私市円山古墳は、1500年ほど前の由良川流域を治めた王の強大な権力を今に伝える、造り出しをもつ大型の円墳で、全長約81m・直径約70m・高さは約10mの府内最大の円墳で、由良川流域では前方後円墳を含めても、最大の規模を誇る。
本古墳は、昭和63年舞鶴自動車道建設に伴う事前発掘調査で発見された。


写真は、私市円山古墳墳頂から由良川越しに見下ろす福知山方面と舞鶴自動車道及び綾部市方面。
由良川沿いに立地する山上をいっぱい使い、眼下に広く由良川を眺める、この墳頂上からは、写真のように、西は福知山市街地・東は綾部市方向を一望に収める絶好の場所を選んでいる。
この眼下に由良川の流れを見下ろす、この丘に立つと、古代の記憶を蘇らせてくれる。




写真は上から、私市丸山古墳遠景、全体像、3段築成の完成度及び造りだし部。
本古墳の墳丘で、当時の姿に復元し史跡公園として整備されている。古代の遺産を活用し、葺石の寄付など市民の協力を得ながら、市民のシンボルとして、1993年に完成した。
写真の通り、高さ約10mの斜面には、葺石として由良川の河原石を約6万個敷きつめ、頂上から3列に約1,000基の埴輪で囲まれている。
由良川中流域には、1,000基を超える数の古墳があり、それらの大半は、小さな方墳または円墳で、当地には全長100mを超えるような大型の前方後円墳は見当たらないと云う。
しかし本古墳のように前方後円墳に匹敵する巨大な円墳が存在し、当地域独自の古墳文化を形成している。
当地の古墳時代の時系列変化をみると、前期にあっては、弥生時代の墓制を色濃く残して、副葬品等に充実がみられるものの、弥生時代の方形周溝墓の系統をひく小規模な方墳が主流。
古墳時代中期前半まで方墳優位の時代が続くが、古墳中期に入ると畿内の影響を強く受け、私市円山古墳のような円墳として定型化したものが登場し、ここに当地の古墳時代が花開いたと云う。
本古墳は、見晴らしのよい丘陵上に造られているため、葺石を古墳まで運ぶだけでも大変な作業であったと想像される。

本古墳は、昭和63年舞鶴自動車道建設に伴う事前発掘調査で発見された。


写真は、私市円山古墳墳頂から由良川越しに見下ろす福知山方面と舞鶴自動車道及び綾部市方面。
由良川沿いに立地する山上をいっぱい使い、眼下に広く由良川を眺める、この墳頂上からは、写真のように、西は福知山市街地・東は綾部市方向を一望に収める絶好の場所を選んでいる。
この眼下に由良川の流れを見下ろす、この丘に立つと、古代の記憶を蘇らせてくれる。




写真は上から、私市丸山古墳遠景、全体像、3段築成の完成度及び造りだし部。
本古墳の墳丘で、当時の姿に復元し史跡公園として整備されている。古代の遺産を活用し、葺石の寄付など市民の協力を得ながら、市民のシンボルとして、1993年に完成した。

写真の通り、高さ約10mの斜面には、葺石として由良川の河原石を約6万個敷きつめ、頂上から3列に約1,000基の埴輪で囲まれている。
由良川中流域には、1,000基を超える数の古墳があり、それらの大半は、小さな方墳または円墳で、当地には全長100mを超えるような大型の前方後円墳は見当たらないと云う。
しかし本古墳のように前方後円墳に匹敵する巨大な円墳が存在し、当地域独自の古墳文化を形成している。

当地の古墳時代の時系列変化をみると、前期にあっては、弥生時代の墓制を色濃く残して、副葬品等に充実がみられるものの、弥生時代の方形周溝墓の系統をひく小規模な方墳が主流。
古墳時代中期前半まで方墳優位の時代が続くが、古墳中期に入ると畿内の影響を強く受け、私市円山古墳のような円墳として定型化したものが登場し、ここに当地の古墳時代が花開いたと云う。
本古墳は、見晴らしのよい丘陵上に造られているため、葺石を古墳まで運ぶだけでも大変な作業であったと想像される。

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