近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

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古墳あれこれー継体天皇にまつわるストーリーとは!そのⅠ

2011年09月30日 | 歴史
今城塚古墳に関連して、継体天皇に関する最新情報を以下提供する。

滋賀県高島市鴨の天神畑遺跡では、これまで縄文時代から近世までの多彩な遺構・遺物が多数発見されているが、平成23年の調査では、弥生時代後期頃の、合流する2本の川跡近くからは「大壁造建物」が見つかった。







写真は、平成23年5月、天神畑遺跡の現地説明会風景、本遺跡から出土した国内最古と見られる大壁建物跡及び大壁建物のイメージ図。

本遺跡で、朝鮮半島からの渡来人が建築に深くかかわった「大壁建物」の古墳時代前期(4世紀後半~5世紀初め)の建築とみられる2遺構が見つかり、県文化財保護協会が発表した。

大壁造建物とは、柱と壁の両方の強度で建てあげる建物。

大壁造建物は渡来人がもたらしたとみられ、国内で約100カ所見つかっているが、ほとんどが古墳時代後期(6~7世紀)のもので、国内最古とみられる。

大壁造建物が見つかる遺跡は、渡来人の痕跡が見られるところが多く、渡来人の建築技法のひとつと考えられている。そのためか、今回の調査では同じく渡来系技法で作られた乾式系土器の破片が多数見つかっている。

同協会は「早い時期から渡来人が広範囲に活動していたことを示す貴重な資料」としている。

和風建築は柱と柱の間に壁を造るが、大壁建物は細い柱を骨材とし、壁の中に土で塗り固める。

これまでは、5世紀前半のものとみられる南郷柳原遺跡(奈良県御所市)の遺構が最古とされていた。

今回見つかった2ヶ所の大壁建物跡は、それぞれ縦約10m・横約12m。四方の外壁部に溝(幅約60cm)が残り、深さ約30cmの多数の穴があったことから細い柱を立てたとみられる。

溝から4世紀後半~5世紀初めのものとみられる土器が見つかり、古墳時代前期の可能性が高いと判断した。

神聖な場所とされた川の合流地点で、渡来人が祭祀を行ったと推測される。

日韓交流史に詳しい林博通・滋賀県立大名誉教授(考古学)は「朝鮮半島でもここまで古い大壁建物跡はほとんど見つかっていない。渡来人が早い時期から日本で、首長らの信頼を得て祭祀を行っていたことがうかがえる」と話している。

又近くの遺跡からも乾式系土器が出土しており、この辺りは渡来人と関係が深い村があったらしい。

更に当遺跡周辺は継体天皇とのゆかりが深く、継体天皇の父・彦主人王の根拠地とされており、歴史的に重要な土地であったと云える。

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