近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン 縄文人の美意識そのⅠ

2007年09月11日 | 歴史
縄文文化を憧憬する美意識が、原日本人土着の美意識ではあるが、弥生時代の混血文化が日本人の美意識の直接的原型として血肉となり、以降縄文文化の美意識は、日本人のDNAに潜在的に埋もれたが、時折顔を覗かせると云えないか?

弥生的なものが、日本美術の正統系譜として、日本人の美意識の中に行き渡った本流だが、縄文的なものが潜在的に日本文化の深層に潜み、歴史のところどころで表面に噴出するものと捉えられる。

縄文文化と弥生文化を、亜流と本流という関係で捉えると、縄文文化は、弥生文化が“日常的”に対して、“非日本的”と看做されるかもしれない。

“縄文的”と“弥生的”と云う概念は対照的なものとしているが、潜在的な縄文文化と顕在的な弥生文化と云うように言い換えると、周縁的・突発的な縄文的に対して、本流としての弥生的なものが同時に受継がれていると云える。

本流の混血説は、土着の縄文人に渡来人が混血して、古墳時代以降の日本文化の基礎を作ったという考え方に立脚している。
日本人が持つ美意識の中で、本流と亜流という二重構造が現在まで受継がれ、伝統的日本文化の基礎を成している。

日本の美の構成が“ハレ”と“ケ”であったのに対して、西欧の場合は階級制度や貧富の差によって厳然と差別化されていた。
“ハレ”と“ケ”とは、前者が晴れ着・よそ行き(訪問着)で、後者が普段着と云う発想で、食で云えば、“料亭料理”と“家庭料理”と云うことになる。

日本人が持つ普遍的な一点豪華主義・ブランド指向は、世界の非常識の最たるもので、“ハレ”と“ケ”なる伝統的美意識を知らなければ理解できない。
縄文的美意識が頭をもたげた現象と云えないか????





写真は、典型的な京風着物のサンプル2点。
特に着物に育まれた“衣”に関する日本人の感性・美意識は、世界のファッション界の注目を集め、現在フランスを中心とした先端ファッション界で、数多くの日本人デザイナーが活躍している。

又東京自体も日本ファッション情報発信基地として、世界の注目を集めている。
これは、縄文的美意識が頭をもたげた状態で、世界に認められていると云える。

明治維新という“文明開化”以降、新しいものに対する好奇心・採用の積極性は、“ケ”の服装として“洋服”を普及させた一方で、“ハレ”の衣装として着物は現在に至るも廃れることなく、厳然と存在観を示している。

縄文的美の本質を表現している、着物文化と云う枠を乗り越えて、西欧のファッション文化と融合して、“美的ハイブリッド”として洋服が、日本で再生されたとも云える。
これは日本人美意識の二重構造がなせる、特異な現象でもある。

例えば、縄文的ファッションの編み込み模様・組紐や刺繍に技巧を凝らした、日本的祭りの衣装で、縄文的美人が現代の原宿や六本木辺りを歩いても、何ら違和感は無いと思われるが・・・・・・。


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