近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

沖縄の歴史・文化 沖縄の“縄文・弥生時代” そのⅡ

2007年12月09日 | 歴史
沖縄諸島の特殊な自然環境、珊瑚礁に蔽われ、珊瑚が堆積風化した琉球石灰岩の丘陵に形成された貝塚時代の縄文遺跡には、数々の謎が秘められている。

例えば、“イヌ骨製ペンダント”が数は多くはないが、貝塚時代の遺物として出土している。イノシシの骨が検出されていることから、イヌが狩猟ガイド・ヘルパーとして利用されたと見られるが・・・・



写真は、沖縄県内縄文遺跡から出土したイヌ・イノシシ・サメ製ペンダント。
他にも石川市の“古我地原貝塚”から出土したイヌ骨製のペンダントや具志川市の“地荒原貝塚”から出土したイヌ骨製のペンダントなどが見つかっている。

日本本土の縄文人は、イヌをいわば生活共同体のメンバーとして家族の一員同様手厚く扱った痕跡が、人とほぼ同じ埋葬形態から見受けられるが、イヌの骨に加工を施すような例は極めて稀であったと云える。

沖縄の場合、本土と違ってイヌを食用に供していたか、或いはイヌを親愛なる家族のメンバーのシンボルとして、その骨を加工して常に装着し、魔除けの守護神代わりを託したとも考えられるが、はたして精緻に加工されたイヌ骨製ペンダントの役割、その真相は?

次に放射線状に配列された“イモガイの真相”とは?





写真は、具志川市の地荒原貝塚から出土したイモカイ及びイモガイ製貝輪製作工程。

具志川市の地荒原貝塚からは、イモガイ製腕輪ほか装飾品のほかにイモガイそのものが、数千年の歳月を経ても、極めて新鮮な状態で検出されている。

これらのイモカイは何ら手を加えられることなく、そのまま放射線状に配列された状態で数多く出土したと云う。
放射線状に配列されたことはそれ自体を目的とした呪い等とは思われず、貝製品製作用の素材として備蓄していたと考える方が妥当ではないか?

イモガイ製のアクセサリーが、食料確保のための対外交易用製品としての役目を果していたかも知れない。

更に続けると、貝殻の長さが1m 余りもある“巨大シャコ貝”の用途とは?
本島西海岸からフィリピンに及ぶ東シナ海に広く棲息するシャコガイ、小振りの“姫シャコ”から貝味の長さでも1m 余りもある巨大シャコガイまで大小様々なシャコガイが食用に供されたことは間違いない。



写真は、長さが1m 以上もある“巨大シャコガイ”のリアルな姿。
砂底にまぎれ隠れ、嗅覚により子供をさらい、飲み込みかねない巨大なシャコ
ガイを命懸けで捕獲したのであろうか?捕獲用具には何を使ったのであろうか?

巨大で刃先がシャープな打製石斧を使ったのか、或いは巨大な石皿で叩き潰
したのであろうか?空シャコ貝殻は受け皿か容器か、何目的に使ったのであろうか?疑問は尽きない!


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