近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

朝来市和田山町の池田古墳とは!

2009年05月04日 | 歴史
朝来市内には、北近畿豊岡自動車道の建設をはじめ、様々な開発事業に伴う発掘調査により、膨大な量の遺跡出土品が存在すると云う。

それら遺跡のうち、池田古墳は、現在も国道9号沿道の環境改善事業に伴い発掘調査中で、昭和45年以降国道整備事業が続けられてきたが、今回は橋をつけかえるための工事。





写真は、池田古墳の鳥瞰図及び平成21年4月現在の発掘調査現場。

池田古墳保存のため、国道9号線に架けられた池田大橋下で進められている、発掘調査の光景。

本古墳は、“城ノ山古墳”の北西僅か100mほどの眼下に築造されたが、墳丘が全長約141m・前方部幅約71m・後円部系約76m・周濠を含めると全長は約170mという但馬地方では最大で、兵庫県下4番目の大きさを誇る、前方後円墳。

墳丘は、明治末期と昭和初期のJR工事の土取りのため著しく損なわれてしまい、写真の通り、鳥瞰的にも本古墳の特徴をとらえることが出来ない。





写真は、平成21年3月発掘調査の現場光景及び出土した葺石状況。

それ以前の1971・77・91年の発掘調査によって、テラスに円筒埴輪・葺石がきれいに並んでいるのが確認され、また三段築成で楯形の周濠を持った畿内型の大型前方後円墳。

5世紀前半・古墳時代中期の王墓とされる池田古墳では、最古の水鳥形をした子持ちの鳥形埴輪が全国で初めて出土した。

周濠そばの墳丘の裾部で見つかり、水を使った『導水祭祀』の道具として置かれたらしい。





写真は発掘された土手堤と水鳥埴輪及び水鳥の親子揃いぶみ。

写真のように、土手のような堤を発掘したのは、全国的にも異例の発見で、その全容が明らかになったとか。

土手堤は、通路としての役割のほかに、周濠の水量調節や古墳の裾に水際を用意する役割があったと見られている。

写真の水鳥形埴輪はガンやカモをかたどっており、子鳥の大きさは長さ約10cm・高さ約6cm。鳥形埴輪のそばで4個出土。出土状況から、親鳥の周りを囲むように置かれた可能性が高いという。「子持ち水鳥形埴輪」の出土例としては国内最古という。

鳥形埴輪は、ほかに6個が見つかり、墳丘と外部を結ぶ道路の役割を果たしていた。写真のように、「土手堤」の斜面に施された葺石付近でも等間隔で出土したと云う。

「古墳の裾に水を用意して、墳丘をこの世と異なる他界とみなし、そこへ魂を運ぶ意味を込めて水鳥を置いたのではないか!」とも云われている。

この時期から『葬るだけ』から『あの世』への意識が高まったとみられる
土手堤は墳丘の東西両側で確認され、いずれも法面に護岸のための葺石が敷かれ、土が盛られていた。

朝来市には近畿地方最大の円墳などの古墳が多く、発掘された副葬品などから、古代に巨大権力者がいたことが推測されている。





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