なっているため、どの領域よりも先に手厚い手当をしなければならないと感じるからです。
しかしこれは医療の他の領域でも言えることです。被曝はすべての生物の命の力を弱くします。免疫力が低下し、あらゆる病気が発生しやすくなります。だからこそ医療に大きな力を注ぐことが、放射線対策として非常に重要になります。ヨウ素被曝で懸念される甲状腺の検査体制、治療体制の強化が急務であることはもちろんですが、しかしここだけに目を奪われていてはいけない。あらゆる領域の強化が必要です。

その際、訴えておきたいのは、医療は「社会的共通資本」であることです。社会的共通資本とは、私たちの生活の基盤をなす多くのもので、市場原理に任せたり、官僚の恣意的な支配に任せてはいけないものです。
とくにお金儲けの手段にしてはいけない。医療が社会的共通資本であることはわかりやすいと思いますが、社会的制度としては、他に教育・金融などが最も重要な社会的共通資本です。

この観点にたって、産婦人科医療と小児科医療を中心に、医療全体の強化を図っていくことが問われています。またこの際の医療に、東洋医療を大きく組み入れ、鍼灸や漢方など、免疫を上げてあらゆる病に対抗していく古の知恵をもっと大胆に社会的に活用していくことも大事です。
放射線被曝と立ち向かい、私たちの幸せを守るために、医療の充実が非常に重要だということを、とくに産婦人科医療をすべての人の力で支える重要性を心のそこから訴えて、この連載を閉じたいと思います。

終わり

コメント (1)

明日に向けて(597)選挙について、災害対策について

2012年12月12日 09時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121212 09:00)

選挙について、災害対策について、思うところTwitterでつぶやいたところ、非常に多くの方が読んでくださいました。
短く要点をまとめることは大事ですね・・・。こちらにもアップしておきます。どうかお読み下さい!

なお僕のTwitterのアカウントは@toshikyotoです。こちらもご覧ください。FACEBOOKのページは以下です。http://www.facebook.com/toshiya.morita.90

*****

選挙について

今回の選挙についてtwitterでつぶやいたことをまとめておきます。(12月5日)
 
今回の総選挙で、原発問題が一つの争点になっています。しかしすべての党がエネルギー問題としてしか扱っていません。実際には原発問題は被曝問題です。放射線防護の徹底、避難権利の拡大、がれき広域拡散中止という主張がないのが選挙の最大の欠点です。選挙がどうなろうと大事なのは民衆の行動です。
 
今回の選挙の欠陥は、4号機の倒壊の可能性を含め、福島原発が今なお極めて危険な状態にあり、東日本壊滅の恐れがさっていないことをどこも取り上げていないことにもあります。自民党などはこれ抜きに「国防軍を」などと言っていますが、国を守る気などないことがここからも分かります。
 
国・・・というより国民・住民・市民を守るために本当に今必要なことは、日本中の英知を福島原発に結集して崩壊を防ぐことと、全国をあげて原発災害避難訓練を行うことです。とくに4号機倒壊時にどうするのかのシミュレーションが絶対に必要です。これが本当の危機管理。選挙の争点になるべきです。
 
「維新」を掲げる人たちの目線には東北の人々が全く入っていません。なぜなら「維新」の名のもとに征服され、維新政府への服従を強いられてきたのが東北の人々だからです。高度経済成長とて東北の農村の収奪によって成り立ちました。東北に電気を供給しなかった福島原発はその象徴です。


災害対策について

原発災害、および地震・津波への備えについて、twitterでつぶやいたことをまとめておきます。(12月9日)
 
福島4号機の倒壊や、大飯原発の破綻に備えた避難訓練の提案のまとめです。
明日に向けて(556)(569)(571)原発災害に対する心得(上、中、下)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a276d3555af84468c1db19966b59cf16
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0fd8fbc4681c2a073c73e4a0f95896bf
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ed69f6466c0d72c16f70a371e599df31

これまで訴えてきた「原発災害に対する心得」に抜け落ちていたものに気づきました。避難訓練だけでなく、被災しなかった地域での避難者受け入れのシミュレーションや物品の備蓄が必要だということです。もやは国は動かない。だから民間と地方行政で災害対策を進めましょう。逃げる準備と助ける準備を!

原発災害あるいは地震・津波に対して、個人レベルでぜひ災害対策協定を結んでください。互いの家・地域を避難先にし合うのです。どちらかが被災したらどちらかが受け入れる。そうすれば自分が被災しなかったときにすぐに受け入れ準備を始められます。協定は可能なら複数がいいです。

私たちの日常生活では、必要なものはコンビニに行けばいつでも買える。だから備蓄が非常に少なくなっていて、災害への弱さを作っています。最低限のものは備えるようにしましょう。そうすれば自分も助けられるし、人も助けられる可能性が広がります!
 
災害を前に「自分なんか死んでもいいから準備をしない!」などとは思わないこと。あなたが瀕死の状態になったら、周りの誰かがあなたを助けなければなりません。反対にあなたが備えをしていたら、いざというときに周りの人を助けられます。他者のためにもあなたを守る工夫を重ねてください。

コメント

明日に向けて(595)放射能時代の産婦人科医療(4)

2012年12月08日 07時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121208 07:30)

12月6日に京都市伏見区の「あゆみ助産院」さんで放射能についてのお話をしました。そこで「放射能時代の産婦人科医療」の核心部分をお話し、同院をになってきた佐古かず子さんに「よくぞ言ってくださった」と評価していただけました。
現場をよく知る方にこのように言っていただけるのはありがたいことですが、内容が内容だけに、複雑な思いもあります。ともあれ産婦人科医療にもっと社会的な光があたり、底上げがなされることを願うばかりです。
そのためにも多くの方に、現場で起こってきたことを知っていただきたいと思います。そのような思いを込めつつ、今回も、マスメディアによるバッシングのもとでの現場への警察権力の介入の理不尽さについて、続けて述べていきたいと思います。

*******

2006年に続いた産婦人科医師・看護師の逮捕!-2

奈良県大淀病院事件

大淀病院事件とは、2006年8月、分娩のために同病院に入院した妊婦が、午前0時ごろに頭痛を訴えて意識不明になり、高次病院への搬送が必要とされたものの、照会した19の病院から受け入れ不能の回答を受け、6時間後に大阪吹田市の国立循環器病センターに収容された事件です。妊婦は帝王切開により出産したものの、意識が戻らず、9日後に亡くなりました。
奈良県警は、業務上過失致死事件の疑いがあるとして捜査を開始し、大淀病院に事情聴衆を行いましたが、その後、刑事責任は問えないとして立件を見送りました。しかし遺族は、医療過誤を主張し、2007年5月に損害賠償を求める民事訴訟に踏み切りました。裁判の結果、遺族の請求は2010年に棄却されました。

問題となったのは、担当の産婦人科医師が、妊婦が意識不明になった際に、分娩中にけいれんをおこす「子癇(しかん)発作」と判断したものの、実際には脳内出血がおこっていたことでした。事件の二ヶ月後に毎日新聞が大々的にスクープ。これに続いてマスメディアが医療ミスとして大きく報道したこと、また19件の病院に断られたことに対して「たらい回し」「受け入れ拒否」という報道を繰り返したため、医療サイドへのバッシングが強まりました。
大淀病院は、脳内出血を子癇発作と判断したあやまりを認めたものの、当夜は麻酔医がおらず、どちらであっても同病院では対処できなかったため、早急に搬送先を探す必要があったと述べました。また他の病院の医師たちからは、分娩中に脳内出血が起きる確率は1万人に1人といわれ、発見が困難だったとの指摘がなされています。
またこの担当の医師は60代で、1人の常勤医師でした。奈良医大から派遣された非常勤の医師の応援を得て、月に10数件の分娩を扱い、宿直勤務は週に3回以上でした。知人の医師らに「この年での宿直は相当にきつい」と漏らしている状態にありました。

