近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

東大阪市の西ノ辻遺跡とは!そのⅡ

2010年08月28日 | 歴史
西ノ辻遺跡巡りを更に続けます。



写真は、同遺跡から出土した水利施設の樋。

近鉄東大阪線建設工事などに伴う発掘調査の結果、東から西に伸びる古い谷筋沿い及びその周辺より弥生時代の方形周溝墓や土器棺墓、井戸、古墳時代の石組水利遺構などがみつかり、大規模集落で知られるようになったと云う。

西ノ辻遺跡最新の調査では、弥生時代中期末の井戸や、古墳時代中期末から後期初頭の掘立柱建物2棟が発見されたと云う。

古墳時代の集落は、東西100m前後の小規模な集落と考えられている。



写真は、西ノ辻遺跡が所在する弥生町標識。

西ノ辻遺跡があったとされるとところは、なんと!?「弥生町」と銘銘されていたことから、掘ればいろんな文化財が出てくるということは、昔からいわれていたらしい。

現実には、大規模建設が行われる度に発掘調査が行われたため、莫大な費用と時間がかかったが・・・。

弥生町には「鬼虎川遺跡」もあり、貝塚も見つかっている。

鬼虎川遺跡では、東大阪市にある郷土博物館にて貝塚の一部が展示され、埋葬されていた人骨などのレプリカや土器が残されている。







写真は上から、生駒山山麓西部に所在する鬼虎川遺跡の発掘現場、本遺跡から出土した弥生人人骨及び弥生前期の貝塚。

鬼虎川遺跡は生駒山麓の西側に延びる標高4~5mほどの微高地と沖積低地上に拡がっている。

微高地上には縄文前期の海食崖(波の浸食によってできる崖のことで、当時はこの辺りまで海岸線が迫っていた証拠)、弥生中期の掘立柱建物、井戸などの集落遺構や周囲が溝で囲まれた弥生中期の方形周溝墓なども見つかっている。

沖積低地上には淡水産のセタシジミを主体とする弥生前期から中期の貝塚、又ヨシなどの湿地性植物遺体に混じって杭列や弥生中期の溝、そして稲籾が多数見つかっているらしい。

従って当遺跡の水田は、河内湾の周辺に生い茂る広いヨシ源を開発したものと推定されている。

集落と水田との境には、外敵の攻撃から集落を守るための水濠が掘られ、その内側には柵列も巡らされていたことから、当時既に何らかの争いから自らを防御する必要性があったことが窺える。




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