近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

沖縄の歴史・文化 那覇の“山下洞人”とは!

2007年12月06日 | 歴史
琉球諸島は、珊瑚礁を起源とする琉球石灰段丘が発達しているため、動物の骨などの保存に適した地域であり、人類化石は沖縄県内で今日までに9ヶ所で出土している。

これらの出土例のうち、最も古い人類化石は、那覇市山下町の“第一洞穴”から出土した“山下洞人”で、共伴資料の“放射線炭素年代法”により、およそ3万2千年前のものであることが判明。

沖縄の人類化石と云えば、“港川人骨”が有名であるが、港川人骨は約1万8千年前のホモ・サピエンス(新人)の仲間であるらしい。“港川人骨”については後述する。





写真は、那覇市山下町のメイン道路から路地に入った宅地内にある、“第一洞穴遺跡”現場の洞窟と石灰岩の光景。

“山下洞人”は、1968年那覇港に近い琉球石灰岩台地で発見された化石人骨で、8歳ぐらいの女児の大腿骨と頚骨と見られている。

第一洞穴は、南北に開口する間口約1.2m・奥行き5.5mほど・高さ約3.2の小規模なものであるが、1962年の第一次調査と1968年の第二次調査とで、奥行き5.5mまで発掘調査が進んだと云う。





写真は、“山下洞人”骨の出土状況及び第一洞穴遺跡から出土した“斧刃状鹿角器”。

山下洞人は、現代人の先祖である新人に分類され、人骨調査の結果、骨の形態・頑丈さなどに特徴があり、新人としては日本最古の人骨であると発表された。

およそ20万年前にアフリカで誕生したといわれる新人は、驚くべき速さで世界中に分布を広げ、5~3万年前には東アジアに達し、遂に沖縄にまで到達したということ。

山下洞人の発見は、新人が3万2千年ほど前、沖縄諸島に到達していたことを証明するものであり、その後日本列島へ達していたと推定される。

そして日本列島に到達した新人が、縄文・弥生を経て現代人に繫がる進化の旅を続けたと見られるが??????

山下洞人及び港川人などの化石人骨の研究により、沖縄にどのような人々が住み続け、今日まで生きながらえたかを解明する手がかりになることを期待する。


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