大淀病院は、事件の余波の中で、結局、産婦人科を廃止し、分娩から撤退するにいたりました。また奈良県では、同年3月にも、大和高田市立病院で、出産直後の妊婦が大量出血で死亡し、産科医が業務上過失致死容疑で書類送検される事件が起こったことにより、同病院が分娩を制限、また同年4月以降、県中南部の県立五條病院や済生会御所病院が、相次いで産科医療を休止していました。奈良県は大淀病院の撤退により、南部の病院から産科医療が消滅することになってしまいました。
この事件はまた、奈良県の周産期救急体制の脆弱性を明らかにするものともなりました。厚労省は、困難な妊産婦と新生児を受け入れる「総合周産期母子医療センター」を2007年度中に整備するように、各県に指導していましたが、この時点で、奈良県を初めとする8県が整備を終えていませんでした。このため当日に断られた搬送紹介先も、奈良県内2病院に対し、大阪府17病院でした。

2006年10月25日の朝日新聞によれば、その後、周産期救急体制の不整備を各方面から指摘された奈良県は、同県立医大から、大阪や和歌山など県外の病院に派遣されている産婦人科医を、引き揚げる方向で検討を始めたといいます。「総合周産期母子医療センター」を早急に整備するためですが、しかし引き揚げは新たな「お産の空白地帯」を生んでしまいます。
事実、和歌山県新宮市の市立医療センターは、奈良医大から医師2名の派遣を受け、地域で分娩できる唯一の施設として年間約400件の分娩を扱っていましたが、これ以上の維持は不可能として、2007年10月に産科医療から撤退することを同年2月に発表しました。これによって地域が「お産の空白地帯」になる可能性が生じました。
その後。同年7月より新たに始められることになった国の緊急臨時的医師派遣システムの適用を受けることがきまり、医師1人の赴任が決定し、10月の休止は回避されました。しかしこのシステムも6ヶ月間の限定派遣のため、その後の存続が危ぶまれましたが、今度は2008年4月になって、大阪門真市の開業医を招くことが決まり、再び存続が決まったりました。開業医は、門真市の施設を閉鎖して新宮市に移りました。
このように他所からの医師の移動によって、綱渡りのように産科の存続をはかっている病院も数多く存在しています。

奈良県未受診妊婦死産事件

未受診妊婦死産事件は、奈良県で、大淀病院事件の一年後の2007年8月に、再び救急搬送された妊婦を11病院が受け入れることができず、搬送中に破水して死産した事件です。
この事件では、周産期医療をめぐる新たな問題が明らかになりましたった。問題は、この妊婦が、妊娠中の定期的健診である妊娠健診を一度も受けていない「未受診妊婦」であったことにあります。このような妊婦が病院に駆け込むことを、マスコミは「飛び込み出産」と呼んでいます。

この場合、医師は情報を得られないまま分娩を扱うことになるため、大きな危険が伴います。異常分娩、合併症、低出生体重児出産等々の可能性があるため、産婦人科医の他に小児科医、麻酔医の立ち会いも必要で、NICUがあることがのぞまれます。結局、三次病院や周産期センターでないと対応が難しいのが現実です。
こうした未受診妊婦の実態については、それまで調査がなされていませんでしたが、2008年1月になって、読売新聞が、初めて全国的な調査を行ない、3月14日の紙面で結果を発表しました。それによると、対象とした高度な産科医療機能を持つ全国の医療機関のうち、67病院から回答があり、これらの機関で、2007年に301人の未受診妊婦の「飛び込み出産」があったことが判明しました。

この調査を受けて、日本産科婦人科学会は、「全国的には1000人-2000人の未受診妊婦がいるのではないか。産科医療の現場が混乱する大きな要因で対策が必要」と表明しました。読売新聞はさらに、未受診の理由は「経済困窮」が最も多く、301人中146人が理由にあげたこと、出産費用の一部または全額を払っていない未受診妊婦も98人だったことを報じました。
妊娠健診は、妊娠初期から出産までにおよそ14回受けるのが理想とされていますが、1回当たり5千円から1万円の費用がかかります。保険医療の対象ではないため、全額自己負担です。そのため1996年度までは、都道府県が国から補助金を受けて助成していましたが、地域保健法が施行された1997年度以降は市町村からの援助に変わり、財政難から削減されている状態にあります。
厚労省の全国調査によれば、公費による負担は自治体によって1.3回から10回と格差があり、都道府県別の平均を見ると、最小レベルは兵庫県の1.4回、事件のあった奈良県はそれに継ぐ1.6回の援助しかなされていませんでした。

これらの事件を振り返って

大野病院事件では、産婦が分娩時に死亡したことに対して、医師が業務上過失致死罪と、医師法21条(異状死の届け出義務)違反によって、福島県警に逮捕され、起訴されました。(無罪判決)
堀病院事件では、長年にわたって行なわれてきた看護師による内診という医療行為(妊婦の参道に指を入れて、分娩の進行を調べること)が、医師と助産師に限られた助産行為にあたるとして、同病院の院長と看護師11人が書類送検されました。(起訴猶予)
大淀病院事件では、産婦が脳内出血で死亡したことに対して、医師が診断を誤ったとして、業務上過失致死容疑での捜査が行なわれました。

逮捕された大野病院の、当時39歳の男性医師は、担当医師1人で、地域の分娩を支えていました。また大淀病院の60歳以上の担当医師は、やはり常勤医師1人で、非常勤の医師1人の助けを得ながら、分娩を行なっていました。大淀病院の医師は立件されなかったものの、遺族が訴訟を起こしました。
大野病院事件と大淀病院事件に共通なことは、治療行為に刑事罰で対処することの矛盾です。医師をはじめ多くの人々が、双方の事件ともに医療過誤とはいえず、またかりに医療過誤の可能性があったにせよ、犯罪として裁くのは誤りであると主張しています。詳しくは小松秀樹(2007)『医療の限界』新潮新書などを参照して欲しいですが、生命を救おうとした懸命な治療の末に、犯罪者として罰せされる、あるいはその嫌疑をかけられるのはあまりに理不尽です。
事実、これらの事件は多くの産婦人科医師たちや看護師たちから、診療を続けるモチベーションを失わせてしまいました。逮捕されずとも、警察に犯罪の可能性ありとして取り調べられるだけで、大半な心理的ショックを受け、心が深く傷つけられてしまったといいます。
また堀病院事件では、看護師の内診が犯罪行為として送検されたため、医師とともに助産師も不足し、看護師が内診を行なっている多くの産科医療現場に、深い混乱をもたらし、医療施設の分娩からの撤退を促すことにつながってしまいました。

続く

コメント

明日に向けて(594)放射能時代の産婦人科医療(3)

2012年12月05日 22時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121205 22:00)

放射能時代の産婦人科医療の3回目をお送りします。今回は、戦後の産婦人科医療の大きな発展の中で、お産は無事に行われて当たり前という風潮が広がってしまい、妊婦の死亡が一定の確率で起こっていることへの理解が低まり、医師がバッシングされるケースが増えていることや、さらに警察権力による医師の逮捕までが重なったことなど、極めて厳しい状況が続いてきたことを紹介します。
産婦人科の医師たち看護師たちが、過酷な労働を行いながら、社会からあまりに不当は扱いを受けていることが理解できると思います。

*******

放射能時代の産婦人科医療(3)

安全性の高まりと訴訟の増加

次に見ておきたいのは、全体としての安全性の高まりが、皮肉にも訴訟の増加の要因にもなってしまっているという点です。
先にも見たように、産婦人科では今、ハイリスク分娩が増加していますが、ず産科医療の飛躍的発展によって、全体としての安全性はかつてないほどに高まっています。ところが本来、喜ぶべきこの事態が、医師たちに新たな困難を強いる結果を生み出してもいるのです。

お産の現場では、今から50年以上前、国民皆保険制度が確立する以前の1955年には、1年間に分娩によって3095人もの妊婦が命を落としていました。出産10万人に対する妊婦死亡数は161.7人。胎児・新生児の死亡率も高く、周産期(妊娠22週目から、生後7日目まで)の死亡率は、出生1000人当たり43.9人でした。こうした死亡率の高さは、多くの出産が自宅で行われ、必要なときに充分な医療が受けられないことを要因としていました。
これに対し、この後に国民皆保険制度が確立する中で、病院・診療所での分娩が増え、2004年にはその率が99%に達しました。これとともに安全性は飛躍的に増し、この年の妊婦の死亡は49人、出生10万人に対して4.3人となりました。周産期死亡率も、出生1000人に対して5.0人にまで縮まりましたが、これは米国の7.1人、英国の8.0人を上回る数値です。日本の周産期医療はこの50年の間に、世界トップクラスの水準にいたったのです。

