近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン 縄文人の渡来ルート

2007年07月20日 | 歴史
日本列島には、旧石器時代、今から3万~4万年ほど前から人類が生活していたことが分かっているが、出土した人骨の分析から、時代と共に身体的特徴が変化していると云う。

旧石器時代から縄文時代の人骨には、大陸南部との繫がりを示唆する身体的特徴が顕著であるが、一方北方アジア人と類似した特徴も見られると云うように、人種的な日本人の起源は、複数のルートが考えられている。

日本の伝統的文化には、北アジアと共通する要素と、中国南部・東南アジアと共通する要素が見られることも、複数の渡来ルートを示唆している。



写真は、地球の地形が北上する様子を描いた想像地図。
5万年ほど前に、氷河期の巨大な南大陸・スンダランドから北上した人類が東アジアに達するのは、今から2.5万年くらい前で、更にシベリアに達するのは2~1万年ほど前であったと云う。

このことから、縄文時代以前から日本本土にいた日本原人は、スンダランドから北上した南方民族であり、北上途上にどこからか日本本土にやってきたと見られる。そして縄文時代に入ってからは、シベリアから樺太・北海道を地続き沿いに南下して津軽海峡を渡って青森に辿り着くという、北方ルートでも渡来してきたと考えられている。

旧石器時代から縄文草創期の氷河期には海面が現在より100mほども下がり、東南アジア周辺とは陸続きになっており、日本人の先祖の一部は、現在の台湾・南西諸島や朝鮮半島を経由して、歩いて移住してきたと考えられている。

又沖縄の那覇市近くにある“港川遺跡”から、旧石器時代後期・約1万8千年前の人骨が数体発見されたが、頬骨が張り、目玉が入る眼窩が横に長く、顔の輪郭に四角っぽい特徴があった。



写真は、港川人の人骨分析から復元した、港川人の顔立ちイメージ。
“港川人”の人骨をアジア各地で見つかった人骨と精密な比較分析すると、中国の広西省で発見された“柳江人”の人骨やボルネオ人骨と非常に近いことが判明した。

又港川人と日本本土で発掘された縄文人骨を比較すると、眼窩・顔の輪郭など特徴が一致する点が多く、縄文人の一部は東南アジアから移住してきたと云われている。


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