近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

東京都港区の芝丸山古墳とは!

2012年04月27日 | 歴史
これからは、関東地方の古墳巡りを始めますが、ヤマト王朝とのかかわりあいに注目してください。

先ずは東京都内に照準を合わせます、港区の芝丸山古墳に当たる。

芝丸山古墳は東京都港区芝公園内にある古墳で、築造は5世紀中頃過ぎとみられ、墳丘長約125m・前方部前端幅約40m・後円部直径約64m・くびれ部幅約22mの前方後円墳で、1979年3月に都史跡「芝丸山古墳」として登録された。







写真は上から、芝公園内の芝丸山古墳正面、古墳巡りの散策道及び現在の古墳頂の平坦広場。

主体部の埋葬施設は失われており、遺体・副葬品などは不明。



写真は、本古墳の全景。

芝公園内の小丘陵上に築かれている。自然の丘陵・台地の先端部を利用して築かれ、向かって左側が前方部、右が後円部。

くびれ部に円山稲荷があり、丘陵の東斜面には丸山貝塚がある。

5世紀当時、付近低地の水田地帯に生産基盤を持ち、南北の交通要衝を抑えていた、南武蔵地区の首長の墳墓と考えられている。

都内には、100m級の前方後円墳が少なくとも3基あったらしく、一般的な見方に従えば、これらの前方後円墳は中央政権の権威とつながりを持った、有力首長クラスの墳墓ということになるが・・・・・。



写真は、芝公園内の小丘陵上に所在する、増上寺内の徳川家霊廟。

増上寺西域の台地は、武蔵野台地の先端部のため、海に近いほど低まっているが、本霊廟に隣接する丸山古墳群あたりは、元々の標高が16mくらいであったと云う。

本古墳は、徳川家霊廟を造成する過程で、幸運にも消滅を免れたらしい。

西側に残っていた台地を削平された丸山古墳の乗っている丘陵は、東側を除いた裾をコンクリートで固めた、芝公園の一部と云う。






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