ところがこうした進歩によって、「分娩は安全なもの。妊婦も子どもも安全に戻ってきて当然」という過度な安心感が広がり、極めて低くなったとはいえ、いまだ一定の割合で生じる妊婦や胎児・新生児の死亡などの不幸や、障がいの発生を、家族や近親者が受け入れられず、医療紛争に発展するケースが増えてしまいました。
ある研究(大屋敷英樹2007)によれば、最高裁の調べで、2004年の医療訴訟は1110件ありましたが、このうち産婦人科医を相手取ったものは151件(13.6%)でした。これを産婦人科医師1000人当たりに換算すると12.4件になります。全診療科平均の3.3倍で、外科を上回るもっとも高い割合です。産婦人科医が一生のうちに訴えられる確率は3割から4割といわれ、訴訟にいたらない紛争は、この10倍と見積もられるといいいます。(大屋敷英樹「読売ウイークリー」2007年11月11日号90-94頁)

分娩現場の現状

産科医療では、こうした訴訟の増加のために医師が減少してきたわけですが、この結果、現場はどのような現状にあるのか、日本産科婦人科学会の「学会のあり方検討委員会」が2005年に行なった「全国周産期医療データベースに関する実態調査」から見ていきたいと思います。
この調査では、厚労省の調査で2004年12月31日現在の産婦人科医師数が10163人と報告されたものの、2005年12月1日現在で実際に分娩に携わっている医師数は、7985人に過ぎないことが分かりました。産婦人科や産科を標榜していても、相当数の医師が、分娩から撤退しているのです。

さらに医師たちの勤務形態は、病院では1人での勤務が187施設、2人が299施設、3人が286施設、4人が159施設、5-9人が236施設であり、4人以下の病院が78.4%。診療所では1人が1214施設、2人が452施設、3人以上が99施設であることが分かりました。
年間の分娩への医師1人当たりの関わりは、全国平均で139回。3日に1回以上の頻度ですが、都道府県でばらつきがあり、最も多い埼玉県では268回!もありました。最も少ない徳島県の82回、鳥取県の88回の3倍以上の数でした。埼玉県の医師たちは、平均1.36日に1回の割合で、分娩に関わっていることになります。

これらから医師たちの勤務の現状がより明らかになってきます。産婦人科医師1名で分娩を担っている病院は、全国に187施設ありましたが、この場合、当該の医師は、365日24時間、オンコール状態にあり、毎日が宿直と同じような状態にあります。医師は、遠出はもちろんのこと、飲酒することもままならず、休息や睡眠も不断に途切れてしまいます。
産婦人科医師1人体制の病院は、埼玉県にも3施設あると報告されていました。また最も多いのは北海道で13施設、それに継ぐのは福島県で11施設でした。
いずれも2005年の統計で、現在にいたる変化を把握できてないので、リアルな現状とは言えないかもしれませんが、産婦人科医がどれほど過酷な状況におかれてきているのかがこの統計から見えてくると思います。

2006年に続いた産婦人科医師・看護師の逮捕!-1

このような状態で働く医師たちに、さらに大きなダメージをもたらす事件が2006年にあいついで3件も起こりました。2月の福島県大野病院医師逮捕事件、8月の横浜市堀病院助産事件、同じく8月の奈良県大淀病院妊婦死亡事件です。奈良県では2007年8月にも未受診妊婦死産事件が起こっています。ここではこのうちの前2者を検討したいと思います。

福島県大野病院医師逮捕事件
この事件は、2004年12月に同病院で行われた帝王切開手術において、出産後に産婦が出血多量で死亡したことに対し、福島県警が2006年2月になって、執刀医師を業務上過失致死罪と、医師法21条(異状死の届け出義務)違反により逮捕した事件のことです。
逮捕された当時39歳の男性医師は、それまで担当医師1人体制で、地域の分娩を支えていました。医師はこの病院に勤務していた1年10ヶ月の間に、分娩約350件を行ない、そのうちの約60回で帝王切開手術を行なったそうです。これだけでも過酷な労働実態が垣間見えますが、この医師が激務の末に逮捕・拘留されてしまったのです。

治療を行なった医師が、刑事犯として逮捕、拘留されたことに対して、日本産科婦人科学会や日本産婦人科医会、日本医師会をはじめ、各医学系学会や、各地医師会などが抗議声明を発表しました。多くの医師が、その後明らかになった事実分析から、「当該事故は医療過誤ではない」と主張しました。またかりに過誤の可能性があったとしても、刑事罰として裁くのはあまりに不当であるとの主張もなされました。
このように抗議がなされはしたものの、この事件は、多くの産婦人科医の分娩現場からの離脱を促す結果を生み出しました。とくに県立大野病院に近い福島県いわき市では、産科を廃止する施設が相次ぎ、人口36万人の都市に、分娩を扱う施設が12年前の半数の2病院6診療所しか残らず、その2病院も分娩制限をはじめました。とくに周産期センターでもある共立病院では、医師が減ったことから、ハイリスク分娩のみを扱い、自然分娩の扱いから撤退するにいたりました。

逮捕された医師は、その後に起訴されて裁判にふされ、検察は2008年3月21日に「安易な判断で医師への社会的信頼を害した」「基本的な注意義務に反し過失は重大。公判で器具の使用をめぐって供述を変えるなど責任回避のため、なりふりかまわぬ態度に終始している」として、禁固1年、罰金10万円の論告求刑を行いました。
これに対して福島地方裁判所は8月20日に被告人の医師を無罪とする判決を言い渡し、検察側が控訴しなかったことで無罪が確定、医師は犯罪者の烙印を押されずに済みましたが、懸命になっての治療の果てに、医師が「業務上過失致死罪」で逮捕され、長きにわたって拘留され、裁判にかけられたという事態そのものが多くの産婦人科医師たちやスタッフたちの心を深く傷つける結果をもたらしました。

横浜市堀病院事件
堀病院事件は、同病院が医師と助産師にのみ認められている「内診」という助産行為を、看護師や准看護師に行わせたために違法にあたるとして、2006年8月に神奈川県警による同病院への家宅捜査が強行され、9月に院長と看護師ら11人が書類送検された事件のことです。
「内診」は、陣痛の始まった妊婦の参道に手を入れ、子宮口の開き具合を調べることで、出産の進行状態を把握することですが、日本産婦人科医会は、陣痛の初期である「分娩第1期」での内診は「助産行為」ではなく、看護師の業務である「診療の補助」にあたるとして、長らく看護師が行っても問題はないとしてきたのでした。それだけでなく、分娩が自宅から病院・診療所に移りはじめた1960年代に「産科看護研修学院」という研修機関を各地に設け、内診を行う看護師の養成も行ってきました。

ところが2002年と2004年の二度にわたり、厚労省から、内診は助産行為にあたり、看護師が行うことは認められないという通達が全国に配布されました。この時点で助産師は全国で2万6千人が就労していましたが、7割が病院勤務で、診療所勤務は2割弱であり、助産師がいないために看護師が内診を行っている診療所もたくさんありました。分娩は病院と診療所でほぼ半数ずつが行われていたため、通達が出されても、助産師を十分に確保できない多くの分娩施設で、看護師による内診が継続されていたのです。
にもかかわらず看護師による内診が犯罪にあたるとして、警察の強制捜査の対象となったことにより、多くの分娩現場が混乱に陥入りました。日本産科婦人科学会や日本産婦人科医会は、抗議声明を発表し、従来の主張を繰り返しましたが、厚労省も通達の正当性を主張して譲りませんでした。こうした中で検察は、書類送検した院長と看護師らの起訴猶予を決定。裁判が回避され、この件に関する司法判断は下されませんでした。
その後、2007年3月30日に、厚労省は再度、通達を出し、看護師の内診を原則禁止とすることが主張されました。ただしこの文章の内容を、看護師の内診を事実上、容認したものとする解釈もあらわれるなど、その後も混乱が続きました。

