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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン 宮城県七ヶ浜町の“大木囲貝塚”とは!

2007年09月02日 | 歴史
大木囲貝塚は、縄文前期から中期(約6,000年前)にわたるもので、南北285m・東西270mほどの巨大規模で、貝層は地表下約4mに達するほど。



写真は、本貝塚遺跡現場。
1968年に約190,000㎡が“国史跡”の指定を受け、現在公園として整備されている。
 貝塚としては全国最大規模の指定面積と云われる。

貝塚の内側の平坦地からは数軒の竪穴住居址が見つかっているが、この広い台地上に6~8軒規模のムラの存在が認められる。
住居の直径は6~8mほどで1軒5~8人程度が住んでいたと考えられている。
大木囲ムラの人口が想像出来る。

住居は台地上の平らな部分に建てられ、斜面下方に食糧の残滓や生活関連の壊れたものが投げ捨てられた結果、4mにも達する貝層が形成されたと見られる。
以下貝層から出土した遺物について概観してみる。



写真は、本貝塚から出土した貝層断面。
貝塚は生活痕跡がそのままの状態で残っている貴重な資料で、当時の生活様式・文化をあからさまにしていると云える。

縄文時代前期から中期までの遺物が、時期ごとに順序良く積み重なって残っているため、”時代の変化”を知ることが出来る。



写真は、本貝塚から出土した、各種魚骨。
出土遺物を分析すると、動物質資料は魚類が最も多く、中でも特に多いのは小魚の骨と大きなマダイの骨で、網漁と同時に鹿角製釣針が出土していることから、沿岸釣操業及び外洋操業が併存していたと考えられる。





写真は、本貝塚から出土した、貝輪及び各種貝類。
貝の種類はマガキ・ハマグリ・アサリ・ハイガイ等47種に及び、中にはハイガイのように、はるか南方に生息するモノも見つかり、当時の海は現在より暖かったことが窺える。
海面は現在より4mほど高かったと見られる。

当貝塚から出土した四肢動物の骨類にはシカ・イノシシが多く、タヌキ・アナグマ・カワウソ・オオカミ・クジラ・イルカ・アシカ・ウミガメ等の骨も見つかっている。









写真は上から、本貝塚から出土した、イノシシの骨・イヌの骨・クジラの骨・シカの骨など。 上から順番に紹介する。
 大木囲貝塚から出土した“イノシシの骨”で、動物性脂肪・蛋白質などの供給源として最も珍重された動物。
 当遺跡から出土した“イヌの骨”。家畜としてはイヌが唯一であり、狩猟に使われたものと見られる。
 当遺跡から出土した“クジラの骨”。外洋性漁労の醍醐味はクジラ漁にあったのではないか?
 最後に当遺跡から出土した“シカの骨製品”。この地方で大量に見つかっている鹿角製釣針・銛・ヤスは、漁労で大活躍。



写真は、本貝塚から出土した、鹿骨製の髪飾り。
この他にも大木囲貝塚からはいろいろな装身具が見つかっている。
代表的な装身具として、耳飾り・胸飾り・腕飾りなどが出土している。



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