続く

コメント

明日に向けて(592)放射能時代の産婦人科医療(2)

2012年12月04日 19時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121204 19:00)

12月1日と2日に大飯町と高浜町を訪ねてきました。とくに高浜町では高浜原発をはじめ、震災遺物(ガレキ)の試験焼却が行われた焼却場、焼却灰の投棄先になっている最終処分場なども取材するとともに、町の方たちの声も聞くことができました。
非常に意義深い訪問となりましたので、後日、レポートを出したいと思いますが、今日は、6日に「あゆみ助産院」での講演が控えていることもあり、「放射能時代の産婦人科医医療」の続きを書きたいと思います。


日本の医師数と産婦人科医の現状

さて、産婦人科医のことを見る前に、日本には医師はどれぐらいるのかということから確認していきましょう。医師免許を持ち、実際に医療施設で働いている医師の数を「医療施設従事医師数」といいますが、これは1998年に236933人でした。2010年には280431人になっています。12年間でから43498人増加しています。増加率は11.8%です。
この医師数を国際的水準と比較したらどうなるのか。OECDインジケーター2009年版を見ると、人口1000人当たりの臨床医数(2007年)は、OECD平均3.1人に対し2.1人という低さです。最下位のトルコ1.5人をはじめ、韓国1.7人、メキシコ2.0人に次いでいます。ちなみにトップはギリシャで5.4人という高さです。

この国際的に低い水準の日本の医師数の中でも、さらに産婦人科医は、ほぼ毎年減り続け、ここ数年にわずかに上昇した状態にあります。全体では同じ12年間で10916人から10227人へ6.4%の減少です。分娩を扱う産婦人科と産科の医師数の合計をみても、11264人から10652人へと5.5%の減少です。
反対に分娩を扱わない婦人科は、1188人から1717人へと増えています。妊娠・分娩と女性の病を担当するこの診療科は、それぞれが扱う領域にあわせて、「産婦人科」「産科」「婦人科」と分かれていますが、分娩を扱う前者2つの科の合計医師数が減少し、婦人科が増加傾向にあるというわけです。
こうした傾向は、医療の公定価格である診療報酬の初めてのマイナス改定がなされた2002年以降、とくに顕著になりました。産婦人科では、2002年から2006年までにいったん1026人が減り、その後、2010年までに635人を戻していますが、このことはベテラン医師が減って、新人が増えたことを意味しています。
つまりあまりにも急激に産科医が減ったために、新人の産科への誘導が強められたわけですが、医師数には反映されない医師の平均的熟練度の回復にはまだまだ時間がかかる状態にあるということです。もちろん国際水準からいって、絶対数もまだまだ足りていません。


あまりにも過酷な産婦人科労働

こうした医師数の減少はどうして起こったのでしょうか。幾つかの理由が挙げられますが、一つには全ての診療科の中で、産婦人科がもっとも拘束性が高く、勤務時間が長いことがあります。
ある研究(平原史樹ら2007)によれば、2002年から2004年にかけて実施された厚生労働科学研究「小児科参加若手医師の確保・育成に関する研究」において、横浜市立大学附属病院ならびに教育指導病院のおける卒後3年から15年目の医師について調べたところ、宿直を含む労働時間は、1週あたり平均73.3(±17.3)時間でした。月の時間外労働時間は140時間を越えています。
また1週の宿直勤務は、平均27.7(±11.5)時間ですが、その時間内に実際に診察行為に費やしたのは86%におよぶ23.7(±10.9)時間でした。また当直翌日の平均離院時間は19時32分。連続労働が平均で34時間32分も続いていたことになります。
さらにこの調査は、地方の常勤医師3人で支えている中核的病院では、宿直を含んだ月の労働時間が、471.6時間になっているところがあることも報告しています。これは1週あたり108.7時間の労働に相当します。かりに5日勤務だとなんと21時間を超えてしまうのです!(「産科医師の勤務状況」『臨床婦人科産科』61巻2007年3月号215-217頁より)
日本産科婦人科学会による2006年の全国調査では、産婦人科医の宿直は月平均6.3回と報告されました。前回調査(2000年)の平均4.7回から、6年で約30%増加しています。

こうしたあまりにも厳しい現実は、医師数の減少だけでなく、分娩を行う施設数の減少にも反映しています。厚労省の医療施設動態・静態調査および、日本産科婦人科学会の調査によれば、1993年に分娩を実施している施設は、診療所2490、病院1796、合計4286施設でした。ところが2005年には診療所1783、病院1273、合計3056施設に減っています。減少率は28.7%です。
同じ年の出生数は、1993年に約118.8万人、2005年に約106.3万人であり、減少率は10.5%です。少子化よりも分娩施設の減少がはるかに早く進んでいたことが分かります。
またこの2005年の調査では、産婦人科ないし産科を標榜している施設の半数近くが、実際には分娩を行なっていないことも明らかになりました。厚労省の2004年の調査では、産婦人科と産科を標榜している病院と診療所の合計が5997施設と報告されていましたが、実際に分娩を実施しているのは、先にもみたように3056施設、およそ半分に過ぎませんでした。


産科医療の特徴

こうした産科医療の衰退は、もともと分娩への関わりが、医師への高い時間的拘束性を持っていること、また近年ではより多くの人手を必要とするハイリスク分娩が増えており、医師不足の影響をより受けやすいためであることを次にみていきたいと思います。
出産の前触れである陣痛は、365日24時間始まる可能性があります。法定内労働時間は1週間のうちの約4分の1ですから、陣痛から出産は、4分の3は深夜や早朝を含む時間外に起こることになります。まずこうしたことが医師の拘束性を高いものにしています。
しかも陣痛が10分間隔になった段階で、施設に入院することが多いのですが、この段階から分娩まで、初産でおおむね12時間から15時間かかります。しかもこれはあくまでも目安で、早い場合は1時間のこともあれば、遅い場合は数日かかることもあり、医師はこの間、内診をはじめ、助産行為を繰り返していきます。
このことに近年では、妊婦の高齢化、合併症を持つ女性の妊娠、不妊症治療による多胎などによるハイリスク分娩の増加も重なり、このため帝王切開などの手術も増加しています。仮死状態で生まれた新生児へ蘇生を施したり、集中治療を行ったりと、緊急かつ高度な対応が問われることも多くなっています。

厚労省の調査、医療施設静態・動態調査2005年から、「帝王切開娩出術の割合の年次推移」をみると、1984年9月中の分娩は一般病院で68452件行われあmしたが、うち帝王切開は5633件あり、8.2%の割合でした。同じく一般診療所では分娩47671件、帝王切開2895件で6.1%でした。
これに対して2005年9月では、一般病院の分娩件数44865件に対し、帝王切開は9623件で21.4%。一般診療所では分娩40247件、帝王切開5156件で12.8%となっています。月間件数は1984年の8528件から2005年14779件と、6251件、73.3%も増えています。
また厚労省調査班の調査では、分娩時の大出血など、死亡につながり得る重篤な事態の発生は、実際の妊産婦死亡の70倍以上(250分娩に1)であると報告されています。
一方で、医療の進歩によって、今日では体重1000グラム未満の「超低出生体重児」も救出できるようになりました。ただしその場合は、産婦人科医の他に、小児科医や麻酔医などの関わりや、新生児用のNICU(新生児集中治療室)なども必要なことから、高度な治療体制のもとに、妊婦と新生児を受け入れる施設が必要になります。
このため「総合周産期母子医療センター」の整備が全国的に進められていますが、こうした施設は、より多数の医師の集中を必要とします。
反対に重篤な事態に対する備えのない病院や診療所は、必要な場合は、より高度な施設を供えた二次病院や、重篤な状態に対応できる三次病院、あるいは上述の周産期医療センターに妊婦を搬送することになり、そのための救急手配も医師が行なわなければなりません。しかしどこも病床が埋まっていることが多く、搬送先探しは、救急搬送の中で最も困難だといわれています。

このように、ひとことで言って、日本の産科医療は深刻な人手不足のもとにあります。そのため医師たちの労働時間があまりにも長い。しかも生死を分けるような治療の場に立つことも多く、緊張感もなみ大抵のものではありません。それを支えているのは、医師たちの超人的な努力という以外ない状態であり、ただちに改善される必要があります。
ここ数年、医師数が減少から増加に転じているように、一定の対処がなされているとは言えますが、それでも現場の困難性はまだまだ非常に深いものがあります。何よりもこうした産婦人科医療の人手不足の現状と、そもそものこの医療領域の抱えている困難性が社会的に共有され、全市民の努力で支えられていく必要があります。
子どもは私たち社会全体の宝です。子どもたちの笑い声こそが、私たちの何よりの活力であり、心の和みの源でもあります。その子どもたちを迎える産婦人科医療の社会的に貧困な状態を、私たちは我が事として正していく必要があります。

続く

コメント

明日に向けて(591)放射能時代の産婦人科医療(1)・・・あゆみ助産院でお話します(12月6日)

2012年12月01日 08時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121201 08:00)

今日はこれから京都駅に向い、特急はしだて1号で若狭湾に向かいます。午後2時から大飯町でお話します。大飯町・高浜町の見学・取材もしてきます。
これから戻ってのことですが、12月6日(木)午前10時から、京都市伏見区深草の「あゆみ助産院」さんで話をさせていただくことになりました。情報を以下に記しておきます。

*****

講演「明日に向けて~放射能時代に私たちが知っておくべきこと~」
日時 12月6日(木曜日)
時間 午前10時から12時
主催 あゆみ助産院 のびの会
参加費 1000円
場所 京都市伏見区深草山村町992-2
電話 075-643-2163
http://www.eonet.ne.jp/~ayumi55/index.html

*****

この日、お話する内容は、東北・関東の汚染の現状、内部被曝のメカニズム、放射能時代をいかいに生きるかなど、これまでも他のところでも話している内容ですが、今回は助産院さんでのお話ですので、産科医療についても触れておこうと思います。
それで今回の記事のタイトルを「放射能時代と産婦人科医医療」として、連載を行おうと思うのですが、僕が書こうとしていることは大きくは二つです。

一つに、この間、日本の医療は、世界の中でも飛び抜けて高い水準(医療の質とかかりやすさと安さ)を維持してきたものの、小泉政権のもとでの、あらゆる領域への市場原理の持ち込みによって、著しく疲弊してしまっていることです。
その中でも筆頭に疲弊を深めているのが、産婦人科医療です。それに続くものとしては、外科、小児科が挙げられます。産婦人科医療は小児科医療と密接につながっていますから、総じて出産と子どもをみる医療と、外科医療が疲弊していることになります。
これらの医療に共通していることは、労働時間が長い医療労働の中でも、さらに飛び抜けて長い労働時間、深夜労働の連続などが問われていることで、あまりの労働の激しさに、医師が次々と疲弊してしまっている現実があります。

しかしこうした実態が、驚くほど世の中に伝わっていません。むしろマスコミによる一時期の過剰で適正を欠いた医療バッシングの影響で、医療関係者への尊敬・尊重が薄れ、医療ミスに対する訴訟が増えたり、無理な要求をするモンスター・ペイシェントが増えたりで、現場の疲弊は深まるばかりです。
そもそも日本の医療従事者、とくに医師たちの平均労働時間は、韓国に続いて世界2位の長時間で、労働基準法からも著しく逸脱している状態が平常化してしまっています。外科医の場合、24時間労働のあとにそのまま続けて働き、手術を行うことも珍しくありません。
つまり日本の中で、もっとも過酷な労働に耐えながら、必死になって人々の健康と幸せを維持しているのが日本の医師たちであり、医療労働者たちの現実でありながら、この現状を知っている人がまれなのです。

何よりもこうした現実を多くの人々がきちんと把握し、医療者を守り、支えていかないと、やがて私たちの健康を下支えしてくれている医療体制が大きく崩れてしまいます。いやすでに崩れだしているのが現実です。
とくに分娩を扱う産婦人科医は、いつ生まれるとも分からない赤ちゃんを前に、常に緊張を強いられています。出産は24時間いつ行われるか分からない。通常の労働時間を朝の9時から夕方の17時までの8時間とするならば、出産は労働時間外の16時間の間に起こることの方が多いのです。
にもかかわらず、人口に比して、私たちの国は医師が非常に少ない国であり、その少ない医師の中でも産婦人科医がどんどん減ってきてしまっています。産婦人科を担うことの困難さ故ですが、それがまた残された医師たちの負担を増やしています。

大きな悪循環が生まれてしまっている。それをなんとかしないと大変なことになります。なんでも市場にまかせればいいという考えを捨てて、社会的共通資本としての医療を守ること、とくに産婦人科医療、小児科医療、外科医療に手厚い手当が必要です。
僕が伝えたい第一の内容はこのことです。


二つ目に、この疲弊を深める産婦人科医療と、小児科医療の体制で、放射能被曝時代への対処をしていかなければならないこと、その大変さをきちんと認識していく必要があるということです。
なぜか。私たちのうちで、放射能に一番弱いのが、お母さんのお腹の中にいる胎児であるからです。これに対して放射線防護を徹底することを僕は訴え続けていますが、悲しいかな、それが前に進んでいるとはけしていえない。今も高線量地帯にたくさんの妊婦さんが住んでいます。
また1キログラム100ベクレル以下という、非常に緩い規制のものとで放射能汚染された食材が流通してしまっており、それが妊婦さんの体内に入ってしまう可能性もまだまだ続くのが現実です。

そうするとどうなるのか。胎児の被曝は、流産・死産の増加に結びついてしまいますし、そこまでいかずとも、さまざまなトラブルの発生が予想されます。そしてそのこと自体が、産婦人科医療を非常に難しくしていくのです。なぜなら今までに比べて、危機が増えるからであり、その度に医療者もますます緊張が強いられるからです。
それはあるいは医療事故の増加にもつながり、それ自身が医療者を著しく疲弊させてしまいます。さらにこれに訴訟の増加が追い討ちをかけるならば、産婦人科医療からの医師たちの離脱が必然的に加速してしまいます。
つまりただでさえ疲弊を深めている産婦人科医療と小児科医療の領域に、放射線被曝が追い討ちをしようとしているということです。いやすでにそうしたことは始まっているはずです。統計的数字を持っていませんが、死産・流産が増えているという声をたびたび耳にしています。

私たちはこのことへの覚悟を固めなくてはいけない。今後、障がいや先天的な病を持っていたり、病弱な体質で生まれてくる子が増えていく可能性が濃厚にあります。そのことが家族と同時に、現場の医療者にものしかかってくる。大変なことです。なのでこの領域の予算とマンパワーを拡大しないといけない。
そのためには政府や行政を動かさなくてはならず、困難な道のりが予想されるわけですが、少なくとも今から手を打つべきことは、この日本の医療制度の疲弊した実態を多くの人々できちんとシェアし、自らのものとしてそれを支えていくムーブメントを強めていくことです。
行政からお金を増やしてもらえなくても、せめて患者さんが、お医者さんたちに対して、もっと尊敬と労りをもって接していくだけでも、随分あり方が違ってきます。本当にぎりぎりで働いている医療関係者が多いので、人々の意識を変え、モンスターペイシェントを減らしていくだけで、医療のパフォーマンスは変わってくるはずです。

とくに産婦人科医療と小児科医療が、放射線被曝の影響と向き合う最前線であることをきちんと認識し、被曝時代の中で、私たちが生命を育み、つなげていくために、本当に全国民・住民・市民が一丸となって、この領域を支えなくてはいけない。
お医者さんたちに救ってもらうだけでなく、市民がお医者さんたちを救い返し、それでもって、困難な中での、幸せと豊さを、ともに生み出していく強い決意を作り出していかなくてはならないのです。
まさにそのことの中で生まれてくる生命を守らなければならないし、生まれる前に奪われる命も少しでも減らさなければいけない。そのために産婦人科医療、小児科医療を支えなければいけません。


以上、二つの点について、今後、連載で記事を書いていきたいと思います。これらのことは、僕が同志社大学社会的共通資本研究センターに属し、「社会的共通資本としての医療」の研究で行ってきたことの延長としてあります。
ただしこの領域での僕の研究は、いったん止まっており、データ的には2008年ぐらいまでのことしかフォローできていません。可能な限り、アップツーデートを試みますが、現状では研究に大きな時間を避けないので、まずは2008年までの蓄積で論を進めたいと思います。
そのため、今、ここに書いていることも含めてですが、現状ではすでに変わっていることも含まれている可能性があります。その点が分かる方がいればぜひご指摘ください。それらを適宜取り込みながら、論を進めていきたいと思います。

いずれにせよ、今後も僕は放射線防護のために走り続けますが、一方では「防護」を呼号しているだけではもはや足りない。すでに起こってしまった被曝への対応を深めなければいけないのです。こうした観点から医療問題の連載を開始します・・・。

続く

コメント

明日に向けて(590)NONベクレル食堂のめざすもの(下)

2012年11月30日 08時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121130 08:00)

3回にわたるNONベクレル食堂オーナー、ロクローさんインタビューの最終回です。今回のサブタイトルは「危険なものを避けるだけではなく、いいものをしっかり食べることが大事!」と「NONベクレル食堂で、楽しい食事を!」です。
ぜひお読みになり、胸をワクワクさせて、ロクローさんたちの食堂においでください。遠方からの方、駐車場もしっかり完備されています。近くの名勝としては岩倉実相院などがあります。今は紅葉も見頃。京都見物と兼ねておいでください!
ちなみに、このインタビューの中でもロクローさんが話してくださった、安全に作られて、放射線も検知済みの食材の通販もついに開始されました!まずは「NONベクレル米」が売り出されています!!以下をクリックするとみれます!
http://non-bq-shokudou.com/?p=325

*****

NONベクレル食堂のめざすもの(下)

危険なものを避けるだけではなく、いいものをしっかり食べることが大事!

―話を聞いていて思うことなのですが、例えば僕が避難ママさんと話をしていて感じることの中に、「魚をもっと食べさせてあげたい」という思いがあります。日本の食事は魚が中心であって、欧米食に比べて身体にいいものになっている。その有利さを捨ててしまうことはとってももったいない。だからぜひ安全なことを確認した上で、魚をどんどん食べて欲しいと思うのです。

(ロ)そうですね。実はまだ店では魚を出せてないのです。安全だといわれているところのものを仕入れて、測って出すのは簡単なのですが、みんな、生魚(なまざかな)に飢えているから、刺身定食ぐらいしたいのですよ。それで舞鶴の漁師さんが獲ったものを直接得られないかという話をしています。
でも魚は難しいですね。今だったら僕は瀬戸内の魚や舞鶴あたりなら大丈夫だと思いますけれど、学者さんによっては数年で日本中の魚がすべてだめになるという人もいます。でもだからこそ今のうちに食べておかないととも思います。

―食べながら測り続けるというのが答えだと思いますね。日本はOECDの中でダントツに医療費が少ない国です。社会的配分が少ないという問題もあるけれども、なんといっても肥満が少なくて、生活習慣病の罹患率が低いことが要因です。OECD参加国の中でダントツに少ない。
肥満をあらわす体格指数というものがあります。体重を身長の二乗で割ったもので、30を超えると肥満と認識されるのですが、2004年から2005年のデータで、OECD平均が人口の14.6%であるのに対して、日本はトップに低い3%です。反対にワーストワンのアメリカは32.2%にもなっている。肥満人口が人口の三分の一もいるのです。
日本の状態がいいのは、一言で言って、魚をよく食べることや、野菜の多い和食の恩恵です。今の肉漬けの生活はそれ自身に太る要因がある。それよりは圧倒的にいいわけです。

もちろんその魚の中には、重金属がすでに入っている。瀬戸内の魚は、放射能は今は大丈夫だと僕も思うし、実際に検出を聞きませんけれども、実は工場からの汚染を考えると、あそこのものは食べないほうがいいという学者さんもいます。
でもそうはいっても、例えば心臓病の発生率をみると日本は圧倒的に少ないのです。先ほど述べたように、肥満人口が違うからですが、そもそもその太り方も違う。アメリカには一目で病的と分かるような太り方をしている人もたくさんいますが、あれは動物性脂肪が多すぎる食事のせいによるものが多いです。
当然にも病的な肥満は生活習慣病と直結している。こうしたことにもっと多くの人に着目して欲しいと思うのです。和食の有利さにはかなりのものがある。そういういい食事を知ってほしい。避難ママさんたちに栄養学を学んで欲しい。でも栄養学も放射線学と同じで主流的なものはだめです。そこに難しさがある。

(ロ)そうですね。ほうれん草に栄養素がこれだけといっても、今のほうれん草には実際にはそれだけの栄養が入っていないし、まあ栄養学には元からナンセンスといえば言えなくないところがある。これだけのものを食べさせないといけないという面がある。

―そうですね。もっと食べ物の作られ方を問題にしないといけない。あるいは有機と一言で言ってもいろいろあることをきちんと知ってもらわないといけない。そういえばロクローさんと一緒に訪ねた、仙台で「小さき花・市民の放射能測定室」を開設している「農民科学者」の石森さんに次のようなことを教わりました。
そもそも有機とは何なのかと言えば、「僕らが(はじめに有機農業を志した人たちが)有機とは何か、何が安全かを決めたんだ、後から国が基準を作ったんだ。同じように放射能がどれぐらい危ないのかも、僕ら、本当に安全でおいしいもの目指して、食べ物を作っているものが決めるんだ」というのです。
こうした人たちが、今の農業のあり方はおかしいといって安全なものを志して、「有機農業」を切り開いたのに、勝手に国が「基準」をつくり、しかもそれがブランド化されて、本来の安全から離れてしまっているわけですね。。
最初は農協などは、有機農業を目指す農家をいじめたのに、それが社会の中で認められたら今度はそれを商品化しだした。それで、もともと有機農業を志した人たちからすると、こんなの有機でもなんでもないというようなインチキ有機も登場してしまったわけです。

それらを踏まえて何を避けたらいいのかといえば、安全に作られていない食べ物や添加物のたくさん入ったものを避けるのがいいと思います。こういう「食品」を作ってきた人々は、放射能もきちんと避けてはくれない。
もちろん、安全なものを作ってきた人々が供給しているものの中にも、放射能が混入してる場合もあって、一概にそれらが安全とは言えないところに悩ましさがあるし、だから測定して安全を確認することの重要さがあるわけですが、しかしこれまでも安全でなかったものほど、より危険が増していることは間違いないと思います。

(ロ)そうですね。こうして店をやっていて感じるのですけれど、食材が高いのですよ。どうしても原価率が高くなる。それにしては値段をかなり安くしているつもりなのですけれど、一度、東京から避難してきた人に、放射能が入っていなければ、農薬が入っていてもいいですから、もっと安くしてくださいといわれたことがあります。びっくりしました。

―間違いですね。それは。それで思い出すのは、宮城県南部、角田市のピースファームにいったときのことです。このときに集まったたくさんの有機農、自然農の方たち、あるいは林業家や炭焼家などの集いから、「みんなの放射線測定室てとてと」と「小さき花・市民の放射能測定室」の二つが生まれていったのですが、そのとき、誰が言ったのか、「守田さん。放射能と抗生物質、どっちがやばいだべか」という質問が出ました。
僕はそのとき、暫く考え込んだけれども「うーん、濃度の問題でしょうね」と答えました。もちろんどっちもよくないわけですが、まったく農薬も化学肥料も使っていない数ベクレルのセシウムだけが入った野菜と、薬品付けの野菜を比べるならば、前者の方が安全なように僕には思えたりもするのです。

(ロ)そうですよね。放射能が100ベクレルのものを食べたらどうなるのか。1ベクレルのものを食べたらどうなるのか。わかりませんやん、僕ら。同じように農薬がどれぐらい使われていたらどうかということも僕らには良く分からない。でも明らかに、農家の方がマスクをして、防備をして撒いているものを、僕らに直接噴霧されたら、病院に運ばれるぐらいのことはあるわけでしょう。

―農薬の歴史を見ると、撒いている人がバタバタ死んだこともありますしね。だって生物を殺すものを撒いているわけだから。

(ロ)そうですよね。除草剤と殺虫剤でもまったく違うし。除草剤には恐ろしいものがあって、隣の農家が除草剤を使うときに、液をタンクに入れようとしてこぼれて、僕の庭の側に飛んできたのです。それを見ていたのですけれども、そこだけ、液が飛んだところだけ、ずっと草が生えないわけです。そんなものを撒いたところで農産物を採っているやし、大分、へんな話ですよね。

―除草剤の中にはダイオキシンが入っているものがあります。三里塚(成田)空港反対運動の中で、農民たちが土地を守って頑張り続けたのだけれど、力尽きて、土地を売って出て行ってしまう人もいました。そうすると公団の管理地になるのだけれど、耕作をしないので荒れていく。それが自分の畑の周りにあると、雑草がたくさん生えて種が飛んでくるし、野生動物なども発生して、畑の管理が難しくなります。それで農民たちがやむを得ず、公団の土地になったところも耕したのです。
それに対して空港公団が除草剤を撒いたのですが、それがボルシル4といって、アメリカ軍がベトナム戦争でゲリラをやっつけるためだとしてジャングルに撒いた「枯葉剤」と同じだったそうです。ダイオキシンが含まれている猛毒のものです。ベトちゃん、ドクちゃんが生まれたりもしました。そういうものが除草剤の中にはあるわけですね。
あと言われているのは複合汚染が怖いということです。物質が相乗効果で作用してくる。そのからもいろいろなものが入っているものは避けたほうがいい。結局それでいいものを売る場が必要だということにいきつく。「これが食べれるよ」という場として確立していく。

 

NONベクレル食堂で、楽しい食事を!

(ロ)そうですね。結局、お米に関しては、今使っているお米を作っている農家さんは、たくさん作付けしているので、しばらくは安定的に供給できると思うのですけれども、大根とかそういうものって、小農家さんの数がまだ少ないので、うまいこと切り替えていかないと、なかなか販売を続けるのは難しいです。
だけれど、例えば、僕が親しくしているフライングダッチマンのベースのキムも、それこそ有機でやっている小農家なのですが、つねに「売れ先ないっすよ」と言っています。JAは最後に持っていく場で、そこではただ同然で買い叩かれる。本当においしいんですけどね。
だからぜひいいものを作っている農家さんと輪を広げたいと思っているのですけれども、伊賀の有機農業組合の人と知り合いになったので、良ければNONベクレル食堂への供給を考えてくれるといっています。

そういえば伊賀のヤマギシに行ったときに、豚肉を供給してくれている友達が、豚の飼料をトラックで2トンほど混ぜていたのです。覗き込んだら凄くいい匂いがするんですよ。「おお、おまえ、むっちゃうまそうな匂いしているやん」と言ったら「そりゃ人間だって普通に食えるもん」というから、僕も食べてみたら、本当においしんですよ。「ああ、こんなもん食ってんのか」と思いました。
僕も京都で幾つか養豚場を見ていて、養豚場って臭いじゃないですか。それで「養豚場を見せてよ」といって、案内されて入っていったら、まったく匂いがしなかったので「あれ、ここは使ってへんの」と思いました。豚が見えなかったので「豚はどこにいるの」と聞いたら、「寝てるやん」というので、下を見たら、豚がお昼を食べて目の前で寝ているのです。
「あれ、豚がいるのになんで臭くないの」と言ったら「えっ、普通やろ。牛よりは臭いで」と言うのです。僕にしたらぜんぜん臭わない。子豚なんか抱きしめてやりたいぐらいなんです。

それであとでネットで調べてみたら、ほとんどの豚は合成飼料で、抗生物質を食べさせているわけです。だから、もともと畜産している人がきれいにしないらしいのです。抗生物質を与えているからいいということで。「ああ、豚って臭わへんのや」と意識が変わりました。あそこの豚や鳥、牛を見てきて、今まで僕が知っていた養豚場とか牛舎とか、そういうものとは全然違うなと思いました。なのでここのものは本当に安心できますね。
この友人はヤマギシに入って20数年経ちますが、その間に自分のいる農場もそれ以外の農場でもガンで死んだ人は聞いた事が無いそうです。それくらい食べ物は重要ってことですよね。

お店では東日本大震災以降、肉を食べられなかった人に、安心してがっつり肉を食べてもらいたいという思いがありますが、それだけではなくて、ベジメニューも取り組んでいます。ベジタリアンの人ってどういうものを食べてるんやろうという興味から、このメニューを頼む人も多いようですね。

―そうすると豚肉が一番のお勧めですか。

(ロ)それはもうこの豚はほんまにおいしいですよ。トンカツと生姜焼きを出していますが、肉汁を味わえるトンカツがまずはお勧めですね。ときどき、この豚だけで作ったミンチカツも出すのですが、それも絶品です。
でも豚も美味しいんですが、とにかくなんでも本当に安心して、おいしいなあと、それだけ思って食べにきていただきたいなというのが一番の思いです。とくに放射能が心配で、食事のたびに、もやもやした悲しい思いをしてきた人に、ここで心から食べることの楽しさを味わって欲しいですね。

―本当にそうですね。そういう場を作ってくれて本当にありがたいです。僕もぜひこれからもNONベクレル食堂の発展のためにお手伝いをさせてください。今日はどうもありがとうございました!(20121110 NONベクレル食堂にて)

終わり

 


 

コメント

明日に向けて(589)NONベクレル食堂のめざすもの(中)

2012年11月29日 10時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)

守田です。(20121129 10:00)

ロクローさんのインタビューの(中)をお送りします。「なぜ食堂をやろうと思ったのか」「放射線を測って、安全を確認して、みんなで食べたら泣けた・・・」の二つです。

*********

NONベクレル食堂のめざすもの(中)

なぜ食堂をやろうと思ったのか

―ところでロクローさんは最初は放射線測定室をと考えていたのに、食堂に転換したのはなぜだったのですか。

(ロ)元から食堂をやりたいとは思っていたけれど、現実的ではないなと思っていました。測定器があれば、食べ物は測れるわけだし、それでとりあえず測定所をと思いました。安全なものを見つけて、食べられることを知らせたいと思ったのです。
食堂をやると言い出したのは4月か5月のころです。守田さんや矢ヶ崎さんと一緒に測定所廻りをした少し前です。(注 ともに宮城県南部にある「みんなの放射線測定室・てとてと」と「小さき花・市民の放射能測定室」を訪問)根拠は「食材は集められるなあ」という思いがしてきたことです。たくさんの農家さんを知っているので。今、知っている範囲でもやれば十分、集められると思いました。

オープン当初はヤマギシ会の知人からの調達がメインでした。僕の中学の同級生がいて、精力的に農作物を作っているのです。他にも農家さんがたくさん身の回りにいる。有機や自然農法をやっている農家さんで、それをつないでくれる業者の方もいます。「フランク菜っ葉」さんがその一つです。京大の西部講堂の裏側の鞠小路(まりこうじ)に出ている小さいお店です。小農家さんの野菜をおいています。東一条の信号より少し上(かみ)です。
福井、滋賀の小農家さんを知っていて、ものすごく小回りがきく。この人が「全面的に協力するよ」と言ってくれたことが凄く大きかったですね。小農家さんは、キャベツでも何トンとかない。たまねぎは、ここは50キロで終わりやとか、次はこれ100キロやとか、そういうレベルなんですが、先に何がどれぐらいあるかを言ってくれるので、先に1キロもらって、測定して、安全を確認して使用を考えるということが、うまくいとまわしていける。仕入れに関してはこれが現実的なところです。

そのほかに、福島や東京やいろいろなところから避難してきている人と、かなり知り合ったことも大きかったですね。僕も原発事故以来、子どもの給食のこととか、いろいろなことをやってきたつもりです。でもやはりあの人たちとは危機感が違う。僕もネットでどこでどれぐらいの土壌のデータが出ているかを調べて、三重県は大丈夫、それで三重県ならヤマギシ会のところにいって、土壌がどうなっているか、食肉やったら、飼料がどうなっているか、全部見て、安全を確認してきました。それで取り寄せてきた。

反対に、この京都の近辺で有機農業をやっていても、堆肥は全部東北から持ってきているという人もいるのです。それを知らずに食べてしまうことが怖かったので、京都で自分で堆肥を作っているかどうかとか、食肉の飼料に抗生物質が入っているかどうかとか、そういうことを調べました。それで土壌が大丈夫だったら、そこで作られたものは大丈夫でしょうということで、そういう調査をしながら選んだものを子どもに食べさせていました。
けれども、それでも安全だというのはまだまだ僕の推論で、確実とは言えないわけです。牛乳も僕はヤマギシのものは安全だと思って飲ませてきたのですけれども、たまに夜ふと考えて、何かの間違えで子どもが毎日、数ベクレルとってしまっていたらどうなんやろうと考えるとゾッとしました。

でもそうやって毎日、自分の家で食べるのは難しくて、たまに外食することもあるわけですけれども、そんなときは左京区の「キッチンハリーナ」さんなど、食材を選んで、安全な料理を出すことを心がけてくださっているところがそこそこあるので、そういうところに行ってました。
そうしたらたくさん知り合った避難者の方と、そういうお店でよう会うんですよ。そのときみんな、ことこどく、子どもさんに魚を残させている。中には肉を残させている人もいる。わざわざこういうお店に食べにきているのに、これを残すのかとショックを受けました。それがもう凄くたまらない気持ちになりました。この人たちが魚や肉を安心して食べられないことがとても悲しかった。
僕も東日本大震災以降、スーパーで買い物をしなくなったのですが、そうすると生活がむちゃくちゃ厳しいんですよ。宅配でとったりするのですけれど、それができなかったらみなさん、スーパーで産地をみて買うしかない。でもそれにはすごい不安があるでしょう。

―産地はたびたび偽装されてますしね。よくわかる。最近も、神戸のJAが、岩手のお米を神戸米と偽って売っていたことが報道されました。

(ロ)聞いたところによると、福島の中央市場のものが、完全に、100%売り切れるらしいのですよね。ようは最後の最後には、卸売りの仲買人がきて、全部安く買い叩いていくわけですよ。でもそれらはスーパーではほとんど見ないから、結局、加工業や外食産業にまわっていると思うのですね。
だから何かやり方を変えていかないと、いつまでも不安を抱えながら、「大丈夫だろう」というところで生きていかなくてはならない。それで放射能を測った食材による食堂をやることで、「これは大丈夫ですよ」とみんなに紹介しようと思ったわけです。

今、ネットで販売されている食材を見ると、こういう苦しい気持ちの人たちの足元を見て、凄い値段をつけているなという気がするのですよね。お米などでも、正直言って、測定結果をつけて「酷いなあ。この値段で売るのか」と感じることが多々あります。ほんまにすごく高い。
また減農薬と言うても、いろいろあります。無農薬でも化学肥料を使っている人もいます。省農薬といって売っても、その内容まで言っている人はなかなかおらへんのですよ。だから美山町とか京北町(注:京都府の農村地帯)にいって、農家さんが自分のところの米を食べるつもりで最初に農薬を撒いて、間に2回ぐらい殺虫剤を撒いて、そんな感じで収穫していますが、あれでも減農薬なんですよね。

結局、減農薬、省農薬といってもいろいろあって、ちゃんと認定をとっていてもかなり幅があって、実態はあいまいだと思うのです。例えば、間に使う殺虫剤は、カメムシよけだったりするわけですよ。それより、大地から植物が吸ってしまう農薬や化学肥料の方がよっぽど危ない。そうしたコメ作りの仕組みを買う側が分かってないので、省農薬というとすごく聞こえが良くなってしまう。でも実際にはやり方に、つまり安全性に天と地ほどの差があります。にもかかわらず、それをきちんと説明してやっているところは少ない。
正直なお米農家さんやったら、5つぐらい品種があって、一番安いのは、「これ化学肥料を使ってまんねん」と正直に言っていて、2番目から化学肥料が無くなっていって、最終的にはオーガニックで作っていると、そういうところももちろんちゃんとあるのですけれども、結局、日本って、どこをとっても金太郎アメやという気がして、商売だけでみたら、みんな、けっこうあくどいんですわ。非常に残念です。

また給食の安全性を守ろうということで、京都市教育委員会、京都市、市会議員、府会議員に、たくさんのFAXを送りましたけれども、ちゃんと回答があったところ、人はほとんどいませんでした。とくに教育委員会や市は、「国の基準に従います」というワンパターンな声しか返してこない。
その中でPTAの会長と話してみても、子どもの心配ではなくて、「ヒロミさん、お宅、何の団体に入っているんですか」とそんなことばっかり聞いてくるし。それでよく聞いてみると、市会議員に出るにはまずPTA会長をやってとかいうことでなっていたりするそうなのです。ほんまにしょうもない世の中やなという感じがしてしまいました。

そんなときに、福島から避難してきたお母さんに、「私たちは被曝をしてしまったから、もうこれ以上、子どもにセシウムをとらせたくないけれども、でもその最初のときの被曝をなしにして考えたら、西日本の人も食べるものを考えなかったら、内部被曝としては私たちと一緒じゃないですか」と、凄く悲痛な感じで言われて、それはそうだなと思ったのですね。
京都の中央市場にいったら、思い切り、被災地のものを見ますしね。あれがどうしてスーパーに並んでないのか。どこかにまわって、私たちの口元まできているというのが実際やと思うし。


放射線を測って、安全を確認して、みんなで食べたら泣けた・・・

(ロ)それでお店を開くことにしたわけですけれど、僕は最初は土壌を測ればそれで食材の安全を確保できると思ったわけですけれども、それがだめになったから、3週間ぐらいかけて食材を全部測ることにしました。でも凄く大変で、ちょっと地獄のようでした。これだと店を開けるまでにお金がなくて破綻してしまうのではというような感じもありました。測るための時間もかかれば、それ用の食材のお金もかかる。
すでにメニューに使っているものだけで100種類以上、全体では140種類ぐらい測りましたが、その一つ一つが1リットル、あるいは1キロぐらい必要になります。もちろん重量の軽いものもあって、ローリエなんかはなんぼつめても100グラムにしかならないのですが、そういうものは2日間ぐらい測らないとだめなんですよ。それで時間が取られてしまい、先に進まないからイライラする。

でも立ち上げを前にして、70品目ぐらい測ったときに、「これで一応、思っているメニューはできるよね」となりました。それで最初のメニューを全部作って、みんなで試食会をしたのです。そうしたら、ほんまにもう、めちゃくちゃにうまくて。
食べているときに、「あれ、なんか違うなあ」と思いました。「何が違うんやろう。この食材はもともと食べていたし、子どもにも食べさせてきた。あ、そうか測っているからや」と思いました。子どもにも、「これも食べろよ、これも食べろよ」と言える。そこに不安感がないのです。そうなってくると、「そうや、そうや、食事って、もともとこんなに楽しいもんやったよね」と思えて、その時にすごく泣けてきました。感動というよりは、腹立ちでもありました。

―よく分かります。当たり前の幸せを奪われてきたということですよね。

(ロ)東日本大震災でこんなことになってしまって、取り返しはつかへんし、大震災が起こったときに、自分の子どもも含めて、次の世代に本当に申し訳ないなと思いました。僕らがええ加減なことをしてきたから、結局、彼らにこれを引き継がせるわけでしょう。
僕らの若いころは、親の世代が本当にムチャクチャしてきたから、「あんたら本当に無責任やわ」と言ったこともあったけれども、だけど、結局自分も同じことを子どもたちに引き継がせていくわけで、やはり生き方を変えないといけないなと思ったのですね。中古車屋をやって生計をたててきたけれども、もうちょっと直接的なことをしないといけないと思ったのです。

がれきのことで行政交渉のために京都市にいったときも、僕は住所と名前を明かしてきました。あえて名前を出さない人もいましたが、自分は名前をはっきりだして、この食堂の名前も出して、こういう姿勢で生きるとはっきりさせないとダメだなと思ったのです。少なくとも僕の家族は今、大震災前の感じで、安心して食べることができているから、そのように、努力しだいでは取り戻せるものはあるし、こうしたことが、みんなの中で当たり前のものになればと思います。
大変な汚染をされたけれども、その中で僕らは生きていかなければならないわけです。だからまだまだ不安なことはたくさんあるのだけれど、頑張ってやっていくしかないかなと思っています。

続く

コメント